1945.8.15~終戦


 更新日/2022(平成31.5.1日栄和改元/栄和4).3.20日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「大東亜戦争終結ノ詔書」その他を確認しておく。

詔書(昭和20年)』 http://plaza2.mbn.or.jp/~duplex/shou/ss20.htm
『終戦の詔勅』 http://www.geocities.co.jp/WallStreet/4669/2esh081500
.html


【大東亜戦争終結ノ詔書(昭和20年8月14日)】
 1945(昭和20).8.14日の「大東亜戦争終結ノ詔書」は次の通り。(「もろぎの岡、八神邦建の研究参照」)
 (原文)
 朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ 非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ 茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク。朕ハ帝国政府ヲシテ 米英支蘇四国ニ対シ 其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ。

 抑々帝国臣民ノ康寧ヲ図リ 万邦共栄ノ楽ヲ偕ニスルハ 皇祖皇宗ノ遣範ニシテ 朕ノ拳々措カサル所 曩ニ米英二国ニ宣戦セル所以モ亦実ニ帝国ノ自存ト東亜ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ 他国ノ主権ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス。然ルニ交戦已ニ四歳ヲ閲シ 朕カ陸海将兵ノ勇戦 朕カ百僚有司ノ励精 朕カ一億衆庶ノ奉公 各々最善ヲ尽セルニ拘ラス 戦局必スシモ好転セス。世界ノ大勢亦我ニ利アラス。加之敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ無辜ヲ殺傷シ惨害ノ及フ所真ニ測ルヘカラサルニ至ル。而モ尚交戦ヲ継続セムカ。終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス 延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ。斯ノ如クムハ 朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ 皇祖皇宗ノ神霊ニ謝セムヤ。是レ朕カ帝国政府ヲシテ共同宣言ニ応セシムルニ至レル所以ナリ。

 朕ハ帝国ト共ニ終始東亜ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ対シ 遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス。帝国臣民ニシテ戦陣ニ死シ 職域ニ殉シ 非命ニ斃レタル者 及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ 五内為ニ裂ク。且戦傷ヲ負ヒ 災禍ヲ蒙リ 家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ 朕ノ深ク軫念スル所ナリ。惟フニ今後帝国ノ受クヘキ困難ハ固ヨリ尋常ニアラス。爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル。然レトモ 朕ハ時運ノ趨ク所耐ヘ難キヲ耐ヘ 忍ヒ難キヲ忍ヒ 以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス。

 朕ハ茲ニ国体ヲ護持シ得テ 忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ 常ニ爾臣民ト共ニ在リ。若シ夫レ情ノ激スル所濫ニ事端ヲ滋クシ 或ハ同胞排擠互ニ時局ヲ乱リ 為ニ大道ヲ誤リ 信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム。宜シク挙国一家子孫相伝ヘ 確ク神州ノ不滅ヲ信シ 任重クシテ道遠キヲ念ヒ 総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ 道義ヲ篤クシ 志操ヲ鞏クシ 誓テ国体ノ精華ヲ発揚シ 世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ。爾臣民其レ克く朕カ意ヲ体セヨ。(御名御璽)
 (書き下し現代文)
 朕(ちん)、深く世界の大勢と、帝国の現状とに鑑(かんが)み、非常の措置をもって、時局を収拾せむと欲し、ここに忠良なる汝臣民に告ぐ。朕は、帝国政府をして、米英支ソ四国(よんこく)に対し、その共同宣言を受諾する旨、通告せしめたり。

 そもそも帝国臣民の康寧(こうねい)を図(はか)り、万邦共栄の楽(たのしみ)を共にするは、皇祖皇宗の遺範にして、朕の挙々(けんけん)措かざるところ。先に米英二国に宣戦せるゆえんも、また実に帝国の自存と東亜の安定とを庶幾(しょき)するに、出でて他国の主権を排し、領土を侵すがごときは、もとより朕が志(こころざし)にあらず。

 しかるに、交戦すでに四歳をけみし、朕が陸海将兵の勇戦、朕が百僚有司の励精(れいせい)、朕が一億衆庶の奉公、おのおの最善を尽くせるに拘(かかわ)らず、戦局必ずしも好転せず、世界の大勢、また我に利あらず。

 しかのみならず、敵は新たに残虐なる爆弾を使用し、しきりに無辜(むこ)を殺傷し、惨害の及ぶところ、まことに測るべからざるに至る。しかもなお交戦を継続せんか。ついに我が民族の滅亡を招来するのみならず、延(ひい)て人類の文明をも破却すべし。かくのごとくむは、朕、何をもってか、億兆の赤子を保し、皇祖皇宗の神霊に謝せんや。これ朕が帝国政府をして共同宣言に応ぜしむるに至れる所以(ゆえん)なり。

 朕は帝国とともに、終始、東亜の解放に協力せる諸盟邦に対し、遺憾の意を表せざるをえず。帝国臣民にして、戦陣に死し、職域に殉し、非命に倒れたる者、及びその遺族に想(おもい)を致せば、五内(ごだい)為に裂く。かつ戦傷を負い、災禍を蒙(こうむ)り、家業を失いたる者の厚生に至りては、朕の深く軫念(しんねん)するところなり。

 維(おも)うに今後、帝国の受くべき苦難は、もとより尋常にあらず。汝臣民の衷情(ちゅうじょう)も、朕よくこれを知る。しかれども、朕は時運の赴くところ、堪えがたきを堪え、忍びがたきを忍び、もって万世のために太平を開かんと欲す。

 朕はここに、国体を護持し得て、忠良なる汝臣民の赤誠に信倚(しんい)し、常に汝臣民と共にあり。もしそれ情の激するところ、みだりに事端をしげくし、あるいは同胞排擠(はいせい)、互いに時局を乱り、ために大道を誤り、信義を世界に失うがごときは、朕もっともこれを戒む。

 よろしく挙国一家、子孫、相伝え、よく神州の不滅を信じ、任重くして道遠きを念(おも)い、総力を将来の建設に傾け、道義を篤(あつ)くし、志操を固くし、誓って国体の精華を発揚し、世界の進運におくれざらんことを期すべし。汝臣民、それよく朕が意を体せよ。
 御名御璽(ぎょめいぎょじ)

 昭和二十年八月十四日  
 [以下、内閣総理大臣・鈴木貫太郎はじめ、十六名の閣僚、連署]
 内閣総理大臣   鈴木貫太郎
 海軍大臣      米内光政
 司法大臣      松阪広政
 陸軍大臣      阿南惟幾
 軍需大臣      豊田貞次郎
 厚生大臣      岡田忠彦
 国務大臣      桜井兵五郎
 国務大臣      左近司 政三
 国務大臣      下村 宏
 大蔵大臣      広瀬豊作
 文部大臣      太田 耕造
 農商大臣      石黒忠篤
 内務大臣      安倍 源基
 外務大臣      東郷茂徳
 大東亜大臣
 国務大臣      安井藤治
 運輸逓信大臣   小日山直登 
 (現代語訳)
 余は、深く世界の大勢と、帝国の現状をかえりみて、非常措置をもって事態を収拾しようと欲し、ここに忠実にして善良なる汝ら臣民に告げる。余は帝国政府に、米英中ソの四国に対し、そのポツダム宣言を受諾する旨、通告させた。

 そもそも、帝国臣民の安寧をはかり、万国が共存共栄して楽しみをともにすることは、天照大御神からはじまる歴代天皇・皇室が遺訓として代々伝えてきたもので、余はそれをつねづね心がけてきた。先に米英の二国に宣戦した理由も、実に帝国の独立自存と東アジア全域の安定とを希求したものであって、海外に出て他国の主権を奪い、領土を侵略するがごときは、もとより余の志すところではない。しかるに、交戦状態はすでに四年を過ぎ、余の陸海軍の将兵の勇敢なる戦い、余のすべての官僚役人の精勤と励行、余の一億国民大衆の自己を犠牲にした活動、それぞれが最善をつくしたのにもかかわらず、戦局はかならずしも好転せず、世界の大勢もまたわが国にとって有利とはいえない。

 そればかりか、敵国は新たに残虐なる原子爆弾を使用し、いくども罪なき民を殺傷し、その惨害の及ぶ範囲は、まことにはかりしれない。この上、なお交戦を続けるであろうか。ついには、わが日本民族の滅亡をも招きかねず、さらには人類文明そのものを破滅させるにちがいない。そのようになったならば、余は何をもって億兆の国民と子孫を保てばよいか、皇祖神・歴代天皇・皇室の神霊にあやまればよいか。以上が、余が帝国政府に命じ、ポツダム宣言を受諾させるに至った理由である。

 余は、帝国とともに終始一貫して東アジアの解放に協力してくれた、諸々の同盟国に対し、遺憾の意を表明せざるをえない。帝国の臣民の中で、戦陣で戦死した者、職場で殉職した者、悲惨な死に倒れた者、およびその遺族に思いを致すとき、余の五臓六腑は、それがために引き裂かれんばかりである。かつ、戦傷を負い、戦争の災禍をこうむり、家も土地も職場も失った者たちの健康と生活の保証にいたっては、余の心より深く憂うるところである。思うに、今後、帝国の受けるべき苦難は、もとより尋常なものではない。汝ら臣民の真情も、余はそれをよく知っている。しかし、ここは時勢のおもむくところに従い、耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び、それをもって万国の未来、子々孫々のために、太平の世への一歩を踏み出したいと思う。

 余はここに、国家国体を護り維持しえて、忠実にして善良なる汝ら臣民の真実とまごころを信頼し、常に汝ら臣民とともにある。もし、事態にさからって激情のおもむくまま事件を頻発させ、あるいは同胞同志で排斥しあい、互いに情勢を悪化させ、そのために天下の大道を踏みあやまり、世界の信義を失うがごとき事態は、余のもっとも戒めるところである。

 そのことを、国をあげて、各家庭でも子孫に語り伝え、神国日本の不滅を信じ、任務は重く道は遠いということを思い、持てる力のすべてを未来への建設に傾け、道義を重んじて、志操を堅固に保ち、誓って国体の精髄と美質を発揮し、世界の進む道におくれを取らぬよう心がけよ。汝ら臣民、以上のことを余が意志として体せよ。
 世界の情勢と日本の現状をよくよく検討した結果、ありえないと思われる方法をあえてとることにより、この状況を収拾したい。常に私に忠実であるあなたがた日本臣民の皆さんに、今から私の決断を伝えよう。

 私は日本政府担当者に米国、英国、中国、ソビエト連邦の4カ国に対して、日本が(ポツダム)共同宣言を受け入れると伝えることを指示した。そもそも私たち日本国民が穏やかで安心な暮らしができ、世界全体と繁栄の喜びを共有することは、歴代の天皇が代々受け継いで守ってきた教えであり、私自身もその教えを非常に大事なことと考えてきた。最初に米英2カ国に宣戦布告した理由も日本の自立とアジアの安定を願う気持ちからであり、ほかの国の主権を侵したり、その領土を侵したりすることが、私の目指すところであったわけではない。けれども戦争はすでに4年も続いており、我らが陸海軍人たちの勇敢な戦いぶりや行政府の役人らの一心不乱の働きぶり、そして1億人の庶民の奉公、それぞれが最善を尽くしたにも関わらず、戦況は必ずしも好転せず、世界情勢を見るに、日本に有利とはとても言えない状況である。

 その上、敵は残虐な新型爆弾を使用して多くの罪のない者たちを殺傷し、その被害の及ぶ範囲は、測ることもできないほどに広がっている。もしもこれ以上戦争を続ければ、最後には我が日本民族の滅亡にもつながりかねない状況であり、 ひいては人類の文明すべてを破壊してしまいかねない。そのようなことになれば、私はどのようにして1億人の民を守り、歴代天皇の霊に顔向けすることができようか。これが私が政府担当者に対し、共同宣言に応じよと指示した理由である。

