【教祖の助け合い御言葉】 |
「世界中、互いに助け合いするなら、末の案じも危なきもない」。 |
「我が事と思うてするから我が事になる」。 |
「治まってから切ってはいかん。切ったら切ったほうから切られますで」。 |
「蔭日向(ひなた)なく自分の事と思うてするのやで」。 |
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「教祖口伝」の明治8年11.21日、辻、村田、飯降、枡井(いずれも女)に対する教祖直々のお諭し。
人に呼ばれたら、すぐにハイと返事をするのやで。あれやこれやと受け答えするのやないで。素直にハイと返事しなはれや。呼ばれた時ハイと返事をせんで、いま外へ行くところや、なんて返事をしたらいかんで。人間はなあ、みんなそんな返事をするのや。それでいいと思うている。まことの中のほこりやで。神様に対しても同じことが言える、よう考えてみい。カエルの子はおたまやで、これはわかっているやろ。おたまは自分はカエルの子やとなかなか納得できないやろ。会えるとおたまはぜんぜん違うからなあ。……おたまは、いつまでもフナやドジョウと一緒にいたいと思うやろ。それと同じようなことが人間にも言えるのや。人間はなあ、人間として生きる道は考えて通るやろうが、神の子としての道が本当に通れるやろうか。ここのところよう思案して見い。暗いと思う前に、まず灯をつけることを考えにゃいかんで。 |
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「教祖口伝」の明治10年2.3日、枡井伊三郎、辻忠作。
お助けを頂くには、心定めが肝心やで。心定めんことには自由はない。定めた心は動かしてはならん。動くようでは定めたとはいえん。この理よう思案してくれ。定めた心の理に自由はあるのや。その定めた心に神がはたらく。一時の定めでも守護頂ける。だがそれは神様のお慈悲やで。お慈悲によって自由かなえさせてくださったのやから、いつなんどき元に戻るやらしれんで。定めた心変わらなかったら、いついつまでも自由かなえさすで。一時の定めでも御守護頂けるからというて、いつもいつも同じような心で通っていたなら、頂ける御守護も頂けなくなってしまうで。人間の中でも同じような事くり返していれば、いつかは離れてしまう。神様かて一度は許す、二度は助ける、三度は許さんとお教え下されているのやから、よう思案しなけりゃいかんで。人を助けさせてもらうということは恩返しになり、徳を積むことにもなる。前生からの悪いいんねんも切って下さるのやから、どれだけ結構にさせて頂けることやわからんで。精出して助けさせてもらいなはれや。 |
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