1.1 |
マッカーサー元帥、年頭の辞で日本国憲法は自衛権を否定しないと声明を出す。 |
1.1 |
満で数える年齢のとなえ方に関する法律施行。 |
1.1 |
朝日新聞、名古屋で印刷・発行を再開。 |
1.6 |
【コミンフォルム論評の一撃、「50年問題の発生」について】 コミンフォルム機関誌、「日本の情勢について」と題して野坂参三の「平和革命論」を批判。党の路線の誤りをただす積極的助言であったが、スターリンの大国主義的な節度を欠いた批判でもあった。 |
1.7 |
10000円札が発行される。(肖像は聖徳太子) |
1.9 |
党中央委員会と統制委員会は「党かく乱のデマをう ち砕け」を早速に発表。(伊藤律執筆?) |
1.10 |
中西功が記者会見でコミンフォルムの批判に賛成。中西は、意見書を出版、機関紙「団結」を発行していくことになる。伝統的戦略構想を問い直す社会主義革命の理論問題を提起していくこととなった。 |
1.11 |
党統制委員会は、党撹乱者として中西除名の手段を取った。 |
1.12 |
党中央委員会政治局は急遽「『日本の情勢について』に関する所感」を、待ちかまえる内外記者団30余名を前に伊藤律が発表するところとなった。ここから所感派と云われるようにもなる。「野坂理論の欠点を認めるが,実践で克服ずみ」とした。 |
1.14 |
ベトナム民主共和国のホ.チミン大統領は、全世界に向けてベトナム民主共和国の承認を要請した。
|
1.15 |
平和問題談話会、「講和問題についての声明」を発表し、全面講和を要求する声明文を発表した。 |
1.15 |
志賀は、論評に対する志賀意見書を提出。赤旗掲載は4.26日。 |
1.16 |
中西グループは、党本部に前例のない抗議デモをかけるに至った。 |
1.17 |
「人民日報」は「論評」を支持するとともに「所感」を批判する社説を発表した。「(論評に対する)日本共産党政治局の見解ならびに態度は正しくなく、かつ適当でないことは極めて明らかである」として、批判を受け入れるよう要請した。 |
1.18 |
【「第十八回拡大中央委員会」開催】急遽「第十八回拡大中央委員会」が開かれた。会議は激しく紛糾し討論が爆発した。コミンフォルムの批判を全面的に承服した。 |
1.19 |
野坂は右翼日和見主義だったと自己批判。所感派は論評を受け入れ、所感を撤回。徳球は、返す刀で志賀を「トロツキスト」と非難、アメリカ諜報機関に筒抜けと罵った。志賀も北京に個人的ルートで報告、原則の対立というより派閥闘争的、前近代的、不毛な対立を露呈させた。 |
1.19 |
社会党第5回大会で左右両派に分裂(第一回分裂)→同年4月3日に両派再統一。 |
1.21 |
伊藤律が「同志野坂について」という声明を発表した。野坂は、「占領下平和革命」の誤りを自己批判した。 |
1.26 |
米韓相互防衛援助協定調印. |
1.26 |
批判者グループの頭目であった統制委員会議長兼政治局員宮本顕治を九州地方党組織(福岡)に左遷した。 |
1.28 |
党中央が「アカハタ」で宮本の九州行きを発表。百合子が止めたと伝えられているが、宮顕は〃都落ち〃に応じた。宮顕本人は強く反発し反対の意思表示をしたが、決定には従った。宮顕は第18回拡大中央委員会後、九州に派遣されていたが、東京の大学細胞の反対派的態度に思想的影響あるものとして責任を問われはじめた、ともある。 |
1.30 |
国鉄、湘南型電車を完成。これにより長距離用電車の基礎ができあがる。 |
1.31 |
トルーマン米大統領が水爆製造命令。 |
2月 |
全国教育長会議は、共産主義者と思われる教育者の追放を決議し、この頃東京都教育委員会が246名の教員追放決議。教員レッド.パージのきっかけをつくった。 |
