いんねん論、どこが違うか因縁論その1

 更新日/2021(平成31.5.1栄和改元/栄和3)年.4.11日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、お道教理の「いんねん論、どこが違うか因縁論その1」教理を確認しておく。

 2003.7.23日 れんだいこ拝


【天理教の因縁論、どこが違うか】 
 「いんねん」  (以下、「因縁」と記す) の字義的理解は、ある事物や存在や現象の基本的直接的原因を「因」、ある事物や存在や現象たらしめる補助的間接的原因を「縁」として、その組み合わせによって様々な結果(「果」)を生起させるとしている。「因」と「縁」が組み合わさったものが「因縁」となり、ある事物や存在や現象の原因となる水面下の要因と云う意味で使われている。因縁は「物事の結果には原因がある」という法則を説明する概念として通用している。

 元来は仏教用語である。紀元前6世紀ごろ、古代インドの原始仏教(primitive Buddhism)が立教された。この原始仏教で「縁起」という教えを説いた。「縁起」とは、すべての物事はって起こる、つまり全ての現象は原因や条件が相互に関係しあって成立している、という教えである。この教えは、人生の悩みや苦しみから人々を救うため、「苦の原因」にピントを合わせる思想として説かれた。苦悩の根源を12種類に分析して系列化した「十二支縁起(十二因縁)」という教えが説かれるようになった。この教えにヒンズ-教的「輪廻転生」(生まれ変わり)の思想が結びつき、因果応報的教えとなった。それが次第に、苦しい人生の原因は前世の自分の悪行に縁るものだと説く「因縁」の思想へと変わっていった。日本でも、ご先祖信仰と結びついて、この傾向がさらに強くなり宿命論的「因縁」の教えが説かれるようになった。
 お道教理の「いんねん」は上述の仏教的因縁とは少しく違う。似ているところもあるが、違いを知って説かないと仏教的因縁論と混淆してしまう。違いを分別すると、お道教理の「いんねん」は次のところがユニ-クである。即ち、お道教理では、この世の元はじめの神様の世界創造物語に関わる「元のいんねん」が根本になる。これに、人が日々積んでいく心づかいと行いに関わる「心使いいんねん」が加わり、二種に使い分けている。前者に「甘露臺の理教理」、後者に「八つの埃り教理」が加わり四階建て構造になっている。これを確認しておく。

 前者は「元のいんねん」とも呼ばれる。即ち、天理教には最重要教典として「元はじまりの話」があり、それによると、世界は元々なにもない泥海のような状態で、月様(くにとこたちのみこと)と日様(をもたりのみこと)の二柱がいるばかりだった。これを味気ないと思った月日両様が或る時、「一つ人というものをつくり、その人々が心自由に互いに助け合いお役立ちの精神で生きることで、人々が陽気に暮らす様を見て共に楽しみたい」と思召されて、談じ合いされながら人間と世界を創造した。
月日にわ 人間始め かけたのわ 
陽気遊山が 見たいゆへから
十四25

 その道中は並大抵の苦労ではなかった。「元はじまりの話」にはその一部始終の経緯が記されている。そのようにして創造された人であり世界であるから、「元のいんねん」には子を思う親心があふれている。

 かくて、月日両神は月日親神ともなり、世界創造以来、一刻も休むことなく人間と世界をご守護くださっている。意識しなくても心臓が動いてくれる、呼吸できる、胃腸が働いてくれる、これらは全て神様のご守護に因っている。これにより「神因縁」とする受け取りようもある。この教理は天理教独特のものであり「白いんねん」とも云われている。「黒いんねん」に絡む「八ツの埃り」を積まず、「心の道」が人間宇宙創造の親神の御心に叶うだけ御守護を受けて善果を現象しその徳を受け現わす「いんねん」である。「元のいんねん」を知れば知るほど、月日親神の深い愛情に気づくことになり、「元のいんねん」に相応しい生き方、親神の思いに応える生き方を目指すべく鼓舞され勇気凛々になる。これが「元のいんねん教理」である。

 天理教の聖典「おふでさき」は次のように記している。
よろつよの 世界一列 見晴らせど
胸のハかりた ものハないから
一1
そのはづや 説いて聞かした 事ハない
何も知らんが 無理でないそや
一2
このたびハ 神が表い あらハれて
何か委細を 説いて聞かする
一3
このところ やまとのしバの 神がたと
ゆうていれども 元ハ知ろまい
一4
この元を 詳しく聞いた 事ならバ
いかなものでも 皆な恋しなる
一5
聞きたくバ 訪ね来るなら 云うて聞かそ
よろづ委細の 元のいんねん
一6
神が出て 何か委細を 説くならバ
世界一列 心勇むる )
一7
一列に 早く助けを 急ぐから
世界の心 勇めかゝりて
一8
今までも 心学古記(言い伝え) あるけれど
元を知りたる ものハないぞや
三69

 教祖神言に、「甘露臺と云う理、何と思うて居るか。その明かりで照ってある。この世へ出た人間というは、何程の理というや分らせんで、これをよくつたえてやってくれ。この理おさまれば何よの事も皆な分る」と仰せ下されている。元々紋型のなき時、人間を作る為に八方八柱の神を集めて身の内に仕込み下され、創めて人間と現わしてこの世に体を産み出し御現わしなされた理が甘露臺と云う理に示されている。故に甘露臺は人間一名一人にあるこの身体の構造が甘露臺の理となっている。甘露臺と云うは人間と云う理であり、人体組み立てと云う理である。 神言に「この道はどう云う事に思うかな、甘露臺一條の事。この臺をどう云う事に思うている。これは日本の一の宝や」とある通りである。

 後者は「心使いいんねん」とも呼ばれる。天理教では「身は借りもので心一つが我がの理」と教えられる。身上は神の借り物であり、人間の我が物ではなく神の物である。心一つがその人の物であり、その心の働かせ方次第で埃りを生じさせ積むことになる。人は、この「我がの理」である心一つで、いろいろな心を遣って歩む。これを「心の道」と云い、心の遣い方を「心の自由(じゅうよう)」と云う。


 「心の自由(じゅうよう)」により「き事をすれば善き理が添うて現れ、しき事をすれば悪しき理が添うて現れる」。そういう因果律が支配している。過去に蒔いた種は善きにつけ悪しきにつけ皆な生えてまいる。悪しき種を「埃り」と云う。その「埃り」が積み重なったものが「いんねん」となる。この「いんねん」は一代のものとは限らない。代々の積み重ねによる家系的なものもある。これを仮に「前生の因縁」と云う。仏教と同じく、前世の因縁論や因果応報論を説いている。

 人は、その「いんねん」によって、それ相応に現在の生活が貸し与えられている。人は、「成ってくる理」の中に忍び寄っている「我が身の因縁」を自覚し、前生からどんな心遣いをして通って来たかをさんげ(懺悔)し、その「いんねん」を納消(なっしょう)する道に進まなければならない。「因縁なら通らにゃならん、通さにゃならん、通って果たさにゃならん」、「見るも因縁、聞くも因縁、世話取りするは尚のこと」と諭されている。お道教理の因縁論は埃り論に重なる。この教理も天理教独特のものであり「黒いんねん」とも云われている。
このよふハ 悪事混じりで あるからに
いんねんつける 事ハいかんで
一62
前生の いんねん寄せて 守護ふする
これハ末代 しかと治まる
一74
これからハ 良き事しても 悪しきでも
そのまゝすぐに かやしするなり
六100

