れんだいこの愛宕北山史観考 |
(最新見直し2006.10.27日)
(れんだいこのショートメッセージ) | |
太田龍・氏の2006.1.11日付け「時事寸評1551回」は「愛宕北山の古典『猶太と世界戦争』(昭和十八年八月刊)を今改めて研究することの重要性」 と題して次のように述べている。(れんだいこ責任で編集替えした)
愛宕北山氏のその後に関心があるが分からない。いずれにせよ、今日に於いてもわが国に於ける「ユダヤ問題」の水準を示しており、その後のあまたの研究所も未だ愛宕北山氏の研究域を越していないのではなかろうか。 2006.1.12日 れんだいこ拝 |
(れんだいこのショートメッセージ) |
れんだいこは、愛宕北山氏の「ユダヤ問題を廻る歴史観」を畏敬する。よくぞここまで研究をものしていたことぞとそのレベルに敬服する。戦前の日帝的軍部の戦略戦術への迎合、且つ皇国史観に立脚し過ぎている面がなきにしもあらずであるが、それを割り引くと見えてくるのは凄さばかりである。マルキシズム、アナーキズムに対する捉え方に於いて、ネオ・シオニズム配下の潮流でしかないと見据えていることにも異存は無い。が、マルキシズム、アナーキズムがそれを越す衝動を持つ運動でもあり、それが挫折せしめられたという観点を留保していたならば、なお良いと思う。 それにしても、ネオ・シオニズムに対する考察が全く欠如しているところにマルクス主義の重大な欠陥があるのではなかろうか。マルクスが、なぜこの視点を確立し得なかったのか。レーニン、トロツキー然りである。偶然とするには解せない。 そのことはともかく、愛宕北山氏の「ユダヤ問題を廻る歴史観」を学ばねばならない。咀嚼しきらねばならない。現代左派思想及びその運動は、ここを突き抜けたところで展開されねばならない、と思う。今は全くダメで、愛宕北山史観を無視することに息巻く程度のものであろう。道は遠い。 いずれにせよ、これを仮に「愛宕北山史学」と名付けると、政治を志すものは今後に於いては「愛宕北山史学」を積極的に掲げるか教養的に嗜むかは別としてここを通過せぬのは不誠実の謗りを免れまい。れんだいこは、「シオンの議定書考」と「愛宕北山史学考」はワンセットで習わねばならない貴重文献とみなす。 最近のホロコースト研究は、ヒトラーの親ユダヤ的秘密の暴露に向かいつつある。れんだいこは見解を留保している。れんだいこは、「愛宕北山史学」の構図の方を支持するからである。「愛宕北山史学」によれば、第二次世界大戦とは、反ユダヤ主義的日独伊枢軸国同盟と親ユダヤ的連合国同盟との世界覇権を廻る争闘であったということになる。れんだいこはこの説を採る。 最近の研究は、ヒトラーの親ユダヤ的側面を重視しつつある。なるほどそういう面はあるだろう。しかし、それは「第二次世界大戦とは、反ユダヤ主義的日独伊枢軸国同盟と親ユダヤ的連合国同盟との世界覇権を廻る争闘であった」とみなす構図に対する冒涜ではないか、それも又新たな歴史の偽造になりはしないかと危ぶむ。しかし、この辺りの解析は難しい。 2006.1.15日、2,006.9.17日再編集 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評その140 | れんだいこ | 2006/01/18 |
