北一輝の「国体論及び純正社会主義4」 |
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、北一輝の「国体論及び純正社会主義」の「第四編 いわゆる国体論の復古的革命主義」の第9章、第10章、第11章を確認する。 2011.6.24日 れんだいこ拝 |
【第四編 いわゆる国体論の復古的革命主義】 |
【第九章】 |
社会主義と『国体論』と云うローマ法王。社会主義の唯物的方面よりも良心の独立の急務。国体論中の『天皇』は迷信の捏造による土偶にして天皇に非ず。国体そのもの日本歴史そのものの為に復古的革命主義を打破す。現今の国体を論ず。社会主義の法理学は国家主義なり。君主主義あるいは民主主義の主権所在論と個人主義の誤謬。今日において個人主義を唱えるは前提の契約論を捨てて結論の主権論を争うこととなる。契約説の意義ありし階級国家時代。天皇と国民とは権利義務の契約的対立に非ず。中世の階級国家と近代の公民国家。政権と統治権。国家主権の法理。国体の進化的分類。君主が国家を所有せる家長国と君主が国家に包含されたる公民国家。法律学の動学的研究。今の学者が国体及び政体の分類に無益なる論争をなすは進化的研究なきが故なり。穂積八束氏と有賀長雄氏。『国法学』は歴史的研究にあらずして逆進なり。有賀博士は治らすの文字の形態発音によって今日の統治関係を太古に逆進す。文字なき一千年間は天皇と呼ばれず。古代の権利と今日の天皇の権限。国家は地理的よりもむしろ時代的に異なる。天皇の文字の内容の地理的時代的相異。法律学は文字の内容を決定するを以て重大なる任務とす。歴史によって憲法を論ずと云う穂積博士と有賀博士の僭越。俄が国体においてと云う循環論法。日本国民は万世一系の一語に頭蓋骨を殴打されてことごとく白痴となる。徹頭より徹尾までを矛盾せる白痴の穂積博士。君主主権論を取るならばザイデルの如く国家を中世の土地人民の二要素の客体とせよ。総ての君主主権論者の国家観は近代の主権体たるを表す国家主権論者の者なり。君主主権論者は国家観を中世の者に改めるか憲法第一条の大日本帝国を国家に非ざる国土人民のみと添削するか。穂積博士のほしいままなる文字の混用。皇位あるいは天皇を国家なりと命名することの結果。穂積博士は主観的に見たる国家を移して客観的に見たる天皇と等しと云う惑乱なり。穂積博士は皇位説を捨てて天皇の一身に統治権ありと云う。生命の延長と云う氏の遁路を生命の繁殖と云うことを以て追究せよ。天照大神より延長せる統治権とは天照大神より繁殖せる統治権と云うことを是認して民主主義に至る。穂積博士の議論は万世一系の国体に限らず。憲法の文字と学理研究の自由。『国の元首』の文字に対する総ての憲法学者の態度。比喩的国家有機体説は維持すべからざる比喩の玩弄なり。国の元首とは比喩的国家有機体説の痕跡にして国家学説の性質を有す。天皇は国の元首に非ず。天皇は統治権を総攬する者に非ず。今の国家主権論者の政体二大分類を絶対に否認す。機関の意義。天皇と議会とは立法機関の要素なり。最高の立法を為す憲法改正の最高機関。立憲君主政体とは平等の多数と一人の特権者とを以て統治者たる民主的政体なり。紛々たる国家主権論者の無意義なる論弁。美濃部博士の議論の不貫徹。憲法解釈において知識の基礎を国家学に求めざるよりの誤謬。美濃部博士の基礎なき国家観。統治権総攬の文字は学理の性質を有する者に非ず学者は矛盾せる条文につきて取捨の自由を有すと云うのみ。公民国家につきて政体三大分類の主張。一木博士は政体の差別よりなしと云い美濃部博士は国体の差別よりなしと云う。国体及政体の歴史的分類。国家主権論者の国体と政体とを混同するを排す。吾人は国家人格実在論の上に国家主権論を唱う。法律の進化とは実在の人格が法上の人格を認識されることに在り。国家が実在の人格にして法上に認識せられざりし家長国時代。ローマ時代の個体の観念と当時の人格の思想。君主主権論者と国家主権論者との憶説の暗闘。国民の信念における国家主権論の表白。今日の国家は実在の人格が法上の人格に認識されたる者なり。『君の為に』と云う君主主権の時代と『国家の為に』と云う国家主権の時代。今日の国家有機体説と比喩的国家有機体説。国家意識は一人にのみ有せられる者に非ず。君主の威力に非ず団結的強力と自己の画きたる観念なり。君主の基礎。井上博士と穂積博士は前提と結論とを転倒す。国家意識と政権の覚醒。原始的共和平等の時代と君主制の原始。アリストテレスの国家三分類を進化的に見よ。日本史における君主国貴族国民主国の三時代。井上博士は君主主権論を主権体の更新と云うことを以て説明す。今の総ての学者は個人主義の法理学を先入思想とす。更新する国家の分子は主権体にあらずして主権体たる国家の利益の為めに統治者となる要素なり。『社会民主主義』と云うは社会が主権の本体にして民主的政体を以て之を行使するを意味す。日本今日の国体と政体とは社会民主主義なり。社会主義は国家主権の国体の擁護者なり。政体今後の進化は国家の目的と利益とによる。国家機関の改廃作成における国家主権の完全なる自由。社会主義の法理学は国家主義なりと云う理由。法理学を離れて事実論としては政権者の意志が国家の意志なり。社会主義と強者の意志 |
社会主義と『国体論』と云うローマ法王 以上三編。社会主義に関する重要なる讒誣を排除し、その根本の理論たるべきものの大要を説述したり。社会主義の論究はかくの如くにして略々足れりとすべきなり。ただ、この日本と名づけられたる国土において社会主義が唱導せられるに当たっては特別に解釈せざるべからざる奇怪のあるものが残る。すなわちいわゆる『国体論』と称せられる所のものにして、−社会主義は国体に抵触するや否や−と云う恐るべき問題なり。これあえて社会主義のみに限らず、いかなる新思想の入り来る時にも必ず常に審問される所にして、この『国体論』と云うローマ法王の忌諱に触れることはすなわちその思想が絞殺される宣告なり。政論家もこれあるが為にその自由なる舌を縛せられて専政治下の奴隷農奴の如く、これあるが為に新聞記者は醜怪極まる便佞阿諛の幇間的文字を羅列して恥じず。
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社会主義の唯物的方面よりも良心の独立の急務 これあるが為に大学教授より小学教師に至るまで総ての倫理学説と道徳論とを毀傷汚辱し、これあるが為にキリスト教も仏教も各々堕落して偶像教となり以て交々他を国体に危険なりとして誹謗し排撃す。かくの如くなれば今日社会主義が学者と政府とよりして国体に抵触すとして迫害されるはもとより事の当然なるべしといえども、ただ嘆ずべきは社会主義者ともあらんものがこのローマ法王の面前に立って厳格なる答弁を為さざることなり。少なくとも国体に抵触すと考えうるならば公言の危うきを避けるに沈黙の道あり、然るに弁を巧みにして抵触せずと云い、はなはだしきは一致すと論じて逃げるが如きは日本においてのみ見らるべき不面目なり。特にかの国家社会主義を唱導すと云う者の如きに至っては、かえってこの『国体論』の上に社会主義を築かんとするが如きの醜態、誠に以て社会主義の暗殺者なりとすべし。吾人は純正社会主義の名において、永久に斯く主張せんとする者なり。 −肉体の作られるよりも先に精神が吹き込まれざるべからず。欧米の社会主義者に取っては第一革命を卒えて経済的懸隔に対する打破が当面の任務なり、未だ産業革命を歩みつつある日本の社会主義にとっては然く懸隔のはなはだしからざる経済的方面よりも妄想の駆逐によって良心を独立ならしむることが焦眉の急務なり。否、単に国民としても現今の国体と政体とを明らかに解得することは社会主義を実際問題として唱導する時にことに重大事なり。『国体論』という脅迫の下に犬の如く匍匐していかに土地資本の公有を鳴号するも、かかる唯物的妄動のみにては社会主義は霊魂の去れる腐屍骸骨なりと。 |
国体論中の『天皇』は迷信の捏造による土偶にして天皇に非ず しかしながら今日においては。南都の僧兵が神輿を奉じて押し寄せたる如く、『国体論』の背後に隠れて迫害の刃を揮い、讒誣の矢を放つことは政府の卑劣なる者と怯懦なる学者の唯一の兵学として執りつつある手段なり。しかして往年山僧の神輿に対して警固の武士が叩頭礼拝して慰諭せる如く、『国体論』の神輿を望みてはいかなる主義も学説もただ回避を事とするの状態なり。然れば今、吾人がこの神輿の前に身を挺して一矢を番えんとする者、あるいは以て冒険なりとすべし。しかしながら吾人は平安にこの任務に服せんとする者なり。何となれば僧兵の神輿中に未だかって神罰を加うべき真の神の在りしことなきが如く、『国体論』の神輿中に安置して、触れるものは不敬漢なりと声言せられつつあるは、実は天皇に非ずして彼等山僧等の迷信によってほしいままに作りし土偶なればなり。 すなわち、今日の憲法国の大日本天皇陛下に非ずして、国家の本質及び法理に対する無知と、神道的迷信と、奴隷道徳と、転倒せる虚妄の歴史解釈とを以て捏造せる土人部落の土偶なるなればなり。土人部落の土偶はたとえ社会主義の前面に敵として横わるとも、また陣営の後に転がり来るとも、社会主義の世界と運動とには不用にして天皇は外に在り。土偶を恐怖するは南洋の土人部落にして東洋の土人部落中また之を争奪して各々利する所あらんとするものありとも、社会主義はただ真理の下に大踏歩して進めば足る。 |
国体そのもの日本歴史そのものの為に復古的革命主義を打破す
−思想の独立の前に何のローマ法王あらんや。 吾人は始めに本編の断案として世のいわゆる『国体論』とは決して今日の国体に非ず、また過去の日本民族の歴史にても非ず、明かに今日の国体を破壊する『復古的革命主義』なりと命名し置く。吾人は古来の定論たるかかる世論の前に逆行して立つを危険なりと信ずるが故に、迫害を避けんが為の方便としてほしいままなる作造を為すに非ず。日本民族の歴史と現今の国体とは実に一歩も『国体論』の存在を許容せざればなり。嗚呼国家大革命以後三十有九年、今日微少なる吾人の如きをして、いわゆる国体論を打破せしむるの余儀なきに至れる者、抑々何の由る所ぞ。吾人は一社会主義者として云うに非ず、世界何の所においても学術の神聖を汚辱するかくの如くはなはだしき者あらざればなり。実に学術の神聖の為なり、決して社会主義の為に非ず。否! 国体そのものの為なり! 日本歴史そのものの為めなり! 先ず現今の国体を論ず。社会主義の法理学は国家主義なり。君主主義あるいは民主主義の主権所在論と個人主義の誤謬、今日において個人主義の主権論を唱えるは前提の契約説を捨てて結論を争うこととなる、契約説の意義ありし階級国家時代、天皇と国民とは権利義務の契約的対立に非ず。 現今の国体を論ず。 しかして主権の所在によって国体を分つと云う一般の学者に従って、国家が主権の本体なりや天皇が主権の本体なりやと云う国家学及び憲法法理の説明を為さざるべからず。真理は総ての者の上に真理なり。社会主義は単に経済学倫理学社会学歴史学哲学の上に真理なるのみならず、法律学の上においてもまた真理なり。すなわち、地理的に限定せられたる社会、すなわち国家に主権の存する事を主張する者なり。 −すなわち社会主義の法理学は国家主義なり。故に個人主義時代の法理学に基きて君主主義と云い民主主義と云うことは明かに誤謬なり。従来の如き意味において君主主義と云えば利益の帰属する所が君主なるを原則とし、民主主義と云えば国民が終局目的なるを論拠とす。しかして各々利益の帰属する所、目的の存する所に権利が存すと云う根本思想において個人主義なり。社会主義。法理的に云えば国家主義は国家が目的にして利益の帰属する権利の主体たりと云う思想にして主権は国家に在りと論ずるものなり。個人主義を持して今の社会的団結を見るならば、その原始においては個々に結合せずして存在せしとの憶測なるが故に当然に契約説によって説明するの外なく、しかして契約説の誤謬にして人類は原始時代より社会的存在なる事は生物学の事実なるを以て、主権の所在の意味において君主主義あるいは民主主義を論争することは理由なき事なり。 故に君主主義あるいは民主主義を個人主義時代の法理学に基きて唱えるならば、この社会国家を個人の自由独立の為に(すなわち個人の目的と利益の為めに)組織されたる者と断じ、その組織される以前においては国民各自に主権が(ルソーならば平和に、ホッブズならば各人の各人に対する闘争をなして)存在したりと想像したるものなるを以て、組織前に各自に存在すと仮定せる主権が組織後において何者に存するかを問題とするものなり。 しかしてその組織の方法は当時の思想において契約説より外なく、従って契約説が棄却されたる今日においては個人主義の主権所在論は前提を棄ててその結論を争う無意義の者となる。もとより国体論が幕末において大なる意義ありしが如く、契約説は一たび一切議論の基礎なりき。フランス革命に至るまでにおいては、今日の如く平等の法律の下に生ぜる階級に非ずして法律その者よりしての階級国家なりしが為に、議会の如きも各階級各々異なれる決議においてそれ自体の目的と利益とを持して対立し、決して今日の如き一国家としての法律にあらず、各階級の契約による一の条約的性質の者なりき。 故に契約説は個人主義の思想に執られて之を国家の起原社会の原始にまで及ぼしては根拠なき憶説に過ぎずといえども、その当時の国家の説明、法律の解釈としては避くべからざる唯一の帰結にして、またこの仮説なくしては一切の社会現象は解釈すべからざるものなりき。今日は然らず、たとえ資本家発達の為に国家の機関は一階級に独占せられ社会の階級は大割裂を隔てて相対するに至りしといえども、そは経済学の取り扱うべき所にして法律学の立脚点よりしては日本国は疑いもなく一国家なり。またたとえ藩閥が天皇を擁して自己の階級に利益ある法律を制定し議会は全く資本家の手足となってその階級の目的によって法律に協賛すとも、その一たび法律となる以上は法律学は事情を顧みず、階級を超越したる日本国の法律として見るべきは当然也。 故に中世の契約説時代の憲法は、君主と貴族、あるいは国民との条約的性質を有したるも、今日の憲法は決して契約に非ずして君主と国民とは憲法の締結を以て権利義務の関係において相対立する二個の階級にあらず。君主の行動の制限されるは国民の権利の前に自家を抑制せざるべからざる義務の為にあらずして、国民の義務を負担せしめられるは君主の要求の下に君主の権利を充さんが為にあらず。すなわち、国民の負担する義務は国家の要求する権利にして、君主の主張する権利は国家の負担する義務なり。 日本国民と日本天皇とは権利義務の条約を以て対立する二つの階級にあらず、その権利義務はこの二つの階級がその条約によって直接に負担し要求し得る権利義務に非ず。約言すれば日本天皇と日本国民との有する権利義務は各自直接に対立する権利義務にあらずして大日本帝国に対する権利義務なり。例せば日本国民が天皇の政権を無視す可からざる義務、あるは天皇の直接に国民に要求し得べき権利にあらずして、要求の権利は国家が有し、国民は国家の前に義務を負うなり。日本天皇が議会の意志を外にして法律命令を発する能わざる義務、あるは国民の直接に天皇に要求し得べき権利あるが為めにあらず、要求の権利ある者は国家にして天皇は国家より義務を負うなり。 |
中世の階級国家と近代の公民国家、政権と統治権、国家主権の法理 −これ中世の階級国家と近代の公民国家との分かれる点なり。(階級国家の中世史に付いては後の歴史解釈を見よ)。もとより今日においても法律そのものの上より、君主と云い貴族と云い一般国民と云うが如き階級的形跡のものなしとは云わず。しかしてその法律によって利益の帰属する所がある見解(特に政治学上の見解)を以て見れば君主のみあるいは貴族のみに限られるもの無しとは云わず。これ国家とは進化的生物(『生物進化論と社会哲学』において個体を定義したる所を見よ)にして国体と云い政体と云いその生物の成長に従って進化し、人為的に進化の過程を截然と区画する能わざるものなればなり。 しかしながら今日の国家を以て中世時代の階級国家と見るべからざる法理学上の根拠は中世の如く、君主あるいは貴族がそれに帰属すべき利益の主体として存せず、国家の目的の為に国家に帰属すべき利益として国家の維持する制度たるの点なり。 例えば天皇無責任の利益はある見解を以てすれば帰属する所、天皇なるかのごとく解せらるべきも、法理学上よりしては国家の目的と利益との為に存する法規なり。また貴族及びある限られたる者のみ貴族院議員たるべき権利あるは、また等しく利益の帰属する所それらの階級にあるが如く見らるべきも、国家の目的と利益との為めに存する法規なりと解することは法理的見解としては避ける能わず。もとより君主と云い貴族と云いまた国民と云い、等しくその地位に応ずる独立自存の目的を有し、それぞれ自己に帰属する利益を有するを以てもとより権利の主体たりといえども、その権利とはいわゆる政権にして、君主に在っては重大なる権限を有する皇位に付くの権利たり。貴族に有りてはまた特別なる権限を有する貴族院議員あるいはその選挙を為すべき権利たり、国民に取っては多く選挙の際に重要なる機関たる所の選挙者の地位に付くの権利なり。しかしながら皇位に付く権利、選挙者たる権利は決して主権にあらずして主権を行うべき地位に対する権利なり。 故に近代の公民国家においてはいかなる君主専制国といえども、また直接立法を有するほどの民主国といえども、その君主及び国民は決して主権の本体に非ず、主権の本体は国家にして国家の独立自存の目的の為に国家の主権をあるいは君主あるいは国民が行使するなり。従って君主及び国民の権利義務は階級国家におけるが如く、直接の契約的対立にあらずして国家に対する権利義務なり。果して然らば権利義務の帰属する主体として国家が法律上の人格なることは当然の帰納なるべく、この人格の生存進化の目的の為に君主と国民とが国家の機関たることはまた当然の論理的演繹なり。 故に階級国家時代の契約説と個人主義の仮定とを維持する者に非ざるよりは、現今の憲法を解して君主と国民とが権利義務において対立する者となし、君主あるいは国民を主権の本体と断ずるの理由無し。 |
国体の進化的分類、君主が国家を所有せる家長国と君主が国家に包含されたる公民国家
しかしながら国家は始めより社会的団結において存在しその団体員は原始的無意識において国家の目的の下に眠りしといえども(『生物進化論と社会哲学』において原人時代を論じたる所を見よ)。その社会的団結は進化の過程において中世に至るまで、土地と共に君主の所有物となってここに国家は法律上の物格となるに至れり。すなわち国家は国家自身の目的と利益との為めにする主権体とならずして、君主の利益と目的との為に結婚相続譲与の如き所有物としての処分に服従したる物格なりき。すなわちこの時代においては君主が自己の目的と利益との為に国家を統治せしを以て目的の存する所利益の帰属する所が権利の主体として君主は主権の本体たり、しかして国家は統治の客体たりしなり。この国家の物格なりし時代を『家長国』と云う名を以て中世までの国体とすべし。 今日は民主国と云い君主国と云うも決して中世の如く君主の所有物として国土及び国民を相続贈与し、もしくはほしいままに殺傷し得べきに非ず、君主をも国家の一員として包含せるを以て法律上の人格なることは論なく、従って君主は中世の如く国家の外に立って国家を所有する家長にあらず国家の一員として機関たることは明かなり。すなわち原始的無意識の如くならず、国家が明確なる意識において国家自身の目的と利益との為めに統治するに至りし者にして、目的の存する所、利益の帰属する所として国家が主権の本体となりしなり。これを『公民国家』と名づけて現今の国体とすべし。 |
法律学の動学的研究 かく国体を進化的に分類せず、国家が人格なるか物格なるかに論点を定めざるが故に、今の君主主権論者も国家主権論者も無数の矛盾撞着の上に立って意味なき争論を繰り返すに過ぎず。元来彼等は法律学の研究方法において根本より誤まる。国体と云い政体と云い決してアリストテレスの統治者の数と云うが如き形式的数字に多少の補綴を為して解せらるべき者にあらず。今日の法律学はギリシャ古代の如く静学的に思弁に耽るべき者にあらずして、国体及び政体は進化的過程のものとして、すなわち歴史的進行の社会現象として動学的に研究すべきものなり。もし今の憲法学者にしてこの態度あらば、今日の進化の程度に在るドイツ帝国の統治権が連邦各国に在りや、また帝国にありやと云うが如き論争も起らざるべく、英国を以て君主政体なりや民主政体なりやと云う議論も無かるべく、特に今日大多数の立憲君主国と名づけられるものにつきて−君主主権論者も国家主権論者も共に陥れる如き実に由々しき誤謬も存在せざるべきなり。法律現象を動学的に研究せず、国体あるいは政体を進化的に考えざるならば、古代の国体及び政体、中世の国体及び政体は全く法律学の研究外に逸出すべく、従ってその進化を継承せる現今の国体及び政体を説明する能わざることとなる。 |
今の学者が国体及び政体の分類に無益なる論争をなすは進化的研究なきが故なり 『国体論』と云う迷信を有する日本の如きはこの為なり。故に彼等の解釈はその無数に異なれるに係わらず、日本国につきて進化的考察なきが為に、今日の国体と政体とを説明する能わざるに至っては共に一なり。国家学の原理によって国家を進化的に見よ。今日の国体と政体とは明かに解せらるべく、紛々たる学者の分類が何の価値だも無きことを発見すべし。故に法学博士穂積八束氏の如きはこの点を解せざるが為に、終にサジを投じて国体も政体も分類的に取り扱うべからざる者なるかの如く云うに至る。大学筆記にいわく『国体は歴史の結果にして各国一ならず、故に一般普通の国体と云うことなし、また予め学者が国体の種類を列挙しつくすことを得ず。過去及び将来において主権の所在は歴史の結果として種々なる変動あり得べきなり。故に余は国体を説くはある特定の国、時代を論ずる者にして一般にかつ抽象的に国体分類を列挙すること能わずと信ずる者なり。我が憲法を説くに当り我国の歴史によって定められたる国体を説くの外直し』。 |
穂積八束氏よ有賀長雄氏、『国法学』は歴史的研究にあらずして逆進なり もとより穂積八束氏の如きがたとえ歴史によって国体を定むと云うともその動学的研究に非ざるは論なく、単に万国無比の歴史なるが故に万国無比の国体なりと論ぜんが為に過ぎず。しかしてそのいわゆる『特定の国』と云うことの特別なる日本国を指せしものなりとするも、そのいわゆる『特定の時代』につきては彼より何者も聞けることあらず。たまたま『国家統治の主権は万世一系の皇位に在って変ることなかりしは我国体なり』と云うかと思えば、たちまち『維新革命は主権を回復せる者なり』と論ずる如き、何の拠る所あるやを解する能わず。故にかかる歴史的知識の全く欠けたるものよりして、そのいわゆる歴史によって定まると云う我が国体の動学的説明を期待せざるべし。ただ誠に奇怪なるは天下の歴史家を以て認識せられつつある君主主権論者の一人法学博士有賀長雄氏が等しく進化的研究なきことなり。有賀博士は穂積博士と等しく君主主権論者の権威にして、等しく主権の所在は歴史によって定まると主張するものなり。しかして主張に背かずその著『国法学』の如きは緒論として日本の国民対皇室の歴史的叙述に少なからざる頁を費やしつつあり。 吾人は主権の所在は歴史によって定まることを信じ、国家主権論の基礎は全く日本歴史に求めざるべからざることを信じ、国体及び政体はただ動学的研究によってのみ解せらるべきことを信ずる者なり。しかして有賀博士が歴史家の意義を以て『日本国民をことごとく天照大神の子孫なりとしこの事実のみを以て日本国民に対する天皇主権の基礎となすは歴史を考えざる俗論なり』と喝破し、穂積博士の如き君主主権論者は博士の前には誠に価値なきものとなれる如きを見て、『国法学』が君主主権論に有力なる歴史的根拠を与うべき者なるを期待したり。恐らくは博士も期したるべし。 しかしながら今日の意味における統治権と云い統治と云い天皇と云う文字を二千五百年間同一不異の者と考え、かえって歴史的進行に反して逆進して論じ昇れるを見て、吾人は実に日本国中未だ一人の国家の進化的研究をなす者なしと断言せざるを得ず。もとより吾人といえども最古の歴史的記録たる古事記・日本紀の重要なる経典たる事は決して否まず。しかしながら有賀博士の如く神武紀元後十四世紀後なりと云うそれらによって、しかも『夫の豊葦原の瑞穂国は我が子孫の王たるべき地なり、爾皇孫就きて治らせ、宝祚の隆えまさんこと天壌と共に極まりなかるべし』の僅少なる一言を論拠として一学説の根本思想となすは明かに不謹慎極まる独断論なり。かかる十四世紀後の中国文字にて『王』と云い『治らす』と書かれたりとも、その文字の形態発音の似たるが為に今日の『統治権』に当てはめて十四世紀前の太古と十世紀後の今日とを一縄に結び付け得るや。古事記・日本紀に至るまでの十四世紀間に渉る長き間は−少なくとも外国文明に接触するまでの十世紀間は全く文字なく、前言往行存して忘れず縄を結びて事を記したりと称せられる程の原始的生活時代なりしぞ。之を仮定して下の如く考えよ。 |
有賀博士は治らすの文字の形態発音によって今日の統治関係を太古に逆進す もし今日以後十世紀間文字なく、火星との交通によりて火星の文字を以て十四世紀後に明治歴史が書かれたりとせよ。十四世紀後の火星の文字の古事記・日本紀に表れたる火星の『王』『治らす』と云う文字を以て明治の統治関係を説明するを得べしと思うや。今日の吾人が仮に縄を結びて記録とし、その縄が十世紀間腐朽せざるほどの金属なりとするも、また吾人の頭脳が驚くべく進化して十世紀間の前言往行が言語によって祖父の口より孫の耳に伝へられて誤りなしとするも、火星の文字は火星の思想を表し、十四世紀後の進化せる国民は十四世紀後の思想を以て火星の文字を使用すべし。 然らば、有賀博士が、王と云う文字が国王の王に似、治らすと云う文字が統治の治に似たるが為に、かかる文字なき時代の太古とその文字の用いられたる中国文明の輸入時代と、更に欧州文明の今日に使用される全く異なれる統治権の思想とを変遷進化なき者と独断して、今日の統治関係を以て原始的生活時代の文字なき数千年前まで逆進してはばからずとは、すでに歴史家の資格において皆無なるを知るべし。 |
