二宮翁夜話 続篇

 (最新見直し2010.05.19日)

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資料299 二宮尊徳「二宮翁夜話 続篇」
二宮翁夜話 続篇 福住正兄筆記

 2010.05.19日 れんだいこ拝


【二宮翁夜話 巻之一目次、福住正兄筆記】

天道と人道の違いの諭し
地獄極楽道の諭し
報徳金貸付の道第一の諭し
人物の諭し
真の譲道の諭し
確かな富貴の道の諭し
家道の諭し
毫厘の差、千里の違いの諭し
肉眼心眼の諭し
10 財を惜しむ者、命を惜しむの諭し
11 君を諫める諭し 
12 公地の艸刈り取りの諭し
13 芭蕉の句の諭し
14 両全の諭し
15 飼葉桶の諭し 
16 内済示談の諭し
17 真菰の諭し
18 惜しい人の諭し
19 洪水予兆の諭し
20 彼岸の諭し
21 不遇の諭し 
22 翁の先見
23 家業と欲の違いの諭し
24 荒蕪を開くの諭し
25 孝行の諭し
26 理を明らかにすることの諭し
27 大道の大罪人の諭し
28 凶歳時の供えの諭し
29 桃栗三年柿八年の諭し
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 1、天道と人道の違いの諭し

 
翁曰く、天道は自然に行はるゝ道なり。人道は人の立つる所の道なり。元より区別判然たるを相混するは間違いなり。人道は勤めて人力を以て保持し、自然に流動する天道の為に押し流されぬ様にするにあり。天道に任する時は、堤は崩れ、川は埋(うずま)
り、橋は朽ち、家は立ち腐れとなるなり。人道は之に反し、堤を築き、川を浚(さら)へ、橋を修理し、家根を葺きて雨のもらぬ様にするにあり。身の行も亦この如し。天道は寝たければ寝、遊びたければ遊び、食ひたければ食い、飲みたければ飲むの類なり。人道は眠たきを勤めて働き、遊びたきを励まして戒め、食べたき美食を堪え、飲みたき酒を控えて明日の為に物を貯わう。これ人道也。能く思うべし。
 ※補講※
 2、地獄極楽道の諭し

 
翁曰く、定九郎曰く地獄の道は八方にありと。実に八方にあるなるべし。凡てひとり地獄の道のみならず、極楽の道も又八方にあるべし。豈に念仏の一道ならんや。何れより入るもその到る処は必ず同じ極楽なり。八方にある極楽の道には、平坦の道もあり、険阻なるもあり、遠きもあり、近きもあるべし。予が教える所は平坦にして近し。無学の者、無気力の者これより入るべし。
 ※補講※
 3、報徳金貸付の道第一の諭し

 翁曰く、身体一所(ひとところ)悩む所あれば、惣身之が為に悩むは人の知る所なり。脳なり胃なり肺なり皆同じ。甚しき時は死に至る。これ一体なるが故なり。国家も亦同じ、一家負債あれば是が為に悩み、国凶作なれば之が為に悩む。皆人の知る所なり。故に身も家も国も悩む所無らんことを欲するを衛生と云い、勤倹と云う。又泰平を祈ると云う。而して家に負債多ければ、人身に及んで神経を悩ますに至るも皆人の知る所なり。方今の世の中、驕奢行るゝが為にこの悩み多し。この悩み甚しければ家を失い身を失うに至る。愍然(びんぜん)の至りなり。之を自業自得と云えばそれまでなれど、自業自得は戸主に在りて、老幼婦女は相伴(しょうばん)をするなり。いたましからずや。之を救うの道を考えるに、予が立てたる報徳金貸付の道を第一とす。如何となればこの報徳金の貸付は、日輪の神徳と同じければなり。この功徳の広大なる事は、予が数年心を尽して考え、数年自ら
取り扱いて経験したる法なればなり。天地の万物を生育し給いて、恵まざる所なき、天地の徳に法りたる法なればなり。
 ※補講※
 4、人物の諭し

 翁曰く、官祿家格ありて世に知られ、人に用いらるゝは、そは官祿家格あるが故なり。之なくして世に知られ、人に用いらるゝ者は、賎業の者と云えども侮るべからず。これは生れつき勝れたる者なればなり。六尺手廻(ろくしゃくてまわり)
の頭、雲助の頭などこれなり。過日火事あり。予、火の見に上りて見居りしに、当時江戸にて名高く、人に知られし男伊達と聞えたる某、湯より上りてぶらぶらと来る時、火消し大勢どやどやと来掛りたる中に、壹人水溜りに飛入りて、男伊達に泥をあびせて去り過ぎぬ。彼莞爾(かんじ)と笑い、今日なるぞ然(そう)せよと云いつゝ、少しも怒る色なく傍なる天水桶にて泥を洗ひて、静々と過ぎ行きぬ。その容体のおとなしさ、威有りて猛からず、恭しくして安しと云うべき形状云わん方なし。誠に感服せり。論語に君子に三変あり、之に望むに儼然たり、之に即くに温なり、その言を聞くや獅オと。子、夏氏の言える通り、かかる賎民にても、その変りたる所いちじるし。賎民とて侮るべからず、賎業とて賎むべからず。
 ※補講※
 5、真の譲道の諭し 

 翁曰く、一村千石の高にて、戸数百戸あれば一戸十石に当る。これその村に住む者の天命なり。之より多きは富者と云うべし。富者の務めは譲なりと。門人中一人進んで曰く、予、村内にて天命に当れり。予は足ることを知りて、この天命に安んじて、勤倹を守り、年々不足なく暮しを立て、足れりとして金を積みて、田畑を買う事をなさず。これ則ち譲道に当るべしと。翁曰く、これは不貧と云うべし。何ぞ譲と云うことを得ん。この如き論老仏者流に多し。悪しからずと雖も、今一段上らざれば国家の用をなさず。然らざれば何を以て天恩四恩に報ゆべき。それ勤倹以て財を積み、田畑を買い求め、家産を増殖して、天命あることを知らず、道に志さず、飽く迄も増殖を欲し、又自奉にのみ費すは、云うに足らざる小人なり。その心志奪にあり。勤倹以て財を積み、田畑を買い求め、家産を増殖する迄は同じと云えども、ここに於て天命あることを能く知り、道に志して譲道を行い、土地を改良し、土地を開き、国民を助くる。このの如くにしてこそ譲道を行うと云べきなれ。この如くにしてこそ国家の用ともなり、報徳ともなるなれ。何ぞ前の不貧者を譲者と云うべけんや。
 ※補講※
 6、確かな富貴の道の諭し 

