従軍慰安婦考



 (最新見直し2014.4.28日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、従軍慰安婦考をものしておく。

 2005.1.16日、2007.3.12日再編集 れんだいこ拝


【「中曽根証言」考】
 「ウィキペディア中曽根康弘」 は次のように記している。
 「三千人からの大部隊だ。やがて、原住民の女を襲うものやバクチにふけるものも出てきた。そんなかれらのために、私は苦心して、慰安所をつくってやったこともある。かれらは、ちょうど、たらいのなかにひしめくイモであった」(松浦敬紀「終わりなき海軍」文化放送開発センター出版局、72ページ)。
(私論.私見)
 これによれば、中曽根は戦時中、海軍主計として慰安所設置に関与していたことになる。してみれば、従軍慰安所施設が設置されていたのは史実だろう。しかし、よりによって、こんなところに中曽根が顔を出すとは。思えば奇妙なもので、戦後首相で唯一人、戦前一平卒として従軍した田中角栄が護憲を云い、戦前高級将校の海軍主計として従軍慰安婦施設を設営していた中曽根が改憲派となっている。中曽根の安逸さが見えてくる話ではないか。それにしても中曽根は悪事には必ず顔を出すな。その中曽根が名首相大勲位としてのさばっている。酷い話しだ。

 2007.3.10日 れんだいこ拝

【TBS報道特集の「中曽根指示証言」】
 「★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK189」のgataro氏の 2015 年 8 月 02 日付投稿「インドネシアでの戦時性暴力(TBS 報道特集)/中曽根元首相も主計中尉として慰安所設置の指示」を転載しておく。
 インドネシアでの戦時性暴力TBS 報道特集

 【性暴力】 戦時中、日本軍が占領していたインドネシアでは現地の女性が「慰安婦」にされた。また、強姦されたケースもある。今なお、心の傷が癒えない戦時性暴力の被害者を取材した。 

【キャスター】 金平茂紀(TBSテレビ報道局) 日下部正樹(TBSテレビ報道局) 小林悠(TBSテレビアナウンサー) 林みなほ(TBSテレビアナウンサー)
 みんなのアンテナ 「しんぶん赤旗」 2015年8月2日 日刊紙16面 
 旧日本軍の文書/政府の見解覆す 東京・練馬区 須田 剛(71歳)

 TBS7月25日「報道特集」は、インドネシアにおける日本軍「慰安婦」問題を取り上げた。この番組で驚くべき公文書の存在を知った。戦時、中曽根元首相が主計中尉として現地にいて、軍として慰安所を設置せよとの指示を出していたという。「日本軍の直接の指示はない」という政府の見解を完全否定する文書だ。被害女性が、幼い頃に覚えさせられた日本の軍歌を歌う映像に胸が痛くなった。

【TBS報道特集の「中曽根指示証言」考】
 2015.7.25日、「『報道特集』 がついに中曽根元首相の「土人女を集め慰安所開設」文書
を報道! 息子の弘文が慰安婦否定の責任者ってなんの冗談?
」。 
 「第二設営班資料」のコピー/右・第二設営班矢部部隊の「編成」(抜粋)/左・「5 設営後の状況」(抜粋)/リテラ編集部注:右資料はプライバシー保護のため、一部、氏名に画像処理を施した。

 ようやく、マスコミがこの問題を取り上げてくれた。今日の『報道特集』(TBS)がインドネシアの慰安所づくりへの日本軍関与問題を報じたのだが、そのなかで、当時、海軍中尉だった中曽根康弘元首相が直接慰安所づくりにかかわっていた事実を指摘したのだ。本サイトは、朝日新聞が慰安婦問題でバッシングにさらされていた最中の昨年7月にこの問題を記事にしていた。中曽根元首相は海軍時代の回想録で自ら「原住民の女を襲う」部下のために「苦心して、慰安所をつくってやった」と書きながら、外国人特派員協会で追及されると、一転して否定。しかし、本サイトは防衛省のシンクタンク・防衛研究所で中曽根が当時、主計長として統括していた「海軍航空基地第2設営班」の資料を入手。そこに中曽根主計長の取り計らいで、「土人女を集め慰安所を開設」という記載があることをスクープしたのだ。慰安婦への軍の関与と強制徴用を証明する明らかな客観的証拠だったが、当時はどの新聞、テレビも一切無視。いつもの「反日勢力のデマ」ということで片付けられてしまった。

 それを今回、『報道特集』が追及したのである。中曽根の手記や第2設営班の記録はもちろん、元慰安婦や元日本兵の証言もまじえつつ、徹底取材で軍の関与や強制の事実に肉薄するものだった。案の定、報道後はネトウヨの攻撃で炎上状態になっているが、そうしたリアクションが予想されるなかで、あえて踏み込んだ『報道特集』の勇気には拍手を送りたい。しかも、『報道特集』がこの時期に、この問題を取り上げたことにはもうひとつ大きな意味がある。それは、安倍政権が慰安婦問題をなかったことにするために立ち上げた自民党のプロジェクト「日本の名誉と信頼を回復するための特命委員会」の委員長に中曽根の息子である中曽根弘文が就任したからだ。「名誉回復とか言う前に、まず、父親の責任を明らかにしろ」というまるで冗談のような話だが、この報道で、彼らがいかに卑劣なやり口で"やったこと"を"やっていない"と言い張っているかが、少しは伝わるのではないだろうか。(ちなみに、フジ産経グループの総帥だった鹿内信隆にも今回と同様、慰安所づくりへの関与発言があり、やはり本サイトが記事にしているので、こちらもどこか大手マスコミが取り上げてくれないだろうか)。『報道特集』にエールを送る意味で、本サイトもこの問題を扱った記事「中曽根元首相が「土人女を集め慰安所開設」! 防衛省に戦時記録が」を再録することにした。記事配信当時は掲載していなかった、中曽根が慰安所づくりを主導していたことを証明する「海軍航空基地第2設営班資料」の複写も掲載するので、ぜひじっくり読んでいただきたい。(編集部)
 朝日新聞の慰安婦訂正記事で右派陣営が勢いづいている。「朝日は責任をとれ!」と気勢をあげているのはもちろん、自民党の政務調査会議は河野談話も朝日報道が前提だとして「河野談話を撤回し、新たな官房長官談話を!」とぶちあげた。また、同党の議連では朝日新聞関係者、さらに当時の河野洋平元官房長を国会に招致して聴取すべき、という意見までとび出している。
 
 だが、朝日や河野洋平氏を聴取するなら、もっと先に国会に呼ぶべき人物がいる。それは第71代日本国内閣総理大臣の中曽根康弘だ。大勲位まで受章した元首相をなぜ従軍慰安婦問題で審訊しなければならないのか。それは先の大戦で海軍主計士官(将校)の地位にあった中曽根元首相が、自ら慰安所の設置に積極的に関わり、慰安婦の調達までしていたからだ。何かというと左翼のでっちあげとわめきたてて自分たちを正当化しようとする保守派やネトウヨのみなさんには申し訳ないが、これは捏造でも推測でもない。中曽根元首相は自分の"手記"の中で自らこの事実を書いており、しかも、防衛省にそれを裏付ける戦時資料が存在していたのだ。そこには、部隊の隊員によるこんな文言が書かれていた。「主計長の取計で土人女を集め慰安所を開設」。