 私は、アジアを(西欧列強から)開放するために日本に協力してくれた友好国にたいして大変申し訳なく思う。また、日本国民であって戦地で命を失った者、職場で命を落とし、悔しくも天命をまっとうできなかった者、そしてその遺族のことを考えると、心も体も引き裂かれんばかりの思いがする。戦争で傷つき、戦災被害にあって家や仕事を失った者たちの暮らしについても、非常に心配に思っている。この後、日本が受けるであろう苦難は言うまでもなく尋常なものではないであろう。みなさん臣民の悔しい思いも、私はよくよくそれを分かっている。けれども私は時代の運命の導きにそって、耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、これからもずっと続いていく未来のために、平和への扉を開きたい。

 私はこうやって日本の国の形を守ることができたのだから忠誠心が高く善良な臣民の真心を信頼し、常にあなたがた臣民とともにある。感情の激するがままに事件を起こしたり、もしくは仲間同士が争って世の中を乱したり、そのために道を誤って世界からの信頼を失うようなことは、最も戒めたいことである。

 何とか国全体が1つとなり、子孫にまでその思いを伝え、神国日本の不滅を信じ、任務はとても重く、行く道は非常に遠いことを覚悟して、将来の建設に向けて総力を結集し、道義を守り志と規律を強く持って、 日本の力を最大に発揮することを誓い、世界の先進国に遅れをとらずに進むのだという決意を持とうではないか。私の臣民たちよ、ぜひともこの私の意思をよくよく理解してもらいたい。

 (玉音放送を現代語訳 HF -BLOG-|.fatale|fatale.honeyee.com (via pipco) (出典: takudeath (mago6から)) 
 「玉音放送の全文 現代語訳及び英文 Imperial Rescript on Surrender」転載
 「大東亞戰爭終結ノ詔書」
 ”Imperial Rescript on Surrender”
 朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現狀トニ鑑ミ 非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ收拾セムト欲シ 玆ニ忠良ナル爾臣民ニ吿ク
 私は、深く世界の情勢と日本の現状について考え、非常の措置によって今の局面を収拾しようと思い、ここに忠義で善良なあなた方国民に伝える。
 今日、世界の趨勢と我が帝国の現状について深慮し、今の局面の収拾に効果あらしめる為に非常の措置を決意した。
 After pondering deeply the general trends of the world and the actual conditions obtaining in Our Empire today, We have decided to effect a settlement of the present situation by resorting to an extraordinary measure.
 朕ハ帝國政府ヲシテ米英支蘇四國ニ對シ 其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通吿セシメタリ
 私は、日本国政府に、アメリカ・イギリス・中国・ソ連の4国に対して、それらの共同宣言(ポツダム宣言 )を受諾することを通告させた。
 アメリカ、イギリス、中国、ソ連政府に対し、日本国政府が彼らの四カ国宣言(ポツダム宣言)を受諾することを通告した。
 We have ordered Our Government to communicate to the Governments of the United States, Great Britain, China and the Soviet Union that Our Empire accepts the provisions of their Joint Declaration.
 抑々帝國臣民ノ康寧ヲ圖リ萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々措カサル所
 そもそも、日本国民の平穏無事を確保し、すべての国々の繁栄の喜びを分かち合うことは、歴代天皇が大切にしてきた教えであり、私が常々心中強く抱き続けているものである。
 日本国民の繁栄と幸福、同様に国家の安全と平穏無事を願い尽力するのは、我が帝国のご先祖が世代を次いで護持して参った要の務めであり、実に心中深くに抱き続けているものである。
 To strive for the common prosperity and happiness of all nations as well as the security and well-being of Our subjects is the solemn obligation which has been handed down by Our Imperial Ancestors, and which We lay close to heart. Indeed,
 曩ニ米英二國ニ宣戰セル所以モ亦實ニ帝國ノ自存ト東亞ノ安定トヲ庻幾スルニ出テ他國ノ主權ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス
 先にアメリカ・イギリスの2国に宣戦したのも、まさに日本の自立と東アジア諸国の安定とを心から願ってのことであり、他国の主権を排除して領土を侵すようなことは、もとより私の本意ではない。
 我々は先にアメリカ、イギリスに宣戦したが、日本の自立と東アジア諸国の安定を願ってのことであり、他国の主権侵害や領土侵略は私どもの本意ではない。
 We declared war on America and Britain out of Our sincere desire to secure Japan's self-preservation and the stabilization of East Asia, it being far from Our thought either to infringe upon the sovereignty of other nations or to embark upon territorial aggrandisement.
 然ルニ交戰已ニ四歲ヲ閱シ
 しかしながら、交戦状態もすでに4年を経過し、
 今日、戦争が4年近く経過している。
 But now the war has lasted for nearly four years.
 朕カ陸海將兵ノ勇戰朕カ百僚有司ノ勵精朕カ一億衆庻ノ奉公各〻最善ヲ盡セルニ拘ラス
 我が陸海将兵の勇敢な戦い、我が全官僚たちの懸命な働き、我が1億国民の身を捧げての尽力も、それぞれ最善を尽くしてくれたにもかかわらず、
 Despite the best that has been done by every one -- the gallant fighting of military and naval forces, the diligence and assiduity of Our servants of the State and the devoted service of Our one hundred million people,
 戰局必スシモ好轉セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス
 戦局は必ずしも好転せず、世界の情勢もまた我が国に有利とは言えない。
 the war situation has developed not necessarily to Japan's advantage, while the general trends of the world have all turned against her interest.
 加之敵ハ新ニ殘虐ナル爆彈ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ慘害ノ及フ所眞ニ測ルヘカラサルニ至ル
 それどころか、敵国は新たに残虐な爆弾(原子爆弾)を使い、むやみに罪のない人々を殺傷し、その悲惨な被害が及ぶ範囲はまったく計り知れないまでに至っている。
 それどころか、敵国は新たな最も残虐な爆弾(原子爆弾)を使った。その損傷する威力は実に広域で、多くの罪のない人々を殺傷している。
 Moreover, the enemy has begun to employ a new and most cruel bomb,[the power of which to do damage is indeed incalculable, taking the toll of many innocent lives.
 而モ尙交戰ヲ繼續セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招來スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ
 それなのになお戦争を継続すれば、ついには我が民族の滅亡を招くだけでなく、さらには人類の文明をも破滅させるに違いない。
 我々がなお戦争を継続すれば、ついには日本国の壊滅と滅亡を招くだけでなく、人類の文明をも破滅させるに違いない。
 Should we continue to fight, it would not only result in an ultimate collapse and obliteration of the Japanese nation, but also it would lead to the total extinction of human civilization.
 斯ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ神靈ニ謝セムヤ
 そのようなことになれば、私はいかなる手段で我が子とも言える国民を守り、歴代天皇の御霊(みたま)にわびることができようか。
 そのようなことになれば、どうやって我が億兆の国民を守り、帝国のご先祖の御霊(みたま)に詫びることができようか。
 Such being the case, how are We to save the millions of Our subjects; or to atone Ourselves before the hallowed spirits of Our Imperial Ancestors?
 是レ朕カ帝國政府ヲシテ共同宣言ニ應セシムルニ至レル所以ナリ
 これこそが日本政府に共同宣言を受諾させるに至った理由である。
 これこそが四カ国共同宣言を受諾させるに至った理由である。
 This is the reason why We have ordered the acceptance of the provisions of the Joint Declaration of the Powers.
 朕ハ帝國ト共ニ終始東亞ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ對シ遺憾ノ意ヲ表サルヲ得ス
 私は日本と共に終始東アジア諸国の解放に協力してくれた同盟諸国に対して、遺憾の意を表さざるを得ない。
 日本と共に終始東アジア諸国の解放に協力してくれた同盟諸国に対して、遺憾の意を表さざるを得ない。
 We cannot but express the deepest sense of regret to Our Allied nations of East Asia, who have consistently cooperated with the Empire towards the emancipation of East Asia.
 帝國臣民ニシテ戰陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者及ビ其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五內爲ニ裂ク
 日本国民であって戦場で没し、職責のために亡くなり、戦災で命を失った人々とその遺族に思いをはせれば、我が身が引き裂かれる思いである。
 戦場で没した者、職責で亡くなった者、戦災で命を失った人々、その遺族に思いをはせれば、我が身が引き裂かれる思いである。
 The thought of those officers and men as well as others who have fallen in the fields of battle, those who died at their posts of duty, or those who met with untimely death and all their bereaved families, pains Our heart night and day.
 且戰傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念スル所ナリ
 さらに、戦傷を負い、戦禍をこうむり、職業や財産を失った人々の生活の再建については、私は深く心を痛めている。
 さらに、戦傷を負い、戦禍をこうむり、住まいや生計を失った人々が直面している生活の再建について、深く心を痛めている。
 The welfare of the wounded and the war-sufferers, and of those who have lost their home and livelihood, are the objects of Our profound solicitude.
 惟フニ今後帝國ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラス
 考えてみれば、今後日本の受けるであろう苦難は、言うまでもなく並大抵のものではない。
 今後日本に待ち受ける困難と苦痛は並大抵のものではない。
 The hardships and sufferings to which Our nation is to be subjected hereafter will be certainly great.
 爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル
 あなた方国民の本当の気持ちも私はよく分かっている。
 国民の皆さまの心中深くの気持ちが痛いほど分かっています。
 We are keenly aware of the inmost feelings of all ye, Our subjects.
 然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ萬世ノ爲ニ太平ヲ開カムト欲ス
 しかし、私は時の巡り合わせに従い、堪え難くまた忍び難い思いをこらえ、永遠に続く未来のために平和な世を切り開こうと思う。
 しかし、私は時と運命の巡り合わせに従い、堪え難くまた忍び難い思いをこらえ、永遠に続く未来のために平和な世を切り開こうと思う。
 However, it is according to the dictate of time and fate that We have resolved to pave the way for grand peace for all the generations to come by enduring the unendurable and suffering what is insufferable.
 朕ハ玆ニ國體ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ
 私は、ここにこうして、この国のかたちを維持することができ、忠義で善良なあなた方国民の真心を信頼し、常にあなた方国民と共に過ごすことができる。
 こうして、この国のかたちを保護し維持することによって、国民の誠実さと真心を信頼しながら、善良で忠義な国民と共に居ることができる。
 Having been able to safeguard and maintain the structure of the Imperial State, We are always with ye, Our good and loyal subjects, relying upon your sincerity and integrity.
 若シ夫レ情ノ激スル所濫ニ事端ヲ滋クシ或ハ同胞排擠互ニ時局ヲ亂リ爲ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム
 感情の高ぶりから節度なく争いごとを繰り返したり、あるいは仲間を陥れたりして互いに世情を混乱させ、そのために人としての道を踏み誤り、世界中から信用を失ったりするような事態は、私が最も強く戒めるところである。
 感情の高ぶりから節度なく争いごとを繰り返したり、あるいは仲間を陥れたりして互いに世情を混乱させ、そのために人としての道を踏み誤り、世界中から信用を失ったりするような事態は、私が最も強く戒めるところである。
 Beware most strictly of any outbursts of emotion which may endanger needless complications, or any fraternal contention and strife which may create confusion, lead ye astray and cause ye to lose the confidence of the world.
 宜シク擧國一家子孫相傳ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ
 まさに国を挙げて一家として団結し、子孫に受け継ぎ、神国日本の不滅を固く信じ、任務は重く道のりは遠いと自覚し、
 国をして世代を受け継ぐ一家として団結しよう。神国日本不滅の信念と、祖国再建の重い任務を自覚しよう。道のりは遠かろうとも。
 Let the entire nation continue as one family from generation to generation, ever firm in its faith of the imperishableness of its divine land and mindful of its heavy burden of responsibilities, and the long road before it.
 總力ヲ將來ノ建設ニ傾ケ
 総力を将来の建設のために傾けよ。
 総力を結集し、将来の建設のために邁進せよ。
 Unite your total strength to be devoted to the construction for the future.
 道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ國體ノ精華ヲ發揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ
 踏むべき人の道を外れず、揺るぎない志をしっかりと持って、必ず国のあるべき姿の真価を広く示し、進展する世界の動静には遅れまいとする覚悟を決めなければならない。
 国としての踏むべき道を涵養しよう。その為の精神を気高く保持しよう。即ち、帝国の本来の栄誉を希求すること、進展する世界の動静には遅れまいとする覚悟を陶冶しよう。
 Cultivate the ways of rectitudes; foster nobility of spirit; and work with resolution so as ye may enhance the innate glory of the Imperial State and keep place which the progress of the world.
 爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ體セヨ
 あなた方国民は、これら私の意をよく理解して行動してほしい。
 (この箇所の英文は私には不明)
 御 名 御 璽 (ぎょめいぎょじ) 
 天皇陛下署名及び天皇の印
 Emperor’s signature and seal
 昭和二十年八月十四日
 1945.8.14
 (大東亜戦争終結ノ詔書:八神氏の感慨)
 いかがだったでしょうか。この詔勅にこめられた日本国民への期待と激励と痛恨の想いを、いったいどれだけの国民が、戦後、おぼえていただろうか。

