他方、「講孟箚記」は次のように記している。
これによれば、軍備増強論ではなく民生充実論を述べていることになる。
松陰が野山獄を出るときに久子が読んだ句。「鴫(しぎ)立つてあと淋しさの夜明けかな」。数年後、安政の大獄で松陰が幕府の元へ檻送される時、野山獄に再入獄する。江戸へ向かう日、久子は獄中で縫った手布巾を松陰に送った。その時の松陰の句は「箱根山越すとき汗の出でやせん 君を思ひてぬぐひ清めむ」。久子は「一声をいかで忘れんほととぎす」と返している。
「方に砲を鎔かして銭とし、弾を鎔かして鋤となすべきの時なり。然るになほ、株を守りて砲艦を急務と思ふは、虚気の甚だしきに非ずや。(中略)今のつとむるべきものは、民生を厚うし、民心を正しうし、民をして生を養ひ死に喪して憾みなく、上を親しみ長に死して背くことなからしめんより先なるはなし。是を務めずして砲といひ艦といふ。砲艦未だ成らずして、疲弊これに随ひ、民心是に背く。策、是より失なるはなし」。 |
これによれば、軍備増強論ではなく民生充実論を述べていることになる。
松陰が野山獄を出るときに久子が読んだ句。「鴫(しぎ)立つてあと淋しさの夜明けかな」。数年後、安政の大獄で松陰が幕府の元へ檻送される時、野山獄に再入獄する。江戸へ向かう日、久子は獄中で縫った手布巾を松陰に送った。その時の松陰の句は「箱根山越すとき汗の出でやせん 君を思ひてぬぐひ清めむ」。久子は「一声をいかで忘れんほととぎす」と返している。