ヒゲ虎時事評論13

どこにぶら下げようかな 投稿者:カラバ公爵 ( 11/20 23:40:15 )

 れんだいこさん いずみさん こんばんは。スレッドの何処にぶら下げようか迷いました。

 れんだいこさん
>一問一答式にもきり替えられるし、ひょっとして見苦しいとか云われることはないと思っていますが、自分では当事者過ぎて分からない、どうなんでしょうね。

 大体の主張は成されたと思いますので、一問一答式が読みやすくて有り難いです。

 さて、このスレッドに投稿するからには自分の立場を顕かにしなければいけない様です。私の感じたこの討論の大きな論点は二つです。

1、オカマと言う言葉は使ってはいけない言葉なのか?
  →YES どうしてもその言葉でなければ表現不能でない限り使うべきではない。 (と言う事で、カラバはこの投稿を最後にこの言葉を封印する)

 このスレッド及びネットその他で勉強いたしました。この言葉はいずみさん等に悲しみ(と無論怒り)を覚えさせる言葉です。「オカマ」と言う言葉には「男らしくない男」と言う意味が必ず含まれ、それは現代においては「ロクデナシ」の意味でもあるからです。「男らしくない男」と「ロクデナシ」はイコールではない。

 ただ、れんだいこさんが「オカマ」と言う言葉で表したかったアナルファッツクは、れんだいこさんの言う「いなげな行為」であるとは思う。共産党批判の投稿の「オカマ運動」を「アナルファック運動」に変えても文意は通じます。ただ文章のリズムはくずれますかね。

 アナルファック(以下AF)が生殖行為として「いなげな行為」であるか否かは、その行為がメジャーであるか、あるいは、♂−♀、♀−♀間ならどうなのかという問題では無いと思います。

 社会行為として見れば、そこらへんの本屋で普通に「やおい本」売ってますし、女子高生が普通に買って読んでいますので(消費された紙の量で行ったら井原西鶴どころでは無いです)いなげな行為とはもう言い切れないでしょう。

2、サヨクは何を目指しているのか。
  新左翼→優しい世界、れんだいこ左翼→マッチョ

 これを感じました。今回の討論はこの主張のぶつかり合いでは無いでしょうか?

 今の左翼は「優しい世界」の構築を旗印に天下を目指していると思いました。すばらしい試みです。日の丸反対運動等や共産党の今の政策もこれに通じると言ったら、強弁に過ぎると言われましょうか?

 対するにれんだいこさんはマッチョです。はじめてれんだいこさんの投稿を読んで驚きました。マッチョ左翼と言うものを初めて見たのです。私はそう言う御縁でれんだいこさんのサイトにお邪魔している者でもあるのです。

 私はれんだいこさんのマッチョぶりに共感した者です。だから私の目指す優しさもマッチョな優しさと言うことになります(オカマ連発は、マッチョな優しさから言ったらやはりNGでした、謝罪)。いずみさん、マッチョ左翼珍しいですよ(多分)。れんだいこさんの共産主義論きっとオモシロイですよ、聞く価値有ると思いますよ。それが「敵」の論であっても・・


Re:どこにぶら下げていいものやら。(変わった一例) 投稿者:れんだいこ ( 11/21 01:46:11 )

 ひれつやさん、ちわーです。私に対するこすりのような気がしますので、一応当人が出てきました。

> きのう、オモシロイものを見てしまいました。> オレの隣家には、メス犬が2匹飼われています。 同じ親から産まれた姉妹っす。2匹とも出産経験ありっす。 そんな2匹なのに、片方が背後から乗りかかり カクカクと腰を動かしていましたです。 これって近親相カマ(失礼)なんでしょうか? 飼い犬という、自然の摂理に反した環境がもたらしたのでしょうか?

 これはですねぇ、当犬に聞いてみないと分かりませんが、生物的に発情しているのに、相手がいないからこうなったらやけくそで犬乗りしたのかもしれないですがな。

> 昔読んだ本の受け売りで、真偽は定かでないのが心細いのですが イスラム教では、ラクダとヤってはいけないがひつじとヤってもいいらしいです。 (違う動物だったかも?間違いがあったら、指摘いただければ幸いです)

 これはですね、やってもいいということと、みんながすることとは違いまんがな。

> 人類はチンパンジーから進化したといわれていますが 同じチンパンジーを祖とする類人猿にピグミーチンパンジーがいます。 ピグミーチンパンジーの群れで争いがおこった場合 相手に怪我を負わせるような事態になる前に オス同士、メス同士、オスメスだろうが 違いの性器をこすりあわせ(気持ちよくなって?)仲直りするそうです。

 これはですね、生活の知恵かも知れませんがね。

> 人工飼育されたチンパンジーのメスは、出産してからヘソの緒を 自分で切ることができないのだそうです。 ヘソの緒を切る行為は、群れの生活の中で後天的に学習するものだそうです。

 それを言うなら、教えられもせんのに乳房を求めて乳首にいたる習性はどう説明するのんね。

> ヒトの性で「本能」で行われている行為って、どれだけあるんでしょ?

 そったらこというのなら、何で私はべっぴん見つけたら鼻が伸びるねん。

> ラットを狭い空間で繁殖させた場合に、一定の密度を超えると オス同士でカクカク、メス同士でカクカクして 出生率が低下してしまうそうです。 密度が下がってくると、そのような例がみられなくなって 再び密度が上がると、同じ行為が行われるそうです。 これも自然の摂理でしょうか?

 何かが関係しているんでしょう。

 むしろ私がいい例を教えるわ。うちのポチがその昔教えてくれたんだけど、人間はなんであげな変態セックスするねんと言うのさ。どういうことですかと聞いたら、ワンワンいいながら教えてくれるのに、我々は恥ずかしいから互いに顔を見合わせないような格好でしてるとさ。それに比べて人間という野郎は、ようも向かい合ってできることだワン、なんちゃって。

Re:どこにぶら下げていいものやら。(変わった一例) 投稿者:いずみ <HOME> ( 11/21 03:58:40 )

 こういうれんだいこさんのレスを読むと、「あぁ、やっぱり根本的にわかってないのだなぁ。。。」とがっくりくるのですが。。。^^;;

>  これはですね、やってもいいということと、みんながすることとは違いまんがな。

 だから、そんなことには、少なくともこの掲示板では、だれも異論は唱えてないのですよ。はじめっから!!!!!

 れんだいこさんのロジックでは、「多数派には自然の摂理」という主張と「自然の摂理は多数派」という主張が、そこかしこで出てきます。これ、まさに密教的円環構造、トートロジー以外の何物でもないです。

>  それを言うなら、教えられもせんのに乳房を求めて乳首にいたる習性はどう説明するのんね。

 脳に入ってるんでしょ。それは否定してないです、ここでは誰も。そうじゃなく、その上で、それ以外の構造で性欲を感じることもある、そしてその両者に優劣などない、というところが肝心なのですが。

 もちろん、もう1つ、その「脳に入っている」という事実が、社会の中でどう反映されているのか?という部分では、それすらも「本能」とは言えない、というのが、「リプライその1へのリプライ」で書いたところです。

Re:いえいえ軽い気持ちでレスしたんよ。 投稿者:れんだいこ ( 11/21 09:16:42 )

> 単純に疑問だったんですけど? 意外とムキになってますねぇ。 オモシロイほうに振ってみますかぁ。

 ホントムキにはなっていませんようだ。

(れんだいこ)これはですねぇ、当犬に聞いてみないと分かりませんが 生物的に発情しているのに、相手が いないからこうなったらやけくそで犬乗りしたのかもしれないですがな。

> 自慰の延長的な行為であると言いたいのでしょうか? 残念ながら、寝床に敷いてある毛布に擦り付けているのは、目撃しておりませんし 上になったメス犬は、自慰のお手伝いでしょうか?


 自慰ではなく、本来せねばならない行為が抑圧されたので、一番本源的な行為を優先して、二次的な嗜みを構わず乗りかかったということではないかなぁ。まぁこの場合はメスですからね、メスの方も本来される予定のリズムが狂って、オス役を御願いしたともとれるわなぁ。それほど強い性の本源性を私なぞは逆に思う。放し飼いの自然食食わすスタイルでいたら、やっぱオス‐メス間の行為へ向かうと思うがなぁ。

(れんだいこ)これはですね、やってもいいということと、みんながすることとは違いまんがな。

> 何が言いたいのか、サッパリ分かりません。 寛容される「性(癖)」が環境によって変化する例ですけど? みんながしなくてはならない例を出さなくてはいけないのですか?


 うーーん、みんながしていることには意外と根拠があるというのが私の認識だからねぇ。

(れんだいこ)これはですね、生活の知恵かも知れませんがね。

> ヒトも同じ「生活の知恵」を使えば、さぞ住み良い社会でしょう。 家内安全夫婦和合の秘訣にとどめるべきではありません。 パレスチナとユダヤは大乱交パーティーをすべきです。 (でもオレはヒゲとは絶対に致したくないですが。)

 これは冗談の程度が悪過ぎる。戸田さんは別にしてパレスチナ人は怒るよ、そったらこといったら。

(れんだいこ)それを言うなら、教えられもせんのに乳房を求めて乳首にいたる習性はどう説明するのんね。

> 生殖と捕食をごっちゃにしてはいけません。 母親の性感帯を刺激する本能が備わっていると言いたいのでしょうか?

 捕食も睡眠も排泄も同じセンテンスで性欲も、かなり弱くなるが性意識も本能的な摂理性と見なしていますのでね、そういう例を挙げました。

(れんだいこ)そったらこというのなら、何で私はべっぴん見つけたら鼻が伸びるねん。

> そのベッピンさんが、サオ付きタマ取りホルモン注射の場合でもっすか? 「女性的な容姿」に条件反射しているだけじゃないですか? そんで、アフリカにいたある女性は、クリトリスが15センチ程あったそうです。 彼女は、女性と男性とが一体化した神に等しい存在として拝み奉られて 男性しかなれない部族の酋長になり、その地を治めたそうです。 ベッピンのタマ無しサオ付きチチありのオトコと 巨大クリトリスでオトコと同格以上の扱いをされる女性と れんだいこさんはどちらに欲情しますか?

