明治34年1月

 更新日/2021(平成31.5.1栄和改元/栄和3)年.12.27日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「明治34年1月分お指図」を確認する。


 (1月)
 明治34年1月12日
 撫養分教会長土佐敬誠出直しにつき、後任選定まで事務代理を土佐卯之助勤めたく願い。
 さあさぁ尋ねる事情/\、尋ねる事情は一時以て事情、何たる事と思う。順序一つ後々事情、さあさぁ定まるという一つ理治まりて、一度二度又々勤めると思う。尚々芯の順序の理こうであろうと、後々一つ、ついの理を治まる。何々後々の理楽しんでくれ/\。
 明治34年1月12日
 山田亀吉子供いちの、きみゑ身上願い。
 さあさぁ尋ねる事情/\、さあさぁ内に一つ事情、さあさぁ小人子供いかなる事であろう。これ何よの事も、理というもの心に治め。日々通る中一つ道というもの、皆なそれぞれの中も順序の道を通る中に、内々小人悩みいかなる事と思う。なれど、順序の理諭するによって、よう聞き分けてくれにゃならん。ようよぅというに、どういうものでこうなると、これ皆々思う。又銘々心に思うが、どういう理もあろう。判然ならん。心にこんな事でなあと、これ一つ思う。この順序一つ取り替え取り替え。皆な順序の理、世上の理を聞き分けてくれ。親の理子供悩むを堪えられん。心々気を取り替え。又これはという理なあ、これ一つよく聞き分け。成るも一つ成らんも一つ、又成っても成らいでも。そこで身の処案じる事要らん/\。なれどよく聞き分け。小児に大層。そうすれば因縁なると言うて了えばどうもならん。よう聞き分け。世上皆な因縁。又理というもの一つ聞き分け。因縁小児悩む中に、親々タンノウできやせん。ならん中に前生のサンゲやで。ならん中に一つ、これよう聞き分けてくれるよう。
 明治34年1月13日
 古川太十郎31才身上願い(防府支教会長)。
 さあさぁ尋ねる事情/\、どうも身上が長らえて身上が心得ん/\。いかなる事であろう、日々の事であろう、尋ねる。尋ねるから順序の理を諭する。いかなる理も、取りよ聞きよで間違う。しっかり聞き分けて諭してくれ。身上が長らえて心得ん。どういうものであろう。長らえての道は、日々の理は日々に受け取りある。そんならこの身上がいかなる事であろうと、日々の中にこんな事ではと思う。人間というものは、一代と言えば頼りない。なれども、道をしっかり治むれば末代である。心にタンノウ治めてくれにゃならん。この身上不足なりて、タンノウできやせん。なれども、これというものは、世上の難を見て聞き分けて治めてくれ。名々も一つの理である。そこで、タンノウすれば前生サンゲの理に受け取る。身の内の痛み悩む中にタンノウ。身上はどうなろうと思うやない。一時心にこうであったなぁと、これ一つ諭しおこう。
 明治34年1月14日
 宮川てい33才身上願い。
 さあさぁ尋ねる事情/\、さあどうも身上に、段々長らえて心得ん。どういう話しどういう理、聞けど聞かせど、身に印ない。ないから日々の心、日々の心には、この道という一つ理を段々聞いて、日々の処に心を運ぶ尽すこの中、身上こんな事と思う。思う理のように思う。なれど、そうやない。順序聞き分け。どうせこうせ、これ言うやない言うやなし。皆な真実という、たゞ心から順序積み立てた理、又所に一つ順序道始め掛けた。一人であろ。よう聞き分け。身の処不足なったる中に、内々治まり難くかろ。なれど、よう聞き分け。人間一代と思うたら何したんやらと思う。人間は一代と思えど、理という理は末代と言う。末代の理治め。所に理。これ将来末代と言う。身に難渋不自由と思うなれどタンノウ/\。