【聞き分け、諭し悟り】 |
「聞き分け」、「諭し悟り」、「思案」に関するお筆先は次の通り。
早々と 神が知らして やるほどに
如何なことでも しかと聞き分け |
三号30 |
親々の 心違いの ないように
早く思案を するがよいぞや |
三号31 |
それ知らず 皆な一列は 銘々に
ほこりばかりを 思案している |
十七号69 |
今まゝでの よふなる事ハ ゆハんでな
これから先ハ 悟りばかりや |
十七号71 |
この先ハ 何をゆうやら 知れんでな
どふぞしかり 思案してくれ |
十七号72 |
これをはな 一列心 思案頼むで |
十七号75 |
教祖は、「お道教義」の特徴につき「諭し悟りの道」として、次のように仰せられている。
「この道は諭し悟りの道」。 |
「独り先に立って後々(あとあと)育てるのが道」。 |
「どうせこうせ、これは云わん。これは云えん」。 |
「望みは大きく持て。大きいものが半分できても大きい。小さいことは皆できても小さい」。 |
「75年経ったらにほんあらあら、それから世界隅から隅まで」。 |
「身を捨ててもという心なら神が働く」。 |
「何でもという心なくば何にもできるものやない」。 |
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昭和13年2月号みちのとも「湯川分教会長と語る」の「さとし・さとりについて」より。
「梅谷先生が和歌山の教務支庁長でおられた頃ですよ。私(※南海部内湯川分教会長岡本さん)ともう二人、まあ主事が三人揃って、肺病はどういう理で御座いましょうかとお伺いに出たことがある。その時先生は言下に仰った。そんなものはない。教祖様は『さとしはない、さとるのや』、と仰った。このことを教祖様は判り易く、こんな例を引いて教えて下さったことがある。かりに娘の胸に大きなアザがあるとする。母親は我が産んだ子供の身上であるから、それをよく知っている。だが母親はそれを何とも言わない。その内に娘が大きくなると、誰が教えなくてもそれを隠すようにする。その時母親が知っているからとて、それを人前で口にするだろうか。黙っててやるのが親の情けである。つまり御教祖は、そういう人の欠点は言わんが真実やと仰ったのや。梅谷先生のこのお言葉は、実によく記憶しています。云々」。 |
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昭和58年3月発行、高野友治著「創象16」3pの「七分は本人のさとり」より。
「小松駒吉先生から聞いた話しでは、教祖の話しは、お前ら(天理時報の記者であった当時の私)が書いているような筋の通った話しでなかった。私(小松駒吉先生)がはじめの頃、お詣りしたとき、教祖はおっしゃった。『あんなァ、くにとこたちというたらな、頭が一つで尾が一つの竜やで。おもたりさまいうたらな、頭が十二で尾が三ッあって、先に剣のついている大蛇やで』、といわれた。それだけや。私は何のことか分らんかった。それから長い人生を通って、いろいろの事にぶつかっている間に、成程々々と一つづつ悟らしてもらった。教祖のお話しはそういうお話しだった。(教祖のお話は、ポツンポツンとお話になったらしい。『三分さとして、七分は本人のさとり』、とおっしゃったと先人から聞いた。本人の悟りを大切にされている)」。 |
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