第2部 | 「共産党の組織論・運動論」投稿文 |
投稿 | 題名 |
1 | 現下の民主集中制党組織論の弊害について |
2 | 「統一と団結」を支える認識論について |
3 | 「身内意識による言論封鎖性」について |
4 | 「論理と理論と見解と方針」について |
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現下の民主集中制党組織論の弊害について (1999.8.17日) |
わが国の大衆的な抵抗運動の理論的な主柱としてマルクス主義がその地位に座るようになってはみたものの、はたしてそれが良かったのかどうか若干の疑問を抱くようになっています。マルクス主義の功績については異存ありません。この理論に導かれることによって初めて大衆闘争が成功裡に押し進められることになり、現実に大衆の「ユートピア国家」が現出することになったことを思えば、理論上の優位性は否定しようがないと思われます。しかし、実際には「ユートピア国家」は「収容所国家」のままに推移し、流産させられることになりました。今日的テーマとして、「破壊」よりも「建設」の難しさが教訓化されているように思われます。 |
「統一と団結」を支える認識論について(1999.8.26日) |
共産党において特に「統一と団結」的組織論が云われる理由の背景には、それを自明の尊重規定として成り立たせる哲学的な意味での認識論が介在しているのではなかろうかと思われます。ちょっとおかしくはないかという観点から投稿させていただきます。 マルクス主義的な認識論は、あらゆる事象の分析と総合において「唯物弁証法」を内在させることで成り立っていると思います。その理論は、過去のどのような認識論をもしのぐ自然と社会に対する、なるほどともいうべき認識をもたらしてくれることになりました。ただし、そのようなマルクス主義的な認識論を駆使するためには相応の博学と実践能力が要求されており、なかなかなことでは世界観・社会観をマルクス主義的には確立しえない。そういうわれわれ凡人に対して、共産党の指導者ともなればマルクス主義的な認識論においても、世界観.社会観においても指導能力においても卓越した第一人者であろうという推定がなされ、これが信頼のバネとなる。指導者にとっては、このバネを強く働かせるのか弱く作動させるのかは掌中にあり、その指導者の資質によって加減されることになる。 以上を前提にして、われわれが卓越した指導者の能力に帰依しようとする場合奇妙なことが起こる。いわば信頼理論を介在させることになるのであるが、指導者の方からも信頼のバネを強く働かせた場合、指導者は「真理の体現者」として立ち現れてくることになる。このこと自体の是非はわからないが、宗教的な神との帰一思想と何ら変わらないことになってしまう。認識上の内部構造が極めて宗教的なそれと酷似してくるというわけである。違いがあるとすれば、宗教的な認識論は観念論をベースにして「真理」に到達しようとしており、マルクス主義者の方は唯物論をベースにしてそこに到達しようとしているというプロセスの違いということになる。左翼運動の歴史に立ち現れたスターリン主義・毛沢東思想・金日成思想等の「統一と団結」および民主集中制的組織論は、こうした土壌に開花しているのでないかと思われる。いわば「神」であり、その虚像は死後でないと露わにされないことになる。何かが違うということはわかるが、理論的に切開しうる能力が私にはない。しかし、ここの部分を解明しないと、共産党に政権を預けてよいものかどうか疑惑が禁じえないことになる。 日本共産党の場合には少し事情が異なる。カリスマ者はいないからである。しかし、規約と実際の執行部オールマイティーの様子を見れば、何ら変わらない認識上の「真理」観の構図が介在していることに気づかされる。「真理」というのが大袈裟であれば、方針の正しさと言い換えても良い。この正しさは、特に分派摘発・排除の際に露わになる。戦前からの党指導者同志のことごとくすべてが、宮本−袴田ラインによって放逐されてしまった。不破は器用な理論家として働いた。