豊文教会に対する天理教名称使用差止等請求事件考

 更新日/2018(平成30).5.10日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ネット検索で「豊文教会の天理教名称使用差止等請求事件裁判所収録の全文PDFを見る)に出くわした。天理教本部が、天理教豊文教会に対し、「「天理教」を含む名称の使用の差止め及び名称の登記の抹消登記手続を求める裁判」を提訴し、最高裁まで争われた事件のようである。興味深いのでこれを検討する。

 他に、久留米大学法学部特任教授・大家重夫(おおいえ・しげお)氏の宗教法人天理教」は「宗教法人天理教豊文教会」の名称使用を差し止められないという事例」がサイトアップされており、これを参照する。

 2007.12.2日 れんだいこ拝


【事件の概要】
 原告は「宗教法人天理教」(代表者代表役員・飯降政彦)で、被告は「宗教法人天理教豊文教会」である。原告と被告間の経緯は次の通り。

 被告は、80年にわたって天理教の傘下に属し、「天理教豊文分教会」(「豊文」は、被告所在地が諏訪市に合併されるまで「豊田村字文出」であったことに由来する)の名称で活動してきていたが、八島教学の影響を受け本部批判を始めた。

 平成13.7.3日、宗教法人天理教が、同日付けの通知書でもって、原告に対し、被包括関係を廃止する旨の通知を行い(注1)、所轄庁(宗教法人法5条)である長野県知事に対し、被包括関係の廃止に係る規則変更認証申請を行なった。

 宗教法人天理教豊文分教会は、宗教法人天理教に対し、同日付けの通知書で、被包括関係を廃止する旨の通知をし、次に長野県知事に被包括関係の廃止に係る規則変更認証申請を行い、変更後の規則で、名称を「天理教豊文教会」とした。

 平成15年4月16日、長野県知事は、この規則の変更を認証した。認証された規則によれば、「天理教豊文分教会」は「宗教法人天理教豊文教会」(代表者代表役員・ 山田 博明)と改称し、教義、儀式も八島教学の影響を受けたものへと変更し、天理教活動を行っていた。

 平成15年6月11日、「宗教法人天理教」は、長野県知事の行った規則の変更認証の決定は、宗教法人法第28条第1項第1号の規則変更認証要件を備えていない規則変更を認証する違法なものであるとして、その取消しを求めて、行政不服審査法に基づき、文部科学大臣へ審査請求をした。

 平成15年10月8日、文部科学大臣は、「本件審査請求は、棄却する」とした。決定の理由中に「宗教法人の名称使用に関して、宗教法人法には宗教法人が他の宗教法人と同一又は類似の名称を使用することを禁止する規定はないから、他の法令における名称使用の禁止規定に触れない限り、その名称使用に対する特段の制限はないと考えられる」、「宗教法人について同一又は類似の名称の使用による人格権の侵害を問題とし又は不正競争防止法を適用する余地があるとしても、信教の自由の保障の趣旨からいって宗教法人がどのような名称を用いるかは原則として当該宗教法人の自由な決定に委ねられるべきものであり、同一の宗教を奉ずる宗教法人の間で被包括関係の廃止があった場合に、一方の宗教法人がその宗教を表示し又は標榜する名称を含む法人名に改めたとしても、そのことをもって直ちに他の宗教法人の人格権若しくはその営業上の利益を侵害し又は侵害するおそれがあると解することはできない」として、処分庁の判断を妥当としていた。

 文部科学大臣は、宗教法人審議会の20名の委員に諮った。宗教法人審議会第26期委員(平成15年4月1日〜17年3月31日)は、[神社本庁]2名、[教派神道連合会]2名、[全日本仏教会]4名、[日本キリスト教連合会]2名、[新日本宗教団体連合会]3名、[学識経験者]10名で、法律関係者としては「全日本仏教会」4名の中に長谷川正浩弁護士、[学識経験者]10名の中に大石真京大教授、長谷部由起子学習院大学教授がいる。

 「宗教法人天理教」は、「宗教法人天理教豊文教会」が「天理教」の名称を使用することは不正競争防止法(以下、「不競法」という)2条1項2号または1号所定の不正競争行為に該当し又は原告の宗教上の人格権侵害行為であるとし、その差止め及びその名称の抹消登記手続きを請求して訴えを起こした。 

 裁判では、1.本件訴えが「法律上の争訟」に該当するか、2.不競法は宗教法人間の競争にも適用されるか、3.被告の名称使用行為が、宗教団体の名称権に基づく原告の人格権侵害に当たるか、等が争われることになった。以下、第一審の東京地裁判決、二審の東京高裁判決、最終審の最高裁判決を検討する事にする。
 宗教法人天理教は、
 (注1)包括、被包括制度とは、宗教法人法26条1項に規定されており、双方の宗教団体が、意思表示の合致によって成立し、通常は被包括宗教団体の代表役員の選任、財産処分等について、包括宗教団体の承認又は同意にかからしめるという制約がなされ、双方の規則にこれが記載される(法12条1項12号)。その廃止については、被包括宗教法人から、包括宗教法人へ廃止の通知を要する(法26条3項)。

 包括・被包括関係の制度は、憲法の信教の自由に立脚する。信教の自由を理由とする場合のみ、廃止しうるとする説(井上恵行「改訂宗教法人法の基礎的研究」471頁)もあるが、信教の自由に該当非該当の判断を所轄庁等に任せるのは問題であるとし、政教分離原則もあり、非限定説が通説判例である(中根孝司「新宗教法人法」253頁)。

【東京地裁判決】
 2004(平成16).3.30日、東京地裁は、概要次のように判決した(東京高等裁判所知的財産第1部、平成15(ワ)第23164号、名称使用差止等請求控訴事件)(判夕1162号276頁、判時1859号135頁)。 裁判長裁判官・青柳馨、裁判官・清水節、裁判官・上田卓哉。

 「争点1.法律上の争訟性」について次のように判示した。
 裁判所法3条1項にいう「法律上の争訟」とは、当事者間の具体的な権利義務関係ないし法律関係の存否に関する紛争であって、かつ、それが法令の適用により終局的に解決することができるものを指す。本件訴えは「法律上の争訟」に当たる。

 「争点2.不競法の適用の可否」について、1.不競法にいう「事業者」及び「営業」について次のように判示した。
 「不競法は、事業者間の公正な競争、国際約束の的確な実施の確保のため、不正競争の防止等に関する措置等を講じ、国民経済の健全発展に寄与することを目的とするが(1条)、ここにいう「『事業』及び同法3条にいう『営業』とは、広く経済上その収支計算の上に立って行われる事業一般をいい、その種類、対象の如何を問わない」。
 概要「ここでいう『事業』ないし『営業』は、利潤を得る目的の営利事業が中心であるが、利潤獲得を図らないまでも収支相償を目的とした事業を反復継続して行っている事業であれば、不正競争行為からの保護の必要性が認められるのであるから、広く経済上その収支計算の上に立って行われるべき事業を含む」。
 「宗教法人の業務及び事業は、いずれも広く経済上その収支計算の上に立って行われるものということができる」。
 「宗教法人にも不競法を適用することができる」。

 2.不競法2条1項2号該当性について次のように判示した。
 「不競法2条1項2号は、著名な商品等表示を保護する規定で、同号にいう「営業」も、広く経済上その収支計算の上に立って行われるべき事業を含み、原告の業務及び事業も、不競法2条1項2号、1号にいう「営業」に当たる」。
 「『天理教』表記は、原告の著名な営業を表示するものに該当する」。
 「『天理教豊文教会』という名称は、『天理教豊文分教会』から『分』の一文字を削除するのみで、『教会』は普通名詞、識別力はなく『天理教』の部分が著名であり、識別力が高く被告の名称は、原告の名称である『天理教』と類似する」。
 「被告の『天理教豊文教会』の名称使用行為は、不競法2条1項2号に当たる」。

 営業上の利益の侵害について次のように判示した。
 「原告は被告に対し、不競法3条1項により「天理教豊文教会」その他「天理教」を含む名称の使用の差止めを請求することができ、同条2項により、「天理教豊文教会」の名称登記の抹消登記手続を請求できる」。

 4.不競法2条1項1号該当性について次のように判示した。
 「天理教」なる名称が原告の表示として著名である以上、周知性も認められる。
 混同のおそれについて。被告の名称に接する者は、被告は原告と組織的、財政的その他何らかの関係があると誤認混同するおそれがある。被告が、「天理教豊文教会」という名称を同じ場所で使用することからすれば、被告の名称からは、原告に包括される一般教会であると誤認混同するおそれがある。
 「被告の行為は、不競法2条1項1号にも当たる。」。原告は、不競法3条1項及び2項による差止め等を請求できる。

 5.3被告の名称使用の正当性について次のように判示した。
 被告は、「天理教豊文教会」という名称が使用できなくても、宗教活動自体はできる。
 (長野県知事の認証及び文部科学大臣の裁決について)(注2)は原告と被告間の訴訟等に委ねる趣旨で被告の名称使用を認めるものではない。
 包括関係を廃止したからといって、被告に自己の名称を継続して使用する権利を認め、原告が容認するものではない。被告の名称使用行為は不正競争行為に当たり、名称を使用する権利はない。
 東京地裁は、全面的に原告の言い分を認める判決を出した。被告は控訴した。
 1審判決は、最高裁昭和55年4月10日第一小法廷判決判時973号85頁(本門寺事件、宗教法人の機関である代表役員等の地位の存否を判決で確定する前提として原告(被上告人)が住職の地位を取得したかにつき、裁判所は審理判断する権限を有するとした判決)を引用、本判決は、最高裁昭和56年4月7日第三小法廷判決判時1001号9頁(板まんだら事件、錯誤による贈与の無効を原因とする訴訟で、要素の錯誤の成否の判断のためには、信仰の対象についての宗教上の価値ないし教義に関する判断を必要とするとし、裁判所の審判の対象外とした。)を引用)した。
(私論.私見)
 れんだいこが思うに、天理教本部と豊文教会の対立は、政治上の分派活動に匹敵するものである。これが裁判に持ち込まれるのも異例であり、当然司法判断も異例である。東京地裁は、分派的側面を一切見ずに形式主義的に法文解釈し判決した事になる。当然、被告は控訴し、更に争われる事になった。

