【ハンキー卿の「戦犯裁判の錯誤」】


 (最新見直し2011.8.31日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「ハンキー卿の「戦犯裁判の錯誤」」をものしておく。


ハンキー卿の「戦犯裁判の錯誤」
 「ハンキー卿の『戦犯裁判の錯誤』」。
 1952年(昭和27年)4月28日、サンフランシスコ平和条約発効。日本は晴れてGHQからの独立を回復しました。しかし、、、引き続き1,224名もの日本人および戦時中日本国籍だった朝鮮人・台湾人がA級及びB・C級戦犯として服役しなければならなりませんでした。それを知った国民は驚きました。講和条約が発効したのに何故敵国に裁かれた同胞たちは釈放されないのか?そのような疑問から、戦争裁判(東京裁判)に対する国民の関心は一気に高まったのです。そこに火をつけたのが、ハンキー卿の『戦犯裁判の錯誤』でした。時事通信社の社長である長谷川才次の訳で出されたこの本は、独立直後の昭和27年(1952年)10月に日本語訳が出版され、大きな反響を呼んでいました。実は占領中は、GHQの検閲によって東京裁判批判は一切禁じられていました。したがって、終戦からもずっと東京裁判を肯定する本(つまり、「日本が一方的に悪いんだ!」という本)しか出版されていませんでした。しかし、GHQが日本から去り、言論の自由を回復するや、東京裁判を日本人の立場から批判する書籍が徐々に出版されるようになったのです…

 同年11月27日、東京裁判を否定する国会決議も行われ、この提案の趣旨説明に立った田子一民議員はこのハンキー卿の『戦犯裁判の錯誤』を引用してこう述べました。
 戦争犯罪の処罰につきましては、極東国際軍事裁判所インド代表パール判事によりまして有力な反対がなされ、また東京裁判の弁護人全員の名におきましてマツカーサー元帥に対し提出いたしました覚書を見ますれば、裁判は不公正である、その裁判は証拠に基かない、有罪は容疑の余地があるという以上には立証されなかつたとあります。(中略)英国のハンキー卿は、その著書において、この釈放につき一言触れておりますが、その中に、英米両国は大赦の日を協定し、一切の戦争犯罪者を赦免すべきである、かくして戦争裁判の失敗は永久にぬぐい去られるとき、ここに初めて平和に向つての決定的な一歩となるであろうと申しておるのであります。かかる意見は、今日における世界の良識であると申しても過言ではないと存じます。(拍手)
 (「官報号外」昭和27年12月9日)
 アメリカの原爆投下という非人道的な攻撃でしぶしぶ敗戦を受け入れた日本人は、この言葉に大いに共感し、
拍手を送ったのです。 改進党の山下春江議員も国会決議の趣旨説明のなかで、東京裁判を「文明の汚辱」とまで非難しました。(「官報号外」昭和27年12月9日) 東京裁判を批判したのは何も保守政治家だけに限りません。決議採択に際して日本社会党の田万廣文議員や、同じく日本社会党の古屋貞雄議員も、東京裁判を批判したのです。(ともに「官報号外」昭和27年12月9日) 革新を標榜していたとは言え、社会党代議士もまた、原爆投下という非人道的行為には、一国民として怒っていたのです。「文明」の名のもとに敗戦国を一方的に裁いた戦勝国の「正義」を唯々諾々と受け入れるほど、「卑屈」ではなかったのです。たしかに、占領軍は約7年間にわたって日本軍の残虐さを宣伝し、日本人に「日本=悪者、アメリカ=正義」ということを刷り込もうとしました。しかし、当時の日本の政治家の多くはそれらの敵国の宣伝を鵜呑みにはしませんでした。身内があまりにも理不尽に殺され、苦痛を受けているのに、GHQの宣伝を「はいそうですか」と簡単に認めるはずがなかったのです…

