明治20年3月

 更新日/2022(平成31.5.1栄和改元/栄和4)年.1.20日

 (れんだいこのショートメッセージ)
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 (3月)
 明治20年3月1日
 平野トラ、身上願い。
 さあさぁ心得ん、どういうもので心得んや。いかなるの理を聞き分け。身の内の処、一寸に分かるまい。身の内の処、日々心得んという処、処々に理があるという、理があるやら分かるまい。名々内々のところある、分かろまい。精神(こころ)一つ誠、一つ程強いものあるまい。大きな心開き、名々の処にて何遍となく理を分からにゃ何もならん。
 明治20年3月3日
 梶本松治郎、父上の身上願い。
 大層天然(自然で)なる事なら、どうにも(思うことはない)。こういう事も、誠一つ積み置くなら(鮮やかという)。それを知らずして、こうしたら早かろか(と人間心で)、段々道を埋(うず)んで了い(分からんようになる)。風呂敷に(教祖ひながたの)理(の)五十年を(包んで)この所(ぢば)にある。(この理が)分かるまい。皆々(この理を)それぞれに伝え(てくれ)。(神の)話し通り違わんで。話し通り(に)世上から(見ても)実の道、誠(の)道になる。
 3月4日(陰暦2月10日)
 刻限御話し。
 何も分からん、分からん中より一寸始め掛ける。さあ何を聞くやら何を見るやら分からん。何を聞いても見ても、一寸も心に掛けるやない。皆な神の働き。よう聞き分けるがよい。(暫く刻限過ぎて大声にて、ワツと二声あげ) さあさぁ身の内にどんな障りがついても、これはという事がありても案じるではない。神が入り込み皆な為す事や。
 3月4日(陰暦2月10日)
 増野正兵衞、胸の下障りにつき伺い。
 さあさぁ身上の処よう聞き分け。日々暮らす一つ身の処、どういうところ思案、よう聞け。名々処、いかなる処、名々処、身の障りというは国々所、いかなる、又々話し聞く。いずれ又々、いかなる誠一つ、所取り直し/\。

 さあさぁ一日/\身の障り/\尋ね、名々の処、身の障りしかと聞き分けてくれ。どうでもこうでも、一人/\早く、それぞれ段々処、又々処、名々国々いかなる処締まり急ぐ。十分急ぐからで、急き早く急く。

 さあさぁいかなる国々、それぞれ十分道、道を急き/\、遠からずのうちやで。さあさぁ何も道の道ある。これで事ひょと思うたる、夢か現(うつつ)か、楽しみを/\。実であり、幽冥いくや、一名いかなる処、精神早くいう処。
 3月10日(陰暦2月16日)
 増野正兵衞、帰国の時伺い。
 いかなる処、段々精神たゞ一つ。いかなる処、一結び内々それぞれの処、暫時の処、内々先々、道々のしゃ実こうしゃ(*******)、誠一つ案じる。ある事は案じの処、誘われんよう。何かの処思案。今一時、一時どうしよう、先々今一時、互い互いの思案、じっと見通しつかん。今一時そのまゝ。誠心いかなる心定め。どうこう案じ心誘われんよう。
 3月11日(陰暦2月17日)
 午後7時、刻限御話し。
 さあさぁ聞いてるか、聞き分けるか。世界は広い。広い世界の元なれば、広いだけの事を為さねばならん。さあさぁ種苗、苗代は、元のぢば。修理肥は誰がする/\/\/\。遠い所より種を蒔きに来る。種を蒔いたら肥えをせねばなろまい。これをよう聞き分け。
 3月11日(陰暦2月17日)
 午後12時、刻限御話し。
 内も世界も十分と思うであろう。さあさぁ始め掛ける/\。どえらい山がある。ろくぢ/\という事も聞かせてある。山を刳り抜かねばろくぢでない。さあさぁ刳り抜くで/\。それぞれへも伝えておかねばならん。よう聞き分けて、じいとして見て居るがよい。
