お指図考 |
更新日/2022(平成31.5.1栄和改元/栄和4)年.2.16日
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、「お指図」を確認する。2017.10.21日、「原典について ~『おさしづ』成立の経緯~」、「おさしず割書考」その他参照。 2007.12.27日 れんだいこ拝 |
【お指図考】 | |
「お指図」とは、天理教の原典の一つ(「み神楽歌」、「お筆先」、「お指図」の順の三典)で、明治20年1月4日、教祖(おやさま)の身上が少し重く拝せられた頃から始まり、明治40年6月9日の本席・飯降伊蔵(いぶりいぞう)の出直しの日まで約20年間の天啓記録を云う。「み神楽歌」、「お筆先」が教祖御直製のものであるのに対して、「お指図」は教祖と本席の口述を側近者がその時その場所で筆録したものである。 「お指図」は内容的に見て、「伺い指図」と「刻限指図」から成る。次のように解説されている。「お指図は、教祖並びに本席による口述の教えを筆録したものである。親神の方から、その時々に応じて神意を述べられたものを『刻限の指図』、人間の側からの 「お指図」の内容は、天啓書としてばかりでなく教団と道人(信仰者)の進路に関わる指針書でもあり且つその際の諭しとなっている。その様式の通常は、「さあさぁ」から始まる独特の語り口をもって始まっている。「お指図」は膨大な言葉の量で構成されている。一書に「本伺い数が4千343ヶ所、教会事情伺い数が1万4千285ヶ所、合計1万8千628ヶ所にも上る。これを文字数に換算すると、本文が3千866ページ、教会事情が1千325ページにもなる」とある。 「お指図」は経年的に四種類あると考えられる。その始まりは教祖存命中の教祖の口述であり、明治20年1月4日、教祖の身上が少し重く拝せられた頃から始まっている。これを仮に「第一お指図」(「教祖お指図」)と命名する。次に、教祖の代役として飯降が勤めたものがある。明治20年1月26日に教祖が現身をお隠しになられるまでの間、教祖の「お指図」と並走して高弟にして後に本席となる飯降伊蔵(いぶりいぞう)が取次ぐ「お指図」が生まれている。これを仮に「第二お指図」(「飯降第一お指図」)と命名する。次に、教祖が現身お隠し後は、飯降が教祖の法灯を受け継いだ。これを仮に「第三お指図」(「飯降第二お指図」)と命名する。最後に、その飯降が教祖出直し後の「神懸かり」、教祖の血統を継ぐ真柱派との問答を経て、教団内の教理的最高指導者を意味する「本席」という立場を獲得して以降、教団の霊能的最高指導者として教祖同様の神意を取り次ぐようになったもの。これを仮に「第四お指図」(「飯降第三お指図」)と命名する。以上、全体量比率からすると殆どが本席の「お指図」であるので「本席お指図」と解することもできよう。 但し、本席「お指図」と教祖「お指図」の間には若干のズレがあるように思われるので少し考察してみたい。飯降伊蔵の「お指図」の年次順整理は別サイト「逐年お指図」で確認する。植田義弘氏の「理の研究」によれば、「おさしずは、飯降伊蔵本席に教祖が入り込まれ、存命同様の理によって神意を啓示されたもの」とある。実際、明治26年2月6日の刻限お指図は次のように筆録されている。
「本席お指図」は「教祖お指図」の法灯を受け継いだものであるが、私の仕分けでは、「教祖お指図」と同様のもの、「教祖お指図」とほぼ同様のもの、「教祖お指図」とは少し違うもの、の三種に分けることができるように思われる。且つ、「本席お指図」は膨大なものであるが、その初期、中期、後期に於いて識別される特徴があるのかどうか。このように問い、これらを考証する研究が為されていないとすれば、いずれ深められるべきだろう。 いずれにせよ、両者が、はるか昔の邪馬台国女王の卑弥呼鬼道にも繋がる「日本古来よりの神意取次の型」を継承しているのではないかと思われるところにある。つまり、これを逆に云えば、「お指図」によって「日本古来よりの神意取次の型」を学ぶことも可能と云うことになり、そういう意味でも貴重な学術遺産となっている。なお、「お指図」がそのようなものであるということは、天理教が日本の伝統的霊能系譜にあることを意味している。「お指図」はかく評価されるべきではなかろうか。 かくて、「お指図」は教祖直筆の「お筆先」と並ぶ天理教の宗教的財産である。さほど注目されていないが、世界三大宗教と云われる仏教、キリスト教、イスラム教の教義が教祖直筆のものとしては存在せず、多くが後世に於いて弟子が伝承を教文化したものであるのに比して、天理教の場合には教祖直筆の「お筆先」、教祖直々の薫陶を受けた飯降伊蔵の「本席直話しの筆録」が遺されており、それが保存されてきた経緯がある。このことはもっと称賛されても良いのではなかろうかと思う。 2012.9.19日 2013.1.22日再編集 れんだいこ拝 |
【お指図発刊史考】 | |||
「お指図」の最初は、1927(昭和2)年から1931(昭和6)年にかけて桝井孝四郎(ますいこうしろう)を編集責任者として編纂が行われ33巻となっている。これを「33冊本」とも云う。1927(昭和2)年10月に第一巻が印刷発行され、1931(昭和6)年6月までに三十三巻が出されている。 桝井孝四郎の履歴は次の通りである。
