「(茨木基敬) 身上にをいがけに最適 おたすけ話」。
大正七年十月二十三日 夜九時三十分 ○○分教会部下、△△△宣教所の信徒△△△△と申す者の妻△△、本年三十八才になります女であります。この者、昨年の七八月頃より身上にきびしきお手入れを蒙り、しばらくの間病院に入り、だん/\と手術を尽くしておりましたが、いったんは快方に赴かして頂き、そのご自宅で療養いたし、あれやこれやと身上の障るところから、種々の方法を試しましたものの、よほどの大患いで衰弱も甚だしく、身体中腫れ(はれ)がまわり、今日が極度の有様に迫っております次第で、ただいま日間浦の担任△△△△は、その者の夫と同道にて親様にお縋りに出て、余り(まい)如何な因縁なる事情に依ってで御座りまするか、お言葉を聞かせてもらい、そのうえ篤くと懺悔の道を付けさして頂き、もう一度どうでも親様の御踏ん張りを願いたく御座いますで、お慈悲のところを持って幾重にもよろしくお願い申し上げます。
さあさぁさあさぁさあさぁ尋ねるところ/\、さあ身上のところ、これ一つよう聞き取らにゃいかんで。よう聞き分けにゃならんで。何故よう聞き分けにゃならん、聞き取らにゃならんという事情の理を、よっく腹に入れにゃならんで。ウ−ウ−ウ−ナ、よふ聞き分けてくれな、よっく聞き分けてくれよ。よっく聞き取れ。かねがね聞いてもいるやろう。聞かしてもろうてもいるやろう。この道という、この道は何たらしたところの道であるかゑゝ、ウ−ウ−ウ−よふ聞き分けてくれ/\。ナ−ナ、どうぞ親さん助けて下され、助けて下されと言うている。親様助けてくれと言うて、親様と喚び出すところの親は、如何なる親であるかと言う理を知っているか。ただ理由(わけ)分からずして、人(しと)も親と言うから、ただ親というて真似するだけで、実の理が治まろうか。人が親と言うから、俺も親様と言う、人が神様と言うから、俺も神様と真似するような事で、実の理が治まろうか。人間は如何なるところから生じてきたか、如何なる世の中であるか、如何なる者であるか、人間であるかという事情の理を、トツク−ト心に治めてくれにゃ、どうもならせんで。ソラ夫じゃと言う、親じゃと言う、夫婦じゃと言う。ソラ一家内集まっていると言うた。言てもどこから集まって、どういう所から生じて来たか、どういう所から出て来たか、分かってあるか。ソラ何にも知らしょうまい。分からずして、どうぞ親様助けて下さい、と拝んだだけで、何に親の心に通じようか。何の理が通じよう。何んにも知らん子供達であるから、どうでもなんでもと思うて、細ふに思ふて、細ぼそながら、こふも諭されるか たから、そうもしたらよかろうかしら、こうもしたらよかろうかしらと思うての日々のことであるやろう。その理は、細いだけの理は受け取る。細いは細いだけのもの。何んで子供に深い理が悟られよう。悟らんからと云ふて叱るのやないぞ。よう考えて見よ。内に集まるところの小人は、どこから集まったか。この世に出てきてこんどはどこへ行くものか。どこから出てきて、こんどはどこへ還ってしまわにゃならんか、よう聞き分けにゃならんと言ふは、この道理やで。今身上に事情できたからと云ふて、身上に悩みついたからと云ふて、どうぞ親様助けて下され・恵んで下され、と頼まれて始めて、親は助けてやろう、守護してやろうと言う親なら、ソラ親ではあらせんで。どうぞ助けて下されと云ふてくれた時に、助けにかゝる親ではあらせんで。さあこれが要目や。どうぞと言われて助けにかかる薄情な親で、ソレデ親と云えようか、研究してみてくれ。 親と云ふて分からねば、神と云ふ。神と云ふて分からねば、月と云ふ日と云ふて、この世界中の人間、温味・水気は如何なる御方より借り受け・貰い受けするかと云ふ物の道理を考えてみよ。出る息・吐く息止まってしもうたら、こんどはどこのものになるか。ゑゝ木や金や木像に何程うなずいても、未来永遠に救うて下されと、自身の思うだけの事を願う。