松陰語録



 更新日/2017(平成29).5.8日
 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、吉田松陰の名言を確認しておく。「吉田松陰名言20」、「http://bakumatsu.org/men/view/67」その他を参照する。

 2010.7.15日 れんだいこ拝


【吉田松陰の和歌】
 「かくすればかくなるものと知りながら、やむにやまれぬ大和魂」
 (読解)

 「身はたとい武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし大和魂」
 (読解)

【吉田松陰の処世訓】

 立志尚特異 (志を立てるためには人と異なることを恐れてはならない)
 俗流與議難 (世俗の意見に惑わされてもいけない)
 不思身後業 (死んだ後の業苦を思い煩うな)
 且偸目前安 (目先の安楽は一時しのぎと知れ)
 百年一瞬耳 (百年の時は一瞬にすぎない)
 君子勿素餐 (君たちはどうかいたずらに時を過ごすことなかれ)
 (読解)

 「万巻の書を読むに非ざるよりは、いずくんぞ千秋の人たるを得ん。一己の労を軽んずるに非ざるよりは、いずくんぞ兆民の安きを致すを得ん」
 (読解)

 汝は汝たり、我は我たり。(出典:講孟余話(こうもうよわ))
 (読解)

 創業は難きに似て易く、守成は易きに似て難い。
 (読解)

 「世に材なきを憂えず、その材を用いざるを患う」(安政5(1858)年の文集?、戊午幽室文稿(ぼごゆうしつぶんこう))。
 (読解)

 凡そ生まれて人たらば、宜しく人の禽獣に異なる所以を知るべし
 (読解)人として生まれてきた以上、動物とは違わなければならない。人間は道徳を知り、行なわなければ人間とは言えない。

 体は私なり、心は公なり、公を役にして私に殉う者を小人と為す
 (読解)私を使役して、道を行なうことに心がける者が大人であり、反対に、私の欲望を満足させる事を目的とするものは小人である。

 人賢愚ありと雖も各々十二の才能なきはなし。湊合して大成する時は必ず全備する所あらん
 (読解)人には能力の違いはあるけれども、誰にも長所はあるものである。その長所を伸ばしていけば必ず立派な人になれるであろう。

 「人間が生まれつき持っているところの良心の命令、道理上かくせねばならぬという当為当然の道、それはすべて実行するのである」(「講孟箚記」)。
 (読解)

 「自ら顧みてなおくんば、千万人ともいえども我行かん」。
 (読解) 「自分で自分の言動を顧みて正しいと思うのならば、たとえその道を一千万人が塞ぐことがあろうとも、私は全うする」。

 「悔いるよりも、今日直ちに決意して、仕事を始め技術をためすべきである。何も着手に年齢の早い晩い(おそい)は問題にならない」(「講孟箚記」)。
 (読解) 

 「味方の協和が得られて、初めて地形の有利さも、自然の条件も役に立つのである。それ故に、国家の務めを論ずる場合には、まず味方の協和の問題を取り上げねばならない」(出典:講孟箚記)
 (読解)

 「年齢を尊ぶということは、わたくしにとって至要至急の問題である」(出典:講孟箚記)
 (読解)

 「人を信ずることは、もちろん、遥かに人を疑うことに勝っている」(出典:講孟箚記)
 (読解)

 「人を観察するのは、その人の目によってするのである。胸のなかが正しいか、正しくないかは、ひとみがはっきりしているか、暗いかによってわかるものである」(出典:講孟箚記)
 (読解)

 「だいたいにおいて世間の毀誉(きよ)というものは、あてにならぬものである」(「講孟箚記」)。
 (読解)

 「私心さえ除き去るならば、進むもよし退くもよし 出るもよし出ざるもよし」、「私心がまだ除き去られないと、その進退出処、みな私心に拘われて(とらわれて)道に反することとなる」(「講孟箚記」)。
 (読解)

 凡そ其の道を知りては即ち其の人を慕い、その人を知りては即ちその国と世とを慕うのは人の情(じょう)なり(出典人に与ふる書)
 (読解)

