神の不思議のご守護論、大難小難無難の教え

 更新日/2020(平成31→5.1栄和改元/栄和2)年.11.21日

(れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「神の不思議のご守護論、大難小難無難の教え」教理を確認する。

 2016.02.29日 れんだいこ拝


【神の不思議のご守護論、大難小難無難の教え】
 お道教理として定着している「大難を小難に、小難を無難に」は、教祖の造語ではないように思われる。元々、教祖が足繁く通い教理を会得したと思われる奈良県桜井市の大神(おおみわ)神社の教理にあるものである。ちなみに、大神(おおみわ)神社の「鎮魂詞」(いのりのことば)は、「幸魂(さきみたま) 奇魂(くしみたま) 守給(まもりたまえ) 幸給(さきはえたまえ)」で、これを神職が三度唱え、信徒もこれに合わせて一緒に唱える。何やら「お道の坐り勤め歌、悪しきを祓うて 助けたまへ てんりん王の命(みこと)」の唱和に通底しているように思われる。「大難を小難に、小難を無難に」の源流は日本古神道にあると思われるが、仏教各派、金光教等々でも取り込んでおり、場合によっては元祖であるとしているようである。 

 御神楽歌、お筆先に次のように記されている。

 教祖は次のようにお諭し為されている。
 お指図は次の通り。
 「危ない事、微かな理で救かるは日々の理という」(明治26年4.29日)。







(私論.私見)