大平良平の教理エッセイその6 |
更新日/2024(平成31.5.1栄和改元/栄和6)年.1.8日
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、「大平良平の教理エッセイその6」をものしておく。 2024(平成31.5.1栄和改元/栄和6)年.1.8日 れんだいこ拝 |
三家に与ふる書 大平隆平 |
御三家様、月日の経つのは早いものです。今年は御本席おかくれ後もう十年になります。その間皆様はこれも世が世であつたならばなあと思ふた日も幾日あつたか知りません。けれども誰も怨みなさるなよ。世間と云ふものは皆なこうしたものです。利のある所には不断に用のない人間迄集まるけれども、一旦金と力とが去つたなら「槿花一朝の夢」で誰も顧みるものもないのがこの世の人情です。中には彼の人はなあと思ふ人もあるけれど、それも人間です。更に大きな勢力のできた場合にはそこに集つて、今迄は日に幾度となく足を運んだ者もフッキリ足を運ばなくなります。分けて厭わしく思ふのは昨日迄味方だと思つた人間が今日は敵となつて我を苦しむるために回らしつゝある色々の策略を座視しなければならない場合があります。 御三家様、貴方方の今日迄の境遇は一人の富豪が臨終の間際にその番頭を召び、吾が亡き後は娘は頼るべきものもないからどうかこれを江戸の親類迄連れて行つてくれと云つて頼む様なものです。番頭も旦那の生前こそ律義な顔をして働いていたがサア旦那がなくなつてしまう。連れているのは若い美しい娘である。遂に悪心を起して人里離れた峠の真中で娘を手篭めにした上、金をさらつて逃げる。その時の富豪の娘の心が貴方方の今日迄の心です。 御三家様、これはホンの譬に過ぎません。けれどもこの譬の中から貴方方が学ばなければならないものが二つあります。それは前に云つた人情の軽薄ともう一つ親の威光と云ふことであります。貴方方はこの譬話の中の娘の様に親の威光で贅沢に通つて来ることができたのでした。それが一旦親が亡くなり後に残つたものが自分達計りになると、さあ昨日迄は吾が家来の如く頭を下げてやつて来た者が段々来なくなり遂に尋ねるものもなくなりました。之に反して一方、中山家はどうかと云ふに、以前は多少御本席の徳に圧迫せられつゝ通つて来た気味があつたのに、幸い目の上の瘤がなくなつたので急に手足を突つ張り出し、やゝもすれば貴方方に出て行けがしの態度を見せました。これには中山家も悪いが貴方方も亦悪い所がないとは云えません。 殊に政甚氏の不覊放縦な生活は中山家計りでなく教界全体の信用を失ふ大なる原因でありました。それがために折角の味方も敵となつた者も少くはありますまい。もし政甚氏にして御本席の生前は兎に角死後に感奮して真に素行を謹みて、せめて父の十分の一の徳を全うせられたならば、必ずや今日の如き落莫の状態には陥らなかつたのです。けれども当時は政甚氏も年壮気鋭にして深い前後の思慮を欠き易き時代であつたから止むを得ぬものゝ、今日は既に年四十の余を超え人間としては最も信用のなければならない時代であります。それを何んぞや幾つになつても十八や十九の青年の様な心になつてウカ/\として暮らしていてどうなるか。実に飯降家の失つた信用と名誉とを回復するも失墜するも氏一人の責任にあるのである。殊に今年は御本席歿して十年である。もし多少なりとも父を思ふの念があつたならば、この期を一期として既往の不心得を霊前に謝し、将来の覚悟を神前に契ふべきである。もし然らずして今後も既往の如き素行を継続するに至らば今度こそは教界の内外共に飯降家を顧みるものがなくなるであらう。それがために二姉の肩身の狭窄せらるゝも必然の 致す所止むを得ない所であらう。 御三家様、私は神殿を参拝する度毎に何時も御三家の方に向つて手を合せて故御本席の御苦労を感謝するのであるが、三家の中にても東即ち政甚氏の玄関を眺むる毎に何時も、落莫せる名家の呼び起す無量の感慨に打たれないことはありません。しかも政甚氏を始め西と南の二家は如何に飯降一族の現状を観察しつつあるであらう! 枯れた木の花咲く春は漸く近づいて来ました。今迄は高山の雪に埋められて見る人もなかつた渓間の枯木に花の咲く時が来ました。而して今日迄無理と不自然との中に贅沢な生活をやつて来た中山家の枯死すべき時は近づきました。それも皆な良かれ悪かれ不自由な時代を忍んで来た徳です。その代り今度咲いたらこれは父の御蔭ではありません。貴方方の徳です。けれども時節が来たとても慌てゝはいけません。静かに時の至るをお待ちなさい。然しただ待つていてはいけません。上は教祖に鑑み、下は亡父の素行を思い起して内は一身の素行を謹み外は成らん者、不自由なもの、心の足らんものに有形無形の善根を施しもつて静かに天の時の至るをお待ちなさい。然らば必らずや飯降一族の信用は次第に回復しやがて天よ り二世の法統の継続者を下されるであらう。けれども何んと云つても今日迄の如く外部の軋轢は愚か姉弟同士の和合さえできない様では法統は愚か社会の信用さえ回復することはできまいかと思います。 御三家様、いよいよ故御本席様の十年祭も近づきました。けれども私は御承知の如く貧乏にして御玉串料も差上ることもできません。従つて私は有形の玉串料を捧ぐる代りにこの無形の暴言を玉串料として霊前に供えて戴きたいと思います。もし幸いにして暴言を暴言としておとりにならず無礼を無礼としておとりにならず多少なりとも私の意のある所をお汲み下さらば無限の光栄と存じます。 (紀元九億十万七十七年三 月十九日) |
天理教教育顧問広池博士に与ふる書 RO生 |
広池博士足下、貴方は良く天理教は絶対服従主義の宗教だと云はれますが而してそれが殆んど博士の天理教を説明する常套語に成つてゐるが、私の考えによれば天理教は日の寄進主義の宗教であると云ひたいものです。これは私の新造語でも何んでもない教祖伝来の天理教術語ですが、つまり貴方の主張せられる絶対服従主義は天理教の日の寄進主義の消極的方面に過ぎないのです。従つて貴方の絶対服従主義には天理教の日の寄進主義の積極的方面言ひ換へれば積極的の日の寄進主義が逸せられてあるのであります。これは貴方が日の寄進主義と絶対服従主義を分けて別々にお考へになる為であると思ひます。何故なればもし日の寄進主義に消極的の日の寄進主義と積極的日の寄進主義との存することを明かに自覚されてゐたならば殊更ら絶対服従主義と云ふが如き消極的主義によつて天理教全体の主義を蔽はふとはなさらない筈であります。けれども私がここに申上たいことはその様な立ち入つた教理上の議論ではありません。貴方の現在主張せられつゝある絶対服従主義の内容に就いて一言私の卑見を述べさせて戴きたいのです。
