その4-2 堪えて待つ理、たんのう(足納)成人論

 更新日/2020(平成31→5.1栄和改元/栄和2)年.6.7日

(れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「堪えて待つ理、たんのう(足納)成人論」教理を確認する。

 2016.02.29日 れんだいこ拝


堪えて待つ理、嵐が去るのを待ての理】
 お道教理には「堪えて待つ理」がある。これを確認しておく。
 「一八三、悪風というものは」。
 「明治十八、九年頃のこと。お道がドンドン弘まり始めると共に、僧侶、神職その他、世間の反対攻撃もまた次第に猛烈になって来た。信心している人々の中にも、それ等の反対に辛抱し切れなくなって、こちらからも積極的に抗争しては、と言う者も出て来た。その時、摂津国喜連村の林九右衞門という講元が、おぢばへ帰って、このことを相談した。そこで、取次から教祖に、この点をお伺いすると、お言葉があった。『さあさぁ悪風に譬えて話しよう。悪風というものは、いつまでもいつまでも吹きやせんで。吹き荒れている時は、ジッとすくんでいて、止んでから行くがよい。悪風に向こうたら、つまづくやらこけるやら知れんから、ジッとしていよ。又、止んでからボチボチ行けば、行けん事はないで』、とお諭し下された。又、その少し後で、若狭国から、同じようなことで応援を求めて来た時にお伺いすると、教祖は、『さあ、一時に出たる泥水、ごもく水やで。その中へ、茶碗に一杯の清水を流してみよ。それで澄まそうと思うても、澄みやすまい』、とお聞かせ下された。一同は、このお言葉に逸やる胸を抑えた、という。『先を短こう思うたら急がんならん。けれども、先を長く思えば急ぐこと要らん』」。

【たんのう(足納)成人論】
 お道教義では、神一条信仰、生活への転換を歩一歩促している。その歩一歩の階梯を「たんのう」と云う。「たんのう」の漢字当て字は「足納」と書く。「堪能」とする説もある。 広辞苑の編者である新村出しんむらいずる博士によると、「たんのう」の原義は「足りている」ことで、「足りぬ」が「足んぬ」と変化したものであるとしている。

 「たんのう」とは、「足りていることを味わう境地」、「逆境に臨んでの心の切り替え」と考えられる。自分の身に降りかかる全ての出来事(事情、身上)に対し、これらから逃げることなく、不平を言うのでもなく、泣く泣く辛抱しんぼう)、我慢、忍耐するのでもなく、むしろ 「たんのうは前生ぜんしょういんねんのさんげ」、成って来るのが天の理」と前向きに正面から受け止め、陽気暮らしの道へ向かう為の親神の思し召しにして手引きであり、これにより成人を促されているものとして有難く頂戴する気持ちと覚悟で向き合うのが良い。親神の示唆を拝する心持ちが大事で、この心構えに対しても「たんのう」と云う。

 次に教理の貸し物借り物の理を心に治め、心のほこりを払う努力を怠らず、「因縁」を自覚し、その納消に向けて心を励まして踏ん張る精進の日々のあり姿のことを云う。「お道」では、かくどんなときも報恩、喜びの心で日々を生きる生き方が示唆されている。「
不足は切る理、たんのうはつなぐ理」、「たんのうは前生ぜんしょう)因縁のさんげ」とも説かれており、かんばしくない運命切り換えの契機とするよう促されている。夫婦、親子、家族の団欒も同じ理である。 

 お道教義では、信仰生活の階梯を「成人」というお言葉で例え話しされている。
 「人が人生途上で難関にぶつかった時、成人している者としていない者との差がはっきりする。成人のできていない者はあわてうろたえ、不足をし、悲しむ。成人している者は、苦労の中でも喜んで、勇んで、有難く通れる。この心をたんのうと云う」。

 御神楽歌、お筆先には次のように記されている。
 だんだんと 子供の出世 待ちかねる
 神の思惑 こればかりなり
四号65
 日々に 澄むし分かりし 胸のうち 
 成人次第 見えてくるぞや
六号15
 教祖お諭しは次の通り。
 「世界には、枕元に食べ物を山ほど積んでも、食べるに食べられず、水も喉を越さんと言うて苦しんでいる人もある。そのことを思えば、わしらは結構や、水を飲めば水の味がする。親神様が結構にお与え下されてある」 。
 「たんのうは誠」。
 「子供の楽しむのを見てこそ、神は喜ぶのや」。
 「苦労は道の物種や、今の苦労が末の楽しみや」
 「先は長いで。どんな事があっても、愛想尽かさず信心しなされ。先は結構や。たんのうせよ。後々は結構なことやで」
 「人が何と云うても、云おうとも、人の云うこと、心にかけるやないほどに。今日の日、何か見えるやないけれども、先を楽しめ。楽しめ」。
 「見事な枝ぶりだと褒めそやされるような松の木でも、小さい時があるのやで。小さいのを楽しんでくれ。末で大きい芽が吹くで」。  
 「先になったら、難儀しようと思うたとて難儀できんのやで。今、しっかり働いておきなされや」。
 「苦労は道の物種や、今の苦労が末の楽しみや」。
 逸話篇「133、先を永く 」。
 「明治16年頃、山沢為造にお聞かせ下されたお話しに、『先を短こう思うたら、急がんならん。けれども、先を永く思えば、急ぐ事要らん』、『早いが早いにならん。遅いが遅いにならん』、『たんのうは誠』、と」。
 
