2008.12.13日 れんだいこ拝
れんだいこの特攻隊兵士の手記、遺書考 |
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、「れんだいこの特攻隊兵士の手記、遺書論」を書きつけておくことにする。「神風特別攻撃隊」その他参照する。
2008.12.13日 れんだいこ拝
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れんだいこのカンテラ時評bP111 投稿者:れんだいこ 投稿日:2013年 3月 2日 |
れんだいこの特攻隊兵士の手記、遺書考その1、はじめに 2008.12.13日、大東亜戦争末期に登場した特攻志願戦没兵の遺稿を読みたくなった。ふとした気づきから戦後学生運動の活動家のメンタリティーと戦前の特攻兵士のそれを比較してみたくなったからである。これが案外為されていないのではなかろうか。大いに興味の湧く課題であると云うのに。れんだいこ的には、両者は、そのメンタリティーに於いて案外似ているのではなかろうかと思っている。 日本左派運動の理論が、れんだいこから見て学生運動活動家と同じようなメンタリティーを持つ特攻兵士の生きざまを否定するのは、どういう了見によってであろうか。そこが解せない。れんだいこは、特攻兵士の生きざまを強く否定すればするほど左翼的と思う「学び」方に食傷している。こういう連中はアンネの日記に涙し、ホロコーストと南京大虐殺事件を糾弾しヒューマニストを気取る。陰謀論を批判して得意がる。 そういう構図全体が臭い。何か拵えられた安上がりの論に過ぎないと思う。そういうテキストに被れなかった我が身を感謝すれども逆に思うことはない。これは、れんだいこ式国体論を得てから痛切にそう思うようになった。これについては「邪馬台国論、同論争のもう一つの意義について続」で素描した。既存の歴史観は学べば学ぶほど馬鹿にはなっても賢くなることはない。現にそういうバカインテリが大量に生産されている。この潮流に棹さすのは困難ではあるが、いつの日にか岩穴を開けねばならない。 もとへ。2013.02.27日、通りがけさんから、れんだいこブログ「補足・小林多喜二の妻・伊藤ふじ子、多喜二研究家・手塚英孝考」のレスとして「大西瀧治郎中将特攻作戦の真意」の転載が送られた。引用元「修羅の翼」(角田和男著)とある。何の因果関係があってのことか分からない。恐らく因果関係はないのだろうと思う。初見のれんだいこは次のようにレスした。「通りがけさんちわぁ。良い情報です有難う。サイトに取り込んだら報告します」。早速にサイト「特攻隊史」を作り、「大西瀧治郎中将特攻作戦の真意」を取り込んだ。これを機会に「特攻隊兵士の手記考その1」を書き直した。まだまだ不十分なものであるが、以前のものより相当詳しくなった。通りがけ氏のお目に叶うだろうか。今後も充実させていきたいので諸氏よりの情報を求めたい。 「別章【兵士の手記、遺稿集】」 (rekishi/daitoasensoco/heishinosyukico/ heishinosyukico.htm) jinsei/ |
れんだいこのカンテラ時評bP112 投稿者:れんだいこ 投稿日:2013年 3月 3日 |
れんだいこの特攻隊兵士の手記、遺書考その2、遺書の改竄は許されるのか 「特攻隊兵士の手記考その1」を書き直す過程で読み直し目頭が熱くなった。「れんだいこの特攻隊兵士の手記、遺書論」を書きつけておこうと思い立ち本サイトを設けた。その前に一言しておく。以前、次のように書きつけていた。 「特攻志願戦没兵の遺稿がネット上にサイトアップされていない。例の著作権何がしが関係しているのだろうか。更に、サイトアップされていても閲覧できないサイトが多い。開くといきなり『警告 危険なウェブサイト表示」に出くわす。「ウイルスバスター2007 このWebサイトには、有害情報が含まれている可能性があります。安全のため、このWebサイトへのアクセスをブロックしました』と記されている。仮に『特攻隊』で検索すれば殆どこの表示で開かない」。 こう書きつけたのは2008.12月頃であり、あれから5年後の2013年現在では随分改善され、多くの関連サイトが出現している。これは結構なことである。但し、中には特攻隊兵士の手記、遺書の読みとりに於いて余計な世話だろうに戦後の価値観からコメントを付し、真価を毀損しているものも見受けられる。「れんだいこの特攻隊兵士の手記、遺書論」はこれに抗するものである。 もう一つの問題がある。戦没学生の遺稿集「きけ わだつみのこえ」が旧版、新版と発刊されているが、原文が著しく毀損されていると云う。戦後の反戦平和価値基準で判断し、皇国精神を称揚したものは採録していないか書き換えられていると云う。れんだいこは今のところ読んでいないので「云う」としか書けない。機会があれば実際を確認しようと思う。もし、「きけ わだつみのこえ」が戦没学生の遺稿を改竄しているとしたら、それは筆者に対する冒涜甚だしいお節介というべきではなかろうか。著作権法上からも許されることではあるまい。文章はその時代を映す鏡であり、そのまま読み取られるべきである。如何なる理由をつけようとも改変は許されまい。 このお節介焼きの側は、特攻兵士の犬死云々を指摘し、この観点から特攻兵士の悲劇を見ようとしている気配が認められる。