 翁曰く、我が道は譲道を貴とぶ、譲道は富貴を永遠に保持するの道にして、富貴の者怠るべからざるの道なり。されば我が道は富貴を永遠に維持するの道なりと云うも不可なかるべし。されば富貴者たる者は、必ず我が道に入りて誠心相勤め、永遠に富貴を祈るべし。
 ※補講※
 7、家道の諭し 

 翁曰く、若輩の者は、能く家道を研究すべし。家道とは分限に応じて我が家を持つ方法の事なり。家の持ち方は、安きが如くなれども、至て六ヶし。先ず早起きより始めて、勤倹に身を馴らすべし。それより農なり、商なり、家業の仕方を能学ばずして家を相続するは、将棊(しょうぎ)に譬えれば、駒の並べ方も能く知らずして指さんとするが如し。指す毎に打ちまけて、詰り失敗するは眼前なり。もし余儀なくこの修業出来ずして相続せば、親類後見など能(よき)人を師として、一々差図を乞うて、それに随ふべし。これ将棊を一手毎に教えを受けて指すに同じ。さすれば間違なし、然るに慢気して人に相談せず、気儘に金銀を遣はゞ、忽ち金銀を相手に取らるべし。譬えば父の拵へたる家を相続するは、将棊の駒を人に並べて貰ひたるが如し。凡て将棊の道を知らずして、我が思う儘にさゝば、失敗は知れたる事なり。中庸に愚にして自用を好み、賎にして自専を好み、今の世に生れて古の道に反く、この如くなれば(わざわい)必ずその身に及ぶとあり。今の世に生れて古の道に反くとは、後世の子孫と生れて、先祖数代の家を不足に思い、伝来の家具を不足に思い、先祖の家を誹(くさ)したり、勤倹の道に背きて驕奢にふけるを云うなり。古人はかく懇に戒め置けり慎しむべし。
 ※補講※
 8、毫厘の差、千里の違いの諭し 

 翁曰く、毫厘の差、千里の違いと云う事あり。皆人は譬えと思えり。予利倍帳を取調べたる時、二ヶ年目の利子、永一文の違いありたれば、百八十年目に至り、一百四十一万九千八百九十五両永貳百九十四文九分五厘の差となれり。実に毫厘千里なり。譬えにはあらず実事なり恐るべし。
 ※補講※
 9、肉眼心眼の諭し 

 翁曰く、肉眼にてみれば見えざる所あり、心眼を以て見れば見えざる所なし。肉耳にて聞けば聞えざる所あり、心耳にて聞けば聞えざる所なし。これは禅家などの主張する所なり。世を治むるも、人を治むるも、徳を以てすると、法を以てするとの差別も又この如し。
 ※補講※
 10、財を惜しむ者、命を惜しむの諭し 

 翁曰く、財を惜しむ者は、如何程愍然の者を見るも扱う事能わず。命を惜しむ者は、君の不能を見て強諫(きょうかん)すること能わず、又馬前に死する事も能わず。この如き者は農事も十分にする事は出来ざるべし。それ農は天変凶歳風雨を恐れては十分に肥を用い、力を尽す事は出来ぬなり。損害は天に任せて、天下の農人は農をするなり。然るを況んや仕官して君に仕うる者をや、況(ま)して累代仕官の者をや。
 ※補講※
 11、君を諫める諭し 

 翁曰く、君を諫めて用いられざるを憤るは、諫争にはあらずして、憤争なり。真の忠諫は一旦君意に違い退けらるゝとも、正鵠を失すれば之をこの身に求るの金言を師として、君を不明と云はず、我が忠心の至らざるを責めて、敬を起し忠を起し、憤らず怨まず慎んであらば、用いられざる事あらんや。然るに君を諫る者、用いられざれば、君を怨み憤を含んで、君を不明と言うに至り、忠臣と云うふべけんや。
 ※補講※
 12、公地の艸刈り取りの諭し

 翁の家に出入る者曰く、予、今日真岡にて聞きたり。同町と久下田町との間の道は、敷地の巾十一間なりと。道は公地なり、されば久下田町に米を運送して帰路に、路傍の艸を刈りて戻らんと考えたりと。翁曰く、汝が屋敷は本歩は五畝歩なり。然るに、壹反余あるべし。人来りて汝が屋敷の竹木を取らば如何、汝黙するや、能く思ふべし。仮令道路敷地といえども自村と他村との区別あり。右様の事は云うべき事にあらず。隣家某の家敷は広し、さればとて余歩の地の竹木を伐り取らんと云わゞ無道なり。自ら私の屋敷は余歩多し。竹木の入用の方は遠慮なく伐り取らるゝも苦しからずと云うは誠によし。路傍の艸も、久下田の町にて、道敷地十一間なれば、他村の人たりとも、馬を引て空しく帰るは損なり。艸を刈りて附行くもよろしと云わゞ誠に宜し。この方より刈り取るも何かあらんと云うは悪しゝ。思うべきことなり。
 ※補講※
 13、芭蕉の句の諭し 

 翁曰く、芭蕉の句に、「古池や蛙飛込む水のおと」、この音は只の音と聞くべからず、有の世界より無の世界に入る時の音と観じて聞くべし。木の折るゝ時の音、鳥獣の死する時の声と同じ。これを通常の水の音とする時は、称讃すべき処なし。
 ※補講※
 14、両全の諭し 

 或る人曰く、某は借も千円なり、貸も千円なり、如何為(な)して然るべきや。翁曰く、これ誠に面白き事なり。汝が借り方に向て言う心を以て、貸方に云い、汝が貸し方に向て言う心を以て、借り方に向って談判すべし。然せば両全なるべし。
 ※補講※
 15、飼葉桶の諭し 

