従軍慰安婦考



 (最新見直し2014.4.28日)
 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、従軍慰安婦考をものしておく。

 2005.1.16日、2007.3.12日再編集 れんだいこ拝


れんだいこのカンテラ時評bP221 投稿者:れんだいこ  投稿日:2014年 4月28日
「従軍慰安婦問題」についてのれんだいこ見解その1

 日韓外交に「従軍慰安婦問題」が浮上し泥沼的状況に入っている。これどう評すべきか。れんだいこが審判しておく。「従軍慰安婦問題」は、ホロコーストや南京虐殺事件や百人斬り事件のように事件の存在を廻っての認否の問題ではない。従軍慰安婦制は存在した。このことに関して見解の相違はない。キモは、当時の日本軍部が即ち国家としての日本が直接関与していたのかを廻る論争となっている。韓国側は日本軍部の直接的蛮行であるとして国家的謝罪と賠償を要求している。日本側は間に商人が介在している商取引的なものとして存在していたのであり国家的責任、賠償が追求されるには及ばないとしている。この対立である。このキモの部分を理解せずの道徳論的見地からの論調が後を絶たない。

 果たして韓国式論理論法は成り立つのだろうか。過去の戦争に対してかような責任論が成立するのであれば史上の戦争を総洗いして国家賠償の飛ばし合いすれば良かろう。ここ数世紀の西欧列強による世界植民地化に対して、蹂躙圧迫された国家及び民族は莫大な国家賠償追求に向かえば良い。が、れんだいこはそのような動きを聞かない。と云うことは特殊的に日本にのみ戦争責任論が適用されようとしていることになる。ここが大いに不満である。

 れんだいこが日本人であるからと云う理由で日本に与するのではない。客観的に評して「従軍慰安婦問題」如きで戦後半世紀以上経てもなお許さずとして喧騒する韓国式外交をやり過ぎとなじろうとしている。たまたま韓国は朴槿恵(パク・クンヘ)と云う女性大統領であり、その女性的見地から許し難いとしているように思われるが政治家の歴史認識としてはお粗末過ぎるのではなかろうか。一般論で言えば、性商がこの世から消えるのが好ましいのは当たり前である。そういう意味で純愛論が奏でられるのであろうが、問題は性商が大昔から続いており道徳論的見地から幾ら罰しても消えないことにある。こうなると賢明な折り合いをつけて併居させている方がむしろ賢明と心得るべきであろう。

 そういう性商問題であっても、韓国が日本に国家的責任を問い続け賠償責任を負わしめようとするからには当事の日本軍部の直接関与を立証せねばならない。しかしこれが困難を極めている。仮に立証できたとしても次の難題が待ち受けている。韓国現代史のタブーとなっているベトナム戦争時の韓国軍のベトナム女性輪姦虐殺史である。ごく最近、週刊誌週間ポストの3月28日号、4.11日号が連載して明らかにしている。こちらの方はれっきとした韓国軍による即ち国家としての犯罪である。

 韓国は、この性凌辱の挙句の虐殺行為を不問にし、日本の給金型慰安婦問題に対しては指弾され抜くべきだとしていることになるが、我々が納得できるような法理を明らかにせねばならない。れんだいこには、ここがさっぱり分からない。ましてや時系列的には「従軍慰安婦問題」の方が相当に古い。古い事件の責任が問われるのは古い事件の方がより加虐的である場合だけである。性商慰安婦化行為と性凌辱虐殺行為のどちらがより加虐的で許し難いのか、韓国は性商慰安婦の方がより極悪だとする法理を世界に向けて開陳せねばならない。

 その韓国に対して、4.25米韓首脳会談の席上、オバマ大統領がわざわざ「従軍慰安婦問題」に触れて、先の日共の志位委員長発言と同じような発言をしている。奇妙な一致である。志位もオバマもテキストがあってその通りに発言しているのだろうかと云いたくもなる。そういう詮索は別にして次のように述べている。概要「歴史を振り返るなら実に甚だしい人権侵害と考えなければならない。過去を正直かつ公正に認識しなければならない。安倍首相や日本国民もそのことを分かっているはずだ。(日韓は)過去を振り返りつつ、未来に進むべきだ。未来を見ることが日本と韓国の人々の利益だ」。

 これに対して朴大統領は、元慰安婦の女性らが高齢となっていることなどを指摘した上で、「(日本に対して)誠意のある実践が必要だ」と述べ早急な対応を促した。朴大統領がオバマ大統領をバックにつけて威勢良い批判をしている格好である。これを聞くや我が日本の安倍首相はそれまでの余裕の不遜さを一転させ、途端にヘタレになりこう言い直している。概要「筆舌に尽くし難い思いをされた慰安婦の方々のことを思うと本当に胸が痛む思いだ。今後とも日本の考え方、取り組みを説明してまいりたい。20世紀は女性をはじめ多くの人権が侵害された世紀だ。21世紀はそうしたことが起こらない世紀にするため日本も大きな貢献をしていきたい」。

 こうなると三人の掛け合い漫才の感がある。れんだいこ評では、この遣り取りから浮かび上がるのはオバマの臭い芝居である。オバマが世界史上の残虐事件に通暁していない訳がない。まして彼は黒人系であり黒人の悲劇史は百も承知である。何より現に進行中の世界中での性商、性凌辱、性暴殺を知り抜いている。その上で、「従軍慰安婦問題」をフレームアップさせる形で取り上げ、韓国に同調した上で「日韓は過去を振り返りつつ未来に進むべきだ」と念押ししている裏には相当の魂胆があるとみなすべきだろう。

 明らかに典型的なマッチポンプ論法であり、透けて見えてくるのは、オバマが日韓も日中も中韓も、北朝鮮を挟めばなおさらのこと、揉めるように揉めるようにリードしていることである。これが米国外交と云うか国際ユダ屋の狙いであることが瞭然である。連中は人と人、国と国を対立させ危機を煽り戦争で儲けるのを得手の商売としている者たちであるからして世界の各地が地域ブロックで共栄圏化するのを何としてでも妨げようとする。要するに連中の出番がなくなるからである。オバマはその意を受けた請負役者に過ぎない。と云うことが既にバレバレである。

 (れんだいこの「国際ユダ屋」の命名に対して不評なので今後はダボス会議に注目し「ダボス派」とも云うことにする。使い分けするつもりである) 問題は、ダボス派のこの戦略戦術に悪乗りしていつものように正義弁が登場しまくりすることにある。この件では特にサヨがはしゃぐ。原発も増税もTPPも憲法改正も自衛隊派兵もみんな根元は一緒である。こちらはウヨがはしゃぐ。その全てはダボス派が振り付けている。こういう見方を陰謀論と云う。世間ではよほど当たり障りのない政論が好みのようで陰謀論を唱えると顰蹙を買う。しかし、れんだいこには陰謀論抜きにどうやって理解すればよいのか、他の論は物足らなさ過ぎてつまらない。故に陰謀論批判を蒙ろうとも大いに結構であると申し上げておく。

「従軍慰安婦問題」についてのれんだいこ見解その2
「従軍慰安婦問題」で次に考えてみたいことは、それを良し悪しとか道徳論のレベルで考えるのではなく、こう云ってはお叱りを受けるかも知れないが合理性があるのではなかろうかとする観点から愚考してみたい。れんだいこは、戦後の国是としての反戦平和、国際協調主義の側に立っているので、戦争時の「従軍慰安婦問題」なぞどうでも良いようなことなのだが、そのこと自体ではなくそういう制度の由来に興味を覚えるので述べておく。戦前の日本軍が「従軍慰安婦制」を敷いていた背景には興味深い日本式の性観念、性伝統が介在していると思うからである。

 「従軍慰安婦制」とは要するに戦争時の兵隊に慰安婦を与えて性処理させる制度であるが、これを編み出した当時の日本軍は果たして野蛮だったのだろうか。今日咎められているほど残虐非道なものだったのだろうか。れんだいこにはここを愚考してみたい。これは逆に考えれば分かり易い。「従軍慰安婦制」を持たない兵士が為すのは決まって性の暴走である。敗軍の兵士のことは分からないが勝軍の兵士となると戦勝国権利として婦女子の性凌辱、性暴殺を当たり前にしてきたのが世界史共通の現象なのではなかろうか。日本式「従軍慰安婦制」は、そういう戦史から学んだ日本式知恵の一つなのではなかろうか。れんだいこはそう考えている。もとより「従軍慰安婦制」を肯定しようというのではない。道徳的な肯定とか否定に先立つ合理性を認めたい訳である。

 れんだいこは若い頃、最も怒ったことがある。それは戦後直後の日本政府が進駐軍に取った慰安婦宛がい政策に対してである。これを少し確認しておく。1945.8.18日、敗戦3日後のこの日、内務省は、警保局長通達(無電)で「外国駐屯軍慰安施設等整備要項」を全国都道府県に発した。これは占領軍向け性的慰安施設設置指令である。8.27日、占領軍向け性的慰安施設が大森海岸の小町園で開業している。進駐軍の先行隊が厚木へ到着したのは翌日であるからして事前に用意していたことになる。東京では警視庁が指導して業者にやらせる方式で「特殊慰安施設協会」を発足させ、東京銀座街頭に「新日本女性に告ぐ」と募集広告が出された。なお、新聞に慰安婦募集の広告を掲載している。慰安所は大人気となったが3カ月で閉鎖されている。性病の蔓延などが理由であった。この間「政府の努力」で増加し1万人に達した慰安婦たちは路頭に迷い非公認の街娼となって行った。俗にパンパンガールと呼ばれている。

 れんだいこは若い頃、自ら率先して戦勝国に対して性的もてなしをする、それも国家公認のみならず後押しでの売春施設を事業化する日本政府の非道さが許し難かった。日本政治の支配の質を如実に示しているとして憤懣やるかたなかった。ところが、その後のれんだいこは違う。既に次のように記している。「これを道徳的に批判する向きもあるが、逆にいえば日本支配階級の統治技術がかなり高度なものとも考えられるのではなかろうか。従軍慰安婦問題にも通底している施策であるように思われる。これを道徳的に批判するだけにとどまるのなら何も批判していないことになろう。支配階級をして、現実がこのような施設を必要とさせたのであり、社会秩序維持の観点から保安施設として外国駐屯軍慰安施設設置が為されたことを窺うべきではなかろうか。批判することはできるが、ならばさてどうすべきであったのかという対案的観点から判断せねばなるまい」。

 今のれんだいこはもう一つ違う。「従軍慰安婦制」を採用した日本政府の統治技術は日本の伝統的な性交観、性文化に根差しており、当時の日本政府の悪知恵と云うより、当時の日本政府が日本の伝統的な性交観、性文化に基づいて生み出したものと考えている。これはどういうことか。これを説明すると紙数ばかり増すので要点のみ記すと、日本の伝統的な性交観、性文化は案外と世界に冠たるこの方面での先進国なのではなかろうかとしている。何度も云うが故に礼賛しようと云うのではない。「存在するものは合理的である」とするヘーゲル的認識法で理解しようとしているに過ぎない。思うに、日本の伝統的な性交観、性文化は他の諸国のそれより性を重視しており、性のコントロールに格段に配慮するような知恵を持っているのではなかろうか。そういう目で見れば、日本の着物、食事、礼儀作法等々が性差をうまく機能させていることが分かる。

 「従軍慰安婦制」には深い歴史的意味があり、もしこれを批判するなら戦争そのものを批判すべきであり、戦争に付随して発生した「従軍慰安婦制」だけを批判するのは愚昧なのではなかろうか。どうしても批判するのなら、戦勝国権利としての敗戦国側婦女子への性凌辱、性暴殺を押しとどめる叡智を制度的に生み出していない限り論が全うしないのではなかろうか。韓国の朴槿恵(パク・クンヘ)女性大統領にここを聞きたい。韓国現代史のタブーとなっているベトナム戦争時の韓国軍のベトナム女性輪姦虐殺史と併わせた整合性のある論理論法を聞いてみたい。

【「従軍慰安婦考」についてのれんだいこ見解その2】
 戦前の日本軍部の戦争犯罪が様々に告発されている。南京大虐殺事件、百人斬り事件に並んで「従軍慰安婦問題」もその一つとなっている。この流れは、日本の反戦平和運動から生み出されている。ところが、「日本軍部の戦争犯罪告発事例」は悉く反証されており素人では判断できにくい。本サイトででは、「従軍慰安婦問題」の基礎知識を整理して後日の判断の証としておく。  

 れんだいこは次のように思う。慰安婦の存在は歴史的事実である。問題は、1・それが日本政府が歴史責任を負うべき拉致=強制連行によって為された事件であり、2・それが日本政府が歴史責任を負うべき国家的性奴隷拘禁事件なのか、3・当時の国際法に照らして戦争犯罪なのかどうか、ということにある。国としての歴史責任は、「従軍慰安婦制」が、国家的要請を受けたものであれ、1・民間業者の請負で運営され、2・相当の金額を呈示した上に成り立っており、3・奴隷的拘束ではない、いわゆる商取引の範疇のものであり、4・その商取引が騙されたものでなかったことが証明されれば免責される。

 興味深いことは、南京大虐殺事件、百人斬り事件でも然り、「従軍慰安婦問題」についても実証的なのは右派系論者の方である。左派系論者のそれは「頭からの決め付け」でしかないように見受けられる。あぁこの貧困をなんとせんか。もう一つ、現在のイラク戦争でも判明するが、米英ユ同盟による残虐非道な市民虐殺に対する批判は高まらず、「従軍慰安婦」について声高な批判が罷り通っている変態さであろう。一体、現在進行中のガザの悲劇を何と考えるべきだろうか。本稿のテーマに戻せば、米軍の日本の主要都市無差別大空襲、沖縄戦の悲劇、原爆投下の歴史責任が免責され、「従軍慰安婦問題」が殊更論われるのは、俗に云う片手落ちだろう。

