理財の密なる、今日より密なるは無し。而して邦家の窮せる、今日より窮せるはなし、女S畝の税、山海の入、關市舟車畜産の利は、毫糸も必ず増す。吏士の俸、貢武の供、祭祀賓客興馬宮室の費は、錙銖も必ず減ず。理財の密なる此の如し、且つ之を行うこと数十年、而も邦家の窮は益々救うべからず。府庫洞然として積債山の如し。豈(あ)に其の智未だ足らざるか。其の術未だ巧ならざるか。抑々所謂密なるが尚疎なるや。皆非なり。
(現代語訳、今日ほど徹底して綿密な財政政策が講じられている時代はない。これに田地税、収入税、関税、市場税、通行税、畜産税など、わずかな税金でも様々な名目で徴収し、役人の俸給、饗応の費用、祭礼の費用、接待交際費など藩の支出を削り数十年経過したが一向に良くならず、財政は悪化の一途をたどっている。蔵の中は空となり、借金は山のように嵩んでいる。これは担当者の知恵や努力が足りないのではなく、考え方と手法が間違っているのではないのか)。 |
それ、善く天下の事を制する者は、事の外に立ちて事の内に屈せず。而るに今の理財者は悉(ことごと)く財の内に屈す。蓋(けだ)し昇平已に久しく、四疆は虞(うれひ)なし。列侯諸臣は坐して其の安きを享く。而して財用の一途、独り目下の患ひなり。是を以て上下の心は一に此に鍾(あつま)まる。日夜営々として其の患ひを救ふことを謀って、其の他を知るなし。 |
(現代語訳)
それ、「事の外に立ちて事の内に屈せず」が肝要である。本来、国家の経営にあたる政治家は、大所高所に立って国家全体を正しく見渡し、導いていく胆識が必要であり、小さな局面での理屈や目先の判断に惑わされるようなことがあってはならない。様々なしがらみや、私利私欲に影響されるなどはあり得てはならない。それなのに、現代の財政担当者は、目先の経済問題に振り回され、小さな局面での理屈や、目先の判断に惑わされ失敗を重ねている。要するに経済にはまり込み財の内に屈してしまっている。というのも、もう二百年以上も太平の世が続いており、国内にはまわりの脅威など何もないかのような平穏な生活が続いている。どこの国の藩主も臣下もその平和呆けの中に身を置いている。ただ財務の窮乏だけが現在の心配事となっている。国の上下を問わず、人々の心は、日夜その一事に集中し、その心配事を解決しようとしているが、藩財政全体を見渡して処置する広い識見がない。為に失敗を重ねている。何事でもそうだが、リーダーたる者は常に理念・信念・哲学を持って長期計画を立て、それをどう成就するかに力を傾注すべきであって、決して目先の問題に振り回されてはならない。それが「事の外に立ちて事の内に屈せず」の意である。「総理大臣」のことを「首相」と呼ぶが、「首相」の「相」の字はもともと木の上に目をつけて書いていた。つまりこの字は、木の上に立って全体を見渡すことを表しているのである。 |
人心は日に邪(よこしま)にして正すこと能はず。風俗は日に薄くして敦(あつ)くすること能はず。官吏は日に曇(けが)れ、民物は日に弊(やぶ)れて而して検すること能はず。文教は日に廃たれ、武備は日に弛んで、而して之を興し之を張ること能はず。挙げて焉(これ)を問ふ者あれば、乃ち日く、財用足らず、なんぞ此に及ぶに暇あらんやと曰ふ。嗚呼この数者は経国の大法にして、而も舎て修めず。綱紀は是に於てか乱れ、政令は是に於てか廃る。財用の途、またまさに何に由つて通ぜんとするや。然り而して徒らに錙銖毫糸の末に増減し較計せんとす。豈に財の内に屈する者に非ずや。何ぞ其の理の愈々(いよいよ)密にして、而て其の窮のいよいよ救ふべからずを怪しまん。 |
(現代語訳)
人心も風俗も乱れ、官吏も堕落し、民も疲れ果てている。文教も廃れ、武備も緩んでいる。そうであるのに、これを処方する能力を持つ者なく、仮にそういう者が出てきても財源が足らないと云う理由で処理されている。ああ、今述べたいくつかの事項は、国政の根本的な問題だというのに、なおざりにされている。その為に綱紀(規律)は乱れ、政令はすたれ、理財の道もまたゆき詰まっている。にもか拘わらず、ただ理財の枝葉に走り金銭の増減にのみこだわっている。こういう按配では藩は立ちいかない。理財のテクニックに関して綿密になったにしても困窮の度がますますひどくなっていくのは当然のことである。本当の財政策を講じて、窮乏を救うことが待ち望まれているのは今よりない。
(解説)