2月 |
野田弥三郎、宇田川恵三ら、志賀意見書を配布。 |
2.1 |
ソ連、細菌戦責任者として天皇および4人の戦犯裁判を要求。2.3日米国、拒否。 |
2.1 |
毎日新聞、印刷・発行を再開。 |
2.5 |
川崎市営競輪で八百長騒動。以後、各地で暴動続発。 |
2.6 |
官公労国会共闘委員会、ゼネスト声明を出し、民同派主導の3月攻勢開始。 |
2.6 |
アカハタ紙上に野坂の自己批判発表。「右翼日和見主義的誤りを犯した」と述べられていた。 |
2.8 |
丸木位里・赤松俊子、連作「原爆の図」第1作を発表。 |
2.9 |
マッカーシー(共和党)アメリカ上院議員、アメリカ国務省に57人の共産党員がいると演説。これにより、マッカーシー旋風(赤狩り)が始まる。 |
2.10 |
GHQ、沖縄に「恒久的な基地」を建設すると発表。 |
2.10 |
民主党幹事長保利茂ら衆参両院28名が民自党に入党。 |
2.12 |
ソ連からの引揚げにからむ「徳田要請」が問題化。 |
2.13 |
東京都教育庁、「赤い教員」246人に退職を勧告。 |
2.14 |
中ソ友好同盟相互援助条約締結。中国側は首相兼外相の周恩来、ソ連側は最高幹部会全権代表アンドレイ.ビシンスキー。 |
2.15 |
GHQ、「ゼネスト」中止を勧告。 |
2.16 |
李承晩韓国大統領、来日する。羽田でマッカーサーが向かえる。 |
2.21 |
軍事基地.殖民地反対のスローガンで全国各地で国際反殖民地闘争デー |
2.27 |
平和を守る会が正式発足。会長大山郁夫。 |
|
前衛3月号で、宮顕の「コミンフォルム論評の積極的意義」論文が発表されている。 |
|
この月、流感が全国的に蔓延。患者は18万人にのぼった。 |
3月 |
共産党、反帝,民族独立路線を強調。 |
3.1 |
池田勇人蔵相、中小企業の一部倒産もやむなしと発言し、問題化。 |
3.1 |
【自由党結成】民主自由党と民主党連立派とが合同して、自由党(総裁:吉田茂)を結成。 |
3.1 |
国鉄、東京〜沼津間で湘南型電車の使用を開始。 |
3.11 |
日本労働組合総評議会(総評)結成準備大会開催。総同盟、全日労、私鉄総連、日教組、国労、全逓、炭労、海員組合等の17組織が参加した。鹿産別は不参加。 |
3.15 |
スウェーデンのストックホルムで世界平和擁護大会常任委員会第3回総会が開催される。この総会で原子兵器の絶対禁止を求める「ストックホルム・アピール」(署名者数:5億人)を発表する。「原子力兵器の無条件禁止」、「国際管理機関の設置」を訴え、冷戦による戦争の危機と原爆外交に対する懸念が表明された。 |
3.22 |
【 「民主民族戦線政府」の樹立アピール】共産党中央委員会は、「民族の独立の為に全人民諸君に訴う」アピールを発表した。 |
3.末 |
徳球書記長精密検査の結果、あと4年の寿命と診断される。極少数の幹部以外守秘措置する。 |
4月 |
共産党が19中総を開き党内統一を誓うが、宮顕、志賀を排除し非公然体制をすすめる。 |
4.3 |
社会党第六回大会、左右両派再統一(委員長は空席、書記長に浅沼稲次郎就任) |
4.4 |
国土緑化運動が開始された。緑を増やして国土を守る趣旨で全国植樹祭。第一回目は山梨県甲府市郊外。以来、毎年春、天皇.皇后の行幸が始まった。全国の山河への植樹は戦後復興へ向けての願いという意味が込められていた。全国巡幸、昭和24年からの国民体育大会への出席。 |
4.6 |
トルーマン大統領は、ジョン.フォスター.ダレスを対日講和担当の国務相顧問に任命した。 |
4.10 |