 宇津氏の馬、厩を離れて邸内を馳せ廻れり。人々大に噪ぎ立てける時、別当出来りて、静にすべしと云て、飼葉桶をたゝきて小声に呼ければ、流石に猛く刎廻りし馬急に静りて飼葉に付けり。翁曰く、汝等心得よ、世の中は何も六ヶしき事決してなし。狗も来よ来よと云う計りにては来ず、時々食を以て呼ぶ時速に来る。茄子(なす)もなれなれと云うて、なるにあらず、肥をすれば必ずなる。猫の脊中も順に撫れば知らぬふりをして眠り、逆に撫ると一撫にて爪を出す。予、桜町を治むるもこの理を法として、勤めて怠らざりしのみ。
 ※補講※
 16、内済示談の諭し 

 翁曰く、それ人の紛議を解くは道徳の一つにて、世を救うの一つなれど、又一つ心得べき事あり。訴訟の内済示談なり。これ実に両全の道なれども、又弊害も少からず。予、桜町にあり、近郷この扱という事盛んに行われて、訴訟甚だ繁し。習って察せず、法を厳にして之を制すれば、方今の訴訟その幾分を減ずべし。如何となればこの道にて内済の事を扱うものを見るに、必ず智力もあり、弁才もあって、白を黒にし、黒を白になすの奸人、表を餝りてこの事を業の如くする者あり。この者よく弱きを助け、強きを拆き、訴訟を内済して、衆の難を救うが如く見ゆれども、竊にその内情を聞き、能く能く観察する時は、この紛議の因はこの者に因て発する事多し。それ村里に一紛議の起るや、或は激言して之を争わしめ、また和言を以てこれを止め、始終その間に周旋して利と誉とを己に取る奸人あり。然るに世の中不明にしてこれを尊み、これを用いる。往時桜町に奸人あり。予、先ずこの者を退けぬれば、訴訟の事断然止み、柔善の者里正たることを得たり。某の如き好き人里正に居て、流来の細民鰥寡孤独に至るまで、皆その利を利とすることを得るなり。凡そ国家を治むる者、前に云う所の如き奸民を退けて、良民を撫するを以て勤めとすべし。人道は元作為の道なるが故に、農夫の勤めて草を去るが如く、悪民を去て良民を養はざれば、良民立つ事あたわず。良民立つ事能わざれば、邦家の衰廃見るべきなり。それ奸民は譬えば莠艸の如し。茂生すれば田園蕪廃す。故に奸民志を得れば村里衰廃す。良民は譬えば稲の如し。莠艸を去らざれば稲栄えず。故に奸民を退けざれば良民困苦す。莠艸を去りて稲を助くるは農業なり。奸民を退けて良民を撫するは政事なり。それ農業を勤むるは下の職なり、政事を勤むるは上の職なり。下その職業に怠らざれば、国豊饒す、上その職を勤れば国用余りあり、上下各その職分を尽さば、天下平なるべし。故に古人も政事をなすは農の田を作るが如しと云えり。それ農の業は莠艸を抜除して稲を肥すにあり、上の職は奸民を退けて良民を育するにあり。而して農は莠艸の悪むべきを知りてこれを去るを勤めとす。その上この奸民を愛して是を重んずるは過れり。彼の奸民は才力弁舌衆に越え、これに加うに能く世事に馴れ、上下に通じて始終之をあやつりて事を起し、事を鎮め、その中間に立ちて利を己に占むる物なり。然るを人之を知らず、これを尊み之を用う、過てり。それこの如きは莠艸を以て善とし、美とし、之を糞培せば、邦家の衰えざることを得んや。
 ※補講※
 17、真菰の諭し 

 翁曰く、真菰を俵に作る、虫喰わざるものなり。木綿を入るゝに用うべし。塵付かずしてよろし。
 ※補講※
 18、惜しい人の諭し 

 翁曰く、某村某は強欲にして積財を勤め、隣に艱難あるも救わず、貧窮に陥るあるも憐れまず、金を貸すこと酷にして高利を貪り、恨を村里に結んで意とせず、その行い甚だ悪むべきが如し。然りと云えどもその力を農事に尽す処を見る時は、近郷比類なし。耕種培養、能く時に先後せず、春は原野に草を刈り、秋は山林に落葉を掻き、夏は炎暑を厭わず、冬雪霜を侵し、晨に起き夜半に寝て、力を農事に尽せり。その勤農実に至れりと云うべし。聖賢をして農業を勤めしむるも、之に過ぐべからず。その作物の為に尽せば、秋に至って己に利ある事を了知すること、釈氏といえども又之に過ぐべからず。もしこの理を人倫の間に用い、自ら能く勤むる所の農術を人に教え、郷里の為に懇誠を尽さば、聖賢に彷彿たらん者なり。惜しいかなこの地の賢人と呼ばれんものを、惜しいかな予之を諭しゝも悟る事能わず、惜しいかな。
 ※補講※
 19、洪水予兆の諭し

 翁曰く、大雨の時井水溢るれば、洪水ありと知るべし。洪水の時は天より降る而已にあらず。地よりも湧くかと思はるゝ様に、井の水溢るゝものなり。又川流に随て風吹く時は、大雨といえども洪水少し。川流に逆いて風の吹き上る時は、必ず洪水あり、知るべし。
 ※補講※
 20、彼岸の諭し 

 或る人曰く、彼岸の文字は素儒書より出づと梧窓漫筆にありと。翁曰く文字の出所は知らずといえどもその言は仏意なり。何となれば、此岸を離れて彼の岸に到るの云いなればなり。それ寒より暑に至るを春の彼岸と云い、暑より寒に至るを秋の彼岸と云う。今一艸を以て之を云わん。春の彼岸は種の岸を離れて艸の岸に到るなり。秋の彼岸は艸の岸を離れて種の岸に到るなり。凡事此岸を離れざれば、彼の岸に到る事能わず。故に艸より艸の生ずる事なく、種より種の生ずる事なし。或は艸となり、或は種と成りて、百艸相続す。これいわゆる循環の理なり。されば彼岸は、仏意なる事明らかなり。この季節に先祖を祭る事の起りは儒も仏も同感なるべし。
 ※補講※
 21、不遇の諭し 