【愛宕北山史学について】 れんだいこは今、「愛宕北山史学考」をれんだいこ論文集の中に入れ格闘している。内容が濃すぎる分迷路に誘われそうである。れんだいこが習ってきた歴史観なぞ何の役にも立ちそうに無い。そうか、日独伊枢軸には新旧帝国主義の世界覇権抗争とばかりはみなせられない裏意味があったのか、と教えられている。その分斬新である。 今からそういう新しい史観を汲み取っていくのは難儀なことではある。既に獲得しているものの見方で世の中を理解していく方が楽である。それが役立たずであろうとも、分かったような物言いでお茶を濁していければそれも結構かと思う。 しかしいけない。れんだいこの性分がそれを許さない。既成のものの残薄さが分かった以上、よしんば到達点は低くなろうとも新しい観点から練り直して行かねばならない。「寿命ある身の者が持つべき、拠ることのできそうなれんだいこ的歴史観、処世観」の形成に向けて歩まねばならない。 この観点からすれば、巷にあるものがどの程度有益か無益か見えてくる。ネット検索したとして、知りたいと思うことの情報は案外とお粗末なような気がしてならない。この天文学的情報洪水時代に於いてそうなのだ。人が如何に適当に生きているかが分かる。れんだいこも適当人間だからおあいこだけれども。 とまぁ以上述べておく。 れんだいこは、マスコミの中立公正さを端から信じない。だから中立公正城に篭るべきとする正論には与しない。企業がマスコミにヨイショ記事書かすことがいけないとは思わない。多かれ少なかれそういう操作は為されていると見るから。今の時代に於いて、中立公正を声高にすることは却って危険と見る。諸氏百家争鳴に向けて幕を開けさせることの方が意味があると思っている。 「愛宕北山史学」はこれについても言及している。れんだいこが語るには及ばない。願うらくは、「愛宕北山史学」議論の起らんことを。れんだいこが転載した「愛宕北山論文」のダウンロードをして各自が学ばれんことを。著作権屋が登場してくる前に各員が取り込みされんことを。 2006.1.18日 れんだいこ拝 |
【「愛宕北山史学」考】 |
「愛宕北山史学」に触れて思うことは、れんだいこが学んできた史学との比較検討に於いて密度が濃いということである。例えてみれば、「愛宕北山史学」は真剣史学であり、これに比すれば他のそれは模造刀史学でしかない。そういう気持ちにさせられる。「愛宕北山」氏についてももっと知りたいが2006.1.16日現在のネット検索には出てこない。よって、生涯履歴さえ分からない。 れんだいこが一番関心を示したのは次のような歴史観である。これは圧巻であり他には見られないものである。否、戦前に於いてはある程度の認識の共有が有ったのかも知れない。敗戦により徹底的に掃討され、今や僅かに太田龍史学に於いて生き延びているものかも知れない。以下、要点を書き付けておく。 世界史は、少なくとも西欧史は、これをもっとも大きく観れば、世界観社会観の異なる二つの党派が抗争拮抗しつつ歩んでいる。反ユダヤとユダヤとの闘争である。なぜこのように二派になるのかというと、反ユダヤという各民族間では共存が可能であるのに対し、ユダヤと反ユダヤ間では不能である故にである。それは専らユダヤ側に責任がある。なぜなら、ユダヤには殺るか殺られるか、支配するのかされるのかの二者択一しかない世界観社会観を保持しているからである。そのユダヤの偏狭さは例を見ない。 ユダヤはその昔、現在のパレスチナの地に王国を創出していたが、外寇もさることながら相次ぐ内部抗争により自滅し、紀元前後の頃、ローマとの絶対絶滅戦争で最終的に敗北させられ、以来流浪の民となった。世界各地に散じ、ゲットーと云われる独特の生活共同圏内を構築し時代を経た。ユダヤの民は、中世から近世に至るほぼ千数百年をそのように押し込められてきた。 そのユダヤが息を吹き返す時代が到来した。西欧各国はそれまで、反ユダヤ的にキリスト教の世界観社会観を採用してきていたが、さすがに一千年を経るともなると聖俗両権に亙って体制内の腐敗を進行させた。その頃、十字軍による聖地エルサレムの奪還運動が組織され、これによりイスラム圏との戦いが始まった。歴史の皮肉であるが、その戦争が停滞し続けてきた西欧を活性化させていくことになった。