【マニラ軍事裁判考】
(最新見直し2006.2.2日)
(れんだいこのショートメッセージ)
マニラ軍事裁判考
マレーの虎、山下奉文履歴考
次に本間雅晴将軍。1945.12.7日に山下に対して判決が下されて間もなく、マニラの法廷は、本間将軍に対する訴訟手続きを取り始めた。彼は、1942年にパターンの死の行進が起ったとき、フィリピンの総司令官であったことによって裁判にかけられた。射撃小隊の前で銃殺刑を執行する判決が言い渡された。「あらかじめ判決が用意されている変則的な裁判」となった。1946.4.3日判決通りに処刑された。
(私論.私見)