ジェンダー、性的マイノリティー(LGBTQ)考

 更新日/2022(平成31.5.1栄和改元/栄和4)年.9.22日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「ジェンダー、性的マイノリティー(LGBTQ)考」をものしておく。これに対するお道教理に基づく諭しにまだ目に触れていない。ここで、この論の内容を確認し、踏まえた上での「お道教理に基づくれんだいこの諭し」を記しておくことにする。

 2022年.9.22日 れんだいこ拝


【ジェンダー平等、性的マイノリティー(LGBTQ)、男女共同参画考】
 「LGBTQ+」とはアルファベットの頭文字から成る言葉で、「性的少数者 」(セクシャル/ジェンダーマイノリティ) を表す総称の一つである。その解説は次の通り。
L レズビアン (女性同性愛者)
G ゲイ (男性同性愛者)
B バイセクシュアル (両性愛者)
T トランスジェンダー (身体の性と心の性が一致しない)
Q クエスチョニング (心の性別、恋愛の方向が定まっていなかったり、その変化の途中であったりすること)
クィア (異性愛以外のあらゆるセクシュアリティを指すための言葉)
LGBTQに包含されない性的少数者
同性愛者 homosexual
ホモフォビア (同性愛者嫌悪)

 その当事者は、職場などに左利きやAB型と同じ割合存在するともいわれている。彼らの中には、私たちの身近なところで自らの心と身体に悩み、“生きづらさ”を感じている人も少なくない。これらの人を社会的にどう待遇すべきかの軸が定まっていない。「多様性を尊重する動きが社会全体に広まるなか、周囲からの偏見や差別は解決すべき大きな社会課題でもある」として社会的普通的受容の動きが強まっている。他方、認識は共有したとしても、社会的制限的受容に留めるべきとする勢力も根強く存在する。ここで、その基礎知識を深く学び、考える機会をもちたいと思う。

【天理教の迎合対応考】
 「ジェンダー平等、性的マイノリティー(LGBTQ)問題に対する、天理教の対応としての明確な基本方針の打ち出しがまだ見られない」中、その試論になるような論考がネット検索で出て来る。「ジェンダー平等、性的マイノリティー(LGBTQ)」に対する基礎知識を得るために、ネット検索で出くわした次の論考を抽出しておく。いずれ、れんだいこ文に焼き直す予定である。(読み易くするために、れんだいこ文法に則り一部編集替え、表記替えする)
天理大学おやさと研究所/堀内みどり 同性のパートナー
天理大学おやさと研究所/金子珠理 「天理教における男女共同参画とひのきしんについての一考察」
グレッグ・ドボルザーク LGBTの人々と家族 誰もが人を愛することを認められる社会へ
 「神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。神は彼らを祝福して言われた。『産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ』」(創世記1:27~2、新共同訳聖書)。
 人間は有性生殖によって生命を維持してきた生物である。聖書「創世記1:27~2」にあるように,男と女とが創造され、祝福されて 「産めよ、増えよ」の役割を担って今日に至っている。「地に満ちて地を従わせよ」はユダヤ-キリスト教聖書の独特の文言であるが、ここではこれを問わない。「産めよ、増えよ」の役割を担う主体は“夫婦”として承認された男女である。このことは,異性間性交接をノーマルとしていることを意味する。

  日本国憲法は「両性の合意」で婚姻が成立するとし「結婚する両者の合意」だけで結婚できることを保証しているが、異性間結婚を前提としており同性間婚姻については念頭に置いてない。社会通念として「異性婚」に疑いようがなかったからであろう。法治国家に於いては、夫婦は法的適応により社会に認められる特別な男女関係としての夫婦となる。これが核家族の始発となる。
 人はその誕生時に、性器の形態により男と女に分類される。この身体的特徴(性器、性遺伝子・染色体など)から男あるいは女とされ,以後その性別に沿って育てられていく。服装や言葉遣い,振る舞い,考え方などあらゆる場面でこの性の型が表出する。

 女性学やジェンダー学では、生物学的な性と社会がイメージしている男や女という性とを分別し、前者を「セックス」、後者を「ジェンダー」と呼ぶ。ジェンダーは、「セックス」の一定性不変性に比して、社会や時代あるいは社会階層や宗教など人が属している集団がもつ価値観によって異なると考えられている。両者間の「男らしい」、「女らしい」認識には多少開きがある。

 個人が、自分の性について考えるとき,自らの身体的特徴や社会通念が、自分が感じている性と異なっている場合には、性自認(自分の性別の自覚・心の性)できにくいと考えられる。混乱したり否定的な感情に苛まれるということもある。さらに人の性を考える際に、好きになる相手の性別のことを指すセクシュアル・オリエンテーション(性的指向性)という視点を取り入れると、性が表象しているもののより多様で複雑な様態あるいはそのグラデーションが見えてくる。多くの人は性自認している反対の性に対して性的指向性を持つ。これを「ヘテロセクシュアル」(異性愛者)と云う。性自認と性的指向性が一致する場合があり、これを「ホモセクシュアル」(同性愛者)と云う。女性が女性を好きになり女同士で夫婦関係に至るのを「レズビアン」と云う。男性が男性を好きになり男同士で夫婦関係に至るのを「ゲイ」という。両方の性に性的指向性がある人は「バイセクシュアル」(両性愛者)と云う。いずれにも関心のない人もいる。また性自認と身体の性別が一致しない場合は「トランスジェンダー」と呼ばれる。LGBTとはこうした人々のことである。そのどれか一つでも“常識”と異なると「ジェンダー・アイデンティティ・ディスオーダー」あるいは「性的マイノリティ」と見なされる。
  2014年11月21日の産経新聞は夕刊で「衝撃の『同性愛』告白波紋」という見出しの記事を掲載した。米アップルのCEOであるジョン・クック氏が同性愛者であることを告白し,波紋を広げているというものである。大手有名企業のトップが同性愛を告白するのは異例のことだとして,記事は次のように述べる。 「勇気づけられた」と各界から賞賛の声が相次ぐ半面,宗教上の理由などから同性愛に不寛容な国も少なくないため,同社の海外ビジネスへの影響を懸念する声も。だが,クック氏の決断の背後には,キャリア実現と本当の自分の姿とのはざまで葛藤してきた“数しれぬクック”たちの存在があった。

 記事は,「同性愛者であることは,神から与えられた最高の贈り物の一つ」と言うクック氏が,自身が同性愛者であるということを告白した理由について「自身を受け入れるのに苦労する人がアップルのCEOも同性愛者だと知って慰められるなら,私のプライバ シーを犠牲にする価値がある」と続けている。つまり,同性愛者であるということは,本当の自分の姿ではあるがキャリア実現には妨げになると考えていたこと,“数しれぬクッ ク”たちは同性愛者であるという自分を受け入れるのに苦労しているということがわかる。

 ホモフォビア(同性愛または同性愛者に対する恐怖感・嫌悪感・拒絶・偏見,または宗教的教義などに基づく否定的な価値観)という感情は,古くから知られているが,当事者への差別や偏見として現れるだけでなく,当事者自身の在り様を否定するため,そのような自分自身に当事者自身が苦しむことに追い込んでもいる。

 また,同性愛をWHOの「疾病 及び関連保健問題の国際統計分類」から削除するとWHOが決議したのは,1990年5月17日である。それまで同性愛は「病気」と考えられていた,「治療しなければならない」対象だったということになる。
  2.同性愛者の顕在化と社会
 ⑴ ジェンダー・ロール(性役割)あるいは社会規範と同性愛