しかし、特攻兵士の遺書をご都合主義的に改竄して取り扱うことこそが兵士を犬死にさせているのではあるまいか。史実としての特攻兵士の果たした役割については後で論じようと思うが、是非はともかく犬死ではなかろう。我々は、その時代の、その戦争の不条理を認めながら、お国の為に散華して行った兵士の慟哭をありのままに聞くべきではなかろうか。 そう思うのだが、彼らの肉声がご都合主義的に仕分けされ、粛々と挺身した者の聖戦論に限りお目にかかりにくい仕掛けにされている。これは決して偶然ではなかろう。しかし、誰が何の為にこのようなことをするのであろうか。ここを詮索する必要があろう。こういう場合、れんだいこのセンサーが発動する。これはオカシイ。構わネェ、やっちまえ。只今より「原文 特攻戦没兵士遺稿集」の編纂にとり掛かることにする。と云う訳で「特攻隊兵士の手記考その1」が生れた。こたび、これを書き直したことは冒頭に記した通りである。 jinsei/ |
れんだいこのカンテラ時評bP113 投稿者:れんだいこ 投稿日:2013年 3月 3日 |
れんだいこの特攻隊兵士の手記、遺書考その3、特攻隊兵士の覚悟について 「れんだいこの特攻隊兵士の手記、遺書論」の要諦は次の主張にある。「特攻隊兵士、出陣学徒戦没学生の手記、遺書の手記、遺書」等は、「戦死された方々の御冥福を祈り。同じ過ちを二度と繰り返さないことを誓います」的に読まれるのを通常としているが、そういう読まれ方も結構ではあるが、それは半面のものでしかないのではなかろうか。 もう一つの読み方として、「戦死された方々の御冥福を祈り。彼らが国と民族に身を捧げた熱い思いに涙せねばならない」のではなかろうか。れんだいこが素直に読めば、時局に泣き命を国に捧げた慟哭の遺書として胸に響くものがある。我々は、これをありのままに読み語り継ぐべきではなかろうか。 姿勢として、「同じ過ちを二度と繰り返さない」は従であり、「国と民族を思った故の捨身の技に対する畏敬」を主とすべきではなかろうか。抽出すべきは、母国愛と不戦の誓いではなかろうか。そうであるところ「反戦平和の不戦の誓い」の側からのみ評しようとするのは如何なものだろうか。彼らが日本を愛し身命を賭した母国愛を感じ取り、その後の日本人としての我々の現代的な引受責任問題へと繋げていくべきなのではなかろうか。 云わずもがなのことながら、特攻隊兵士の死を安易に耽美することであってはならない。もしそれをするなら、彼らが殉じた戦争の歴史的意味、意義の解明を求めた大東亜戦争論を構築し、聖戦であったことを確認してからでなければロジックが合わない。しかしてそれはかなり高度な歴史眼、歴史観を要する。おいそれとできるものではない。 そもそも当時の兵士たちは大東亜戦争論を得心して戦争に殉じたのではない。時局に流されつつ「止むに止まれぬ大和魂」として死地に赴いたのが実相であろう。そういうものを安易に美化賛美することはできまい。聖戦論に於いてではなくむしろ歴史の不条理を我が身に引き受けねばならなかった悲しみを見て取るべきだろう。 そういう意味において既成の「反戦平和の不戦の誓い」の側からのものも、耽美派からのものにも首肯できない。これが、「れんだいこの特攻隊兵士の手記、遺書論」を生み出し書きつけねばならない理由である。 我々は、彼らの純情を何とお粗末にして来たことだろうか。それを反省せねばならない。れんだいこが今思うに、戦後民主主義の戦前批判論、特に軍部批判論の下で、「特攻隊兵士の手記、遺書」の意味と意義が意図的に掻き消されたのではなかろうか。あるいは不当に貶められあるいはその反発として無条件称賛し過ぎてきたのではなかろうか。思うべきは、そういう論を生む戦後民主主義論の薄っぺらさ、それに抗する反戦後民主主義論の薄っぺらさである。真に見るべきは、戦後民主主義論に内在している戦勝国側都合の仕掛けではなかろうか。 戦後民主主義は、戦前の統治体制との比較においては善政的なものである。故に否定すべきものではない。れんだいこが主張したいことは、戦後民主主義が衣の下に付けている戦勝国側の鎧(よろい)である。この鎧を見ずの戦後民主主義論は児戯的なものである。と心得るべきところ、戦後民主主義礼賛者、その批判者の何と軽薄なことだろうか。それらの論は俗に味噌と糞とをごちゃ混ぜにしていやすまいか。これにより、本来ならばありのままに評価されねばならない特攻隊兵士の生きざまを毀損してきたのではなかろうか。 「特攻隊兵士の手記、遺書」の値打ちはどこにあるのか、これを確認しておく。これは、当時において読み解くのと今日において読み解くのとの二通りあると思われる。れんだいこは、当時において読み解くことはできないので、当時において読み解いたかのような気分を大事にしつつ今日において読み解いてみたいと思う。 云えることは、「特攻隊兵士の手記、遺書」が、今日のガン患者末期の終末医療の局面での辞世句以上に緊迫した、本来死す必然性のない、且つ咎のない者が死を見据え、死に就く覚悟論であることである。こういうものは世に滅多にあるものではない。そういうものが遺されていることを大事にせねばならない。 それにしても、特攻隊員は二十歳前後の壮健士ばかりである。手記、遺書の文面から窺うのに今日の日本人よりよほど高等な教育を受けており、精神性が高いことが分かる。そういう面からも戦後日本の在り方に於いて何かと反省を迫っているのではなかろうか。 jinsei/ |