 そういう特殊例ではなく、ごく普通に街を歩いていてとか電車で乗り合わせてとかで、それこそ脊髄反射的に反応起こしたというのは、何も私だけとはいわせませんぞ。

 
むしろ私がいい例を教えるわ。うちのポチがその昔教えてくれたんだけど、人間はなんであげ な変態セックスするねんと言うのさ。どういうことですかと聞いたら、ワンワンいいながら教え てくれるのに、我々は恥ずかしいから互いに顔を見合わせないような格好でしてるとさ。それに 比べて人間という野郎は、ようも向かい合ってできることだワン、なんちゃって。

> 何をもって「いい例」なのかが分かりませんね。 れんだいこさんは背後位がお好きなのでしょうか? 女性を四つん這いにさせて、後ろからするのが自然の摂理であり 人間の本能として備わっている正しいセックスと言いたいのですか?

 この例は内容にはあんまり関係無かったですね。犬の話が出たので、そのついでに犬にまつわる話として書きこみました。まじめに考えられたら疑問になります。

> ここからはマジレスです。 ジェンダーという概念や精神分析的手法などを用いないで「性」を語るのは 正直に言って無謀ではないかと思います。 本能=自然の摂理を主張したいのであれば、後天的学習でないことの証明が必要です。 多用するとヤブヘビです。 それに、とことん追い詰めたりしない、いずみさんは優しい人だと思いますよ。


 そうかぁ、余裕のよっちゃんで、私が扱われているんかなぁ、そこのところがわかんないんだな。それで私にも余裕があるんかなぁ。ここは暫らくおのおの衆のお出ましで様子見してみよう、これマジね、いいたいことの半分はだしたから。さぁてもみなさぁぁん、お後をどうぞ。


やっぱりれんだいこさんはおもしろい人です(^o^) 投稿者:いずみ <HOME> ( 11/22 00:32:55 )

>> 何が言いたいのか、サッパリ分かりません。 寛容される「性(癖)」が環境によって変化する例ですけど? みんながしなくてはならない例を出さなくてはいけないのですか?

(れんだいこ)うーーん、みんながしていることには意外と根拠があるというのが私の認識だからねぇ。


 もう、何度も何度も何度も書いてきたとーり、そんなことはたいていの人が承認しています。

(れんだいこ) これは冗談の程度が悪過ぎる。戸田さんは別にしてパレスチナ人は怒るよ、そったらこといっ たら。

 よう言いますな(笑) あんなことはじめに書いておきながら(笑)

>> そのベッピンさんが、サオ付きタマ取りホルモン注射の場合でもっすか? 「女性的な容姿」に条件反射しているだけじゃないですか? そんで、アフリカにいたある女性は、クリトリスが15センチ程あったそうです。 彼女は、女性と男性とが一体化した神に等しい存在として拝み奉られて 男性しかなれない部族の酋長になり、その地を治めたそうです。 ベッピンのタマ無しサオ付きチチありのオトコと 巨大クリトリスでオトコと同格以上の扱いをされる女性と れんだいこさんはどちらに欲情しますか?

(れんだいこ) そういう特殊例ではなく、ごく普通に街を歩いていてとか電車で乗り合わせてとかで、それこそ脊髄反射的に反応起こしたというのは、何も私だけとはいわせませんぞ。


 もう、何度も何度も何度も書いてきたとーり、これは全く反論にも言い返しにすらもなっていません。いいですか、元のカキコで書かれていることをいずみがまとめると、「人間は、生物学的性別で日常の性欲をかき立てられているのではない」ということですよ。♂が♀に発情するということについては、何の評価もしていないのですよ。

 「女性的な容姿」は、ジェンダーロールです。道ゆく人の性器見えますか?染色体見えますか? れんだいこさんが欲情?するきっかけは、♀というものに対してではなく、「女性というジェンダー」に付加された記号を通してでしかない、と言っているのです。 しかし、それに対してれんだいこさんは、こう反論してるのです。 「だって♀には欲情するのが自然だ」。まったく、反論にも何にもなっていないです。欲情そのもののことを言っているのではなく、そこに到る過程、契機を問題にしているのですから。


Re:座布団一枚と思ったが 投稿者:れんだいこ ( 11/22 10:40:17 )

> では、一般的で分かりやすく強調した例をあげてみます。全裸の女性が開脚しているのとルーズソックスだけ着用の開脚ポーズ。この意味の違いは分かりますか?どちらがお好みですか? 純粋に種の保存と快楽の追求が「性」であるなら、両者に差はありません。 後者はルーズソックスを履くことにより、「全裸の女子学生」という「記号」 もしくは「付加価値」がついたことになります。

 実際の局面ではわかんないけど、ここで読むぶんにはワンポイント入ったほうがより興奮するんかいなぁ、とも思うなぁ。まぁ私のようながさつ丸はそんなところに目もくれず突貫小僧になる気もするけど。

> 「けっ、小便臭い小娘に興味などないわい。 やっぱり、全裸にエプロンで炊事をする姿が一番」


 というより、パンツの紐を強くしたりその他もろもろの工夫と一緒で、目先環境を変えるというか変化技を導入することにより、いわばマンネリズムとの闘いでムラムラアップ間違い無いということだと思うんだけど。

> などと言う御仁がいらっしゃいましたら、その海綿体に集まる血液の半分は ジェンダーとしての女性によってもたらされたものです。

> こういう例のほうが、自分の性癖を露骨に語るようで いっそう恥ずかしいことだと思いますです。 ある程度、特殊な例のほうが客体化しやすく、恥ずかしく無く 冷静に語れるように思いますです。


 なるほどね、了解です。それで今ふと思ったことを書いてみます。我々の性衝動の規定要因を、その一のモーターとして、オスは精子・メスは卵子の生産活動の活発度に求めるという唯物論的認識。第二のモーターとしてジェンダーかロールか何か分からんが意識というか認識の作用の相乗効果度にも求めるという観念論的認識。第三のモーターとして、遺伝子にプログラミングされているかも知れない未だ未解明な性意識に求めるという生物分子学的認識。この三モーターがあざなえる縄の如くに相互作用しあっていて、その立ち現れ方も千差万別でまさに個性となっている。この了解の仕方はどうだろうね。座布団くるかなぁ。これが、れんだいこ−いずみ性論渉によりもたらされつつある胎児なんだけど、流産せずに嫡出子足り得るかなぁ。産婆役もいるしなぁ。やっぱ全然噛み合ってないのかなぁ。

 その究極規定要因を何ていってAだBだCだなんて言い張っても徒労かもしれん。もっとも、今書きながら気づいたけど、いずみさんとの論争は、私の変態観に対するそういう認識の是非又は正邪を問うというところで為されているのだよね。となると、三規定説とは異筋なテーマであんまり役に立たないか、やっかいだなぁもし。

いいかげん、議論の手順としての歩みよりはないのかなぁ(笑) 投稿者:いずみ@出向先(笑) ( 11/22 14:00:02 )

(れんだいこ) なるほどね、了解です。 それで今ふと思ったことを書いてみます。我々の性衝動の規定要因を、その一のモーターとし て、オスは精子・メスは卵子の生産活動の活発度に求めるという唯物論的認識。第二のモーター としてジェンダーかロールか何か分からんが意識というか認識の作用の相乗効果度にも求めると いう観念論的認識。第三のモーターとして、遺伝子にプログラミングされているかも知れない未 だ未解明な性意識に求めるという生物分子学的認識。この三モーターがあざなえる縄の如くに相 互作用しあっていて、その立ち現れ方も千差万別でまさに個性となっている。この了解の仕方は どうだろうね。座布団くるかなぁ。これが、れんだいこ−いずみ性論渉によりもたらされつつある胎児なんだけど、流産せずに嫡出子足り得るかなぁ。産婆役もいるしなぁ。やっぱ全然噛み合 ってないのかなぁ。

 とりあえず「いろんな要因」というところまではやっと了解されたのでしょうか? ただ、相変わらず上記の把握はめちゃくちゃだとは思います(笑)。というか、その「唯物論的認識」って言うのが何なのかさっぱりわかりません。いずみ的には、まるで毛沢東が「唯物弁証法で風邪を治す」と言っているように聞こえます(笑)。ジェンダー論が観念だと言われると、もはや議論自体が成り立たないですね。

 というのは、ここまでの議論のかみあわなさの原因の1つが、これまで学者とかが研究してもたらされた果実のほとんどを(そう、ほとんどまったく、です!)れんだいこさんが無視しつづけていることにある、と思っているからです。いったい、ジェンダー論とれんだいこさんの主張のどちらがより観念論として際立っているのか、ネットゴングでもやりたいですよ(笑)

(れんだいこ)その究極規定要因を何ていってAだBだCだなんて言い張っても徒労かもしれん。もっとも、 今書きながら気づいたけど、いずみさんとの論争は、私の変態観に対するそういう認識の是非又 は正邪を問うというところで為されているのだよね。となると、三規定説とは異筋なテーマであ んまり役に立たないか、やっかいだなぁもし。

 是非や正邪などは解いていません。とりあえず、現代の人類が獲得している成果からあまりにかけ離れている、と申し上げているだけです。もちろんいずみは、それを把握し認めた上で、まさに宗教的にいろんな世界観をを説くことはまったく否定しませんし、そういう人には尊敬もすることがありますが、それを「唯物論的認識」と言われてしまうと、もはや議論としてまったく成立していないことになります。要するに、アジテーション合戦にすぎない。オナニーみせあいっこにすぎない、ってことです。

Re:少ししつこくなるけど 投稿者:れんだいこ ( 11/22 17:07:25 )

> とりあえず「いろんな要因」というところまではやっと了解されたのでしょうか?