 れんだいこが思うのに、こういう史実解明はどんどんやれば良い。だがしかし、今現になされている米英ユ同盟が専ら為している悪逆非道蛮行に対する批判に結びつかなければ、何のために為しているのだということになるのではあるまいか。普通の感性ならそうなるべきところが妙に切断されており、単に「従軍慰安婦問題」が採りあげられていることが胡散臭い。それと、では近代以降の西欧列強による世界の植民地化過程での、従軍慰安婦問題など足元にも及ばない残虐非道の数々をどう総括するのだ。そういう風に聞いてみたくなるのは、れんだいこだけだろうか。

 れんだいこ的には、「従軍慰安婦問題で詫びを入れるのもウソ、従軍慰安婦問題で居直るのもウソ」と思う。「従軍慰安婦問題」で詫びを入れるのなら、「従軍慰安婦問題」以上の残虐な皆殺し事件、レイプ殺人事件、その他数々の悪逆非道をどうしてくれるんだと怒鳴ってみたい。

 2005.1.16日、2007.3.12日再編集 れんだいこ拝


【「中曽根証言」考】
 「ウィキペディア中曽根康弘」 は次のように記している。
 「三千人からの大部隊だ。やがて、原住民の女を襲うものやバクチにふけるものも出てきた。そんなかれらのために、私は苦心して、慰安所をつくってやったこともある。かれらは、ちょうど、たらいのなかにひしめくイモであった。」(松浦敬紀「終わりなき海軍」文化放送開発センター出版局、72ページ)
(私論.私見)
 これによれば、中曽根は戦時中、海軍主計として慰安所設置に関与していたことになる。してみれば、従軍慰安所施設が設置されていたのは史実だろう。しかし、よりによって、こんなところに中曽根が顔を出すとは。思えば奇妙なもので、戦後首相で唯一人、戦前一平卒として従軍した田中角栄が護憲を云い、戦前高級将校の海軍主計として従軍慰安婦施設を設営していた中曽根が改憲派となっている。中曽根の安逸さが見えてくる話ではないか。それにしても中曽根は悪事には必ず顔を出すな。その中曽根が名首相大勲位としてのさばっている。酷い話しだ。

 2007.3.10日 れんだいこ拝

【「小野田寛郎証言」考】
 小野田寛郎氏の「私が見た従軍慰安婦の正体」が「正論1月号」に掲載されており、それがサイトアップされているので、これを転載しておく。それによれば、慰安婦制度の実態が判明し、全体として商行為として存在しており、奴隷的拘束に基づくものではなかったことが明らかにされている。れんだいこは、これを貴重証言と思い、これをベースに理解すべきではないかと思う。
 私が見た従軍慰安婦の正体 小野田寛郎 (「正論」1月号掲載)

 首相の靖国神社参拝や従軍慰安婦の問題は、全く理由のない他国からの言いがかりで、多くの方々が論じているところだ。南京大虐殺と同様多言を弄することもあるまいと感じていたのだが、未だに妄言・暴言が消え去らない馬鹿さ加減に呆れている。戦後六十年、大東亜戦争に出征し戦場に生きた者たちが少なくなりつつある現今、私は証言として、「慰安婦」は完全な「商行為」であったことを書き残そうと考えた。

 外地に出動して駐屯する部隊にとって、治安維持と宣撫工作上最も障害になる問題は、兵士による強姦と略奪・放火である。そのためにどこの国もそれなりの対策を講じていることは周知の通りである。大東亜戦争時、戦場には「慰安婦」は確かに存在した。当時は公娼が認められている時代だったのだから至極当然である。野戦に出征した将兵でなくとも、一般に誰でも「従軍看護婦」と言う言葉は常識として知っていたが、「従軍慰安婦」と言う言葉は聞いた者も、また、使った者もいまい。それは日本を貶める為に後日作った造語であることは確かだ。

 淫らな言葉だが、中国戦線では「ツンコ・ピー」「チョウセン・ピー」と呼んでいた筈であるが、他の人の見ている所でする筈のないことだけに、「慰安所」のことも「慰安婦」のことも、公の場で自己の見聞を正確に発表する人が少ない。あまり詳しいと「よく知ってるね」と冷笑されるのが落ちだろう。では何故、君は、と私に聞かれるだろうが、幸い私はその実態を外から観察出来る立場にあったから、何も臆することなく、世の誤解を解くために発表することが出来るのだ。

 ◆漢口の「慰安所」を見学

 商社員として十七歳の春、中国揚子江中流の漢口(現武漢)に渡った私は、日本軍が占領してまだ五カ月しか経っていない、言わば硝煙のにおいが残っている様な街に住むことになった。当時、漢口の街は難民区・中華区・日華区・フランス租界・日本租界・旧ドイツ租界・旧ロシア租界・旧英国租界に分かれていて地区ごとにそれぞれ事情に合った警備体制が敷かれていた。日華区とは日本人と中国人とが混じって住んでいる地区で、そこに住む中国人は中華区に住む者と同様「良民証」を携帯しており、そうでない者は警備上難民区に住まされていた。難民区は日本兵も出入りを禁止されていて、私たち在留邦人は届け出て許可を得なければ出入り出来なかった。それだけ危険な場所だった。

 私は、仕事が貿易商だから、難民区以外はよく歩いた。ある日、汚れた軍服を着た兵士に「慰安所はどこか知りませんか」と路上で尋ねられ、一瞬思い当たらず戸惑った。しかし看板に黒々と「漢口特殊慰安所」と書いて壁に掲げていて、その前に歩哨と「憲兵」の腕章をつけた兵隊が立っている場所を思い出したのでその通り教えてあげた。映画館と同様に日華区にあった。汚れた軍服から推測して、作戦から帰ってきた兵士に間違いない。街を警備している兵士は、そんな汚れた軍服で外出してないからだ。私は「特殊慰安所」か、なるほど作戦から帰った兵士には慰安が必要だろう、小遣い銭もないだろうから無料で餅・饅頭・うどん他がサービスされるのだろうと早合点していた。

 ところが、私の知人が営む商社は日用品雑貨の他に畳の輸入もしていて、それを「慰安所」にコンドームなどと一緒に納入していたので「慰安所」の出入りが自由であった。彼に誘われて一般在留邦人が入れない場所だから、これ幸いと見学に行った。私たちは、憲兵に集金の用件を話してまず仕事を済ませた。日が暮れていたので「お茶っぴき」(客の無い遊女)が大勢出てきて、経営者と私たちの雑談に入ろうとしてきたが追い払われた。そこには内地人も鮮人も中国人もいた(現在、鮮人は差別用語とみなされ、使われない。しかし朝鮮半島が日本統治だった当時は「日本人、朝鮮人」などと言おうものなら彼らに猛烈に反駁された。彼らも日本人なのだからと言う理由である)。

 群がってきた彼女たちは商売熱心に私たちに媚びてきた。憲兵は特別な事情の時以外は、部屋の中まで調べに来ないからである。料金は女性の出身地によって上中下がある。また、利用時間も兵士は外出の門限が日没までだから日中に限られるが、下士官は門限が長く、将校になれば終夜利用出来る。料金も階級の上の方が割高で、女性たちは当然、同じ時間で多く稼げることになる。

 半島出身者に「コチョ(伍長─下士官)かと思ったらヘイチョウ(兵長─兵士)か」、「精神決めてトットと上がれネタン(値段)は寝間でペンキョウ(勉強)する」とか、笑うどころではない涙ぐましいまでの努力をしているのも聞いた。内地人のある娼妓は「内地ではなかなか足を洗えないが、ここで働けば半年か一年で洗える」といい、中には「一日に二十七人の客の相手をした」と豪語するつわものもいた。

 ◆どこにもいなかった「性的奴隷」

 ここで親しくなった経営者の話を紹介しよう。「体力的に大差がない筈なのに、内地人は兵士たちと言葉が通じるために情が通うのか、本気でサービスして商売を忘れ健康を害してしまう。そのために送り返さねぱならず、経営者にとって利益が少ない。兵隊さんには内地人ばかりで営業するのが本当だが」と本音を漏らしていた。

 私の育った街には花柳界があったので、芸妓と酌婦をよく眼にしたが、当時は玄人女と呼ばれた彼女たちの外出姿でも一般の女性と見分けることが出来た。その目で見れば漢口の街でも同様だったが、特に朝鮮人の女たちは特色があった。というのは彼女たちは数人で外出してくるのだが、民族衣装ではなく、着慣れないツーピースの洋装のせいで着こなしが悪く、また歩き方にも特徴があって一目で見分けられた。彼女たちは実に明るく楽しそうだった。その姿からは今どきおおげさに騒がれている「性的奴隷」に該当する様な影はどこにも見いだせなかった。確かに、昔からの言葉に、「高利貸しと女郎屋の亭主は畳の上で往生出来ぬ」というのがあった。明治時代になって人身売買が禁止され「前借」と形は変わったが、娘にとっては売り飛ばされた」ことに変わりはなかった。

 先述の「足を洗う」とは前借の完済を終えて自由の身になることを言うのだが、半島ではあくどく詐欺的な手段で女を集めた者がいると言う話はしばしば聞いた。騙された女性は本当に気の毒だが、中にはこんな話もある。「『従軍看護婦募集』と騙されて慰安婦にされた。私は高等女学校出身なのに」と兵士や下士官を涙で騙して規定の料金以外に金をせしめているしたたかな女もいた。またそれを信じ込んでいた純な兵士もいたことも事実である。日本統治で日本語が通じた故の笑えない喜劇でもある。

 ところで、その「慰安所」にどれだけの金が流れたのだろうか。これが「慰安婦」が「商行為」であった確かな事実である。私の次兄が主計将校で、漢口にある軍司令部に直接関係ある野戦衣糧廠にいたので「慰安所」について次のような統計があると教えてくれた。当時、漢口周辺には約三十三万人という兵力が駐屯していたが、ある理由で全軍の兵士の金銭出納帖を調べた。三分の一が飲食費、三分の一が郵便貯金、三分の一が「慰安所」への支出だった。貯金は給料の僅かな兵士たちにとって嬉しいことではなかったが、上司から躾として教えられている手前せざるを得なかったのが実情だった。私も初年兵として一ケ年、江西省南昌にいたが、食べたいのを我慢して貯金した。

 一人の兵士がそれぞれ三等分して使った訳ではないだろうが、人間の三大欲は食欲、睡眠欲と性欲と言われるだけに、貯金を睡眠に置き換えると全く物差しで測った様な数字である。ちなみに当時の給料は兵は一カ月平均十三円程で、その三分の一を約四円として計算すると三十三万人で総額約百三十二万円になる。「零戦」など戦闘機一機の価格は三万円と言われたが、実に四十四機分にも相当する。サラリーマンの初任給が四十円そこそこの頃だったのだから、経理部の驚くのも無理のない話である。

 以上が、私が商社員として約三年半の間、外部から眺め、また聞き得た「慰安所」と「慰安婦」の実態である。

 私が漢口を去った昭和十七年夏以降に、漢口兵站(作戦軍の後方にあって車両・軍需品の前送・補給・修理・後方連絡線の確保などに任ずる機関)の副官で「慰安所」等を監督した将校の著した『漢口兵站』と照合してみたが、地名・位置等について多少の相違点は見いだしたが、本題の「慰安所」について相違はなく、より内情が詳しく記されていた。これでは誰がどう考えても「商行為」であるとしか言いようがないだろう。商行為」ではない、軍による「性的奴隷」であるとそれでも強弁するとすれば、知らな過ぎるのか、愚かで騙されているのか、そうでなければ関西人が冗談めかして言う「いくらか貰うてんの?」なのかもしれないが、あまりにも馬鹿げた話である。

 ◆問題にして騒ぎ出す者たちの狙い

 次に、軍関与の暴論について証言する。私は二十歳で現役兵として入隊、直ちに中支の江西省南昌の部隊に出征した。初年兵教育が終わって作戦参加、次いで幹部候補生教育、途中また作戦と、一ケ年一度の外出も貰えずに久留米の予備士官学校に入校してしまったから、外出して「慰安所」の門を潜る機会に恵まれなかった。だが初年兵教育中、古い兵士には外出がある。外出の度にお土産をくれる四年兵の上等兵に「外出でありますか」と挨拶したら「オー、金が溜ったから朝鮮銀行に預金に行くんだ」と笑って返事をしてくれた。周りは周知の隠語だからクスリと笑うだけだった。

 南昌には師団司令部があった。「慰安所」には内地人も朝鮮人も中国人もいて、兵士は懐次第で相手を選んで遊んだのだろう。私は幹部候補生の教育を、南昌から三十キロ以上も離れた田舎の連隊本部で受けた。「慰安所」は連隊本部の守備陣地の一隅に鉄条網で囲まれて営業していた。教育の末期に候補生だけで本部の衛兵勤務につくことになった。もちろん勤務は二十四時間である。

【「従軍慰安婦問題提起」考】
 1973年、千田夏光氏が「従軍慰安婦」を著作した。千田氏は、「従軍慰安婦」の歴史的背景として、次のように記している。
 概要「日本軍が第一次世界大戦でシベリア出兵を行ったとき強姦事件が多発した。そうした中で沢山の日本軍兵士が梅毒にかかり、強姦事件と性病を防止するために慰安婦が必要になった。だから日本軍では業者を呼んで慰安婦となる女性を集めた」。

