第2部 「共産党の組織論・運動論」投稿文

 投稿 題名
現下の民主集中制党組織論の弊害について
「統一と団結」を支える認識論について
「身内意識による言論封鎖性」について
「論理と理論と見解と方針」について


現下の民主集中制党組織論の弊害について (1999.8.17日) 

 わが国の大衆的な抵抗運動の理論的な主柱としてマルクス主義がその地位に座るようになってはみたものの、はたしてそれが良かったのかどうか若干の疑問を抱くようになっています。マルクス主義の功績については異存ありません。この理論に導かれることによって初めて大衆闘争が成功裡に押し進められることになり、現実に大衆の「ユートピア国家」が現出することになったことを思えば、理論上の優位性は否定しようがないと思われます。しかし、実際には「ユートピア国家」は「収容所国家」のままに推移し、流産させられることになりました。今日的テーマとして、「破壊」よりも「建設」の難しさが教訓化されているように思われます。

 わが国の歴史における卑近な例は、幕末維新期に認められるように思います。多くの志士たちが新体制を夢見て脱藩し、運動途上に命を捧げました。しかしでき上がったものは、徳川政権に対する薩長政権であり、自由民権運動を圧殺する天皇制イデオロギーでしかありませんでした。歴史に「もし」という仮定が許されるならば、たとえば坂本龍馬が生きていたならば、明治憲法もイギリス的もしくはフランス的なあるいはアメリカ的な、もう少しは自由度の高いものが生まれていたかもしれません。日清.日露に向かう戦争の流れにも別の観点から対応しえていた可能性があったやもしれません。詮ない夢想にしても、指導者資質の重要性という観点から押さえておきたいことのように思えます。

 ところで、マルクス主義が大衆闘争の有力な武器になることは疑いないことにしても、何か大事な側面がマルクス主義によって失わさせられた部分もあるのではないかという疑問についてコメントしてみたいと思います。わが国の大衆運動にマルクス主義が指導的理論として受け入れられる経過にはアナーキズムとの闘争がありました。アナーキズムの代表的理論家としては大杉栄たちが挙げられますが、明治期の自由民権運動の一つのラディカルな流れの帰結としての発展的な流れとして、それなりの支持基盤を得ていたようにも思われます。大衆運動の指導権をめぐって、昭和初期の頃にこのアナーキズムとの闘争がありました。いわゆる「アナ」と「ボル」との論争であり、大衆の支持獲得をめぐっての競り合いとなりました。結果は、まずインテリの間でしだいに「ボル」が支持を受けていくようになりました。このインテリ「ボル」の啓蒙運動の流れで大衆にマルクス主義が普及していくことになり、今日においては左翼といえば「ボル」の運動を意味するということになっています。ただし、「アナ」に対する「ボル」の勝利が本当に人民的利益にかなっていたのかどうかについては疑問符があります。戦前の「ボル」運動の最後は「お上」に対する闘争はそっちのけで内部暗闘に帰結してしまいましたし……。

 アナーキズムの理論体系に不勉強のままにマルクス主義との対比をすることは無責任ですがご容赦願いまして発言させていただきます。私は次の一点で違いがあったのではないかと思っています。マルクス主義の究極は権力奪取に向かうものであるのに対し、アナーキズムの場合には対権力との抵抗運動として存立すること自体が目的であったのではないかと。その結果、権力奪取に向かうマルクス主義には奪取の為の戦略戦術を構築する必要が生まれ、指導者資質によっては内向きの党内整列を優先させる場合が発生することがある。これに対し、アナーキズムにあっては権力奪取のプログラムを持たないがゆえに本質的に組織内の自由性を保証しあえているのではないかと。つまり、マルクス主義は「民主集中制」になじむが、アナーキズムには不要な理論ではなかったかと。両者の共通項は人民的な抵抗運動であるが、マルクス主義は権力を狙うがゆえに自身も権力化しやすい陥穽があるのに対し、アナーキズムには理論体系がないという欠点を埋め合わせるに十分な常に「お上」に対する抵抗運動としてのみずみずしさがありえたのではないかと。社会民主主義者たちともひと味違う義理と人情を心得た百姓一揆の延長上の良さがあったのではないかと思えたりしています。百姓一揆内部で「お上」との闘争そっちのけで右派と左派ががちんこした例を知りませんから。

