449―128 帰国運動を後押しする宮顕系日共党中央の思惑考
 時の首相・吉田茂氏がマッカーサーに宛てた「在日朝鮮人に対する措置」文書(1949年8月末から9月初旬ころのものと推定される)は極めて重要な様相を帯びているように思われる。これによりはっきりすることは、時の権力者が在日朝鮮人に如何に頭を悩め、国内退去、強制送還を願っていたか、ということであろう。してみれば、「在日朝鮮人の帰国事業」は何やら日朝両政府の何らかの裏取引を交えて進められたとの推測を可能にさせる。

 こうした際に必ず、国策を裏側から遂行する奇態を見せる宮顕はこれにどう対応したか。案に違わず熱心な推進者であったことが判明する。これを以下考察する。


【帰国事業推進を煽り賛美する宮顕】

 戦後の左派運動は日朝共産主義者の合体で担われていた。その実態は、不十分ながら戦後在日の左派運動と日共との関係考で記したところである。戦後の在日朝鮮人運動の有名な指導者である金天海氏は日本共産党中央委員会の政治局員でもあった。他に宋性徹氏、朴恩哲氏、金斗鎔氏らも日本共産党中央委員会の幹部であったことがこれを証左している。

 ところが、「50年分裂」時を経て、1955年の六全協で徳球―伊藤律系党中央が崩壊しそれに替わって宮顕―野坂系党中央への宮廷革命により、日共は大きく変質する。それまでの在日朝鮮人共産主義者が当たり前のように日共に加盟する仕組みが拒否され、在日朝鮮人共産主義者は分離し朝鮮総連の方へ組織されていくことになる。これは日共の純化路線が敷かれた事を意味している。

 さて、そのように分岐した日本共産党及び朝鮮総連は共に北朝鮮を美化し、在日朝鮮人に幻想を与え帰国熱を煽って行く。日本共産党の宣伝は在日朝鮮人の中で大きな影響力を持っていたことを知る必要がある。この両面からの陽動戦略は功を奏し、在日朝鮮人は予想以上に大量帰国していくことになった。

 1960(昭和35).8.13日のことである。宮顕は日本共産党を代表して朝鮮労働党第四回大会で演説し、以下のように北朝鮮を美化している(赤旗、昭和36.9.15日掲載)。

 (全員起立、あらしのような拍手、長くつづく)
「親愛な同志のみなさん!日本共産党中央委員会ははえある朝鮮労働党第四回大会と、この大会をつうじて、貴党の全党員と英雄的な朝鮮人民にたいし心から兄弟としてのお祝いをおくります(あらしのような拍手)。

 朝鮮労働党の指導のもとに、朝鮮人民がおさめた社会主義建設の成果と、祖国の民主主義的、平和的統一のために展開しているたゆみない闘争は、われわれ日本のたたかう労働者階級と人民に深い感銘をあたえています(あらしのような長くつづく拍手)。

 日本帝国主義の長期にわたる植民地支配が残した立ちおくれた経済と、アメリカ帝国主義をかしらとする国際反動勢力の干渉、戦争によるひどい破壊など大きな困難にもかかわらず、朝鮮人民は高い革命的情熱と愛国的献身性をもって、千里のこま(駒)の早い速度で社会主義朝鮮建設の道を前進しました。今日、朝鮮民主主義人民共和国の工業生産は解放前の約八倍に達しており、新しい七ヵ年計画はいっそう飛躍的な発展の展望を開いています。政治、経済、文化、社会のすべての面にわたり、限りない明るい希望にみちた新しい世界が朝鮮人民の前に開かれています(拍手)。

 社会主義建設のこのようなすばらしい成果は、朝鮮人民の完全な解放と幸福を保障するうえで重大な意義を持ち、さらには帝国主義者どもの侵略と戦争政策から世界とアジアの平和を守るうえで巨大な貢献となるものです(あらしのような拍手)。

 この偉大な成果は、金日成同志を先頭とする中央委員会のまわりに堅く団結した朝鮮労働党の正しい指導によってかちとられたものであります(あらしのような長くつづく拍手)。共和国北半部のこの輝かしい発展とは反対に、南半部ではアメリカ帝国主義の軍事的占領と植民地的支配のもとで、ファッショ的テロ支配と経済の混乱がつづいています。この光明と暗黒の対照は全世界に社会主義こそ平和と繁栄の世界であり、帝国主義は侵略と暗黒であるという真理を、このうえなく明白に実証してくれています(拍手)。(中略)