貴方は今年六月の道の友誌上で天理教信仰の内容一班と題して絶対服従の事に説き及んでゐられるが、その中に貴方はこう云ふ事を云つてゐられる。「つまり、天理教は平和光栄の黄金世界を建設する目的にして、この目的を達する為、心の埃を攘ひ、常業に服事して所謂「里の仙人」の心にて努力して行くと云ふ信仰であつて、もし正義を害し、平和を紊り信仰に反対し吾人の前途を妨ぐるものあるにしても、決して之と闘ひ争ふ事をばせぬのである。そこで外部の人の妨害に対しては勿論の事であるが、内容に於ける上下同僚の人の妨害に対しても、決して之と争ふ事はせぬ筈である。たとへば一同のものは東行とに称し自分の見る所は西行を可とする場合には、真実慈悲の心、救済の心にて教理の上より一応再応之を説明して一同に警告する事は勿論のことであれど、併し一同が自分の云ふ事を聴き入れずして東行を欲するに於ては、これ自分の不徳の致す所因縁の存する所として神様に懴悔し、却て自分がかやうにして困難するによつて自分の因縁が切れ、この苦労によつて自己の境遇を擺脱する事を得べしとして之を喜び、一同の尾に従ふて東行するのである。然る時自分の至誠が行き届けば、一同の者が眼を醒す事あるべくも し眼を醒さねば一同のものと与に運命を共にすべしとして依然として人々の尾に従ひ、東行をつゞくるのである」と。 多くの無定見の所謂天理教徒はこういふ誤れるドグマに従つて目的なき旅行を続けてゐます。けれどもこの道は貴方の御考へになる様な多数決によつて自己の行動を決定する様な道ではありません。唯神一條に従つて自己の行動を決定するのです。これが天理教の本当の信仰であります。この道は人に仕へる道ではありません。神に仕へる道であります。人に従ふ道ではあり ません。神に従ふ道であります。神に対する絶対服従。理に対する絶対服従。これより外に絶対服従はありません。あればそれは盲従となり面従となるのです。本当の絶対服従と云ふ事は唯神と理に絶対服従することにあるのです。人に絶対服従することではありません。もしこの私の考えを疑ふならば教祖の一生をもう一度御研究なされば訳ります。もし教祖が家族親族の意見に絶対服従して神即ち理に対する絶対服従を欠いたならばこの道は立ちは致しません。神即ち理に対する絶対服従を徹頭徹尾お貫きになつたからこの道が立つたのであります。ここをよく思案して戴きたい。 それから貴方は 「しかし一同が自分の云う事を聴き入れずして東行を欲するに於ては、これ自分の不徳の致す所因縁の存する所として神様に懴悔し、却て自分がかようにして困難するによつて自分の因縁が切れ、この苦労によつて自己の境遇を擺脱する事を得べしとして之を喜び、一同の尾に従うて東行するのである」と云はれてゐるが、之によつて見ると失礼ながら貴方には因縁を切る道に在りながら因縁を切る方法が解つてゐないのです。この道は自分の周囲の人々の悪因縁を断除して行く道であつて周囲の人々と共に悪因縁を積んで行く道ではありません。それを貴方のお考への様に因縁だ/\と云つて何時迄も因縁に支配せられて積極的にそれを切断することをしなかつたならば何時迄たつても因縁の切れる事はありません。またその次々に積み重ねて行く因縁によつて苦労した所が何の役にも立たないのです。元より因縁の切れ相な事もありません。 広池博士、貴方は天理教といふものを大変誤解せられてゐます。この道は一名一人の信心であつて他人とは何らの関係はないのであります。神の御供をするといふ考えがあればそれで良いのであります。人が随いて来やうが来まいがそんな事は各自の因縁で自分の作つた因縁ではありません。自分は唯一日も早く自分の因縁を切る事を努めねばなりません。ここをよく 考へて頂きたい。 次に貴方は天理教は推譲主義だと云ふ様な事をよく云はれるが、これも絶対服従主義と同じく天理教の互立主義相互扶助主義の消極的方面を語つてゐるに過ぎないのです。天理教の本当の精神は譲ると云ふが如き消極的倫理的のものではなく、助ける(与へる)と云ふ積極的宗教的のものであります。その中には積極的自由意志が活躍して居ります。この正面の理を忘れない様に願ひます。こう云ふ倫理上の術語は往々天理教の広汎の内容を限定しやすいものであるから以後こう云ふ外来の文字を用ゐずに教祖伝来の用語によつて天理教々理を説明して戴きたい。それから博士は教祖を讃美して教祖一生の事業は「人を愛するとか世に貢献すると云ふやうな抱負の上から先方の為に尽すと云ふやうなことでなく」、「自分の因縁の自覚から人を愛し世に尽させて頂き、以て我が過去の悪因縁を断除させていたゞくといふだの事」であつたから偉いと云ふ様に解せられてゐるが、これは教祖を誤解し天理教そのものを誤解するの最も大なるものと思ふ。 抑も「人を助けて我が身助かる」といふ教理の我が身助かるといふことは結果であつて原因ではない。原因はどこ迄も人を助けると云ふ精神にならなければならぬ。然るに博士の考えの如く教祖一生の事業は唯自分の一身が助かりたい為になされたもので、人を愛するとか世に貢献するとか云ふ抱負の上から先方の為に尽したのでないから偉いと云つては、教祖五十年の事業は教祖の利己心を満足させる方便に過ぎなかつたことになる。それでは助け一條の道と云つた本来の意義は全然破壊せられて、助かり一條の道となつて了ふ。これ等も博士が天理教の精神をまだ全然理解してゐられない結果であらうと思はれる。その他お地場の理等に対しても甚だ軽い理解さへないのは博士の為に否な天理教の為に惜しむのである。 それから博士の近業十九世紀に於ける最も偉大なる婦人の事業。これについては世人はどう云ふ風に考へ博士自身はどう云ふ風にお考へになつてゐるか知らぬが私自身の観察によれば天理教近来の愚著であると考へるのである。何故なれば従来の天理教書類は貸物借物の理とか八ツ埃の理とか云ふものを断片的に素直に書いて居るから深刻の解釈がない代りに立ち入つた誤解も少ない。然るにこの著になると博士の浅薄なる半可通の智識が加はつてゐるから真の天理教とは全然趣きの違つたものとなつてゐる。これは博士にとつて大 いに反省して貰はねばならぬ点である。然らば如何なる点が真の天理教と異つてゐるか?これを一々指摘したならば数限りもない事であるから複雑を避けて云はないが、天理教の如何なる宗教であるかと云ふことについて最少し正確なる理解が欲しかつた。殊に甚しいのは天理教は静的の宗教だとか破壊なしの建設教だとか云ふことを得々として述べられてゐる所を見ると全く情なくなつて了ふ。更に情無く思ふことは近代思潮の基調である個人主義や自我実現主義等に対する一通りの智識さへなくして漫然として天理教を批評し去るその不熱心なる態度である。私は 東洋法制史によつて高められたる博士の声名がこの著によつて下落せられざらんことを博士の為に惜しむものである。 それから博士の為にもう一言云つて置きたいことは、奥谷文智氏の近業天理教観の序文に表はれたる高慢と無智と軽薄なる態度を捨てられんことである。失礼ながら博士は今日迄天理教の為にどれだけ偉大なる貢献をなされたかは知らないけれども「天理教祖を以て無学の一婦人と為し、未信の人之を軽蔑し、信者亦然りとして怪まざりし時に当り、予は明治四十二年始めて天理教の真信仰の門に入り、教祖の慈悲、寛大、自己、 反省の偉徳とその教理とに驚嘆し、教祖を以て、その徳は以て百世の師と為して余りあるべく、その智は世界の大思想家として尊崇するに足るものと為し、一日本部に参拝し、同中学校講堂に於て之を公表せしかば、爾来内外皆な始めてその偉大なる教祖の真価値を確認し、教祖を以て単に無学の一婦人など云ふものなきに至れるが如し」と云ふが如きは余りにこの道の先輩諸氏を無視したる暴言にはあらざるか?次に博士は「尋で、予は天理教の教理が教祖の発せられたるドグマにあらずしてレベレーションの響なることを唱道し、而してその所謂レベレーションに向つて、之に科学的研究を加へ、古来東西の学者の神秘的視せるレベレーションに対して、更に学問的価値を附与し、広く之を識者に問ひしに、頗る賛成を表せらるゝもの多く、世界に於て始めて、レベレーションなるものゝ如何なるものなるかの問題に就き、学者をして真面目に考慮を費せしむるの端緒を啓きたるを覚ゆ」と云はれてゐるが、私は寡聞にして博士が未だ天啓の科学的研究を発表せられたるを聞かない。もし欧文にても物せられたるものあらばお教へを乞ふ。 これは問題は別であるが博士の為に云つてをきたい。成る程博士が多忙の身であることは私も略知つてゐる。けれども他人の著書を世に紹介するに内容を通読ずして序文を書くといふことは無責任極つてゐるではありませんか? 以上申し上たることは謙遜、慈悲、柔和、従順、親切を説かれる貴方の言葉とは余りに矛盾してゐるではありますまいか?この言行不一致の所に貴方の天理教観はあるのかも知れませんが、私共無智の信者より見れば余りに奇怪に感じますから一言記して以つて博士の高教を仰ぐ次第であります。 (大正四年十月六日) |