れんだいこのカンテラ時評bP114 投稿者:れんだいこ投稿日:2013年 3月 3日 |
れんだいこの特攻隊兵士の手記、遺書考その4、遺書は検閲済みのヤラセなのか、自爆志願は強制なのか 特攻隊兵士の遺書の検閲性を疑い、ヤラセ書き込みを見て取ろうとする論がある。次のように述べられている。
俗耳に入り易い言である。こう云っている当人は至極マジメに述べているつもりなのだろうが、申し訳ないが特攻隊員の「無私無償の死」を却って愚弄しているのではあるまいか。確かに特攻隊を生み出した背景に軍部の下級兵士生命軽視の面も見て取れる。しかし、それを甘受した精神構造の方にも注目したい。この辺りは主観の相違になろうが、れんだいこは武士道的腹切りに似た死地に赴く潔さの方にこそ注目したい。 下手な勘ぐりで、遺書に検閲の線を読みとる暇があるなら、命令拒否者の武勇伝を探した方が早いと申し上げておく。捜せばそういう例もあろうが、事態を呑みこみ粛々と時局の要請に従った事例ばかりではなかろうか。一例、二例を挙げて全体の構図を覆すのは無理だろう。 検閲を言うのなら、「きけ わだつみのこえ」の遺書の選択、原文書き換えの方の検閲にこそ目を向けるべきではなかろうかと思う。それこそ検閲そのものだろうが。当時の時代状況における母国愛祖国愛に向けての特攻隊員の自主的な「無私無償の死」を真摯に受け止めるのを我々の態度と為すべきではなかろうか。「遺書の検閲性を疑い、ヤラセ書き込みを見て取ろうとする論」の下手な受け取りようマジメさが決してマジメでも何でもないと云うことを指摘しておきたい。 れんだいこが特攻隊兵士の手記、遺書を読みとるのに、遺書も自爆志願もあながち強制的とみなすべきものではない。遺書は自主的なものであり、死を前にした真情を吐露したものである。その真情吐露に軍部の容喙があったと見なすのは越権だろう。特攻死は「非常事態に採用された異常な出来事」ではあるが、時代の渦に巻き込まれたものなのではないのか。見て取るべきは歴史の不条理ではなかろうか。 彼らの自爆死を批判する者も称賛する者もいる。両論あり得ようが彼らの純情を否定できまい。これにつき次のように評されている。
実にそうではなかろうか。以上を、「特攻隊兵士の手記、遺書に見える覚悟論について」とする。 jinsei/ |
れんだいこのカンテラ時評bP115 投稿者:れんだいこ 投稿日:2013年 3月 3日 |
れんだいこの特攻隊兵士の手記、遺書考その5、家族への思いやりについて 次に、「特攻隊兵士の手記、遺書の肉親及び家族に対する思いやり論」を見ておく。これにつき、特攻隊兵士が目前に死を控えた際の遺書には共通して、死にきれない中を死んでいく者の気がかり、最後の訴えが記されており、目頭が熱くなる。時代の不条理、それを踏まえた慟哭が伝わって来よう。これを女々しく伝えた者、几帳面に伝えた者、勇ましく伝えた者、残された家族への思いやりを伝えた者等々百人百様の書きつけを遺しているが、透けて見えてくるのは「肉親及び家族に対する熱い思いやり」である。 この思いを聞くにつけ、戦後日本の肉親及び家族の絆の緩みが逆に知れることになる。かの当時の日本には、かような絆が常態として形成されていたのだろうか、それとも凝縮した感概故にとりわけ熱く語られているものなのだろうか。れんだいこは、戦前日本の絆の強さの方を見てとりたい。してみれば、戦後日本は、敗戦国の哀れさで、家族の紐帯を意図的故意に弱めさせらたのではなかろうか。その代わりのものとして、猫も杓子も拝金主義のトリコにされるよう教育されてきた、現にそう教育されつつあるのではなかろうか。 もとより、戦後日本人が一挙に金銭亡者にされた訳ではない。戦後式学問テキストの習熟に秀でた者が優先的にそのような教育を受け、いわば近代的個人主義のワナに嵌まり、そういう者が立身出世し、「我さえ良ければ」式の立身出世御礼奉公として「上からの金銭亡者教育」に一役買っている。そういう時代になった。 そういう中で、多くの日本人は伝統的秩序を保ち、戦後日本の毒気に毒されず、時代の流れに棹さしながら家族の絆、地域の絆、国との絆を確かめつつ今日まで生き延びているのではなかろうか。それは日本人の極めて健全なDNAであり、もっと誇りにすべきではなかろうか。 この目線から見れば、戦後民法の長子相続否定の均等相続規定も必ずしも善政のものではない気がする。本来であれば、諸々の財産の均等相続は是としても家族が共に過ごした親の本家相続は非課税にすべきで、そうであればくだらぬ揉め事は起こらないのに起るように仕組まれている気がする。 日の丸君が代の国旗掲揚国歌愛唱問題も然り。重要儀式に拝するのは良いと思うが、一切拒否するか、のべつくまなく拝礼するのかを廻って不毛無駄な対立をしている。日の丸、君が代の原義を知り思いを馳せれば、それは左のものでも右のものでもなかろうに政争の道具と化している。 無駄な対立ついでに云えば、話しがどんどん飛ぶが、天下り問題然り。我々が批判しているのは天下り自体ではない、天下りによる高給与待遇であり高額退職金のウグイスの谷渡りである。そうであるのに天下り自体の是非論にうつつを抜かし、事態は少しも変わらぬどころか却って悪化している。 一票の格差問題然り。一票の格差を単に票数問題にして行けば都会の議員数が増えるばかりとなるのに、正義ぶった一票の格差違憲訴訟が相次いでいる。「一票の格差」は、議員選出区の有権者数、選挙区面積、選挙区の産業力等々の複合的見地から定められるものであろう。そうすれば「都会の議員数が増えるばかり」が是正され、「都会の議員数が増えるばかり」こそ憲法違反と云うことになるだろうに。 もとへ。「肉親及び家族に対する熱い思いやり」を致しながら死地に赴いた兵士の心配に対し、残された家族はどのように報われたのだろうか。地域と国家に守られたのだろうか。戦後は何でも権利万能の世の中になったが、特攻兵士の遺族は、「無私無償の死」を選んだ特攻兵士に似て案外とひっそりと世に耐えて生きたのではなかろうか。そういうことが気にかかる。以上を、「特攻隊兵士の手記、遺書の肉親及び家族に対する思いやり論」とする。 jinsei/ |