 3月13日(陰暦2月19日)
 午後7時、御諭し。
 さあさぁ何も分からん。その中より始め掛ける。澄み切りた容れ物と、泥水の容れ物と、皆々渡したで。濁りたる水を、今一時に澄まそうと思うても、澄まする事がでけんで。神が何を言うやらと思うであろう。そうではない。見て居よ。一家の内でも同じ事渡してある。澄んだる容れ物には一つの印しが渡してある。よう聞き分け/\。
 3月14日(陰暦2月20日)
 午後8時、飯降伊蔵の身の内の事御諭し。
 取り直せ/\。何をこうと思い、あれをどうやと思い、末一つを案じる。何にも案じる事は要らん。取り直せ/\/\。身の内の処、さあつとめせねばならん、どうやろうと思う。何にもつとめも要らん、じいと見て居るがよい。先々より聞かしてもある。今息切れたという事もある、と、いうまでもあるとの事、心配は要らん。我が身で我が難儀をして居るのや。起きたらどうせねばならん、これもあゝせねばならん、と思い。何にも思う事は要らん。長々の道筋苦労を掛けたる事、皆な受け取りてある。どんと心を落ち着いて、喰いたい物を何なりと喰べて、じいと寝て居たらよい。じいと寝て居れば何処も悪いではない。何も心配は要らぬ。見て居るがよい。
 3月15日(陰暦2月21日)
 午後9時、刻限御話し。
 さあさぁ急がしい/\。掃除や/\。あちらに一寸、こちらにもそんな事あるかいな、と、思うて居る。違うで。さあ掃除や。箒が要るで、沢山要るで。使うてみて使い良い(の)は、いつまでも使うで。使うてみて使い勝手の悪いのは一度切りやで。隅から隅まですっきり掃除や。
 3月16日(陰暦2月22日)
 午後2時、刻限御話し。
 さあさぁこの世に機械が悩んで居る。米も沢山、水車も沢山ある。ありながら、どうも機械が揃いない。それで、どうも白米にする事ができん。機械が揃いなけねば、(誰)一人の機械も使う事(が)でけん。(それ故)それぞれへ身の内(に)障り(を)つけて(急き込んで知らして)ある。水も沢山(ある)。どうで(も)白米にせん事には喰べさす事ができん。こゝをよう聞き分けて、タンノウしてくれねばならん。
 3月16日(陰暦2月22日)
 午後3時、御諭し。
 さあさぁ古い道具もある、中年の道具もある。それぞれ道具の破損中や。何も案じる事は要らん。
 3月16日(陰暦2月22日)
 午後8時、刻限御話し。
 さあさぁ(世界をろくぢに踏み均らし)始め掛けた/\。(今までの)六年の間、(又)六年以前より(の)道筋(には)、どのような事もあったであろう。(これまでの道は)何で(こんな難儀が多かったの)や。天理王命の旗をあちらこちらに立て、何と変わるもの(であろう)。一人も寄せつけなんだ日もあった。又(教祖に赤衣を脱がせて)黒衣を着せた日もあった。実が誠か、誠が実か。見えねば分かるまい。そこで得心が行ったやろう。
 3月16日(陰暦2月22日)
 午後11時、刻限御話し。
  さあさぁ変わる/\。今まで弱き者が強くなる、今まで強き者が弱くなる。目に見えねば分かろうまい、離れては分かろうまい。傍にありても敵うまい。月が代わればころっと変わる。弱い者が強くなる、強い者が弱くなる。そこで分かる、という事を知らしておく。
 3月17日(陰暦2月23日)
 午後3時、刻限御話し。
 治めるで/\。いかなる事も今までや、どういう事も今までや。世界からでけて来る事なら是非はあるまい。扉を開いて出て居る。見ても聞いても案じるでない。皆な神の働きやで。
 3月17日(陰暦2月23日)
 午後4時、刻限御話し。