 原文の末に、『よろしく挙国一家、子孫、相伝え、よく神州の不滅を信じ、任重くして道遠きをおもい、総力を将来の建設に傾け、道義を篤(あつ)くし、志操を固くし、誓って国体の精華を発揚し、世界の進運におくれざらんことを期すべし。汝臣民、それよく朕が意を体せよ』とあるが、この言葉は戦後五十三年にわたり、国民からほとんど無視されてきたことがわかる。

 確かに『総力を将来の建設に傾け』『世界の進運におくれざらんことを期す』という所だけは、必死になってやってきた。ところが、だれも『神州の不滅』など忘れ、『道義』も軽んじられ続けた。『志操』もゴミ箱行きで、『国体の精華』なんて、国民体育大会の聖火としか思われないほど、精神性を捨て去ってきたのだ。『挙国、一家』などという言葉すら、戦前の軍国主義への偏見やヤクザの一家という、ものすごく歪曲されたイメージでしかみられないという始末だ。

 物質的な建設と、世界のトレンドに遅れるまいとする姿だけ肥大し、精神にかわることを、放り出してしまったのである。『神州日本の不滅』『道義』『志操』『国体』という意識を、とりもどさないと、この先、だれも生き延びられるまい。

 なにしろ、相手方の欧米やユダヤは、民族・国家意識にはすさまじいものをもっている。彼らの民族意識や国家意識に対抗し、つぶされないで伍してゆくために必要なのは、今あげたような日本独自の民族意識・国家意識の復活なのだ。

 それのない日本人は、欧米流のやりかたにおしつぶされ、奴隷的な生を送るしかないと、筆者は感じる。まっとうな民族意識と国家意識を、復活させることは可能なはずだ。それが『国体の精華を発揚』するということなのだ。

 なぜなら、民族意識こそ、国家にとって民族にとって、最大最強の武器であるからだ。それゆえに、五十三年前、マッカーサーは、まず最初に日本の「民族意識」を、新憲法によって無力化したのだ。

 彼らがもっとも恐れたのは、この国の軍事力ではなく、それを支えつづけた日本人の民族意識・精神力だったことが、これからもわかる。日本人の精神力を骨なしにし、アメリカに魂を売らせることが、最大の武装解除を意味したのである。だからこそ、売ってしまった日本魂を取り戻さなければならない。それこそが、昭和天皇の悲願だったのではないだろうか?


【大東亜戦争(太平洋戦争)開戦の詔書】 
 (原文)
  米英両国ニ対スル宣戦ノ詔書(昭和16年12月8日)

 天佑ヲ保有シ万世一系ノ皇祚ヲ践メル大日本帝国天皇ハ 昭ニ忠誠勇武ナル汝有衆ニ示ス。

 朕茲ニ米国及英国ニ対シテ戦ヲ宣ス。朕カ陸海将兵ハ全力ヲ奮テ交戦ニ従事シ 朕カ百僚有司ハ励精職務ヲ奉行シ 朕カ衆庶ハ各々其ノ本分ヲ尽シ 億兆一心国家ノ総力ヲ挙ケテ征戦ノ目的ヲ達成スルニ遺算ナカラムコトヲ期セヨ。

 抑々東亜ノ安定ヲ確保シ以テ世界ノ平和ニ寄与スルハ 丕顕ナル皇祖考 丕承ナル皇考ノ作述セル遠猷ニシテ 朕カ拳々措カサル所 而シテ列国トノ交誼ヲ篤クシ 万邦共栄ノ楽ヲ偕ニスルハ 之亦帝国カ常ニ国交ノ要義ト為ス所ナリ。今ヤ不幸ニシテ米英両国ト釁端ヲ開クニ至ル 洵ニ已ムヲ得サルモノアリ。豈朕カ志ナラムヤ。
 
 中華民国政府曩ニ帝国ノ真意ヲ解セス 濫ニ事ヲ構ヘテ 東亜ヲ平和ヲ攪乱シ 遂ニ帝国ヲシテ干戈ヲ執ルニ至ラシメ 茲ニ四年有余ヲ経タリ。幸ニ国民政府更新スルアリ。帝国ハ之ト善隣ノ誼ヲ結ヒ 相提携スルニ至レルモ 重慶ニ残存スル政権ハ 米英ノ庇蔭ヲ恃ミテ 兄弟尚未タ牆ニ相鬩クヲ悛メス。

 米英両国ハ残存政権ヲ支援シテ東亜ノ禍乱ヲ助長シ 平和ノ美名ニ匿レテ東洋制覇ノ非望ヲ逞ウセムトス。剰ヘ与国ヲ誘ヒ 帝国ノ周辺ニ於テ武備ヲ増強シテ 我ニ挑戦シ 更ニ帝国ノ平和的通商ニ有ラユル妨害ヲ与ヘ 遂ニ経済断交ヲ敢テシ 帝国ノ生存ニ重大ナル脅威ヲ加フ。

 朕ハ政府ヲシテ事態ヲ平和ノ裡ニ回復セシメムトシ 隠忍久シキニ弥リタルモ 彼ハ毫モ交譲ノ精神ナク 徒ニ時局ノ解決ヲ遷延セシメテ 此ノ間却ツテ益々経済上軍事上ノ脅威ヲ増大シ以テ我ヲ屈従セシメムトス。

 斯ノ如クニシテ推移セムカ 東亜安定ニ関スル帝国積年ノ努力ハ悉ク水泡ニ帰シ 帝国ノ存立亦正ニ危殆ニ瀕セリ。事既ニ此ニ至ル。帝国ハ今ヤ自存自衛ノ為蹶然起ツテ一切ノ障礙ヲ破砕スルノ外ナキナリ。

 皇祖皇宗ノ神霊上ニ在リ朕ハ汝有衆ノ忠誠勇武ニ信倚シ 祖宗ノ遺業ヲ恢弘シ 速ニ禍根ヲ芟除シテ 東亜永遠ノ平和ヲ確立シ 以テ帝国ノ光栄ヲ保全セムコトヲ期ス。

(御名御璽)

 ※引用元「中野文庫」様↓ http://plaza2.mbn.or.jp/~duplex/shou/ss16.htm
 (書き下し現代文)
 米英両国に対する宣戦の詔書(昭和16年12月8日)

 天佑(てんゆう)を保有し、万世一系の皇祚(こうそ)を践(ふ)める大日本帝国天皇は、昭(あきらか)に忠誠勇武なる汝、有衆ゆうしゅう)に示す。

 朕(ちん)、茲(ここ)に米国及び英国に対して戦(たたかい)を宣す。朕が陸海将兵は、全力を奮って交戦に従事し、朕が百僚有司(ひゃくりょうゆうし)は、励精職務を奉行(ほうこう)し、朕が衆庶(しゅうしょ)は各々(おのおの)其(そ)の本分を尽し、億兆一心にして国家の総力を挙げて、征戦の目的を達成するに遺算(いさん)なからむことを期せよ。

 抑々(そもそも)、東亜の安定を確保し、以って世界の平和に寄与するは、丕顕(ひけん)なる皇祖考(こうそこう)、丕承(ひしょう)なる皇考(こうこう)の作述(さくじゅつ)せる遠猷(えんゆう)にして、朕が拳々(きょきょ)措(お)かざる所である。而(しか)して列国との交誼(こうぎ)を篤くし、万邦共栄の楽(たのしみ)を偕(とも)にするは、之亦(これまた)帝国が常に国交の要義と為す所なり。今や、不幸にして米英両国と釁端(きんたん)を開くに至る。洵(まこと)に已(や)むを得ざるものあり。豈(あに)、朕が志(こころざし)ならんや。

 中華民国政府、曩(さき)に帝国の真意を解せず、濫(みだり)に事を構えて東亜の平和を攪乱(かくらん)し、遂(つい)に帝国をして干戈(かんか)を執(と)るに至らしめ、茲(ここ)に四年有余を経たり。幸(さいわい)に国民政府更新するあり。帝国は之(これ)と善隣の誼(よしみ)を結び、相(あい)提携するに至れるも、重慶に残存する政権は、米英の庇蔭(ひいん)を恃(たの)みて、兄弟(けいてい)尚(なお)未(いま)だ牆(しょう)に相鬩(あいせめ)ぐを悛(あらた)めず。

 米英両国は、残存政権を支援して、東亜の禍乱を助長し、平和の美名に匿(かく)れて、東洋制覇の非望(ひぼう)を逞(たくまし)うせんとす。剰(あまつさ)え与国を誘い、帝国の周辺に於(おい)て、武備を増強して我に挑戦し、更に帝国の平和的通商に有(あ)らゆる妨害を与へ、遂に経済断交を敢(あえ)てし、帝国の生存に重大なる脅威を加う。

 朕は、政府をして事態を平和の裡(うち)に回復せしめんとし、隠忍(いんにん)久しきに弥(わた)りたるも、彼は毫(ごう)も交譲(こうじょう)の精神なく、徒(いたづら)に時局の解決を遷延(せんえん)せしめて、此(こ)の間、却(かえ)って益々(ますます)経済上、軍事上の脅威を増大し、以って我を屈従せしめんとす。

 斯(かく)の如くにして、推移せんか。東亜安定に関する帝国積年の努力は、悉(ことごと)く水泡に帰し、帝国の存立、亦(またこ)正に危殆(きたい)に瀕せり。事既(ことすで)に此(ここ)に至る帝国は、今や自存自衛の為、蹶然(けつぜん)起(た)って、一切の障礙(しょうがい)を破砕するの外(ほか)なきなり。

 皇祖皇宗の神霊、上(かみ)に在(あ)り、朕は、汝、有衆の忠誠勇武に信倚(しんき)し、祖宗の遺業を恢弘(かいこう)し、速(すみやか)に禍根を芟除(さんじょ)して、東亜永遠の平和を確立し、以って帝国の光栄を保全せんことを期す。

 御名御璽
 (現代語訳)
「米英両国に対する宣戦の詔書(昭和16年12月8日)」

 天佑(てんゆう)を戴き、万世一系の皇位を継いで今日に至る大日本帝国天皇は、はっきりと忠誠にして武勇ある汝ら国民に示す。

 朕(ちん)はここに、米国及び英国に対して宣戦を布告する。朕の陸海軍の将兵は、全力を奮って交戦に従事し、朕の政府・官僚・役人すべては、職務につとめ励んで身をささげ、朕の国民は、おのおのその本分をつくし、億兆の心を一つにして、国家の総力を挙げ、征戦の目的を達成するために手違いのないように心がけよ。

 そもそも、東アジアの安定を確保し、それをもって世界の平和に寄与する事は、大いなる明治天皇と、その大いさを受け継がれた大正天皇が構想されたことで、遠大なはかりごととして、朕も日頃かたときも忘れずに心がけている事である。そういう理由であるから、各国との交流を篤くおこない、万国の共栄の喜びをともにすることは、帝国の外交の要諦とするところである。今や、不幸にして、米英両国との争いを開始するにいたった。まことにやむをえない事態である。これは朕の本意ではないがもはや後に引けない。

