81、分度の諭し
(小田原藩士)矢野定直来りて、「僕今日存じ寄らず、結構の仰せを蒙(こうむ)り有難し」と云えり。翁曰く、卿今の一言を忘れざる事、生涯一日の如くならば、益々貴(とうと)く益々繁栄せん事疑いあらじ。卿が今日の心を以て、分度と定めて土台とし、この土台を蹈み違(たが)えず生涯を終(おは)らば、仁なり忠なり孝なり。その成る処計(はか)るべからず。おおよそ人々事就りて、忽ち過(あやま)つは結構に仰せ付けられたるを、有(あリ)内の事にして、その結構を土台として、踏み行うが故なり。その始の違いこの如し。その末だ千里の違に至る必然なり。人々の身代も又同じ。分限の外に入る物を、分内に入れずして、別に貯(たくわ)え置く時は、臨時物入不慮の入用などに、差し支えると云う事は無き物なり。又売買の道も、分外の利益を分外として、分内に入れざれば、分外の損失は無かるべし。分外の損と云うは、分外の益を分内に入れるればなり。故に我が道は分度を定るを以て大本とするは、これを以てなり。分度一たび定まらば、譲施(じょうせ)の徳功、勤めずして成るべし。卿今日存じ寄らず、結構に仰せ付られ有難しとの一言、生涯忘る事勿れ。これ予が卿の為に懇祈(こんき)する処なり。 |
※補講※
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82、重職に居る者への諭し
翁曰く、某藩某氏老臣たる時、予礼譲謙遜を勧(すすむ)れども用いず、後終に退けらる。今や困乏甚くして、今日を凌(しの)ぐ可からず。それ某氏は某藩、衰廃(すいはい)危難の時に当て功あり。而して今この如く窮せり。これ只登用せられたる時に、分限の内にせざる過ちのみ。それ官威盛んに富有自在の時は礼譲謙遜を尽し、官を退いて後は、遊楽驕奢(きょうしゃ)たるも害なし。然る時は一点の誹(そしり)なく、人その官を妬(ねた)まず。進んで勤苦し、退て遊楽するは、昼勤めて夜休息するが如く、進んでは富有に任せて遊楽驕奢に耽り、退て節倹を勤るは、譬えば昼休息して夜勤苦するが如し。進んで遊楽すれば、人誰かこれを浦山ざらん、誰かこれを妬まざらん。それ雲助の重荷を負うは、酒食を恣(ほしいまま)にせんが為なり。遊楽驕奢をなさんが為に、国の重職に居るは、雲助等が為る所に遠からず。重職に居る者、雲助の為る処に同じくして、能く久安を保たんや。退けられたるは当然にして、不幸にはあらざるべし。 |
※補講※
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83、忠諫阿諛の諭し
翁又曰く、世に忠諫(かん)と云うもの、おおよそ君の好む処に随(したがい)て甘言を進め、忠言に似せて実は阿諛(あゆ)し、己が寵(ちょう)を取らんが為に君を損(そこ)なう者少からず。主たる者深く察して是を明にせずんば有るぺからず。某藩の老臣某氏曾(かっ)て植木を好んで多く持てり。人あり、某氏に語りて曰く、何某(なにがし)の父植木を好んで、多く植え置きしを、その子漁猟のみを好んで、植木を愛せず、既に抜き取て捨てんとす。予是を惜(お)しんで止たりと、只雑話(ぞうわ)の序(ついで)に語れり。某氏是を聞いて曰く、何某の無情甚いかな。それ樹木の如き植え置くも何の害かあらん。然るを抜て捨るとは如何にも惜き事ならずや。彼捨てば我拾はん。汝宜しく計(はから)えと、終に己が庭に移す。これ何某なりし人、老臣たる人に取り入らん為の謀(はかりごと)にして、某氏その謀計に落し入られたる也。而て某氏何某をして、忠ある者と称し、信ある者と称す。凡そこの如くなれば、節儀の人も、思わず知らず不義に陥るなり。興国安民の法に従事する者恐れざるべけんや。 |
※補講※ |
84、賄賂の諭し
