明治31年3月

 更新日/2021(平成31.5.1栄和改元/栄和3)年.12.27日

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 (3月)
 明治31年3月3日のお指図。
 神の道ありて神の道に思い/\、散乱では神一条と言わん。
 明治31年3月8日
 加見兵四郎、長男秀二郎身上願い。
 さあさぁ尋ねる事情/\、さあ身上という、身上心得ん事情いかなる事であろ。さあ長い間身上あちら変わりこちら変わり、どうでもならん事情/\、事情どうなりと言えば、心にタンノウなくばならん。心にタンノウ、切なみあってそらできようまい。タンノウは何でもない。なれどタンノウは真の誠。これだけ信心して、身に不足なるとは思わんよう、持たぬよう。身上不足なってタンノウはできん。世上幾重どんならんならん事情、ようよぅという。タンノウ親々一つの理も聞き分け。又候/\言えば、どうどぅ一つの理を以て尋ねるがよい。
 明治31年3月17日
 藤井忠四郎32才、身上願い。
 さあさぁ尋ねる事情/\、身上一つ事情を尋ねる処、さあ日々の処にどうもこれではと思うは理である。身上の処心得ん。又他に心得ん。尋ねる。一時どうとこれはあろまい。なれど大層。大層ながら、事情諭す処聞き分け。この道というは、一代と思えば、尽した理は楽しみない。長い事情、長い事情で切りがない/\。末代という、この事情治まりの理にて、又一つ事情。この事情聞き分け。何をしたんやらと更の理に思わんよう。よう聞き分けて早く事情諭してくれ。
 明治31年3月20日
 結城安治郎妻ウノ44才、身上願い。
 さあさぁ尋ねる事情/\、身上に一つどうも一時心得んと尋ねる事情、尋ぬれば一つ事情も諭しよう。これよう聞き分けにゃ分かり難ない。身上不足なる。道のため心運ぶ中尽す中に、身上不足なるは、どういう事。よう聞き分け。身上の処、一時事情は余程大層なれど、一時どうと言う事はない。よう聞き分けにゃ分かり難ない。長らく道通りて、どうも身上こういう事。余儀なく事情、頼りないと思う。頼りないと思うやない。一代と思たら頼りない。末代の道伝う。末代と思い心楽しみ。身上不足あって楽しみないなれど、世上に日々に諭す事情、為す因縁。この事情聞き分けて、又一寸事情、道の中/\これでなあ、よう聞き分け。為す一つ事情、因縁ならと言うて了えばどうもならん。道の中に身上不足なあ、為す因縁聞き分け。もう一代という、思う心更に要らん。将来末代という。これ事情治まれば、因縁のサンゲという。よく聞き分けて、伝えてくれ。
 明治31年3月23日
 山田作次郎、身上願い。
 これまで長らく(の)道すがら/\、どういう事(も)こういう事(も)、年限の内道の中(にあったであろう)。年限一つ事情(は)、これまでこうでありた、こうなりてこうという事情(を)諭しおこう。よく聞き分け。どれだけの者でもこれだけの者でも、この道(を)始めた理(を)聞き分け。道は一つ(の理であって)万事(の)事情(治める道である)。(この理が)一時世界にある理かなき理か(聞き分け)。(しかし)一つ理で(もって)何処から何処まであらあら一つ来たる中に、なあ心得ん/\(という処ができる)。これは心と云う。道ありて(も)(人間)心というはどうもならん。神の道と人間心と(は)ころつと違う。皆(胸の)つかえて居る処(あれば)互い/\諭し合い伝え合い(をするよう)。一つ心に諭したいから事情という。身上は案じる事要らん。皆んな道という、一つ心に諭したいから事情という。身上は案じる事要らん。皆んな道と云う、一つと云う理(を)万事伝えてくれるがよい。よく聞き取れ。
 明治31年3月25日
 谷本庄平、身上願い。
 さあさぁ尋ねる事情/\、身上さあ一つ事情尋ねる身上の処、長らえての処、一日一日の処、どうなり事情、それぞれ運ぶ処、この理無にはならんで。この道日々心定めたる年限の理、これはどう言う事、聞き分け。名々から伝える理がある。名々これまで事情因縁。名々内々にも、これ一つ身の処ならん/\切なみ/\。この道日々この神のこうをよく聞き分け。運ぶ/\処、よく聞き分け。借りもの名々身の内借りもの為す事かい。この心のサンゲ。身の切なみあってタンノウでけやせん。心のタンノウ誠より出るは受け取る。これだけ尽して居るのに他に何と思う、要らざる理を出さんよう。真実心に治まりなくば、聞いたと言えん。
 明治31年3月25日
 西松太郎、次女あきの2才身上願い。
 さあさぁ尋ねる事情/\、どうも一時心得ん事情であろ。さあさぁ内々に事情ある。どうも一時心に治まらん事情であろ/\。尋ねる事情には、余の儀外儀の諭しはない/\。道は重々道尽し長らえて年限、この理は重々受け取る/\。なれど、一時の際、どういう事であろ。よう聞き分け。身上の処小人事情は、小人の事情の事情には、余程事情であるがこれよう聞き分け。尋ねばこういう指図ありたと、一つ心得のため諭そ。よう聞き分け。道の中に良い日ばかりなら楽しみばかり。又これではなあ/\という日ばかりでは、日々送る事でけん。日々には昇る日ばかりではない。事情は大変日々思う処、一時どういう事、急えてはならん/\。急えたてならん。よう聞き分けて、心という一つ始めた理、生涯末代と思い留まりてくれ。これより諭ない。道に通り難くい/\道は、遙かの楽しみ。楽しみ、これなあ思う日多い/\。心悠っくり。道は年限で立って来る。一時どういう日がありても、日柄時々ありて治まる。小人又候という理があろ。又候という理があろうが、よう聞き分けて、どういう事辺所へ出た心持って、先々計る心持って還ってはならん。又還やすような事あってはならん。よう聞き分けて、あちらの話しこちらの話し、どんな事聞いても、道は一つの道。この一つの理、よく聞き分けてくれ。心という、大きい持って、これからという。これまでもう危ない事ばかりの道でも、踏み被りなく連れて通りて来た。どうで一つ思案ある/\。なれど、手を一つに繋ぎて行くなら、何処までも連れて通る/\。道の事情と小人の事情と聞き分けて、我が事思い開く事でけん。なれど、成あって来る理を聞き分けて、取り直し、内々小人事情、これ一寸諭しおこう。
 明治31年3月25日、増野いと身上願い。
 (この道は)元々(教祖)一人から艱難苦労の道(を)通り(下された道である)。又(その)中に、道始まる理に(心を)繋ぎ(て通りた者)、事情から始め(て道に引き寄せられて)通りたる者(が)ある。ただ年(だけ)ありて、心にこうなくば古いとは言えようまい。コウノウなくば、まあそうかいなあというようなもの。よう聞き分けて(くれ)。内々(の者が身上事情に)迫れば、相談の芯(になる)という。芯(の者)から始めたら(皆)心分かる(ようになる)。女(の者が共々に理の)研究(するということは)、何ぼでもぢばという中に(大切な事である)。これまでにも治まる理(が)なくばどうもならん。刻限でも諭し(てある)。諭しにもようよう(の道)という(てある)。