 好色は人の其の淫を笑うを顧みず、好貨は衆のその貪を咎むるを患へず(出典入江杉蔵宛書簡)
 (読解)

 そもそも知を好むものは多くは人を疑うに失す。仁を好むものは多くは人を信ずるに失す。二つながら皆偏なり(出典講孟余話)
 (読解)

 ただ非常の人のみ即ちよく非常のことを為す。(出典無逸に与う)
 (読解)

 実(げ)に世の中の人は酔漢と思うがよし。何を云っても分りもせず、腹も立てず、涙もなし、虫も居らず。そんな人を相手にするよりは、程よくだまして吾は吾のことをするがよい。(出典野村和作宛書簡)
 (読解)

 権謀と申すは実は無策なれど策ある貌(顔)をし、直言極論はせざれども直論貌をすることなり。(出典入江杉蔵宛書簡)
 (読解) 意訳『権謀というのは、なにも策などないくせに策があるように思わせ、面と向かって言及などしないくせにそうしているように振る舞うことである』。

 一人の策を積みて一家の策を為し、一家の策を積みて一国の策を為し、一国の策を積みて天下の策を為し候事、御努力是祈る。(「兄杉梅太郎宛書簡」)。
 (読解) 「社会を変えていきたいのであれば、 まずは己の周辺から始めなさい」。

 平時蝶々たるは、事に臨んで必ず唖。平時炎々たるは事に臨んで必ず滅す。(出典諸君宛書簡)
 (読解)

 世の人は善し悪しごとも言わば言へ 賤が心は神ぞ知るらん。(出典白井小助宛書簡)
 (読解)

 余り怒りよるととうとう腹もなんにも立たぬ様になる。(出典入江杉蔵宛書簡)
 (読解)

 今の逆焔は誰が是れを激したるぞ、吾が輩に非ずや。吾が輩なければ此の逆焔千年たってもなし。吾が輩あれば此の逆焔はいつでもある。(出典何某宛書簡)
 (読解)

 恬静淵黙(てんせいえんもく)、身を潔くし節を全うする者あり、生を偸みて苟活(こうかつ)し時と俘仰(ふぎょう)する者あり。是れ皆真偽の明らかにし難く、疑似の弁え(わきまえ)得がたき者なり。
 (読解)日頃よりおっとりとして、口数は少ないが、自分の身を潔白に保ち、信念、みさおを守り続ける人がいる。無為に人生を送り、一時的な安楽を貪り、時代の風潮に調子を合わせて生きる人がいる。これは、全て何が正しくて、何がまちがっているかを明らかにすることができない人、ホンモノと似ていてまぎらわしいニセモノを見抜くことができない人である。

 天下の大患は、其の大患たる所以を知らざるに在り。いやしくも大患の大患たる所以を知らば、いずくんぞ之が計を為さざるを得んや。(安政5年(1858年)正月「狂夫の言」)
 (読解)世の中の大いに憂うべきことは、国家が大いに憂慮すべき状態にある理由を知らないことにある。仮にもその憂慮すべき事態になる理由を知れば、どうしてその対応策を立てないでいられようか。立てるべきである。

 「一 凡(およ)そ生まれて人たらば、宜しく人の禽獣(きんじゅう)に異なる所以(ゆえん)を知るべし。蓋(けだ)し人には五倫あり、而(しこう)して君臣父子を最も大なりと為す。故に人の人たる所以は忠孝を本(もと)と為す。一 凡そ皇国(こうこく)に生まれては、宜しく吾が宇内(うだい)に尊き所以を知るべし。蓋し皇朝(こうちょう)は万葉一統(ばんよういっとう)にして、邦国(ほうこく)の士夫世々禄位(よよろくい)を襲(つ)ぐ。人君(じんくん)民を養ひて、以て祖業(そぎょう)を続(つ)ぎ、臣民君に忠にして、以て父志を継ぐ。君臣一体、忠孝一致、唯(た)だ吾が国を然(しか)りと為すのみ」(「士規七則」)。

