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れんだいこのプロフィール |
更新日/2018(平成30).10.24日
(れんだいこのショートメッセージ) |
私の名はれんだいこ。又の名をれんだいじとも云う。幼少より貧を楽しみ、長じてはいじめに屈せず、世に出てはおもねず、今となっては居直り、人生を達観せんとしている。その性隔てなく、金のなきを恨まず。ここまでの健康を謝し、余生を社会に尽すべく志している。自称左派運動研究家及び在家歴史学者。いつしか2010年、還暦を越えてしまった。2015年、年金受給資格者となった。そして今年2018年、68歳になる。確実に年取っていることになる。その精神は老いず、まだまだ彷徨し続けている。このところ二十年来、医者の世話にもなっていない。よって国の医療費負担軽減に微力ながら協力している。 |
(総合履歴) | |||
1950(昭和25).8月、三男として誕生。判明するルーツは讃岐観音寺。先祖は、江戸中期に帰農して開拓農民として活躍と郷土史に出ていると云う。その先は、ある程度判明しているが推測の域を出ず。家紋は隅切り角の花菱。これは知る人ぞ知る神紋系である。2000年現在、50歳。2010年現在、60歳。遂に還暦を迎えた。2018年10月24日現在、68歳。兄弟は4人、但しもう二人は死んでしまった。両親も見送っており、ややさみしいものがある。 | |||
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幼少よりよく遊び学び神童の誉れ少しあり。長じては武道(剣道)を嗜み文武両道を目指す。大学受験期に、全共闘の大学解体論を真に受け京都へ出奔する。思い出深い丁度東大入試中止の年だった。これにより、れんだいこには東大コンプレックスが全くないふふふ。新聞特待生として京都府伏見区淀の朝日新聞配達店に住み込み自活し始める。但し予備校に行かなかった為に特待生から外され一般住み込み配達員となる。これにより配達区域の2倍化、集金までさせられるようになる。今となっては良い思い出ばかりである。いきなり社会に出たところ馬鹿にされること多く、その頃に出会った赤旗配達員学生との会話から急遽発奮し大学に行きたくなり、11月、帰省する。関西から関東の私大を順番に受験し合格する。結局、早大法学部に入学する。予備校行かずだから仮にギリギリ入学でも補欠でもないのだし誉れであろう。 1970年、全共闘に憧れ上京する。但し、キャンパスに既にその影見えず。何かやらなくちゃと70年安保闘争に参加する過程で法学部自治会を掌握していた民青同にマイクを借りるなど義理ができ、そのうちオルグされ「30秒」の凝縮された逡巡の末、加盟する。以来自治会活動に精励する。ところが、いくら学び実践しても日共系のそれに種々理論的にも実践的にも肌もなじめず神経性血痰症に悩まされる。1971年初頭、周囲の「お前は学習が足りない」云々に逆切れし、ならばその学習に取り組もうと決意し、自治会活動から手を引き地下サークルに下りる。今となってはこの時の勉強が学生時代の唯一の財産と云える。講義には殆ど出ていない。ゼミにも入っていない。卒論もない。師たる教授も持たない。やがて新日和見事件騒動の頃に日共系運動に失望し訣別。この頃いろいろトラウマを負うも人生万事塞翁が馬、今となっても後悔せず。入学当初は最長7年ほど在学しようと思っていたが身辺が忙しくなり急遽卒業路線に切り替える。体育局の課目取るのに困ったぜよ。 元々政治と宗教に対する関心が強く、そのエネルギーが仕事に向かわないのが悩み。只今零細業で四苦八苦中なるも、このたびやけくそでインターネット世界にデビュー。根が浮気性なのか本業、ネットワーク、碁会所、カラオケパブ、インターネットの5本立て稼業に精励中、但しどれもパッとしないなぁ。2010年現在は、本業、碁会所、インターネットの3本立て稼業に絞っている。今後は著述業に向かうつもり。「検証学生運動上巻」(2009年、社会批評社)、「検証学生運動下巻」(2011年、社会批評社)を出版した。そろそろ次の出版に向かいたい。 趣味は囲碁。社会人になってからの手習いなので上達が遅々としている。「今は5段くらいかな。目下6段に向けて驀進中」。2010年現在、小沢民主党幹事長と五分くらいかな感じとして。人に聞いたら、「小沢どんの方がつおいって」と云われていたが、2013年現在、ほぼ6段域に辿り着いた。還暦過ぎても棋力ますます上達中と云うところが、れんだいこらしいふふ。目下、天下6段を目指し鋭意精進中。