翁曰く、太古交際の道、互いに信義を通ずるに、心力を尽し、四体を労して、交を結びしなり。如何となれば金銀貨幣少きが故なり。後世金銀の通用盛んに成りて、交際の上、音信贈答皆金銀を用いるより、通信自在にして便利極まれり。これより賄賂(わいろ)と云う事起り、礼を行うと云い、信を通ずると云い、終に賄賂に陥いり、これが為に曲直明かならず、法度正からず、信義廃(すた)れて、賄賂盛んに行われ、百事賄賂にあらざれば弁ぜざるに至る。予始めて、桜町に至る。彼の地の奸民争うて我に賄賂す。予塵芥(じんかい)だも受ず。これより善悪邪正判然として信義貞実の者初めて顕(あらわ)れたり。尤も恐るべきはこの賄賂なり。卿等誓いて、この物に汚(けが)さるゝ事なかれ。 |
※補講※
尊徳は、この説話で、賄賂の弊害について、説明している。本来は、心を尽くすための交流、交際であるはずが、心を金銭や物に変えて贈るようになって、心づくしの交際を超えて、相手の歓心を買うことだけを目的にした、多額の金銭や高価な品物を送るようになってしまった。その贈り物が、何らかの奉仕に対する感謝の気持ちであり、贈り物としての社会常識の範囲内であれば、問題はないが、歓心を買おうという気持ちであるから、当然に、社会常識を遥かに超えた贈り物となってくるのである。それが、賄賂である。
尊徳全集の日記を見ても、尊徳が指導している村人が、正月、初午などに多少の贈り物を持って陣屋を訪れているが、それは歓心を買う目的ではなく、普段の指導に対する感謝としての進物であるから、受け取っている。それで良いのである。度を越えた、と思える進物には、必ず裏があると見るべきである。企業の関係においても、飲食代金の肩代わりや、高価な海外旅行パックの贈り物などが、購買部門の人に贈られているケースもある。そこには、当然のこととして、その贈り物の価格を超える何らかの利得が贈り主に与えられているか、今後与えられるのであろう。一家が路頭に迷うことになるかもしれないのであるから、家人は、贈られて喜ぶのではなく、良く気をつけなければならないのである。 |
85、中村藩士問答の諭し
伊東発身、斎藤高行、斎藤松蔵、紺野織衛、荒専八等、侍坐す。皆中村藩士なり。翁諭して曰く、草を刈らんと欲する者は、草に相談するに及ばず。己が鎌を能く研(と)ぐべし。髭(ひげ)を剃(そ)らんと欲する者は、髭に相談はいらず、己が剃刀(かみそり)を能く研ぐべし。砥(と)に当りて、刃の付ざる刃物が、仕舞置きて刃の付し例(ためし)なし。古語に教えるに孝を以てするは、天下の人の父たる者を敬する所以(ゆえん)なり。教るに悌を以てするは、天下の人の兄たる者を敬する所以なり、と云えり。教わるに鋸(のこぎり)の目を立てるは、天下の木たる物を伐(き)る所以なり。教るに鎌(かま)の刃を研ぐは、天下の草たる物を刈る所以也。鋸(のこぎり)の目を能く立てれば天下に伐れざる木なく、鎌の刃を能く研げば、天下に刈れざる草なし。故に鋸の目を能く立れば、天下の木は伐れたると一般、鎌の刃を能く研げば、天下の草は刈れたるに同じ。秤(はかり)あれば、天下の物の軽重は知れざる事なく、桝(ます)あれば天下の物の数量は知れざる事なし。故に我が教えの大本、分度を定る事を知らば、天下の荒地は、皆開拓出来たるに同じ。天下の借財は、皆済(かいざい)成りたるに同じ。これ富国の基本なればなり。予、往年貴藩の為に、この基本を確乎と定む。能く守らばその成る処量(はか)るべからず。卿等能く学んで能く勤めよ。 |
※補講※
孝経 広至徳章「教以孝所以敬、天下之為人父者也、教以弟所以敬、天下之為人兄者也」(教えるに孝をもってするは、敬をもって天下の為の人を父とするものなり。教えるに弟をもってするは、敬をもって天下の為の人を兄とするものなり)。 |
