大平良平の教理エッセイその5 |
更新日/2024(平成31.5.1栄和改元/栄和6)年.1.8日
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、「大平良平の教理エッセイその5」をものしておく。 2024(平成31.5.1栄和改元/栄和6)年.1.8日 れんだいこ拝 |
山中彦七氏に与ふる書 大平隆平 |
山中氏足下、その後御無沙汰申上ました。聞けば貴方は私のことを敵だ等と仰つていられるそうですが、どう云ふ訳で私が敵なのか知りませんが、私には元来敵なるものはない、皆な味方可愛い。そのために本部始め色々の方面に向つてこうもしたら良いではないか、ああもしたら良いではないかと思い付いたままを書き送るのですが、包有力の少ない人達はそれをもつて直ちに自分を攻撃するのだと曲解し、さては貴方の様な敵だ等と奇怪千万な言葉が出るのかと思います。けれども好意を悪意にとらうが悪意を好意にとらうが、それは銘々勝手の御自由だから兎や角申しませんが、ここに貴方に対しても一片好意の忠告を送りますからつれ/\の折ランプの下でお読み下されば幸甚と存じます。 山中氏足下、数多本部員も数ある中に実家には数万の富を蓄えながら、しかもなおマッチ箱の様な家に住み、古下駄に古袴をはいてセッセと金を貯めることに汲々として居るのは貴方をもつて随一としなければなるまい。殊に感心なのは三度が三度の飯も夫婦共自分の内で食ふといふ事は滅多になく大抵本部の食堂で青年と一手に粗食に甘んじていられるのは到底贅沢に馴れた他の本部員の真似のできないことだらうと思います。けれどもその感心は俗物中の俗物としての感心であつて宗教家としての感心ではありません。成る程粗衣粗食粗室に甘んじていられる点は一見脱落した宗教家の様にも思われますが、その動機は助け一条のためにあらずして蓄財のためであると知つては何人も唖然として云ふべき言葉がありません。 貴方の信じていられる拝金宗は貴方一代の信仰でなく祖先伝来の信仰である。貴方の父忠七氏の如きは、教祖から 「家屋敷田地田畑を売つて神様に上げなさい。そうしたら地場同様の理にしてやるから」と仰せられたそうですが、欲の深い貴方の父は「生命は上げますけれども財産だけは差上げられません」と云つて断られたそうである。そう云ふ具合で細道時代には多少の尽しはしていられ様が全部を挙げて神と人とのために捧げるといふ見上げた精神はありませんでした。その精神を継続せられた貴方ですもの本部から取るものは取つても出すものは出さないといふ固い量見を持たれるのも御尤もです。これも皆な因縁であります。 けれども山中さん。粗衣粗食に甘んじて金を財められるも良いけれども、それを出すべき所に出す、云い換えれば助け一条のために出すのでなければ、それは吝嗇と云ふもので倹約と云ふものではありません。それも俗人なら兎に角、苟も天理教の本部員と云ふ肩書をもつている貴方が神様のために多少なりとも献金するこそ至当であれ神様より取る計りでは恩が重なる計りだと思います。山中さん、貴方はどう考えておいでなさるか知らないけれども、昨年貴方が大事な孫を亡くしたのは深い理由があるのです。貴方はあれより前に本部員から御大典記念に本部員一同揃いの装束を新調しやうと相談をかけられた時、何んと御答えになりましたか? 己は二人学校へ出して学費が大抵でないから今度は御免蒙ると。それから間もなく貴方の大切な孫はお引取りになりました。その時東京から死骸を運んで来た汽車賃と装束の代価を比べて御覧なさい。蓋し思い当る節があるだらうと思います。 けれども山中さん、大切な孫を亡くして金の要らんのと有つて要るのとはどちらが良う御座んすか?貴方には或は前者の方が良いかも知りませんが私はそうは思わないのです。山中さん、貴方も多分御承知のことゝ思いますが、灰吹きと金持ちは溜る程汚くなると。これは事実を穿つた言葉です。殊に宗教家は人を助けるためでもなければ金は要らないものです。それを表には慈善を標榜しながら蔭に回つて蓄財を唯一の楽とすると云ふは醜も亦極れりと云わなければならない。更に私の貴方のために取らないのは追従軽薄の念の強いことです。これは利己主義者の多数に付き易い病気であるが貴方のはそれがひどいのです。これは誰も知つている事ですが、島ヶ原事件勃発迄は自分の内の様にして行つて飲食して居た永尾へ、島ヶ原事件からと云ふものはフッツリ足を断つて、道で逢つてもそれは白々しい御挨拶であるとのこと、今回はまた鼬事件で度々飯降家と本部員との間へ御足労とのこと、そうしてをいたら結好なことあるだらうと思います。兎に角お溜めなさい!お捜らいなさい!その中にはまた神様いろ/\のことを見せて下さります。さようなら (紀元九億十万七十七年三 月十九日) |
道の友三月号の警告に就いて本部に問ふ |
道之友三月号は警告として色紙に左の文を掲載した。 警告 昨年以来大平良平なる者猥りに本教に関する書籍を発行し、独断なる言説をなしつゝあるが、右は本部に於て認めざるは勿論、一般教会に於ても、かかる言論に惑溺し、深大なる教祖立教の神意を没却し、信念の動揺、信仰の蹉趺なき様、堅く戒慎せられん事を警告す。 大正五年三月 私は苟も一派独立の宗教本部として余りにその行動の浮薄なるを憐れむものであるが、こう公然と私の世界を侵害して来る様なら、私も公然と自己の信仰の立脚地を鮮明ならしめてをく。本部では一体自分達のかすんだ眼、破れた耳、濁つた心で考えた天理教でなければ天理教でない様に考えているが、信仰と云ふ者はそう云ふものではない。一名一人の心の理によつて同じ天理教でも解釈が違つて来る。従つて余のこの眼で見、この耳で聞き、この心で考えた天理教なるものが、本部の人達の考えている天理教と異つた所で何ら差支はないではないか? 本部では宗教研究家ーそれを学者と云おうが何んと云おうが世間の勝手であるーの事業の権威を全然認めるだけの力がない様であるが、学者が自己の研究に就て発表したからとて一向差支えはないではないか? そもそも言論の自由と信仰の自由とは明かに憲法の規定に於て許されたる国民の権利である計りでなく人類が神より与えられたる先天的の自由である。 余は本部に問ふが、一体余が本部の人間が勝手に拵らえ上げた似而非天理教を信じなければならぬと云ふ規定が何処にありますか? 余に明かにこの眼にて見、この耳にて聞き、この心にて考え、余の天賦の自由意志によつて余の信仰を定むるの自由は天から与えられてある。余はその天賦の自由意志に従つて余の信仰を求めているのだ!それが果して天理教であらうがなからうが、それが本部と何の関係がある? 天上天下を見渡しても我は我なり他の何者でもない。従つて余は余の信仰が天理教に一致しないからと云つて何も警告迄発して余の言論の自由、余の信仰の自由を限定せられる理由を認めない。もし余の言論にして国家の秩序を紊乱し、余の信仰にして社会の風俗を破壊するならば国家で之を禁止して来るであらう。然るに国家は許し社会はこれを認めているのに、ひとり天理教本部が余に一片の注告をも与えずして警告を信徒に発するとは人の信仰を侮辱したものである。繰り返して云ふが我は我なり他の何者にもあらず。余が如何なる思想を抱き如何なる信仰を有するとも、本部がいささかもそれに対してあれこれ云ふ権利はないのである。もし私の信仰が本部の所謂天理教徒としてゞなく人類として誤つていたならば、これに対して一片の注告を与える位の親切はありそうなものである。然るにさはせずして天から物々しい警告を発するとは業々しいにも程がある。こんなことで世界最後の宗教の本部だなんて云えるか? チト将来を謹んだが良からう。 却説余の信仰の立脚地は以上述べたる所によつて大体明かになつた筈である。これからは余と天理教との関係について一言弁明してをく。余の信仰が果して真の天理教であるかどうかは第二の問題として、余も一旦教祖の人格に憧憬しこの道の価値を発見してからは教祖の一言一行をも忽にせず道の一理一法をも粗末にせずして研究して来た心算であるが、それは人間力の果敢なさに教祖御親の精神の百万分の一をも汲むことができなかつたかも知れない。けれども本部に於て余の信じている天理教が独断であると云ふ以上、本部の天理教が独断でない、云い換えれば教祖の宗教と寸亳も異る所なき正真正銘のものであると云ふ証拠が何処にあるか?この点を明らかにしない中は私の信仰を猥りに独断なりとは断ずることはできない筈である。然らば本部で云ふ独断でない天理教と云えば何んであるか?今日の所は先ず天理教々典を置いて外にあるまいと思ふ。 所がこの本部で所謂独断でない所の天理教々典なるものは天理教の独立認可を得るための方便として上は神と政府を欺き、下は教界全体の信仰を欺いて作つた真赤な偽物なることは今日誰知らぬものもない明きらかな事実である。