(私論.私見)
 留意すべきは、あくまでも祓い清め給えのいわば“軽い”「埃り」を基本にしていることである。即ち日本の古神道的な捉え方をしている。即ちヒンズー仏教式「縁起論、業論」、ユダヤキリスト教式「罪論、罰論」はいずれも“重い、脅される、拭い難い”ものであるが、それに比べて天理教因縁論は埃り論に重なっているからして深刻なものではない。対比的に云えば明るいものである。人は、「元の因縁」に立ち帰り、歩み直しすることにより因縁が拭(ぬぐ)われると諭されている。であるならば、お道の因縁論は明るく受け取るのが本来の理解の仕方であろう。

 しかるに、現下教団内で説かれている因縁論は、この識別をせぬままヒンズー仏教式、ユダヤキリスト教式業罰因縁論を説いているやに見受けられる。「前世因縁論」を過度に説き始めたら、お道の話しと云うより仏教式坊主説教に近い。それは本来の説き分けとは違う。この観点が欲しい。


 
そこで、お道教理の因縁論の原点を確認しておく。元々は「元の理」話しで説かれている、「陽気暮らしする人間の様を見て共に楽しみたい」と云う親神の思いに発し、道具衆が相和して互い立て合いお働き下されたことにより人間及び天地世界が創造された故に、人はこの親神の思いに適う生き方をするのが望まれており自然であり本能であると教える。但し、そのように創造された人間及び天地世界のその後は、「心一つが我がの理」としてある人間の心遣いによって様々な「黒いんねん」を積み重ねることにより病気になり悩みを生む。「八ツの埃り」を積むことにより悪果を現象するので「埃り因縁」とも云う。

 お道教義の因縁論は、「元の因縁」と「白因縁黒因縁」、「埃り因縁」の三重構造で説かれている。従って、お道教義の「因縁論」は、三重構造因縁論を解き分け、説き分け、諭す「因縁話し」となるべきである。 こういう“明るい”因縁論は珍しい。

 結論から言えば、お道教理で因縁論を説く場合、業とか罪、罰としてこれを捉えるのではなく、人々の心を入れ替えさせ、あるいは勇ませて、陽気ぐらしをさせたいとの親心を知らせる理説きでなければならない。付言すれば、イエス教義の「悔い改めよ」も本来はお道教義的な「埃り因縁」的に諭されているのではなかろうか。現下のイエス教義も又どこかで変質させられているやに見受けられる。