 今日世界各国における共産党はほぼいずれも統一戦線理論のもとに二段階革命もしくは多段階革命戦略理論を採用しております。これを革命理論といえば聞こえはよいものの、明確に言えば社会主義革命には向かわないという本音が隠されているように思います。その理由は、積極的には社会主義国家創造の能力と責任の重さと理論的完成度に自信がないということであり、消極的には社会民主主義者との提携と抗争によりぼちぼちの社会変革の方がのぞましいのではないかという認識に支えられているのではないでしょうか。その是非は後世の歴史家が判断することになると思われますが、問題は、戦略が変われば組織理論も変わるべきなのに組織理論だけは相変わらず「ボル」化させられている不釣り合いにあります。「外柔内剛」ということになりますが、それはオカシイのではないかというのが私の意見です。

 「民主集中制」の欠陥は、レーニニズムからスターリズムが生み出される過程で、執行部を押さえたスターリンの方に分派闘争上において圧倒的な優位を示す強権的な理論でしかなかったことにあります。悲劇は、かってのツアーリズムさえなしえなかった処刑がいとも粛々と実施されていったことに認められます。密告が奨励され、今日追う者が明日はわが身が追われることになるという悲喜劇を生んでしまいました。この間一貫して「民主集中制」の論理で事が進められたのであり、してみれば歴史的に見て「民主集中制」は血で塗り固められている組織理論であるという認識をしておく必要があるように思います。

 それでは、日本共産党の「民主集中制」はどれだけこうした弊害から免れる工夫をしているのかというとこれがはなはだ心もとない。戦後直後を指導した徳田執行部の「民主集中制」の方にこそまだ異論を許容する裁量があった。アカハタにせよ前衛にせよ堂々と執行部の見解と相違する異論が掲載されていましたし、中西・神山・春日その他多くの論客が所信を述べる機会が与えられていました。だから徳田執行部は脇が甘かったとでも見抜いたのか、その後を受けた宮本執行部は当初より徹底して反対派の存在そのものを認めようとしない。異端分子は双葉の芽のうちに刈り取り、イエスマン以外は皆追い出してしまう。宮本ー袴田の系列は、戦前戦後一貫してこの方面にこそ最も戦闘的であったという不思議な習性が見受けられる。最後にはこの二人も仲たがいしたが。

 現執行部を擁護する者は、一度このあたりの史実を自力で見直しておく責務がある。反対派を除名するにおいては、一度でも良いからそれぞれの所信を併載した上で党内に執行部支持を仰ぐべきではないのか。まして、戦時中の治安維持法下の弾圧に抗して共に闘った履歴を持つような党員を放逐するというので有れば。その所信がどうとかいう以前の倫理的マナーであるように思われるがいかん。このような倫理感の欠如は次のような対応にも露呈する。党は、旧憲法下で虐殺された数多くの党員を列記し、ソ連または党内のリンチ事件の被害者の名誉回復も行ない、あわせて党員葬を行なうべき責務があると思われるが、はたして一度でも行なったことがあるのか。そういう意志があるのか! 世間はそういうところを見ている。この党と生死を共にして報われるのかどうかの見定めに党員葬があるといっても過言ではない。生き残ったおべんちゃら永年党員に表彰状を渡す前になさねばならないことのように思えるがいかん。

 それを思えば、自民党閣僚の靖国神社参拝は筋が通っている。死んだ者は浮かばれないまでも、せめてそうしてもらうことによって魂が靖国されるように思うから。党は、自民党閣僚の靖国思想を抗議する以前に党が党として為さねばならない自前の手厚い葬儀が要請されているのではないのか。お盆の後だから余計にそう思えるのだが、このような観点にならない党執行部の感性を私は疑っている。とてもではないが、このような党に私は人生を預けれない。党外の頑迷な支持者が党員以上の団子団結ぶりで党支持を投稿しているが、それならなぜあなたは党員にならないのか。合理的理由があるのなら仕方ないが、むしろ不自然ではないのか。マスコミ受けを心配したりする感性は現執行部のそれと良いハーモニーしているように思われる。ぜひ党に入って頑張ってもらいたいように思う。