文字なき一千年間は天皇と呼ばれず 吾人は断言す。−王と云い治らすと云う文字は中国より輸入せられたる文字と思想とにして原始的生活時代の一千年間は音表文字なりや象形文字なりや、はた全く文字なかりしや明らかならざるを以て神武天皇が今日の文字と思想において『天皇』と呼ばれざることだけは明白にして、その国民に対する権利も今日の天皇の権利あるいは権限を以て推測すべからざる者なりと(吾人は文字無き一千年間の原始的生活時代は政治史より除外すべきを主張する者なり、かの歴史解釈を見よ)。 |
古代の天皇の権利と今日の天皇の権限 かく文字の形態発音において同一ならば内容も古今異ならずとの歴史家なるが故に、家長として土地人民を所有せし時代の天皇の権利を無視し、雄略がその臣下の妻を自己所有の権利において奪いし如き、武烈がその所有の経済物たる人民をほしいままに殺戮せし如き、後白河がその所有の土地を一たび与えたる武士より奪い、その寵妾に与えし如き、かかる所有権の主張を今日的天皇の権利を以て逆進して論じ、以てあるいは暴逆無道なりと云い不仁違法なりと云うにいたるなり。 当時の天皇は今日と全く意義を異にせる国家の所有者と云う意義にして、人民は人格にあらず国土と共に天皇の『大御宝』として経済物なりしなり。しかしてかかる歴史家のある者は当時の天皇の権利を認識して、かかる逆進的批判を為さざることありといえども、しかもかえって当時の天皇の権利を以て今日の天皇に粘着的に論下し、なお国土及び人民を自由に与奪し殺活するを得べき家長なるかの如く云う。 今日の天皇は当時と全く意義を異にせる国家の特権ある一分子と云うことにして、外国の君主との結婚によって国家を割譲する能わず国家を二三皇子に分割する能わず、国民の所有権を横奪して侵害する能わず、国民の生命を『大御宝』として毀傷破壊する能わず、実に国家に対してのみ権利義務を有する国民は天皇の白刃に対して国家より受くべき救済と正当防衛権を有するなり。すなわち等しく天皇の形態と発音とあるも、今日の天皇は国家の特権ある一分子として国家の目的と利益との下に活動する国家機関の一なり。 更に詳はしく云えば、維新に至るまでの天皇は維新後の天皇の如く日本帝国の統治機関にあらずして、理想においてのみ之を以て自ら任じたりしといえども、法律上の事実においてはその所有の人民を物格として所分するを得たる家長君主なりき。故に天皇の最も強大なりし時は日本全国に及びて(例えば藤原氏に至るまでの如し)、その微弱なるときはその勢力範囲の内において(例えば頼朝以後の如し)、その所有せる国土及び人民は天皇の目的と利益との下に存在し、天皇は目的の存する所利益の帰属する所として統治権の主体なりき。(後の歴史解釈を見よ)。 |
国体は地理的よりもむしろ時代的に異なる −実に日本の国体は数千年間同一に非ず、日本の天皇は古今不変の者にあらざるなり。然るに中世の家長国時代において、当然の権利として主張せしルイ十四世の「朕すなわち国家なり」との言を『我が国体においては』との前置の下に西洋においては不当なるも我国体においては不当ならずとして、今日の国体において唱えんとする者のありとは何たる事ぞ。ルイ十四世の言は西洋においても当時の国体においては不当にあらず。我国体においても中世までは不当にあらず。しかしながら之を今日の国体において唱えるならば、その西洋なると日本なるとを問わず、単に不当なるのみならず明かに国家に対する反逆なり。 −彼等は国体とは横に異なるのみならず、縦に異なる事を知らざるか。彼等は数十日にして達すべき外国と日本とが天地の別ある国体なりと論ずるならば、当然の推論として数千年間を隔てたる昔と今とが国体において全く同一不変なりと考えうるの根拠なきに至る事を心付かざるか。彼等は等しく天皇と云い皇帝と云うも、ロシアの天皇とトルコの天皇とベルギーの天皇との異なれることを知れるならば、また等しく天皇と云うも神武天皇と後醍醐天皇と明治天皇との全く内容を異にせる者なるべきに考え及ばざるか。 彼等は文字の発音が類似すればミゼレブルと云う英語の悲惨もミゾレフルと云う日本語の「霙降る」も、ソージャと云う兵士も「然うぢや」と云う合点も同一なる意義にして、文字の形態が同一ならば鎌倉時代の主従関係を意味する臣僕も、今日の君僕失敬の臣僕も決して相違なき意義の者にして、友人間の無作法も恐くは失敬罪重禁錮五ヶ年に値すと考えうる者なるに似たり。 |
天皇の文字の内容の地理的時代的相異、法律学は文字の内容を決定するを以て重大なる任務とす、歴史によって憲法を論ずと云う穂積博士と有賀博士の僭越 由来、法律学においては文字の内容を決定するを以て最も重大なる任務となすものなり。他の自然科学等においては酸素水素と云い、胃心臓と云い文字そのものが地理的にまた時代的に変化する者にあらざるが故に、術語の内容を決定することを以て、研究の焦点とする社会的諸科学とは大に異なる。特に社会諸科学の中においても法律学においては、その社会の進化しその社会現象の異なるに係わらず、依然たる同一の形態発音の文字を継承して使用する者なるを以て、文字の内容を定めることその事が殆ど終局目的なり。 法律の歴史的研究者によっては殊の外にこの点において厳粛なるを要す。果して然らば『天皇』と云う語の内容が数千年の長き間において変遷限りなかりしことを忘却しては、そのいかに歴史によって憲法を論ずと云うとも誠に僭越を極めたる標榜たるに過ぎざるを知るべし。−故に穂積博士は現今の天皇を以て土地人民を所有せる時代の天皇の如く解し、有賀博士は文字なき時代の神武天皇を以てある時代の統治権を所有権として有する天皇と考えうるに至れるなり。国家の進化的分類と云う吾人の主張はここに存す。 |
我が国体においてと云う循環論法 しかしながら今の憲法学者といえども西洋諸国の国家を歴史的進化に従って時代的に分類せざるにはあらず。ただ、我が日本国を論ずるにおいてのみ常に古今の差別を無視して『我が国体においては』と云う特殊の前置きを以て憲法論の諸論より結論までを一貫すとは抑々何の理由に基くぞ。 −『万世一系の皇統』と云うことのあればなり。日本国民はこの万世一系の皇統と云うことのあるが為に、西洋諸国においては国体及び政体は歴史の進化に従って進化せるも、日本民族のみ進化律の外に結跏趺坐して少しも進化せざる者なりと考えつつあるなり。故に日本の憲法学者においては、国体を憲法論において論ずるは我が国体はいかなる国体か、すなわち主権は何処に所在するかを決定せんが為なりと云うにその解釈としては常に必ず、万世一系の我国体においては主権は天皇に在りと一貫す。これ少しも解釈に非ず、万世一系の天皇に主権が所在するが故に主権は天皇に在りと云うものなり。 |
日本国民は万世一系の一語に頭蓋骨を殴打されてことごとく白痴となる、徹頭より徹尾までを矛盾せる白痴の穂積博士
甲が年齢を問われたるに乙と同じと答え、更に乙を問われて甲と同じと答うる問答の循環なり。笑うべきは法律学者のみに非ず、倫理学者にても哲学者にても、その頭蓋骨を横ざまに万世一系の一語に撃たれてことごとく白痴となる。日本において国家の進化的分類なきはこの故なり。 万世一系の皇統につきては後の歴史論において明瞭に説かん。ただここには憲法学においてこの万世一系の一語を一切演繹の基礎となす穂積八束氏を指定すれば足れり。博士の頭脳はこの語の打撲によって憐れむべき白痴となり、憲法に係わる総ての事が連絡もなく組織もなく、自ら述べて自ら打ち消し先に主張して後に打破し、たちまち高天が原に躍り上がって神集いの神道論をなし、直ちに転落して神話の科学的研究者となる。特にはなはだしきに至っては主権本質論において全く君主主権論者の地位を棄てて国家主権論者に一変し、その歴史論と見らるべき言においても、あるいは天皇主権論を唱える如く、あるいは幕府主権論を唱える如し。 本編は博士が国体論の首領的代弁者なるが故に最も多く議論を及ぼしたる者なり。あるいは吾人は博士を能うだけ精密に研究すべき必要のために、その世に出したるだけの著書も見、諸雑誌に掲げられたる殆ど総ての論説も見、年々歳々花相似たる大学及び他の私立大学の講義筆記をも見たり。しかしながら矛盾撞着せる言語の羅列の中より一貫せる思想を見出す事の不能なるは論なく、万世一系の一語に打撲せられたる頭脳よりしては、いかなる精神病医も意味を取る能わざるべきなり。否、博士は実に国家の観念において国家主権論の国家観を執る。 |
君主主権論を取るならばザイデルの如く国家を中世の土地人民の二要素の客体とせよ この点はあえて穂積博士のみに限らず。総ての君主主権論者は誠にその国家の定義において近代国家の者を窃取して恬として気付かざる者なり。穂積博士及び総ての君主主権論者はその憲法学を組織するに『統治の主体』と『統治の客体』とに分つ。しかして統治の主体を天皇とし、統治の客体を国土及び人民と為す者なり。もし彼等にして吾人が先に中世の国家とは国土及び人民にして君主の目的と利益との為に存する物格なりしと云いし如く、すなわち君主主権論者のザイデルの如く国家とは国土及び人民の二要素にして天皇は国家の外に在って国家を統治する者なりと云うならば、憲法第一条の『大日本帝国は万世一系の天皇これを統治す』とある大日本帝国とは国土及び人民の二要素にして中世時代の物格の国家なり。君主主権論を取り、統治の主体と統治の客体とに分つならば、統治さるべき所の大日本帝国なる者は中世時代の二要素なる国家ならざるべからず。然るに穂積博士及び今の総ての君主主権論者は全く近代思想の国家観を執りてかえってザイデルを排す。穂積博士はいわく、国家とは一定の土地に住する人類社会にして統治者と人民とによって組織されたる者なりと、いわく国家とは主観的に見れば統治権の主体なりと。 |
総ての君主主権論者の国家観は近代の主権体たるを表す国家主権論者の者なり。君主主権論者は国家観を中世の者に改めるか憲法第一条の大日本帝国を国家に非ざる国土人民のみと添削するか 実に、国家を主権的に見れば統治権の主体なりとはこれ国家が統治の主体なることを主張する国家主権論の思想に非ずや。国家とは統治者と人民と土地との三要素なりとの思想は、君主が国家を所有物として贈与し相続せし中世時代には無き国家観念にして国家主権の近代国家にあらずや。何となれば三要素ある国家ならば君主そのものをも包含せるを以て君主が国家を贈与し相続することは、自己そのものをも同時に贈与し相続すと云う意義なきこととなるべく、中世時代の君主が国家の所有者たる思想において『朕の国家』と呼ぶときは、その国家とは二要素の者なりしを以てなり。 すなわち中世においては君主を法理上国家の外に置きて国家を統治する主体となし、国家はそれによって統治される客体たりしに反し、博士等の執れる近代思想においては君主を国家の一要素として、すなわち国家を組織する一員として国家の内に包含するものなり。国家の外に在っては国家を所有するを得べく、また国家を統治するを得べく、従って国家は君主の所有物たり統治の客体たりき。国家の内に在るならば国家を所有する能わず、包含されたる一分子はその分子を包含する所の国家に対して所有権を主張し得べき統治の主体たる能わず。故に統治の主体と統治の客体とに分ちて君主主権論を主張するならば、第一条の大日本帝国を中世時代の物格たる二要素の国土及び人民とすべく、然るに国家を人格となし統治権の本体となすならば第一条の大日本帝国は三要素ある主権の本体にして下の如く解せざるべからず。いわく、統治権の本体たる近代国家め大日本帝国はその統治権を万世一系の天皇によって行使すと。 |
君主主権論者は国家観を中世の者に改めるか憲法第一条の大日本帝国を国家に非ざる国土人民のみと添削するか そのうえ。天皇を統治の主体となしながら大日本帝国を三要素ある近代国家となすならば第一条は添削されて、一国家にあらざる大日本の国土及び人民は万世一系の天皇之を統治すと書き替えられざるべからず。何となれば三要素ある近代思想の国家観を取るを以て、これ大日本帝国中に博士等のいわゆる統治者たる所の天皇をも包含せるものにして、之を主体と客体とに分ち天皇を統治の主体となすは、これ一要素を国家の外に置くものにして憲法の明示したる大日本帝国とは一国家にあらず、単に国家の二要素たる所の国土及び人民のみとなればなり。すなわち国家を以て統治者を包含せる三要素の者とせば、更に統治者たる天皇が統治者を包含せる大日本帝国を統治すとは解すべからざることとなるべく、憲法第一条の大日本帝国は万世一系の天皇之を統治すとある帝国も天皇も、共にその統治すと云い統治せらると云うに係わらず、統治の要素を各々有することとなる。 約言すれば穂積博士及び他の総ての君主主権論者は両刀論法に陥れるものなり。すなわちザイデルの定義の如く国家とは土地及び人民の二要素なりという中世の国家観を執るか、国家を三要素ある近代思想に持して統治の一要素を万世一系の天皇が持ちて憲法第一条の大日本帝国とは国家にあらず国土及び人民なりとして添削するか。 |
穂積博士のほしいままなる文字の混用、皇位あるいは天皇を国家なりと命名することの結果、穂積博士は主観的に見たる国家を移して客観的に見たる天皇と等しと云う惑乱なり
しかしながらかかる両刀論法は穂積博士のみに対しては効果なきものなり。何となれば博士が主観的に見れば国家とは主権の本体なりと云う事は三要素ある国家の大日本帝国を云うものに非ずして、そのいわゆる一要素の在る所天皇を指せるものなればなり。すなわち憲法第一条の大日本帝国と明示されたる国家を統治権の本体とせずして、万世一系の天皇を統治権の本体なりとし、従って天皇を国家なりと命名しつつあるものなればなり。 しかしながらかかる混乱せる文字の使用は思想を秩序正しく排列する方法なりと云う定義の目的に反するのみならず、思想の根底より混乱せしむることにおいて徒らに法律学を撹乱するに過ぎず。近代国家の産物たる憲法において帝国とあらば博士等の定義する如く三要素ある近代思想の一国家なるべく、万世一系の天皇とあらばまた等しく断絶せざる皇統の天皇たるべし。 然るに博士の如く、国家主権論の国家観たる国家とは主権的に見れば統治権の主体なりとなし、従ってその主体たる天皇をほしいままに国家なりと命名するならば、日露戦争は国家の戦争にあらずして天皇一人の戦争となり六万の死者を出したる者は万世一系の天皇なりと論ぜざるべからず。かかる方法において文字を使用するが故に、今の国家主権論者も博士を上知の移らざる者として優遇するの外なきなり。 吾人が今日国家と云う思想を各々の国語によって口より耳に送る時、その思想は必ず一定の領土の上に政治的団結を為せる人類社会なりと云う近代思想の国家観なるは論なく、然るを況んや国家と云う時にアメリカ人が議会を思い出し、フランス人が選挙人を考え浮べざる如く、吾人が大日本帝国と云うときに博士の如く皇位もしくは天皇を想起するが如き事あらんや。もし博士の如く皇位すなわち国家なりと云わば、あるいは高御倉なる者の上に田畠あり牛馬あるべく人民も往来すべく種々の建築物もあるべく、しかしてイタリアの皇位は長靴の如く、日本の皇位は一千哩に渉る蛟竜の如しと考えうる小学校生徒も無きに非ざるべし。 またもし博士の如く天皇すなわち国家なりと云わば、国家に美男子もあるべく頗る長芋に似たる面相もありと云うべく、国家が鼻を垂らし居る時代もあるべく頭が追々禿げる国家もありと云うに至るべし。ドイツの国家は愚を極めたる鬚を有して驕慢に満ちる演説をなし、英国の国家は一婦女子と婚して接吻することあり。君主が傷くときには国家が痛しと呼び、君主が散歩するときには国家は散歩すべく、また君主が他に漫遊するときには国家は地球の上を移動し、他の国家と衝突し他の国家の表面を滑べり行くべし。しかしてかの治療の時にその足を断つや国家は今その足を失うと云いしフレデリク三世の言は穂積博士の憲法学において引用を忘れるべからざる権威たるべく、特に権威中の権威たる朕すなわち国家なりと伝えるルイ十四世の言を証明せんが為に博士はラテン語の古書より博引旁証してルイ十四世の森蘭丸が国家の脱糞に侍りて国家の放屁を数へたる効によって匕首を賜りたりと云うが如き事実を指示せざるべからず。 医学者が胃を主観的に見れば心臓と云い、客観的に見れば膀胱と名づくとしては解すべからざる如く、主観的と云い客観的と云うことは博士の如く全く異なりたるものに使用さるべきに非ず。主観的に見たる国家を移して客観的に見たる天皇と等しとは何たる惑乱ぞ。 −国家を主観的に見れば統治権の主体なりとの言は、国家の主権体なることを主観的に指示したる国家主権論にして、客観的の天皇を主観の本体なりと主張する君主主権論者に取られて天皇を国家なりと命名せしめんが為めの語に非ざるなり。 |
穂積博士は皇位説を捨てて天皇の一身に統治権ありと云う、生命の延長と云う氏の遁路を生命の繁殖と云うことを以て追究せよ、天照大神より延長せる統治権とは天照大神より繁殖せる統治権と云うことを是認して民主主義に至る しかしながら穂積博士の本来は主権の本体を以て皇位なりとせる者なり。しかして総ての国家主権論者及び君主主権論者のある者−例えば京都帝国大学教授法学博士井上密氏の如き−によって皇位とは国家の制度たることを充分に打破し尽くされて、今日は天皇の肉体そのものに統治権の存することを主張しつつあるが如し。しかしてこの点を国家主権論者の捉えて、然らば天皇の死と共に国家は滅亡すべしと云う駁撃に対して、穂積博士の答弁は誠に巧妙なり。いわく、天皇は死する者にあらず、万世一系連綿として延長したる天照大神その者の生命なりと。 実に、生命の延長と云うことを科学的意義において主張し以て国家主権論者の非難の上に超越したるは誠に巧妙なるものなり。個体は延長を有して永久に死せず、天照大神の生命は万世一系永久に死するものにあらず現に今日現在生きつつあるなり。(『生物進化論と社会哲学』において個体の延長を論じたる所を見よ)。故に吾人はそのいわゆる天照大神に博士のいわゆる主権なる者の存したりしや否やを問わずして、仮に今日の天皇の一身に博士の主権なる者の存すとせば皇統の万世一系なる間は主権は断絶せざるべく、従って博士のいわゆる国家は死する者に非ざることを充分に認識する者なり。 しかしながら個体は無限の延長を有すと共にまた無数の繁殖を為す。これ博士等にとっては由々しき大事にして法皇、上皇、天皇と個体の繁殖によって、しかもことごとく生存せる間は各完全なる統治権の主体が三個存在して相対立したることなるべく、その崩ずるや各々その肉体を担いで墓穴に運び去りしなるべし。しかして博士は統治権の主体すなわち天皇にして国家なりと云うを以て当時の日本国とは三個の国家なりしなるべし。またかの遠島に流罪せられたる天皇も統治権の主体にして国家なるを以て国家が謫居において死したることとなり、かの落髪せる天皇は統治権の主体を法衣に包みて寺院に入り、円頂の大日本帝国が木魚を叩きて唱名したるべき理なり。 −穂積博士は然りと云わざるべからず。何となれば博士のいわゆる生命の延長と云うことが皇位説の困難によって発見せられたる遁路なるを以て、それらの天皇が皇位を去れりと云うことによって統治権の主体に非ずと論ずる能わざればなり。しかしてまた天皇の生命が長子によって延長されるかあるいは第二第三の皇子等によって延長されるか老少不定なるを以て、皇太子のみの生命に統治権が伝わりて他の皇太子に伝わらずとしては皇太子の廃位あるいは早世の時に、統治権を延長されたる生命なくしては統治権の本体なく天皇なく国家なきに至るを以て総ての皇子に統治権は肉体の一部として延長されざるべからず。故は景行天皇は七十二人の皇子を産めりと云うを以て七十二の統治権の主体あり生命の延長されたる国家あるべく従ってその七十二皇子の地方に土着して土豪となり群雄となって興廃し、後の封建貴族となりし者は皆天皇の統治権の延長し繁殖せし者なるべきなり。 −穂積博士は然りと答えざるべからず。何となればもし之を否定するならば皇室以外の者にして、例えば蘇我稲目の産める敏達の皇后たりし推古天皇の統治権の如きは天皇より延長せられたる生命にあらず、稲目の生命の延長なるを以て蘇我氏の祖先武内宿禰に生命を延長したる孝元天皇の統治権によって説明せざるべからざればなり。すなわち、今日以後においても直系なき時は傍系を以て継承するは皇室典範の規定にして、特に今日までの万世一系とは決して直系に直下して幅狭きものに非ず、無数の傍系より傍系の間を透遅としてたどり来たりはなはだ幅広き者なるを以て、天皇の叔伯にも天皇の甥姪にも、更にその叔伯の叔伯にも甥姪の甥姪にも、生命と共に統治権は伝わり居るべく、従って田野に陰れし継体天皇、源氏に降りし光孝天皇にも統治権が生命と共に延長し繁殖したる如く、清和の末たる源氏、桓武の末たる平氏は決して博士等の考えうる如く乱臣賊子に非ず、天皇の生命の延長による正当の統治者なりと論ぜざるべからず。終には博士等のいわゆる天照大神より分れたりと云う君臣一家論なる者によって、四千五百万人皆ことごとく天照大神の生命の死せずして延長せる考なるを以て皆ことごとく主権の本体なりと論ぜざるべからず。 −これ民主主義にあらずや、『同一民族は民主主義に至る』と云う者に非ずや。(かかる推理は決して博士を侮弄するが為めにあらず、後の歴史解釈において系統をたどりて政権覚醒の歴史的に拡張するを論じたる所に対照して見よ)。然れば博士といえども然り々々と為してかかる推論の後に尾行して民主主義の世界にまで誘われる者に非ざるべく、従ってある所に停立せざるべからず、すなわち天照大神の生命の繁殖し延長したる者の中、特に天皇の位に即きし者のみ統治者なりと云うことなり。 しかしながらこれ天皇の肉体に統治権ありと伝える主張を捨てて先に逃遁せる皇位に統治権在りとの説に再び逃げ返れる者、しかして皇位説は国家主権論者の駁撃によって維持すべからざるは博士自身の之を棄却したるにて知るべし。いわく、皇位とは国家の制度にしてこの国家の制度によって皇位に即き始めて統治権を行使するを得、この皇位に付くの権利はまた国家の制度によってある限られたる系統の者の有する権利にして、皇位に即きて行う権利は国家が国家の目的と利益との為めに行う国家の権利なり。 |
穂積博士の議論は万世一系の国体に限らず そのうえ、もし穂積博士の如く統治権は天皇の一身に存し個体の延長と云うことによって永久に死せずと云うならば、あえて万世一系の我国のみに限らず、三世にて亡びたる者も三世間統治権は生命と共に延長せるものにして、英独といえども子孫の断絶せざる間は皇位が統治の主体にして、天皇すなわち国家なるべく終身の力を注ぎて『万国無比の国体を論ずるなり』『日本歴史によって定められたる憲法を論ずるなり』『比較類推の如きは無要なり』と論ずるの要無かるべきなり。由来、万世一系の一語の為めに一切の判断を誤まり、日本国のみ特殊なる国家学と歴史哲学とによって支配されると考えうる事が誤謬の根底なり。いうまでもなく人種を異にし民族を別にするは特殊の境遇による特殊の変異にして人種民族を異にせる国民がそれぞれ特殊の政治的形式を有して進化の程度と方向とを異にせるは論なきことなりといえども、あたかも鎖国時代の人種民族を異にする者は人類に非ずと考えたる如く、些少の特殊なる政治的形式によって日本国のみは他の諸国の如く国体の歴史的進化なき者の如く思惟するは誠に未開極まる国家観にして、依然たる尊王攘夷論の口吻を以て憲法の緒論より結論までを一貫するは誠に恥じずべき知識の国民なり。故に総ての君主主権論者はその国家観が社会の進歩に従って近代思想の者なるに係わらず、なおかつ万世一系の一語あるが為めに国家主権者の根本思想の上に君主主権論を築き、特にその代表的学者たる穂積博士の如きは天皇も皇位も国家も一切を無差別に混同するに至れるなり。博士の憲法第一条を博士の思想によって組織し見よ、誠に下の如き奇怪を極めたる者となるべし。いわく、国家に非ざる大日本の国土及び人民は(然らずんば人格なき国土及び人民の二要素なる中世時代の大日本帝国は)、君主の利益と目的との為めに存する私有地と奴隷にして、万世一系の大日本帝国之を統治す。皇位あるいは天皇は大日本帝国なりと。 |
憲法の文字と学理研究の自由
実に今の総ての君主主権論者はその執りつつある近代思想を棄却して中世の国家観に改めるか、然らずんば憲法第一条より添削するかの何れかならざるべからず。 しかしながら誤解すべからず。吾人は決して憲法学の学理を法文の文字によって定むべきものとなしてかかるジレンマを設けるものにあらず。故に今の総ての君主主権論者にして憲法第一条の大日本帝国とあるを添削して国家に非ず単に土地と国民のみと改めるとも、もとより学者としての自由たるべきなり。何となればいかなる憲法も法文の文字その侭を以ては決して解釈せられ得べきものにあらずして、憲法の解釈とはその根本思想とその表白たる多くの法文とが円滑に考察さるべく、その法文の文字の意義を決定することに在ればなり。故に、万世一系の天皇とあるを穂積博士の之を万世一系の大日本帝国と解釈することの自由なるが如く、また氏を除きて今の総ての憲法学者の『天皇は神聖にして犯すべからず』とある神聖の文字を歴史的踏襲の意味なき者として棄却しつつある如く、吾人はまた学理研究の自由によって憲法第四条につきて大に論議せざるべからず。すなわち天皇は国の元首にして統治権を総攬しこの憲法の条規によって之を行うとある条文なり。
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『国の元首』の文学に対する総ての憲法学者の態度 問題は『国の元首』の一語に集まる。もし『国の元首』と云う語が神聖の文字の如く単に歴史的踏襲の痕跡ならば、学者は注意を払はずして経過して可なり。何となれば、これあたかも第一条が『桜花爛漫たる大日本帝国は叡聖文武なる万世一系の天皇之を統治す』と書き表はされたりとも、桜花爛漫と云い叡聖文武と云うが如きは法律学に取っては意義なきものにして、桜花なければ帝国たるの要素に欠け叡聖文武ならざれば皇位に付く資格なしと云う性質の者に非ざるが故に、法律学者としては之を削り去りて考えうるは当然なると同一なるを以てなり。『国の元首』とはかかる意味の者に過ぎざるや、吾人は之を信ずるものなり。然るに今日日本の憲法学者の総てはこの一語を思想の中心として議論を組織しつつあり。穂積博士の如きが之を執りて権威となすはもとより、同じき君主主権論者たる井上博士の如きは『国家神識の宿る所なり』として之を以て日本の国体を定め主権の天皇に存する唯一の論拠とす。しかして他の国家主権論者なる者といえどもその国の元首と云うが故に国家の最高機関なりと論じ穂積博士と対抗して国家主権論の頭首たる東京帝国大学教授法学博士一木喜徳郎氏の如きは之を以て政体分類の基礎となし、国家は主権の本体にして日本の政体は君主政体なりと論ず。実に『国の元首』の一語は今の憲法学者に取っては思想の根本たる者なりとすべし。 |