 「余むしろ人を信ずるに失するとも、誓って人を疑うに失することなからん」(「講孟余話」、「講孟箚記」)、「至誠にして動かざる者は未だ之れあらざるなり」(孟子)。
 (読解) 「人を信ずることは、もちろん、遥かに人を疑うことに勝っている。」この後に続く言葉。「わたくしは、人を信じ過ぎる欠点があったとしても、絶対に人を疑い過ぎる欠点はないようにしたいと思う」。

 松陰は塾生に孟子を教え次のように述べている。(講孟余話告子第6章)
 「乃(すなわ)ち其の情に若(したが)へば則(すなわ)ち以(もっ)て善を為すべし、乃ち所謂(いわゆる)善なり。若(も)し夫れ不善を為すは才の罪に非ざるなり」。
 「故に孟子の書を読む者、真に心を斯に留め議論に渉(わた)らず、只事実を学ぶべし。先ず己の性を真に善と篤信(とくしん)し、良心の発見、惻隠(そくいん)・羞悪(しゅうお)・恭敬(きょうけい)・是非等を拡充し、或いは物欲邪念起こることあらば速やかに良心を尋ね来たり、其の自ら安じ自ら快き所を求め、悔吝(かいりん)なき如くすべし。人を教導するにおいて亦然り。然るときは性善の外復た気質の説を借ることなし」。

 「夷もまた人」(アイヌ人)。「…其の人物旧(ふる)くは蝦夷(えぞ)人種に係りしも、今は則ち平民と異なるなし。夫れ夷も亦人のみ、教へて之を化さば(教化する)、千島・唐太(からふと)も亦以て五村と為すべきなり。而るに奸商(悪賢い商人)の夷人を待つ(待遇する)は、則ち蓋(けだ)し人禽(じんきん)の間を以てす(畜生のような扱いをする)と云ふ。噫、惜しむべきかな」(『松陰全集』「東北遊日記」九巻二四五頁)。東北遊でアイヌ人が共に生活している姿を見て、これは素晴らしいことだ、蝦夷ではアイヌ人は人間と禽獣の間くらいの扱いを受けている。これは困ったことだと。

 「番人に大道を説く」(牢番)。「…叉て宿にて番人等寝ずの番をなす故、亦為めに大道を説き聞かすること下田の獄に在る時の如くにして、更に快なり。余生来の愉快、此の時に過ぐるはなし。因みに云ふ。三島にて□□三四人出づ、皆年少気力在る者、余が話しを聞きて大いに憤励の色あり、去るに臨みて甚だ恋々たり」(『松陰撰集』「回顧録」一六三頁)。下田で牢に繋がれ自分の純粋な気持ちをよく聞いてくれた。別かれるときには恋人と別れるようだった。人生でこんな嬉しい事はなかったと書いている。
 「山は樹を以て茂り 国は人を以て盛(さかん)なり」。
 (読解) 「山が樹木によって茂るように、国というのは人によって豊かになっていくのである」。

 「末の世において道義を実践したならば、必ずその時の人々から極端だといわれるであろう。もしまた、世人から極端だといわれるくらいでなければ決して道義ではないのであって、すなわち世俗に同調し濁った世に迎合したものにすぎない」(「講孟箚記」)。
 (読解)

 「心甚だ急ぎ、飛ぶが如し、飛ぶが如し」(父の友人である瀬能吉次郎にあてた手紙より)。
 (読解)

 「浦賀へ異船来たりたる由につき、私ただ今より夜船にてまいり申し候。海陸ともに路留めにも相なるべくやの風聞にて、心はなはだ急ぎ飛ぶが如し、飛ぶが如し」。
 (読解) 吉田松陰の興奮が伝わる。

【吉田松陰の君子論、君主論、有徳訓】
 「君子は、何事に臨んでも、それが道理に合っているか否かと考えて、その上で行動する。小人は、何事に臨んでも、それが利益になるか否かと考えて、その上で行動する」(「講孟箚記」)。
 (読解)

 吉凶禍福は固より定数(じょうすう)あり、仏に謝するも亦何の益あらんや。縦(たと)ひ益ありとも君子は為さず。(出典客の難ずるに答ふ)
 (読解)


