従軍慰安婦考 |
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、従軍慰安婦考をものしておく。 2005.1.16日、2007.3.12日再編集 れんだいこ拝 |
れんだいこのカンテラ時評bP221 投稿者:れんだいこ 投稿日:2014年 4月28日 |
「従軍慰安婦問題」についてのれんだいこ見解その1 日韓外交に「従軍慰安婦問題」が浮上し泥沼的状況に入っている。これどう評すべきか。れんだいこが審判しておく。「従軍慰安婦問題」は、ホロコーストや南京虐殺事件や百人斬り事件のように事件の存在を廻っての認否の問題ではない。従軍慰安婦制は存在した。このことに関して見解の相違はない。キモは、当時の日本軍部が即ち国家としての日本が直接関与していたのかを廻る論争となっている。韓国側は日本軍部の直接的蛮行であるとして国家的謝罪と賠償を要求している。日本側は間に商人が介在している商取引的なものとして存在していたのであり国家的責任、賠償が追求されるには及ばないとしている。この対立である。このキモの部分を理解せずの道徳論的見地からの論調が後を絶たない。 果たして韓国式論理論法は成り立つのだろうか。過去の戦争に対してかような責任論が成立するのであれば史上の戦争を総洗いして国家賠償の飛ばし合いすれば良かろう。ここ数世紀の西欧列強による世界植民地化に対して、蹂躙圧迫された国家及び民族は莫大な国家賠償追求に向かえば良い。が、れんだいこはそのような動きを聞かない。と云うことは特殊的に日本にのみ戦争責任論が適用されようとしていることになる。ここが大いに不満である。 れんだいこが日本人であるからと云う理由で日本に与するのではない。客観的に評して「従軍慰安婦問題」如きで戦後半世紀以上経てもなお許さずとして喧騒する韓国式外交をやり過ぎとなじろうとしている。たまたま韓国は朴槿恵(パク・クンヘ)と云う女性大統領であり、その女性的見地から許し難いとしているように思われるが政治家の歴史認識としてはお粗末過ぎるのではなかろうか。一般論で言えば、性商がこの世から消えるのが好ましいのは当たり前である。そういう意味で純愛論が奏でられるのであろうが、問題は性商が大昔から続いており道徳論的見地から幾ら罰しても消えないことにある。こうなると賢明な折り合いをつけて併居させている方がむしろ賢明と心得るべきであろう。 そういう性商問題であっても、韓国が日本に国家的責任を問い続け賠償責任を負わしめようとするからには当事の日本軍部の直接関与を立証せねばならない。しかしこれが困難を極めている。仮に立証できたとしても次の難題が待ち受けている。韓国現代史のタブーとなっているベトナム戦争時の韓国軍のベトナム女性輪姦虐殺史である。ごく最近、週刊誌週間ポストの3月28日号、4.11日号が連載して明らかにしている。こちらの方はれっきとした韓国軍による即ち国家としての犯罪である。 韓国は、この性凌辱の挙句の虐殺行為を不問にし、日本の給金型慰安婦問題に対しては指弾され抜くべきだとしていることになるが、我々が納得できるような法理を明らかにせねばならない。れんだいこには、ここがさっぱり分からない。ましてや時系列的には「従軍慰安婦問題」の方が相当に古い。古い事件の責任が問われるのは古い事件の方がより加虐的である場合だけである。性商慰安婦化行為と性凌辱虐殺行為のどちらがより加虐的で許し難いのか、韓国は性商慰安婦の方がより極悪だとする法理を世界に向けて開陳せねばならない。 その韓国に対して、4.25米韓首脳会談の席上、オバマ大統領がわざわざ「従軍慰安婦問題」に触れて、先の日共の志位委員長発言と同じような発言をしている。奇妙な一致である。志位もオバマもテキストがあってその通りに発言しているのだろうかと云いたくもなる。そういう詮索は別にして次のように述べている。概要「歴史を振り返るなら実に甚だしい人権侵害と考えなければならない。過去を正直かつ公正に認識しなければならない。安倍首相や日本国民もそのことを分かっているはずだ。(日韓は)過去を振り返りつつ、未来に進むべきだ。未来を見ることが日本と韓国の人々の利益だ」。 これに対して朴大統領は、元慰安婦の女性らが高齢となっていることなどを指摘した上で、「(日本に対して)誠意のある実践が必要だ」と述べ早急な対応を促した。朴大統領がオバマ大統領をバックにつけて威勢良い批判をしている格好である。これを聞くや我が日本の安倍首相はそれまでの余裕の不遜さを一転させ、途端にヘタレになりこう言い直している。概要「筆舌に尽くし難い思いをされた慰安婦の方々のことを思うと本当に胸が痛む思いだ。今後とも日本の考え方、取り組みを説明してまいりたい。