 まず、"手記"の話からいこう。中曽根が慰安所設立の事実を書いたのは『終りなき海軍』(松浦敬紀・編/文化放送開発センター/1978)。同書は戦中海軍に所属し、戦後各界で活躍した成功者たちが思い出話を語った本だが、その中で、海軍主計士官だった中曽根も文章を寄稿していた。タイトルは「二十三歳で三千人の総指揮官」。当時、インドネシアの設営部隊の主計長だった中曽根が、荒ぶる部下たちを引き連れながら、いかに人心掌握し戦場を乗り切ったかという自慢話だが、その中にこんな一文があったのだ。「三千人からの大部隊だ。やがて、原住民の女を襲うものやバクチにふけるものも出てきた。そんなかれらのために、私は苦心して、慰安所をつくってやったこともある。かれらは、ちょうど、たらいのなかにひしめくイモであった。卑屈なところもあるし、ずるい面もあった。そして、私自身、そのイモの一つとして、ゴシゴシともまれてきたのである」。

 おそらく当時、中曽根は後に慰安婦が問題になるなんてまったく想像していなかったのだろう。その重大性に気づかず、自慢話として得々と「原住民の女を襲う」部下のために「苦心して、慰安所をつくってやった」と書いていたのだ。

 ところが、それから30年たって、この記述が問題になる。2007年3月23日、中曽根が日本外国特派員協会で会見をした際、アメリカの新聞社の特派員からこの記載を追及されたのだ。このとき、中曽根元首相は「旧海軍時代に慰安所をつくった記憶はない」、「事実と違う。海軍の工員の休憩と娯楽の施設をつくってほしいということだったので作ってやった」、「具体的なことは知らない」と完全否定している。

 だが、これは明らかに嘘、ごまかしである。そもそもたんなる休憩や娯楽のための施設なら、「苦心」する必要があるとは思えないし、中曽根元首相の弁明通りなら、『終りなき海軍』の"手記"のほうがデタラメということになってしまう。だが、同書の編者である松浦敬紀はその10年ほど前、「フライデー」の取材に「中曽根さん本人が原稿を2本かいてきて、どちらかを採用してくれと送ってきた」、「本にする段階で本人もゲラのチェックをしている」と明言しているのだ。

 いや、そんなことよりなにより、中曽根元首相の慰安所開設には、冒頭に書いたように、客観的な証拠が存在する。国家機関である防衛省のシンクタンク・防衛研究所の戦史研究センター。戦史資料の編纂・管理や、調査研究を行っている研究機関だが、そこにその証拠資料があった。資料名は「海軍航空基地第2設営班資料」(以下、「2設営班資料」)。第2設営班とは、中曽根が当時、主計長を務めていた海軍設営班矢部班のことで、飛行場設営を目的にダバオ(フィリピン)、タラカン(インドネシア)を経てバリクパパン(インドネシア)に転戦した部隊だが、この資料は同部隊の工営長だった宮地米三氏がそれを記録し、寄贈。同センターが歴史的価値のある資料として保存していたものだ。
 
 本サイトは今回、同センターでその「第2設営班資料」を閲覧し、コピーを入手した。宮地氏の自筆で書かれたと思われるその資料にはまず、「第二設営班 矢部部隊」という表題の後、「一 編制」という項目があり、幹部の名前が列挙されていた。すると、そこには「主計長 海軍主計中尉 中曽根康弘」という記載。そして、資料を読み進めていくと、「5、設営後の状況」という項目にこんな記録が載っていたのだ。「バリクパパンでは◯(判読不可)場の整備一応完了して、攻撃機による蘭印作戦が始まると工員連中ゆるみが出た風で又日本出港の際約二ヶ月の旨申し渡しありし為皈(ママ)心矢の如く気荒くなり日本人同志けんか等起る様になる。主計長の取計で土人女を集め慰安所を開設気持の緩和に非常に効果ありたり」。

 さらに「第2設営班資料」のなかには、慰安所設置を指し示す証拠となる、宮地氏の残したものと思われる手書きの地図も存在していた。それはバリクパパン「上陸時」の様子(昭和17年1月24日)と、設営「完了時」の様子(17年1月24日~同年3月24日)を表す2点の地図資料だ。バリクパパン市街から約20km地点のこの地図から、中曽根たちが設営したと思われるマンガル飛行場滑走路のそばを流れるマンガル河を中心に民家が点在し、またマンガル河から離れた場所に民家が一軒だけポツリと孤立していることがわかる。そして2つの地図を見比べてみると、"ある変化"があることに気づく。「上陸時」から「完了時」の地図の変化のひとつとして、その孤立した民家の周辺に、設営班が便所をおいたことが記されている。さらにその場所には「上陸時」にはなかった「設営班慰安所」との記載が書き加えられている。つまり、上陸時に民家だった場所を日本軍が接収し、「設営班慰安所」に変えてしまったと思われるのだ。

 もはや言い逃れのしようはないだろう。「主計長 海軍主計中尉 中曽根康弘」「主計長の取計で土人女を集め慰安所を開設」という記載。それを裏付ける地図。中曽根元首相が自分で手記に書いたこととぴったり符号するではないか。しかも、「土人女を集め」という表現を読む限り、中曽根主計長が命じて、現地で女性を調達したとしか考えられないのである。実際、インドネシアでは多くの女性が慰安婦として働かされており、彼女たちは日本軍に命じられた村の役人の方針で、どんなことをさせられるのかもしらないまま日本兵の引率のもと連れ去られたことを証言している。そして、年端も行かない女性達がいきなり慰安所で複数の日本兵に犯されたという悲惨な体験が語られ、その中にはこのパリクパパンの慰安所に連れてこられたという女性もいる。つまり、中曽根首相がこうした"強制連行"に関与していた可能性も十分あるのだ。

 朝日新聞の訂正で勢いづいた保守・右派勢力は銃剣を突きつけて連行したという吉田証言が虚偽だったという一事をもって、強制連行そのものを否定しようとしている。さらには従軍慰安婦への軍の関与そのものを否定するかのような虚偽を平気でふりまいている。しかし、もし、強制連行はない、軍の関与もないといいはるならここはやはり、「土人女を集め」たという元主計長・中曽根康弘を国会に喚問して、どう「集め」たのか、「苦心」とはなんだったのか証言させるべきではないのか。一メディアの誤報をあげつらうより、そのほうがはるかに「歴史の検証」になると思うのだが、いかがだろう。(エンジョウトオル)

【国連人権委員会に直訴される】

【「インドネシアでの聞き取り」考】

【「従軍慰安婦問題」が教科書に掲載される】
 「河野談話」は「政府の公式見解」となり、日本政府は、慰安婦が軍によって強制徴集されたことを公式に認めたことになった。これを契機として、中学高校のほとんどの歴史教科書に、「従軍慰安婦」が記述されることになった。平成8.6月末、中学校用歴史教科書の7年度検定結果が発表され、教科書を発行する7社が一斉に「従軍慰安婦」を掲載していることが明らかになった。いずれも、「強制連行」の一環として書いていた。これに対し、平成8年末、「新しい歴史教科書をつくる会」が結成され、「慰安婦」記述削除を訴えた。

【「従軍慰安婦問題」が国連に提訴される】
 「従軍慰安婦問題」が韓国、北朝鮮からアジア諸国に波及し、国連にまで持ち込まれている。国連は南京大虐殺以上の非人道的行為の大問題として近く断を下すための準備を進めている。この問題をマスコミが取り上げ、支援報道している。

