天理教研究と著作権 |
更新日/2021(平成31→5.1栄和改元/栄和3)年.2.6日
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、「天理教研究と著作権」をものしておく。 2019(平成31→5.1栄和改元)年.9.26日 れんだいこ拝 |
【「天理教研究と著作権」考】 |
ここで、「天理教研究と著作権」をものしておく。あらかじめ申し上げておくが、著作権狂の者は天理教教祖中山みきの御教えと最も対極的なところに位置している。よって、本サイトを渉猟せぬが良い。あるいは渉猟した結果、著作権狂から足を洗うのなら良い。渉猟した結果、相変わらず著作権狂いする者とは厳しく対峙する以外にない。なぜなら、申し上げているように「天理教教祖中山みきの御教えと最も対極的なところに位置している」からである。そういう者が幾ら論を精緻にしても、「天理教教祖中山みきの研究」のまともなものにはなるまい、そう思うからである。 2019(平成31.5.1栄和改元)年.9.26日 れんだいこ拝 |
【「無断転載禁止&写真及び撮影の禁止」考】 |
「天理教 基本教理 天理教教典 2 [無断転載禁止]©2ch.net」というサイトがある。一見するのに、なかなか興味深いところのやり取りをしているようである。但し、「無断転載禁止」とある。この一点で、私の興趣が殺がれる。「無断転載禁止」は「天理教教祖中山みきの御教えと最も対極的なところに位置している」。このことに気づかないままの中山みき研究は、論を精緻にすればするほどあらぬ方向へぶれて行くことになるだろう。今から見通しておく。 そう云えば、天理教の本部神殿入口に行くと、「写真及び撮影の禁止」札が立てられている。これも、「天理教教祖中山みきの御教えと最も対極的なところに位置している」。 「無断転載禁止&写真及び撮影の禁止」は、これを平気で打ち出して違和感を感じないほどまでに「天理教教祖中山みきの御教え」から外れてしまっていると思っている。なるほど著作権は時流の権利ものではある。しかし、時流に乗るのが良いとは限らない。乗っても良い時流、乗ってはいけない時流を峻別して、強権著作権化の流れに対しては、これを正しく分別して添わず、教祖の指針せしめた「互い助け合いお役立ち」を邁進せねばならない。 2021.4.9日、れんだいこ拝 |
(私論.私見)