もしそうで ないと云ふ反証があつたら挙げて見たが良い。第一神名からして教祖はあんな教典に挙げてある様な大日武尊等と云ふ神を説かれたか?第二に彼の教典の中に十柱の神の御守護と人間始め世界始めの起源及び歴史が説かれてあるか?第三に彼の教典の中には天理教々理の中最も重要なる貸物借物の理が説かれてあるか?互い助け合いの理日の寄進の理が説かれてあるか?朝起き正直働きの理が説かれてあ るか? 之を仔細に検するに天理教々理ー現に布教者の口にしているー中重要なる教理は一つも説かれてないではないか?これが果して真の天理教か? この他本部並びに一般教会に於て現今用いつゝある所の制度及び儀式は如何?その大部分は天理教本来の精神を没却せるものではないか? しかも神と教祖の直伝の宗教を研究し且つ之を発表しつゝあるこの大平を独断だと云ふ。然らば余が今日迄雑誌新宗教並びに天理教の新創世説の解説並びに批判、天理教々理より観たる人生の意義及び価値、天理教界革命の声、世界最後の宗教、天理教の教義及び理想、評註御筆先その他に表われたる何れの部分が独断であるか?云い換えれば右の雑誌もしくは図書の何れの部分が教祖の天理教と相反しているか? 証拠を挙げて一々指摘しない以上はこの大平の信ずる天理教が独断なりとは一概に断言はできまい。否な彼の詐八百の天理教々典をもつてこれぞ真の天理教なりと内外の人を欺きつゝある本部こそ最も独断の甚しいものではないか?もし教祖御親の口より流れ出た一言一行をとつてもつて自分の信仰としているこの大平の天理教が独断的の天理教なりとせば天下何れの処にか真の天理教なるものがある? 偽善者よ!汝、先ずの眼より梁木を取れ、然らば兄弟の眼にある塵をとる様明かに見ることを得べし。貴部よ!偽の天理教の宣伝者たる貴部が真の天理教の宣伝者たる余を独断なりと云ふ以上はこれを認めないのは当然である。余も亦貴部の天理教を明きらかに教祖の天理教とは認めないのである。けれどもこの大平の信ずる天理教が正しいか貴部の所謂天理教が正しいかやがて二個の正邪黒白を判ずる時が来る。もし貴部にして今日迄忠告した幾多の忠言に目醒めず、我と我が手に教祖の道を潰す様ならば、余にも亦一段の覚悟がある。その結果は何処如何なる方面に如何なる形をとつて表われるか予め予言の限りではない。鳴呼愚かなる者よ!教祖立教の神意を没却し信徒の信念を動揺せしめ信徒の信仰を蹉趺せしむるものは、我にあらずして貴部にあることを悟らざるか? 憐れむべき本部よ!教祖御親の道を総べながら教祖御親の道を知らず徒らに痴言を発して天下の笑を買ふ。その識見の低級なる、その度量の狭量なる、その信仰の幼稚なる、世界最後の新宗教たる本部の面目は何処にある? 失礼ながらこの大平は欠けたる理を継ぎ亡びたる理を生かしこそすれ、未だかつて教祖立教の神意を没却し、他人の信仰の蹉趺を来す如き言論を杜漏せるの覚なし。もしあらば一々如何なる点が誤謬なるかまた独断なるか明きらかに指摘せよ。是非曲直はそれからである。徒らに本部の権威を乱用して正法を抹殺せんとする罪甚だ軽からず。余は先ず貴部が余の言論を独断なりと断じたその独断なる理由を一々具体的に説明するを待つて余の信仰を披瀝し果して余の信仰が独断であるかそれとも本部の天理教が独断なるか是非を天下の公論に問ふべし。乞う余の著書の凡てにわたつて何れの点が独断であるか一々指摘せよ。我、能くこれを乞う権利あり。本部またこれを説明するの義務があるのである。その上余の信ずる天理教が誤謬ならば更に一段深く正教研究の途に志すべく、もしまた本部の天理教にして誤謬ならば正教侮辱の罪を天下公衆の前に謝せしむべし。敢て本部の責任ある回答を望む。 紀元九億十万七十七年三月十九日 |
大平良平 天理教本部 御中 地場印象記(一) 大平隆平 |
一、 私が天理教を研究し始めたのは一昨々年(紀元九億十万七十四年)の五月であるが、いよいよこれならば自分の信ずる宗教だと確信のついたのは一昨年(紀元九億十万七十五年)の七月である。私の考えでは教会の信徒にならず本部直属の信徒になることにあつたが、本部迄行くと云ふことは当時の事情として許さなかつたから、便宜上染井にある東京教務支庁の信徒とならうと思つた。私が染井に支庁を訪れたのはちょうど支庁の青年会の当日であつたが、明日大和の本部から管長夫人がお出でになると云ふので私も信徒と一手に部屋の掃除から廊下の拭き掃除、雨戸の硝子拭き迄した。それが済んでから私は事務所へ行つて神様を祭らして貰ふにはどうしたら良いかと尋ねた。その時事務所に居たのは山名大教会東部支教会の鈴木五郎氏が居られたが、支庁では信徒を扱いませんと云ふ事であつた。そんなら神様を祀るにはどうすれば宜う御座んすかと尋ねると、氏は、貴方はこれ迄外の教会からお助けしられたとか匂い掛けをしられたことがありませんか? ありません。そんなら私が行つて祀らして貰おうと云ふことになつた。私が本部の直属の信徒にもなられず支庁の直属の信徒にもなられないのに多少失望はしたが大体本部や支庁では信徒を扱わぬと云ふのだから仕方がない。それなら何処の教会から祀つて貰つても神様に別はあるまいと思つて、それじゃ祀つて頂きましょうと云ふことになつた。それで氏が翌日私の雑司ヶ谷の寓居を訪れてくれることに約束し信徒加入用紙を貰つた。 その日青年会の席で話された談話はどんな談話であつたか記憶していないが、私は談話の内容よりも談話を聴く時の信徒の態度に感心した。彼らはこれからお話が始まると云ふ時にはこれからお話を聞かして戴きますと云ふことを表わすために二つ拍手する。それからお話が終ると結好なお話を聞かして戴きまして有難う御座いますと云ふのでまた拍手する。これは話す人の方でも同じことで先ず神前に礼拝しこれからお話を取り次がして戴きますと云ふ時と只今はお話を取次がして戴きまして有難う御座いますと云つて拍手する。 それから神前に御礼を申す。これは神代の神々の作業であつた。天理教は即ち儀式を現代に復活したのである。殊に私をして最も感心せしめたのはこれから会が始まると云ふ時に会主人が神前に於てこれから会を始めさして戴きますと云ふことを述べ、それから会主人の音頭につれて「チョ イト話し」の勤めが始まつた時である。私はそれ迄に理論的にできるだけ天理教を研究した心算であつても、こう云ふ天理教独特の儀式とか作業とかは始めてゞあるから少からず興味と感嘆とを以つて見ていました。而して節面白く歌いながら陽気に手を動かし頭を動かして行く所を見ていると宗教といふものはこれでなければならぬ。殊に将来の宗教はこれでなければならないと思つた。 私が何故天理教の歌とお手振りに感心したかと云ふに凡て人間の精神が喜悦をもつて満されその感情が高潮の極に達した時は自然にその言語なり態度なりが律をなして活動し出すものである。而してそれが喜悦の極に達すれば所謂手の舞い足の踏む所を知らなくなる。この悦をもつてーこの悦は世俗的の悦ではない。所謂法悦であるー欣喜雀躍しつゝ通るのが即ち宗教生活である。人生の真義と人生の真価のあるのは此処であると思つたからである。私は法悦の輩を見た。ーそれは真に法悦をもつて満されていたかどうか疑問であるが否な彼らはただ型の如く繰り返したに過ぎないかも知らないがー而して法悦の生活云い換えれば宗教生活とは如何になつかしきものであるかと云ふ暗示を与えられた。 その日の私の収穫はそれだけに過ぎない。けれどもその僅かの収穫も私にとつては数え切れぬ法悦の種となつたのである。私は郊外電車で雑司ヶ谷の家に帰つた。それは既に日没後であつた。妻は私の帰りの遅いのを怒つて色々小言を云つたがそれは私の耳に入らなかつた。私は神様を祀る/\と。妻はこれには不承知ながら私の意見を知つていた。翌日鈴木氏は約束の如く訪ねて来た。私は信徒加入届に調印して氏に渡した。妻は病気であつたか何かで氏と逢わなかつたが、その加入届の中に妻の名前を書入れたと云ふので氏の去つた後で大問題が起つた。その結果、私は鈴木氏迄妻の除名手紙を書くべく余儀なくせられた。鈴木氏は三十日に神様を祭らして貰ふからと云つて帰つた。その三日間と云ふもの私は妻から迷つているの何んのと続け様に非難せられた。そう云ふ中にも私は神饌物を買いにワザ/\銀座迄出掛けて菊屋から烏賊だの干魚だのと云ふ様なものを買い、近所の果物店よりは神様に上げるのだからと云つて一番美しい林檎を買つた。いよいよ神祭りの当日には鈴木氏は外に青年一人を連れて来た。神様の道具は鈴木氏に一切頼んであるからその上に右の神饌物を盛り庭の榊魂を祀つて貰つた。その頃は七月の末で暑い盛りであるから氏の額からはポタ/\と玉の様な汗が流れ落ちた。その時は私も「チョイト話し」をウロ覚えていたから一緒にお勤めをした。妻は私が神様を祀ることには反対しつゝもその日は温和しく私の後から式を拝み、式の始まる前も式の終えた後も甲斐々々しく働いてこの不可思議なお客様達をもてなしてくれたのは嬉しかつた。 |