【天理教の因縁論お諭し】
 御神楽歌では次のように諭されている。
 お筆先では次のように諭されている。
 聞きたくば 訪ね来るなら 云うて聞かそ
 よろづ委細の 元の因縁 
一号6
 この世は 悪事混じりで あるからに
 因縁つける 事はいかんで
一号62
 前生(ぜんしょ)の 因縁寄せて 守護ぅする
 これは末代 しかと治まる
一号74
 二二の 二の五つに 話しかけ
 よろづ因縁 皆な説き聞かす
三号147
 どのような ところの人が 出てきても
 皆な因縁の 者であるから
四号54
 人間を 始め出したる 屋敷なり
 その因縁で 天下りたで
四号55
 今日の日は 何か珍し 始め出し
 よろづ因縁 皆なついてくる
四号60
 因縁も 多くの人で あるからに
 どこに隔ては あると思うな
四号61
 月日より 三十八年 以前にて
 天下りたる 元の因縁
七号1
 教祖は次のようにお諭しなされている。
 逸話篇11「神が引き寄せた」。
 それは、文久4年正月なかば頃、山中忠七38才の時であった。忠七の妻そのは、2年越しの痔の病が悪化して危篤の状態となり、既に数日間、流動物さえ喉を通らず、医者が二人まで、「見込みなし」と、匙を投げてしまった。この時、芝村の清兵衞からにをいがかかった。そこで、忠七は、早速お屋敷へ帰らせて頂いて、教祖にお目通りさせて頂いたところ、お言葉があった。「おまえは、神に深きいんねんあるを以て、神が引き寄せたのである程に。病気は案じる事は要らん。直ぐ救けてやる程に。その代わり、おまえは、神の御用を聞かんならんで」と。
  逸話篇36「定めた心」。
 明治7年12月4日(陰暦10月26日)朝、増井りんは、起き上がろうとすると、不思議や両眼が腫れ上がって、非常な痛みを感じた。日に日に悪化し、医者に診てもらうと、ソコヒとのことである。そこで、驚いて、医薬の手を尽したが、とうとう失明してしまった。夫になくなられてから2年後のことである。こうして、一家の者が非歎の涙にくれている時、年末年始の頃、(陰暦11月下旬)当時12才の長男幾太郎が、竜田へ行って、道連れになった人から、「大和庄屋敷の天竜さんは、何んでもよく救けて下さる。三日三夜の祈祷で救かる」という話を聞いてもどった。それで早速、親子が、大和の方を向いて、三日三夜お願いしたが、一向に効能はあらわれない。そこで、男衆の為八を庄屋敷へ代参させることになった。朝暗いうちに大県を出発して、昼前にお屋敷へ着いた為八は、赤衣を召された教祖を拝み、取次の方々から教の理を承り、その上、角目角目を書いてもらって、もどって来た。これを幾太郎が読み、りんが聞き、「こうして、教の理を聞かせて頂いた上からは、自分の身上はどうなっても結構でございます。我が家のいんねん果たしのためには、暑さ寒さをいとわず、二本の杖にすがってでも、たすけ一条のため通らせて頂きます。今後、親子三人は、たとい火の中水の中でも、道ならば喜んで通らせて頂きます」と、家族一同、堅い心定めをした。りんは言うに及ばず、幾太郎と8才のとみゑも水行して、一家揃うて三日三夜のお願いに取りかかった。おぢばの方を向いて、なむてんりわうのみことと、繰り返し繰り返して、お願いしたのである。やがて、まる三日目の夜明けが来た。火鉢の前で、お願い中端座しつづけていたりんの横にいたとみゑが、戸の隙間から差して来る光を見て、思わず、「あ、お母さん、夜が明けました」と、言った。その声に、りんが、表玄関の方を見ると、戸の隙間から、一条の光がもれている。夢かと思いながら、つと立って玄関まで走り、雨戸をくると、外は、昔と変わらぬ朝の光を受けて輝いていた。不思議な全快の御守護を頂いたのである。りんは、早速、おぢばへお礼詣りをした。取次の仲田儀三郎を通してお礼を申し上げると、お言葉があった。「さあ/\一夜の間に目が潰れたのやな。さあ/\いんねん、いんねん。神が引き寄せたのやで。よう来た、よう来た。佐右衞門さん、よくよく聞かしてやってくれまするよう、聞かしてやってくれまするよう」と、仰せ下された。その晩は泊めて頂いて、翌日は、仲田から教の理を聞かせてもらい、朝夕のお勤めの手振りを習いなどしていると、又、教祖からお言葉があった。「さあ/\いんねんの魂、神が用に使おうと思召す者は、どうしてなりと引き寄せるから、結構と思うて、これからどんな道もあるから、楽しんで通るよう。用に使わねばならんという道具は、痛めてでも引き寄せる。悩めてでも引き寄せねばならんのであるから、する事なす事違う。違うはずや。あったから、どうしてもようならん。ようならんはずや。違う事しているもの。ようならなかったなあ。さあ/\いんねん、いんねん。佐右衞門さん、よくよく聞かしてやってくれまするよう。目の見えんのは、神様が目の向こうへ手を出してござるようなものにて、さあ、向こうは見えんと言うている。さあ、手をのけたら、直ぐ見える。見えるであろう。さあ/\勇め、勇め。難儀しようと言うても、難儀するのやない程に。めんめんの心次第やで」と、仰せ下された。その日もまた泊めて頂き、その翌朝、河内へもどらせて頂こうと、仲田を通して申し上げてもらうと、教祖は、「遠い所から、ほのか理を聞いて、山坂越えて谷越えて来たのやなあ。さあ/\その定めた心を受け取るで。楽しめ、楽しめ。さあ/\着物、食い物、小遣い与えてやるのやで。長あいこと勤めるのやで。さあ/\楽しめ、楽しめ、楽しめ」と、お言葉を下された。りんは、ものも言えず、ただ感激の涙にくれた。時に、増井りん、三十二才であった。
 註 仲田儀三郎、前名は佐右衞門。明治6年頃、亮・助・衞門廃止の時に、儀三郎と改名した。
  逸話篇90「一代より二代」。
 明治十四年頃、山沢為造が、教祖のお側へ寄せて頂いた時のお話に、「神様はなあ、『親にいんねんつけて、子の出て来るのを、神が待ち受けている』 と、仰っしゃりますねで。それで、一代より二代、二代より三代と理が深くなるねで。理が深くなって、末代の理になるのやで。人々の心の理によって、一代の者もあれば、二代三代の者もある。又、末代の者もある。理が続いて、悪いんねんの者でも白いんねんになるねで」と、かようなお言葉ぶりで、お聞かせ下さいました。
  逸話篇96「心の合うた者」。
 明治十四、五年頃、教祖が、山沢為造にお聞かせ下されたお言葉に、「神様は、いんねんの者寄せて守護して下さるねで。『寄り合うている者の、心の合うた者同志一しょになって、この屋敷で暮らすねで。』と、仰っしゃりますねで」と。
 147「本当のたすかり」。
 大和国倉橋村の山本与平妻いさ(当時40才)は、明治15年、不思議な助けを頂いて、足腰がブキブキと音を立てて立ち上がり、年来の足の悩みをすっきり御守護頂いた。が、そのあと手が少しふるえて、なかなかよくならない。少しのことではあったが、当人はこれを苦にしていた。それで、明治17年夏、おぢばへ帰り、教祖にお目にかかって、そのふるえる手を出して、お息をかけて頂きとうございます、と願った。すると、教祖は、『息をかけるは、いと易い事やが、あんたは、足を救けて頂いたのやから、手の少しふるえるぐらいは、何も差し支えはしない。すっきり救けてもらうよりは、少しぐらい残っている方が、前生のいんねんもよく悟れるし、いつまでも忘れなくて、それが本当のたすかりやで。人、皆な、すっきり救かる事ばかり願うが、真実救かる理が大事やで。息をかける代わりに、この本を貸してやろ。これを写してもろて、たえず読むのやで』、とお諭し下されて、お筆先十七号全冊をお貸し下された。この時以来、手のふるえは、一寸も苦にならないようになった。そして生家の父に写してもらったおふでさきを、生涯、いつも読ませて頂いていた。そして、誰を見ても、熱心ににをいをかけさせて頂き、89才まで長生きさせて頂いた。
  逸話篇172「前生のさんげ」。
 堺に昆布屋の娘があった。手癖が悪いので、親が願い出て、教祖に伺ったところ、「それは前生のいんねんや。この子がするのやない。親が前生にして置いたのや」と、仰せられた。それで、親が、心からさんげしたところ、鮮やかな御守護を頂いた、という。
  逸話篇199「一つやで」。
 兵神真明講周旋方の本田せいは、明治十五年、二度目のおぢば帰りをした。その時、持病の脹満で、又、お腹が大きくなりかけていた。それをごらんになった教祖は、「おせいさん、おせいさん、あんた、そのお腹かかえているのは、辛かろうな。けど、この世のほこりやないで。前々生から負うてるで。神様が、きっと救けて下さるで。心変えなさんなや。なんでもと思うて、この紐放しなさんなや。あんた、前々生のことは、何んにも知らんのやから、ゆるして下さいとお願いして、神様にお礼申していたらよいのやで」と、お言葉を下された。それから、せいは、三代積み重ねたほこりを思うと、一日としてジッとしていられなかった。そのお腹をかかえて、毎日おたすけに廻わった。せいは、どんな寒中でも、水行をしてからおたすけにやらせて頂いた。だんだん人が集まるようになると、神酒徳利に水を入れて、神前に供え、これによって又、ふしぎなたすけを続々とお見せ頂いた。こうして、数年間、熱心におたすけに東奔西走していたが、明治十九年秋、四十九才の時、又々脹満が悪化して、一命も危ないという容態になって来た。そして、苦しいので、「起こせ」とか、「寝させ」とか言いつづけた。それで、その頃の講元、端田久吉が、おぢばへ帰り、仲田儀三郎の取次ぎで、教祖に、お目にかかり、事の由を申し上げると、教祖は、「寝させ起こせは、聞き違いやで。講社から起こせ、ということやで。死ぬのやない。早よう去んで、しっかりとおつとめしなされ」と、仰せ下された。そこで、端田等は急いで神戸へもどり、夜昼六座、三日三夜のお願い勤めをした。が、三日目が来ても、効しは見えない。そこで、更に、三日三夜のお願い勤めをしたが、ますます悪くなり、六日目からは、歯を食いしばってしまって、二十八日間死人同様寝通してしまった。その間毎日、お神水を頂かせ、金米糖の御供三粒を、行平で炊いて、竹の管で日に三度ずつ頂かせていた。

 医者に頼んでも、「今度は死ぬ」と言って、診に来てもくれない。然るに、その二十八日間、毎日々々、小便が出て出て仕方がない。日に二十数度も出た。こうして、二十八日目の朝、妹の灘谷すゑが、着物を着替えさせようとすると、あの大きかった太鼓腹が、すっかり引っ込んでいた。余りの事に、すゑは、「エッ」と、驚きの声をあげた。その声で、せいは初めて目を開いて、あたりを見廻わした。そこで、すゑが、「おばん聞こえるか」と言うと、せいは、「勿体ない、勿体ない」と、初めてものを言った。その日、お粥の薄いのを炊いて食べさせると、二口食べて、「ああ、おいしいよ。勿体ないよ。」と言い、次で、梅干で二杯食べ、次にはトロロも食べて、日一日と力づいて来た。が、赤ん坊と同じで、すっかり出流れで、物忘れして仕方がない。そこで、約一ヵ月後、周旋方の片岡吉五郎が、代参でおぢばへ帰って、教祖に、このことを申し上げると、教祖は、「無理ない、無理ない。一つやで。これが、生きて出直しやで。未だ年は若い。一つやで。何も分からん。二つ三つにならな、ほんまの事分からんで」と、仰せ下された。せいは、すっかり何も彼も忘れて、着物を縫うたら寸法が違う、三味線も弾けん、という程であったが、二年、三年と経つうちに、だんだんものが分かり出し、四年目ぐらいから、元通りにして頂いた。こうして、四十九才から七十九才まで三十年間、第二の人生をお与え頂き、なお一段と、たすけ一条に丹精させて頂いたのである。