 あのぅですね、「いろんな要因」としていずみ説については重ね重ね拝聴しているんですよ。恐らく違いは、生物的性として立ち現れたオス・メスの性機能の性差を重視するのか、あまり意味を持たせずに曖昧性を重視すべきではないのかというのが、私といずみさんのスタンスの違いであって、その他では混ざるところもあるし、私が理解しきれないところもあるというのが構図なのではないかなぁ。

>  ただ、相変わらず上記の把握はめちゃくちゃだとは思います(笑)> というか、その「唯物論的認識」って言うのが何なのかさっぱりわかりません。

 うーーん、ここは認識のスタンスの差だからねぇ。科学的知識といったって、真理の聞き分けの部分と自身の考えの補強部分としての知識ないし研究だってあると思うのよ。全て真理系でつなげて行くと、例のほら絶対的云々の如意棒の登場に道を開くと思うんだな。

>  いずみ的には、まるで毛沢東が「唯物弁証法で風邪を治す」と言っているように聞こえます(笑)

 毛先生がそったらこといっているとして、脳機能効力からすればあながち根拠が無いわけではないと思う。もっとも「病は気から」の発展系として捉えての話だけどね。この辺り養老先生にでも聞いてみたいところだな。

>  ジェンダー論が観念だと言われると、もはや議論自体が成り立たないですね。

 少しゴリ付けとは思ってはいるけど、実体的に見ていくと、僕のスタンスからはそこに入ることになるんだな。

>  というのは、ここまでの議論のかみあわなさの原因の1つが、これまで学者とかが研究してもたらされた果実のほとんどを(そう、ほとんどまったく、です!)れんだいこさんが無視しつづけていることにある、と思っているからです。


 減らず口になるけど、それはいずみさんがいずみさんお気に入り系の知識を寄せ集めているからそういえるのであって、学者とかの研究成果がまたバラエティだと思うんだけど。特段に一つの系の基礎から積み上げられて行っているとは思わない。少し触れたつもりだけど、カオス的情況からさまざまな系がそれなりの知識を研究成果を積み上げて行っており、トータルで見れば、やはりカオスであると私は思っているんだけどね。

>  いったい、ジェンダー論とれんだいこさんの主張のどちらがより観念論として際立っているのか、ネットゴングでもやりたいですよ(笑)

 ネットゴングって何だ。投票のようなことなんかな。

>  是非や正邪などは解いていません。 とりあえず、現代の人類が獲得している成果からあまりにかけ離れている、と申し上げているだけです。

 だからぁ、そういう決め付け出来るのがうらやましいと既に云ったことがある。

>  もちろんいずみは、それを把握し認めた上で、まさに宗教的にいろんな世界観をを説くことはまったく否定しませんし、そういう人には尊敬もすることがありますが、それを「唯物論的認識」と言われてしまうと、もはや議論としてまったく成立していないことになります。 要するに、アジテーション合戦にすぎない。オナニーみせあいっこにすぎない、ってことです。

 うーーん、唯物論と観念論と唯脳論と遺伝子論を新唯物弁証法的に総合してみたいというのが私のスタンスでして、旧式唯物論的認識による整合的論理体系を吹聴しようとは思っていません。といってみても、平行棒をそれぞれがわたる式になりつつあるのかなぁ。

降ります。 投稿者:いずみ@出向先(笑) ( 11/22 19:15:19 )

 たぶんこれ以上続けても時間の無駄だということで、この議論からは降りさせていただきます。お付き合いいただき、ありがとうございました。それではまた。


Re:どこにぶら下げようかな 投稿者:いずみ <HOME> ( 11/21 03:52:20 )

 カラバさん、よろしくお願いします(^o^)

> 社会行為として見れば、そこらへんの本屋で普通に「やおい本」売ってますし、女子高生が普通 に買って読んでいますので(消費された紙の量で行ったら井原西鶴どころでは無いです)いなげ な行為とはもう言い切れないでしょう。

 がはは(笑) #でもれんだいこさん、「やおい本」ってご存じなのでしょうか…^^;; ただ、いずみが知る範囲では、さすがに女子高生で自らAFやる、つーのはなかなか知らないです^^;;

> 2、サヨクは何を目指しているのか。
>   新左翼→優しい世界、れんだいこ左翼→マッチョ

> これを感じました。今回の討論はこの主張のぶつかり合いでは無いでしょうか?


 いや、新左翼は殺し合いの世界ですよ(大苦笑)ただ、れんだいこさんがマッチョ左翼、というのはわかる気がします(^o^)

 つまり、世の中にはオトコとオンナしかいない、というのが空気のようになってて、もちろん、それ以外の人がいることは客観事実としては認識できていて、それらの人にも同様の「生」の権利があることを権利問題として承認していて、でもそこにはいかんともしがたい「実感できない!!!!」というごびりつきがあってそれと「自分は男性だ」という正当な認識があいまって、「オトコらしさ」が全面に出ている、それを出すことがどういう影響を及ぼすのかには無頓着、そんな感じは、いずみの独断では受けてしまいます。

 何を隠そう、ここ1年以上、いずみは、80年代にしでかしまくってた、戦端日向派と大バトルを展開しています。ほんとはこんなくだらないことやりたくないのですが(苦笑)。(れんだいこさんやみなさんとサロンおしゃべりしてる方がずっと生産的)まぁ、許せない物は許せないのでいろいろやってます。

 こいつらの頭目、下部活動家の上納金でポルシェ買った荒岱介がまさにマッチョ左翼の典型みたいな奴なのですね。(だからうちのトップで「男根主義者」と堂々と非難)といいつつ今現在、連中は共産主義を公式に放棄してますが、放棄したのは器だけで中身は全然変わってない。中堅幹部はいろいろ「差別反対」みたいなこと言うのですが、頭目は、自分はそんなことしてないつもりで、けっこう「おいおい、そんなこと党首が言っていいのか?」みたいな危険発言が多いのです。

 でも、荒岱介は、そういうことの責任を決して自分では取らないのです。ほんとに最低な奴です。こうやっていずみなんぞにつきあってくださるれんだいこさんとは比較するだけでも失礼なことなのですが。。。傾向として全く似てないとは言えないかも、というのが正直な感想です^^;;;;;;;;;;;;

男と女(男らしさ・女らしさ)について 投稿者:ひまた ( 11/21 04:15:44 )
 
(割り込み場所が見つからないのでスレッドたてさせていただきます。)

 普通の左翼でも過激派左翼でも、最良質の部分は人間を語る哲学を持っている。しかし、そのシンパ同調者ヒステリ系左翼は救いようのないのが多い。

 たとえば、男と女のこと。教育の場での話を考えてみよう。女性への社会的差別への反発(反感)としてなのか「男女同権」が行き過ぎて「男=女」なんていう概念(私に言わせりゃ嘘っぱち)が一人歩きしている。「男らしく」「女らしく」という言葉がすでに男女差別の端緒であるからしてその言葉と思考さえも教育(子育て)の場から放逐されなばならないという考えのことである。これはおかしい。

 我が家には子どもが三人いるが末っ子だけ女の子(いま小学一年生)でこいつをどう育ててよいかわからない、毎日が戸惑いの連続である。男の子はわかる(私が男だから)でも、女の子はわからない。なんというのか、この「違和感」。(笑)幼稚園の保護者会の席で勇気を出して園長に質問してみた。

 問い「女の子はどうもわからない。男の子との違いについてどうお考えか?」
答え「男、女という区別は必要ないと思います。私たちは同じように接しています。」
(あかん、これでは「男女同権論」のレベルだわ・・・)

 せっかくのことだから、いずみちゃんにはこのことについて尋ねたいのだ。

 いずみちゃんは「男は男らしく」「女は女らしく」という「常識」について批判しているのであって(「男らしく」「女らしく」を否定するのではなく)心と体が女として(あるいは男として)育ちたがっていることは尊重せねばならないというあたりまえの主張をしているのではないかと私は勝手に解釈している。これはお間抜け左翼の主張する「男=女」論とは対極にある思想だとこれまた私は勝手に解釈している。(男と女は違うという持論を持つ私は大いに意を強くした)

 話が逸れるが、この考えを敷衍すれば「父親は父親としての役割があり、母親は母親としての役割がある」という主張になり「親は親、(学校の)教師は教師としての役割がある」・・・と続くのである。
つまり、たとえば母親が父親をのけおいて父親の役割を「演じ」られるのは子どもにとって実に不幸なことであり、あるいは親や地域の大人たちに「教師の顔」(教師の真似事)をされる子どもの不幸や、反対に家庭が学校から家庭教育についての口出し「(官製)子育て指南」をなされる不幸・・・などに次々と思いが至る。今は文部省いや政府自民党でさえ「女らしく」とか「女として」とかの語には遠慮してるんでないか?というご時世である。この「混乱」はなんとかならないのか・・・

 本題に戻す。私は如何にして末娘に対するべきか?親の想い(つまり父親の抱く「男と女は違う」という「直感」に基づく子育て)に正当性を与えられんことを・・・

(※注)親の独断ですが、娘は「男として育つ」には向かない(本人も望んではいない)との確信があります。

70%当たり(^o^) 投稿者:いずみ <HOME> ( 11/22 00:21:09 )

  たとえば、男と女のこと。教育の場での話を考えてみよう。
> 女性への社会的差別への反発(反感)としてなのか「男女同権」が行き過ぎて「男=女」なんて いう概念(私に言わせりゃ嘘っぱち)が一人歩きしている。「男らしく」「女らしく」という言葉がすでに男女差別の端緒であるからしてその言葉と思考さえも教育(子育て)の場から放逐されなばならないという考えのことである。これはおかしい。


 そうでしょうか? …って、いずみも実は「おかしい」と思うんですけどね(^^;;)

 ただ、たぶん、「おかしい」と思う理由が120度くらいは違うかも知れません。

(1)現実社会で生きていくということと、親の責任

 理想論はどうあれ、今生きている現実社会は男性・女性という2つのジェンダーから構成されているわけで、「どちらでもない」という道を選ぶのには、それだけ大きなリスクが伴います。 「敢えて」(この語特に強調)そんなことを選ぶのは、まぁ、革命家の道ですよね。それもいいんですが、でもそれを子供に「押しつけるのはいかがなものか」。

 そう、「押しつけはいかがなものか?」なのですよ。

 だからいずみは、ジェンダーフリーという「机上の空論」を子供におしつけるのには疑問だし、また逆に、「みっともないから」という理由で、ガニ股が自然な女の子を矯正しようとしたりするのにも疑問です。