無形教会より(三) RO生 |
無形教会の教義は朝起きなり、正直なり、働きなり、これより以上無形教会の教義はあらざるなり。我は我が無形教会の会員諸君に告ぐ。諸君は木にて造りし宮と金にて造りし御鏡とを購ふて、神この中に在ますと思ふ勿れ。諸君の住む宇宙はこれ神の教会なり神の宮殿なり。そは諸君が一円二円の金を支払ふて、しかもなお火に焼け水に流され風に倒さるゝが如き脆き宮にあらず、創世より以来火にも焼けず、水にも流されず、風にも倒されざる不朽不滅の神の宮なり。凡て人の造りしものは朽ち神の造りしものは朽ちず。諸君は朽ちざる神の宮を購ふべし。また三十銭三十五銭を支払いて教会より購いし鏡を神の魂と思ふ勿れ。諸君の祀るべき神魂は天に在り。天月日は即ち諸君の祀るべき神の魂なり。 我は我が無形教会の会員諸君に告ぐ。諸君は欲深き信者の如く是せよ彼せよと神に祈る勿れ。そは欲に汚れたる俗人のなす所なり。諸君はただ諸君の求むる所のものに向つて無言の努力を続けよ。これ最上の祈祷なるなり。凡て神は人の如く言葉に聞かず魂に聞く。魂もし汚れたらば百万言の祈祷も無益なり。魂もし清からば生れてより以来まだ一度も神仏に向つて手を合せしことなく、まだ一度も神社仏閣に参詣せざるものをも救ふべし。されば我は我が無形教会の会員諸君に告ぐ。祈る勿れと。しかも絶対に祈る勿れと。我にその実なくして朽ちに祈祷を捧ぐるはこれ神を欺くなり。諸君はただ朝起き、正直、働きを守るべし。然らば本部に参るに及ばず、教会に参るに及ばず、また神に向つて合掌するの用なし。たといするともそは無益の業のみ。 されば我は我が無形教会の会員諸君に告ぐ。朝夕教会に参拝するの余裕あればその間に一足の草鞋を編み一枚の封筒を張れと。これ神を欺いて我が欲の因縁を重ぬる時間を善業に向つて費せるなり。この道理より押して我は更に諸君に向つて一事の告ぐることあり。曰く、お授けを乱受する勿れと。たとい九度の席を運び最後にお授けを頂きたればとて、今日の授訓者の如く機械的に別席を運び機械的にお授けを頂き、何らの自ら助かりまた人を助ける貴重の真理を咀嚼するの欲望なければ、熱心もなくはた能力なきものには犬に聖物を与え、豚に真珠を与え、赤児に経文を授くるが如く、この貴重の真理も亦紙片に過ぎざればなり。 然るに今日の本部はこの貴重の真理を商品の如く売り、信者また商品の如く買ふ。その間にあつて、仲買の役を勤むるものは今日の教会なり。彼らは信徒を見る毎に「別席を運べお授けを戴け」と云ふ。敢て信徒の助け一条の精神と教理の理解力の有無とを問わない。ために信徒はただ教師の勧むるままに多大の労力と多大の金銭と多大の時間とを費してお授けを頂くとも、それが何のために必要であり且つまた如何なる価値を有するかを知らず、徒らにお礼や護符の如く固く筐底に蔵して、その中に含む真理を研究せんとはせざるなり。ために百人の受訓者ありとも真に人を助くるものはその一割なり。これ果して誰の罪ぞや。凡て人を助くるにはお授けの有無によらず、ただ真実の有無による。たといお授けー紙に書いたお授けーを有すればとて人を助くる誠なきものに人を助けたる例なく、たといお授けを有せざるとも人を助くる誠さえあれば助からずと云ふことなし。 されば我は我が無形教会の会員諸君に告ぐ。お授けを得るために多大の労力と金銭と時間とを浪費することなかれと。殊に今日の如く貴重なる時間と金銭と労力とを浪費して教会の巡礼をなすが如きは全く無用の業なり。もしかくの如き有害無益の制度に縛られて無用の金銭と無用の時間と無用の労力とを費す暇あらば之を神と人とのために捧ぐべし。我は人を助くるために御供を用いず、御息の紙を用いず、また手品を用いざるなり。何故なれば利益は御供にあらずお息の紙にあらず手品にあらずして助くる人と助かる人の真実の力によればなり。 |
痴人の足跡 序 |
凡そ人間を貴く的に分類すると四種になる。その第一種の人間は始めより罪をもたざる人間である。その第二種の人間は罪もあれば徳もあるがいささかもこれを私しない人である。その第三種の人間は我が善を挙げて我が悪を隠す俗人根性である。その第四種の人間は罪を犯して罪を知らざる人間である。釈迦の如き基督の如きミキ子の如き聖人は第一種に属する人である。第二種の人間は天真爛漫にして我を詐ることのできない正直者である。詩人宗教家は多くこの部に属す。第三種は俗物である。第四種は痴人である。この中で私は第何種の人に属すべきか?
第一種の人即ち始めより罪を有たざる人たらんことはこれ迄何れ程願つたことか知れないけれども、私の如き凡夫にとつてはそれは全く不可能の願いであつた。
次に私の願は全然善悪の葛藤を知らざる痴人になることであつたが、それになるには私は余りに賢かつた。然らば第三種の人となつてこの世を悧巧に送ることのできる人間かと云えばそれにしては私は余りに正直に生れて来た。こう数えて来ると私はどうしても第二種の人に属する様である。第二種の人!それは私の理想の人間ではないけれども落ち行く所はここよりない。従つて私は現在の所第二種の人に満足しつゝ先々は第一種の人に向つて努力するのである。 私もこの四月の八日には満三十歳になる。三十歳と云えば先ず人生の半である。その間、私の通つて来た処の跡を顧みると自分はかくも厭わしい人間であつたかと思ふことが沢山ある。けれどもその厭わしいと思い、浅ましいと思い、穢わしいと思い、情ないと思ふことは多く心中に起つて心中に消滅したものであつて、私と朝夕居を同うして居る親兄弟妻子朋友さえ気付かぬ所のものである。私は子供の時から人と違つていた。違つていたと云ふことは自分は自分特独の世界をもつていたと云ふことである。私には天性どうしても人の面白いと思ふものに興味をもち得なかつた。却つて人の面白くないと思ふことに向つて大なる興味をもつていた。それがために小学校では神童と称せられ、変人と称せられ、書家と称せられ、黙り虫と称せられ、中学では聖人、君子と仇名せられた。これ等年少批評家(同輩)の批評は皆な当らないとしても、その中で変人と黙り虫との二つは私の少青年時代の特色を遺憾なく評し尽している。実際変人なる私はごく幼少な時から人と遊ばなかつた。何時も自分一人で好きな事をして遊んでいた。その後成人するに従つて私の趣味の対象が変つても私の幼少の時から持つていた気質は何時も変りがなく、私は何時も孤独の人として他人の世界よりは常に離れた別世界に住んで来た。これが私にとつて懴悔の種ともなれば功徳の種ともなつたのである。こう云ふ変人の常として早くから発達するものは反省力自制力である。私も亦この反省力と自制力とが並外れて鋭敏であつたがために他人が美徳として満足しつゝあることに向つて却つて醜悪なる罪悪感を生じ、ために人知れぬ精神の苦悶を重ねて来たことはどれ程あるかわからぬ。 世間の人間は皆な私は温和しい子だ、できる子だ、感心な子だと云つて感心していた。成る程世間から見ればそう見えたかも知らない。けれどもこれは自分自身から見ると全く 人知れぬ苦悶の種をこの胸に包んで来たのである。誠やこの胸はこの世に於ける最善の思想も宿せば最悪の思想も宿し最美の勘定も宿せば最醜の勘定も宿し或る時は神ともなり、或る時は獣ともなつたのである。凡て人間の価値はその形より定むることはできない。世間の人間は監獄に投ぜられたる 不幸の人々を見て自分達の交るべからざる人間の様に思つているけれども、彼ら不幸の人が刻々悪念計りを積む訳ではない。又彼らを鳥か獣の如く軽蔑しつゝある人間が必ずしも刻々善念計りを積む訳ではない。天の最高法律より照せば完全無欠の善人もなければ完全無欠の悪人もないのである。皆なこれ善悪二種の観念に支配せられ或る時は神の子となり或る時は獣の子となつて一生を無意味に過すのである。私の如きも元よりまだかつて警察の厄介になつたこともなければ監獄の厄介になつたこともない。けれども法律によつて罰せられる人が必らず悪人出もなく罰せられざる人が必らず善人出もない。従つてそれは私が善人であつたと云ふ何等の保証にはならない。ただ自分自身を内観した時俯仰天地に恥じざる精神的生活をもつて来もつている人間のみ聖人と云ふことができる。 けれども私は信ずる。世界の大聖と雖もその精神中に一度も善悪二種の感情の葛藤を経ずして聖者の域に達せるものはないといふことを。釈迦や基督の伝記を見るにそれは美しき譬喩をもつて潤飾せられてあるがために神経の遅鈍なる人々の注意を引かないけれども、彼らの伝記より美しき衣を剥ぎ去つてその現実感を研究する時は、菩提樹下の魔軍の襲撃、魔女の誘惑の如きは実際かくの如き客観的の事実が当時の釈迦の身辺に起つたものではなく、彼が主観中に起つた肉欲物質欲に対する奮闘を表したものに過ぎない。