余波としてイタリアにルネサンスが発生した。ルネサンスと共に、西欧各国に自由、自主、自律を求める気運が漲り始め、その鼓動が社会革新時代へ転換させていくことになった。 この波長に長らく封殺されてきたユダヤが呼応し、ゲットーからの解放を意味する公民権の獲得運動を組織していった。他方で、社会革新に成功した西欧各国は列強化し始め、世界の植民地化を競い始めた。西欧はこれと共に戦争と革命の時代に突入していくことになる。ところが、戦争と革命はユダヤにとってお誂えお得意のもので、これを通じてユダヤは次第に西欧列強を操り始めていった。新時代は、ユダヤ復権の絶好機会となった。この時代にシオニズム運動が始まり、その後の世界は戦争と革命、シオニズムの三本立て社会に突入していった。 戦争と革命、シオニズムの三原理はユダヤを伸長させ、その伸長が侵食を促すという好循環を促し始めた。以来、世界はこの波に揺さぶられつつ今日に至っている。数次の諸革命を通じてイギリス、フランスが篭絡され、第一次世界大戦を通じてドイツが篭絡された。これらは皆ユダヤの仕掛けた戦争であり、これによりユダヤは世界各国を意のままに操れる権力を獲得することになった。 そのドイツは、ヒトラー率いるナチスで再興した。これにイタリーが同盟し、アジアの盟主日本が列なった。日独伊枢軸は、世界史上ユダヤ主義と戦う最大決戦となった。「愛宕北山史学」はこの時代のユダヤ学である。 こうなると、戦前の第二次世界大戦とは、通説の云うところのファシズム枢軸対民主主義連合との対決戦争であったというのは勝者側の官許史観による宣伝であり、正しくは欧州に始まり世界に広がった反ユダヤ対ユダヤの世界支配覇権を廻る戦いであった。それを帝国主義列強による世界再分割戦であったとみなすのは左派的ではあるが決して充分なものではない。正しくは、各国が国家的独立と主権を賭けてユダヤの世界支配と戦ったものであり、当時の日本はこのことを明確に意識して戦い、結果的にはこれに破れた。戦後の秩序とはこれに基づくものである。 この認識の煙幕として米ソ対立が煽られてきた。しかし、「愛宕北山史学」は、そういう史観も又ユダヤの両建て主義によるものであり、目をくらませられてはいけないとその当時より指摘している。これにつき丁寧過ぎるほどに論証し、超大国米ソがユダヤ奥の院で繋がっていることを暴いている。この指摘の正しさは史実で実証された。第二次世界大戦末期、ヤルタ、ポツダム会談に於ける米ソの密談こそ正体を露にしたものであろう。 しかし、戦後世界は、米ソ冷戦構造史観を流布させてきた。米ソは、適度且つ継続的に軍事的緊張を生み出し、その陰にユダヤ政商を見て取ることは難しい話ではない。その時代が用済みになる時が来た。これがソ連解体であった。世界に絶対的支配権を確立した米国の独走が始まった。米英ユ同盟として姿態を露にさせつつ今も世界を席巻しつつある。 彼らは、「愛宕北山史学」が指摘している通りの世界支配計画プロトコールに従い、世界覇者として我が物顔している。この先どういう世界を創りだそうとしているのかはっきりしてくるだろう。 しかしれんだいこは思う。歴史には法理がある。その法理に従うと、おごれるものは久しからずである。リアクションがどのようにして発生し糾合されていくのか分からない。しかし必ず揺り戻しが始まるであろう。 2006.1.16日 れんだいこ拝 |
【太田龍・氏の愛宕北山史観】 | |
太田龍・氏の2006.10.26日付け「時事寸評bP815回」は「今次(第二次)世界大戦の性格は、ユダヤ人の人類殲滅戦である。(愛宕北山著『猶太と世界戦争』)」 と題して次のように述べている。(れんだいこ責任で編集替えした)
2006.10.27日 れんだいこ拝 |
(私論.私見)