 註 夜昼六座とは、坐り勤めとてをどり前半・後半の一座を、夜三度昼三度繰り返して勤めるのである。これを三日三夜というと、このお願い勤めに出させて頂く者は、三昼夜ほとんど不眠不休であった。
 天理教教典71頁は次のように記している。
 「親神が、種々(いろ/\)と因縁を見せられるのは、それによって人々の心を入れ替えさせ、或いは勇ませて、陽気ぐらしをさせたい、との篤い親心からであつて、好ましからぬ因縁を見せられる場合でさえ、決して、苦しめよう困らせようとの思召からではない。いかなる中も、善きに導かれる親心にもたれ、心を治めて通るならば、すべては、陽気ぐらしの元の因縁に復元されて、限りない親神の恵は身に遍く、心は益々明るく勇んで来る」。

 諸井政一集後篇、御講話傍聴録一より。
 「因縁の持ち越し。因縁という、持ち越すところの理。一日結構に暮らしても、晩方になりて、きょうだい(兄弟姉妹)や夫婦で罪作る(口論、喧嘩ほか)という事がある。したならば明日の朝、互いに心持ちが悪くて、ものも言わんという事になる。中には一日も二日も、ものを言わん。顔を見ても睨(にら)み合いで通る事もある。この理はどこから出たか。何がさせているかと言えば、みな我が心がしているのや。心の理が残りてあるからの事や。人の一生終わりて、生まれ変わる場合にも、前生の理を持ち越すというは、この道理であるで。ゆえに、この世の事は、この世で果たすよう。残す理は善き理を残していくよう」。
 諸井政一著『正文遺韻』。
 「いんねんというは、前生ばかり、いんねんというやない。悪しきばかりが、いんねんやない。この世でも十五歳よりこのかた、してきたことは、善きも、悪しきも、皆いんねんとなる。また、前生善きことしてあれば、いんねんとなりて、この世で現れるか、次の世で現れるか、必ず、現れんということはない。悪しきことも、その通りなれども、善きいんねんは、皆一れつ喜ぶことゆえ、すぐと現し、すぐと返してくださる。されど、悪しきいんねんは、できるだけ延ばしているという。それ、世界中は皆、神の子どもゆえ、人間の、我が子思うも同じこと。皆可愛いばかりで隔てなきゆえに、悪しきことしても、またそのうちに善きことをして、前の悪しき理を埋めるかしらんと、可愛さに、悪の報いは、だん/\延びる」。
 政文遺韻抄221頁。
 「15才より今までしてきたことは、良き事も悪しき事も皆な因縁となって今生か来生で必ず現れる。良き因縁は、皆が喜ぶことであるのですぐと現し、すぐと返してくださるが、悪しき因縁は、できるだけ先のばしにしてくださるというように聞かせていただきます」。

 梅谷四郎兵衛「静かなる炎の人」21pより。
 「勝つも負けるも因縁通り。親の仇(かたき)を捜(さが)すには、それどこまでも、日本国々の草の根を分けてまで訪ねるであろう。また、よう/\(漸々) に巡り会いても、勝つこともあれば、かえって返り討ちに遭うこともあり。因縁を切るも、この道理なり」。

 教祖より聞きし話44-46頁、高井猶吉「同じいんねん」。
 「教祖は、『ほこり(埃) と、ほこりと寄る。そして互いに果てる(死ぬこと)』と仰る。 私(高井猶吉)は、これを聞かしてもろうてゾーッとした。これくらい“深刻”な、また“厳粛”なことはないと思う。なぜなら日々は、お互いにどんな日もある。互いに“腹立てたり、立てさしたり”、“恨んだり、恨まれたり”、口へはそれとは出さないにしても心で濁っていると言おうか、世間ではよくある事である。『人に腹立てさすのもほこりや。立てるのもほこりや。それが、互いに果てる』と仰るのである。 というのは神様は、『ほこり(埃)な者と、善人とは、決して寄せん。悪因縁と善因縁と寄せたら、善に対して親(親神)は、すまぬ(申し訳ない)』、と仰る。心を治めた者から“たんのう(足納)”して、側なる者の“心を澄ます”ことが一番肝要である」。
 教祖より聞きし話54-57頁、高井猶吉「しるしないところへ しるし付けん」。
 「教祖は、 『見るも因縁。聞くも因縁』、と仰った。『因縁のない事は現れない。前生々々なり、あるいは、十五歳からこちらへ付けてきた埃(ほこり/悪因縁)は、必ず旬が来れば現れてくる。これはどうしても避(よ)ける事できん。避ける事ができれば〈悪〉因縁やない』 、と仰る。出てくれば、否応(いやおう)なしである。

  物の道理を言えば、前生(ぜんしょう)で人百人苦しめたとすれば、今生(こんせい)ではその報(むく)いで、百人分苦しまねばならん。前生で人十人倒したとすれば、今生で十人分倒れる。家内中くるくる廻っても倒れる。どうでもこうでも避ける事できん。そこで因縁を自覚した者は、百人苦しめたとすれば、早く百人分を喜ばさねばならん。十人倒したとすれば、早く十人分を起こさねば〈悪〉因縁は切れん。これは道理(理屈)である。この〈悪〉因縁を果たす道が、世界(お道以外)では分かりにくいのである。もちろん世界でも色々な事をして、この罪を滅ぼそうと苦心をする人もある。今日は親の命日であるから善行をする。今日は子供の誕生日やから人を喜ばす。あるいは何、あるいは何とよくやっている。しかしこれは、単に習慣でやる人が多い。真の因縁の自覚からやっているのではなかろうと思う。その証拠には、せっかく善い事をしながら、すぐ後から、これに倍するような埃(ほこり)をよく積む。
それでは何にもならん。

   この道を聞き分けたら、そんな事はない。ことに神様は、『大難は小難、小難は無難にしてやるのやで。知らずにした事やから無理はない。心改めて通るなら親(親神)が手伝う。百人苦しめてある人でも、十人か二十人喜ばしたら、あとは神が救ける。十人倒した者でも、二、三人を起こしたら、のこり七、八人までは、親(親神)が救けるで』、と仰っている。そうした温かい親心から、大難は小難として現れてくるのやから、日々は如何(いか)なる事が現れても、大きく現れてくるところも、誰にでも、いつでも小さく出してもらっているのである。で、決して埃(ほこり)を付けてはならん。喜んで日々は通らせてもらわねばならん。神様は、人を救けたいとの御心でいっぱいであるから、何もない事を、その人に現されるはずはない。『しるし(印)ないところへ、しるし(印)付けん』、と仰る。そういう上から思案して、『日々は、見るも聞くも、すべて因縁果たし。そこをたんのう(足納)して通らせてもらうのや』、『いや、ありがたい。これでこそ早くに因縁果たしさせてもらえるのや、と喜んで通らせてもらわねばならん。この自覚が大切である』」。