 2005年アメリカで『ブロークバック・マウンテン』という映画が制作された。題名はアメリカワイオミング州にある地名で,同性愛に対して保守的だった1960年代のアメリカ中西部が舞台となっている。主人公となった2人のカウボーイの愛は終生変わらないものではあったが,後に女性と結婚している。映画の中では,同性愛者への虐殺シーンがあって,当時同性愛者には非常に厳しい状況だったことが描かれている。美しい映像と相まって話題になった。カウボーイは強い男の理想像であり,ゲイであることは「社会的な死」 と考えられていた。なぜなら,異性愛者にとって,同性愛者は社会から「普通ではない」 状態と見なされるからである。ここでは,ゲイは性的逸脱者としてだけでなく,男に課せられている「男らしさ」規範から外れている者として,社会や家族,両親からも分断されていたことが伝わってくる。

 この激しい嫌悪や憎悪は,現在では大きく2つの方向を向いている。概して同性愛者の存在を認知あるいは理解し,2000年初め頃から同性婚を認めていこうとする国が出始めた一方で,ますます激しい憎悪で厳罰化を進める国が出てきている。2010年『同性愛と異性愛』(岩波新書)を上梓した風間孝と河口和也は,20年前ならタイトルに同性愛とついているだけで,購入することも手にすることも憚られたと述べる。「同性愛なんて,おかしい」、「同性愛,気持ち悪い」と人々が意識していた背景には「異性愛は社会の根幹に埋め込まれている『当然なもの』、『普通のこと』」だったことを意味している。現在の日本社会では,同性愛者に対する忌避意識や嫌悪感が徐々に薄まりつつあるが,もし,父や母,兄弟が同性愛者だったら「えっ,いやだぁ」、「ありえない!」という反応があること,親はわが子が同性愛者だとわかっていても「結婚だけはしてほしい」と思っていると同書は述べている。以下,同性愛者が顕在化していく中で,彼らがどのような扱いを受けてきたのかを,同書第3章にしたがって簡単に まとめておきたい。
 ⑵ 同性愛者の顕在化:処罰化と病理化

 まず,同性間の結びつきが時代や地域を超えて存在してきたことは,さまざまな文献や資料,芸術作品から明らかである。しかし,同性愛者というアイデンティティを意識する人々の誕生は,19世紀末のヨーロッパとアメリカにおいてである。カナダの社会学者バリー・アダムは,工業化や都市化が進行する中,パブやコーヒーハウス,公園などでお互いを発見,親密な関係をもつ環境が出きてきたことがその背景にあるという。また,男性が女性に比べて目立つのは,女性は行動範囲が制限されることが多いのに対し,男性の自由度が高かったせいだという。
同時期,ヨーロッパではキリスト教の影響で中世に確立した同性愛否定の考えが大きく変化し始め,フランス革命後のナポレオン法典は同性間の性行為禁止の法律が廃止される。これに同調していったのはベルギー,ルクセンブルク,オランダ,イタリア,ドイツの一部である。

 他方,同性愛者の顕在化に対し,激しい非難が現れた地域には,ドイツ,アメ リカ,イギリスで,刑法上の犯罪とみなされることになった。いわゆる「ソドミー法」が成立する。ヘンリー8世はソドミー行為を「自然に反する犯罪」(イギリス・1533年)とし,この考え方はアメリカにも影響を及ぼした。1871年統一ドイツでプロシア刑法175条は同性間の性行為を2年以下の懲罰刑とした。それに反対したハンガリー人医師ベンケルトは,1869年,その条項削除を求める法務大臣宛ての公開書簡の中で「ホモセクシュアリティ」ということばを初めて用いた。

 ドイツの法学者カール・ハインツは「第三の性理論」を唱え,「同性愛は先天性の変質であり,刑法による処罰は不公正であると主張」した。 1897年には,ベルリンで世界初の同性愛者の人権擁護団体「科学的人道委員会」が設立。しかし,
1933年政権に就いたナチスは,同性愛を「農耕生活とは相いれない都市における腐敗の対象であり,根絶すべき病気」と捉え,少なくとも5,000~15,000人の同性愛者が強制収容所に送られた。同性愛が刑罰の対象だった時期は,同性愛が「病気」と考えられた時期でもある。
 1869年ベルリンの精神科医カール・フォン・ヴェ ストファルは女性の同性愛者を「逆転した性的な感情」の状態であるとして治療を試み,以後ヨーロッパやアメリカでも治療が試みられるようになったという。『性的精神病質』 (1886年)を著し,同性愛の病理化に大きな 影響を与えたリヒャルト・フォン・クラフト =エビングは,同性愛を異常とし,同性愛者は病気であるから,懲罰ではなく,治療すべきだと裁判で証言した。こうして,同性愛の病理化が進行する中で,「性的倒錯」という診断名のもと多くの症例が集積され,それは同性愛者という人間類型という考え方を生みだしていった。そのことは,当事者に「同性愛者」という自意識をも生みだすことにつながったという。第二次世界大戦は,男性にとって軍隊という男性社会での長期にわたる共同生活,女性には工場での就労という環境が,同性愛者という意識が広範に生みだすきっかけとなったとされる。戦後は,その反動もあり,同性愛者は取り締まられ,公職から追放される事態がアメリカやヨーロッパで起きた。1969年にはドイツで刑法175条が廃しされたが,同性愛者への暴力や脅迫はイギリスでも続いてい た。
 ⑶ 同性愛解放運動と人権

 こうした中,同性愛解放運動が始まっていく。アメリカでは1960年代様々なかたちで,人権回復の社会運動が展開され,黒人や女性,若者が社会に対抗した。この頃、ゲイ解放運動が起こる。同性愛者にとっては 「ストーンウォール事件」があげられる。1969年6月27日深夜,警察はニューヨーク市南部にあった「ストーンウォール」という小さなバーを酒類販売法違反で摘発したのである。このような摘発はしばしば行われていたが,通常は警察に反抗することなく収束していた。 しかし,この時は200人以上の同性愛者が警官に反抗し,計2,000人以上が400人の警官に立ち向かったとされる。

 そして1970年代,アメリカの同性愛解放運動は同性愛の脱犯罪化と脱病理化を勝ち取っていく。同性愛を差別の対象とし州によっては犯罪と見なしていたが、1977年には米国で初めてゲイであることを明らかにして立候補し、当選した政治家、ハーヴェイ・ミルク サンフランシスコ市会議員が誕生し、人権運動が盛んになった。 ソドミー法の撤廃,「性的逸脱」から「性的指向の混乱」 そして同性愛はアメリカ精神医学会の診断マ ニュアルから削除(1983年)された。 ところが、1980年代にHIVの感染が男性の性愛者間で広まったことから、ゲイに対する批判が強くなっていく。

 風間と河口は『同性愛と異性愛』 冒頭で「日本は同性愛に寛容か?」という問いを発し,実は「無関心」なだけだったのではないかとウォールストリート・ジャーナルのコメント「差別もないが無関心」 (p.75)を紹介している。日本には「男色文化」があったが,それは同性愛とは違うものとされ,1910年代になると,江戸時代の男性間の関係を倫理的に捉える認識,明治期の文明とは相いれない道徳的退廃と捉える認識とも異なる同性間の関係が考えられ,同性愛は1920年代ホモセクシュアリティの訳語として定着した。そして,同性愛ということばで,男性同士だけでなく女性同士の関係をも表すこととなった。この時期,日本でも同性愛は病理化し,「変態性欲」とされていた(pp.94 ―104参照)。

 1971年、東郷健は同性愛者であることを告白した上で,常識にとらわれている同性愛者, 常識の側にいる人々に対して訴えかけ,参議院選挙に立候補し落選したものの2万票を獲得,その後も幾度となく立候補している (p.106)。以上のように,「同性愛」ということが,自分では決められない「性的指向」であるこ とは理解されつつある。「性的指向」は好みや嗜好ではない。しかしながら一方でホモフォビアは存在し続け,また同性愛者に対するヘイトクライム(憎悪犯罪)も起こり続けているのが世界の現状がある。一時期エイズ流行が同性愛者と関連して報道され,偏見やホモフォビアを助長した。このような同性愛に対する両面の反応は,現在では同性婚容認というベクトルと同性婚の厳罰化というベクトルとして働いているように思われる。
 3.現代社会と同性婚
  ⑴ 同性婚の合法化