 1994.3月、 ジュネーブに本部をおく国際法律家委員会が家庭内暴力を主テーマにした会合を開き、クマラスワミ女史が報告書の付属文書で「戦時の軍用性奴隷制問題に関する報告書」と題して、戦前の日本の慰安婦問題を取り上げた。幼い少女たちを含む多数の女性たちが戦時中、日本の軍事施設に監禁されたのみならず、殴打や拷問を受け、繰り返し強姦されたと指摘した。その中で、北朝鮮在住の元慰安婦の証言として、仲間の一人が一日40人もサービスするのはきついと苦情を言うと、ヤマモト中隊長は拷問したのち首を切り落とし、「肉を茹でて、食べさせろ」と命じたなどという話が紹介されている。この元慰安婦は、1920年に生まれ、13歳の時に一人の日本兵に拉致されたというのだが、1933年の朝鮮は平時であり、遊郭はあったが、軍専用の慰安所はなかった。その程度の事実確認もされていない証言が、4例紹介され、その上で日本政府に対し、被害者への補償、犯罪者の追及と処罰を勧告している。戸塚弁護士は、この時にもジュネーブで本岡昭次参議院議員(社会党→民主党)とともに、デモやロビー活動を行っている。報告書は、吉田清治の本や、慰安婦たちの証言を取り上げている。

 日本のジュネーブ外務省はこの文書に関する40頁の反論を作成し、根回し工作をしたもようだ。西側諸国代表の間では、クマラスワミ報告書の欠陥が理解されたが、韓国、北朝鮮、中国、フィリピンなどの関係国は立場上、強く反発した。このような攻防の結果、人権委員会では家庭内暴力に関する本文は「賞賛する」という最高の評価を得た一方、慰安婦に関する部分は、take note(留意する)という最低の評価であった。
ソウルやマニラ、ジャカルタなど、過去「大東亜共栄圏」に属した多くの都市で、憤慨した犠牲者がぞくぞくと立ち上がり、50年前に彼女たちが体験 したことを語り始めた。韓国(南北)やフィリッピン、中国、タイ、インドネ シアなど各地で女性が名乗り出、自分たちが体験したことを活字や口頭で証言 し始めた。その人数は1997年初め、すでに23,000名に達した。

【国連人権委員会が「性的奴隷」規定する】
 1996.2月、国連の人権委員会は、「慰安婦」を「性的奴隷」と規定し、 この女性たちに日本がおかした行為を「反人道的犯罪」と断定した。この委員会は、日本が犠牲者に補償すること、公訴時効に関係なく責任者を処罰すること、さらに日本は教育課程にこの歴史的事実を含めることなどを勧告(クマラ スワミ勧告)した。

【アメリカ司法省の犯罪局が、戦犯と認められる日本人入国「不適格者名簿」を準備したと発表】
 1996.12月、アメリカ司法省の犯罪局は、戦犯と認められる日本人入国「不適格者名簿」を準備したと発表した。その名簿に入っている(名前 が明らかにされていない)12名中、3名は慰安婦組織に関係している一方、 残り9名は中国で細菌戦を行い、囚人たちを相手に数知れない残酷な罪を犯し たハルビンの「731部隊」関係者とされている。事件後50年たった現在、ワシントンは日本人をナチ戦犯と同じように扱うことに決めたが、これは彼らの犯罪が格別嫌悪すべきものであり、これに荷担した嫌疑がある者は公訴時効の保護を受けてはならないと宣言したことになる。 

【朝日新聞が特集記事】
 1997(平成9).3.31日、朝日新聞は、見開き2面を使って慰安婦問題の大特集を組んだ。この時、吉田著作に関し、「間も無くこの証言を疑問視する声が上がった。済州島の人たちからも氏の著述を裏付ける証言は出ておらず、真偽は確認できない。吉田氏は『自分の体験をそのまま書いた』と話すが、『反論するつもりはない』として、関係者の氏名などデータの提供を拒んでいる」と記述し、「真偽は確認できない」と従来記述を修正した。

 この特集で、見出しには「従軍慰安婦 消せない事実」、「政府や軍の関与明白」、「無理やりを認める供述/ “指示”“便宜”文書残る」と記しており、軍の強制連行を臭わせている。併せて、「裏を取らずに名乗り出た人の一方的な話だけで『無理やり』と決めつけた」、「軍の関与は強姦防止・性病予防であった」とも書いている。

【ゲイ・マクドゥーガル女史が、「元慰安婦への法的賠償を履行する機関の設置」を日本政府に勧告】
 平成10年8月、ゲイ・マクドゥーガル女史が、旧ユーゴスラビアなど戦時下における対女性暴力問題を調査した報告書を作成したが、その付属文書で、またも慰安婦問題を取り上げ、「レイプ・センターの責任者、利用者の逮捕」と「元慰安婦への法的賠償を履行する機関の設置」を日本政府に勧告した。

 慰安所は「レイプ・センター(強姦所)」と改称されている。しかし、これは人権小委員会の勧告としては採択されず、日本政府はマ女史の個人報告書に過ぎない、としている。

【米カリフォルニア州上下院が、「大戦中の日本軍犯罪に謝罪と賠償請求決議」を採択】
 本年8月には、米カリフォルニア州上下院が第二次大戦中に日本軍が行ったとされる戦争犯罪について、「日本政府はより明確に謝罪し、犠牲者に対する賠償を行うべきだ」とする決議を採択した。この「戦争犯罪」には、捕虜の強制労働、「南京虐殺」とならんで、「従軍慰安婦の強要」が含まれている。

 カリフォルニア州議会の決議には、アイリス・チャンの「レイプ・オブ・ナンキン」の影響が指摘されている。チャン氏は、中国政府の資金援助を受けたシナ系米人の団体に支援されている。

【「従軍慰安婦の実態」考】
 現在判明しつつあることは次の通り。慰安所は約400カ所存在した。大部分は、1カ所で10人~20人の女性たちがそこで働いていた。全体ではおよそ4000の~8000いたことになる。慰安所の労働条件は日本での女郎部屋と同等待遇であった。慰安婦の95%が戦場から生還した。

 従軍慰安婦達の高収入については多くの証言がある。1992.5.12日、毎日新聞が、一例として「文玉珠が2年間で2万6千円も貯めた事が、彼女の貯金通帳から明らかになった」と報じている。当時の帝国陸軍大将の年収は約6600円でしたので、その2倍の年収に相当する。尚、当時の2等兵の給料は僅か年間72円にすぎなかった。

【「南京攻略戦争時の貴重証言」考】
 「南京攻略戦」時下における「従軍慰安婦問題」に関する貴重な記録が紹介されている。渡辺卯七「第9師団経理部将校の回想・4,南京戦の思い出」参照。概略次のように記されている、とのことである。 中支那方面軍は指揮下の上海派遣軍や第10軍に37年12月1 1日、軍慰安所設置の指示を命じた。これを受けて第10軍の山崎正男少佐は、湖州における軍慰安所の設置について、日記(12月18日)に次のように書いている。
 「先行せる寺田中佐は憲兵を指導して湖州に娯楽機関を設置す。・・・別に 告知を出したる訳でもなく、入口に標識を為したるにもあらざるに、兵は何処からか伝え聞きて大繁盛を呈し、動(やや)ともすれば酷使に陥り注意しありとのことなり。 先行し来れる寺田中佐はもとより自ら実験済みなるも、本日到着せる大阪 少佐、仙頭大尉この話を聞き耐まらなくなったと見えて、憲兵隊長と早速出掛 けて行く。約一時間半にて帰り来る。・・・概ね満足の体なり」(南京戦史編集 委員会編「南京戦史資料集」)。