【東京高裁判決】
 2004(平成16).12.16日、東京高裁は、概要次のように判決した(知財一部判決、平成16(ネ)第2393号、名称使用差止等請求控訴事件)(判時1900号142頁)。主文として、「1.原判決を取り消す。2.被控訴人の請求をいずれも棄却する。3.訴訟費用は第1、2審を通じて被控訴人の負担とする」とした。

   「争点1.法律上の争訟性」について次のように判示した。
地裁  裁判所法3条1項にいう「法律上の争訟」とは、当事者間の具体的な権利義務関係ないし法律関係の存否に関する紛争であって、かつ、それが法令の適用により終局的に解決することができるものを指す。本件訴えは「法律上の争訟」に当たる。
高裁  裁判所法第3条1項にいう「法律上の争訟」とは、当事者間の具体的な権利義務ないし法律関係の存否に関する紛争であって、かつ、それが法令の適用により終局的に解決することができるものを指す(最高裁昭和39年(行ツ)第61号 昭和41年2月8日第三小法廷判決・民集20巻2号196項)。

 本件についてこれをみるに,本件請求は、被控訴人が控訴人の「天理教豊文教会」なる名称の使用差止め等を求めるものであり、その訴訟物は、被控訴人の控訴人に対する不正競争防止法又は宗教法人の人格権に基づく差し止め等の請求権の存否であるから、具体的権利義務ないし法律関係の存否に関する紛争であるといえる。

  もっとも,訴訟が具体的な法律関係に関する紛争の形式をとっており,信仰の対象の価値ないし宗教上の教義に関する判断は請求の当否を決するについての前提問題にとどまるものとされていても、それが訴訟の帰すうを左右する必要不可欠のものであり、紛争の核心となっている場合には、法律上の争訟に当たらないと解されるが(最高裁昭和51年(オ)第749号 昭和56年4月7日第3小法廷判決・民集35巻3号443項参照)、本件請求の内容及び被控訴人がその理由として主張するところからすれば、本件においては,控訴人の名称が被控訴人の名称と同一又は類似であって,その使用が不正競争防止法上の不正競争行為ないし被控訴人の人格権に由来する氏名権を違法に侵害する行為に当たるか否かが争点となるものであり、したがって,争点について判断するにあたって、天理教という宗教の教義に立ち入って判断する必要は認められない。

  したがって、本件の紛争については法令の適用により終局的に解決することができるというべきであり、本件訴えは「法律上の争訟」に当たるというべきである。控訴人の本案前の主張は、採用できない。
 控訴人は、本件訴えは、宗教的な性質を有する事項について裁判所の判断を求めるものであると主張するが、本件請求の趣旨、内容を正解しないものであり、採用できない。

 「争点2.不競法の適用の可否」について、1.不競法にいう「事業者」及び「営業」について次のように判示した。
地裁  「不競法は、事業者間の公正な競争、国際約束の的確な実施の確保のため、不正競争の防止等に関する措置等を講じ、国民経済の健全発展に寄与することを目的とするが(1条)、ここにいう「『事業』及び同法3条にいう『営業』とは、広く経済上その収支計算の上に立って行われる事業一般をいい、その種類、対象の如何を問わない」。
 概要「ここでいう『事業』ないし『営業』は、利潤を得る目的の営利事業が中心であるが、利潤獲得を図らないまでも収支相償を目的とした事業を反復継続して行っている事業であれば、不正競争行為からの保護の必要性が認められるのであるから、広く経済上その収支計算の上に立って行われるべき事業を含む」。
 「宗教法人の業務及び事業は、いずれも広く経済上その収支計算の上に立って行われるものということができる」。
 「宗教法人にも不競法を適用することができる」。
高裁  不正競争防止法は,事業者間の公正な競争及びこれに関する国際約束の的確な実施を確保するため,不正競争の防止等に関する措置等を講じ,もって国民経済の健全な発展に寄与することを目的とするものである(同法1条)。

 不競法「の目的に照らせば、同法1条の『事業』又は同法2条1項1号、2号、同法3条にいう『営業』とは、単に営利を直接の目的として行われる事業に限らず、事業者間の公正な取引秩序を形成し、その公正な競争を確保する必要が認められる事業を含むというべきであり、したがって、役務又は商品を提供してこれと対価関係に立つ給付を受け、これらを収入源とする経済収支上の計算に基づいて行われる非営利事業もこれに含まれると解される。
 「しかしながら、宗教法人の本来の業務である宗教活動は、教義を広め、儀式行事を行い、信者を教化育成することを内容とするものであり、収益を上げることを目的とするものではなく、信者の提供する金品も、寄附の性格を有するものであって、宗教活動と対価関係に立つ給付として支払われるものでない。このように宗教活動は、これと対価関係に立つ給付を信者等から受け、それらを収入源とする経済収支上の計算に基づいて行われる活動ではない」。
 また,不正競争防止法は、営業(事業活動)の自由が保障される市場経済の下で事業者間に行われる競争を公正の理念に基づいて規制することを目的とするものであるところ,宗教活動について競争を観念することができても,それは,当該宗教法人の布教を通じての信者の拡大や教義の宗教的・哲学的な深化の程度といった市場経済と関わりのない分野においてであって,市場経済の下における顧客獲得上の競争ないしこれに類する競争ではなく,不正競争防止法が公正の理念に基づいて規制しようとする競争には当たらないというほかない。 したがって,宗教法人の宗教活動は,上記の各規定にいう「事業」又は「営業」には該当しないというべきである。
 「宗教法人の宗教活動は、上記の各規定にいう『事業』又は『営業』には該当しない」。

 「本件は、不競法の適用があるべきである」との主張について次のように判示した。
  被控訴人は,宗教法人の宗教活動についても,他の宗教法人との競争を観念することができ,かかる競争についても公正な競争を確保する必要がある旨主張する。しかしながら、宗教法人の宗教活動について市場経済下の顧客獲得上の競争ないしこれに類する競争を観念することはできず、仮に宗教活動について競争を観念することができても、市場経済下のそれと著しく性格を異にし、不競法が規制の対象としているものに当たらない。
 「被控訴人は,宗教法人には永続性が求められ,宗教法人に対し収支報告書や財産目録の作成が義務付けられていることからしても,宗教法人の業務は収支計算の上に立って行われるものであると主張する。しかしながら、 しかしながら,宗教法人が宗教法人に財産目録,収支報告書の作成,備え付けを義務づけ,信者及び利害関係人の求めに応じこれを閲覧させなければならない旨規定している(25条)のは,宗教法人の信者やこれと取引をする者等が当該法人の資産状況を知ることができるようにし,これにより信者において当該法人の財産管理,会計が適正に行われているかどうかを監視し,あるいは取引をする者等において取引の便宜及び安全を図ることができるようにしたものに過ぎない。

 しかして,宗教法人も,社会的に独立した存在として,本来の業務である宗教活動を行うものであり,その活動に必要な財産を管理し,その活動に伴う収支計算を行うことは被控訴人が主張するとおりであるが,宗教法人の活動が不正競争防止法の「営業」に該当するといえるためには,それが,市場経済の下で役務等を提供し,その対価ないしこれと対価関係に立つ給付を受けるという性質を有することが必要であるところ,宗教法人の宗教活動がそのような性質を有する活動といえないことは既に説示したとおりである。
 控訴人が公益事業その他の事業をし、その場合に事業上の競争が生じうることについて。「このような事業活動分野において、他の宗教団体が同一又は類似の名称を使用する」場合、不競法による規制を行うべき場合がありうる」。これは「上記分野に限定して不競法を適用する根拠にはなり得」るが、「宗教活動の分野をも含めて控訴人の名称の使用を差し止めること等の法的根拠とはなりえない。 被控訴人のこの点の主張は採用できない」。
 被控訴人は,現在は,控訴人が公益事業その他の事業を行っていないとしても,規則の変更により容易に事業を行うことが可能であり,その場合には事業上の競争が生じることになると主張する。 確かに,宗教団体も教育施設・福祉施設の経営,霊園・墓地の分譲,儀式・礼拝の用品の販売,書物の出版等の活動を行うことがあり,かかる公益活動等の事業は,役務等を提供してこれと対価関係に立つ給付を受け,それらを収入源とする経済収支上の計算に基づいて行われる非営利事業に該当することは明らかであるから,このような事業活動の分野において,他の宗教団体が同一又は類似の名称を使用するときは法的な不利益を被ることがあり,不正競争防止法による規制を行うべき場合がありうるといえる。