 某曰く、予薄運か、神明加護なきか、為す事成らず、思う事齟齬すと。翁諭して曰く、汝過てり、薄運なるにあらず、神明加護なきにあらず、これ則ち神明の加護にして則ち厚運なるなり。只願ふ所と為(す)る所と違へばなり。それ汝が願ふ所は瓜を植えて茄子を欲し、麦を蒔て米を欲するなり。願う事ならざるに非ず、成らざる事を願えばなり。然して神明加護なしと云いひ、又薄運と云、過にあらずや。それ瓜を蒔て瓜の熟(な)り、米を蒔て米の実法るは、天地日月の加護なり。然らば則ち悪をなして刑罰来り、不善をなして禍来るは、天地神明の加護、米を蒔て米を得ると同じ。然るに神明加護なしと云う、過ならずや。
 ※補講※
 22、翁の先見 

 翁天保三年桜町陣屋下の畑租を免じ、壹町歩に付貳反歩づゝの割を以て稗を蒔かせ、常の囲とせられしに、翌四年違作にて積み置くまでもなく用に立ち、又同六年同じく稗を蒔かせたるに、翌七年大凶荒なりき。爾来囲穀の命を下さゞりしに弘化二年また俄にそれ食の用意と囲穀を命じ、稗を蒔かせられしが、同年違作にて又々之を蓄積するまでもなく用を足せり、その先知神の如し。
 ※補講※
 23、家業と欲の違いの諭し 

 翁曰く、世人家業と欲とを混じてその弁別を知らざるものあり。故に家業を出精するを欲深しと思うなり。大なる誤と云うべし。家業は出精せねばならぬ物なり、怠りては済まぬものなり、欲はそれとは違い、押へねばならぬものなり。それ人皆家の業あり、官吏の国家の為に尽力するは家業出精なり、教師の教育に勉強するも家業出精なり、僧侶の戒律を能く守るも家業出精なり、医師の病者に心力を尽すも家業出精なり、農工商皆同じ。能く心得て思い混ふべからず。
 ※補講※
 24、荒蕪を開くの諭し 

 翁曰く、予が生涯の業は、総て荒蕪を開くを以て勤めとす。然して荒蕪に数種あり、田畝の荒れたるあり。これは国家の荒地なり。又負債多くして家祿を利足の為に取られ、祿ありて祿なきに至るあり。これ国家の為に生地にして、その人の為に荒地なり、又薄地麁田、公租と村費丈けの取穀あって、作益無き田畑あり。これは上の為に生地にして、下の為に荒地なり。又身体強壮にして怠惰に日を送る者あり。これ自他の為に荒地なり。資産あり金力ありながら、国家の為になることを為さず、徒に驕奢に耽り、財宝を費すあり。これ世上大なる荒蕪なり。又智あり才ありて遊芸を事とし、琴棋書画などをもて遊びて世の為を思はず、生涯を送るあり。これも世の中の荒蕪なり。これら数種の荒蕪はその元心田荒蕪よりするものなれば、我が道は先づ心田の荒蕪を聞くを先とすべし。心田の荒蕪を開きて後は、田畑の荒蕪に及びてこの数種の荒蕪を開きて熟田となさば、国の富強は掌に運らすが如くなるべきなり。
 ※補講※
 25、孝行の諭し 

 翁曰く、若き者は、毎日能く勤めよ。これ我が身に徳を積むなり。怠りなまけるを以て得と思うは大なる誤りなり、徳をつめば天より恵あること眼前なり。今雇人を以て譬えん。彼の男は能く働きて貞実なり。来年は我が家に頼むべしと云い、能く勤むれば聟に貰うべしと云うに至るものなり。これに反する者は本年は取り極めたれば是非なし、来年は断るべしと云う様になるは眼前の事なり。無智短才なりとも能く謹み、能く顧み、身に過ち無き様にすべし。過ちは則ち身の疵なり。古語に「身体髪膚之を父母に受く、敢て毀傷せざるは孝の始めなり」とあり。人過てば身の疵となる事を知らず、傷さへせざればよしと思うは違へり。且つ過ちは身の疵なるのみならず、父母兄弟の顔をも汚すなり慎まざるべけんや。
 ※補講※
 26、理を明らかにすることの諭し 

 翁曰く、凡庸の者は、繁多なることの記憶は出来兼ぬるものなり。譬えばこの茶碗十や二十は、誰にても数える事容易なれども、之を四百五百とする時は中々間違えぬ様に数える事は出来ぬものなり。数多き物に番号を付ける時、二十や三十迄は間違う事無けれど、三百四百となると知らず知らず間違うものなり。故に予は唯一理を明かにする事を尊むなり。一理誠に明かなれば、万理に通ず。天地の間最知り難き道理は言論強く雄弁の者の勝となるべし。故に孔子は一以て之を貫くと言はれたり。卿等此処に眼を付けて能く思考せば、世界万般の道理おのづから知らるべし。予が歌に「古道につもる木の葉をかきわけて、天照す神の足跡を見ん」。足跡を見る事を得ば万理一貫すべし。然せずして徒らに仁は云々、義は云々と云時は、之を聴くも之を講ずるも共に無益なり。余は云うに足らず、聞くに足らず。
 ※補講※
 27、大道の大罪人の諭し 

 門人某平日悟道論を喜んで、大悟は小節に拘泥せずと云えり。翁曰く、儒者は大行は細瑾を顧みずと云うて放薄なり、仏者は大悟は小節に拘わらずと云うて無頼なり。これ道の罪人と云うべし。何となれば徒らにこの為にする事有りて、いはゆる古言を持出して、己大行もなく、大悟を夢にも見ずして忠言を防ぐの垣根となし、過を餝るの道具となして、人にほこりて大言を吐きて憚らざるは、大道の大罪人なり。汝等皷を鳴らして之をせめて可なりと云わんのみ。
 ※補講※
 28、凶歳時の供えの諭し 