方谷は目先の経済問題ばかりに目を向けて議論し、対策を講じても、今の不況を克服することはできないと、力強く訴える。不況の病巣とはもっと根深いものがあるのだ。それは人心の軽薄だったり、官吏の腐敗だったり、教育の退廃だったり、軍事問題・危機意識の不足だったり、国家存立の根本にかかわる重要な問題と、一体になっているものなのだ。これをなおざりにして、どうして目の前の経済危機を打破できようか。方谷の危機意識は、ひとり経済問題のみならず、国家全体の根本問題に視野が向けられていく。 |
一介の士、粛然として赤貧なり。室は懸磬(けい)の如く、瓶中には塵を生ず。而して脱然として高視し、別に立つところあり。而れども富貴はまた従って至る。財の外に立つ者なり。匹夫匹婦の希ふところは数金に過ぎず。而るに終歳齷齪(あくせく)し、これを求むれど得ず、饑餓困頓し、卒(つい)に以て死するに至る。財の内に屈する者なり。いま堂々たる侯国は富なる邦士を有すも、其のなすところは一介の士に及ばずして、匹夫匹婦と其の愚陋を同じくす。また大いに哀れむべからずや。 |
(現代語訳)
ここに1人の人物がいる。その人の生活は赤貧洗うがごとくで、居室には蓄えなどなく、かまどにはチリが積もるありさまである。ところが、この人は平然としており独自の見識を堅持しており且つそれなりの生活、身分にある。こういう人は財の外に立つ者であるといえる。結局、富貴というものは、このような人物に与えられることになる。これに比して、世間の普通の人というのは、わずかの利益を得ることがその願いで、その割には年中あくせくしていて、求めても手にいれることができないで、そのうち飢えが迫って来るや為すすべもなく死んでしまう。こういう人は財の内に屈する者であるといえる。今、土地は豊かな堂々たる一大藩国でありながら、そのなすところを見ると、財の外に立つ者に及ばず、財の内に屈する世間の愚昧人となんら変わらない愚行を犯している。なんと悲しむべきことではないか。 |
三代の治は論ずるなし。管商富強の術に至りては、聖人の徒は言ふを恥ぢるところなり。然れども管子の斉(中国古代斉国)に於けるは、礼儀を尚び廉恥を重んず。商君の秦に於けるや、約信を固くし刑賞を厳にす。此みな別に立つところありて、未だ必ずしも財利に区区たらざるなり。唯(ただ)後世の利を興すの徒は、瑣屑煩苛にしてただ財を之れ務めて、而して上下倶(とも)に困しみ、衰亡之に従ふ。此また古今得失の迹の昭昭たるものなり。
|
(現代語訳)
中国の政治に例をみるに、古代の、夏、殷、周という三つの時代のそれぞれの聖王のすぐれた王道政治はいうまでもない。その後に出た政治家で、郡を抜く管子や商君について云えば、儒家は彼らの富国強兵の策を非難しているが、管子の国の斉での政治は、礼儀を尊び、廉恥(心が清くて潔く、恥を知ること)を重んじていた。また商君の国秦での政治は、約束信義を守ることを大事とし、賞罰を厳重にしていた。この二人は独自の見識を持ち、必ずしも理財にのみとらわれているわけではなかった。 ところが、後の世の、理財にのみ走る政治家たちは理財ばかり気にし、それにも拘わらず国の上下ともに窮乏し、やがて衰亡していくことになった。このことは、古今の歴史に照らしてみれば明らかなことである。 |
いま明主と賢相とが誠によく此に省み、一日超然として財利の外に卓立し、出入盈縮は之を一二の有司に委ね、時に其の大数を会するに過ぎず。乃ち義理を明らかにして以て人心を正し、浮華を芟(か)し以て風俗を敦くし、貪賂を禁じて以て官吏を清くし、撫字を務めて以て民物を贍(たら)し、古道を尚び以て文教を興し、士気を奮つて以て武備を張れば、綱紀是に於てか整ひ、政令是に於てか明らかに、経国の大法は修まらざるなし。而して財用の途もまた従つて通ず。英明特達の人に非ざるよりは、其れ孰(たれ)かよく之を誠にせん。
|
(現代語訳)
今の時代の名君と賢臣とが、よくこのことを反省して、超然として財の外にたって財の内に屈せず、金銭の出納収支に関しては有能な役人に委任し、ただその大綱を掌握し管理するにとどめるのが良い。そして、財の外に見識を立て、義理を明らかにして人心を正し、風俗の浮華(うわべだけ華やかで、中身が伴わないこと)を除き、賄賂を禁じて役人を清廉にして、民生に努めて人や物を豊かにし、古賢の教えを尊んで文教を振興し、士気を奪いおこして武備を張るなら、綱紀は整って政令はここに明らかになり、こうして経国(国を治め経営すること)の大方針はここに確立する。理財の道も、おのずからここに通じる。しかしながら英明達識の人物でなければ、こういうことはなしとげることはできない。こういう名君が待ち望まれている。
|