他にも、こんなことを天理王命(大川隆法氏)は言っている。「天理王命は男で、教祖は女」と。確かに、中山みき氏は女性である。しかし、天理王命が男性神といえるのか。『天理教概説』(天理大学)には、天理王命は父性神・男性神とか母性神・女性神とかいった一方の性別に属する神ではないといったことが記されている。また、『ようぼくハンドブック』(天理教道友社)には「ちよとはなし」のお歌に、「このよのぢいとてんとをかたどりて ふうふをこしらへきたるでな」と示され、「おふでさき」に、このよふのぢいと天とハぢつのをや それよりでけたにんけんである(第十号五十四)とありますように、「くにとこたちのみこと」には、天、父親が、「をもたりのみこと」には、地、母親が対応しています。このように、月と日、水と火、天と地、父性と母性といった二つ一つの働きの対をなしています、とある。
それから、神名を天理王命として確立する過程についても、この本『天理教開祖 中山みきの霊言』に書かれてあるが、これも歴史的事実とは異なる。確かに、私が所有する、最初に木版で刊行した『みかぐら歌』(木版刷り、天理教会本部版・明治21年11月1日刊)を見ると「てんりおうのみこと」(「こ」は変体仮名)とあるが、それ以前の資料を調べたら分かる。ちなみに明治21年には中山みきは存命していない。この『みかぐら歌』(木版、天理教会本部版・明治21年11月1日刊)では、著者には故人として中山美伎(みき)の名前がある。しかし、大川隆法氏は天理王命の神名が確立するまでの経緯を知らないままに、自己流の解釈をしてしまった。
また、『みかぐらうた』にも見られるが、天理教では大工らが使う言葉が多く出てくる、その理由も大川隆法氏の自己流解釈をしている。とはいっても、質問者からなぜ天理教では大工の用語が多く用いられるかの質問に、中山みき(大川氏)は曖昧な返答をしている。つまりは、この質問に中山みき氏であれば明確に答えられるはずである。それなのに曖昧な返答(返答にならない返答)をしたのは、大川氏がその理由を解っていないからだではないか。曖昧な返答ながら、天理教が次々と建築をしていたから大工の用語が天理教で多く用いられているとしている。しかし、中山みき氏が生前、教団の建築物を次々と建てたのか、大川隆法氏はその事実をよく知らないようだ。中山みきを騙って、中山みきの没後に建築が続いたから大工の用語が用いられるようになったようなことを言っているが、先程の『みかぐらうた』などを読めば判る。中山みきの存命中には建築が続かなくても、大工の用語が用いられることを。その後の天理教が隆盛して次々と大教会を建築したときの写真(この本『天理教開祖 中山みきの霊言』に明治30年代の大教会の建築風景の写真が掲載されている)を見て、大川氏は大工らの用語が多く入っている理由を想像し自己流の解釈をしたのではないか。以上のことについて詳細の論拠を挙げるのは、また後のこととする。