 現代社会には多様な家族が現に存在している。その多様な家族という形態のひとつとして,同性のカップルを想定すれば同性婚もある。夫婦という関係を結ぶことは,それ自体は個人的な範疇であるかもしれない。家族やコミュニティに認められなくても異性間の結婚は承認される。法的に是認されることは,夫婦であることの責任と義務を負い,家族を形成する最小単位として社会に存在することになる。家族でなければ(法的に夫婦でなければ)できないことは日常的にいくつもある。財産や税に関することだけではなく,例えば,パートナーが家族以外面会謝絶のような状況になったときに面会できない,民間のアパートを借りられないなど,当事者には深刻な問題となっている。俗に「紙切れ一枚の関係」といわれることがあるが,この「紙切れ一枚」(婚姻届)の取得こそが一大事なのである。結婚はたいていの場合,このような法的な関係,結婚という制度がふたりの関係を保障しているともいえよう。だから,同性のカップルが「結婚できない」(法的に婚姻関係を結ぶことができない)のは,異性間夫婦では当たり前の行政サービスや社会的な扱いを日常生活で受けることができないということになる。パートナーの事故・入院・死別の際の立ち会いや個人情報の取得で 「他人」扱いされてしまうということである。

 バラク・オバマ大統領は,2期目の就任演説で,同性愛者の法的平等に実現について語っている。先駆者の始めたことを引き継ぐのは我々の世代の仕事です。我々の旅は,妻や母,そして娘たちの努力した結果に見合う生活ができるようになるまで,同性愛の兄弟姉妹が法のもとで全ての人たちと同様に扱われる日がくるまで終わることはありま せん。もし本当に我々が平等な人間として創造されたのであるならば,互いへの愛もまさに平等でなければならないはずだからです。
(http : //www.ibcpub.co.jp/obama/speech 2.html,2014.11.16閲覧)

 2000年以降,同性婚を法的に認めようとするところでは,上記に述べたような同性愛者が被っている不利益を解消するような法的制度としての「婚姻関係」を保証するものとなっている。ILGA(International lesbian, gay, bisexual, trans and intersex association の略,国際レズビアン・ゲイ協会,1978年創設)のサイトには,2014年5月現在における,同性婚に関する各国の対応が色分けされた世界地図が掲載されている。
(http : //old.ilga. org/Statehomophobia/ILGA map 2013 A4. pdf)
 2001年オランダ,2003年ベルギー,2005年 スペイン,カナダ,2006年南アフリカ,2009年ノルウェー,スウェーデン,2010年ポルト ガル,アイスランド,アルゼンチン,2012年デンマーク,2013年ウルグアイ,ニュージーランド,フランスで同性婚が合法化された。アメリカでは50州のうち19州とワシントン DCで合法化されている。

 合法化とは,男女の婚姻とは別枠の制度として,異性間結婚の夫婦に認められる権利の全部もしくは一部を同性のカップルにも認め,保証するという法律を作ることで,一般にパ ートナーシップ法と呼ばれるものとして知られている。ドメスティックパートナー法 (domestic partner),登録パートナーシッ プ法(registered partnership),シビルユニオン法(civil union)などがあり,デンマー ク,ノルウェー,スウェーデン,ドイツ,イギリスなどが採用している。また,フランスは2013年に同性婚は合法となったが,それに先だって1999年に制定されたPACS(Pacte civil de solidarity)法(「同性または異性の成人2名による,共同生活を結ぶために締結される契約」)がある。これは,共同生活を営むカップル(内縁者)を対象とし,同性カップル,異性カップルを問わず,法的婚姻関係になるカップルと同等の権利を認め公証している。民事連帯契約および連帯市民協約/市民連帯契約の総称と理解されている。

 アジアでは,タイ,ベトナムなどで同性婚の合法化に向けた動きが活発化していると報 じられている。また,台湾で行われた同性婚合法化についての調査で,回答者の53%が賛成,37%が反対,10%は意見なしだった。これに対して10年前は25%が賛成,55%が反対, 20%が意見なしだったことから,賛成が以前の同性のパートナーの2倍に増えていることがわかった(2013.8.8台北発ニュース)。日本でも東京都渋谷区で 「同性カップルに証明書」を発行するという条例案提出に向けての動きがあると報じられた。渋谷区に住む20歳以上の同性カップルに結婚に相当する関係を認める証明書を発行するというもので,これが認められれば国内で初となる。同性婚を法的に認めることについて中年層では49.1%の人が賛成(45.9%が反対),若年層では70%の人が賛成(24.7% が反対)というアンケート結果も紹介された。ただし,同性カップル証明書は法的効力がなく相続・税・社会保障などの権利や優遇処置を受けられない(「とくダネ!」フジT V,2015年2月13日)。
 ⑵ 同性婚の処罰

 このような同性婚の合法化がある一方で, 同性愛や同性婚が刑罰に値するとする国々や共同体がある。そうした国々では,ますます厳罰化する傾向も見られる。AFPによると,2010年1月時点で,アフリカ53カ国のうち,同意の上であっても同性愛者同士の性行為を犯罪とする法律があるのは38カ国(AFP,2010年1月13日)だった。例えばカメル ーンでは,同性愛は最高5年の懲役となる。2014年1月,ナイジェリアで新法が成立し, 同性婚は禁固14年の刑となった。同年5月,ブルネイでは同性愛が「石打ちの死刑」とな った。またロシアのプーチン大統領は「同性愛のプロパガンダ(宣伝)行為に罰金を科す」 (2013年7月1日付AFPBBニュース)と言っている。また,マレーシアでは同性愛の元副首相の有罪が2015年2月10日に確定した。マレーシアの野党連合を率いるイブラハム元副首相は2008年イスラームの禁じる同性愛行為によって起訴され,2012年1審で無罪,14年2審で有罪となり,このたび連邦裁判所(最高裁)への上告が却下されて禁固5年となった(産経新聞2015年2月11日)。これらの事実は,結婚が「制度」というだけでなく,宗教的な(あるいは文化的)価値観が組み込まれたものであること,社会規範となっていることを明示している。

 世界には,宗教法によって結婚が合法であるとする国もある。 同性婚に反対する人々は,同性婚を認めると,一夫多妻や一妻多夫,近親相姦や小児愛の合法化にさえつながりかねないと懸念したり,子どもに悪影響があり過負担となる,また,子孫を育て残すという結婚そのものの意味が喪失し,少子化につながるという人もいる。しかし,何よりも同姓婚は道徳や価値観を破壊するという反対意見が根強い。これはホモフォビアにもつながっていく「思い」で,多くの結婚は男女間に限るべきであり同性愛行為は道徳的に反するという強い宗教的道徳的な信念に支えられている。
 4.同性婚と宗教
  ⑴ ユダヤ教とイスラエル

 ユダヤ教の聖典旧約聖書は,生殖を伴わない性行為を禁じている。レビ記(18:22)は, あなたは女と寝るように、男と寝てはならない。これは忌みきらうべきことである(レビ記18:22)と教え,20章13節でも同様のことが説かれている。同性婚はタブーと見なされ,偏見と差別にもつながる。しかし,イスラエル政府は,1988年,同性愛者の権利を認めた。同性婚は不可だが,異性婚と同等の法的権利を与える,というものである。その理由として,WHOが同性愛は病気ではないとしたこと,国連人権委員会がLGBTの権利擁護に積極的なこと,1970年代後半に国際精神医学会が同性愛は病気ではないと再定義したこと,1990年代以降,同性愛の人権獲得裁判が社会的にも注目され,著名人の告白が続いたことなど,同性愛の社会的プレゼンスの増加したことが挙げられている(羽生浩一「イスラエルの広報外交による国家イメージの変革(中間報告) ―性的マイノリティの人権問題をめぐって ―」参照)。

