(2月) |
明治20年2月17日(陰暦正月25日) |
夜、教祖の身上御障りにつき、いかゞと飯降伊蔵により願い。
さあさぁすっきりろくぢに踏み均らすで。さあさぁ扉を開いて/\、一列ろくぢ。さあろくぢに踏み出す。さあさぁ扉を開いて地を均らそうか、扉を閉まりて地を均らそうか/\。 |
一同より「扉を開いてろくぢに均らし下されたい」と答う。(伺いの扇この時開く。)
成る立てやい、(というのは)どういう立てやい(であろう)。(世界助けの道をつける為に)いずれ/\/\(因縁ある者の多くを皆なぢばへ)引き寄せ(る)。どういう事も引き寄せ、何でも彼でも引き寄せる中、一列に扉を開く/\/\/\。ころりと変わるで。 |
又「世界の事情運ばして貰いとう御座ります」と。
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教祖御気分宜しく、御床の上にて御髪をお上げ遊ばさる。
さあさぁいかなるも、よう聞き分けよ/\/\。さあさぁいかなるもどうも、さあ今一時、前々より毎夜/\/\伝える処、今一つのこの事情早うから、今からと言うたなあ。さあ今という処諭してある。今から今掛かるという事を、前々に諭してある処、さあ今の今、早くの処急ぐ。さあという処、応分という処あろう。待つという処あろう。さあさぁ一つの処、律が律が怖わいか、神が怖(こわ)いか律が怖いか。この先どうでもこうでも成る事なら仕方があるまい。前々より知らしてある。今という刻限、今の諭しじゃない。どういう処の道じゃな、尋ぬる道じゃない。これ一つで分かろう。 |
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2月18日(陰暦正月26日) |
早朝、26日のおつとめにつきて御願い。 |
2月18日(陰暦正月26日) |
午後、明治20年1月9日(陰暦12月16日)より教祖身上一寸御障りつき御やすみになり。同1月18日(陰暦12月25日)の夜よりお神楽づとめ並びに十二下り始まり、2月17日(陰暦正月25日)夜まで毎夜おつとめあり。 |
2月18日(陰暦正月26日)正午12時より教祖の御身上迫りしにつき、それより甘露台にてお神楽つとめ、あと十二下りの手踊りあり。この時、真之亮より、詰合いの人々へ、段々御談示の上、「おつとめの時、もし警察より如何なる干渉ありても、命捨てゝもという心の者のみおつとめせよ」と仰せあり。それより皆々心を十分定め、その用意して、おつとめに掛かりたる者は次の通り。
地方 |
泉田藤吉、平野楢蔵。 |
神楽 |
真之亮、前川菊太郎、飯降政甚、山本利三郎、高井猶吉、桝井伊三郎、辻忠作、鴻田忠三郎、上田いそ、岡田与之助(宮森与三郎)。 |
お手振り |
清水与之助、山本利三郎、高井猶吉、桝井伊三郎、辻忠作、岡田与之助。 |
鳴物 |
中山たまへ(琴)。飯降(永尾)よしゑ(三味線)、橋本清(つづみ) |
の人々なり。家事取締の任に当りたる者、梅谷四郎兵衞、増野正兵衞、梶本松治郎にて、以上総人数十九人。この日12時より支度をして午後1時よりかんろだいにてお神楽おつとめ、あとへ十二下りの手踊りが始まり、二時頃、一同本づとめを終る。おつとめの終ると共に、教祖息を遊ばされずなる。教祖の御身上冷たくなり、遂に身をおかくし遊ばさる。 |
それより内蔵の二階の中にて、飯降伊蔵により御伺いあり。
さあさぁろっくの地にする。皆々揃うたか/\。よう聞き分け。これまでに言うた事(は)、実の箱へ入れておいたが、神が扉開いて出たから、(表に現れるようになってくる)。(教祖が身を隠したのは)子供可愛い故(に)、親の命を二十五年先の命を縮めて、(世界をろくぢに踏み均しに出て)今から助けするのやで。しっかり見て居よ。今までとこれから先としっかり見て居よ。扉開いてろっくの地にしようか、扉閉めてろっくの地に(しようかと尋ねた時)、扉開いてろっくの地にしてくれ、と言うたやないか。思うようにしてやった。さあ、これまで子供にやりたいものもあった。なれども、ようやらなんだ。又々これから先段々に理が渡そう。よう聞いておけ。 |
