徳球の人品人柄考察 |
(最新見直し2011.05.14日)
(れんだいこのショートメッセージ) |
「獄中18年」という経歴から共産党支持者から英雄視され、親しみやすい人柄で「徳球(とっきゅう)」のニックネームがあった一方、党内で「オヤジ」「徳田天皇」と呼ばれるような家父長的(親分子分的)指導体制であったという批判もある。特に、文化運動では、娘婿の西沢隆二の方針を支持し、〈ダンス至上主義〉といわれるほど社交ダンスを運動のなかにもちこんだ(その実態は徳永直の小説、『静かなる山々』にも描かれている)。 |
「宮本百合子は、1949年に、小説家を軽んじる徳田の方針に対する意見書を提出している」について。 あるかも知れぬ、ないかも知れぬ。問題は、原典文書を示して語る必要があろう。れんだいこの知る限り、徳球と宮本百合子は互いに信頼しあっていた面が認められる。夫の宮顕が反徳球活動に徹する面で相当に苦労している。この辺りを踏まえて解析したい。 |
吉田茂とは政治的立場において全く相容れないものがあったが、意外にも人間的にはウマが合う間柄だったようである。吉田茂は晩年、随筆「大磯の松」で 「共産党の徳田球一君は、議会で私を攻撃する時はまことに激しい口調であるが、非常にカラッとした人で、個人的には好きな型の人であった。敵ながら、愉快な人物であった」と述べている。吉田茂は終戦時40日ほど獄中にあったが、その経験から18年獄中にあった徳田にある種の敬意を抱いていたとも言われている。
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また、第1次吉田内閣で大蔵大臣を務めていた石橋湛山(東洋経済新報社にて主幹・社長を歴任したジャーナリスト。第55代内閣総理大臣)も好意的な印象を抱いていた。
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浅沼稲次郎は、「回想の徳田球一」の中で、以下のように徳球を評している。
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Re::れんだいこのカンテラ時評928 | れんだいこ | 2011/05/14 | ||||||||||||||||
【徳球の共産党中央委員人物寸評考】 徳球は、1950年党分裂時、中央委員の寸評を遺している。これが面白いので確認しておく。 1950.4.28−30日、第十九回中央委員会総会が開かれ、徳球系執行部が提起した「当面する革命における日本共産党の基本的任務について」議案を廻り喧々諤々の議論が巻き起こった。結局、志賀、宮顕、神山、蔵原、亀山、袴田、春日(庄)、遠坂良一等はテーゼ反対を表明して排除された。こうして中央委員会は事実上分裂した。この時、徳球は次のような党中央委員寸評をメモ書きしている。非常に多様な草案批判の特徴を三グループに分類した上で個々にその特徴をあげつらい次のように素描している。
徳球のこの辛辣な同志批判コメントに対して、所感派の連中も驚き、その撤回、取り消しが賢明であるとする杞憂意見が為されている。「徳田のこの悪罵が分裂の傷口を広げ、いわゆる国際派の分裂活動を促進し、反対者を多くした」と伝えられている。れんだいこが在席していたら「面白いではないか」と受け止め、気難しい排斥屋の論理を斥けただろう。下手な配慮で「もの云えば唇寒し」にするより、徳球に見倣って他の中央委員もそれぞれの党中央委員寸評を出せば良いではないか、その方が却って有益なのではないかと反論していただろう。 「徳球の同志批判コメント」を確認する。まず神山評。神山の博学ぶりを「なかなか才人に見える」と揶揄している。実践的に何ら寄与しない博識ぶりであることを鋭く衝いている。志賀評。志賀のプロレタリア国際主義が常に外国の権威に基づいているヒモつきであることを揶揄している。「ウォール街的国際主義に傾いている」と見抜いている。鋭いと思う。 宮顕評。宮顕の左派運動に於ける異邦人性を鋭く衝いている。「彼の考えていることが全面的に言葉に表現されているかどうかが、同志宮本にとっては一番重大な問題なのである」と述べ、特殊な狙いを持って党中央簒奪を窺っていることを警鐘している。蔵原評。蔵原も又宮顕同様に左派運動に於ける異邦人人士であることを鋭く衝いている。その言を「子供らしい言い分」として相手にしていない。袴田評。袴田の言行不一致性を鋭く衝いている。得体の知れなさを感じ取っている。遠坂評。「抽象的な論議に陥っている」癖を見抜いており、この御仁の左派運動に於ける異邦人性を鋭く衝いている。 亀山評。狂人扱いしている。れんだいこがこの意味を詮索するのにこう云う意味ではなかったか。亀山の政治理論、行動履歴、党中央内の立ち位置からすれば徳球系所感派に与するべきなのに、この時期こともあろうに自身の政治的立場と明らかに違う宮顕糸と行動を共にしている不自然さを揶揄しているのではなかろうか。そういう意味から云えば当たっているからである。気がふれている意味での狂人論ではなく、敵と味方を取り違える狂人性を揶揄しているのではなかろうか。 春日(庄)評。「いわゆる左翼跳ね上がり屋であり、出世機会主義的傾向を持つ」癖を見抜いている。これも鋭い。中西功についての論及がないのをどう理解すべきだろうか。徳球は、「中西意見書」の提出を正々堂々認可しており、その左派性を案外と評価していたのではなかろうか。或いは完全に無視していたのかも知れないが前者と受け止めたい。 以上、なかなか面白い徳球コメントだった。その後の共産党史は徳球コメントが危惧していた通り最悪の宮顕―蔵原―袴田―遠坂コンビに奪権されて行くことになる。そして今日ある通りの似ても似つかぬ共産党即ち日共化する。あれこれ思えば、徳球コメントを深く味わうべきだろう。 2011.5.14日 れんだいこ拝 |
(私論.私見)