20世紀は女性をはじめ多くの人権が侵害された世紀だ。21世紀はそうしたことが起こらない世紀にするため日本も大きな貢献をしていきたい」。 こうなると三人の掛け合い漫才の感がある。れんだいこ評では、この遣り取りから浮かび上がるのはオバマの臭い芝居である。オバマが世界史上の残虐事件に通暁していない訳がない。まして彼は黒人系であり黒人の悲劇史は百も承知である。何より現に進行中の世界中での性商、性凌辱、性暴殺を知り抜いている。その上で、「従軍慰安婦問題」をフレームアップさせる形で取り上げ、韓国に同調した上で「日韓は過去を振り返りつつ未来に進むべきだ」と念押ししている裏には相当の魂胆があるとみなすべきだろう。 明らかに典型的なマッチポンプ論法であり、透けて見えてくるのは、オバマが日韓も日中も中韓も、北朝鮮を挟めばなおさらのこと、揉めるように揉めるようにリードしていることである。これが米国外交と云うか国際ユダ屋の狙いであることが瞭然である。連中は人と人、国と国を対立させ危機を煽り戦争で儲けるのを得手の商売としている者たちであるからして世界の各地が地域ブロックで共栄圏化するのを何としてでも妨げようとする。要するに連中の出番がなくなるからである。オバマはその意を受けた請負役者に過ぎない。と云うことが既にバレバレである。 (れんだいこの「国際ユダ屋」の命名に対して不評なので今後はダボス会議に注目し「ダボス派」とも云うことにする。使い分けするつもりである) 問題は、ダボス派のこの戦略戦術に悪乗りしていつものように正義弁が登場しまくりすることにある。この件では特にサヨがはしゃぐ。原発も増税もTPPも憲法改正も自衛隊派兵もみんな根元は一緒である。こちらはウヨがはしゃぐ。その全てはダボス派が振り付けている。こういう見方を陰謀論と云う。世間ではよほど当たり障りのない政論が好みのようで陰謀論を唱えると顰蹙を買う。しかし、れんだいこには陰謀論抜きにどうやって理解すればよいのか、他の論は物足らなさ過ぎてつまらない。故に陰謀論批判を蒙ろうとも大いに結構であると申し上げておく。 |
「従軍慰安婦問題」についてのれんだいこ見解その2 |
「従軍慰安婦問題」で次に考えてみたいことは、それを良し悪しとか道徳論のレベルで考えるのではなく、こう云ってはお叱りを受けるかも知れないが合理性があるのではなかろうかとする観点から愚考してみたい。れんだいこは、戦後の国是としての反戦平和、国際協調主義の側に立っているので、戦争時の「従軍慰安婦問題」なぞどうでも良いようなことなのだが、そのこと自体ではなくそういう制度の由来に興味を覚えるので述べておく。戦前の日本軍が「従軍慰安婦制」を敷いていた背景には興味深い日本式の性観念、性伝統が介在していると思うからである。 「従軍慰安婦制」とは要するに戦争時の兵隊に慰安婦を与えて性処理させる制度であるが、これを編み出した当時の日本軍は果たして野蛮だったのだろうか。今日咎められているほど残虐非道なものだったのだろうか。れんだいこにはここを愚考してみたい。これは逆に考えれば分かり易い。「従軍慰安婦制」を持たない兵士が為すのは決まって性の暴走である。敗軍の兵士のことは分からないが勝軍の兵士となると戦勝国権利として婦女子の性凌辱、性暴殺を当たり前にしてきたのが世界史共通の現象なのではなかろうか。日本式「従軍慰安婦制」は、そういう戦史から学んだ日本式知恵の一つなのではなかろうか。れんだいこはそう考えている。もとより「従軍慰安婦制」を肯定しようというのではない。道徳的な肯定とか否定に先立つ合理性を認めたい訳である。 れんだいこは若い頃、最も怒ったことがある。それは戦後直後の日本政府が進駐軍に取った慰安婦宛がい政策に対してである。これを少し確認しておく。1945.8.18日、敗戦3日後のこの日、内務省は、警保局長通達(無電)で「外国駐屯軍慰安施設等整備要項」を全国都道府県に発した。これは占領軍向け性的慰安施設設置指令である。8.27日、占領軍向け性的慰安施設が大森海岸の小町園で開業している。進駐軍の先行隊が厚木へ到着したのは翌日であるからして事前に用意していたことになる。東京では警視庁が指導して業者にやらせる方式で「特殊慰安施設協会」を発足させ、東京銀座街頭に「新日本女性に告ぐ」と募集広告が出された。なお、新聞に慰安婦募集の広告を掲載している。慰安所は大人気となったが3カ月で閉鎖されている。性病の蔓延などが理由であった。この間「政府の努力」で増加し1万人に達した慰安婦たちは路頭に迷い非公認の街娼となって行った。俗にパンパンガールと呼ばれている。 