共産党早大細胞が「早大意見書」を発表した。意見書は、党が右翼日和見主義とブルジョア民族主義への転落への道を辿りつつあると警告し、「わが党はマルクス.レーニン主義の原則を堅持して断乎帝国主義者に対する革命的闘争を行うか、あるいは又、誤謬を固執し新たなる欺瞞と威嚇をもって偽装とチトーイズムへの転落の道を辿るか!」と指摘していた。その他党中央の個々の運動方針に対しても非難を加えていた。続いて共産党東大細胞も同じような意見書を発表した。 |
4.10 |
国鉄、特別2等車の使用を再開。 |
4.15 |
公職選挙法公布。 |
4.19 |
鉱工品貿易公団の公金8000万円を横領して逃走中の元出納係員が自首する。同公団の藤沢次郎総裁が、横領金額について「女中のつまみ食い程度」と発言。話題となる。(つまみ食い事件) |
4.20 |
京都府知事選で全京都民主戦線統一会議が推薦した蜷川虎三が当選。以来蜷川氏は7期当選。 |
4.22 |
山本富士子が第1回ミス日本に選ばれる。 |
4.25 |
池田蔵相一行(池田・宮沢喜一・白洲次郎秘書官)が訪米。表向き経済視察、極秘に対日講和の流れを打診することにあった。この時吉田首相の極秘メッセージ「早期講和を達成するため、日本側から米軍の駐留を要請しても良い」が託されていたと伝えられている。 |
4.28 |
【「第十九回中央委員会総会」開催】この総会の眼目は、党の分裂の危機にどう対処すべきかにあった。党内の混乱と党非合法化の危険をはらむ緊迫した情勢の中、徳田執行部は党の闘争方針の見直しに懸命となった。「当面する革命における日本共産党の基本的任務について」が党内に配布された。これが「戦略戦術に関するテーゼ」(50年テーゼ草案又は徳田草案)と称される重要文書となる。 |
4.28 |
国民民主党結成。民主党野党派、国民協同党、新政治協議会が合流し国民民主党結成。最高委員苫米地義三、幹事長に千葉三郎(51年より三木武夫)ら7名。 |
4.30 |
共産党の紺野が「アメリカ軍、党本部手入れ」の情報。書類の疎開と焼却。 |
4月 |
産別会議民主化同盟、解散を決定 |
5.1 |
公職選挙法施行。 |
5.1 |
第21回メーデー、人民広場使用の最後のメーデーとなる。 |
5.1 |
共産党、「来るべき革命における日本共産党の基本任務について(=50年テーゼ草案)」を発表、全党員の討議に付す。 |
5.2 |
東北大学でのイールズ博士の反共講演会に学生が抗議し、流会となる。イールズ博士は、新潟大学における講演を起点として、「共産主義者及びその同調者は教授の職から追放されるべきである。学生自治会は、民主主義の実験室であり、文化、スポーツに専心し、政治に介入すべきではない」と触れ回っていた。 |
5.3 |
吉田茂首相、東京大学総長南原繁の「全面講和論」を「『曲学阿世(きょくがくあせい)の徒』の空理空論である」と非難。 |
5.3 |
マッカーサー、。マッカーサー、憲法記念日の声明で「日本共産党は憲法の破壊を企図している」と反共声明、共産党は侵略者の手先と非難し、非合法化を示唆した。 |
5.5 |
党東京都委員会が、早大第一細胞、東大細胞の解散を通告、翌日全学連書記局細胞の解散を通告した。 |
5.10 |
日立製作所で大量首切り反対のストライキ始まる。 |
5.20 |
全学連第四回大会が開かれ、レッドパージ反対闘争のため、6.3日全金属のゼネストに呼応して学生ゼネストを行うことを決議した。イールズ博士は講演を中止し、帰国することとなった。 |
5.30 |