 翁曰く、季候あしく、本年は凶歳にもならんかと云う様なる模様あらば、食料になるべきジヤガタラ芋を早く掘り取りて、直に明畑に肥して植付くべし。次に大根、蕪なり、次に蕎麦なり。この蕎麦を蒔く時に、そば種の中へ油菜の種を交ぜて蒔くべし。然する時は蕎麦実のりて刈り取る時には、菜も大きく成るなり。これを蕎麦と共に刈り取るも、根も茎も残りてあれば害無し。そばを刈り取て直に肥しをなし、中打手入れをすれば、忽菜畑となって栄ゆる物なり。山畑などには必ずこの作法を用いるべし。
 ※補講※
 29、桃栗三年柿八年の諭し

 翁曰く、方位を以て禍福を論じ、月日を以て吉凶を説く事、古よりあり。世人之を信ずれどもこの道理あるべからず。禍福吉凶は方位日月などの関する所にあらず。之を信ずるは迷いなり。悟道家は本来無東西とさへ云うなり。それ禍福吉凶は己々が心と行いとの招く所に来るあり。又過去の因縁に依りて来るもあり、或る智識の強盗に遭いたる時の歌に「前の世の借りを返すか今貸すか、何れ報いは有りとこそしれ」と詠める通りなるべし。必ず迷う事勿れ。それ盗賊は鬼門より入り来らず、悪日にのみ来らず、締りを忘るれば賊は入り来ると思へ。火の用心を怠れば火災起るべし。試に戸を明けて置て見るべし、犬這入りて食物を求むるなり。これ眼前なり。古語曰く積善の家に余慶あり、積不善の家に余殃ありと。これ万古を貫きて動かざる真理なり、決して疑ふべからず、之を疑うを迷と云う。それ米を蒔て米実法り、麦を蒔て麦実法るは眼前にて、年々歳々違はず。天理なるが故なり。世に不成日(ふじやうび)と云えるあり。されどこの日になす事随分成就す。吉日なりとて為せし事必ずしも成就するにあらず。吉日を選んで為せし婚姻も、離縁になる事あり。日を選まずして結婚したるに偕老するもあるなり。かゝる事は決して信ずべからず、信ずべきは積善の家余慶ありの金言なり。されど余慶も余殃も速に回り来ものにあらず、百日にして実法る蕎麦あり、秋蒔て来夏に実のる麦あり。諺に桃栗三年柿八年と云うが如し。因果にも応報にも、遅速ある事を忘るゝ事勿れ。
 ※補講※
 三〇 

 翁曰く、本来東西無し、また過不及無しなど云は、平なる器を見て云ふ語なり、則ち本然の天理なり、既に一器あり、之に己あれば傾かざるを得ず、傾く時は其器の中の水必前後左右に増減す、之を世に某は厚運、某は薄運などゝ云ふなり、是某と云ふ己がある故なり、己なき時は東西も無く遠近も無く、過不及もなし、是本然の天理なり、古語に「天運循環して往て復らざるなし」と云へり、是傾きたる器の水の増減するを云ふなり、某は厚運、某は薄運など云ふも則ち是なり、予が歌に「増減は器傾く水と見よ、あちらにませばこちらへるなり」皆此通りなり、縦令蓋をするも只目に見えぬのみ、水の増減するは疑ひなし、今爰に薪を取りて自(みづから)焚(た)かずして売る者は、賎しきが如しといへども、夫丈けの運を増すなり、此銭にて酒を呑めば、又直に夫丈けの運を減らすなり、田畑へ肥しをする者は、眼前益無しといへども、秋に至れば実法多し、此時に則運をますなり、遊びなまけて田畑を麁作したる者は、秋に至つて取実少し、爰に至つて運の減ずる事知るべし、皆明白にして愚夫愚婦といへども、此道理は知るなるべし、此道理を知つて能く勤むるは則道を悟りたるに同じ、是に於ては何を成すにも利益あるなり、是に反すれば何をなしても損失なり、誠に明白の理なり。
 ※補講※
 三一 

 翁曰く、世界元吉凶禍福苦楽生滅なし、予が示せる一円図の如し、而して是あるは其半に己と云者を置て隔つる故なり。人は云ふ万物土より生じて土に帰ると、是まだ尽さず眼前の論なり、是は江戸人が旅客は品川より出ると云が如し、其の出京は区々あるなり、艸木の春生育して秋枯るゝを見て、秋を無常といへども、農家にては秋実を得て悦ぶなり、艸の上より見れば誠に無常なれども、種の上より見る時は有常なり、されば無常も無常にあらず、有常も有常にあらずと云ふべし。
 ※補講※
 三二 

 某藩の重臣某氏、藩の財政の方法を問ふ、翁曰、爰に十万石の諸侯あり、之を木に譬ふれば、百姓は土際(つちきは)より木にある根の如し、幹と枝葉は藩中の如し、然れば十万石と云ふ時は、其領中一円神主僧侶も乞食も皆此中の物なり、此十万石を四公六民とする時は、藩が四分、民が六分なり、然るに何方より頼談せらるゝも、皆藩の財政のみを改革せんとせられ、領中の事に及ばるゝはなし、古語に「其本乱れ末治まる者はあらず」とあり。其元を捨置て、其末のみを挙んとするも、順序違へば、労するとも功無かるべし。真に藩の疲弊を救はんとならば、民政も共に改革せらるべし、さ無き時は、木の根を捨置て、枝葉に肥しを施すが如し、是卿が尤も心を用ひらるべき所にて、卿が職務なり、帰藩の上能々勘考せらるべしと、某氏感服感服と云て去れり。
 ※補講※
 三三 

 翁曰く、内に実ありて外に顕はるゝは、天理自然なり。内に実有て外に顕れざるの理必なし、譬ば日暮に燈火を点ずるを見るべし、附木に火の付や早、障子に火の影は移りて外より家の内に燈火のある事の知らるゝなり、其外深山の花木、泥中の鰌は、自(みづから)知らざる積りにても、人は早くも彼の山に花さきたり、此泥中に鰌の居ると知るなり、思はざるべけんや。
 ※補講※
 三四 