身に不自由ありてタンノウはでけやせん。なれど理は末代というはタンノウ。長き短き心に理を取って、世上は同じ人間同じ神の子供。難儀さそう不自由さそうという理はあろまい。これ聞き分け。世上一つの理を思えばタンノウ。タンノウはサンゲえ。成らん中のタンノウはサンゲえ。これ聞き分け。順序因縁、因縁のサンゲえである。よう聞き分けて、心に楽しましタンノウさし。この道という理(という)は、皆な身の障りから出た理は、運ぶ尽す(が)台であろ。よう聞き分け。世上にはどんな難もある。これ何ぼあるとも分からん。これから思案して、身は一代と言う(て)思う理を(取り替えて)、(心の)治まったるは末代の理(である)。この理(を)早く聞かしてくれ。早く聞かしてくれるがよい。
 明治34年1月17日
 高知分教会へ桝井伊三郎、高井猶吉出張する願い。
 さあさぁ尋ねる事情/\、さあ所々事情という、何かの事も一つ/\道理、一度と言えば事情許そ/\、事情許そ。
 明治34年一月17日
 坂井元蔵、長男直次12才眼の願い(桑名出張所理事)。
 さあさぁ尋ねる事情/\、いかな事と一つ理を尋ねる。尋ねば理の指図という。さあさぁどうも一時身に不自由/\。どういう話しどういう理、いかな話し聞けど、印しないというは、日々であろう。親は日々堪いられんであろう。一つ指図しておく。よく聞き分けにゃ分かり難ない。聞き分けにゃならんで。こういう事情なあ、どういう事になあ、道という上に日々であろ。もう十分運び尽し、こういう事ではなあなぁと思う。思うは理であろう。なれど、思うやない。理を取り替い。難儀さそう不自由さそうという親が有るか無いか、聞き分け。世上一つの理、世界と言うやろうお。名々思うだけでは道という理なきもの。この理から聞き分け。成ろうと言うて成らん、又成ろうまいと言うて成りて来る理を聞き分けにゃならん。この一つ理聞き分け。又道というは、因縁諭す/\。世上へ皆な諭す。同じ神の子供なら、名々も同じ理、内々同じ事となあ。身上一時ならんと言うて居る。よう聞き分け。人間同じ神の子供、皆な可愛い一つの理。親世上へ対してこんな事では恥ずかしいなあ、そんな事ではならんで。因縁という理聞き分け。因縁ならと言うて了いばならん。因縁/\楽しまにゃならん。ならん中タンノウ、因縁のサンゲ。一時ならん/\なれど、身の処は追々と言うておこう。
 明治34年1月18日
 渡辺和三郎、身上願い。
 さあさぁ尋ねる事情/\、身上一条一つ理を尋ねる。さあさぁいかなる事であろ、どういう事であろ。皆なそれぞれから道理運び、なれど何の印しないなあ。成らんから尋ねる。尋ねるから、又指図及ぶ。身上どうも一時なあ、又中にも思う。あれこれ段々心運ぶ中に、どうもなあ思う。よう聞き分け。道があって、一つ心たぁて一つの心なれど、身上いかな事と思うたら、ころりと違う。よう思案して、頼りになる者頼りにならん/\思う。頼りないなあと思うなれど、思うやない。年限尽した理は、受け取りある。一代と思うたら頼りない。なれど、所に何も紋型ない処に理治まりたる一つ理、人の心から始め掛けたる。この人の理以て治めたる。頼りないと思うな。長い短いは、為す因縁事情の理。人にタンノウさし、又皆な心の理があろ。これ楽しみ、タンノウさし、身上余程順序からどうもなれど、早く聞かして、楽しみあれば、又一寸何であろ/\。真実この理聞き分けて、又先々までの処までタンノウ。コウノウの理は末代の理に受け取ったる。これ聞かして十分タンノウさしてくれるよう。
 明治34年1月18日
 芦津分教会井筒五三郎、本部凖員に御許し願い。