比喩的国家有機体説は維持すべからざる比喩の玩弄なり しかしながら問題は『国の元首』と云う語の字義を論争することに非ずして、一層深く国家に元首ある者なりや否やを疑わざるべからず。国家に元首ありや、しかしてその元首はいかなる者なりや。この点において吾人は井上博士の国家有機体説を持して議論の基礎となしたるを嘉せざる能わず。吾人はもとより国家有機体説を主張する者なり。しかしながら吾人の今日において主張する国家有機体説と、井上博士の執る『国の元首』と云う語の用いられたる時代の国家有機体説とを同一視することあらば、実にアラビア僧侶の錬金術と十九世紀後の化学とを混同するが如きなり。 吾人が『生物進化論と社会哲学』において述べたる如く、国家とは空間を隔てて人類を分子とせる大なる個体なり。すなわち個体それ自身の目的を有して生存し進化しつつある有機体なり。この今日に唱えられる真正なる国家有機体説は、『国の元首』と云う文字の用いられたる時代においては全く発見せられざりし真理なり。すなわち、かのフランス革命頃まで唱導せられたる偏局的個人主義の帰結として国家あるいは社会を人為的製作物の如く全く機械視したる独断に反動して、他の独断、すなわち単に国家は機械的のものにあらずして生命あるものなりと言はんが為に国家を一個の生物に比較し以て之を国家有機体説と名づけたるに過ぎざるなり。 しかしてこの比喩は児戯に等しきまで玩弄せられたり。例えば領土は骨格にして人民は筋肉なりと云うが如き、郵便電信は神経系統にして動脈静脈等は鉄道船舶なりと云うが如き、軍人は爪や牙の如き者にして音楽家演説家は舌の如き者なりと云うが如きこれなり。しかしてこの比喩的国家有機体説の悦ばれたりし者は頭首に比較せられたる皇帝や政府にして手足に比較せられたる労働者階級こそ最も不幸なる者なりき。 |
国の元首とは比喩的国家有機体説の痕跡にして国家学説の性質を有す、天皇は国の元首にあらず しかしながら偏局的個人主義の機械的国家観の独断なるはもとよりなると共に、かかる独断的比喩がしばらくたとえ反動たりしとも長く学界に存在すべき者に非ざるは論無し。実に国家有機体説を今日の真理において唱えず、かかる首足胴腹ある一匹の生物と云う比喩に執るならば、演説家の軍人となるは舌の一変して爪となることにして、手足の労働者階級が元首たるルイ十六世の首を刎ねしが如きは、自らの手にて自らの首を抜きしかもかえって活溌に生活する奇怪極まる生物なりと云わざるべからず。 外国の無用なる君主等は驕奢を極めたる生活を為し一年三千万円五千万ドルの王室費を浪費つつあるが故に、自己の手足を喰う所のタコに比する事は大に当を得たるべしといえども、斯くては天皇をタコ坊主なりと推論するに至るべく、井上博士は外国において之を主張するを得べきも日本の法律は許容せざるなり。(日本の現天皇が諸外国の君主等と同一視すべからざる事は後に説く所を見よ)。あるいは今日の国家は陸海軍を以て外部を警護しつつあるが故にホッブズのリヴァイアサンに比せんか、その鰐魚の如き甲殻は似たりといえども、ドイツの鰐魚の元首にカイゼル髭ありとはまた奇怪なる生物なり。馬に比すれば国家に尾はなしと云うべく、牛に比すれば天皇に角ありと論ぜざるべからず。 吾人は実に『国の元首』の一語を中心としてあるいは君主主権論を唱えあるいは国家機関論を唱える今の総ての憲法学者に反省を要めざるべからず。国家はいかなる動物に比喩すべく、国家の元首をいかなる動物の頭に比較すべきや。もし日本の憲法が伊藤博文氏によって起草せられ伊藤氏はシュタインの糟粕をなめて帰朝せしがゆえに、シュタインのいえる如く国家は高等なる人類なりと云うか。 しかしながらルイ十六世は断頭台に元首を断たれてその高等なる人類の頭となりしといえども、日本の天皇においては、決して人類の元首のみにあらずして、いささかの欠損なき完全なる一人類にあらずや。比喩的国家有機体説を最も極度まで推究せしはブルンチュリーにして、教会を女性に、国家を男性に比較したり。今の憲法学者にして『国の元首』の語を棄却せざるならばこれ比喩的国家有機体説を是認するものにして、しかして元首のある生物にアメーバの如く無性生殖の者非ざるが故に、必ずブルンチュリーの如く国家が何等かの性なるかを定めざるべからず。 問う、日本国と云う生物は男性か女性か、ブルンチュリーに従って男性なりと答うべし。然らばオランダは如何、男性の国家に女性の元首あるに非ずや。しかして更に見よ。英国と云う男性の国家にはかってヴィクトリアと云う女性の元首が付き今日現皇帝の即位によって男性の頭と変りたるははなはだしき奇怪なる生物なるべく、しかしてかかる生物は人類種族中にはそのいかに高等なりとも見られざる所の怪物にして、日本の歴史を顧みるにまたこの奇怪なる生物たるを免れざるに非ずや。然らば国家は牛馬にも非ず、鰐魚にも非ず、有性生物にもあらず高等なる人類にも非ず、『国の元首』とは人類の頭にも非ず、髭ある鰐魚の顔にもあらず、またタコ坊主にも非ず。すなわち何者にも非ざる国の元首とは意味すべき何者も非ざるを以て、無意義として棄却すべき文字也。今の憲法学者が『神聖』の文字を歴史的踏襲の形容詞として取扱いながら、等しく無意義になれる独断的比喩の痕跡たる『国の元首』の文をことさらに重大視して論議の焦点としつつあるは理由なきもはなはだし。 特に、かかる文字は学理の性質を有する者なり。しかして国家は外部的生活を規定する者にして、思想の内部にまで立ち入らざるは近代国家の原則とする所なり。すなわち、法律命令を以て医学上の真理、化学上の方則を制定する事は国家の為さざる所なる如く、憲法の法文を以て国家学の旧き一学説たる比喩的国家有機体説を強制する事は大日本帝国の試みざる所なり。ただ、憲法制定の当時に勢力ありしある思想がたまたま法文の上に痕跡を印したるに過ぎず。故に、たとえば大日本帝国は三角形の地球にしてこの憲法の条文によって月の周囲を運行すとの規定ありとも天文学者に強制の効力を生ぜざると同一に、憲法学者はかかる国家学上の学理的性質を有する文字の外に独立して自由に思考し得べきなり。 |
天皇は統治権を総攬する者に非ず
実に吾人はこの主張によって天皇は国の元首に非ずと信ずる者なり。しかして更に憲法の精神と他の条文とに照して天皇は統治権を総攬する者に非ずと主張せんと欲する者なり。この主張は吾人をして今の総ての国家主権論者の政体分類を絶対に排斥せしむ。 |
今の国家主権論者の政体二大分類を絶対に否認す
今の国家主権論者は最高機関によって政体を分類し、君主政体と共和政体との大綱に二分す。しかしながら、かくの如くしては今の立憲君主政体の正当に思考されざるは論なきことなり。最高機関と云うことが最も高き権限を有する機関と云うことならば、近代国家の立憲君主政体と名づけられる者は君主と議会と合体せる一団が最も高き権限を有する最高機関にして、君主政体にも非ずまた共和政体にも非ず。立憲君主政体とは彼等の二分類中に入るべきものに非ずして、政体は厳粛に三分類に改むべきなり。 −これ吾人の力を極めて主張せんと欲する所なり。憲法の条文を見よ。第五条に『天皇は帝国議会の協賛を経て立法権を行う』と在り。第七十三条に『将来この憲法の条項を改正するの必要ある時は勅令を以て議案を帝国議会の議に付すべし』と在り。吾人は実にこれらの明白なる明文を眼前に置きて、しかも階級国家時代の思想を以て君主と議会とを直接に契約的対立を為す者の如く解してほしいままなる解釈を戦わせつつあるに驚く。 |
機関の意義
問題は『最高機関』の意義を定めることによって解釈せらる。しかも今の憲法学者は、契約説時代の階級的国家を否認してなお今日の君主と国民とを直接に権利義務において対立せる者と考えうる如く、彼等が最高機関を天皇一人なりと断ずるゆえんは恐くは彼等の維持すべからざる誤謬として棄却したるモンテスキューの三権分立論にその頭脳を捉えられたるが故に非ざるか。もとより彼等は三機関独立して截然たるべしと伝えるモンテスキューのそれの如く、君主を単に行政の長官とのみ見るが如きこと無しといえども、その君主と云い議会と云う者を一個独立の機関と考えうるに非らざれば斯く君主を以て完全なる最高機関と断ずるの理由なきを以てなり。 もとより日本において天皇は行政の長官たりあるいは陸海軍を統率する時においては各その場合における機関たることは明白なり。何となれば一個の機関とは段落ある活動を為して始めて完全なる一個の機関たるを得べく、しかして天皇が行政の長官たりあるいは陸海軍を統率する時においては完全なる段落ある活動を為せばなり。 |
天皇と議会とは立法機関の要素なり
しかしながら日本においては米合衆国の如く三機関截然と独立せず、天皇は行政の長官としては完全なる一機関なるも、議会は議会のみにて完全なる立法機関にあらず、天皇と共に立法機関を組織すべき要素なり。故に議会が単に要素たるに過ぎずして完全なる機関に非ざる如く、等しくまたその要素たる天皇が統治権を総攬して立法機関の完全なる者に非ざるは論なし。すなわち、立法機関は天皇と議会とによって組織せられ始めて一機関としての段落ある活動を為す事を得。憲法第四条の天皇は帝国議会の協賛を経て立法権を行うと云う者これにして、議会の協賛なき時は立法機関の要素の欠けたる者なるを以て天皇は立法権を行う所の立法機関たる能わざるなり。 然るに学者のある者は、議会は法律を決定し天皇は之を命令する者なるを以て議会は単に背後の機関たるに過ぎずと論ず。もとより立法機関を組織する要素たる議会は法律の命令権を有せざるが故に立法機関に非ざる事は明白なり。しかも内容の定まらざる間は法律を命令する能わざる天皇はまた等しく立法機関にあらず。 元来、法律を分ちて内容と強制と為すが如きは無意義なる学究的作造のはなはだしき者なり。強制力なき内容のみの決定にては法律にあらず、内容の決定されざる、すなわちゼロなる強制は法律にあらず。内容のゼロなる者を命令する権限ある立法機関とは命令する何者をも有せざる立法機関と云うことにして、すなわち立法機関に非ずと云うことなり。また学者のある者は云う、国家の最高機関とは天皇にして議会は副機関なりと。しかしてそのある者は理由を議会の成立が一に天皇の命令に仰ぐと云うことに求む。 しかしながらこれあたかも議長の開会の辞あって討議の開かれるを見、議長のみ帝国議会にして他の議員は副たるに過ぎずと解すると一般の没理にして、天皇は一年以内に議会を召集すべき義務を負担して帝国議会と共に立法機関を組織する者なり。しかして『最高機関』とは最高の権限を有する機関のことにしてすなわち憲法改正の権限を有する機関なり。他の諸国においては憲法改正の機関は通常の立法機関の外に組織せられる者ありといえども、日本においては単にある指定されたる手続を以て平常の立法機関を以てす。 |
最高の立法を為す憲法改正の最高機関
しかして通常の立法において天皇と議会とによって始めて立法行為の完全せられる如く、憲法改正の発案権を有する天皇と三分の二の出席議員と三分の二の多数とを以て協賛する議会とあって始めて最高の立法を為し得る。すなわち憲法を改正し得る最高機関たるなり。故にしかしこの国家の意志の表白される所の者を以て主権者と呼び統治者と名付けるならば、天皇は立権者にあらずまた議会は統治者に非ず、それらの要素の合体せる機関が主権者にして統治者なりとすべし。 |
立憲君主政体とは平等の多数と一人の特権者とを以て統治者たる民主的政体なり
果して然らば今日多く存するいわゆる立憲君主政体なる者は、今の学者の分類しつつあるが如く政体二分類中の君主政体の変体と見らるべき者に非ずして、平等の多数と一人の特権者とを以て統治者たる民主的政体なり。すなわち、最高機関が一人にて組織される者と考えうる国家機関論者の如きはいささか君主主権論の変色せる者に過ぎずして、特に著しく卓越せる国家機関論者の一人法学博士美濃部達吉氏の如きが、『君主は統治権を総攬する者に非ず』と断言しながら、しかも立憲国の君主を以て依然として一人にて組織する最高機関と為せる如きは矛盾も明かなるべく、英国を以て君主国体と名付けるに至っては理由なきもはなはだし。(日本今日の政体が民主的政体なることは後の歴史解釈において維新革命の本義が平等主義の発展なるを論じたる所を見よ)。 |
紛々たる国家主権論者の無意義なる論弁、美濃部博士の議論の不貫徹 吾人は美濃部博士の天皇は統治権を総攬する者に非ずとの断言を嘉みする者なり。何となればこれ『国の元首』と云う比喩的有機体説の国家学より演繹せられたる形あって、憲法の他の総ての条文と矛盾し憲法の精神と背馳する者なればなり。吾人は美濃部博士が明かに今日の日本憲法が比喩的有機説の痕跡を有すとなして統治権総攬の文字を否定したりや否やは想像すべき根拠なしといえども、その国家有機体説を排すと云うより見れば他の国家主権論者より一歩の高き地位に立って論断したるべきを信ぜんと欲す。故に例えば一木博士の如く『君主が主権の主体なりとする時は諸般の関係を理会する能わず、君主は国家の最高機関にして統治権の総攬者なり。総攬者とは統治権の主体にも非ずまた統治権を行う機関にもあらず、すなわち統治権の作用を統ぶる機関は自ら自己の権限を伸縮する権を有するなり。自己の権限を伸縮する権ある者は憲法を変更する権を有する者なり。故に統治権の総欖者とは憲法を変更し得る権を有する国家の最高機関なるべし』と云って、天皇は議会の協賛なくともほしいままに憲法を改正変更するを得べき者なるかの如く論じ、しかして総攬者を主体にもあらず機関にも非ずとして解すべからざる者とせるが如き混雑せる思想を有せず。また同じき国家主権論者の一人副島義一氏の如く『天皇は国家の中に在る所の機関中最高の機関なり。されば天皇の地位は国の元首と云うのはなはだ適当なるを見る。その天皇は統治権を総攬すと云うは、すなわち国の元首たるゆえんの実質を掲げたるなり。天皇は国家の統治権を総攬する故に国家の統治権は皆天皇を経過し来る。天皇は自ら統治権を行い、あるいは他の機関を設定して権限を与えて行わしむ吾国においては天皇が唯一の統治権総攬者なり』と論じて比喩的有機体説の国家学の上に他の君主主権論者と文字の論争に勉むるが如き妄動もあらず。しかしながら天皇は統治権の総攬者に非ずと云う事は、天皇一人にては最高機関を組織して最高の立法たる憲法の改正変更を為す能わずと云う他の条文と憲法の精神とに基きて断定さるべき者にして、美濃部博士の如く日本の国体は最高機関を一人にて組織する君主国体なりと解釈してはかかる断言の根拠なくして明かに矛盾せる思想たるは論なし。想うに総ての国家機関論者をして今なお専制の迷霧中に彷徨せしめ、美濃部博士の如きをしてかかる矛盾に陥らしむるは、国家の本質に就きて不注意に経過すればなり。 |
憲法解釈において知識の基礎を国家学に求めざるよりの誤謬
吾人は考う、主権論の思想は法律学の文字によってのみ解せらるべき者にあらずして、知識の基礎を国家学に求めざるべからずと。もとより憲法論は国家学に非ず、主権の本質は国家学の問題たるべきも主権の所在は憲法の明文と精神とによるべく、特に国家の目的理想を掲げて現行法を超越する如きは憲法解釈の方法に非ざるは論なしといえども、その現行の憲法そのものがまた制定される当時の国家学によって影響されたることは明かにして、例えば『国の元首』の語がフランス革命反動時代の国家学に基き、従って比喩的国家有機体説によらずしては解すべからざるが如し。しかして主権とは国家の本質論によらずしては解すべからざる思想なり。故に比喩的国家有機体説を思想の基礎として今日の国家を解釈せんとし、『国の元首』と云う語を国家神識の宿る所なりと断ぜる井上博士の態度は、その全く消滅せる憶説なるに係わらず、先ず国家の本質につきてある信念を有しそれよりして国家の基礎法たる憲法の解釈に及びたるは、思考の順序として当を得たる者なり。かの穂積博士の如きも国家を以て一家の膨脹発達せる者なりと云う誠に旧き国家学の上にその蜃気楼の如き神道的憲法論を建設せるは、もとより歯牙に懸くるに足らずといえども研究の方法としては充分に正当なり。然るに今の国家主権論者にはことごとくこの態度なく、研究の着手と結末とを転倒しつつあり。 |
美濃部博士の基礎なき国家観
吾人は考う、主権論の思想は法律学の文字によってのみ解せらるべき者にあらずして、知識の基礎を国家学に求めざるべからずと。もとより憲法論は国家学に非ず、主権の本質は国家学の問題たるべきも主権の所在は憲法の明文と精神とによるべく、特に国家の目的理想を掲げて現行法を超越する如きは憲法解釈の方法に非ざるは論なしといえども、その現行の憲法そのものがまた制定される当時の国家学によって影響されたることは明かにして、例えば『国の元首』の語がフランス革命反動時代の国家学に基き、従って比喩的国家有機体説によらずしては解すべからざるが如し。しかして主権とは国家の本質論によらずしては解すべからざる思想なり。故に比喩的国家有機体説を思想の基礎として今日の国家を解釈せんとし、『国の元首』と云う語を国家神識の宿る所なりと断ぜる井上博士の態度は、その全く消滅せる憶説なるに係わらず、先ず国家の本質につきてある信念を有しそれよりして国家の基礎法たる憲法の解釈に及びたるは、思考の順序として当を得たる者なり。かの穂積博士の如きも国家を以て一家の膨脹発達せる者なりと云う誠に旧き国家学の上にその蜃気楼の如き神道的憲法論を建設せるは、もとより歯牙に懸くるに足らずといえども研究の方法としては充分に正当なり。然るに今の国家主権論者にはことごとくこの態度なく、研究の着手と結末とを転倒しつつあり。 |
統治権総攬の文字は学理の性質を有する者に非ず学者は矛盾せる条文につきて取捨の自由を有すと云うのみ
一木博士が国の元首を以て主権の本体にもあらずまた機関にもあらざる玄のまた玄なる者の不可解に終りたる如き、また美濃部博士が『法律学上の国家とは現行の法律を矛盾なく解釈するにはいかに国家なる者を思考すべきかに在り』と伝える姑息を極めたる国家観の如きこれなり。現行の法律と云うが如き絶えず動揺する所の者より帰納して、国家と云う者を単に現行法の矛盾なき状態に思考すれば可なりとは、たとえ個人主義の機械的国家観を捨て比喩的有機体説の独断を捨てて未だ思想の基礎とすべき国家学を有せざるよりする止むを得ざる一時的の者なりとするも、その姑息を極めたる者なることは、おおう能わざるべく、特に始めより矛盾衝突を以て発布せられ、また時代の進化によって当然に矛盾衝突において存在するより外なき人為の現行法よりして、矛盾なき国家と云う一個の法律学上の思想を抽象せんとする如きは誠に奇跡を試みる者なり。 『神聖』と云う文字の如き、『国の元首』と云う文字の如き現行憲法の条文を如何なる方法によって矛盾なからしめ、しかしてかかる矛盾に満ちる条文によりして、いかなる国家の思想を帰納し得べき。『神聖』と云う文字を本来の意味において推究すれば帝王神権説なるか、あるいは穂積博士の如き高天ヶ原の国家に帰納さるべく、『国の元首』と云う条文のままに推論すれば、その思考さるべき国家は比喩的有機体説の首足胴腹ある動物として帰納されざるべからず。決して美濃部博士等の主張する主権の本体たる国家はこれら現行憲法の条文よりして矛盾なく思考さるべき思想に非ざるなり。のみならず、法律学上の国家を単に現行法の矛盾なき思考のための帰納に過ぎずとなすならば、美濃部博士の如く、『君主は統治権を総攬するものに非ず、統治権を総攬すと云うが如き憲法の条文は学理の性質を有する者にして、国家は学説の公定権を有せず、学者は自由に憲法の文字を改めて考究すべし』と云うが如き権威ある言の吐かるべき根拠なし。 何となればこれ明白に現行憲法の第二条に矛盾する者にして、矛盾なき思考としての国家観念は矛盾せる条文を改めて研究すべしと云う力を有せざればなり。吾人は信ず、国家は学説の公定権を有せずと云うは、あたかも天動説を命令する能わざる如く、国家学上の一学説たる比喩的有機体説を強制する能わずと云うことにして、学者は自由に憲法の条文を思考するを得べしとは、相矛盾せる条文は憲法の精神に照らしていずれかの取捨を決定すべき思想の独立を有すと云うことなり。故に憲法第二条と他の重大なる第五条及び第七十三条と矛盾せる如きにおいて、各々その憲法の精神なりと認める所、国家の本質なりと考えうる所によって自由に取捨するを得べく、かの比喩的国家有機体説の思想を有する者、神道的信仰を有する者が第二条を取って他の条文を無視することのほしいままなると共に、吾人はまた第五条及び第七十三条に注意を集めて第二条を棄却するにおいて自由なるは、憲法の精神と国家学につきて法文の文字は強制力を有せざる者なればなり。 美濃部博士の考えうる如く統治権を総攬すの条文その者は決して学理の性質を有する者に非ず、他の第五条及び第七十三条の存在せざるときにおいては法律の解釈として第二条に従って天皇を以て統治権を総攬する唯一最高の機関なりと推論すべきは当然なり。憲法の精神と国家学の原理とは法文の矛盾せる場合において取捨を仰ぐべき判官にして、美濃部博士のいわゆる現行法の矛盾なき思考たる国家観は、かかる厳粛なる権力を有する判官たる能わず。また日本の憲法を解して一人の最高機関たる君主国体と名付ける如き見解にては法文の矛盾を認めざるものと為すの外なく、従って第二条に対して自由なる研究を主張せるは理由なき要求なり。実に美濃部博士の議論を貫徹せしめんが為めには、明かに一の確実なる国家観の上に起って、日本の政体は最高機関を一人の特権者と平等の多数とによって組織する民主的政体なりと為すことに存すべし。(憲法の精神につきては後の歴史解釈を見よ) |
公民国家につきて政体三大分類の主張
故に、吾人は在来の国家主権論者の政体の二大分類を排して、今日の公民国家と云う一体に就きて政体の三大分類を主張するものなり。第一、最高機関を特権ある国家の一員にて組織する政体(農奴解放以後のロシア及び維新以後二十三年までの日本の政体の如し)。第二、最高機関を平等の多数と特権ある国家の一員とにて組織する政体(イギリス・ドイツ及び二十三年以後の日本の政体の如し)。第三、最高機関を平等の多数にて組織する政体(フランス・米合衆国の政体の如し)。 |
一木博士は政体の差別よりなしと云い美濃部博士は国体の差別よりなしと伝う、国体及政体の歴史的分類 吾人は国体と政体との差別を君主主権論者の如き思想において維持せんとする者に非ずといえども、今の国家主権論者の如く混同する事に賛する能わず。何となれば政体とは統治権発動の形式にして統治権の本体がその目的と利益との為めに(すなわち君主主権の時代及び国家ならば君主の利益に従って、国家主権の時代及び国家ならば国家の目的に応じて)、国家の機関を(あるいは君主主権ならば君主の機関を)国家の定めたる(あるいは君主の定めたる)法律の手続によって改廃し、もしくはその手続そのものよりして改廃し得べく。国体とは国家の本体と云うことにして統治権の主体たるか、もしくは主権に統治される客体たるかの国家本質の決定なり。しかるに、国家学につきて不注意に、国家の進化的分類を試みざる今の国家主権論者は、依然としてアリストテレスの統治者の数と云う形式的数学に最高機関と云う文字を当てはめて、ある者は国体の差別のみにして政体のそれは無しと云い、ある者は政体のそれのみにして国体の差別は無しと云う。例えば一木博士は君主政体共和政体のみを認め、美濃部博士は君主国体共和国体のみを認。すなわち、国体と政体とは今の国家主権論者に取っては同質の最高機関に対して用いられる異名に過ぎずとされるなり。 |
国家主権論者の国体と政体とを混同するを排す しかしながら、これ今日においても総ての国家を説明する能わざるものにして、中国・朝鮮の如き国家においては君主は決して国家の目的と利益との為めに存する最高機関にあらず、統治権は国家の権利にあらず君主の所有権として官職を自己の利益の為めに売買し、国土及び人民は君主の目的の為めに存する、全く進化の程度を異にする別種の国体なるを以てなり。特に、この混同よりして単に今日の総ての国家を説明する能わざるのみならず、古代及び中世の国家は全く説明の外に逸出すべし。仮に今日の文明国と称せられる者のみを研究の内に置きて今日は『公民国家』と云う一国体のみと為すも、今日の公民国家はギリシャの如き古代の国家とは国体を同じうして政体を異にし、中世時代の国家とは政体の頗る似たるものあって国体はまつたく異なる。ギリシャ古代の国家においては国家の団結的権力、すなわち、主権の本体が裸体のままに発動して政治的形式を経ざりしが為めに、個人の上に秩序なき圧力を以て臨みたりき。すなわち政体とは団結的権力に対して個人の自由を保証する政治的形式なるに、古代においてはこの制度なかりしが為めに少数者と犯罪者と同意義にしていわゆる多数専制の時代なりしなり。しかしてこのの多数専制時代は常に急転して僣主なる者を生じて一人専制の時代となりまた更に急転して多数専制時代となり、専制より専制に転々して個人の自由は国家なる名の前に全く無視せられたりき。これ国体は今日と同一なる公民国家なるも、三権分立説に影響せられて統治権発動の形式が確定せられたる今日の政体とは全く異なれるいわゆる専制政体なる者なり。中世史に入って階級議会の生ずるに至り専制政体は去りしといえども、君主と貴族とは(日本においては将軍諸侯天皇の各々が)各々その目的と利益とを有して各々の土地及び人民はその目的と利益との為めに所有物として存したる『家長国』と云う全く別個の国体なり。すなわち国家が統治権の主礼に非ずして、統治さるべき客体として国土及び人民の二要素が国家の所有者の目的と利益との為に存したる君主主権の国体なり。故に一木博士の如く政体の差別のみにして国体の差別はなしと云わば、中世時代はその全く今日と異なる家長国なるに係わらず、今日と政体の似たる者あるが故に、階級間の契約を以て今日の立憲君主政体と同一視し、中世の君主と貴族とを以て国家機関なりとして今日と同一の国体分類中に置かざるべからず。また、美濃部博士の如く国体の差別のみにして政体のそれは無しと云わば、氏自身も認める家長国と云う中世の国体を、国体分類の外に排斥するか、あるいは君主国体、共和国体、家長国体と羅列するが如き奇観を呈するかのいずれかならざるべからず。しかして斯く国体と政体とを同一視するゆえんの者は、実に国家の進化的研究を為さざるが故なり。 |