 翁曰く、商業の繁栄し、大家となるは高利を貪らず、安価(あんか)に売るを以てなり、其高利を貪らざるが為に、国中の買人集り来るは当然の事なれど、売る物も又之に集るは妙と云ふべし、買ふと売るとの間に立て、高く買て安く売るは、行はるべからず、然らば安く売るは買ひ方も安かるべし、安く買ふ所に売る者の集るは、実に妙なり、是皆双方に高利を貪らざるの致す所なり、高利を貪らざるのみにて、買ふ者も売る者も共に集りて、次第に富を致す、是又妙なり、商家にして高利を貪らざるすら此の如し、然るを況んや我方法は、無利足なり、尊ばざるべけんや。
 ※補講※
 三五 

 翁曰く、仏説は誠に妙なり、日輪朝東方に出る時の功徳を薬師と名付け、中天に照す時の功徳を大日といひ、夕陽の功徳を阿弥陀と云へり、然れば薬師、大日、阿弥陀と云へど、其実かゝる仏あるにはあらず、皆太陽の功徳を表せしなり。又大地の功徳を地蔵と云ひ、空中の功徳を虚空蔵と云ひ、世の音づれを観ずる功徳を観世音と云へり。或問大地の功徳大なり、虚空の功徳も大なるべし、世音を観ずる功徳とは如何、翁曰、商法などの類総て世の音信を能く考へて利益を求むるを観世音の力を念ずると云へるなり、観は目にて見る字にはあらず、心眼に見るを云字なり能思ふべし能思ふべし。
 ※補講※
 三六 

 翁曰く、農家は作物の為とのみ勤めて朝夕力を尽し、心を尽す時は、自然願はずして穀物蔵に満るなり、穀物蔵にあれば呼ばずして魚売りも来り、小間物屋も来り、何もかも安楽自在なり、又村里を見るに籬丈夫に住居の掃除も届き、積肥沢山積重ねたるは、何となく福々しき。其家の田畑は隅々まで行届き出来、平に穂先揃ひて見事なるものなり。又之に反して出来不平にして穂先揃はず、稗あり艸あり、何となく見苦しき田畑の作主の家は、籬も破れ、家居不潔なるものなり、又一種不精者の困窮ながらも家居は清潔に住むあり、是は籬其外も行き届きたれど、家に俵なく、農具なく、庭に積肥なく、何となくさみしきものなり。又人気和せざる村里は四壁の竹木も不揃にて、道路悪敷(あしく)堰用水路に笹茂るなど見苦しきものなり大凡違はじ。
 ※補講※
 三七 

 翁曰く因果の理を此柿の木の上にて説かんに、柿の実を見よ人の食となるか、鳥の食となるか、落て腐るか、未だ其将来は知れざる以前、枝葉の陰にある時の精力の運びに因り熟するに及んで、市に出し売らるゝ時三厘になり五厘になり、一銭になるあり、其始は同じ柿にして、熟するに随て此の如く区々に価直の異なるは、是皆過去枝にある時の精力の運び方の因縁に依るなり。天地間の万物皆同じ、隠微の中に生育して、而して人に得られて、其徳をあらはすなり。人又此の如し、親の手元にある時、身を修めて諸芸を学び、能く勤めたる其徳に依て一生の業は立つなり。凡人少壮の時能学べばよかつたと後悔心の出るは、柿の市に出て後に、今少し精気を運んで、太く甘くなればよかつたと思ふに同じ、後悔先に立たぬなり。古人前に悔めと教へたるあり、若輩者能く思ふべし、故に修行は入るか入らぬか、用に立つか、用にたゝぬか知れぬ前に、能く学びおくべし、然せざれば用に立たぬものなり、柿も枝葉の間にある時太くならざれば、市に出でゝ仕方なきに同じ、此れ則ち因果の道理なり。
 ※補講※
 三八 

 翁曰く、仏は諸行無常と云なり、世上に諸の行はるゝ物は、皆常に無き物なり。然るを有ると見るは迷なり、汝等が命、汝等が体(からだ)皆然り。長短遅速は有りといへども、皆有るにはあらず、有ると思ふは迷ひなり。本来は長短もなし、遅速もなし、遠近もなし、生死もなし、蜉蝣の一時を短しと見、鶴亀の千年を長しと思ふが如き是皆迷なり。然といへども、此理は見え難し、凡人に之を見するは遠近のみ、是は我が悟道の入門なり「見渡せば遠き近きは無かりけり、己々が住処(すみか)にぞよる」見渡せば生死生滅無かりけり、見渡せば善きも悪しきもなかりけり、見渡せば憎いかはゆい無かりけり。この歌を感ずる時は其の道理知らるべきなり。夫生と云も死と云も共に無常にして、頼みにならぬ事は明白なり。氷と水とを見よ、何をか生と云ひ、何をか死と云ふ。水は寒気に感じて氷となり、氷は暖気に感じて水となる。今朝寒しといへども、一朝暖気なれば速に消ゆ、之を如何せん、水か氷か、氷か水か、生か死か、死か生か、何をか生と云はん、何をか死と云はん。諸行無常なる事知らるべし。然して又無常も無常にあらず、有常も有常にあらず、惜しい、欲しい、憎い、かはゆい、彼も我れも皆迷なり。此の如く迷ふが故に三界城と云ふ堅固な物が出来て人を恨み、人を妬み、人をそねみ、人に憤り、種々の悪果を結ぶなり。之を諸行無常と悟る時は、十方空となつて恨むも、妬むも、悪むも、憤るも馬鹿馬鹿しくなるなり、是の所に至れば自然怨念死霊も退散す、之を悟りと云ふ、悟るを成仏と云ふなり、玩味して悟門に入るべきなり
 ※補講※
 三九 

 翁曰く、古語に曰く、功成り名遂げて身退くは天の道なりと云へり、天道誠に然り、然りといへども是を人道に行ふ時は智者と云ふべくして、仁者とは云ふべからず、如何となれば全く能く尽すと云ふに至らざればなり。
 ※補講※
 四〇 