天理教婦人会傍聴記 RO生 |
何時か一度本部の婦人会の講話を聴きたいものだとは兼てより私の抱いてゐた希望であつた。それが恰度九月の例会に叶へられたのである。二十三日、私は一人の兄弟と共に我が姉妹の修道場に入つた。その時は年若き妹の講話中であつた。それがすむと入り代り立ち代り五六名の姉妹が表れて講話をしたが私はそれに
向つて一々の批評をしやうとは思はない。さればと云つて彼女等の講話に我を忘れて聴き惚れる事ができたかと云ふに中々そうではない。それで婦人会員一般に対して私の希望を聊か述べてをきたいと思ふ。
総じて当日の婦人会員の講話はこれが一つの真の自分の実地経験より流れ出た生きた教理だと思ふものを聴くことはできなかつた。何の姉妹も何の姉妹も型に嵌つた様な教理の外形を繰り返してゐる計りで内容と云ふものが少つともない。これは彼らに道の上の実地の苦労といふものをしたことのない何よりの証拠である。而かも五十六十の年をした者迄二十や二十四五の若いものと同じ様に千篇一律の教理を繰り返して責任を濁してゐるとは実際情ない話である。生きた教理と云ふものは他人の説いた教理や他人の所から書いて貰つた原稿の中にあるものではない。自分自身の実地の経験にあるのである。それをチツトモ考へてゐない。といふのは教理の実行によつて自己の人格を向上しやうと云ふ真面目なる希望も努力もないからである。苟も真の天理教信仰に従つて自己の人格的向上発展を計りつゝあるものの言葉は一日の台所生活を語つても尚ほ且つその中に多大の教訓が存するものである。婦人の精神修養は此処になくてはならぬ。徒らに貸物借物の理や八ツの埃を述べた所でそれが自分の血と肉と涙になつてゐないから幾ら人が変つても与へる所の感は千篇一律である。それで私は本部の婦人会員に云つてをく。ここは御整ひの黒紋附や繻珍の丸帯や赤いリボ ンや香の高い香水や高価の白粉や他人の作つた原稿を見たり聞かしたりする所ではないといふことを。精神の研ぎ合ひ磨き合ひの為に神の開いたものである。虚偽、虚飾、虚栄、虚名にあこがれつゝある本部の婦人よ。女優や芸者の様に着飾つた仮面を脱して心静かに天理教立教の由来と婦人会成立の天啓とを熟考せよ。御身らは決してその中より義理や体裁の為に婦人会に出席せよといふ神のお言葉を発見しないであらう。「奇麗な屋敷、神の屋敷に居て、みつくりていては鏡屋敷とは云はん。濁り屋敷とや人は云はん」。私は十有余年の昔に婦人会の為に下された言葉が恰度今日の婦人会を指されたるものゝ如く感じつゝ家に帰つた。 (大正四年十 月六日) |
地場より(三) RO生 |
私はこれ迄の唯一の残念は生前に於て教祖御親に拝顔しなかつたことである。けれども今日、有象界より無象界に迄進んだ***はそうでない。今日の唯一の残念は教祖の本体、精神、思想を捕捉し得ざることである。今日の社会を見るに言葉に対するシンセリテーを感じて居る人は少い。行為に対するシンセリテーを感じて居る人は更に少い。霊魂に対するシンセリテーを感じて居る人は更に/\少ない。
今日の天理教徒は自分等の世界は今日の天理教界に限つて居る様に思つて居る。井中の 蛙よ大海を知れ。私は自分一身の私欲の為にこの世に一日も長く居やうとは思はない。私が一日も長く生きんことを望むは全く神と人との為である。人は私の仕事を見て物好か道楽の為だと思つて居る。けれども自分に取つてはそんな
暢気なことを考へてゐる余裕はない。如何にして自己の霊魂を救うべきか? 之が私の寝ても醒めても忘れんとして忘れ得ざる所の問題である。私の霊魂はこの問題の為に苦み、私の神経はこの問題の為に苛立つて居る。それを閑人は見て思ひ/\の批評をして居る。けれども自分にはそんな閑人の批評を聞いて居る余裕がない。また閑人の閑事業を見てゐる余裕がない。私が彼らの事業に向つて眼もくれないのは之が為である。
人よ!一大事因縁は卿等の身に迫つて居る。けれども誰もそれを知らない。而して死んで墓場に携へて行くことのできない名誉とか財産とか地位とか権力とかを求めて居る。(それは私にとつては全くの死物である。)けれども記せよ。唯一つのなくて叶はぬ者は霊魂の救済剤であることを。之さへ攫めば他に何も要しないのである。けれども霊魂の悩みを持たない人の眼から見たならば今日の私は慌て者にも見えるだらう。無鉄砲にも見えるだらう。気狂にも見えるだらう。剛情にも見えるだらう。阿房にも 見えるだらう。又時としては臆病に、時としては意地悪く、時としては執念深く全然女の様にも見えるであらう。けれども自分にとつて懸け掛のない唯一無二の重宝を亡くしまいと思へば何んな態をしたつて保護しなければならぬ。それが訳らない人間は何を云つたつて訳らない人間だ。私は地場に来て服従に二種の区別のあることを実見した。二種の服従とは即ち関東の服従と関西の服従である。関東の服従は心従である。関西の服従は面従である。今日の天理教は即ちこの面従家の天理教である。人間は人の前に善い人間にならうと思つたらもう最後である。それは私だつて人間である。人から善い人間だと云はれゝば嬉しいし、悪い人間だと云はれゝば悲しい。それでも自分にはどうしても自分の持つて生れた唯一つの特権、自由を失つて迄も美名を人の前に買ふ気にはなれない。それで当分の内ー一生ーは世間の憎れ者になつて暮らす心算だ。恰度野犬の様に彼方で追はれこの地で打たれて厄介物視せられても。私の今日迄経た苦き経験によれば人を頼むなと云ふことである。人を頼んだならば必らずその人は苦き失敗の毒杯を呑まなければならぬ。自己は天下唯一人の救世主である。自己は天下唯一人の保護者である。偉人とは即ち自己に信頼して他人に信頼せざる人である。人間は大抵の場合、自分自身の法則に従はずして他人の法則に従つて生活して居る。彼は 自分自身に食欲がなくても三度が三度の習慣に従つて飯を食つて居る。彼は自分自身に渇 望がなくても他人の勧めるがままに茶を呑み菓子を食つて居る。之は悪い事だ。 私は天下の有情無情に告げてをく。私がもし一杯の水を乞ふたならば否と云つて拒まざらんことを。私がもし一滴の湯を拒んだならば強つてといつて勧めざらんことを。何故なれば私は私自身を内より支配する一つの法則を持つてゐるからである。その法則とは即ち飢えざるに食ふ勿れ。渇せざるに飲むなかれ。疲れざるに憩ふ勿れ。眠からざるに眠る勿れ。衣は寒を防げば足り、居は身を置けば足る。といふことである。之を云ひ換へれば自己の生くべき道は自分自身の内にあつて外にないといふことである。外にあるものは車馬運搬の道路のみ。霊魂の道ではない。世人は真の偉人(真人)とは如何なるものか知らないで居る。この無知は王城に仏陀と再見した父王の失望となつた。けれども私は云ふのである。真の偉人とは無色透明その者である、と。次にその性はと問はゞ曰く女性と答へる。何故なれば真善美と真善美を生命とする人其者とは女性であるからである。見よ、釈尊は当時印度に於ける代表的の美男であつた。ナザレの詩人も亦そうである。私は基督教界の革命を絶叫したルーテルが徒らに乱を喜ぶ野蕃人だとは思はぬ。彼には蓋し止まんとして止むことのできない中心の声があつたのである。彼は唯その声に従つて行動した迄である。況んやその性閑雅にして平和を愛すること他人に越えたりと云ふに於 てをや。自分はもう今日から間食は止めだ。間食は之を例へて云へば正妻のあるのに外の女に心を寄せる様なものだ。