 千田氏は、1993年の講談社文庫発行「従軍慰安婦」の中では、次のように記している。
 「日本軍は沢山の慰安婦を必要としたので、20,000人もの女性が1941年に日本軍に極秘裏に拉致された」。

 1983(昭和58)年、吉田清治氏がか自叙伝「私の戦争犯罪・朝鮮人連行強制記録」を著し、次のような体験証言を発表した。
 概要「昭和18年に軍の命令で、彼と兵士が韓国済州島で婦女子を誘拐し、強制連行して慰安婦にした」。

 1989年、この本が韓国語に翻訳され広がった。しかし、韓国の地方紙の女性記者が済州島の古くからの住民と会い、事実関係を調査したところ、吉田氏の自叙伝の信憑性は裏付けられなかった。むしろ、氏が金目的で出版したことが分かった。1989.8.14日、彼女の記事が掲載されたが、地方紙であったため殆ど注目されなかった。

【「従軍慰安婦問題で公式謝罪と賠償を求める訴訟提起」考】
 1989(平成1).11.19日、日本の大分市の主婦、青柳敦子氏が、日本政府に「公式謝罪と賠償を求める裁判」を起こし、これを法廷で争うため、証言してくれる女性を捜しに韓国を訪れた。以下、証言者の証言能力を検証する。

 最初に現れたのは金学順で、彼女は当初、義理の父に40円で売られ、その義父に日本の売春宿に連れて行かれたと証言した。しかしその後、「義父と北京へ仕事を探しに行き、そこで日本兵に連れて行かれた」と証言内容を訂正した。いずれにせよ、当時、内地でもあった気の毒な「身売り」の話であって、国家による組織的な強制連行とは関係なかった。

 韓国のソウル大学の安垂直教授は、彼がコンタクト出来た40人以上の女性の証言を検討した所、半数以上の証言は矛盾していたり、時代背景と違っていたり、事実を歪められていたと語っている。彼はそのうち19人の証言をまとめて発表している、その内日本軍に強制されて慰安婦にさせられたと言っているのは4人に過ぎなかった。しかもその内の一人は釜山で働いたと言い、他の一人は富山で働いたと述べたが、釜山にも富山にも軍の慰安所はなかった。

 残る2人の内一人が金学順であり、今一人は文玉珠。文玉珠は、日本政府に対する訴訟で、慰安婦であったことを自ら明らかにし、「私は無理矢理に慰安所に連れて行かれて慰安婦にされました」と告発した。同女は当初は、娼婦として売られたと主張していた。
 「奪われた記憶を求めて 元日本軍「慰安婦」沈達連さんの強制連行の現場から」は、「姉と一緒に拉致・誘拐された沈連蓮さん(69歳)の強制連行の証言」をルポしている。それによると、姉妹はある日、赤い腕章をした兵隊に突然手を捕まれ、幌をかぶせた一台のトラックに乗せられ、抵抗したが無駄であった。強制連行された女性は船に乗せられて海を渡り、20人ずつに分けられたと証言している。

 「慰安所」での生活について次のように語っている。
 「着いてからは洗濯と炊事をさせられ、数日後に大勢の兵隊に犯されたのです。気がついたら病院でしたがすぐに戻されました。文字を知らない私は、他の女性たちよりも兵隊に殴られたのです。慰安所の周辺には山が多いために寒く、2〜3年すると体がボロボロになりました。食事の量は少なく、私たちを犯す兵隊たちの方もすごくやせていて、骨と皮の状態だったのです。若い兵隊ばかりだったので同情さえしました」。(1997.5.16日号「週刊金曜日」掲載
(私論.私見) 「沈連蓮の拉致証言」考
 この「沈連蓮の拉致証言」は貴重である。問題は、拉致が何時のことであったのか、慰安婦常態下での給金についての証言、解放時の様子の証言がなされていないことであろう。それと、「沈連蓮の拉致証言」の明かす慰安婦の生態は悲惨ではあるが、強制ではなかったことを逆に語っている証言ともなっている。

【朝日新聞が従軍慰安婦問題を採り上げる】
 1991(平成3)年、朝日新聞は、この年から翌年にかけて4回にわたり「従軍慰安婦問題」を報道した。1991(平成3).8.11日、社会面トップで「思い出すと今も涙」、「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」とのタイトルで、概要「日中戦争や第二次大戦の際、女子挺身隊の戦場に連行され,日本軍人相手に売春行為を強いられた朝鮮人従軍慰安婦のうち、一人が名乗り出た」と報じた。

【1990年代初頭、訴訟が相次ぐ】
 1991.12月、元従軍慰安婦だったという複数の韓国人女性が名乗り出て、過去を語り始めた。この頃より、日本の植民地主義・侵略による犠牲者の側から、日本の謝罪と補償を要求する訴訟が東京の裁判所に数十件なされている。訴えた人は、従軍「慰安婦」、南京などの大虐殺の犠牲者たち、戦時徴用から生きて帰った人たち、そして日本が中国で使用した生物学的・化学的攻撃の犠牲者およびその家族たちであった。

【1990年代初頭、従軍慰安婦問題への直接関与を示す証拠書類が発見される】
 この頃、中央大学の吉見義明教授は、防衛庁(現防衛省)の図書館に足を運び、2日間の調査で日本政府による従軍慰安婦問題への直接関与を示す証拠の書類を発見した。吉見教授によれば、旧日本軍が前線部隊のために慰安所を設置する命令を下した関係書類を、偶然、発見したのは1980年だったと語っている。書類には、中国北部を占領する旧日本軍の参謀が、慰安所の設置を求める内容が記されてた。旧日本軍兵士が、中国女性に性的暴行を加え、現地住民の怒りを買うことを避けることが目的だったという。一部の歴史家によれば、終戦までに約20万人の女性がアジア各地の慰安所で慰安婦として働かせられていたとも言われる。

【朝日新聞が、従軍慰安婦問題記事を再度採り上げる】
 1992(平成4)1.11日、一面トップで「慰安所、軍関与示す資料」、「部隊に設置指示 募集含め統制・監督」と報道した。吉見教授の従軍慰安婦に関する研究が紹介されていた。翌日、政府が、この問題の調査に乗り出すことを約束した。

 朝日新聞は、この問題を取り上げる記事の中で、彼女らの最初の証言である「娼婦として売られた」云々のくだりの重要証言を報道しなかった。同社は、この歪曲報道に対し居直っており、「吉田清治の告白の嘘」についても沈黙している。

 朝日新聞の記事は、宮沢首相訪韓のわずか5日前に発表されたことにより、ソウル市内では抗・糾弾のデモ、集会が相次ぎ、日の丸が焼かれるなど扇動記事効果を発揮した。

【「宮沢首相が日韓首脳会談で謝罪】
 1992(平成4).1.16日、訪韓した宮沢首相は、事実を確認する余裕もなく、首脳会談で8回も謝罪を繰り返し、「真相究明」を約束した。

 廬大統領(当時)は、次のように述べている。
 「実際は日本の言論機関の方がこの問題を提起し、我が国(韓国)国民の反日感情を焚き付け、国民を憤激させてしまいました」。

【国連人権委員会に直訴される】
 1992(平成4).2.17日、宮沢首相の訪韓直後のこの日、日本弁護士連合会の戸塚悦郎弁護士が、国連人権委員会で、慰安婦を人道上の罪と位置づけ、国連の介入を求める発言をした。慰安婦問題を国際スキャンダルに仕立てようとするアプローチが展開されたことになる。

【「日本政府の調査」考】
 その後、日本政府は、独自の調査を勧めていくが、「強制連行はなかった」とする報告書を纏める結果となった。この発表のために、政府はおおがかりな文書調査と、元慰安婦への聞き込みを行った。この調査を実施した平林博・外政審議室室長は、1997(平成9).1.30日、参議院予算委員会で、片山虎之助議員(自民党)の質問に対し、次のような答弁をしている。
 「政府といたしましては、二度にわたりまして調査をいたしました。一部資料、一部証言ということでございますが、先生の今御指摘の強制性の問題でございますが、政府が調査した限りの文書の中には軍や官憲による慰安婦の強制募集を直接示すような記述は見出せませんでした。ただ、総合的に判断した結果、一定の強制性があるということで先ほど御指摘のような官房長官の談話の表現になったと、そういうことでございます」。

 この判断の過程について、当時、内閣官房副長官だった石原信雄氏は、次のように明らかにしている。
 「強制連行の証拠は見あたらなかった。元慰安婦を強制的に連れてきたという人の証言を得ようと探したがそれもどうしてもなかった。結局談話発表の直前にソウルで行った元慰安婦十六名の証言が決め手になった。彼女達の名誉のために、これを是非とも認めて欲しいという韓国側の強い要請に応えて、納得できる証拠、証言はなかったが強制性を認めた。もしもこれが日本政府による国家賠償の前提としての話だったら、通常の裁判同様、厳密な事実関係の調査に基づいた証拠を求める。これは両国関係に配慮して善意で認めたものである。元慰安婦の証言だけで強制性を認めるという結論にもっていったことへの議論のあることは知っているし批判は覚悟している。決断したのだから弁解はしない」(櫻井よしこ「密約外交の代償」「文塾春秋」平成9年4月)。

 つまり、元慰安婦からの聞き取り調査では充分な裏付けがとられていないと明かされいる。「韓国側の強い要請」のもとで、「納得できる証拠、証言はなかったが強制性を認めた」という政治的判断に基づく決着であったことが証言されていることになる。

【「インドネシアでの聞き取り」考】
 (この項、転載元不明あしからず)
  日韓関係と同様、インドネシアとの間でも、慰安婦問題が焚きつけられた。平成5年に高木健一氏(金学順さんらの日本政府に対する訴訟の主任)ら、日本の弁護士3人がインドネシアにやってきて、地元紙に「補償のために日本からやってきた。元慰安婦は名乗り出て欲しい」という内容の広告を出した。兵補協会のラハルジョ会長は、「補償要求のやり方は、東京の高木健一弁護士の指示を受け」、慰安婦登録を始めた。会長は取材した中嶋慎三郎ASEANセンター代表に対して、「慰安婦に2百万円払え」と怒号したというから、名乗りでれば、2百万円もらえると宣伝している模様であった、と言う。インドネシアでの2百万円とは、日本なら2億円にも相当する金額なので、大騒ぎとなり、2万2千人もが元慰安婦として名乗りをあげた。ちなみに、当時ジャワにいた日本兵は2万余である。

 この様子を報道した中京テレビ製作のドキュメンタリー「IANFU(慰安婦)インドネシアの場合には」に、英字紙「インドネシア・タイムス」のジャマル・アリ会長は次のように語った。「ばかばかしい。針小棒大である。一人の兵隊に一人の慰安婦がいたというのか。どうしてインドネシアのよいところを映さない。こんな番組、両国の友好に何の役にも立たない。我々には、日本罵倒体質の韓国や中国と違って歴史とプライドがある。お金をくれなどとは、360年間、わが国を支配したオランダにだって要求しない」。

 ちなみに、この番組では、元慰安婦のインタビュー場面が出てくるが、ここでも悪質な仕掛けがあった。元慰安婦が語る場面で、日本語の字幕で戦争が終わると日本人は誰もいなくなっていたんです。私たちは無一文で置き去りにされたんです。と出ているのだが、実際には、インドネシア語で、あの朝鮮人は誰だったろう。全員がいなくなってしまったんです。私たちは無一文で置き去りにされたんです。と話していたのであった。慰安所の経営者は朝鮮人であり、戦争が終わると、慰安婦たちを見捨てて、姿をくらましたのである。

 ■6.あなた方日本人の手で何とかしてください■

 この番組の予告が、日本共産党の機関紙「赤旗」に出ていたことから、インドネシア政府は、慰安婦問題の動きが、共産党により、両国の友好関係を破壊する目的で行われていると判断したようだ。スエノ社会大臣が、すぐにマスコミ関係者を集め、次の見解を明らかにした。1) インドネシア政府は、この問題で補償を要求したことはない。2) しかし日本政府(村山首相)が元慰安婦にお詫びをしてお金を払いたいというので、いただくが、元慰安婦個人には渡さず、女性の福祉や保健事業のために使う。3) 日本との補償問題は、1958年の協定により、完結している。

 インドネシア政府の毅然たる姿勢で、高木弁護士らのたくらみは頓挫した。この声明の後で、取材した中嶋氏は、数名のインドネシア閣僚から、次のように言われたという。「今回の事件の発端は日本側だ。悪質きわまりない。だが、我々は日本人を取り締まることはできない。インドネシアの恥部ばかり報じてインドネシア民族の名誉を傷つけ、両国の友好関係を損なうような日本人グループがいることが明白になった。あなた方日本人の手で何とかしてください」。

【「河野官房長官談話」考】
 聞き取りが終わったのが7.30日。そのわずか5日後の1993(平成5).8.4日、 河野洋平・官房長官が談話で次のように発表された(「河野談話」)。
 いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年12月より、調査を進めて来たが、今般その結果がまとまったので発表することとした。

 今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。

 いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫(わ)びと反省の気持ちを申し上げる。また、そのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。なお、本問題については、本邦において訴訟が提起されており、また、国際的にも関心が寄せられており、政府としても、今後とも、民間の研究を含め、十分に関心を払って参りたい。

