「たんのう/\心定めるなら、やれ/\。たんのうなくては、受け取るところ一つないで」(明治20.3.25日)。 |
「難儀さそ、不自由さそという親はない。幾名何人(いくめいなんにん)ありても、救けたいとの一条である。その中隔てにゃならん、隔てられんやならん、というところ、世上見て一つの思案。この理を聞き分け。一つはたんのう(足納)と。善き種蒔(ま)けば善き芽が吹くも、世上見て一つのたんのうとの心定め。たんのうとの理を持ちて、案じる事は要らん。案じては案じの理を(が)回る。案じは要らん、と、大きな心を持ちて理を治め。善き種蒔けば善き実がのる、との指図、と」(明治21.6月)。 |
「人間というものは、身の内かりもの八つのほこり、この理を分かりさいすれば、何も彼も分かる。そこで、たんのうという理を諭してやれ」(明治21.7.4日)。 |
「たんのうは誠より出やせん」(明治21.10.28日)。 |
「人が障りあればあれはほこりやと言う。どうも情けない」(明治22.10.9)。 |
一日の日でも心たんのう(足納)の理は受け取る。金銭の心は受け取りは無い。心だけ金銭、何程(なにほど)の金を持って来て、今日からと言うても受け取るものやない。これだけよう聞き分け。
おさしづ 明治23.6.17 午前三時半
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「因縁の理を聞き分けば治まる。治まらぬはどういうものであろうという。因縁の理を諭していて、因縁の理が分からん。因縁の道を通って了い、又内々因縁聞き分け。因縁という一つの理聞き分けて、たんのう事情聞き分け。たんのう一つの理を聞き分け」(明治23.8.26日)
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思うよう〈に〉成るも因縁、成らんも因縁。皆んな(みんな)段々因縁知らず/\越せば、どんな因縁が持って出るや分からん。どねしても(どのようにしても)成らんが因縁。金銀力(きんぎんちから)で行けば、世上に一つの理もあるまい。金銀力で行かんが因縁という。
おさしづ 明治23.8.26 補遺 |
「世上を見てたんのうという」(明治23.12.27日)。 |
「たんのうは前生因縁のさんげ」(明治23.12.27日)。 |
「たんのうは真の誠より出る。真の誠はたんのう」(明治24.12.30日)。 |
「ふじいうの処たんのふするはたんのふ、徳をつむといふ、受け取るといふ。これ一つきゝわけにやならん」(明治28.3.6日)。 |
「因縁一つの理は、たんのうより外に受け取る理はない」(明治29.10.4日)。 |
「わるい中にたんのうおさめられん、道理といふ、ならん中たんのう、をさめられん所からをさめるは真実まことといふ、前生因縁のさんげともいふ」(明治30.7.14日)。 |
「あちらもこちらも事情が重なっている中で“たんのう”しろと言ってもできにくいであろう。しかし、どう思ってみても、どうなるものではない。よく聞き分けて、日々結構に通らせて頂いて有難いという、“たんのう”の心を治めなさい。体がつらい苦しいというときに、“たんのう”しろと言ってもできないであろう。けれども、この道の話をよく聞きわければ分かるはずである。今日まで通ってきた日々の中に、親心を十分おかけ頂いてきたことを思案しなさい。身上、事情の苦しい中、“たんのう”できにくい中に、“たんのう”して通るのが、前生因縁の“さんげ”である。前生因縁は、これより“さんげ”の道はない」(明治32.3.23日)。 |
「このぢばという/\、あちら眺めても こちら眺めても、皆(みな)敵であった。皆な幼少ばかり、これを見て教祖(おやさま)誰に頼り、彼に頼りなき理を見て、たんのう(足納)してくれにゃならん。元から子
生み出したも同じ事/\。それぞれ相談/\一つ理。皆な兄何人あるか。聞き分けてたんのう。この兄親一つ理、教祖存命苦労艱難見れば、聞き分け。今日は不自由さそう、難儀さそうと言うのやない。兄親の数を幾人(いくにん)あるか、一つ理見てくれにゃならん」(明治29.12.22日)。
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