れんだいこは若い頃、自ら率先して戦勝国に対して性的もてなしをする、それも国家公認のみならず後押しでの売春施設を事業化する日本政府の非道さが許し難かった。日本政治の支配の質を如実に示しているとして憤懣やるかたなかった。ところが、その後のれんだいこは違う。既に次のように記している。「これを道徳的に批判する向きもあるが、逆にいえば日本支配階級の統治技術がかなり高度なものとも考えられるのではなかろうか。従軍慰安婦問題にも通底している施策であるように思われる。これを道徳的に批判するだけにとどまるのなら何も批判していないことになろう。支配階級をして、現実がこのような施設を必要とさせたのであり、社会秩序維持の観点から保安施設として外国駐屯軍慰安施設設置が為されたことを窺うべきではなかろうか。批判することはできるが、ならばさてどうすべきであったのかという対案的観点から判断せねばなるまい」。 今のれんだいこはもう一つ違う。「従軍慰安婦制」を採用した日本政府の統治技術は日本の伝統的な性交観、性文化に根差しており、当時の日本政府の悪知恵と云うより、当時の日本政府が日本の伝統的な性交観、性文化に基づいて生み出したものと考えている。これはどういうことか。これを説明すると紙数ばかり増すので要点のみ記すと、日本の伝統的な性交観、性文化は案外と世界に冠たるこの方面での先進国なのではなかろうかとしている。何度も云うが故に礼賛しようと云うのではない。「存在するものは合理的である」とするヘーゲル的認識法で理解しようとしているに過ぎない。思うに、日本の伝統的な性交観、性文化は他の諸国のそれより性を重視しており、性のコントロールに格段に配慮するような知恵を持っているのではなかろうか。そういう目で見れば、日本の着物、食事、礼儀作法等々が性差をうまく機能させていることが分かる。 「従軍慰安婦制」には深い歴史的意味があり、もしこれを批判するなら戦争そのものを批判すべきであり、戦争に付随して発生した「従軍慰安婦制」だけを批判するのは愚昧なのではなかろうか。どうしても批判するのなら、戦勝国権利としての敗戦国側婦女子への性凌辱、性暴殺を押しとどめる叡智を制度的に生み出していない限り論が全うしないのではなかろうか。韓国の朴槿恵(パク・クンヘ)女性大統領にここを聞きたい。韓国現代史のタブーとなっているベトナム戦争時の韓国軍のベトナム女性輪姦虐殺史と併わせた整合性のある論理論法を聞いてみたい。 |
【「従軍慰安婦考」についてのれんだいこ見解その2】 |
戦前の日本軍部の戦争犯罪が様々に告発されている。南京大虐殺事件、百人斬り事件に並んで「従軍慰安婦問題」もその一つとなっている。この流れは、日本の反戦平和運動から生み出されている。ところが、「日本軍部の戦争犯罪告発事例」は悉く反証されており素人では判断できにくい。本サイトででは、「従軍慰安婦問題」の基礎知識を整理して後日の判断の証としておく。
れんだいこは次のように思う。慰安婦の存在は歴史的事実である。問題は、1・それが日本政府が歴史責任を負うべき拉致=強制連行によって為された事件であり、2・それが日本政府が歴史責任を負うべき国家的性奴隷拘禁事件なのか、3・当時の国際法に照らして戦争犯罪なのかどうか、ということにある。国としての歴史責任は、「従軍慰安婦制」が、国家的要請を受けたものであれ、1・民間業者の請負で運営され、2・相当の金額を呈示した上に成り立っており、3・奴隷的拘束ではない、いわゆる商取引の範疇のものであり、4・その商取引が騙されたものでなかったことが証明されれば免責される。 興味深いことは、南京大虐殺事件、百人斬り事件でも然り、「従軍慰安婦問題」についても実証的なのは右派系論者の方である。左派系論者のそれは「頭からの決め付け」でしかないように見受けられる。あぁこの貧困をなんとせんか。もう一つ、現在のイラク戦争でも判明するが、米英ユ同盟による残虐非道な市民虐殺に対する批判は高まらず、「従軍慰安婦」について声高な批判が罷り通っている変態さであろう。一体、現在進行中のガザの悲劇を何と考えるべきだろうか。本稿のテーマに戻せば、米軍の日本の主要都市無差別大空襲、沖縄戦の悲劇、原爆投下の歴史責任が免責され、「従軍慰安婦問題」が殊更論われるのは、俗に云う片手落ちだろう。 れんだいこが思うのに、こういう史実解明はどんどんやれば良い。だがしかし、今現になされている米英ユ同盟が専ら為している悪逆非道蛮行に対する批判に結びつかなければ、何のために為しているのだということになるのではあるまいか。普通の感性ならそうなるべきところが妙に切断されており、単に「従軍慰安婦問題」が採りあげられていることが胡散臭い。それと、では近代以降の西欧列強による世界の植民地化過程での、従軍慰安婦問題など足元にも及ばない残虐非道の数々をどう総括するのだ。そういう風に聞いてみたくなるのは、れんだいこだけだろうか。 れんだいこ的には、「従軍慰安婦問題で詫びを入れるのもウソ、従軍慰安婦問題で居直るのもウソ」と思う。「従軍慰安婦問題」で詫びを入れるのなら、「従軍慰安婦問題」以上の残虐な皆殺し事件、レイプ殺人事件、その他数々の悪逆非道をどうしてくれるんだと怒鳴ってみたい。 2005.1.16日、2007.3.12日再編集 れんだいこ拝 |
