戦国武将家伝書考



 更新日/2023(平成31.5.1日より栄和改元/栄和5).1.20日
 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「戦国武将家伝書考」をものしておく。

 2013.10.22日 れんだいこ拝


れんだいこのカンテラ時評bP184  投稿者:れんだいこ 投稿日:2013年11月10日

 戦国武将家伝書考

 ここで「戦国武将家伝書考」をしておく。特定秘密保護法案なるものが上程され、議論喧しい折柄、何かの役に立つ論考になると自負している。

 れんだいこは今、戦国史の研究に入っている。織田信長を経て徳川家康の履歴確認に向かっている。この時、「東照宮御實紀」に出くわし、これを現代仮名遣い表記に改めながら読み直している。ここで感心することは、当時の名ある者の武将の人物伝と家史が遺されていることである。今日これが立派な歴史史料になっている。有名なところで織田信長に信長公記、豊臣秀吉に太閤記、徳川家康に東照宮御實紀、武田信玄に甲陽軍鑑が挙げられようが、それらが各々研究上の必須手引き書となっている。これを仮に正史とすれば他にも副本がある。当然、書き手によって事件の考察の仕方、記述が異なっているが、それぞれが研究本として役目を果たしている。これを仮に「戦国武将家伝書」と命名する。

 これを思えば、近現代政治史のそれが「戦国武将家伝書」の水準に及ばないのではなかろうかと危惧する。近現代史に於いては議会制となっているので、その政権史が「戦国武将家伝書」に該当するのであろうが、紙数の割には質は劣っているのではなかろうか。れんだいこが確認するところ、少なくともガイドものと詳細ものと二種必要であるが、これさえできかねているのではなかろうか。

 今、当時の何々家を今日の政党として、政党史を確認してみたい。これをホームページで見るところ、戦後の政党に於いてこれを為しているのは自民党である。
党の歩み」(https://www.jimin.jp/aboutus/history/prime_minister/)がガイドし、その脇に歴代首相の政権史を記しており、これが詳細ものとなっている。なぜ自民党がこれを能く為し得、他の政党が為し得ないのか理由が分からない。

 逆に一番お粗末なのが社民党、共産党である。ホームページ上に党史そのものがない。社民党の場合、社会党時代の史料は「労働者運動資料室」(http://www5f.biglobe.ne.jp/~rounou/)でサイトアップされている。社民党が社会党から出自していることを思えば、せめてリンク掛けすべきであろうがしていない。社民党が党史を不要とする料簡が理解不能である。

 共産党の場合、以前は宮顕−不破系党中央からするご都合主義的噴飯ものの党史が僅かながらも記されていたと記憶するが今やそれもない。この党の場合、数多く大衆団体を持つが「歩み」を記さない芸風で共通している。手前たちがよほど賢いと己惚れているのか必要を認めていないかのどちらかであろうが、れんだいこは隠していると見立てている。この党には何せ公正明大な気風がない。

 もとへ。それに比べて「戦国武将家伝書」による歴史史料の綴りぶりはどうだろう。思うに、それは古事記、日本書紀の伝統を受け継いでいるのではなかろうか。徳川政権時代までは、この伝統が続いていたと思われる。或る政策、事件、人物に際し5W1Hの記述法に基づき克明に記している。れんだいこは、当時の日本人の優秀さ、公正堂々さを示していると見立てている。史料の質はその国の活力のバロメーターであると思っている。少なくとも「歩み」を克明に記述して歴史に晒して遺すことに何憚ることがない自負があったと思っている。

 そろそろ結論だが、それを思えば昨今の日本政治の質は何なんだと云うことになる。今、安倍政権でTPP秘密交渉、特定秘密保護法案なるものが画策されているが恥ずものはないのか。政権が何を為し、為さなかったのか、どう対応したのか、これを克明に記し遺しておくのは歴史に対する務めであるところ、これを逆に隠す側に回って恥じないなどど云うことが何に由来するのだろうか。歴史犯罪であることは間違いない。政治の粗脳化、幼稚化、私物化の為せるワザの果てのものであるが、一体、誰がこのような歴史暴力へ誘導しているだろうか。後は書くまい。

 「別章【徳川家康】
 (rekishi/sengokukinokenkyu/
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れんだいこのカンテラ時評bP185     投稿者:れんだいこ 投稿日:2013年11月11日

 戦国期の研究を通じての陰謀論考

 戦国武将家伝書考をしながらふと気づいたことを記しておく。その最たる例は本能寺の変であるが、明智光秀軍の叛旗をどう読み取るかで諸説が入り乱れている。れんだいこは、これを当時の歴史状況に照らしてバテレン陰謀説を採る。これは自然に見えてくる見立てである。バテレン陰謀説を採らない諸説に愚昧を感じ無駄な推理遊びとぞ思う。

 ここで興味深いことを確認する。陰謀説は一般に、これを批判する側から「こじつけ」、「うがち過ぎ」の由を聞く。しかしながら、本能寺の変の推理で分かるように、陰謀説のほうが素直な読み取りであり、これを採らずにあれこれの推理をする側の方にこそ「こじつけ」、「うがち過ぎ」の評がふさわしい。つまり、陰謀説批判は、手前の方が「こじつけ」、「うがち過ぎ」であるのに、陰謀説に対して手前が受けるべき批判を先回りして相手方に投げつけていることになる。これも悪質論法の一つである。この論法は案外あちこちで多用されている。

 未だ陰謀説は学説と成り得ていない。しかしながら、このことは、陰謀説が学説になるに足らないのではなく、学説の方が陰謀説を排除する特殊な政治主義に牽引誘導されている為ではなかろうか。近現代史は、れんだいこ式陰謀説が捉えるところの国際金融資本帝国主義ネオシオニズム派の権力により支配されている。最近になってこれを簡略に「国際ユダ屋」と命名している。これに照らせば、「国際ユダ屋」の許容しない研究は学説にさせないとされているだけのことではなかろうか。政治経済文化精神のみならず学問といえども「勝者の官軍論理」に導かれている。勝者側は勝者側に不都合な学問は許容しない。これが陰謀論批判の社会学的根拠ではなかろうか。

 戦国史の研究をしながら、こういうことに気付いた次第である。ここでは本能寺の変を挙げたが、13代足利将軍・義輝刺殺事件も臭い。千利休切腹事件も臭い。あれは石田光成を長とする特捜調査団により動かぬ証拠を突きつけられて切腹に追い込まれたと考えれば疑問が解ける。かの時代の枢要な事件においてバテレン派の黒幕性を見て取ることができる。仮に、だとするなら、同じ目線で現代史を捉え返す必要があるのではなかろうか。という具合に関係してきて、それ故にそういう本当のことを言うのが一番いけないこととして、それだけは言うな、ほかのことなら何でも許すという囲いの中で知の遊びをしているのではなかろうか。

 所詮、学問といっても、この程度のものではなかろうか。よって、許され囲われた知恵遊びの空間の中で難しそうに賢こげに言う者がいたら眉唾してきた、れんだいこのカンは当たりだったと改めて思う次第である。こういうこともいつか言っておきたかった。








(私論.私見)