彼は百年の寿命に唯一度も正食の真味を知らないでせう。而して 絶えず胃腸を患つて居る。これが彼等の上に降る自然の制裁(罰)である。 天理教の教師はよく「低い心」(謙遜)になれ/\と云ふ。それが殆んど口癖の様にな つて居る。けれども彼らは人は何が故に謙遜ならざるべからざるかと云ふ自覚がない。その筈や彼らは唯律法と律法の守るべきを知つて律法を生んだ本体の何者であるかを知らないからである。真の謙遜は絶対者の前に立つた相対者の感ずる自己否定の感情である。真の謙遜は理想、我の前に立つた現実我の感ずる自己否定の感情である。真の謙遜は神の前に立つた人の感ずる自己否定の感情である。それは唯胸に大望の熱火を抱いて居る者にのみ感ぜらる。何故なればまだ完成せざる自己を既に完成したりと考へ、まだ充実せざる生命を既に充実したりと考へ、まだ徹底せざる精神を既に徹底したりと考へつゝある者には自己を向上せしむべきより以上の要求がないからである。之を称して高慢とも云ひ増上慢とも云ふ。生長の止りである。 人よ。水の如く清かれ、火の如く熱かれ、風の如く疾かれ、火水風は神と予言者の魂であ る。凡そ敏感性の者は苦痛を感ずること常人に倍すると共にその快楽を感ずることも常人に倍してゐる。天才とは即ちこの敏感性そのものに外ならないのである。正直者にとつて最も大なる苦痛は虚偽を云ふことである。不正直者にとつて最も大なる苦痛は正直にすることである。私も色々と考へて見たが凡そ快楽の中人を楽まする快楽より大なる快楽はない様であ る。人を喜ばせる喜悦より大なる喜悦はない様である。人を満足させるより大なる満足はない様である。吾人の真の快楽、真の喜悦、真の満足はどうしても一度他人の血管をめぐつて来たものでなければならぬ。昔の宗教には「なこその関」と云ふ一種の関所があつた。その中には一切の不浄は入れなかつた。けれども今日の宗教界にはそんな関所はない様である。殊に今日の天理教界を見るに昔ならば関止めを喰はせられる様な無鑑札者(非真実者)が随分乱入して居る。その状態を絵に書いたら恰度黒人種が欧羅巴に進入した時の様である。至る所に雑婚が行はれる。その結果は白人ともつかず黒人ともつかぬ雑種が生ずる。今の天理教界が即ち之である。そこには神の子とも獣の子ともつかぬ多くの半獣半神ができて来て居る。 私は考へて居る。人間の目的は有名の人になることではないと。又考へて居る。人間の目的は富裕の人になることではないと。凡て墓場に携へ得ざる物に対してはそれが如何に吾人に取つて貴重なものであつても執着してはならない。吾等は唯自分が彼の世から持つ て来た唯一つのものを大切にして行けば良いのである。ポーロ曰く、吾らは何物をも携へて来らず又何物をも携へ行くこと能はずと。私は彼の言葉の真理なることを知つて居る。事実吾等が母の胎内よりこの世界に来る時何者を携へ来りしや? そは唯一つの霊魂と唯一つの肉体であるであらう。けれども凡ての人の彼の世から着て来た天の羽衣はその実自分のものではなく神が下界の生活をなさしむべく貸し与へたものである。吾人の永久の不動産は唯霊魂あるのみ。然るに愚かなる人間はこの世より携へ去ることを禁ぜられたる禁制品を盗み去らんとして、自分にとつてな くて叶はぬ唯一つの宝を忘れて行く。この意味に於てアダムイブの物語は決して吾人の生活を離れた架空の作り話ではない。 私は女性には天才がないと云ふワイニンゲルの説に組みすることはできない。何故なれば女性には男性の企て及ばざる或るものがあること尚ほ男性には女性の企てに及ばざる或るものが存するからである。社会の誤解は苦るしい。家庭の誤解は一層苦るしい。されど自分自身の誤解は苦痛を脱 して恐怖の域に入つて居る。世間一般の人は道徳生活とか宗教生活とかいへば非常に窮屈な生活の様に考へて居る。けれども之を道徳生活宗教生活に馴れたものより見れば世間の放縦の生活程窮屈な生活はない。従つて宗教生活と非宗教的生活と何れが自由であり、何れが不自由であると云ふことは一概に云へない。要は各人の主観にあるのである。例へば品行の方正なる者にとつては不品行をするは身をきらるゝよりもつらく、品行の方正ならざる者にとつては品行を方正にして居ることは何よりつらいといふ様な者である。生活を追はざるものは生活に追はる。一切衆生の中最も度し難きものは性欲の大なるものにあらずして寧ろ性欲の小なる者である。私は暇ある毎に教祖の墓側に於て一時間もしくば二時間を冥想に耽るを常とする。彼処は私の精神を磨く道場である。私はこれまで多くの人に逢つたがまだ真に捨て身の呼吸を会得した人に逢はない。人間らしいとか人間らしくないとか云ふのはこの捨身の呼吸を自得してからの事だ。凡て下らない人間程下らないことを喋りたがるものである。真に精神の奥底に大なるシンセンテーを有する者は決して多弁をする者ではない。又暴行をする者ではない。何故なれば彼は自己の思想並に行に対する大なる責任を自覚して居るからである。孔子が郷党より物言ふこと能はざるが如しと迄酷評せられたのが之が為である。(簡潔は智恵の表象なり) 凡て凡人は人間を外から見、偉人は人間を内から見る。形を超越して世界を観ざれば決して宇宙人生の真相を見ることはできない。人生は要領である。それは例へば道路の如し。一度逸すれば決して目的地に達することは できない。信仰に二つの門があることは尚ほ恋に二つの門がある様なものである。世間の人達は自分達が結婚後に於て始めて恋を知つた経験よりして恋は肉に始まつて霊に終ると信じて居る。肉体の苦痛(身上)より信仰に入れる者も亦そうである。彼らが常に精神的煩悶より入れる者に対して一種の侮蔑の眼を以つて見んとして居る。この誤れる観方は最も天理教に多いのである。 近日某本部員と偽称して私を批評した本部の青年の如 きその代表者の一人である。彼は智識より入れる信仰の階段を三つに分つた。その第一段は神は理なりと云ふことである。第二は神は力なりと云ふことである。第三は神は慈悲なりと云ふことである。大平君は即ちまだ信仰の第一段に属す。将来神は力なりと云ふことを知り更に神は慈悲なり と云ふことを知るに至つて必らずや信仰は一変すべしと云ふのである。けれども私の信仰の経路はこの偽本部員の想像と全然相反して居る。即ち私の信仰は釈尊の信仰と同じく大慈大悲の一念に生れて正覚正知の結願に了つて居る。即ち評者の所謂神は慈悲(愛)なりは私の信仰の第一期であつた。神は力(信)なりは私の信仰の第二期であつた。神は理(義)なりは私の信仰の第三期である。之は私の(聖壇に立ちて)と題する未定稿の中に発表した所である。凡て自己の狭き経験と他人の学説の上に立つて他人を批評する学者の云ふ所は之である。広い世界を狭むるのも我である。狭い世界を広むるのも我である。大宇宙をもつて我が住家とす。そこに真の自由の我がある。理想の世界が来たならば世界至る所の村々家々に於て今日の肉親の兄弟姉妹を迎ふるが如く未知の兄弟を迎ふるに至るであらう。また人は何処の果てに於ても我家の如く宿り我が食堂、我が箪笥、吾が金庫の如く自由に振舞ふに至るであらう。それでなければ真に理 想の世界が到達したとは云へない。身体は塵埃にまみれよ。精神は塵埃にまみるゝなかれ。これが私の信仰である。人は名利の奴隷となるべく生れて来たものではない。名利こそ人間の奴隷として生れて来たのである。 世間には随分本部へ入り込んで甘い地位に有り附かうと云ふさもしい慮見を抱いて居る人間が沢山ある。けれども私は云ふのである。ここ清浄な神の屋敷はそんな泥足の入る所ではないと、真の人間として生きんと欲せば天下至る所同一(なる神の屋敷)である。豈に本部にのみ一人日が照らさんや。私は世界は我が物なることを(親の物は子の物なり)知るが故に敢て我が家、我が屋敷の狭隘なるを感じない。