 もとへ。そもそも派閥がない組織の純粋性というものなぞかえって不純ではないのか。人が三人寄れば一人と二人に分閥するのを自然とするのが人情であり、こうした大衆の認識の仕方こそ素朴で正しい。同じ状況にあっても、見方はそれぞれ分かれるのが人の人としての常であり、存在根拠でもある。党内においても何ら事情は変わらない。党内に諸見解が発生してこそ当たり前なのであり、こうしたそれぞれの見方の論議が党内にも保証されていてこそより人間的集団としてふさわしい。したがって派閥が生まれ徒党が生まれるのも自然である。問題は、手順を踏まえて執行部が生まれた以上執行部の方針に協力するのが組織の原則であり、反対派といえども例外は認められない。これができなければ反対派は別党コースへ向かうべしということであり、しかしこのことと反対派の存在自体が認められないこととは別の話である。

 例えば、「さざなみ通信」編集部のような方の存在が党内に認められることは当然であるという組織論が欲しい。その所信が党の機関誌か理論誌に堂々と掲載され、論議される風土が欲しい。それが党内民主主義というものの姿であり、いずれ政権党になった場合にも右同じであるという例証にもなるであろう。このことが認められない「民主集中制」とは名ばかりであり、実際には「執行部集中制」という。このあたりの提言なしに「統一と団結」が言われるから、私は「オカシイ」と言っている。なぜなら、徳田執行部では認められていた実績があるのだし、できない訳ではないのだから。その美風は受け継がれるべきではないかと考える(参考までに。徳田執行部を賞賛しているのではない。その欠点も多く認められるから。ただし、陽性の欠点であり、宮本執行部は陰性のそれであるという違いであり、私は陽性の方が好きだからその限りで徳田執行部の方に軍配を挙げている)。

 最後に。党が「よりましな政府」だとか性懲りもなく「民主連合政府」だとかを言うのであれば、この程度の戦略戦術なら組織論はアナーキズム的発想でやっていった方が功が多いのではないかと思っている。よりみずみずしい運動が可能になるのではなかろうか。変に規制しない、スパイだとか裏切りだとか反党分子だとか容易には言わない。盆踊りでも、何もお上品な奥様方の踊りばかりが良いのではない。阿波踊りが面白い。ねぶた祭りも見てみたい。だんじりも良いなぁ。みんな多彩により良いと思える社会づくりに向けて創意工夫をなして、この時代を共に苦労した仲間づくりのバラエティがいいなぁ。

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「統一と団結」を支える認識論について(1999.8.26日)
 共産党において特に「統一と団結」的組織論が云われる理由の背景には、それを自明の尊重規定として成り立たせる哲学的な意味での認識論が介在しているのではなかろうかと思われます。ちょっとおかしくはないかという観点から投稿させていただきます。

 マルクス主義的な認識論は、あらゆる事象の分析と総合において「唯物弁証法」を内在させることで成り立っていると思います。その理論は、過去のどのような認識論をもしのぐ自然と社会に対する、なるほどともいうべき認識をもたらしてくれることになりました。ただし、そのようなマルクス主義的な認識論を駆使するためには相応の博学と実践能力が要求されており、なかなかなことでは世界観・社会観をマルクス主義的には確立しえない。そういうわれわれ凡人に対して、共産党の指導者ともなればマルクス主義的な認識論においても、世界観.社会観においても指導能力においても卓越した第一人者であろうという推定がなされ、これが信頼のバネとなる。指導者にとっては、このバネを強く働かせるのか弱く作動させるのかは掌中にあり、その指導者の資質によって加減されることになる。

 以上を前提にして、われわれが卓越した指導者の能力に帰依しようとする場合奇妙なことが起こる。いわば信頼理論を介在させることになるのであるが、指導者の方からも信頼のバネを強く働かせた場合、指導者は「真理の体現者」として立ち現れてくることになる。このこと自体の是非はわからないが、宗教的な神との帰一思想と何ら変わらないことになってしまう。認識上の内部構造が極めて宗教的なそれと酷似してくるというわけである。違いがあるとすれば、宗教的な認識論は観念論をベースにして「真理」に到達しようとしており、マルクス主義者の方は唯物論をベースにしてそこに到達しようとしているというプロセスの違いということになる。左翼運動の歴史に立ち現れたスターリン主義・毛沢東思想・金日成思想等の「統一と団結」および民主集中制的組織論は、こうした土壌に開花しているのでないかと思われる。いわば「神」であり、その虚像は死後でないと露わにされないことになる。何かが違うということはわかるが、理論的に切開しうる能力が私にはない。しかし、ここの部分を解明しないと、共産党に政権を預けてよいものかどうか疑惑が禁じえないことになる。