 さあさぁ治めにゃならん/\。何処(どこ)も彼(かしこ)も皆なすっきりと治める。どのような事も、見るも聞くも皆な治める。どのような指図聞くも、神の指図聞くと思わねばならんで。
 3月17日(陰暦2月23日)
 午後7時、刻限御話し。
 さあさぁ今までというは、仕事場は埃(ほこ)りだらけでどうもこうもならん。難しい難しい。何も分からん。何も分からんではない、分かってはある。なれども埃りだらけや。さあさぁこれからは綾錦の仕事場。錦を仕立てるで。こゝ暫くの間は、今日は食事が味がないという日もある、又進む日もある。あちらもこちらも埃りあっては錦の仕事場にならん。さあ、すっきりとしたる仕事場にするのやで。綾錦の仕事場にはならん。さあすっきりとした仕事場にするのやで。綾錦の仕事場に仕立てる。
 3月18日(陰暦2月24日)
 御話し(午前に一座のつとめを願い、つとめ済み次第)。
 さあさぁ抑えた/\。しいかり踏み止めた/\。
 3月18日(陰暦2月24日)
 夜、刻限御話し。
 さあさぁどんどんどんと車に積んで引き出すような話しやで。早いで/\。さあさぁ何事と思うやない。大きな石をどんどん引き出す。あゝ/\/\こうであったか。難しい事言い掛ける。聞いたるまで分からんで、胸にしっかりと持って居よ。聞いたるまでは刻限十分外すな。あちらより一本、こちらより一本。あちら幾本、こちらより幾本。それをちゃんと寄せて仕上げる。
 3月19日(陰暦2月25日)
 午前1時20分、刻限御話し。
 さあさぁしっかり聞かねば分からん/\。分からん事は尋ね/\。尋ねにゃ分からんで。今までの長(の)道中(に)、道の事情によりて(は)、まこと(に)難渋な事もあり、情ないと思う事もあり(た)。その中(で)内々一度二度より、ほんに面白いというような事がなかったで/\。さあさぁようよぅ/\の処(の)道なれど、どうも一つ(神の思惑通りのつとめをする事)が分からんによって、残念/\と言うて口説き詰め(て来た)。このまゝでは、悧巧な子供もあり又鈍な子供もあり、このまゝでは楽しみがない。仕事場と言うてあれども、言うて持ち込んだ。それ故に、やりたいものが沢山/\にありながら一寸かくれた。残念/\と言うのは、渡さにゃならんものが渡さなんだが残念/\。西から東へ、東から西へ、北から南へ、さあさぁ尋ねに行かねば分からん事情。これから先の道は言うまでやない。
 3月19日(陰暦2月25日)
 午前5時、刻限御話し。
 さあさぁ多く/\(通り来た道)のその中に、今の道ほど偉い道、今の道ほど堅い道はない。さあさあ今の話しは皆な今までの言い残りやで。今まではこの結構なる道を、まこと結構と思うて聞く者がない。今までというは聞いたる者もあり、その場限りの者もあり、聞かぬ者もあり、そこで日が延びたのやで。世界では、どうやろうかこうやろうか、ぶっ潰れるであろうか、いや、そうではあろまいか。これではどうもならん、あれではどうもならん。もうやめようか、もう一つ行こうか、さあどうもならん。さあどうしよう。これ皆な名々の心からやでな。
 3月19日(陰暦2月25日)
 午後12時、刻限御話し。
 さあさぁ思案/\、今一時直ぐ、早く/\。これから段々刻限話し。さあさぁもうその場踏んで、後はあちらこちら聞きに来るよう、いつまでも同じ事をする。たゞこうきという。それぞれのところより刻限、赤きは赤き、黒きは黒き者に連れられ、さあさぁ段々早や/\。たゞ仕事場、それと言うは、元々より聞き込み足らん。今に聞いてる者もある。これを聞いておけ。一度二度何にもならん。又つとめ一度二度、大抵方はよい。元の方は言うてる場何やら分からん。これまでというは、日々守りをつくというは、幾度も早く守りの指図あれども聞き遁がし。これは磨き立て、掃除を行き届き。さあさぁ何を尋ね聞いてくれ。あちら静か、何でも理に適う事なら何時にても尋ね変え、二度三度も尋ね。一言聞きて名々の事を忘れ。