 
しかし、60年安保騒動に始まる反米親ソの革新勢力が台頭したころから、世の中の雰囲気がガラリと変わってきました。日本も「革命前夜」の様相を呈してゆくようになったのです…このため、「東京裁判否定」の熱意を受け継ぐべき保守政治家たちは、アメリカとの協調・友好を重視するようになりました。「アメリカの戦争責任をこれ以上追及することは反米につながりかねない」として、東京裁判否定論をトーンダウンさせたのでした、、、一方、革新勢力は、ソ連・中国の歴史観に強い影響を受けながらマスコミや日教組との協力体制を強めました。マスコミ・日教組が先陣を切って、“東京裁判史観”の普及に、努めることになったのです、、、こうしてマスコミや革新勢力の支援の中で、一方的な東京裁判史観は刷り込まれていくようになりました。GHQの協力を得て結成した日本教職員組合(日教組)が、GHQの「戦争犯罪周知宣伝計画」に基づいて作成された「歴史教科書」を使って歴史授業をどんどん行うようになりました。アメリカの「従属政権」を、日本で樹立しようとするGHQの意図は、じわじわと日本の若い世代に浸透していくこととなったのです、、、そしていつしか東京裁判批判の本は顧みられることがなくなりました。「保守」を名乗る人たちすらも「アメリカとの関係を壊すわけにはいかない」と真実から目を背けるようになったのです、、、そこで、戦争を体験した日本人が怒りを共感し話題にした書籍を復刻しました。それだけ話題になっていながら、今日に至るまで不思議なほどに復刻版が出されることもなかった、ある意味不気味な本です…しかも、現在、Amazonや古書店でも手に入らないほど希少な本です… ですが、本書を読めば、「日本はアジアに迷惑をかけた」、「日本は野蛮な侵略国家だった」、「中国・韓国に謝罪し続けなければならない」といった言説を作った東京裁判がいかに戦勝国のインチキに塗れていたかということがよくわかるでしょう…詳しくは以下の通りです。

裁判と侵略
第一次大戦における戦争犯罪 …… 三
第二次大戦における戦争犯罪 …… 一三
侵 略 …… 一八
古代の先例 …… 一九
敵の記録 …… 二一
ソヴェト・ロシアの記録 …… 二四
ポーランドの記録 …… 二五
フランスの記録 …… 二五
イギリスの記録 …… 二六
定義についての不一致 …… 三一
管 見 …… 四三
無条件降伏の政策
チャーチル氏の態度 …… 五五
スターリン元帥の態度 …… 五八
方式の意味 …… 五九
ローマ史における無条件降伏 …… 六三
イギリスの歴史 …… 六四
南アフリカ戦争 …… 六五
第一次大戦 …… 六六
イタリアと第二次大戦における無条件降伏 …… 六九
ドイツと無条件降伏 …… 八〇
日本と無条件降伏 …… 八一
原子爆弾 …… 八二
期待された利益 …… 八四
ドイツの戦犯裁判
裁判の起源 …… 九九
見当違いの政策とその結果 …… 一〇〇
裁判の影響 …… 一〇二
将来への先例 …… 一〇六
軍事的先例 …… 一〇八
裁判所の証拠 …… 一一四
法廷の歴史への挑戦 …… 一一六
ノールウェイ
計画の段階 …… 一二九
準備の段階 …… 一三二
同盟国の計画の拡大 …… 一三五
危機の切迫 …… 一三六
危 機 …… 一三八
備 考 …… 一三九
東京裁判
書類の発表 …… 一四九
共同謀議 …… 一五四
重光
侵略戦争の共同謀議 …… 一六一
侵略戦争の遂行 …… 一六二
捕 虜 …… 一七一
捕虜に対する東条の責任 …… 一七四
重光の法律的、道義的責任 …… 一七八
事態を是正しようとした重光の努力 …… 一八〇
大法官の答弁 …… 一八五
日本戦犯裁判の終結 …… 一八九
結 語 …… 一九〇
東京の余波
弁護団の抗議 …… 一九四
日本との関係――再審査 …… 二〇六
過去・現在・将来
ラッセル・グレンフェル海軍大佐の「侵略」 …… 二一四
バランス・シート …… 二一六
主張された利点 …… 二一八
他の主張 …… 二二四
侵略戦争についてのパル判事の見解 …… 二二九
ソ連判事の影響 …… 二三三
スターリン元帥の『わが闘争』 …… 二三四
ソ連の感情 …… 二四二
将 来 …… 二四六
原著者のあとがき …… 二五一
訳者あとがき …… 二五五








(私論.私見)