 しかしながら,そのことは,上記事業の分野に限定して不正競争防止法を適用し,当該事業分野に関し被控訴人が控訴人の名称を使用することを差し止める法的根拠となり得ても,宗教活動の分野をも含めて控訴人の名称の使用差し止めること等の法的根拠とはなり得ないというべきである。のみならず,本件全証拠によるも,被控訴人は現時点においてそのような事業を行っているとは認められないし,また近い将来において事業を行う蓋然性が高いとも認められない。 被控訴人のこの点の主張も採用できない。
 被控訴人は,宗教団体の名称につき不正競争防止法の適用がないとすると,これを規制する法律がないという法の欠缺を認めることになり不当であると主張する。

 しかし,不正競争防止法の適用がないとしても,後記3において検討するとおり,人格権に由来する名称権に基づく保護の可能性はある。しかして,宗教法人法は,宗教法人の名称に関して,これを直接規制する規定を設けていないばかりか,商法,商業登記法の規定を準用する規定を設けていないのであって,このことからすれば,宗教法人法は,宗教法人の名称の使用が他の宗教法人等の人格権を侵害するなど一般社会通念に照らし許されないという場合は格別,それ以外は,宗教法人がその名称を自由に定めることができるとしているものと解するのが相当であって,その名称を規制する法律がないからといって,法の欠缺があるということはできない。

 「争点3.被控訴人の名称権に基づく差止請求について次のように判示した。
 「自然人の氏名は、社会的にみれば、個人を他人から識別し特定する機能を有するものであるが、同時に、その個人からみれば、人が個人として尊重される基礎であり、その個人の人格の象徴であって、人格権の一内容を構成するものというべきであるから(最高裁昭和63年2月16日第三小法廷判決・民集42巻2号27頁)(筆者注、NHK日本語読み事件)、他人によりその氏名を違法に無断使用された者は、人格権である氏名権に基づき、その侵害行為の差止めを求めることができる」(最高裁昭和61年6月11日大法廷判決・民集40巻4号872頁参照)(筆者注、北方ジャーナル事件)。

 「宗教法人の名称も、社会的にみれば、当該法人を他から識別し特定する機能を有し、同時に、当該法人が宗教法人として尊重される基礎であり、その宗教法人の人格的なものの象徴であって、法人について認めることができる個人的人格権のひとつとして、自然人の氏名権に準ずるものとしてこれを保護すべきである。」

 「従って、他人が同一又は類似の名称を無断で利用して、当該宗教法人の人格的利益を違法に侵害するものと認められるときは、人格権である自然人の氏名権に準じて、その侵害行為の差止めを求めることができると解するべきである」。

 「控訴人の名称決定の自由と制約」について次のように判示した。
  「他方において,以下に説示するとおり,控訴人にはその名称を決定する自由が認められていると解されるから,控訴人の名称の使用が被控訴人の名称権を違法に侵害するものといえるためには、それが宗教団体の名称決定の自由の範囲を超えていると認められる場合に限られるというべきである」。
 「ア.団体が自己の名称をいかなるものに決定するかは、法律にこれを規制する定めがない限り、基本的には当該団体の自由に属する事柄である。もっとも、名称の決定が自由であるとはいっても、不特定かつ多数の一般人を相手方として社会的諸活動を行う団体においては,団体の名称は,社会的に当該団体を他から識別する機能を有するとともに,その名称の下に行われる当該団体の社会的諸活動の活動の目的及び成果を象徴的に表象する機能をも有するものであり,かかる機能を損うような誤認・混同を生じる同一又は類似の名称を使用することは,社会生活上無視し得ない混乱を招来しかねないから,そのような団体の名称決定の自由には,法的に見ても自ずから一定の制約があるというべきである。

  しかして,市場経済の下での利潤追求を目的とする私的経済活動の分野においては,他人が努力して獲得した名声をそのまま冒用するなどの不正競争が行われたり,他人と同一又は類似の名称の使用により消費者の利益が損なわれりするおそれが高いことなどから,不正競争防止法等により他に団体が使用する名称と同一又は類似の名称を使用することについて法律上種々の制約が定められているが,団体の名称決定についてこのような法律上の規制がない場合においては,その制約の内容は,団体の行う社会的諸活動の性質を考慮し,社会通念に照らしてこれを判断しなければならない。
 「イ.宗教団体も,不特定かつ多数の一般人を相手方として宗教活動を行うものであるから,前記ア説示したところがそのまま当てはまるというべきところ,宗教法人法は,宗教団体が宗教法人を設立するに当たっては,規則を作成して所轄の行政庁の認証を受け,また規則の変更についてもその認証を受けなければならないとし,その規則には当該法人の名称を定めなければならない規定している(12条)が,宗教法人本来の業務である宗教法人が不正競争防止法の適用を受けないことは前記2に説示したとおりであるし,それ以外にも宗教団体の名称の使用を規制する法律の定めは見当たらないから,宗教団体の名称決定の自由にいかなる制約があるかは,宗教団体の行う本来的活動である宗教活動の性質を考慮し,社会通念に照らしてこれを判断すべきである。

 そこで検討するに,宗教の分野では,その性質上,一つの宗教から複数の宗派が生じてくる傾向が顕著であるところ,宗教団体の名称は,その宗教の教義上の立場・主張と密接な関連性を有し,これを象徴的に表象する役割を担っていることも少なくないため,先行の宗教団体の名称権の保護を理由に,後行の宗教団体の名称決定の自由を制約し,あるいは複数の宗教団体を包括する宗教団体の名称権の保護を理由に,この宗教団体との被包括関係を解消した宗教団体の名称決定の自由を制限することは,後者の宗教活動に対する不当な制限を伴いかねないのであって,このような事態は回避されなければならない。

  他方,他の宗教団体と同一又は類似の名称を選択使用することに何らの制約もないとすると、宗教活動の相手方になった一般人の間に,自己がいかなる宗教団体から宗教活動を受けているのかについて誤認混同を生じることがあるし,また,宗教団体同士の間のおいても,宗教上の教義の異なった他の宗教団体の行為が自己の行為と誤解されることがあり,社会的にも無視できない混乱が生じる可能性は否定できない。

 そして,この観点からすると,他の宗教団体と同一又は類似の名称の使用はできる限り避けられるべきものと考えられる。

 宗教法人の名称決定の自由については,これを制限する法律が存在せず,その意味で広範な自由が保障されていることを前提に,上記の二つの側面の調整という見地に立って制約の範囲を考えるべきであり,この見地からすれば,後行の宗教団体等による先行の宗教団体等と同一又は類似の名称の採択使用が先行団体等の社会的活動の成果を不当に利用するなど不正の目的による場合,後行団体の設立の経諱及び宗教活動の実態等に照らして先行団体等と同一又は類似の名称を採択使用することに相当な事由がない場合,あるいは,上記名称の採択使用に相当な事由があっても,同一又は類似の名称の使用が先行団体等との識別を不可能又は著しく困難とする事態をもたらす場合,などには,上記名称決定の自由は制約を免れないというべきであるが,それ以外は,宗教団体の名称決定は基本的に自由であり,後行の宗教団体等において先行の宗教団体等と同一又は類似の名称を採択することも制約されないと解するのが相当である。

 「名称決定の自由には、法的に見ても自ずから一定の制約がある」。「このような法律上の規制のない場合においては、その制約の内容は、団体の行う社会的諸活動の性質を考慮し、社会的通念に照らしてこれを判断しなければならない。」

 イ.「宗教法人法は、宗教団体が宗教法人を設立するに当たっては、規則を作成して所轄の行政庁の認証を受け」ねばならぬことを規定し、「その規則には当然法人の名称を定めなければならないと規定」(12条)、「宗教法人の本来の業務である宗教活動が不競法の適用を受けないこと」「それ以外にも宗教団体の名称の使用を規制する法律の定めは見当たらないから、宗教団体の名称決定の自由にいかなる制約があるかは、宗教団体の行う本来的活動である宗教活動の性質を考慮し、社会通念に照らしてこれを判断すべきである。」。

 制約の範囲は、「上記の二つの側面の調整という見地に立って」考えるべきで「この見地からすれば、後行の宗教団体等による先行の宗教団体等と同一又は類似の名称の採択使用が先行団体等の社会的活動の成果を不当に利用しようとするなど不正の目的による場合、後行団体等の設立の経緯及び宗教活動の実態等に照らし先行団体等と同一又は類似の名称を採択使用することに相当な事由がない場合、上記名称の採択使用に相当な事由があっても、同一又は類似の名称の使用が先行団体等との識別を不可能又は著しく困難とする事態をもたらす場合などには、上記名称決定の自由は制約を免れない」「それ以外は、宗教団体の名称決定は基本的に自由で」「後行の宗教団体等において先行の宗教団体等と同一又は類似の名称を採択することも制約されない」と解するのを相当とする。

 「控訴人の「天理教豊文教会」の名称の適法性」について次のように判示した。
 前記(2)検討したところによれば,控訴人の名称の使用が,前記(2)で判断した宗教団体の名称決定の自由の範囲を超えていると認められる場合には,その名称の使用は違法となるものというべきである。そこで、以下,控訴人の「天理教豊文教会」の名称の使用がその自由の範囲を超えているかどうかについて検討する。

 ア 控訴人が「天理教豊文教会」の名称を使用することが不正な目的によるものか否かについて

 被控訴人は,控訴人は「天理教」をその名称に冠することによって,被控訴人の長年にわたる社会的活動の成果を不当に利用しようとしていると主張するが,具体的にどのような事実を指しているのか必ずしも明確でないし,証拠に裏付けられた主張でもないから,採用することができない。かえって,前記第4の4に認定したとおり,