 1993年8月4日 河野洋平内閣官房長官
 概要「政府調査の結果、次のことが判明した。慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主にこれら当たったが、その場合も、甘言、弾圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった」、「われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する」。

 日本政府は、この河野談話で、「心から」の「お詫びと反省」を内外の関係者に示し、旧日本軍が従軍慰安婦問題に、「直接あるいは間接に」関与した過去を認めた。石原副長官がすかさず軍・官の強制連行の証拠は発見出来なかった、と添えた。同日、宮沢政権は総辞職をした。
 「河野官房長官談話」につき、次のような対抗言論がある。これを転載しておく。
▼ 韓国政府主導で作成された「河野談話」

 日本政府はあくまで強制性を認めるよう要求する韓国政府の要請に屈して、韓国政府が用意した元慰安婦の証言を聞きに出掛け(これをヤラセと呼ばずして何と呼ぼう)、その証言の裏付けもとらないまま、〈証言〉を唯一の根拠にして「強制性」を認めるような「談話」を外政審議室が在日韓国大使館と連絡を取り合いながら作成し、更に日本側はその談話の趣旨を事前に韓国政府に了解を求めた上で、発表した――。石原元官房長官の証言を総合すると、これが、「河野談話」の作成・発表経緯である。この証言は事実なのか。平成九年三月十八日、参議院予算委員会において、この石原証言の真偽を質した板垣正議員に対して、平林博外政審議室長はこう答えている。「一言で申し上げれば、(河野談話は)韓国側と協議をしたり交渉したりというたぐいの性格のものではなく、事前に通報してできるだけポジティブ(肯定的)な反応が出るようにという働きかけをやったものというふうに伺っております」。

 つまり、河野談話の内容について韓国政府と協議はしなかったが、韓国側が強制性を認めさせるために準備した元慰安婦の証言に基づいて日本政府は「談話」を作成し、発表前にその趣旨を韓国政府に通報したが、それは、韓国政府に「ポジティブな」(肯定的な)対応をしてもらうためだったというのである。要するに形式的にはどうあれ、実質的に「河野談話」はまさに韓国政府主導によって作成されたと認めたに等しい。

 それではなぜ、歴史の真実をねじ曲げ、我が国を「性犯罪国家」に仕立てあげてまで、韓国政府の意向を受け入れなければならなかったのか。石原元官房副長官は「強制性を認めれば問題は収まるという判断があった」としているが、「強制性を認めれば問題を収める」という韓国政府の言質を正式にとったわけではない。要するに何ら確証のない希望的観測に基づいて、強制性を認めたわけで、その後の展開は憂慮した通り、問題をこじらせただけであった。

 軍や官憲による強制を認めた以上、政府は国家補償すべきだという主張に屈して、「アジア女性基金」などという訳の分からないものを作って実質的に補償に踏み切ったが、あくまで国家補償を求めるグループの反発を買い、両国関係は更にこじれ、いまや韓国政府の中にさえ元慰安婦への国家補償を求める声が出始めている。歴史の真実をねじ曲げ、ありもしない「強制性」を認めたツケが、歴史教科書ばかりでなく、両国関係にも廻ってきているのである。

 敢えて韓国政府の意向に全面的に屈して「強制性」を認めたのは何故か。石原元官房副長官が証言したように、「これで韓国政府が慰安婦問題を決着させてくれる」という確証のない希望的観測からだけであったのか。それとも「強制性」を認めなければ、我が国の存亡が脅かされる事態が起ったとでもいうのだろうか。

 かくなる上は、「河野談話」の最高責任者である宮澤元首相や河野元官房長官に質すしかあるまい。櫻井さんは、宮澤元首相に取材を申し入れ、日時も了承されていたが、直前になって「なにを話しても影響が大きいから今は語り得ない」とキャンセルされている。であるならば国会で、「河野談話」に関わった宮澤元首相ら政治家や外務官僚に対して証人喚問を行い、その責任を追及するべきである。

 ▼失墜した国家行政の権威を回復するために

 それにしても国会での「慰安婦」論議を振り返って痛感させられるのは、国家行政の権威が著しく失墜していることである。教科書の権威の失墜と国家行政の権威の失墜は、当然のことながら連動している。政府が過去の官房長官談話の権威を守ろうとするのは当然であるし、教科書検定の権威を守ろうとするのも当然である。安易に間違いを認めることは出来ない。そんなことを安易に認めていては行政の連続性が断たれてしまうからである。一連の政府答弁は、概ねこの線から出ているものであろう。

 しかしながら、問題となっている河野官房長官談話や教科書検定は、行政の権威としての中身をかなしいほどに持っておらず、石原元官房長官の証言や片山、小山、板垣議員らの質問によってその中身の杜撰さばかりが明らかになり、その権威を守ろうとする政府の姿はまるで漫画になってしまうのである。「なかった」ことを「あった」と言った官房長官談話を「正しい」と主張しなければならない苦しさが、政府側答弁にはにじんでいる。

 しかし、もう取り繕うことはできまい。国会という国権の最高決定機関において、「政府資料には強制性を示す文書はなかった」「河野談話の根拠となったのは、韓国政府が用意した元慰安婦の証言であり、その証言は裏付けをとっていない」「韓国政府の用意した元慰安婦の証言によって強制性を認めた河野談話を、韓国政府が肯定的に受け止めてもらうように談話発表前に韓国政府に働きかけた(河野談話は韓国政府主導で決定した)」という新事実が次々と明るみに出てきている。

 残念ながら、石原元官房長官の証言や小山議員や板垣議員の質疑は産経新聞にしか掲載されていない(「河野談話」が裏付け調査もしていない韓国の元慰安婦の証言に基づいていることなどを、朝日、読売などは一切報じていない。自社の方針に合わない情報は一切報じない朝日らが「国民に知らせる権利」を主張しているのだから笑止である)。しかし、慰安婦問題に対する国民の関心の高さを思えば、真実はやがて国民すべての知るところになろう。

 一連の慰安婦論議の最後に登場した板垣議員の質問に対して、橋本首相(当時)はこう答え、「慰安婦」記述見直しの可能性に含みを持たせた。「慰安婦というものがあったことを消す事はできないと思います。それを形容詞がつくのか、いわゆるという言葉がつくのか、子供たちの教育の中にそれを取り込む必要があるのかないのか、むしろある程度自らの専門分野を決めた上での一般教養に移すべきものなのか。そうした点で文部省も検定委員会も今まで十分お考えになってこられたと私は思います。しかしこういう問題は幾ら考えても、よりよいものがあるならば考え直す事を妨げるものではないと、私はそのように思います」。

 平成八年、「河野談話」に基づいて中学校歴史教科書に一斉に登場した「従軍慰安婦」だが、「河野談話」の根拠は無残にも崩れ去った。学術的根拠のない「従軍慰安婦」は、教科書の学術性を守るためにも即刻削除するべきだ。それが難しければ差し当たって次善の策として、「日本を含めどこの国にも戦時中、慰安婦が存在した。特に我が国では、軍や官憲が直接『慰安婦』を強制連行したという疑いをもたれたが、あらゆる政府資料を調査した結果、軍・官憲が強制連行したという事実は発見されなった」と、教科書に記述させるべきである(「祖国と青年」平成九年四月号)。

【「従軍慰安婦問題」が教科書に掲載される】
 「河野談話」は「政府の公式見解」となり、日本政府は、慰安婦が軍によって強制徴集されたことを公式に認めたことになった。これを契機として、中学高校のほとんどの歴史教科書に、「従軍慰安婦」が記述されることになった。平成8.6月末、中学校用歴史教科書の7年度検定結果が発表され、教科書を発行する7社が一斉に「従軍慰安婦」を掲載していることが明らかになった。いずれも、「強制連行」の一環として書いていた。これに対し、平成8年末、「新しい歴史教科書をつくる会」が結成され、「慰安婦」記述削除を訴えた。

【「従軍慰安婦問題」が国連に提訴される】
 「従軍慰安婦問題」が韓国、北朝鮮からアジア諸国に波及し、国連にまで持ち込まれている。国連は南京大虐殺以上の非人道的行為の大問題として近く断を下すための準備を進めている。この問題をマスコミが取り上げ、支援報道している。

 1994.3月、 ジュネーブに本部をおく国際法律家委員会が家庭内暴力を主テーマにした会合を開き、クマラスワミ女史が報告書の付属文書で「戦時の軍用性奴隷制問題に関する報告書」と題して、戦前の日本の慰安婦問題を取り上げた。幼い少女たちを含む多数の女性たちが戦時中、日本の軍事施設に監禁されたのみならず、殴打や拷問を受け、繰り返し強姦されたと指摘した。その中で、北朝鮮在住の元慰安婦の証言として、仲間の一人が一日40人もサービスするのはきついと苦情を言うと、ヤマモト中隊長は拷問したのち首を切り落とし、「肉を茹でて、食べさせろ」と命じたなどという話が紹介されている。この元慰安婦は、1920年に生まれ、13歳の時に一人の日本兵に拉致されたというのだが、1933年の朝鮮は平時であり、遊郭はあったが、軍専用の慰安所はなかった。その程度の事実確認もされていない証言が、4例紹介され、その上で日本政府に対し、被害者への補償、犯罪者の追及と処罰を勧告している。戸塚弁護士は、この時にもジュネーブで本岡昭次参議院議員(社会党→民主党)とともに、デモやロビー活動を行っている。報告書は、吉田清治の本や、慰安婦たちの証言を取り上げている。

 日本のジュネーブ外務省はこの文書に関する40頁の反論を作成し、根回し工作をしたもようだ。西側諸国代表の間では、クマラスワミ報告書の欠陥が理解されたが、韓国、北朝鮮、中国、フィリピンなどの関係国は立場上、強く反発した。このような攻防の結果、人権委員会では家庭内暴力に関する本文は「賞賛する」という最高の評価を得た一方、慰安婦に関する部分は、take note(留意する)という最低の評価であった。
ソウルやマニラ、ジャカルタなど、過去「大東亜共栄圏」に属した多くの都市で、憤慨した犠牲者がぞくぞくと立ち上がり、50年前に彼女たちが体験 したことを語り始めた。韓国(南北)やフィリッピン、中国、タイ、インドネ シアなど各地で女性が名乗り出、自分たちが体験したことを活字や口頭で証言 し始めた。その人数は1997年初め、すでに23,000名に達した。

【国連人権委員会が「性的奴隷」規定する】
 1996.2月、国連の人権委員会は、「慰安婦」を「性的奴隷」と規定し、 この女性たちに日本がおかした行為を「反人道的犯罪」と断定した。この委員会は、日本が犠牲者に補償すること、公訴時効に関係なく責任者を処罰すること、さらに日本は教育課程にこの歴史的事実を含めることなどを勧告(クマラ スワミ勧告)した。

【アメリカ司法省の犯罪局が、戦犯と認められる日本人入国「不適格者名簿」を準備したと発表】
 1996.12月、アメリカ司法省の犯罪局は、戦犯と認められる日本人入国「不適格者名簿」を準備したと発表した。その名簿に入っている(名前 が明らかにされていない)12名中、3名は慰安婦組織に関係している一方、 残り9名は中国で細菌戦を行い、囚人たちを相手に数知れない残酷な罪を犯し たハルビンの「731部隊」関係者とされている。事件後50年たった現在、ワシントンは日本人をナチ戦犯と同じように扱うことに決めたが、これは彼らの犯罪が格別嫌悪すべきものであり、これに荷担した嫌疑がある者は公訴時効の保護を受けてはならないと宣言したことになる。 

【朝日新聞が特集記事】
 1997(平成9).3.31日、朝日新聞は、見開き2面を使って慰安婦問題の大特集を組んだ。この時、吉田著作に関し、「間も無くこの証言を疑問視する声が上がった。済州島の人たちからも氏の著述を裏付ける証言は出ておらず、真偽は確認できない。吉田氏は『自分の体験をそのまま書いた』と話すが、『反論するつもりはない』として、関係者の氏名などデータの提供を拒んでいる」と記述し、「真偽は確認できない」と従来記述を修正した。

 この特集で、見出しには「従軍慰安婦 消せない事実」、「政府や軍の関与明白」、「無理やりを認める供述/ “指示”“便宜”文書残る」と記しており、軍の強制連行を臭わせている。併せて、「裏を取らずに名乗り出た人の一方的な話だけで『無理やり』と決めつけた」、「軍の関与は強姦防止・性病予防であった」とも書いている。

【ゲイ・マクドゥーガル女史が、「元慰安婦への法的賠償を履行する機関の設置」を日本政府に勧告】
 平成10年8月、ゲイ・マクドゥーガル女史が、旧ユーゴスラビアなど戦時下における対女性暴力問題を調査した報告書を作成したが、その付属文書で、またも慰安婦問題を取り上げ、「レイプ・センターの責任者、利用者の逮捕」と「元慰安婦への法的賠償を履行する機関の設置」を日本政府に勧告した。

 慰安所は「レイプ・センター(強姦所)」と改称されている。しかし、これは人権小委員会の勧告としては採択されず、日本政府はマ女史の個人報告書に過ぎない、としている。

【米カリフォルニア州上下院が、「大戦中の日本軍犯罪に謝罪と賠償請求決議」を採択】
 本年8月には、米カリフォルニア州上下院が第二次大戦中に日本軍が行ったとされる戦争犯罪について、「日本政府はより明確に謝罪し、犠牲者に対する賠償を行うべきだ」とする決議を採択した。この「戦争犯罪」には、捕虜の強制労働、「南京虐殺」とならんで、「従軍慰安婦の強要」が含まれている。