 同志のみなさん。われわれ両党の共同コミュニケで課題の一つとなっていた在日朝鮮公民の祖国への帰国問題はすでに完全に実行に移され、今日までに七万一千人の人々が希望にしたがって朝鮮民主主義人民共和国に帰国することができました(あらしのような拍手)。

 それから今日なお希望にみちた人びとが日本各地からあなた方の国へ向かって出発しています。この問題がこのように解決されたのは、あなた方の党とあなた方の政府の正しい外交路線、在日朝鮮公民をふくむ朝鮮人民のねばり強い努力によるものであります。さらにわが党も日本のすべての民主勢力とともに日本支配グループのあらゆる妨害をはねのけながら、この問題の解決の促進に協力できたことを喜んでいます(あらしのような拍手)。(中略)

 しかし国際共産主義運動が、八十一カ国共産党・労働者党代表者会議の声明のさし示す方向にしたがって、団結を強化して断固たたかい、偉大なソ連を先頭とする社会主義陣営と全世界の平和、民主主義、民族解放勢力の団結と連帯をいっそう強化して前進するならば、国際反動勢力の陰謀にたいする新たな勝利をかちとり、新しい世界戦争を阻止できることは明らかであります(あらしのような拍手)。

 共同の敵に反対する歴史的な闘争で結ばれた日本と朝鮮の共産主義者と人民の不滅の親善と団結万歳!(あらしのような長くつづく拍手)。不敗のマルクス・レーニン主義と国際共産主義運動の団結万歳!(あらしのような拍手)。英雄的な朝鮮人民の指導者ー朝鮮労働党の第四会大会万歳!(全員起立、あらしのような長くつづく拍手)」

(私論.私見)「宮顕演説」について 

 この演説により、宮顕が如何に帰国事業の熱心な推進者であったかが判明する。同時に、北朝鮮では「政治、経済、文化、社会のすべての面にわたり、限りない明るい希望にみちた新しい世界が朝鮮人民の前に開かれています」と断言し、朝鮮労働党に対する「英雄的な朝鮮人民の指導者」、「共和国北半部のこの輝かしい発展」的位置付けで絶賛し、「81カ国共産党・労働者党代表者会議声明」賛美、偉大なソ連を先頭とする社会主義陣営」、「不敗のマルクス・レーニン主義と国際共産主義運動」的認識をも披瀝していることが確認できよう。

 この言い回しがその後如何に言い換えられたのか。党中央は何の羞恥も持たず、党員もまた阿諛追従する変態ぶりを見せているが、それは又別の考察とする。


【宮顕のソ連や北朝鮮美化論文考】
 宮顕は、「前衛」1959.5月号掲載論文「ソ連邦共産党第21回臨時大会の意義と兄弟諸党との連帯の強化について」で以下のようにソ連や北朝鮮を美化している。

 「社会主義はソ連邦で完全な最後の勝利をおさめた。今日、ソ連邦では国内的に資本主義を復活させる力がないだけでなく、世界的にソ連邦及び社会主義陣営をうちやぶれるような力は存在しない。このことは、今日、共産主義建設の偉大な不滅のとりでが地球の上に確固としてきずかれた人類の新しい勝利を意味する。また、それは世界平和と反植民地のための人類の闘争の不滅の偉大なとりでを、現在の世紀がもっていることを意味する」。

 「朝鮮民主主義人民共和国は、アメリカ帝国主義の侵略戦争によって国土に大きな破壊と犠牲をうけたにかかわらず、朝鮮労働党の指導のもとに団結をつよめ、『千里の駒』運動の標語が示すように、すばらしい速度で復興から新しい社会主義建設の発展にむかってまい進しつつある」。


【「帰国事業に対する日本共産党の見解」】

 2002.10.27日付しんぶん赤旗は次のように述べている。

 在日朝鮮人の帰国運動の背景には、戦前、日本の天皇制政府による三十数年にわたる朝鮮の植民地支配の問題があります。このもとで、二百数十万人もの朝鮮人が強制連行などで日本に連れて来られ、差別的で悲惨な生活を強いられました。戦後も無権利状態におかれたこれらの人びとが、植民地から解放された祖国に帰りたいと、帰国運動を起こしたのは当然です。

 これは、一九四八年の国連総会で採択された「世界人権宣言」が、「すべて人は…自国に帰る権利を有する」とうたったように、基本的人権の問題です。国際赤十字も五六年、日本、韓国、北朝鮮に覚書を送り、在日朝鮮人の帰国問題は基本的人権にかんする問題かつ人道的な問題であることを明確にし、対応を求めました。