 お指図には次のような御言葉がある。
 「同じ借りもの、前々生まれ更わり、身に錆びる。又生まれ更わり、同じ心通り身に現れて、見分け聞き分け」(明治20.12.9日、補遺)。
 「これ程聞いて居る、尽くして居る、運んで居る中に、一つ身に不足なるというは、よく思案よ。今一時になるやない。因縁前生、………」(明治20年、補遺)。
 「因縁と言うて分かるまい。皆なこれ世界は鏡、皆な人間生れ更わり、出更わりしても、心通り皆な身に映してあるから、よく聞き分け」(明治21.2.15日)。
 「見るもいんねん、聞くもいんねん、添うもいんねん。皆これ世界の鏡」(明治21.2.15日)。
 「たった一つの心より、どんな理も日々出る」(明治22.2.14日)。
 「命でも危うき処(ところ)でも心という。これだけの事が分からねば〈、〉どうもならん」(明治23年6.20日午後4時)。
 「いんねん(因縁)というは、切るにも切れん、離そうにも離されん、どうむ(どうも)ならんなと言う。身上障りには心を洗い替えて、思うようにいかんが因縁。因縁の理を分かり兼ねるから、因縁と云う」(明治23.6.27日)。
 「何ぼ近くやと云うても、足場がなくば道は通ることはできん。因縁と云う事情と云う、どうなりこうなりこれまで皆んな固まったもの」(明治23.6.30日)。
 「思うようになるも因縁ならんも因縁みんな因縁。しらず/\越せばどんな因縁もってでるやらわからん。どねしてもならんが因縁。金銭力でいけば、世上にひとつの理もあろうまい、金銭力でいかんが因縁という」(明治23.8.15日)。
 「互い/\理を以て寄せてある。‥互い/\いんねん理寄せてある」(明治23年8.24日)。
 「思うように成るもいんねん成らんもいんねん。みんな段々いんねん知らず知らず越せば、どんないんねん持って出るやら分からん。どねしても成らんがいんねん。金銀力でいけば、世上に一つの理もあるまい。金銀力でいかんがいんねんという」(明治23.8.26日)。
 「因縁の理いと言うて分かろまい。分からんからたんのう一つの理が第一。世上の理をみてたんのうと心定めるなら、前生一つのさんげとなる」(補、明治23.9.23日)。
 「親は助けんやならんと思うに、ならんというは因縁、前生の理である」(明治23.11.10日、補遺)。
 「蒔いたる種は一度は皆な生えるものである。前生因縁、この理を聞き分けにゃならん」(明治23年、補遺)。
 「さあさぁ尋ねる事情/\、尋ねる事情はどういう事でなるのであろう。どれだけ話し聞かそ。理を分かりて後一つの心聞き分け。内々事情、親々一ついかなる理、一つには道を伝え道を運び、事情因縁の理が分からん。因縁も遁れるも因縁、遁れんも因縁。遁れるや一つ因縁の事情話しすれど、因縁というは成らんは因縁という。その事情を聞き分けたなら、又一つ因縁の事情を諭すれど、面々の事情分からん、分かる事情がある。さあさぁどれだけどうと思うても、思う通りに成らんが事情という。因縁の事情分からねば因縁の事情寄せる。前生の因縁ならと言うて捨てる事情ある。聞くも見るも因縁の事情がある。又候の因縁がある。これより諭すれど面々因縁が分からん。これだけ運ぶ。これだけ尽す中に、因縁遁れそうなものや。速やか言えばどうであろう。尋ねば尋ねる事情聞き分けにゃならん。日々不足事情持たず、十分という心定めてみよ。第一はこんな事では世上に済まん、神の道にも済まん。因縁の事情分からんにゃ、繰り返やさにゃならん。因縁というはどういうものであろう。成らん事情治まらんにゃならん。よう聞き取って、日々に勿体ないという理を持たす神の事情十分の理を運んで居る。家業という事情定めて楽しみ一つの事情、何かの事情定めてくれるよう」(明治23.12.18日)。
 「一つには切るに切られん残念の中、残念/\/\の理があった。残念の理ほど怖いものはないで。残念の理、一代でいかにゃ二代、二代でいかにゃ三代、切るに切られん因縁付けてある。これは退くに退かれん理によって。なれど神に切る神はない。なれど切られる心はどうもならん。仇言(あだこと)にも捨言葉、神は大嫌い。因縁付き、身の処なってこそ。澄んで/\/\澄み切った理が世上の理、当然の理。仇言はすっきり嫌い。すっきり立て替え」(明治24.1.28日夜9時刻限)。

 注解/「残念の理(神の残念の返やし)ほど怖いものはない。残念の理は、一代で果たせなければ二代、それでも果たせなければ三代と、どうにも切るに切ることのできない〈悪〉因縁を、心次第、心通りに付けているのである。この残念の理からは、逃れようにも、なかなか逃れることはできない。 理由もなしに人間を切るような神ではないが、結果的に神に切られてしまうような、お前たちの〝心の持ち方・心遣い〟が、どうにもならないのである」。
 「勝手の道通りて因縁と云う」(明治24.5.10日)。
 「いかなるも因縁、ほこりも因縁、難儀するも因縁、暮らすも因縁、それぞれの因縁。親の理に分からんは知らず/\の理であろうまい。‥因縁事情、因縁事情なら通らねばならん。因縁というは そうそうどうむ(どうも)ならん。曇りの中でも暮らさにゃならん。それぞれ親から明らか事情持たねばならん。これだけ諭するによって、しいかり(しっかり)聞き分け」(明治24.5.20日)。
 「いんねんという。いんねんというは通らにゃならん、いんねん寄せてある」(明治24.5.20日)。
 「さあさぁ身上不足なるという。さあさぁころりと違うで。身上不足なるやない。因縁一つの理が重なりてあるのやで」(明治24.6.25日、補遺)
 「因縁因縁、それぞれ因縁で治まる」(明治24.7.13日)。
 「事情どういう事を聞き、今の不自由を思わずして、他のところ、世界万事(ばんじ)の中、一つの理が難儀不自由。親一つの理を以(もっ)てすれば治まらんことはない。よく聞き取ってくれ」(明治24.7月)。
 「因縁分かれば実際分かる」(明治24.9.18日)
 「因縁でなる事ならばと言えばそのまゝ。世上に人々のところ因縁の為す事を見て、成程と思えば、前生さんげという」(明治24.9.20日、補遺)。
 「これまで始めかけたる道具、精だい(盛大?)使えば破損。新しい道具、今一時切り払い、新しい道具直したい。破損一つの理もある。何かのことも聞き分け。新しい道具、日々よう切れる。美しい道具、古い道具、がた/\(ガタガタ)道具もある。古い道具放っておき、新しい道具はよう切れる。使うて銘々一つ、銘々という心、一時事情急ぐ」(明治24.11.1日陰暦9.30日)。
 「因縁から聞き分けば、どんなことも分かる」(明治24.12.25日)。
 「どうでも運びかけたら運ばにゃならん。切れんように運ばにゃならん。切れやせんで。あらかた(粗方)了(しも)たら切れるか、と思う。切れやせん。一つ手を繋ぐ模様。一つ/\治めにゃならん。 一つ手が(を)繋がにゃならん。切れたことなら切れた処(所)から火が入る、風が入る、水が入る。怖わい恐ろしい〈ことになる〉。しかし誠続く理があれば、どんな中でも怖わい事はない」(明治24.12.19日夜)。
 「広くの足場、国々まで掛けてくれ。まずまずの事情、どれだけの足場をかけても、縄切れば(縄を切れば/縄が切れれば)落ちる。安心なるは一時、風の向き何時(なんどき)難風に誘われな(いつだって難風に誘われるなよ)。どんな理にも遭わんよう〈に気をつけろ〉。一時速やか洗い切る。こう、という事情が間違う。風雨という、どういう理が発しる(発する)とも分からん。前々指図、一時洗い切って十分〈に注意して〉足場〈を〉括(くく)り掛け」(明治26.5.11日夜)。
 「これから向う(向こう)は人間の理で通る。人間の心で通る、とても/\行かせん(行けはしない)で。一筋の糸が切れたら、暗がり同様の道である」(明治27.1.22午後12.30刻限御話)。
 「どんな理も因縁の為す事。一つ因縁というは、しようまいと思うても成りて来る。しようと思えと成らん。成らんと思えど成りて来るが因縁」(明治27.5.19日、補遺)。
 「どれだけ因縁じゃ、因縁と云うても、白因縁もある。悪因縁もある。よう聞き分け」(明治31.9.30日)。
 「さあさぁ尋ねる事情/\、尋ねる事情は、重ね/\の事情にて、内々には何たると思うやろ。前々より順序を以て見よ。どうなりとよう聞き分け。人間というはよう聞き分け。前々事情、又世上一つ理というは、皆な知らず/\理である。いんねんと云う、いんねんの理分からん。たゞ話しだけでは分からん。心に治まらにゃどうもならん。いんねんというは、何でもと思うた処が、どうもならん。日々よう忘れられん日越し、日々の中に、又ならん/\はっちゃ分からん。いんねんというは、成ろと言うても成らるものやない。又、成ろまいと言うても成りて来る。これ世上いんねん/\。どうでもこうでも渡らにゃならん。この中諭し事情聞き分け。不自由不自由聞き分けて何でも聞き分け。たんのう。あちらもこちらも悪い中、たんのう出けやしょまい。なれど、どう思うたてならん。よう聞き分けて日々結構。このたんのう改め。身の切なみ悩みのところ、たんのうは出けやせん。なれど話し聞いたら分かる。日々日経てば、これまで道通りたあたゑはと聞き分け。いんねんというは、出けんたんのうするは、前生いんねんのさんげ。前生いんねんは、これよりさんげはないで。皆々どうなりこうなりの事情、これ諭しおこう」(明治32.3.23日)。
 「中(なか)と云う、我は、因縁悪い、因縁悪いと云う心は持つな」(明治33.5.26日)。
 「因縁因縁どんな因縁もある。善い因縁と思えばならん」(明治34.2.10日)。
 「何も彼も皆な因縁同士、因縁という親子の理、因縁の理 聞き分け」(明治34.3.11日)。
 「皆な夫婦と成るも因縁(いんねん)、親子となるも因縁。どうでもこうでも因縁なくして成らるものやない。夫婦親子となり、その中よう聞き分けにゃならん。‥堪いられん(耐えられん)ところから親という因縁というところから、どういうところも治め。一人の理ではない。‥ 道という。助け合いというは、それぞれ諭す。又、因縁の中というは、尚々(なおなお)の事。因縁、それは やり損(ぞこ)のうてはならん、運び損のうてはならん。‥ 夫婦親子というは深い中(仲)、それには又兄弟/\ある。この理 何か結び合い/\、この心定め。成る理は言うまで。何か因縁為す中なら、どうという一時急く事、人という心寄せ/\、心寄せるなら又(また)世界もほんになあ道と言う。早く順序定め。急く/\」(明治34.3.26日、補遺)。
 「十分結んだところがいかんというは、因縁という。『因縁というは心の道』と言うたる、心の道と言うたるで」(明治40.4.8日)。