 控訴人自身も,豊文宣教所の設置から数えても約80年,川上沓次郎の入信から数えれば100年以上にわたる社会的活動を「天理教豊文」の名の下に行っているのであるから,その社会的活動となってきた区域(長野県諏訪市)及び現在の信者に対する限りにおいては,「天理教豊文」の名を用いることは,控訴人自身の社会的活動の成果を背景として宗教活動を行っていることにほかならない。そして,控訴人がこれらの区域外において,あるいはこれら以外の信者に対して積極的な布教活動を展開していることをうかがわせる特段の証拠もないのであるから,控訴人が,「天理教」の名のもとに被控訴人の社会的活動の成果を利用しようとしていると認めることはできない。他にも,控訴人が不正な目的をもって「天理教豊文教会」の名称を採択使用しているものと認めるに足りる証拠は存在しない。
 イ 控訴人が「天理教」をその名称に冠することの相当性について

 (ア)前記第4の3及び4のとおり,明治21年ころ被控訴人の前身である「神道天理教会」が設置されたが,川上沓治郎は,明治27年ころ中山みきの教えに入信し,布教活動を行っていた。そして,川上は、当時の法制に基づき,大正14年の豊文宣教所の設置に当たり,明治41年制定の教会規定により天理教本部の許可を受けて「天理教」の名称をこれに冠し,「天理教豊文宣教所」を設置し,以来,「天理教豊文」という名称を使用して,宗教活動を行ってきたこと,控訴人は,昭和28年,被控訴人と被包括関係を結び,宗教法人として設立された宗教団体であり,天理教豊文宣教所の後身として当該宗教団体を継承したものであり,被控訴人との被包括関係を廃止し今日に至っていることが認められる。

 このように,控訴人は,本件被包括関係解消にあたって新たに「天理教豊文」という名称を選択したものではなく,その前身である天理教豊文宣教所の設立から数えても,約80年にわたって「天理教豊文」という名称を使用して,宗教活動を行ってきたものである。そして,このような経過及び弁論の全趣旨によれば,「天理教豊文」の名称は,本件被包括関係解消当時,控訴人を表示する標章としてその所在地を中心とする周辺地域その他において一定の周知性を獲得していたものと認めることができる。

  一方,前記第4の2の摘示した百科事典及び高校教科書の記載並びに弁論の全趣旨によれば,控訴人が名称として採択した「天理教豊文教会」のうち,「天理教」の語は,被控訴人の信者の間において,及び被控訴人と被包括関係にある宗教団体の所在地の周辺地域においては,被控訴人を表示する標章として知られていると認められるが,社会一般においては,むしろ,中山みきが創始した宗教を意味するものとして認識されているものと認められる。

上記のとおり、控訴人の名称は、「天理教豊文」の名称の歴史的由来と周知性を踏まえたものであり,また,控訴人が本件被包括関係解消後も中山みきを教祖として仰ぎ,中山みきの教えを記したものとされる「おふでさき」及び「みかぐらうた」を基本的な教典として位置付けていること,及びこれに則った宗教活動を現に行っていることは,前記第4の5のとおりであるところ,弁論の全趣旨によれば,控訴人がその名称に「天理教」の語を冠したのは,その語について社会一般の認識する意味合いに照らし,自らの信仰する宗教を表すものとして相応しいとの判断に基づくものと認められる。 したがって,控訴人が「天理教豊文教会」の名称を使用することには相当な事由があるというべきである。


 (イ)この点につき,被控訴人は,被控訴人が定めた天理教教規に依拠して教義を広めるもののみが「天理教」であり,「天理教〇〇大教会」「天理教〇〇分教会」を称する被控訴人の被包括法人である一般教会もすべてこの前提の下で被控訴人の本部の許可を得ているのであり,被控訴人と同一の教義の下で被控訴人と一体となった宗教活動を行う団体以外に「天理教」の名称が用いられた例がないから,控訴人が天理教教規を否定し,本件被包括関係解消に伴い当然に上記許可も失効した以上,控訴人が「天理教」を名乗ることに正当な理由はないと主張する。

 被控訴人の上記の主張は,「天理教」の名称の使用について,被控訴人がいわば独占的地位を有しているという主張のものであると理解される。しかしながら,このような主張は,前記(ア)のとおり,「天理教」という名称が中山みきの創始した宗教を意味するものとして社会一般に認識されていることに照らしても,採用することはできない。

 そもそも,宗教法人の名称の使用について,特定の宗教法人に独占的地位を付与する法律の定めはないのであるから,過去において控訴人が被控訴人の許可を得て「天理教」を冠した名称を使用していたという経緯があったとしても,それは控訴人が被控訴人と被包括関係にあったことに起因するものであり、また,過去に被控訴人との被包括関係を廃止して離脱した宗教法人で「天理教」の名称を利用した法人がないという事実があるとしも,それは,当該宗教法人が特定の名称を採択することについて独自にその是非,利害得失を考慮して「天理教」を冠しない名称を採択した結果であるとみるほかない。


 
被控訴人との被包括関係を廃止した以上,控訴人は被控訴人内部の規律に拘束されることなく,宗教法人の名称決定について自由の範囲を逸脱しない限り,自由に自らの名称を決定することができるのであり,このことは既に説示したところから明らかというべきである。

 なお,被控訴人の上記の主張が,一般社会が認識する広い意味の天理教のうち、被控訴人が「天理教教規」において定めるものだけが「正しい」天理教であって「天理教」の名称を用いることができるというのであるとすれば,それは,人格権に基づく本件請求において,天理教の教義に関する正統・異端の判断を求めるに等しいことになるが,そのような事項が裁判所の判断事項でないことはもとよりであるし,被控訴人自身,教義の中身に関する判断は求めないことを明言しているところである。

 ウ 控訴人が「天理教」を含む名称を使用することにより控訴人と被控訴人の宗教活動を識別することが不可能ないし著しく困難となるか否かについて

 弁論の全趣旨によれば,控訴人の名称である「天理教豊文教会」のうち「天理教」の部分は、被控訴人の通称でもあり,被控訴人の正式名称と同程度に全国的に一定の周知性を獲得しており,また,被控訴人の宗教規則34条(甲1),一般教会規程(甲3)によれば,被控訴人に包括される一般教会には「天理教〇〇大教会」,「天理教〇〇分教会」との名称が付けられていると認められるから,「天理教豊文教会」の名称は,「天理教」の語と「豊文教会」(前記第4の3のとおり,豊文地区に所在する教会であることを意味する。)の語を結合したものとして,宗教活動の対象となる一般人に対し被控訴人の被包括団体であるとの印象を与えるものであり,一般人が,控訴人と被控訴人の各宗教活動を識別することは必ずしも容易ではないといわざるを得ない。

 しかしながら,前記第4の5のとおり,本件被包括関係解消にあたり,控訴人はその信徒に対して,被控訴人が中山みきの教えを歪めているから中山みきの教えに復元するために本件被包括関係解消という道を選んだことを明確に表明しているところであり,これら信徒の間には,本件被包括関係解消後控訴人が被控訴人と一体的な宗教活動を行っているという誤認混同を生じるおそれは認められない。


 
また,そもそも,人が宗教に入信するにあたっては,宗教団体の名称のみで判断するわけではなく,その現実の教義及び社会的活動に対する理解と共感が基礎となるものであるところ,本件被包括関係解消の経緯にかんがみれば,信徒以外の一般人に対する布教活動においても控訴人は被控訴人と教義を異にすることを明確にしたうえで布教
活動を行うものと推認されるから,控訴人が「天理教豊文教会」の名称を使用することにより,一般人において控訴人と被控訴人の識別が不可能又は著しく困難となる事態は生じないと考えられる。

 (4) 以上によれば,控訴人の名称の採択使用は宗教団体の名称決定の自由の範囲を超えた違法なものとは認められず,したがって,控訴人の名称の使用が被控訴人の名称権を違法に侵害するということはできない。

 被控訴人は,「天理教」の名称が被控訴人固有のものであり(被控訴人を表示する標章として社会一般に認識されている。),その名称の使用について独占的地位を有し,あるいはその名称権は強い法的保護に値するものであるとの前提に立って,控訴人による「天理教」を冠した名称の使用が被控訴人の名称権を侵害する旨主張するが,「天理教」の語は、一般においては,被控訴人を表示する標章としてよりは,中山みきの創始した宗教を意味するものとして認識されていることは既に説示したとおりであり,被控訴人のこの点についての主張はその前提を誤るものであり,採用できない。


 
第6 結論

 以上の次第で,不正競争防止法違反ないし人格権の侵害を理由として控訴人の名称の使用の差止め等を求める被控訴人の請求は,いずれも理由がなく,棄却すべきものである。 よって,これと異なる原判決を取り消したうえ,被控訴人の請求をいずれも棄却することとして,主文のとおり判決する。

 「控訴人が「天理教」をその名称に冠することの相当性について」次のように判示した。
 (ア)大正14年、控訴人の前身「天理教豊文宣教所」が設置され、以来、「天理教豊文」という名称を使用し、昭和28年、控訴人は被控訴人と被包括関係を結び、今度、被控訴人との被包括関係を廃止したが「控訴人の名称は、『天理教豊文』の名称の歴史的由来と周知性を踏まえたもの」で、今も「中山みきを教祖として仰ぎ」その教えを記したものを基本的な教典として位置付け、宗教活動を現に行って、その名称に「天理教」の語を冠したのは自らの信仰する宗教を表すものとして相応しいとの判断に基づくと認められる。控訴人の「天理教豊文教会」の名称を使用することには相当な事由がある。
 (イ)「被控訴人は、被控訴人が定めた天理教教規に依拠して教義を広めるもののみが『天理教』で『天理教○○大教会』『天理教○○分教会』を称する一般教会」は、すべて被控訴人の許可を得ている、「控訴人が『天理教』を名乗ることに正当な理由はない」と主張するが、上記主張は採用できない。宗教法人の名称の使用について、特定の宗教法人に独占的地位を付与する法律の定めはない。控訴人は宗教法人の名称決定についての自由の範囲を逸脱しない限り、自由に自らの名称を決定することができる。被控訴人の「天理教教規」に定めるものだけが「正しい」天理教で、それのみ「天理教」の名称使用ができるというものではない。