 つまり、慰安所は好評であった。

 1940年、軍中央は 「軍紀振作対策」をたて、「主として事変地に於て著意(ちゃくい)すべき事項」として慰安施設の「意義」を次のように評価している。 陸密第1955号「支那事変の経験より観たる軍 紀振作対策」(陸軍省、1940)には次のように記されている。
 「事変地に於ては特に環境を整理し慰安施設に関し周到なる注意を払ひ、殺 伐なる感情及劣情を緩和抑制することに留意するを要す。環境が軍人の心理延いては軍紀の振作に影響あるは贅言を要せざる所なり。 故に兵営(宿舎)に於ける起居の設備を適切にし、慰安の諸施設に留意するを 必要とす。特に性的慰安所より受くる兵の精神的影響は最も率直深刻にして、之が指 導監督の適否は志気の振興、軍紀の維持、犯罪及性病の予防等に影響する所大 なるを思わざるべからず」。

【「肯定派の吉見教授見解」考】
 糾弾派の中心人物である吉見義明・中央大学教授は、岩波新書の「従軍慰安婦」で、次のように述べている。
 その女性の前に労働者、専門職、自営業など自由な職業選択の道が開かれているとすれば、慰安婦となる道を選ぶ女性がいるはずはない・・・たとえ本人が、自由意思でその道を選んだように見えるときでも、実は、植民地支配、貧困、失業など何らかの強制の結果なのだ。

【「否定派の藤岡教授見解」考】
 藤岡教授は次のような見解を述べている。

 概要「慰安婦問題は、日本を侮辱する政治目的で1990年 代に作り出された根拠のないスキャンダルである。それは外国勢力と結託 し日本を破壊する巨大な陰謀である。このようなウソが教科書に載せられれば、日本はたとえようのないほど淫乱で愚かで狂的な民族にみえてしまう」。

【国会審議】
 「日本会議」の「慰安婦「強制連行」はなかった」参照

 こうした世論を反映して平成九年の通常国会でも、いわゆる「従軍慰安婦」問題についての論議が相次いだ。一部この問題に触れたものも含めると、次のような議員が質問している。

1月30日 参議院予算委員会 片山虎之助議員(自民)・田村秀昭議員(新進)
2月3日 衆議院予算委員会 西村眞悟議員(新進)
2月7日 衆議院予算委員会 栗本慎一郎議員(自民)
2月19日 衆議院文教委員会 池坊保子議員(新進)
3月12日 参議院予算委員会 小山孝雄議員(自民)
3月18日 参議院予算委員会 板垣 正議員(自民)

 特に片山虎之助議員、小山孝雄議員、板垣正議員による質問によって、重要な政府答弁が相次いで引き出された。まず、片山議員は次のように追及した。
 そこで、今文部大臣が言われた平成五年八月四日の外政審議室の調査、それに基づく官房長官の談話がこれまた不正確なんですよ。軍が関与していると。関与はしていますよ。関与にもいい関与、悪い関与、積極的な関与、消極的な関与があるんだから。それは兵士を守るために消極的にはいい関与をしたんですよ。だから、それは私は否定しません。それじゃ、強制連行や強制募集、そういうことの事実が確認できたかどうかなんです。ところが、あの調査報告も官房長官談話もかなり曖昧なんです。そこで、外政審議室長、どういう調査をしましたか。

 平林博外政審議室長は次のように答弁している。
 お答えを申し上げます。政府といたしましては、二度にわたりまして調査をいたしました。一部資料、一部証言ということでございますが、今先生御指摘の強制性の問題でございますが、政府が調査した限りの文章の中には軍や官憲による慰安婦の強制募集を直接示すような記述は見出せませんでした。ただ、総合的に判断した結果、一定の強制性があるということで先ほど御指摘のような官房長官の談話の表現になったと、そういうことでございます。

 調査は〈資料〉と〈証言〉に基づいてなされたが、〈資料〉には、軍や官憲が「強制」連行を行ったことを示す記述は一切なかった、ということがこの答弁で明らかになった。そこで片山議員は、〈資料〉すべての公開を求めたところ、政府はこれを了承した。

 それでは、「総合的に判断した結果」とはいかなることを意味するのか。〈証言〉が「強制」を裏付けたということなのか。この点を鋭く追及し、画期的な答弁を引き出したのが、公開された政府資料のすべてを調査するなど万全の準備を整えて質問に臨んだ小山孝雄議員であった。平林博外政審議室長が答弁した。

小山  (平成九年)一月三十日の本委員会で、片山委員の質問に対しまして、政府のこれまでの慰安婦問題に関する調査では慰安婦の強制連行はなかったという答弁をされましたけれども、もう一度外政審議室に確認をいたします。
平林  お答え申し上げてきておりますのは、政府の発見した資料の中に軍や官憲による慰安婦の強制連行を直接示すような記述は見出せなかった、こういうことでございまして、その点は確認させていただきます。(中略)
小山  先ほど慰安婦の強制連行はなかった、政府の資料から見出せなかったということを御答弁になりましたけれども、どうしてそういうことを平成五年八月四日の調査結果を報告するときに記入しなかったんでしょうか、あるいは発表しなかったんでしょうか。それどころか、報告書には「業者らが或いは甘言を弄し、或いは畏怖させる等の形で本人たちの意向に反して集めるケースが数多く、更に、官憲等が直接これに加担する等のケースも見られた。」と、ここまで書いております。それはなぜですか。
平林  平成五年八月の調査結果におきましては、個々の出典とか参考にした文献、証言等を個別に言及しておりません。実態として、今まで申し上げましたように、政府の発見した資料の中には強制連行を直接示す記述は見当たらなかったのでございますが、その他各種の証言集における記述でございますとか、韓国における証言聴取とか、その他種々総合的にやった調査の結果に基づきまして全体として判断した結果、一定の強制性を認めた上であのような文言になったということでございます。
小山  全体としてというのでは本当によろしくない。(中略)ここに報告書の写しを持っております。私がここに持っておりますので、どれがどれで、どれが公開されてどれが非公開なのか、明らかにしてください。
平林  今、先生のお持ちの資料の中には、日本の関係省庁、それから国立国会図書館、アメリカの国立公文書館等のほかに、関係者からの聞き取り先、あるいは参考としたその他の国の内外の文書及び出版物が並べられておると思うんですが、このうち公開していないものは関係者からの聞き取りだけでございまして、その他はすべて公開をしている次第でございます。
小山  参考とした国内外の文書は全部公開でしょうか。
平林  原則として、今おっしゃったとおりでございますが、韓国の太平洋戦争犠牲者遺族会というのがございますが、ここの資料だけは内部資料だということで渡されておりますので、これは例外的に非公開ということになっております。
小山  そうしますと、我が日本国の各行政機関、それから国立国会図書館、国立公文書館、そして米国国立公文書館から出たものは全部公開されている。そこには強制連行を直接示す資料はなかったということが確認された。そうすると、残りは関係者からの聞き取り調査です。すなわち、元従軍慰安婦を中心とした関係者からの聞き取り調査、これは明らかにされていない。それから、参考文献の中に太平洋戦争犠牲者遺族会等韓国の遺族会が出した、まとめた元慰安婦の証言集、これが非公開ということですね。
平林  そのとおりでございます。
小山  その証言集の裏づけはとっておりますか。
平林  お答え申し上げます。個々の証言を裏づける調査を行ったかという御趣旨でございましたら、それは行っておりません。個々の方々、これは元従軍慰安婦もおりますし、元慰安婦もおりますし、それから軍人さんたちのあれもございますが、それの証言を得た上で個々の裏づけ調査をしたということはございません。
小山  そうしますと、公開されていない資料、そして個々の裏づけ調査をしていない資料で政府は平成五年八月四日の決定を行った、こういうことになりますか。
平林  結論としてそのとおりでございますが、全体を子細に検討して、総合的に判断した結果ということでございます。
小山  そういうことですから、当時この調査に当たった、政府の方針に携わった方々が今いろんなところで疑問を呈しておられる、こういうことだと思います。既に公表されているものでも研究者が、例えば秦郁彦千葉大教授だとか西岡力東京基督教大学助教授の詳細な調査、検証が行われていて、既に公にされている証言集等についてはほとんど信憑性がないということが立証されているわけであります。(中略)