 斎藤高行曰く、儒者仏者に問ふて曰、地獄の釜は誰が作りしぞと、仏者答へて郭公が掘出せし黄金の釜と同作なりといへり面白き咄に候はずやと、翁曰く面白し、されど智者の言にして仁者の言にあらず、称するに足らず。
 ※補講※
 四一 

 翁曰く、論語に己に如かざる者を友とする事勿れとあるを、世に取違へる人あり、夫人々皆長ずる所あり、短なる所あるは各々免れ難きなり、されば其人の長ずる所を友として、短なる所を友とする事勿れの意と心得べし、譬へば其人の短なる事をば捨て、其人の長所を友とするなり、多くの人には短才の人にも手書きあるべし、世事には疎きも学者あるべし、無学にも世事に賢こきあるべし、無筆には農事に精しき有るべし、皆其長所を友として短所を友とする事勿れの意なり。
 ※補講※
 四二 

 翁曰く、心狭く局りては、真の道理を見る事能はざる物なり、夫世界は広し、故に心をば広く持つべし、されども其の広き世界も己と云ひ、我と云ふ私物を一つ中に置て見る時は、世界の道理は其の己に隔てられて、其の見る所は皆半になるなり、己と云物にて半分を見る時は借たる者は返さぬ方が都合よく、人の物を盗むは尤都合よかるべけれど、此隔てなる己と云物を取り捨て、広く見る時は、借りたる物は返さねばならぬと云道理が明らかに見え、盗むと云事は悪事なる事も明らかに分るなり。故に此己と云私物を取り捨るの工夫が専一なり、儒も仏も此取捨方を教るを専一とす、論語に己に克て礼に復れと教えたるも、仏にては見性といひ、悟道といひ、転迷と云ふ、皆此私を取り捨るの修行なり。此私の一物を取捨る時は、万物不生不滅不増不滅の道理も又明かに見ゆるなり、如此明白なる世界なれども、此己を中間に置て彼と是とを隔つる時は、直ぐ其座に得失損益増減生滅等の種々無量の境界現出するなり、恐るべし。然(さ)れど是又是非無き次第なり、其は豆の艸になる時は、豆の実を見る事能はず、豆の実になる時は豆の草は出来ざる世界なる故に、万物の霊なる人といへども免れ難きなり。此免れ難きを免るゝを悟といひ、免れざるを迷と云ふなり。予が戯に詠める歌に「穀物の夫食(ふじき)となるも味も香も、草より出でゝ艸になるまで」「百艸の根も葉も枝も花も実も、種より出でゝ種になるまで」。この理を見るの一つのみ呵々。
 ※補講※
 四三 

 翁曰く、我道は勤倹譲の三つにあり、勤とは衣食住になるべき物品を勤めて産出するにあり、倹とは産出したる物品を費さゞるを云ふ、譲は此三つを他に及ぼすを云、扨譲は種々あり、今年の物を来年の為に貯ふるも則譲なり、夫より子孫に譲ると、親戚朋友に譲ると、郷里に譲ると、国家に譲るなり、其身其身の分限に依て勤め行ふべし、たとひ一季半季の雇人といへども、今年の物を来年に譲ると、子孫に譲るとの譲りは、必勤むべし、此三つは鼎足の如し、一をも欠くべからず、必兼行ふべし。
 ※補講※
 四四 

 或問、今日中庸の講釈を聞けり誠に六ヶ敷講釈にて、聞ても分らず、喜怒哀楽の未だ発せざる之を中と云とは如何なる道理なるや、翁曰、是は尤も六ヶ敷道理なり、されど之を他物に移して説く時は了解出来る物なり、之を艸木にて云はゞ、根幹枝葉未だ発せざる之を種と云と見るべし。之を艸木に移して然る後に中と云の何物たるやを考ふるを近道とす、如何に分りたるや、或人感拝して帰れり。
 ※補講※
 四五 

 翁曰く、世の人とかく小事を厭ひて大事を欲すれども、本来大は小の積りたるなり、されば小を積んで大をなすの外に術はなきなり、夫国中の田は広太無辺無数なり、然るに其田地は皆一鍬づゝ耕し、一株づゝ植え、一株づゝ刈り取るなり、其田一反を耕す鍬の数三万以上なり、其の稲の株数は一万五千内外なるべし、皆一株づゝ植えて、一株づゝ刈るなり、其田より実法りたる米粒一升の数は六万四千八百余あり、此米を白米にするには、一臼の杵の数千五六百以上なり、其手数思はざるべけんや、小の勤めざる可からざる知るべきなり。
 ※補講※
 四六 

 翁曰く、学者皆大学の三綱領と云といへども、至善に止るの至善とは何なるや明かならず、予はひそかに其実は二綱領なるべしと愚考せり、如何となれば、明徳を明にするは道徳の至極なり、民を新にするは、国家経綸の至極なり、其上に至善に止るといへども明に徳と新民との外に至善とさす物はあるまじと思へばなり、仍て三綱領と云といへども其実二綱領と心得て可なり。
 ※補講※
 四七 

