私たちが体験した共産党の“収容所列島” |
月刊正論の「【対談】私たちが体験した共産党の“収容所列島” 」を読みとると、次のような内容になっている。対談は、「元共産党国会議員秘書・兵本達吉、元民青中野地区委員会副委員長・安東親範、司会/産経新聞政治部次長・関田伸雄
」。 日本共産党系の医療機関団体「全日本民主医療機関連合会(民医連)」の総本山とも言える東京の代々木病院が、党内反対派の精神鑑定所に使われていると云う。党や最高指導者への批判者や異分子が送り込まれ、「精神病患者」のレッテルを貼って葬り去る手段として利用されている形跡が認められると云う。その様は、「世界の共産主義諸国において人権弾圧の中心的役割を果たした強制収容所(ラーゲリ)」、「ソルジェニーツインが描いた゛収容所列島″の日本版」と云う。 対談の二人は、強制的に代々木病院精神科で精神鑑定を受けさせられた経緯の持主で、後に告発している結果的に告発仲間という関係にある。兵本氏の証言は以下の通り。浜本氏は、1990(平成2)年の年賀状に「宮本独裁三十年」と書いたことが問題にされた。それは、前年末のルーマニアのチャウシェスク大統領夫妻逮捕銃殺事件が関係していた。日共はそれまでチャウシェスクを「東欧の自主独立の政策を進めている人物であり、国内的には社会主義国家の建設を順調にやっている」と称え、「ルーマニア人民の英雄である」と天まで持ち上げていた。あるいは、宮本委員長はソ連を訪問してブレジネフと共同声明を発表して世界平和を謳い上げた声明発表のわずか三日後にソ連はアフガンに軍事侵入したことも関係していた。共産党中央は、これらに政治責任を露ほどもみせなかった。これが、「宮本独裁三十年」の背景であった。 兵本氏は、年明けで国会(参院議員会館)へ出勤したら、党本部の書記局から年賀状問題を詰問された。ここで、貴重な証言が為されている。
具体的に示されていないので知りたいところであるが、こういうことがままあったという。しかしながら、こういうところは、この対談の場でなくても明らかにするべきである。れんだいこは、由々しき事件と考える。 兵本氏は、一応形だけ始末書を書いたが、「精神鑑定を受けろ」ということになり、いろいろ理由をつけて逃げ回っていたところ、共産党の国会の事務局長から自宅に早朝電話がかかってきて「今日はほかの仕事をさておいてまず代々木病院に行って精神鑑定を受けろ」と厳命がきて、代々木病院精神科に診察に向かうことになった。ところが、担当医が同情的で「頭脳明晰、意識明澄」という診断書を書いてくれた。精神鑑定を受けた後、自己批判書をかかされた。兵本氏の受けた心の傷は大きかった。後に離党し、「日本共産党には゛強制収容所″があって、党の言うことをきかない人間を代々木病院精神科に連れて行っている」と告発側に廻ることになった。しかし、「現在に至るまで私の職場に押しかけたり、外出先まで私を追い回したりして邪魔、いやがらせをする人間がいるんです」、「党と衝突を起こして離れた人間が反党活動をやっていないかを監視するということはやっていると思いますよ。幹部会調査室というところでね」と告発している。浜本氏はこうも述べている。
もう一人の告発人・安東氏は次のように述べている。
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れんだいこが、この「【対談】私たちが体験した共産党の“収容所列島” 」に注目するのは、兵本氏が、「国会担当(政策秘書)として「田中金脈事件」「ロッキード事件」「ゼネコン疑惑」など同党の金権腐敗事件追及委員会や法務委員会を担当」していたからである。彼の「田中金脈事件」、「ロッキード事件」、「ゼネコン疑惑」追求の舞台裏を知りたいと思う。この観点から聞くと、「書記局長や国対委員長の決裁で決まった国会の代表質問の原稿が宮本さんの鶴の一声で正反対の内容に書き換えさせられたこともたびたびあった」証言が妙になまなましい。まだまだ隠されている裏があると思うからである。 もう一つ付け加えておくと、「代々木病院精神科問題」は党内反中央派叩きの為に使われているのは無論として、長い宮顕―不破系党指導の反作用で実際に相当数の心身症患者が輩出しているのではないかと思っている。事はもっと由々しき事態にまで陥っているのではなかろうか。そういう観点からの考察が欲しいところである。 2010.01.25日 れんだこ拝 |
(私論.私見)