れんだいこのカンテラ時評bP116 投稿者:れんだいこ 投稿日:2013年 3月 3日 |
れんだいこの特攻隊兵士の手記、遺書考その6、「悠久の国体大義に殉ず」 次に、「特攻隊兵士の手記、遺書の国体論(「悠久の国体大義に殉ず」)」を見ておく。ここは、「きけ わだつみのこえ」が旧版、新版等が注意深く検閲している下りであるので特に留意を要する。れんだいこ理解によれば、特攻隊兵士の覚悟も、遺書の肉親及び家族に対する思いやりも、この国体論に収斂されており、いわば特攻隊兵士の最も琴線に触れる部分ではなかろうか。これを理解するのは非常に難しい。そういうテーマである。 国体論を皇国論と同視して国家強制による犠牲死とみなす向きがあるが、それも然りではあるが、それだけでは納まりきれないのではなかろうか。こう理解しないと解けない。特攻隊兵士の胸中は皇国論で占められていた場合もあろうが、れんだいこの見るところ、それだけではない。特攻兵士は、その心情に於いて国体論の幅域まで含めて愛祖国愛民族していた故に粛々と戦地に赴いていたのではなかろうかと思われる。これを特攻隊兵士の手記、遺書で裏付けるのは難しくない。仮に「悠久の国体大義に殉ず」を記さない遺書が殆どだとしても、自明として敢えて記さず覚悟論と思いやり論のみ記していると窺うことができる。何より死地に旅立っていること自体が「悠久の国体大義に殉ず」に生きたことを裏づけているのではなかろうか。 かくて、「特攻隊兵士の手記、遺書考」の真価は国体論の精査へと向かうことになる。これにつきキモの部分ではあるが本稿では割愛する。国体論の重要性が分かれば良い。もとより国体論は論者によってまちまちであり、非常に高度な問題である故に安逸な論を打ちあげる訳にはいかない。 云えることは、れんだいこ眼力によれば、「日本の国体」は日本史上の大和王朝の御世に確立された天皇制よりももっと古い。それ故に「悠久の大義」とされているものである。それは恐らく、大和王朝前の邪馬台国、その前の出雲王朝、その前の縄文時代日本、その前の日本語の原語となる和語が形成され始めた時より、あるいはその前から続く連綿とした日本精神にして政治論なのではあるまいか。 それは決して好戦的なものではない。むしろ逆に平和的協調的即ち和合的なものである。なお且つ日本式神人和楽的にして人間と自然との共生に重きを置く今日にも通用するかなり高度なものと窺う必要がある。明治維新以来の近代的天皇制は、そうした日本の悠久の国体史に相対させてみればかなり歪んだものである。皇国史観とは、その歪みを歪みとせず形成された好聖戦イデオロギーである。よしんば特攻隊兵士がそのような認識に立てなかったのは時代の檻の中で育てられた故にであり致し方ない。しかしながら彼らが見ていたのは皇国史観ではない、やはり「悠久の国体大義」だったのではなかろうか。 万葉歌人・大伴家持の古歌から採られている「海ゆかば」の歌詞を見てみよう。「海ゆかば水漬くかばね 山ゆかば草むすかばね 大君の辺にこそ死なめ かえりみはせじ」。本居宣長の和歌「 敷島の大和心を人問はば 朝日に匂ふ山桜花」、山鹿素行語録「人は難にのぞみ危うきに至りては、義を忘るる事多し。死生存亡に於いても変ぜざるは、まことの義士といふべきなり」、吉田松陰語録「身はたとひ 武蔵野野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂」、名句「かくすればかくなるものと知りながら、やむにやまれぬ大和魂」、高杉晋作と野村望 東尼の辞世句「おもしろき こともなき世を おもしろく 住みなすものは 心なりけり」。これらは皆な日本の国体に思いを馳せたものである。特攻兵士も、このようなメンタリティーに誘われて「悠久の大義に殉じた」のではなかろうか。 その彼らの絆が御承知の「同期の桜」(作詞・西條八十、作曲・大村能章)である。これを確認しておく。この歌の凄みは、特攻兵士自身がこの歌を愛唱したことにある。人によって作られたものではあるが、当時の時代精神から内在的に生み出されたものでもあり、それ故に違和感なく愛唱され続けた。そこに値打ちがあるのではなかろうか。下手な靖国論で貶してはいけない名歌のように思う。 「貴様と俺とは同期の桜 同じ兵学校の庭に咲く 咲いた花なら散るのは覚悟 見事散りましょ 国のため。貴様と俺とは同期の桜 同じ兵学校の庭に咲く 血肉分けたる仲ではないが なぜか気が合うて別れられぬ。貴様と俺とは同期の桜 同じ航空隊の庭に咲く 仰いだ夕焼け南の空に 今だ還らぬ一番機。貴様と俺とは同期の桜 同じ航空隊の庭に咲く あれほど誓ったその日も待たず なぜに散ったか死んだのか。貴様と俺とは同期の桜 離れ離れに散ろうとも 花の都の靖国神社 春の梢(こずえ)に咲いて会おう」。 jinsei/ |