基督の伝記を見るに、彼は釈迦の如く性欲の誘惑は受けなかつたが、しかもなお体を有する以上食欲物質欲好奇心虚栄心の誘惑を受けない訳には行かなかつた。彼が悪魔に試みられたと云ふ三大誘惑は決して悪魔が彼を誘惑したものにあらずして、彼自身の欠点が彼を誘惑したのである。世間の人達は努力なき善云い換えればより低き欲望とより高き欲望との葛藤を経ざるの善をもつて聖人の心理状態としている様であるが、私はそうは思わない。孔子の如きも「我七十にして心の欲する所則を越えず」と云つている所を見れば、それ迄の彼はより小なる善とより大なる善との矛盾葛藤(これは向上心のある人には免がれることのできぬ宿縁である)のために始終苦しんだに違いない。凡て善にせよ悪にせよその価値の存する所は真に自覚したる自由意志より生れたと云ふことである。この意味に於て私が今日迄続けて来た努力は決して無意味なものではなかつたと思ふ。 私は痴人である。けれども私は常に現状に満足することのできない痴人である。常に満身の力を振り起してよりよき自己を生まんと努力しつゝある痴人である。私がここに書かんとする痴人の足跡は即ち私が今日迄覚束ない視力覚束ない聴力覚束ない足力を頼りにして、あっちに迷いこっちに迷いして人生の沙漠を通つて来た私の足跡であるが、私はこの痴人の旅行記を以つて他の同行者の参考にしょう等と思つて書くのではない。私はただこれを書かなければならぬ自然の力に強いられて、動物が飲食物を摂取してその不要分子を排泄するが如く、今日迄摂取した精神的食物よりその滋養分を摂取した後の心の糟である。私はこの清水の蒸発した後に残つた汚物の如き我が心の埃を心中に蓄えることができないで自己意外に排泄するのである。従つて世人がこれをもつて肥料としやうが肥料としまいがそれは私の関係したことでない。ただ汝の排泄物は余りに悪臭を有し汝の排泄物は余りに有害なりと苦情を申込む者あらんか、私は公徳上他の世界に去つて排泄せんのみ。 紀元九億十万七十七年三月二十二日 |
大和の地場にて 大平隆平 識 編集室より RO生 |
三月の八日三月号の編集締切りで忙しくて仕方のない時に図々しい面をした五十五、六の人間が入って来た。大抵の人間ならどこの誰々であると名乗つてから入るのだが、この男に限つてどこの誰とも云わずに上り込んだ。それが故管長在世中は甘い事を云つて管長をだまして私腹を肥やした丹波市の木田と云ふ道具屋だ。私にはこんな男の話を聞かない中から二月号の管長夫人に与ふるの書について誤魔化して来たことがチャントわかつていた。彼は私が知らないと思つて管長や管長夫人の徳を色々述べ立てゝ、イヤ管長は神様見た様のお方であつたの、管長夫人が養徳院とかに何んとか贈つたのと云ふことを喋つた挙句、これは取り決してくれと云ふのではないが、管長は朝寝坊等なさる方でなく、また奥様も決して朝寝坊等なさる方でない。彼は取次が悪いのであると吐かした。 私も始めの中は黙つて聞いていたが余りに出放題を喋るから、死んだ管長はだますことはできてもこの大平はだますことはできない。貴方の言葉は参考に迄聞いてをくが、貴方の言葉そのままを採用することはできないと云ふと、馬の様な顔がサット変つた。私は根つきり葉つきり云つて聞かしてやらうかと思つたけれども始めて来た人間だから許してをいた。その後でも何のかの云つて喋つても、こっちは一向取り合わないので、最初の元気に似ず大いに気抜けの態であつた。話がと切れたから、本部では部下を泣かせて金を絞り上げる、その金をまた誑して着服している者もある、今は腐柿が木になつている様にブラ下つているが時節が来れば皆んな落ちる。それを私は楽しみにしていると云つたら両手で頭を抑えて暫時考えていたが「又参ります」と云つてソコ/\に帰つて行つた。 もう来ないかと思つていたら四五日経つとまたやつて来た。御免なさい。私は黙つていた。彼は勝手に戸を排して入つて来て障子を開けた。御免なさい。その日の夕方迄にどうしても帯封を書いて東京に送らなければならないから、彼が入つて来たに係らず構わず仕事をしていた。彼は私が入れとも云わないので暫時そこに立つていた。何か御用ですか? イエ別段用事もありませんが、用事がなかつたらまた来て下さい。今日は用事がありますから。彼はなお暫時そこへ立つて居たが、どうしても上れと云ふことを云わないから、そんなら明日参ります、御免なさいと云つて帰つて行つた。私は黙つていた。之より先、彼は色々の人に私の人格を聞き合せ、私が筆は達者だけれどもロクに物一つ云えない温和しい人間であると云ふことを聞いて、そんならば占めたものだ。筆は幾ら達者でもこっちの云ふことを一々書く訳にも行くまいから、この木田が行つて降参させてくれると云つて大勇みに勇んで来たのだが、大将二回の訪問でスッカリ味噌をつけて帰つた。 彼も馬鹿でなかつたら大抵無言の力と云ふものはどれだけ大きいものであるかを悟つたであらうとは思ふが、なお一応こう云ふ不心得のない様に将来を戒めてをくが、凡そ言葉と云ふものは用事のない時は使うべきものではない。お前達はただ喋りさえすれば偉い様に思つているが、下らない世間話に上手な人間程真面目な話になつては一口も利けないものである。諺にも云ふてあるであらう。「雀の千言よりも鶴の一声」と。不断は何も云わないで良い。云ふべき時に一言云えばそれで良い。それから温和しいと云つても無能であつて温和しいのと能力をもつていて温和しいものとは違ふ。凡て「能ある鷹程爪を隠す」ものである。人間も本物に近づけば近づく程温和しいものである。と云ふのは自分の身を慎むからである。私はそう云ふ人間ではない。口も利けな い手も出せない人間であるが、それでも怒り出したらお前達の様な人間が百人二百人寄つたからとて抑えることはできない。それで将来のために云つてをくが、人は表面の無口や表面の温和ではその人の力を計ることができないから馬鹿にしてはかゝらんものです。これを折角二度迄来た日料に上げます。もしもつと痛い目やかゆい目に逢いたければ何時でもお出で。お望み次第の目に逢わしてやる。それから本部の奥様に言伝しておくれ。こんな訳の分らない人間を寄来すと貴女の恥になる計りでなく本部の恥になるから決して寄来しなさんな。もし用事があつたら自分なり本部員なりを寄来しなさいと大平が云つていたと言伝しておくれ。(以上木田へ) 世間ではこんな馬鹿が多いから困る。口先でも達者なら是を非にでも曲げることができると思つている。けれども才を頼むものは才に倒れ、智を頼むものは智に倒れ、口を頼むものは口にて倒るゝことを知らないでいる。馬鹿な人間もあるものだ。本部では自分に都合の悪い人間は権力抑えるか金で買収するかそれでなければこんな空操り人形の様な人間を使つて相手を誤魔化すかであるが、この大平はその手にのらない。私は金が欲しくつてこの道に入つたのではない。名誉が欲しくつてこの道に入つたのではない。また親切が欲しくつてこの道に入つたのではない。金が欲しければ沢山もないが二万や三万の金は私の内にだつてある。名誉が欲しければ神様は心次第で何んな偉い人間にもしてやると仰ゃる。親切が欲しくば宿場女郎のお尻でも追かけたが良い。私が妻子に別れてこうして貧苦を楽しみつゝ道の研究をやつているのはもつと/\大きな目的と使命がある。それを果さない中は誰が何んな妨害をやらうが退却はしない。近頃片腹痛い事の多い中に三月号の道の友に掲げた警告もその一つである。本部は何時も白つぱくれて教祖の道に反対するなら私にも最後の覚悟がある。その覚悟は今明言の限りではないがその時になつて上を下への狼狽をしないが良い。これだけ一言固くお断りしてをく。 |
天理教と現在主義 大平良平 |
