福本語録エッセンス抜き書き |
(最新見直し2005.11.13日)
(れんだいこのショートメッセージ) |
福本和夫の辛辣な批評はまことに痛快である。どうしても書き留めておきたかった箇所のみ記す。他に紹介していただければどんどん追加していくつもりでおります。 2004.12.23日 れんだいこ拝 |
日本の共産主義運動が、今日ほど実践上にも理論上にも、低調で混迷を極めている時代はかってなかった。甚だしい無気力と沈滞が一般の傾向であり、一部には実に目を覆わしめる腐敗堕落の現象さえ続出しているのが現状である。その意味に於いて、まさに前代未聞の危機の時代といって差し支えあるまい。これは誰しもが認めて、頭を悩まし、何とかいい打開前進の方法手段はあるまいかと、五里霧中に暗中模索しているところである。それが否めない目前の事実ではあるが、そう簡単に即効の万能薬が見出せる筈も無い。凡そ病気を治すには、病原を突き詰めてそこにメスを入れる必要のあることが常識ではないか。況やいわゆる膏肓に入っている病気を治そうとする場合においておやである。 1、日本の共産主義が30年来完全にその自主性を、−従って又一切の批判的革命的精神を−喪失していたこと。 2、正しいプロレタリア国際主義を逸脱し、蹂躙していた誤ったスターリン主義の独善的権威にも奴隷の如くひざまづき、無批判に盲拝して、「偉大な指導者にして教師」であるのみならず、「現代科学の最大巨匠」であるとまで崇め奉っていた権威追随主義、事大主義、官僚主義、バアバリズム、アンチ・ヒューマニズム、宗派主義が病膏肓に入っていたことこと。 3、自分の頭で自ら考える思考能力を失ってしまったこと。自分の置かれている内外の情勢を自ら正確に捉えて、それに即応して、進むべき独自の道を見出し、それを自主的にプロレタリア国際主義の立場から歩もうと努力する代わりに、安易にテーゼのお札や国外からの忠告なるものに先を争って取りすがるという、他力本願の真宗信徒のような悪い卑屈な癖がならい性となつてしまつたこと。 4、歴史は世界的に偉大な歴史の偽造者のお手本にならって、いくらでも偽造できるし、党史は旧『ソ党史』にならって、これまたいくらでも自分に都合のいいように作りかえられるのだから、いくら出鱈目だつて一向に構うことはない。権力にさえ噛り付いていればいい。 これで腐敗堕落の現象が起こらないとしたら、まさに奇跡であろう。一切の間違いは全て他になすりつけて、それを罵倒しさえすればいい。それで、自分の方は、いつでも責任を取る必要は無いということになる。もっとも他をののしるには、最大限にひどい毒毒しい言葉が必要だから、ハッタリ的にそういう言葉を手榴弾か火炎瓶でも放るようにポンポン投げかける練習は平素から充分に積んでおかなければいけない。そうでないと有能な働き手とはいえない。 今までは自分の頭で考える必要が無かった。いや、考えるのは却って有害でさえあったから、頭の中はからっぽでよかった。 日本労働階級の立場から自主的に、それぞれ自分の体験に基づき、自分の頭で考えての批判に至っては、ほとんど見ることができなかった。その理由が上に述べた点にあったと思うのである。だから、外国の意見を旧態依然として追い回すことに終始しているだらしなさがいつまでも続いて止まないのである。日本トロツキストのスターリン批判も、その例外ではなかった。 「よらしむべし 知らしむべからす」。 「非合法時代の思い出 前書き」。「福本和夫 革命回想第一部 非合法時代の思い出」(インタープレス) 1977.2.1日初版。 |
我々の陣営内に根深くはびこっている無責任な態度と責任のなすりつけについては、責任頬被り主義という言葉があるとおり、既に誰もが十分に気づいて、眉を潜め早く何とかしなければと心を砕いているところだが、これを是正しようとしないばかりか、却って正当化ないし鼓舞する思想やグループのつとに存在したことには、今まで余り注意されていないように思う。膏肓に入った病気を治療するためには、どうしても病源を突き止めて、そこにメスを入れる必要がある。 |
私の唱えない説を唱えたことにして、私を傷つけようと努力しているのであるが、全く迷惑至極の冤罪である。 |
徳田君の無理論には定評があった。生前既に誰かが徳田君ほど無理論な書記長はどこの国にもその例があるまいと評したが、徳田君はそれを否定できなかったことは、誰もがよく知る通りである。しかし、組織に掛けては、稀に見られる一大天才と褒め称える向きもあったが、それは茶坊主式のおべっかに過ぎず、当然に組織の遣り方にも大きな狂いがあって、不評と激しい憤りを買うに至ったのが、実際である。 無理論家であったことは、言い換えれば卑俗な経験主義者であったことを意味する。ところで卑俗な経験主義の実際は、ひどい主観主義又は公式主義のほか無いのが常であるが、徳田主義も決してその例外ではなかった。いや、そのもっとも典型的のものであったといって良かろう。 徳田君は、自分の略称「徳球」が、特別急行列車の略語「特急」と音が通ずるというのが大いに得意で、自ら喜んで自分の主義を「特急主義」と名づけていた。その特急主義は「いつでも革命の前夜にある」というのが、その一枚看板であった。私はそれを深く憂いて、「当てずっ砲の名砲手」という一文を獄中で非合法に書いて非合法に持ち出し、戦後間もなく発表したことがある。