 中華民国政府は、以前より帝国の真意を理解せず、みだりに闘争を起こし、東アジアの平和を攪乱(かくらん)し、遂(つい)に帝国に武器をとらせる事態(慮溝橋事件)にいたり、現在まで四年が過ぎた。さいわいに、国民政府は汪清衛・南京政府に新たに変わった。帝国はこの政府と、善隣の誼(よしみ)を結び、ともに提携するに至ったが、重慶に残存する蒋介石政権は米英の庇護を当てにし、兄弟であるはずの南京政府と未だに相互の境をはさんでせめぎあう姿勢を改めない。

 米英両国は、蒋介石政権を支援し、東アジアの戦禍と混乱を助長し、平和の美名に匿(かく)れて、東洋を征服する非道なる野望をたくましくしている。あまつさえ、くみする国々を誘い、帝国の周辺において、軍備を増強し、わが国に挑戦し、更に帝国の平和的通商にあらゆる妨害を与へ、ついには経済断交(禁輸措置)を意図的におこなって、帝国の生存に重大なる脅威を加えている。

 朕は、政府をして、そのような事態を平和の裡(うち)に解決させようと、長い間、隠忍(いんにん)してきたが、米英は寸毫も譲り合いの精神を持たず、むやみに事態の解決を遅らせ先延ばしにし、その間にもますます、英米による経済上・軍事上の脅威は増大し続け、それによって我が国を屈服させようとしている。

 このような事態が、そのまま推移したならば、東アジアの安定に関して、帝国がはらってきた積年の努力は、ことごとく水の泡となり、帝国の存立も、文字通り危機に瀕することになる。ことここに至っては、帝国は今や、自存と自衛の為に、決然と立上がり、英米による一切の障礙(しょうがい)を破砕する以外に道はない。

 皇祖皇宗の神霊は、天にましまし、朕は、汝ら国民の忠誠と武勇を信頼し、祖先の遺業を押し広め、すみやかに英米による禍根をとり除き、東アジアに永遠の平和を確立し、それによって帝国の光栄の保全を期すものである。

(御名御璽)
 大東亜戦争の開戦を決定する御前会議ごぜんかいぎの時に、昭和天皇が以下の御製を二度詠まれた。
 四方よもの海 みなはらからと 思ふ世に
 など波風の 立ちさわぐらむ
  明治天皇の御製(明治37年)
 その1、米英に対して宣戦布告
 天佑(てんゆうヲ保有シ萬世一系皇祚(ふ)メル大日本帝國天皇ハ 昭(あきらか忠誠勇武ナル(なんじ)有衆(ゆうしゅうニ示ス
 神々の助けを得て神武天皇以来の血筋を引き継ぐ大日本帝国の天皇(註: 昭和天皇)が、忠誠心に厚く勇敢な国民にはっきりと示します。
 朕茲(ここニ米國及英國ニシテ戰(たたかい宣(せん
 私(註:昭和天皇)はここにアメリカとイギリスに対して戦争を行うことを宣言します。
 朕カ陸海將兵ハ全力ヲ奮(ふるっ交戰從事シ 朕カ百僚有司(ひゃくりょうゆうし勵精(れいせい)職務ヲ奉行シ 朕カ衆庶(しゅうしょ各々(おのおの)(そ)本分盡(つくシ 億兆一心(おくちょういっしん國家ノ總力擧()ゲ征戰ノ目的ヲ逹成スルニ遺算(いさんナカラムコトヲ期セヨ
 陸海軍将兵は全力を奮って交戦に従事し、すべての公務員は務めに励んで職務に身を捧げ、臣民はおのおのがその本分を尽くし、1億人の臣民が心を一つにして国家の総力を挙げて、この戦争の目的を達成するにあたって手違いがないように期待します。
 その2、宣戦布告の趣意
 抑々(そもそも東亞ノ安定ヲ確保シ以テ世界ノ平和ニ寄與(きよ)スルハ 丕顯(ひけんナル皇祖考(こうそこう)丕承(ひしょうナル皇考ノ作述セル遠猷(えんゆうニシテ 朕カ拳々(けんけん)(お)カサルところ
 そもそも、東アジアの安定を確保することで世界の平和に寄与することは、大いなる明治天皇(丕顯ひけんナル皇祖考)やその偉大な考えを引き継いだ大正天皇(丕承ナル皇考)がお立てになった遠大なる構想であり、私(註: 昭和天皇)もそれをとてもとても大切に思っている(拳々措カサル)ところです。
 而(しこうシテ列國トノ交誼篤(あつクシ萬邦共榮(ばんぽうきょうえい(たのしみ)(とも)ニスルハ 之亦(これまた)帝國カ常ニ國交要義(ようぎ(な)ナリ
 そのような考え方があるからこそ、世界各国と親しくして全ての国が共に栄えていく喜びをともにすることは、これまた日本が常に外国とお付き合いをしていく中で最も大切にしている考え方です。
 今ヤ不幸ニシテ米英兩國釁端(きんたんヲ開クニ至ル
 ところが今は不幸にして米英両国と武力衝突(釁端きんたん)を生ずる状況に至っています。
 洵(まこと)已(や)ムヲサルモノアリ
 これは誠にやむを得なかったことなのです。
 豈(あに)朕(ちん)志(こころざしナラムヤ
 どうして私(註: 昭和天皇)が米英と戦うという志を持つというのでしょうか(開戦の意志は本意ではない)。
 開戦時に昭和天皇は米英との戦争を始めることは「止むを得ない」と仰っている点に注目しましょう。侵略の意図を開戦詔勅の詔から読み取ることはできません。
 その3、支那事変(日中戦争)の状況
 中華民國政府曩(さき帝國眞意ヲ解セス 濫(みだり(こと)ヲ構ヘテ東亞ノ平和ヲ攪亂(かくらんシ 帝國ヲシテ干戈(かんか執(ルニ至ラシメ 茲(ここ四年有餘經(タリ
 中華民国政府(蒋介石しょうかいせき政府)は、日本の外交方針の基本的な考え方を理解せぬまま分別なく抵抗を続け、東アジアの平和をかき乱して日本に武器を執らせる(干戈ル)に至って4年余りが経過しました。(4年余り前というのが昭和12年(西暦1937年)7月7日から始まった支那事変しなじへん(日中戦争)のことを指す)
 幸(さいわい國民政府更新スルアリ
 幸いにも、中国(チャイナ)は国民政府(汪兆銘おうちょうめい政府)に変わりました。(ここでいう国民政府とは汪兆銘政府のこと。東アジアの平和を中華民国の手によって成し遂げようとしていた蒋介石とは意見を異にし、日本をリーダーとした東アジアの秩序を実現しようとしていた)
 帝國之(これ善隣誼(よしみヲ結ヒ相提攜(あいていけい)スルニ至レルモ 重慶ニ殘存スル政權ハ米英ノ庇蔭(ひいん(たのみ)ミテ兄弟(けいてい)尚(なお未タ(かき)相鬩(あいせめ)クヲ(あらた)メス
 日本は汪兆銘政府とよき隣国としてお互いに助け合うようになったが、重慶に残る蒋介石政府はアメリカ及びイギリスからこっそり(庇蔭)と助けてもらってこれに頼り、同じ中国人である汪兆銘政府とまだお互いにせめぎあっている姿勢を改めていない状況です。(汪兆銘政権は日本の傀儡(かいらい)政権だとする解説が教科書には多いが、資料を読んでいくと当時の中国(チャイナ)の国民からは絶大な支持を得られていることが分かっている。重慶に残る蒋介石政府はアメリカ及びイギリスからこっそり助けてもらってこれに頼り」とは、いわゆる「援蒋えんしょうルート」のことである)
 米英兩國殘存政權ヲ支援シテ東亞禍亂(からん助長シ 平和ノ美名ニ(かく)レテ東洋制覇ノ非望(ひぼう)逞(たくましウセムトス
 米英両国は、蒋介石政府を支援して東アジアの混乱を助長し、「平和のため」という美名にかくれて、実はこっそりとアジアの覇権を握ろうとするけしからん考え方を持っている。
 その4、 米英の日本に対する経済断交について
 剩(あまつさヘ)與國(よこく)誘(いざな帝國周邊(しゅうへん)於(おいテ武備ヲ増強シテ我ニ挑戰シ 更ニ帝國ノ平和的通商ニ有(ラユル妨害ヲ與(あたヘ 經濟斷交(あえ)テシ 帝國ノ生存ニ重大ナル脅威ヲ加フ
 それだけでなく、米英両国は同盟国を誘って日本の周辺において軍備を増強して我が国に挑戦し、さらに日本の平和的な通商に対してあらゆる妨害を加え、ついに経済断交をし、日本の存立に重大なる脅威を加えました。(ここでいう「経済断交」というのは、昭和16年(西暦1941年)8月にアメリカが日本への石油輸出を禁止したことや「ABCD包囲網」などを指している。日本は当時石油の輸入をアメリカに頼っており、対日石油輸出禁止をされると日本は大きな痛手を被ることになった)
 朕ハ政府ヲシテ事態ヲ平和ノ(うち)囘復セシメムトシ 隱忍(いんにん)久シキニ彌(わたリ)タルモ 彼ハ毫(ごう交讓(こうじょうノ精神ナク徒(いたづら時局ノ解決ヲ遷延(せんえんセシメテ 此((かん)却(かえツテ益々(ますます)經濟上軍事上ノ脅威ヲ増大シ 以(もっテ我ヲ屈從セシメムトス
 私(註: 昭和天皇)は政府に対してこの事態を平和のうちに解決させようとし、じっと我慢をしてきましたが、米英両国はお互いに仲良くしていこうという精神はほんの少しも(モ)なく、この状態の解決を先延ばしにして、この間にかえって我が国にとっての経済上や軍事上の脅威がますます増大し、我が国に圧力をかけて従わせようとしています。
 その5、自存自衛のために戦争を行う
 斯(かくクニシテ推移セムカ 東亞安定ニスル帝國積年ノ努力ハ悉(ことごと水泡(き)シ 帝國ノ存立亦(また)正(まさ危殆(きたい瀕(ひんセリ
 このように事態が推移すると、東アジアの安定に関する大日本帝国の積年の努力は水の泡となり、日本の存立もまた危うくなっています。
 事(こと)既(すで)此(ここニ至ル帝國ハ今ヤ自存自衞ノ()蹶然(けつぜん)起ツテ一切ノ障礙(しょうがい破碎(はさい)スルノ(ほか)ナキナリ
 事態がここまで悪くなっている日本は、今や自存自衛のため、決意を持って一切の障害を粉々にするほかはありません。
 皇祖皇宗神靈上(かみニ在リ
 私(註: 昭和天皇)たちには天照大御神から続く皇室の祖先や歴代天皇がいらっしゃいます。
 朕ハ汝有衆ノ忠誠勇武ニ信倚(しんいシ 祖宗(そそうノ遺業ヲ恢弘(かいこう)シ 速(すみやか禍根芟除(せんじょシテ 東亞永遠ノ平和ヲ確立シ テ帝國ノ光榮ヲ保全セムコトヲ期ス
 私は国民の忠誠心や武勇を信頼し、歴代天皇の遺業を世に広め、速やかに災いの根源を取り除いて、東アジアの永遠の平和を確立し、それによって我が国の栄光を護っていきたいのです。

【清国ニ対スル宣戦ノ詔勅】
 (原文)
「清国ニ対スル宣戦ノ詔勅」(明治27年8月1日)

 天佑ヲ保全シ万世一系ノ皇祚ヲ践メル大日本帝国皇帝ハ忠実勇武ナル汝有衆ニ示ス。朕茲ニ清国ニ対シテ戦ヲ宣ス。朕カ百僚有司ハ宜ク朕カ意ヲ体シ 陸上ニ海面ニ清国ニ対シテ交戦ノ事ニ従ヒ 以テ国家ノ目的ヲ達スルニ努力スヘシ。苟モ国際法ニ戻ラサル限リ各々権能ニ応シテ一切ノ手段ヲ尽スニ於テ 必ス遺漏ナカラムコトヲ期セヨ。