れんだいこのカンテラ時評bP117 投稿者:れんだいこ 投稿日:2013年 3月 3日 |
れんだいこの特攻隊兵士の手記、遺書考その7、歴史への貢献について 特攻隊隊員の死は歴史にどう待遇されるべきだろうか。これにつき、白井厚氏は岩波ブックレットNo.572の「いま特攻隊の死を考える」の中で次のように書いているとのことである。
れんだいこは、こうは受け取らない。美談や武勇伝にしてしまうのも禁物だが、ほどほどを弁えつつも「粛々と祖国のために死出の攻撃行に参加した特攻隊員たちに対して、私は心から厳粛な尊敬の念を禁じえない」の感性を支持したい。絶対的に弱い立場の者が為し得る「貧者の一刀」として善悪是非論道徳論抜きに評さねばならないのではなかろうか。 そもそも彼らの死は決して「無謀無駄な自殺攻撃」ではなかった。彼らの特攻死は考えられている以上に「その後の歴史抑止力」として働いたことが知られねばなるまい。死を賭しての敢戦精神が「震撼させたもののふ精神」として評されていることの重みを見ねばならない。それは、戦争の勝敗の帰趨は決まっていたものの、本土決戦に向かうには相当の犠牲者が出ることを予想させ、それが彼らのジェノサイド攻撃を逡巡させ、双方に終戦を呼び込み、その後の対日占領行政への隠然とした圧力となった。 これにつき、米国の従軍記者、ロバート・シャーロットが次のように述べている。
そういう働きをしたのが史実である。ビルマ初代首相のバー・モウも次のように述べて称賛している。
米、英、仏の戦勝国側でも神風特攻隊に関する書物が数多く刊行され、特攻に対して高い評価を与えている。日本駐在フランス大使を務めた、ポール・クローデル(劇作家、詩人)が昭和十八年の秋に、パリの夜会のスピーチで次のように述べている。
大東亜戦争が極東裁判史観からのみ評されるべきではないのと同じように、神風特攻隊を始めとする「うら若き青年のあたら惜しい自己犠牲死」は実は世界からかく賞賛されているものである。そろそろその世界史的意義を再評価する目線を持つ必要があるのではなかろうか。 にも拘わらず「歴史を愚弄し揶揄し嘲笑している」戦後知識人が多い。これこそ戦勝国側によりテキスト化された歴史観であり、それをそのままに受け入れることは敗戦後遺症、副作用のせいではあるまいか。何事も鵜呑みにせず、賛美しないまでもせめて思いやり、その死を無駄にしない了解の仕方があっても良いのではなかろうか。以上。この考察は英霊の御魂にささやかな餞(はなむけ)になっただろうか。 2013..3.3日 れんだいこ拝 jinsei/ |
れんだいこのカンテラ時評bP270 投稿者:れんだいこ 投稿日:2015年 8月 8日 |
書評/井上和彦著「撃墜王は生きている」考その1 勇ましい百田発言が続いており、これを黙らす為に急遽本稿を書き上げ投稿しておく。ちょうど井上和彦著「撃墜王は生きている」を読んでいたところなので、その書評を通じて成敗しておく。2015(平成27).8月、井上和彦著「撃墜王は生きている」(小学館、2015.6.1日初版)を一気に読了した。「一気に読める」書に出くわしたのは久しぶりである。「れんだいこの特攻隊兵士の手記、遺書考その7、歴史への貢献について」を補完する内容になっていることに驚き且つ感謝した。 ここで、れんだいこの「特攻隊賛美の反戦平和論」を記しておく。この立論はかなり珍しい。世上では「特攻隊賛美」見解が右と左で分かれており、右が賛美し左が叩くべく立論されている。右の賛美論は軍事防衛国際責務論に繋がっている。左の批判は反戦不戦平和論に繋がっている。 しかしながら私には解せない。奇妙とさえ思っている。この理論を目下の政治情況下でトレースすると、「特攻隊賛美論」の右が、国際責務論でもって、自衛隊を、かっての特攻隊が戦った当の相手の国際ユダ屋の配下軍の使い捨て駒に奉仕させようとしている姿が見えてくる。彼らの「特攻隊賛美」のお里が知れる話しであるが、彼らは、国際ユダ屋への奉仕による利権を先にしており特攻隊をダシにしているのではなかろうか。 他方、「特攻隊叩き論」の左は、反戦不戦平和論でもって、自衛隊を、そのような役割での使い捨て駒にさせようとしている政治の動きに対して反対している。それは良いのだが、それならそれで国際ユダ屋相手に先達的に戦った特攻隊を見直そうとする動きが出ても良さそうなのに出てこない。「特攻隊のサムライ涙」を理解すべきなのに相変わらずの批判に忙しい。こちらも案外と国際ユダ屋へ裏から奉仕しているのではなかろうか。それ故に特攻隊の功を敢えてムシしているのではなかろうか。 私には「特攻隊賛美の反戦平和論」こそが自然である。なぜこうならないのかが訝しい。冒頭のリンクブログで述べたように、特攻隊兵士の犠牲が決して「無駄な自殺攻撃」ではないこと、彼らの必殺特攻が相当の成果を挙げたことにより恐怖を与え、待ち受ける日本統治の手強(ごわ)さを教えたと云う意味での「その後の歴史抑止力」として働くことになったこと、そういう「尊い犠牲」であったと知り、彼らの死を犬死視してはならないと指摘した。これが正しい歴史の継承の仕方であると自負している。 本書は、これを裏付けるに十分な戦闘機パイロットの戦闘証言記である。「5名の生き残り撃墜王の証言」を下に、戦後反戦平和運動論の主要な理論であるところの「そもそも無謀な戦争論、特攻隊無駄死、蛮勇論」のウソを暴いている。