既に県大会ベスト8に四度入っている。周囲のまぐれ評を気にせず、もっと上の大物食いを狙っている。2019年はどこかの棋戦の初優勝を狙っている。この辺りまで来ている感じがしている。これが本当になると「アマチュア上達法」の囲碁の本でも出そうかとおもっている。 他には読書(雑学)、旅行。旅行は東北以外はほぼ周遊。良い仕事をして東北廻りしたいと思っているが、もう二十年来空回りしている。ねぶた、ねぷたを見たい。ランプの宿にも泊まりたい。本州最北の半島の両参りをして見たいと思っている。外国は韓国、アメリカ、イギリス、イタリアの経験あり。カラオケは演歌からフォークまで歌う。最近は軍歌の哀調が分かってきた。軍歌を退けるものではない、士気鼓舞と兵士哀調の両面を味わうべきだと思っている。最近のヤングの早口音楽には閉口、反発している。対抗的に作詞してザ日本の歌を発信したいと思っている。 |
(個々履歴) | ||
2000(平成12)年以降の備忘録 | ||
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2002.11.23日現在、相互リンクも次第に増えてきている。しかし、まだまだ無視されており、この饒舌狭量主義をこじ開けていくのを楽しみにしている。しかしなんだな、見えて来るもんがあるなとつくづく一人合点している。 | ||
2004(平成16).2.25日現在、マルクス主義の英訳からのれんだいこ和訳本三冊をサイトアップした。出来映えには自信持っているが特段評価されていない(見直しすればするほど首尾よくなるだろう)。孤高にして阿ねず、引き合いの来るのを楽しみにしておこうと思う。しかしなんだな、れんだいこは我が史観と観点の偉業を確信しているが、恐らく外国辺りから評価を得る時がやってきそうな。それまで我がサイトを掘って彫って刻み続けておこうっと。 | ||
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Re::れんだいこのカンテラ時評535 | れんだいこ | 2009/02/11 |
【れんだいこサイト左往来人生学院万歳】 れんだいこのサイト左往来人生学院は、開設日が2000.02.11日である。丁度10年経ったことになる。当初より随分深く掘り下げたし、未だ何ほどの寄与もできていないことをも恨む。れんだいこの寿命が何年あるのか判らないが置き土産にしておこうとは思っている。世の中の誰か一人にでも良い感化が与えられたなら本望と割り切っている。 それにしても、気づいたことは著作権がうるさいということである。連中は、言葉も文字も音符も五線譜も、ついでに云えばネットに於けるWebの創成も、先人の無著作権営為により生み出されたものであり、その恩恵を受けて居ることを弁えず、ひたすら国際ユダ邪仕込みの権利亡者猛者に成り下がって正義ぶっている。それも日ごとに権利強化の種探しに明け暮れ得々としている。この手合いに漬ける薬はない。 許しがたいのは、著作権法では「引用、転載できる。但し、著者叉は出所元明記、趣旨改変御法度」とは書いているが、「要事前通知、要承諾制」にはしていないのに、これを押しつけ悦にいっていることである。これにより、議論の場合でさえ自分の文章しか引用、転載できず、歯の抜けた櫛のようなみっともない経過文を晒して、私はここまで著作権法の理解が進んでいると嘯く阿呆丸出しにしている。 その程度の著作権法理解で、我こそは著作権法のマスターと自惚れている者が居る。申し訳ないけど、著作権法は未だ生成中で、少なくともここ数年間の強権化は行き過ぎと反省し始めているのが最新の動きである。最新と云えば、漢字検定協会が公益法人にあるまじき儲け過ぎとして問題にされ、司直の手が入った。ならば、悪名高きジャスラックはどうなんだと向かうのが筋のところ、イスラエルのガザ攻撃と同じで、これに正面から立ち向かう言論士が居ない。 もとへ。我がサイトの10周年を祝おう。この間は貴重なカンパ第一号をいただいた。これは有り難い。これに続け皆の衆と煽りたい為にわざわざ書きつけておく。そうやって、れんだいこを執筆専門にさせてくれ。有益情報を根限り提供してしんぜよう。いずれサイトオリンピックができれば応募してみようと思っている。とまぁ、10周年の抱負を述べておく。 2009.2.11日 れんだいこ拝 |
Re::れんだいこのカンテラ時評670 | れんだいこ | 2010/02/11 |