 「栗の節句とは、苦がなくなるということである。栗はイガの剛(こわ)いものである。そのイガをとれば、中に皮があり、又渋がある。その皮なり渋をとれば、まことに味の良い実が出てくるで。人間も、理を聞いて、イガや渋をとったら、心にうまい味わいを持つようになるのやで」(「イガの理」)。
 高井猶吉「教祖より聞きし話」43-44頁の「なるほどの理」。
 「『このお道のお話は、一言は十言に値する』と仰る。一言の話でも、なるほど、と腹(心)に治まったら、『救からん身上も救かる』。『治まらん事情も治まる』。なるほど、と治めるところに救かる理があるのや。教祖は『日々教理を聞いて、なるほど、そうに違いない、と感じることは、心の養(やしな)い』と仰る。 早い話は、人間は米(食料)を食うて日々の養い(栄養)を摂(と)っている。食べなければ身上(からだ)は痩(や)せる。日々に教えの理を聞かしてもらい、なるほどと感じることは心の養いである。それで心に力が出来るのである。ゆえに分かった話でも、何遍(なんべん)も何遍も聞かしてもろうて、その時の感じを腹(心)に治める。それが、『なるほどの理を治める』ということになるのである。心に納得できると、心に力ができる。この事を、成人、と言うのである。あんなところ、よう辛抱したものや。ふつうの人なら到底できん。参ってしまう。しかし、本人にしてみれば比較的平気である。ちょっとした事で心を濁らしたり、狂うたりするのは『心に力の無い証拠』である。悪いと知りつつもやめられん、ということを、世界の人からよく聞くのである。お道でも 、あの人のあれは、いづれ、ひどい目に遭わねば治まらん、とよく聞くことである。まことに忌(いま)わしいことである。『日々に教えの理を聞かせてもろうて、心に力を付けることが肝心』である。 心の成人を願う、のである。『心の成人待ちかねる 神の思惑 こればかりやで』」。
 お指図には次のような御言葉がある。
 「たんのう/\心定めるなら、やれ/\。たんのうなくては、受け取るところ一つないで」(明治20.3.25日)。
 「難儀さそ、不自由さそという親はない。幾名何人(いくめいなんにん)ありても、救けたいとの一条である。その中隔てにゃならん、隔てられんやならん、というところ、世上見て一つの思案。この理を聞き分け。一つはたんのう(足納)と。善き種蒔(ま)けば善き芽が吹くも、世上見て一つのたんのうとの心定め。たんのうとの理を持ちて、案じる事は要らん。案じては案じの理を(が)回る。案じは要らん、と、大きな心を持ちて理を治め。善き種蒔けば善き実がのる、との指図、と」(明治21.6月)。
 「人間というものは、身の内かりもの八つのほこり、この理を分かりさいすれば、何も彼も分かる。そこで、たんのうという理を諭してやれ」(明治21.7.4日)。
 「たんのうは誠より出やせん」(明治21.10.28日)。
 「人が障りあればあれはほこりやと言う。どうも情けない」(明治22.10.9)。
 一日の日でも心たんのう(足納)の理は受け取る。金銭の心は受け取りは無い。心だけ金銭、何程(なにほど)の金を持って来て、今日からと言うても受け取るものやない。これだけよう聞き分け。 おさしづ 明治23.6.17 午前三時半
 「因縁の理を聞き分けば治まる。治まらぬはどういうものであろうという。因縁の理を諭していて、因縁の理が分からん。因縁の道を通って了い、又内々因縁聞き分け。因縁という一つの理聞き分けて、たんのう事情聞き分け。たんのう一つの理を聞き分け」(明治23.8.26日) 。
  思うよう〈に〉成るも因縁、成らんも因縁。皆んな(みんな)段々因縁知らず/\越せば、どんな因縁が持って出るや分からん。どねしても(どのようにしても)成らんが因縁。金銀力(きんぎんちから)で行けば、世上に一つの理もあるまい。金銀力で行かんが因縁という。 おさしづ 明治23.8.26 補遺
 「世上を見てたんのうという」(明治23.12.27日)。
 「たんのうは前生因縁のさんげ」(明治23.12.27日)。
 「たんのうは真の誠より出る。真の誠はたんのう」(明治24.12.30日)。
 「ふじいうの処たんのふするはたんのふ、徳をつむといふ、受け取るといふ。これ一つきゝわけにやならん」(明治28.3.6日)。
 「因縁一つの理は、たんのうより外に受け取る理はない」(明治29.10.4日)。
 「わるい中にたんのうおさめられん、道理といふ、ならん中たんのう、をさめられん所からをさめるは真実まことといふ、前生因縁のさんげともいふ」(明治30.7.14日)。
 「あちらもこちらも事情が重なっている中で“たんのう”しろと言ってもできにくいであろう。しかし、どう思ってみても、どうなるものではない。よく聞き分けて、日々結構に通らせて頂いて有難いという、“たんのう”の心を治めなさい。体がつらい苦しいというときに、“たんのう”しろと言ってもできないであろう。けれども、この道の話をよく聞きわければ分かるはずである。今日まで通ってきた日々の中に、親心を十分おかけ頂いてきたことを思案しなさい。身上、事情の苦しい中、“たんのう”できにくい中に、“たんのう”して通るのが、前生因縁の“さんげ”である。前生因縁は、これより“さんげ”の道はない」(明治32.3.23日)。
 「このぢばという/\、あちら眺めても こちら眺めても、皆(みな)敵であった。皆な幼少ばかり、これを見て教祖(おやさま)誰に頼り、彼に頼りなき理を見て、たんのう(足納)してくれにゃならん。元から子 生み出したも同じ事/\。それぞれ相談/\一つ理。皆な兄何人あるか。聞き分けてたんのう。この兄親一つ理、教祖存命苦労艱難見れば、聞き分け。今日は不自由さそう、難儀さそうと言うのやない。兄親の数を幾人(いくにん)あるか、一つ理見てくれにゃならん」(明治29.12.22日)。