 また、当時の外政審議室長も、今どこかの大使に行っていますが、「そのまま信ずるか否かと言われれば疑問はあります」と証言しております。さらにまた、聞き取り調査に行った当時の外政審議室の審議官田中耕太郎さんは、調査が終わった日にソウルでの記者会見で、証言をした慰安婦の方々の「記憶があいまいな部分もあり、証言の内容をいちいち詳細には詰めない。自然体でまるごと受けとめる」という記者会見をしたのも日本のマスコミにきっちり出ているわけであります。こうした経緯があるわけでございますけれども、やはりここで大きな疑問が残るわけでございまして、そうした資料をもとにああいう決定をしたんですかという疑問はまだまだ残るわけであります。

 次のように評されている。
 「以上の国会質疑・答弁によって、教科書に従軍慰安婦を記載する第一の根拠となっていた河野官房長官談話は全く権威を失ったといえる。 結論から言えば、政府は『河野官房長官談話の根拠となったものは、客観的裏付けのない元慰安婦の証言だけであった』と認めたのである。談話のもととなった調査資料の全貌と、公開・非公開の別が明らかとなった。『政府が発見した資料の中には強制連行を示す記述は見出せなかった』と平林外政審議室長が繰り返し強調したのは、公開文書のことを指している。ということは、強制連行を認めた河野官房長官談話の根拠となったものは非公開のものに限られる。すなわち韓国の遺族会がまとめた元慰安婦の証言集、および元慰安婦を中心とした関係者からの聞き取り調査である。この非公開資料について、『その証言集の裏づけはとっておりますか』と小山議員が質問したところ、『それは行っておりません』という答弁であった。河野談話は、公開もできない、裏づけ調査もなされていない、極めて信憑性の低い証言のみを根拠にしてなされたものであると結論された。

 今後、私たちはすべての議論を、慰安婦の強制連行を認めた河野談話は公開もできない、裏づけ調査もなされていない、極めて信憑性の低い証言のみを根拠にしてなされたものであること、かつ政府もそれを国会の場で公式に認めたという点から始めてゆくべきである。課題は、二つある。一つは、河野談話は非公開の、裏付け調査もしていない韓国の元慰安婦の証言に基づいている。現在の私たちの状況は譬えて言えば、証拠能力があるかどうかも分からない非公開の資料によって一方的に性犯罪国家と有罪宣告されてしまったようなものである。政府の公文書が無罪を証明している以上、裁判のやり直しをするべきであり、そのためには談話の決定打となった非公開の証言を政府はすべて公開し、専門家によって客観的、学問的に徹底的に検証させるべきである。

 もう一つは、小山議員も最後に指摘していたが、宮澤首相や河野官房長官(当時)はなぜ、裏付け調査もしていない不確かな証言に基づいて、私たち日本人すべてに『アジアの女性たちを軍・官憲が拉致・監禁して性奴隷とした』という汚名を着せるようなことをしたのか、ということだ。「慰安婦の境遇にあった人々にも同情を禁じ得ないが、いくら調査しても強制性を示す文書は発見できなかったし、元慰安婦の証言も裏付けがとれない以上、現段階では『強制性』を認めるわけにはいかない」と、なぜ明言することができなかったのか。

【石原信雄元官房副長官発言】
 この点について産経新聞(平成九年三月九日付)のインタビューの中で、当時、「河野談話」作成に直接関わった石原信雄元官房副長官はこう述べている。
――ではなぜ強制性を認めたのか。
 「日本側としては、できれば文書とか日本側の証言者が欲しかったが、見つからない。加藤官房長官の談話には強制性の認定が入っていなかったが、韓国側はそれで納得せず、元慰安婦の名誉のため、強制性を認めるよう要請していた。そして、その証拠として元慰安婦の証言を聞くように求めてきたので、韓国で十六人に聞き取り調査をしたところ、『明らかに本人の意思に反して連れていかれた例があるのは否定できない』と担当者から報告を受けた。……」(中略)
――韓国側の要請は強かったのか。
 「元慰安婦の名誉回復に相当、こだわっているのが外務省や在韓大使館を通じて分かっていた。ただ、彼女たちの話の内容はあらかじめ、多少は聞いていた。行って確認したということ。元慰安婦へのヒアリングを行うかどうか、意見調整に時間がかかったが、やはり(担当官を)韓国へ行かせると決断した。行くと決めた時点で、(強制性を認めるという)結論は、ある程度想定されていた」
――それが河野談話の裏付けとなったのか。
 「日本側には証拠はないが、韓国の当事者はあると証言する。河野談話に『(慰安婦の募集、移送、管理などが)総じて本人たちの意思に反して行われた』とあるのは、両方の話を総体としてみれば、という意味。全体の状況から判断して、強制にあたるものはあると謝罪した。強制性を認めれば、問題は収まるという判断があった。これは在韓大使館などの意見を聞き、宮澤喜一首相の了解も得てのことだ」
――談話の中身を事前に韓国に通告したのか。
 「談話そのものではないが、趣旨は発表直前に通告した。草案段階でも、外政審議室は強制性を認めるなどの焦点については、在日韓国大使館と連絡を取り合って作っていたと思う」
――韓国側が国家補償は要求しないかわり、日本は強制性を認めるとの取引があったとの見方もある。
 「それはない。当時、両国間でお金の問題はなかった。(後略)」

 次のように評されている。
 「内閣官房副長官と言えば、単なる一官僚とはわけが違う。総理大臣を直接サポートする内閣の事務方の最高責任者である。そうした信憑性の高い証言から浮かび上がってくるのは、学問的な検証は二の次で、強制性を認めよと迫る韓国政府の圧力に屈してしまった日本政府の姿である。