 惟フニ朕カ即位以来茲ニ二十有余年文明ノ化ヲ平和ノ治ニ求メ 事ヲ外国ニ構フルノ極メテ不可ナルヲ信シ 有司ヲシテ常ニ友邦ノ誼ヲ篤クスルニ努力セシメ 幸ニ列国ノ交際ハ年ヲ逐フテ親密ヲ加フ。何ソ料ラム 清国ノ朝鮮事件ニ於ケル我ニ対シテ著著鄰交ニ戻リ信義ヲ失スルノ挙ニ出テムトハ。

 朝鮮ハ帝国カ其ノ始ニ啓誘シテ列国ノ伍伴ニ就カシメタル独立ノ一国タリ。而シテ清国ハ毎ニ自ラ朝鮮ヲ以テ属邦ト称シ 陰ニ陽ニ其ノ内政ニ干渉シ 其ノ内乱アルニ於テ口ヲ属邦ノ拯難ニ籍キ兵ヲ朝鮮ニ出シタリ。

 朕ハ明治十五年ノ条約ニ依リ兵ヲ出シテ変ニ備ヘシメ 更ニ朝鮮ヲシテ禍乱ヲ永遠ニ免レ治安ヲ将来ニ保タシメ 以テ東洋全局ノ平和ヲ維持セムト欲シ 先ツ清国ニ告クルニ協同事ニ従ハムコトヲ以テシタルニ 清国ハ翻テ種々ノ辞抦ヲ設ケ之ヲ拒ミタリ。 

 帝国ハ是ニ於テ朝鮮ニ勧ムルニ 其ノ秕政ヲ釐革シ 内ハ治安ノ基ヲ堅クシ 外ハ独立国ノ権義ヲ全クセムコトヲ以テシタルニ 朝鮮ハ既ニ之ヲ肯諾シタルモ 清国ハ終始陰ニ居テ百方其ノ目的ヲ妨碍シ 剰ヘ辞ヲ左右ニ托シ 時機ヲ緩ニシ 以テ其ノ水陸ノ兵備ヲ整ヘ 一旦成ルヲ告クルヤ直ニ其ノ力ヲ以テ其ノ欲望ヲ達セムトシ更ニ大兵ヲ韓土ニ派シ 我艦ヲ韓海ニ要撃シ殆ト亡状ヲ極メタリ。 

 則チ清国ノ計図タル明ニ朝鮮国治安ノ責ヲシテ帰スル所アラサラシメ 帝国カ率先シテ之ヲ諸独立国ノ列ニ伍セシメタル朝鮮ノ地位ハ之ヲ表示スルノ条約ト共ニ之ヲ蒙晦ニ付シ 以テ帝国ノ権利利益ヲ損傷シ 以テ東洋ノ平和ヲシテ永ク担保ナカラシムルニ存スルヤ。疑フヘカラス 熟々其ノ為ス所ニ就テ深ク其ノ謀計ノ存スル所ヲ揣ルニ 実ニ始メヨリ平和ヲ犠牲トシテ其ノ非望ヲ遂ケムトスルモノト謂ハサルヘカラス。

 事既ニ茲ニ至ル。朕平和ト相終始シテ以テ帝国ノ光栄ヲ中外ニ宣揚スルニ専ナリト雖亦公ニ戦ヲ宣セサルヲ得サルナリ。汝有衆ノ忠実勇武ニ倚頼シ速ニ平和ヲ永遠ニ克復シ 以テ帝国ノ光栄ヲ全クセムコトヲ期ス。

(御名御璽)
 (書き下し現代文)
「清国に対する宣戦の詔勅(日清戦争開戦の詔書)」(明治27年8月1日)

 天佑を保全し、万世一系の皇祚(こうそ)を践(ふ)める大日本帝国皇帝は、忠実勇武なる汝、有衆(ゆうしゅう)に示す。

 朕、茲(ここ)に清国に対して戦(たたかい)を宣す。朕が百僚有司(ひゃくりょうゆうし)は宜(よろし)く朕が意を体し、陸上に海面に、清国に対して交戦の事に従い、以って国家の目的を達するに努力すべし。苟(いやしく)も国際法に戻(もと)らざる限り、各々(おのおの)権能に応じて、一切の手段を尽すに於(おい)て必ず遺漏(いろう)なからんことを期せよ。

 惟(おも)うに、朕が即位以来、茲(ここ)に二十有余年、文明の化を平和の治(ち)に求め、事を外国に構うるの極めて不可なるを信じ、有司をして常に友邦の誼(よしみ)を篤(あつ)くするに努力せしめ、幸(さいわい)に列国の交際は、年を逐(お)うて親密を加う。何ぞ料(はか)らん。清国の朝鮮事件に於ける、我に対して著著鄰交(ちょちょりんこう)に戻(もと)り、信義を失するの挙に出でんとは。

 朝鮮は、帝国が其(そ)の始(はじめ)啓誘(けいゆう)して、列国の伍伴(ごはん)に就(つ)かしめたる独立の一国たり。 而(しか)して清国は、毎(つね)に自ら朝鮮を以って属邦と称し、陰に陽に其の内政に干渉し、其の内乱あるに於て、口を属邦の拯難(じょうなん)に籍(し)き、兵を朝鮮に出したり。

 朕は、明治十五年の条約に依(よ)り、兵を出して変に備えしめ、更に朝鮮をして禍乱(からん)を永遠に免れ、治安を将来に保たしめ、以って東洋全局の平和を維持せんと欲し、先(ま)ず清国に告ぐるに、協同事に従わんことを以ってしたるに、清国は翻(ひるがえっ)て、種々の辞抦(じへい)を設け、之(これ)を拒みたり。

 帝国は、是に於いて、朝鮮に勧むるに、其の秕政(ひせい)を釐革(りかく)し、内は治安の基(もとい)を堅くし、外は独立国の権義を全くせんことを以ってしたるに、朝鮮は、既に之を肯諾(こうだく)したるも、清国は終始、陰に居て、百方其の目的を妨碍(ぼうがい)し、剰(あまつさ)ヘ、辞を(ことば)左右に托(たく)し、時機を緩(ゆるやか)にし、以って其の水陸の兵備を整え、一旦成るを告ぐるや、直(ただち)に其の力を以って、其の欲望を達せんとし、更に大兵を韓土に派し、我が艦を韓海に要撃し、殆(ほとん)ど亡状を極めたり。

 則(すなわ)ち、清国の計図(けいと)たる、明(あきらか)に朝鮮国治安の責をして、帰する所あらざらしめ、帝国が率先して、之を諸独立国の列に伍せしめたる朝鮮の地位は、之を表示するの条約と共に、之を蒙晦(もうかい)に付し、以って帝国の権利、利益を損傷し、以って東洋の平和をして、永く担保なからしむるに存するや、疑うべからず。熟々(つらつら)其の為す所に就(つき)て、深く其の謀計の存する所を揣(はか)るに、実に始めより平和を犠牲として、其の非望を遂げんとするものと謂(い)わざるべからず。

 事既に、茲(ここ)に至る。朕、平和と相終始(あいしゅうし)して、以って帝国の光栄を中外に宣揚(せんよう)するに専(もっぱら)なりと雖(いえども)、亦(また)公(おおやけ)に戦を宣せざるを得ざるなり。汝、有衆の忠実勇武に倚頼(いらい)し、速(すみやか)に平和を永遠に克復(こくふく)し、以って帝国の光栄を全くせむことを期す。

(御名御璽)
 (現代語訳)
「清国に対する宣戦の詔勅(日清戦争開戦の詔書)」(明治27年8月1日)

 天の助力を完全に保ってきた、万世一系の皇位を受け継いだ大日本帝国の皇帝は、忠実にして勇武なる汝ら、国民に示す。

 余は、ここに、清国に対して宣戦を布告する。余の政府関係者・官僚・役人のすべては、宜(よろし)く余の意志を体し、陸上にあっても海上にあっても、清国に対しては、交戦に従事し、それをもって国家の目的を達成するよう努力すべし。いやしくも国際法に抵触しない限り、各員、その立場と能力に応じて、あらゆる手段をつくして漏れ落ちるところの無いように心を定めよ。

 余が深く考えるに、余の即位以来、二十有余年の間、文明開化を平和な治世のうちに求め、外国と事を構えることは、極めてあってはならないことと信じ、政府に対して、常に友好国と友好関係を強くするよう努力させた。幸(さいわい)に、諸国との交際は、年をおうごとに親密さを加えてきた。どうして、予測できたであろうか。清国が、朝鮮事件によって、わが国に対し、隠すところのない友好関係にそむき、信義を失なわせる挙に出ようとは。

 朝鮮は、帝国が、そのはじめより、導き誘って諸国の仲間となした一独立国である。しかし、清国は、ことあるごとに、自ら朝鮮を属国であると主張し、陰に陽に朝鮮に内政干渉し、そこに内乱が起こるや、属国の危機を救うという口実で、朝鮮に対し出兵した。

 余は、明治十五年の天津条約により、朝鮮に兵を出して事変に備えさせ、更に朝鮮から戦乱を永久になくし、将来にわたって治安を保ち、それをもって東洋全域の平和を維持しようと欲し、まず清国に(朝鮮に関しては)協同で事にあたろうと告げたのだが、清国は態度を変え続け、さまざまないい訳をもうけて、この提案を拒んだ。

 帝国は、そのような情勢下で、朝鮮に対して、その悪政を改革し、国内では治安の基盤を堅くし、対外的には独立国の権利と義務を全うすることを勧め、朝鮮は、既にその勧めを肯定し受諾したのにもかかわらず、清国は終始、裏にいて、あらゆる方面から、その目的を妨害し、それどころか(外交上の)言を左右にしながら口実をもうけ、時間をかせぐ一方、(自国の)水陸の軍備を整え、それが整うや、ただちにその戦力をもって、(朝鮮征服の)欲望を達成しようとし、更に大軍を朝鮮半島に派兵し、我が海軍の艦を黄海に要撃し、(豊島沖海戦で日本海軍に敗れ)ほとんど壊滅の極となった。

 すなわち、清国の計略は、あきらかに朝鮮国の治安の責務をになうものとしての帝国を否定し、帝国が率先して、独立諸国の列に加えた朝鮮の地位を、それらを明記した天津条約と共に、めくらましとごまかしの中に埋没させ、帝国の権利、利益に損害を与え、東洋の永続的な平和を保障できなくすることにある。これは疑いようがない。よくよく清国の為す所に関して、そのたくらみごとのありかを深く洞察するならば、実に最初から(朝鮮はじめ東洋の)平和を犠牲にしてでも、その非常なる野望を遂げようとしていると言わざるをえない。

 事は既に、ここまできてしまったのである。余は、平和であることに終始し、それをもって、帝国の栄光を国内外にはっきりと顕現させることに専念しているのではあるけれど、その一方で、公式に宣戦布告せざるをえない。汝ら、国民の忠実さと勇武さに寄り頼み、速(すみやか)に、この戦争に勝って、以前と同じ平和を恒久的に取り戻し、帝国の栄光を全うすることを決意する。

(御名御璽)

【日清講和に関する詔勅】
 (原文)
 『清国ト講和後ニ関スル詔勅』原文(明治28年4月21日)

 朕惟フニ国運ノ進張ハ治平ニ由リテ求ムヘク治平ヲ保持シテ克ク終始アラシムルハ朕カ祖宗ニ承クルノ天職ニシテ亦即位以来ノ志業タリ

 不幸客歳清国ト釁端ヲ啓キ朕ハ止ムヲ得スシテ之ト干戈ヲ交ヘ十余月ノ久シキ結ヒテ解クル能ハス 而シテ在廷ノ臣僚ハ陸海両軍及議会両院ト共ニ咸能ク朕カ旨ヲ体シテ朕カ事ヲ奨メ内ニ在テハ参画経営シ貲用ヲ給シ需供ヲ豊ニシ防備ニ力メ外ニ在テハ櫛風沐雨祁寒隆暑ニ暴露シ百艱ヲ冒シ万死ヲ顧ミス旭旗ノ指ス所風靡セサルナシ出征ノ師ハ仁愛節制ノ声誉ヲ播シ外交ノ政ハ捷敏快暢ノ能事ヲ尽シ以テ能ク帝国ノ威武ト光栄トヲ中外ニ宣揚シタリ 