 羽生によれば,この政策は,イスラエル政府が,自国内での結婚は宗教を通してのみ可であり,異教徒同士では結婚できないとしつつ,海外で結婚してきたカップルについては,その証明書があれば既婚とし,子どもを海外でもうけ,連れて帰国すればその両親の子とするというものである。羽生は,この政策を国家イメージの変革を目指すものという。つまりイスラエルでは,ユダヤ教では禁止されている同性愛(者)であっても,その人権が保証されることを世界に向けて発信しているのである。子どもをもつ同性愛カップルは10,000~15,000組で世界一の規模だという。
 ⑵ キリスト教

 冒頭で引用したように,聖書は創世記で,人間は「男と女に造った」と教える。さらに「それゆえ男はその父母を離れ,妻と結び合い,ふたりは一体となるのである」(創世2:24)と語り,これらは,「人間の性は男と女の2性」、「夫婦は異性」であることの根拠と考えられている。つまり,聖書では神がこの世界を造られた時に,まず人(男)を造られ,そして(彼から)女を造ったのであって,男から男は造られず。したがって,性行為は男と女の間であるように造られたのであり,「男と男」あるいは「女と女」ではないと解釈することができる。さらに,前項で紹介したレビ記は男性同士の性的関係に警告を与えている。ユダ7章には,ソドム,ゴモラおよび周囲の町々が好色にふけり,不自然な肉欲を追い求めたので,永遠の火の刑罰を受けて,みせしめにされたことが述べられ, 「第2ペテロ」では,また,ソドムとゴモラの町を破滅に定めて灰にし,以後の不敬虔な者へのみせしめとされました。また,無節操な者たちの好色なふるまいによって悩まされていた義人ロトを救い出されました。というのは,この義人は,彼らの間に住んでいましたが,不法な行ないを見聞きして,日々その正しい心を痛めていたからです (2ペテロ2:6―8) と描かれている。このように,男性間の性行為は禁じられており,「不自然な肉欲」、「不法な行ない」と考えられた。

 さらに,「第1 コリント」は,「神の国を受け継げない正しくない者として」列挙されたものの中に「男娼,男色をする者」が含まれている。 あなたがたは正しくない者が神の国を受け継げないことを知らないのですか。 思い違いをしてはいけない。みだらな者,偶像を礼拝する者,姦淫する者,男娼,男色をする者,泥棒,強欲な者,酒におぼれる者,人を悪く言う者,人の物を奪う者は,決して神の国を受け継ぐことができません (Ⅰコリント6:9―10) 。同様のことが,第1テモテでも語られる。律法は,正しい人のためにあるのではなく,律法を無視する不従順な者,不敬虔な罪人,汚らわしい俗物,父や母を殺す者,人を殺す者,不品行な者,男色をする者,人を誘拐する者,うそをつく者,偽証をする者などのため,またそのほか健全な教え同性のパートナーにそむく事のためにあるのです (Ⅰテモテ1:9―10)。また,「ローマ書」でも,「女はその自然の関係を不自然なものに代え,男もまた同じよ うに女との自然の関係を捨てて,互にその情欲の炎を燃やし,男は男に対して恥ずべきことをなし」(ローマ1:26―27)と教えている。 こうした聖書の叙述について,森本あんり 国際基督教大学務副学長は,以下のように解説する。 しかし,誤解されてはならない。これらが非難しているのは「同性愛」ではなく「同性間性行為」である。聖書時代の認識では人はすべて異性愛者である。これらの行為は異性愛者が意図的に行う倒錯現象として非難されているのである。これに対し,現代では多くの研究で,同性愛の性指向をもつ人はどの文化にも一定程度かならず存在しており,しかもそれは本人の自発的な選択による結果ではない,ということが明らかになっている (中外日報2013年8月1日)。

 確かにキリスト教では,同性愛は性的逸脱・ 宗教上の罪として認識されてきた。特にキリスト教の影響が多大であった中世ヨーロッパでは,『異性愛と同性愛』が指摘しているように,この教えは絶大であったと思われる。そして近年の研究の成果は,同性愛は生まれつきの性的指向であることを示し,それ故,不当な扱いを受けるべきではないという考え方がキリスト教の中でも言われてきている。それは,前述のアメリカのオバマ大統領の演説にも反映されている。一般に同性愛/同性愛者に対するキリスト者の態度には3つの立場があるとされる。それらは,A)聖書は何も語っていない(同性愛に特別な指針はない) B)同性愛は性的逸脱(同性愛者の人権を認めることは教会の世俗化) C)同性愛者の人権は認めるが,その行為は罪であり,森本がいうC)の立場が主流と考えられる。2014年10月に開催されたシノドス会議では,同性愛者の許容案は保守派に反対されたが,教皇フランシスコは,その行為は宗教上の罪,その欲求を持っているだけでは罪ではないという立場を語り,「小さき者へ寄り添う」としている。
 ⑶ イスラーム(イスラム教)

 2012年朝日新聞は「キーワード」欄で 「イスラム教と同性愛」を取り上げた。そこでは,「破廉恥(男色)をしておるのだな… お前たち,女のかわりに男に対して欲情を催すとは。まことに言語道断な奴」(井筒俊彦訳『コーラン・上』岩波文庫,p.215)に示される予言者ロトの言葉を根拠として,一般的に「イスラム教が同性愛を禁じる」。「トランスジェンダーなどの記述はないが,レズビアン,ゲイ,バイセクシュアルとあわせた『L GBT』はタブー視されてきた。活動家らは LGBTがインドネシアに400万~600万人はいるという」(朝日新聞2012年7月17日)と解説した。 クルアーン(コーラン)は,ソドムの町について旧約聖書をほぼそのまま使用し,男性の同性愛者に対する神の怒りを描いていて,中間の性(ハンニース)の存在をも既知していたとされる。同性愛を厳しく禁じる宗派では,現代の文明化し,発達した時代にもこの 醜い行為が広がっていて,一部の西側諸国では認められているが,イスラームの預言者は 「同性を愛する男性は神の呪いを受け,イスラムではこの醜い行いの懲罰は,主体者であろうと受動者であろうと死刑である」(光の彼方への旅立ち/item/28232―コーラン第7章アル・アアラーフ章;高壁;第77節~第82 節,2015年2月16日閲覧,イランのイスラーム)と教える。
(http : //japanese.irib.ir/programs)

 ハディース(ムハンマド言行録)には同性愛は石打ち刑,シャーリヤ(イスラーム法)には既婚者は死刑,未婚者は鞭打ちと記されているとされる。2001年以降,エジプトでは同性愛取締は強化され,2005年にはイランで同性愛行為を行なったとして2人の少年が処刑された。ただ,原理主義台頭以前のイスラームの社会は同性愛に対して非常に寛容だったらしく,欧米から多くの同性愛者が移入(19c~ 20c前半)していた(『異性愛と同性愛』など参照)。ムハンマドが美しい少年の姿の神に会ったとも伝えられており,スーフィー(イスラームの神秘主義者)では,愛する少年の中に神を見るという。
  ⑷ チベット仏教

 2014年3月7日のAFPは,「チベット仏教最高指導者のダライ・ラマ(Dalai Lama) 14世が,訪米中に発表されたインタビューの中で同性婚に問題はないという立場を示し,同性愛嫌悪を非難するとともに,仏教とは異なる習慣の人々の間で合意の上で行われる性 行為は気にしないと述べた」と報じている。 同性婚はそれぞれの政府次第であり,最終的には「個人的な事柄だ」と述べ,「2 人の人間─カップルが,その方が現実的だと感じ,満足が得られ,両者が完全に合意しているのであれば問題ない」。また公共政策と個人の道徳を区別し,性について人は自らの宗教の規範に従うべきだと述べつつ,「しかし,信仰を持たない者については彼ら次第だ。性にはさまざまな形があり,安全で,(両者が)完全に合意していれば 問題ない」 (AFB2014.3.7)。
 おわりに