右の御話しあり、これより御葬祭の拵えに掛かる。 |
2月19日(陰暦正月27日) |
願い。
さあさぁ/\いかなる(ことを)伺い、尋ねる処(は)、どういう事情(を尋ねようとするのか)。いかなる処にも運び(て心しているが)、今一時尋ねる処(の)、一つの話し(は)、ならん/\すうきりならん。内々これよう聞き分け(てくれ)。さあよう聞き分け/\/\/\。これこれこれ何を話しをしようにも幾重の話しする(にも)、よう聞き分けねば分かり難ない。幾重にも言葉替え(て話す)るで。
さあさぁようよぅ早く/\いかなる処も、すうきりと指図しておくで。今一時成る成らんと(いうけれども)、今一時(の)事情(をよく思案せよ)。(これからこの道は)一寸それぞれの所を変え(て)行き亙る(ようになって来る)。これまでの処は幾重の道を通りたか、通らぬか(考えてみよ)。この(神の道と世上の道の)二つの処(を)、ようよぅ(通り抜けて来たのは)いかなる(ことも)神の自由という。(将来の道を)思う処(に)それぞれの心(には)、いかなる心(も使わねばならぬから)、大変なる事であろう。(将来の道を)思えども一つの処(のぢばは)、先々の処(では)、どういう事に(なると)も思う(か)。これ一つの処(のぢばの理を治めてくれ)。
先々(の道は)一つ通り難くい。先々の道(には)、これまで思わぬ(事が起こるかも知れぬ)。(しかし)一つの処(の)ぢばの道はこれまで(も神の思惑通り)今まで(も通り来た)。世界(へ)の道(をつける上に)も、この(神の思惑の助け一条の道を)運ぶぢば(の理を)聞いてやれ。(今までの教祖の道すがらを)聞いて(思えば)、多くの中に、大きな大変な事であった。(しかし)何でも一時早くに(その理を明らかにすれば)応法(の理)に勝り逆らう。さあさぁ所々さあ所々という。(しっかり心を治めてくれ) |
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2月23日(陰暦2月1日) |
御葬祭。その時斎主は守屋秀雄なり。副祭主は笠松古輝なり。祭官は三輪の大神教会の教職及び天理教会の教導職。参拝人は万以上。墓地は勾田村頭光寺にて、会葬者は墓地まで続きたり。謚は守屋秀雄と談合の上、「真道弥広言知女命」と申上ぐ。教祖御年90才なり。 |
2月24日(陰暦2月2日) |
午後7時、御諭し。
さあさぁ(親の真実の思いが皆に)分からん/\何にも分からん。(何故に)百十五才(の定命を)、九十才(に縮めたか)、これも分からん。二十五年不足(というのは)、どう(いうこと)であろう。これも分からん。どうしても、こうしても、すうきり分からん。故に二十五年を縮め(て)、助けを急ぎ、扉を開いて世界をろくぢに踏み均らしに出た(のである)。神でのうてこの自由自在は出けようまい。止めるに止められまい。神は一寸も違うた事は言わん。よう聞き分けてくれ。これから先というは、何を聞いても、どのよの事を見ても、皆な楽しみばかり。楽しみや。よう聞き分け。追々刻限話しをする。 |
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2月25日(陰暦2月3日) |
午後7時、御諭し。
第一をびや助け、さあ三日目三粒を三つ、三三九つを百層倍。これを甘露う台へ供え、本づとめをして、元のぢばなる事を伝え、をびや許しを出す。 |
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