 3月20日(陰暦2月26日)
 午前4時、真之亮代理、伺い。
 幾重の話し聞く。大工というて知ったは神一条、仕事場は神一条、北は鍛冶屋、南は大工で神一条。さあさぁ尋ねるところ事情知らす。又々心で知らしおく。どうでも皆なその日来るなら、働きも十貫目渡るもあり、二十貫目渡す者も皆な心次第。これ心尽せし程、目札を付けて渡す。さあさぁ付けるとも。刻限事情を知らす。大勢ではざわつく。誰が筆執れは言わん。さあさぁ一人ではよいのやで。大層せいとは言わん。神の指図言わん。
 3月20日(陰暦2月26日)
 午後1時30分、刻限御話し。
 一寸正月二十六日、これまで話してある。さあさぁ事を始め。二月二十六日というは今初めやで。多く始まり追々。さあさぁ今一時世界も分からず世界も不思議や。それぞれの道一寸つけ掛けた。
 3月20日(陰暦2月26日)
 午後4時、刻限御話し。
 さあさぁ刻限、さあさぁ騒がし。刻限一寸なりと言うておく。どうでもこんな事なら、もうちいと早く思案、四五年前に纏まりついてある。今はどうで、明日はあなた道の思案、不思議な道である。今一寸話しておく。
 3月20日(陰暦2月26日)
 午後7時、刻限御話し。
 さあさぁ/\所々国々、さあさぁ行き亙る。月々段々これまでの道。十分手広い道もそろそろ印しを打ち掛ける。さあさぁいつとは分かるまい。さあさぁ今に印し打ち掛ける。何処から何処まで危ない道、さあさぁ何処の何処までも治まる。さあさぁ一寸話しておかねばならん。いつまで諭しても聞くばかりでは忘れる。どうせこうせとは言わん。今と言うたる事は一つ心ない。用心に取り掛かり、真の夜闇がどうもならん。休んである場で取次ぐ。その心に乗りて指図する。暫くの間は、どうよこうよ、こういう事はすっきり止めおくがよい。
 3月20日(陰暦2月26日)
 午後9時、刻限御話し。
 さあさぁ道からよう聞け。要らんところへ目を付け、成る程というはそれぞれ善し。さあこうやどうや皆な神がして居るのや。願うてでけん、願わずでける。さあさぁどんな事をしても適わん。名々のために何も構わず、いずれの地面、彼処の地面構わず、誰が真の思案。
 3月20日(陰暦2月26日)
 午後10時、刻限御話し。
 それぞれ聞いて一寸問い、組替え楽し道なるや。こうなる願の道、言う事ももうとっと楽しむ内々、刻限成る成らん、道何をして居るやら、こういうような事も言い。聞き分け、よう聞き分け。刻限延ばし、さあさぁ思案。五十年目に目で見て改心。日送りして言い話しておく。さあさぁ思案。五十年目に、目で見て改心。
 3月22日(陰暦2月28日)
 2時、刻限御話し。
 さあさぁ放っておけ/\。誰彼を仇と言うのやない。大風/\、大風は何処にあるとも知れんもの。大風というものは、どのようの大きな物でも倒ける潰れる。大風やで。風は神や。風が借りもののうては、箱に物を入れて蓋を閉め切りた如く、腐ろうより仕様のないもの。風がそよそよあるので、半日や一日は送れるで。人の言う事を腹を立てる処では(ならん)、腹の立てるのは心の澄み切りたとは言わん。心澄み切りたらば、人が何事言うても腹が立たぬ。それが心の澄んだんや。今までに教えたるは腹の立たぬよう、何も心に掛けぬよう心澄み切る教えやで。今までの修理肥で作り上げた米が、百石貰ろたら、百石だけある間は喰て居らるゝ。今度ない世界を始めたる親に凭(もた)れて居れば生涯末代の授けやで。これは米に諭して一寸話しておく。