1936(昭和11)年から翌年にかけて、教祖50年祭と立教百年祭を記念して、8巻本に纏められて全教会に下付された。これを「8冊本」とも云う。これが後の土台になっている。ところが、時の政府の政治的干渉を受け、1938(昭和13).12.26日、諭達第八号が発布され、教会本部にすべて回収された。これにつき、「おさしず割書考」で次のように解説されている。
1963(昭和38).10月から翌年4月までかけて、1946(昭和41)年の教祖80年祭にあわせて、お指図全7巻(6331頁)が新たに公刊、全教会に配布された。このときの「お指図」から拝読しやすいようにとの配慮で、かな本を適当な漢字かな混じり文に変換しかつ、かな本の補遺としていた八巻目を適切な年度に組み入れていた。教会の事情に関するものは巻末に一括に配列するなどして整理している。「改修版」とも「7冊本」とも呼ばれる。このことが改修版「おさしず」凡例に次のように記されている。
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【お指図原文考】 | |||||||||||||
天理教団本部は、「お指図」を、「お筆先」と並ぶ信仰の手引書(「道の手引き」)と見做して重視活用している。これが為にこれまでに数次にわたって刊行している。それほど重視しているものでありながら、どういう訳か原文通りでないものを流布させている節がある。尤も、原文を定めること自体が難しい。ここでは、「現に残されている原文」を仮に「筆録原文」と命名し、これを台とする。問題は、本席が呑み込んだ文意、口述故の舌足らずの発音ないしは文意が「筆録原文」に反映されていないように思われることである。故にそれを復元させたものを想定し仮に「口述原文」と命名する必要がある。この識別が何故に必要なのかというと、「筆録原文」には読解に難渋あるいは不能な箇所が相当数あると思われるからである。「お指図」をより能く拝する為にこの溝を埋めねばならない。 幸いに、植田平一氏の「原典に拝する教祖の道の理について」上下巻、「原典に拝する身上の教理について」がこれに挑んでいる。植田氏は下巻の「はじめに」の末尾に次のように記している。
これを仮に「植田平一読解」と命名する。この言の裏読みをすれば、公開文お指図には意味が通じない箇所が多々あり、神意を探って補充せざるをえないとメッセージしていることになる。れんだいこは御意と賛同し、その営為に深く感謝を申し上げたい。私は「植田平一読解」に触発されつつ私なりの読み取りもして行きたいと思っている。 その際の私の観点は次の通りである。まず、「筆録原文」と現に公開されているお指図の間に距離があるのかどうかを問いたい。これを証するには、「筆録原文」と現在までに刊行されている三種の「お指図」との対照比較をすれば良い。三種の「お指図」とは、1927(昭和2)年からの「33冊本」、1936(昭和11)年からの「8冊本」、1963(昭和38)からの「7冊本」を云う。これを仮に「公開文」、それぞれを「公開文33冊本」、「公開文8冊本」、「公開文7冊本」命名する。「お指図」を全体的に把握する為には、「口述原文」、「筆録原文」、「公開文33冊本」、「公開文8冊本」、「公開文7冊本」間のそれぞれの記述検証すれば良い。但し、恐らくそういう風に探索されたことはないと思われる。しかし、されていないとしたらとても奇異なことであると私には思える。 私の推理によると、そもそもの「筆録原文」からして「口述原文」に比して不正確な筆禄になっており、場合によってはかなり短絡文にしている可能性が高い。「明治34年10月18日、永尾よしゑのお尋ねお指図」の文中に次のような言葉がある。これにより、「口述原文」と「筆録原文」の差異が裏づけられよう。
「明治31年5月11日辻とめぎく、身上願いのお指図」の文中に次のような言葉がある。これにより、筆録人(書取人)が常時3名控えて、その任にあたっていたことが裏づけられよう。
これらの筆録人(書取人)が同時又は分担して、教祖又は本席の口述を神意として受け止め、「聞き違いの内容、誤りなきよう、できるだけ完璧に」筆録したと思われる。ここに悪意はないように思われる。下記に記す「お指図」にあるように一定の抑制が効いているので甚だしい欠陥はないと推理できる。実際に、立場の違う取次人(とりつぎにん)と書取人(かきとりにん)がその場に臨んでおり、3名それぞれの「筆録文」を確認し、意見を交わし、誤りのないことを確かめた上で正確を期して浄書し「筆録原文」を確定したとのことである。取次人がお話を取り次ぐとともに、頂戴した「お指図」を記した書き下げを願い人に渡し、教会本部にはその写しを保存するという要領で「お指図」が集積された。これがお指図の原本(本稿では筆録原本)となる。これに関連する「お指図」は次の通りである。
但し、「おさしず割書考」の先の引用文末尾の件の 「考えられるべき事柄」を詮索せねばならない。「八巻本が依拠した原本以外の別本の存在」について、次のように推理されている。