 日本共産党の場合には少し事情が異なる。カリスマ者はいないからである。しかし、規約と実際の執行部オールマイティーの様子を見れば、何ら変わらない認識上の「真理」観の構図が介在していることに気づかされる。「真理」というのが大袈裟であれば、方針の正しさと言い換えても良い。この正しさは、特に分派摘発・排除の際に露わになる。戦前からの党指導者同志のことごとくすべてが、宮本−袴田ラインによって放逐されてしまった。不破は器用な理論家として働いた。それならそれで、今日の党が隆々とした成長を見せているというのなら納得もしよう。実際は今日ある通り、社会全体は非左翼化・保守化傾向である。どこかがおかしい、怪しい。そして、にもかかわらず相も変わらぬ団子団結万歳精神が息づいている。

 私の思想的営為は、寿命理論から格闘して見ようと思っている。仮に「真理の体現」が出来たとしても、たかだか稼働人生50年の幅でしかないという現実から迫ってみたいと思ったりしている。しかも体調不良ならせっかくの「真理の体現」も機能しないという弱さ儚さを持った未完成の面で捉えてみたいと思っている。もう一つは、DNA理論から格闘してみたいと思っている。皆めいめい気質が違うということをマルクス主義の認識論の中に整合的に入れて見たい。親子・兄弟でも一筋縄ではまとまらない背景に、環境のみならずDNAの違いも見てみたいと思うから。そういう社会的人士を糾合して党をつくった場合、まとまって当たり前なのではなくて、まとまらないのが当たり前であってそれをどの程度までまとめえれば適正かというソフトな組織理論が欲しい、と思っている。しかしなんだなぁ。そうはいっても今日もまた一杯飲むかもしれない。

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「身内意識による言論封鎖性」について (1999.10.3日)
 私も含め日本人一般の処世法に「風が悪い」ことを気にする意識がある。もっとも大なり小なりよその国でもあるのだろうとは思う。日本人の場合かなり強度のものがあり、子育ての時にこれを叩き込むので、大人になってもこの意識にとらわれることになる。「風が悪い」意識そのものが悪いとは言えないかも知れない。ただし、この意識を強権化させた場合に「身内の恥をさらすな」となり、ここまで至ると問題にしなければならなくなる。「身内の恥をさらすな」は、家庭内のごたごたを近所の人に吹聴するなと言うことではなくて、「恥」になるような議論を家庭内でもするなという論理に帰着するからである。議論が沸騰しようとしている時にマァマァマァと言いながら割って入ってくる部類の人がいて、日常の何気ない議論の時には結構重宝な人になる。このマァマァマァは、議論の仕切り直しをさせようとして介入される場合は少なく、議論そのものを打ち切らせる役目で取り持たれることが多い。時に効用があるが、政治的な見解の議論または組織の在り方をめぐっての議論などの場合には悪効用ではなかろうか、と私は思う。

 世の中には曖昧にしかならない部分や曖昧にさせても良い部分とさせてはならない部分があり、人為システム的な問題についてはギリギリまで認識の摺り合わせが大事と思う。どちらが正しいという結論を権威によって導くのではなく、いろんな見方があるという異見について知らないよりは知っておく方が良い。しかる上で、協同歩調ないしは団結する道筋を設けることが必要ではないかと思う。意見と異見の充分な交差は、「統一と団結」を支える根っこの部分であり、根っこの枯れた土壌での「統一と団結」は単に旧来型の帝王学的保守的手法に他ならない、と思う。この「風が悪い」意識は2面において現れる。「正」の面で現れれば、公序良俗の遵守または公共意識の培養になる。最低限「されて嫌なことはしない」というハードルを越したところに開花する意識であるから。この意識をもっと積極的に高めていけば、社会への奉仕・貢献精神に至るようにも思う。日本人の美徳としてこの「正」の面を強く保持してきた歴史があり、その良さは良さで相応に認識しておくことは必要と思う。一方で、「負」の面で現れれば、「臭いものに蓋」することになる。お互いが「風」を気にする情緒性に流れ、没主体的な八方美人型の「不思議な微笑」になり、議論することは「水臭い」として退けられる。よくしたもので、この間隙をつなぐものが腹芸的な以心伝心コミニケーションであり、この手法を発達させていくことにより、「話せばわかるのではなく、話さなくてもわかる」ことになる。かのマッカーサーが驚いたことに、日本人は目と目で話をする変わった人種だと言ったとか。腹芸は良い面もあるが、「口のうまい奴には気を付けろ」意識とセットにされた場合には議論を遠ざける手法に転嫁しやすい。