 カリフォルニア州議会の決議には、アイリス・チャンの「レイプ・オブ・ナンキン」の影響が指摘されている。チャン氏は、中国政府の資金援助を受けたシナ系米人の団体に支援されている。

【「従軍慰安婦の実態」考】
 現在判明しつつあることは次の通り。慰安所は約400カ所存在した。大部分は、1カ所で10人〜20人の女性たちがそこで働いていた。全体ではおよそ4000の〜8000いたことになる。慰安所の労働条件は日本での女郎部屋と同等待遇であった。慰安婦の95%が戦場から生還した。

 従軍慰安婦達の高収入については多くの証言がある。1992.5.12日、毎日新聞が、一例として「文玉珠が2年間で2万6千円も貯めた事が、彼女の貯金通帳から明らかになった」と報じている。当時の帝国陸軍大将の年収は約6600円でしたので、その2倍の年収に相当する。尚、当時の2等兵の給料は僅か年間72円にすぎなかった。

【「南京攻略戦争時の貴重証言」考】
 「南京攻略戦」時下における「従軍慰安婦問題」に関する貴重な記録が紹介されている。渡辺卯七「第9師団経理部将校の回想・4,南京戦の思い出」参照。概略次のように記されている、とのことである。 中支那方面軍は指揮下の上海派遣軍や第10軍に37年12月1 1日、軍慰安所設置の指示を命じた。これを受けて第10軍の山崎正男少佐は、湖州における軍慰安所の設置について、日記(12月18日)に次のように書いている。
 「先行せる寺田中佐は憲兵を指導して湖州に娯楽機関を設置す。・・・別に 告知を出したる訳でもなく、入口に標識を為したるにもあらざるに、兵は何処からか伝え聞きて大繁盛を呈し、動(やや)ともすれば酷使に陥り注意しありとのことなり。 先行し来れる寺田中佐はもとより自ら実験済みなるも、本日到着せる大阪 少佐、仙頭大尉この話を聞き耐まらなくなったと見えて、憲兵隊長と早速出掛 けて行く。約一時間半にて帰り来る。・・・概ね満足の体なり」(南京戦史編集 委員会編「南京戦史資料集」)。

 つまり、慰安所は好評であった。

 1940年、軍中央は 「軍紀振作対策」をたて、「主として事変地に於て著意(ちゃくい)すべき事項」として慰安施設の「意義」を次のように評価している。 陸密第1955号「支那事変の経験より観たる軍 紀振作対策」(陸軍省、1940)には次のように記されている。
 「事変地に於ては特に環境を整理し慰安施設に関し周到なる注意を払ひ、殺 伐なる感情及劣情を緩和抑制することに留意するを要す。環境が軍人の心理延いては軍紀の振作に影響あるは贅言を要せざる所なり。 故に兵営(宿舎)に於ける起居の設備を適切にし、慰安の諸施設に留意するを 必要とす。特に性的慰安所より受くる兵の精神的影響は最も率直深刻にして、之が指 導監督の適否は志気の振興、軍紀の維持、犯罪及性病の予防等に影響する所大 なるを思わざるべからず」。

【「肯定派の吉見教授見解」考】
 糾弾派の中心人物である吉見義明・中央大学教授は、岩波新書の「従軍慰安婦」で、次のように述べている。
 その女性の前に労働者、専門職、自営業など自由な職業選択の道が開かれているとすれば、慰安婦となる道を選ぶ女性がいるはずはない・・・たとえ本人が、自由意思でその道を選んだように見えるときでも、実は、植民地支配、貧困、失業など何らかの強制の結果なのだ。

【「否定派の藤岡教授見解」考】
 藤岡教授は次のような見解を述べている。

 概要「慰安婦問題は、日本を侮辱する政治目的で1990年 代に作り出された根拠のないスキャンダルである。それは外国勢力と結託 し日本を破壊する巨大な陰謀である。このようなウソが教科書に載せられれば、日本はたとえようのないほど淫乱で愚かで狂的な民族にみえてしまう」。

【国会審議】
 「日本会議」の「慰安婦「強制連行」はなかった」参照

 こうした世論を反映して平成九年の通常国会でも、いわゆる「従軍慰安婦」問題についての論議が相次いだ。一部この問題に触れたものも含めると、次のような議員が質問している。

1月30日 参議院予算委員会 片山虎之助議員(自民)・田村秀昭議員(新進)
2月3日 衆議院予算委員会 西村眞悟議員(新進)
2月7日 衆議院予算委員会 栗本慎一郎議員(自民)
2月19日 衆議院文教委員会 池坊保子議員(新進)
3月12日 参議院予算委員会 小山孝雄議員(自民)
3月18日 参議院予算委員会 板垣 正議員(自民)

 特に片山虎之助議員、小山孝雄議員、板垣正議員による質問によって、重要な政府答弁が相次いで引き出された。まず、片山議員は次のように追及した。
 そこで、今文部大臣が言われた平成五年八月四日の外政審議室の調査、それに基づく官房長官の談話がこれまた不正確なんですよ。軍が関与していると。関与はしていますよ。関与にもいい関与、悪い関与、積極的な関与、消極的な関与があるんだから。それは兵士を守るために消極的にはいい関与をしたんですよ。だから、それは私は否定しません。それじゃ、強制連行や強制募集、そういうことの事実が確認できたかどうかなんです。ところが、あの調査報告も官房長官談話もかなり曖昧なんです。そこで、外政審議室長、どういう調査をしましたか。

 平林博外政審議室長は次のように答弁している。
 お答えを申し上げます。政府といたしましては、二度にわたりまして調査をいたしました。一部資料、一部証言ということでございますが、今先生御指摘の強制性の問題でございますが、政府が調査した限りの文章の中には軍や官憲による慰安婦の強制募集を直接示すような記述は見出せませんでした。ただ、総合的に判断した結果、一定の強制性があるということで先ほど御指摘のような官房長官の談話の表現になったと、そういうことでございます。

 調査は〈資料〉と〈証言〉に基づいてなされたが、〈資料〉には、軍や官憲が「強制」連行を行ったことを示す記述は一切なかった、ということがこの答弁で明らかになった。そこで片山議員は、〈資料〉すべての公開を求めたところ、政府はこれを了承した。

 それでは、「総合的に判断した結果」とはいかなることを意味するのか。〈証言〉が「強制」を裏付けたということなのか。この点を鋭く追及し、画期的な答弁を引き出したのが、公開された政府資料のすべてを調査するなど万全の準備を整えて質問に臨んだ小山孝雄議員であった。平林博外政審議室長が答弁した。

小山  (平成九年)一月三十日の本委員会で、片山委員の質問に対しまして、政府のこれまでの慰安婦問題に関する調査では慰安婦の強制連行はなかったという答弁をされましたけれども、もう一度外政審議室に確認をいたします。
平林  お答え申し上げてきておりますのは、政府の発見した資料の中に軍や官憲による慰安婦の強制連行を直接示すような記述は見出せなかった、こういうことでございまして、その点は確認させていただきます。(中略)
小山  先ほど慰安婦の強制連行はなかった、政府の資料から見出せなかったということを御答弁になりましたけれども、どうしてそういうことを平成五年八月四日の調査結果を報告するときに記入しなかったんでしょうか、あるいは発表しなかったんでしょうか。それどころか、報告書には「業者らが或いは甘言を弄し、或いは畏怖させる等の形で本人たちの意向に反して集めるケースが数多く、更に、官憲等が直接これに加担する等のケースも見られた。」と、ここまで書いております。それはなぜですか。
平林  平成五年八月の調査結果におきましては、個々の出典とか参考にした文献、証言等を個別に言及しておりません。実態として、今まで申し上げましたように、政府の発見した資料の中には強制連行を直接示す記述は見当たらなかったのでございますが、その他各種の証言集における記述でございますとか、韓国における証言聴取とか、その他種々総合的にやった調査の結果に基づきまして全体として判断した結果、一定の強制性を認めた上であのような文言になったということでございます。
小山  全体としてというのでは本当によろしくない。(中略)ここに報告書の写しを持っております。私がここに持っておりますので、どれがどれで、どれが公開されてどれが非公開なのか、明らかにしてください。
平林  今、先生のお持ちの資料の中には、日本の関係省庁、それから国立国会図書館、アメリカの国立公文書館等のほかに、関係者からの聞き取り先、あるいは参考としたその他の国の内外の文書及び出版物が並べられておると思うんですが、このうち公開していないものは関係者からの聞き取りだけでございまして、その他はすべて公開をしている次第でございます。
小山  参考とした国内外の文書は全部公開でしょうか。
平林  原則として、今おっしゃったとおりでございますが、韓国の太平洋戦争犠牲者遺族会というのがございますが、ここの資料だけは内部資料だということで渡されておりますので、これは例外的に非公開ということになっております。
小山  そうしますと、我が日本国の各行政機関、それから国立国会図書館、国立公文書館、そして米国国立公文書館から出たものは全部公開されている。そこには強制連行を直接示す資料はなかったということが確認された。そうすると、残りは関係者からの聞き取り調査です。すなわち、元従軍慰安婦を中心とした関係者からの聞き取り調査、これは明らかにされていない。それから、参考文献の中に太平洋戦争犠牲者遺族会等韓国の遺族会が出した、まとめた元慰安婦の証言集、これが非公開ということですね。
平林  そのとおりでございます。
小山  その証言集の裏づけはとっておりますか。
平林  お答え申し上げます。個々の証言を裏づける調査を行ったかという御趣旨でございましたら、それは行っておりません。個々の方々、これは元従軍慰安婦もおりますし、元慰安婦もおりますし、それから軍人さんたちのあれもございますが、それの証言を得た上で個々の裏づけ調査をしたということはございません。
小山  そうしますと、公開されていない資料、そして個々の裏づけ調査をしていない資料で政府は平成五年八月四日の決定を行った、こういうことになりますか。
平林  結論としてそのとおりでございますが、全体を子細に検討して、総合的に判断した結果ということでございます。
小山  そういうことですから、当時この調査に当たった、政府の方針に携わった方々が今いろんなところで疑問を呈しておられる、こういうことだと思います。既に公表されているものでも研究者が、例えば秦郁彦千葉大教授だとか西岡力東京基督教大学助教授の詳細な調査、検証が行われていて、既に公にされている証言集等についてはほとんど信憑性がないということが立証されているわけであります。(中略)

 また、当時の外政審議室長も、今どこかの大使に行っていますが、「そのまま信ずるか否かと言われれば疑問はあります」と証言しております。さらにまた、聞き取り調査に行った当時の外政審議室の審議官田中耕太郎さんは、調査が終わった日にソウルでの記者会見で、証言をした慰安婦の方々の「記憶があいまいな部分もあり、証言の内容をいちいち詳細には詰めない。自然体でまるごと受けとめる」という記者会見をしたのも日本のマスコミにきっちり出ているわけであります。こうした経緯があるわけでございますけれども、やはりここで大きな疑問が残るわけでございまして、そうした資料をもとにああいう決定をしたんですかという疑問はまだまだ残るわけであります。

 次のように評されている。
 「以上の国会質疑・答弁によって、教科書に従軍慰安婦を記載する第一の根拠となっていた河野官房長官談話は全く権威を失ったといえる。 結論から言えば、政府は『河野官房長官談話の根拠となったものは、客観的裏付けのない元慰安婦の証言だけであった』と認めたのである。談話のもととなった調査資料の全貌と、公開・非公開の別が明らかとなった。『政府が発見した資料の中には強制連行を示す記述は見出せなかった』と平林外政審議室長が繰り返し強調したのは、公開文書のことを指している。ということは、強制連行を認めた河野官房長官談話の根拠となったものは非公開のものに限られる。すなわち韓国の遺族会がまとめた元慰安婦の証言集、および元慰安婦を中心とした関係者からの聞き取り調査である。この非公開資料について、『その証言集の裏づけはとっておりますか』と小山議員が質問したところ、『それは行っておりません』という答弁であった。河野談話は、公開もできない、裏づけ調査もなされていない、極めて信憑性の低い証言のみを根拠にしてなされたものであると結論された。

 今後、私たちはすべての議論を、慰安婦の強制連行を認めた河野談話は公開もできない、裏づけ調査もなされていない、極めて信憑性の低い証言のみを根拠にしてなされたものであること、かつ政府もそれを国会の場で公式に認めたという点から始めてゆくべきである。課題は、二つある。一つは、河野談話は非公開の、裏付け調査もしていない韓国の元慰安婦の証言に基づいている。現在の私たちの状況は譬えて言えば、証拠能力があるかどうかも分からない非公開の資料によって一方的に性犯罪国家と有罪宣告されてしまったようなものである。政府の公文書が無罪を証明している以上、裁判のやり直しをするべきであり、そのためには談話の決定打となった非公開の証言を政府はすべて公開し、専門家によって客観的、学問的に徹底的に検証させるべきである。

 もう一つは、小山議員も最後に指摘していたが、宮澤首相や河野官房長官(当時)はなぜ、裏付け調査もしていない不確かな証言に基づいて、私たち日本人すべてに『アジアの女性たちを軍・官憲が拉致・監禁して性奴隷とした』という汚名を着せるようなことをしたのか、ということだ。「慰安婦の境遇にあった人々にも同情を禁じ得ないが、いくら調査しても強制性を示す文書は発見できなかったし、元慰安婦の証言も裏付けがとれない以上、現段階では『強制性』を認めるわけにはいかない」と、なぜ明言することができなかったのか。

