「金剛山の麓(ふもと)に穴虫(あなむし)という所あり。ここの信者に徳蔵といえる人ありて、信心怠(しんじん おこた)りなかりしが、あるとき河内国(かわちのくに)の人、九名ばかり相謀(あいはか)りて、徳蔵の持山(もちやま)に入りて木を盗み、見つけられければ、大いに謝し(深く謝罪し)、金をもって穏やかに事を済ましてくれよ、と頼みける。しかるに(ところが)徳蔵氏は、村人のすすめにまかせ、神様の教えの理をよそにして遂に訴訟を起こし、九人とも九十日の懲役に処分せられけり。 後、徳蔵氏の父、発狂せしかば、徳蔵大いに憂(うれ)い(大変心配し)て、教祖様(おやさま)に伺い奉(たてまつ)りしに、 『たすかる者を救けずに、苦しましたる理である』 、と仰せられ給いぬ。‘’一れつきょうだい‘’という理、また‘’互い立て合い助けあい‘’という御話を聞きながら、間違いしたるぞ哀(あわ)れなる(心得違いをされた事が気の毒でならない)。人の罪をば、このむべからざる事になん(人の罪を責め立てたり咎(とが)めたりして更に苦しめてはならないという事である)。徳蔵氏も大いに恐れ入りて、誠もって懺悔(さんげ)をなし、やがて父の病も治まりしと」。
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