GHQ、政府の妨害をはねのけ、 「5・30人民決起大会」集会が開かれる。民主民族戦線東京準備会主催。全面講和をかかげ、4万余の労働者、学生、婦人を集めて人民広場で。.8名の青年、学生、市民、逮捕される。即日、軍事裁判に。マッカーサーを(弾圧に)踏み切らせたのは、「……米軍の将校・兵がデモに参加した労組員に殴られた事件であった……ほとんど即決といってもいい軍事裁判によって被告全員が有罪となり、重労働十年から五年の刑に処せられた」。 |
5月 |
マッカーサーは、幣原に「戦争放棄は50年ほど早すぎた」発言をしている。
|
6.2 |
警視庁が都内の集会、デモを全面的に禁止。この頃、文部省は、学生の政治集会.デモ参加禁止を通達する。
|
6.3 |
全金労働者の6・3ゼネスト。 |
6.4 |
第2回参議院議員選挙実施。(自由52名、社会36名、緑風9名、国民民主9名、無所属19名当選)自由18,34,国民民主1.8,社会15.21,緑風2.3,無所属12.7。党は、全国区133万票、2名当選(3名当選したが占領軍の追放令で1名無効)。地方区164万票。当選者無し。 |
6.6 |
【マッカーサー元帥、日共幹部の公職追放指令】マッカーサー元帥、吉田茂首相宛書簡で、共産党中央委員24名の公職追放を指令。これにより、徳球らが非公然体制に移行し地下に潜航。共産党中央委員会は分裂。 |
6.6 |
住宅金融公庫発足。 |
6.7 |
【臨時指導部設置される】党はかねてよりの手筈に従い徳田グループが地下に潜り、「アカハタ」紙上に、統制委員会名で、「共産党は人民と共に不滅である」を発表して弾圧に屈せず闘う宣言を発表する一方で、椎野悦郎を議長とする「臨時中央指導部」(「臨中」)を確立し、「アカハタ」紙上で「『臨時』指導部の任命について」を発表した。徳球ら9人の所感派は地下潜入した。 |
6.7 |
党財産の密かな処分。 |
6.15 |
映画「きけわだつみの声」東京映画の配給で封切り。 |
6.15 |
6.15日金天海が北朝鮮に密航した。金は、北にかえるに際し、後継者候補として韓徳*を指名した。従来朴恩鉄の後ろ盾として君臨していた金にとって苦しい選択であったと思われる。 |
6.16 |
国警察本部、デモ・集会の全面的禁止を全警察に指令。 |
6.19 |
ジョンソン米国防長官・ブラッドレー統合参謀本部議長来日、マッカーサー元帥と会談。 |
6.21 |
ダレス米国務省顧問来日、マッカーサー元帥と会談。 |
6.25 |
【朝鮮戦争勃発】未明、朝鮮戦争勃発→特需景気=日本経済息を吹き返す。 |
6.26 |
マッカーサー元帥、アカハタの30日間発行停止指令。 |
6.27 |
国連安保理事会で韓国援助決議を採択。国連軍の名の下に軍事介入する国連決議を得た。こうしてアメリカの朝鮮戦争の介入が始まった。日本はその前進基地とされた。戦火は朝鮮海峡を越えていつ国内に飛び火するかも知れぬ事態を迎えていた。 |
6.27 |
党中央は、武井昭夫、安東仁兵衛など38名の学生党員を悪質な分派主義者、党破壊を企てたとして除名し、7.3日「党活動方針」に発表した。(早大=10名=七俵、水野、鈴木雄、堀越、本間、猿渡、坂本尚、大金、今井、西山.東大=12名=戸塚、高沢、安東、木村、力石、武井、横瀬=堤ら)。この頃のこととして、戸塚秀夫、高沢寅男のスパイ事件が発生している。二人は東大細胞の指導部員で、警察の渉外係となっていたが、東大細胞の決定が本富士署に筒抜けになっていたことから、東京都委員会に摘発されることとなった。 |
6.28 |
第三次吉田茂内閣改造。 |
6.28 |
巨人軍藤本英雄投手、日本プロ野球初の完全試合を達成。(対西日本戦)。 |
6.30 |
トルーマン大統領は、マッカーサーの度重なる要請に応えて、米地上軍の朝鮮への派遣を決定した。ここにアメリカの参戦が決定した。 |
|
この頃、徳球書記長が日本を脱出、北京に現れ毛沢東と会っている。 |
6月 |