吾人は国家人格実在論の上に国家主権論を唱う、法律の進化とは実在の人格が法上の人格を認識されることに在り
故に、吾人はかかる根拠なき紛々たる国家主権論者を排して国家人格実在論の上に国家主権論を唱える者なり。もとより法律学上の人格とはその実在の人格なると法律の擬制による人格なるとを問わず、法律の認識を以て権利の主体なるや否やを決する者なるを以て、国家が実在の人格なりともその未だ法上において認められざるにおいては主権の本体なりとする能わざるは論なし。しかしながら実在の人格が法律に認識せられたる者と、人格なき者が法律の擬制によって人格を付与せられたる者とは、法律を進化的に研究する者に取っては決して混同すべからざることなり。−−法律の進化とは実在の人格が法上の人格に認識されることに存す。家長国時代の国家はその実在の人格なるにも係わらず、あたかも実在の人格が奴隷たりしが如く法律上はその国家の所有者の利益のために存したる物格なりき。故に、中世時代においては『国家のために』と云う国家自身の独立自存の目的よりして要求されることなく、要求は常に『君の為めに』と云う国家の所有者の目的と利益とに在りき。しかしながら、奴隷が法律上の人格に非らざりしといえども実在の人格たることは始めより然りし如く、国家は長き進化の後において法律上の人格たりしといえども、実在の人格たることにおいては家長国の時代より、原始的平等の時代より、類人猿より分れたる時代より動かすべからざる者なりき。故に国家と云う大人格が擬制の機械的技巧なるかはた実在の人格なるかは、国家の進化、起原、目的理想の如きを取り扱う国家学のみの重大なる問題にあらず、法律学の決して怠慢に付すべからざる根本思想なり。何となれば国家が擬制の人格なりと云わば法律の力を以て国家そのものを解体消散せしめ得べく、実在の人格なりとせば人為を以ていかなる法律を作るも決して消滅せしむること能わず。−−個人主義のフランス革命を以て国家を分解せしと云うも国家は依然として社会的団結において存し破壊せられたるは表皮の腐朽せる者にして国家の骨格はかって傷れざ 国家が実在の人格にして法上に認識せられざりし家長国時代りしを見よ。
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ローマ時代の個体の観念と当時の人格の思想、君主主権論者と国家主権論者との憶説の暗闘、国民の信念における国体主権論の表白 −国家は実在の人格としてたとえ家長の下においても時に家長の利益の為めに家長の定めたる法律を破ってそれ自身の目的と利益との為めに活動し、その進化して法律上の人格たるに至ってはその目的と利益とに反する法律をほしいままに改廃して一切の法律の根拠たる者なればなり。この根本点においていささかの知識なきが為に、今の国家主権論者は国家を以て一の社団の如く解しつつあるなり。かの穂積博士が今なお頑迷に社会の原始を家族制度に取って対抗しつつあるはこの故にして、国家を以て社団の如き擬制の人格と見るは実にフランス革命時代までの偏局的個人主義の国家観なればなり。真理において国家主権論を唱えるならば穂積博士等の旧き憶説の社会起原論によって非難されるが如き失態あるべからず。 −社会主義は法理学の上においても真理なり。国家の人格とは吾人が先に『生物進化論と社会哲学』において説きたる社会の有機体なる事に在り。すなわち空間を隔てたる人類を分子としたる大なる個体と云うことなり。一切の社会的諸科学は生物学によって基礎を与えられたり。然るに遠きローマ時代においては、個体と云えば単に一個人に限れる者の如く感じ、個人のみ実在の人格にして他は皆法律上の擬制なりと云うが如き思想なりしは止むを得ずとすべし。今日、国家を法律上の人格なりとしてしかも同時に君主を主権の本体なりとする如き矛盾の君主主権論者も、あるいは国家を単に思考の便宜として考うと云い、国家の人格を擬制なりと云わば君主のそれも擬制なりと反撃して僅かに対抗する国家主権論者も、恐らくは法律学研究の為めにローマ法に接してローマ時代の個体の観念に判断の根拠を先占せられたるが為めなり。故にその議論はいかに精細を極めるとも共に等しく憶説の暗闘に過ぎず。もし学者にして国家の人格の実在なることは奴隷のそれの実在なるが如しといえども、今日の法律にては未だ認識されざる事実上の者に過ぎず、大日本帝国とは天皇の利益と目的との為めに客体として統治されるに過ぎずと論ずるならば、法律現象のみを取り扱う学者としては一貫せる態度なるべく、吾人は憲法の文字と精神としかして歴史とによって今日の国家が法上の人格たる公民国家なるかはた未だ家長国の国体に止まりて人格に非ざるかを論議すべし。然るにあえて君主主権論者のみならず総ての国家主権論者といえども、国家を進化的に見ざるのみならず、人格の基礎たる個体の観念を顕微鏡以前なるローマ時代の俗見に止めて暗中の格闘を事とするが故に、反対論者たる君主主権論者も国家を人格なき君主の所有物なりとも云う能わず、形式において同論者なるに似たる国家主権論者といえども、国家を生命ある実在の人格が法律上に認められたる者なりと云う能わずして、機械的技巧の、もしくは擬制の人格に過ぎずとして甘んずるの余儀なきに至れるなり。 実に、国家は法律の擬制によって作られたる機械的のものに非ず、国家は始めよりそれ自身の目的を有する実在の人格なり。人格は人格の目的と利益との為めに活動す。もとより人類一元論が定説となり、社会主義が世界を抱擁して実現せられたる暁においては、個体の最高階級は全人類と云う生存進化の目的を有する一人格たるべく、遠き将来の理想としてこの最高階級の個体としての人格において全人類の世界的国家が実現さるべきを期待し得べし。しかしながら目下の進化の程度においては民族あるいは人種地理的区画等に限られたるある程度の階級の個体において、国家は一個体としての人格の目的を有す。今日の公民国家は古代の市府的国家、中世の封建国家より、漸次に個体の階級を高めて、以て今日の大なる人格の国家となれるなり。しかしてこの実在の人格がある時代またはある地方によって法律上の人格として認識せられ、もしくは所有者の利益の下に統治の客体として存したることありき。しかして今日の総ての公民国家は明かに法律の明文を以て、あるいは国民の法律的信念によって国家の実在の人格を法律上の人格と認めるに至れるなり。 −故に今日は『国家の為めに』と云って国家を利益の帰属する所、目的の存する所となして国家主権の国体なることを国民の信念において表白す。然るに国家が君主の所有物としてその目的と利益との下に客体たりし中世時代においては国家の為めにと云うことなく『君の為に』として君主主権の国家なることを表白するの語ありき。しかしてその時代においても高遠なる理想を有する東西の聖賢は、法律上の主権体たる君主の要求に対抗して、実在の国家の人格のために国家の利益を主張したり。(『社会主義の啓蒙運動』において儒教の国家主権論を論じたる所を見よ)。もし国家の人格とは法律上の擬制に過ぎずと解するならば、擬制としての法律なき以前よりして聖賢の身を捨てて国家のためにしたるは解すべからざることとなるべく、今日においても擬制を維持せんが為めに人類が血を流して戦うとは解すべからざる現象ならずや。 今日の国際戦争は中世の如く君主の名において君主の利益の為めに戦われず、国家の為めなりと云う。これ未だ同類意識の発展せずして国家と云う地理的に限定せられたる階級の個体が、個体としての人格たる目的と利益との為めに『国家の為めに』と云う語を以て法律と国民の信念とにおいて要求せるなり。しかしてもし、この実在の人格が日本今日の進化の程度においては法律上の人格として認められずと論ずるならば、これ兵役の義務は国家の目的を充たさんが為めに国家の分子が負担する義務にあらずして、君主に所有される奴隷として所有主の処分に服従する者なりと解し、日露戦争は日本帝国の目的の為めにしたる所に非ずして、天皇に帰属すべき利益の為に戦われたる者と論ぜざるべからず。これ憲法の解釈において誤まり、国民多数の信念として有する一般の思想と背馳するは論なし。 |
今日の国家は実在の人格が法上の人格に認識されたる者なり
故に吾人は国家人格実在論によって国家を進化的に研究し、以て一のより所なくして徒らに無用の論争を事とする総ての君主主権論者と国家主権論者とを排する者なり。君主主権論者の如く今日の近代国家の国家観の上に君主主権論を築くが如きことの矛盾極まる誤謬なるはもとより、国家主権論者の解する如く国家の主権は法律の擬制によって人格を付与せられたるが故に非ざるなり。家長国時代の国体においては国家の所有者に主権あって国家は実在の人格たりといえども法律上は物格なりき。公民国家の国体においては国家が主権の本体として実在の人格たると共にまた法律上の人格なり。 |
『君の為めに』と云う君主主権の時代と『国家の為めに』と云う国家主権の時代
『君主の為めに』と云う忠君の時代は君主主権の中世なり。『国家の為めに』と云う愛国の時代は国家主権の近代なり。(なおかの歴史解釈及び天皇と国民との道徳関係を論じたる所を見よ)。 今日の国家有機体説と比喩的国家有機体説、国家意識は一人にのみ有せられる者に非ず、君主の威力に非ず団結的強力と自己の画きたる観念なり、君 主 の 基 礎、井上博士と穂積博士は前提と結論とを転倒す 実に、人類を空間を隔てて分子とせる大なる個体と云う意味に置ける今日の国家有機体説は、井上博士の『国の元首』を解して国家神識の宿る所なりと云う比喩的有機体説を学界より駆逐せるものなり。吾人は明言す、国家意識は未だかって一人のみの頭脳に宿って他の人類が全く精神なき手足の如きことは、如何なる古代の家長専権の時代といえども、帝権の絶対無限の時代といえども決して存在せしこと無しと。率然として考えうるも、同一の意識なき者の間に、団結あり服従あり政治法律あり得べき理由なければなり。穂積博士の如きは常に君主固有の威力によって国家が団結すと云う、しかしながら氏の好んで為す如く文字の意義をほしいままに変化せしめずして、固有とは君主の一個人が先天的に肉体の中に有すとの事ならば、力と云い威力と云う者は決して君主の固有に非ず、社会と云う者の有する団結的権力なり。すなわち君主の威力あるかの如く見られるはこの団結的権力の背後より君主を推し挙ぐるが為にして、この団結的権力と分離したる時においては後醍醐天皇の如き卓越せる個人的威力を有する者といえども、いかんともする能わざりしに非ずや。もとより君主の絶対無限権を振るいたる時代の人民に取っては、あたかも恋人が実在の美に向かって恋するに非ず、自己の頭脳に画かれたる実在のそれに数千倍する自己の観念に対して恋するものなるが如く、君主の個人的威力以上に威力なる者として自己の画きたる自己の観念の前に恐怖しつつありし事は事実なり、然しながら個人として先天的に有する威力はいかなる英雄といえども限りある者にして、日本天皇の威力として見られる者は多く各自の画きたる観念と国家の団結的権力なり。 すなわち穂積博士の如き頑迷なる家長国時代の国体に復古せしめんとする無数の革命家的思想の者あるに係わらず、国家の進化は終に大化革命の公民国家の理想を実現したるが為めに、日本天皇は大日本帝国の重要なる機関において国家の団結的権力を充分に発表しつつあるなり。かの後世よりの逆進的批判者によって暴逆圧制なりと云われる家長国時代の君主といえども、国民が君主の処分権を認識し、もしくは認識したる堕力の為めにして、一人の強力のみにては数千万倍する多数の意志に反して何事をも為す能わず。最も専制権を振るう者は政教一致時代の祭主と君主とを兼ねたる者なりといえども、その人民が専制に服従するはその宗教に対して強烈なる信仰において結合する故に過ぎずして、国家神識が一人のみの頭脳に宿って他が機械的に服従せる者に非ざるなり。 すなわち、同一なる宗教を奉ずと云う社会意識において結合せず、またその専制者が祖先の霊もしくは部落の神の意志を発表する者なりと云う信念において受取られざるならば専制権は保たるべきに非ず。決して君主固有の威力と云うが如きことの在らざるは論なし。故にかの契約説の如く、君主の権は貸与せられたる者なりと云うはもとより貸与の契約ありしことなく、また貸与したる者は奪い返す権利ありとは、貸与すべき主権を契約前の個々の人民が先天的に有すとせる個人主義の革命論にして誤れるは論なしといえども、権力の本質は団結的観力に在るを以て、いかなる一人といえども先天的に有する固有の者に非ざることだけは明白なり。東洋の専権を振るいたる家長君主は皆この団結的強力を所有することの多少に従って興廃し、ギリシャの僣主もまたこの団結的強力に媚びてその専制権を保有したりき。 この権力の源泉たる団結は社会的本能によって、進みては明確なる社会意識によって結合せらる。原始時代においてはそれが明確なる自覚における意識に非ずして本能的に眠れる社会性に在りしといえども、決して個人主義の憶説の如く利己心の思想による契約や、また穂積博士等の説く如き威力に対する恐怖よりしての余儀なき結合または服従に非ず。社会的生物として、契約なくとも言語を有せし如く威力によらずとも始めより団結して存在し、団結その事が威力なるなり。(なお『生物進化論と社会哲学』を見よ)。井上博士が国家意識を以て国の元首に宿るとなせるが如きは独断的比喩の有機体説にして取るに足らざるは論なく、穂積博士が君主の威力の下に団結すとは氏の好んで破する個人主義の社会契約説と等しく価値なき憶説にして前提と結論とを転倒せる者なり。君主のみ国家意識を有して他が機械的に服従するに非ず、国家意識の覚醒とその進化の程度とによって機関の発生し消滅するなり。威力の下に団結するに非ず、団結そのものが威力の本体として存するなり。 |
国家意識と政権の覚醒、原始的共和平等の時代と君主制の原始、アリストテレスの国家三分類を進化的に見よ、日本史における君主国貴族国民主国の三時代
しかしながらこの国家意識が法律の認識によって政権に覚醒するには歴史的進化に従って漸次的に拡張す。最も原始的なる共和平等の原人部落においては全く社会的本能によって結合せられ政治的制度なき平和なりしを以て政権者なるものなかりき。然るに長き後の進化において大に膨脹せる部落の維持を祖先の霊魂に求めて祖先教時代に入るや(いかなる民族も必ず一たび経過せり)祖先の意志を代表する者として家長が先ず政権に覚醒し、更に他部落との競争によって奴隷制度を生じ土地の争奪の始まるや、実在の人格ある国家は土地奴隷が君主の所有たる如く、君主の所有物として君主の利益の為に存するに至れり。これすなわち家長国体及び君主政体の萌芽にして、アリストテレスの国家の三分類を形式的数字の者に解せず之を動学的に進化的に見るならば、君主国とは第一期の進化に属す。しかして貴族国とはこの政権に対する覚醒が少数階級に限られて拡張せる者と見るべく、民主国とは更にその覚醒が大多数に拡張せられたるものにして第三期の進化たりと考えらるべし。日本国もまた等しく国家にして古代より歴史の潮流に従って進化し来たりたる国家なるが故に、いかに他の国家と隔離せられたることに由りて進化の程度に多少の遅速ありしとするも、独り全く国家学の原理を離れる者に非ず。日本民族は原始的共和平等の時代を他の国土において経過し、すでに農業時代にまで進化せる家族団体として移住し来れるものなるを以て、もとより後世より謚名せられたる意義の天皇に非らざりしは論なしといえども、家長国体及び君主政体の萌芽として来れることは最古の記録をことごとく没意義の者とせざる限り充分に想像せらるべし。しかしてその人口の繁殖と共に当時の社会組織において骨格たりし族制の混乱を来し、かつ皇族と併行し発達せる大族がその家族奴隷の団結的強力を負いて他の大族たる皇族と対抗するに至るや、ここに皇族中の知識ある革命家によって理想的国家の夢想的計画となり。 −あたかも新開国において空想的社会主義のしばしば実現を試みられたる如く−国家主権の公民国体とその機関としての君主専制政体とが夢想せられたり。しかしながらかかる未開なる時代において理想国の単に理想たりしは論なく、理想の実現は遠き後の維新革命においてせられ、事実において建設せられたる者は君主主権の家長国にして中世史を終るまでの長き時日は総て家長君主としての天皇なりき。しかして他に無数の群雄と名づけられ諸侯将軍と呼ばれる家長君主あって相抗争したりき。ただ、その藤原氏時代の終るまでは天皇は日本全土と全人民とを『大御宝』として所有する家長君主として、例え事実上は摂政関白の専横ありしといえども、また例え事実上は統治権の行使されたる所が近畿地方の狭小なる区画たるに過ぎざりしといえども、天皇が唯一の君主として唯一の政権者たりしことは法律上疑いなき所の者なりき。これ政権の一人に覚醒したる進化の第一期なり。しかして国司の土着、土豪の発達より天皇の外に更に多くの家長君主を生じ以て維新の公民国家に至るまでの中世史を綴りたりき。かの欧州中世史のローマ法王、神聖皇帝、国王貴族の重複錯雑して最高の統治権、すなわち主権を争えるは、もとより今日の統治権に非ず、今日の政権者に非ずといえども、皇帝国王貴族の各々が国土及び人民の所有者としての統治権を有し、その統治権を相続遺言贈与結婚等によって伸縮得喪し、国家を所有権の客体として取扱い各々の者が統治権の主体としてそれらの階級に政権が覚醒したりしが如く、日本においても皇室は神道的信仰の上に『神道のローマ法王』として統治権を有し、その法王より冠を加えられる形式を経て征夷大将軍と称せられたる『鎌倉の神聖皇帝』は、また群雄戦国及び封建制度の『国王』『貴族』と共に統治権を有し、しかしてその各々が統治権の主体として国土及び人民を所有者として処分し、各々主権すなわち最高の統治権を争いたりき。斯く政権者が同時に統治権の主体たる時代はもとより家長国体にして今日の公民国家とは別なるを以て、その皇帝国王貴族等を今日の政権者と同一視すべき者に非ざるは論なしといえども、それらの家長等が各々統治権を有するに至れるは諸侯階級すなわち貴族階級に政権の覚醒が拡張せられたる第二期の進化なり。この第二期はいかなる国家においてもはなはだ長く日本の如きも維新革命まで継続したりき。 しかして維新革命は無数の百姓一揆と下級武士のいわゆる順逆論によって貴族階級のみに独占せられたる政権を否認し、政権に対する覚醒を更に大多数に拡張せしめたる者にして、『万機公論に由る』と云う民主主義に到達し、ここに第三期の進化に入れるなり。しかして国家対国家の競争によって覚醒せる国家の人格が攘夷論の野蛮なる形式の下に長き間の統治の客体たる地位を脱して『大日本帝国』と云い『国家の為めに』として国家に目的の存する事を掲げ、国家が利益の帰属すべき権利の主体たることを表白するに至れるなり。この国家を主権体とせる公民国家の国体と民主的政体とは維新後二十三年までの間を国民の法律的信念と天皇の政治道徳とにおいて維持し、後、帝国憲法において明白に成文法として書かれるに至ってここに維新革命は一段落を画し、以て現今の国体と今日の政体とが法律上の認識を得たるなり。(更に後の歴史解釈及び『生物進化論と社会哲学』において社会進化論の歴史哲学に説き及ぼせる処々を見よ)。 |
井上博士は君主主権論を主権体の更新と云うことを以て説明す、今の総ての学者は個人主義の法理学を先入思想とす、更新する国家の分子は主権体にあらずして主権体たる国家の利益の為めに統治者となる要素なり、『社会民主主義』と云うは社会が主権の本体にして民主的政体を以て之を行使するを意味す 吾人が先に穂積博士の天皇の一身に統治権の存して個体の延長によって万世一系に伝わると云う議論を演繹して、更に個体の繁殖と云うことによって全国民に普及して民主主義に至ると云いしはこの故なりとすべし。井上博士に至っては穂積博士の始めに主張したる皇位に主権ありと云う皇位説の維持すべからざるを指摘して、天皇の一身に統治権の存することを最も明らかに説ける明敏なる君主主権論者なり。しかして国家主権論者の天皇の一身に統治権あらば天皇の死と共に国家滅亡すべしとの非難に対して、穂積博士の如く高天ヶ原に飛揚して万世一系死せずして連綿たりと論ずるが如き醜態なく、最も学者らしき説明を与えて充分に対抗せり。いわく、統治権の主体は天皇にあって天皇死するとも統治権の消滅して国家の滅亡を来す者にあらず、統治権の主体が更新するのみなり。もし統治権の主体が更新するを以て統治権の消滅となすならば、総ての現今の国民も皆ことごとく一たびは死すべき者なるを以て国家に主権ありとの議論も自家の論理によって維持さるべからざる事となると。これ充分に今の根拠なき国家主権論の機械的国家観よりする駁撃を撃退して余りある者なり。しかしてこれ同時に今の国家主権論者もまた井上博士の如き君主主権論者も等しくフランス革命前後の個人主義の法理学を先入思想とすることを暴露するゆえんの者なり。真理は社会主義に在り。吾人は社会主義によって下の如く主張す−−国家の分子たる天皇と国民とに国家の権利たる統治権が存するに非ず。分子の消滅と共に更新する所の者は政権者にして統治権の主体にあらず。国家の分子たる天皇が統治権の行使によって得べき利益の帰属する主体にあらず、また国民が国民を終局目的として統治権を行使する権利の主体にあらず。近代国家においては国家の生存進化の目的とそれに応ずる利益の帰属すべき権利の主体たる事を認め、最高機関を特権ある一分子あるいは平等の多くの分子あるいは特権ある一分子と平等の多くの分子とによって組織し、その機関が権利の主体たらずして国家の目的と利益との為めに国家の統治権を行使するなり。しかして国家と云う歴史的継続を有する人類社会は法理上消滅する者にあらず、分子は更新すといえども国家そのものは更新する者にあらず。すなわち国家が統治権の主体たり。(故に誤解すべからず、『社会民主主義』とは個人主義の覚醒を受けて国家の総ての分子に政権を普及せしむる事を理想とする者にして個人主義の誤れる革命論の如く国民に主権存すと独断する者に非ず。主権は社会主義の名が示す如く国家に存する事を主張する者にして、国家の主権を維持し国家の目的を充たし国家に帰属すべき利益を全からしめんが為めに、国家の総ての分子が政権を有し最高機関の要素たる所の民主的政体を維持しもしくは獲得せんとする者なり)。 |
日本今日の国体と政体とは社会民主主義なり
以上の総括は下の如くなる。今日の国体は国家が君主の所有物としてその利益の為めに存したる時代の国体にあらず、国家がその実在の人格を法律上の人格として認識せられたる公民国家の国体なり。天皇は土地人民の二要素を国家として所有せる時代の天皇にあらず、美濃部博士が広義の国民中に包含せる如く国家の一分子として他の分子たる国民と等しく国家の機関なるにおいて大なる特権を有すと云う意味における天皇なり。臣民とは天皇の所有権の下に『大御宝』として存在したりし経済物にあらず、国家の分子として国家に対して権利義務を有すると云う意味の国家の臣民なり。政体は特権ある一国民の政治と云う意味の君主政体に非ず、また平等の国民を統治者とする純然たる共和政体に非ず。すなわち、最高機関は特権ある国家の一分子と平等の分子とに上がって組織せられる世俗のいわゆる君民共治の政体なり。故に君主のみ統治者に非ず、国民のみ統治者に非ず、統治者として国家の利益の為めに国家の統治権を運用する者は最高機関なり。これ法律の示せる現今の国体にしてまた現今の政体なり。すなわち国家に主権ありと云うを以て社会主義なり、国民(広義の)に政権ありと云うを以て民主主義なり。 |
社会主義は国家主権の国体の擁護者なり 依之観之、社会主義の革命主義なりと云うを以て国体に抵触すとの非難は理由なし。その革命主義と名乗るゆえんの者は経済的方面における家長君主国を根底より打破して国家生命の源泉たる経済的資料を国家の生存進化の目的の為めに、国家の権利において、国家に帰属すべき利益と為さんとする者なり。実在の人格は個人といえども之を剥奪して奴隷とすることは今日においては不能なる復古に非ずや、国家と云う実在の大人格が長き進化の後において得たる法律上の人格を無視して君主の利益の為めに存する物格と考えうる如きは、いわゆる国体論と云う復古的革命主義にして吾人社会主義者はかえって今日及び今後に亘って国体の擁護者たらざるべからず。何ぞ国体を革命すと云わんや。しかしながら政体は統治権運用の機関なるを以て、国家はその目的と利益とに応じて進化せしむべし。しかもそのいかに進化すべきかにつきてはあるいは今日の民主的政体のままに進むか、あるいは一人のみの特権者を以てする君主政体に進むか、あるいは純然たる共和政体に進むか、またあるいは社会の驚くべき進化して一切の政体の無用になって地上に天国を築くか、かかることは国体論とは係りなき問題なり。吾人は『国体論とは主権論なり』と伝える穂積博士に従って主権の所在を決定すれば足る。しかしてまた吾人は、穂積博士が現今の国家主権の国体を覆して国土及び人民を天皇の私有地及び奴隷となし、国家を天皇の所有権の客体たる物格とし、現今の民主的政体を破って絶対無限の家長政治となさんと企図しつつあるが為めに、政体の変更を計る著書を出版する者は軽禁錮二ヶ年に処すと規定せる出版法を恐れて大学講義の出版をあえてせざる謹慎を諒する者なり。 |
政体今後の進化は国家の目的と利益とによる、国家機関の改廃作成における国家主権の完全なる自由
