「暗黒の代々木王国」(辻泰介)P19に次のように書かれている。恐らく、これが史実であったと思われるので紹介する。
| 「さらに私が一層大きなショックを受けたのは、不当な60年安保闘争であり、この時にとった宮本ら党中央部の右翼日和見主義指導でした」。 |
| 「いたずらに敵の弾圧を強調した当時の宮本は、神経質なほど自衛隊、武装権力の弾圧を警戒し、党内の戦闘的な意見の封殺にその重要な勢力を割いていました。全く自民党岸内閣の強行突破に対するより、党内『過激派』の封殺に血道をあげたのです。そして60年安保闘争が大きな高揚を示しているにも関わらず、この高揚を戦闘化、及びより大衆化することを恐れたのです」。 |
著者辻氏は1964年離党している。この時の気持ちが次のように語られている。
| 「権力と闘いこれをくつがえすことに全力を傾けるために、共産党の路線を批判し、共産党員であるが故に党の方針を真剣に考え、日本の革命運動に及ぼす影響を深刻に憂い、真実を貫き通したために党から政治生命を奪われたのです」。 |
| 「党の最高幹部がどのような人物であるか、理論を誤まらせ、進路を踏み外した人物の内面を疑うことを知らなかったし、そのような暗い事実を誰からも教えられなかったからでした。もしもそうした事実を知っていたならば、私や他の人々とももっと早くから積極的に党の不純物を取り除くために闘っていたと信じて疑いません」。 |
辻氏のこの指摘は特段珍しいものではない。何より第1次ブントの軌跡そのものが宮顕批判を始発にしていたところからも確認されるべきであろう。この認識が共認共有化されるべきところ、宮顕指導はその後も続き、否60年安保闘争後ますます独裁を強めていくことになる。
2009.4.3日再編集 れんだいこ拝 |