 日本ではすでに述べた通り,同性婚は法的に認められてはいない。国として「パートナ ーシップ法」のようなものの法制化するという動きもない。その一方で,妙心寺山内の春 光院では「日本の仏教には同性愛を禁じる教えはない」として,ホテルとの提携による, 同性カップルに向けた仏前結婚式のプランを提供,これまで5組が挙式している(中外 日報2014年11月7日。また,「同性婚『京都の寺で挙式いかが』海外向けプラン人気」 として毎日新聞(2014年8月13日)が報じている) 浄土真宗本願寺派の東海教区青年連盟のサイトでは,「同性婚の仏前結婚式ってできま すか?」という質問を,Q&Aの欄で取り上げ,仏法では結婚は男女間に限定したもので はないが,日本のように現行法で同性婚を許可していない地域では,その現行法を否定するのは難しい。ただし,教団として式を執り行うのは難しくても,一僧侶という立場ならば自らの覚悟がると答えている(「仏教では 同性愛についてどう考えるのでしょうか。お 坊 さ んQ&Aサ イ ト[hasunoha]。http : // hasunoha.jp/questions/401,2014年11月20 日閲覧」。

 金山神社(川崎市)では,1998年末に日本の神社で初めて同性婚(ゲイ)の挙式が行な われた。宮司は,「悩んだけれど,2人が真剣だったので」挙式を引き受けたという。これに対し,神社本庁は「神道では神話の時代から結婚は男女間に限られている。男性同士の結婚は考えてもみなかった」と答えた(東京新聞1999年1月20日夕刊)。また,元宝塚歌劇団の男役として活躍していた東小雪さんが,2013年3月1日,東京ディズニーリゾートで初となる恋人のひろこさんとの結婚式を挙げている。当初は片方が「タキシードを着ること」としていたディズニーが譲歩し,揃ってのウェディングドレスでの挙式となった。これは特例ではなく,どんなカップルでも利用できるとのことである。彼女たちは,「とくダネ!」のインタビューで,渋谷区が「同性カップル証明書」が発行するようになったら,すぐに利用したいと語っていた。日本でも,同性婚に関する話題が“公に”できるようになってきている。これまで見てきたように,結婚はプライベートでもあり,公の事柄でもある。同性婚をめぐる昨今の世界の状況は,合法化に進む国々がある一方,異性愛/異性婚こそが正しいものとして,処罰化の方向へと進む国々も ある。合法化は,同性カップルが抱える問題を法的に保証することによって,解決しよう とするものである。それは,人権として捉えられる。同性愛者は,必ずしも結婚を望んでいるというわけでもなく,パートナー法のようなもので,法的保証は可能だと考えている。宗教的価値観が反映する結婚・家族・夫婦についての在り方は,世俗国家でも社会通念とか社会規範として反映されていて,同性愛,同性愛者の否定はホモフォビアにつながる。宗教が人の在り方を支え,決定しているような場合,それは人の内心にかかわること,人の存在理由を形成するものともいえるから,同性愛が正しいくないと教えられる当事者は苦悩する。ある一人の敬虔なキリスト者であり同性愛者である人は,自分の宗教では結婚できないからといって,信仰を捨てることはできない。信仰は,自分の「性」と同様に自分とは何かの基礎になっていると語った。ここに葛藤と苦悩がある。同性愛や同性婚が厳に処罰されるような宗教では,当事者たちは,まさに死と直面している。

 同性愛の歴史は,同性愛者が自らを自覚し,社会に顕在化し始めると刑罰/処罰の対象とされ,自然に反するものとして病気とみなされた。自然に反するということは,「生殖」こそが夫婦の役割とするからである。しかし,同性愛が自分では制御できない「自然のこと」であると知られる現代にあって,夫婦,あるいはパートナーであるということについて,換言すれば,人であること,婚姻関係を結ぶことについて,宗教も社会も根本的に熟考すべき時が来ていると思われる。 家族・結婚するとはどういうことなのか? 離婚・再婚・シングルマザー/ファーザー,生殖補助医療技術の進展などすでに親子関係は複雑となっている。私たちは「生涯をともに生きる相手」とどのようなものを築いていこうとしているのだろうか。そして,宗教は,現に存在する性的マイノリティの人々をどのように活かしていけるのだろうか。
  LGBT をめぐる教理の行方

  天理教と成立時期の近い金光教では、女性の布教部長が着任してから、2018年2月に各種団体として「金光教 LGBT会」が認可されるなど、新たな動きが出始めている。立正佼成会においても、女性の次代会長の下での今後の動向が注目される。一方、天理教では、季刊誌『世界ろくぢ』(天理教啓発委員会発行)や「ひのきしんスクール」(布教部社会福祉課内にある各種「おたすけ」のための実践講座)において、徐々にではあるが啓発の取り組みがなされているが、教内の主要機関誌(紙)の『みちのとも』や『天理時報』には、LGBTの語句が載ることはなく、この分野の目立った動きはまだ見られない(同様に男女共同参画やジェンダー平等の文言も見られない)。

 しかし、天理やまと文化会議(天理教表 統領の諮問機関、現在は休会中)などでは、特に北米などの海外布教の現場で直面する、同性婚の希望者への結婚式の対応が検討されたと聞く。LGBT問題は、現に困っている人に寄り添えるかどうかという、教団の試金石ともなっており、実際に海外においては若干の挙式が実施されたようである。
 (金子珠理「天理教における男女共同参画とひのきしんについての一考察」より)
 ここで、LGBT についての、天理教教理に関連した一試論を若干述べてみたいとして始まるも、「ここで求められるのは、教理の現代的な解釈である」として頓珍漢教理に変造しようとしている。
 「憩の家」事情部におけるスピリチュアルケア