こうねがわくは吾人をして国家主権論の論理の赴く所に赴かしめよ! 憲法は国家がその生存進化の目的に適合する利益ある方法を取るべきことを予想して、その第七十三条に国家機関を改廃する場合の手続を規定せり。故にこの手続によるべき場合の多きは論なし。しかしながら君主主権の時代において君主が自己の主権によって定めたる法律を等しく自己の主権による他の法律を以て破るとも正当の権利なる如く、(しかして今日を君主主権の国体なりとする穂積博士が天皇の権利によって第七十三条によらずして憲法の条文と矛盾する法律を発布し、もしくは憲法を改廃し、またもしくは七十三条の手続によらずして改廃するの自由ありと論ずることの貫徹せる主張なる如く)、国家主権の今日及び今後においては、その手続を定めたる規定そのものと矛盾する他の規定を設くとも、またその規定されたる手続によらずして憲法の条文と阻隔する他の重大なる立法をなすとも、国家主権の発動たる国家の権利にして、国家はその目的と利益とに応じて国家の機関をあるいは作成しあるいは改廃するの完き自由を有す。何となれば等しく国家主権の発動たる法律の中において特別に第七十三条のみ現今存する他の条文より重く、また将来発せらるべき他の多くの法律を打ち消して無効ならしむべき力ある者に非ず。今日憲法の精神を無視する法律省令等が第七十三条の手続によらず言論の自由集会結社の自由を剥奪して憲法改正の実を挙げつつあるが如く、憲法の国家機関の外に他の重大なる国家機関を他の法律によって設定することありとも等しく国家主権の発動にして国家の軽重なき法律なればなり。(故に今の基礎なき国家主権論者がこの点において一貫せる議論を為すこと君主主権論者の如くなる能わざるは、実に主権の思想において貫徹せざるよりの致す所として嘆ずるの外なし)。 |
社会主義の法理学は国家主義なりと云う理由、法理学を離れて事実論としては政権者の意志が国家の意志なり
吾人を以て国家万能主義なりと誤解すべからず。国家万能主義とは国家が国民の思想信仰の内部的生活にまで立ち入る事を許容せられたる時代を指す。国家が国民の外部的生活を規定するだけの範囲内において完全なる自由を有する主権体なることを主張する点において社会主義の法理学は国家主義なりと云うのみ。ただ、いかなる者が国家の目的と利益とに適合する主権の発動なるかの事実論に至っては、これ自ら法理論とは別問題にしてその国家の主権を行使すと云う地位に在る政権者の意志に過ぎず。すなわち事実上政権者の意志が国家の目的と利益との為めに権力を行使するや否やは法理論の与り知らざる所なり。−−これを以ての故に憲法論は強力の決定なりと云う。(『社会主義の倫理的理想』において説ける階級的良心の説明及び『社会主義の啓蒙運動』にて論ずる階級闘争の議論を見よ)。
社会主義と強者の意志故に国家を一たび原子的個人に解体して新たに新社会を組織せんと主張する社会主義者と名乗るもののありとも、そはフランス革命時代の個人主義にして社会主義と混同すべからざるは論なし。社会主義者は現今の国家が国家主権の国体なる事を明確に意識して、長き時日と大なる努力とを以てただ強者の意志たるべきのみ。何ぞ国体を革命すと云わんや。故に、今日の強者の意志の下においては国家主権の名において迫害さるべき義務を有す。(なお『社会主義の啓蒙運動』において迫害の権利を説けるを見よ)。 |
【第十章】 |
いわゆる国体論は法理論以前に在り。家長国なりと云わしむる神道的迷信の堕力。天皇を主権者と云わしむる転倒の歴史解釈。信仰の自由は君主との契約に非ず。天皇の信仰と国民の信仰とは無関係なり。日本帝国は宗教団体に非ず。穂積博士の信仰論と君臣一家論。民は神道の信仰と共に神話の科学的研究を為す。社会の原始及び公法の淵源。家長制度と家長権は社会の原始に非ずまた永遠のものに非ず。氏は進化論を否定す。神道のアダム、イヴによってキリスト教的世界主義を取るかユダヤ教的排外教を取るか。氏の天照大神を天祖と云うことは神道を毀傷するものなり。故黒川博士の進化論評。神道の勢力の皆無。氏は天皇を空虚の上に置きて覆す。君臣一家論による二様の革命論。君臣一家論と発狂視。穂積家は皇家の末家に非ず。家長制度はあえて日本に限らず。穂積博士自身は神道を信仰せず。多神教の哲学と祖先教の宗教。氏は生殖器を礼拝するか神道を捨つるか。沙汰の限りの忠孝一致論。忠孝一致論を破壊する者は君臣一家論なり。天皇と国民は親戚の平等関係に非ず。内地雑居による一家論の困難。歴史上より君臣一家に非ず。国体論の破壊者は現天皇陛下なり。日本人種研究論と国体論者。親戚関係の平等なる今日において天皇を家長と云う事の自殺論法 |
いわゆる国体論は法理論以前に在り
上述、吾人は国家学と憲法論とによって『現今の国体』を明かにし、いわゆる国体論なる者の現今のそれを転覆する『復古的革命主義』なることを論じたり。しかしながら、国家の本質と憲法の法理とを取り扱う今の総ての学者をしてかかる復古的革命思想に陥らしむるゆえんの者は、国家学と憲法論との研究より来るに非ずして、すでにいわゆる国体論と云う者のあって、その国家学と憲法論とを誘惑するが故なり。果して然らば上述の如く、国家の本質を論じ憲法の法理を説き以て主権の国家に存することを語るとも、東洋の土人部落に取っては何等の刺激を与え得る者にあらず、国体論は土人等の合掌稽首に祀られて一切の国家学と憲法論の上に蛮神の如く君臨する者なればなり。然らば議論は国家学と憲法論とにあらずして国家学と憲法論とを誘惑する国体論そのものに有りとせざるべからず。国体論とは何ぞや。 |
家長国なりと云わしむる神道的迷信の堕力
第一は、今日の国家を以て家長国なりと云う議論の起る基礎として神道的迷信の堕力に在り。我が万国無比の国体においては国長は一家の赤子にして天皇は家長として民の父母なりと云う者これにして、君臣一家論と云う者あり、忠孝一致論と云う者あり、忠君愛国一致論と云う者あり。しかしてこれ実際の勢力として国民の道徳的判断の基礎を形づくれる者にして、穂積博士及び多くの君主主権論者の国家観と法理論とを組織せしむる思想の源泉なり。 |
天皇を主権者と云わしむる転倒の歴史解釈
第二が、天皇を以て主権の本体もしくは一人の最高機関なりと考えしむるゆえんの者にして全く転倒せる歴史解釈の順逆論なり。すなわち、日本民族は皆忠孝にして万世一系の皇統を扶助せりと云うことにして、万国無比の国体と云う思想の生ずる根拠なり。しかしてこれ、二千五百年来より四千五百万人に亘っていささかの疑問をも抱くべからざる所の者として、一切の倫理学説と道徳論とはこれによってその学説と議論とを曲折し、有賀博士及び総ての君主主権論者をして歴史によって主権の基礎を定むと論ぜしむる権威たる者なり。 |
国体論中の土偶はこの妄想によって捏造せられたる者なり。土偶は神輿より引き出して以て粉砕すべきのみ。信仰の自由は君主との契約に非ず 第一の点、穂積博士等の拠りて以て日本の現時を家長国なりとする神道的迷信の堕力を駆逐せざるべからず。能うならば吾人はかかる取るにも足らざる者に係わりて議論の筆を汚さざらんことを望む。吾人は法科大学長帝国大学教授法学博士の肩書を有する迷信者に向かっていかに語るべきや。もし常識と科学とによって狐狸を礼拝しつつある翁嫗の迷信を覚醒せしめ得るならば、穂積博士の八百万神を信仰する神道を改宗せしめ得べし。信仰となれば翁嫗の狐狸も、穂積博士の真の神も、他のキリスト教仏教と等しく理論の侵入する範囲とは境界を異にする別天地の者なればなり。故に吾人は充分に穂積博士の宗教を尊敬する者なり。 |
天皇の信仰と臣民の信仰とは無関係なり、日本帝国は宗教団体に非ず −しかしてこれと同時に吾人及び独立の良心を有する者は博士の信仰より自由ならざるべからず。本地垂迹説を去れる真の仏教徒には博士の信仰は意義なき者にして、唯一神を信ずと云うキリスト教徒には博士の宗教は野蛮時代の多神教として映ずべし。しかして、吾人の如き神道的記録を以て古代の過ぎされる宗教となし、今日において之を視るときにおいては神話として科学的に取扱いつつある者に取っては博士の贅言の如きは神官の烏帽子直衣と少しも相異せざるなり。博士においては、あるいは八百万神を以て宗教に非ず歴史上の人物なりと信じてならんか、然らば吾人は大に歴史論として論義の自由を有す。信仰の自由、思想の独立は大日本帝国の威力を以てもその内部的生活に止まる間はもとより、行為に現れたる者といえどもある場合を除きての外は脅かす能わざる者なればなり。ある場合とは臣民たる義務に背く場合を云う。吾人は先に臣民の義務とは直接に天皇と対抗せる契約によって負う義務に非ず、国家に対して国家の一分子として負担する者なることを言えり。臣民と云うは天皇の所有権の下に在る無限服従の奴隷に非ざるはもとより、天皇との権利義務の関係において契約的対立を為す者に非ずして、国家の臣民なる事を言えり。故に臣民たる義務に背かざる限りにおいて信仰の自由を有すと云う憲法の条文は、中世の階級国家の契約憲法の如く、君主との契約によって君主の信仰に係わらず、臣民は自由の信仰を有すべしと云うに非ず。 今日の天皇は国家を所有して国家の外に立つ天皇に非ず、美濃部博士が広義の国民中に包含せるが如く、日本国と云う有機体の空間を隔てたる分子の人類として、すなわち日本帝国の一員として特権を有する政権者と云う意味の天皇なり。この特権ある一分子と他の分子とは決して契約的対立に非ず、故に他の総ての権利義務が直接に要求し負担する者に非ざる如く、信仰の自由につきて臣民の義務に背かざる限りにおいてはと云う前置きの義務も、決して国家の分子が他の等しき分子たる特権者に対して負えるに非ず。すなわち臣民たる義務に背かざる限りにおいてと云うことは、国家に対する義務の一たる兵役を拒絶するクエーカー宗の如き宗教の除外を示す者なり。然れば仮定として、穂積博士と匹敵すべきほどの神道の迷信者が皇位に即き、穂積博士の如く国家の臣民を君主の所有する臣民と解し、その神道を信ぜざることを以て臣民たる義務に背くとなすとも、これもとより大日本帝国の国体と政体とが許容せざる要求なり。(現皇帝は実にキリスト教をも包容しつつあり)。また聖武天皇の如き仏教の熱誠なる信奉者が出でて仏教の信仰を国家の臣民に要求すとも、大日本帝国の前に有する信仰自由の権利によって穂積博士はその尊貴なる神道の信仰を放棄するに及ばざるべきなり。また、今後の天皇がキリスト教を信仰するに至るとも、全国の厳粛なる戒律を守れる円頂等は今日キリスト教に向かって為しつつある如く、仏教は逆賊なりとして攻撃さるべき理由なき者なり。吾人は皇室がいかなる信仰を有するやを知らず、しかしながらまた等しく知らざるべき土偶の国体論者が、自家の迷信と背馳するのゆえを以て他に対するにすなわち不敵呼ばりを以てすとは抑々何の権利ぞ。天皇に不敬を加えることは国家に対する非違にして国家の許容せざる所なり。復古的革命思想に対抗して国家の主権を防衛することは吾人の義務にして、彼等山僧等の不敬呼ばりはたとえ鯨波のごとく起るとも厳粛なる議論に一分の動揺を与え得べきものにあらず。 −大日本帝国と帝国の機関とは決して宗教の基礎の上に建てられたるものに非ず。神道の信仰を以て家長国体を作り、天皇を祭主の長たる意味においてその信仰の上に置ける時代は歴史の遠き頁に葬られたり。国体寺の山僧等は今日の国体と政体とを迷信の為めに視る能わず、かって山僧等の為せるごとく国民の迷信に眠れるを恃みて法律を突破し憲法を蹂躙して、天皇と全国民とにむかって神輿に礼拝せよと強訴しつつあるものと云うの外なし。国民の迷信に恐怖せし時代は山僧等の神輿は警固の武士をして兜を脱せしめたりき。今日、吾人は国体の擁護者たる名において科学の利刃を執るべきのみ。こうねがわくは国民の速やかに迷信より覚醒して国体寺を焼壊するに至らしめよ。 |
穂積博士の信仰論と君臣一家論
穂積八束氏は実に国体寺の座主にして山僧の将軍なりとすべし。いわく。『我が民族は同祖先の者なり。宗室として皇室を崇拝すと云うは事実誤れりと云うものありといえども、之は我が説を破するに足らず。見よキリスト教徒の団結するは神を信仰するに由る。しかも神の有無の議論はこの団結を非認する能わず。信仰は第一にして知識は第二なり。ひとはことごとく原因を尋ねて何事も為すに非ず。信仰によって動く。国民においても然り、必ず信仰によって団結す』。これ大学筆記より引用せる者にして、氏が国体寺の座主たる尊厳を以て斬新なる信仰論あるは決して鼻を撮むべき事に非ざるは論なし。氏の憲法論は総てこの信仰の上に築かる。いわく、『現在皇位にまします天皇がこの民族を統治し給うはすなわち氏族の祖先たる天祖の御位なり。天祖に代わって天祖の威力を受けて天祖の子孫を保護し給う者なり』。またいわく『我が国体は民族間有の宗族制度より発達せり。故に之を推して考えうれば皇位はすなわち過去における皇位の天祖たる天照と、現在の天皇と、未来の君主とを結びたる観念にして、一家における家長の位がすなわち天皇の祖先の位たると同じく皇位は天皇の御位にしてその子孫がこの位に昇り、天照の威霊を代表して国民に臨む』。しかしながら氏のいわゆる天照と云い天祖と云い信仰上の神を意味して用いられるが如く、また歴史上の人物として取り扱われつつあるが如く、浮動する意味を一語にて使用する氏の常態なるが為めに、吾人は氏と共に『天照大神』を論議するに信仰上より考うべきか科学的考察の題目とすべきか殆ど処置に苦しむ。 |
氏は神道の信仰と共に神話の科学的研究を為す 故に、穂積博士の態度は、日本民族の古代を研究するにおいて、古事記・日本紀をバイブルとする神道の迷信者としては、はなはだしく科学的研究者の如く、また科学的研究者としてはその高天ヶ原一点張の頑迷は疑いなき迷信者に似たり。実に、氏は烏帽子直衣に高襟を着けて大学の講壇に立てる者なりとすべし。神道の信者ならば宗教として神道を信ずるは可なり、祖先崇拝は権力の崇拝なりと解する如きは法律学の理論として誤れるのみならず、神道の信仰とは背馳する科学者の態度なり。天照大神を信仰において見るならば太陽の中に存すとして朝夕礼拝すべし、今日の社会学はかの母系系統なるものを解して、全く乱婚に非ざるも夫婦関係の定まらざりしが為めに父の何人なるかが知れずして母によって系統を意識するはなはだしき未開時代なることを論じつつあるに、天照大神を母系系統なりと指示せるが如きは神道を信仰する頭の外に科学者の頭を肩に付けたる両頭の怪物なり。もとより氏は政体変更の刑罰を恐れて大学講義を出版せざる如く、何等の警戒すべき事あってか暗黙の指示に過ぎざりしといえども、国家学会雑誌六十号に載せる下の言を見よ。いわく、『男系の発達したるは社会の発達したる後に行われる事にして女系系統は世界普通の古の有様なりと論ずる者あり。確然断言し能わずといえども女系系統の恐くは何れの国にても行われたりと見ゆるなり。日本中国の歴史においては吾輩はあえて断言せず、日本の国体の如きは男系統と定むれども、もしも歴史的の人民ならざる以前においては女系系統にて非らざりしやと云うことは随分一の問題なるべし。』これ果して正当の推理なりや否やはもとより反対の見解を抱くものもあるべしといえども、穂積博士にしてかかる確信を有するならば警戒を極めたる辞令を弄するに及ばず明確なる断言を為すとも、愚昧者の不敬呼はりに対して国家の法律は氏の思想の独立を保護すべし。ただ奇怪なるはその両肩にある両頭の相格闘せずして平和なることなり。 |
社会の原始及び公法の淵源、氏は進化論を否定す 故に吾人はその頭の何れの者に向かって問うべきかを解せず。しかしながらもしそのある頭が科学的考察は法律学者の態度なりと発音するならば、吾人は実に語るべきものを有す。−すなわち、国家の起源は決して一家の膨脹に非ずと云うことなり。もとよりある時代における旧き学説として国家の起原を一家に置きたることありしは事実なり。しかしながら、系統を意識し家族を為すに至るは遥かに後代の進化にして、氏も知れる母系系統以前には存在せざるなり。母系系統とは今日より見れば誠に未開極まるものなりといえども、覚醒したる意識を以て母子の間を永続的につなぐまでに進化したる後ならざるべからず。 しかして父系系統とはこの意識が更に父にまで拡張せられ永続的の夫婦関係と父子の連絡が生ずるに至れるなり。すなわち社会と云い国家と云い氏の信ずる家族制度以前に存在せしなり。社会は契約なくとも、また氏の主張する如く父の威力なくとも、本能的社会性によって社会的生物として存在し、公法の淵源もまた決して氏の信ずる如く家族制度に進み家長の威力を恐怖するに至って始めて発生せるものに非ず、更に遠き以前の原始的社会より存在せる部落の道徳的制裁及び慣習なりと推理することは当然なり。何となれば家族制度なく家長なき高等なる社会的生物といえども、その社会維持の為に制裁の単純なるものを有すればなり。 穂積博士は今なお力を極めて偏局的個人主義の機械的国家観を攻撃し、契約説の死屍に鞭ち、国家社会の基礎を愛国心または公共心と名づけて社会性に置くならば−しかしてこれ家長の威力を恐怖して団結すと云う他の言と矛盾すといえども、ホッブズの如く社会国家の原始を各人の各人に対する闘争において存在せしと憶説する者に非ざるべし。すなわち、氏にして明らかに生物進化論を知り、人類が類人猿より分れたる時代よりして社会的生物なることを知れるならば、原人社会より母系系統と云い父系系統と云うが如き家族的意識において存在せしと信ずるは生物進化を超越すと認めるものなり。実に、類人猿と云う社会的生物より分れたる原人が社会的存在を本能的結合において継承したるべしと云う科学の帰結は、父の威力の下に団結せられたりと云う(これ威力なき時代は個々に存在せりと云う個人主義の仮説を窃取せる者なり)憶説の社会起原論を駆逐したる者なり。 −始めを知らざる者は今を知らず、また終りを知らず、家族制度と云い同一系統による社会階級と云うが如き階級的社会に入りしは社会の大に進化せるある過程の状態にして、すなわち社会意識が近親の系統にのみ覚醒せられたるある程度の進化にして、決して原始のものにあらず、また現今の状態に非ず、またもとより社会の永遠にまで継続すべきものに非ず。(『生物進化論と社会哲学』を見よ)。 公法の淵源を論じ社会の起原を推究するほどの者ならば総てを進化的に見よ。仮に社会の原始が家族制度の発達にして公法の淵源が家長の権力に在りしと定めるも、社会の進化し法律の進化したる今日及び今後を律するに家長権と家長国とを以てするは抑々何ぞや。実に穂積博士の論法は人類の原始は類人猿なるを以て世界の人類は今日も今後も類人猿にして、類人猿の属する獣類は更に鳥類と分れたる爬虫類なるを以て博士も吾人も今なお爬虫類なりと云う者なるに似たり。 |
神道のアダム、イヴによってキリスト教的世界主義を取るかユダヤ教的排外教を取るか、氏の天照大神を天祖と云うことは神道を毀傷する者なり 否、穂積博士は日本の社会の起原を神道によって推究する者にあらず、遠き以前に棄却せられたる社会学の維持すべからざる憶説を以て自家のほしいままに捏造せるものなり。笑うべきに非ずや。『神道を信仰して知識を第二位に置く』と云う氏の信仰論は鼻を撮めば足る、知識を論ずる社会起原論の旧知識を信仰してその第一位たりと云う神道の信仰を破壊せるに至っては天理教の翁嫗も嘲笑すべきぞ。 見よ。神道は何処に日本国は天照大神の一人より膨脹せるものなりと伝える。神道はイザナギ・イザナミの二人が人類の元始なりと伝えるのみ。しかしてこれユダヤ民族のアダム、イヴが人類の始祖なりと伝える如く、古代の思想の程度としては一般の人類起原論なるに過ぎず。故にかかる人類起原論を信奉するならば、キリストがそれによって人類同胞の世界主義を唱えたる如く、神道をキリスト教の如き世界教とならしむるか、あるいはまたユダヤ民族のみアダム、イヴの子孫たる神の子なりと云う如く、日本民族のみイザナギ・イザナミの後裔なる神人なりとして神道を排外思想のユダヤ教とならしむるかの何れかならざるべからず。 十四世紀後に書かれたる文字にて想像せば、天照大神を以て神武一家の征服者の直系の祖先なりとは云い得べし。神武より先に移住せる日本民族、及び後に来れる民族、また天照時代にすでに八百万神と称せられたる多くの人口、及び歴史上の無数の帰化被征服者の他種族の繁殖せる子孫たる今日の日本民族とは係わりなきことなり。すなわち高天ヶ原の民族につきて云うも単に同一民族と云うだけのことにして、天照一人より分れたる者が高天ヶ原の大なる一家なりとは何処においても記されざる所のものなり。 穂積博士にしてもし実在の人物として天照大神を見るならば−然らざれば思想上の作成たる神の生命が延長して実在の天皇の一身に統治権を継続すと云う氏の君主主権論者は理由なきに至るが故に−天照は女性の一人にていかにして八百万の人口を繁殖し得たりや。古典に書かれたるスサノオ尊は天照と併行せる傍系に非ずして天照の単性生殖にて産める子なりや。スサノオ尊が出雲に入りしとき蛇に喰われるほどの多くの人口を有し、しかしてその蛇に喰われたる娘の翁嫗は、恐くはそれよりも年少なるべき天照の腹より出でし者か。神道を信ずるならばイザナギ・イザナミがセキレイの交尾を見て生殖の法を知り以て人類を産めりと云う世界一家論を唱えよ。これ神が自己の形に似せてアダム、イヴを作りしと云うユダヤの神話より、キリスト教の人類同胞の高貴なる理想が孚まれたるが如くなるべし。八百万神を産まざる天照大神は八百万神の子孫たる者の多かるべき国民の大多数に取っては氏のいわゆる『天祖』に非ず。 しかしながらかかる尊き世界主義はいわゆる国体論を云う者の如きに取っては余りに尊くして仰ぎ見るを得べきに非ざるは論なく、従って氏はあたかもユダヤ民族のみ特別に神の子たるアダム、イヴの後なりと云う如く、日本民族のみイザナギ・イザナミの二人より産れたる特別の神裔なりと論ぜざるべからず。しかしてこれ天照大神一人を天祖なりとして日本民族はその単性生殖にて繁殖せるものなりと云う氏の前きの主張を取消して、全く新たなる議論に移るものなりといえども、君臣一家論と云い、日本民族は一家の膨脹発達せるものなりと云う氏の主張に取っては利益なるべし。 |
故黒川博士の進化論評 人は成るべく善意に解せざるべからず、故に吾人は充分に善意を尽くして故人となれる文学博士黒川真頼氏の言を氏に示すべし。もし氏にして以下の言を読了するに堪えずして、過ぎて噴飯するがごときことあらば、吾人の善意は拒絶せられたる者にして氏は人類同胞の世界主義において神道のキリストとなるか、然らざればユダヤ教的神道論を止めざるべからず。黒川博士はいわく『衣は体に従って作り出でたるものにして衣は上部に着、袴は下部に着る、之を着て世を送りたり。然るに近世の人謂へらく上古の人は衣を用ふべからず、人と云うものは元と獣にしてその獣は何ぞと云わば猿なりしを、その猿が若干の世を経るままに身体の毛が漸次に抜けて人となり、之を進化と云いて漸次に知も備はり来て、身体の毛の減ずれば寒を覚ゆるからに草木の皮を取って衣服を作るやうになりたりと、これ外邦の説なり。外邦の説は真に信ずべしなど伝える人あれども、これは我が古典を窺はざる人のただ外邦の説によって言うなり、外邦の人民は猿の化したる者なるべけれど我邦の人民は然らず。我国にては人は人なり猿は猿なり、猿の進化したるが人となりたるに非ず。古事記にイザナミ尊の御言にいわく、愛我勢命為然者我国之人草一日絞殺千頭爾伊邪那岐尊詔愛那邇妹命汝為然者一日建千五百産屋とあるを見ても猿には非らざりし事を知るべし。これもし猿ならんには汝の国の猿草とぞあるべき。また猿が子を産まんには産屋を立つべくも非ず。猿ならざること明瞭なり』 |
神道の勢力の皆無 吾人は故人を嘲笑せんが為に笑謔の材料としてかかる引用を為す者にあらず。穂積博士がキリスト教の世界主義において神道のアダム、イヴを執るか、あるいはまた神道のアダム、イヴをユダヤ教の排外思想において取るかの選択に利するあらんとしての善意のみ。穂積博士は今なお社会の起原を家族団体なりと伝える旧き憶説によって解する程なるが故に、生物進化論を解せざることにおいて、あたかも黒川博士が古典を引用して対抗せしに匹敵すべし。果して然らば黒川博士の、『外邦の人民は猿の化したる者なるべけれど我が人民は然らず』と断定し、『猿ならざること明瞭なり』と一髪千鈎の力を以て結べる確信の程度は、実に議論の一貫せることにおいて遥かに穂積博士を超過せりと云うべし。もし穂積博士のユダヤ教的神道の信仰にして斯くまでに固く、他人に神道的信仰を要求する如く氏自身の衷情において君臣一家論や忠孝一致論を信仰個条とするならば、誠に以て国体寺の座主たるべき栄誉に孤負せざるなり。しかしながら注意すべきことは、国体寺は腐敗せる本願寺よりも多くの信者を有せざることに在り。然らざれば翁嫗の念仏唱名を圧して『高天ヶ原に神づまり』の声が日本全国に蚊の鳴く如く聞え渡らざるべからざる理に非ずや。しかして新知識者と称する者の神社に叩頭する者の少なくして、教会に行くものの多くなれるは解すべからざる現象に非ずや。斯くまでに神道の信仰が皆無となれる今日において、大日本帝国とその重大なる機関の一たる天皇を神道の基礎を以て代えんとするは何たる革命家ぞ。否、恐く国体寺の座主その人といえどもその科学的攻究を以て神道の教義を毀傷しつつある如く、ただ革命論の便宜の為めに唱えるに過ぎずして衷心は決していささかの信仰だも無かるべしと考う。 |
氏は天皇を空虚の上に置きて覆す、君臣一家論による二様の革命論 吾人は理由なくして他の信仰の衷心にまで立ち入って想像をたくましうするの慎むべき事を知る。しかしながら穂積博士の議論は之を今日の国家主権の国体より見る時においては明かに革命論として断ずるの外なく、大化革命の遠き昔より理想として画かれ明治維新においてようやくに実現せられたる公民国家と、その国家の機関として国家の基礎の上に置かれたる天皇とを、自家も信ぜざる神道の信仰の上に置かんとする者に非ずや。自家も信ぜず天下も信ぜざる信仰とは信ずる者なき死せる信仰と云うことにして、空虚の上に天皇を置くと云うことなり、すなわち何者の上にも置かずして覆すと云うことなり。−−事実は歴史の上に存在す、大化革命を以て儒教の理想的国家を実現せんとしたるゆえんの者は祖先教を以ては天皇の維持すべからざる危険に陥れるが為めに非ずや。仏教の信者たる蘇我氏にとっては別宗教の皇室は尊き者に非ず!外国人の漢氏の駒にとっては崇峻天皇は君臣一家の『民の父母』には非らざりしなり! これを以ての故にたとえ夢想に過ぎざりしとはいえども皇室中の大胆果敢なる理想家が公民国家を夢みたるに非ずや。ようやくにしてその理想の実現せられたる国体を覆して蘇我氏と駒との権利を今日に主張せしむるに至る穂積博士は、之を復古的革命家と呼ばずして何ぞ。国家は国家としての独立自存の目的を有し、天皇は国家の利益として国家の維持する国家の機関なるが故に国家に害する義務として犯すべからず。もし日本の国籍に在る人民は『天皇の赤子』にして天皇はその家長たる『民の父母』なるが故に尊しと云わば、君臣一家に非ずして国籍に入れるイタリアの無政府党員はその爆烈弾の権利を穂積博士の憲法学によって主張するに至らん。『キリスト教徒の団結は神の有無に非ず国民は信仰によって団結す』との氏の信仰論は、ニコライ教徒をしてロシアに団結せしめ国家に対する反逆を許容する者なり。−−かかる革命論は氏においても否と云うべし。然らば異教徒を殺戮し外国人を絞磔せざるべからず、しかして等しくまた革命なり。 |