「人間の理と云ふは明日の日と云ふがない」(天啓の声)。 お言葉に「今日の事は今日忘れよ。その場の事はその場に忘れよ」と。この意味は現在に於て埃を積まざるのみならず、積んだ埃も次の瞬間に迄持ち越さないことを云つたのである。古来高僧智識と呼ばれ大悟徹底と称せられた人々は皆なこの現在主義者今日主義者であつた。彼らは嬰児が先の瞬間の事を今の瞬間に忘れてゐる如く、昨日の失敗を思ひ起して今日の精神を曇らす様の事はしなかつた。また明日の苦労を思ひ悩んで今日の精神を塞ぐ様なことはしなかつた。彼らは現在の事実を恰かも白紙に文字を書くが如く鏡に物を映ずるが如くに精神に映じた。それに対して執着もなければ煩悩もなかつた。何故なれば彼らは今日の主観の力をもつて昨日の性格や昨日の生活や昨日の出来事や昨日の事実を変更することもできなければ、また変更する必要もないことを悟つてゐたからである。また今日の主観の力をもつて明日の事実を予想することもできなければ、予想してもそれが現在と何らの関係もないことを悟つてゐたからである。天理教信仰の奥義も亦ここにある。 けれどもまだ信仰の奥義に達せざる世の凡べての人は、現在を現在として有意義に利用することを知らず、徒らに過去の墓場、未来の牢獄として空費しつゝある。基督はかくの如き生活の影に追はれて現在の第一義的生活を忘れてゐる人々を戒めて、「これ故に我汝らに告げん。生命の為に何を食ひ、何を飲みまた身体の為に何を衣んと思ひ煩ふこと勿れ。生命は糧より優り、身体は衣より優れる者ならずや。汝ら空の鳥を見よ、稼ぐことなく苅ることを為さず倉に蓄ふることなし。然るに汝らの天の父は之を養ひ給へり。汝ら之よりも大に勝るものならずや。汝らのうち誰か思ひ煩ひてその生命を寸陰も延べ得んや。また何故に衣のことを思ひ煩ふや。野の百合花は如何にして育つかを思へ労めず紡がざるなり。我汝らに告げん、ソロモンの栄華の極の時だにもその装いこの花の一に如かざりき。神は今日野に在りて明日爐に投入らるゝ草をもかく装はせ給へば、況して汝らをや。鳴呼信仰薄き者よ、然らば何を食ひ、何を飲み、何を衣んとて思ひ煩ふ勿れ。これ皆な異邦人の求むるものなり。汝らの天の父は凡てこれ等のものゝなくてならぬことを知り給へり。汝ら先づ神の国とその義とを求めよ。然らばこれ等のものは皆な汝らに加へらるべし。これ故に明日の事を思ひ煩ふ勿れ。明日は明日の事を思ひ煩へ。一日の苦労は一日にて足れり」と云つてゐる。 これをお道より云へば「この道はよふ聞いてをかねばならん。サア/\一日の日歌で暮らす願ひ。今日から心が勇むといふ日もある。何も案じる事はない。案じると善い事や思やせん。今日の事を案じるは来年の事も案じにやならん」となるのである。実に人の現在の生活は果敢なき虚栄の影を追ふにあらざれば浅薄なる物質的欲望の為に追はれつゝある。昨日の後悔、明日の苦労はこの名利の生む妄念の影に過ぎない。けれども考へて見れば、この二度と帰らざる貴重の現在を、浅薄なる快楽の為に費すことの愚なると共に、無益の後悔や果敢なき空想の為に浪費することの一層愚なることを思はしめるのである。 曾て船場大教会が焼失した時、神は「サア/\過ぎ去つたことは夢にも悔むでないで。この先大きな心になつて運んでくれ」と云ふお言葉を以つて思ひ迷へる可愛い子供を督励されたといふことを聞いてゐる。実に貴重なる現在は過去の為に独占せらるべきものでもなければ、未来の為に分割せらるべきものでもない。唯現在の最善の生活の為にのみ費さるべきものである。これを天理教々理より云へば、一時一物一心は天理教の理想である。けれども天理教の現在主義もしくば今日主義と世の所謂現在主義もしくば今日主義との相異は、彼の世の所謂現在主義もしくば今日主義が何らの高尚なる目的もなく唯本能的衝動的に非連続的非自覚的生活を主張するに対し、天理教の現在主義もしくば今日主義は過去現在未来を貫通する向上進歩の一過程として現在を最も有意義に有価値に利用する所に二者の相異がある。之を詳しく云へば天理教の現在主義もしくば今日主義は現在の生活に最善の意義及び価値を発見し且つ創造する点にある。お言葉に「誠一つが天の理、直ぐに受け取り直ぐに返すが天の理」と。一時一物一心の中の一心の内容は即ち真実なる自己である。真実なる自己の一元的生活これが天理教の現在主義である。 私のこの解釈は私一己のドクマではない。公平にして誤らざる天理教々理より見ても凡ての解釈に迷はされざる人生の意義及び価値より見ても現在を最も自己に取つて価値ある 瞬間たらしむることは人類の一大事である。私は天性苦労性である。けれどもこの信仰に入つてから幾ら悔んでも改造することもできなければ、改造したとて何もならない昨日の性格や昨日の運命を改造せんとする無益の努力を捨てた。また幾ら考へても自分の力でもつて何うすることもできない未来に対する無益の憂慮も捨てた。現在は唯現在の事を考へて行けば良いのである。これが私に与えられたる天理教の恩恵であると云つてよい。要するに昨日の事は昨日に解決せられ明日の事は明日解決せらるべきである。現在は唯現在の問題を最善の方法によつて解決すれば良いのである。この現在主義こそ生現在の私にとつて最も有意義の生活である。 (大正四年九月二十七日) |
教界の廓清(三) 大平良平 |
信仰の為の信仰 |
凡そ信仰に伴ふ弊害の中最も大なる弊害は信仰の為の信仰といふことである。今日の天理教界を見るに殊にこの弊害の大なるものを見るのである。彼ら天理教徒の或る者は今尚ほ信仰をもつて老人の玩具であると云ふ遊離的信仰観を捨てない。また信仰をもつて現世の栄達未来の冥利を得る目的とせる利己的信仰観を捨てない。更に甚しきは唯信仰の為に信仰すると云ふ迷信に囚れて信仰によつて自己の人格を向上せしめ現在の運命を開拓せんと云ふ明かな自覚がない。唯朝夕教会に礼拝に行けば良い。教会に賽銭を上げれば良い。教会に日々寄進をすれば良い。それ以上の事は余り思はない。けれども信仰をもつて老人の暇潰しと考へて来た時代は既に過ぎた。言ひ換へれば信仰の為の信仰を弄んだ時代は既に過ぎた。今日は老若男女を問はず信仰をもつて精神の糧とすべき所謂生命の為の信仰の時代に到達した。今日の教会は最早や老人の為にのみ建てられてはゐない。寧ろ未来に富んだ青年の為に建てられたのである。そこは生の灯明の燼尽を待つてゐる待夜堂ではなく、これから活動の元気を養ふ生命力の培養所である。 これだけ信仰の意義及び価値に対する観念が変つて来た。これは信仰ばかりではない。芸術でも哲学でも科学でも政治でも芸術の為の芸術、哲学の為の哲学、科学の為の科学、政治の為の政治といふ遊離的思想より脱して来た。これは人間が人生そのものを真面目に考へて来かけた何よりの証拠である。然るに宗教の中にても人生派の眼目に属する天理教界に於てまだ新しき信仰の本義を自覚せず、徒らに信仰の為の信仰てふ観念に囚れて、従来の型に嵌つた無意義の信仰を繰り返しつゝあることは最も嘆ずべき事である。而かも信仰の価値を最も痛感しなければならぬ青年に於いて。礼拝や祈祷は吾人の求むる第一義的信仰ではない。自治独立の人格を養ひ、確固不抜の信仰に基いて社会的に活動する。これが真の礼拝であり、真の祈祷である。吾人は道徳の為の道徳、宗教の為の宗教と云ふ無意味の生活より脱しなければならない。而して明きらかに生きた現実の生命を把持し、且つその生活に徹底しなければならない。形式儀礼は木像や金仏と同じく生命の宮とはならない。唯生きた信仰の連続的活動にのみ生命がある。 吾人はもはや教会に賽銭を上げたり教会の御用をしたりすることだけをもつて人間の本分が尽きてゐると思つてはならない。吾人が真の信仰を試験する所は社会にある。吾人はもはや今日迄吾人の先輩のとつて来た天理教の為の天理教といふ観念を顛覆しなければ ならない。而して信仰は生命のための信仰であり、宗教は人生のための宗教であるという新念を樹立しなければならない。之を云ひ換へれば、吾人はもつと内面的に自己の人格を広く深く高く強くして行かなければならぬと共に社会的に有益なる事業として行かなければならぬ。人心の救済のみが吾人天理教徒の唯一の事業ではない。社会に向つて公利公益を広めて行く事も亦吾人天理教徒の暫時も忘るべからざる事業である。然るに今日の天理教は全然この方面を全く閑却してゐる。而して内帑の豊富をのみ計つてゐる。これ吾人が極力現在の天理教の方針を否定する所以である。心ある人々の反省熟慮を望む。 |
隔て心をとれ |
この道は世界一列兄弟の道である。他人と云ふは更にない道である。然るに今日の天理教界を見るに、その水臭きことは世界並の人と聊かも変らない。否な或る点に於てはそれ以上である。これこの方面に於て聊か私見を述べて人類相互のもう一段の親密を希望せんとする所以である。身上助けによつてこの道の信仰に入つた者は云ふ「この道は珍らしい道だ!」と。それは成る程珍らしい道に違ゐない。けれども身上助けて貰ふだけなら何も天理教に限つたことはない。仏教でも基督教でも現在は知らず既往に於ては随分天理教に劣らぬ珍らしい助けがあつた。天理教が珍らしい道だと云ふのは世界一列が真に一つの家族となる。これが珍らしいのである。世界中旅行しても金は一文も要らずどこへ行つても、現在肉親の兄弟の内に行つたと同じ様に隔て心なく衣食住を共にし快楽を伴にすることができる。それが珍らしいのである。そうなつたら監獄もなく、警察もなく、裁判所もなく、軍隊もない。それが珍らしいのである。今日の如く心得違ゐをしてお詫びをすれば助かる。それだけでは別に大して珍らしい道でない。隔てない理想の世界をこの地上に実現するのが珍らしいのである。人類が長