 控訴人が「天理教」を含む名称を使用することにより控訴人と被控訴人の宗教活動を識別することが不可能ないし著しく困難となるか否かについて次のように判示した。
 一般人が、控訴人と被控訴人の各宗教活動を識別することは容易ではない。しかし「本件被包括関係解消にあたり、控訴人はその信者に対して、被控訴人が中山みきの教えを歪めているから中山みきに復元するために本件被包括関係解消という道を選んだことを明確に表明し」「信者の間には、本件被包括関係解消後の控訴人が被控訴人と一体的な宗教活動を行っているという誤認混同を生じるおそれは認められない。」。また「信者以外の一般人に対する布教活動においても控訴人は被控訴人と教義を異にすることを明確にしたうえで布教活動を行うものと推認され」控訴人の「天理教豊文教会」名の使用により、一般人間で控訴人と被控訴人の識別が不可能又は著しく困難となる事態は生じない、とする。

 結論。控訴人の名称の採択使用は宗教団体の名称決定の自由の範囲を超えた違法なものとは認められず、被控訴人の名称権を違法に侵害するということはできない。「不競法違反ないし人格権の侵害を理由として控訴人の名称の使用の差止め等を求める被控訴人の請求は、いずれも理由がなく、棄却すべきものである」。
 原告・被控訴人は上告した。

【最高裁判決】
 2006(平成18).1.20日、最高裁は、概要次のように判決した(最高裁判所第二小法廷判決、平成17(受)第575号)(判時1925号150頁、判夕1205号108頁)。

権利種別 不正競争
訴訟類型 民事訴訟
主文 本件上告を棄却する。上告費用は上告人の負担とする。
裁判官裁判長 今井功
裁判官 滝井繁男、津野修、中川了滋、古田佑紀
 最高裁は、原審の判断を取り入れ、上告を棄却した。
【判決要旨】
 (1)  

不正競争防止法2条1項、2号にいう「営業」は、宗教法人の本来的な宗教活動及 びこれと密接不可分に関係にある事業を含まない。

 (2)  

宗教法人による「天理教豊文教会」との名称の使用が、「天理教」との名称の宗教法人の名称を冒用されない権利を侵害するものとはいえず、その差止め請求は認められない、として、上告人(宗教法人天理教)の請求が棄却された。

事実及び理由
 事案の概要

 1 原審の適法に確定した事実関係の概要は,次のとおりである。

 (1)、上告人は,中山みきを教祖とする天理教の教義に基づく宗教活動を行う宗教法人である。その規則において,上告人の目的は,「親神天理王命の思召す世界一れつ陽気ぐらしを実現する教義をひろめ,儀式行事を行い,信者を教化育成し,教会を包括し,その他この宗教団体の目的を達成するための業務及び事業を行うこと」にあるとされている。上告人が包括する教会は,教会本部と一般教会とに分けられ,一般教会の数は1万6000を超え,その名称は,「天理教・・・大教会」又は「天理教・・・分教会」と定められている。上告人の名称は周知である。

 (2) 、被上告人の前身は,長野県知事の大正14年6月17日付け設置許可により設置された天理教豊文宣教所であるが,その設置については,上告人の前身である天理教管長の同意を得たものであった。天理教豊文宣教所は,その後「天理教豊文分教会」に改められた。

 なお,同名称中の「豊文(とよふみ)」は,その所在地の地名であった長野県諏訪郡豊田村(現諏訪市大字豊田)文出に由来するものである。宗教法人法の施行後,天理教豊文分教会は,上告人との被包括関係を設定した上,昭和28年7月17日,宗教法人法に基づく宗教法人となった。これが被上告人である。

 (3) 、被上告人の代表役員に就任したAは,上告人の教義は,教祖である中山みきの教えとは異なったものであると考えるようになり、,被上告人における礼拝所の施設や儀式の方法について,天理教教会本部の作成した天理教教典の定めに従わない方針を採るようになった。

 これに対し,上告人は,天理教教典に沿った活動をするようにとの指示をしたが、,Aはこれに反発し、,被上告人において,被包括関係を廃止する旨の平成13年7月3日付けの通知書を上告人に送付するとともに、,平成15年4月16日,被包括関係の廃止に伴う規則の変更につき長野県知事の認証を受け、被上告人の名称は「天理教豊文教会」に変更された。

 変更後の規則においては,被上告人の目的は,「教祖と仰ぐ中山みきの,一れつ陽気づくめ世界を実現するとの立教の本義に基づき,教祖の教えられたみかぐらうた及びおふでさきの教えを広め,儀式行事を行い,信者を教化育成し,並びにこの教会の目的を達成するための業務を行うこと」にあるとされている。

 (4)、 被上告人は,上告人との被包括関係の廃止後も,中山みきの教えを記した教典に基づいて,朝夕の勤行,月次例祭等の年中行事などの宗教活動を継続的に行っており、その宗教活動につき,「天理教豊文教会」の名称を使用している。なお、被上告人は、現在収益事業を行っておらず、近い将来これを行う予定もない。

 2 、本件は,上告人が,「天理教豊文教会」との名称を使用する被上告人の行為は,不正競争防止法2条1項1号又は2号所定の不正競争に該当し,又は上告人の名称権を侵害するものであるとして、,被上告人に対し,「天理教豊文教会」その他の「天理教」を含む名称の使用の差止め及び名称の登記の抹消登記手続を求める事案である。
 
 上告代理人今中道信ほかの上告受理申立て理由第1点について.

 不競法は、宗教法人の活動に適用されるか、すなわち、不競法2条1項、2号にいう「営業」には、宗教法人の活動は含まれるか、について、次のように判断した。

 不正競争防止法1条は、,同法の目的が,事業者間の公正な競争及びこれに関する国際約束の的確な実施を確保するため、不正競争の防止及び不正競争に係る損害賠償に関する措置等を講じ,もって国民経済の健全な発展に寄与することにあると定める。

 また、「1900年12月14日にブラッセルで、,1911年6月2日にワシントンで、1925年11月6日にヘーグで、1934年6月2日にロンドンで、1958年10月31日にリスボンで及び1967年7月14日にストックホルムで改正された工業所有権の保護に関する1883年3月20日のパリ条約」は、「工業上又は商業上の公正な慣習に反するすべての競争行為は,不正競争行為を構成する」と規定し(10条の2(2))、,このような不正競争行為の防止を工業所有権の保護の対象と位置付ける(1条(2))とともに、各同盟国が同盟国の国民を不正競争から有効に保護すべきことを要請する(10条の2(1))。

 昭和9年に制定された旧不正競争防止法(平成5年法律第47号による改正前のもの)は、ヘーグでの改正に係る上記条約の要請を踏まえて制定されたものである。これらの規定や旧不正競争防止法以来の沿革等に照らすと、,不正競争防止法は、,営業の自由の保障の下で自由競争が行われる取引社会を前提に、,経済活動を行う事業者間の競争が自由競争の範囲を逸脱して濫用的に行われ,あるいは,社会全体の公正な競争秩序を破壊するものである場合に、これを不正競争として防止しようとするものにほかならないと解される。

 そうすると、同法の適用は、上記のような意味での競争秩序を維持すべき分野に広く認める必要があり,、社会通念上営利事業といえないものであるからといって,当然に同法の適用を免れるものではないが、他方、そもそも取引社会における事業活動と評価することができないようなものについてまで,同法による規律が及ぶものではないというべきである。

 これを宗教法人の活動についてみるに、宗教儀礼の執行や教義の普及伝道活動等の本来的な宗教活動に関しては,営業の自由の保障の下で自由競争が行われる取引社会を前提とするものではなく、不正競争防止法の対象とする競争秩序の維持を観念することはできないものであるから、取引社会における事業活動と評価することはできず、同法の適用の対象外であると解するのが相当である。

 また、それ自体を取り上げれば収益事業と認められるものであっても、教義の普及伝道のために行われる出版、講演等本来的な宗教活動と密接不可分の関係にあると認められる事業についても、,本来的な宗教活動と切り離してこれと別異に取り扱うことは適切でないから、同法の適用の対象外であると解するのが相当である。

 これに対し、例えば,宗教法人が行う収益事業(宗教法人法6条2項参照)としての駐車場業のように,取引社会における競争関係という観点からみた場合に、他の主体が行う事業と変わりがないものについては、不正競争防止法の適用の対象となり得るというべきである。

 不正競争防止法2条1項1号,2号は、他人の商品等表示(人の業務に係る氏名,商号,商標,標章,商品の容器若しくは包装その他の商品又は営業を表示するもの)と同一若しくは類似のものを使用し、又はその商品等表示を使用した商品を譲渡するなどの行為を不正競争に該当するものと規定しているが、,不正競争防止法についての上記理解によれば、ここでいう「営業」の意義は,取引社会における競争関係を前提とするものとして解釈されるべきであり、したがって、上記「営業」は,宗教法人の本来的な宗教活動及びこれと密接不可分の関係にある事業を含まないと解するのが相当である。