 さあさぁ尋ねる事情/\、尋ねる事情には皆なそれぞれ心というものある/\。なれど、一つという、年限という、人の年限の心という。まあそのまゝじいと、いずれいずれの日を楽しましてくれるよう。
 明治34年1月19日
 葭内与市身上願い(入江支教会長)。
 さあさぁ尋ねる事情/\、さあさぁ身上が心得ん、どういう事であろう。皆んなそれぞれ立ち寄って、何か話し通り日々運ぶなれど、身上がどうもなあ思う処、身上が尋ねたらどういう事あろうと尋ねる/\。一つ心というは事情に一つ諭す。諭すが、よう聞き分けにゃ分からん。これまで長らえて道すがら、道筋指折り数えて見よ。数えるにも分からん程通り来た。長い年通り来た。長い年限運んだ理は受け取ってある。この言葉聞き分けてタンノウをし、一時どうではない。よう聞き分け。長い年限の間にいかな日も越した。どういう道も通り、ようよぅと言う。十分の理諭す。諭すによって、十分タンノウさし、人間という、人間は一代と思うたら頼りない。何をしたんやらと言うなれど、道と言うたら末代と言う。又所に名称というは末代の理。この一つ理楽しみ。人間何度同じ生まれ更わり、生まれ更わり、この順序聞いて楽しみ。又身上どうであろうかと思う。思うた分にはならん。これからどうでもと言うは、一つよう聞き分け。皆な世上へ諭す理ある。諭す理から聞き分け。同じ子供同じ神の子。これまで運ぶ理は、重々受け取ったる。人間は一代、名は末代の理。末代の理も段々ある。この道始めて道々に心を寄せて、所に名を下ろすは末代の理、将来続く理。これ聞き分けて楽しんでくれ/\。一時どうではない。よう聞き分けて、十分タンノウさして、気を養うがよい。
 明治34年1月27日
 河原町分教会所地所願い(京都市上京区丸太町川端東入東丸太町坪数合計3840坪二合建物合計376坪八合七勺の処、分教会地所に御許し願いたく、ついては地均らしの処願い)。
 さあさぁ尋ねる事情/\、前々の事情という。さあさぁ一時一つ心という。皆な集まりてこれ一時心留まる/\。精神一つ集まる理、一つ所変えて順序という。広く所広く所一つ望みの地であるで/\。さあ許そ/\。
 明治34年1月27日
 村田かじ、昨晩より腹痛につき願い。
 さあさぁ尋ねる事情/\、どうも一時身上の処迫る処、いかな事であろう。段々尋ねる処、身上悩む/\。身上悩むやない。心という理が悩む。身上悩ますは神でない。皆な心で悩む。前々どうであろう、こうであろうと、一時迫る処、段々兄弟寄り合うて、どうでもこうでもと、順序運んだ理あろう。それより段々順序あらあら分かり、これでという処から、身上鮮やかな理。又後々一つ出けた一つ理、もうもぅ何が順序と思う。一つなあなぁ心に掛かる/\。身の内から掛かる処ならん。すうきり心に掛かる処運んで、心休め。後々どういう話しあろうと、こういう話しあろうと、命限り/\掛かろという/\。順序運んでやるがよい。
 後々と仰せ下されますか、林由松の処でありますか、と押して願い。
 さあさぁ心に掛かれば、心に掛かるというは言うまで。心に掛かる、よう思案してみよ。元々から理あったものやない。段々寄り合うたもの。そこで指図明らかというは明らか。これはなあというは、なあ。心定めて、成っても成らいでも、身上はどうなってもというは、これ神の真実。仮名を仮名と言う。これ一つ。
 明治34年1月28日
 西専助妻いそ、身上願い。