 近年、「宗教の社会貢献」研究の文脈において、臨床宗教師の役割が注目されてい るのが天理教の総合病院である、公益財団法人「天理よろづ相談所病院」(憩の家)の事情部(心のケア・信仰部門)にも、それに類似するものとして男女の「事情部講師」(常勤と非常勤)が配置されている。 2011年の東日本大震災を機に東北大学において「臨床宗教師」の養成が始まり、2018年3月には一般社団法人日本臨床宗教師会による「認定臨床宗教師」の資格制度が開始された。事情部講師は、それ以前から実質的にはそれに近い働きをしてきたが、しかし彼らは臨床宗教師ではなく、あくまでも天理教教師である(臨床宗教師では積極的な布教ができない)。また個々人で臨床宗教師の資格を持つ天理教信者は各地に存在するが、天理教としては、臨床宗教師をとくに推奨しているわけではない。憩の家の事情部は、身上部(医療部門)、世話部(社会福祉等の生活部門)と緊密な連携を保ちながら、外来・入院者の身上の患い(病気)や事情の相談に応じ、天理教の信仰に基づいて心身の苦悩の解決を目指そうとする。事情部講師は、交替制で病棟を巡回する他、外来相談や電話、ファックス、手紙による相談にも応じている。2018 年3月時点の講師数は計78人で(内、常勤4人)、男性46人、女性32人。ほぼ「男女共同参画」が達せられていると言えよう。非常勤講師は無給(ひのきしん)であり、その点で男女による待遇の差もない。女性の常勤講師は激務のためだろうか、天理時報に度々求人広告が掲載されている。講師は、病室を巡回しながら、希望者(断らない者)に対し、患部への「おさづけ」という定型の治癒儀礼や、会話を通したケアを提供している。地域の拠点病院のため、患者の内、天理教信者は約1割にもかかわらず、患者の8~9割が断らずに「おさづけ」を受けるという。講師の自己裁量は大きく、個々の患者に即した対応には力量が問われるが、女性講師もまた男性講師と同等に活躍していると言える。
(金子珠理「天理教における男女共同参画とひのきしんについての一考察」より)
 2015年に東京都渋谷区が「渋谷区男女平等及び多様性を尊重する社会を推進する条例」を施行し、同性同士のカップルにパートナーシップ証明が発行されるようになったが、相続や税金の配偶者控除はなく、法的に認められた婚姻とは異なっている。東京都世田谷区、兵庫県宝塚市、三重県伊賀市、沖縄県那覇市、北海道札幌市でも渋谷区の証明書と同じような書類を同性カップルのために発行するようになったが、同性婚とは違って、法律上の効力は全くない。徐々に同性同士のカップルの人権が認められているものの、国際レズビアン・ゲイ協会(ILGA)による世界の性的指向に関する法律の調査(2015年)によれば、同性愛を違法とする国は73カ国あり、スーダン、イラン、サウジアラビアなどでは、死刑が課せられているという現状があることも考えなくてはならない。同性愛行為が法律上、死刑や禁固刑と定められていない国や地域でも、宗教による道徳律として禁止され、死に直面している当事者は多数いる(出典:特定非営利活動法人虹色ダイバーシティ)
 (グレッグ・ドボルザーク「LGBTの人々と家族 誰もが人を愛することを認められる社会へ」より
 米国精神医学会が、疾患や障害を分類する手引き「精神障害の診断と統計マニュアル」で第4版までは、身体と心の性が一致しない状態を「性同一性障害」(gender identity disorder)としていた。同マニュアルの第5版(2013年)では、ジェンダーアイデンティティと性が一致しない状態そのものを「障害」とみなさず、「性別違和」(dysphoria)による精神的な悩みだけを治療の対象にしたが、日本では相変わらず「性同一性障害」という言葉が使われ「障害」として捉えられている。しかし、国によっては社会的偏見が少なく、自分のジェンダーに違和感を生じていない人々もたくさんいる。例えば、太平洋島嶼国(とうしょこく)であるサモアには男性の身体で女性の心を持つファファフィネ(第三の性)が存在するが、社会に受容されているため、本人たちは特に違和感やコンプレックスを感じていない。つまり問題となるのはジェンダーアイデンティティ(あるいはセクシュアリティ)そのものではなく、本人が違和感を感じざるを得ない外部環境なのだ。違和感によって引き起こされたうつ病による自殺者は、後を絶たない。だからこそ全ての人が、自分のジェンダーとセクシュアリティに違和感を感じずに済む社会をつくる必要があるのだ。
 (グレッグ・ドボルザーク「LGBTの人々と家族 誰もが人を愛することを認められる社会へ」より
 同性のカップルをめぐる結婚という権利

 同性愛者の人権を考える上で、婚姻制度は重大なトピックである。法律によって家族であることを認められれば、さまざまな権利が与えられる。万が一片方が事故にあったり、突然倒れ病院で手術をすることになった際、承認のサインができるのは法的に認められた家族だけだ。また、国籍が異なるカップルが結婚していれば、片方が帰国するときや別の国に転勤になったときに配偶者ビザが下りることもある。婚姻が認められていないだけで、法的にさまざまな障壁が立ちはだかる。

 デンマークでは、1989年に世界初となる、異性間の婚姻とほぼ同一の法的権利が認められる「登録パートナーシップ」制度が施行された。そして段階を経て、ヨーロッパの他の国々、南アフリカ、カナダ、アルゼンチン、コロンビア、メキシコ、ブラジルなどが同性婚を導入した。2015年には米国の全ての州で同性婚が承認され、国家レベルで異性婚のカップルと平等の権利が認められた。2017年5月には台湾の司法院大法官会議が、婚姻は男女間に限るものではないという解釈を公表し、アジアでは初めて、同性婚が合法化される見通しとなっている。
 