 日本人の心根のこうした特徴の由来を単一民族と農耕性に求める見解がある。真実はわからない。大和民族の形成過程のはるか昔よりDNAに刻印された能力であることには相違ない。こうした心根の対極にあるのは、アングロ・サクソン系の対話弁証法である。ギリシャ哲学の形成期に諸賢者が世界をどう捉えるのかをめぐってけんけん諤々したのも、アングロ・サクソン系ならではのことのように思える。聖書の論理性もこれを証左しているように思える。中国の紀元前後にも同様の論議が沸騰したようである。とすれば、漢民族もかなり対話弁証法の発達した民族であるとみなした方が良いのかもしれない。惜しむらくは政治的専制がこの能力を押さえ続けてきているように思う。インドあたりがどうなのか興味があるが私の知識が乏しい。言えることは、世界史においてなぜアングロ・サクソン系が今日の経済・政治・文化の主流になっているのかを考えたとき、対話弁証法を彼らがこよなく愛し続けてきていることにあるのではないかと思われるということである。大いに学ぶペしというのが私の持論である。

 近いところのわが国の歴史において、世界もしくは社会全般に対する論議をかまびすしくしたのは、江戸幕末の頃であったように思われる。勤王派、佐幕派、公武合体派、御一新派、草葬派、民権派、攘夷派、開国派、等々が入り乱れ相互作用しつつ、武家階層のみならず百姓・町民まで口角泡を飛ばして政体を議論した実績がある。戦国武将織田信長もまたかなり理論的な能力の高い人であったというのが実際であったとか言われている。日本人精神に縄文的なものと弥生的なものが相克していることを数多くの研究者が指摘しているように、日本の歴史には正反対の傾向が交差しつつ発展を生み出しているように思える。そういう実績があるものの、傾向としては情緒に流れ議論が弱いのが日本史の主流である。その遠因には、「風が悪い」から始まり、「身内の恥をさらさず蓋をする」精神性が横たわっているように思われる。徳川三百年の歴史は世界近世史の珍事であり、日本人一般の「お上」に対する従順な精神性が補完していたものと思われる。われわれが革命的精神をたくましくして社会への奉仕・貢献・その変革にたどるプロセスの第一歩は、この「風」、「身内の恥」、「臭いものに蓋」精神との闘争から始めざるをえない。そういう意味で革命的精神には日本人的情緒との闘争が絡んでいるように思える。

 今日の我々は、東西文明のそれぞれの特徴をリアルタイムで知りえる時代に遭遇している。できうれば、その両方の良さを吸収して新しい価値観を生み出すことが時代のテーマであるように思われる。「言うは易し、行なうは難し」かもしれないが、ひとたび洗礼を受けたものをなかったことにする方がもっと難しいことのように思われる。「もの言わざれば腹ふくれる業」とも云う。必要な議論はした方が良いのではなかろうか。

 最後に。「議論の前に名をなのれ」の一般化は良くない。われわれがなしている議論はスポーツとか趣味の世界のことではなく、自身と家族の生活をかけた一歩間違えば解雇(戦前なら検挙・虐殺)されかねないきわどいテーマに対して議論をしているのだから、編集部の人たちも私共々も「蛮勇を奮え」は御免蒙りたい。意味がわからなければ、野坂参三氏の一部始終を考えるのが良い。まさか野坂氏一人が党内に生息していたというのではあるまい(私の議論のマナーについては目下考慮中の身であるが「三つ子の魂百まで」で直せるかなぁ)。

 
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「論理と理論と見解と方針」について(1999.6.1日)

 最近ちょっと考えたことをお伝えして、皆様の討議を受けたいと思っています。表題のように「論理と理論と見解と方針」というように、ともすれば互いに良く似ておりごちゃ混ぜにされる傾向にあるものの実は違うものについて分析してみました。学問的にどう説明するのかは別にして、私は次のように区別してみました。

 「論理」とは、物事の考え方の筋道のことをいう。「理論」とは、「論理」に従って導き出された物事の認識の仕方をいう。「見解」とは、「理論」に従って導き出された物事に対する実践基準を云う。「方針」とは、「見解」に従って導き出された具体的な実践方法を云う。仮にこのように定義づけるとして、なぜこの区別が必要なのかということについて意見してみようと思います。