【「中曽根証言」考】 | |
「ウィキペディア中曽根康弘」 は次のように記している。
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これによれば、中曽根は戦時中、海軍主計として慰安所設置に関与していたことになる。してみれば、従軍慰安所施設が設置されていたのは史実だろう。しかし、よりによって、こんなところに中曽根が顔を出すとは。思えば奇妙なもので、戦後首相で唯一人、戦前一平卒として従軍した田中角栄が護憲を云い、戦前高級将校の海軍主計として従軍慰安婦施設を設営していた中曽根が改憲派となっている。中曽根の安逸さが見えてくる話ではないか。それにしても中曽根は悪事には必ず顔を出すな。その中曽根が名首相大勲位としてのさばっている。酷い話しだ。 2007.3.10日 れんだいこ拝 |
【「小野田寛郎証言」考】 | |
小野田寛郎氏の「私が見た従軍慰安婦の正体」が「正論1月号」に掲載されており、それがサイトアップされているので、これを転載しておく。それによれば、慰安婦制度の実態が判明し、全体として商行為として存在しており、奴隷的拘束に基づくものではなかったことが明らかにされている。れんだいこは、これを貴重証言と思い、これをベースに理解すべきではないかと思う。
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【「従軍慰安婦問題提起」考】 | |||
1973年、千田夏光氏が「従軍慰安婦」を著作した。千田氏は、「従軍慰安婦」の歴史的背景として、次のように記している。
千田氏は、1993年の講談社文庫発行「従軍慰安婦」の中では、次のように記している。
1983(昭和58)年、吉田清治氏がか自叙伝「私の戦争犯罪・朝鮮人連行強制記録」を著し、次のような体験証言を発表した。
1989年、この本が韓国語に翻訳され広がった。しかし、韓国の地方紙の女性記者が済州島の古くからの住民と会い、事実関係を調査したところ、吉田氏の自叙伝の信憑性は裏付けられなかった。むしろ、氏が金目的で出版したことが分かった。1989.8.14日、彼女の記事が掲載されたが、地方紙であったため殆ど注目されなかった。 |
【「従軍慰安婦問題で公式謝罪と賠償を求める訴訟提起」考】 | |||
1989(平成1).11.19日、日本の大分市の主婦、青柳敦子氏が、日本政府に「公式謝罪と賠償を求める裁判」を起こし、これを法廷で争うため、証言してくれる女性を捜しに韓国を訪れた。以下、証言者の証言能力を検証する。 最初に現れたのは金学順で、彼女は当初、義理の父に40円で売られ、その義父に日本の売春宿に連れて行かれたと証言した。しかしその後、「義父と北京へ仕事を探しに行き、そこで日本兵に連れて行かれた」と証言内容を訂正した。いずれにせよ、当時、内地でもあった気の毒な「身売り」の話であって、国家による組織的な強制連行とは関係なかった。 韓国のソウル大学の安垂直教授は、彼がコンタクト出来た40人以上の女性の証言を検討した所、半数以上の証言は矛盾していたり、時代背景と違っていたり、事実を歪められていたと語っている。彼はそのうち19人の証言をまとめて発表している、その内日本軍に強制されて慰安婦にさせられたと言っているのは4人に過ぎなかった。しかもその内の一人は釜山で働いたと言い、他の一人は富山で働いたと述べたが、釜山にも富山にも軍の慰安所はなかった。 残る2人の内一人が金学順であり、今一人は文玉珠。文玉珠は、日本政府に対する訴訟で、慰安婦であったことを自ら明らかにし、「私は無理矢理に慰安所に連れて行かれて慰安婦にされました」と告発した。同女は当初は、娼婦として売られたと主張していた。 |
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「奪われた記憶を求めて 元日本軍「慰安婦」沈達連さんの強制連行の現場から」は、「姉と一緒に拉致・誘拐された沈連蓮さん(69歳)の強制連行の証言」をルポしている。それによると、姉妹はある日、赤い腕章をした兵隊に突然手を捕まれ、幌をかぶせた一台のトラックに乗せられ、抵抗したが無駄であった。強制連行された女性は船に乗せられて海を渡り、20人ずつに分けられたと証言している。 「慰安所」での生活について次のように語っている。