これが本書の第一功績である。(以下、「5名の生き残り撃墜王の証言」の概略をスケッチしておこうと思うが、ここでは省く)。 本書は、かの大東亜戦争末期の昭和天皇の終戦勅語放送時でさえ、次第にジリ貧に追いやられながらもなお敢闘精神旺盛だった様子を活劇描写している。これが本書の第二功績である。れんだいこも含めて大方の者がそうであろうが、そういう史実につき不覚にも知らないまま今日まで過ごして来ているのではなかろうか。仮に反戦平和を語り続けたとしても、国際ユダ屋仕立てテキスト通りの範疇で口パクしているのではなかろうか。しかしてそれは、終戦後の日本を占領統治したGHQのウォーギルト.インフォメーション.プログラム(War Guilt Information Program、略称WGIP)による情報統制&洗脳策のワナに入れられている。かく認識する必要がある。 WGIPテキストでは、戦争は常に国際ユダヤ側の正義の聖戦とこれに抵抗する側の野蛮との戦いである。第二次世界大戦も又同様に自由主義陣営の彼らと、これに抵抗するファシズム陣営の戦いであった。自由派の米英仏を主とする連合国が勝利し歴史を進歩させた云々。これを進歩主義史観と云う。典型的な「勝てば官軍、負ければ賊軍」論理であるが、この理論がシャワーの如く浴びせられ洗脳されている。 故に、ファシズム陣営のすること為すことが無謀であり、侵略であったと断罪されている。この総括に立って、将来に向けて二度と楯突かないと云う意味での恭順不戦論、反戦平和論が唱えられる。過去に向けて戦犯責任追求論、損害賠償請求論へと向かう。他方、手前たちの行為は仮に同じことをしていても、あるいはもっと酷いことをしていても常に免責される、ないしは称賛される。原爆責任も同様で、終戦を早めたのだから逆に感謝せよと居直ることになる。極東裁判は、この見地からの敗戦国断罪、A級戦犯処罰、その見せしめの一大観劇デモであった。 れんだいこの観るところ真実はこうである。お仕着せメガネを外してみれば、第一次、第二次世界大戦とは、近代以降の西欧各国王朝打倒革命に続く、波に乗る国際ユダ屋の世界支配を廻るユダ屋側と反ユダ屋側の戦争だった。ユダ屋側が勝利の美酒に酔い、その日より今日までますますのユダ屋ワールド造りに向かっている。それが良質のものであれば良いのだけれど、戦争を何よりの好物とし、世界を金融支配し、医食法をコントロールし、人間を次第に下種なものにし、地球の生態系を滅ぼしつつある。しかも、その危機を危機になればなるほど歩みを深める方向で穴掘りし続けている。原発が象徴しているが他の何もかもがそうである。 故に我慢ならない。生ある限り今現に進もうとしている道の恐き危なきことを連打太鼓し、我々が歩むべきレールを敷き代えるよう告発し続けたい。 |
れんだいこのカンテラ時評bP271 投稿者:れんだいこ 投稿日:2015年 8月 9日 |
書評/井上和彦著「撃墜王は生きている」考その2 井上和彦著「撃墜王は生きている」は概要次のように記している。当時の大本営参謀が、戦況宜しからずの形勢下、本土防衛決戦にシフト替えし、陸海軍の精鋭パイロットを寄せて守備に当らせた。その精鋭たちが、陸軍と海軍のメンツを争うようにして勇猛果敢に大空を馳せ、手前たちも撃墜されるがその何倍もの敵機を撃ち落して順次最後を遂げていった。こうして戦歴輝かしい撃墜王たちが何人も姿を消している。 戦争末期、B29が何度も何波にもわたって来襲するようになったが決して手をこまねいていた訳ではない。仮に地上からの反撃が鉄砲届きしなかったとしても、空中では陸海軍の精鋭が懸命に敵機撃墜に精出しており、甚大なる被害を与え「一定の抑止」効果を挙げていた。 戦闘機パイロットは十二分に敢闘した。特攻隊も然りであった。運よく残り得た者も居り、その彼らは終戦の日まで意気盛んであった。ここからがれんだいこ説になるが、これらのことが総じて「その後の歴史抑止力」として働いたのではないのか。 考えてみればそれは何もパイロット、特攻たちだけではない。戦史の至る所に日本兵士の敢闘が刻まれており、それらは日本占領支配の困難さを予見させるに足りるものであった。広島、長崎への原子爆弾投下により一気に降伏に向かったとはいえ、一筋縄ではいかない陸軍、海軍の主力が健在して隠然とした威力を保持していた。シベリア抑留などは、この観点からの陸軍帰国阻止の為の遠投であった。 この辺りの機微について著者は次のように述べている。
この下りの「アメリカ」のところを「国際ユダ屋」と読み直し、「それほど日本の航空技術とパイロットを恐れた」のところでは「その他の分野でも然り。日本の技術と頭脳を恐れた」と補足すれば、なお能く見えてくるであろう。 この「その後の歴史抑止力」が働き、GHQの対日支配をして間接統治の策をとらしめることになった。その間接統治の有効策として、当初の天皇制解体指針を転換させ昭和天皇利用に向かわしめた気配が濃厚である。この辺りの考察は別の機会にしようと思うが、この見地からの考察は大いに意味があるのではなかろうか。この見地からの戦史論がなさ過ぎるのが不満である。 もとへ。その生き残り撃墜王たちは、戦後になるや、その働きが報われず、むしろ逆に戦後反戦平和運動の波に洗われるや「狂気攻撃者」にされてしまった。この風潮下、長い沈黙を余儀なくされて来た。その彼らに漸く良き聞き手が現れ、それにより重い口を開くことになった。ここで初めて鬱屈していた心情を解放し戦史証言している。