党員子女の犯罪激増現象 |
(最新見直し2010.12.07日)
(れんだいこのショートメッセージ) |
これから取り上げる日共党員子女の犯罪について、興味本位に取り上げるつもりはない。現在、少年犯罪は急増しつつあり、日共党員家庭であっても例外たり得ないのは自明である。日共党員の家庭で起った事件を殊更にフレームアップさせ批判するのは為にするものでしかない。とはいえ、単に世相問題で片付けてよいとも思われない。共産党員の美風として、能力があるも立身出世に抗して清貧に甘んじ、子女はそういう親の生活姿勢に共鳴して立派に育ってきたという伝統がある。今やその美風が至るところで綻(ほころ)びつつあるのではなかろうか。その原因として、現下党中央の変態的手前味噌指導が党員の頭脳と精神を病ませ、それが家庭環境に反映した結果として家庭崩壊及び子女犯罪に結びついているのではないのか、という仮説を検証したいと思う。 2010.12.07日 れんだいこ拝 |
【1988年11月25日、女子高生コンクリ詰め殺人事件】 |
「元日本共産党幹部=湊靖人&湊ます子自宅2階で湊伸治らが女子高生を肉潰しリンチ虐殺害」、「足立区綾瀬女子高生誘拐監禁集団リンチ虐殺コンクリート詰め死体遺棄事件」(http://blog.goo.ne.jp/xdr123/e/e62e97226587239549f9ab34a419d3e3) |
1988年11月25日、夜の8時半頃、ある女子学生が自転車で帰宅中少年らに拉致され、以降、元日本共産党幹部=湊夫婦自宅2階に約40日間監禁された挙句死亡するという事件が発生した。警察は行方不明事件当初から共産党幹部の家があやしいとにらんでいたが、見過ごしていた。その後判明するところではこうである。少年は当時16歳、父親(当時48歳)は診療所の事務職員。母親(当時47歳)も父親と同じ診療所の看護婦主任であった。事件後、23年間勤めた診療所を辞職。犯行は、約100uの敷地に3DKの建売住宅の一室で行われていた。兄(当時17歳)が居り、ほとんど一部始終を目撃し、時には食事を運んでいたにも関わらず事件発覚まで為すすべを講じなかった。兄の供述は、「気が付いた時には女子高生のリンチの傷がひどく、逆に親にも言えなくなって云々」。 事件当時、この家庭が崩壊していた様が浮き彫りになっている。親は既に監督権が効かぬ関係に陥っており、家庭内プライバシーを擁護しており、子供の部屋に立ち入れなかったという。問題は、共産党幹部夫婦はその異常性に気づかなかったのか、気づいてどう対処しようとしていたのか、事件発覚後の態度はどのようなものであったのか、党中央はこれにどうコメントしているのか、警察はなぜ捜査を手控えたのか等々の疑問点の解明にある。事件加害者は次の通り。横山裕史(旧宮野裕史)が主犯格。懲役20年の刑で服役し、2008年平成20年、出所。関西地方の保護司と養子縁組済み。神作譲(旧小倉譲)が サブリーダー。事件のあと埼玉県の篤志家、神作某氏の戸籍上の養子になる。2004年6月、神作譲の名前で再犯し逮捕された。この男はこの事件に関して無反省な発言を繰り返し、類似の事件を引き起こした。2005年平成17年5月13日、神作譲は控訴を取り下げ、懲役4年確定。すでに刑務所から出所。湊伸治が 犯行現場の部屋の提供者。すでに刑務所から出所。この両親が共産党員であったため、警察はマスコミを恐れてなかなか家に踏み込めなかった。湊伸治の兄の恒治は小倉譲(サブリーダー)と中学の同級生。ほとんど一部始終を目撃し、時には食事を運んでいたにも関わらず事件発覚まで沈黙を守る。渡邊泰史が監視役。刑事裁判で、実刑判決を受けた少年が収容されている川越少年刑務所(埼玉 川越市)に服役。11月の強姦に加わり、最後の暴行では彼女を鉄球で、何度も殴るなどしている。1996年11月、仮出獄。伊原真一。家庭裁判所での審判の結果、半年間の少年院送致になった。北アルプスの麓、長野県穂高町に初等中等少年院・有明高原寮に収容される。ここで半年間を過ごすことになる。現在は建築会社で働く。1994年に結婚 事件のことをすべて話したという。 |
(私論.私見)