【れんだいこサイト十周年万歳、自賛演説】 今日2.11日は、れんだいこがホームページを創設しネット界に登場した日である。2000年のことであるから、あれから10年になる。早いと云う思いもあるが、よくぞここまで掘り抜いたと云う気もする。仕事もせずにと叱られているが、楽しいのだから仕方ない。未考察な課題や不十分な論考がまだまだあり、生ある限り根気よく続けて行きたいと思う。 気になることは、れんだいこが特段に奇異な観点を打ち出そうとしているのではないのに、結果的に通説と見解を異にするものが多いということだ。この場合、れんだこの観点、弁証の方に問題があるのかも知れないと思いつつ最初は控え目に検証して行くことにしている。ところが、調べて行くうち、ますます確信を深めることが多い。 その最初が、宮顕の戦前の党中央委員査問致死事件であった。日共問題は、れんだいこの学生運動時代覚えた違和感が元になっており、あの頃抱いた感慨の吟味と決着をつけると云う意味合いでテーマとしている。宮顕の戦前の党中央委員査問致死事件は、宮顕の正体、宮顕により変質せしめられた日共の正体を確かめる為の格好教材であり、この現場での宮顕を見つめることが宮顕論、日共論の核となると云う意味で重視している。日共批判で始発した新左翼系の多くの党派はスターリニスト宮顕論の見地から批判しているが、れんだいこはそういう論を張らない。スターリニスト以前としての宮顕特務機関員論で十分間に合うと思っている。スターリニスト宮顕論は、宮顕を左派的指導者として認めたうえでの批判であり、むしろ宮顕擁護ではないかと思っている。そういう違いがある。 宮顕の戦前の党中央委員査問致死事件の通説は、宮顕−袴田派による党内スパイ摘発、査問途上の小畑中央委員の急性心臓麻痺死であり、不幸な事件としている。しかし、調べて行くうちに許し難い虚説であることが判明した。まず、スパイ摘発説そのものが胡散臭い。真実は、宮顕−袴田派の方こそがスパイ派であり、最後の労働者派中央委員であった小畑氏が査問テロに遭ったと認識すべきであることが判明した。この点で、小畑氏をスパイとする見解は如何に様々に衣装されようとも許し難い。小畑氏は冤罪であり、そういう意味で小畑氏、その親族の為にも名誉を復権せねばならない。 次に、小畑中央委員の急性心臓麻痺死が胡散臭い。真実は、それがなぜ可能になったのかは分からないが、縛り縄を解き、査問のワナから逃げ出そうとした小畑中央委員を寄ってたかって抑え込んだ圧殺死の可能性が高い。より詳細には、宮顕が果たした柔道技での締め上げによる扼殺死の可能性が高い。これを「持病併発による急性心臓麻痺死」とする通説は、静かな査問説に繋がるものであるが、クロをシロと言いくるめる詐欺言論である。静かな査問説を主張する手合いに、査問中食事を提供していたのかと問うや、黙り込んでしまった。なぜなら、党中央見解が、そのことに一言も触れていないからである。党中央が触れていないことに対して彼らは触れられない。そういう習性がある。れんだいこは、こういうところを見逃さない。 この事件の胡散臭さを語れば次から次へと広がりキリがない。重要な個所でウソをつくことにより虚言連鎖になっている。問題は、日共党中央が今日まで一貫して、このウソの連鎖で真相を歪め、居直っていることにある。その党が、こたびの小沢キード事件で、他党のそれにも増して石川議員の証人喚問、真相解明、政治的道義的責任追及していることである。白々しさを通り越した狂態と云うべきではなかろうか。 その2例目がロッキード事件であった。通説は、前首相・田中角栄が在任中に航空機商戦に手を染め、見返りにロッキード社より5億円迂回収賄した咎により逮捕起訴され、徹底追及されたとしている。しかし、調べて行くうち許し難い虚説であることが判明した。まず、日本の政府高官にわたった約20数億円は殆どが児玉誉士夫経由であり、だとすれば中曽根−ナベツネラインの方が収賄した可能性が強い。それを無理矢理に刎頚の友・小佐野賢治経由で角栄に渡ったとして国策捜査して行った形跡が認められる。 この点で、5億円収受説の上に立って諸悪の元凶として角栄を批判して行った通説も、それにしても角栄の政治能力は評価されるべきであるとする弁護論も、如何に様々に衣装されようとも許し難い。角栄当人が最後まで否認して公判闘争を継続したことの方に真実があり、事件は冤罪であり、そういう意味で角栄、その親族の為にも名誉を復権せねばならない。 この事件も、胡散臭さを語れば次から次へと広がりキリがない。重要な個所でウソをつくことにより虚言連鎖になっている。問題は、日共党中央が今日まで一貫して、このウソの連鎖で真相を歪め、居直っていることにある。