 「論理と理論と見解と方針」のうち「融通性」の効くものと効かないものを知っておくべきではないかというのが、私の気づいたことになります。「融通性」は、それを一方向に強めれば「寛容さ」になり、中ぐらいのところが「融通性」であり、逆方向に強めれば「排他的」になるという相関関係にあるものとして、一般的には「寛容さ」が尊ばれ、「排他的」であることは嫌われる傾向にあります。中ぐらいの「融通性」とは是々非々主義ということでもあり、これはこれで良いことなのでしょうが、かなり難しく、一歩誤れば場当たり主義という欠点を持つことにもなります。
なるほど、しょせんお見通しがいい加減でしかない凡人たるわれわれにとって「排他的」であるよりは「寛容さ」の方が処世法としては無難であると思われます。しかし、しかしと私は考えました。先の4区分のそれぞれの「寛容さ」と「排他的」の度合いは微妙に違うべきではないかというのが私の論点になります。

 私の考えでは、そういう差異があるべきであることに加えて、各自においてもまた、この関係のさせ方が微妙に違うのではないか。ちなみに、私の理想的な関係のさせ方は次の通りです(図示します)。

排他的度 融通度 寛容度
論理 ○○ × ××
理論 ×
見解 ×
方針 ×× ○○

 (○とは、その傾向が強い。△とは、やや弱い。×とは、その傾向が弱い。という意味で使っています。)

 つまり、私は、考え方の筋道をつくる「論理」を重視しており、「方針」については柔軟性を持たそうとしています。上記の図の見方が判らないという方に説明します。「論理」は、排他的であって、融通がきかなくて、寛容でないというのを自然とするという意味に了解しています。「理論」は、同じ傾向の幾分トーンを下げたものであるべきだとしています。「見解」は、やや柔軟になり、寛容的であるべきだとしています。「方針」は、さらに柔軟であり、非常に寛容的であるべきだとしています。人によってはこの逆を理想的な関係とする人もおられると思います。つまり、「論理」のこだわりはさほどでなく、「方針」の一致こそ大事とみなす発想の人という意味です。

 どちらが良いとか悪いとかは一概に言えないかも知れませんが、少なくとも議論の前提としてどこの部分の話かを整理しておかないと、お互いに話が噛み合わなくなるのではないでしょうか。ちなみに、「教条主義」といっても、「論理」又は「理論」の教条なのか、「見解」又は「方針」の教条なのかを明らかにしないと噛み合いません。もっとも「盲従主義」というのもあるなぁ。おそらく、「折衷主義」というのは、「論理」が違うものから導き出されたものを一緒にすることをいうのですよね。

 私が「論理」に拘るには訳があります。人は皆自分に固有な論理を持っており、ひょっとすると階級闘争という面だけではなくて、人は「論理」の闘争をしているのかもしれないと思うからです。似た「論理」の人達と他の「論理」の人達との攻めぎ合いが常になされているのではないかなぁと。この「論理」の背景には、「気質」というものがあり、人は皆その「気質」に応じた「論理」を持っているのではないかとも思っております。この考え方は階級闘争理論を否定しようというつもりで云っているのではなく、それとの調整的な組み合わせとして止揚させたいと考えているのです。しかしながら、私にはそこに向かう知力が足らない。誰かが見事に解析してくれるのを期待しているのです。

 なぜ、そう言う必要があるのかというと、世の中の実際にはブルジョアであれプロレタリアであれ、助け合い志向の人と足の引っ張り合い志向の人がいるわけです。気難しい人とお人好しがいるわけです。丁寧な人と乱暴な人。姿勢の低い人と傲慢な人。こういうものの差異が環境的なものだけで生み出されたものとはどうしても思えない。この世の中は、そういう「気質」というか「論理」に従って似たもの同士が集まったり励まし合ったり闘争しあったりしているようにも思えるのです。人は自分を愛すれば愛するだけ、同じような自分を見出しうる人達に親近感を覚え、そういう人または人たちが仮に悲惨である場合に自分のことのように立ちあがり……、これが本来の社会主義運動のモニュメントではなかったのかなぁ。僕に言わせれば、マルクスでさえこの点では袋小路に入ってしまったのではないかと思っています。傲慢なとらえ方でしょうかねぇ。  とりあえず投稿させて頂きました。

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(私論.私見)