 被上告人が「天理教豊文教会」の名称を使用して実際に行っている活動が,朝夕の勤行、月次例祭等の年中行事などの本来的な宗教活動にとどまっており、被上告人は現在収益事業を行っておらず、近い将来これを行う予定もないことは前記のとおりであるから、上記名称は,不正競争防止法2条1項1号,2号にいう「商品等表示」に当たるとはいえず、上記名称を使用する被上告人の行為は同各号所定の不正競争には当たらないものというべきである。これと同旨をいう原審の判断は,正当として是認することができる。論旨は採用することができない。
 上告代理人今中道信ほかの上告受理申立て理由第5点から第8点までについて

 名称権について、次のように判断した。

 1、氏名は,その個人の人格の象徴であり,人格権の一内容を構成するものというべきであるから、人は、その氏名を他人に冒用されない権利を有する(最高裁昭和58年(オ)第1311号同63年2月16日第三小法廷判決・民集42巻2号27頁参照)ところ、これを違法に侵害された者は、加害者に対し,損害賠償を求めることができるほか,現に行われている侵害行為を排除し、又は将来生ずべき侵害を予防するため,侵害行為の差止めを求めることもできると解するのが相当である(最高裁昭和56年(オ)第609号同61年6月11日大法廷判決・民集40巻4号872頁参照)。 

 宗教法人も人格的利益を有しており、その名称がその宗教法人を象徴するものとして保護されるべきことは,個人の氏名と同様であるから、宗教法人は,その名称を他の宗教法人等に冒用されない権利を有し、これを違法に侵害されたときは、加害者に対し,侵害行為の差止めを求めることができると解すべきである。

 他方で、宗教法人は、その名称に係る人格的利益の一内容として,名称を自由に選定し、使用する自由(以下「名称使用の自由」という。)を有するものというべきである。そして,宗教法人においては,その教義を簡潔に示す語を冠した名称が使用されることが多いが、これは,宗教法人がその教義によって他の宗教の宗教法人と識別される性格を有するからであると考えられるのであって、そのような名称を使用する合理性,必要性を認めることができる。

 したがって、宗教法人の名称使用の自由には、その教義を簡潔に示す語を冠した名称を使用することも含まれるものというべきである。そして,ある宗教法人(甲宗教法人)の名称の保護は、他方において、他の宗教法人(乙宗教法人)の名称使用の自由の制約を伴うことになるのであるから、上記差止めの可否の判断に当たっては、乙宗教法人の名称使用の自由に対する配慮が不可欠となる。

 特に、甲,乙両宗教法人の名称にそれぞれその教義を示す語が使用されている場合、上記差止めの可否の判断に際し、単に両者の名称の同一性又は類似性のみに着目するとすれば、名称使用の自由を制限される乙宗教法人は、その宗教活動を不当に制限されるという重大な不利益を受けることになりかねず、,また、,宗教法人法が宗教法人の名称につき同一又は類似の名称の使用を禁止する規定を設けなかった立法政策にも沿わないことになる。

 したがって、甲宗教法人の名称と同一又は類似の名称を乙宗教法人が使用している場合において、,当該行為が甲宗教法人の名称を冒用されない権利を違法に侵害するものであるか否かは、乙宗教法人の名称使用の自由に配慮し、両者の名称の同一性又は類似性だけでなく、甲宗教法人の名称の周知性の有無,程度、双方の名称の識別可能性、乙宗教法人において当該名称を使用するに至った経緯、その使用態様等の諸事情を総合考慮して判断されなければならない。

 2、 これを本件についてみると、上告人の「天理教」との名称が周知であることは前記のとおりであり、その名称を冒用された場合には、上告人に少なからぬ不利益が生ずるものと解される。また、上告人のように,統一的な名称を有する多数の教会と被包括関係を設定している宗教法人にあっては、その名称を冒用されない権利は、上告人と被包括関係にある一般教会の「天理教・・・大教会」又は「天理教・・・分教会」という名称を冒用されない権利も含むものと解されるが、これらの名称と、被上告人の「天理教豊文教会」との名称が類似性を有し,紛らわしいものであることは明らかである。

 しかしながら、前記事実関係によれば、被上告人は、宗教法人法に基づく宗教法人となってから約50年にわたり「天理教豊文分教会」の名称で宗教活動を行ってきたのであり、その前身において「天理教豊文宣教所」等の名称を使用してきた時期も含めれば80年にもわたってその教義を示す「天理教」の語を冠した名称を使用していること,このような中で、被上告人が従前の名称と連続性を有し,かつ,その教義も明らかにする名称を選定しようとすれば,現在の名称と大同小異のものとならざるを得ないと解されること,、被上告人は、上告人との被包括関係の廃止により上告人と一線を画することになったとはいえ、中山みきを教祖と仰ぎ、その教えを記した教典に基づいて宗教活動を行う宗教団体であり、その信奉する教義は,社会一般の認識においては、「天理教」にほかならないと解されること、被上告人において、上告人の名称の周知性を殊更に利用しようとするような不正な目的をうかがわせる事情もないこと等が明らかである。

 そうすると、被上告人がその名称にその教義を示す「天理教」の語を冠したことには相当性があり、,また、そのような名称の使用ができなくなった場合、被上告人の宗教活動に支障が生ずることは明らかであり、その不利益は重大というべきである。「天理教」の語が教義を示すものである以上、,教義の普及と拡散に伴い、上告人において「天理教」の語を含む名称を独占することができなくなったとしても、宗教法人の性格上やむを得ない面があることも認めざるを得ない。

 以上の諸点を総合考慮すると、本件においては,被上告人が上告人の名称と類似性のある名称を使用することによって、上告人に少なからぬ不利益が生ずるとしても、上告人の名称を冒用されない権利が違法に侵害されたということはできない。上告人の名称を冒用されない権利に基づく差止請求を棄却した原審の判断は,以上の趣旨をいうものとして,是認することができる。論旨は採用することができない。よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。

【評 釈】
 一般に次のように解釈されている。

 既存の法人名と同一か同視しうる名称を後行の法人が称する場合、先行法人が、後行のそれに対し、1・不競法によって、使用差止めを求めるか、2・民法の氏名権(名称権)ないし私法上の原則から使用差止めを求めることができる(注3)

 営利事業を行う法人の場合、1の不競法が適用されることに異論はない。非営利法人の場合、判例において「営業」の意義を広く捉え、1の不競法を適用ないし準用し、学校事業、予備校事業、病院事業、家元制度による文化事業について、不競法が適用又は準用された事例は多く、2.また氏名権等によって名称使用差止めが認められた事例も少なからずあった。

 この事件は、宗教法人の名称をめぐる事件で、一審は、不競法を適用し(氏名権についての判断はない)、先行者を勝訴させたが、二審・三審は、宗教法人は、不競法の対象外として、氏名権によって審理し、後行の名称使用は、その名称決定の自由の範囲を超えていないとして、原告である先行者の使用差止請求を棄却した。

 同じ非営利法人といっても、宗教法人の場合、憲法の信教の自由、政教分離の原則から、他の非営利法人と異なる特殊性がある。特に、宗教法人の名称が「信仰対象の価値又は教義」に関係することが多く、その場合は、「法律上の争訟」に当たらない、として訴えを却下しなければならない(注4)
 この事件での最高裁判決の意義は、1.宗教法人の宗教活動について不競法の適用対象外としたこと、2.宗教法人の氏名権(名称権)として、「宗教法人の名称を他の宗教法人等に冒用されない権利」及びこの権利に基づく侵害行為差止請求権を認め、3.その基準を定めた上で、差止請求を棄却したことにある。

 一審では、被告が何故、原告から離脱したか、被告の「中山みきの教えに復元する」ということについて触れなかった。不競法を適用する場合でも、被告が何故に包括法人である原告天理教から離脱したか、何故に「天理教」を使用しなければならないか、原告と被告の奉ずる宗教は同一かどうか等を判断し、これは、「法律上の争訟」に該当しないとして却下するという判断もあり得る。

 しかし、裁判権の外に置くことは好ましくない。氏名権(名称権)でも事情は同じである。最高裁判決は、「法律上の争訟」の範囲内として、この理論付けに取り組んだ。原告被告間の歴史的由来などを説くことにより、従来の不競法理論に新たに肉付けに成功したと考える。氏名権(名称権)については、最高裁昭和63年2月16日判決(NHK日本語読み事件)を更に発展充実させた判決として、評価したい。
 3.最高裁判決は、不競法の対象外を「宗教法人」に限るのか

 (1)最高裁判決は、宗教法人の宗教活動については、不競法の対象外であるとした。
 従来、宗教法人にも不競法を適用する解釈が採用されたのは、
ア.「営業とは、単に営利を目的とする場合のみならず、広く経済上その収支計算の上に立って行われるべき事業を含む」との解釈でも読めること。
イ.不競法は成文法であり、いわば「表示」という外観のみで判断でき、民法の通則的な規定とも考えられた。
ウ.一方、氏名権(名称権)による解釈は、条文になく、いくつかの下級審判例はあるが、不競法に比べれば、精緻さを欠き、その解釈は恣意的な感じを否めなかった。しかし、アについて宗教法人については無理があり、イについても平成5年改正で、不競法1条が確認的に書かれて、通則的規定とはいえなくなった。

 (2)最高裁判決は「取引社会における事業活動と評価することができないようなものについてまで」不競法の規律が及ばないとした。その上で、「これを宗教法人の活動についてみるに、宗教儀礼の執行や教義の普及伝道活動等の本来的な宗教活動に関しては、営業の自由の保障の下での自由競争が行われる取引社会を前提とするものではなく、不競法の対象とする競争秩序の維持を観念することはできないものである」「取引社会における事業活動と評価することはできず、同法の適用の対象外であると解する」とする。賛成したい。