 と、とりあえず冒頭のモンダイにはとりあえずの解を出したところで、次の話。

(2)ジェンダー「ロール」は性差の必然ではない

 何度も言うように、ジェンダーロールは歴史的に無節操に変化します。ただ、階級社会の成立した後は、だいたいは、ジェンダーが2つあって性別が2つある、というのが続いているわけで、当然、この両者が強く写像されてもおかしくはないと。(これも本当は留保つきですけれどもね)

 ただ、写像が承認できたとしても、瞬間瞬間のジェンダーロールの1つ1つを承認できるのかは、全く別次元の問題です。

 少なくとも、「同世代の♂と♀を比べると思考が異なる」ということは、性ホルモンのことを考えれば、自然科学的に理解できる範囲です。ただ、そのような思考の差みたいなものが、男女2パターンに大別されるからといって、それがジェンダーロールにどれだけの必然を与えてるのか?といえば、実はあまりない。というか、それこそ、性差に関連のない、社会システムの側からの要請で決まることも多々ある。「部分的」に、その肉体の差などが必然的根拠で反映されているように見えることがあっても、別の角度から見たりするとそうじゃないこともある。

 そして、幼少時の「しつけ」みたいなものは、特にこのあたりで、非常に怪しげな部分も多々ありますよね。例えば、「女の子はお行儀よく」とか言われる。でも、冷静にその理由を考えてみると、非常に怪しげです(笑)。というか、いずみが冒頭で言ったようなこと以外の理由なんかほとんどないです(笑)。

(3)常識を重んじすぎると、「非常識」への抑圧となる

 男女が違う、などというのは、実はいろいろな面で当然なことでしょう。例えば、同じ「能力」を持っていたとして、資本家は、若い男女のどちらを労働力として使いたがるでしょうか? 当然、男性でしょう。 「せっかく育てても女性は結婚で辞めてしまう」というのは、まさにジェンダーの問題でしかないので、この議論においては問題じゃないです(社会が変わればいくらでも変わることだから)

 でも、そうじゃなく、「女性には生理がある」 これによって、女性からは搾取できる分が減ってしまうのですよ(笑)(もちろん、統計的な一般論として言ってますよこの部分は)

 ただ、それは、統計的に、人間をモノ(労働力商品(笑))とか普通の動物とかとして捉えたときの話であって、個別特殊な1人1人には、そういうのを越えたいろいろな人がいます。たとえ、脳の性差で「男性脳」と「女性脳」という2つのパターンの思考があるのだとしてすら、それは「思考」の問題であって、それが現実社会とのかかわりでどのように反映されるのかは、それこそ社会的にさまざまな形をとり得ます。教育の影響も無視できないでしょうし。

 で、いずみが言いたいのは、「男らしい」とか「女らしい」とかいうことを強調していると、そこからのはみ出し者を抑圧してしまうことがしばしばある、ということです。例えば、上記のような状況で、たまたま体が丈夫だしバリバリ仕事できるぞ!って女性がいても、それが少数だという状況では、本来の能力が男性に比べて発揮しにくい、という問題が発生するわけです。

 実は、アメリカの「反差別」の風潮にはすごいものがありますが(はっきり言って、言葉狩りなんか日本の比じゃなくヒドい)、これは「差別がよくない」ということではなく、まさに上のようなこと、「マイノリティにも優秀なやつと無能なやつがいる。マイノリティを差別すると、マイノリティだからということで優秀なやつが埋もれてしまうかもしれない、それは社会の損失だ。」という考え方です。

 これも現実的には「バランスの問題」ということになるのでしょうが、だがしかし、「不利になっても敢えてやってやる!」という人に対しては、せめて暖かい目で見て欲しいわけです(^^)

(4)訴訟沙汰はイヤン(笑)

> 我が家には子どもが三人いるが末っ子だけ女の子(いま小学一年生)でこいつをどう育ててよい> かわからない、毎日が戸惑いの連続である。男の子はわかる(私が男だから)でも、女の子はわ> からない。なんというのか、この「違和感」。(笑)> 幼稚園の保護者会の席で勇気を出して園長に質問してみた。
>
> 問い「女の子はどうもわからない。男の子との違いについてどうお考えか?」
> 答え「男、女という区別は必要ないと思います。私たちは同じように接しています。」
> (あかん、これでは「男女同権論」のレベルだわ・・・)


 でも、そういうのが正しいかどうかともかく、いまどきの先生はみなさんそう言うんじゃないですかねぇ。だってその方が問題になりにくいんだもーん(笑)

 1つ僭越ながら申し上げたいのは、いずみの塾屋時代の経験とか、周囲の話とかから類推するに、多くの父親は、「女の子の育て方」がわからないのではなく、「女の子」がわからないだけなんじゃないか、と思うのです。逆に、母親はみなさん、どちらもわかってるんですよね、不思議と。(笑)(以上はもちろん、現代日本という一瞬の時空間における、統計的な話として)

 「女の子」が理解できないから、「どう育てればよいか」ということに自信を持てない。「もしまちがったらどうしよう」と悩んだとき、押し切る勇気がない。

 いずみは、「男女が違う」という中高年男性のご意見を拝聴するたびに、そのうちの何割かは、「理解できないから違う」といういささか自暴自棄気味なノリによるのではないか、と勘ぐっています。^^;;

(5)どうでもいいじゃないかそんなことは(^o^)

> いずみちゃんは「男は男らしく」「女は女らしく」という「常識」について批判しているのであ って(「男らしく」「女らしく」を否定するのではなく)心と体が女として(あるいは男として )育ちたがっていることは尊重せねばならないというあたりまえの主張をしているのではないか> と私は勝手に解釈している。これはお間抜け左翼の主張する「男=女」論とは対極にある思想だ とこれまた私は勝手に解釈している。(男と女は違うという持論を持つ私は大いに意を強くした )

 ちと違うのですねぇ。^^;; いずみは、そんなことは「どうでもよい」と考えています。女は女らしくでもいいし、男らしくしてもいいし、なんでもいいですそんなことは。(笑) 女らしくしたい人はすればいいし、逆もまたよきことかな。(^o^)

 ただ、最初に挙げたように、マジョリティに逆らうのは非常に厳しいわけですよね。だから、理由もないのにそーゆーことするのは、まぁ、コストが高いのでソンだ、というのは確実にあります。それでもがんばる!という人には暖かいまなざしを!(^o^)

 そもそも人間、そんなに性別を意識して生きることなんかないですよ。少なくともいずみには、ないですね。たまにぶちあたることがあって、そーゆーときに「あぁ、女かなぁ」と思うわけで(爆)。あとこの性器はイヤン(笑)。最近特に、出なくなってからは邪魔なだけですし。

(6)滞留して悩むよりもダメモトで動く

> 話が逸れるが、この考えを敷衍すれば「父親は父親としての役割があり、母親は母親としての役> 割がある」という主張になり「親は親、(学校の)教師は教師としての役割がある」・・・と続> くのである。
> つまり、たとえば母親が父親をのけおいて父親の役割を「演じ」られるのは子どもにとって実に 不幸なことであり、あるいは親や地域の大人たちに「教師の顔」(教師の真似事)をされる子ど もの不幸や、反対に家庭が学校から家庭教育についての口出し「(官製)子育て指南」をなされ る不幸・・・などに次々と思いが至る。今は文部省いや政府自民党でさえ「女らしく」とか「女> として」とかの語には遠慮してるんでないか?というご時世である。この「混乱」はなんとかな らないのか・・・


 これはまったくうけいれられません。なぜなら、「そのような役割」をどのように担うのがよいのかは、その場その場での社会関係の反映であり、その瞬間瞬間で「正しいかどうか」を判定することは非常に難しいからです。

 例えば、核家族から少子化という流れで、じいさんばあさんが智慧授けるとかガキ同士で喧嘩して人の殴り加減を覚えるとかいう習慣がなくなったと。これは事実。そして、それによって、智慧も根性もない若いのが増えたと。これもけっこう当たってるでしょう。
 でも、いずみは、そんなことを分析するのは学者や評論家、すなわち実践に関係ない人(笑)に任せておけばよいこととしか思えません。 なぜなら、じゃ、今、核家族の逆をやろうとしたって、そんなのムリだからです。
 我々が考えなければいけないのは、核家族・少子化という、どうしょうもない流れを前提として、受け容れて、その上でどうすりゃいいのか?を考えていくことだと思うのですね。 そして、我々には、そういう面で学ぶべき他の事例が全くない。だから、試行錯誤しかないです。 正しいかどうか考える前に動け、としか言いようがないです。

#…でも、ご意見拝見して率直に思うのは、これぞまさに「現在社会から疎外されたオヤジさん」的ぼやきなのではないか、ということです(爆)。


左翼が死んでいる 投稿者:れんだいこ ( 10/17 01:14:18 )

 中東問題について知りたいが、ホームページ上での諸党派を除いてみても記述が無い。全てのところを見たわけではないが、メジャーなところにはなかった。こんなのありかと思う。左翼が状況に対してコメントつけようとしなくなったら、それは生きる屍同然だろう。理論が追いつかないのだったらそれはそれで経過だけでも伝えるべきだろう。世の中には専業の人がいるのだから、しつかり仕事をして貰いたい。

 結局長い間の似非仲良しクラブ性がこういう結果を導いているのではなかろうか。それとも人のことよそのことはどうでも良いとしているのだろうか。だったら言いたい、それは左翼ではない。人の痛みをキャッチし得くなったら、昔の人が云うことには、お金と名誉と道楽とマイホームに戻るしか道が無い。人と話をする時は天候の話しをしておけば無難でよいだと。それでは生きている気がしないと思う私の方がおかしいのかなぁ。

Re:共産党が死んでいる 投稿者:れんだいこ ( 10/17 13:51:19 )

 新聞時赤旗(2000年10月16日)に、長野知事選の結果が発表されている。田中康夫氏が当選、オール与党の池田氏破る、とある。「池田氏は、引退する吉村午良知事の後継者として、日本共産党を除くすべての県議会会派の支持を受けており、田中氏の当選は、オール与党県政への批判のあらわれです。自民党などは、三千を超える各種団体の推薦をとりつけるなど、しめつけ選挙を強めていただけに、敗戦に大きな衝撃を受けています。日本共産党推薦で「明るい県政をつくる県民の会」の中野早苗氏(52)は、オール与党県政を批判し、県民生活を応援する県政実現を訴えて奮闘しましたが、及びませんでした」。開票結果は次のとおりとして各候補の得票数を、当 田中康夫 無新 589,324、池田 典隆 無新 473,71、中野 早苗 無新 122,615、草間 重男 無新 14,770(投票率69,57%)と報道している