【似て非なる教説考】
 「似て非なる」次のような教説がある。捨てるには惜しい面もあるので採用しておく。追って、逐次対話しておこうと思う。
 人間も心と云うものは目に見えぬ神と同じ事。宇宙全体が神であるが、さて、その神が直接人間に物云うとか直接に国を治めることはできぬ。神が人間に入り込み働き下さるものなれば、人体に現われ下さるのが神様故に、上は神と仰せられた通り、上に立って下さるものが神の代理なり。八方の神は一身同体と成り給うて人体世界が成立完成せられ、日々が立って居る。これ立ち合い助け合いの理は宇宙の根本にて神が雛形で、人間万物作られ大宇宙は神の大なる一体にて、人体は小宇宙と同じこと。人と云う字の如く人間は互いもたれ合い立ち合いて社会は立ち行く。人を立てず繋がず人を倒し、我れの立つ筈のないもの。

 身体の構造は、天地間一切の事物を眺め、世の中の組織を見ても、動植物の生存の状態を見ても、皆なその理を研究して見れば、一切の万物はことごとく相関連して世に存在し相寄り相助け長短相補い、つまり互いの助け合いによりて生活し幸福あり意義あるもので、只単独で生存するものはこの世にはないのである。

 社会は人と人とのいわゆる団体を形成し共同生活にて存在し、これによって幸福あり進歩を見らるゝのである。例えば農家、工業家、商業家皆その職務を精励して世の中が立って居る如く、世の中のすべてはことごとく自然の助け合いによりてその位置を保ち、生存繁殖して行くもので、この互い助け合いは神の思召しを現成せるもので、人間この精神を欠く場合には社会の団体的共同生活は安全にできないのである。

 一家は親子夫婦兄弟相互の助け合いによりて立つ。家庭が円満に形造られ国家は組織する国民の相互扶助によりて国家の安寧が保たれるのである。一会社一工場等に於いても同じく、全てこの助け合い立て合いの天理誠によりて世の中に真の平和幸福が保ち得られるのである。

 しかるに人間は我が身さえよければ人はどうでもかまわぬという薄情な心が起り勝ちのもので、遂には高じて人を倒してまでも我れを立て我れの利欲を得ようとする人が多いが、この心は畜性道にまだ近い心であって、神の屋形としての成人の至らぬ心故、神が人間を立てて下さる天地の真実誠を破る神に反逆する心ゆえ、神の世界神の屋形人間としての幸福は得られない心であるから、我が身の苦しみとなりて貧困に落ちる心の道で立ち行かぬことになるのである。

 神言に身上は神よりの借り物であるから高山から谷底までも人間に高い低いはなけれど、心の理は数限りなく高い低いある。又心一ツの理、心の道によりてはどんな難渋な道も通らにゃならん。又銘々にするにすることばかり是非がない、そこでじっくり見ているのやで、と仰せ下さる。心は、神より分け与え下されて身上と離れぬものゆえ、本体は神の守護なれど、日々と云う日々常に、と仰せの通り、日々に心使うその使う理が人間のものであるから、心に人間の自由に使える心と云うものは目に見えるかといえば見えん形のないもの。その見えん物一ツより人間の物はない無形の物故ないかと云えばある。世の中の事は皆な人間の心が成して居る。神と云う物も同じ。

 尊いも心卑しいも心難儀するのも結構に栄えて行くのも病んで苦しむのも皆な心一ツより外にない。人間の堕落するのは神でも仕方がない。人間の心は仕様がないと神様仰せ下さる。教えをするより外はない。人間身体の初まりは両親の心を定規として十ヵ月胎内の間に作り給う。その身は前世因縁によって親の理と同じ皆な心使いが因縁にて現われる故、もし畜性の心なれば畜性の腹を借れねばならん因縁ができる。又心に貸して下されたる身の内なれば、心通りに働ける故、政治家は政事、商業家は商業、農家は農業、教育家は教育それぞれ人間の心に神が乗って御守護下さる故、自由用自在ができて発達をする。悪人でも発達ができる。

 身上は一列にかわりないが心というもの一ツにて種々の徳分を異にし、高低大小の階級が分かれて、各々その役目が異なりて、天の守護の相違あるは数限りなしなどの様な上の人でも下の者でも身の内に変わりたことはない。それに貴き人や卑しき人と万人の為に成る徳望な人や身の置き所ない者や段別の付くのは何故なるや。これは前世より今世今日迄の心の使い方が種と成っても善も悪もこの世の鏡と成ったのである。一国思えば一国の長、一村思えば一村の長、一国の事を計り一国の事に勤め働くものは一国をはかる力でき、我が身一身だけに心苦しむ小さいものは小さいだけの守護、世の中の為に勤めて苦労する心は大きい心ゆえ大きい守護。人間は神の器であり、心は神の宿る所である。水は方円の器に従う如く、神は正直心通りの守護がない故、大きな器には神の理も大きく這入る。