ソラ人間勝手にしゃべって、神経休めているだけで、これが如何に実治まろうか。さあこれを動機として、内々すっきりと改めにゃなろうまい。どうせい・こうせいとはこら云わん。なるほどと分かれば、内々の改良、精神の改良をせにゃなろうまい。木や幣や鏡や木像やと云ふて、どふど助けて下されと云ふたかて、ソラ片だよりの信心やらうが。よう聞き分けてくれ/\。この道何んにも知らなんだ者が、親の引き立てを蒙って、授け一条の理を頂きして、さあ貴下の身上は、こふいうカク/\でありますでと、ソラ運んで一度は一度の理が見え、二度は二度の理が見えたと云ふ理を見るやらう。見えたと云ふは、神の守護の理が見えたのやで。さあこの道は、世の中の立替えと云ふ、心の切替えと云ふ。世の中をスッキリコッキリ変へたいが神の思惑、神の目的と云ふ。ただ身だけ助けする神様でないぞよ。ゑゝこの道理を聞き分けにゃどうもならせんで。身上の助け一条は、この道を早く廣く弘めさすため、道開け糸口と云ふ道理のものや。道分らんから、以て早く親を知らしたいため、身上に障り付けて、早くたすけにかゝると云ふ。人間と云ふものは、剛気強欲に、我さえよければよい事や・今さえよければ良い事やと云ふ事を本尊として日々居るから、以てすっきりと親の恩を忘れてしまい、親ある事を知らんと云ふ。ソコデ地場を表わし、地場から世の中助けの道を教えかけ、どうでも世の中立替へ切替へさゝねばならん道理を、聞き分けにゃどうもならせんで。 この道と云ふ、この道始めてから何年目と云ふ。この道始めてから、世の中どふ立て前が替わってあるか。萬づ目を醒まして、萬づの理を研究して見よ。神はどんな守護、どんな恵みをしているか、どんな活動(はたらき)をしているかという道理を考えて見よ。 |
私はそんなこと願ふているのではありません。いま家内の身上助けてもらいたい、それだけの願い一念でございます。
さあさぁ、それはそれだけの願いであるやらうが、真理と云ふ道理を聞かしているのやで。身上はどうなってできたか。いかにも身上は借物といふ道理を知り、いかにも身にかゝる悪因縁、前生持ち寄った悪理が現れたのやナアト語らねばならん。ない理がどうして現れようぞ。親は苦しましたり、悩みかけたりしているのやないぞ。よふ悟って見よ。人間親子の道理から悟らして見よ。親が子をせめると云ふ親はあらしよふまい。助けたいが親である。銘々にも子供があるやろう。親という、言い換えれば神と云ふ。言い換えれば親と云ふ、人間困らして喜べる親であるか、よふ考えて見よ、考えて見てくれ。 苦しまにゃならん、どうも身上迫らにゃならんは、因縁が押して押して/\来ているから、やむを得ず今日の病患ひ(わずらひ)と云ふ。一人の患いは、家内中の患い。たとえば生まれ子であっても、生まれ児諸共の患い、内々家内中諸共の患いせにゃならんと云ふは、家の因縁。先祖より受け得た因縁、持ち集まる所の因縁と云ふ。さあさぁこの因縁報じは、どうしたらよかろうかと思うやろう。真実より出た理しか親は受け取らせんで。成る理は誰でもする。出来る理は誰でも悟るで。さあ成らんと云ふ、成らん所の理が深いと云ふ。深い所の理、受け取った以上は、一日の日も、タッタ一ッの精神もって運んだ理は、千日にも何百日にも受け取ってやるというはこの理やで。真実から出た理しか神の心に受け取らせんで。楽々の中からするのは、誰でもする誰でもする。運ぶ。その成らん中と云ふ、成らん中から運ぶのは、どれだけ運び深いやら分からせん。