君臣一家論と発狂視、穂積家は皇家の末家に非ず 穂積博士にして頑迷に今日の国体を以て家長国となし、君臣一家忠孝一致を以て一切の法律学と倫理論とを築くならば、吾人は実に氏に問う。−−もし足下の車夫が旦那の親類は何処ですと問いし時に、拙者の親類は天子様なりと答うるや否や。車夫は不敬漢と云うべく、吾人はその大胆なる平等主義に敬服す。しかして更に民にして拙者と天子様とは血を分けたる兄弟分なりと云わば査公必ず手帳を出して一応の尋問あるべく、子が産れた親類の天子様に知らせよと云わば産褥の令夫人は驚きて逆上すべく、大道に立って穂積家は皇室の分家なりと云わば腕白の小学生徒等は必ず馬鹿よ々々々と喚きて尾行し来るべし。−−吾人をして憐れむべき愚夫を翻弄する者と解すべからず、後の歴史解釈において系統をたどりて平等主義の発展する歴史的拡張を見よ−−果して然らば君臣一家論を最も強く主張する氏においても皇室と穂積家とを平等関係の親類と考えず、親類などと云わば発狂と見らるべきほどに血縁的関係の稀薄疎遠になれる者ならば、之を以て国家の連鎖とし天皇の基礎とせんとは何たる白痴ぞ。もし穂積博士にして神道の伝道者にして法律学者に非ざるならば兎に角、現今の民法は未だ全く家長制度の痕跡を脱する能わざるに係わらず、家長権が二三の特権に止まり、親族法においてはある等親を以て限界とするを解せざるの理なし。素封家の葬式には猫の子を貰いしまでも親戚なりと云って集まる。皇室にして寛大ならざるならばまさにのたまうべし。便佞なる八束と及び四千五百万の奴隷よ。卑しき穂積家が朕が家の末家にして乞食に至るまで朕が家の分家なりと云うか。皇室は汝等の如き下賤なる人種と平等の祖先より分れたる親戚に非ず。汝等は皇室の祖先が零落せる時においては路傍の人の如く過ごしあるいは共に石を投じながら、今の繁栄に媚びて三千年前の古き、遠き、系統の知れもせざる者を、僭越にも親類と云い本家と云って為めにせんとするは何たる佞猫ぞ。皇室は平等の祖先より分れたる分派にあらず国民を強力によって圧伏せし堂々たる征服者なりと。 |
家長制度はあえて日本に限らず、穂積博士自身は神道を信仰せず、多神教の哲学と祖先教の宗教 吾人は断言せん、穂積博士は単に君臣一家の家長国を信ずるものに非ざるのみならず、衷心を探ぐれば神道の信仰は影だも有せざるものなりと。もし氏にして神道を信ずるが如き言動ありとせば、それは姦邪なる姑婆が念仏を唱え怠惰なる書生輩が教会に遊びてアーメンと云うと同一なる外面の装飾に過ぎず。 −吾人は穂積博士の憲法論を神道的信仰の上に置くと云い来れる総ての言を取り消す。氏は神道を信仰する者に非ずして、そのいわゆる信仰とは旧式の社会起原論なり。実に氏等のいわゆる国体論の脊椎骨は、いかなる民族も必ず一たびある進化に入れる階段として踏むべき祖先教及びそれに伴う家長制度を国家の元始にして、また人類の消滅まで継続すべき者なりと云う社会学の迷信に在り。家長制度や祖先教は何ぞ独り日本民族のみの特産物にして日本のみ万国無比の国体なりと云うが如き性質の者ならんや、今の欧州諸国も皆ことごとく一たびは経過したり。 直れ事実において明かに知られるのみならず、いかなる先進国といえども階段を超越して進化する者に非らざればなり。これを以てかって欧州においても王権あるいは公法の淵原を家長制度と家長権とによって説明する説の勢力を有せし時代あって、恐らくは穂積博士の如きはその天賦の佳良ならざるが為めに、彼等の糟粕をなめて日本国を説かんとし過て革命家となりしに過ぎざるべし。いえどもしかり、もし穂積博士にして強いて余の神道的信仰は第一なり、社会起原論の知識は第二なりと主張するならば、吾人はかかる虚偽を剥奪するにおいて一分の寛仮あるべからず。 問う−祖先教とは多神教の事なるが足下は多神教の信者か。恐らくは氏は傲然として然り八百万神を信ずるのみと答えん。もとより可なり、しかしながら祖先教と云う多神教はそれ以外に多くの拝すべき神を有す。かの信仰の自由の最も極端なるインドにおいては今なお祖先の霊魂を祀る多神教の在って、その多神教には大蛇、木石、鳥獣、はなはだしきは生殖器等が礼拝せられる如く、キリスト教伝播以前の欧州人も種々の動物奇石怪木を祖先の霊魂と共に祀りたる如く、八百万神を信仰する日本の祖先教も多神教たることにおいて無数の噴飯憫笑すべきものを祀りたりき。穂積博士は酸素と炭素との化合による火の説明を退けて迦具土の神を信仰しつつありや、気圧の為めに起ると云う暴風を級長戸辺の神が怒って大木を抜くとして恐れつつありや、波浪の起るは大渡津美の神の所為として恐怖しつつありや、蝗虫は歳の神して農学は国体を傷くる神道の邪教なりや、氏の邸宅のカマドと厠とには供物を供して、カマドの神、厠の神を祀りつつありや、氏は動物園の大蛇を神社に祀るべく主張し、木造の生殖器の前に朝夕合掌稽首しつつありや。 |
多神教の哲学と祖先教の宗教 −かかる淫祠邪教の存するが故に、帝国憲法は安寧秩序を妨げざる限りにおいてと云う前置きを設けたるなるぞ。祖先教と多神教とは同一の根より生じたる宗教と哲学の萌芽なり。今日において顧みればもとより笑うべき者の多くなお未開国あるいは開明国中に放ても僻遠の愚夫愚婦の間において、かかる迷信の残りて憫笑の題目とせられつつあるが如しといえども、人類進化の過程としてはいかなる民族も避くべからざる第一階段なり。すなわち、人類は天地万物皆神なりとする多神教(汎神教の意義に非ざるは云うまでも無し)によって先ず霊知の開発を始めて哲学を知り、人はことごとく死せずして屋上に墓中に天空に魂魄として残るとする祖先教(また吾人が先に論じたる科学的宗教の個体の延長と云う意味の不死に非ざるは論なし)によって安身立命の宗教を得たるなり。この宗教あってこの哲学あり、この哲学無くしてこの宗教あらず。然らば、もし穂積博士にして余は天照大神や八百万神は信仰するも蛇や厠や生殖器は礼拝せずと遁辞を作るならば、これ然りと否とを同時に発音する舌を有する者なり。故に吾人は氏を下の三様の方法によって思考するの外なく氏もまたその中の一を決定すべし。 |
氏は生殖器を礼拝するか神道を捨つるか −穂積八束氏は一事を同時に肯定しまた否定し得る新論理学を発明したるアリストテレスとベーコンに比肩すべき哲学者か、あるいは多神教を肯定して木造の生殖器の前に合掌しつつある法科大学長帝国大学教授法学博士か、あるいはまた祖先教を否定して自己の憲法学を否定し、自己の君臣一家論を否定し、以ていわゆる国礼論を否定するか。 |
沙汰の限りの忠孝一致論、忠孝一致論を破壊する者は君臣一家論なり、天皇と臣民は親戚の平等関係に非ず いわゆる国体論においてはこの君臣一家論と云うものよりして更に忠孝一致論と云う者を演繹す。もとよりかかる沙汰の限りの者を理論の筆に上すは汚らわしといえども、素朴篤実なる教育者の如きはその疑問を抱く事に慣れざるが為に今なお山僧等の土偶に欺かれて、道徳的判断の根拠として幼少なる頭脳に吹き込みつつあるに至っては誠に戦慄すべきなり。 万世一系の鉄鎚に頭蓋骨を打撲せられたる国民に取ってはかかる惑乱の平常なるべきは論なしといえども、仮に今日の全日本国民が穂積博士等のいわゆる天皇一人より繁殖せる君臣一家なりとするも、しかも忠孝一致論に何の連絡あって演繹し得るや。ある者の如く、忠孝一致論なる者を君臣の一家と云うことと分離して、単に君に忠を尽くして親の名を挙げて家を盛にするが故に忠は孝と一致すと云わば、これ大に論理的なるものにして、クロムウェルは革命によって名を挙げ家を起したるが故に孝と弑逆と一致し、ワシントンにては孝と独立と、ワット、ジョンソンにては孝と蒸気及び電気と一致すと云うものなり。しかして、忠ならんと欲すれば孝ならず、孝ならんと欲すれば忠ならずと惑ひし平重盛は、忠孝一致論を解する能わざる愚夫にして、父義時に対する孝の為に三帝を流罪せし泰時は孝と一致して三帝の大忠臣たるべく、国民の祖先より主権者として仰がれ九代の間北条氏を盛にしたるを以て実に忠孝両全の君子なりと論ずるは一歩の弛みなき論法なり。 しかしながらこれを君臣一家論なる者の演繹として君臣は一家なるが故に忠と孝とは一致すと論じつつあるは誠に東洋の土人部落なるかな。仮に天照大神の単性生殖によって四千五百万人がことごとく繁殖せりとするも、天照その人に対してのみ忠孝一致論は唱えらるべく、同一なる子孫の間に何の故を以て忠の権利義務が生ずるや。土人ならば同一なる子孫の間に差等を設けて一子のために他を犠牲の奴隷的道徳につなぐべし、天照大神を信仰の眼に仰いで親と云い祖と云うならば一視同仁の愛を見よ。あるいは末家なるが故に平等に非ず本家に忠を尽くすべしと云うか。然らば教育勅語の教える血縁の親近による道徳履行の順序によって、一旦緩急あらば三千年前の遠き本家たる天壌無窮の皇運を扶助するより先に、親の代に分れたる本家に忠なるべく、兄の世に分れたる末家は更に忠ならざるべからず。しかして法律を知れる穂積博士の如きは等親の限定による親戚関係の消滅を主張して忠の義務なきことを主張するに至るべく、もしこれが為めに不敬不忠と呼ばれることありとも国家の主権を負いて立てる厳正なる判官は可憐なる教育勅語の遵奉者を保護すべし。 −実に教育勅語に基きてかかる忠孝一致論を視るならば飽くまでも平等主義なり。吾人は君臣一家論によって忠孝一致論を唱える者の説明を求む。−末家の父老は各々その本家の子女の為めに血を流しつつありというか。末家の壮丁は各々その本家の児童の為めに屍を晒しつつありというか。末家は各々その身の股を割って本家の美膳を整へしつつありというか。末家の長兄は各々その本家の小弟の為めに道を避け警官の叱咤に惶走し、最敬礼を為し、君が代を三唱しつつありというか。 −いわゆる国体論者にして各々その本家に対してかかる義務を負担しつつ非ざるならば、平等関係の本家末家を以て皇室と国民との間を誣いるは今日の国家が許容せざる過激なる革命主義なり。日本の国体は君臣一家に非ずして堂々たる国家なり。天皇は本家末家に非ずして国家の機関たる天皇なり。皇室費は末家に対する本家の略奪に非ずして国家に対する皇室の権利なり。兵役は本家の利益の為めに末家の殺戮されることに非ずして国家に対する国民の義務なり。天皇が他の何者も比較すべからざる重大なる栄誉権を有し、国民の平等なる要求を為すべからざるは国家の利益の為めに国家の維持する制度にして、皇室の特権を無視することは国家の許容せざる所なり。すなわち、大日本帝国は君臣一家の妄想にあらずして実在の国家なり、天皇は国民と平等なる親戚関係の本家に非ずして、国家の利益の為めに国家に対して重大なる特権を有する国家の一員なり。実に忠孝一致論を唱える者はその理由とする所の君臣一家論によって国家に対する反逆なりとすべし。(家長制度と忠孝主義とにつきては後に解く日本の倫理史を見よ)。 |
内地雑居による一家論の困難、歴史上より君臣一家に非ず
かかる、日本国を以て一家の膨脹したる家長国にして国民は天皇の赤子なり、天皇は民の父母なりと云う国体論は内地雑居によってジレンマに掛る。今日の法律はいかなる外国人といえども日本の国籍に入るときにおいては国家の臣民たる義務において差等なし。−−赤髯碧瞳の欧米人に取っては単に国籍に入れりと云うことを以て天皇の赤子なりとは承認せざる所にして彼等は日本国の臣民なりと云うべく、黒人種の入籍を許可して日本国の臣民とすべきも、天皇を以て黒奴の父母なりとは天皇の快ろよしとせざる所なるべし。君臣一家論によって天皇を家長なりとして忠を要求する穂積博士等の国体論者は何の理由に要めて帰化人の義務を要求するや。国体論者の選ぶべき道は二あり。すなわち先に言えるイタリア無政府党員の暗殺と異教徒の反逆に権利を付与し、外国の帰化人は臣民たるの義務を免かると論ずることが一なり。他の一は内地雑居を排斥すること。 しかしながら土人の国体論者といえども、内地雑居が重大の死活問題にして明らかに家長国の主張を掃討するものなることを知れるが故に極力之に反対したることは事実なり。しかしながら、国体論の復古的革命の成らざりしのみか、斯くまでに歴史の進化に打ち勝たれて内地雑居となれる今日今後をいかにするかが問題に非ずや。否! 歴史の始めよりいわゆる国体論者に対する脅迫は存するなり。穂積博士は英雄の姿を以て日本歴史を飾る神功皇后は三韓より帰化せる者の裔なるを以て、国体の破壊者なりと云うや。小学生徒をして最も悦ばしむる坂上田村麻呂は雑種児なるを以て国体を傷けたる国賊なりと云うや。応神天皇の時に十七県の人民を率いて帰化せる阿知王の子孫及び当時の中国文明を輸入せる総ての帰化人の子孫は氏にとっては天皇の臣民に非ず、また天皇は彼等の君主に非ずと云うや。三韓征服の度毎に人口増殖の目的を以て捕虜として連れ帰れる驚くべき多数の奴隷と、蝦夷人種の帰化しあるいは征服されたる賤民なる者の血液の混交せる者は、その厚薄の度によって天皇と国民との権利義務及び道徳関係に差等を生ずるや。−−あらず、吾人は恐るべき国体論の破壊者を示す。 |
国体論の破壊者は現天皇陸下なり
誰ぞ、現在の天皇陛下なり! しかしながら国体論者よ恐れるに及ばず、吾人は真の天皇を神輿に奉じて吾人が今汝等の土偶に為しつつある如く吾人の国体論に一矢を試みよと云う者にあらず。ただ、南都の僧兵がその神輿によって当時の天皇を地獄に落すと威嚇したる如く、もし今の天皇が土偶の国体論と背馳せる行動あるが為めに不敬を加えるが如きことあらば、吾人は傍観すべしといえども国家には厳粛なる刑法あり。すなわち天皇の有する権限によって外国を日本の版図に包含せることなり。日清戦争によって中国人を包含せる如きはすでに君臣一家論と忠孝一致論とを破壊したる前駆にして、日露戦争によってロシア民族を国籍に編入せるは、実に山僧その神輿を粉砕すべく、頑迷なる国体論者の土人等を排斥して内地雑居の条約を締結せる者は実に大日本帝国皇帝陛下の名なりしぞ。 |
日本人種研究論と国体論者 否! 今日において君臣一家に非ざるはもとより、歴史時代において国民が天皇の赤子にして天皇が民の父母に非らざりしはもとより、建国当時より日本民族は一家の膨脹せる者に非ざるはまたもとより、日本民族その者がすでに混交せる血液において歴史以前より存在したることの定説となれる事実を如何する。吾人はかかることにつきては殊の外門外漢なるが故に無数に提出せられたる日本人種論につきて可否を決し得るものに非ずといえども、高天ヶ原とは空間の高き所にあらずとなして地図的に考察せられつつあって、日本民族は特別にイザナギ・イザナミの二人より繁殖し外国人のみ猿なりと主張する者の無きことだけは確実なり。−−この事だけの確実と云うことは日本民族は一家の膨脹せる者なりと云う国体論の根本思想が確実に虚妄なりと云うことに非ずや。吾人はあえて黒人種を軽侮せず、また白色人種を崇拝せざるが故に日本民族の祖先をフェニキア人がインドを経て南洋に至り、南洋より潮流に従って日向に上陸し中国より移住せる人種と混和して成れる民族なりと云う解釈を必ずしも悦ぶ者にあらず、しかしながら斯く解する者の存することは君臣一家論を証明するゆえんに非ざることは確実なり。また、林家の説の如く呉の泰伯跡を荊蛮に暗ますと云う語よりして、また総ての文明が中国大陸と朝鮮半島とより来れる歴史以後の事実より推して、吾人の祖先はことごとく中国・朝鮮より移住せる者にして日本民族は純然たる中国人種なりと云う見解の必ずしも信ずべき者なりとも云わず、しかしながらいわゆる古典派なるものよりも古来かかる説の勢力ありしことは忠孝一致論に材料を供給するゆえんに非ざることは確実なり。また、一般の科学的研究者の如く、言語学、解剖学、人種学の上より考察して、日本民族は馬来人種と蝦夷人種と漢人種との雑種なりと断定せらるとも吾人の可否を云うべき権なきは論なし。しかしながら何事も科学的研究の今日においては儒者や国学者なる者の空論に耳を傾けるよりも、科学者の研究の結果一般に信頼せられつつある説明に従うの外なきは当然なるべく、しかして未だ一人の学者といえども日本民族は始めよりこの国土に住みて特別の一人種なりと主張する者の見られざるが故に、兎に角ある処より来たりてある人種の混交せる雑種なりとの見解は不動なる者とすべし。果して然らば、いかに下等なる物質にて組織せられたる頭脳を有すとも世人が穂積博士の憲法論に注意を払いつつあるが如く、今日の程度においては例え日本人種の研究ははなはだ幼稚なりとするも、その道においてはその道の専攻者に聴くべく、帝国大学教授法学博士とも在るべき者が一国の基礎法たる憲法学を講ずるに、自己も信ぜず天下も信ぜざる原始時代の原始的宗教を以て一切演繹の根本思想となすは何たる事ぞ。あるいはその復古的革命主義よりして日本人種研究の如きは神政政治の家長国を建設するに不利なりと云うか。そは今日の国体において云うべき事にあらずして国体論の復古的革命が成功し、現今の公民国家を破壊し国家の機関たる天皇を覆して、土偶が君臨したる時において言へ。吾人はここにまた穂積博士の取るべき道を指示せんが為めに故人内藤耻叟氏の言を挙ぐべし。これ実に理想的国体論者にしてその朝廷の誅なる者を以て人種研究を禁圧せんとしたる所、到底博士等の企及すべからざる一貫の態度なればなり。いわく、『我が神州の民は固とこの神国に特生せる一の人種にして決して他国より遷転し来れる者に非ず、全くこの国に生ぜる開闢以来の一種特別の神裔なり。この頃一種の小人あり、我が神人を以て他人種の遷転し来たりたる者となさんとす、以て西洋学者に媚付せんとす。その心術の卑陋なるもとより論ずるに足らずといえども世人あるいはこの鼠輩を信ずる者無きに非ず。かかる憶説をたくましうして以て我が神聖なる朝廷を汚辱する者は実に天地に納れざる逆賊とす。誅せざるべからず。古へ桓武天皇の御時にすでに明詔を垂れて斯くの如き小人を戒め給へり。今日朝廷の上において誅なきは何ぞや』 |
親藉関係の平等なる今日において天皇を家長と云うことの自殺論法
実に、日本国今日の国体を以て家長国なりと云うは、かかる神道的迷信にして何の根拠なし。その君臣一家論と云い忠孝一致論と云う者を家長あるいは本家が家族と末家とに対して絶対無限権を有したる時代に唱えるならば、事実の如何は別問題として理由あるべきも、これを親戚関係の平等を原則とする今日において主張するに至っては明かに自殺論法なり。故に『民の父母』と云い『天皇の赤子』と云うが如き語は歴史的踏襲の者にしてあたかも『神聖』のそれの如く意義なし。 |
【第十一章】 |
日本において系統主義と忠孝主義の特に発展したる理由。系統主義と忠孝主義との転倒せられたる歴史解釈。政治史。順逆論と天動説。教育勅語の歴史解釈と吾人の独立。天皇の鉄柵内に侵入する者。日本には未だ歴史哲学なし。政治史と倫理史。皇室初代の政治的道徳的地位。神武の結婚綏靖の即位。純然たる原始的生活。数の観念の不明確なる時代と神武紀元の計算。記録すべき文字なかりし一千年間は政治史より削除すべし。コロンブス時代のローマ法王の世界所有権と皇室初代の日本所有権。逆進的批判に入るべき地方と全国独立の部落。各族長の私有民と皇族の長との無関係。国体論より除外すべき一千年間と当時の天皇の意義。その後歴史的記録の編纂されるまでの四百年間は依然たる原始的生活の継承なり。政治史の開巻第一章よりの乱臣賊子。逆進的批判の歴史。例外は皇室の忠臣義士にして国民の大多数は乱臣賊子なり。皇室は最初の強者なりき。蘇我氏の乱臣賊子。大化革命後の八九十年間。家長国における財産権としての統治権。祖父の愛孫と後見人の権利。大政大臣の不可侵権。壷切の剣と皇位継承権の表白。天皇対内閣全員のストライキ。血液による皇位の侵犯。山僧の活動と平清盛。中世史すなわち日本歴史の全都なるを例外とは何ぞ。平氏、源氏、北条氏。北条氏の三帝放逐と国民の共犯。吉野山の残兵よりも多き高時の殉死者。敗れたる忠臣よりも勝てる足利氏はより多くの乱臣賊子を有す。師直の天皇不用の放言と政党内閣論者。戦国時代の皇室の悲惨の事例。秀吉と権利思想の表白。徳川氏の対皇室策。抱腹すべき徳川責任内閣論。有賀博士は委任の文字を逆進せしめて論ず。不断の幽閉と不断の強迫譲位。義時の自家防衛と徳川氏の積極的迫害。王覇の弁の主権論と白石の幕府主権の計画。天皇の栄誉権の蹂躙。勤王論の言論迫害と志士の窮迫。日本歴史は乱臣賊子の連絡して編纂したる者なり |
以上論ぜる如く、一家と云い一致と云うが如き誠に迷信者の捏造に過ぎずといえども、君臣一家論の拠って生ずる根本思想たる『系統主義』と、忠孝一致論の基く『忠孝主義』とは決して軽々に看過すべからざることなり。 系統主義と忠孝主義との転倒せられたる歴史解釈 もとより特殊に日本民族のみに限らず、いかなる民族といえども社会意識の覚醒が全民族全人類に拡張せられざる間は、系統をたどりて意識が漸次的に拡張するの外なきを以て、血縁関係に社会意識が限定せられて系統主義となり、従ってその進化の過程において生ずる家長国においては当然に忠孝主義を産むべきものにして、天下総て系統主義と忠孝主義とを経過せざる国民は無し。ただ日本民族においてはゲルマン民族の家長国の中世史を終ると共に、古代に存在せしラテン民族の民主政を回顧し得たる西洋史の如くならず、しかして海洋の隔絶によって欧州民族の如く早く中世史を脱する能わざりしが為めに、すなわち維新革命がフランス革命より後れたるを以て、国家主権の今日においてもなお惰力において君臣一家論となり忠孝一致論となって迷信に漂うのみ。兎に角かかる事情の下に系統主義と忠孝主義とは日本においてはいささかの障害なく著しく発展したり。故に系統主義と忠孝主義とはこれを国家主権の今日において主張するは明らかに復古的革命主義なりといえども、二千五百年間と称せられる上古中世を通じての歴史はこの鍵なくしては開かるべからず。ここにおいていわゆる国体論者は云うべし、故に日本国民は克く忠孝に万世一系の皇位を扶助して万国無比の国体を成せるなりと。これ忠孝主義と系統主義とが東洋の土人部落に取られたるが為めに前提と結論とを転倒せられたる者なり。−日本民族は系統主義を以て家系を尊崇せしが故に皇室を迫害し忠孝主義を以て忠孝を最高善とせしが故に皇室を打撃したるなり。吾人は薄弱なる根拠によって古今の定論たる者に反抗するに非ず、政治史と倫理史とは吾人をしてこの断定を避ける能わざらしむ。−系統主義の民族なりしと云う前提は世界総ての民族の上古中世を通じて真なり、しかもその故に万世一系の皇室を奉戴せりと云う日本歴史の結論は全く誤謬なり。忠孝主義の民族なりしと云う前提は世界総ての民族の上古中世を通じて真なり、しかもその故に二千五百年間皇室を奉戴せりと云う日本歴史の結論は皆明らかに虚偽なり。 これ君主主権論か国家主権論かの法理学を決定すべき政治史なり、これ忠君か愛国かの倫理学を判断すべき倫理史なり。これ実に総てに通ずる社会進化論にしてすなわち歴史哲学の日本史なり。自己の歴史を意識せざるものはその南洋なると東洋たるとを問わず土人部落たることにおいて別なし。 |
政治史
先ず政治史より考察せしめよ。
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順逆論と天動説、教育勅語の歴史解釈と吾人の独立
歴史は厳粛なる判官なり。然るにこの判官の前に立って今の日本国民は総て事実を隠蔽し解釈を紆曲して虚偽を陳述しつつあり。いわゆる順逆論なる者これなり。いわく、日本民族の総ては忠臣義士にして乱臣賊子は例外なりと。しかしてこの順逆論につきて疑問を抱く者なきは、かって太陽が世界の東より西をめぐると盲信せられたるが如し。しかしながら吾人は断言す、−太陽が世界の東より西をめぐる者に非ざることの明らかなりしが如く、必ず一たび地動説の出でて、例外は皇室の忠臣義士にして日本国民の殆ど総ては皇室に対する乱臣賊子なりとの真実に転倒されざるべからずと。この言に驚くものはあたかもガリレオの言に怒りたる天動説のローマ法王廷の如く、国体論の歴史解釈をローマ法王の権威としつつあるが故なり。あるいは『今日朝廷の上において誅なきは何ぞや』と伝える復古的革命主義者は、教育勅語を引用して『爾臣民克く忠に克く孝に億兆心を一にして天壌無窮の皇運を扶助したり』との意味の文字を引用して、ガリレオにも非ざるべき微少なる吾人の言を迫害せんと試みるやも知るべからず。しかしながら日本天皇はもとよりローマ法王に非ず。天皇は学理を制定する国家機関に非ず。故に巡査が勅令を出すとも無効なる如く、天皇が医学者にバイ菌学上の原理を命令し、理科大学に向かって化学の方程式を制定したる法律を下すとももとより効力なし。国体論中の土偶と明晰なる天皇とを混同することは決して許容さるべからず。天皇は詠歌において驚くべき天才を示しつつありといえどもしかも星と菫とを歌う新派歌人を詠歌法違反の罪を以て牢獄に投じたることなきがごとく、天皇がいかに倫理学の知識に明らかに歴史哲学につきて一派の見解を持するとも、吾人は国家の前に有する権利によって教育勅語の外に独立すべし。天皇が倫理学説の制定権を有し、歴史哲学の公定機関なりとは大日本帝国に存在せざる所の者にして、妄想によって画きたる幻影を指して天皇なりと誤るべからず。故に、教育勅語の中に在る『皇祖皇宗徳を建つること深厚なり』の語が、ルイ十四世の専制を想望する今の復古的革命主義者の見解に合せず、古今の天皇皆ルイ十四世の如き専制権を振るいしと解すともまた等しく彼等の自由たるべし。吾人は吾人の見解、すなわち天皇の祖先は皆多く優婉閑雅の詩人的天才を遺伝的に有し、儒教の政治道徳学を理想として国家の利益と目的との為めに行動すべきことを期待したりとの意見において争うも、教育勅語違反の不敬漢なりと云うが如き卑陋は口にだもせず、また天皇と吾人とは彼等を迫害すべき権利なきものなり。 |
