仏教基礎知識

 (最新見直し2008.1.22日)


 約2500年前、釈迦が、迷信から逃れ真理を会得するべく解脱(涅槃の境地に至ること)し、真如(ありのまま)を説いた。今生の現実を直視し、前生後生譚で推論する事を排し、諸行無常の立場で、真理を探究する道を開いた。これを仏教と云う。


【四聖諦】

 四つの真理「苦集滅道」の教え。真如(ありのまま)には、不変真如(永遠不変の真理=胎蔵界マンダラで表現される)と随縁真如(現実相=金剛界マンダラで表現される)に分かれる。


【八正道】

 八正道(はっしょうどう)(aaryaaSTaaGgo-maargo、आर्याष्टाङ्गो मार्गो)とは、「八聖道」とも「八支正道」とも倶舎論では「八聖道支」とも表現される。「聖者精進の道」である

 八正道は四諦の中の道諦として説かれており、四諦の教えの実践的諭しと位置づけられている。古い相応部経典では、釈迦は、その最初の説法(初転法輪)で、まず非苦非楽の中道を説き、それを八正道であるといい、さらに四諦を説いたといわれる。

 釈尊は、「娑婆苦」を生き抜く仏教者の精進法として八つの有るべき道を解き明かした。これが、正見→正思→正語→正行→正命→正精進→正念→正定という方法である。これらすべての方法に「正」の字がついているが、「正」とは、「真理に合った」、「調和のとれた」、「総合的」な考えや見方、行動を指している。これを仏教では「中道」と云う。「中道」とは、真ん中という意味ではなく、偏らない正しさと云う意味である。法華経では「妙」を現す。

 「四諦」や「八正道」の法門は、釈尊が人生苦というものに対する考え方や、その「苦」に対処して中道の人格完成のための実践方法を解き明かした大切な法門となっている。

正見  「samyag-dRSTi, sammaa-diTTi」。まず、偏らない正しい見方をすることが肝腎と諭している。「心解脱」といわれ、正見が「四諦の智」といわれる。この正見は、以下の七種の正道によって実現される。その点で、八正道は、すべて正見である「智慧」の活動してゆく相である。 八正道は全て正見に納まる。

 教説は次の通り。

 「正しく眼の無常を観察すべし。かくの如く観ずるをば是を正見と名く。正しく観ずるが故に厭を生じ、厭を生ずるが故に喜を離れ、貪を離る。喜と貪とを離るるが故に、我は心が正しく解脱すと説くなり」。
正思

 正思(samyak-saMkalpa, sammaa-saGkalpa)。正見の次に必要な事は正思即ち正しく思惟することである。パーリの原文では「ネッカンマ」(nekkhamma)」とあり、「否認」「否定」の意味を持つ。財欲、色欲、飲食欲、名誉欲、睡眠欲等の「五欲」にまつわる人間の日常生活の戒めを含めていることになる。

 更に、自己本位に偏らず真理に照らし物事を考えるべしとして「無瞋の思惟」を要請している。それには、貧欲(自分だけの為に貪る心)、瞋恚(自分の意に添わないと怒る心)、愚痴(不平・不満などの邪心で小我を通すよこしまな心)という「意の三悪」を捨て去り物事を考えることが肝要としている。

正語  「samyag-vaac, sammaa-vaacaa」。正見、正思の次には正語即ち正しく語ることが肝要としている。正しく語るとは、妄語(嘘)を離れ、綺語(口から出任せのいいかげんな言葉)を離れ、両舌(都合や立場で使う二枚舌)を離れ、悪口を離れることである。
正業  「」samyak-kalmaanta, sammaa-kammanta」。正見、正思、正語の次には正業が肝要としている。正業とは、殺生を離れ、不与取(偸盗)を離れ、愛欲(邪婬)の「身の三悪」を離れることをいう。
正命

 「samyag-aajiiva, sammaa-aajiiva」。正見、正思、正語、正業の次には正命が肝要としている。衣食住その他の生活財を正しく求め生活する事。人の迷惑になる仕事や、世の中の為にならない職業によって生計を立ててはいけないと戒めている。「邪命を捨てて、正命によって命を営む」とか「如法に衣服、飲食、臥具、湯薬を求めて不如法に非ず」といわれるのは、如法な生活それが正命であることをあらわす。

 僧侶等に説く五種邪命には、1・仏の教えに背き、奇異の相を現じて己を敬わし、利養を貪ること。2・種々の巧みな言葉・弁舌を以て自らを誇張し、人々に敬いの心を起こさしめ、利養を貪ること。3・人相や日時・方角によって徒に人心を惑わし、吉凶を占い利養を貪ること・4・大言壮語し大衆を偽り、威儀を示し、畏敬せしめて利養を貪ること。5・巧みに種々の利益を説き、人心を煽動して利養を貪ること等が上げられている。

正精進  「samyag-vyaayaama, sammaa-vaayaama」。正見、正思、正語、正業、正命の次には正精進が肝要としている。「未生の悪、不善法の不生のために欲を生じ、勤め精進し、心を摂し努力する」、「常に行じて退せざるを正精進という」とある。これが、やがて四正勤(ししょうごん)として、すでに起こった悪不善を断ずる努力、未来に起こる悪不善を生こらないようにする努力、過去の善法の増長への努力として説かれるようになった。

 仏教では四正勤として、1・すでに起こっている悪を断つ努力。2・未だ生じていない悪は、起こさない努力。3・未だ生じていない善は、これを起こす努力。4・すでに生じさせている善は、これを増大せしめる努力を説いている。
正念

 「samyak-smrTi, sammaa-sati」。正見、正思、正語、正業、正命、正精進の次には正念が肝要としている。「身にありて身を観察して住し、熱心にして正しく理解し、精神を集中し、明瞭な心と精神集中と、専一なる心とをもって、如実に身体を知る」と説かれる。

正定

 「samyak-samaadhi, sammaa-samaadhi」。正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念の次には正定が肝要としている。「心は不乱に住し、堅固摂持し、三昧一心に寂止す」と説かれる。これは心身一致の禅定において正しい智慧を完成することである。


【十界論】
佛教の十界論
 (1)佛 界
 (2)菩薩界
 (3)縁覚界
 (4)声聞界
 (5)天 界
 (6)人 界
 (7)修羅界
 (8)畜生界
 (9)餓鬼界
 (10)地獄界

【六道論】

 仏教で人の輪廻する世界は、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天の六道とする。人間界の上位に位置する天界は、具舎論によれば、下から六欲天・色界・無色界に別れる。





(私論.私見)