【この世に無駄なもの、要らんものはない】
 教祖は、一枚の紙も、反故やからとて粗末になさらず、おひねりの紙なども、丁寧に皺を伸ばして、座布団の下に敷いて、御用にお使いなされた。次のように仰せ下されている。
 「皺だらけになった紙を、そのまま置けば、落とし紙か鼻紙にするより仕様ないで。これを丁寧に皺を伸ばして置いたなら、何なりとも使われる。落とし紙や鼻紙になったら、もう一度引き上げることは出来ぬやろ。人のたすけもこの理やで。心の皺を、話の理で伸ばしてやるのやで。心も、皺だらけになったら、落とし紙のようなものやろ。そこを、落とさずに救けるのが、この道の理やで」。
 「無駄花というものは、何んにでもあるけれどな、花なしに実るという事はないで」。
 「こんな皺紙(しわがみ)でも、やんわり伸ばしたら、きれいになって、又使えるのや。何一つ要らんというものはない」。
 「人間の反故(ほうぐ)を作らんようにしてくれ」。

【人も物も大切にしなされや】
 仲田儀三郎は教祖と共に何度も獄舎へご苦労されていた。そういう中のある時の事、教祖は反故になった罫紙を差し入れてもらい、コヨリを作って、それで一升瓶を入れる網袋を仕上げられた。監獄を出てのお帰りになってから、それを仲田にお与えになり(それは実に丈夫な上手に出来た網袋だった)、次のように諭されている。
 「物は大切にしなされや。生かしておいて使いなされや。全てが神様からのお与えものやで。さあ、家の宝にしときなされ」

 お屋敷に参拝人のない時は、反故の紙を伸ばしたり、御供を入れる袋を作っておられた。そして、人が見えると、次のようにお諭しされている。
 「すたりもの身に付くで。卑しいのと違う」。
 「どんな花でもな、咲く年もあれば、咲かぬ年もあるで。一年咲かんでも、又、年が変われば咲くで」。

【蛙の子はおたまやで】
 明治8.11.12日、辻、村田、飯降、枡井(いずれも女)を前にしてのお諭し。
 概要「蛙の子はおたまやで、これはわかっているやろ。おたまは自分は蛙の子やとなかなか納得できないやろ。蛙とおたまはぜん/\違うからなあ。おたまは、いつまでもフナやドジョウと一緒にいたいと思うやろ。それと同じようなことが人間にも言える」
 「人間はなあ、人間として生きる道は考えて通るやろうが、神の子としての道が本当に通れるだろうか。ここのところよう思案して見い」
 「暗いと思う前に、まず灯をつけることを考えにゃいかんで」

【百聞より一見に如かず】
 後に東海大教会を築くことになる加見兵四郎が入信の頃に賜った教祖のお諭し。失明し妻をおぢばへ代理参拝させた時のお言葉。
 「人言伝て(ひとことづて)は、人言伝て。人の口一人潜(くぐ)れば一人。二人潜れば二人。人の口潜るだけ、話が狂う。よって、本人が出てくるのが良い」。






(私論.私見)