【石原信雄元官房副長官発言】
 この点について産経新聞(平成九年三月九日付)のインタビューの中で、当時、「河野談話」作成に直接関わった石原信雄元官房副長官はこう述べている。
――ではなぜ強制性を認めたのか。
 「日本側としては、できれば文書とか日本側の証言者が欲しかったが、見つからない。加藤官房長官の談話には強制性の認定が入っていなかったが、韓国側はそれで納得せず、元慰安婦の名誉のため、強制性を認めるよう要請していた。そして、その証拠として元慰安婦の証言を聞くように求めてきたので、韓国で十六人に聞き取り調査をしたところ、『明らかに本人の意思に反して連れていかれた例があるのは否定できない』と担当者から報告を受けた。……」(中略)
――韓国側の要請は強かったのか。
 「元慰安婦の名誉回復に相当、こだわっているのが外務省や在韓大使館を通じて分かっていた。ただ、彼女たちの話の内容はあらかじめ、多少は聞いていた。行って確認したということ。元慰安婦へのヒアリングを行うかどうか、意見調整に時間がかかったが、やはり(担当官を)韓国へ行かせると決断した。行くと決めた時点で、(強制性を認めるという)結論は、ある程度想定されていた」
――それが河野談話の裏付けとなったのか。
 「日本側には証拠はないが、韓国の当事者はあると証言する。河野談話に『(慰安婦の募集、移送、管理などが)総じて本人たちの意思に反して行われた』とあるのは、両方の話を総体としてみれば、という意味。全体の状況から判断して、強制にあたるものはあると謝罪した。強制性を認めれば、問題は収まるという判断があった。これは在韓大使館などの意見を聞き、宮澤喜一首相の了解も得てのことだ」
――談話の中身を事前に韓国に通告したのか。
 「談話そのものではないが、趣旨は発表直前に通告した。草案段階でも、外政審議室は強制性を認めるなどの焦点については、在日韓国大使館と連絡を取り合って作っていたと思う」
――韓国側が国家補償は要求しないかわり、日本は強制性を認めるとの取引があったとの見方もある。
 「それはない。当時、両国間でお金の問題はなかった。(後略)」

 次のように評されている。
 「内閣官房副長官と言えば、単なる一官僚とはわけが違う。総理大臣を直接サポートする内閣の事務方の最高責任者である。そうした信憑性の高い証言から浮かび上がってくるのは、学問的な検証は二の次で、強制性を認めよと迫る韓国政府の圧力に屈してしまった日本政府の姿である。

 この石原元官房副長官の証言には幾つかの重大なポイントがあるが、整理すると次のようになる。いくら探しても日本側資料には強制性を認めるものは見つからなかった。韓国政府はあくまで強制性を認めるよう要請していた。そこで韓国政府は、強制性を認めさせるために、韓国政府が用意した元慰安婦の証言を聞くよう要請した。元慰安婦への聞き取り調査をするのは、強制性を認めるためであることを知りながら、日本政府は聞き取り調査を決定した。

 元慰安婦の証言を踏まえた河野談話の内容については、発表前に、外政審議室が、在日韓国大使館と連絡を取り合っていた。韓国政府の要請に応じて、元慰安婦への聞き取り調査を行い、強制性を認めれば(つまり日本が自らを性犯罪国家だと認めて謝罪すれば)、この問題は収まると、在韓大使館、宮澤首相、河野官房長官、谷野作太郎外政審議室長、田中耕太郎外政審議官、そして石原官房副長官(いずれも当時)は判断した。

 日本側が強制性を認めるかわりに、韓国側は補償を求めないというような密約・取引はなかった。日本側がたとえ「強制性」を認めても、韓国側がこれで元慰安婦への補償問題を決着させるかどうかは確認していない。(これでは、強制性を認めれば韓国政府は納得してくれるだろうという一方的な希望的観測だけで、あえて「強制性」を認めたことになり、「密約」説よりももっと始末が悪い。)」。

【河野太郎氏の「いわゆる河野談話について」】
 これにつき、当時の河野洋平・官房長官の子息にして後継者の自民党国会議員・河野太郎氏が2012.8.31日付けブログで「いわゆる河野談話について」を発表している。これを転載する。

 いわゆる河野談話について

 2012年08月31日 14:35|外交問題
Q いわゆる従軍慰安婦に関する官房長官談話(河野談話)が今、問題になっていますが、この談話が出された経緯を教えて下さい。

A 宮沢内閣当時、当事者による訴訟の提起や宮沢総理の韓国訪問時に盧泰愚大統領からの問題提起などがあり、関係諸国などから強い関心が寄せられました。そのため1991年12月より、いわゆる従軍慰安婦問題に政府が関与していたかどうかを、警察庁、防衛庁、外務省、文部省、厚生省、労働省がそれぞれ調査し、その結果を1992年7月6日に内閣官房内閣外政審議室がとりまとめ、「朝鮮半島出身のいわゆる従軍慰安婦問題について」として発表しました。

 それによると、(ネット上に資料がないので下記引用します。誤字脱字があったらお許し下さい。)「慰安所の設置については、当時の前線における軍占領地域内の日本軍人による住民に対する強姦等の不法な行為により反日感情が醸成され、治安回復が進まないため、軍人個人の行為を厳重に取り締まるとともに、速やかに慰安設備を整える必要があるとの趣旨の通牒の発出があったこと、また、慰安施設は士気の振興、軍紀の維持、犯罪及び性病の予防等に対する影響が大きいため、慰安の諸施設に留意する必要があるとの趣旨の教育指導参考資料の送付が軍内部であったこと。慰安婦の募集に当たる者の取締りについては、軍の威信を保持し、社会問題を惹起させないために、慰安婦の募集に当たる者の人選を適切に行うようにとの趣旨の通牒の発出が軍内部であったこと。慰安施設の築造・監督については、部隊毎の慰安所利用日時の指定、慰安所利用料金、慰安所利用に当たっての注意事項等を規定した「慰安所規定」が作成されていたこと。慰安所・慰安婦の衛生管理については、「慰安所規定」に慰安所利用の際は避妊具を使用することを規定したり、慰安所で働く従業婦の性病検査を軍医等が定期的に行い、不健康な従業婦においては就業させることを禁じる等の措置があったこと。その他、業者が内地で準備した女子が船舶で輸送される予定であることを通知する電報の発出があったこと。

 以上のように、いわゆる従軍慰安婦問題に政府の関与があったことが認められた。」と結論づけています。それを受けて、同1992年7月6日に加藤紘一官房長官が、「慰安所の設置、慰安婦の募集に当たる者の取締り、慰安施設の築造・増強、慰安所の経営・監督、慰安所・慰安婦の街生管理、慰安所関係者への身分証明書等の発給等につき、政府の関与があったことが認められた」という内容の「朝鮮半島出身のいわゆる従軍慰安婦問題に関する官房長官談話(加藤談話)」を発表しました。
 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/kato.html

 政府は、さらに続けて、国内及び米国国立公文書館を含む関係資料の調査と元従軍慰安婦からのヒアリングを行いました。1993年8月4日に内閣官房内閣外政審議室が「いわゆる従軍慰安婦問題について」と題した調査結果を発表しました。
 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/pdfs/im_050804.pdf

 そのなかには、「業者らが或いは甘言を弄し、或いは畏怖させる等の形で本人たちの意向に反して集めるケースが数多く、更に、官憲等が直接これに加担する等のケースもみられた。」という記載があります。この調査結果を受けて、同8月4日に河野洋平官房長官が「慰安婦関係調査結果発表に関する官房長官談話(河野談話)」を発表しました。
 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/kono.html

Q 「河野談話」の何が問題となっているのでしょうか。

A 慰安婦の募集に強制性があったかどうかという点です。河野談話は、内閣官房内閣外政審議室の調査発表を受けて、「慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった」。また「戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた」と述べています。いわゆる従軍慰安婦に関する政府の関与があったことまでは政府の資料で確認できていますが(加藤談話)、慰安婦の募集に強制性があったかどうかについて、河野談話のいうように総じて本人たちの意思に反して行われたのか、本人たちの意思に反して行われたこともあったが、総じて行われたというほどではないのか、本人たちの意思に反して行われたことはなかったのか、で意見が分かれています。

Q 1993年8月4日付け内閣官房内閣外政審議室の「いわゆる従軍慰安婦問題について」発表までに政府が発見した資料の中に、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示す記述があったのでしょうか。

A 安倍晋三首相は、2007年3月16日付の質問主意書への答弁書の中で「調査結果の発表までに政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示す記述も見当たらなかった」と述べています。

Q 宮沢内閣の石原信雄官房副長官(事務)も文書が見つからなかったと発言していませんか。

A 2007年に財団法人平和のためのアジア女性国民基金から刊行された「オーラルヒストリー アジア女性基金」のなかで、当時の石原信雄官房副長官は以下のように述べています。「通達とか指令とかいろんな資料を集めたんですけど、文書で強制性を立証するようなものは出てこなかったんです」、「通達とか指令とかという文書的なもの、強制性を立証できるような物的証拠は見つけられなかったのですが、実際に慰安婦とされた人たち十六人のヒヤリングの結果は、どう考えても、これは作り話じゃない、本人がその意に反して慰安婦とされたことは間違いないということになりました」、「本人のヒヤリングで強制性の認定をしたのは大きな間違いだというご批判があるわけです。われわれは何度も聞かされてます。ただ私どもは、そこをどうするかは、内閣としても、政府としても、判断に苦慮したところなんです。だけども十六人のうち、自分の意思ではなく慰安婦にさせられた、その置かれた状況のもとでやむなく慰安婦になった、あるいは瞞されてなったという人が間違いなくかなりいる。これはヒヤリングを通して真実であることに間違いないという担当官の報告が出たのです。日本政府も韓国政府も、担当官にはなんらのプレッシャーをかけてないわけです。人道的立場でヒヤリングをやってもらい、その報告を受けたわけです。それを政府としては、彼らの心証を大事にしていこうと考え、それが強制性の認定につながったわけです」。

Q この元慰安婦からのヒヤリングの内容は公開されているのでしょうか。

A これまで公開されていません。

Q 河野談話は閣議決定されているのでしょうか。

A 閣議決定されていません。

Q では、河野談話はどういう性格のものなのでしょうか。

A 「内閣の意思」です。前出の「オーラルヒストリー」のなかで石原官房副長官はこう述べています。「あの表現は官邸の中で皆で相談して、最終的に決めたものなのです。当然外務省、厚生省、労働省など、関係する官庁には全部連絡して決めたわけですから、あれは内閣の意思でして、特定の人の意見ではない。内閣の責任で出した談話だということは間違いありません」。

Q この「内閣の意思」は宮沢内閣以降どうなっているのですか。

A 宮沢内閣以降の歴代内閣はこれを踏襲しています。

Q 「河野談話」を修正、または撤回するためにはどうしたらよいのでしょうか。誰がやればよいのでしょうか。

A 「内閣の意思」は、総理大臣が明示的に踏襲すると発言しなくとも、明示的に否定しない限り、新しい内閣に引き継がれます。「河野談話」を修正または撤回するためには、これまでの内閣の意思を変更するわけですから、「河野談話」に替わる内閣の新しい見解、意思を発表する、「河野談話」を踏襲しないという内閣の意思を明示する、または何らかの形での否定をすることが必要だと思われます。内閣の意思をとりまとめ、総理または官房長官が新しい見解を発表するなどが必要です。そのためには、1993年8月4日付け内閣官房内閣外政審議室の「いわゆる従軍慰安婦問題について」に替わる事実が出てくるか、あるいはこの調査結果を破棄するかということが必要になります。

Q 加藤談話及び河野談話については、談話を出した本人が意見を変えれば変更ができるのでしょうか。

A 歴代官房長官は、この問題に限らず、様々な問題について談話を発表してきていますが、いずれの談話も内閣の意思を表しているものであって、個人の意見を述べたものではありません。ですから官房長官談話の変更には、内閣の意思の変更が必要になります。談話を出した本人のその後の意見というものは、談話には関係ありません。

【フランスの文学者ロベール・フォリソンの言】
 1980年にフランスの文学者ロベール・フォリソンが述べ た言葉をとりあげよう。

 「ヒットラーがガス室を使用しユダヤ人を虐殺したと主張するのは、明らかに歴史的偽りである。この偽りで得をするのは主にイス ラエルと世界中のシオニストであり、その犠牲者はドイツ国民である」。
(私論.私見)
 この発言の文脈で仮にヨーロッパを東アジアに変えると、犠牲者の入れ替えなどがそのまま通用する。

【参考文献】
 参照 上杉千年著『検証従軍慰安婦』(全貌社)
 参照 小林よしのり『新ゴーマニズム宣言3』(小学館)
 従軍慰安婦強制連行捏造報道

 ■ 参考 ■
1. 「慰安婦の戦場の性」、秦郁彦、新潮選書、H11.6
2. 「闇に挑む!」、西岡力、徳間文庫、H10.9
3. 「慰安婦強制連行はなかった」、太子堂経慰、展転社、H11.2
4. 「歴史教科書への疑問」、日本の前途と歴史教育を考える
  若手議員の会編、展転社、H9.12.23
5. 「日本人が捏造したインドネシア慰安婦」、中嶋慎三郎、
  祖国と青年、H8.12
6. 「従軍慰安婦」、吉見義明、岩波新書、H7.4
7. 産経新聞、H11.08.27 東京朝刊 4頁 国際2面