 
婦人会(を)始め掛け(よ)。始め掛けたらよう思案せにゃならん。道に(は)艱難の道という。(艱難の道を)通りたる事情(を忘れてはならぬ)。婦人会と云うのは何のためにするのや。義理でする(の)やない。又人間の体裁でする(の)やない。又世上(の思惑)に対してする(の)やなし。婦人会と云うは、道始めて(からの道の理について)、互い/\の諭し合いの道(を)治めてやれ。

 今日入った(者)も女(である)。古い理(の者)も女(である)。(その者が)艱難苦労(の道を)通りたか通らんか分かる(ことが大切である)。入りた道(筋がいろいろ)ある。遠い所から来てる者もある。又近い所から来てる者もある。どうやろなあという(半信半疑の)ような道から、へばりついたような者もあれば、又(真実の心を)運んだ道もあれば、道に染まりて入りた者(も)あれば、今日入った者もある。婦人会という道(を)聞き分けて(それぞれ成人の道を計りてくれ)。今日は一つ(女の者が)埋もれ/\切ってあるという、(ことを諭しおこう)。
 明治31年3月26日
 増野いとのお指図より婦人会の事につき、以後の筋道心得願い。
 (この道には)男女の隔て(は)ない。一時に心澄み切りて通れば、男女の区別はない。(しかし)何名何人(にこの理が分かってあるかと云えば)こらどうもならん。道具に譬えて話する。粗い事(を)する者もあれば、細かい事(を)する者もある。又中ほど(の事を)する者もある。(持ち場立場の違いがあるという)この道理(が)分からねばどうもならん。元の理に心して通ることは、ぢばに心をつなぐことである。ぢばは人間はじめの親里であり、人間心の理で通る所ではない。ぢばは世界から親を慕うて寄り来る所であり、又世界から親を慕うて帰る子供に、隔てなく子供の上を思うて、その帰りをお待ち下されている親神様の鎮まります所、教祖のお住まいされている所である。(この道には)男女の隔て(は)ない。よう始めた道(の理を)聞き分け。この道(を)始めた(の)は男か女か。これから悟れば、どんな事も分かる(であろう)。(男女の隔てはないと言うても)皆一つという(ことは)そらそうはいかん。道具に譬えての話(のように持ち場立場によって)細かいという、又中ほどという、又粗いという(ように違いがあるのである)。(中略)