【吉田松陰の武士論】
 至誠にして動かざる者は未だこれ有らざるなり(出典:講孟箚記)
 (読解)至誠をもって対すれば動かすことができないものはない。

 士たるものの、貴ぶところは、その徳であり、その才ではなく、その実践であり、その学ではない。(出典:講孟箚記)
 (読解)

 「人の身というものは、その本質を天からいただき、徳、すなわち人格を心のうちに具えているものである」(出典:講孟箚記)
 (読解)

 「人間はみななにほどかの純金を持って生まれている。聖人の純金もわれわれの純金も変わりはない」。
 (読解)

 「賞誉されて忠孝に励む人は珍しくない。責罰されてもなお忠孝を尽す人物こそ、真の忠臣孝子である。武士たるものが覚悟すべきこと、実にこの一点にある」(「講孟箚記」)。
 (読解)

 士を得るは最も良策。併し士をして吾に得られしむるの愈(まさ)れりと為すに如かず。己を成して人自ら降参するようにせねば行けぬなり。(出典久坂玄端瑞宛書簡)
 (読解)

 「人が横逆をし向けてくれば、みずからのうちに、不仁無礼のところはないかと反省し、反省して無く、しかもなお横逆をしむけて来るならば、さらにみずからのうちに不忠のところはないかと反省する」(出典:講孟箚記)
 (読解)

 在官在禄にてはとても真忠真孝は出来申さず候(出典佐世八十郎宛書簡)
 (読解)

 「士たるものの貴ぶところは、徳であって才ではなく、行動であって学識ではない」(「講孟箚記」)。
 (読解)

 「ただ非常の人のみ即ちよく非常のことを為す」(「無逸に与う」)。
 (読解)

【吉田松陰の死生観】
 死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし 生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし
 (読解)松陰が留魂録を書く前に、弟子の高杉晋作に宛てた手紙の一説。高杉の「男子たるものどう生き、どう死ねばよいのか。死ぬべきところはどこか」の問いを受けており、江戸に送られ獄中で死と向き合った松陰は、手紙でこんな風に答えている。この年に松蔭は処刑される。

 次のように解されている。
 「死は好むべきものでもなく、また憎むべきものでもありません。世の中には生きながら心の死んでいる者もいれば、その身は滅んでも魂の生き続ける者もいます。死んで己の志が永遠になるのなら、いつ死んだって構わないし、生きて果たせる大事があるのなら、いつまでも生きたらいいのです。人間というのは、生死にこだわらず、為すべきことを為すという心構えが大切なのです」。

 死は好むべきにも非ず、亦悪(にくむ)むべきにも非ず、道尽き心安んずる、便(すなわ)ち是れ死所。(出典高杉晋作宛書簡)
 (読解)

 落下飛絮、豈に死生なからんや。(出典癸丑遊歴日録)
 (読解)