※人の言う事を腹を立てる處では、腹の立てるのは心の澄み切りたとは言わん。心澄み切りたらば、人が何事言うても腹が立たぬ。それが心の澄んだんや。今までに教えたるは腹の立たぬよう、何も心に掛けぬよう、心澄み切る教やで。今までの修理肥で作り上げた米が、百石貰ろたら、百石だけある間は喰て居らるゝ。今度ない世界を始めたる親に凭れて居れば、生涯末代のさづけやで。これは米に諭して一寸話しておく。
  3月22日(陰暦2月28日)
 夜3時、刻限御話し。
 外の事、どういう事を運び付け難ない。どうこうと思わぬ。どういう事も言うに及ばぬ。どうでもこうでも、一寸の匂い難しく言い掛ける。又それぞれの処、何と一寸摘もんた処に早く行かんで。
 3月22日(陰暦2月28日)
 夜4時頃、刻限御話し。
 何よの事も何から何の事聞き遁しする故に堪えるに堪えられん。聞き遁さず、百度二百度三百度やない。堪えるに堪えられん。名々それぞれ早く、何の願い、大抵の事はそれよりそれへ伝え。伝えるだけはせねばならん。いつまでも/\書いた如く、こういう事が聞いては伝え。出る前に伝え。
 3月23日(陰暦2月29日)
 午前7時、御諭し。
 さあさぁ待ち兼ねた/\。東京/\長崎と言うてある日が来た。理あれども一つが分からん故に、やるものもちゃんとしてありながら渡す事ができなんだ。これが残念。さあさぁ東京長崎いかなる道、名々の道通らぬよう。いずれ/\刻限を見てやるものある、渡したいものもある。なれど渡すに渡せん。今は言うだけ渡しておく。

 (教祖の御言葉にて御聞かせ、右二件は、東京上原、大阪井筒両人をめどうとしての御話しと悟ります)
 3月23日(陰暦2月29日)
 午後3時、御諭し。
 何にも外事は言うではない。どうしよう、こうしようと思えども、どうもならん。一寸匂いを掛ければ情ない事、煩い事と思う。どうも道のつけようがない。難しい。運びのつけようがない。是非ない事。
 3月24日(陰暦2月30日)
 午後10時、今日までの御話しの中に、確かなる事もあり、又案じる事もある故に、飯降伊蔵御障りの次第を先生方相談の上願い。
 身の内のところ、よう尋ねてくれた。再度尋ねてくれる処受け取りて居る。余の事は言わんで。尋ねる一条、尋ねくれるも余儀なき場や。もうこれまでや。刻限も十分経ち切り、早く/\何事も諭さにゃならん。
 3月24日(陰暦2月30日)
 山田伊八郎、身上願い(咳にて三晩咳き通すにつき伺い)。
 さあもう十分日が詰み切ってある。もうはじけんばかり。もうせえつうが来たるから、この間から角目/\の話し聞いて居る者もあり、すうきり知らん者もある。よって知らん者には聞かしてくれるよう。見れば否や、思えば否や、言えばそのまゝ見える道に成りてある。さあさぁ家内それぞれの処、さあこれはどういう事や知らん、どういう道になろう。さあいよいよ綾や錦仕事に成りてある道、さあどんと心落し付けてくれにゃならん。さあ筆先の角目/\、又これまでに聞かしてある話しの角目、よう思案してくれにゃならん。 
 3月25日(陰暦3月1日)
 刻限御話し。
 さあさぁさぁ一日身につき、三段の芽吹く治まりおく。今すっきり片づけ。すっきりもうよき。もうか知らん、どうや知らん。分からん者すうきりという事、今(の)話し筆につけおけ
 3月25日(陰暦3月1日)
 午前5時30分、刻限御話し。(飯降伊蔵が本席という立場になられる際のお指図言葉)