 入り込み(を)大切/\(に育てるというは)教えの台とする。(入り込みに対して)不当の扱いは(教えの)台と(は)でけん。そんなら不当(の扱いは)せんと云う。(しかし道を)純粋(に)通りて(いる)という中に、これも放っ(とい)たる、どれもも放っ(とい)たる(ということが)名々肝心の(心の)理から分かりあろう。年限の内には、粗い細かい中ほどというて、(持ち場立場があると)諭したる。細かい(というの)はどういうもの(であるか)。中ほど(というのは)どういうもの(であるか)。又粗いというはどういうもの(であるかを聞き分け)。名々事情に理(を)持って(通りてくれ)。世界(にも)諭して居る(であろう)。(中略)男の中に(も)どんな理もある。女の中に(も)どんな理もある。これ聞き分け。
 明治31年3月27日
 西村喜右衞門58才、身上願い。
 さあさぁ尋ねる事情/\、どうも身上に心得ん/\事情尋ねる。もうどんな事もどんな事も、これまでの事情の諭は、後にあるか先にあるか、皆な知らしたる。日々心治めて事情、又心に持って事情。こういう事心得ん、どういう事違てあろ、こういう違てあろ、どういう指図あろが、又思う処尋ねる。一つ事情も知らしおく。よう聞き分けにゃならん。さあさぁ治め方/\、どういう治め方。多く中と言えば、どういう治め方もある。善い事集まって来れば、又どんな事も集まって来る中に立ぁて、一つ事情中運ぶ事情、道理事情、道理に適わん事諭した処が、適わん。身上障り尋ねる処指図/\。善い事集まれば、どんな事も集まる中に、こういう理見分けにゃならん。適わん事は、いついつまでと言うてはならん。善き理にゝも掛かれば、どんな理にも掛かる。段々鮮やか伝えば、何を諭す。どういう理を諭す。たゞ一つの理、理は一つよりない/\。跨がりの理を拵えるからならん/\。事情これだけと思て、成る理聞き分け。一つの理難しい。どうでこうでも、この度何処からでも集め来る。誰とても同じ事、長い年限同じ事。中に同じ事、新しも同じ事、真の理心に治まれば、真の事もなきもの。この理聞き分けて、何かの事治めにゃならん。どんな理も治めにゃならん、という。
 明治31年3月28日
 婦人会の事につき、以後の道筋心得事情申し立て願い。
 道具というは、使うて、歩く(翌る)日まで紙に包んで納して置いて、又使うものもあれば、放って置いても翌る日出して使う道具もある。
 前日お指図により、婦人会の名前つけますものやと願い。
 この元ぢばという、世界世界(の)所々(へ道を)始め(た)。何も一度で始めたんで(は)ない。(教祖)一人から一つ/\始め(た)。先は云わいでも理が分かり(て)ある(であろう)。所々(の名称)というてこの道掛かり(た)。よう思うてみよ。一日二日、又三日という(ような短い日で成ったのではない)。一度で出けたものであろまい。年限で出けたもの(である)。これから一つ組んだら一つ与え、二つ組んだら二つ与え(という)。この理を聞き分け。国々所々という。掛かりはふわふわとしたもの(である)。(世界からは)あら何(を)言うて来る、何をして来ると言う。あんな事と言う(ような有様であった)。なれど、又年限で出けたもの(である)。最初(は)あちら(こちら)から取り払われ(たが)、思惑通りさして置き、それより年限の固まりから(段々成り立って来た)。所々(の)成る程(の道の成り立ちは)一寸あらあら分かりたな。皆な神がする。元と云う(は)、前一つ、あちらから一人事情、こちらから一人事情(というて集まって来て)、助け/\という。皆な助け一つの理から出たものである。あちらでもこちらでも、所々名称という、教会という/\。一時に出けたものやない。元暗がり/\(の中)から通りて居れば、苦労したのも同じ事(である)。