 「★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK143」のあっしら氏の2013.2.15日付け投稿「[資料]平成4年加藤談話・平成5年河野談話・平成7年村山談話など」を転載する。
 朝鮮半島出身者のいわゆる従軍慰安婦問題に関する加藤内閣官房長官発表 平成4年7月6日

 朝鮮半島出身のいわゆる従軍慰安婦問題については、昨年12月より関係資料が保管されている可能性のある省庁において政府が同問題に関与していたかどうかについて調査を行ってきたところであるが、今般、その調査結果がまとまったので発表することとした。調査結果について配布してあるとおりであるが、私から要点をかいつまんで申し上げると、慰安所の設置、慰安婦の募集に当たる者の取締り、慰安施設の築造・増強、慰安所の経営・監督、慰安所・慰安婦の街生管理、慰安所関係者への身分証明書等の発給等につき、政府の関与があったことが認められたということである。調査の具体的内容については、報告書に各資料の概要をまとめてあるので、それをお読み頂きたい。なお、許しいことは後で内閣外政審議室から説明させるので、何か内容について御質問があれば、そこでお聞きいただきたい。

 政府としては、国籍、出身地の如何を問わず、いわゆる従軍慰安婦として筆舌に尽くし難い辛苦をなめられた全ての方々に対し、改めて衷心よりお詫びと反省の気持ちを申し上げたい。また、このような過ちを決して繰り返してはならないという深い反省と決意の下に立って、平和国家としての立場を堅持するとともに、未架に向けて新しい日韓関係及びその他のアジア諸国、地域との関係を構築すべく努力していきたい。この問題については、いろいろな方々のお話を聞くにつけ、誠に心の痛む思いがする。このような辛酸をなめられた方々に対し、我々の気持ちをいかなる形で表すことができるのか、各方面の意見も聞きながら、誠意をもって検討していきたいと考えている。

 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/kato.html
 慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話 平成5年8月4日

 いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年12月より、調査を進めて来たが、今般その結果がまとまったので発表することとした。

 今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。

 いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。また、そのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。

 われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。なお、本問題については、本邦において訴訟が提起されており、また、国際的にも関心が寄せられており、政府としても、今後とも、民間の研究を含め、十分に関心を払って参りたい。

 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/kono.html

 ※同時に発表された資料
 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/pdfs/im_050804.pdf
 いわゆる従軍慰安婦問題について 平成5年8月4日
 内閣官房内閣外政審講室

 1.調査の経緯

 いわゆる従軍慰安婦問題については、当事者による我が国における訴訟の提起、我が国国会における論議等を通じ、内外の注目を集めて来た。また、この問題は、昨年1月の宮澤総理の訪韓の際、廬泰愚大統領(当時)との会談においても取り上げられ、韓国側より、実態の解明につき強い要請が寄せられた。この他、他の関係語国、地域からも本問題について強い関心が表明されている。

 このような状況の下、政府は、平成3年12月より、関係資料の調査を進めるかたわら、元軍人等関係者から幅広く聞き取り調査を行うとともに、去る7月26日から30日までの5日間、韓国ソウルにおいて、太平洋戦争犠牲者遺族会の協力も得て元従軍慰安婦の人たちから当時の状況を詳細に聴取した。また、調査の過程において、米国に担当官を派遣し、米国の公文書につき調査した他、沖縄においても、現地調査を行った。調査の具体的態様は以下の通りであり、調査の結果発見された資料の概要は別添の通りである。

 調査対象機関 警察庁、防衛庁、法務省、外務省、文部省、厚生省、労働省、国立公文書館、国立国会図書館、米国国立公文書館

 関係者からの聞き取り 元従軍慰安婦、元軍人、元朝鮮総督府関係者、元慰安所経営者、慰安所付近の居住者、歴史研究家等

 参考とした国内外の文書及び出版物

 韓国政府が作成した調査報告書、韓国挺身隊問題対策協議会、太平洋戦争犠牲者遺族会など関係団休等が作成した元慰安婦の証言集等。なお、本問題についての本邦における出版物は数多いがそのほぼすべてを渉猟した。

 本問題については、政府は、すでに昨年7月6日、それまでの調査の結果について発表したところであるが、その後の調査をもふまえ、本問題についてとりまとめたところを以下のとおり発表することとした。

 2.いわゆる従軍慰安婦問題の実態について

 上記の資料調査及び関係者からの聞き取りの結果、並びに参考にした各種実科を総合的に分析、検討した結果、以下の点が明らかになった。

 (1)慰安所設置の経緯

 各地における慰安所の開設は当時の軍当局の要請によるものであるが、当時の政府部 内資料によれば、旧日本軍占領地域内において日本軍人が住民に対し強姦等の不法な行 為を行い、そや結果反日感憎が醸成されることを防止する必要性があったこと、性病等の病気による兵力低下を防ぐ必要があったこと、防諜の必要があったことなどが慰安所設置の理由とされている。

 (2)慰安所が設置された時期

 昭和7年にいわゆる上海事変が勃発したころ同地の駐屯部隊のために慰安所が設置さ れた旨の資料があり、そのころから終戦まで慰安所が存在していたものとみられるが、その規模、地域的範囲は戟争の拡大とともに広がりをみせた。

 (3)慰安所が存在していた地域

 今次調査の結果慰安所の存在が確認できた国又は地域は、日本、中国、フィリピン、 インドネシア、マラヤ(当時)、タイ、ビルマ(当時)、ニューギニアく当時)、香港、マカオ及び仏領インドシナ(当時)である。

 (4)慰安婦の総数

 発見された資料には慰安婦の総数を示すものはなく、また、これを椎認させるに足りる資料もないので、慰安婦総数を確定するのは困難である。しかし、上記のように、長期に、かつ、広範な地域にわたっそ慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したものと認められる。

 (5)慰安婦の出身地

  今次調査の結果慰安婦の出身地として確認できた国又は地域は、日本、朝鮮半島、中 国、台湾、フィリピン、インドネシア及びオランダである。なお、戦地に移送された慰安婦の出身地としては、日本人を除けば朝鮮半島出身者が多い。

 (6)慰安所の経営及び管理

  慰安所の多くは民間業者により経営されていたが、一部地域においては、旧日本軍が 直接慰安所を経営したケースもあった。民間業者が経営していた場合においても、旧日本軍がその開設に許可を与えたり、慰安所の施設を整備したり、慰安所の利用時間、利用料金や利用に際しての注意事項などを定めた慰安所規定を作成するなど、旧日本軍は慰安所の設置や管理に直接関与した。

  慰安婦の管理については、旧日本軍は、慰安婦や慰安所の衛生管理のために、慰安所 規定を設けて利用者に避妊具使用を義務付けたり、軍医が定期的に慰安婦の性病等の病 気の検査を行う等の捨置をとった。慰安婦に対して外出の時間や場所を限定するなどの 慰安所規定を設けて管理していたところもあった。いずれにせよ、慰安婦たちは戦地においては常時軍の管理下において軍と共に行動させられており、自由もない、痛ましい生活を強いられたことは明らかである。

 (7)慰安婦の募集

  慰安婦の募集については、軍当局の要請を受けた経営者の依頼により斡旋業者らがこ れに当たることが多かったが、その場合も戦争の拡大とともにその人員の確保の必要性 が高まり、そのような状況の下で、業者らが或いは甘言を弄し、或いは畏怖させる等の形で本人たちの意向に反して集めるケースが数多く、更に、官憲等が直接これに加担する等のケースもみられた。

 (8)慰安婦の輸送等

 慰安婦の輸送に関しては、業者が慰安婦等の婦女子を船舶等で輸送するに降し、旧日本軍は女らを特別に軍属に準じた扱いにするなどしてその渡航申請に許可を与え、また日本政府は身分証明書等の発給を行うなどした。また、軍の船舶や車輌によって戦地に運ばれたケースも少なからずあった他、敗走という混乱した状況下で現地に置き去りにされた事例もあった。
 「平和友好交流計画」に関する村山内閣総理大臣の談話  平成6年8月31日

 明年は、戦後五十周年に当たります。私は、この年を控えて、先に韓国を訪問し、またこの度東南アジア諸国を歴訪しました。これを機に、この重要な節目の年を真に意義あるものとするため、現在、政府がどのような対外的な取組を進めているかについて基本的考え方を述べたいと思います。

 1.我が国が過去の一時期に行った行為は、国民に多くの犠牲をもたらしたばかりでなく、アジアの近隣諸国等の人々に、いまなお癒しがたい傷痕を残しています。私は、我が国の侵略行為や植民地支配などが多くの人々に耐え難い苦しみと悲しみをもたらしたことに対し、深い反省の気持ちに立って、不戦の決意の下、世界平和の創造に向かって力を尽くしていくことが、これからの日本の歩むべき進路であると考えます。我が国は、アジアの近隣諸国等との関係の歴史を直視しなければなりません。日本国民と近隣諸国民が手を携えてアジア・太平洋の未来をひらくには、お互いの痛みを克服して構築される相互理解と相互信頼という不動の土台が不可欠です。戦後五十周年という節目の年を明年に控え、このような認識を揺るぎなきものとして、平和への努力を倍加する必要があると思います。

 2.このような観点から、私は、戦後五十周年に当たる明年より、次の二本柱から成る「平和友好交流計画」を発足させたいと思います。第一は、過去の歴史を直視するため、歴史図書・資料の収集、研究者に対する支援等を行う歴史研究支援事業です。第二は、知的交流や青少年交流などを通じて各界各層における対話と相互理解を促進する交流事業です。その他、本計画の趣旨にかんがみ適当と思われる事業についてもこれを対象としたいと考えています。また、この計画の中で、かねてからその必要性が指摘されているアジア歴史資料センターの設立についても検討していきたいと思います。なお、本計画の対象地域は、我が国による過去の行為が人々に今なお大きな傷痕を残しているアジアの近隣諸国等を中心に、その他、本計画の趣旨にかんがみふさわしい地域を含めるものとします。この計画の下で、今後十年間で1千億円相当の事業を新たに展開していくこととし、具体的な事業については、明年度から実施できるよう、現在、政府部内で準備中であります。

 3.いわゆる従軍慰安婦問題は、女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり、私はこの機会に、改めて、心からの深い反省とお詫びの気持ちを申し上げたいと思います。我が国としては、このような問題も含め、過去の歴史を直視し、正しくこれを後世に伝えるとともに、関係諸国等との相互理解の一層の増進に努めることが、我が国のお詫びと反省の気持ちを表すことになると考えており、本計画は、このような気持ちを踏まえたものであります。なお、以上の政府の計画とあいまって、この気持ちを国民の皆様にも分かち合っていただくため、幅広い国民参加の道をともに探求していきたいと考えます。

 4.また、政府としては、女性の地位向上や女性の福祉等の分野における国際協力の重要性を深く認識するものであります。私は、かねてから、女性の人権問題や福祉問題に強い関心を抱いております。明年、北京において、女性の地位向上について検討し、21世紀に向けての新たな行動の指針作りを目指した「第四回世界婦人会議」が開催されます。このようなことをも踏まえ、政府は、今後、特にアジアの近隣諸国等に対し、例えば、女性の職業訓練のためのセンター等女性の地位向上や女性の福祉等の分野における経済協力を一層重視し、実施してまいります。

 5.さらに、政府は、「平和友好交流計画」を基本に据えつつ、次のような問題にも誠意を持って対応してまいります。その一つは、在サハリン「韓国人」永住帰国問題です。これは人道上の観点からも放置できないものとなっており、韓国、ロシア両政府と十分協議の上、速やかに我が国の支援策を決定し、逐次実施していく所存です。
 もう一つは、台湾住民に対する未払給与や軍事郵便貯金等、長い間未解決であった、いわゆる確定債務問題です。債権者の高齢化が著しく進んでいること等もあり、この際、早急に我が国の確定債務の支払を履行すべく、政府として解決を図りたいと思います。

 6.戦後も、はや半世紀、戦争を体験しない世代の人々がはるかに多数を占める時代となりました。しかし、二度と戦争の惨禍を繰り返さないためには、戦争を忘れないことが大切です。平和で豊かな今日においてこそ、過去の過ちから目をそむけることなく、次の世代に戦争の悲惨さと、そこに幾多の尊い犠牲があったことを語り継ぎ、常に恒久平和に向けて努力していかなければなりません。それは、政治や行政が国民一人一人とともに自ら課すべき責務であると、私は信じております。

 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/murayama.html

 「女性のためのアジア平和国民基金」に関する 五十嵐内閣官房長官発表  平成7年6月14日

 平成6年8月の村山総理の談話を受け、また与党戦後50年問題プロジェクトの協議に基づき、政府において検討の結果、戦後50年にあたり過去の反省に立って「女性のためのアジア平和友好基金」による事業を次の通り行うものとする。

 

 1.元従軍慰安婦の方々のため国民、政府協力のもとに次のことを行う。

(1)元従軍慰安婦の方々への国民的に償いを行うための資金を民間から基金が募金する。
(2)元従軍慰安婦の方々に対する医療、福祉などお役に立つような事業を行うものに対し、政府の資金等により基金が支援する。
(3)この事業を実施する折、政府は元従軍慰安婦の方々に、国としての率直な反省とお詫びの気持ちを表明する。
(4)また、政府は、過去の従軍慰安婦の歴史資料を整えて、歴史の教訓とする。

 2.女性の名誉と尊厳にかかわる事業として、前記1.(2)にあわせ、女性に対する暴力など今日的な問題に対応するための事業を行うものに対し、政府の資金等により基金が支援する。