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【朝日新聞が従軍慰安婦問題を採り上げる】 |
1991(平成3)年、朝日新聞は、この年から翌年にかけて4回にわたり「従軍慰安婦問題」を報道した。1991(平成3).8.11日、社会面トップで「思い出すと今も涙」、「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」とのタイトルで、概要「日中戦争や第二次大戦の際、女子挺身隊の戦場に連行され,日本軍人相手に売春行為を強いられた朝鮮人従軍慰安婦のうち、一人が名乗り出た」と報じた。 |
【1990年代初頭、訴訟が相次ぐ】 |
1991.12月、元従軍慰安婦だったという複数の韓国人女性が名乗り出て、過去を語り始めた。この頃より、日本の植民地主義・侵略による犠牲者の側から、日本の謝罪と補償を要求する訴訟が東京の裁判所に数十件なされている。訴えた人は、従軍「慰安婦」、南京などの大虐殺の犠牲者たち、戦時徴用から生きて帰った人たち、そして日本が中国で使用した生物学的・化学的攻撃の犠牲者およびその家族たちであった。 |
【1990年代初頭、従軍慰安婦問題への直接関与を示す証拠書類が発見される】 |
この頃、中央大学の吉見義明教授は、防衛庁(現防衛省)の図書館に足を運び、2日間の調査で日本政府による従軍慰安婦問題への直接関与を示す証拠の書類を発見した。吉見教授によれば、旧日本軍が前線部隊のために慰安所を設置する命令を下した関係書類を、偶然、発見したのは1980年だったと語っている。書類には、中国北部を占領する旧日本軍の参謀が、慰安所の設置を求める内容が記されてた。旧日本軍兵士が、中国女性に性的暴行を加え、現地住民の怒りを買うことを避けることが目的だったという。一部の歴史家によれば、終戦までに約20万人の女性がアジア各地の慰安所で慰安婦として働かせられていたとも言われる。 |
【朝日新聞が、従軍慰安婦問題記事を再度採り上げる】 |
1992(平成4)1.11日、一面トップで「慰安所、軍関与示す資料」、「部隊に設置指示 募集含め統制・監督」と報道した。吉見教授の従軍慰安婦に関する研究が紹介されていた。翌日、政府が、この問題の調査に乗り出すことを約束した。 朝日新聞は、この問題を取り上げる記事の中で、彼女らの最初の証言である「娼婦として売られた」云々のくだりの重要証言を報道しなかった。同社は、この歪曲報道に対し居直っており、「吉田清治の告白の嘘」についても沈黙している。 朝日新聞の記事は、宮沢首相訪韓のわずか5日前に発表されたことにより、ソウル市内では抗・糾弾のデモ、集会が相次ぎ、日の丸が焼かれるなど扇動記事効果を発揮した。 |
【「宮沢首相が日韓首脳会談で謝罪】 | |
1992(平成4).1.16日、訪韓した宮沢首相は、事実を確認する余裕もなく、首脳会談で8回も謝罪を繰り返し、「真相究明」を約束した。 廬大統領(当時)は、次のように述べている。
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【国連人権委員会に直訴される】 |
1992(平成4).2.17日、宮沢首相の訪韓直後のこの日、日本弁護士連合会の戸塚悦郎弁護士が、国連人権委員会で、慰安婦を人道上の罪と位置づけ、国連の介入を求める発言をした。慰安婦問題を国際スキャンダルに仕立てようとするアプローチが展開されたことになる。 |
【「日本政府の調査」考】 | ||
その後、日本政府は、独自の調査を勧めていくが、「強制連行はなかった」とする報告書を纏める結果となった。この発表のために、政府はおおがかりな文書調査と、元慰安婦への聞き込みを行った。この調査を実施した平林博・外政審議室室長は、1997(平成9).1.30日、参議院予算委員会で、片山虎之助議員(自民党)の質問に対し、次のような答弁をしている。
この判断の過程について、当時、内閣官房副長官だった石原信雄氏は、次のように明らかにしている。
つまり、元慰安婦からの聞き取り調査では充分な裏付けがとられていないと明かされいる。「韓国側の強い要請」のもとで、「納得できる証拠、証言はなかったが強制性を認めた」という政治的判断に基づく決着であったことが証言されていることになる。 |
【「インドネシアでの聞き取り」考】 | |
(この項、転載元不明あしからず)