原田、内藤らの党中国地方委員会が反旗を翻す。 |
7.2 |
金閣寺が放火により全焼。 |
7.4 |
閣議が、朝鮮の米軍に対し、行政措置の範囲内で協力する方針を了承。 |
7.4 |
党の臨時中央指導部が、志賀、宮顕、春日(庄)を分派の中心と全党に公表。 |
7.4 |
マッカーサー、国家警察予備隊(75,000)創設を指令.(岩波年表) |
7.5 |
後楽園球場で、日本初のナイターが開かれる。(大映対毎日戦) |
7.6 |
社会党中央委員会が国連軍の名によるアメリカの朝鮮武力介入を精神的に支持することを決定。 |
7.7 |
トルーマンはマッカーサーを「国連軍最高司令官」に任命。
|
7.7 |
人民日報は、日中戦争13周年を記念する「日本人民闘争の現状」なる社説を発表した。「朝鮮へのアメリカの武力介入の開始に面して、これと闘う日本人民の民族統一戦線の結成の必要を強調し、統一戦線の発展の為に日本共産党の内部の団結が必要」という友党への勧告が為された。 |
7.8 |
マッカーサー元帥、警察予備隊7万5000人の創設を指令。マッカーサー元帥、海上保安庁保安員8000人の増員を指令。 |
7.8 |
ロレンス作・伊藤整訳『チャタレイ夫人の恋人』発禁処分となる。 |
7.10 |
第1回渡米留学生63人が出発する。 |
7.11 |
【日本労働組合総評議会(総評)結成】(議長武藤武雄(炭労)、事務局長島上善五郎(総同盟)。正式参加は17組合、377万5000名、オブザーバー17組合、63万5000名。反共主義を明確にし、アメリカの朝鮮武力介入を支持していたが、当面の行動綱領として「全面講和の締結を促進し、自由と平等の保障される日本のすみやかな独立達成のため戦う」とも掲げ、左右玉虫色にしていた。産別と決別、社会党とともに朝鮮戦争朝鮮問題不介入の方針。 |
7.14 |
中国共産党は、党創立28周年記念に際して、日本共産党中央委員会に次のメッセージを寄せた。「(親愛なる同志諸君が)一つに団結し、さらに日本の民族独立、人民民主主義のために闘う愛国的日本人民のすべての層と団結することを望む」。 |
7.18 |
マッカーサー元帥、アカハタの無期限発行停止処分指令。 |
7.24 |
【GHQ、レッドパージ開始】GHQ、新聞協会代表に共産党員と同調者の追放を勧告。これより、レッドパージはじまる。 |
7.28 |
東京の各新聞社,通信社,放送協会など言論機関,解雇申し渡し.レッド・パージ始る。 |
7.31 |
マッカーサーは急遽台湾へ飛んで、蒋介石国民政府総統と会談した。「総統の共産主義の支配に対する不屈の決意は、米国の利益と共通のものである」として、「中国本土と戦っても支援する」との特別コミュニケを発表した。蒋介石率いる国民政府の擁護と台湾を守る強い意志を表明した。 |
7月 |
第2次農地解放完了。日本全体の小作地の80%を解放。 |
8.10 |
警察予備隊令公布、警察予備隊発足。 |
8.12 |
党中央の非合法機関誌「平和と独立」創刊。 |
8.14 |
文部省、9月新学期より8大都市小学校で、ガリオア資金によるパン完全給食を実施することを発表。 |
8.18 |
アカハタの無期限停止指令。 |
8.18 |
阿部知二・北村喜八、戦後初の正式代表として、イギリスで開催された第22回国際ペン大会に出席。 |
8.19 |
吉田首相は、「朝鮮動乱とわれらの立場」という声明書を発表し、概要「中立論も戦争不介入論も日本軍事基地化反対論もすべて共産党の謀略工作であると断定し、国連軍に許される限りの協力を行う」立場を明確にさせた。 |
8.26 |
映画『羅生門』(黒沢明監督)封切り。 |
8.30 |