 さあさぁあちらこちら、摘まんだような事を聞いて居た分には分からんで。これしっかり聞き分けねば分からん。神というものは難儀さそう困らそうという神は出て居んで。今に始まった事でない。こゝまでほんに成る程と思うた日もあろうがな。それ国々から先々まで、受け取りたる処もある。それ故渡すものが渡されなんだが残念情なさ、残念の中の残念という。今に神が今に降がる、出ると言うたところが承知でけまい。紋形の分からんところから、神がこの屋敷に伏せ込んだ。さあこの元を分かれば、さあ知らそう。承知がでけば知らそう。承知がでけねばそのまゝや。さあ返答はどうじゃ。無理にどうせと言わん。
 内の者答「いかにも承知致しました」と申上ぐれば、神様より。
 さあさぁしっかりと聞き分け。今までは大工と言うて、仕事場をあちらへ持って行き、こちらへ持って行た。それではどうも仕事場だけよりでけぬ。そこで十年二十年の間に心を受け取りた。その中に長い者もあり、短い者もある。心の働きを見て、心の尽したるを受け取りてあるから、やりたいものが沢山にありながら、今までの仕事場では、渡したところが、今までの昵懇の中である故に、心安い間柄で渡したように思うであろう。この渡しものというは天の与ゑで、それに区別がある。この通りに、受け取りてあるものがある。それを渡すには、どうも今の処の仕事場と言うた事を消して、本席と定めて渡そうと思えども、このまゝでは残念/\。さあさあ本席と承知がでけたか/\さあ一体承知か。
 真之亮より、「飯降伊蔵の身上差上げ、妻子は私引受け、本席と承知」の旨申上ぐれば、引続いて。
 一寸頼みおくと言うは、席と定めたるといえども、今一時にどうせいと言うでない。三人五人十人同じ同席という。その内に、綾錦のその上へ絹を着せたようなものである。それから伝える話しもある。
 3月25日(陰暦3月1日)
 午前12時、梶本松治郎、父上障りにつき願い。
 身の内の処へ知らせ掛けたるは、年の病でこうなるか、冷え込みでこうなるか。心の立てを替えてくれるがよい。年の迫りてか、時節の迫りてか、追々どうもならん。何と結構やな、よう根気も尽してくれた。これよう楽しみ、いよいよ俺はこんな事してどうもならん、と、思うな。よう聞き分け。いついつまで結構、何と偉い人と、善い人やな、と、言われ、楽しみ。心尽すよう。ようしっかりと聞き分け。幾重の尋ねもしてくれ。
 3月25日(陰暦3月1日)
 梶本松治郎、子息国治郎身上障りにつき御願い。
 さあ治まり、芯なる聞き分け。さあさぁ一度二度順序いかなる処、順序今一時なる処、小人/\さあ一寸大層順序分からんであろ。何にも難しい/\一条も、思えば速やか理、よう思案してみよ。何処に隔てない助け一条の理、一つ危うき処何かの処、よくよく聞き分けねばならん。何かの事、一時分かる。何かの何箇年、一つ理分かる/\。成る成らんではない。よう聞き分け。一時運ぶ処一時安心治まる。治まらん順序、道暮らす聞き分け。一つ安心事情を運ぶ。
 押して、順序運びにつき願い。
 道を以て理を諭す。身の処早速速やか、一寸順序見分け聞き分け。幾重習い見にゃならん。これまで順序伝えない。段々その理、それ日々の理、一寸心得の理これまで理、縁なきところ縁なき一つ定め、一つ治め。世界のところ、理を聞き分け。何かの処借りもの自由自在、名々一つ心、順に道悟り、よう聞き分けならん。神は隔てはないで。しかと聞き分け。
 押して願い。
 さあ聞き分け。神というは隔てない。内々とも人間身の内貸しもの順序よう聞き分け。世界のところ幾何人、順序の理を見て聞き分け。鏡屋敷、鏡ならどういう事もこういう事も皆な映る。善き事悪しき事映るであろ。これは前生/\身に現われる。鏡いかなる心定め、タンノウ/\心定めるなら、やれやれ。タンノウなくては受け取るところ一つないで。
 3月27日(陰暦3月3日)