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【「河野官房長官談話」考】 | ||
聞き取りが終わったのが7.30日。そのわずか5日後の1993(平成5).8.4日、 河野洋平・官房長官が談話で次のように発表された(「河野談話」)。
日本政府は、この河野談話で、「心から」の「お詫びと反省」を内外の関係者に示し、旧日本軍が従軍慰安婦問題に、「直接あるいは間接に」関与した過去を認めた。石原副長官がすかさず軍・官の強制連行の証拠は発見出来なかった、と添えた。同日、宮沢政権は総辞職をした。 |
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「河野官房長官談話」につき、次のような対抗言論がある。これを転載しておく。
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【「従軍慰安婦問題」が教科書に掲載される】 |
「河野談話」は「政府の公式見解」となり、日本政府は、慰安婦が軍によって強制徴集されたことを公式に認めたことになった。これを契機として、中学高校のほとんどの歴史教科書に、「従軍慰安婦」が記述されることになった。平成8.6月末、中学校用歴史教科書の7年度検定結果が発表され、教科書を発行する7社が一斉に「従軍慰安婦」を掲載していることが明らかになった。いずれも、「強制連行」の一環として書いていた。これに対し、平成8年末、「新しい歴史教科書をつくる会」が結成され、「慰安婦」記述削除を訴えた。 |
【「従軍慰安婦問題」が国連に提訴される】 |
「従軍慰安婦問題」が韓国、北朝鮮からアジア諸国に波及し、国連にまで持ち込まれている。国連は南京大虐殺以上の非人道的行為の大問題として近く断を下すための準備を進めている。この問題をマスコミが取り上げ、支援報道している。 1994.3月、 ジュネーブに本部をおく国際法律家委員会が家庭内暴力を主テーマにした会合を開き、クマラスワミ女史が報告書の付属文書で「戦時の軍用性奴隷制問題に関する報告書」と題して、戦前の日本の慰安婦問題を取り上げた。幼い少女たちを含む多数の女性たちが戦時中、日本の軍事施設に監禁されたのみならず、殴打や拷問を受け、繰り返し強姦されたと指摘した。その中で、北朝鮮在住の元慰安婦の証言として、仲間の一人が一日40人もサービスするのはきついと苦情を言うと、ヤマモト中隊長は拷問したのち首を切り落とし、「肉を茹でて、食べさせろ」と命じたなどという話が紹介されている。この元慰安婦は、1920年に生まれ、13歳の時に一人の日本兵に拉致されたというのだが、1933年の朝鮮は平時であり、遊郭はあったが、軍専用の慰安所はなかった。その程度の事実確認もされていない証言が、4例紹介され、その上で日本政府に対し、被害者への補償、犯罪者の追及と処罰を勧告している。戸塚弁護士は、この時にもジュネーブで本岡昭次参議院議員(社会党→民主党)とともに、デモやロビー活動を行っている。報告書は、吉田清治の本や、慰安婦たちの証言を取り上げている。 日本のジュネーブ外務省はこの文書に関する40頁の反論を作成し、根回し工作をしたもようだ。西側諸国代表の間では、クマラスワミ報告書の欠陥が理解されたが、韓国、北朝鮮、中国、フィリピンなどの関係国は立場上、強く反発した。このような攻防の結果、人権委員会では家庭内暴力に関する本文は「賞賛する」という最高の評価を得た一方、慰安婦に関する部分は、take note(留意する)という最低の評価であった。ソウルやマニラ、ジャカルタなど、過去「大東亜共栄圏」に属した多くの都市で、憤慨した犠牲者がぞくぞくと立ち上がり、50年前に彼女たちが体験 したことを語り始めた。韓国(南北)やフィリッピン、中国、タイ、インドネ シアなど各地で女性が名乗り出、自分たちが体験したことを活字や口頭で証言 し始めた。その人数は1997年初め、すでに23,000名に達した。 |
【国連人権委員会が「性的奴隷」規定する】 |
1996.2月、国連の人権委員会は、「慰安婦」を「性的奴隷」と規定し、 この女性たちに日本がおかした行為を「反人道的犯罪」と断定した。この委員会は、日本が犠牲者に補償すること、公訴時効に関係なく責任者を処罰すること、さらに日本は教育課程にこの歴史的事実を含めることなどを勧告(クマラ スワミ勧告)した。 |
【アメリカ司法省の犯罪局が、戦犯と認められる日本人入国「不適格者名簿」を準備したと発表】 |