真実より研究して、成る程わが身分としてわ、こうなとしてさせて貰おうと、悟りして運ぶ所、神は充分に受け取る。物にたとえたら一粒万倍に受け取るという理、一度尽くした理は、末代と云ふものであるやらう。 尽くし方・運び方一つの事情に寄って、この理末代の理に及ぶと云ふ。末代の理にどふしてそれが及ぶかと思ふやらう。物にたとえて話してやろうか。この道の教祖と云ふ、教祖幼少の時代と云ふ、とくに御艱難の時代と云ふ、善い心をもって通られて八十年と云ふ。この八十年間、善い心をもって通られた、心の種まきは末代と云ふ。天地あらん限りである。ソコデ教祖と崇められるようの道理になってあるやろう。これを手本として・雛形として、なるほど身上は神の貸し物・借り物なら、いつ何時返さねばならんとも分からしょうまい。成る程の理は、心易いもの。成らんと云ふ、成らん中から一つの事情よふ考えて 今日めい/\家業をしている。さあ手抜きができん、忙しい忙しい所へ、ポカント実の親に受け取り出来てあるか出来てないか、という理を真実から研究して見よ。また医者にかかっても同じ事や。あゝこの人は、聞けば三十二才やそう、いや三十才やそうな。この人は私の姉に当たるかなあ、と云ふ精神もって助けにかゝっているやろうがナ。四十才やそうナ。四十八才やそうナ。私の妹に当たるかナ。いや私のお母さんに当たるかナ−、という精神もって治療に当たるかナ。 さあさぁ実の親は、如何なる守護をして、人間にどんな真実を運ぶか、よふ聞き分けてくれ。さあさあ/\。真実の理さえあれば、一夜の間にも、どんな守護するやら。理がなければ止むをえんと云ふ理を、一つ要目として伝えておこう。さあさぁ分かりにくけりゃ問い直せ。 |
一々けっこうにお仕込みたまわり、なんともありがたき次第であります。よっく本人にも分からして頂きましたとも申していますが、なおこの上とも心得うべきことがありますれば、どうぞお諭し賜るようお願い申し上げます。
さあさぁよふ聞き分け/\。この道の始まり、何がためこの道始まって来たか。萬の教えが倒れにかゝるから、この道で助けにかゝると云ふ。長い間世の中のこの救い道、衰微へかゝるから救道もって始めたと云ふ。世の中好んで頼んで付けた道か、そふやないで。この親が楽しみとして付けかけたこの道と云ふ。さあ日を増し、年を増し、年限移って世界中何でも助けにゃならん。道上の順序楽しんでくれと云ふ、助けてもらいたいやろう。助けてもらいたいやろう。なれど真実親の好み、親の望みしている理、精神から成る程と分からにゃなろうまい。どうせいこうせいとは言わんなれど、自身食べ(ほしい)物食わなんでも、着る物着なんでも、いかなる不自由も喜んで、世の中救わさして貰いたいと楽しみにしてくれるなら、この世だけの楽しみでない、末代の楽しみとなると云う理を研究せにゃやなろうまい。尽くした理と云ふ。心から尽くした理は、出直してもと云ふ。出直してもと云ふても、心の尽くした理は、魂の理と云ふ。魂の働きが心と云ふ。心についたものは、末代の理。肉体に運んだものではないぞ。精神に運んだものであるぞよ。精神から運ぶ理、末代という理をもって、日々と云ふ。どうせい・こうせいとは言わん/\。 身は神の貸し物と神さんは仰せられてある。そこで因縁によって、親より先立つ子もあるやろう。女房より先立つ夫もあるやろう。ここをどふぞ安心して暮らさして頂ける世の中にさして頂きたいものやと、人間心さら/\とやめてしまって、真実より親あることを知り、自身の魂あることを知り、よう研究して、成る程と云ふ理を考えてみにゃならんで。それには先に立つ者、故(こ)来の者にもっと教えを聞くがよかろう。もっと仕込んで貰ってナ。 今晩の話、聞き流しては、聞き流しおけではいかんで。一回や二回だけで読み流しにしてはいかんで。ここをもって、精神より成る程と合点の行く所まで、研究せにゃなろうまい。分からんところは、古い人をノ聞かして貰って、成る程という理治まれば、どんなことも受け取らんとは言わん。無理にどうせい・こうせいとは言わせんで。我が女房のためなら忙しい所もやってくる。ほんに内のことならそうはいくが、世界のことならそうはいかん。もう世の中は薄情なものやナア。いかにも成る程、世の中の立替へが必要するなあと云ふ理を知るのやらうウ−ウ−。 終 夜 九時四十七分 |
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