(1) 生物学的な性には,外性器や性染色体,性ホルモンなどさまざまな要素があることが知られて いる。遺伝子変異の場合も含めて性別がはっきりしない(非典型的な)人も,両方の性器を持つ人, それが通常に機能する場合もある。
(2) 世界には「第3のジェンダー」、「第3の性」 を認める文化がある。生まれながらに性別が特定されない,インターセックス(両性具有)者を「神から選ばれた者」と位置づける「ヒジュラ」(インド)は,男児出産などを祝う宗教的役割があり,歌や踊りによって子供の将来を祝福する。彼らは女装(女性)として振る舞い,社会的に特別な集団を形成している。社会はその存在を認めてはいるが,現実には売春などで生計を立てなければならないなど社会的地位は低い。ナバホ族の「ナ ドゥル」,タヒチの「マフ」,タイの「カトゥール」などとして一般に知られているような社会では,そうした人々に対して寛容だといえる。
(3) セクシュアル・マイノリティとは,同性愛者 (ゲイ・レズビアン),バイセクシュアル,インターセックス(両性具有・半陰陽),性同一性障害(FTM・MTF,医学的な診断名で,すべての人が手術を望むわけではない)又は性別違和(トランスジェンダー)を持つ人々等のことで,トランスジェンダーの人たちが持つ違和感の程度は人によって違う。包括語としてクィアという言葉がある。
(4) 旧約聖書の「ソドム」の町に由来
(5) ローマ法王庁(バチカン)で開かれた「世界 代表司教会議(シノドス)」の臨時総会は10月18日,「家族」に関する最終報告書を発表した。13日に発表した暫定報告書には「同性愛者らはカトリック社会に恩恵をもたらす」との表現があり,カトリックの改革に注目が集まった。
 (http : //www.huffingtonpost.jp/2014/10/14/pope-franscis n 5980776. html)
 しかし教会内からの強い反対で削除。結局,同性婚をタブーとするカトリック教会の基本姿勢は維持されることになった。
 (ニュー ヨーク・タイムズhttp : //www. nytimes. com /2014/10/19/ world / europe / noconsensus-at-vatican-as-synod-ends-.html)
 参考文献
・赤杉康伸・土屋ゆき・筒井真樹子編著『同性パー トナー』(社会批評社,2004年)
・アラン・A・ブラッシュ著,岸本和世訳『教会と 同性愛 互いの違いと向き合いながら』(新教出版 社,2001年,2008年2刷)
・井筒俊彦訳『コーラン』上(岩波文庫,1957年,1977 年18刷)
・伊藤悟・大江千束・小川洋子・石川大我・梁瀬竜太・大月純子・新井俊之『プロブレムQ&A 同 性愛って何?』(緑風出版,2003年)
・海野弘『ホモセクシュアルの世界史』(文春文 庫,2008年)
・NHK「ハートをつなごう」制作班・宮田興・今村祐治監修『NHK「ハートをつなごう」LGB T BOOK』(太田出版,2010年)
・風間孝・河口和也『同性愛と異性愛』(岩波 新 書,2010年)
・ジョン・ボズウェル著,大越愛子・下田立行訳『キ リスト教と同性愛』(国文社,1990年)
・白熊繁一『家族を紡いで』(天理教道友社,2014年)
・杉浦郁子・野宮亜紀・大江千束編著『パートナー シップ・生活と制度』(緑風出版,2007年)
・匠雅音『ゲイの誕生 同性愛者が歩んだ道』(彩流 社,2013年)
・竹内久美子『同性愛の謎 なぜクラスに一人居る のか』(文春新書,2012年)
・羽生浩一「イスラエルの広報外交による国家イメ ージの変革(中間報告)―性的マイノリティの人 権問題をめぐって―」『文明』(東海大学,2013 年)
・東小雪・増原祐子『ふたりのママから、きみたち へ』(イースト・プレス,2013年)
・好井裕明編著『セクシュアリティの多様性と排除』 (明石書店,2010年)
・山下明子編『日本的セクシュアリティ フェミニ ズムからの性風土批判』(法蔵館,1991年) ・和田正平『性と結婚の民族学』(同朋社,1988年)
(また関連するサイトの記事を多数参照させてい ただいた。
【註】
(1) 金子珠理「『女は台』再考―天理教における性別役割をめぐって」、奥田暁子編著『女性 と宗教の近代史』三一書房、1995 年、45 ~ 77 頁。天理教婦人会誌『みちのだい』および、 婦人会の 25 歳以下の女子青年を読者層とした『ウィズ・ユー With You 』は、教えに 基づいた良妻賢母育成を目指しているように思われる。天理教青年会機関誌『あらきと うりよう』に登場する保守系論者からも、この傾向は窺える。また、政府の少子化対策 の名の下、各地で展開されている「婚活」は、近年は天理教青年会によっても実施され ているが、実質的には後継者問題解決のための一つの試みでもある。「婚活サポート各地 で展開へ」『天理時報』2019 年3月 10 日号参照。
(2) 堀内みどり「ジェンダーの視点から見た教祖伝」、幡鎌一弘編『語られた教祖―近世・近 現代の信仰史』法蔵館、2012 年、61 ~ 93 頁。教祖伝の現代的解釈として、熊田一雄は、 「力くらべ」に関する教祖の逸話に非暴力の思想を読み込んでいる。熊田一雄「『天理教 教祖と〈暴力〉の問題系』を再論する」、愛知学院大学文学会編『愛知学院大学文学部紀 要』48 号、2018 年、1~6頁。熊田一雄「天理教教祖と〈暴力〉の問題系」、愛知学院 大学文学会編『愛知学院大学文学部紀要』37 号、2007 年、83 ~ 93 頁。
(3) 黄耀儀「天理教教義における女性身体観―身体論の視点から検討する」、名古屋大学国際 言語文化研究科国際多元文化専攻編『多元文化』8号、2008 年3月、33 ~ 49 頁。Barbara R. Ambros, Nakayama Miki’s Views of Women and Their Bodies in the Context of Nineteenth Century Japanese Religions, Tenri Journal of Religion, Oyasato Institute for the Study of Religion, Tenri University, No.41, 2013, pp.85-116. 渡辺優「教祖の身体―中山みき考」、『共生学』上 智大学共生学研究会、第 10 号、2015 年、6~ 44 頁。
(4) 永岡崇『新宗教と総力戦』名古屋大学出版会、2015 年。
(5) 岩竹美加子『PTAという国家装置』青弓社、2017 年。岩竹は、戦前の「奉仕と修養」 および家庭教育振興を目的とする「母の会」や大日本連合婦人会(婦連)の系譜にPT Aを歴史的に位置づけ、戦前と戦後との「ネオ連続説」を採用する。そこでは、戦時中 の「総力戦体制」は逸脱ではなく、むしろ「近代化プロジェクト」の連続上にある新た な段階(革新)として捉えられ、戦後の諸システムとの連続性が強調されている。
(6)「交差性」概念については、飯野由里子による「障害(ディスアビリティ)とジェンダー の交差性」の指摘から示唆を得た(飯野由里子『合理的配慮』有斐閣、2016 年)。同時 交差性理論については、以下も参照。絹川久子「「フェミニスト神学」への現実的アプロー チ:複眼的まなざし」、日本フェミニスト神学・宣教センター編『日本フェミニスト神学・ 宣教センター通信』114 号、2018 年 12 月、1~ 17 頁。
(7) 金子珠理「女性活躍推進政策の背景としての「家族」言説の意味 : 男女共同参画の変質 ─ 14 ─ 化プロセス」、『天理大学おやさと研究所年報』第 23 号、2017 年、47 ~ 62 頁。本田由紀・ 伊藤公雄編『国家がなぜ家族に干渉するのか』(青弓社、2017 年)所収の諸論文も参照。
(8) 櫻井義秀・稲場圭信編『社会貢献する宗教』世界思想社、2009 年。白波瀬達也『宗教の 社会貢献を問い直す』ナカニシヤ出版、2015 年。
(9) 川橋範子『妻帯仏教の民族誌』人文書院、2012 年。小松加代子「宗教は人々の絆をつく りあげるのか ソーシャル・キャピタル論とジェンダーの視点から」、多摩大学グローバ ルスタディーズ学部グローバルスタディーズ学科編『紀要』6号、2014 年3月、61 ~ 74 頁。
(10) 横井桃子「はたらきかたと役割受容感―住職と坊守の寺院活動―」、「宗教と社会」学会編『宗 教と社会』第 18 号、2012 年、35 ~ 47 頁。横井桃子「坊守がつなぐ地域―寺院は女性で 支えられる」、櫻井義秀・川又俊則編『人口減少社会と寺院』法蔵館、2016 年、361 ~ 388 頁。
(11) 一方で天理教には、ジェンダー平等(男女共同参画)の根幹にある「個」の尊重と受け 取れる「一 いちめいいちにん 名一人の理」という教えが、「おさしづ」に窺える。金子珠理「ジェンダー」、 『現代の課題と向き合うために 社会の中の天理教』(伝道参考シリーズ 32)天理大学お やさと研究所、2017 年、98 ~ 102 頁。
(12) 堀内みどり「性的少数者/ LGBT とジェンダー 一れつきょうだいを考える」、『現代社会 と天理教2』(伝道参考シリーズ 34)天理大学おやさと研究所、2018 年、95 ~ 112 頁。
(13) 堀江有里「教会をめぐるクィアな可能性」『福音と世界』新教出版社、2018 年7月号、24 ~ 29 頁。
(14) 天理教の教勢については、以下を参照。金子昭「天理教の布教の現状と課題 : 教会のあ り方を中心に」、『中央学術研究所紀要』47 号、2018 年、77 ~ 99 頁。
(15) 天理教集会史編纂委員会編『天理教集会史 第三巻』2011 年、224 頁を参照。
(16) Paola Cavaliere, Promising Practices: Women Volunteers in Contemporary Japanese Religious Civil Society, Leiden: Brill, 2015
. (17) 金子昭『駆けつける信仰者たち』天理教道友社、2002 年などを参照。
(18) 2019 年3月 25 日に開催された、ひのきしんスクール「教会活動の可能性を探る」は、 登壇者全員が女性であり、その活動・活躍が紹介された。
(19) 事情部に関しては、以下を参照。鈴木梨里『臨床における宗教者による実践としてのケ ア―天理教と立正佼成会を事例に―』(東洋大学修士学位論文)2015 年。深谷耕治「天 理よろづ相談所『憩の家』の理念と事情部の活動」、宗教倫理学会編『宗教と倫理』16 号、 2016 年 11 月、47 ~ 62 頁。深谷耕治「天理よろづ相談所『憩の家』事情部と聖地『ぢば』」、 宗教倫理学会編『宗教と倫理』18 号、2018 年 12 月、39 ~ 56 頁。山本佳世子「病院に おける宗教者による信仰を異にする患者への『心のケア』のあり方に関する考察 : 天理 よろづ相談所病院事情部講師の語りから」、日本臨床死生学会編『臨床死生学』24(1)、 2019 年 11 月、59 ~ 67 頁。『平成 30 年度 憩の家事業報告書』公益財団法人天理よろづ 相談所、2019 年7月。天理よろづ相談所病院サイト https://www.tenriyorozu.jp/ 。
(20) 公益財団法人天理よろづ相談所編『憩の家月報』第 211 号、2018 年5月。
(21) 筆者自身が同病院に入院した時、優れた講師とはいえ初対面の講師にスピリチュアルな ことを含むプライベートなことを話すこと、またその話を同室の他の患者に聞かれるこ とに戸惑う患者や、また逆に同室の別の患者と講師との濃密なやりとりを聞くのが苦痛 で、病室を出る患者がいたのも事実である。
(22) 猪瀬優理「女性の活動―広島県北仏婦ビハーラ活動の会」、大谷栄一編著『ともに生きる 仏教―お寺の社会活動最前線』ちくま新書、2019 年、127 ~ 152 頁。猪瀬優理「仏教婦 人会を基盤としたビハーラ活動が持つ意義」、日本宗教学会編『宗教研究』(発表要旨) 第 92 巻別冊、2019 年3月、399 ~ 400 頁。
(23) 文脈は異なるが、このような「教師らしさ」と「女性らしさ」とのせめぎ合いは、日蓮 宗の女性僧侶にも見られる。丹羽宣子『〈僧侶らしさ〉と〈女性らしさ〉の宗教社会学』 晃洋書房、2019 年。
(24) 公益財団法人情報公開サイト内「公益財団法人天理よろづ相談所」の「役員名簿」(2019 年7月1日付)を参照。http://www.disclo-koeki.org/07a/00961/
(25) 学部の入学試験に女性差別があり、女子合格者を減らすための操作が行われていること を巡る様々な問題。東京医科大学の入試の合否判定について、女性などを不利に扱う不 正な操作が大学当局の主導で行われていたことが、2018 年の内部調査で明らかになった。 これをきっかけに文部科学省の訪問調査が行われ、複数の医学部で性別などによって合格 の取り扱いに差を設けていることが判明した。(『知恵蔵』朝日新聞出版、2018 年より引用)
(26) 天理教社会福祉百年史編集委員会編『陽気ゆさんへの道―天理教社会福祉の百年』天理 教社会福祉研究会、2010 年。
(27) ここで使用する「宗教的ソーシャル・キャピタル」とは、「単に宗教団体内における宗教 的諸活動に限らず、全体社会の中で信仰者が関わりを持つ宗教価値に基づいた社会的実 践の効果として生み出される社会ネットワーク、互酬性の規範、相互扶助、信頼」を意 味する。堀内一史「ソーシャル・キャピタルとボランタリズム」、稲葉陽二編著『ソーシャ ル・キャピタルの潜在力』日本評論社、2008 年、106 頁を参照。
(28) 金子珠理「ソーシャルキャピタルとしての天理教里親活動」(発表要旨)、日本宗教学会 編『宗教研究』第 86 巻(4)、2013 年、1164 ~ 1165 頁。
(29) 金子珠理「天理教における里親活動の文化的・社会的基盤とジェンダー」、伊藤公雄編著『宗 教とジェンダー―その性支配と文化的構造の研究』(科研報告書)、2004 年、94 ~ 112 頁。 金子珠理「ソーシャル・キャピタルとしての天理教里親活動の可能性」、葛西賢太・板井 正斉編著『叢書 宗教とソーシャル・キャピタル3 ケアとしての宗教』明石書店、2013 年、150 ~ 179 頁参照。
(30) 大谷栄一「なぜ、お寺が社会活動を行うのか?」、大谷栄一編著『ともに生きる仏教―お 寺の社会活動最前線』ちくま新書、2019 年、21 ~ 47 頁。
(31)「対談 竹信三恵子 × 堅田香緒里 女性に押し寄せる新しい貧困」、アジア女性資料セン ター編『女たちの 21 世紀』87 号、2016 年9月、6~ 17 頁。堅田香緒里「対貧困政策 の新自由主義的再編」、日本フェミニスト経済学会編『経済社会とジェンダー』第2巻、 2017 年、19 ~ 30 頁。
(32) 本田由紀『軋む社会』双風舎、2008 年。
(33) 表真美『食卓と家族』世界思想社、2010 年。
(金子珠理「天理教における男女共同参画とひのきしんについての一考察」より)
(私論.私見)
 本稿がLGBTのオリエンテーション文として書かれたものとするなら、その限りで役に立つ。但し、本来はここまでは入り口であって、次にLGBTに対して天理教教理からどう向き合うのかという一番肝心なところを説き明かさなければならない。そうでないとLGBT論としては完結しないところできていない。しかしそれは相当に骨が折れることなので、やむを得ない面もあろう。それまでの記述から著者がLGBTと親和的であることが分かるので、そうであれば天理教教理との絡みを解き明かさねばならないと心得る。ところが明らかにされていない。