 大臣は国家全体の事に心配せられ、日本と外国と内外の事を勤めて心一ぱい辛苦を勤めて計られる。県知事は一県の事につとめ心労せられ、小人の我々は只我れの食う事我欲だけを計りて人の妨害も顧みぬという風で、皆な心は一人/\に上下あり。昔より国家の為を計り、天下万人の為に苦労尽くされた御方は、万人の上に立たれ衆人の尊敬を受けられる。忠君国の為我が身を犠牲にして命を捧げて尽くされたる御方はその精神は神であるゆえ直ちにその神魂は此の世に生まれ現われて無上の幸運を得らるゝのみならず国家の水上に立つべき徳を以って生まれられてその役目備わる。これ天命なり。

 我々では自身だけの事を考え心使うて少しでも自分の損の行かぬ様に色々狡猾の智恵を使い心の小さい理であるからいつまでも人の下に居らねばならん社会の為に成るなれぬ。皆天は心通りが守護がない。

 神様魂は入れ物通り入れてやろうと仰せ下さる例えば火鉢には火を入れる肥壷には肥を入れる如し人間の魂もその通り神がより分け下さる。

 白因縁と悪因縁の者と一所に入れられる訳はない。牛は牛、連れ馬は馬連れ、類を以って集まるのたとえ。衣服でも絹物には絹を合わせ羅紗には羅紗を縫い合わせねば合わぬ如し。一人の煩いは一家の煩いととなる如くその因縁に連なる人々は皆前世より心使いが因縁にて親子となり夫婦となり年限の間積もりて現われる。

 天理は明らかにして如何なる事も種通り現われるなり。故に誠は誠だけ埃積もれば悪因縁と現われる種というものは小さいもの二貫目の大根でも種は小さい松でも杉でも種は小さいものが大木になる一日に一分の埃を作っても百日積もれば一尺となる。

 心が不足/\なれば結構が見えそうな筈はない。足納の理を治めて結構/\なれば結構が見え喜ぶ心なれば喜ぶ道が見える。東海道を通って居って中仙道を見る事はできぬ。中仙道を通って居れば中仙道が見える、それが道。天理は正直心通り心に乗って神は守護御働き下さる。悪しき事を忘れて善き事に心を使うて居る時は善因縁を作って居る。心悪しき事を考え居る時は悪因縁を作って居る心の道。悪因縁を切るのはその悪性を思い切り忘れて思わぬ心になくするが切り替えの第一善の方へ種を蒔きダン/\成木さすにより善の方へ力の入るに従いて悪の雑草の方が枯れるもっとも成木さすには修理肥という草を取る労力が入る如し。

 心から心のなわにからめられ心よりほかに解くものはない。

 人を助けて我が身助かる。人を倒そうという心あれば我が身が倒れるが理。人に損を掛けたら我が身に損せにゃならん事ができてくるのが理。人をつぶせば我が身つぶれる。人を立てたら我が身が立つが理。人をかけようと云う心なれば我が身がかゝる。人を苦しめ人の心を痛めただけは我が身が苦しみ痛まにゃならん。皆此の世のものは裏と表のないものはない。

 夏至の裏には冬至大暑の裏には大寒夜あれば昼がある。夜が長き時は昼が短い、昼が長ければ夜が短い。一方が九十度位も温度が上るからその裏は三百四十度位、其の裏表を一ツにすれば同じ百二百三十度位の温度。

 苦労したら楽しみあり。例えば今日成すべき仕事を怠れば明日は余分に働かねばならん。今日働いたらそれだけ明日は楽な昼食を食べ過ごしたら夕食は少ししかたべれん如し。例えば二円の日当を取って一円五十銭の働きをするとすれば五十銭は天理の借りとなる。又一円の価値あるものを無理に五十銭に取って我れの利益になったと思うても又その裏がある。又前世で八分九分の理を作ってあれば今世に一二分の理を作っても大病に迫るものあり、前世に徳を積んで居るものは前の肥のきいている間は今世で八分九分まで埃を積むまでは迫らぬものもあり。例えば前世は女を粗末にして我がまま気まま過ごした埃りがあると、たとえ如何程選むとも立派な自分の思うままの妻は貰えぬのが因縁。女であれば前世に夫を見下げ踏み付けて来た理あれば、どうしても立派な夫には添えん。やはり見下げるような夫にか添えん故益々因縁を深くするようになる。又如何な立派な夫であっても心が分かったら立派に見えんようになる。高慢の高い心あれば我れの長所と夫の短所と見えてダン/\見下げるようになる故我が身の徳をダン/\落として行くから種々の悪因縁を作って或いは子宮の病とか途中折れ生別死別とか云う風で人と続ぎが切れる如し。

 たとえ如何な見ともない夫でも因縁なれば添わねばならんものゆえ我が身の因縁を知りて足納してさんげせねばならん。その悪しき因縁の切れぬ内はたとえ他に再縁しても又同じ。夫婦に成るのは前世幾度も一緒になった魂なり皆縁談は神の結び給う事故人間で自由になるものに非ず。定まってあるものゆえたとえば一方が徳を積めば一方の方にも神が入り込んで綺麗にして置かれるのが天理。全て如何なる事も皆前々世よりの我れが作った因縁なればその悪しき因縁の切れぬ内はたとえ如何に我れが思うようになすとても又同様の埃を見にゃならん。

 見るも因縁聞くも因縁、我が身に係り来る事は一切我れの因縁より外にはないもの故如何なる事も足納して我が身を顧み我れの欠点を改良ざんげして行くより神様から我が身に徳を貰う道はない又我が身の助かる道はないものなり。神様は親子でも夫婦の中も兄弟も皆一名一人限りやでと仰せ下さる皆前世の因縁に依って親子兄弟となり夫婦と成って居るものなれど神様より授かる徳は一人一名限りのものである故に我れが成した理勤めた理は皆一人一名限り我が身に帰るものなり。難儀するのも心から我が身恨みで有る程に。

 又一例を引けば夫婦中でも離縁がしたいけれど或いは豪家であるとか又親類もあるし媒人もあるに中々思う様に行かないとか分かれたい/\と日々心の切れる心を使って積もり/\るとなる帰る/\と云って居たらツイ/\本当に成って生き別れとなる。又心の内に以って表面に出さず切れた心の理は死に別れる迄には容易ならんもとでが入って居る容易ならぬ事情がある。

 又因縁なれば通らにゃなん通さにゃならん通って果たさにゃならんと仰せ下さる。

 又人の埃が見えるのは自分はそれと同じ埃が有るからの事也。己に埃がなくなれば人の埃で我が心が濁るとか腹が立たぬようになる腹立ち不足の事情も無くなるもの也。

 親神様は可愛い一條である故皆メイ/\は助けたい一ぱいから魂の落ちきらぬ様に前世の懺悔をさして下さる。例えば前々の徳に依り不自由なきに増長しておごり栄華を極めて遂には天恩に尽き人の恩が重なれば天のみょうがにつきるもし同じ境遇に長く二代も続けるとせば牛馬にても落ちねばならぬから又不自由な身分に出して働かせて徳を落とさぬよう前世の裏を通らせる様なもので又一例をひけば唖は前世に物が云える聞ける欲が元にて十分罪悪を作ったもの物が云えざれば憎みようがないようなもので皆前世の懺悔なり。