い間に作つて来た精神的障壁を取り払つて水の如く睦じくなるのが珍らしいのである。今日の如く会長と信徒とは全然封建時代の主従の如く教会と教会、個人と個人との間が世界並も同様に水臭い様では珍らしい道だなぞとは云ひたくも云ひ得ない。 私は今日の教会制度に対して強ゐて反対するものではないが、また決して喜こんで賛成するものではない。わけて現在の如く教会と教会と対峙して一歩も譲らざる群雄割拠の態度は私の全然与し得ざる所である。何故なればこの道は全天理教徒が一つの講(交)に結ぶのが本来の目的であつて互ひに分立して融和せざることが本来の目的ではないからである。殊に各教会の信徒が自分の所属教会の会長を絶対者の如く尊崇し、敢て他の教会の会長もしくば信徒に近きもしなければ近けやうともしないのは最も厭ふべき弊風の一つである。由来、理は一つである、神は一つである。人は皆な一つ神の子供である。従つてその間に何らの隔意のないのが当然である。且つ真理並びに真理の実現者たる大人格者は神と同じく天下の共有財産である。それに接するには教会もしくば詰所の区別のあるべき理由はない筈である。然るに今日の天理教はこの大きな絶対観に依らずして狭少なる差別観によつて喜んで自己の世界を狭窄してゐる。この点に於て私は教界のコスモポリタンである(元より自分の信徒籍は山名にある。けれどもそれは恰度自分の本籍が新潟県にあると同一のものである。私の本籍が新潟県にあるをもつて日本国民の一員としてまた人類の一員として権利義務に何らの差別なきが如く、私の信徒籍が山名にあつても天理教の一員としての権利義務には何らの差別はないのである)。 私の考へによれば、自分は東都支教会の信徒としてよりも山名大教会の信徒として働いた方が大きく、山名大教会の信徒として働くよりも天理教徒として働いた方が大きく、天理教徒として働くよりも人類として働くをもつて最も大なる労働と信ずる。それで私は自分が因縁によつて結合せる自己の家族や日本国民に対すると同一の至情をもつて上級教会に対するは勿論であるが私の最大にして且つ最後の問題は人類的労働者たることである。この私の考えは教会の為の教会主義者や天理教の為の天理教主義者の喜ばない所であるかも知らない。けれども私はそう云ふ人達の狭い観方によつてこの一身を処置したくはない。自分の一生を成るべく有意義に且つ最も有価値に生活したい。これが天理教によつて教へられた信仰の結論である。 以上述べたることは現在の教界に大なる隔意のある所よりして一言私の天理教観私の人生観に言及したのであるが、教界にはこれと同一の意見を有してゐる人も決して少くはあるまいと思ふ。私はそう云ふ方々により進んでこの道、この社会をもう一段の高さに引き上げられんことを切望して止まざるものである。 |
御授訓所を建築せよ |
「順序一つが天の理」と云へど現在の天理教には必ずしもこの順序は重んぜられてゐない。本来の処置より云へば現管長邸を新築する以前に於て御授け所を新築しなければならなかつた。何故なればこれ世界助け万人助けの元の理を亘す霊所であるからである。然るに今日の天理教本部は第一にこの神聖なる聖場を建築することを怠つて今日直接無用の他の建築を急いでゐる。これ世界の柱国の宝たるべき元の理を軽しむるものにあらずして何んぞや?かくの如き不心得より授訓者は減じ天理教は成らん様になる。敢て本部当局者の猛省を促す所以である。 |
厠の雑巾を床の間に使ふな |
お言葉に曰く、「床の間を拭くには絹の布巾でふけ。床の間の布巾も便所の雑巾も一所にしては何うもならん」と。けれどもこのお言葉は実際に於て今日の天理教には行はれてゐない。便所に使ふ雑巾を床の間にも使へば床の間に使ふ布巾を便所にも使つてゐる。と云ふのはその徳なき者にその位を授け、その徳あるものにその位を授けないことを云ふのである。お言葉に「上を働き、中を働き、下を働く」と。又曰く
「荒い事するものあれば細かいことするものもある。又中程するものもある」と。然るに今日の天理教では上を働くべき者に下を働かせ、下を働くべきものに上を働かせ、荒い事をする者に細かい事をさせ、細かい事をする者に荒い事をさせやうとしてゐる。そこに無理があり、不自然が生ずる。之を実際の効果より観察するに本部員に拭き掃除をさせたり土持ちをさせた処が何にもならない。力はあつても徳のないものに本部員を勤めよと云つた所で勤まるものではない。本部員には本部員相応の掃き掃除、拭き掃除、土持ち日の寄進がある。それは眼に見えない精神的労働である。 凡て物にはそれ/\の特徴がある。座敷の襖をもつて来て台所の障子に嵌め換へた所で似合ふものではない。座敷は座敷、台所は台所で襖なり障子なり立てゝ居て始めて似合ふのである。神の殿の道具である人間も亦そうである。その中には精神的労働に適する者もあれば肉体の労働に適する者もある。その何れもなくて叶はぬものであるけれども、その使用する所は各々異つてゐる。これ適材を適所に用ゆることの最も大切なる所以である。畢竟吾人は自己に適当した方面に於て神に日の寄進をすれば良いのである。甲が土持ちをするから乙も土持ちをしなければならぬ、丙が便所の掃除をするから乙も便所の掃除をしなければ天理教徒でない様に考へるのは大なる誤解である。唯自己の最も長所と信ずる方面に向つて全力を注いで活動する。これより大なる日の寄進はない。この意味に於て床の間の布巾も便所の雑巾も混用してゐる現在の天理教界の悪傾向を一掃しなければならな い。 |
別席の講話を改良せよ |
天理教がまだ創成の草叢の中を歩いてゐた時代のお話は多く泥海時代のお話であつた。然るにその後年月の経過するにつれて漸次元の話は捨てられて、今日は僅かに日の寄進とか互ひ助け合ひとか云ふ眼前の効能のある教理ばかりを聞かせてゐる。これは時代がせゝこましくなつて来た為であるかは知らないが、兎に角元なる屋敷、元なる地場に帰つて来て屋敷の因縁も聞かず、人間の成因も知らず、教祖の人格も聞かず、それで骨折つて拵へた旅費を費して帰つて行く信徒に気の毒でならない。これでは帰つて来た者も真に心の底から助か
ることができない計りでない。浅薄な現場計りの理を取り次いでゐる本部員自身も助からない。抑々今日の本部員はこの宗教はどう云ふ宗教であると思つてゐるのであらう。この宗教は根の根より説き起して真底より心の入れかへ世のたてかへを行はんとする宗教である。それを元の話を省いて枝葉計りの話を取り次いでゐるのは根を切つて枝先計りの花を持たせて帰す様なものである。サア誰が始めてこの根を切つた?真柱が切つたか?本部員が切つたか?よも神が許して切らせはすまい。これ私の第一に聞かんとする所である。之を要するに国々先々の枝葉に段々生色を失つて来たのは本部からしてこういふ仕業をしてゐるからである。考へても見よ、根を断ち切つて枝葉が生長するか?凡て根なく
して何事も成立つものはない。その大切な根を忘れ元の理を断ち切つて末の理が活く事ができるかどうか?苟もこの理に想到せずして天理教の盛大を希望するも、そは活花に立派な果実を熟せしめんとする妄想のみ。もし真に天理教を盛大ならしめんとせば根の理をつなげ。これを置いて天理教の盛大は断じて期し得べからざるものである。今日の如く理の台である貸物借物の理をロクに説かず、説いても狭義な解釈を下して居る様のことでは何うもならん。広義の貸物借物の理を説かなければならん。広義の貸物借物の理と云へば人間始め世界始めの原始的事実は勿論のこと、それを引き起した宇宙の第一原因即ち神に迄遡らなければならぬ。然らざれば貸物借物の理を真に説いたとは云へない。貸物借物の理が実地に説けない様では本部員などと大きな顔をすることはできない。 第二は教祖の人格と歴史とである。これは人間始め世界始めの事実と共に最も大切なる事柄であるにも係らず、どうしたものか今日の本部員では余り説く者はない。こんな事では神と教祖の大慈悲も天理教の真価も決して理解することはできない。これ私がもつと教祖の人格と歴史との細説を希望する所以である。 第三は天理教発達の歴史である。凡そ人間として我が家の歴史を知らないものはない。然るに今日の天理教は国々先々から帰つて来た家族に向つて我が家、天理教の歴史を説いたことがない。説いてもそれは本部員自身の断片的の経歴であつて系統的組織的の ものではない。こんなことでは段々理が薄くなつて行く計りである。これ神をして殆んど 口癖の様に 「元を忘れるな/\」と注意せしめた所以である。 以上述べたる三大事実は是非本部員によつて説かれなければならずまた説いて貰はなければならないものである。もし別席の講話に臨まれる本部員諸氏にして此処に留意して下されたらば神と信徒の満足は如何ばかりであらう。敢て遠くの国々先々から可愛い子供を 連れて帰られる神の為また一つは遠くの国々先々から遥々帰つて来る兄弟姉妹の為にかくは別席の担任者諸氏に一言の希望を述ぶる次第である。 |
結果主義を排す |