 午後4時、増野正兵衞、身の障り伺い。
 さあさぁ身の障り、さあ声出難くい。余の儀外の身の障りではなく、名々心これまで外思惑。人助ける、助けにゃ日々切のうて話しできぬ。外々まずまず委細澄み切りてある。身の一つ、席を改めたる処、これを身の処速やかなりたるなら、又大変な楽しみがあろう。一度の楽しみは末代、こうして寝やしてあるは、あちらも一寸運ぶである。纏める。あちらもこちらも、物に譬え、結構なる普請するには、あちらの物とこちらの物も寄せて、棟包みをし、それより段々作り上げねばならん。もう一日すれば、すっきり美しい掃除できる。名々の普請は、半端の名々の身の障り、一段取り集め、それぞれ楽しみ話し、一所寄せ、幾重の話し聞く。前々話し、末代一所寄せ、あちらへもこちらへも障りつく。席見てるまでやない程に。油断なきよう、すっきり十分の磨き、生涯楽しみをさす。楽しみなくばならん。一年の年限来ては、切りがなくては、切りを切ろうと、あちらも取り寄せ、こちらも取り寄せ。もう何時もう身の障り程のう。
 3月27日(陰暦3月3日)
 午後7時、上原佐助、願い。
 さあさぁ山越え、国越え、土居越えて、どんと下ろしたばかりでは、何にも分からん。ぐるり囲い、栓を締め、根を据えておかねばならん。さあこれが初めや。始め掛けたら、ドウ/\と見えるで。
 3月27日(陰暦3月3日)
 午後9時半、本席、身上御障りにつき御願い。
 さあさぁ日々迫る/\。知らさにゃ、どうもならん/\。言い掛ける事情を治めにゃならんで。さあさぁ先々の処々、まあ、よう思案して見よ/\。さあさぁ身の内にてこれ一寸障りつけてある。どうも真実なる知らせたい。どうも分からいでならん。十分迫り切る。迫り切らん事には聞きやせん。日を送りて来た。さあさぁよう聞かにゃならん。どれだけ尽す処理を運ぶ、功を積む。一時の処から一寸の処聞きやせん。見えて来たなら後で一つ/\の思案をするであろう。大きいものや、堅いもんやと。大きいもんが大きいやない、堅いものが堅いものやない。よう聞き分け。皆な一つどうもならん。何を言うやら分かろまい、理には迫ろまい、なれど日々の事情には迫るやろう。理には迫るまい。日々のところ、身上聞き分け。さあ聞き分けてしっかり事情。何をこれよう聞き分けて事情定め/\。

 段々の話し、取り替え寄り来る処に、早く話し聞かせ。今の道難しいてならん。成らん者にどうせえそうせえと言うた処が、どうもならん。これだけの人はどういう理を担ぐ。どうもならん。時節/\到来、時節あちらこちら、成る事情は言わいでも運ぶ、成らん事情は言うても運ばん。遠く事情これだけ働いてこう成らん者は、せえと言う。成らん者にせえと言うて、これができるか。世界というも教え一つの理から考えるなら、一つの理も説かるやろう。さあさぁ理を取り替え/\。取り替えねば、どんな理が出るやら知りゃせんで。元の事情こういう理である。いかなる理も尋ね/\。尋ねるならいかなる理を諭す。こりゃ大きい理や。分からんから道を失うような事ができる。今は大きい、とこぎり大きいもの、何でもない事が大きい事やで。何でもないと思うやろう。よう聞き分けてくれ。

 さあさぁ追々話しする/\。一度の話しでは取り混ぜてある。話し掛けたら、どういう事話し掛けたら、旬々の理を以て一寸長くの身の障り。どれだけ一時に諭したい、分からん事情を。そこで、じっと些か心得んという日を送って来た。今日の日から話しかけたら段々諭せにゃならん。どういう事も諭する。残念な事が何ぼ積ってあるやら知れん。いっかどあるや知れん。世界という、並大抵でない。眺めうっとしい、小さいようで大きいで。これをよう聞き分けておかねばならん。
