(復元39号18-20Pより)
教祖四十才、拾月二十六日の寄加持に始めて幣を持ち玉えば、天の將軍と曰うて神降リ。足痛の指図相成る神降り玉えば、教祖様夢中となり玉いて、換りて神が下る〇。天の將軍と降り玉いし時、夜中寝間の天井嚴敷音致す。然ると躰重くなる。その時、国常立命降ると曰えば教祖身軽くなる。暫くにして神降る面足命と曰う。この神降る時躰熱になる。伊邪那美神迠代る/\御降リに相成る。それより教祖の躰に障り嚴敷掛リ、十日も目を閉じ卧し(ふし)玉えり。故に中山より使い、前川へ至る。前川庄屋敷へ来る。神云えるには、その方の来るを待ち居れりと。如何なる事に候哉と伺い奉れば、神曰く、家の辰巳の角より瓦を下し掛けよとと。怪しき事と思い祈禱をなして瓦を下しかけば、教祖の身躰常に復し玉う。それより半兵衛、三昧田に歸り、兄杏治(教祖の兄の杏助のこと)に、その事状を咄さるれば、杏治の云えるには、左様なる事はある筈なしと。村の元なる者を引率して庄屋敷に至り神と論ぜらる。然る上、神の理に伏して三昧田に歸らる。