昭和四十二年頃から先生は「お指図」に没頭していた。お指図、というのは、おや様がお姿を隠された後、高弟の一人の、飯降伊蔵(いぶりいぞう)氏が「本席」という立場に立たれて、神意を取り次ぐようになったが、その二十年間にわたる神意を集大成したもののことである。 |
(私論.私見)
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この理解はこれで良いのではなかろうか。 |
私も四月のお地場帰り以降、お指図に取り組み始めた。教会へ行ってお指図を借り受け、書取りをした。そして重要と思われるもの、又雑解なものはそのつど先生に質問のたよりをした。一ヵ月に一度位のわりで先生から解説の返事が届いていた。 |
(私論.私見) |
これは理想的な学び方のように思える。 |
全六巻のうちの、第二巻を借りに行ったところ、あからさまにいやな顔で貸しててくれなかった。 |
(私論.私見) |
この豹変の裏には何があったのだろうか。 |
それで意を決し、月次祭(つきなみさい)のどさくさに紛れて無断で持出し数カ月後、書き終えると、又祭典に紛れて元に戻し、次ぎの巻を持ち出す。それを繰り返していた。そして四十三年の春だったか、例の如く戻しに奥座敷へ入ったところ、教会の娘に見つけられ遂に会長の知るところとなった。会長はひどい怒りようで、すぐお指図を返せ、と取り上げられてしまった。 |
(私論.私見) |
このやり取りは双方に理解できない。 |
だが私はなんら悪びれる気持ちはなかった。桐の本箱を特別に作り保管してあったが、お指図は飾り物ではない。目を通し心に修めてこそ意味がある。八十年祭の年だったか翌年だったか忘れたが、先の真柱様が、神前でのお話しの際、「お指図を全数会へお返しできたことが私の最大の喜びとするところです」と目頭をおさえ、声を詰まらせながら語っておられたのを目撃していた。それは全信者に読み、学んでもらいたいとの切なる想がこもっていたものと思われる。 |
(私論.私見) |
天理教本部が各教会へお指図全集を配布したことが分かる。 |
会長は言った。「これは教会のものなのだ。つまり信者さん全体のものなのだ。だからおまえ一人に貸す訳にはいかない.」。「でもどなたも全く見る気はありません。だから私一人が使っているように見えるだけじゃありませんか」。「とにかくこれは教会のものなのだから、以後貸すわけにはいかない。おまえも教会になったら本部から貰えるんだから、早く教会になることだな」。教会になるためにこそ前もって学ばねばならないお指図を、そういうことで貸してもらえなくなってしまった。
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(私論.私見) |
天理教本部が各教会へお指図全集を配布したものの、教会が宝のように扱いお飾りにしていることが分かる。あるいは教会長の私物のようにしていることが分かる。とてもお道の信仰者の態度ではない。 |
その年の夏だったと思うが、大教会長の巡教があった。祭典後私は部屋に呼ばれた。「君、お指図を自宅へ持ち出しているそうではないか。それはいけない」。「はい。以前はそうしていましたが、今は貸してもらえません。
これからまた貸してほしいのですが」。「これは教会の宝なのだ。教会から持ち出してはいけない」。宗谷分教会の会長が話し始めた。「おまえのやっているのは、横山式天理教というやつで、神様の意に添ったことではない。……」。私は途中でその言葉をさえぎった。
「僕はそんなつもりで勉強しているのではありません。人様に取り次ぐほどには神様の話し、いまだ分からないのです。だから神様にまだまだお聞きしなけれはと、学ばせていただいているのです。お指図を始めてから、少しはお道のすばらしさもわかり心も勇むようになりました。教会の大切なものだということもわかっていますので、最大の注意を払って扱っております。全巻書取が済んだら、それからはその書いたもので勉強しますから、書きあげるまで貸してもらえませんでしょうか」。大教会長は言う。
「持ち出すことはならない。教会にきて書取をしたらいいではないか」 。「うちの会長さんは勉強することをきらいます。その人の前で毎日毎日、何カ月も書取をすることは、お互い気まずいことです。なんとか貸してもらえませんか」。「持ち出しは認められないな」。「持ち出しを禁止することは決局勉強するな、ということになります。あなたは僕の勉強の邪魔をするつもりですか」。「勉強やめるとは言ってない。持ち出すなというのだ」。「それが勉強をやめろということじゃないですか。宝ものだといいながら、箱にしまって見せもしないのは宝の持ちぐされです」。「誰もやめるとは言っていないのに、君がそう言うなら仕方かないな。とにかく持ち出すなということだ」。
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(私論.私見) |
このやり取りから、大教会長が教会長より信仰が深いと云うことではないことが分かる。全く世俗の論理で説法しているに過ぎないことが分かる。 |
私はここで席をたった。信者が熱心に原典を学ぶこと、本当なら喜んで応援すべきことではないか。それなのにそれを差し止めるとは。私はなんともやり切れない気持ちだった。その後お指図の勉強はしばし中止のやむなきにいたった。私は困りあせった。なんとかしなくては。よその教会から借りようか。しかし自分の教会で貸して貰えないもの、他で貸してくれるだろうか。さまざまに思いあぐねた。そしてあること思い付いた。直訴という方法だ。これまでのいきさつすべてしたため真柱様に手渡し、お指図を下附していただけるようお願いしてみようということだった。次回お地場帰りした折り、お勤めのあと、教祖殿へ向かう回廊で待ち構え、手渡そうと考えた。そしてあるとき、滝ノ上分教会の現会長(当時はまだ会長職には就いていなかった)と会った折りそのことを打ち明けた。「あんた。それはまずい。そんなことしたち大変だよ。うちの教会のを貸してあげるからそんなことするんじゃないよ」。
その後はそちらのお指図で勉強が続けられるようになった。明治三十三年までのぶん、つまり第五巻までの書取が済んだのは昭和四十五年ころだった。そこで考えた。あまり時間がかかりすぎる。なにかいい方法はないだろうか。印刷屋で聞いてみたが何十万円にもなるとのことだった。それじゃ自分で印刷するのはどうかと、コピー機を捜したところ二万円程で買えるのがあった。安物だけになかなか手間の掛かる機械だった。一頁ずつ原版をとり、またそれを印画紙に焼き付けるのだ。一人ではとてもやれず生徒や家内の手伝いによって六ヵ月余り掛けて全巻印刷を完了した。
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(私論.私見) |
この話がどこまで本当のことか分からないが事実だったとして、天理教団と云うのは一体、教理を学ばせようとしているのかいないのか、どちらなのかが分からない。こたび「」をサイトアップしたので多少は便利になったと思う。全お指図の収録に向かいたいと思う。
2013.1.26日 れんだいこ拝 |