 五八年には、自民党、社会党など超党派の政党、社会団体、民主団体が参加して「在日朝鮮人帰国協力会」が結成され、全国的に活動を展開。五九年、政府も帰国を認める閣議了解を発表しました。こうした全国民的な運動によって帰国が実現したのです。

 日本共産党が、基本的人権にかかわり、人道上の立場からも速やかに解決すべき問題として、在日朝鮮人の帰国運動を支持し、協力したことは、当然の道理ある態度でした。

(私論.私見) 「2002年現在の日共の在日朝鮮人の帰国運動見解」考

 判明することは、2002.10.27日現在でも、日共が「在日朝鮮人の帰国運動を支持し、協力したことは、当然の道理ある態度でした」としていることである。今日問題となっていることは、当時の日共が描いた北朝鮮理想祖国像がウソだったということである。これに対する何の弁明も無く、「当然の道理ある態度でした」とは何たる居直りだろうか。こういう手合いとは百年話し合っても会話が通じないことが分かる。

 2005.3.28日 れんだいこ拝

黒坂真氏の批判

 大阪経済大学助教授・黒坂真氏は、当時の宮顕のソ連、北朝鮮賛美論、帰国事業推進論を指摘し、概要次のように述べている。
 この当時の宮顕は、書記長として日本共産党の「理論」と活動を担う中心であった。この論文とほぼ同じ趣旨の中央委員会幹部会声明「世界の平和と共産主義への偉大な前進―ソ連邦共産党第21回大会の意義―」がこの年の2月に発表されている。その中で、ソ連や中国、北朝鮮などの共産主義国は「共産主義建設の偉大な不滅のとりで」、「世界平和と反植民地のための人類の闘争の不滅の偉大なとりで」である、と当時の日本共産党員は大真面目に信じ、大宣伝していたのだ。この声明や宮顕の論文が発表された昭和34年の暮れに、北朝鮮への帰国第一船が出発している。つまり、宮顕の当時の北朝鮮賛美は紛れも無くこの事業を後押ししたことになる。

 更に、「インターネットが共産党を滅ぼす 」で次のように述べている。
 「約九万三千人の在日朝鮮人らが北朝鮮という地獄のような国への帰国を決意してしまった一つの背景には、日本共産党がこのようにソ連や北朝鮮などの共産主義国を美化し、共産主義国についてあり得ぬ幻想を在日朝鮮人に与えたという史実があることを指摘しておきたい。『日本共産党が北朝鮮を美化すると、在日朝鮮人がそれを簡単に受け入れると言えるのか』と言う人がいるかもしれない。当時の日本共産党は在日朝鮮人の中で大きな思想的影響力を持っていたことを知っていただきたい。昭和三十年まで在日朝鮮人の共産主義者は日本共産党員だったから、日本共産党中央委員会の機関紙アカハタ記事や理論誌・前衛掲載論文は在日朝鮮人に一定の影響を持っていたのである。北朝鮮を全面的に美化した『三十八度線の北』(新日本出版社刊)を読んで北朝鮮への帰国を決意した在日朝鮮人は少なくなかった」。

(私論.私見) 「黒坂真氏の批判考」

 黒坂真氏の批判は的確である。問題は、これを、「これは朝鮮労働党と朝鮮総連の見解と完全に一致していた」とのみ読み取るべきであろうかということにある。


【黒坂真氏の「在日朝鮮人帰国事業問題における日本共産党批判」】
 黒坂 真氏は、「北朝鮮を美化した日本共産党」論文で、日共の在日朝鮮人帰国事業の旗振り役史実を指摘し、批判している。

 黒坂氏のプロフィールは次の通り。1961(昭和36)年、川崎市生まれ。早稲田大学政治経済学部経済学科卒業。神戸大学大学院経済学研究科博士課程単位修得退学。平成5年より大阪経済大学専任講師。翌年同助教授。マクロ経済学担当。マクロ経済の長期的動向を把握するためには、制度とイデオロギーの分析が不可欠との視点から、共産主義の理論と歴史研究を課題としている。

 論文の内容は次の通り。
 日本共産党員と朝鮮総連関係者に問う

 共産党員やかつて朝鮮総連に属していた方の中には、自らが行なった虚構宣伝と欺瞞的言い逃れを反省し、強制収容所など北朝鮮の人権問題を必死で訴えている方もいる。こうした方々には、私は安全保障上の問題で意見が違っても、対話と協力を積み重ねていきたいと考えている。こうした方々には何より、人間としての誠実さを感じるからだ。