 是レ朕カ祖宗ノ威霊ニ頼ルト雖モ百僚臣庶ノ忠実勇武精誠天日ヲ貫クニ非サルヨリハ安ソ能ク此ニ至ランヤ 朕ハ深ク汝有衆ノ忠勇精誠ニ倚信シ汝有衆ノ協翼ニ頼リ治平ノ回復ヲ図リ国運進張ノ志業ヲ成サムトスルニ切ナリ 

 今ヤ朕清国ト和ヲ講シ既ニ休戦ヲ約シ干戈ヲオサムル将ニ近ニ在ラムトス 清国渝盟ヲ悔ユルノ誠已ニ明ニシテ帝国全権弁理大臣ノ按定セル条件克ク朕カ旨ニ副フ治平光栄併テ之ヲ獲ル 亦文武臣僚ノ互ニ相待テ全功ヲ収メタルニ外ナラス 祖宗大業ノ恢弘今ヤ方ニ其ノ基ヲ鞏メ朕カ祖宗ニ対スルノ天職ハ斯ニ其ノ重ヲ加フ 

 朕ハ更ニ朕ノ志ヲ汝有衆ニ告ケ以テ将来ノ嚮フ所ヲ明ニセサルヘカラス朕固リ今回ノ戦捷ニ因リ帝国ノ光輝ヲ闡発シタルヲ喜フト共ニ大日本帝国ノ前程ハ朕カ即位以来ノ志業ト均ク猶ホ甚タ悠遠ナルヲ知ル 朕ハ汝有衆ト共ニ努テ驕綏ヲ戒メ謙抑ヲ旨トシ益々武備ヲ収メテ武ヲ涜スコトナク益々文教ヲ振テ文ニ泥ムコトナク上下一致各々其ノ事ヲ勉メ其ノ業ヲ励ミ以テ永遠富強ノ基礎ヲ成サムコトヲ望ム 戦後軍防ノ計画財政ノ整理ハ朕有司ニ信任シテ専ラ賛籌ノ責ニ当ラシムヘシト雖モ積累蘊蓄以テ国本ヲ培フハ主トシテ億兆忠良ノ臣庶ニ頼ラサルヘカラス 

 若夫勝ニ狃レテ自ラ驕リ漫ニ他ヲ侮リ信ヲ友邦ニ失フカ如キハ朕カ断シテ取ラサル所ナリ 乃チ清国ニ至テハ講和条約批准交換ノ後ハ其ノ友交ヲ復シ以テ善鄰ノ誼愈々敦厚ナルヲ期スヘシ汝有衆其レ善ク朕カ意ヲ体セヨ

 御名御璽
 (書き下し現代文) 
 朕、惟(おも)うに、国運の進張は、治平に由(よ)りて求むべく治平を保持して、克(よ)く終始あらしむるは、朕が祖宗に承(うく)るの天職にして、亦(また)即位以来の志業たり。

 不幸にして客歳(かくさい)、清国と釁端(きんたん)を啓(ひら)き、朕は止(や)むを得ずして之(これ)と干戈(かんか)を交え、十余月の久しき結びて解くる能(あた)わず。而(しか)して在廷の臣僚は、陸海両軍及び議会両院と共に、咸(みな)能(よ)く朕が旨(むね)を体(たい)して、朕が事を奨(すす)め、内に在(あり)ては参画経営し、貲用(しよう)を給し、需供(じゅきょう)を豊(ゆたか)にし、防備に力(つと)め、外に在ては櫛風(しつふう)沐雨(もくう)祁寒(きかん)隆暑(りゅうしょ)に暴露し、百艱(ひゃっかん)を冒(おか)し、万死を顧みず、旭旗(きょくき)の指す所、風靡(ふうび)せざるなし。

 出征の師は、仁愛節制の声誉を播(はん)し、外交の政(まつりごと)は捷敏(しょうびん)快暢(かいちょう)の能事(のうじ)を尽し、以って能(よ)く帝国の威武と光栄とを中外に宣揚(せんよう)したり。 

 是(こ)れ朕が祖宗の威霊に頼ると雖(いえど)も、百僚臣庶(ひゃくりょうしんしょ)の忠実、勇武、精誠、天日を貫くに非(あら)ざるよりは、安(いずくん)ぞ、能(よ)く此(これ)に至らんや。朕は、深く汝、有衆(ゆうしゅう)の忠勇精誠に倚信(いしん)し、汝、有衆の協翼(きょうよく)に頼り、治平の回復を図り、国運進張の志業を成さむとするに切なり。 

 今や、朕、清国と和を講じ、既に休戦を約し、干戈をおさむる。将(まさ)に近くに在らんとす。清国、渝盟(ゆめい)を悔ゆるの誠、已(すで)に明(あきらか)にして、帝国全権弁理大臣の按定(あんてい)せる条件、克(よ)く朕が旨に副(そ)う治平、光栄、併(あわせ)て之を獲(と)る。亦(また)、文武臣僚の互に相待って、全功を収めたるに外(ほか)ならず、祖宗大業ノ恢弘(かいこう)、今や方(まさ)に、其(そ)の基(もとい)を鞏(かた)め、朕が祖宗に対するの天職は、斯(かよう)に其の重(おもき)を加う。

 朕は、更に朕の志を、汝、有衆に告げ、以って将来の嚮(むか)う所を明(あきらか)にせざるべからず。朕、固(もとよ)り今回の戦捷に因(よ)り、帝国の光輝を闡発(せんぱつ)したるを喜ぶと共に、大日本帝国の前程は、朕が即位以来の志業と均(ひとし)く、猶(な)お甚だ悠遠なるを知る。朕は、汝、有衆と共に努(つとめ)て驕綏(きょうすい)を戒め、謙抑(けんよく)を旨とし、益々(ますます)武備を収めて武を涜(けが)すことなく、益々、文教を振(ふる)って文に泥(なず)むことなく、上下一致、各々其の事を勉(つと)め、其の業を励み、以って永遠富強の基礎を成さんことを望む。

 戦後、軍防の計画財政の整理は、朕、有司に信任して専(もっぱ)ら賛籌(さんちゅう)の責に当らしむべしと雖(いえど)も、積累蘊蓄(せきるいうんちく)以って国本(こくほん)を培(つちか)うは、主として億兆忠良の臣庶(しんしょ)に頼らざるべからず。 

 若(もし)夫(それ)勝に狃(な)れて自ら驕(おご)り、漫(みだり)に他を侮り、信を友邦に失うが如きは、朕が断じて取らざる所なり。乃(すなわ)ち、清国に至っては、講和条約、批准交換の後は、其の友交を復し、以って善鄰(ぜんりん)の誼(よしみ)、愈々(いよいよ)敦厚(とんこう)なるを期すべし。汝、有衆、其れ善(よ)く、朕が意を体せよ。

 御名御璽
 (現代語訳)
 余が深く考えるに、国運の進展というものは、平和裏に求めるべきで、治世の太平を保持して、はじめから終わりまで何事も平和であるようにするのが、余が皇室の祖神・ご先祖から受け継いだ天皇の職務であり、同時に即位以来、志してきた事業でもある。

 不幸にして昨年、清国と不和の状態をきたし、余はやむを得ず、清国と交戦にはいり、十数カ月の久しきにわたって戦闘が続き、それを解くことができなかった。しかしながら、わが朝廷の大臣・官僚は、陸海の両軍及び議会両院と共に、全員が余の意志をよく実現し、余の事業を推し進め、国内では戦争遂行のための運営計画に参加して、戦費を調達し、物資の需給を豊富にし、国防につとめ、国外では(軍が)風雨に打たれ、厳寒、熱暑の辛苦にさらされ、あらゆる苦難の体験をし、あまたの犠牲者をもおそれず、日章旗のおもむくところ、従いなびかない者はなかった。

 戦地におもむいたわが軍は、仁愛と節制(ある軍隊)の声望と名誉を(戦地や内外に)広め、外交交渉も勝つこと機敏にして、自由にさまたげなく為すべき努めをなし、それによって、よく帝国の軍事の威力と栄光とを、内外に広め伝えた。

 このような結果を得たのも、余が祖神祖霊を頼りにしたとはいえ、大臣官僚、国民すべての忠実、勇武、精誠の気概が、天空の太陽をも貫かんばかりだったからであって、そうでなければ、どうしてこのような勝利を得られたであろうか。余は、汝、国民の忠勇精誠に、深く寄り頼み、汝、国民の協力に頼りながら、平和な治世の回復を図り、国運進展の事業を成就しようと切に願っている。 

 今現在、余は清国と和を講じ、既に休戦条約を結び、軍をひいた。本当に近しくなっているといってよい。清国は、戦前の条約違反を悔いて、すでにその誠意は明確であるし、帝国の全権大使となった大臣の案じ定めた条件も、よく余の意志にそうもので、平和と栄光と、両方を満たす。それだけではなく、文武の大臣官僚たちが互いに力を出し合ったからこそ、完全な成功を得たのにほかならず、祖神祖霊より受け継いだ大業を押し広め、今こそ、その基盤を打ち固め、余が祖神祖霊に対して受け持つ天皇の事業は、以上のような経緯でその重みを加えるものである。

 余は、更に余の志を、汝、国民に告げ、それをもって将来にわたっての方向性を明らかにせずにはいられない。余は、もとより今回の戦勝によって、帝国の光輝が開けて明らかになったことを喜ぶとともに、大日本帝国の前途は、余が即位以来、志としてきた事業と同様、なお非常にはるかに遠いものであることを知っている。余は、汝、国民と共に、驕りと油断を戒めるよう努力し、へりくだった自制を旨とし、ますます軍備を充実し、武名をけがすことなく、ますます文教政策を振興して、文に馴れることなく、上下のものがみな一致して、各自が文武の事につとめ、職業に励み、それをもって帝国の永遠富強なる基礎と成すことを望むものである。

 戦後の軍事計画、軍財政の整理については、余は政府役人を信任し、常に図って相談しあう責務に当たらせるけれども、政府役人の知識・知恵の蓄積をもって国そのものをつちかってゆくには、主に何千何万というわが国民の力に頼らないではいられないものである。

 もし、わが国が今回の勝利に馴れて自ら驕(おご)り、みだりに他国を侮り、友好国の信用を失うようなことは、余が断じて認めないところである。すなわち、清国の場合であれば、講和条約と批准書の交換の後は、其の友交関係を旧に復し、それをもって善い友好関係を結ぶことを、以前にもましてさらに厚くすることを決意するべきである。汝、国民は、そのような余の意志を、よく実現せよ。

 御名御璽

【露国ニ対スル宣戦ノ詔勅】
 明治37年2月10日の「露国ニ対スル宣戦ノ詔勅 」。
 (原文)
 天佑ヲ保有シ万世一系ノ皇祚ヲ践メル大日本国皇帝ハ忠実勇武ナル汝有衆ニ示ス。

 朕茲ニ露国ニ対シテ戦ヲ宣ス。朕カ陸海軍ハ宜ク全力ヲ極メテ露国ト交戦ノ事ニ従フヘク 朕カ百僚有司ハ宜ク各々其ノ職務ニ率ヒ 其ノ権能ニ応シテ 国家ノ目的ヲ達スルニ努力スヘシ。凡ソ国際条規ノ範囲ニ於テ一切ノ手段ヲ尽シ遺算ナカラムコトヲ期セヨ。