それならそれで、今日の党が隆々とした成長を見せているというのなら納得もしよう。実際は今日ある通り、社会全体は非左翼化・保守化傾向である。どこかがおかしい、怪しい。そして、にもかかわらず相も変わらぬ団子団結万歳精神が息づいている。 私の思想的営為は、寿命理論から格闘して見ようと思っている。仮に「真理の体現」が出来たとしても、たかだか稼働人生50年の幅でしかないという現実から迫ってみたいと思ったりしている。しかも体調不良ならせっかくの「真理の体現」も機能しないという弱さ儚さを持った未完成の面で捉えてみたいと思っている。もう一つは、DNA理論から格闘してみたいと思っている。皆めいめい気質が違うということをマルクス主義の認識論の中に整合的に入れて見たい。親子・兄弟でも一筋縄ではまとまらない背景に、環境のみならずDNAの違いも見てみたいと思うから。そういう社会的人士を糾合して党をつくった場合、まとまって当たり前なのではなくて、まとまらないのが当たり前であってそれをどの程度までまとめえれば適正かというソフトな組織理論が欲しい、と思っている。しかしなんだなぁ。そうはいっても今日もまた一杯飲むかもしれない。 戻る |
「身内意識による言論封鎖性」について (1999.10.3日) |
私も含め日本人一般の処世法に「風が悪い」ことを気にする意識がある。もっとも大なり小なりよその国でもあるのだろうとは思う。日本人の場合かなり強度のものがあり、子育ての時にこれを叩き込むので、大人になってもこの意識にとらわれることになる。「風が悪い」意識そのものが悪いとは言えないかも知れない。ただし、この意識を強権化させた場合に「身内の恥をさらすな」となり、ここまで至ると問題にしなければならなくなる。「身内の恥をさらすな」は、家庭内のごたごたを近所の人に吹聴するなと言うことではなくて、「恥」になるような議論を家庭内でもするなという論理に帰着するからである。議論が沸騰しようとしている時にマァマァマァと言いながら割って入ってくる部類の人がいて、日常の何気ない議論の時には結構重宝な人になる。このマァマァマァは、議論の仕切り直しをさせようとして介入される場合は少なく、議論そのものを打ち切らせる役目で取り持たれることが多い。時に効用があるが、政治的な見解の議論または組織の在り方をめぐっての議論などの場合には悪効用ではなかろうか、と私は思う。 世の中には曖昧にしかならない部分や曖昧にさせても良い部分とさせてはならない部分があり、人為システム的な問題についてはギリギリまで認識の摺り合わせが大事と思う。どちらが正しいという結論を権威によって導くのではなく、いろんな見方があるという異見について知らないよりは知っておく方が良い。しかる上で、協同歩調ないしは団結する道筋を設けることが必要ではないかと思う。意見と異見の充分な交差は、「統一と団結」を支える根っこの部分であり、根っこの枯れた土壌での「統一と団結」は単に旧来型の帝王学的保守的手法に他ならない、と思う。この「風が悪い」意識は2面において現れる。「正」の面で現れれば、公序良俗の遵守または公共意識の培養になる。最低限「されて嫌なことはしない」というハードルを越したところに開花する意識であるから。この意識をもっと積極的に高めていけば、社会への奉仕・貢献精神に至るようにも思う。日本人の美徳としてこの「正」の面を強く保持してきた歴史があり、その良さは良さで相応に認識しておくことは必要と思う。一方で、「負」の面で現れれば、「臭いものに蓋」することになる。お互いが「風」を気にする情緒性に流れ、没主体的な八方美人型の「不思議な微笑」になり、議論することは「水臭い」として退けられる。よくしたもので、この間隙をつなぐものが腹芸的な以心伝心コミニケーションであり、この手法を発達させていくことにより、「話せばわかるのではなく、話さなくてもわかる」ことになる。かのマッカーサーが驚いたことに、日本人は目と目で話をする変わった人種だと言ったとか。腹芸は良い面もあるが、「口のうまい奴には気を付けろ」意識とセットにされた場合には議論を遠ざける手法に転嫁しやすい。 