それから十幾年、徳田主義は完全に破綻をバクロして、徳田自身は悲痛な自己批判書を最後に異郷で倒れざるを得なかった。 私が徳田主義の当てずっぽうの革命前夜説として非難しているのは、これが徳田君自身の本質的傾向であり、徳田主義の中心思想だと考えるからであるが、それにしてもそれは、27.4月の金融恐慌についての革命前夜説から、31、2年の革命前夜説を経て、戦後幾度と無く繰り返し蒸し返した革命前夜説のことを主として云っているのである。 戦後十幾年、かようなスターリン主義と徳田主義の支配下に、日本共産主義の今日における萎靡沈滞無気力はその当然の結果として到来したのである。これから救われる道は、真に正しいプロレタリア国際主義の立場から思考と行動の自主性を確立し、批判的精神をふるいおこすと共に、スターリン主義、徳田主義の批判を貫徹すること以外にはありえないだろう。 大衆引き回し主義、事大主義、追随主義、無批判な権威盲従主義、出世主義 コミンテルンやテーゼの絶対視こそは、当時スターリンず言い出した「ソ連を絶対無条件に支持するのでなければ共産主義者でない」という主張を受け入れたことを意味する。 |
1953.3月発行の「季刊理論」第20号 「スターリン論文、われらの反省と問題点」 今まではスターリンへの傾倒がまだ如何に不十分であったかの反省から出発しているのだから、あきれてしまう。それに動員されている名誉の士は、山田勝次郎、平野義太郎、柳田謙十郎、守屋典郎、風早八十二、井上晴丸、豊田四郎、林直道、福島種典、小松摂郎、長谷川正安、前野良、尾崎庄太郎、下村保夫、梅本克己、田中吉六、アジョイ・ゴーシュ(インド共産党書記長)の17名。 山田勝次郎は「偉大なスターリンの親論文に導かれて」と題して、概要「スターリンの親論文『ソ同盟における社会主義の経済的諸問題』がマルクス・レーニン主義の経済学説並びに唯物弁証法的世界観の天才的でまた創造的な発展である」。 平野は、「スターリン論文は何を教えたか」と題して、概要「スターリン論文は確かに創造的マルクス主義の立派なお手本であり、資本論から現在までのマルクス主義の総括である。そしてまた、科学をいかに前進し発展させるかの実例である」。 柳田謙十郎は、「スターリン論文を読んで−真実に生きる新たな道」で、概要「国民をしていつも正しくその向うべきところを示し、常にその両端をたたいて、絶対に道を踏みあやまらしめない。彼のいうところに従い、彼の指し示す道を進みさえすれば、如何なる場合といえども間違いはない」。 守屋典郎は、「最大限の利潤」について論じ、「これは大指導者にしてはじめて書きうるものであり、東洋的に表現すれば、王者の論文です。傾倒してはじめて理解しうるものである」。 |
いやしくも左翼陣営に身を置きながら、博士号を欲しがったり、あるいは、博士号を得て、偉そうに思い得意顔の面々に接するおり、私は内心それらの人々の不見識をむしろ、憐れまずにはいられないのである。 |
日本の労働農民運動が、今日ほど実践上にも理論上にも、低調で混迷をきわめている時代はかってなかった。はなはだしい無気力と泥沼のような沈滞とが一般の傾向であり、一部には実に目をおおわしめる腐敗堕落の現象さえ続出しているのが現情である。その意味に於いて、まさに前代未聞の危機の時代といって差し支えあるまい。 それにはもちろん種々の原因が考えられる。しかし、その一因は、確かに、マルクス・レーニン主義と正しいプロレタリア国際主義が十字架にかけられ、それに取ってかわって、スターリン主義とその各国版とがはびこって、その暴威をほしいままにしたこと。ソ連を絶対無条件に支持するのでなければ共産主義者に非ずというスターリン主義の至上命令とそれに奴隷の如くひざまずき屈従して、二十数年来、日本の共産主義が完全にその自主性を、ー従ってまた一切の批判的革命的精神をー喪失していたことに、見出されるであろう。 このようなあいだにも、知性と良識に富み、階級的良心だけは健全に持ち続けていた分子によって、マルクス主義よよみがえれ! とマルクス主義の復活を求める叫びが、今日澎湃として起こりつつあるのが、その何よりの証拠といえよう。 このような現象というか事実の発生というか、これを大胆率直に、見、聞き、そして云おう、というために、本誌ー「マルクス主義公論」は誕生したのである。いうならば、これが本誌の自覚であり、その使命と自任するところである。 事態ここに至ってもなお、ねぼけまなこをこすって、これに、見ざる、聞かざる、言わざるの三猿主義を決め込み、権威主義、公式主義、宗派主義への愛着が断ち切れず、中途半端なスターリン主義、徳田主義批判にあぐらをかいてノホホンとしているものなどは、マルクス主義とは無縁な、いわゆる迷妄度し難い存在といわねばならぬ。(「革命回想第三部自主性・人間性の回復をめざして」)。 |
スターリン主義が決してマルクス・レーニン主義のーいわんや、本来のマルクス主義のー当然の発展ではなく、その根本的な修正であり、俗悪化に外ならぬものであった。 |
このような宗派主義、事大主義のためにあえてする事実の歪曲、デッチあげや責任転嫁と、生意気に思い上がって一時の権威をかさにきた匪人間的で卑劣を極めた罵詈讒謗の四面楚歌と、前に述べた如き混迷と暴論の支配した只中にあって、しかも私は私の前記持論を終始一貫堅持し続けて変わることなかった。 |
(私論.私見)