私は万有は我が物なることを知るが故に敢て財宝の欠乏を感じな い。私は人類が我が物なることを知るが故に敢て家族の僅少を感じない。私は小なる自己に附属した田地田畑家屋敷家族を失ふともこの大なる所有を失ふことを欲しない。 世間には形を飾ることを知らない女はない。けれども心を飾ることを知つてゐる女は少ない。嫉妬よ、嫉妬。汝程醜き醜婦は絶えてこの世にあるべしと思はれぬ。そは窈窕たる美人をして賎婦の下に立たしむるものである。凡そ人間の生涯中歓楽と悲哀とを同時に感ずるものは無実の罪に座した時である。その人の外部は妖雲に包まれ、その人の内部は白日に照らさる。人生をして真に楽しきものたらしめざるは神と人との罪にあらずして実に自分自身の罪 である。昔の男は女を売つて生きて居た。今の女は男を売つて生きて居る。凡そ世に何が一番私にとつて嫌悪すべきものであるかと云へば、それは他人を喜ばせると云ふ心の微塵もない利己主義者である。彼には自分の欲望の為には骨肉の親もないのである。全然獣物だ。而かもこの美しい獣物は紳士や淑女の仮面を冠つて人間界に跋扈してゐるのだ。悪に敵する勿れとは基督の教へた教訓であつた。けれども私は信ずるのである。桑を摘むことに熱中せる女の眼には王者の行列も眼に入らざるものであることを。人間にとつて唯一の仕事は自己の世界の開拓に熱中することである。世間の人は私がこんなこと(新宗教の発行)をして居るのを他人の為に井戸を掘つて居るかの様に信じて居る人がある。けれども自分自身になくて叶はぬ生命の井戸を掘ることを忘れて他人の為に井戸を掘ることは私の曾てせざりしことである。唯彼らがそう云ふ誤解を招くのは私が井戸を掘るために掘り上げた土を見たのである。人は自分の食は自分自身の力によつて得なければならぬものである。父祖の功業に依頼するものはこれ人生の負債を重ねつゝある者である。教祖の心中には如何にして諸国より帰つて来た子供を満足させて帰すべきかと云ふことより外何物もなかつた。けれども今日の教祖の後継者の心中には如何にして諸国より帰つ て来た子供が自己を満足させて行くべきかと云ふより外何者もない。教祖とその後継者と の相違は之位のものである。 私は大体今日の講演会の主旨に賛成しない。何故なれば彼らは全然之を以つて天理教の広告か人気取りの様に思つて居るからである。真理(生命のパン)と云ふものはそんなに手軽に取扱はるべきものではない。天理教は不平を没却する道だと云ふ。如何にも理想より云へばそれに違ゐない。けれども現実の世界にはそれを許さない。何故なれば現実の世界には多くの欠陥があるからである。吾人は一鍬/\その欠陥を埋めて行くことを力めなければならない。もし然らずして如何なる欠陥があるとも不平を成さゞるなかれと云ふは如何に空腹なりとも空腹を感ずるなかれと云ふと蓋し同一の矛盾である。朝に満腹せるものも夕に空腹を感ずるは真実である。吾人はその時その時に襲ひ来る空腹を満足して行かなければならぬ。この点に於て私は空腹を空腹なりと云ひ不平を不平なりと云ふは何も不合理なことだとは思はぬ。偉相な顔をしてその実偉くも何んともない人間のすることなすことは凡てこの様なもの である。 私は赤ん坊である。少くとも赤ん坊と同一の知覚と感覚とを持つて居るのである。従つて痛ければ痛いと云ひ痒ゆければ痒いと云ふ。これが人間にとつて唯一の真生活である。世間では千代萩の鶴千代の様に「腹が空いてもひもじうない」と力みかへつて居るのを武士道だとか何んとか云つて偉ら相に思つて居る。もし武士道と云ふものがそんな虚偽な二重生活を教へるものならば世に武士道程厭ふべきものはない。而かも世間の標準道徳と云ふものが凡て皆なこの口と心の二重生活を標準として立てられたものである。この点に於て私は世俗道徳の大なる呪誼者である。私は天真爛漫直情直行の生活を置いて如何なる生活をもしたいとは思はぬ。之、私の世と相納れざる最大原因である。世人は巨万の富は一厘より成り大望は密慮より成ることを忘れて居る。凡て精神的に将た物質的に大なる成功を博する者の精神には常人の考へ及ばざる緻密性の隠れて働いて居ることを知らなければならぬ。私は梅に桜を望まず、桜に梅を望まず、潅木に喬木たるを望まず、喬木に潅木たるを望まない。総て万物に与へられたる先天的の運命を楽むものである。 人は自分が五尺の人間であり人も亦五尺の人間である所より彼我共に同一の人間だと思つて居る。けれども人間の大小は背丈や重量できまるものではない。その精神の大小によつて定まるものである。同じ銭箱の中に入つて等しく銭と云はれて居ても金は金であり銀は銀であり銅は銅でありニツケルはニツケルである。 宗教は人情の包み紙である。けれども今日の宗教は人情の断ち物である。凡そ呪はるべき者の中にて最も大なる者は人情の破壊者である。わけて親子の愛情の破 壊者である。 詩人の詩人たる、宗教家の宗教家たる真面目は人情の保護者たる点にある。然るに今日の 宗教家を見るに人情の保護者ではない。却つて人情の破壊者である。世間の人間はチツト何物にも囚はれざる自由の信仰を発表すると直ぐ彼は西洋カブレだ と云ふ。真理には東西の区別はない。そんな区別を立つて居る中はまだ本当に真理が解らないからだ。 |
二個の要求 大平良平 |
私の精神には常に二つの強い要求が強烈に働いてゐる。その二つの要求とは自己の内部を絶対に清くすることゝ自己の外部を絶対に清くすることとである。自己の外部を絶対に清くしたいといふことは私の住んでゐる家庭、私の住んでゐる国家、私の住んでゐる社会、私の住んでゐる世界を絶対に清くしたいと云ふことである。私の内部を絶対に清くしたいといふことは霊魂その者の浄化である。私が何故自己の周囲を清掃せずには居られないかと云へば私の天性の潔癖性は到底自分の住む周囲の世界を不潔にして置くに耐へないからである。私が何故自己の内部を浄化せずに居られないかと云へば私の生の要求は自己の唯一無二の生命を銹金の様に腐食せしむ
るに耐へないからである。この二つの要求の下に私は絶えず自己の内外の掃除に向つて努力してゐる。けれども幾ら掃いても/\積もり易きものはそぼ降る雪と人の心の塵である。これをどうして払ひ退けるか?これは私の最も苦心をする所である。世間の人間は懴悔は罪を清めると云つて無暗に懴悔をする。羅馬の醜業婦になると六日間の罪を日曜に懴悔して次の月曜から又罪を犯して行く。それで自分の罪が許されたと信じてゐるから仕合せである。私はこれ迄いろ/\の人の色々の自叙伝だの懴悔録だのといふのを読んだ。而してその得た所の結論はこうである。社会的に有名な人程詐を吐く事が巧みであるといふことである。彼らは決して本当の事を書かない。書いても自分にとつて都合の悪いことはなるだけ書かない。何故なれば彼らはどうしても自己の醜悪を包むに包まれぬからこれを社会の埃捨場に払ひ落さうとするのでなく、自分は正直な人間である、自分は偉大な人間であると云ふことを世間の人に信じさせやうが為に書くのであるからである。 人はルーソーは偉大だと云ふ。けれども私の眼から見れば彼の懴悔録は砂糖湯を呑むも同じ事である。人はトルストイは深刻だと云ふ。けれども私の眼から見れば彼の我が懴悔は胡椒を入れた空缶も同じ事である。胡椒の貼紙はあつてもその実胡椒は入つてゐない。少し眼の明いた人間であつたら彼の我が懴悔が世間を憚りながら良い加減の事をさも真実らしく書いた真赤な偽物であることを観破する。 この他誰の自叙伝!誰々の懴悔録と数へ立てれば数限りもない事であるが一つとして神の眼をもつて自己を正視し、神の白刃を奮るつて鋭き自己解剖をやつて居るものはない。