 (中略)人間の心(は)要らん/\。人間心でする事は、一時は強いものなれども、(いつまでも)居ようと云うて居られるものやない。(いつまでも)置こうと思うても置かりゃせん。どうもならん。前々(の)事情というはどうもならん。人間心を以て段々運ぶ。世界には(この道の真価をまだ)知らん。人間(は)強いもの(と思っている)。(この道は)最初初め何処から始まったか(思案してみよ)。元紋型なき処から付けた理(は)、重い理というか軽い理というか。軽いと思うてはならん。(元の)理は強いもの(である)。これから話し掛ける。しっかり聞き取れ/\。
 明治31年3月29日
 山中彦七、拝戴のおさづけにつき伺い(以前親が頂戴致され、その時、末代子孫までの理に授け置くとの御言葉につき、この事は如何の事でありましようかと御願い)
 さあさぁ尋ねる事情/\、さあこれまでの事情、これまあ十分の理(を)治めたる。古い事や。よう聞き分け。幾何年(に)なる。古い事十分一つ始め(た)。始めの理によって、万事これ一つ末代と授けたる。一人は未だ存命で居る。心が伝われば、同じ理(である)。心(に)取り伝えば、末代の理(である)。さづけという、万事指図(を)聞いて居る(だろう)。授けた心(が)残りな(く伝わ)るよう(に)伝え。理が伝う/\。又切り替えという。切り替えたれば、一代で仕舞がという。治まりたる間に(は)、同じ理将来(生涯?)に伝うと言う。
 明治31年3月29日(陰暦3月8日)
 前田平四郎68才、身上願い。
 さあさぁ尋ねる事情/\/\、身上事情尋ねる処、どうもこれ心得んという理尋ねる。身上こうなればどうであろ、これまでならん処段々運ぶ尽す中になあ、これどうでも思う。思う処聞き分け。尽したという、十分尽したという、運んだという、こら日々受け取りたる。又受け取ってあれば、身の障り切なみどうと思う。よう聞き分け。身に一つ事情、これまで運ぶ尽す日々思い、身上こうなりて、名々こうと思えども、他になあ/\、その思う心こら要らん。日々受け取る理、末代に受け取りたる。末代伝う。一代と思えば、何をしたんやらと思う。末代伝う理聞き分けて、ほんにと心に治まれば、又一寸事情。身上は大層/\。大層中に、こんな事となあ思わず、生まれ更わり末代という。心矯め直しタンノウはでけやしょまい/\。人間一名一人という。世界に理、世界にならん。この理聞き分けて、同じ一つ人間。日々一つの理は、尽した理は何処へも行かん。よう聞き分けて、成る程という理治まれば、又一寸事情。
 明治31年3月30日
 朝、刻限お指図。
 一寸さづけは出してある。なれど、貰うた処が、さづけの元が分からん(という)。(それでは)何をして居る(の)やら分からん。日々取り扱うて居る者は分かりてあろ。さづけという。話の理を十分治めたら、一時(に)一つの理はあろ。さづけさえ貰えたらそれで良い、というようではならん。先々では、まあ一人でも助けさして貰うたらという(ている)。
 婦人会内の事情につき、一同話の上願い。
 物によって三尺の道具(が)要るのに、一寸の道具では間に合うまい。道具と云えば同じ一つの名(である)なれど、三尺の道具と一寸の道具と同じ一つの用に使われるか。一寸は一寸の用、三尺は三尺の用に使わにゃなろまい。この屋敷(は)皆なそれぞれの理によりて伝わりたる。この屋敷(では)あれは何をして居るのやなあと云うても、(その)理は潰されようまい。伝える理によって段々日を送る。
 明治31年3月31日
 増井りん、腹痛につき願い(別席始めのお指図なり)。
 さあさぁ尋ねる事情/\、さあ身上心に/\長い/\長い。日柄/\、長い日柄や。さあさぁ見える/\。さあさぁ身の処案ぜる事要らん。皆々取次より万事事情、時時諭したる処早く明らか、心明らか事情、さあさぁと、やれやれ/\/\。




(私論.私見)