 問題は、ア.修養団、実践倫理宏正会、日本弘道会といった宗教、道徳に関係の深い社会教育関係の社団法人、財団法人、あるいは、イ.学校、ウ.家元の事業、エ.福祉関係の事業は、どうかである。
 「取引会社における事業活動と評価することができない」と評価されて、宗教法人の宗教活動と同じく不競法の適用外とされる事例がでてくる可能性がある。

 (3)宗教法人にのみ限定するのであれば、「宗教法人の名称は、『教義』と関係する可能性が高い」という理由を挙げて不競法の適用除外とするのも一案であった。

 (4)宗教法人の名称が「信仰対象の価値又は教義」に関係することが多く、その場合は、「法律上の争訟」に当たらない、として訴えを却下しなければならない。宗教法人法は、「宗教法人が他の宗教法人と同一又は類似の名称を使用することを禁止する規定はない」が、宗教法人に対し、宗教法人法をはじめとして、法は宗教・宗教団体に対し謙抑的であらねばならないというのが憲法の態度で、本最高裁判決もその流れにある。

 4.最高裁判決の名称権の基準等について

 (1)この事件の控訴審判決は、次の場合には、名称決定の自由の制約があるとする。
ア.後行の宗教団体が、先行宗教団体等の成果の不当利用など不正の目的による場合
イ.後行団体等の設立の経緯及び宗教活動の実態等に照らし同一又は類似の名称を採択使用することに相当な事由がない場合
ウ.相当な事由があっても、同一又は類似の名称の使用が先行団体等との識別を不可能又は著しく困難とする事態をもたらす場合、である。

 最高裁は、法人が名称選定の自由を有するが、宗教法人特有の問題として、一方の名称権による差止めの場合、「両者の名称の同一性又は類似性」だけでなく、「甲宗教法人の名称の周知性の有無、程度、双方の名称の識別可能性、乙宗教法人において当該名称を使用するに至った経緯、その使用態様等の諸事情を総合考慮して判断」すべきであるとする。具体的には、
 (1)被上告人は約50年「天理教豊文分教会」の名称で「天理教豊文宣教所」等の名称を使用時期も含めれば80年その教義を示す「天理教」の語を使用している。(注5)
 (2)被上告人が、従前の名称と連続性を有し、かつ、その教義も明らかにする名称を選定するとすれば、「現在の名称と大同小異のものとなる」と解されること。
 (3)被上告人は、上告人と一線を画することになったが「中山みきを教祖と仰ぎ、教典に基づいて宗教活動を行う宗教団体で」「その信奉する教義は、社会一般の認識においては『天理教』」と解されること。
 (4)被上告人において、上告人の名称の周知性を殊更に利用しようとするような不正の目的を窺わせる事情もないこと。以上を挙げる。この最高裁判決は、戦前の「天理教豊文宣教所」時代からの歴史を重視しているが、1年や3年はどうか。本事件と類似する後述の「浄土真宗東本願寺派」事件の場合、血縁を重視し、突如、離脱しても、この最高裁判決の理論によって、結論は変わるのか変わらぬのであろうか。今後の判例の集積によって、説得力ある基準が完成することを期待したい。
 (5)宗教法人法6条は、宗教法人が公益事業を行うことができ、目的に違反しない限り「公益事業以外の事業」を行うことができると定める。公益事業は、営利を目的としないものであるが、「公益事業以外の事業」は、本来の宗教活動や公益事業の費用に充てるため行われるもので、「規則」に記載が必要である。この事業は、事業の種類によっては、それぞれ監督官庁の許認可が必要なものもあろう。宗教法人は、公益法人等として、収益事業から生じた所得以外の所得については法人税は課せられない(法人税法7条)。この「収益事業」(同法2条13号)の範囲は、法人税法施行令5条に規定されているが、物品販売業、不動産販売業、金銭貸付業、製造業等とともに、出版業も列挙されている。最高裁判決は「それ自体を取り上げれば収益事業と認められるものであっても、教義の普及伝道のために行われる出版、講演等本来的な宗教活動と密接不可分の関係にあると認められる事業についても、本来的な宗教活動と切り離してこれと別異に取り扱うことは適切でないから、同法の対象外であると解するのが相当である。」とし、「宗教法人が行う収益事業(宗教法人法6条2項参照)としての駐車場業のように、取引社会における競争関係という観点からみた場合に他の主体が行う事業と変わりないものについては、不競法の適用となり得る」という。最高裁判決によれば、「天理教新聞」「天理教豊文雑誌」といった出版物については、不競法の適用はなく、「天理教駐車場」「天理教豊文駐車場」にはある。しかし、規則に記載し、法人税の課せられる「収益事業」である「出版業」については、不競法の適用を認めるべきではなかろうか。

 7.むすび
 1.この最高裁判決が、氏名権(名称権)について、権利の存在とその制限されるべき場合の規準を設定したことは、成文法がない現在、大いに評価される。
 2.不競法は、「取引会社における事業活動」を指すとして、宗教法人の宗教活動は適用外としたことも大方の納得がいくものである。ただ、今後、家元の事業等非営利法人の事業活動についても同様の判断がなされる道を拓くもので、今後の展開が注目される。

【名称使用の差止めを求めた事件】
 「財団法人研数学館」が「東京研数学館」の名称使用の差止めを求めた事件で、東京地裁昭和36年7月15日判決下民集12巻7号1707頁は、(先使用者の差止請求は)「それが成法上いわゆる氏名権として一の権利と認められるかどうかはしばらく別として」「法律上保護せられる利益である」とし、「一定の事業を営む者がその事業に用いる名称についても、同様の条件の下にその名称使用の自由は制限せられる」「それは窮極において社会生活において各人の享受する私的自由は他の主体のすでに法律上保護せられている権利ないし利益を害しない範囲に規整せられるという私法上の原則に帰せられる」、「商法ないし不競法の直接関係しない分野においては、法はかかる名称使用の自由を保障していると解すべきものではない」とした。
 板まんだら事件(最高裁昭和56年4月7日判決判時1001号9頁)は、ご本尊(板まんだら)安置の正本堂建立費用に充てるため寄附金を拠出した原告(被上告人)が、本尊が偽物であるとして、寄付金の返還請求をした事件で「信仰対象の価値又は宗教上の教義」に関する判断が必要不可欠であるとし、結局、法令の適用による終局的な解決は不可能とし、訴え却下とした一審判決を正当とした最高裁判決である。
 《1》宗教団体、宗教法人を律する法律は、宗教団体法(昭和14年4月8日法律第77号)、宗教法人令(昭和20年12月28日勅令第719号)、宗教法人法(昭和26年4月3日法律第126号)で、それまでは通達行政であった。《2》明治維新後、明治元年、「神祇官」、2年、「宣教使」、明治5年、「教部省」設置。明治10年、教部省廃止、内務省社寺局が宗教事務所管となった。明治33年4月、神社局、宗教局に分離、大正2年4月宗教局を文部省に移管。昭和15年内務省神社局を廃止し、神祇院に移管。《3》キリスト教等の関係について。明治32年7月27日、内務省令第41号「神仏道以外ノ宗教ノ宣布者及堂宇説教所講義所ノ設立、移転、廃止等ニ関スル届出規程」「第2条 宗教の用に供するため堂宇会堂説教所又は講義所の類を設立せんとする者は・・・地方長官の許可を受くべし」。この規定に従い、大正14年4月、川上沓次郎が天理教豊文宣教所の設置願い提出した(高裁判決第四、四控訴人履歴)。なお、各県でも無許可で社寺仏堂礼拝所説教所講義所を設置し宗教の用に供することを禁止し、違反者に拘留又は科料を科していた(文化庁「明治以降宗教制度百年史」130頁、井上恵行前掲126頁)。《4》天理教は明治41年11月、天理教として一派独立を許された(内務省告示123号)。天理教は、いわゆる教派神道十三派(黒住教、金光教、神理教、御嶽教など)の一つである。文化庁・前掲149頁、井上恵行・前掲20頁、119頁参照。
紋谷暢男・ジュリスト1984年4月1日号106頁。
中島弘雅・判時1358号221頁(判評381号59頁)、小野昌延、三山峻司「流派名称の保護」工業所有権法研究103号1頁。
土肥一史・判時1576号215頁(判評453号61頁。
昭和52年7月19日52地文宗3宗務課長回答「他の宗教法人と同一名称について」(「宗教関係法令集I」815頁・第一法規)。大家重夫「家元の名前と宗教法人の名前」法苑50号(昭和58年1月)8頁(新日本法規出版)参照。
この決定については、五十嵐清「人格権法概説」155頁は支持、大家重夫「類似名称使用の可否」宗教判例百選(第二版)84頁、大家重夫「氏名権について」久留米大学法学16・17号は、不競法によって、債権者を勝訴させるべきであったとした。

【不競法が非営利法人にも適用された従来の判例】
 (1)不競法1条は、「この法律は事業者間の公正な競争及びこれに関する国際約束の的確な実施を確保するため不正競争の防止及び不正競争に係る損害賠償に関する措置等を講じ、もって国民経済の健全な発展に寄与することを目的とする。」とある(この目的規定は、平成5年改正法で創設された。)。また、2条1項1号2号の「商品等表示」は、「商品」とともに「営業」の表示を問題とするため、この「営業」の意味ないし範囲の確定が必要であった。問題は、非営利法人の行う事業についてである。