大抵の人間は懴悔といふことを世間並の宗教的儀式の様に考へてゐる。その懴悔の動機には自己の醜悪に対する耐へ難き憎悪と真善美に対する熱病患者的の渇望がない。殊に懴悔といふ事を学校の宣誓式程にも思つて居ない基督教国の人間に於てそうである。彼らは子供の時から懴悔といふ事は何人もなさねばならぬ儀式の様に教育せられて居る。その為に大きくなつて真に心の底より懴悔をして新生活に入らうといふ精神的転換期に於ても矢張り万人のなす事といふ子供の時の習慣が附き纏つて離れないのである。けれども私の考へてゐる懴悔の意義及び価値は彼らの考えとは違つてゐる。私は懴悔と云ふものは万人がなさねばならぬ宗教的儀式であるとは信じない。また世間の者に自分は正 直者であるといふ信仰を呼び起さす為の技術であるとは信じない。自己の人格的発展の径路に於て自己を内面的に深く広く高く掘つて行くに従つて厭が応でも掘り出さなければならぬ自己の霊魂の塵埃を外に捨てるの謂であると考へる。これは自分といふ者を何処迄も掘つて行き、最後に正真正銘の自己を掘り当てやうといふ根本的要求と根本的努力のないものは訳らないことである。大抵の人間は自己の内面を一鍬二鍬掘つてそれで止めて了ふ。そう云ふ人間から見れば自己といふものは非常に美しいもの貴いものゝやうに見える。而して自分以外の者わけて生命の泉を何処迄も掘つて行かうとする人間の人格が如何にも醜悪の様に見える。けれど も一旦自身が鍬を取つて自己の世界を開拓して行くと今迄知らなかつた自己の長所を発見すると共に今迄知らなかつた自己の欠点を発見する。而かも自己を広く深く高く掘つて行けば行く程自己の長所と自己の欠点とを深く広く発見して行くのである。而して終ひには 自分の手で自分の内から掘り出した塵埃を置く所がなくなる。否置くに耐へなくなる。恰度人間の体内に排泄物の溜つた時耐へ様と思つても耐へられなくなつて遂には所嫌はず排泄する様なものである。それと同一の排泄作用が心理的に行はれるのである。即ち自己の摂取した精神的食物が精神界を循環して居る内に既に廃物になつた思想が結合して外界に排泄せらるゝのである。之が即ち懴悔である。従つて懴悔は義理や体裁や信仰上の儀式の為にするものではなく全く人間心理の自然の結果である。こう云ふ理由から私は懴悔 の為の懴悔を絶対に排斥する。自己を内観した時直ちに感ずる自己の醜悪偽!自己を掘つて行けば行く程大きくなつ て来る醜悪偽、それを包むに包み兼ね忘れるに忘れかねて外に向つて吐き出す。これが我が懴悔である。その間の心理にはこれをもつて世の見せしめにしやうとか、またこれをもつて世の物笑草としてそれで自分の罪を軽くしやうとか、またこの懴悔の功徳によつて身上事上を助けて貰ひたいとか云ふ考は微塵もない。唯精神的に救はれたいのだ。精神的の悩みを忘れたいのだ!自己の塵埃を外に掃き出して了ひたいのだ!而して大空の晴れ亘つた様な澄み切つた様な心になりたいのだ。而して奇麗な世界に棲みたいのだ。これが唯一の私の希望であり、それが唯一の私の求むる救である。 |
実家にある妻に送る書 大平良平 |
この間は綿入を丹精して送つて下されて有難う御座いました。着物のこともトント忘れて行李の中にあるものとのみ思つてゐた所であつた。この間のお父様よりの手紙によれば寿賀子が風邪で大変苦しんだといふことであるが、その後どうなつたか。こういふ事は御身より私に告げてくれて良い事と思ひます。兎に角看病で急がしくもあつたであらうからと同情もし感謝もしてゐる。それからこの間の話だがそれは此方へ来れば内に居る様な太平楽なことは云つて居られないことはわかつてゐる。第一お襁褓を洗ふ盥からしてないのだから。台所道具もユキヒラが一つ鍋が一つそれに私の茶碗があるだけです(私は十一月の一日から自炊を始めた。教会へゐて別段の用もせずに教会の飯を戴くのは余りに勿体ないから)。勿論御身が来た所でこれ以上に殖やしたくない。殖やすと云つても茶碗と箸だけである。(箸も忘れて荷の中へ入つてゐた)勿論御身にはこう云ふ簡略な生活にはとても耐へられないと云ふかも知らないが私は御身の因縁の為に之に満足せよと云ふのである。私もそうであるが殊に御身の如うに何不自由なく育つた者にはこう云ふ貧苦の生活を一度通つて見なければ神の恩も親の恩も本当には訳らない。人間は一生楽をして通る計りが能ではない。一生に一度はトヾの詰まりと云ふ貧苦のドン底迄味つて見なければ人の同情と云ふものも訳らなければ我が身の光と云ふものも出ない。勿論神と親との大恩を送る心には尚更なれない。 私はこの頃つく/\苦労と云ふものをして見たくてならない。殊にお道の上で長年の間苦労丹精をした人の前に出る時は一層それを感ずる。人間は一生の中に一度苦労をしてをかなければ人と同様に交際ができない。どうしても気恥かしくて一手に交際ができない。真に苦労をした人の一言一行には汲めども尽きない味がある。その人格の奥には一生苦労と云ふものをした事のない人間に見ることの出来ない底光りがある。これが徳と云ふものです。一寸見ると紳士や淑女と云ふものは奇麗だが見て居る中に倦きが来ます。倦きが来ると云ふのはその人の精神内容に何らの深味がないからです。それで私はつくづく思ふのです。私共が内より充分の手当も貰へず(実は貰ひたくない。今迄受けた大恩で身に余つてゐる)社会から相当の地位も与へられず(実は与へられたくない。自分の理想のために) 否が応でもお道に働かなければ満足ができない様になると云ふのはよく/\お道に因縁があるからであると。けれども御身はそうは思ふまい。御身は私が欲がないからくれると云ふ財産を断り、意気地がないから来てくれと云ふ地位を謝した様に思ふであらうが私はそうは思はない。私が先祖伝来の財産を継ぐことを拒み方便としての職業を求めることを断つたのは、それによつて胸の道を忽にすることを恐れたからである。けれども私は財産を弟に譲つたといふだけでは満足しない。尚ほその上現在私の分になつてゐる幾分かの分け目をも断つて全然先祖の財産と縁を断ち切りたいと思つてゐる。而して来年からは喰つても喰はんでも構はんから神の世帯をもたせて戴く心算である。こう云つたなら御身は嘸無責任なことを云ふ、妻や子供をどうすると云ふであらう。けれども凡そ生あれば食あり食は銘々各々の魂の因縁によつて神が下さるのである。従つて私と一手にゐて喰はれない様になつたからとて何も私の罪ではない。御身の魂の徳の故である。その証拠にたとひ私の所を出て行つて外へ行つたとても天の与へが変らなければ矢張り同じ様の夫をもち同じ様の苦痛を嘗めなければならないからである。 先日の手紙によると御身はどうしても天理教を信ずる気にはなれないし且つ私と一手にゐては生活の望みがないから寿賀子を引き取つて独立して行く心算であると云ふことを云つて来たがこれはよく/\考へて見なければならぬことである。勿論人間には各々精神的過去と云ふものがあるから現在の所信ずる気になれないと云ふなら無理もない話であるが、それを一生信ずる気になれないと云ふのは人間として云へぬことである。且つ御身の天理教観が元来深い研究になつたものでなく、在来の無智と迷信とに富んだ無学の信徒の築き上げた今日の天理教の形式だけを見てその信仰を拒むのであるから、御身の云ふ所をもつて直ちに天理教信仰の絶対否定と見るべからざるや云ふ迄もない。けれども 真の天理教と云ふものは御身を始め世間一般の人達の考へて居る様に人生にとつて有害無益の宗教ではない。否な寧ろ将来の人類はこの道によらざれば生活することのできない程 肝要の宗教である。 私は御身に訊くが御身がどうしても天理教を信ずることはできないと云ふことはどう云ふ点を根拠として云へるか?