日本人の心根のこうした特徴の由来を単一民族と農耕性に求める見解がある。真実はわからない。大和民族の形成過程のはるか昔よりDNAに刻印された能力であることには相違ない。こうした心根の対極にあるのは、アングロ・サクソン系の対話弁証法である。ギリシャ哲学の形成期に諸賢者が世界をどう捉えるのかをめぐってけんけん諤々したのも、アングロ・サクソン系ならではのことのように思える。聖書の論理性もこれを証左しているように思える。中国の紀元前後にも同様の論議が沸騰したようである。とすれば、漢民族もかなり対話弁証法の発達した民族であるとみなした方が良いのかもしれない。惜しむらくは政治的専制がこの能力を押さえ続けてきているように思う。インドあたりがどうなのか興味があるが私の知識が乏しい。言えることは、世界史においてなぜアングロ・サクソン系が今日の経済・政治・文化の主流になっているのかを考えたとき、対話弁証法を彼らがこよなく愛し続けてきていることにあるのではないかと思われるということである。大いに学ぶペしというのが私の持論である。 近いところのわが国の歴史において、世界もしくは社会全般に対する論議をかまびすしくしたのは、江戸幕末の頃であったように思われる。勤王派、佐幕派、公武合体派、御一新派、草葬派、民権派、攘夷派、開国派、等々が入り乱れ相互作用しつつ、武家階層のみならず百姓・町民まで口角泡を飛ばして政体を議論した実績がある。戦国武将織田信長もまたかなり理論的な能力の高い人であったというのが実際であったとか言われている。日本人精神に縄文的なものと弥生的なものが相克していることを数多くの研究者が指摘しているように、日本の歴史には正反対の傾向が交差しつつ発展を生み出しているように思える。そういう実績があるものの、傾向としては情緒に流れ議論が弱いのが日本史の主流である。その遠因には、「風が悪い」から始まり、「身内の恥をさらさず蓋をする」精神性が横たわっているように思われる。徳川三百年の歴史は世界近世史の珍事であり、日本人一般の「お上」に対する従順な精神性が補完していたものと思われる。われわれが革命的精神をたくましくして社会への奉仕・貢献・その変革にたどるプロセスの第一歩は、この「風」、「身内の恥」、「臭いものに蓋」精神との闘争から始めざるをえない。そういう意味で革命的精神には日本人的情緒との闘争が絡んでいるように思える。 今日の我々は、東西文明のそれぞれの特徴をリアルタイムで知りえる時代に遭遇している。できうれば、その両方の良さを吸収して新しい価値観を生み出すことが時代のテーマであるように思われる。「言うは易し、行なうは難し」かもしれないが、ひとたび洗礼を受けたものをなかったことにする方がもっと難しいことのように思われる。「もの言わざれば腹ふくれる業」とも云う。必要な議論はした方が良いのではなかろうか。 最後に。「議論の前に名をなのれ」の一般化は良くない。われわれがなしている議論はスポーツとか趣味の世界のことではなく、自身と家族の生活をかけた一歩間違えば解雇(戦前なら検挙・虐殺)されかねないきわどいテーマに対して議論をしているのだから、編集部の人たちも私共々も「蛮勇を奮え」は御免蒙りたい。意味がわからなければ、野坂参三氏の一部始終を考えるのが良い。まさか野坂氏一人が党内に生息していたというのではあるまい(私の議論のマナーについては目下考慮中の身であるが「三つ子の魂百まで」で直せるかなぁ)。 戻る |
「論理と理論と見解と方針」について(1999.6.1日) | ||||||||||||||||||||
最近ちょっと考えたことをお伝えして、皆様の討議を受けたいと思っています。表題のように「論理と理論と見解と方針」というように、ともすれば互いに良く似ておりごちゃ混ぜにされる傾向にあるものの実は違うものについて分析してみました。学問的にどう説明するのかは別にして、私は次のように区別してみました。
(○とは、その傾向が強い。△とは、やや弱い。×とは、その傾向が弱い。という意味で使っています。)
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(私論.私見)