 この石原元官房副長官の証言には幾つかの重大なポイントがあるが、整理すると次のようになる。いくら探しても日本側資料には強制性を認めるものは見つからなかった。韓国政府はあくまで強制性を認めるよう要請していた。そこで韓国政府は、強制性を認めさせるために、韓国政府が用意した元慰安婦の証言を聞くよう要請した。元慰安婦への聞き取り調査をするのは、強制性を認めるためであることを知りながら、日本政府は聞き取り調査を決定した。

 元慰安婦の証言を踏まえた河野談話の内容については、発表前に、外政審議室が、在日韓国大使館と連絡を取り合っていた。韓国政府の要請に応じて、元慰安婦への聞き取り調査を行い、強制性を認めれば(つまり日本が自らを性犯罪国家だと認めて謝罪すれば)、この問題は収まると、在韓大使館、宮澤首相、河野官房長官、谷野作太郎外政審議室長、田中耕太郎外政審議官、そして石原官房副長官(いずれも当時)は判断した。

 日本側が強制性を認めるかわりに、韓国側は補償を求めないというような密約・取引はなかった。日本側がたとえ「強制性」を認めても、韓国側がこれで元慰安婦への補償問題を決着させるかどうかは確認していない。(これでは、強制性を認めれば韓国政府は納得してくれるだろうという一方的な希望的観測だけで、あえて「強制性」を認めたことになり、「密約」説よりももっと始末が悪い。)」。

【河野太郎氏の「いわゆる河野談話について」】
 これにつき、当時の河野洋平・官房長官の子息にして後継者の自民党国会議員・河野太郎氏が2012.8.31日付けブログで「いわゆる河野談話について」を発表している。これを転載する。
 いわゆる河野談話について  2012年08月31日 14:35
Q いわゆる従軍慰安婦に関する官房長官談話(河野談話)が今、問題になっていますが、この談話が出された経緯を教えて下さい。

A 宮沢内閣当時、当事者による訴訟の提起や宮沢総理の韓国訪問時に盧泰愚大統領からの問題提起などがあり、関係諸国などから強い関心が寄せられました。そのため1991年12月より、いわゆる従軍慰安婦問題に政府が関与していたかどうかを、警察庁、防衛庁、外務省、文部省、厚生省、労働省がそれぞれ調査し、その結果を1992年7月6日に内閣官房内閣外政審議室がとりまとめ、「朝鮮半島出身のいわゆる従軍慰安婦問題について」として発表しました。

 それによると、(ネット上に資料がないので下記引用します。誤字脱字があったらお許し下さい。)「慰安所の設置については、当時の前線における軍占領地域内の日本軍人による住民に対する強姦等の不法な行為により反日感情が醸成され、治安回復が進まないため、軍人個人の行為を厳重に取り締まるとともに、速やかに慰安設備を整える必要があるとの趣旨の通牒の発出があったこと、また、慰安施設は士気の振興、軍紀の維持、犯罪及び性病の予防等に対する影響が大きいため、慰安の諸施設に留意する必要があるとの趣旨の教育指導参考資料の送付が軍内部であったこと。慰安婦の募集に当たる者の取締りについては、軍の威信を保持し、社会問題を惹起させないために、慰安婦の募集に当たる者の人選を適切に行うようにとの趣旨の通牒の発出が軍内部であったこと。慰安施設の築造・監督については、部隊毎の慰安所利用日時の指定、慰安所利用料金、慰安所利用に当たっての注意事項等を規定した「慰安所規定」が作成されていたこと。慰安所・慰安婦の衛生管理については、「慰安所規定」に慰安所利用の際は避妊具を使用することを規定したり、慰安所で働く従業婦の性病検査を軍医等が定期的に行い、不健康な従業婦においては就業させることを禁じる等の措置があったこと。その他、業者が内地で準備した女子が船舶で輸送される予定であることを通知する電報の発出があったこと。

 以上のように、いわゆる従軍慰安婦問題に政府の関与があったことが認められた。」と結論づけています。それを受けて、同1992年7月6日に加藤紘一官房長官が、「慰安所の設置、慰安婦の募集に当たる者の取締り、慰安施設の築造・増強、慰安所の経営・監督、慰安所・慰安婦の街生管理、慰安所関係者への身分証明書等の発給等につき、政府の関与があったことが認められた」という内容の「朝鮮半島出身のいわゆる従軍慰安婦問題に関する官房長官談話(加藤談話)」を発表しました。
 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/kato.html

 政府は、さらに続けて、国内及び米国国立公文書館を含む関係資料の調査と元従軍慰安婦からのヒアリングを行いました。1993年8月4日に内閣官房内閣外政審議室が「いわゆる従軍慰安婦問題について」と題した調査結果を発表しました。
 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/pdfs/im_050804.pdf

 そのなかには、「業者らが或いは甘言を弄し、或いは畏怖させる等の形で本人たちの意向に反して集めるケースが数多く、更に、官憲等が直接これに加担する等のケースもみられた。」という記載があります。この調査結果を受けて、同8月4日に河野洋平官房長官が「慰安婦関係調査結果発表に関する官房長官談話(河野談話)」を発表しました。
 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/kono.html

Q 「河野談話」の何が問題となっているのでしょうか。

A 慰安婦の募集に強制性があったかどうかという点です。河野談話は、内閣官房内閣外政審議室の調査発表を受けて、「慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった」。また「戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた」と述べています。いわゆる従軍慰安婦に関する政府の関与があったことまでは政府の資料で確認できていますが(加藤談話)、慰安婦の募集に強制性があったかどうかについて、河野談話のいうように総じて本人たちの意思に反して行われたのか、本人たちの意思に反して行われたこともあったが、総じて行われたというほどではないのか、本人たちの意思に反して行われたことはなかったのか、で意見が分かれています。

Q 1993年8月4日付け内閣官房内閣外政審議室の「いわゆる従軍慰安婦問題について」発表までに政府が発見した資料の中に、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示す記述があったのでしょうか。

A 安倍晋三首相は、2007年3月16日付の質問主意書への答弁書の中で「調査結果の発表までに政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示す記述も見当たらなかった」と述べています。

Q 宮沢内閣の石原信雄官房副長官(事務)も文書が見つからなかったと発言していませんか。

A 2007年に財団法人平和のためのアジア女性国民基金から刊行された「オーラルヒストリー アジア女性基金」のなかで、当時の石原信雄官房副長官は以下のように述べています。「通達とか指令とかいろんな資料を集めたんですけど、文書で強制性を立証するようなものは出てこなかったんです」、「通達とか指令とかという文書的なもの、強制性を立証できるような物的証拠は見つけられなかったのですが、実際に慰安婦とされた人たち十六人のヒヤリングの結果は、どう考えても、これは作り話じゃない、本人がその意に反して慰安婦とされたことは間違いないということになりました」、「本人のヒヤリングで強制性の認定をしたのは大きな間違いだというご批判があるわけです。われわれは何度も聞かされてます。ただ私どもは、そこをどうするかは、内閣としても、政府としても、判断に苦慮したところなんです。だけども十六人のうち、自分の意思ではなく慰安婦にさせられた、その置かれた状況のもとでやむなく慰安婦になった、あるいは瞞されてなったという人が間違いなくかなりいる。これはヒヤリングを通して真実であることに間違いないという担当官の報告が出たのです。日本政府も韓国政府も、担当官にはなんらのプレッシャーをかけてないわけです。人道的立場でヒヤリングをやってもらい、その報告を受けたわけです。それを政府としては、彼らの心証を大事にしていこうと考え、それが強制性の認定につながったわけです」。