 で、これだけの記事である。党の自前候補の前回知事選、最近の総選挙での得票数との比較も、論評も無い。私は、ジャーナル赤旗と皮肉っていたつもりであるが、ジャーナル性もここにはない。こうなるとより適確に「告知しんぶん赤旗」と云わねばなるまい。このことの異常性は次のことにある。選挙は、不破−志位党中央の党活動の唯一の指導生命線である。他のことは何もしていないという意味であるが、それだけ精力的に取り組んでいる党活動の表舞台である。その活動の成果と結果に対して「告知」しか為しえていないとすれば、この党は死んでいるといっても過言ではなかろう。

 こうなると、早く党大会を見たい。あの満場一致を確認したい。今回は多少なりともやらせぐらいはあるかも知れないが、早く「葬式大会」を見たい。それから私は活動を始める。二度とこの連中に我々を大衆呼ばわりさせない。フワフワとモグモグの二枚舌を引っこ抜いてやる。

Re:国会が死んでいる 投稿者:れんだいこ ( 10/18 23:36:23 )

 今テレビを見ただけで詳しいことは知っていないが、斎藤参議院議長が辞任したという。議長職務のまっとうから職責をかけての背水の陣で異例のあっせん仲介したが、与野党から相手にされず憤死したようである。私は、今のところ個人的見解であるが、没理論的に政界から田中角栄氏を追放したいきさつあたりの頃から政党政治の歯車が狂ってしまったと思っている。このブレが次第に激しくなってきており、今や収拾がつかないところまで辿り着きつつある。

 人材不足の与党自民党、それでも権力取りたくない社会党という構図は破れたが、替わって出てきた民主党・自由党も権力取れるだけの正攻法をしていない。審議拒否戦術と都合主義のプロパガンダ、お互いさまなのに下半身攻撃、今度は中川官房長官に対する右翼幹部との会食攻撃、どれ一つとってもくだらない。一体、中川氏であろうが誰であろうが、誰と会食し、結婚式に出ようがそれがどうしたというのだろう。森首相の若い頃の赤線遊びがどうしたというのだろう。何でそんなことが辞任になるのだろう、私には分からない。議員という職務のお仕事は議会活動が本職であることからして、議会という職場でのお仕事に汗水流して欲しい。その為に国民は税金はらっているのではなかろうか。

 マスコミは、出生の頃よりゴシップを好む癖を持つ。良く売れるから書きつづけるという商業主義の為せる習慣であろうが、それならそれでインテリ面して欲しくない。社会の木鐸なぞというのならもうちっと音色の違う木鐸であって欲しい。巨大過重債務、行政改革、超長期不況、企業倒産、中近東の異常事態等々目白押しの難題こそ喫急に立ち向かわねばならないことがあるではないのか。先日はロシアの大統領プーチンを歓迎し損ねている。なぜ、もう少し正面から課題に立ち向かって行かないのだろう。敗戦より田中角栄氏追放事件の頃までは、まがりなりにも与党は与党的に、野党は野党的に丁丁発止してきたと思う。宮本君の所が口と腹の違うことをしてきていただけで、後はそこそこ本音主義で国民に課題を示しつつやってきていたように思う。もっとも裏取引は常態化させてはいたけど。私にはこの国の溶解が見える。


Re:こんなのありか 投稿者:れんだいこ ( 10/19 20:35:25 )

 告知しんぶん赤旗に逐条コメントする。題材は、「国会答弁と違う事実 中川長官の疑惑で不破委員長 2000年10月19日」。

 日本共産党の不破哲三委員長は十八日午後、記者団の質問にこたえるなかで、中川秀直内閣官房長官が右翼幹部と会食していた問題について、「(中川氏が)『面識がない』といっても、面と向かって食事している写真がある以上、その議論はなかなか通用しない」とのべ、「右翼の当事者との関係で自分が国会でのべたこととまったく違う事実が出てきたことは重い」と批判しました。

 (私のコメント)中川氏も会っているのなら否定はしなければ良いのに。しかし、「面と向かって食事している写真がある」ことが問題にされているが、それがなぜいけないことなのか誰か説明してくれませんか。我が日本国憲法に右翼と会食してはいけないなんて書いてありましたかねぇ。ついでに左翼ならどうなんでしょう。これならいいのか悪いのか、憲法に書いているんかいなぁ。


 右翼と同席の写真どう説明するのか
 十八日発売の写真週刊誌『フォーカス』に、中川秀直官房長官が右翼団体「日本青年社」の幹部と会食していた写真が掲載され、同幹部との直接的な関係が明らかになりました。中川官房長官はこれまで、この右翼団体幹部との関係について「記憶が十分ない」「天地神明に誓ってない」と、国会で全面否定しただけに、“虚偽答弁”がきびしく問われます。

 (私のコメント)こういう風に世間を狭めていって、ならば一体誰と会食するのが良くて誰となら駄目なのかはっきりさせておかないと、その裁量権持つ者のワンサイドゲームにされてしまう。確かこんなのをファシズム論理というのではないかなぁ。まぁ萌芽的ではあるけど。結局宮本−不破式共産党的思考パターンが社会の隅々まで影響を及ぼして鳩山が調子に乗っている感じがするんだな。


 ことし九月二十八日の衆院予算委員会、民主党の石井一衆院議員が、九六年十月にこの右翼団体幹部から、中川氏のいわゆる愛人問題などが書かれた内容証明郵便が送られたことを追及しました。

 (私のコメント)愛人問題をクローズアップさせる手法は下品と思う。まずはお仕事きちんとしているのかどうかで見ないと、これも変なことになる。下半身の行状がいいからということは決して自慢にも卑下にもならない。ああそうですかでよろしいのではないでしょうか。不破だってこの間の外遊に女性議員か誰か連れて行っていたけど、党活動上その議員でなければならない必然性があったとは思えないし。まぁこれは誰かが説明してくれたらいいわなぁ。なお、下半身の行状でもってそれを攻撃の材料に使う者の品格の方が劣性というのが私の持論だな。

 また、日本青年社から中川氏にビデオテープが贈られ、同氏の議員会館事務所が礼状を送っていた問題も明るみに出ました。以下同趣旨文。

 (私のコメント)不破によれば、相手が右翼なら「礼状」も駄目ということらしい。だからぁ、その基準は何なんでしょう。逆に左翼が労組への「礼状」だしても駄目になる恐れあるから、その種の活動を一切しない不破は模範的ということか。しかし、選挙に負けてビラにやられただの、都合の悪い結果にダンマリするのは許されるのか。そういうご都合主義がれんだいこは嫌なんだよ。

 十八日の記者会見で中川官房長官は、右翼団体との関係を否定しましたが、問題の右翼団体幹部との会食写真で、中川氏は、乾杯のシーンでは頭を低くたれ、同幹部に深ぶかとおじぎをしています。

 「何らかかわりがない」というのなら、問題の写真がどういう性格のものなのか、国民の前にはっきり説明する責任があります。これは、内閣のカナメである官房長官の資格、資質にかかわる問題として、ゆるがせにできない問題です。

 (私のコメント)思うことは、「官房長官の資格、資質にかかわる問題として、ゆるがせにできない問題」といいあうことは良いことだろう。だったら、そういう公党間の批判の自由往来ありありという風にさせて、自分の党もまた批判に晒されることを甘受する作風にしておいて貰いたいんだ。自分の党内については、政党結社の自由論で干渉を許さず、対外的にも自主独立だと排外主義化させておいて、相手の党に対しては特に自民党.公明党に対しては言いたい放題なんだな。これって変なやんちゃ理屈と違うのかというのが私の考えなんだけど、皆さんどう思われますか。適当にはレスつけてよね。


Re:論証せよという論理の是を論証せよ! 投稿者:れんだいこ ( 11/29 12:17:05 )

 戸田さんであろうが私であろうが誰であろうが、思ったことを言うことにいちいち論証がいるとなると、論証できないことに対しては口チャックしかできんことになりますがな。論証できなくても、あるいはしなくても、私はこう思うという意見を交差させた方がよいですがな。

 個々の政策であろうが、宗教の教理であろうが、党派であろうが、団体であろうが、世の中の何であれ、感覚的に感じ取る方が先であって、いわばめいめいのその感覚的な受け取りようを互いが知り合うことがとても大事と思うけどなぁ。面と向かって論証せよ!と云われたら、私の不破脳軟化説はどうやって論証すればよいのだろう。私がそう感覚的にキャッチしてそれを指摘していることに大当たりがあって、云うからにはその根拠を探ってはいるが、それを先に論証出来てから云えとなると、世の中何にも云えんわな。

 ちなみに、何か論証すると互いが分かり合えてやがて真理にでも至るという論理構図をなされているんかいなぁ。世の中そう云う仕組みになっていたら、簡明だわなぁ。人の頭の中の配線器材が同じタグか何かで出来ていることを前提にしているんだろうなぁ。で、その一つ一つを解明しえたら、世の中の全てが解けるという訳か。そう云う日がいつくるかわかんないけど、その道中の人間はあまり結論じみたことを云ってはならんのか。どうりで世の中優しいというかもぐもぐ言う人が増えている訳だな。

 こちとら寿命がそうは待ってくれんので、分からんながらも意見をのべているんだけども、確か民主主義というのは、そういうぼちぼちでんなを認めた上で自由に意見述べてよろしいという仕掛けにしてくれてるのと違うかなぁ。人に論証せよというぐらいなら、あなたの感覚はこう間違っていると論証的に述べてあげたら、その方が生産的ではないのかなぁ。人に先に述べさせてそれをああでもないこうでもないと味噌つけようというのは楽ですがな。私には同じムジナに見えますがな。