天皇の鉄柵内に侵入する者 果して然らば、臣民は克く忠孝に世々その美を済して万世一系を奉戴せりとの天皇の見解と吾人の見解と全く合する能わずとも、その天皇の歌風と星菫詩人の文句とが背馳するが如き者と等しかるべく、吾人は学理研究の自由によって、皇室の常に優婉閑雅なりしにも係わらず、国民の祖先は常に皇室を迫害打撃し、万世一系の傷けられざりしは皇室自家の力を以て護りしなりと断定するにおいて何のはばかりあらんや。由来学理上の問題に政治的特権者の見解を引用して自家の醜劣をおおうの狂態は東洋の土人部落を外にしては見らるべからず。また他面より考えうるも教育勅語中のその文字の如きは単に天皇の国民を賞賛したる者として見れば可なり。幾多の戦争において勝利を得る毎に、天皇より安くる称讃に対して皆型の如く、これ皆大元帥陛下の御稜威に依るとして辞退しつつあるに非ずや。皇室が自家の護りたる万世一系を国民の尊王忠君なるが故に然りしかの如く解し、かえって皇室に恩を售らんとするが如き跡あるは独り何ぞや。しかも吾人の如く国民の祖先が皇室に対してことごとく不忠不義の者のみなりし事を言はんとするものあらば恐らくは呼ばれるに『不敬漢』の一言を以てすべし。かかる発狂はいかなる精神病学者も病名に苦しまん。国家の刑法は国家の利益の為に設けられたる制度として、天皇と皇室とに不敬を加えたる者を許容せず。国民が歴史の鏡に照されて過去の行為と良心とを叙述されるに不敬罪を以て護るあらば、これ天皇の鉄柵内に四千万の国民が侵入する者なり。穂積博士の如きはこの侵入者の例にして、その著『憲法大意』において『日本国民を忠孝の念に乏しと云う者は之を侮辱する者なり』と伝えるが如き足れなりの歴史をして充分に侮辱せしめよ。 |
日本には未だ歴史哲学なし、政治史と倫理史
しかしながら日本においては歴史的事実の記録されたる者あるも未だ一の歴史哲学なる者なし。歴史の意義は社会進化の過程を知ることに在り。すなわち歴史哲学とは社会哲学に包含されたる社会進化論のことなり。然るに万世一系の鉄槌に頭蓋骨を打撲せられたる白痴の日本国民はかって日本史の進化的研究を試みることなく、政治史と倫理史とは日本民族のみを進化律の外に置きて、ただ順逆論の逆進的批判を為すのみなり。本編の始めに少しく言える有賀長雄氏の如き日本唯一の政治歴史家を以て認識せられるに係わらず、『天皇』と云う文字の上に一切の空中楼閣を築き、日本民族はこの周囲を回転していささかの進化なき者と考えつつあるが如きこれなり。今日世に存する倫理史の著者の如き、日本民族は移住当時の原始的生活時代より皇室と国民との関係が今日の如く、今日の関係はまた雄略・仁徳時代の如く、克く忠孝に穴居時代より教育勅語を遵奉せる者と考えてその倫理史を綴りつつあるなり。憐れむべき東洋の土人部落よ、鉄道と電信とがあって文明国たり得るならばアフリカの内地も文明の君子国なるべし。政治的形式は二千五百年間同一の軌道を循環したる者に非ず、道徳的内容はまた開闢以来淀みなく進化し来れり。然るに後代の政治を以て太古を推理し、太古の道徳を今日の規範によって評価しつつありとは土人部落に非ずして何ぞ。故に、吾人は日本の政治史と倫理史とを進化的に叙述して政治的形式と道徳的内容との進化し来れる跡を見んと欲す。ただ、如何せん、いわゆる国体論と称せられる逆進的批判によって歴史的事実のおおわれるが為に、止むを得ざる方法として排除的態度に出でて第一に順逆論を駆逐せざるべからず。 |
皇室初代の政治的道徳的地位、神武の結婚綏靖の即位 順逆論とは、日本民族はことごとく皇室の忠臣義士にして乱臣賊子は例外なりと云う妄想を云う。日本国民はこの逆進的叙述の為めに後世の謚名に過ぎざる神武天皇を以て後世の天皇の如き意味に解し、形態発音の同一なる標号の用いられるが為めに中世と近代との異なるを忘却せるのみか、謚名に過ぎざる原始的生活をも一律に律しつつあり。もし神武天皇と呼ばれる時代において、皇室と国民との関係が後代の如くなりしとせば、神武天皇の結婚の如きは如何にして解せらるべきぞ。今日の『御通り』において見るが如き特権ある天皇なりしならば、神武自ら路傍に立って道行く七人の小女に就きて自らの口を以て婚を求むるが如きことのあるべき理なく、また、先年の『御慶事』において開きし如き栄誉ある天皇なりしならは、神武自ら小女の家に通いて、葦原のしこけき小屋に菅畳いやさや敷きて我が二人寝しと歌うが如き事のあるべき理なし。恋に上下なしと云うことの一面の理なると共に恋ほど階級に隔絶せられるものなし。今日諸国の君主にして自ら路傍に立って恋を語り、茅屋に通いて恋を遂ぐるが如きは精神の常態を失したる時といえども想像し得べからず。もとより神武は数千年以前の者なりと云うを以て知識においても今日を以て推測すべからざるは論なしといえども、兎に角日本の建設者と称せらる者、吾人は決して恋愛の為めにその政治的道徳的地位を汚辱するほどの無知ならざりしを信ぜんど欲す。政治と道徳との進化を認めざる逆進的歴史家は日本歴史の第一頁より『天皇』と『皇后』とが皇位を汚辱してそのいわゆる国の父母たるを得たりと考えうるや。時の天皇に取っては路傍の求婚と醜けき小屋へ通うことは汚辱たるべきほどの隔絶せる地位に非らざりしを以てなり。また神武に次ぎて即位せりと云われる綏靖天皇の母の如きは神武の皇后(文字の形態と発菅によって内容を推理すべからず)なりしに係わらず、その夫神武の子なるタギシミミと再婚し、タギシミミが綏靖天皇を殺さんとせるが為に綏靖が反撃して位に即げるが如きいかに今日の進化せる道徳と異なるやを見るべく、しかしてタギシミミの殺されたる時にその皇子なるにも係わらず、実に穴居せるにおいてはまたいかに皇室の地位が後代を以て推測すべからざるかは推理し得べし。しかるにもしこれを今日の政治歴史家と倫理史の著者の如く皇室の地位が古今不変なる者と考えうるならば皇室を初代より破倫極まる不道徳者のみと論決せざるべからず。然く不道徳の者がたとえいかに強者なりといえども人民の団結の上に立って支配するを得んや。良心の内容は東西において異なる如く古今また同じからず、今日の進化には今日の良心あり穴居時代の未開にはまた穴居時代の良心あり。皇室と国民とが階級的懸隔なかりし時代においては神武天皇の恋は皇室の政治的地位を汚す者に非ず、結婚関係の薄弱なりし原始的生活時代においては母と異子との結婚も皇室の恥辱たるべき不道徳に非らざりしなり。 |
純然たる原始的生活
一言にして評すれば原始的生活時代において独り皇室の祖先のみ後代の政治的特権と道徳的義務とを有したるの理なきを以てなり。実 に純然たる原始的生活に非ずや。陶器は単に粘土を水にて固結せしめたるを火に焼きし者に過ぎざるが故に緑葉を上に敷きて盛り、机と云うも未だ釘なきが為めに一枚の板に四本の木を葛にて結び付けたるに過ぎず。物尺の如きはもとより無く、単に咫と云い握と云い尋と云って各自の指手を以て大体を計量するに過ぎず。日本武尊の八百年後に至って火打ち石を以て発火せる事実あるも、それまでは今日その遺風を継承して伊勢大神宮出雲大社等にて用いつつありと云う如くヒノキの摩擦によって火を得たるほどなり。染料の如きは無く今日のインディアンの如く植物の草葉あるいは色彩ある粘土を織物にすりつけたるものにして、その綿と云うも上流の者に止まりで、口中に繭を食み唾液の熱を以て糸を引き出し何等かの野蛮なる方法を以て綴り合せたるものなり。
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数の観念の不明確なる時代と神武紀元の計算、記録すべき文字なかりし一千年間は政治史より削除すべし、コロンブス時代のローマ法王の世界所有権と皇室初代の日本所有権、逆進的批判に入るべき地方と全国独立の部落 −否! 中国と交通するに至りで文字の輸入されるまでは文字なき純然たる原始的生活時代として政治史より除外すべきことを当然なりとす。すなわち一千四百年後に書かれたる古事記・日本紀を信じて、その四百年前に至り始めに文字を得たる者とせば、先に論じたる火星文字の仮説によって、そのいう所の一千年間は単に伝説として受取れば可なり。何となればこれその伝説たることにおいて移住以前の高天ヶ原時代と相違なく、しかして高天ヶ原時代は今日の歴史家においても単に伝説として待遇するを以てなり。吾人は固く信ず。 −今日の南洋の原始人が事実においては幾万年の暦日を経過したるに係わらず、祖先が怪鳥猛獣と戦いしと云う二三の口碑より外に歴史的自覚なきが如く、紀元後いわゆる一千年間と称せられる原始的生活時代は文字を以て記述すべきほどに歴史的自覚なかりしなりと。実に歴史を意識するは人類中の文明人のみにして、もしくは文明人の文明に進みし時代のことのみにして、今日の欧州文明人が未だゲルマン蛮族としてドイツの森林に原始的共和平等の部落として存在せしより遥かに以前なりと計算せられる神武時代においては、後世の僅少なる口碑伝説によって(もしくは後世のほしいままなる作造推理によって)皇后の冊立皇居の処在等を推定し得るに過ぎざるほどの文化にして、歴史的意識を有せざる純然たる原始的生活時代なりしを以てなり。かの神武以後の四百年と数えられる安寧・懿徳・孝照・孝安・孝霊・孝元・開化と遥かに後世より謚名せられるに止まりて何等歴史上の記述される者無きこれ例なりとすべし。今日歴史家のある者が神武紀元を二千五百年よりも遥かに後世なるべしと論ずる者あるは、その論拠とする所もとより薄弱なりといえども、紀元後千四百年に文字なき時代の伝説を集めたる古事記・日本紀も伝説より以上に確実なる者に非ざるは論なし。すなわち古事記・日本紀が伝説によって神武の移住を今日より二千五百年前なりと数えしむるとも、その伝説たることにおいて『其寿各々一万八千歳』と云うと同一なり。何となれば時間の観念において不明確なる、すなわち物の数を正確に数える能力なきは原始的生活の一般にして、今日文明国の文明と云うも誠に最も近き近代のものに過ぎざればなり。果して然らばかかる原始的生活時代において例えそれが一千年間なりとするも、はた十万年間なりとするも、文字なき時代は政治史の取り扱う所に非ざるを以て、しかしてまた取り扱うにも及ばざる価値なき暦日の流転に過ぎざるを以て、その間例え何事が皇室の祖先と国民の祖先との間に存在せしとするも原始的生活時代は原始的道徳を以て評価すべく、歴史は後代の順逆論を以て逆進して批判すべき者に非ざるなり。 すなわち記録すべき文字なかりしと云う一千年間と数えられる伝説的年代は当然に政治史より削除すべきことを主張す。実に中国の歴史家が各一万八千歳なる寿を算して中国の歴史を数万年なりと云わざる如く、日本歴史を『二千五百年』史と云うことは大なる恥辱なりとす。 しかして時に注意すべきは今日四千五百万人の祖先の多くは当時の近畿地方に限られたる戦勝者とは関係なき他の地方の部落の原始人なりし事なり。もとより神武天皇の傍においては普天の下王土に非ざるなく率土の浜王臣に非ざるなしと後世の古典によって想像せられたりとするも、それはあたかもコロンブス時代のローマ法王が未だ発見せられざる世界の所有者なりとせられたるに係わらず、中国も日本もインドも決して法王の王土にも非ず、王臣にも非ずしてそれぞれ独立なりしが如く、順逆論の逆進的批判に入るべき者は実に近畿地方の小区域に過ぎざりし也。かの始めて租税、むしろ祭祀の費用として熊皮鹿角等を徴集せし崇神天皇が『遠荒の民今なお正朔を幸ぜず』と云いしは、もとよりローマ法王の世界所有権と等しき思想を以てせし古典の逆進的口吻なりといえども、意味する所はすなわち天皇の統治権が拒絶せられたりと云うことにして東北に独立せる蝦夷九州に在りし中国の属邦あるいは独立の部落に取っては、他の侵略を防禦して対抗せりと云うことなり。 −故に建国の始めより日本天皇を以て今日の地図面に散布せる国民の祖先の君主にして国民の祖先の総てと今日の土地の総てとが王臣王土なりしと云うは歴史を無試する者なり。国体論と云うローマ法王に取っては古事記・日本紀はバイブルたるべしといえども、土偶は歴史哲学の全能者に非ず伝説の補綴は神聖不可侵に非ず。 |
各族長の私有民と皇族の長との無関係、国体論より除外すべき一千年間と当時の天皇の意義 −しかしてまた近畿地方において天皇たりしとするも、始めは天皇の所有の最も大なりしに係わらず、他の大族の発達と共にその所有地と所有民はいよいよ強大を加えて、終に皇族と対抗して相下らざるに至り、天皇の所有地の外なる土地及び所有民の外なる人民は他の族長の所有地所有民として天皇とは無関係の者なりき。故に天皇の統治外に独立せし全国の大部分と、各族長の下に所有されし大多数の人民とは、皇室とは何等の関係なかりしが故に自ら順逆論とは別問題なり。すなわち神武紀元後一千年間と称せられる原始的生活時代は、各一万八千歳と等しく暦日の観念の不確にして歴史的自覚なかりしと、また歴史的事実を記すべき文字なかりしとを以て、政治史と倫理史とより除去すると共に、また当然に『国体論』より削らるべきなり。しかして謚名せられたる天皇の文字の内容は原始時代の一強者として定めよ。 否! その後四百年を経て歴史的記録の編集されるに至るまでは、なお歴史的記録を要せざるほどに歴史的自覚なき原始的生活の継承なりき。 |
その後歴史的記録の編纂されるまでの四百年間は依然たる原始的生活の継承なり −今日以降四世紀間歴史的記録なくして今日の吾人及び四百年間の子孫が満足すべしと思うや。事実につきて当時の文化の程度を見よ。雄略天皇の崩じたる時、遺族驚懼して殯宮に坐し、国大奴佐をして種々の生剥、逆剥、犯己母罪、犯己子罪、犯母与子罪、馬婚、牛婚、鶏婚、犬婚の罪を求めて国の大秡を為して神に謝したりとあるに見ても、当時の道徳が純然たる原始的の者なりしことを察せらるべく、夫婦同居の家族的結婚にも進まず、多く一時的生殖関係に過ぎずして、多妻多夫の間相知らざりしを以て異母兄弟の結婚は儒教の形式的道徳の入りし後にも自由なりし程なりき。しかして儒教渡来後二百年に至るも一人の王辰爾なる帰化人を外にして高麗の奏文を読み得たる者なきに想到せば依然として野蛮なる発音と態度とを以て意志感情を表白しつつありしを見るべく、上層階級の如き常に三韓の使者の笑謔の材料となり、仁徳天皇に至って文明の農業を学び茨田堤を築きて旱に備えるを知りしに至っては、如何に原始的生産の未開極まるものとして猿のごとく手より口に生活しつつありしかを知るべし。しかして、和銅年間の鋳銭あるまでは外国銭の些少なる輸入されたるものを奨励するに爵位を以てせざるべからざる程なりき。かかる経済状態は学者のいわゆる物々交換の時代と称して原始的生活の証明となしつつある所の者なり。これを天皇の生活に就きて見るも、一千三百年かの皇極天皇がその皇居を瓦葺にするまでは仏寺のみ外国的建築にして、民族最大の強者は堀立柱に藤葛を以て縛し、その茅萱を堅魚木によって風を防ぎたる今日の南洋において見るべき家屋に生活したりしなり。 |
政治史の開巻第一章よりの乱臣賊子 −否! その四百年間と云うも等しく記録なき時代の伝説なるに非ずや。故に、吾人はかかる時代にまで今日の政治的理想と道徳的判断とを逆進せしめて順逆論者を困難に陥れる者に非ずといえども、その外国文明との接触によって西南地方は皇室祖先の統治権を拒絶して自由に行動し、儒学仏教の進化せる哲学宗教は多神教祖先教の未開思想を先ず上層階級より駆逐し始めて、ここに皇族の基礎を掃討して諸大族のかわるがわるなる乱臣賊子なるものを生ずるに至りしことを知らざるべからず。国体論に対する侮辱は歴史的生活時代の開巻第一章よりして存す。かのいわゆる蘇我氏の専横と称せられる事実の如きは、皇族なる大族がその強者たる地位を失いて他の諸大族に圧倒せられたる事例の著しき者にして、諸族の膨脹発達して他の族長たる天皇と対抗するの勢力を得たるは、実に原始的生活時代の完結と共に始まりしなり。実に原始的生活時代の一千年間と称せられるものを除ける歴史的生活以後の一千五百年間の日本歴史はローマ法王廷のいわゆる国体論を根底より覆す。 |
逆進的批判の歴史、例外は皇室の忠臣義士にして国民の大多数は乱臣賊子なり 実に、教育勅語の称讃をその侭に自己に対する讃辞として、克く忠孝に億兆心を一にして世々厥の美を済し以て万世一系の皇統を奉戴せりと称する国体論者は原始的生活時代を除去せる一千五百年間の歴史を顧みよ。一千五百年間は日本歴史の総てなり、総ての日本歴史を顧みよ。吾人は、幼時の行為を成人せる後の道徳的標準を以て批判せざるごとく、一千五百年間の長き間を尊王論時代の良心を以て逆進的に評価し、忠臣義士と云い乱臣賊子と云うが如き蒙昧なる叙述を敢てする者に非ず。しかしながら逆進的批判の国体論なる者が、その逆信的叙述が歴史の態度としてすでに転倒せるのみならず、その逆進によって得たる批判その事がことごとく歴史的事実を無視して全く転倒せる帰納を為しつつあるに至っては、先ずその帰納の転倒なることを指示せんが為めにしばらく彼等の逆進的批判と同一なる態度を取って叙述するを避ける能わず。これ新しき見解せ立てんが為めに旧説を打破するに当て避くべからざる方法なればなり。すなわち、天動説に対する地動説の如く、国体論が日本歴史を解して皇室に対する乱臣賊子は二三の例外にして、国民は古今を通じて忠臣義士なりしと云うと正反対に、歴史的生活以後の日本民族は皇室に対してはことごとく乱臣賊子にして例外の二三のみ皇室の忠臣義士なりしとの真実を以て、国体論その者を転覆することは迷信者の最も善く覚醒すべき刺激たるを以てなり。実に例外とは僅少の特異なるものにして一般大多数を通例と云うならば、乱臣賊子は一般大多数の通例にして皇室の忠臣義士は僅少の特異なる例外なり。然るに之を正反対に解して殆ど古往今来の定論となしつつあるが故に、世界万国の歴史中日本の歴史家によって綴られたる歴史なる者より噴飯憫笑すべき謎語を連ねたる者無し。事実は事実にして歴史は歴史なり。万世一系の鉄槌に頭蓋骨を殴打されたる白痴はいかにその事実を組み、その歴史を綴るとも事実は正直にして偽るべからず歴史は厳正にしておおう能わず。国体論者の夢想が成功して秦の始皇帝を擁立せざる間は焼かれざる古今の記録は決して国体論を転覆せずして止む者に非ず。見よ。 |
皇室は最初の強者なりき、蘇我氏の乱臣賊子 厳密に云えば日本氏族の歴史的生活は古事記・日本紀の編纂されたる以後の約一千年間なり。しかしながら古事記日本紀の記録を信じて歴史的生活時代は文字なき原始的生活時代の一千年間を削除したる三韓交通以後の一千五百年間とすべし。もとより三韓征服の当時において皇族は諸大族中の最も強大なる大族にして応神・仁徳の如き儒教の政治道徳学を厳守せる君主、あるいは雄略・武烈の如き家長としての権利を極度まで行使したる君主となり、以て他の大族の上に主権を振るいたりき。しかしながら社会の発達人口の増加によって諸大族のかわるがわる興亡して遂に蘇我族の強大となるや、他の諸族を圧倒し帰伏せしめて皇族と強者の権を争うに至り、しかして相降らざるまでの対抗を為すに至れり。皇族の長の如く、その族長の墳墓を大陵小陵と名づけ、その居を宮門と云い、谷の御門と云い、その子を皇子と呼び五十人の儀仗を従へて出入し、城柵をめぐらし兵庫を有する宮殿に拠り、あたかも皇族の為す如くその族民以外なる蝦夷の帰化民及び他の族長の所有民に労役を賦課したり。崇神天皇の弑殺と云うが如き一事実よりも、かかる行動は時の天皇の有したる総ての特権を所有したるものにあらずや。吾人はかかる国体論者といえども熟知せる事例を挙げて足れりとするものに非ずといえども、歴史的生活の始まると共に強者の権を以て皇族の強に対抗せし第一の事例として、例外なる乱臣賊子が開巻第一章より存せしことを指示せざるべからず。 |
大化革命後の八九十年間、家長国における財産権としての統治権、祖父の愛孫と後見人の権利、太政大臣の不可侵権、壷切の剣と皇位継承権の表白、天皇対内閣全員のストライキ、血液による皇位の侵犯 次に来る者は大化革命の理想的国家の失敗によって来れる藤原氏専制時代なり。天智天皇が儒教の政治学によって国家主権の公民国家を、未だゲルマン文明人の祖先が暗黒なる中世史の初期に入りし時代において建設せんと夢想したりしゆえんの者は、族制制度と祖先教とを以ては仏教の蘇我族に圧伏されんとしたる如く、社会の進化し新宗教の来れる当時において皇室の基礎たる能わざるを看取したるが為めなり。ここにおいて天皇は蘇我氏転覆の凱歌を終ると共に、天皇を以て国家最高の機関として全人民全国土の上に支配すべき理想を表白したり。(大化革命の理想の実現につきては後の維新革命を論じたる所を見よ。儒教は世俗のいわゆる民主主義に非ず、『社会主義の啓蒙運動』を見よ。)斯くの如くして皇室が天智の明哲によって全国民の上に国家機関の理想を以て臨みたる者実に八九十年間なりき。しかしながら基礎なくして建築は成る者に非ず、理想は遠き昔に掲げられる事あたかもプラトンのレパブリックの如くなりといえども実現は皆永き進化の後において縛らる。当時の国家主権の国体と国家の最高機関たる天皇とは、天智の如き明哲なる人物においてのみ理想さるべく、その後祖先教の代りに仏教を国教とするが如き事あって儒教の理想と全く背馳し、従って国家機関の理想は先ず朝廷の手によって破壊せられ念仏と題目とが政事となるに至って、大化の理想的国家は理想家の死と共に葬られたり。仏寺伽藍の建立、僧侶比丘尼の遊民の増殖等によりて租税と皇室の私有財産とにて足らず、ここに統治権を皇室自家の利益の為に行使し官職を売買して、国家機関たる天皇は国家を自己の目的の下に存すとする家長君主となり、その売官制度によって国家の機関たりし国司は再三同地に任ぜられて土着し、在来の土豪の外に多くの土地人民を所有し後世の群雄割拠となり封建制度となるべき家長国の萌芽を作りつつ始まるに至れり。すなわち、大化革命の主謀者が世を去ると共に、皇室は統治権を自己の目的と利益との為に存する所有権と考えて、土地及び人民を統治して得べき利益を献金なる名において譲渡し、献金を以て国司たりし土豪等は購買したる統治権を以て土地人民を自己の目的と利益との為に所有物として処分するに至りしなり。 −故に当時の天皇の文字の内容は最も多くの土地と人民を有する強大なる家長なりと知るべし。この統治者が国家の目的と利益との為に存せず、自己の財産権の行使として統治権を行使したる時代なりしが為に、藤原氏は自己の利益の為めに統治権を行使すべき後見人を争いて、いわゆる藤原氏専制時代を生じたるなり。穂積博士等の復古的革命主義者が夢想する、天皇が国土及び人民の所有者にして統治権を天皇の財産権とせし時代は、後見人たる道長をして「この世を我が世とぞ思う」と歌はしめし如く、後見人の横暴を来し得べき家長国の平常なり。当時の天皇なる者は藤原氏の産める所にして、その母なる藤原氏の女と共に将来摂政たるべき祖父の家に連れ行きて養われ、殆ど前後も解せざる中に国家と云う財産を相続して国家の戸主となり、しかして代を重ぬるに従い天皇の血管中には神武天照の遠き血液よりも藤原氏の血液が多量に循環するに至り、当然の情としてその母たる藤原氏を愛しその祖父たる摂政を慕うべく、摂政はまた天皇の祖父として祖父と愛孫との濃厚なる愛情を以て、その愛孫たる天皇の相続を希望し戸主の幼少によって後見人となれるなり。 −統治権の禁治産者に対して後見人の専断を為すは、統治権の財産権たりし時代においては少しも不法に非らざりしなり。逆進的批判者は後代の天皇と摂政の権利権限を以て一千年前の古代を推理して藤原氏専横時代と名づけて憎みつつありといえども、実は祖父の愛情と権利とによって幼戸主の意に反して財産の処分を為しつつありしのみ。世に不法を以て栄え、不法を以て永続せし者無し。藤原氏専制時代と称する者が地方における家長等の発達して源平の名において政権を争うに至るまで継続せしは、家長国における後見人としていささかの不法なかりしを以てなり。藤原氏は天皇をその孫として愛し、天皇は藤原氏を祖父として慕う、未だ祖父が無知の幼孫の命令に従い、幼孫が祖父の計らいを退けざりしと云うを以て後世より乱臣賊子と云うは没理もはなはだしとすべし。故に血液の混交により王氏藤氏と並称するに至り、あたかも君臣一家論者の如く皇家と藤原家とを平等の親戚関係と解せるに非ずや。故に親戚の愛孫の神聖なる如く、祖父たる親戚の太政大臣は弾正台の責問すべからざる無責任の不可侵権を享有したるに非ずや。故に基経はその甥なる清和天皇を廃することあたかも幼戸主を去るが如く易々として行いしに非ずや。故に源氏の名を得て臣に降れる定省親王が基経によって弘元天皇として立てられ、基経をして大権を総攬せしめ、かの怒りに対して恐怖したるに非ずや。故に基経の子時平が位を受けるやその母が天皇の親筆を以てせざるを見て乃母の恩恵によって立てる源氏として礼に非ずとして之を裂き、兄仲平の時には天皇恐怖して自ら筆を執りて怒を宥めたるに非ずや。故に壷切の剣を以て皇位継承権が藤原氏と天皇氏との混交せる血液に在ることを表示し、藤原氏の血液の稀薄なる後三条天皇が藤原氏の衰えたるに乗じ事を以て抗争するや、藤原氏の一族は皆退朝すべしとの号令の下に対皇帝全内閣員と云う大ストライキを以て打ち勝ちたるに非ずや。女帝の寵愛によって国家の戸主権を相続せんとせし受動的の道鏡のみが例外に非ず。国民たる自家の血液を以て皇室祖先の血液と代謝せしめ、皇室祖先の血液の多量なるものを排斥して皇位継承権を独占したる藤原氏の連綿たる専制時代は、例外なる乱臣賊子と云わんには余りに長き数百年の例外なり。 |