「おさしず割書考」は、近愛文書と八巻本、改修版の割書の比較をしている。それほどの違いが認められないもの、若干の相違があるものの事例を挙げている。但しお指図の中身の内容における記述比較はしていない。そういう訳で、お指図の中身の内容については相違がないのか、憚れるので控えているのか分からない。 もとへ。「筆録原文」はこのような手法と経緯で筆録されたものであるが、「口述原文」と「筆録原文」間には若干の齟齬が認められるのではなかろうか。「筆録原文」が、本席が呑み込んだ文意、口述故の舌足らずの発音ないしは文意を反映していない箇所があるのではなかろうか。とはいえ、そもそも口述を筆録するのは至難の業であろうから、筆足らずを咎められるには及ばない。但し叡智を寄せて埋め合わせされなければならないとは思う。これにつき、「明治34年10月18日、永尾よしゑ、身上願いお指図」の文中に次のような言葉がある。
問題は「公開文」である。「公開文」は「筆録原文」に比してもかなり短絡文にしているのではなかろうか。「筆録原文」が「公開文」にされるに当り、「口述原文」に比して舌足らずになっている「筆録原文」から更に語彙又は文章の削ぎ落しをした形跡がありやなしやである。私には、応法の理による削ぎ落しがされているのではなかろうかの疑念がある。これを理解するには「原文の抵触箇所の黒塗り」を想定すればよい。ひとまず黒塗りし、次にその個所を削除し、前後文の「て、に、を、は」を悪活用して体裁を整えていると思えばよい。これにより体裁は整えられているが文意が支離滅裂になっている箇所が珍しくないものになっている。要するに「切り貼りし過ぎ」による改ざんが認められる。これが偶然ならともかく敢えてそうしていると窺うしかできない。 次の疑惑として、「口述原文」に比して「筆録原文」が、「筆録原文」に比して「公開文」が、原文では続いていた文が切られていたり、逆に切れていた件(くだり)が接続され、加えて句読点のデタラメによって文意が壊されている箇所が相当数認められる。これも「切り貼りし過ぎ」による改ざんの一種だろう。 次の疑惑として、「口述原文」、「筆録原文」の一文全体の削除のありなしが疑惑される。「口述原文」から「筆録原文」、「筆録原文」から「公開文」にされる過程で、改ざん以前に削除された「お指図」があるのではないかとの疑念である。「公開文」に収められていない「お指図」は数多くあると云われている。未収録ものが存在するのならば、それを確認する作業が必要で、次に削除理由、未収録事由の詮索に向かうべきであろう。 私は、この二段階の変造によって、「お指図」の意味内容が意図的故意に掴みにくいように、駄文に解釈されるように、はたまた意味不明なものにされているのではなかろうかと疑念している。 これらの「改ざん」に対して、元々の「口述原文」が膨大な長文になっており、それを簡潔にするために止むを得ず要約してそうなったというのなら分からないでもない。しかし、その場合でも、文意を変えない範囲での変更が要件となるのは言うまでもない。文意改ざんは、著作権法を持ち出すまでもなく、文章道規律に於いてご法度である。実際に確かめると、学問的に耐えられる簡潔文にしているのではなく、その真逆の「口述原文」、「筆録原文」の値打ちを貶(おとし)める為に敢えて改ざんしている気配が認められる。「口述原文」、「筆録原文」自体に舌足らずで読み取りにくい件もあろう。この場合には真意を探ってむしろ補言すべきだろう。どちらの場合であろうとも、「口述原文」の神意に迫った文章を求めるべきであり、逆漕ぎするのは宜しくない。それらは「お指図」の冒涜であり、突き詰めれば本席冒涜であり、ひいては教祖冒涜であり、突き詰めれば本教冒涜になろう。 これらが偶然なのか故意の所為なのか、何の為にそうしたのか、応法の理による止むを得ない事情があったのか、教団監視の監督側の外部者が容喙し蛮勇をふるって改ざんしたものを教団に押し付けたのかどうか。本部は、これにつき調査委員会を設けて検証し詮索し弁明すべきであろう。その議論内容をも公開すべきだろう。これをしないようでは、一事万事の理に照らせば他の研究も同様ということになる。そういうことでは天理教の真の価値に辿り着けないだろう。自ら天理教の真価値探求の道を閉ざしていると認めるべきだろう。 |
【お指図の意義諭し】 | ||||||||||||||||
「指図の意義諭し」には次のようなものがある。
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【お指図の聞き分けについての諭し】 | |||||||||||||||||
「指図の聞き分け諭し」には次のようなものがある。
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【応法派への苦言】 | ||||
植田義弘氏の「理の研究」に拠れば、「おさしずでは常に神一条の道と応法の道とを見分けられ、一時の『学びの道』、『神一条より万分の一の道』である自覚を促され、人間心に流れ世上の理に流れることを厳しく戒められている」とある。
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【応法派への叱責】 | |||||
「応法派への苦言」もある。
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(私論.私見)