 結論は、そう難しく云わなくて、云いたいこと云いあったらよろしうおまんがな。論証好きな人は論証的に述べれば良いし、感覚的な結論を得意とする者はそういう書き方すれば良いし、いずれにしても、こういう作法でないといけないとするから、次第に物言えば唇さみしぅされてしまうのではないかいなぁ。どうりで掲示板の書きこみが少なくさせられてしまう訳よ。私には規制派気質の勝手な正義論にしか聞こえんがね。


聞いてあきれる 投稿者:いずみ@出向先(笑) ( 11/29 12:36:39 )

>  戸田さんであろうが私であろうが誰であろうが、思ったことを言うことにいちいち論証がいる となると、論証できないことに対しては口チャックしかできんことになりますがな。論証できな くても、あるいはしなくても、私はこう思うという意見を交差させた方がよいですがな。

 それは大原則です。あたりまえ。感覚的な部分の「あいまいさ」を認めずにロジックしか認めないところから、いろんな腐敗が始まるのも当然。ただ、感覚的なところの衝突を、相手の立場や主張にかみ合わせてみる努力を少しでもしないと、そりゃオナニーの見せ合い、体液のぶっかけあいにしかならないです。もちろん、そういうのもアリ、という掲示板のあり方は当然ありましょう。そしてここは比較的それに近い芸風かも知れません。

 ただ、なら、

>  結論は、そう難しく云わなくて、云いたいこと云いあったらよろしうおまんがな。論証好きな 人は論証的に述べれば良いし、感覚的な結論を得意とする者はそういう書き方すれば良いし、い ずれにしても、こういう作法でないといけないとするから、次第に物言えば唇さみしぅされてし まうのではないかいなぁ。どうりで掲示板の書きこみが少なくさせられてしまう訳よ。私には規制派気質の勝手な正義論にしか聞こえんがね。

 なんでこうなるの??(笑)

 いったい誰が、この掲示板に閑古鳥鳴かせてたと思ってます?(笑) れんだいこさん、あなたでしょ?(笑)

 あなたの、自分の感覚に無自覚に保守的にしがみつく思考方法では、体液ぶっかけあいにしかならないと思ったので、いずみはあなたとは、具体論で今後意見をかみ合わせる努力をすることはないでしょう。

 ただ、こういうメチャクチャを、こちら側のツリーでも展開されると、さすがに見過ごせませんよ。

Re:おっとっと 投稿者:れんだいこ ( 11/29 12:52:21 )

>  なんでこうなるの??(笑)
>
>  いったい誰が、この掲示板に閑古鳥鳴かせてたと思ってます?(笑)  れんだいこさん、あなたでしょ?(笑)


 いずみさん、それは私も気にすることもあるのよ。けどね、私の癖は癖として取りこめば良いのよ。別に私が排除の如意棒振り回したことはない。出来るだけ(できるだけね)ありありルールで行こうよといったことがあるぐらいで。後は荒野を疾駆したいところだが、とぼとぼ歩いていることは事実だけど、そうね、私なんぞに構わずいろんなツリーが生まれれば良い訳でしてね、違いますかねぇ。

>  ただ、こういうメチャクチャを、こちら側のツリーでも展開されると、さ すがに見過ごせませんよ。 

 ここもね、戸田さんのあの書きこみ程度でとやかく云われるのだったら、私の云ってることはそれ以上の嫌疑ありになりまして、他人事ではなくなるのよ。とまぁ、レスつけて云いたいこといったから暫らく片目つぶるわ。もうレスつけんけんね、ふふ。


またまた全体の流れを無視した書き込み(笑) 投稿者:いずみ@出向先(笑) ( 11/29 12:58:07 )

> ることは事実だけど、そうね、私なんぞに構わずいろんなツリーが生まれれば良い訳でしてね、 違いますかねぇ。

 そうですよ。(笑) 現に今、そうなってますよね。(笑)

>>  ただ、こういうメチャクチャを、こちら側のツリーでも展開されると、さ すがに見過ごせませんよ。 
>
>  ここもね、戸田さんのあの書きこみ程度でとやかく云われるのだったら、私の云ってることは それ以上の嫌疑ありになりまして、他人事ではなくなるのよ。とまぁ、レスつけて云いたいこと いったから暫らく片目つぶるわ。もうレスつけんけんね、ふふ。


 …共産趣味の各掲示板で繰り返してきたことを、また繰り返してますな。(笑) 戸田議員とピカチウさんの間の問題は、そんな生易しい問題じゃないです。


いい加減にしなさい! この主観主義者れんだいこサン 投稿者:ピカチウ ( 11/30 10:36:18 )

 誰が論証しろといいましたか?「根拠を示せ」といっただけです。第一あなたその当該発言を見た上でいってるんですか? 感覚で感じとるのは結構だが、発言にはそれなりの責任がともなうのだよ。それも戸田サンが加入している「虹と緑」に関係する話なのだし、オフでの彼の人間関係での重大発言だ。

>私には規制派気質の勝手な正義論にしか聞こえんがね。

 カンチオナニー野郎だね。誤った結論からここまでひっぱてきたのには驚くよ。自己相対化する作業をした方がいいんじゃない?とにかくここにカキコしたくないんだから回答してください。


こらこら、ここでやれ 投稿者:ひまた ( 11/30 11:05:11 ) Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.01; Windows 98)

 
あっちに書けというんなら、あっちで要求するかメールでやりとりしてくれ。こっちに書くなら、こっちで(腰を据えて)やってくれ。

 観客にはなんのことかわからん、これでは失礼ではないかい?やるんならお仲間をみんな連れてきてかまわんから、ここでやってくれ。そこまで悪態をついてこのまま放置したら、そっちが分が悪くなるべ。


Re:そうそう、こらこら、ここでやれ 投稿者:れんだいこ ( 11/30 11:28:36 )

> あっちに書けというんなら、あっちで要求するかメールでやりとりしてくれ。 こっちに書くなら、こっちで(腰を据えて)やってくれ。

 これそうだわな。

>誰が論証しろといいましたか?「根拠を示せ」といっただけです。第一あなたその当該発言を見た上でいってるんですか? 感覚で感じとるのは結構だが、発言にはそれなりの責任がともなうのだよ。それも戸田サンが加入している「虹と緑」に関係する話なのだし、オフでの彼の人間関係での重大発言だ。

(れんだいこ) 詳しくは知らないけど、知らないと発言資格ないと言い出したら口チャックの世の中にされてしまうとは既に述べた。「根拠を示せ」と「論証しろ」とは同じセンテンスにあると思うよ。

(れんだいこ) 私には規制派気質の勝手な正義論にしか聞こえんがね。

> カンチオナニー野郎だね。誤った結論からここまでひっぱてきたのには驚くよ。自己相対化する作業をした方がいいんじゃない?

 あいにく私が思うに、自己相対化させて客観化させたつもりでも、それがあなたの主観という関係に誰しもあるのではないかと思うのよ。まぁ主観−客観の考察になるけどね、むしろここをきちんと論証して欲しいぐらいだよ。だから、私を主観主義者と言うのは結構だけど、だったらあなた方が客観主義者として何か優れ者を自認し得ている根拠を教えてくれんかなぁ。私は、主観の晒しあいで大いに結構と考えてるのよ。多少のルールを守りさえすればね。そうしないと、権力的にあるいは絶対真理的ローラーで一色にされてしまう危険を感じたりするのよ、違うかな、おせえてよ。

> やるんならお仲間をみんな連れてきてかまわんから、ここでやってくれ。そこまで悪態をついてこのまま放置したら、そっちが分が悪くなるべ。

 そうだなぁ、相互乗り入れでやればいいのではないのかなぁ、何で括るのよ。


おじさんたちのおなにぃ 投稿者:いずみ ( 11/30 13:38:07 )

 ピカチウさんは、ここの過去ログから発言を削除されたりしたことがあります。だからここで議論したくない、と考えるのは、当然といえば当然でしょう。

 ピカチウさんは今回の件についてまじめに怒っているのであって、おじさんたちのサロン的センスとはかかわりたくないのでしょ、たぶん(笑)(いずみはかかわる気あるから居ますが(笑))

 でも、戸田議員の発言の中に、再び逃亡を宣言するようなセンテンスがあったからオフィシャルな人間である戸田議員のオフィシャルな場での発言に対してその場で異議申し立てを行った、ということでしょう。

ピカチウさんがそれらのことを明示しなかったのは、まぁ不親切といえば不親切だけど。

>  カンチオナニー野郎だね。誤った結論からここまでひっぱてきたのには驚くよ。 自己相対化する作業をした方がいいんじゃない?

>  あいにく私が思うに、自己相対化させて客観化させたつもりでも、それがあなたの主観という 関係に誰しもあるのではないかと思うのよ。まぁ主観−客観の考察になるけどね、むしろここを きちんと論証して欲しいぐらいだよ。だから、私を主観主義者と言うのは結構だけど、だったら あなた方が客観主義者として何か優れ者を自認し得ている根拠を教えてくれんかなぁ。私は、主観の晒しあいで大いに結構と考えてるのよ。多少のルールを守りさえすればね。そうしないと、権力的にあるいは絶対真理的ローラーで一色にされてしまう危険を感じたりするのよ、違うかな 、おせえてよ。


 あなたはいつもそうやって主観の中に逃げ込む。どっかの右翼オタク女が出してるミニコミといっしょやね(笑)。だから、人間誰しも主観から逃れられない、というか主観の中からしか認識できないなんてのはあたりまえ。でも、それを正当化したら、議論が成り立たないのよ。ちょうどあなたといずみとの間に議論が成立しなかったように。

Re:柴又世話が焼けるよなぁ、ったく。 投稿者:んだいこ ( 11/30 21:03:36 )

 いわゆる戸田論の問題は、戸田さんが八方美人スタイルでなくかなり自己主張する議員であり、特にインターネットで左翼方面の議論に向かう稀有な議員であることに発生しているように思われるんだな。これをどう見るかが戸田論の本質であるように思われる。ノーネクタイ騒動もあるが、付随であって本質ではないように思われる。