 北朝鮮では、95年頃より深刻な飢饉が進行していた。人口の中での餓死者の比率でみれば、かつての中国の「大躍進」を凌駕するかもしれない飢饉であった。韓国の市民団体の中には、餓死者はこの数年間で三百万人を越えると試算している団体もある。現在、中国東北部で、飢饉と圧政から逃れるために相当数の難民が放浪している。この人たちを「脱北者」という。脱北者の中には、親が餓死してしまい、決死の思いで鴨緑江や豆満江を越え、食糧を求めて放浪している子供達もいる。中国政府はこともあろうに餓死寸前のこの子供達を捕らえ、北朝鮮当局に引き渡している。北朝鮮に戻された子供たちは北朝鮮の警察により殴打され、食糧を殆ど与えられずに餓死する場合が多い。

 日本共産党員と朝鮮総連関係者は「楽園の夢破れて」を熟読するべきだ

 北朝鮮への帰国運動が行なわれていた頃、宮本顕治氏や松本善明氏のように北朝鮮を全面的に美化した人とは異なり、北朝鮮の虚偽宣伝を見抜き、在日同胞と日本社会に対し北朝鮮の恐るべき真実を全力で訴えて帰国者の人数を少しでも減らそうとした在日朝鮮人がいたことを皆さんは御存知だろうか。関貴星氏は、昭和32年と35年の二度に渡って北朝鮮を訪問し、北朝鮮の真実を見抜き、親族の反対にも関わらず「楽園の夢破れて」を昭和37年に出版した。関氏は、金日成と朝鮮労働党による独裁政治の真実、そして当時の大韓民国で行なわれた軍事クーデターの関係を見事に見抜いている。以下抜粋して紹介しよう。

 「この資本主義では金銭が万能だというが、北朝鮮では党員になりさえすれば万能の護符を貰ったと同じであった。北朝鮮では日帝時代から変わったといえるのは、支配階級が交代したということだけである。人民はむかしも今も一向に変ってない。いやむかし以上、権力者、共産党にひきずられ、奴隷のように追い廻されている。祖国再建という美名で、"千里馬運動"で追い使われている人民の汗と脂肪の一滴一滴は、金日成元首とその労働党万能の権力国家、国家資本主義機構を完成させるただそれだけの意味しかない真実を知らないのだろうか。いや、完全にスパイ制度、密告制度が布かれ人民警察の恐怖社会が完成してしまったいまとなっては、権力と武力なき人民が何を知り、何を自覚しようと、もはや共産主義の一枚岩をはねのけることは不可能なのだ。死なない程度に食わせ、骨の折れない程度に働かせ、朝から晩まで、金日成万歳、労働党万歳、祖国再建万歳をお経のように唱えさせ、そして共産主義者らしく働こうとけしかけられ、考える力すら吸いとられてしまった木偶人形の生活がつづいているだけなのだ」(P126〜127)

 「私は李承晩の南朝鮮の政体を完全に支持しなかった。それどころか、李承晩の圧政とは戦ってきたし、いまの軍事革命政権出現にも全幅的に賛同するものではない。しかし、在日朝鮮幹部は承知している。それは軍事革命がぼっ発する直前の情勢は、完全に南朝鮮が北朝鮮の謀略と侵攻によって共産暴動化の一歩手前にあったことだ。そしてもし軍人のクーデターなかりせば、南朝鮮はいまごろ赤く塗りかえられていたという疑いなき事実を」(P129)

 軍事クーデターがなければ、韓国は北朝鮮により侵攻され、朝鮮半島全体が「金王朝」と化していたかもしれないというリアルな歴史認識について、朴政権下の韓国を「傀儡」「暗黒社会」と主張し宣伝した日本共産党員と朝鮮総連関係者、そして左翼知識人は真剣に考えるべきだ。関氏のように、事実を事実としてきちんと見つめていこうという姿勢を持っていた人は昭和37年でこれだけ冷静な分析ができたのである。

 関氏と朝鮮総連、そして宮本顕治氏、松本善明氏、日本共産党のどちらが正しい分析をしていたのか、今日ではあまりにも明らかではないか。若い共産党員と民主青年同盟員には自らが所属している団体の歴史を真剣に学ぶべきだ。
 
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