れんだいこの福本イズム考

 (最新見直し2005.7.19日)

【福本イズムへ寄せるれんだいこの哀切の歌】

 2004年現在の左派水準において、福本イズムは次のように批評されている。

 「レーニンの『何をなすべきか』の党建設論を戯画化した福本の『分離結合論』は、政治運動はもちろんのこと労働組合運動や文化運動の中にまで露骨な分裂主義、セクト主義を持ち込み、大衆団体を次々と分裂させていった。福本イズムとは、簡単にいって理論闘争主義、セクト主義である」。

 つまり、「悪名高い理論フェチ」として評されている。左右両翼からのこの見地でもっての批判の大合唱が通説となっている。

 れんだいこ史観はそうは見なさない。上述のような福本イズム批判は俗流マルクス主義の見地であり有害であろう。むしろ、福本イズムの功績を認めるべきである。

 「福本イズムとは、『理論百%主義』と形容されている当のものであるが、マルクス主義を日本人自身の能力において咀嚼しようとしたという点で日本人最初の理論マルキストであり、前にも後にもこの種のタイプがいないという意味で今日でも光芒を放っていると思われる。しかも、その理論水準は、当時に於いてコミンテルンよりも高かったかも知れない」。

 これが福本イズムに対する見地となるべきである。これに付言すれば、次のような評価こそが添えられるべきであろう。

 「日本左派運動の牢とした欠陥である没理論主義を転換せしめる意義を有していたが、あまりにも政治的に抹殺されたのが悔やまれる」。

 思い起こそう。第一次共産党が解党され、右派潮流の山川イズムを発生させつつある局面に於いて、歴史の摩訶不思議なところであるが、ここに福本イズムが颯爽と登場する。第二次共産党は、福本イズを獲得することによって再建された。党運動史上、福本イズムの歴史的功績がここにある。

 しかし、これまた歴史の摩訶不思議なところであるが、日共再建を指示していたコミンテルンはこれを喜ぶよりはむしろ警戒し、これと決別するよう強制した。第二次共産党を創建した指導部メンバーが大挙モスクワ詣でし、コミンテルンと度重ねて打ち合わせした結果、モスクワ詣での一行は競うようにして福本イズムを弾劾し始めた。ここに、日共運動の事大主義性と自ら福本イズムを排斥して行った史実が刻まれている。

 代わりに持ち込まれたのが27年テーゼであった。第二次共産党指導部はこれを受け入れ、路線転換を行った。その後、マルクス主義的日本左派運動は、労農派、日共コミンテルン派の二潮流によって担われていくことになった。よって福本イズムは埋没した。かくて、福本イズムは日本左派運動の舞台から去った。今に至るも地下に潜っている。しかし、福本イズムを放擲した両派の運動ないし理論は、福本イズムがひとたびは獲得した地平からかなり遅れた水準での遣り取りではなかっただろうか。故に、どちらも首尾よく進展しなかった次第である。れんだいこはそう思う。

 それを思えば、第二次共産党指導部のモスクワ詣でによるコミンテルンとの打ち合わせ時こそ、日本左派運動のひいては世界各国の左派運動の国際主義のモデルを創り出す好機であった。実に、その能力が問われていた。しかるに為し得なかった。忖度するのに、当時の理論水準においては、コミンテルンに抵抗することは難しく、出来ない相談であったのかも知れない。

 しかし、今なら自明のことである。取り敢えず未決着にし、この問題を日本で討議すべきであったのではなかろうか。そして、「福本イズム」を喧々諤々議論し、且つ更なる高次のものを生み出すべく弁証法的に対応すべきであったのではなかろうか。自主独立という精神を真に発揮するのなら、単にご都合主義的に振り回すだけではなくて、この史実から紐解き総括し直さねばなるまい。

 れんだいこは、 「福本イズムの席巻した2年余こそ、むしろ創造的な時代ではなかったか」の捉え方に同意する。コミンテルンに出向いてのロシアマルクス主義との論争は、「無理やり自己批判させられてしまった」とはいえ、自主独立的なマルクス主義運動の萌芽を見せた史実を刻んでおり、むしろ誉れではなかろうか。ましてや、ロシアマルクス主義の非マルクス主義性が露になっている今日においてをや。

 いずれにせよ、日本左派運動は「福本イズム」をあっけなく封印してしまった。そのことにより、日本左派運動史上の金の卵であった福本イズムを自ら潰した。日本左派運動はこの時より「理論軽視」の負の歴史を宿アにさせてしまった。その「負のツケ」が自家撞着し、その後の没理論主義への水路を切り開いた気がしてならない。そしてこの「負のツケ」ははるけき今日まで日本左派運動に染み付いているのではなかろうか、そんな気がしてならない。

 2004.12.18日 れんだいこ拝


【その1、福本の国有化理論に対する認識について】
 福本イズムの評価は以上として、だがしかしその限界をどこに求めるべきだろう。以下、れんだいこの気づきを記しておく。

 「その1、マルクス主義の哲学的認識論に於いては正確であったが、社会理論に於いてやや公式主義に捉われていやしなかったか」ということについて考察する。

 その典型は、国有化理論である。福本は、国有化理論をマルクス主義の中心的命題としているように見える。それに対するに生産協同組合論を対置して称揚しているように見える。生産協同組合論は、国有化理論によって埋もれた未踏の理論分野であり、これを手がけた意義は分かる。