御身はまだ天理教といふものを知らないが天理とは天然自然の法則(天然自然の法則とは神の意志のことである)を指して云ふのである。天にあつ て日月星辰がその軌道を誤ることなく運行するのも、地にあつては万物が四時を違ゐないのも、皆なこれ天然自然の法則が働いてゐるからである。云ひ換へれば神の意志が働いてゐるからである。この天然自然の法則が人間界に適用せられた時、其処に人道となつて生きた姿となつて表はれるのである。御身は天理教を信ずる気になれないと云ふが、人間として人道を踏まないのは人間ではない位のことは訳つてゐるであらう。私は御身が人道の拒否者であることを信じたくない。而かも事実は明かに人道の拒否者である。御身はそれを自覚してゐない。けれども御身並に世間の人達の考へてゐること行つてゐることは明かに人道的思 想、人道的生活ではない。私は此処にその例を挙げることを喜ばないのであるが、御身の誤れる人生観を反省せしむる為に一例を挙ぐれば御身の主張するところのこの上私と同居してゐては生活の望がないから離縁すると云ふのは世間一般の利害観念であつて明かに人道的観念ではないのである。こう云ふ言葉は今始めての事ではない。何か少し私と意見の衝突した場合に必らず口癖の様に連発した言葉であるが、御身は他日必らずや人は利害関係によつて集合するものでは なくて真心をもつて集合するものであることを悟る時が来るであらう。殊に夫婦の間に於て最もそうである。それは云ふ迄もなく自分は不肖の夫には違ゐないがそれにも拘らず七年も連れ添ふた今日尚ほ自身の妻よりかくの如き水臭き言葉を聞かねばならぬといふことは私の衷心恥ぢ且つ悲しむところのことである。けれども御身が私を捨てゝ去るにしても何も酒や女の上の失敗で感情を悪くして去るのでないから聊か心の澄む所もあるが、さてこの世智辛き世に子供を抱へて行かうとする御身にはどれだけの自信とどれだけの実力とがあつてのことか。これは第一に私の訊かんとするところのことである。勿論独立して行くと云ふ以上は親兄弟より一文の補助は受けない(補助を受けて行く様なら独立ではない)のであらうから何れ何か自分に適当した職業を求めて自活の道を立てゝ行く心算であらうが、そうした結果果してより以上な幸福を得る ことができるかどうか疑問である。この問題は今日迄屡々二人の間に起つた問題であるから今度云つて来たのは余程の覚悟の上のことであらうが、御身は他日一本の柱は一本にて立たないと云ふこと、二本の柱は一本の柱の二倍の力を有することを学ぶであらう。殊に心配なのは生れてから今日迄全然親がゝりで自分には重い物一つ持つたことのない様のお嬢様育ちが一時の思ひ違ゐから生涯取り返しのつかぬ様な一杯に陥りはしないかと云ふことを危ぶのである。けれども之に就ては何らかの考へもあらうから御身の自由意志に立ち入つて干渉はしないが、現在の御身は昔の単純なる若き妻ではなく責任ある母であると云ふことも考へて見なければならない。子供は法律から云つても信仰から云つても、もし許すべくば愛情より云つても、そうなれば御身に任せることはできない。私が引き取つて養育するのであるが、御身はそれによつて生ずる子供に対する責任問題をどう考へてゐるか?何れそうなれば寿賀子といふものは父無し子か母無し子にならなければならない。たとひ何つ地になるにしても子供を片親児とすることは御身の当然負はなければならぬ重大な責任である。それも私が放蕩無頼で取るに足らないと云ふ人間であるならば兎に角、明かに人間としての自覚をもち且つその自覚に基いて来た信仰生活を続けて行かうと云ふものに対して現在その者と別れることが一時物質的の苦痛より免かれ得るの理由をもつて、その者を捨てゝ去ることは今日並びに今日迄の道徳は是認しても御身の軽蔑しつゝある天理教道徳は明かに之れを否定するのである。けれども私はこれについては深くは云ふまい。何故なれば人間は何人も先天的に自由意志を与えられてゐるからである。唯残つてゐるのは子供の問題であるが勿論そうなれば子供は御身の信仰によつて育つることを拒む。彼女は私の信仰即ち天理教の信仰によつて教育する。何故なればこれ神と子供と私自身に対する義務であるからである。けれども御身もよく/\考へて見たが良い。御身は子供ができた為に絵が画れないことを大層不平に持つている様であるが、御身にとつて子供以上の絵が画けるかどうか。私は否と答へたい。凡そ婦人として一人の子供を理想的に育て上げることは千枚の名画を画くよりも確かに偉大なる功業をなしたものである。もし御身が之に向つて否と答へるならば私は問ふのである。御身は自分の絵の破壊せられた時、自分の子供の死んだ時よりも大なる悲の涙を注ぐ程の名画を画いたか又画きつゝあるか更に画くことができるかと。もしできると云ふ自信があつたならば子供を捨てゝ絵を画け。もしできないならばカ ンバスに絵を画き得ざる不幸を捨てゝ生きた子供に御身の理想画を画け。これより大なる 絵画はないのである。できるならば彼女に教祖の精神を画いたならば私は実に御身をもつて日本第一の女流画家として賞讃するであらう。なお以上の問題に関して云ひたいことは色々あるが事三者に関する重大問題なればよく/\御熟考の上確答を乞ふ。 次に申上げたきことはそうして何時迄も親の厄介になつてゐることである。それは誠に有難いことには相違ないが恩を重ねれば重ねる程先きになつて難儀をしなければならない。それで御身さへ不自由を忍ぶ気になれば三度の飯(私は今二食である)を一度に減らしても御身と貧しい生活を続けて行かうと思ふ。勿論これも御身の今の様な考ではとても駄目である。真に神人の恩を自覚してその報恩の為に不自由を忍んでこの道をつき通すと云ふ覚悟がなければ駄目である。そう云ふ覚悟がつけば貧苦は無上の快楽となるのである。 (私は今その境にある) 凡て順境に育つた人間の弱点は自ら進んで貧苦に打つからうとせず却つて貧苦を避けて 姑息の安心を求めようとすることである。こう云ふ消極的の態度を取つて居るものは益々貧苦に追はれる計りである。けれども一歩進んで根限り力限り貧苦を追ふ時は却つて貧苦の方で逃げるものである。この呼吸が訳らない中は人生の真味はとても訳らない。御身の現在の態度はまだ前者の消極的態度である。それがもう一歩進んで積極的態度に出て来る 様でなければ何を云つても駄目だ。こう云ふ一人は前進せんとし一人は後進せんとして互ひに五分/\の力をもつて葛藤を続けて居る吾等夫婦は確かに不幸な夫婦である。この二 人の態度の相異の為に私の現在出しつゝある力は人八倍の力である。と云ふのは私が単に二倍の力を出すのみにては吾等夫婦は元の位置に居なければならない。四倍の力を出すことによつて漸く他の夫婦と同列になる。更に進んで他の夫婦よりも一歩先んじやうとするにはどうしても人八倍の力を出さなければならない。これが現在私の負ふてゐる負担である。私はこの負担をもつて聊かも重いものとは思はない。けれども御身よ確かと記憶してをいてくれ、この道はつけてもつけないでも良い道ではないといふことを。更に記憶してをいてくれ、この社会は改造しも改造しないでも良い社会ではないといふことを。更に記憶してをいてくれ、現実の自我は更生しても更生しないでも良い自己ではないといふことを。凡てこれ等のものは早晩この世界、この自我の上に来なければならぬ革命である。 今日の非 天理教徒はそれを一歩づゝ延ばして居るに過ぎない。けれども倫言一度出づれば汗の如し。神の聖意は云ふまでもない。この道は人の反対位で引つ込む道ではない。反対すればする程顕れて来る道である。またこの道は避けやうと思つて避け通すことのできる道ではな い。旧道を歩き詰めたらどうしてもこの新道に出なければならぬ道である。