 さあさぁ尋ねる事情/\、身上一つ一時事情尋ねる。いかなる事であろう思う処、皆んなそれぞれ集まりて通り、話しすれども、伝えど、一時身上鮮やかならん。余程指図と言う心、理になる。指図と言えば指図する。よう聞き分け。身上何で悩む/\思う処は、日々であろ/\が、これよう聞き分け。どういう事になる、こういう事になる。折角こゝまでなあ思う。思うなれど、聞き分けにゃならん。順序ある。何事なく/\同じ一つ心同じ理。どういう障りもなくすれば、言うまで。よう思案してくれ。助け一条/\中に身上悩む処、聞き分けにゃ分かり難ない。難儀さそう不自由さそうという親有るか無いか、聞き分け。一時の処どうでもなろうまい。なれど順序大層/\。一時でない。身上の処悩んだら、これでなあと思う/\心にタンノウ諭す。日々悩む。食事も納まらんのにタンノウできやせん。なれどタンノウは前生因縁のサンゲと言う。よう聞き分け。同じ子に世上難の理を聞き分け。どういう理もある。これだけという処から聞き分けば、前生因縁のサンゲと言う。一時どうではない。なれど余程事情。皆々集まり、どうしてもいかん、こうしてもいかんやない。これまで道の処、どうしょうこうしょうなぁという事もあって、今日の処に一つ理、これコウノウ理に受け取りある。これ一つタンノウに聞かすがよい。
 明治34年1月29日
 吉田楢次郎、長女ならゑ、次女こう、三女おとゑ身上願い(旭日支教会役員)。
 さあさぁ尋ねる事情/\、どうも内々一つ事情いかなる事。さあさぁ皆々子供/\、どうもならんで。どういう事であろう、日々処尋ねるから一つ事情指図。指図というものは、よう聞き分けにゃ分からんで。道のため一つ事情運ぶ処は受け取りあるで。どういうものもこの理これ指図。さあさぁよう聞き分け。真の理又先々の処にては、鮮やかなる。又内々これはどうも判然せん。一つよう聞き分けにゃならんで。助け一条の理を運んで居るに何でやろうと思う。一時の処にては、これよう聞き分け。身上の処どう成れこう成れ、前生因縁子供/\子供、又小児第一障り、夫婦の中の理堪ゆるに堪えられんなれど、助くる中、この理を聞き分け。道があればこそ、成らん中の理聞き分け。因縁のサンゲい/\、因縁のサンゲ。ならん中タンノウするがよい。さあさぁ小児の処、どう成ろうと思うやない。さあさぁしいかり踏ん張れ/\。
 明治34年1月29日
 中和分教会長伜三男植田一史25才と大原伊平次女いと19才縁談御許し願い。
 さあさぁ尋ねる事情/\、縁談一条理尋ねる。尋ねるから一つ指図。さあさぁ段々/\主、主と主と親と親と一つ心、これでという十分/\の理運んで、どちらの理も鮮やかという。その心皆な道からできたものや。さあさぁ縁談/\十分/\、さあさぁ運んでやるがよい/\。
 明治34年1月31日
 山中彦七長女いわ、身上願い。
 さあさぁ尋ねる事情/\、さあ身上に一つ事情、何ぼうでもいかん。これがもう一寸と思てる事が、段々身上迫る。迫る処いかなる事と思う。尋ねるから、又一つ順序諭す。よく聞き分けにゃならん。身上が迫る。迫れば、内々もどういう事もこういう事も、何も順序。道古い事情にほのか/\事情であろまい。万事聞いて居る。世上見て又内々道理悟りつかねばならん。年限経てば長いもの/\。心で同じ事。この道理から諭す。よう聞き分けにゃならん。道というは、一時に付いた道やない。長い年限、元々掛かりは野原と言うても可なり、空家同様から通りたる。それから年限である。多く年限僅か年限/\、目に見て分かるやろ。又心で分かる。この理聞き分けて、心に一つ事情、身上迫る処/\、身上は余程大層/\。まず世界道理ある。世界の道理明らか運んで、早く取り調べてくれ。又内々長い道の間通り、世界見てこれも感じにゃならん。これ聞き分けにゃならん。身の処大層。大層なら大層だけの順序運んでくれ。どうなるも一つこうなるも一つ。この心定める台。成っても成らいでもという理は、将来剥げるという事はない。この順序聞き分けて運んでくれ、と話しておこう。




(私論.私見)