 れんだいこの観点を書きつけておく。
 天理教教理は「元の理」を源泉としており、その「元の理」に照らす限りLGBTと親和的にならずむしろLGBT思想と対峙する。この姿勢からのLGBT論が欲しい、そういうLGBT論が待望されていると思う。気づくことは、LGBT論は著作権法に続く知の変態学説であり、知の悪法化である。これを逆に言えば、著作権法に続く知の変態学説がLGBT論まで辿り着いているということになる。この観点からの、れんだいこLGBT論を纏め世に披歴しておきたいと思う。
 LGBTの次に親族婚(親子婚、兄弟姉妹婚、親族近親婚)、動物(ペット、愛獣等々)婚の許容如何の解析に向かうのが筋だろう。LGBT者がLGBT者よりマイノリティーなこれらの結婚の支持擁護如何を問いたい。

 最近は同性婚、LGBTQ理解増進法といったことが言われている。男女夫婦婚という制度あるいは風習に亀裂が走る。
〇、ユダヤ-キリスト教の聖書によれば、人類はその太初アダムとイブ(エバ)の結婚が説かれている。
〇 易経が示唆する女尊男卑の母権制社会 中国古典、五経のひとつに『易経』がある。易の理論、いわゆる易占いの基本を書いた本だ。その『易経』の「序卦伝」に結婚、夫婦という単位について次の文章がある。
 天地有て然る後に万物有り、万物有りて然る後に男女有り、男女有て然る後に夫婦有り、夫婦有りて然る後に父子有り、父子有りて然る後に君臣有り、君臣有りて然る後に上下有り、上下有りて然る後に礼と義を錯く所有り。
〇 司馬遷の史記・商君列伝の場合
 司馬遷の『史記』の「商君列伝」に次の記事がある。
 商君曰く、始め秦は戎翟の教えにして、父子の別なく、室を同じくして居る。今、我、其の教えを更めて制して、その男女の別を為し、大いに冀闕(きけつ)を築き、營むを魯衞の如くす。
〇 日本書紀景行四十年条の蝦夷の場合
 日本書紀の景行天皇四十年秋七月条に、東の蝦夷の様子として次の記事がある。
 男女交わり居り、父子の別無く、冬は則ち穴に宿(ね)、夏は則ち樔に住み、云々。
〇、男尊女卑と女尊男卑が入り混じった日本

 夫婦というのは漢語で、男性である夫が女性である婦の上にある。しかし、夫婦茶碗という言葉を日本では「めおと」と訓じている。「めおと」を漢字で書けば女夫になる。江戸時代までの日本は、男尊女卑とか女尊男卑では仕切れない、表向きは妻が男を立て家庭内では妻が取り仕切る「内助の功」社会であった。恋人同士を意味する妹背(いもせ)という言葉も、女性である妹が上で、背=男性が下で女性上位である。そもそも日本にはLGBTQの差別はなかった!

〇、日本人が昔から大切にしてきた書物、『論語』の「先進第十一」には、過ぎたるは猶及ばざるが如し、という有名な言葉がある。

 2023.5.12日、「LGBT法案 「性自認」と「性同一性」何が違う?<イチから!解説>」。
 LGBTなど性的少数者への理解を広めるための「LGBT理解増進法案」を巡り、自民党は5月12日の合同会合で、2021年に超党派の議員連盟がまとめた法案に明記された「性自認」という言葉を「性同一性」に書き換えるなどの修正案をまとめました。21年法案に反発する保守派議員らに配慮して文言を修正した形ですが、そもそも「性自認」と「性同一性」の表現では、一体、何が違うのでしょうか。性的少数者に関する世界の法整備の状況と合わせて、考えてみます。(東京報道 根岸寛子)

  そもそも「性自認」とは何ですか。
  「自分の性をどう認識するか」という意味で、「Gender Identity(ジェンダー・アイデンティティー)」という英語の和訳です。性のあり方は、性自認のほか「体の性」と「好きになる性(性的指向)」「自分をどう表現したいか(性表現)」の主に4つの要素で決まるとされています。4つの組み合わせは人によってさまざまで、明確に色分けできない「グラデーション」に例えられます。







(私論.私見)