従つて早くこの道を歩むものはそれだけ早く目的地に達する訳である。妻よ。私はこれを思ひ彼れを思つて如何に御身のもどかしき態度に焦慮しつゝあるか知らない。けれども御身はこの世界の革命の声、この自己の革命の声を避けつゝ一時の隠れ家を求めて逃げ迷つてゐる。臆病なる妻よ、何故夫と手を携えて他の勇しき夫婦方と共に人生の戦場に立たうとはしないか? 私はこれを妻なるが故に勧むるにあらずして人なるが故に勧むるのである。私は御身の所謂「自分の家」なるものをもちたくない。私の家は世界である。世界至る所に立てる家屋である。其処は皆な自分の家である。妻よ、御身の考えはまだ狭い。もつと広い深い高い強い大きい心になつてくれ。夢々さも しい慮見を出してこの広い世界を狭むる様なことはしてはくれるな。吾等はこれ神の愛児であるぞよ。これを特に御身の為に云つてをくのである。もし御身に将来この道と共に運命を共にする確い決心がついたならば一度この人類の元なる親里に帰つて来たが良い。神は必らず御身に新しき信仰と新しき智識と新しき勇気とを授けるであらう。もし不幸にして御身が孤独の迷路に入らんか、私は蔭ながら御身の為に神明の加護を祈るであらう。これが私の御身に対する唯一の言葉である。これは序だから云つてをくが、聞けば寿賀子には牛乳を一合づゝ飲ませて居るといふことである。けれどもこの畜生の乳で育てることだけはやめてくれ。彼女はお前の子だ。私の子だ。而して人間の子だ。人間の子は人間の母乳が与へられてゐる。畜生の乳は与へられてはゐない。殊に日本人には一切四足の肉も与へられなければ四足の乳も与へられてはゐない。唯外国人のみそれを与へられたのだ。その証拠には外国人の渡来する迄は日本人は 一切四足の肉は食はなかつた、これ神の長子の特権と威儀とである。もし乳が不足ならば粥を与へよ。けれども恐らく乳の不足の為にあらずして例の痩せることを恐れるが為であらう。もしそれならば牛乳を一合与へる代りに自分の乳を一合与へよ。然らば一升の肉が増すであらう。兎に角畜生の乳だけは与へてくれるな。これが私の頼みである。 大正四年十一月二十二日 良平 ○子 様 二伸もしお地場へ来る様ならば雪の降らぬ内に来る様にしなさい。 |
編集室より RO生 |
月日の経つのは早いものである。もう今年も十二月になつて了つた。その間に私の生活にも色々の変化があつたが、その第一の変化は雑誌新宗教を出したといふことである。これについては毀誉褒貶様々であるが兎に角私の雑誌よりも資本金の豊かな雑誌が生れ
ては倒れ倒れては生れする間に何等の資本もない私の雑誌が九号迄続刊して来ることのできたのは神明の加護とは云へ実際夢の様である。その間に之と云つてお道に貢献したこともないが神明の加護と読者の厚き同情とにより今日迄続刊して来ることのできたのは実に感謝の辞がないのである。
それで読者に一言申上げてをきたいことは、年が明ければ来年は三十年祭の当年である。本誌はこの聖典を紀念する為に「感謝と記憶」と題する教祖御親の記念号を出す心算であるが、読者も亦有形無形の何らかの紀念事業を起して戴きたい。例へば図書館の建設等最も有益なる事業である。それから日曜学校。これは仏教でも基督教でもやつてゐるが天理教も個人伝道と云ふ様な狭い型に嵌つた定つた仕事ばかりしてゐないでこの種の少年伝道乃至囚人伝道等を開始したら良からう。兎に角天理教も在来の古い型に嵌つた仕事ばかりしてゐては何時迄経つても大なる発展はできない。将来は大いに布教方法を拡張しなければならない。
それから公共事業、慈善事業を起すことである。凡そ宗教の数も数あるが天理教程公共事業、慈善事業に冷淡な宗教はない。今日迄の所一つとし見るに足る公共事業、慈善事業をしてゐない。成る程公共事業や慈善事業は世界救済の理想より云つて人心救済程根本的でないかも知らない。然し根本的でないからと云つて何も善業を局限する必要はない。善いと思つたらどんなことでもしなければならない。これを特に教祖の記念に云つてをくのである。この他まだ云ひたいことも色々あるが、それは後日緩然発表することゝして最後に一言愛読者各位が今日迄本誌に加へられたる厚情を謝し且つ併せて将来の愛顧を祈る次第である。 大平良平著 (新刊) 天理教々理より観たる人生の意義及び価値 定価金三十銭 郵税金八銭 古来人類発達の過程に於て表はれた宗教の数は一々枚挙に遑がない。けれどもその何れも天理教程根本的の宗教はない。これを例へて云へば他の宗教を大小の動静脈とすれば天理教は心臓である。人類の想源は凡てここから発するのである。然るに今日迄はニイチエ、オイツケン、ベルグソン、タゴールの如き末派の思想家が思想界の寵児として喧伝せられ却つて天理教(天啓によれば天理教は世界最後の宗教である)の如き本場の思想を顧みるものがないのは悲しむべきことである。著者はその半生を思索と冥想とに捧げた結果、遂にこの宗教を措いて他に信ずべき宗教の ないことを知り、専心研究の結果遂にこの一篇を成したのである。思想界乱脈の絶頂に達した今日、多少なりともこの著によつてこの本場の思想を理解する助けともならば幸甚である。敢て真理の熱愛者に一本を薦む。 |
新宗教社 |
凡そ思想界の混沌たる今日より甚しきはない。旧思想は倒れて新思想はまだ普及徹底せず、世は凡べて暗闇の内にある。その間にあつて霊界の新しき太陽として生れたのが神の所謂だめの教え、止めの教えたる天理教である。天理教では教祖の出現迄の世界を一世の世界と云ひ、教祖出現以後の世界を二世の世界と
云つてゐる。而してそれ自身を二世の立て換への教えと云つてゐる。一世の世界とはこれを今日の言葉で云へば旧世界である。二世の世界とはこれを今日の言葉で云へば新世界であ
る。天理教は即ちこの旧世界より新世界に向つて全人類を更生せしめんが為に、人間始め世界、始めの地場を中心として興つた世界最後の天啓教である。今迄は学問なぞと云ふたとて見えてないこと更に知るまい、これからは見えてないこと段々と万づのことを皆な説いてをく。 今までは、この世始めた人間の、元なる地場は誰も知らんで。この度は、この真実を世界中へ、何うぞ確つかり教しへたいから。それ故に甘露台を始めたい、本元なるのところなるぞや。月日には世界中らを見渡せど、元始りを知りたものなし。この元をどうぞ世界へ教へたさ、そこで月日があらはれて出た。確かと聞け、この世始めを真実と、云ふて話しは説いてあれども。世界には誰か知りたるものはなし、何を云ふてもわかりかたない。その筈や、この世始めてない事をだん/\口説きばかりなるから。今までも助け一條とまゝ説けど、本真実を知らぬことから。何のよふな事でも月日云ふ事や、これ真実と思て聞くなら。どのよふな事もだん/\云て聞かす、これを真実と思うて聞き分け、この世の本元なると云ふのはな、この所より外にあるまい。 然るに従来の学者は天理教の如き愚夫愚婦の信ずる淫祠邪教の如く誤解し、之に対し凡ゆる嘲弄を浴びせて来た。然るに何ぞ知らん。この軽蔑せられた宗教こそ真に現代並びに未来の社会を救ふ唯一無二の本場の思想ならんとは。熟々現代の思想界を通観するに必ずしも天才に欠乏してゐる訳ではない。けれどもその一人として真に本場の思想を知つてゐるものはない。従つてその云ふ所に何れも中心の意義を失つて居る。これ私をして公然天下に向つて「天理教本場の思想を知らざるものは共に人生を談ずべからず」と公言するを憚らざらしむる所以である。この一篇の書は即ち私が今日迄天理教研究の結果、その教理より発見した人生の意義及び 価値の簡単なる叙述に過ぎない。けれどもこの不完了の研究によつて多少なりとも本場の思想の解釈に資する所があれば幸福である。 大正四年十一月二十四日午後十二時 |
(私論.私見)