 「命が惜しいか、腹が決まらぬか、学問が進んだか、忠孝の心が薄く成ったか、他人の評は何ともあれ、自然と決めた」(「自然説」より。入江杉蔵宛)。
 (読解)
 ここで、松蔭の死生観を検証しておく。「陽明学左派・李卓吾」の項でも触れているが、革命思想家特有の生命観の色彩が認められる。次のように述べている。(関厚夫「ひとすじの蛍火 吉田松陰 人と言葉№100」その他を参照する)。
 「17、18の死が惜しければ、30の死も惜しい。80、90、100になってもこれで足りたということはない。半年と云う虫たちの命が短い、とは思わないし、松や柏のように数百年の命が長い、とも思わない。天地の悠久に比べれば、松柏も一時蠅(ハエ)なり」(「品川弥二郎宛手紙」)。
 「人間万事塞翁が馬。禍福はあざなえる縄の如し、と云う。牢獄で死ねば禍いのようだが、この場所で学問をし、己のため、他人の為に後世に伝えることを残し、身は失っても死にはしない人たちの仲間入りすることができるならば、この上もない福というもの。されば、兄弟や甥、姪たちに、楽が苦の種、福は禍の本、と申し聞かせることが肝要ぢゃ」(安政6.4.13日、江戸送致が決まる直前、松蔭が長妹の千代に宛てた手紙の一節)。
 「私は不幸であるが、孝にあたることがある。兄弟の中に、一人でも運が悪い者がいると、後の兄弟は、自然と心が和らいで孝行でもするようになり、睦まじくなるという。ぢゃから、これからは、私が兄弟皆なの代わりにこの世の禍を引き受けよう。それで兄弟が仲良くなるのならば、父母様の幸せ。子供達が見習ってくれるなら、子孫の為これほど目出度いことはないではないか」(安政6.4.13日、江戸送致が決まる直前、松蔭が長妹の千代に宛てた手紙の一節)。
 「死生は度外に置くべし。世人がどう是非を論じようと、迷う必要は無い」(高杉晋作に送った言葉。吉田松陰は牢獄の中であった)。
 「父母を喜ばせるために妻を持ち、宮仕えするのもよいでしょう。但し、正論を通しなさい。ならば必ず放逐後退の時期が来る。その時に書を読み、心を練り、10年後の大事に備えるのです」(高杉晋作が江戸獄中の松蔭を訪ねた時の松蔭の言葉)。
 「小生、獄に坐しても首を刎ねられても天地に恥じ申さねばそれにてよろしく候」(中谷正亮宛の書簡より)。

【吉田松陰の思想訓、立志訓】
 夢なき者に理想なし、理想なき者に計画なし、計画なき者に実行なし、実行なき者に成功なし。故に、夢なき者に成功なし。
 (読解)

 思想を維持する精神は、狂気でなければならない(諸君、狂いたまえ)
 (読解)

 小生獄に坐しても首を刎ねられても天地に恥じ申さねばそれにてよろしく候。(出典(中谷正亮宛書簡)
 (読解)

 命が惜しいか、腹が決まらぬか、学問が進んだか、忠孝の心が薄く成ったか、他人の評は何ともあれ、自然と決めた。(出典(入江杉蔵宛「自然説」)
 (読解)

 凡そ空理を玩び実事を忽(ゆるが)せにするは学者の通病なり。(出典:講孟余話))
 (読解)

 「末の世において道義を実践したならば、必ずその時の人々から、極端だといわれるであろう。もしまた、世人から極端だといわれるくらいでなければ、決して道義ではないのであって、すなわち世俗に同調し濁った世に迎合したものにすぎない」(出典:講孟箚記)
 (読解)

 「草莽崛起(そうもうくっき)」

 (読解) 草莽は「在野の志士」、崛起は「立ち上がれ」の意。

 志を立ててもって万事の源となす
 (読解)何事も志がなければならない。志を立てることが全ての源となる。

 志士は溝壑に在るを忘れず
 (読解)志ある人は、その実現のためには、溝や谷に落ちて屍(しかばね)をさらしても構わないと常に覚悟しているものだ。

 己に真の志あれば無志のものはおのずから引き去る。恐るるにたらず(出典:久保清太郎宛書簡)
 (読解)自分に真の志があれば、無志(虫)は自ら引き下がるものだ。

 「『国家とともに』という志がないならば、人ではないのである」(出典:講孟箚記)
 (読解)

 「志定まれば、気盛んなり」、「汝は汝たり、我は我たり」(「講孟箚記」)。
 (読解)

 志遂ぐれば俊氏となり、謀(はかりごと)躓(つまず)けば囚奴(しゅうど)となる。俗子与(とも)に議し難し。成敗もて丈夫(じょうふ)を論ず。(出典五十七短古)
 (読解)

【吉田松陰の学問訓、教育訓】
 「学問の上で大いに忌むべきことは、したり止めたりである。したり止めたりであっては、ついに成就することはない」(「講孟箚記」)。
 (読解)

 人一日此(コ)の世にあれば一日の食を食ひ、一日の衣を着、一日の家に居る。何ぞ一日の学問、一日の事業を励まざるべけんや。
 (読解)

 「一日一字を記さば一年にして三百六十字を得、 一夜一時を怠らば、百歳の間三万六千時を失う」
 (読解)