 翁日光御神領の興復法の取調帳数十巻を指して曰く、夫れ此興復法、計算は独日光のみにはあらず、国家興復の計算なり、日光神領の文字誠に妙なり、世界の事と見て可なり、されば此帳簿は計算帳と見るべからず、是皆一々悟道にして天地自然の理なり。夫れ天地は昼夜変満して違ひなく、偽りなし、而して算術又然り、故に算術をかりて世界の変満するは此の如き道理なれば、決して油断は出来ぬぞと示して誡めしなり、此帳を開かば初の一を何になりとも定めて見るべし、善なり、悪なり、邪なり、正なり、直なり、曲なり、何なりとも定め置て見る時は、元に仍て利を生み、利が返て又元となり、其の元に利が付き繰返し繰返し、仏説に云因果因果と引続きて絶えざる事年々歳々此の如し。譬へば毎朝己先に眼を覚して人を起すか、又人に毎朝起さるゝか、是一事にても知らるべし。人世は一刻勤むれば一刻丈け、一時働けば一時丈け半日励めば半日丈け、善悪邪正曲直皆此計算の如く、一厘違へば一厘丈け、五厘違へば五厘丈け、多きは多き丈け、少きは少き丈け、此の通りと皆八十年間明細に調べ上げたり。朝早く起きたる因縁によりて麦が多く取れ、麦が多く取れた因縁によりて田を多く作り、田を多く作りたる因縁によりて馬を買ひ、馬を買ひ求めたる因縁によりて田畑が能く出来、田畑が能く出来たる因縁によりて田が殖え、田が殖えたる因縁によりて金を貸し、金を貸したる因縁によりて利が取れる。年々此の如くなるに依て富有の者となるなり。而して富有者の貧困になりゆくも又此道理なり。原野の艸、山林の木の生長も又同じ理なり。春延びたる力にて秋根を張り、秋根を張りたる力を以て、春延び、去年延たる力を以て今年太り、今年太りたる力を以て、来年又太るなり、天地間の万物皆然り是を理論にて云ふ時は種々の異論ありて面倒なれば、予は算術をかりて示せるなり、算術にて示す時は、如何なる悟道者も、いかなる論者も一言あらず。天地開闢の昔、人も禽獣も未だ無き時より、違ひ無き物を以て証拠として、天地間の道理は、此の如き物ぞと知らしめたるなり、決して此帳を計算と見る事勿れ、夫(それ)数は免るゝ事能はず、此数理によりて道理を悟るべし、是悟道の捷径なり。弁算和尚傍にありて曰、是ぞ真の一切経なる。仰ぐべし尊ぶべしと。
 ※補講※
 四八 

 翁曰く、国に上中下あり、上国の土又上中下あり、下国の土又上中下あり。或は上と云、或は下と云、名は同じといへども、所を異にすれば其実又大に異なる。如何となれば、下国の所謂上田は、上国の下田にだもしかず、況や中下におけるをや、上国の下田は、下国の上田に比すれば勝れる事遠し、況や中上に於けるをや。而て下国の上田の租税は、上国の下田の租税に倍して、粗(ほゞ)上田の租に近し。上国の下田の租税は、下国の上田の租税に比すれば、其半にして、下田の租に近し。諸役銭(しよやくせん)、高掛(たかがゝ)りも又是に準ず。是上国の民ますます富饒(ふぜう)にして、下国の人民離散逃亡を免れざるゆへんなり。野常(やじやう)の土(ど)瘠薄(せきはく)にして利少し、其上田は上国の下田の如し、然ば則上国の下田の取箇(とりか)を以て、下国の上田の取箇となし、中下も亦是に随て、其租数を定むれば、富栄上国に如かずといへども、何ぞ廃亡此の如きに到らんや、上たる者尤心を用ひずば有可からざる所なり。

 二宮翁夜話 続篇終
 ※補講※

 (注)1. 「二宮翁夜話 続篇」の本文は、岩波文庫版の『二宮翁夜話』(福住正兄筆記・佐々井信太郎校訂、1933年6月25日第1刷発行・1941年12月15日第13刷改版発行・2004年2月24日第20刷発行)によりました。
     2. この続編については、同文庫の校訂者・佐々井信太郎氏の解題に、「続篇とい     ふは福住翁在世の時、筆稿如是我聞録の推敲を了しなかつたものである。昭和六年二宮尊徳全集第三十六巻門人集の編輯に際り、纔に魯魚を正して以て私に刪修を試み目次を附し、責を負ふことを敢てした。翁の裔孫之を公にして以て祖翁の志を全くせんことを希望せらる。内容蓋し前篇五巻の量を豊にし質を補ふ所以の実具はる。蓋し斯道顕揚の実を挙ぐるに資するあらんことを信じ、茲に之を追加することとした」とあります。
     3. 本文の漢字は、正漢字を常用漢字に改めました。また、振り仮名は( )に入れて示しましたが、引用者が必要がないと判断したものは、これを省いてあります。
   4. 引用に当たって、踊り字(繰返し符号)は、「々」及び「ゝ(ヽ)」「ゞ(ヾ)」の他はすべて普通の仮名に改めました。
   5. 「七」の本文中の「 (わざはひ)」の漢字は、“島根県立大学e漢字フォント”を利用させていただきました。(これは、「災」の異体字だと、漢和辞典にあります。)
   6. 「四八」の本文中、「上田の下田の租税は、下国の上田の租税に比すれば、其半にして、下田の租に近し」とある、初めの「上田」を「上国」と改めました。
   7. 岩波文庫版の『二宮翁夜話』を底本にした「巻之一」の本文が、資料74にあります。
   8. 岩波書店刊の日本思想大系52『二宮尊徳・大原幽學』(1973年5月30日第1刷発行所収の『二宮翁夜話』の本文が、次の資料にあります。ただし、「二宮翁夜話 続篇」は収録されていません。
       日本思想大系による『二宮翁夜話』(巻之一)は資料31にあります。
         日本思想大系による『二宮翁夜話』(巻之二)は資料75にあります。
         日本思想大系による『二宮翁夜話』(巻之三)は資料76にあります。
       日本思想大系による『二宮翁夜話』(巻之四)は資料77にあります。
       日本思想大系による『二宮翁夜話』(巻之五)は資料78にあります。
   9.宇都宮大学附属図書館所蔵の「二宮尊徳関係資料一覧」 が、同図書館のホームページで見られます。
   10.小田原市のホームページに、栢山にある「小田原市尊徳記念館」の案内ページがあります。 
     11. 二宮町のホームページに、「二宮尊徳資料館」のページがあります。
   12. 「GAIA」 というホームページに二宮尊徳翁についてのページがあり、尊徳翁を理解する上でたいへん参考になります。ぜひご覧ください。 「GAIA」 の「日記」のページの中に、『報徳要典』(舟越石治、昭和9年1月1日発行、非売品)を底本にした「二宮翁夜話」が収めてあり、そこで本文と口語訳とを読むことができます。また、『報徳記』を原文と口語訳で読むこともできます。






(私論.私見)