 しかし、これにつきやや不満がある。マルクスは、果たして国有化理論を唱えていたのだろうか。最近の研究は、マルクスが視野に入れていたのは「生産の資本主義化ではない社会主義化」であり、それは必ずしも全域的な国有化理論では無かったのではなかろうか。少なくとも、「共産主義者の宣言」で打ち出された青写真は、基幹事業例えば銀行的金融業務、鉄道的運輸業務の国営化であり、その他事業については、あくまで「生産の資本主義化ではない社会主義化」を目指す方向へのリードではなかったか。

 分かりやすく云えば、「共産主義者の宣言」において、銀行、運輸等に対する国家統制ないし国有化を述べているが、それは主要産業においてであり、実は、その他産業は民間経済を前提にしていると読み取ることができるのではなかろうか。悪しき事に、それでは不都合なのであろう、「共産主義者の宣言」は「共産党宣言」と書き換えられ、末尾の青写真の該当箇所も杜撰に和訳されている。

 れんだいこには、俗流マルクス主義派が、どういう経路で国有化理論を定式化し、踏絵化させていったのかまでは経緯が分からないが、その後のマルクス主義者は、「資本主義は自由市場理論、共産主義は国有化理論」という風に二項対立的二図式化させ、国有化理論を振りかざす者こそ共産主義者と自己規定していくことになった。しかして、それには何の根拠も無い。

 マルクス主義的に目指すべきは、社会システムの社会化であり、してみれば、国有であろうが民営であろうが生産管理こそが中心的課題にされねばならない。これこそがマルクス主義の眼目思想であろうに。労働組合運動も根本はその力を生み出していく「学校」として位置づけられるべきだろう。戦後の一時期、生産管理闘争が花盛りとなったが、それは極めて賢明な方向であった、それをもっと伸ばすべきであった、とかようにれんだいこは考えている。

 その点、福本ともあろうものが、生産管理論に向わず生産協同組合論的発想へ理論を導いていったのはある種の逃げであり、「半面の真理」を衝いたものでしかないように思われる。福本は、生産管理は一足飛びに行かなくも良い、視野として入れておき、そういう方向に叡智を出し合う運動を指針すべきなのだ、と主張すべきではなかったか。

 2005.1.4日 れんだいこ拝

【その2、福本の対スパイ工作論の無考察について】
 「その2、福本組織論の欠陥として、敵方からの内部撹乱的仕掛けに対する無考察が認められる」ということについて考察する。

 これもおかしなことで、国家権力が最も意を砕いていたのがスパイ工作であったとすれば、それに対する処方箋を開示せねばならないのは当たり前であろうに、ほぼ皆目無考察で遣り過ごしている。何らかの欠陥があるとしか思えない。

 但し、補正もしておかなければ片手落ちとなる。福本らの第二次共産党再建は完璧に秘密が護られ首尾よく成功した。当局の厳しい監視の目を盗んでの中であり、その力量は高く評されねばならないだろう。

【その3、福本の同志批判における無識別について】
 「その3、その2に関連することであるが、同志批判に向うのに、唯我独尊式に自賛する他方で他の潮流を十把ひとからげに批判して済ませている」ということについて考察する。

 福本の批判は辛辣且つ軽妙であるが、問題は、批判の仕方における温度差の無さであろう。どういうことかというと、同志的批判に対するのと非同志的批判に対するのとを峻別し、同志側には慈愛をもって行い、非同士側にはそれが解党派、スパイ派であれば容赦なくせねばならぬところ、同じ対応で済ませている非である。否むしろ、同志側に厳しく、非同志側に手加減の趣さえある。おかしなことであるが、俗に云う階級的インテリ性の技であろうか。

 特に、れんだいこが明らかにした宮顕派の胡散臭さについて、福本はあまりにも無警戒で有り過ぎた。それを思えば、戦後党運動に於いて、「スターリン主義、その日本版たる徳田主義」的見地からの徳球批判に重心を置いた批判の舌鋒は、むしろナンセンスと云わざるを得ない。

【その4、福本の徳球に厳しく宮顕に緩い批判の構造について】
 「その4、福本の辛辣な批判の刃は専ら徳球に向けられ、なお酷い宮顕に対しては手加減されているとい倒錯が認められる」ということについて考察する。

 福本の数々の功績にも拘らず、れんだいこが首肯しない福本の倒錯性は、徳球批判に厳しく宮顕批判に大甘な傾向に認められる。徳球党中央時代の徳球批判はまだ良い。その後の宮顕時代になってなお徳球批判に興じるのはいかがなものだろうか。

 徳球と宮顕を比較すれば一刀両断式に宮顕批判に向かうのを良しとするところ、福本は奇妙にもこれをしていないように見受けられる。福本氏の判断構造に何らかの欠陥があるとしか思え無い。

【その5、福本のシオニズムに対する没見識について】
 「その5、シオニズム的民族主義及び国際主義に対して全く無批判の様が認められる」ということについて考察する。

 これはマルクスーエンゲルスーレーニン然りであるので、致し方ない面もあるが、それにしても嗅ぎ取るのも力であろう。福本にはこの方面の考察が全く欠けている。ここに福本イズムの史的限界認められるように思われる。




(私論.私見)