1996.12月、アメリカ司法省の犯罪局は、戦犯と認められる日本人入国「不適格者名簿」を準備したと発表した。その名簿に入っている(名前 が明らかにされていない)12名中、3名は慰安婦組織に関係している一方、 残り9名は中国で細菌戦を行い、囚人たちを相手に数知れない残酷な罪を犯し たハルビンの「731部隊」関係者とされている。事件後50年たった現在、ワシントンは日本人をナチ戦犯と同じように扱うことに決めたが、これは彼らの犯罪が格別嫌悪すべきものであり、これに荷担した嫌疑がある者は公訴時効の保護を受けてはならないと宣言したことになる。 |
【朝日新聞が特集記事】 |
1997(平成9).3.31日、朝日新聞は、見開き2面を使って慰安婦問題の大特集を組んだ。この時、吉田著作に関し、「間も無くこの証言を疑問視する声が上がった。済州島の人たちからも氏の著述を裏付ける証言は出ておらず、真偽は確認できない。吉田氏は『自分の体験をそのまま書いた』と話すが、『反論するつもりはない』として、関係者の氏名などデータの提供を拒んでいる」と記述し、「真偽は確認できない」と従来記述を修正した。 この特集で、見出しには「従軍慰安婦 消せない事実」、「政府や軍の関与明白」、「無理やりを認める供述/ “指示”“便宜”文書残る」と記しており、軍の強制連行を臭わせている。併せて、「裏を取らずに名乗り出た人の一方的な話だけで『無理やり』と決めつけた」、「軍の関与は強姦防止・性病予防であった」とも書いている。 |
【ゲイ・マクドゥーガル女史が、「元慰安婦への法的賠償を履行する機関の設置」を日本政府に勧告】 |
平成10年8月、ゲイ・マクドゥーガル女史が、旧ユーゴスラビアなど戦時下における対女性暴力問題を調査した報告書を作成したが、その付属文書で、またも慰安婦問題を取り上げ、「レイプ・センターの責任者、利用者の逮捕」と「元慰安婦への法的賠償を履行する機関の設置」を日本政府に勧告した。 慰安所は「レイプ・センター(強姦所)」と改称されている。しかし、これは人権小委員会の勧告としては採択されず、日本政府はマ女史の個人報告書に過ぎない、としている。 |
【米カリフォルニア州上下院が、「大戦中の日本軍犯罪に謝罪と賠償請求決議」を採択】 |
本年8月には、米カリフォルニア州上下院が第二次大戦中に日本軍が行ったとされる戦争犯罪について、「日本政府はより明確に謝罪し、犠牲者に対する賠償を行うべきだ」とする決議を採択した。この「戦争犯罪」には、捕虜の強制労働、「南京虐殺」とならんで、「従軍慰安婦の強要」が含まれている。 カリフォルニア州議会の決議には、アイリス・チャンの「レイプ・オブ・ナンキン」の影響が指摘されている。チャン氏は、中国政府の資金援助を受けたシナ系米人の団体に支援されている。 |
【「従軍慰安婦の実態」考】 |
現在判明しつつあることは次の通り。慰安所は約400カ所存在した。大部分は、1カ所で10人〜20人の女性たちがそこで働いていた。全体ではおよそ4000の〜8000いたことになる。慰安所の労働条件は日本での女郎部屋と同等待遇であった。慰安婦の95%が戦場から生還した。 従軍慰安婦達の高収入については多くの証言がある。1992.5.12日、毎日新聞が、一例として「文玉珠が2年間で2万6千円も貯めた事が、彼女の貯金通帳から明らかになった」と報じている。当時の帝国陸軍大将の年収は約6600円でしたので、その2倍の年収に相当する。尚、当時の2等兵の給料は僅か年間72円にすぎなかった。 |
【「南京攻略戦争時の貴重証言」考】 | ||
「南京攻略戦」時下における「従軍慰安婦問題」に関する貴重な記録が紹介されている。渡辺卯七「第9師団経理部将校の回想・4,南京戦の思い出」参照。概略次のように記されている、とのことである。
中支那方面軍は指揮下の上海派遣軍や第10軍に37年12月1 1日、軍慰安所設置の指示を命じた。これを受けて第10軍の山崎正男少佐は、湖州における軍慰安所の設置について、日記(12月18日)に次のように書いている。
つまり、慰安所は好評であった。 1940年、軍中央は 「軍紀振作対策」をたて、「主として事変地に於て著意(ちゃくい)すべき事項」として慰安施設の「意義」を次のように評価している。 陸密第1955号「支那事変の経験より観たる軍 紀振作対策」(陸軍省、1940)には次のように記されている。
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【「肯定派の吉見教授見解」考】 | |
糾弾派の中心人物である吉見義明・中央大学教授は、岩波新書の「従軍慰安婦」で、次のように述べている。
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【「否定派の藤岡教授見解」考】 | |