山僧の活動と平清盛 藤原氏専制時代の終幕と共に清盛入道の登場となる。しかしながら精確に言えば、その間にはなはだ短き一幕の茶番狂言あり。すなわち山僧等の神輿にして皇位は実にこれが為めに夥しく脅迫せられたることなり。もとより当時の白河院政と称せられる前後数十年間は何の基礎なく、単にようやく政権を争うまでに進みつつありし豪族なる家長君主等の権力平均の上に栄華を夢みたる者なりといえども、その夢を第一に起って打破したる者は実に山僧の神輿なりしなり。今日、権力の前に尾を振りて、国体寺の後に従いつつある軽蔑すべき円頂寺よ。陛下の宸襟を悩まし奉る逆賊とは新思想の入り来る毎に必ず用いられる宣言なりといえども、双六の恣ならざるに比せし白河法王の嘆息は実に仏教徒の放誕なる活動の為めなりき。大乗教と教育勅語との抵触せずとは今日の国体寺の僧侶等の世論なりといえども、当時の山僧は僧余慶を天台寺の座主とすと命ぜる一条天皇の勅語を引き裂きその勅使を辱しめて追か返せるに非ずや。今日の世人は皇居の外濠に集りて万歳を唱えるより外知らざるに、当年の彼等は塀を破り門を打ち砕きて宮殿の階前に至り、数珠を揉みて祈り、言聞かれざるならば地獄に落すと威嚇したるに非ずや。地獄に落すと云うが如きは今日においてこそ何の脅迫にも非ずといえども、当時の知識の程度に取ってはローマ法王の破門と云う事と少しも異ならざる効力ありしなり。否、かの放氏と称せられて時の最上の権力者たる藤原氏の上に加えられたる者は明白なる破門にして、未だ天皇を破門せし例は非らざりしといえども、これグレゴリウス七世の山僧無かりしに非ずして、天皇自ら地に降りて遥かにその神輿を礼拝せしが故なり。天皇を地に降して礼拝せしむとは何たる大胆の脅迫なりしぞ。今の無恥なる円頂等はのたまうべし、彼等は破戒のものにして吾々の如き勤王的大乗経を知らざりしを以てなりと。しかしながら彼等は仏教徒にも僧侶にも非ざる楠木正成を釈迦の上に置きて自家の誇栄としつつありながら、山僧等の活動につきて無責任の面貌あるは噴飯もはなはだしと云うべし。実に、山僧の打撃に対して皇室は余儀なく源平の二氏を近けて保護せしむるに及びて、終に皇室を保元平治の膏血中に投ずるに至り、接近は油画を醜ならしむる理由によって終に無遠慮なる清盛は白河法王の侮るべきを発見して露骨に之を迫害するに至りしなり。今の円頂等はその等しく円頂の一人なる平清盛を呼ぶに悪逆入道の名を以てしつつありといえども、他の多くの円頂なる山僧等の更に一層の悪逆にして、その悪逆入道を駆りて宮中に悪逆を働かしむるに至りたる者は、宮外に悪逆を働きたる山僧の悪逆入道等のありしが為めなり。しかしてこれもまた例外の乱臣賊子なりと云わんには山林の仙骨と流水の雲僧とを除きて天下の僧侶を挙げたる大多数の例外なり。 |
中世史即ち日本歴史の全部なるを例外とは何ぞ
平氏より後、すなわちいわゆる国体論者においても例外と称する、源氏、北条氏、足利氏、群雄戦国、徳川氏と云う一千年間の長き長き中世史なり。日本民族の歴史と云えばあたかもゲルマン民族の歴史が中世史を以て始まれる如く、古事記・日本紀以後の一千年間−−少なくとも文字の記録として残すべき方法と、また残すべき歴史的意識なき原始的生活時代の一千年間と伝説されるものを除きて、文字輸入以後を算して一千五百年間なるに、歳月の上よりするも大部分なる源平以後をまた等しく例外の一語を以て葬り去るとは何たる東洋の土人部落ぞ。いかなる野蛮人も斯くまでに転倒せる歴史を有する者あらず。オーストラリア土人といえども、アメリカインディアンといえども。 |
平氏、源氏、北条氏、北条氏の三帝放逐と国民の共犯、吉野山の残兵よりも多き高時の殉死者
事実をして事実を語らしめよ。忠孝の二道に迷って涕泣せし可憐なる読書家を除きて、あえて清盛一人と云わず平氏の総てはその族長の命令を奉じて皇居を攻撃し天皇を幽することのしばしばなりしはことさらに指示するの要なしり源氏が以仁王の令旨を受けあるいは院宣を請いて平氏を滅ぼせしを以て自家の再興の為めに非ずして勤王の目的なりとは国定教科書も書かざる所なるべし。吾人はあえて王覇の弁を為す者の如く、院宣と勅令との効力を比較し、あるいは三種の神器を有する天皇を西海に沈めたる東北軍を乱臣賊子なりとは云わず。しかも大江広元の策略を用いて立法司法行政の主権総ての発動を掌握せる頼朝は、秀吉に敬愛せらるべき人物たるも湊川に建てられたる伊藤博文氏の銅像よりも忠臣義士の人相に非らざりしことは想像し得べし。今日多くの守銭奴が種々の名においてようやく爵位を購いて世俗に誇示するに比すれば、坂東の老尼礼に慣わずとの皮肉を極めたる反語を以て拝謁を嘲笑し、形式的叙爵を拒絶せる頼朝の妻政子は、今の令夫人なる者よりも勤王家に非らざりし事はその驕慢ならざる外交的辞令によってまた推察し得べし。北条氏においてはこれいわゆる国体論者に取っても、いかんともすべからざる困難として止むなく例外に数えつつある者なり。然りといえども、例外の乱臣賊子は彼等の考えうる如く義時一人に止まるべき者に非ずして、義時の共犯あるいは従犯として三帝を鳥も通はぬ遠島に放逐せし他の十九万の下手人、なお後より進撃せんと待ちつつありし二十万の共謀者を忠臣義士の中に数える事は国体論をして神聖ならしむるゆえんに非ず。逆進的批判者が三帝を遷し奉れりと云うに対して吾人は放逐の文字を用ゆ。何となればかかる潤飾を極めたる文字は戦々兢々の尊崇を以てする行動を表白すべく、後鳥羽天皇が隠岐に三十九年間巌崛に小屋を差し掛けて住い、順徳帝が佐渡において今日なお順徳坊様と呼ばれつつあるが如く、物を乞いて過ごせし如き極度までの迫害窮追を表すべき言葉に非ず。安徳天皇を矢の来らざる船に移し奉れりと云わば理由あるべく、松の下露に袖沾れて落ち行くものを兵力に訴えて連れ来ることは捕らうと云うことにして、居住の自由を奪いて都会の栄華より無人島に流罪したることば明白なる放逐に非ずや。神官が恭敬恐縮を以て旧殿より大神宮を捕らえて新殿に放逐したりと云うものあらば発狂視せらるべきが如く、義時が兵力を以て三帝を隠岐・佐渡に移し奉れりと云うが如き文字の使用は逆進的叙述も沙汰の限りと云うべし。多くの歴史家は増鏡に見ゆる、泰時が父義時に向かいて、もし天皇の御輿を陣頭に立てて進み来らば如何すべきやと問いしに、義時の答えて然らば矢を折りて降れとある信ずるにも足らざる記事を引用して、いかなる義時の如き乱臣賊子といえども日本国民の良心は内に潜みて皆斯くの如しと論じ、以てそのいわゆる例外の弁護を為しつつあり。しかもその義時は元よりも遥かに深甚たる苦痛を三帝に加え、その泰時は後に安藤義景の順徳の皇子立たば如何と問いしに対して、膝を折りて降れよとは答えずして之を廃すべしと命じたるに非ずや。両統並立の如きは皇室の自ら求めて招きたる禍なりといえども、泰時・時宗等の賢明にして大胆なる抑圧の下に之を動揺せしめず。高時の驕慢に対抗して後醍醐天皇の英雄的模型あって、これをたおしたりといえども、一たびはまた捕らえられて隠岐に放逐せられ、高時の死するや実に八百七十余人の殉死者と外に門葉恩親の僧侶男女之を聞き伝へて泉下に恩を報ぜんとして殉死する者、単に鎌倉のみにて六千余人ありしと云うに非ずや。しかしてこれ剣を按じて崩ぜる後醍醐の残兵よりは遥かに大多数の例外なり。ああ平氏より源氏に至り、更に二百年間の治平なる北条氏に至るまでの全国民は総て例外の乱臣賊子か。 |
敗れたる忠臣よりも勝てる足利氏はより多くの乱臣賊子を有す、師直の天皇不用の放言と政党内閣論者、戦国時代の皇室の悲惨の事例 足利氏に至っては更にはなはだし。後醍醐の努力は単に北条氏と足利氏とを代えたるのみにして、鎌倉と京都と対抗せし事の代りに更に京都それ自身も奪い取られたる者なりき。ああ後醍醐天皇とその忠良なる殉死者! これ日本歴史を通じて辛うじて見られる二三だけの例外にして、この悲惨可憐なる物語が、実に幕末の国体論時代において詩歌文学の題目となって、以て革命論に詩的光彩を加えしめたる者なりき(維新革命における国体論の意義につきては後に説く)。しかしながら尊氏の率いて攻め上れる七十隻の兵船と二十万人の陸軍とは、戦敗れたる湊川の三百人より僅少なる例外とはいわれざるに非ずや。滅びたる新田氏よりも勝って天下を取れる尊氏はより多くの乱臣賊子を有したるが為めにして、例え外交的折衝において父子の礼として三種の神器を渡せしとは云え、北朝の終に南朝に降服せるはいわゆる忠臣義士の大多数なるが故に僅少なる例外の乱臣賊子に敗れたりとはいわれざるに非ずや。高師直のごときは『都に王と云う人のましまして若干の所領を塞げ、内裏、院、御所と云う所あって馬より降るむつかしさよ。もし王なくして叶ふまじき道理あらば木にて造るか金にて鋳るかして、生きたる院、国王をば何方へも流し捨て奉らばや』と放言したり。これ太平記の記事なれば語調の如きも記者の慣用によりしものなるべく、師直は更にこの殺伐なる平等主義に適当せる無遠慮の言語を放ちたるなるべし。今日、幾多の政党者流が穂積忠臣等の憂慮する如く事実上の共和政体−−もしくは共和政体を慣習によって実現する不文憲法たるべき政党内閣、責任内閣を主張し、政党内閣責任内閣においてはまた実に穂積忠臣等の憂慮するが如く天皇の意義に大なる変動を及ぼすべきを知りつつも、なおかつ民主主義を解せざるかの如き面貌を装ふ国民の狡猾とは正反対なる露骨なりといえども、しかも全国民が彼を共和演説を為せる大臣を有撃したる如く排斥せずして、尊氏に次ぐ権力者として奉戴せるは政党内閣論者の祖先たるに恥じざる乱臣賊子の国民と云うべしの足利義満の如きは北朝の天皇を自家のほしいままに製作し南朝の天皇を降伏せしめ、その太政大臣を望みて与えられざるや、強迫や威示に非ずして自ら立って天皇たらんとし、その死するや天皇より実に太上天皇の謚名あらんとせしに非ずや。足利氏はあたかも後白河法王が源平二氏の権力平均の上に栄華を夢みたる如く、他日の戦国と名づけられ群雄割拠と称せられて知られる家長君主国の大混戦の上にしばらく金閣寺を建てて、徒らに殿上人の風流を学びしに過ぎざりしを以て、皇室が足利氏以降の零落窮困につきて独り責任の負担者たるべからざるは論なし。 しかしながらいわゆる国体論者においては戦国時代における皇室の悲惨を極めたる零落につきて何者が責任者なるかを指示せざるべからず。土御門天皇が崩ぜし時葬式の費用なくして葬る能わざるが為に柩に入れて御殿の黒戸に置くこと四十余日間、近臣宮女等宿直して之を護りしに皇太子の来たりて「十善の身には貧禍なし」と白居易の歌いしは偽りなりと声を放ちて泣きしと云うに非ずや。後柏原帝の即位式を行う能わずして費用を時の管領細川政元に求めたるに、政元は将軍にて足る他は要せずと拒絶して顧みず、二十年間之を行う能わず、ようやく本願寺兼光より金一万貫を借りて式を終えたりと云うに非ずや。後奈良天皇の時には貧困殆ど極度に達し、三条西実隆の苦心によって諸方の豪族より数石の米数両の金の寄付を求め回りてようやく衣食の料を得たりと云うに非ずや。しかして公卿の勧説によって得る所も限りあるを以て天皇自らその能書を售りて米粟の費を補いしと云うに非ずや。隊を組める野武士の火を放ちて強盗を為せるが為めに公卿はその妻子を引き連れて敗残の皇居に雑居せしと云うに非ずや。外廓も塀も無く三条橋より内裏の火が見られ紫宸殿前の橋下に市人が茶菓を売りたりと云うに非ずや。歌の会のある時には色黒く煤けたる三宝の上に赤豆を載せて出せしと云うに非ずや。曚昧者の事々しく信長の忠義などと云うに限らず、その為せし所の如き真の僅かなる修繕に過ぎずして、それまでは『辺土の民屋に異ならず、竹の垣に茨など結び付けし様なり。老人小児の時には遊びて縁の上に土などねやし、破れたる簾を折節挙げて見れば人もなき様なり』と云うほどの赤貧なりしに非ずや。これ言うまでも無く信長の如き慧眼者のみ天皇を擁することの他日の利益あるべきを認めしも、一般の国民は政元の如く天皇を無用なりとして顧みざりしが為めの貧困に非ずして何ぞ。−−しかしてかかる貧困は一般人民の陥る所の窮乏にして、ただ一般人民の如く貧困の為めに家を滅ぼし系統を意識する能わざるが如きに至らざりしのみ。しかしてこれ乱臣賊子を僅少なる例外なりと云わんには、億兆心を一にして万世一系の皇統を扶助せざりし億兆の多き例外なり。 |
秀吉と権利思想の表白 秀吉の統一によって天皇は衣食の貧困−−衣食の貧困とは外国の王室には存在せざる歴史なり−−より脱し得たり。しかしながら之を以て秀吉を忠臣義士なりと称讃する事は貧民の血液の一部を投与する慈善家なる者を君子なりと云うと一般なり。全天下の富有を握りたる彼が九牛の一毛にも過ぎざる米禄を皇室に供したりとも国体論に如何ほどの誇栄たるべき事実ぞ。彼はその演劇的気質よりして『鳳輦牛車等の品々久しく廃したるものなれば知れる老人も定かにはべらず』と当時の京人を讃嘆せしめたる如きことを試みざりしに非ずといえども、かの太政大臣も関白も解せざるほどの無学を以て如何ぞ皇室の歴史的意義を知らんや。不用意の発言は多く真情を吐露す、彼が明の公使より愚弄の封冊を受けるや激怒して発したる言を見よ。いわく『我は我が力を以て天下を取れり、王たらんと欲すれば王、帝たらんと欲すれば帝、何ぞ汝等の封を待たん』と。歴史の大字を朗読することを止めて之を今日において発言せられたる者と考えよ、かの狡猾なる李鴻章が伊藤博文氏を日本国王に封ずと談判せしとも、伊藤氏は我は我が力を以て内閣を取れり、王たらんと欲すれば王、帝たらんと欲すれば帝、何ぞ豚尾漢の封を待たんと怒らざりしが為めに湊川に銅像が立つを得たるなり。秀吉の地位は実に強力による権利にして、強力が総ての権利を定めたる上古及び中世においては(『社会主義の経済的正義』において権利思想の変遷を述べたる所を見よ)、もし中国の公使の代りに皇室がその権利を侮辱するあらば、彼は力を以て取れる天下の権利を強力の発現に訴えてあるいは以て王たるべく帝たりしなるべし。一言なりとして軽視すべからず、今日一言を発するにも恐れ多くもと云う冒頭を用い、一語にも必ず御と云い、給ふ、あらせられると云って謹慎を怠らざる注意を以ては、いかに激怒といえども唇頭に響くべき言葉に非ず。すなわち、秀吉もまた例外なる乱臣賊子たるべき思想を持して天下に号令したる者なるは論なし。 |
徳川氏の対皇室策、有賀博士は委任の文学を逆進せしめて論ず、抱腹すべき徳川責任内閣論、不断の幽閉と不断の強迫譲位、義時の自家防衛と徳川氏の積極的迫害 徳川氏に至っては不断の幽閉と欠かしなき強迫譲位を以てその唯一の対皇室策となしたり。吾人は有賀長雄氏の逆進的歴史家なる事は先に言える如く、また後に詳しく説く。その徳川氏につきてまた秀吉と家康と参内し、家康の家臣が頻りに秀吉の暗殺を勧めしも応ぜざりし事例を挙げて、これ両雄相提携して皇室を奉戴せるゆえんなりと論ずるに至っては抱腹の外なし。察するに、かかる曲解は、氏の主権の体と用とを分ちて皇室は二千五百年来主権の体を持して失わず幕府は単にその用を委任されしのみと云う見解より生ぜし者なりといえども、秀吉の思想を事実において表現しつつありし家康を以て忠臣義士と解しては東照宮の墓石も感動の余りに振るうべきなり。 見よ。『諄和奨学院別当職関東将軍に任ぜられ侯上は三親王摂政を始じめ公家並びに諸侯といえども支配致し侯、国政一切知らすべく政道奏聞に及ばず』と規定せしに至っては万国無比の国体に相応する万国無比の責任内閣なるかな。『学問手習御勤行御懈怠あるべからず……三種の神器御守りは第一の事』とあるは実に皇室をして歌人たらしめ、空名に過ぎざる三種の神器を擁すれば天皇の任尽くと云う者、吾人は未だいかなる憲法史にても主権の用を委任されたりと云う者にして主権の体にかかる法規を強制したる事実を知らず。由来、今日の委任と云う文字と意義とを逆進せしめて当時の天皇と将軍との間を説明せんとすることが誤謬の根源なり。 −有賀博士は何事も逆進的なり。更に見よ。『国々諸侯は勅命といえども宮中参内仕るまじく侯、西国諸大名往来の砌り洛陽往来停止仕り侯、密々往来のこと露見においては何ほど大禄の家なりとも絶家致すべし。もし洛陽見物致し度くばその旨御届可申その砌り沙汰及ぶべく侯、もし許すとも三条橋の中を限り申し侯』。かかる上奏も裁可も無用なる権限を有する外に、主権の体なるものに近づくことを絶家の最大重罪を以て厳禁せるは何と名づけらるべき東照宮内閣ぞ。しかして内閣大臣は閣下と呼ばれずして神君と崇められ、その椅子は世襲にして他の各省大臣も無く、責任を負うべき何人も無く、しかしてまた、皇室費としては禁裏御料僅かに二万石、新院御料五千石、本院御料五千石と云う内閣大臣よりの当がひなるに、徳川内閣大臣閣下は実に三百倍せる八百万石の年俸なりしとは噴飯すべき大憲章なる哉。 有賀博士が『日本国民を以てことごとく天照大神の子孫なりとし、この事実のみを以て日本国民に対する天皇主権の基礎となすは歴史を知らざる俗論なり』と喝破せるは天皇主権論の基礎の一たる穂積博士等の神道的信仰に対する罵倒たると共に、有賀博士自身等の基礎として取る所の歴史解釈の上に加えられる侮辱たる者なり。歴史に基きて天皇主権論を主張すと云うならば歴史を欺く如きことあるべからず。天皇の二万石なるに徳川氏自らの八百万石なる所有は政治的活動外源泉たる経済の上より皇室の咽喉を絞めたる者なり。かの辞令の温厳を極めて京都と諸侯との経済的連絡を隔絶し、『京都より縁辺の武家に無心申入れること相慎可申候、いわゆる禄は重く金銭自在に取り扱うやうに心得候とも、万石は万石の国役相勤め天下の御用勤め侯、公家は小禄なりとも国役相勤め民を撫育する役なし。然らば宮中を相勤め家の扶持を相立つるのみなり。奢なくして相勤め侯時は小禄といえども安し云々』とあるが如き実に天皇の財源を枯渇せしめて経済上の孤立者たらしめんとしたる者なり。『公家より武家に縁組のこと関東へ相達し将軍家より沙汰に及びその上に取組可申、もしその儀無くして取結ばれ候においては重罪たるべきこと』と厳命したる者、また実に皇室と握手すべき一切の社会的勢力を排除せんが為めなり。しかしてこれが為めに天皇はあたかも監視に付せられたる囚徒なりき。後水尾天皇が近畿を旅行せんとすれば幕府之を許さず、為めに強いて行かんとするや兵力を以て強迫して止めたるに非ずや。その撃剣を励みたるが為めに所司代の板倉重宗の之を阻止するの理由に『江戸へ聞えなば穩便に帰すべしとも思われず』と云いしに非ずや。父子相見ゆるすら幕府の許可を得ざるべからずして、用明天皇の如き徳川氏の出なるに係わらず、その賢明なることが禍を為して何の理由も無く二十一歳より五十四歳まで仙洞に禁錮せられ、一年一回の年始より外に骨肉に逢うことの外親王にも摂家にも門跡にも一切面会を許さず。一人の行幸の如き厳重に禁じたるに非ずや。これ巧慧なる義時と云わるべく、隠岐・佐渡の代りに京都を用いしに過ぎざるもの、かかる責任内閣は万国無比の国体より外に見ざる所なり。有賀博士は主権を用と体とに分ちたる如く、主権をまた更に滑稽なる無数の分類を為して栄誉権と云う者を天皇に留保したりと云うに係わらず、後水尾天皇はそれをすら蹂躙せられ、幕府はその僧侶に与えたる紫衣を奪い、その与えられたる僧侶を流罪に処分し、終に春日局をして譲位を諷せしめたり。 −実に徳川氏の政権を握りし間において天皇の強迫譲位は一貫の政策にして、後水尾の卓励なるはもとより用明の賢明も、後西天皇も、東山天皇も、中御門天皇も、桜町天皇も、すなわち徳川氏の幕府を維持せし間の総ての天皇は、いやしくも侏儒に非ずして年長ずる者はその長ずることが強迫譲位の理由なりしなり。後西条天皇の如きは一の口実をも発見する能わざるが故に、単に『四時陰陽和せず』と云うが如き羊に対する狼の口実を以て譲位を強迫したりとは何たる乱臣賊子ぞ。後鳥羽天皇がその軽躁と一寵姫との為めに義時に挑戦せしは天皇の傍にも一分の責任存するを以て吾人は決して順逆論者の如く義時をのみ乱臣賊子なりとは云わず、しかも徳川氏が皇室に対する迫害の陰忍陰悪なるに至っては、吾人の如く公平を以て歴史を看察せんとするものに取っては憎悪の念の胸に漲ぎるを覚ゆ。義時は天皇の自家を転覆すべき挑戦に対して受動的の自家防衛もありき。しかも三代将軍家光の如きは能うだけ後水尾を侮辱し、後水尾が怒に堪えずして自ら位を去るに至るまでは義時の為せし如く之を隠岐に流さんとし、伊達政宗を先鋒とせる三十五万の軍を率いて都に入れる如きは実に増長を極めたる威示運動に非ずや。また、かの王覇の弁と称せられて他日主権論の起るべきを予想せる新井白石の大胆なる政策を見よ。彼は有賀博士のいわゆる天皇の栄誉権なる者を剥奪して幕府を純粋なる主権者、すなわち最高の統治権者たらしめんと企図したり。もとよりかの継承者が彼と反対に退嬰政策を取りしが為めに、かの死と共に実行に至らずして止みしといえども、彼は頼朝の共犯者たる大江広元よりも遥かに大規模なる陰謀家なりき。いわく『王朝已に衰え武家天下を治しめして天皇を立てて世の共主となされしより、その名は人民なりといえども実ある所はその名に反せり。 |
王覇の弁の主権論と白石の幕府主権の計画、勤王論の言論迫害と志士の窮迫、天皇の栄誉権の蹂躙
我已に王官を受けて王事に従はずして我に事ふる者我事に従うべしと令せんに下たる者あにに心服せんや。かつ我が受ける所も王官なり、我臣の受ける所も王官なり、君臣共に王官を受けるときその名は君臣なりといえどもその実は共に王官なり、その臣あにに我を尊ぶの実あらんや。義満の代反逆常に絶たざる者はその不徳の致す所といえどもかつはまた君を尊ぶの実なきによるなり。その上已に人臣たり、然るに臣を召仕へてこれを名づけて臣となし、その家僕となすといえども僭越の罪あにに万代を免れんや。世態すでに変したればその変に応じて一代の礼を制すべし、これすなわち変通の義なるべし。もしこの人をして不学無術ならましかば漢家本朝古今の事例を閲してその名号を立て、天子に下ること一等にして王朝の公卿大夫の外は六十余州の人民ことごとくその臣下たるべき制あらば近代に至るとも適用に便あるべし云々』。これすなわち幕末のいわゆる国体論なる天皇主権論によって幕府諸侯の権利を否認する維新革命家が革命論の理論を構成したる点なると共に、家康の遺志を完成すべき幕府主権論の当然に趣くべき態度なり。しかして白石は言論に止まらず敢然として実行に着手したり。彼が朝鮮公使と樽俎折衝せるを国威を発揚せしめたる功績なりとして教育者等の好で小学生徒に挙示しつつある所なりといえども、これ実は従来の慣例を破って幕府自ら日本国王と号し、従来の公使の席次を下して三家の次ぎに置きしが為めに起りし紛議のみ。然るを尊王忠君と共にかかる大逆無道の乱臣賊子を鼓吹すとは誠に滑稽を極む。彼はまた藤原氏の為せし如く皇室と幕府との血液を混和せしめんとし、皇女と将軍との結婚を約したりき。幕府の制度衣冠をことごとく朝廷そのままに模して同一の程度に進め、勅語に対するを対等の態度を以て返答と改めたりき。かかる歴史上の証拠は文字の形態発音によって憶断する如き幕府にても非ず、また征夷大将軍にても非ず、何ぞ況んや責任内閣ならんや。もとより歴史の研究の起ると共に唯一の最古なる記録が、儒教の王覇の弁と合致していわゆる国体論なる名の下に天皇主権論が学界に勢力を占め、荻生徂徠等の卓励して幕府主権論を唱えるものありしといえども平等観発展の社会進化に対抗する能わずして封建制度の転覆したることは事実なり。しかもその実際運動となるに及びていかに時の権力階級−−すなわち幕府諸侯の貴族階級が下級武士の革命党を迫害したりしぞ。今日詩に賦し歌に詠ぜられる勤王家なるものの艱難は実に全日本国民が当時において之を迫害せるが為めの艱難にして、幕府転覆前における勤王家の如きは実に僅少なる例外に過ぎざりしは論なし。言論の追善の如きは驚くべく極端に励行せられ、靖献遺言を講ぜし竹内式部を朝憲紊乱罪に問いて追放し、その講義を聞ける大納言烏丸道胤以下七人の官職を剥奪して之を禁錮に処せり。僅かに留保せし有賀博士の栄誉権の如きは白石の憂いとせるが如く、天皇主権論者の論拠とする唯一の理由たるを以て幕府の之を抑圧挫折せんとする事最もはなはだしく、光格天皇がその肉身の父の微少なる大宰帥たるを以て自己の栄誉に応じて之を太上天皇とせんとするや、人情として当然の要求なるにも係わらず、松平定信は冷酷にも断乎として拒絶し、かえって伝奏議奏の二卿を江戸に召し寄せて之を論破しそれに賛同せる公卿に差控を命じ、父君典仁親王にはあたかも恩威兼ね行うかの如き面貌を以て毎年二千苞を増せしに過ぎざりき。実に徳川幕府の二百年は終始を一貫せる義時・尊氏以上の乱臣賊子なりしなり。斯くても三百年とは僅少の例外か。 |
日本歴史は乱臣賊子の連絡して編纂したるものなり
吾人は余りに事実を羅列せざるべし。実に一千年間と伝説される文字輸入までの原始的生活時代を除きて、以来の歴史的生活以後の一千五百年間は乱臣の手と賊子の足とを尾長猿の如く繋ぎて日本の歴史を編纂せるなり。もとより皇室は第一の強者として最古の歴史的記録の編纂されるまでは強力によって天下の権利を有したりき。しかしてこのの間においてすでに仁徳天皇の如き理想的君主、雄略・武烈天皇の如き専制的暴威を振るえる君主と共に、社会の発達人口の増加によって蘇我族の強大となって理想的の乱臣となり飽くまで専制的暴威を振るいし賊子を出したり。しかして皇族中より大胆なる理想家の現れてようやくこの乱臣賊子をたおすや僅かに一百年を維持するに過ぎずして、記録的歴史以後は更にたちまち藤原氏の名において蘇我氏に代れる乱臣賊子を産みしに非ずや。しかしてまた藤原氏の乱臣賊子去りて白河法王の驕慢なる政治に一瞬の栄華を夢みたりといえども、直ちに僧兵と名付ける乱臣賊子の暴力となり、清盛と云う乱臣賊子の打撃となり、更に之を掃討して代れる乱臣賊子の木曾義仲となれり。義仲と法王との対抗はその余りに露骨なるは一の喜劇にして、我れすでに法王に勝ちたり、法王とならんか法王は法師なり、法師とならんも可笑し、天子は小児なり、小児とならんもまた可ならずと壮語するに至れり。しかしてこの乱臣賊子を破れる源頼朝は詐欺を以て主権の用を委任されし者にして(笑うべき有賀博士よ)もとより乱臣賊子なるべく、次に来れる義時は白刃に訴えて主権の用を委任せられし者にして(更に笑うべき有賀博士よ)またもとより乱臣賊子なり。 しかして更に泰時・時宗の乱臣賊子を経て高時の乱臣賊子に至り、終に時の皇室党に敗られて北条氏の乱臣賊子は去りしといえども、また更に足利尊氏と云う乱臣賊子を生じてその皇室党を撃破し、義満に至って乱臣賊子の舞踏を充分に演じて足利氏の殺伐なる舞台は回転せしといえども、世はすなわち戦国の群雄割拠となって全天下ことごとく乱臣賊子となり、天皇を衣食の貧困に陥れて一顧だもせず、そのようやくに平静なると共に猿面の乱臣賊子出でて王たらんと欲すれば王、帝たらんと欲すれば帝と傲語し、次で徳川氏の一貫せる乱臣賊子となって三百年の長き皇室の迫害を以て始まり天皇党の志士を窮追するを以て終りとしたり。 −吾人は実に国体論者と並で日本歴史の前に判決を仰がんと欲す。ああ今日四千五百万の国民は殆ど挙りて乱臣賊子及びその共犯者の後裔なり。吾人は日本歴史のいかなる頁を開きて之が反証たるべき事実を発見し、億兆心を一にして克く忠に万世一系の皇室を奉戴せりと主張し得るや。しかしながら万世一系の一語に殴打されたる白痴はかかる事実の指示のみを以ては僅かに疑問を刺激されるに止まるべし。故に吾人は更に乱臣賊子の『行為』を記述すると共に、乱臣賊子の『思想』を説明せざるべからず、政治史と倫理史とは相待て歴史的現象の解釈たらざるべからざればなり。 |