生き延びた撃墜王の幾人のうち何人かが戦後の航空自衛隊に入り、その基礎を作ることに貢献しているとも云う。その5名が何をどう語っているのかは各自が本書で確かめれば良かろう。 問題は次のことにある。井上、百田の両氏が、大東亜戦争時の航空兵士の活躍ぶりを語ることは大いに良いとして、そのことと目下の自衛隊への無条件エールは直列しないのに無理やりに直列させてすまし顔しているとしたら、そこが怪しい、燻る。目下の自衛隊は創設の由来からも判明しようが自立自存の国防軍ではない。敗戦後遺症なのだろうが、表見的には米軍の、実態的には国際ユダ屋の傭兵として育成されている。そういう自衛隊の戦地への海外派兵が政治日程化しつつある。それが如何に危険な人身御供でしかないのかは子供でも分かる話しである。 にも拘らず、百田の場合は特に大東亜戦争時の日本兵の活躍ぶりを語りつつ、自衛隊が国際ユダ屋の傭兵として使い捨てされようとしていることに後押しエールしているように見える。ちょっと待て。如何に戦争に負けたとて、今度は当時の敵国の配下軍として御用せしめられるのは話しの筋が違う。それは余りにもお粗末過ぎる、許し難い、英霊の御霊に対する侮辱ではないのか。地下の英霊たちは俺たちの死をそういう風に利用してくれるなと憤怒しているのではないのか。 思うに、当時の兵士の敢闘ぶりへの称賛は、一方では戦後の反戦運動に生かされるべきであった。これを逆に云えば戦後の反戦運動はそういうものとして構築されるべきだった。史実は逆で彼らは放逐された。もう一方では自立自存の国防軍の再建に向かうべきであった。この道が良い方向かどうか、許されたかどうかは分からない。少なくとも戦後憲法は承知のように反戦不戦平和の道を大胆に指針させている。これにより日本が道を誤ったと云う話しを今日まで聞いていない。 この両方向なら分かるが、今現在進行中のような当時の敵国の配下軍として、実質は国際ユダ屋の傭兵として使われることこそ愛国の道などと云うのはペテン師の口上でしかない。本書は、この点で、同じようなテーマを扱いながら百田批判をしていない汚点がある。あるいは同様の観点なのかもしれない。であるとしたなら「九仞(きゅうじん)の功を一簣(いっき)に欠く」の評が相応しい。今からでも遅くない、本ブログの観点からの戦士証言に向かいますよう、さすれば相当に意味のある営為であるのにと意見申し上げておく。 |
れんだいこのカンテラ時評bP274 投稿者:れんだいこ 投稿日:2015年 9月 4日 |
書評/井上和彦著「撃墜王は生きている」考その3 井上和彦著「撃墜王は生きている」の執筆趣意に関連して書評その3を発表しておく。れんだいこは既に2003年時点でサイト「日本軍の戦闘行為、戦闘能力考」を設け次のように発信している。「皇軍の戦闘行為、能力」を賞賛的に見直そうという意味では通じていよう。但し、れんだいこはそれを「捻じ曲げられた革命運動能力の愁嘆場として評価し直そう」としている。こうなると井上氏の観点とは大きく異なるであろう。 私的にはこの観点からもう少し掘り下げて行きたい。しかしこれに好評価なり支持を得る為には少なくとも「原日本新日本論」、「日本的大君(おおきみ)制天皇制論」、「出雲王朝&邪馬台国論」、「国際ユダ屋論」を媒介せねばならない。そのどれもがこれまでに説かれていない理論であるので賛同を得るのは難しかろう。これにより私は左派を自負していながら左派圏に拠るべき場所を持っていない。右派圏にも持っていない。 何も奇を衒(てら)って新説を述べている訳ではない。20代頃よりの疑問を一歩一歩氷解させながら辿り着いたら、このような見解に至ったと云うに過ぎない。但し、物事を分析なり解釈するのに、この理論を包丁にすれば能く切れる。偶然にもインターネットが登場したので、このツールを利用して調法なこの理論を公開し大方の批評を仰いでいる訳である。諸氏のそれより能く切れるのに無視されているだけに過ぎない。前置きが長くなった。かの時、次のように述べている。 れんだいこは、本稿で、今まで誰もしてこなかったであろう観点から「日本軍の戦闘能力考」をものしてみようと思う。どこが異色かというと、戦後左派運動が批判するばかりで永らく見失ってきた「日本軍の戦闘能力」を見直し、その優秀性を露見させ、更にこれを、「捻じ曲げられた革命運動能力の愁嘆場」として評価し直そう、という点にある。この観点は、私が知らないだけで既にどなたかが為されているのかも知れない。しかし、私が知らないということは、大衆的に認知されていないことを意味する。つまり、私の仕事として突きつけられていることになる。 冒頭で、「戦後左派運動が批判するばかりで永らく見失ってきた」と書き記した。実にそうだ。戦後左派運動は、戦前の軍部独裁体制を批判するばかりで、その下士官たる軍隊に対しても同様のまなざしを向け、その残虐行為を検証せぬままプロパガンダの方に意味を見出してきた。しかしそれは歴史眼としては愚昧な片手落ち手法でしかなかろう。そういう暗愚な者に啓蒙され指導された左派運動は、その暗愚ゆえに実践的に役立たない、大衆の心を捉えない。いつの頃からか分からないがそういうことに気づいた。 私は、大東亜戦争に散った兵士を加害者としてのみ位置づけず、その殉死を「捻じ曲げられた革命運動能力の愁嘆場」という観点から意義づけ直してみたい。彼らの哀しみを理解し、その遺志を継承したい。