Q この元慰安婦からのヒヤリングの内容は公開されているのでしょうか。

A これまで公開されていません。

Q 河野談話は閣議決定されているのでしょうか。

A 閣議決定されていません。

Q では、河野談話はどういう性格のものなのでしょうか。

A 「内閣の意思」です。前出の「オーラルヒストリー」のなかで石原官房副長官はこう述べています。「あの表現は官邸の中で皆で相談して、最終的に決めたものなのです。当然外務省、厚生省、労働省など、関係する官庁には全部連絡して決めたわけですから、あれは内閣の意思でして、特定の人の意見ではない。内閣の責任で出した談話だということは間違いありません」。

Q この「内閣の意思」は宮沢内閣以降どうなっているのですか。

A 宮沢内閣以降の歴代内閣はこれを踏襲しています。

Q 「河野談話」を修正、または撤回するためにはどうしたらよいのでしょうか。誰がやればよいのでしょうか。

A 「内閣の意思」は、総理大臣が明示的に踏襲すると発言しなくとも、明示的に否定しない限り、新しい内閣に引き継がれます。「河野談話」を修正または撤回するためには、これまでの内閣の意思を変更するわけですから、「河野談話」に替わる内閣の新しい見解、意思を発表する、「河野談話」を踏襲しないという内閣の意思を明示する、または何らかの形での否定をすることが必要だと思われます。内閣の意思をとりまとめ、総理または官房長官が新しい見解を発表するなどが必要です。そのためには、1993年8月4日付け内閣官房内閣外政審議室の「いわゆる従軍慰安婦問題について」に替わる事実が出てくるか、あるいはこの調査結果を破棄するかということが必要になります。

Q 加藤談話及び河野談話については、談話を出した本人が意見を変えれば変更ができるのでしょうか。

A 歴代官房長官は、この問題に限らず、様々な問題について談話を発表してきていますが、いずれの談話も内閣の意思を表しているものであって、個人の意見を述べたものではありません。ですから官房長官談話の変更には、内閣の意思の変更が必要になります。談話を出した本人のその後の意見というものは、談話には関係ありません。

【フランスの文学者ロベール・フォリソンの言】
 1980年にフランスの文学者ロベール・フォリソンが述べ た言葉をとりあげよう。

 「ヒットラーがガス室を使用しユダヤ人を虐殺したと主張するのは、明らかに歴史的偽りである。この偽りで得をするのは主にイス ラエルと世界中のシオニストであり、その犠牲者はドイツ国民である」。
(私論.私見)
 この発言の文脈で仮にヨーロッパを東アジアに変えると、犠牲者の入れ替えなどがそのまま通用する。

【参考文献】
 参照 上杉千年著『検証従軍慰安婦』(全貌社)
 参照 小林よしのり『新ゴーマニズム宣言3』(小学館)
 従軍慰安婦強制連行捏造報道

 ■ 参考 ■
1. 「慰安婦の戦場の性」、秦郁彦、新潮選書、H11.6
2. 「闇に挑む!」、西岡力、徳間文庫、H10.9
3. 「慰安婦強制連行はなかった」、太子堂経慰、展転社、H11.2
4. 「歴史教科書への疑問」、日本の前途と歴史教育を考える
  若手議員の会編、展転社、H9.12.23
5. 「日本人が捏造したインドネシア慰安婦」、中嶋慎三郎、
  祖国と青年、H8.12
6. 「従軍慰安婦」、吉見義明、岩波新書、H7.4
7. 産経新聞、H11.08.27 東京朝刊 4頁 国際2面

【2013慰安婦問題を廻る橋下大阪市長発言物議考】
 2013(平成25).5.13日、日本維新の会の橋下徹共同代表(大阪市長)が、従軍慰安婦問題について次のように発言をした(「日本経済新聞の2013.5.17日付け慰安婦問題などを巡る橋下氏の主な発言」転載)。後日の証の為に保存しておく。
 ■13日午前

 「従軍慰安婦問題についても、慰安婦の方にはしっかり優しい言葉をかけないといけない。意に反してこういう職業に就いたのであれば、そのことについては配慮しないといけない。しかし、当時世界各国も慰安婦制度を持っていた。これはいいこととは言わないが当時はそういうもんだった。ところがなぜ欧米で日本の問題のみが取り上げられていたかというと、日本は無理やり国を挙げて強制的に意に反して慰安婦を拉致してそういう職業に就かせたレイプ国家だというところで世界は非難しているということを、日本人は世界でどう見られているかもっと認識しないといけない。
 慰安婦制度がなかったとは言わないし、軍が管理していたのは間違いない。だがそれは当時の世界の状況として軍がそういう制度を持っていたのも厳然たる事実。近現代史を勉強して慰安婦ということを聞くと、とんでもない悪いことをしていたと思うかもしれないが、当時の歴史をちょっと調べれば日本軍だけでなくいろんな軍で慰安婦制度を活用していた。銃弾が雨嵐のごとく飛び交う中で命をかけて走っていくときに、どこかで休息させようとしたら、慰安婦制度が必要になることは誰だってわかる。欧米諸国でどういう風にみられているかといえば、韓国とかいろんなところの宣伝効果があってレイプ国家とみられていること。ここが問題だ。
 証拠が出てくれば認めないといけないが、2007年の閣議決定でそういう証拠はないとなっている。日本政府自体が暴行、脅迫して拉致したそういう事実は証拠に裏付けられていないのでしっかり言わないといけない。ただ慰安婦制度について、意に反して慰安婦になった人には僕は配慮しないといけないと思う」。
 ■13日午後
 「当時の状況ではそういうことを活用していたのは事実。ただ、それを良しとするかどうかは別。意に反してそういう職業に就かなければならない、意に反してですよ、自らの意思でそういう職業に就いていた人も中にはいたでしょうからね。現代社会だって風俗業はしっかり職業としてあるわけですから、自らの意思でやった場合は自らの意思でしょう、となるが、意に反してそうしなければならなかった人には配慮が必要だと思う。