 私は、議員の異色化を良いと思うから、ノーネクタイであろうがカンパを要請しすぎようが、ノックのような下半身の行状の悪いものが出てきても、できるだけお仕事の中身を見ていきたいと思っている。仕事以前の問題を仰々しく取り上げて形にこだわる傾向を良しとしない。この辺り、正義派の左翼の狭量主義が目立つのが昨今の風潮みたいに思える。そういう意味で最近のマスコミ論調の潔癖粛清主義化キャンペーンに私は反対だ。そう見ない人が、何やらかにやら理屈をつけてイジメしているような気がしないでもない。そう考えないと腑に落ちないような遣り取りを見てきた。戸田さんが反発するから余計に面白がっているような気がしてきた。この私の感じ方違うかな。

 戸田さんの個性化は、標準化を求める世間の風潮に棹差しており、結構結構こけこっこぅと私は思っている。そういう者が多くいないと世の中面白くない。みんな役者になればよいとも思う。従って、「役者やなぁ」は最高の誉め言葉。いずみさんの日頃の見解からすれば、「らしからぬ」こうした戸田さんのあり方を、主義主張が違っても理解するのが自然と思うが、なぜかそうならない、お二人はひょっとして感性的に天敵なのかいなとさえ思う(本当のところは分からないけど)。この気質の差は誰も埋めれない。

 弱いもの、不遇なものに手を差し伸べようという立場に共通性があれば、その上での個性の違いは、認め合うことにより人生楽しくなるとか思う。これを「朋あり、遠方より来たり」と云う。人と人との意見が正義が、立場の違いでかくも違うものであることかを、私はいやというほど見てきた、知らされてきた。私は世の中はそんなもんだと見切っている。問題は、ここに利害対立がある場合には譲れないことが出てきて、この場合は私も闘う。特にお金持ちと権力持ちの傲慢さには我慢できないことが多く、いたらぬながらも今でも情況空間に向かって引っ掻いている。戸田議員との間にそのようなものがあるとは思えない、これが私のスタンス。

> でも、戸田議員の発言の中に、再び逃亡を宣言するようなセンテンスがあったから オフィシャルな人間である戸田議員のオフィシャルな場での発言に対して その場で異議申し立てを行った、ということでしょう。

 オフィシャル論の不毛性も見てきた。
>
> あなたはいつもそうやって主観の中に逃げ込む。 どっかの右翼オタク女が出してるミニコミといっしょやね(笑)。 だから、人間誰しも主観から逃れられない、というか 主観の中からしか認識できないなんてのはあたりまえ。 でも、それを正当化したら、議論が成り立たないのよ。 ちょうどあなたといずみとの間に議論が成立しなかったように。


 そんなことはない。私は勉強になった。一定の課題にいろんな考えがあることを明らかにするのも議論の成果である。どっちが正しいとか白黒つけるとか、混ざり合うことを期待するとかいうのはできすぎと思い、私はそうは欲張らない。むしろ、自分の考えを別の角度から見るのに、反対意見を聞かされたほうが良く見えて来るという場合もある。その結果考えが変われば大いなる成果であり、そんなことは滅多にない。それは学び舎どまりの話で、世間へ出ると卒倒することばかり。私のようにいくら云われても『固執する』という人が多いの。

 これに理屈を言えばこうなる。固執には、頑迷固執と手ごたえ固執がある。頑迷固執は妄を開いてあげれば良いでしょう(これが又難しいが)。問題は手ごたえ固執の方にある。私はこちらの方と思っているがこうなる。手ごたえは科学を凌駕する、否科学は手ごたえを説明する為にある。手ごたえできない科学もある。そういう場合には学ばねばならない。但し、そういう場合にも手ごたえに近づけて理解せねばならない。なぜなら、科学の一人歩きが手ごたえに反するものを逆襲させてくることがあるから。科学にはかなり非科学なものも混じっており見極めが難しい。定理が覆されることがあるからしても過度の信頼は禁物だ。それに比べて手ごたえは確かであるからして、我等が人生にもっと重宝にせねばならない。本当に大事なことは、この感覚を磨くことのようにさえ思う。

 人生は短い、我々はこの短い間に諸事決定しつつ生きてゆかねばならない。その道中は事が分かって決定しているのではなく、だろう見込みで、あるいは勢いで処していることが殆どというか全てではないかと思う。中には中毒、癖もある。議論はその間の栄養滋養になるとも思う(時にストレスにもなるが、世の中万事良いこと尽くめではないから仕方ない)。間違っていることに固執すれば報いを受ける、しかるべき結果が出る、それを甘受すればよい。道中長ければ手直しすればよい、処置なしの場合もある、それが人生だとか思う。いろいろ書いたが、掻いたのではない。


Re:柴又世話が焼けるよなぁ、ったく。 投稿者永久追放第2号 ( 12/01 00:44:52 )

>  オフィシャル論の不毛性も見てきた。

 この問題は、何かのパーティーに出席しての発言とかではなくハンドルを使いわければよかっただけなのになぜ門真市議のカンバンをぶら下げて問題になる発言をしたのかここが従来のオフィシャル論での批判と根本的に違うところです。

> 手ごたえは科学を凌駕する、否科学は手ごたえを説明する為にある。

 それが言える人は、手ごたえが100%正しい人=神様です。「手ごたえ」を検証するために、我々は日々相対化し続けなければならない。その相対化の結晶こそが科学です。本人すら検証することを放棄した仮説=手ごたえには誰も見向きもしないと思います。

 このへんの話題の時には、デリダ、ラカン、ソシュールなどを#斜め読み程度でも押さえておかないと、議論以前になってしまいます。

 この件は、いずれにせよ戸田氏が蒔いた種。オレもだけど、第三者が出る幕でもありますまい。コンバインを用意しているのか、打製石器の石包丁か収穫の時期を待と
うじゃありませんか?


Re:柴又世話が焼けるよなぁ、ったく。 投稿者:れんだいこ ( 12/01 10:41:00 )

 永久さん、ちわーです。少しレスつける。

> この問題は、何かのパーティーに出席しての発言とかではなく ハンドルを使いわければよかっただけなのに なぜ門真市議のカンバンをぶら下げて問題になる発言をしたのか ここが従来のオフィシャル論での批判と根本的に違うところです。


 私も知りたいが、取るに足りない話ではないんだろうなぁ。

> 手ごたえは科学を凌駕する、否科学は手ごたえを説明する為にある。 それが言える人は、手ごたえが100%正しい人=神様です。


 ここは軽ぅく考えてよね。まるで感覚的表現だからね。証明できないし。しかし、「手ごたえが100%正しい人=神様」と仮にして、それに近づく為にあやかるべく精進する道もあって、山伏修験者なんかはこの類だと思うのよ。森羅万象の声を聞くとかいってね。

> 「手ごたえ」を検証するために、我々は日々相対化し続けなければならない。その相対化の結晶こそが科学です。本人すら検証することを放棄した仮説=手ごたえには誰も見向きもしないと思います。

 「本人すら検証することを放棄した仮説=手ごたえ」ではなく、未だ論証できないけども、正しいように思える「手ごたえ」説を固執的に堅持するという感じなんだな。もっとも、手ごたえは狭く取ったり広く取ったりのスケールの幅は持たせているのよ、あたしの場合。

> このへんの話題の時には、デリダ、ラカン、ソシュールなどを #斜め読み程度でも押さえておかないと、議論以前になってしまいます。

 うーーん、その誰も知らないなぁ、日本語読みサイト教えてくれたら訪ねてみるけど。その昔述べたことあるけど、恥じ掻いたからといって帰ろうにも、もう田舎へ帰ってるからこれ以上帰る田舎無いのよ。

> この件は、いずれにせよ戸田氏が蒔いた種。 オレもだけど、第三者が出る幕でもありますまい。 コンバインを用意しているのか、打製石器の石包丁か収穫の時期を待とうじゃありませんか?


 ここは内容がわからないのでノーコメント。

そういう閉鎖的独善性が問題なのですよ。あなたの。 投稿者いずみ ( 12/01 16:05:11 )

>  いわゆる戸田論の問題は、戸田さんが八方美人スタイルでなくかなり自己主張する議員であり 、特にインターネットで左翼方面の議論に向かう稀有な議員であることに発生しているように思われるんだな。これをどう見るかが戸田論の本質であるように思われる。ノーネクタイ騒動もあるが、付随であって本質ではないように思われる。

 ぜんぜん違います。やり方があまりにひどいからです。それだけです。

>  私は、議員の異色化を良いと思うから、ノーネクタイであろうがカンパを要請しすぎようが、ノックのような下半身の行状の悪いものが出てきても、できるだけお仕事の中身を見ていきたいと思っている。仕事以前の問題を仰々しく取り上げて形にこだわる傾向を良しとしない。この辺 り、正義派の左翼の狭量主義が目立つのが昨今の風潮みたいに思える。そういう意味で最近のマスコミ論調の潔癖粛清主義化キャンペーンに私は反対だ。そう見ない人が、何やらかにやら理屈をつけてイジメしているような気がしないでもない。そう考えないと腑に落ちないような遣り取りを見てきた。戸田さんが反発するから余計に面白がっているような気がしてきた。この私の感 じ方違うかな。

 だから、少なくともオフラインでの戸田氏のやり方には、いずみは文句はつけないどころか、高く評価してますよ。そうじゃなく、ネット上の問題を言っているのですが。

>  戸田さんの個性化は、標準化を求める世間の風潮に棹差しており、結構結構こけこっこぅと私は思っている。そういう者が多くいないと世の中面白くない。みんな役者になればよいとも思う 。従って、「役者やなぁ」は最高の誉め言葉。いずみさんの日頃の見解からすれば、「らしから ぬ」こうした戸田さんのあり方を、主義主張が違っても理解するのが自然と思うが、なぜかそうならない、お二人はひょっとして感性的に天敵なのかいなとさえ思う(本当のところは分からないけど)。この気質の差は誰も埋めれない。

 だから、これ以前にも表明しているとおり、いずみは戸田氏のオフラインでの活動は高く評価してますって。

 あなたのやり口は、いつも、他人の書き込みのうち、自分に興味のあるところだけを抜き出して、予め用意されている結論にあてはめてくだけだ、というのがまたもや証明されましたね。

>> でも、戸田議員の発言の中に、再び逃亡を宣言するようなセンテンスがあったから オフィシャルな人間である戸田議員のオフィシャルな場での発言に対してその場で異議申し立てを行った、ということでしょう。
>
>  オフィシャル論の不毛性も見てきた。