 不競法(昭和9年3月27日公布法律第14号)は、平成5年5月19日公布法律第14号による改正まで、現行第1条の目的規定がなかった。第1条は、確認的な条項で、改正後は、事業者や営業について、厳しく解釈するようになったとは思えない。しかし、この条項があったため、最高裁判決を出しやすくなったことは否めない。

 (2)日本提灯輸出協会からJOC(日本オリンピック委員会)に対する仮処分申請事件で、JOCが不競法1条2号(当時)による専用権の主張をしたのに対し、東京地裁昭和39年9月25日決定下民集15巻9号2293頁は、「JOCが営業をなすものでなく」「営業上の利益を有するもの」でないとして、不競法の適用を否定した。

 (3)しかし、今日まで、一般の非営利法人についても不競法が適用されるというのが、漠然としてではあったが、大勢を占めていたと思われる。

 京橋病院が新開設の京橋中央病院に対し、その名称使用差止を請求した事件で、東京地裁昭和37年11月28日判決下民集13巻11号2395頁は、不競法を適用し、差止めを認め「営業とは、単に営利を目的とする場合のみならず、広く経済上その収支計算の上に立って行われるべき事業を含むと解」し、以後、家元制度のもとの「流名」や「芸名」、「学校名」の争いに不競法が適用されていった。

 ア.都山流尺八事件

 財団法人都山流尺八楽会が都山流尺八協会の名称使用禁止を求めた事件で、一審京都地裁昭和52年2月24日決定判夕364号294頁は、不競法の適用を認めた上で、混同のおそれなしとし、仮処分申請を却下、二審大阪高裁昭和54年8月29日決定判夕396号138頁は不競法の適用を認めた上で、混同のおそれあり、として名称使用を禁止した。

 イ.少林寺拳法事件

 大阪地裁昭和55年3月18日判決無体集12巻1号65頁、大阪高裁昭和59年3月23日判決無体集16巻1号164頁、最高裁昭和60年11月14日判決特企205号10頁。不競法を適用し、一審は「道院」の使用を認めず、「少林寺拳法」については被告の善意先使用に当たるとし、二審は「少林寺拳法道院」の文字を含む表示の使用を禁止し「少林寺拳法」の使用は善意先使用とした。最高裁は高裁判決を支持。

 ウ.花柳流名取事件

 大阪地裁昭和56年3月30日決定無体集13巻1号507頁、大阪高裁昭和56年6月26日決定無体集13巻1号503頁(注6)。宗家の親戚、門弟が独立して一派を興し、芸名として「花柳」姓を使用したため、家元が門弟に「花柳」の使用の禁止を求め仮処分を申請し、一審は、「花柳」姓を冠した名取名は、不競法の事業表示に当たるが、善意の使用であるとして仮処分申請を却下し、二審も、一審決定を是認、抗告を棄却した〈なお、「若柳」姓使用差止事件(大阪地裁平成元年4月12日判決判時1306号105頁)(注7)は、日本舞踊の若柳流を退流処分になった被告が依然として「若柳」姓を使用したので、原告が、その使用差止めを求めたが、大阪地裁は、不競法によらず、規約(契約)により、退流処分の相当性及び「若柳」姓を被告が名乗ることを規約に基づいて差止めを認め、権利濫用に当たらず、とし根拠を規約に求めた。〉。

 エ.清派音羽流事件

 大阪地裁平成7年9月28日判決判時1557号124頁(注8)、大阪高裁平成9年3月25日判決知裁集29巻1号348頁は、日本舞踊の家元の行う事業を不競法の「営業」とした。

 オ.呉青山学院中学校事件

 東京地裁平成13年7月19日判決判時1815号148頁も、「営業とは」「広く経済上その収支計算の上に立って行われる事業をも含む」とし私立学校の経営も含まれるとした。
カ.なお、本事件控訴審判決を批評された青山紘一教授によれば、大阪地裁平成10年2月26日判決(ひまわり園事件)、京都地裁平成14年4月26日判決(本願寺西山別院事件)も不正競争防止法2条1項1号ないし2号を適用している(判例評論565号215頁、判時1915号215頁)。

【宗教法人の名称についての従来の事例】
 宗教法人法(昭和26年4月3日法律第126号)には、宗教法人が同一又は類似の名称を使用することを禁止する条文を置いていない。

 ア.行政実例

 奈良に華厳宗の宗教法人「元興寺」があり(昭和28年認証)、近接の場所に真言律宗の「極楽院」という寺院があった(昭和28年認証)。昭和30年「極楽院」は「元興寺極楽坊」と名称変更し、奈良県は認証した。昭和52年、「元興寺極楽坊」は「元興寺」に変更になっている。文化庁宗務課長は規則変更書類に不備がなければ差し支えないと県に回答した(注9)

 イ.関係判例

 (1)原告X(世界救世教)の元代表役員であった被告Yが、Xから離れ、宗教法人「みろく神教」を設立し、宗教活動を始めた。Xは、「みろく神教」は原告の設立に関する経緯から原告の名称と類似性(まぎらわしさ)をもち、原告の宗教活動を妨害する意図で使用している等の理由で、名称使用の差止め等を求めたが、原告と「宗教法人日本五六七教会」及び「宗教法人日本五六七教」と法的連続性はない、として請求を棄却(松江地裁昭和51年7月20日判決判時847号81頁)。

 (2)原告Xは、訴外宗教法人A(宗教法人尺間社、尺間神社ともいう)の崇敬者で、被告Y1は、Aの宮司でかつ代表役員であるとともに、被告宗教法人Y2(宗教法人尺間総本宮元宮霊峰尺間大社、尺間大社ともいう)の代表役員でもある。Xは、Y1が、「実行教尺間根本協会」をY2(尺間総本宮元宮霊峰尺間大社)に変更し、Y2が総本宮で、訴外A(尺間社)より高い権威と由来を有すると宣伝したことから、Y1は、Aの運営を行う責務に違反し、XのAに対する崇敬感情を傷つけたとして、
 1.主位的に、Y1に対し、債務不履行(XとY1間は委任ないし準委任)による損害賠償、Y2に対し、名称使用の差止めを、
 2.予備的に、不法行為に基づき同様の請求をした。大分地裁は、
 1.原告XらとY1間の委任ないし準委任の法律関係を認めなかった。
 2.被告らの本件名称使用などが、原告らの尺間神社に対する崇敬心を侵害するか否かの判断は、「本件名称に対する宗教上の評価、被告尺間大社及び尺間神社の教義、由来に対する判断が不可欠である」「それは事柄の性質上法令を適用して解決することのできない問題で」「本件名称使用などという侵害行為の違法性判断が窮極的に右判断に左右されるもので」「本件不法行為に基づく損害賠償請求及び本件名称使用の差止請求にかかる訴えは、その実質において法令の適用による終局的な解決の不可能なもので」「裁判所法3条にいう法律上の争訟にあたらない」とした(大分地裁昭和61年12月24日判決判時1238号125頁)。

 (3)浄土真宗東本願寺派事件は、不競法ではなく氏名権によって、真宗大谷派を離脱した者に名称使用差止めの仮処分を求めた事件である。債務者(債権者の門主の長男、大谷光紹)は、債権者(宗教法人真宗大谷派)が包括する宗教法人東京本願寺の住職・代表役員に就任していたが、東京本願寺と債権者との包括、被包括関係の廃止の通知をし、昭和56年、宗教法人東京本願寺は単立の宗教法人となった。債務者は、昭和63年、東京本願寺を本山とする新宗派「浄土真宗東本願寺派」を結成、自らを「東本願寺第二十五世法主」と宣言をした。債権者は、「東本願寺派」の名称を新宗派に使用する行為は、債権者の人格権である名称権(氏名権)侵害であるとして、この名称権を被保全権利として、「東本願寺派」の名称と「東本願寺第二十五世法主」の称号の使用禁止の仮処分を申請した。
 東京地裁昭和63年11月11日決定判時1297号81頁は、「宗教団体の場合の名称決定の自由については、先行する宗教団体と同一又は類似の名称を採択する後行の宗教団体が社会的に見て識別が不可能又は著しく困難であるような同一又は類似の名称を採択する自由は、法的にも否定されるべきだが、「それ以外は、後行の宗教団体が先行する宗教団体の宗教上の成果を不当に利用しようとの意図を有していたり、同一又は類似の名称を採択することになんら相当な事由がないなどの特段の事情がないかぎり、基本的には自由」とし、「同一の名称又は著しく類似した名称であっても、宗派、所在地、代表者などが異なることのよって、識別が可能であるか又はそれほど困難でない場合には、特段の事情がない限り、同一又は類似の名称を採択使用することは違法でない」とした。債務者の「浄土真宗東本願寺派」の名称使用について、一般人からすれば識別はかなり困難であるが、債務者と債権者は明確に異なり識別が不可能でないこと、債権者及びそれに吸収された本願寺(東本願寺)で内紛状態にあることは、宗教問題に多少関心があれば一般人も両者の識別は著しく困難でないとして、債権者の申請は理由がないとした。
 債務者の「東本願寺第二十五世法主」の称号の使用について、「法主の制度が債権者になく、債務者が債権者の内紛状態で離脱したことは、公知の事実で」「関係者で」「この点で誤解を生じる虞はほとんどない」とし、これも債権者の申請は理由がないとした。東京高裁平成2年5月11日決定は、この東京地裁決定を支持し抗告を棄却した(注10)




(私論.私見)