 又助けたい一條から因縁よせて守護下さるので有る或いは人に粗末にせられ人に不足を云われて自己の前世よりの借りが払える自己の前世より使った心と同じ埃の有る者が寄りて種々の埃が立つのも我れの作った埃の現われ故それを見て我が心の埃が分かる改良すべき点が分かる自分の心に同じ性質がある故に人が埃を立てる又人の埃の為に我が心が濁るのであるからそれを我が心の鏡として不足にせず堪忍して我が心の懺悔するから心が磨ける進んで行く故前世の埃が切れる其の同じ因縁の中より我が心を足納して作って行くから我れが助かる。

 かくして悪因縁を切って頂くのである。例えば我が子が云う事聞かぬは我れが親の云う事を聞かざりし種が有るに依って子供に有る故に子供を直すには自分の懺悔をして来たら独り子供は直る如く身の内に手入れをなし又可愛い子供に手入れをして親の心を直して下さる。

 我が身の因縁と云う事を悟り天の定まりと知って何事も足納して心静めば我が心が綺麗になるだけ結構が見える足納の理が分からねば我が悪因縁を益々深くする心の徳を失うて行くなり故に足納は前世因縁の懺悔と仰せ下さるは我が心で因縁が切れる事なり前世因縁は我れの現在我が身に係り来る事より無い故不足不自由成らん中を堪忍足納人を敵とせず不足とせず我が心磨く故切れる也。

 物が結構であって足納は当たり前なり成らん中不自由な中を足納結構とあきらめ心をすますどんな所も其の場現在を不足にせず辛抱が真の足納誠なり正直也。何となれば自分の現在の境遇一切が自分の前世の因縁也。過去の我れが有った故現在の我れが現われたる也現在の我れが有れば必ず未来の我れが現われる也。

 故に前々世よりの因縁は現世の我が身一心にまつわって有るものなれば現世の心を明らかにして天の定規にはまれば悪因縁は無きものである因縁は心故なれども前世よりの錆付きの根が深いと容易に切れぬから人を助ける人を助けた功能の理によりて神より心に徳を頂きて切れる善因縁と切り替える渋柿も甘柿に接続して甘き実を結ぶ如し。

 前世/\の因縁は現在の我れの一身に宿る心を見れば分かる我が心に湧く事心に有る事それよりない。されば現在の心を明かすれば悪因縁は切れぬなり。

 神言に因縁/\と云うてしまえばそれだけのもの。又何でもと云う心なくては何事も出来やせんと仰せ下さる因縁と云うものは別にない心である心で日々に拵えて深入りをしていると仰せらる。堅き心の刃物で埃を切らねば切れん切るから誠に続がる。其の悪質をどうでも切らねばならんと云う熱心に親神様が入り込んで守護下さるに依って霊救の恩寵を被る事が出来る。例えば御道上御助けと云うても必ず人間が助けるのやない神が助け下さるもの其の助けようと思う真心に神が入り込んで下さる也。

 又心の懺悔理の懺悔身の懺悔とも云う心の運び身の運びと云う心尽くし運びという。

 又恩報じの理が重病助けの肝要である悪因縁は皆誠の無き心からして人を痛め天の借りとなりて迫るものなれば其の通り返しなし返しの為誠の心を天に供える心を直したと云う証拠がなくては只直そうと思うただけでは其の証拠が神に見えん真実真心を天に供え受け取って頂く事人を助けるという我欲を離れた心の誠を神に受け取って頂かねばならん。

 又思い病人になると懺悔改良をようせぬで助からん。

 是れは助けの肝要なれどそれを真実心を神様に受け取って頂ける所の実行の心になるのが容易でなく又そこ迄仕込が容易でない。又心を造るという道も修理肥と云う理がなくては心が成長せぬ聞いた理が治まらんから使えぬ実を以って実を買うと仰せらるる理が大切なり。  御道は何でも心を作る事を考えねばならん殊に神様の道具に使うて頂くには心が作れねば間に合わんあたかも大根を蒔いて二ツ葉の時から大きなものに作る事を十分考える。段々薄い肥を度々かけて成長すると同じ一時に肥をかけてもならん如く其の旬々に肥をする故大根でも大きくなると同じ仕込んで貰う親に心尽くすという貢ぐと云う聞いた理に心の辛に肥をするの理が肝心是れは尊い事善い事を聞かせて頂いた是れを覚え心に治めにゃならん話の理を忘れぬ保つ様に逃がしてはならんと思うた其の旬々に例えば御礼でもなすが如く。

 肥をせねば止まらん治まらん故行おうと云うても行えぬ又彼岸過ぎての麦の肥と云う如く其の旬をはずさず肥をするから大きくなる故大き働きする様になるかの財産を一時に果しなどしても心の理を作らねば何にもならん理が心に治まらにゃ何にも役に立たぬ十分心を成長さして太く作らねば人を助け人を導く社会の為に働かざれば役に立たぬ。

 又前世やの因縁よせて守護すると仰せらるゝ通り人を助け社会の為に働く神の道具とする見込みある者は神が手入れ試し苦労さして作り上げて下さる事は重々仰せられてある。前世/\からの魂の汚れを磨く為に苦労の道を踏んで先で立派な花実を結ぶ人間に作って下さるものなり。

 先で大きな重荷を持つ役柱に使わねばならん故今苦労させて心を練り上げて作って下さる。

 反対は道の肥やしと仰せられてあるが例えば槌が無くては名刀は出来ん打った槌は名刀にはならぬが打たれた刀は名刀に成る如く又といだ砥石はやせるけれどとがれた刀は光が出るよく切れる如く人に打たれて負けて/\行かねば我が身の徳は出来ん。

 皆何でもたやすく出来ては力が出来ん成らん中から何でも/\と苦労するから心に真の力が出来る神が力をつけて下さる。

 神 言

 身の内借り物。五十年以前一ツの道筋、助け一條一ト事の話、何にも余の事を云うはいらん、案じる事はいらん、通れん道を通るがこれが道やで。悪も善もスッキリ分けるのやで。何ぼ云うても一ト言で分けるのや。どんな事するも神のする事やで。人を敵にするのやないよう聞分け云々、と仰せられた御言葉もある。

 草木でも風にもまれ雨にたたかれ或いは雪に押さえられして茎や幹が固まり力が入り苦労年限を経て大木と成り花実を結ぶが如く、苦労の少ない一年で一人前に成る草の類や竹の如きものは柱にも使えん如く、年数を経た桧、杉、松、けやき等は大木に成って永久の柱に成る如く、すべて道なれば如何なる境遇も足納して進まねばならぬ。又人間も苦労なし不自由知らずでは真の情け、親心という人に同情と云う親神様の心を味わう事ができん。

 物が沢山あり結構であっても足納は当たり前。成らん中貧困苦労の中を結構と足納心澄ますが真の足納にて非凡の大木なり。

 御教祖は尊き因縁のあらせらるゝ御魂で有りながら貧のどん底に落とされた。落ち給うたこの意味を味わうて神の深き思召しが分かるのであるが、この理は中々深き親神様の胸中に在る思惑であって人間心では容易に分らん所である。人間は僅か一代の事が分らんのである。神は前世何千年も一ツである故前世/\誠を働いた魂を使い給うものには違いなけれど十分磨き上げぬ事には使えぬ也。

 谷底に用木が有ると仰せらるゝ意味を深く神意を悟らねばならぬ所也」。





(私論.私見)