この観点こそが歴史の連続性というものではなかろうか。「歴史の連続性が失われると正気が失われる」と云われる。そう、我々は、「正気を喪失した左派運動」に参集したゆえに、挙句の果てに不毛な荒野に捨てられたのではなかったか。しかるに、現下の流れは、未だにこの洗脳が解けていないばかりかむしろ更に袋小路にのめりつつあるやにさえ思われる。 れんだいこは袋小路に追い詰められ自死しつつある左派運動の変態性を露見させて見たい。自負的に述べれば、私がこの逆立ちを質したい。戦没遺族が納得し得るような評価を与え無駄な軋轢を排したい。むしろ、その遺志を継いでいる日本新左派運動の思いを画然とさせることで手向けしたい。課題に正面から挑めば、こういう観点こそが自然に導き出される。 そうならなかったのは半身構えの自称インテリたちの指導の悪さゆえであろう。連中は究極能力が狭いのかも知れない。もっとはっきり云えば「ウソ理論」を見抜けずの厚顔提灯士に過ぎない。そういう者たちばかりが跋扈してきたせいで本来の運動が紡ぎだされていないのではなかろうか。 |
れんだいこのカンテラ時評bP275 投稿者:れんだいこ 投稿日:2015年 9月20日 |
書評/井上和彦著「撃墜王は生きている」考その4 2015.9月中旬、運命の導きによって知覧特攻会館を詣でることになった。そこで散華した兵士一人ずつの顔写真と遺書の手紙に目を通して来た。兵士一人一人に目礼するつもりだったが、最初のところから滂沱の涙となり適わなかった。三角兵舎では兵士が寝起きしていたであろう姿が伝わり、ここで別れの杯を交わしたのかと思うと又涙した。富屋旅館も確認し、鳥浜トメさんの写真も見、当時とその後の姿を確認した。 台湾の鄭春河(皇民名/上杉重雄)氏の著「嗚呼大東亜戦争」を入手したことが予想外の収穫だった。読了してみて、れんだいこ史観と通じない面も多々あるが、戦前日本総括として異色貴重な論考となっている。れんだいこ史観に照らし戴けるところを整理し発表しておこうと思った。誰か一人でも目からウロコしてくれますように。 編集責任者の飛永源之助さんの「台湾の鄭春河先生について」(1998年5月27日)の項末尾で次のように記している。「今次大東亜戦争において何百万の方々の尊い犠牲による今日の繁栄であります」。この観点を共有できない者はこの後を読んでもカエルのツラにションベンになろうから読む必要なきことをあらかじめ申し上げておく。 鄭氏は、大東亜戦争論について次のように主張している。但し、米英国としているところを国際ユダ屋と書き換えることにする。概要「日清、日露から大東亜戦争に至るまでの戦争は日本の国防の安定を図る為の自衛戦争であり、十把ひとからげに侵略戦争として片付けられるものではない。当時においては海外発展であり雄飛であり日本の壮挙であった。満州事変、これに続く支那事変が泥沼化したのは、黒幕の国際ユダ屋が画策したからであった。連中が蒋介石軍に物資を送り込み続けた。日本が戦っている相手は蒋介石軍であったが実質的には日米戦争になっていた。国際ユダ屋シナリオの下で日本と蒋介石軍が踊らされていた。 第二次世界大戦前夜、ヒットラー率いるドイツが電撃的に勝利し続け、『バスに乗り遅れるな』とばかりに日独が接近した。国際ユダ屋はABCD包囲網で日本の息の根を止める戦略に出た。日本に対する石油の全面禁輸は戦争誘発政策以外の何ものでもなかった。日本は勝ち目はないと承知していたが無為に屈服もできないジレンマに陥った。そこへ日本に過酷なハルノートが突きつけられ、『座して死を待つよりは死中に活を求める』最後の方策として戦争に打って出ることになった。この当時、誰が首相でも既に戦争を回避することはできなかった。東条大将が十字架を背負う悲劇の首相となった。結果的に敗戦で終戦したが、その評価は『歴史は百年経なければ正鵠を期し難い』」。 鄭氏は、戦前日本が果たしたアジアの目覚めの役割について次のように主張している。「英帝国が終焉したのは英軍がアジア人の目の前で日本軍に惨敗したからである。これにより白人優位神話が崩れ植民地の独立戦争が始まった」。 鄭氏は、東京裁判について次のように主張している。「国際ユダ屋は敗戦国日本に対し侵略謝罪を求めるが連中こそが本当の侵略者である。歪められた罪悪感を背負わされ、卑屈、頽廃に流れて行くことこそ国際ユダ屋の思う壺である。間違った歴史観を払拭し歴史を書き改めねばならない。東京裁判は、日本の戦争指導者を戦犯に仕立て上げ極刑に処したが、実定国際法上違法な裁判であり不当なものである。本来は再審が必要である。そもそも『戦犯』なる用語自体が臭い。日本の戦争指導者は『敗戦犯』ではあっても『戦犯』ではない。処刑されたA級戦犯は法務死であり靖国神社に英霊として祀られるべきである」。 鄭氏は、戦後日本について次のように主張している。「戦後日本は、GHQの対日支配政策に基づき大改造された。あらゆる分野で日本の弱体化が企図されている。戦後憲法の相続の項での長子相続から均等相続への転換は日本式家族制度の解体であり、日本的共同体としての紐帯の基盤の破壊である。世論を工作し、祖国日本嫌悪、戦前日本の全てを悪視、日本古来の伝統文化や歴史排撃、国民道徳退廃、日本人の日本人たる所以の『大和心』喪失方向にリードした。『戦前日本の侵略行為に対する謝罪』を踏み絵とさせ、その象徴としての国旗、国歌を憎ませている。これにより日の丸を掲揚せず君が代を歌わないことになった」云々。 |