藤岡教授は次のような見解を述べている。
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【国会審議】 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
「日本会議」の「慰安婦「強制連行」はなかった」参照 こうした世論を反映して平成九年の通常国会でも、いわゆる「従軍慰安婦」問題についての論議が相次いだ。一部この問題に触れたものも含めると、次のような議員が質問している。 1月30日 参議院予算委員会 片山虎之助議員(自民)・田村秀昭議員(新進) 2月3日 衆議院予算委員会 西村眞悟議員(新進) 2月7日 衆議院予算委員会 栗本慎一郎議員(自民) 2月19日 衆議院文教委員会 池坊保子議員(新進) 3月12日 参議院予算委員会 小山孝雄議員(自民) 3月18日 参議院予算委員会 板垣 正議員(自民) 特に片山虎之助議員、小山孝雄議員、板垣正議員による質問によって、重要な政府答弁が相次いで引き出された。まず、片山議員は次のように追及した。
平林博外政審議室長は次のように答弁している。
調査は〈資料〉と〈証言〉に基づいてなされたが、〈資料〉には、軍や官憲が「強制」連行を行ったことを示す記述は一切なかった、ということがこの答弁で明らかになった。そこで片山議員は、〈資料〉すべての公開を求めたところ、政府はこれを了承した。 それでは、「総合的に判断した結果」とはいかなることを意味するのか。〈証言〉が「強制」を裏付けたということなのか。この点を鋭く追及し、画期的な答弁を引き出したのが、公開された政府資料のすべてを調査するなど万全の準備を整えて質問に臨んだ小山孝雄議員であった。平林博外政審議室長が答弁した。
次のように評されている。
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【石原信雄元官房副長官発言】 | |||||||||||
この点について産経新聞(平成九年三月九日付)のインタビューの中で、当時、「河野談話」作成に直接関わった石原信雄元官房副長官はこう述べている。
次のように評されている。
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【河野太郎氏の「いわゆる河野談話について」】 | |
これにつき、当時の河野洋平・官房長官の子息にして後継者の自民党国会議員・河野太郎氏が2012.8.31日付けブログで「いわゆる河野談話について」を発表している。これを転載する。
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【フランスの文学者ロベール・フォリソンの言】 | |||
1980年にフランスの文学者ロベール・フォリソンが述べ た言葉をとりあげよう。
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【参考文献】 |
参照 上杉千年著『検証従軍慰安婦』(全貌社) 参照 小林よしのり『新ゴーマニズム宣言3』(小学館) 従軍慰安婦強制連行捏造報道 ■ 参考 ■ 1. 「慰安婦の戦場の性」、秦郁彦、新潮選書、H11.6 2. 「闇に挑む!」、西岡力、徳間文庫、H10.9 3. 「慰安婦強制連行はなかった」、太子堂経慰、展転社、H11.2 4. 「歴史教科書への疑問」、日本の前途と歴史教育を考える 若手議員の会編、展転社、H9.12.23 5. 「日本人が捏造したインドネシア慰安婦」、中嶋慎三郎、 祖国と青年、H8.12 6. 「従軍慰安婦」、吉見義明、岩波新書、H7.4 7. 産経新聞、H11.08.27 東京朝刊 4頁 国際2面 |
「★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK143」のあっしら氏の2013.2.15日付け投稿「[資料]平成4年加藤談話・平成5年河野談話・平成7年村山談話など」を転載する。
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【2013慰安婦問題を廻る橋下大阪市長発言物議考】 | ||||||||
2013(平成25).5.13日、日本維新の会の橋下徹共同代表(大阪市長)が、従軍慰安婦問題について次のように発言をした(「日本経済新聞の2013.5.17日付け慰安婦問題などを巡る橋下氏の主な発言」転載)。後日の証の為に保存しておく。
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