GHQ、全労連の解散を指令。全学連、レッドパージ反対闘争。 |
8.30 |
党中央の非合法理論誌「内外評論」創刊。 |
8.31 |
党の志賀、宮顕、春日(庄)ら排除された7名の中央委員が「全国統一委員会」結成。神山派は中立を、宮顕は断固として即時分派結成を主張。 |
8月末 |
徳球、西沢が北京へ密航。 |
9.2 |
吉田総理アメリカにとび、パレスホテルにアメリカ全権団訪問。西村条約局長、松井秘書官伴う。アチソン国務長官、ダレス対日講和大使、シーボルト大使、ラスク次官補などアメリカ全権団の主要メンバーが陣取っていた。日本の賠償問題、二つの中国問題、ソ連の対応等々が話し合われた。当時のソ連代表はグロムイコ。 |
9.2 |
関西棋院が東京の日本棋院から分離独立。創立者橋本宇太郎元本因坊。 |
9.3 |
ジェーン台風、近畿地方縦断。その後秋田付近で再上陸。死者336人、全半壊4万戸の被害がでる。 |
9.3 |
人民日報は、「今こそ団結して敵にあたるべきである」、「党中央の周囲に団結し、意見の相違は党内で解決せよ」(「9.3声明)という社説を発表した。この社説は、事実上徳田派の「臨中」への結束を求めていた。このたびの社説の内容は、先の友誼的勧告後一向に効き目の無かったことを踏まえて大胆に党の針路を指針させていた。これを契機に各派,再統一の動きが生まれた。 |
9.4 |
午後6時、講和会議の開会が宣言された。 |
9.4 |
党統制委が「分派活動について」を発表。 |
9.5 |
「臨中」派が「北京人民日報社説発表に際して」、「友党の批判に答えて」を発表。「全国統一委員会」派は、「『北京人民日報』9.3社説の忠告を受けて」で、双方が「9.3声明)の受け入れを表明した。 |
9.7 |
椎野「臨中」議長が「人民日報社説について」声明。 |
|
「全統委」派が「臨中」に党統一の申し入れ。 |
9.11 |
党 「全統委」派の多田、原田、遠坂、宮川、西川、松本惣一郎らの指導分子が党本部で椎野「臨中」議長と会見し、2回目の「党の統一のための申し入れ」をした。分裂後初めての公式会見となった。 |
9.15 |
「全統委」派は、「一切の分派の解消と主流派による既決処分の取り消し」を条件に両派の統一を申し入れる等9月から10月にかけて「臨中」に中央委員会の機能の回復と統一を繰り返し申し入れたが拒否された。この時「臨中」派はこの「全統委」派の申し出に対し高姿勢で臨んでいる。「全党を挙げて分派活動を粉砕せよ」(「党活動指針」9.20.第61号)と突っぱね、分派活動の自己批判を要求した。 |
9.15 |
国連軍,仁川上陸。マッカーサーが仁川上陸作戦決行。自ら艦上で指揮をとった。「5000分の1の賭けだ」といっていたこの作戦が成功し、ソウルを奪回に向けての作戦が開始された。 |
9.15 |
毎日新聞「赤追放は今月、各省、リスト作成急ぐ」と報道。 |
9.17 |
沖縄群島知事選挙で、平良辰雄が当選。 |
9.21 |
第2次シャウプ勧告。 |
9.22 |
第2次米国教育使節団、報告書を提出。 |
9.24 |
日大の職員給料を強奪した日大運転手が、恋人とともに逮捕される。逮捕直後に犯人が言ったセリフ「オー、ミステイク」が流行語となる。 |
9.28 |
米軍ソウル奪還。この日、トルーマンはマッカーサーに対して北朝鮮での軍事行動を許可した。国連軍は国連軍は38度線を越え、朝鮮戦争の目的は「北朝鮮軍による侵略の阻止」から「北朝鮮軍の壊滅」へとエスカレートした。 |
10.5 |
東京大学構内で全都のレッド.パージ粉砕総決起大会。2000名が参加。これを契機として、全国の大学に闘争が波及した。 |
10.7 |