 「宜しく先ず一事より一日より始むべし」。
 (読解)

 「学問をする眼目は、自己を磨き自己を確立することにある」(出典:講孟箚記)
 (読解)

 学と云ふものは進まざれば必ず退く。故に日に進み、月に漸み、遂に死すとも悔ゆることなくして、始めて学と云ふべし。(出典:講孟余話(安政三年・一八五六))
 (読解)

 満開となれば、やがて花は落ちる。太陽は南中すれば、やがて陰りはじめる。人は壮年を迎えれば、やがて老いていく。百年の間、必死で勉強すべきであり、ゆったりとくつろぐ暇などない。
 (読解)

 初一念名利の為に初めたる学問は、進めば進む程其の弊著はれ、博学宏詞を以て是を粉飾すと云えども、遂に是をおおふこと能はず。(出典:講孟余話)
 (読解)

 経書を読むの第一義は、聖賢に阿らぬこと要なり。若し少しにても阿る所あれば道明かならず、学ぶとも益なくして害あり。(出典:講孟余話)
 (読解)

 凡そ読書の法は吾が心を虚しくし、胸中に一種の意見を構えず、吾が心を書の中へ推し入れて、書の道理如何と見、その意を迎え来るべし。(出典:講孟余話)
 (読解)

 「みだりに人の師となるべからず。みだりに人を師とすべからず。必ず真に教ふべきことありて師となり、真に学ぶべきことありて師とすべし」(「講孟余話」)
 (読解)

 大器をつくるには、いそぐべからずこと。
 (読解)

 凡そ少年鋭気の時は文章議論赫赫浩々、必ず善く人を動かし、分外の誉れを得るものなり(出典講孟余話)

 剣槍とも業向(わざむき)を主とし候へば理論の詮議薄く相成り、又理論を主とし候えば業向の修行疎く相成り候(出典武道稽古万世不屈の不朽の御仕法立気付書)
 (読解)

【吉田松陰の教育訓、親孝行訓】
 凡そ人の子のかしこきも、おろかなるも、よきも、あしきも、大てい、父母のおしえに依る事なり。
 (読解)

 親思う心にまさる親心 今日のおとずれ何ときくらん(出典:講孟箚記、父・杉百合之助、兄・梅太郎、叔父・玉木文之進宛書簡)
 (読解)

 「凡そ人の子のかしこきもおろかなるもよきもあしきも、大てい父母のをしへに依る事なり。就中(なかんずく)男子は多くは父の教えを受け、女子は多くは母のをしへをうくること一しほおほし。故は父はおごそかに母はしたし、父はつねに外に出で、母は常に内にあればなり。然れば子の賢愚善悪に関る所なれば、母の教ゆるがせにすべからず。併しその教といふも、十歳已下の小児の事なれば、言語にてさとすべきにもあらず。只正しきを以てかんずるの外あるべからず」(千代宛書簡、安政元年12月3日)。

志士は溝壑に在るを忘れず
死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし。生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし
志を立てるためには、人と異なることを恐れてはならない。世俗の意見に惑わされてもいけない。
何事であっても、人に対する思いやりや慈しみの心を動機としないのであれば、どうしてなし遂げることができようか。
同じではない人を、同じにしようなどとせず、いわゆる、その人の優れた才能を育てることに
努めるべきである。
身体が死滅しても、その精神が死んでいないものは、昔の聖人や賢者らであり、これらは永遠に朽ちることのない人である。身体は死滅していないが、精神が死んでいるのは、今のくだらない人間の類であり、生きながら死んでいる人である。
立派な人物というものは、時間をかけてゆっくり成長するものであって、騒々しい状態では本物の立派な人物になることはない。 
人と交際する際には、あるがままの心で接することが大切である。
恥を知らないということほど恥ずかしいことはない。 
人の精神は目にあらわれる。だから、人を見る時には、目を見ることが大切。
志を立てて始めたことは、全身全霊を尽くして行い、やめるのは死んだ後だけである。 
君たち、狂いたまえ。【参照】 吉田松陰 留魂録(全訳注、(講談社学術文庫)







(私論.私見)