「志定まれば、気盛んなり」、「汝は汝たり、我は我たり」(「講孟箚記」)。
| 松陰語録 |

| (れんだいこのショートメッセージ) |
| ここで、吉田松陰の名言を確認しておく。「吉田松陰の名言20」、「http://bakumatsu.org/men/view/67」その他を参照する。 2010.7.15日 れんだいこ拝 |
| 【吉田松陰の和歌】 | ||||
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| 【吉田松陰の処世訓】 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
松陰は塾生に孟子を教え次のように述べている。(講孟余話告子第6章)
「夷もまた人」(アイヌ人)。「…其の人物旧(ふる)くは蝦夷(えぞ)人種に係りしも、今は則ち平民と異なるなし。夫れ夷も亦人のみ、教へて之を化さば(教化する)、千島・唐太(からふと)も亦以て五村と為すべきなり。而るに奸商(悪賢い商人)の夷人を待つ(待遇する)は、則ち蓋(けだ)し人禽(じんきん)の間を以てす(畜生のような扱いをする)と云ふ。噫、惜しむべきかな」(『松陰全集』「東北遊日記」九巻二四五頁)。東北遊でアイヌ人が共に生活している姿を見て、これは素晴らしいことだ、蝦夷ではアイヌ人は人間と禽獣の間くらいの扱いを受けている。これは困ったことだと。 「番人に大道を説く」(牢番)。「…叉て宿にて番人等寝ずの番をなす故、亦為めに大道を説き聞かすること下田の獄に在る時の如くにして、更に快なり。余生来の愉快、此の時に過ぐるはなし。因みに云ふ。三島にて□□三四人出づ、皆年少気力在る者、余が話しを聞きて大いに憤励の色あり、去るに臨みて甚だ恋々たり」(『松陰撰集』「回顧録」一六三頁)。下田で牢に繋がれ自分の純粋な気持ちをよく聞いてくれた。別かれるときには恋人と別れるようだった。人生でこんな嬉しい事はなかったと書いている。
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| 【吉田松陰の君子論、君主論、有徳訓】 | ||||
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| 【吉田松陰の武士論】 | ||||||||||||||||||||
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| 【吉田松陰の死生観】 | |||||||||
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| 【吉田松陰の思想訓、立志訓】 | ||||||||||||||||||||||||||
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| 【吉田松陰の学問訓、教育訓】 | ||||||||||||||||||||||||||||
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| 【吉田松陰の教育訓、親孝行訓】 | ||||||
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| 志士は溝壑に在るを忘れず 死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし。生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし。 志を立てるためには、人と異なることを恐れてはならない。世俗の意見に惑わされてもいけない。何事であっても、人に対する思いやりや慈しみの心を動機としないのであれば、どうしてなし遂げることができようか。同じではない人を、同じにしようなどとせず、いわゆる、その人の優れた才能を育てることに努めるべきである。 身体が死滅しても、その精神が死んでいないものは、昔の聖人や賢者らであり、これらは永遠に朽ちることのない人である。身体は死滅していないが、精神が死んでいるのは、今のくだらない人間の類であり、生きながら死んでいる人である。 立派な人物というものは、時間をかけてゆっくり成長するものであって、騒々しい状態では本物の立派な人物になることはない。 人と交際する際には、あるがままの心で接することが大切である。恥を知らないということほど恥ずかしいことはない。 人の精神は目にあらわれる。だから、人を見る時には、目を見ることが大切。 志を立てて始めたことは、全身全霊を尽くして行い、やめるのは死んだ後だけである。君たち、狂いたまえ。 【参照】 吉田松陰 留魂録(全訳注、(講談社学術文庫) |