 惟フニ文明ヲ平和ニ求メ列国ト友誼ヲ篤クシテ以テ東洋ノ治安ヲ永遠ニ維持シ 各国ノ権利利益ヲ損傷セスシテ永ク帝国ノ安全ヲ将来ニ保障スヘキ事態ヲ確立スルハ 朕夙ニ以テ国交ノ要義ト為シ旦暮敢テ違ハサラムコトヲ期ス。朕カ有司モ亦能ク朕カ意ヲ体シテ事ニ従ヒ 列国トノ関係年ヲ逐フテ益々親厚ニ赴クヲ見ル。今不幸ニシテ露国ト釁端ヲ開クニ至ル。豈朕カ志ナラムヤ。

 帝国ノ重ヲ韓国ノ保全ニ置クヤ一日ノ故ニ非ス。是レ両国累世ノ関係ニ因ルノミナラス 韓国ノ存亡ハ実ニ帝国安危ノ繋ル所タレハナリ。然ルニ露国ハ其ノ清国トノ明約及列国ニ対スル累次ノ宣言ニ拘ハラス 依然満洲ニ占拠シ 益々其ノ地歩ヲ鞏固ニシテ終ニ之ヲ併呑セムトス。若シ満洲ニシテ露国ノ領有ニ帰セン乎。韓国ノ保全ハ支持スルニ由ナク 極東ノ平和亦素ヨリ望ムヘカラス。故ニ朕ハ此ノ機ニ際シ 切ニ妥協ニ由テ時局ヲ解決シ以テ平和ヲ恒久ニ維持セムコトヲ期シ 有司ヲシテ露国ニ提議シ半歳ノ久シキニ亙リテ屡次折衝ヲ重ネシメタルモ 露国ハ一モ交譲ノ精神ヲ以テ之ヲ迎ヘス 曠日弥久徒ニ時局ノ解決ヲ遷延セシメ 陽ニ平和ヲ唱道シ陰ニ海陸ノ軍備ヲ増大シ 以テ我ヲ屈従セシメムトス。凡ソ露国カ始ヨリ平和ヲ好愛スルノ誠意ナルモノ毫モ認ムルニ由ナシ。露国ハ既ニ帝国ノ提議ヲ容レス 韓国ノ安全ハ方ニ危急ニ瀕シ 帝国ノ国利ハ将ニ侵迫セラレムトス。事既ニ茲ニ至ル。帝国カ平和ノ交渉ニ依リ求メムトシタル将来ノ保障ハ今日之ヲ旗鼓ノ間ニ求ムルノ外ナシ。朕ハ汝有衆ノ忠実勇武ナルニ倚頼シ 速ニ平和ヲ永遠ニ克復シ 以テ帝国ノ光栄ヲ保全セムコトヲ期ス。

 御名御璽 明治三十七年二月十日
内閣総理大臣 伯爵 桂    太  郞
内  務  大  臣
海  軍  大  臣 男爵 山 本 權 兵 衞
農 商 務 大 臣 男爵 清 浦 奎 吾
大  蔵  大  臣 男爵 曾 禰 荒 助
外  務  大  臣 男爵 小 村 壽 太 郎
陸  軍  大  臣 寺 内 正 毅
司  法  大  臣 波 田 野 敬 直
遞  信  大  臣 大 浦 兼 武
文  部  大  臣 久 保 田  讓
 (書き下し現代文)
 天佑ヲ保有シ、万世一系ノ皇祚(こうそ)ヲ践(ふ)メル大日本帝国皇帝ハ、忠実勇武ナル、汝、有衆(ゆうしゅう)ニ示ス。

 朕、茲(ここ)ニ、露国ニ対シテ戦ヲ宣ス。朕ガ陸海軍ハ宜(よろし)ク全力ヲ極メテ露国ト交戦ノ事ニ従フベク、朕ガ百僚有司(ひゃくりょうゆうし)ハ、宜ク各々(おのおの)其(そ)ノ職務ニ率(したが)ヒ、其ノ権能ニ応ジテ国家ノ目的ヲ達スルニ努力スベシ。凡(おおよ)ソ、国際条規ノ範囲ニ於テ、一切ノ手段ヲ尽シ、遺算ナカラムコトヲ期セヨ。

 惟(おも)フニ、文明ヲ平和ニ求メ、列国ト友誼(ゆうぎ)ヲ篤クシテ、以テ東洋ノ治安ヲ永遠ニ維持シ、各国ノ権利利益ヲ損傷セズシテ、永ク帝国ノ安全ヲ、将来ニ保障スべキ事態ヲ確立スルハ、朕、夙(つと)ニ以テ国交ノ要義ト為シ、旦暮(たんぼ)敢(あえ)テ違(たが)ハザラムコトヲ期ス。朕ガ有司モ亦(また)、能(よ)ク朕ガ意ヲ体シテ事ニ従ヒ、列国トノ関係年ヲ逐(お)フテ、益々親厚ニ赴(おもむ)クヲ見ル。

 今、不幸ニシテ露国ト釁端(きんたん)ヲ開クニ至ル。豈(あに)朕ガ志ナラムヤ。帝国ノ重(おもき)ヲ韓国ノ保全ニ置クヤ、一日ノ故ニ非(あら)ズ。是(こ)レ両国累世ノ関係ニ因(よ)ルノミナラズ、韓国ノ存亡ハ、実ニ帝国安危ノ繋(かか)ル所タレバナリ。

 然ルニ、露国ハ其ノ清国トノ明約及ビ列国ニ対スル累次ノ宣言ニ拘ハラズ、依然、満洲ニ占拠シ、益々(ますます)其ノ地歩ヲ鞏固(きょうこ)ニシテ、終(つい)ニ之(これ)ヲ併呑(へいどん)セムトス。若(も)シ満洲ニシテ露国ノ領有ニ帰セン乎(か)。韓国ノ保全ハ支持スルニ由ナク、極東ノ平和、亦(また)素(もと)ヨリ望ムベカラズ。 

 故ニ、朕ハ、此(こ)ノ機ニ際シ、切ニ妥協ニ由(よっ)テ、時局ヲ解決シ、以テ平和ヲ恒久ニ維持セムコトヲ期シ、有司(ゆうし)ヲシテ露国ニ提議シ、半歳ノ久シキニ亙(わた)リテ屡次(るじ)折衝(せっしょう)ヲ重ネシメタルモ、露国ハ、一(ひとつ)モ交譲(こうじょう)ノ精神ヲ以テ之ヲ迎ヘズ。曠日(こうじつ)弥久(いやひさしく)徒(いたずら)ニ時局ノ解決ヲ遷延(せんえん)セシメ、陽ニ平和ヲ唱道シ、陰ニ海陸ノ軍備ヲ増大シ、以テ我ヲ屈従セシメムトス。

 凡(おおよ)ソ、露国ガ始(はじめ)ヨリ、平和ヲ好愛スルノ誠意ナルモノ毫(ごう)モ認ムルニ由ナシ。露国ハ、既ニ帝国ノ提議ヲ容レズ、韓国ノ安全ハ方(まさ)ニ、危急ニ瀕シ、帝国ノ国利ハ、将(まさ)ニ侵迫(しんぱく)セラレムトス。事、既ニ茲(ここ)ニ至ル。帝国ガ平和ノ交渉ニ依リ、求メムトシタル将来ノ保障ハ、今日之ヲ、旗鼓(きこ)ノ間ニ求ムルノ外ナシ。

 朕ハ、汝、有衆ノ忠実勇武ナルニ倚頼(いらい)シ、速(すみやか)ニ平和ヲ永遠ニ克復(こくふく)シ、以テ帝国ノ光栄ヲ保全セムコトヲ期ス。

 御名御璽
 (現代語訳)
 天の助力を保ち抱いてきた、万世一系の皇位を受け継いだ大日本帝国の皇帝は、忠実にして勇武なる汝ら、国民に示す。

 余は、ここに、ロシアに対して宣戦を布告する。余の陸海軍は、ぜひとも全力を尽くして、ロシアとの交戦に従事し、政府関係者・官僚・役人のすべては、よろしく各員、その立場に従い、能力に応じて、国家の目的を達成するよう努力すべし。およそ、国際法の範囲において、あらゆる手段をつくして漏れ落ちるところの無いように心がけよ。

 余が顧みるに、文明を平和裏に求め、諸外国と友好関係を厚くし、それによって東アジアの治安を永久的に維持し、各国の権利や利益を損ねることなく、恒久的な帝国の安全を、将来的に保障すべき状態を確立することは、余が特に国際関係において要諦とし、わずかな時間でも、あえてたがえることが無いようこころがけてきたことである。
 余の官僚・役人たちもまた、よく余の意志を実現して、つとめに従事し、諸国との関係も、年を追うごとに、ますます親交の度合いの深まりを見せている。

 今、不幸にしてロシアと戦端を開くに至った。どうして、これが余の本意であろうか。帝国にとって韓国の保全が、重要な要素となったのは、一日二日のことではない。両国の歴史的な関係によるばかりでなく、韓国の存亡は、まことに帝国の存亡にも関わってくる問題だからである。

 しかしながら、ロシアは清国との明らかなる条約、及び、諸国に対する数次の宣言にもかかわらず、依然として満洲を占拠し、ますますその地歩を強固にして、最終的には満州を併呑しようとしている。もしも、満州がロシアの領土になったならば、どうなるであろうか。韓国の安全保障は維持不能となり、極東地域の平和は望むべくもない。

 ゆえに、余は、この事態に際し、ロシアとの妥協によってこの局面を解決し、切実に平和を恒久的に維持しようと決意し、官僚に命じてロシアに提案と協議をもちかけ、半年の間にしばしば折衝を重ねさせたのであるが、ロシアは一度として譲り合いの精神をもって迎えたことはなく、無意味な時間ばかりが経ってしまい、むやみに事態の解決を遅らせ、うわべでは平和を唱えながら、裏では陸海軍の軍備を増強し、それによってわが国を屈服させようとした。

 多分に、ロシアは最初から、平和を愛する誠意など、寸毫たりとも、持ってはいなかった。ロシアは、すでに帝国の提案と協議を受け入れず、韓国はそのために存亡の危機にさらされ、帝国の国益はまさに侵されようとしている。事態は進行し、ここに至ってしまった。帝国が、平和的な交渉によって求めてきた、東アジアの将来にわたる安全保障も、本日これを軍旗と進軍ラッパによって求めるほかはない。

 余は、汝ら、国民の忠実さと勇武さに寄り頼み、速(すみやか)に、この戦争に勝って、以前と同じ平和を恒久的に取り戻し、帝国の栄光を全うすることを決意する。

 御名御璽

【日露講和に関する詔勅】
 明治38年10月16日の「露国ト講和ニ関スル詔勅」。
 (原文)
 朕東洋ノ治平ヲ維持シ帝国ノ安全ヲ保障スルヲ以テ国交ノ要義ト為シ夙夜懈ラス 以テ皇猷ヲ光顕スル所以ヲ念フ  不幸客歳露国ト釁端ヲ啓クニ至ル  亦寔ニ国家自衛ノ必要已ムヲ得サルニ出タリ。

 開戦以来朕カ陸海ノ将士ハ内籌画防備ニ勤メ 外進攻出戦ニ労シ 万艱ヲ冒シテ殊功ヲ奏ス。在廷ノ有司帝国議会ト亦善ク其ノ職ヲ尽シテ 以テ朕カ事ヲ奨メ 軍国ノ経営内外ノ施設其ノ緩急ヲ愆ラス 億兆克ク倹ニ克ク勤メ 以テ国費ノ負荷ニ任シ 以テ貲用ノ供給ヲ豊ニシ 挙国一致大業ヲ賛襄シテ帝国ノ威武ト光栄トヲ四表ニ発揚シタリ。

 是固ヨリ我カ皇祖皇宗ノ威霊ニ頼ルト雖抑亦文武臣僚ノ職務ニ忠ニ億兆民庶ノ奉公ニ勇ナルノ致ス所ナラスムハアラス。交戦二十閲月 帝国ノ地歩既ニ固ク帝国ノ国利既ニ伸フ。朕ノ恒ニ平和ノ治ニ汲々タル 豈徒ニ武ヲ窮メ生民ヲシテ永ク鋒鏑ニ困マシムルヲ欲セムヤ。