 3月28日(陰暦3月4日)頃
 増野正兵衞、身上障りにつき伺い。
 さあさぁ身障り、段々まず一つ、いついついつまで楽という。月すがら日すがら、身のあれこれ皆んな今までというは、十のものなら八つ、僅かの違い付かん、纏める。聞いて居る者も聞かん者も、これが一つ丹精。楽しみなくばならん。これこそまず生涯、楽しみ一日、早く渡したい。まずまず一時の処席と定め、席の尋ねからしっかり堅めて、神の方には一つ思案。一つこれでタンノウ。席は今までゝ一つ違わん。さあと言う。
 3月
 梶本松治郎、父上身上の御願い。
 一つ心、我と我がでに我が身を責めるで。あちらでほゝ、こちらでおほゝと言うて居たらよい。又何でこうせにゃならん思い、心あちらでほゝ、こちらでほゝと言うて居たらよいのやで。一つの心が身につき何処も悪いのやないで。病でもない。心澄み切れば、そのまゝ何にも難しい事はない。あちらでほゝ、こちらでほゝ、と言うて居たらよいのやで。家へ帰りて、篤と言うて聞かせ。
 明治20年3月
 梶本松治郎、父上の身上願い。
 たゞ口を借り言うではないで。今の処では何処にもないで。ようこそ怪しき処で遁れ、大望の道であった。これからどんどん話し通して掛かれ。どうしよ、こうしよ、どうでも貸しもの。天然自然名々に誠さい定め、実さい定め。身の処心なくてならんなれども、名々兄弟。これはこうじゃ、神の指図、神を恨む事は少しもない。そこで難しい事は言わん、難しい事せいとは言やせんで。分からんところ分かるで、国々一人でもあったら分かるで。遠いから見てもほゞ分かる。まあその心組みで定めてくれ。又内々なるところ、親一つ何ぼでもどんと定め。道は道、違いないで。三才児、生れ三才の心に成って明日は楽しみ。一つ定め何にもない、三才児穏やかに暮らす。何よりそこで結構/\。こうして行かねばならん。まあまぁ三才児三才心に成りて、三才の心に成って何も要らん、機嫌好う遊んで結構/\。心配ないよう改め替え。
 3月
 梶本松治郎、父上の身上願い。
 さあさぁよう聞き分けねば、身の内の処、何でも彼でも、身の処何でもない。それそれ処、身障りどういう事に思う。大層天然(自然で)なる事なら、どうにも(思うことはない)。こういう事も、誠一つ積みおくなら(鮮やかと云う)。それを知らずして、こうしたら早かろか(と人間心で)、段々道を埋(うず)んで了い(分からんようになる)。風呂敷に(教祖ひながたの)理(の)五十年を(包んで)、この所(ぢば)にある。(この理が)分かるまい。皆々(この理を)それぞれに伝え(てくれ)。(神の)話し通り違わんで。話し通り(に)、世上から(見ても)実の道、誠(の道)になる。こうするは不都合なれども、名々思案して、こうせにゃならんとは言わん。名々家内、神の貸しもの、実が承知なくばならん。三十年十五年、話し通り気使いない。神の言う事目に見えん。神の言う事悪い事は言わん。名々心定まらんから分からんのや。神と言うて尋ねる。尋ねるという事は前々話してあるで。
 村田忠三郎、身上願い。
 さあさぁ一時尋ねる、心得ん理を尋ねる。どう思案もあろまい。長らえて十分の道を通り、それぞれそれから/\又々それぞれどういうものであろ思う、思われる。名々身上から一つ思われる、思う。名々心によって発散。そこで身に障る。名々定めて理を言うは、どういう事どれだけ事。名々理を定めるなら、身は直ぐに治まる。いかなる理、名々身上障る理から問うであろ。親兄弟理がある。世界一つの理を以て悪風。一名一人生涯の心よう聞き分けてくれるよう。
 3月
 一つ心、我がと我がでに我が身を責めるで。




(私論.私見)