今日の天理教界に瀰漫せる弊風の中目的と原因とを第二にして方便と結果とを重んずるは確かに弊風の一つである。けれども物は良き原因なくして良き結果を生ずるものではない。また誤れる目的より正しき方便は生れるものではない。之を教界の事実に就いて観察するに、助け一條の精神なくして教会の繁栄を希望するはその最大の弊風でいる。而かも事実は滔々としてこの誤れる結果主義によつて風靡せられつゝある。けれども善良なる結果には必らず善良なる原因が存するのである。徒らに誤れる目的の下に正しき結果を結ばうとするは、それは恰かも東京に行かんとして西京に旅するの類である。吾人は先づ正しき目的を確立することが第一である。第二に正しき方便を選択することが大切である。それによつて結ぶ所の結果は第三の問題である。之を道より云へば助け一條の精神は正しき目的である。助け一條の事業は正しき方便である。それによつて得る所の結果即ち人心の救済は第三である。教会の盛大の如きは第四の問題である。これは何人も云ふべくして行ひ得ないのである。敢て実地の改善を望む。 |
偶像崇拝を止めよ |
今日の天理教界には上級者と云へば神の如く敬ひ、下級者と云へば奴隷の如く卑める弊風がある。これは智識の発達しない野蕃時代には免かるべからざる現象であるとは云へ、また決して喜こぶべき現象ではないのである。それは因縁によつて上級者たり、下級者たる間には自らなる人格的価値の相異があるかも知らない。けれども人間と人間との間には太刀山と赤ン坊の如く隔つてゐるものではない。その太刀山と雖も亦世界に於ける絶対強者と断言することはできない。然るに今日の天理教では一人の太刀山を以つて天下の絶対強者とする計りでなく、その次々に位する者も亦絶対強者として崇拝する弊風がある。けれども実際に於て人間に絶対強者と云ふ者もなければ完人と云ふ者もない。その偉いとか偉くないとか云ふことは比較的の言葉である。成る程教祖は神に次ぐの偉人であつた。又御本席は教祖に次ぐの偉人であつた。けれどもその他の者に至つては吾人と五十歩百歩の間にあるのである。中には年限によつて上級者たり下級者たる者も少くはない。然るにその人/\の真の人格的価値を鑑別せずして唯形式上の上級者なるが故に之を神と同一に崇拝せしめんとするが如きは蒙も亦甚しと云わなければならない。要は唯その人の人格的価値にある。 神が御本席を批評した言葉に「錦襴に絹着せたやうなもの」とあり、その他の人々を評して 「木綿糸が一筋混じつても本錦襴とは云へん。偽の錦襴」と云ふお言葉があるが純金の仏と云ふものは少ないものである。世人は奈良の大仏の大に迷つてはならない。寧ろ善光寺の阿弥陀如来こそ物質的価値に於て優つてゐることを記憶しなければならない。然るに皮相の文明の流行と共に世人は漸次テンプラを喜ぶ様になつた。敢てその実質の銅たると鉛たるとを問はないのである。この弊害は確かに天理教にも侵入してゐる。これに上級者に対する盲目なる絶対服従主義が混合して天理教の偶像崇拝の弊風を形造くつた。けれども記せよ、吾人の崇拝すべき唯一の雛型は神の出した雛型は教祖よりないことを。その他のものは偶像にあらざれば偽の錦襴のみ。敢て吾人の絶対価値を附与するに足らないものである。これ私が偶像によつて自ら欺きまた自ら欺かれざらんことを忠告する所以である。 |
独立した人格を養成せよ |
イプセン曰く 「世界に於ける最大の強者は独立した人間その者である」と。凡そ人間として最も憐れむべき者の随一は独立した人格を有せざる人々である。彼らは朝には甲の意見に従ひ夕には乙の意見に従ふ。その間の確固不抜の定見がない。言ひ換へれば独立した人格がない。現在の天理教界を見るに殊にこの感を深くするのである。即ち或る者が天理教は絶対服従主義の宗教だと云へばそう思ひ、また或る者が天理教は推譲主義の宗教であると云へばそう思ふ。敢てその主義の妥当なるや否やを吟味する余裕がない。これ彼らに一定の見識を具備せざる何よりの証拠である。 近頃、私が私の信仰を天下に告白するや、或る大教会の役員は「大平君の信仰は熱烈ではあるが西洋かぶれをしてゐるから彼の発行して居る新宗教は読まないが良い」とか「大平君は道の破壊者だから彼の発行して居る雑誌は青年に読まするな」とか云つて部下を説いて廻つてゐることを聞いた。 抑々真理に東西の区別はない。それを知らずしてない一人であるが人が西洋カブレをして居ると云へばそう思ひ、人が道の破壊者だと云へば又そう思ふ(この人々は私の雑誌を理解する読書力のない人である)その定見なき事真に憐むに耐へて居る。凡そ確固不抜の独立した人格は確固不抜の独立した定見に添ふて立つものである。然るにこの定見なき人間が如何にして独立せる人格を有し得る者ぞ! けれども天理教に対して確固たる定見を欠く人、否な人生に対して一定の定見を欠く人はこの大教会の役員ばかりではない。今日の天理教徒の殆んど大部分はかくの如き無定見者、非人格者ならざるはない。彼らは上長の命令と云へばそれが是が非でも行ふ。敢てその善悪正邪を区別する余裕がない。これが天理教の真の信仰だと云ふ。 けれども多くの人の中には上長者の意志の明かな誤謬である事を知つてゐる。而かもその忌諱に触れんことを恐れて表に服従の形式を装ふて居る。凡そ天下に何が愚だと云つてかくの如き愚劣の信仰はないのである。また何が偽善だと云つてかくの如き大なる偽善はないのである。而かも滔々としてかくの如き迷謬の極に堕して居るのは天理教徒も亦迷へりと云はざるを得ない。由来この道は人格なき生きた人形を造る道ではない。却つて自己以外の何者にも迷はせられざる独立した大人格を造るの道である。然るにその大人格を養成する道にありながら誤れる自我の消滅者の妄説に迷つて、或は眼前に横る自分自身の利害に支配せられて何よりも貴き人格を無視して省みない。もしかくの如き無定見をもつて天理教の真の信仰なりと云ふ者あらんか。私は寧ろ天理教徒たることを欲しないのである。私の信仰は自己を支配する者は厭く迄自己なりとの信念である。神は明きらかに各人に独立独歩せしむる為に両脚を与へてゐる。豈に精神にのみ独立独歩すべき脚を与へざらんや。否、吾人の自由意志は即ちこの為に与へられたるものである。 お言葉に曰く「何時の何時迄も親の厄介になる者はどんならん。子供三歳迄は手放しはできん。神一條の道も何時/\迄も尋ねて居てはどんならん」と。人は三歳にして生理的に独立し、三十歳にして物質的並びに精神的に独立し得る様に造られてある。然るに何時迄経つても生れながらの不具者の如く他人の意志によつて自己を律せんとするは何んたる愚ぞ!私はかくの如き後天的の不具者を造る天理教をもつて、婦人の姦通を恐れてその足部を狭窄する支那人と同じく天然自然の大罪人たることを宣告するのである。見よ、今日の本部に一人たりとも独立した人格の所有者があるか?あれば彼らはそれをもつて異端邪教徒なりとして之を教外に排斥しつゝある。愚も亦ここに至つて極まれりと云ふべし。 抑々この道は乞食奴隷の道ではない。また阿諛諂巧者の道でもない。真に独立した人格と独立した思想とをもつて三歳の小児が立つて歩むが如く歩むことを教ゆる道である。然るにそを曲解して何時迄も他人の意志によらざれば活動し得ざる精神的の不具者をつくらんとするは抑々何んぞや?もしかくの如きが真の天理教々理なりとせば、天理教は婦人の纏足を行ふ支那人と同一の陋習を全人類の精神上に行はんとするものである。けれども自分自身の学んだ人生学の結論によれば、人間はそれ自身が目的であつて他の何者の方便でもないと云ふことである。これを云ひ更へれば独立した人格を養成すること、それが生の第一義であるといふことである。お言葉に曰く「人に手伝ふて貰はんならん様では何もならん。人を手伝ふといふ力をもつてくれ」と。我が身のことは我が身で処理して累を他人に及ぼさゞるのみならず、進んで積極的に他人を助くる。これが天理教である。自分一身の処理を他人に任かせてその機械となることは神の教ゆる所ではない。然るに今日の天理教徒は人を訪問する時自分で脱いだ下駄は自分で直すとか如何なる物質上の困難に逢ふも他人の助力を仰がないと云ふことには多少の神経が働いてゐるけれども、まだ自分一身の行動は自分一己の意志をもつて律すると云ふ所謂独立した人格の養成に向つてその主力を注ぐことを忘れてゐる。為に教会もしくば本部の命令と云へば理が非でも盲従してゐる。これ私をして一般天理教徒に向つて独立した人格を養成せよ、と叫ばざるを得ざらしむる所以である。 |
甘露台の建設を急げ |
以上述べたることは今日の天理教界に横はる弊風の一般に過ぎないが幸ひに天理教界に於てこの失礼の呈言を納れて現在の弊風を一掃し、もつて一日も早くこの世界に理想の世界を実現せらるゝならば、神の幸福は如何ばかりぞや?また人類の幸福は如何ばかりぞや?