 どこで?どう? まったくわかりません。解説希望。

>  そんなことはない。私は勉強になった。一定の課題にいろんな考えがあることを明らかにする のも議論の成果である。どっちが正しいとか白黒つけるとか、混ざり合うことを期待するとかいうのはできすぎと思い、私はそうは欲張らない。むしろ、自分の考えを別の角度から見るのに、反対意見を聞かされたほうが良く見えて来るという場合もある。その結果考えが変われば大いなる成果であり、そんなことは滅多にない。それは学び舎どまりの話で、世間へ出ると卒倒することばかり。私のようにいくら云われても『固執する』という人が多いの。

 がははは(笑) それはあなたの事情でしょ?(笑)「勉強になった」

 酒場での議論とは違うんですよ。ギャラリーがたくさんいるんですよ。だから、議論の相手から得ることも大切だけど、周囲の人にじぶんの意見を点検してもらえるチャンスがたくさんある、という点で、ネットでの議論は非常に有用です。

 あなたは、あまりに周囲が見えてなさすぎる。これはあなたの論理もさることながら、それ以前に、ネットという場の空気を無視しすぎている。手法の問題です。


Re:そういう開放的独歩性が私なのですよ。 投稿者:れんだいこ ( 12/01 19:38:12 )

>  あなたのやり口は、いつも、他人の書き込みのうち、自分に興味のあると ころだけを抜き出して、予め用意されている結論にあてはめてくだけだ、と いうのがまたもや証明されましたね。

 そったらこといわれても、多少なりともみなそうなんとちやうかなぁ。もっとも度が強いということなんだろうなぁ。

>  オフィシャル論の不毛性も見てきた。
>  どこで?どう?
>  まったくわかりません。解説希望。


 これはねぇ、詳しいことは忘れたけど、公人・私人論というのがはやっててさ、言い分聞いてたら、議員たるものは使い分けの七変化名人でなくては駄目だという論調でさ、まるでカメレオンを要求されていたのさ。まともに実行しようと思ったら、議員は二重層皮膚になっているか、体半分が公人で後の半分が私人でもなければできないようなTPOの使い分けしなくてはいけない感じだっから、そこまでいうのなら、いっそのこと公人的な議会入場の仕方から拝聴の仕方・演説の仕方の詳細なマニュアルつくったらどうだい、ついでに全市民生活まで公人・私人別規制しちまえとまでは云わなかったけど、そったらこと言いたくなったことを覚えてるよ。何か建前論の精緻な論及になっていて、本音派にはピンとこなかったな。

 まぁ、いずみさんが入ったら、また新しい公人・私人論の論議できそうだけど、今までの論議では商業新聞の変化系でしかなくて、誰が言い出したか知らないけど、どこまでいっても厄介無益な話なんだな。いつの間にか立ち消えになっているけどね。それを思い出して、「オフィシャル論の不毛性も見てきた」と書いたのだけど、今回の場合どれだけ違うのか違わないのか興味があるといえばある。

 例えて云えば、靖国神社に参拝する閣僚に対して、私人でか公人でか問い詰めて意味があるのかどうかということさ。市民の資格か議員の資格か閣僚の資格かと問い詰めることはできようが、あんまり意味を私は感じない。参拝する人の論拠の方が大事で、行くなとも思わないし、行けとも思わない。もっと中身に立ち入りたい、誰が行った行かなかったを単に知ればよいというのが私のスタンス。中身に立ち入らず問わず、何やら分かったようで分からない議論を振り回す、それで、そこで思考が止められているのがマスコミのスタンス、と私は思っているの。これはいつか議論復活させても良いわなぁ。

>  あなたは、あまりに周囲が見えてなさすぎる。これはあなたの論理もさることながら、それ以前に、ネットという場の空気を無視しすぎている。手法の問題です。

 ズバリのこというなぁ。私は夢中になると周囲が見えなくなる癖があるのよ。だから、そう云えば日常生活でもため息つく人がいるわ。私も天然記念ものの一人かなぁ。でもねぇ、すっかり大人しくなっているから、仕事以外では人と仲たがいすることはないんよ。仕事はあかん。今日も譲れんことがあったわ。だから、ネットがオアシス。そこでいやんタコなんて云われたらどうちよう。

よくもいけしゃーしゃーとこんな恥ずかしいタイトル自分でつけられますね(笑) 投稿者:いずみ ( 12/02 15:46:27 )

>>  あなたのやり口は、いつも、他人の書き込みのうち、自分に興味のあると ころだけを抜き出して、予め用意されている結論にあてはめてくだけだ、と いうのがまたもや証明されましたね。

>  そったらこといわれても、多少なりともみなそうなんとちやうかなぁ。もっとも度が強いとい うことなんだろうなぁ。


 ちょっと違います。ディベートのテクニックとしては当然そういうのありますが、ネットの議論はディベートとはちょっと違いますよね。

 ディベートは、短期間に一定のオーディエンスに受けることをやればよいわけですが、ネットは不特定多数に対し、比較的長い時間の検討・検証を許します。だから、小手先のテクニックはすぐバレるわけです。

 だがしかし、あなたの問題はそんなところじゃない。テクニックじゃないでしょ?見えてるところを見えないフリしてるんじゃないじゃないですか。「天然」で、自分の見たくないものが見えない。それだけじゃん(笑)

>>  オフィシャル論の不毛性も見てきた。
>>  どこで?どう?  まったくわかりません。解説希望。

>  これはねぇ、詳しいことは忘れたけど、公人・私人論というのがはやっててさ、


 あぁ、そういうくだらないレベルの話ですか(笑)。

 そうじゃないです。ここでいう「オフィシャル」は、公人とかじゃない。ここは、戸田議員が開いている掲示板です。ただそれだけのことですよ。議員が開いてるから、議員だけに独裁(これ、悪い意味だけじゃないですよ)が許されるのです。そしてもちろん、その独裁の手法や経過はすべて公開されているので、よそでその独裁が笑われたり怒られたりすることも感受しなくてはならないわけです。

>>  あなたは、あまりに周囲が見えてなさすぎる。これはあなたの論理もさることながら、それ以前に、ネットという場の空気を無視しすぎている。手法の問題です。

>  ズバリのこというなぁ。私は夢中になると周囲が見えなくなる癖があるのよ。だから、そう云えば日常生活でもため息つく人がいるわ。私も天然記念ものの一人かなぁ。でもねぇ、すっかり 大人しくなっているから、仕事以外では人と仲たがいすることはないんよ。仕事はあかん。今日 も譲れんことがあったわ。だから、ネットがオアシス。そこでいやんタコなんて云われたらどうちよう。


 でしょうね(笑)「天然記念ものの1人」。ネットの方が、相手の顔色を直接見ながら瞬時瞬時に使える腹芸が使えない分だけ、相対的にはキツいと思いますよ。

 ただ、あなたは、ネットに登場したことで、こうやってみなさんに、いろんな意味で愛されてるわけです(笑)。そういう面ではオアシスかもしれません。かまってもらえるんだから(笑)。

Re:いやいや我輩は思想家かもしれんぞ。 投稿者:んだいこ ( 12/02 17:51:44 )

> だから、小手先のテクニックはすぐバレるわけです。

 あのさぁ、我輩はそういうテクニックを意識してないの。いかに思っていることを表現できるかに苦心していて、小手先だとかバレるだとかは似合わないの、これほんと。

>  だがしかし、あなたの問題はそんなところじゃない。 テクニックじゃないでしょ?見えてるところを見えないフリしてるんじゃな いじゃないですか。 「天然」で、自分の見たくないものが見えない。それだけじゃん(笑)


 まぁ、分かる範囲で書くとですねぇ、「天然」にある奥真実のようなものに深く興味を持っていることは事実。「自分の見たくないものが見えない」は、「関心が無いところには興味が行かない」ということね。

>  議員が開いてるから、議員だけに独裁(これ、悪い意味だけじゃないですよ) が許されるのです。そしてもちろん、その独裁の手法や経過はすべて公開されているので、よそでその独裁が笑われたり怒られたりすることも感受しなくてはならないわけです。

 戸田さんの作法はですね、「物言わざるは腹ふくるる業」として、エイヤァ、トゥといきたいタイプなんだな。だから摩擦も起こすけど、皆理由があってだから、私は理解できるのよ。これが「和わもって貴し」とする情緒とぶつかるだけで、内容本位派の我輩としてはですね、むしろ注目に値する感性とみているんよ、それは私の血にも流れているから、他人事ではないんだ。

>  ネットの方が、相手の顔色を直接見ながら瞬時瞬時に使える腹芸が使えない 分だけ、相対的にはキツいと思いますよ。

 私にはそういうナイーブさがないから、気にならナインよ。
>
>  ただ、あなたは、ネットに登場したことで、こうやってみなさんに、いろん な意味で愛されてるわけです(笑)。そういう面ではオアシスかもしれません。かまってもらえるんだから(笑)。


 ふふふ、当分遊んでもらいたいわなぁ。だってね、云ってることは貴重なこと発信してるつもりなんよ。下手な新聞読むより、れんだいこ節を聞けといいたいくらいに。まぁそういう変人いてもいいんじやないかとかね。単にはまっているのか、いい具合な大人のおもちゃ持っただけなのかなかんないけど。あんまり云うとオトコ下げるから、これぐらいにしとこ。

日本語理解できない人と何話しても時間の無駄 投稿者:いずみ ( 12/02 20:01:16 )

>>  だから、小手先のテクニックはすぐバレるわけです。

>  あのさぁ、我輩はそういうテクニックを意識してないの。いかに思っていることを表現できるかに苦心していて、小手先だとかバレるだとかは似合わないの、これほんと。


 ………(呆然)

 元のいずみの投稿、読んでますか? 日本語、理解できてますか?? 人の言いたいこと、汲もうという努力を1ミリでもしていますか????
 もういいかげんにしてほしい。あなたの誤読は、単なる誤読というレベルじゃないんですよ。 ここに象徴されているとおり。もはや、あなたと何を話そうがいずみにとっては時間の無駄なので、お相手するのは、よっぽといずみが直接の被害をこうむらない限りは辞めにします。




(私論.私見)