 意に反してか、意に即してかというのは別で、慰安婦制度というものは必要だったということ。軍を維持するとか規律を維持するには当時は必要だったということ。
 今はそりゃあ認められないでしょう。でも慰安婦制度ではなくても、風俗業というのは必要だと思う。沖縄の(在日米軍)海兵隊の普天間(基地)に行ったときに司令官に「もっと風俗業を活用してほしい」と言ったが、司令官は凍り付いたように苦笑いした。「米軍ではオフリミッツだ、禁止だと言っている」と言うものですからね。そんな建前みたいなことを言うからおかしくなるんですよ、と。法律の範囲内で認められている中で、いわゆる性的なエネルギーをある意味合法的に解消できる場所は日本にもあるので、真正面から活用してもらわないと、海兵隊の猛者の性的エネルギーをコントロールできないじゃないですか、と。「建前論じゃなくてもっと活用してくださいよ」と言ったが「行くなというように通達を出しているし、もうこれ以上この話はやめよう」と打ち切られた。
 堂々と活用したから、事件が収まるという因果関係にあるものじゃないでしょうけど、真正面から認めないと。建前論ばかりじゃだめですよ。兵士なんていうのは、自分の命を落とすかもしれない極限の状況に追い込まれる仕事・任務なわけで、エネルギーがあり余っているわけだから、どこかで発散するとかそういうのはしっかり考えないといけない。
 具体的な国名は出しませんが、第2次世界大戦中でも日本軍以外でレイプだなんだのがあったというのは事実として出てきている。そういうのを抑えていくには、一定の慰安婦みたいな制度が必要だったのも厳然たる事実。慰安婦制度を全部否定するとか正当化するというのはダメ。戦争の悲劇で生まれたものだから慰安婦の方に対してしっかりと配慮を持って接しないといけないわけだけれども」。
 ■13日夜~15日午前(ツイッターへの書き込み)
 「当時は必要だった」と、今容認していることは別だ。僕も今は容認していない。ただ当時の戦時下においては世界各国の軍でどうだったのか。日本だけが特殊だったのか。戦場の性の対応策として、いわゆる慰安婦制度なるものが必要とされ、日本だけでなく世界各国も同じような制度を活用していた。戦場に性を切り離すことはできなかった。これが歴史上の事実だ。
 日本の慰安婦制度を正当化するつもりはないが、日本「だけ」が慰安婦制度を持ったレイプ国家だと言われるものではない。なぜ日本「だけ」が性奴隷を活用していたと世界から非難を受けているのか。それは日本が国を挙げて女性を拉致し、慰安婦にさせたと思われているから。今のところ、日本政府はそのような証拠がないと閣議決定している。
 現在、慰安婦制度が必要だとは言っていない。むろん、現在はあってはならない。むしろ、日韓基本条約がある中でも、意に反して慰安婦になった方へは配慮が必要だと言い続けている。慰安婦制度が現代社会で認められるはずはない。僕が論点にしたのは、世界が日本だけ特殊な制度を持っていたと批判していることだ。
 今のような人権感覚がなく、そして売春防止法もなかった前近代的な第2次世界大戦当時、慰安婦を必要としていたのだろう。現在容認できないことは当然だ。各メディアは、僕が現在も慰安婦制度を容認しているかの報道。これは違う。
 ■15日昼
 日韓基本条約が法的に解決済みだということを言い続けていることの方が慰安婦だった皆さんを傷つけていると思う。法的な問題と人間としての態度振る舞いは別。1度結ばれた日韓基本条約を白紙にするのは難しいかもしれないが、慰安婦だった方がどれだけ大変な苦痛を味わってきたか、不幸な過去を背負ってきたのかということに対してはしっかり配慮すべきだと言い続けている。
 今、慰安婦が必要だなんてことは一言も言っていない。日本の行為を正当化するつもりはない。他国がやっていたから日本がやっていたことをいいじゃないかというつもりは毛頭ない。だから今必要だとは一切言っていないし、むしろ、慰安婦制度は許されない。今となってはみんながダメだと思っていることを、当時は世界各国がやっていたのに、なぜ日本だけが特別な批判を受けているのかということをしっかりと認識しないといけませんよ、そこは違うところは違うと言わないといけませんよ、という問題提起をしている。
 慰安婦だった方を傷つけるつもりはないし、やってはいけないことだし、日韓基本条約があるからこれで終わりというつもりはない。法的補償は難しいにせよ、きちんとした配慮はしないといけないと思う。傷つけているとは一切思わない。
 メディアは世界がやっていたから日本もいいという論調で書き立てているけれども、そうじゃない。自分たちを正当化するためではなく、不当な侮辱に対してしっかりものを申していきましょうということで、全員が反省して、戦時下で戦場での性の問題を、女性をああいう形でじゅうりんするようなことはやめましょう、と。全世界でやるべきだし、日本も反省しないといけない。
 (慰安婦制度を)容認はしてませんから。当時はみんながそう思っていたんでしょ、ということを伝えた。客観的にですよ。今はやっちゃいけないこと。でも当時は世界各国が軍隊を保持するために戦場での性は最大の課題だった。
 必要性がある、それは認めたことじゃないか、というとそれは全然違う。必要性がないんだったら、慰安婦制度や現地の女性、民間業者を活用したりということはない。必要性というのは客観的な事実。主観的な表現ではない。それを認めるか認めないかとなったら主観が入るが、認めるかどうかは非常に問題ですけれども、僕は認めていない。
 ■15日夕
 (自分の発言は)誤解を与えていないと思っている。慰安婦制度は容認することはないし、今、必要だとは全く思っていない。当時の必要性は、今の視点で見たらダメだけど、当時の必要性は誰だって分かること。当時、人権感覚が何もなかった時代に、制度が必要だと当時の人が考えたのは分かるでしょうと。僕らが容認するかどうかでない。
 必要性と認めるかは別。必要性はだって、性病のまん延とか、そういうことがあるから必要だったんでしょう。でもそれを認めるかどうかは全く別。
 選挙のことで(維新の)松井一郎幹事長(大阪府知事)に色々な負担をかけてしまうかもしれないが、選挙のことだけ考えて政治家なんてできない。いろんな外国人と話して日本人だけ特殊な性的奴隷を持っていたという評価だけは耐えられない。
 ■16日朝(フジテレビ番組で)
 誤解で傷ついた人がいるなら本当に大変申し訳なく思う。ただ、世界が日本に対して思っていること、認識していること、それに対して「この点は違う」ということを主張するなら当初はこのような状況に絶対なる。世界の中で議論しようとすればこういう反発を恐れて何も主張しないのではかえって世界で相手にされなくなる。議論して自分が間違っているところがあれば謝る。自分の考えを出すことはやらないといけない。
 党内でとりまとめた意見ではなく、一政治家としての政治的な思い、国民としての思いだ。維新のメンバーはとまどっているかもしれないが、選挙に勝つために政治家をやっているわけでない。
 中国とも韓国ともしかるべき立場の人ときちんと議論したい。僕の立場で中韓のしかるべき立場の人、また欧米のしかるべき立場の人とすぐに議論できるかといえばそうではないかもしれないが。でも実際に申し込みがあるのでしっかりと対応したいと思う。
 (在日米軍への風俗業に関する発言は)僕の表現のつたなさがあった。ただ僕は法律上認められた風俗業と言った。日本では売春、買春は認められていない。風俗業はいろいろあると言ったが、中身は色々ある。売春や買春を勧めたわけではない。そこは自分なりに気を使って発言した。1つ大きなミスを犯したとすれば米国の風俗文化についての認識が足りなかったかもしれない。米国で風俗というと売春、買春ということがすぐに思い浮かぶ。法律上認められる風俗が買春、売春ととらえられたのは僕の表現不足。
 ■16日午前
 (米軍への風俗業に関する発言は)認識が甘かったことは間違いない。表現が拙かった。日本で認められていることがアメリカで認められていることはない。日本で認められていることと米国で認められていることの違いについて慎重に考えなければならなかった。国際感覚に乏しかった。僕の一番の欠点だったんでしょうね。
 ■16日午後
 日本人がやったことは謝らなければならない、強制連行があったかどうかというのは世界からどう見られているかということには非常に影響するから、日本政府として明確にしなければいけない。
 (米軍への風俗業に関する発言が)不適切だったことは間違いない。法律で認められている風俗といっても、それは米国のとらえ方だとか宗教的な価値観とかでそのワードを出すことは不適切だった。僕の言葉が不適切で女性の人権をじゅうりんしているのではないかという批判は真摯に受けとめる。






(私論.私見)