 嚮ニ亜米利加合衆国大統領ノ人道ヲ尊ヒ平和ヲ重スルニ出テテ 日露両国政府ニ勧告スルニ講和ノ事ヲ以テスルヤ 朕ハ深ク其ノ好意ヲ諒トシ 大統領ノ忠言ヲ容レ 乃チ全権委員ヲ命シテ其ノ事ニ当ラシム。爾来彼我全権ノ間数次会商ヲ累ネ 我ノ提議スル所ニシテ始ヨリ交戦ノ目的タルモノト東洋ノ治平ニ必要ナルモノトハ露国其ノ要求ニ応シテ 以テ和好ヲ欲スルノ誠ヲ明ニシタリ。

 朕全権委員ノ協定スル所ノ条件ヲ覧ルニ皆善ク朕カ旨ニ副フ。乃チ之ヲ嘉納批准セリ。朕ハ茲ニ平和ト光栄トヲ併セ獲テ 上ハ以テ祖宗ノ霊鑒ニ対ヘ 下ハ以テ丕績ヲ後昆ニ貽スヲ得ルヲ喜ヒ汝有衆ト其ノ誉ヲ偕ニシ 永ク列国ト治平ノ慶ニ頼ラムコトヲ思フ。今ヤ露国亦既ニ旧盟ヲ尋テ帝国ノ友邦タリ。則チ善鄰ノ誼ヲ復シテ更ニ益々敦厚ヲ加フルコトヲ期セサルヘカラス。

 惟フニ世運ノ進歩ハ頃刻息マス 国家内外ノ庶政ハ一日ノ懈ナカラムコトヲ要ス。偃武ノ下益々兵備ヲ修メ 戦勝ノ余愈々治教ヲ張リ 然シテ後始テ能ク国家ノ光栄ヲ無疆ニ保チ 国家ノ進運ヲ永遠ニ扶持スヘシ。勝ニ狃レテ自ラ裁抑スルヲ知ラス驕怠ノ念従テ生スルカ若キハ深ク之ヲ戒メサルヘカラス。 

 汝有衆其レ善ク朕カ意ヲ体シ 益々其ノ事ヲ勤メ益々其ノ業ヲ励ミ 以テ国家富強ノ基ヲ固クセムコトヲ期セヨ。

 (御名御璽)
内閣総理大臣
内  務  大  臣
海  軍  大  臣
農 商 務 大 臣
大  蔵  大  臣
外  務  大  臣
陸  軍  大  臣
司  法  大  臣
遞  信  大  臣
文  部  大  臣
 (書き下し現代文)
 朕、東洋ノ治平(ちへい)ヲ維持シ、帝国ノ安全ヲ保障スルヲ以テ、国交ノ要義ト為シ、夙夜(しゅくや)懈(おこた)ラズ、以テ皇猷(こうゆう)ヲ光顕(こうけん)スル所以(ゆえん)ヲ念(おも)ウ。不幸ニシテ客歳(かくさい)露国ト釁端(きんたん)ヲ啓(ひら)クニ至ル。亦(また)寔(じつ)ニ国家自衛ノ必要、已(や)ムヲ得ザルニ出(いで)タリ。

 開戦以来、朕ガ陸海ノ将士ハ、内(うち)ニ籌画(ちゅうかく)シテ防備ニ勤メ、外ニ進攻シ戦ニ出ズルニ労シ、万艱(ばんかん)ヲ冒(おか)シテ殊功(しゅこう)ヲ奏ス。在廷ノ有司(ゆうし)、帝国議会ト亦(また)善(よ)ク其(そ)ノ職ヲ尽シテ、以テ朕ガ事ヲ奨(すす)メ、軍国ノ経営、内外ノ施設、其ノ緩急ヲ愆(あやま)ラズ、億兆、克(よ)ク倹ニ克ク勤メ、以テ国費ノ負荷ニ任ジ、以テ貲用(しよう)ノ供給ヲ豊カニシ、挙国一致、大業ヲ賛襄(さんじょう)シテ、帝国ノ威武ト光栄トヲ四表(しひょう)ニ発揚シタリ

 是(これ)固(もと)ヨリ我ガ皇祖皇宗ノ威霊ニ頼ルト雖(いえども)、抑(そもそも)亦(また)文武臣僚(ぶんぶしんりょう)ノ職務ニ忠ニ、億兆民庶(みんしょ)ノ奉公ニ勇ナルノ致ス所ナラズンバアラズ。交戦、二十閲月(えつげつ)、帝国ノ地歩、既ニ固ク、帝国ノ国利、既ニ伸ブ。朕ノ恒(つね)ニ平和ノ治(ち)ニ汲々(きゅうきゅう)タル、豈(あに)徒(いたずら)ニ武ヲ窮(きわ)メ、生民(せいみん)ヲシテ、永(なが)ク鋒鏑(ほうてき)ニ困(くるし)マシムルヲ欲センヤ。

 嚮(さき)ニ亜米利加(あめりか)合衆国大統領ノ人道ヲ尊ビ、平和ヲ重(おもん)ズルニ出(い)デテ、日露両国政府ニ勧告スルニ、講和ノ事ヲ以テスルヤ。朕ハ深ク、其(そ)ノ好意ヲ諒(りょう)トシ、大統領ノ忠言ヲ容(い)レ、乃(すなわち)チ、全権委員ヲ命ジテ其ノ事ニ当ラシム。爾来(じらい)彼我(かれわれ)全権ノ間、数次、会商(かいしょう)ヲ累(かさ)ネ、我ノ提議スル所ニシテ、始(はじめ)ヨリ交戦ノ目的タルモノト、東洋ノ治平ニ必要ナルモノトハ、露国、其ノ要求ニ応ジテ、以テ和好ヲ欲スルノ誠ヲ明(あきらか)ニシタリ。

 朕、全権委員ノ協定スル所ノ条件ヲ覧(み)ルニ、皆、善(よ)ク朕ガ旨(むね)ニ副(そ)ウ、乃(すなわ)チ之(これ)ヲ、嘉納(かのう)批准(ひじゅん)セリ。朕ハ、茲(ここ)ニ平和ト光栄トヲ併(あわ)セ獲(え)テ、上ハ以テ、祖宗ノ霊鑒(れいかん)ニ対(こた)ヘ、下ハ以テ、丕績(ひせき)ヲ後昆(こうこん)ニ貽(のこ)スヲ得ルヲ喜ビ、汝、有衆(ゆうしゅう)ト其ノ誉(ほまれ)ヲ偕(とも)ニシ、永ク列国ト治平ノ慶(けい)ニ頼(よ)ラムコトヲ思ウ。今ヤ露国、亦(また)既ニ旧盟ヲ尋(つい)デ、帝国ノ友邦タリ。則(すなわ)チ、善鄰(ぜんりん)ノ誼(よしみ)ヲ復シテ、更ニ益々(ますます)敦厚(とんこう)ヲ加フルコトヲ期セザルベカラズ。

 惟(おも)ウニ、世運ノ進歩ハ頃刻(けいこく)息(や)マズ。国家内外ノ庶政(しょせい)ハ、一日ノ懈(おこたり)ナカラムコトヲ要ス。偃武(えんぶ)ノ下(もと)、益々(ますます)兵備ヲ修(おさ)メ、戦勝ノ余(よ)、愈々(いよいよ)治教(ちきょう)ヲ張(は)リ、然(しか)シテ後、始(はじめ)テ能(よ)ク国家ノ光栄ヲ無疆(むきゅう)ニ保チ、国家ノ進運ヲ永遠ニ扶持(ふち)スベシ。勝(かち)ニ狃(な)レテ自(みずか)ラ裁抑(さいよく)スルヲ知ラズ驕怠(きょうたい)ノ念、従(したがっ)テ生ズルガ若(ごと)キハ、深ク之(これ)ヲ戒メザルベカラズ。 

 汝、有衆、其レ善ク朕ガ意ヲ体シ、益々、其ノ事ヲ勤メ、益々、其ノ業ヲ励ミ、以テ国家富強ノ基(もとい)ヲ固クセムコトヲ期セヨ。

 御名御璽
 (現代語訳)
 余は、東アジアの平和な治世を維持し、帝国の安全を保障することをもって、国交の要諦となし、早朝から深夜まで怠らず、そのような態度で、天子としての大業を明らかに現し、そうせねばならないことを、心に念じ続けてきた。不幸にして昨年、ロシア帝国と戦端を開くに至った。これは、まったく実に国家としての自衛の必要上、やむをえない出来事であった。

 日露戦争の開戦以来、余の陸海軍の将兵は、国内では作戦計画を練って防備に勤め、国外へは進撃して戦うことに労力を傾け、あらゆる苦難と障害を乗り越えて、ことさらなる軍功を成し遂げたとの報告を受け取った。内閣の閣僚は、帝国議会と連携して立派にその職務をまっとうし、余の業を進んで助け、軍事行動の計画と、内外への采配をあやまることなく、日本国民全体が、立派に倹約し、立派に勤勉さを発揮し、それゆえに戦時増税の負担をになって、戦費の調達を豊かにし、国を挙げて一致団結、大いなる業を協力して助け、大日本帝国の威光と武勇の誉れを、世界じゅうに発揮することができた。

 これは、いうまでもなく皇祖神と歴代天皇の畏れ多い霊により頼んだことではあるけれども、もともとをただせば、文官・武官を問わない大臣・官僚の、その職務への忠誠と、あまたの日本国民一般庶民が、勇気をもって国家のために身をささげることがなければ、決して成るものではなかった。交戦状態は、二十ケ月におよんだが、帝国の地位はすでに固くなり、帝国の権益もすでに発展を得た。余が日頃から、平和な治世のために心身をすり減らす想いでいる目的が、どうして闇雲に武力を追求し、国民を長期にわたる交戦によって苦しめるのを望むことなどにあるであろうか。

 先日、アメリカ合衆国大統領★より、人道をとうとび、平和を重んじる立場で、日ロ両国の政府に対し、講和をしてはどうか、という勧告を受けた。余は、深くその好意を理解し、大統領の忠告を受け入れ、ただちに全権大使を任命して講和の作業に当たらせた。その時より、日本とロシアのそれぞれの全権大使の間に、数回にわたる会談協議を重ね、日本が以前より提出議論していたことのうち、当初から戦争の目的であった朝鮮半島の保全と、東アジアの平和的統治に必要な、ロシア軍の満州からの撤退について、ロシアはその要求に応じ、それをもって日本との間に和平と友好の関係を持ちたいとする誠意を表明した。(★アメリカ合衆国大統領=セオドア・ルーズベルト)

 余は、全権大使の講和会議で協議して定めた各条項を見たが、皆、立派に余の意にそうものであったので、ただちにこれを快く受け入れ批准した。余は、ここに平和と勝利の栄光とを、共に獲得できたことにより、天にあっては祖神・祖霊にこの状態をご覧に入れ、地にあっては、大いなる功績を子々孫々後世に残せることを喜びとし、その栄誉を、汝ら一般国民と共にし、以後、永く諸国と平和的統治を為せるめでたさにひたりたいと思う。今や、ロシアは、もうすでに戦前の友好的国交のありように立ち戻り、帝国の友邦国となった。つまり、善隣外交の機縁を復旧させ、その上ますます、その友好の度合いを深く厚くしつづけることは疑いない。

 余が思いはかるに、世界情勢の進展は、ひとときも休むことがない。国家が内外におこなうさまざまな仕事も、一日とて怠らないことが肝要である。戦争が終わっても、ますます軍備を整え、勝利の勢いに乗って、より一層の政治の充実を行ってこそ、初めて立派に、国家の栄光を限りなく保ち、国家の進歩を永遠に支えられるのである。勝利に油断し、みずから抑制せずに驕り怠ける想いが、次第に生じてくるなどというようなことは、深く戒めずにはいられないものである。

 汝、国民は、以上の余の意を体し、以後もますます各自のなすべきことに勤め、ますます生業にはげみ、それによって自国を強く豊かにし、基礎を固めるよう心がけよ。

 御名御璽






(私論.私見)