終りに私自身の幸福は如何ばかりぞや? 私はこれを思ひ彼を思ふ毎に晏然として一日を空費することはできない。夜眠る時は盗人の覗はざる安全の家を思ひ、朝起きる時は同胞相睦ぶ平和の世界を思ふ。飯を食ふ時も、歩む時も語る時も、入浴する時も、曾て理想の世界を思はざる時といふては一瞬間もない。これ吾が使命か?使命にあらずして私の衷心の要求である。実に人間としてこの世界に生れ唯一瞬間の真の平和を味ふことなくして神の膝元に帰つて行くことの如何ばかり苦しきことの極みぞや?この我が苦衷を解せざる人は、私の今日迄の事業を徒らに破壊を行つて快とする自負心の所産なりと信じてゐる。誤解も亦甚しと云ふべし。 他人は知らず少くとも自分一人だけは自己を改造し自己の住む家庭、国家、教界を清めることは遊戯的の事業でもなければ自負心の所産でもない。明きらかに自己の貴重の生命を託する安全にして快感に満ちたる世界たらしめんとする真面目なる要求に出て居る。もしそれでなかつたら何も眼前の幸福を犠牲にして迄も天理教界の革命を叫ぶ必要はないのである。然るに多くの人達は自分自身にとつても亦真面目なる事業を恰かも対岸の火事の様に思つてゐる。けれどもこの世界に於ける凡てのことはこれ人事にあらずして我が事である。見よ、唯一個の墺太利の皇太子の惨禍より世界を震動せる大戦争は起つたではないか。而して一見殆んど何の関係もなさそうな日本迄が戦乱に参与し、あまつさへ経済界の不振に苦しめられてゐる。もし世界が一個の有機体でなかつたならばこの不幸は見なかつたであらう。これによつてこれを見ても天理教界の乱脈は自分にとつて決して他事ではない。全然足薄氷を踏み朽木を渡るの感があるのである。 愛する兄弟姉妹よ!眼を開いて卿等の生活しつゝある現在の世界とその箒たる天理教界とを見よ!而してそれが卿等にとつて永遠の平和と満足とを与へつゝあるか否かを考へよ。卿等は必らずやその然らざることを発見するであらう。その時こそ卿等は今迄私の事業を嘲笑し、罵詈し、冷評し、憤激してゐた口を閉ぢて真面目に自己の周囲の大掃除に取り掛るであらう。私はその時を待つてゐる。 愛する兄弟姉妹よ!吾ら同胞が一日の猶予は一日だけ長くこの人類共通の牢獄生活を永引かすることを思へ。これは現実の社会生活の譬喩であるが、もし吾人々類が自己心中に建築しつゝある監獄、警察、裁判所、軍隊を破壊したならば、この世界には明日をも待たずしてこれ等の不快の建築物は消滅するであらう。私は実にその世界を待つてゐる。卿等もその世界の実現を待たない謂れはない。然るに先鋒者たるべき天理教徒よりして進んで自己の世界を清掃せんとせざるは抑々何んぞや? 時は迫つてゐる。甘露台は一日も早く建設せられざるべからず。神の為に、人類の為に、又自分自身の為に敢て天理教上下の覚醒と努力とを望む。 (大正 四年九月二十八日) |
聖壇に立ちて(三) 大平良平 十三 |
天理教創立の発端は天保九年十月二十三日である。当時の大和国山辺郡庄屋敷村の富豪中山家には一大奇蹟が顕はれた。平常健康の主婦ミキ子は腰が痛むと云つて炬燵に入り、夫善兵衞も亦眼が痛むと云つて休んでゐた。然るに恰度麦蒔きに出て居た長男の秀司が足が痛いと云つて帰つて来た。かくの如くにして中山家には一家忽ち三人の病人が生じたのである。中山家では人を丹波市の医者に走らせて診察させたが少しの効験もなかつた。それで当時地方の有名なる修験者中野市兵衛を頼んで祈祷に取りかゝつた。然るに何時も市兵衛の加持台に立つ勾田村のおソヨと云ふ女が不在であつた為、臨時にミキ子を立てゝ加持台とした。然るに市兵衛が降神の祈祷に取り掛るとミキ子の態度は俄然として一変し、持つて居た幣束の震が止まるよと思ふと一柱の神が降られた。市兵衛降つた神を尋ると、「我は天の将軍である。入り込みの身の因縁、屋敷の因縁によつて旬刻限をもつて世界一列助けに天降つた。皆が心得よ」。三軍を叱咤する様な凛然とした威厳に満ちた声が四辺の寂寞を破つた。市兵衛「天の将軍とは何方様で御座いますか?」、「天の将軍は日月じや。根の神、実の神である。入り込みの身の因縁、屋敷の因縁によつて旬刻限をもつて天降つた。………よつてミキの身体は神の社に貰ひ受ける。この家、この屋敷、親子諸共神が貰ひ受ける。異存はあるまいな?」。 善兵衛も余り突然の出来事なので返答に窮して居ると、神は、短刀直入に善兵衛に向つて突き込んで来た。「今云ふたこと違背はあるまい。今云ふたこと不承知あるまい。主人返答は何んとある?」。それで善兵衛も一家の事情を述べて神の退散を乞ふと、「神の命に背くとあらば家は断絶」と云ふ最後の宣告に接した。その後入り代り立ち代つて神の退散を願つても、「我は退散する様な神でない」と云つて容易に認容がない。そうこうして神と人との間に押問答が続くこと前後二昼夜、その間ミキは水一滴飯一粒口にしない。その様子を見ると眼をみはり、息をはづませて如何にも苦しそうであつた。それで止むを得ず二十六日の朝に善兵衛より承諾の旨を申し上げると、神は「きつと詐はあるまいな?」と念を押して善兵衛より「詐りは御座りません」との返答を聴いて「満足/\」との二語を残して退散した。それと同時にミキ子は夢より醒めた如く元の意識に帰つた。これが新神道の開通記念日である。 十四、天理教が過去の既成宗教と異る最大の特色は十億万年以前に於てない人間ない世界を創造した根本的事実を基礎として甘露台の建設を終局の理想とせる神の所謂根の教え、実の教え、だめの教え、止めの教えたる点にある。こういふ点に於て天理教は吾人々類に三つの新しき智識を呈供してゐる。その三つの新しき智識とは、一、過去に対する新しき智識である。二、現在に対する新しき智識である。三、未来に対する新しき智識である。第一の過去に対する新しき智識とは、天保九年十月二十六日を過去に遡ること九億九万九千九百九十九年の昔所謂月日を以つて具象化せられてある根の神、元の神、実の神なる国床立尊、重足尊の男女二柱の神が月読尊、国狭土尊、大戸辺尊、雲読尊、惶根尊、大食天尊の六柱の神を助手とし、伊邪那岐、伊邪那美の二尊を肉の父親母親として現今の大和三島(旧庄屋敷村)天理教本部甘露台霊地に於て九億九万九千九百九十九人の人間を作つたと云ふ原始的事実と人類発達史とである。 第二の現在に対する新しき智識とは貸物借物の理、因縁の理、日の寄進の理、互ひ助け合ひの理、足納の理、発散の理、一手一つの理、順序の理の如き天理教の主要の教理に含まれたる新人生観である。 第三の未来に対する新しき智識とは貪婪、吝嗇、邪愛、憎悪、怨恨、憤怒、強欲、高慢の根絶せられたる不和なく、争闘なく、疾病なく、不幸なき地場、大和三島を中心とせる世界一家の平和の一大家庭の実現に対する予言である。 この三者中第一は天理教の基礎である。第二は天理教の骨子である。第三は天理教の屋根である。この三大要素が相寄つて天理教と云ふ世界最後の宗教を形造つてゐるのである。 十五、古来人類発達の過程に於て時代の精神的糧となり心の道となつて来た宗教は大小無数の数に達してゐる。けれどもその中の一つとして天理教の如く過去に遡ること遠く、現在を掘ること深く更に未来を尋ねること遥かなる宗教はない。これは我田引水の過褒にあらずして真に公平なる客観的批評である。 十六、天理教が新たに与へた人生の根本的定義は貸物借物の理である。貸物借物の理とは、人間の肉体及び肉体の生活に必要なる物質も世界も万物も父母兄弟妻子眷族も神が生産的労働をなさしめんが為に人間に貸し与へたるものにして、之を「神より云へば貸物、人間より云へば借物、精神一つが我が物と云ふ」のである。 蓋し過去並びに現在の人間が貪婪、吝嗇、邪愛、憎悪、怨恨、憤怒、強欲、高慢の邪悪邪念によつてこの楽しかるべき世界を怨府地獄と化して来たのは人間の肉体も物質も世界も万物も神の貸物たることを知らないからである。もし将来この神の与へた人生の根本的定義が全人類の精神中に深く広く高く強く徹底普及して行つたならば我利我欲の念を出すものはなくなるであらう。その時こそ真に甘露台の実現せられた時である。 十七、之を釈迦に見るに断苦の世界に入るには現世の執着と物質的欲望乃至肉身の愛情を滅するにありと説けども、まだこの肉体も肉体の生活に必要なる物質も世界も乃至父母兄弟、妻子眷族も神の貸物であるとは説かなかつた。之を基督に見るに「汝ら天空の鳥を見よ。稼ぐことなく、穡ることをせず、倉に蓄ふることなし。然るに汝らの天の父は之を養ひ給へり。汝ら、之よりも大に勝るゝ者ならずや。汝らのうち誰か能く思ひ煩ひてそ生命を寸陰も延得んや。また何故に衣のことを思ひ煩ふや。野の百合花は如何にして長つかを思へ、労めず紡がざるなり。我、汝らに告げん、ソロモンの栄華の極の時だにもその装い、この花の一に及ざりき。神は今日野に在りて明日爐に投入らるゝ草をもかくは装はせ給へば況して汝らをや。鳴呼信仰薄き者よ。然れば何を食ひ何を飲み何を衣んとて思ひ煩ふ勿れ。これ皆な異邦人の求る者なり。汝らの天の父は凡てこれ等のものゝなくてならぬことを知り給へり。汝ら先づ神の国とその義とを求めよ、然らばこれ等のものは皆な汝らに加へらるべし、この故に明日の事を思ひ煩ふ勿れ。明日は明日の事を思ひ煩へ。一日の苦労は一日にて足れり」と迄進んでゐるが、まだ「貸物借物の理」といふ如き組織的、系統的、具体的の独立した形体を附与するまでに至らなかつた。ここに天理教の新しき権威がある。 |
(私論.私見)