かの時は諸悪の元凶として角栄を糾弾し、今になって云うことに「たかが5億円の外国の金に手を出した角栄金欠論」を振りまいている。こういう冒涜を許せるだろうか。こういうことを平気で云える不破の口にこそ道義的責任を追求すべきではなかろうか。日共は、こたびの小沢キード事件で、他党のそれにも増して石川議員の証人喚問、真相解明、政治的道義的責任追及している。宜しい。同じ論理と論法で証人席に据えてやろう。 この二事件の精査から始まり、関連する歴史事象の解析へと次から次へと向かったのが、この十年である。れんだいこはいつしか「れんだいこ史観」、「れんだいこ観点」と自負するようになった。なぜなら、市井の既成のどの史観、観点とも違う独自のそれだと気づいたからである。そもそも戦後日本の見立てが違う。れんだいこは、敗戦後の日本を日本ルネサンス期と見立て、戦後憲法の導入によるその後の歩みをプレ社会主義と見立てている。この見立ての相違から、何から何までが市井の既成のそれと齟齬するようになる。冒頭で述べたが、れんだいこが特段に奇異な観点を打ち出そうとしたのではない。自ずと導き出されたものが「れんだいこ史観」、「れんだいこ観点」となった。 これ以降、「れんだいこ史観」、「れんだいこ観点」の磨きに大きく寄与したのが太田龍史観、観点であった。れんだいこのそれは幾つかの箇所で太田龍氏のそれとも若干違うが、現代世界を牛耳る真の権力体である国際金融資本の生態、その歴史的沿革について学ばせて貰った。氏の生前、一度だけになってしまったがセミナーに参加し、二次会を共にし、少し話しをしたのが良い思い出になった。改めて感謝申し上げておきたい。 今日の「れんだいこ史観」、「れんだいこ観点」は、現代史のみならず近世史、古代史、神話史、思想、宗教、哲学、世相ジャーナル、著作権等々何でもござれに及んでいる。その時々にアンテナが作動した事象に取り組み、その都度論考して行くスタイルを確立しつつある。一度ゆっくり腰を落としてみたいのだが、それは世事許されないので、こういうスタイルになる。このれんだいこから見れば、世の識者の営為の安逸さが透けて見えてくる。おっとこれは云うまい。 さて、そういう風に進化を遂げてきつつあるのだが、この先どこまで掘れるのだろうか。願うらくは、れんだいこも、太田龍の如くセミナーで飯が食えるようになりたい。氏に較べて語学ができないので、国際的視野を同時的に持つ芸当ができないが、内容的には自信がある。「れんだいこ史観」、「れんだいこ観点」から見た事象解析を世に知らしめ、何らかの有益な役割に資したいと思う。自分の方からの売り込みは得手でないので自然に熟柿となり、れんだいこの見解が求められる時代を引き寄せたいと思う。 そう云えば、この間著作をものした。「検証学生運動」(社会批評社)であるが、上巻としている関係上、下巻を出さねばならない。もうそろそろ原稿を送ろうと思う。問題は、反応の弱さである。左派圏は元々イデオロギッシュで理論好きな手合いで成り立っていると思うのに、最近は失語症に陥っているかのようである。下巻では、そういう風潮をからかうかのように挑発的なものにしてみようかと思っている。 それはともかく、次の著作にも向かいたい。我がサイトは、その際の膨大な原稿になっている。その作風が著作権法違反だと咎められることが多いのだが、云う者は云う。黙って学ぶ者は学ぶ。そういう世の中であるからして、小難しい者とは付き合いを避け、ルールとマナーだけは守って同好の士を糾合して協働して行くことにしたい。生あるうちにどこまで漕げるか、それが問われていると思っている。そうだ。「れんだいこ論考楽しみに読ませて貰っています、つきましては些少のカンパを」と送金して下さった女史が居る。Kさん有り難うね。れんだいこ勇気凛凛だ。 2010.2.11日 れんだいこ拝 |
【最新最深のれんだいこ史観について】 |
れんだいこ史観がその後更に精度アップしつつある。2010年頃より新たに「原日本新日本論」、「縄文社会主義論」を獲得した。れんだいこの邪馬台国研究から得た着想である。この詳細は「れんだいこの新邪馬台国論」に譲る。これにより日本耽美派の精神が耽美派の人たち以上に理解できるようになった。2013年頃、「国際ユダ屋論」を獲得した。従来、「国際金融資本帝国主義ネオシオニズム」と長たらしく表記していたものが端的に表現できるようになった。2015年12月頃、「国際ユダ屋」を「ユダ邪」と表記替えすることにした。「屋」号では「屋」に申し訳なく、「邪」の方が真意に近いと発想したからである。 2013.10.23日、2015.12.27日再編集 れんだいこ拝 |
(私論.私見)