党の徳球・野坂派の非公然紙「平和と独立」に武装闘争方針の論文「共産主義者と愛国者の新しい任務」掲載。野坂の執筆とされている。 |
10.9 |
労働省労政局通牒「企業内における共産主義分子の排除について」。 |
10.10 |
ソ連.中国両共産党の支持を得ることに成功した「臨中」派は、ますます強気になり、「悪質分子を孤立させよ」と呼号した(「10.10日5周年にさいし全党の同志諸君に訴える」)。こうなると、「全統委」派の情勢利あらず内部の足並みが乱れ始めた。 |
10.13 |
政府、戦犯覚書該当者を除く解除訴願中の1万90人の、公職追放解除を発表する。 |
10.15 |
太平洋上のウェイク島で、トルーマン−マッカーサー会談が行われた。 |
10.19 |
北朝鮮の首都ヘイジョウ陥落。国連軍は直ちに中国国境に進撃を開始した。 |
10.22 |
共産党の国際派=統一委員会解散。「党の統一回復のためにわれわれは進んで原則に帰る」を発表。内部に宮本派(蔵原,袴田,原田+中国地方委員会+新日本文学会+東大,全学連)と春日庄派(亀山,増田,関西系の労組)派の対立。〃私たち東大細胞は全学連グループと全国学生細胞とともに宮本直系の細胞である〃、〃春日は絶えず左寄りに動揺する〃と安東。 |
10.25 |
林彪将軍率いる中国人民解放軍18万が介入してきた。中国軍は鴨緑江を渡り、戦局はたちまち逆転し、アメリカ軍は再び38度戦の南に押し返されてしまった。 |
10.28 |
ラザール・レビのピアノ演奏会が日比谷で開催される。この演奏会が、戦後初の来日音楽家による演奏会となる。 |
10.300 |
「党の統一促進のためにわれわれは進んで原則に返る−全国統一委員会の解消に際して−」声明を発し、「全国統一委員会」を解消した。結成後2ヶ月に満たない歴史となった。 |
10.31 |
沖縄で社会大衆党結成(平良辰雄委員長) |
10月 |
ビラ「民族の良心をまもれ」文学者たちによるレッド・パージ反対闘争への支持表明.秋田雨雀、金達寿、中野重治ほか。 |
11.1 |
臨中、全国統一委員会の統一申し入れに対する拒否回答を発表。その後、排除された中央委員を代表して宮顕が統一促進の為の具体的方策を「臨中」に手渡す。 |
11.10 |
NHKテレビジョン実験局、週1回・1日3時間の定期実験放送を開始。 |
11.22 |
プロ野球初の日本選手権試合が開催され、毎日オリオンズが優勝する。 |
11.24 |
電気事業再編成令公布。これにより、電力9社が発足。 公益事業令公布。 |
11.28 |
総司令部が中国軍20万余が北朝鮮に侵入したとの特別声明を発表した。「この結果我々は、まったく新しい戦争に直面している」。 |
11.30 |
トルーマン米大統領が朝鮮戦争で原爆使用もあり得ると記者会見で発言。 |
11月 |
人民文学創刊(臨時指導部系)。国際派系の新日本文学への対抗誌となった。藤森成吉,江馬修らが中心.野間宏も編集に従事し、宮本百合子を暴力的に否定した。早大の学生運動は国際派に掌握されていて,私なども新日本文学を支持して,人民文学に反感を抱いていた、とある。 |
12.7 |
池田勇人(後の首相)蔵相、参議院法務委員会で、米価問題に関して「貧乏人は麦を食え」との趣旨の発言を行ない、問題化する。労農党木村禮八郎の質問に「古来の慣習によって所得の多い者は米本位、所得の少ない者は麦本位というように致したい」と答弁→「貧乏人は麦飯を食え」ということで国民の反発を買う。池田暴言(放言)の一つ。 |
12.13 |
地方公務員法公布。この年、「特需景気」おこる。この年、2眼カメラ流行。この年、女性の平均寿命が60歳を超える。 |
12月 |
宮顕ら国際派が公然分派組織「統一会議」を再発足させる。 |