 3.「女性のためのアジア平和友好基金」事業に広く国民の御協力を願う「呼びかけ人」として、これまでご賛同を得た方々は別紙の通りである。

 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/igarashi.html
 村山内閣総理大臣談話「戦後50周年の終戦記念日にあたって」(いわゆる村山談話) 平成7年8月15日

 先の大戦が終わりを告げてから、50年の歳月が流れました。今、あらためて、あの戦争によって犠牲となられた内外の多くの人々に思いを馳せるとき、万感胸に迫るものがあります。

 敗戦後、日本は、あの焼け野原から、幾多の困難を乗りこえて、今日の平和と繁栄を築いてまいりました。このことは私たちの誇りであり、そのために注がれた国民の皆様1人1人の英知とたゆみない努力に、私は心から敬意の念を表わすものであります。ここに至るまで、米国をはじめ、世界の国々から寄せられた支援と協力に対し、あらためて深甚な謝意を表明いたします。また、アジア太平洋近隣諸国、米国、さらには欧州諸国との間に今日のような友好関係を築き上げるに至ったことを、心から喜びたいと思います。

 平和で豊かな日本となった今日、私たちはややもすればこの平和の尊さ、有難さを忘れがちになります。私たちは過去のあやまちを2度と繰り返すことのないよう、戦争の悲惨さを若い世代に語り伝えていかなければなりません。とくに近隣諸国の人々と手を携えて、アジア太平洋地域ひいては世界の平和を確かなものとしていくためには、なによりも、これらの諸国との間に深い理解と信頼にもとづいた関係を培っていくことが不可欠と考えます。政府は、この考えにもとづき、特に近現代における日本と近隣アジア諸国との関係にかかわる歴史研究を支援し、各国との交流の飛躍的な拡大をはかるために、この2つを柱とした平和友好交流事業を展開しております。また、現在取り組んでいる戦後処理問題についても、わが国とこれらの国々との信頼関係を一層強化するため、私は、ひき続き誠実に対応してまいります。

 いま、戦後50周年の節目に当たり、われわれが銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。

 わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。

 敗戦の日から50周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。同時に、わが国は、唯一の被爆国としての体験を踏まえて、核兵器の究極の廃絶を目指し、核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります。これこそ、過去に対するつぐないとなり、犠牲となられた方々の御霊を鎮めるゆえんとなると、私は信じております。

 「杖るは信に如くは莫し」と申します。この記念すべき時に当たり、信義を施政の根幹とすることを内外に表明し、私の誓いの言葉といたします。

 http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/danwa/07/dmu_0815.html

【2013慰安婦問題を廻る橋下大阪市長発言物議考】
 2013(平成25).5.13日、日本維新の会の橋下徹共同代表(大阪市長)が、従軍慰安婦問題について次のように発言をした(「日本経済新聞の2013.5.17日付け慰安婦問題などを巡る橋下氏の主な発言」転載)。後日の証の為に保存しておく。
 ■13日午前

 「従軍慰安婦問題についても、慰安婦の方にはしっかり優しい言葉をかけないといけない。意に反してこういう職業に就いたのであれば、そのことについては配慮しないといけない。しかし、当時世界各国も慰安婦制度を持っていた。これはいいこととは言わないが当時はそういうもんだった。ところがなぜ欧米で日本の問題のみが取り上げられていたかというと、日本は無理やり国を挙げて強制的に意に反して慰安婦を拉致してそういう職業に就かせたレイプ国家だというところで世界は非難しているということを、日本人は世界でどう見られているかもっと認識しないといけない。
 慰安婦制度がなかったとは言わないし、軍が管理していたのは間違いない。だがそれは当時の世界の状況として軍がそういう制度を持っていたのも厳然たる事実。近現代史を勉強して慰安婦ということを聞くと、とんでもない悪いことをしていたと思うかもしれないが、当時の歴史をちょっと調べれば日本軍だけでなくいろんな軍で慰安婦制度を活用していた。銃弾が雨嵐のごとく飛び交う中で命をかけて走っていくときに、どこかで休息させようとしたら、慰安婦制度が必要になることは誰だってわかる。欧米諸国でどういう風にみられているかといえば、韓国とかいろんなところの宣伝効果があってレイプ国家とみられていること。ここが問題だ。
 証拠が出てくれば認めないといけないが、2007年の閣議決定でそういう証拠はないとなっている。日本政府自体が暴行、脅迫して拉致したそういう事実は証拠に裏付けられていないのでしっかり言わないといけない。ただ慰安婦制度について、意に反して慰安婦になった人には僕は配慮しないといけないと思う」。
 ■13日午後
 「当時の状況ではそういうことを活用していたのは事実。ただ、それを良しとするかどうかは別。意に反してそういう職業に就かなければならない、意に反してですよ、自らの意思でそういう職業に就いていた人も中にはいたでしょうからね。現代社会だって風俗業はしっかり職業としてあるわけですから、自らの意思でやった場合は自らの意思でしょう、となるが、意に反してそうしなければならなかった人には配慮が必要だと思う。

 意に反してか、意に即してかというのは別で、慰安婦制度というものは必要だったということ。軍を維持するとか規律を維持するには当時は必要だったということ。
 今はそりゃあ認められないでしょう。でも慰安婦制度ではなくても、風俗業というのは必要だと思う。沖縄の(在日米軍)海兵隊の普天間(基地)に行ったときに司令官に「もっと風俗業を活用してほしい」と言ったが、司令官は凍り付いたように苦笑いした。「米軍ではオフリミッツだ、禁止だと言っている」と言うものですからね。そんな建前みたいなことを言うからおかしくなるんですよ、と。法律の範囲内で認められている中で、いわゆる性的なエネルギーをある意味合法的に解消できる場所は日本にもあるので、真正面から活用してもらわないと、海兵隊の猛者の性的エネルギーをコントロールできないじゃないですか、と。「建前論じゃなくてもっと活用してくださいよ」と言ったが「行くなというように通達を出しているし、もうこれ以上この話はやめよう」と打ち切られた。
 堂々と活用したから、事件が収まるという因果関係にあるものじゃないでしょうけど、真正面から認めないと。建前論ばかりじゃだめですよ。兵士なんていうのは、自分の命を落とすかもしれない極限の状況に追い込まれる仕事・任務なわけで、エネルギーがあり余っているわけだから、どこかで発散するとかそういうのはしっかり考えないといけない。
 具体的な国名は出しませんが、第2次世界大戦中でも日本軍以外でレイプだなんだのがあったというのは事実として出てきている。そういうのを抑えていくには、一定の慰安婦みたいな制度が必要だったのも厳然たる事実。慰安婦制度を全部否定するとか正当化するというのはダメ。戦争の悲劇で生まれたものだから慰安婦の方に対してしっかりと配慮を持って接しないといけないわけだけれども」。
 ■13日夜〜15日午前(ツイッターへの書き込み)
 「当時は必要だった」と、今容認していることは別だ。僕も今は容認していない。ただ当時の戦時下においては世界各国の軍でどうだったのか。日本だけが特殊だったのか。戦場の性の対応策として、いわゆる慰安婦制度なるものが必要とされ、日本だけでなく世界各国も同じような制度を活用していた。戦場に性を切り離すことはできなかった。これが歴史上の事実だ。
 日本の慰安婦制度を正当化するつもりはないが、日本「だけ」が慰安婦制度を持ったレイプ国家だと言われるものではない。なぜ日本「だけ」が性奴隷を活用していたと世界から非難を受けているのか。それは日本が国を挙げて女性を拉致し、慰安婦にさせたと思われているから。今のところ、日本政府はそのような証拠がないと閣議決定している。
 現在、慰安婦制度が必要だとは言っていない。むろん、現在はあってはならない。むしろ、日韓基本条約がある中でも、意に反して慰安婦になった方へは配慮が必要だと言い続けている。慰安婦制度が現代社会で認められるはずはない。僕が論点にしたのは、世界が日本だけ特殊な制度を持っていたと批判していることだ。
 今のような人権感覚がなく、そして売春防止法もなかった前近代的な第2次世界大戦当時、慰安婦を必要としていたのだろう。現在容認できないことは当然だ。各メディアは、僕が現在も慰安婦制度を容認しているかの報道。これは違う。
 ■15日昼
 日韓基本条約が法的に解決済みだということを言い続けていることの方が慰安婦だった皆さんを傷つけていると思う。法的な問題と人間としての態度振る舞いは別。1度結ばれた日韓基本条約を白紙にするのは難しいかもしれないが、慰安婦だった方がどれだけ大変な苦痛を味わってきたか、不幸な過去を背負ってきたのかということに対してはしっかり配慮すべきだと言い続けている。
 今、慰安婦が必要だなんてことは一言も言っていない。日本の行為を正当化するつもりはない。他国がやっていたから日本がやっていたことをいいじゃないかというつもりは毛頭ない。だから今必要だとは一切言っていないし、むしろ、慰安婦制度は許されない。今となってはみんながダメだと思っていることを、当時は世界各国がやっていたのに、なぜ日本だけが特別な批判を受けているのかということをしっかりと認識しないといけませんよ、そこは違うところは違うと言わないといけませんよ、という問題提起をしている。
 慰安婦だった方を傷つけるつもりはないし、やってはいけないことだし、日韓基本条約があるからこれで終わりというつもりはない。法的補償は難しいにせよ、きちんとした配慮はしないといけないと思う。傷つけているとは一切思わない。
 メディアは世界がやっていたから日本もいいという論調で書き立てているけれども、そうじゃない。自分たちを正当化するためではなく、不当な侮辱に対してしっかりものを申していきましょうということで、全員が反省して、戦時下で戦場での性の問題を、女性をああいう形でじゅうりんするようなことはやめましょう、と。全世界でやるべきだし、日本も反省しないといけない。
 (慰安婦制度を)容認はしてませんから。当時はみんながそう思っていたんでしょ、ということを伝えた。客観的にですよ。今はやっちゃいけないこと。でも当時は世界各国が軍隊を保持するために戦場での性は最大の課題だった。
 必要性がある、それは認めたことじゃないか、というとそれは全然違う。必要性がないんだったら、慰安婦制度や現地の女性、民間業者を活用したりということはない。必要性というのは客観的な事実。主観的な表現ではない。それを認めるか認めないかとなったら主観が入るが、認めるかどうかは非常に問題ですけれども、僕は認めていない。
 ■15日夕
 (自分の発言は)誤解を与えていないと思っている。慰安婦制度は容認することはないし、今、必要だとは全く思っていない。当時の必要性は、今の視点で見たらダメだけど、当時の必要性は誰だって分かること。当時、人権感覚が何もなかった時代に、制度が必要だと当時の人が考えたのは分かるでしょうと。僕らが容認するかどうかでない。
 必要性と認めるかは別。必要性はだって、性病のまん延とか、そういうことがあるから必要だったんでしょう。でもそれを認めるかどうかは全く別。
 選挙のことで(維新の)松井一郎幹事長(大阪府知事)に色々な負担をかけてしまうかもしれないが、選挙のことだけ考えて政治家なんてできない。いろんな外国人と話して日本人だけ特殊な性的奴隷を持っていたという評価だけは耐えられない。
 ■16日朝(フジテレビ番組で)
 誤解で傷ついた人がいるなら本当に大変申し訳なく思う。ただ、世界が日本に対して思っていること、認識していること、それに対して「この点は違う」ということを主張するなら当初はこのような状況に絶対なる。世界の中で議論しようとすればこういう反発を恐れて何も主張しないのではかえって世界で相手にされなくなる。議論して自分が間違っているところがあれば謝る。自分の考えを出すことはやらないといけない。
 党内でとりまとめた意見ではなく、一政治家としての政治的な思い、国民としての思いだ。維新のメンバーはとまどっているかもしれないが、選挙に勝つために政治家をやっているわけでない。
 中国とも韓国ともしかるべき立場の人ときちんと議論したい。僕の立場で中韓のしかるべき立場の人、また欧米のしかるべき立場の人とすぐに議論できるかといえばそうではないかもしれないが。でも実際に申し込みがあるのでしっかりと対応したいと思う。
 (在日米軍への風俗業に関する発言は)僕の表現のつたなさがあった。ただ僕は法律上認められた風俗業と言った。日本では売春、買春は認められていない。風俗業はいろいろあると言ったが、中身は色々ある。売春や買春を勧めたわけではない。そこは自分なりに気を使って発言した。1つ大きなミスを犯したとすれば米国の風俗文化についての認識が足りなかったかもしれない。米国で風俗というと売春、買春ということがすぐに思い浮かぶ。法律上認められる風俗が買春、売春ととらえられたのは僕の表現不足。
 ■16日午前
 (米軍への風俗業に関する発言は)認識が甘かったことは間違いない。表現が拙かった。日本で認められていることがアメリカで認められていることはない。日本で認められていることと米国で認められていることの違いについて慎重に考えなければならなかった。国際感覚に乏しかった。僕の一番の欠点だったんでしょうね。
 ■16日午後
 日本人がやったことは謝らなければならない、強制連行があったかどうかというのは世界からどう見られているかということには非常に影響するから、日本政府として明確にしなければいけない。
 (米軍への風俗業に関する発言が)不適切だったことは間違いない。法律で認められている風俗といっても、それは米国のとらえ方だとか宗教的な価値観とかでそのワードを出すことは不適切だった。僕の言葉が不適切で女性の人権をじゅうりんしているのではないかという批判は真摯に受けとめる。






(私論.私見)