尊徳は、この説話で、努力の対象を間違わぬよう諭している。尊徳の仕法事業にあっては、それは分度の決定であった。分度が決定していなければ、基がぐらつくわけであるから、末端でどれだけ頑張ってみても成功には到達しない。烏山藩の仕法が、良いところまで進みながら瓦解してしまったのも、分度が決まらなかったことによった。それを招いたのも、仕法の責任者であった家老の菅谷八郎衛門が、最後の決断をわが身に代えてでもという強い意思で、藩主達に迫らなかったからであった。決断をしなければならない時には、責任者はわが身に代えてでもという意志を持ってトップに相対することが必要である。葉隠れ武士道の「武士道とは、死ぬことと見つけたり」の意味に通ずる。 |
86、富貴天にありの理の諭し
翁又曰く、ここに物あり。売らんと思う時は飾らざるを得ず。譬えば芋大根の如きも、売らんと欲すれば、根を洗い枯葉を去り、田甫にある時とはその様(さま)を異にす。これ是売らんと欲する故なり。卿等この道を学ぶとも、この道を以て、世に用いられ、立身せんと思う事なかれ。世に用いられん事を願い、立身出世を願う時は、本意に違(たが)い本体を失うに至り。それが為に愆(あやま)つ者既に数名あり。卿等が知る所なり。只能くこの道を学び得て、自ら能く勤めれば、富貴は天より来るなり。決して他に求る事勿れ、偖(さて)古語に富貴天にありと云えるを、誤解して、寝て居ても富貴が天より来る物と思う者あり。大なる心得違いなり。富貴天に有りとは、己が所行天理に叶う時は、求ずして富貴の来るを云うなり。誤解する事勿れ。天理に叶うとは、一刻も間断なく、天道の循環するが如く、日月の運動するが如く勤めて息(やま)ざるを云うなり。 |
※補講※
※ 「死生有命 富貴在天」(しせいめいあり、ふうきてんにあり)(生死には定めがあり、富貴は天にあるので人の意のままにはならない) 論語 顔淵
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87、天地の経文聞き分けの諭し
翁曰く、それ世の中に道を説たる書物、算(かぞ)ふるに暇(いとま)あらずといえども、一として癖(へき)なくして全(まった)きはあらざる也。如何となれば、釈迦も孔子も皆人なるが故也。経書と云い、経文と云うも、皆人の書たる物なればなり。故に予は不書の経、則ち物言わずして四時行われ百物なる処の、天地の経文に引き当て、違(たが)いなき物を取て、違(たが)えるは取らず。故に予が説く処は決して違わず、それ燈皿(とうがい)に油あらば、火は消えざる物としれ。火消えば油尽きたりと知れ。大海に水あらば、地球も日輪も変動なしと知れ。万一大海の水尽る事あらば、世界はそれまでなり。地球も日輪も散乱すべし。その時までは決して違いなき我が大道なり。それ我が道は、天地を以て経文とすれば、日輪に光明ある内は行われざる事なく、違う事なき大道なり。 |
※補講※
尊徳は、この説話で、人が書いた書物は、必ず何処かで主観が入り、何らかの片寄りが出てくる。そのような主観が混じった書物に頼るよりは、永遠に変わることのない、天然自然の原理、定理に焦点を合わせて、そこから人としての生き方を探るほうが、正しいことを見つけ出しやすいので、皆もそのようにするように、と教えている。 |
88、家船の諭し
翁曰く、家屋の事を、俗に家船(やふね)又は家台船(やたいぶね)と云う、面白き俗言なり。家をば実に船と心得べし。これを船とする時は、主人は船頭なり、一家の者は皆乗合(のりあい)いなり、世の中は大海なり。然る時は、この家船に事あるも、又世の大海に事あるも、皆遁(のが)れざる事にして、船頭は勿論、この船に乗り合たる者は、一心協力この屋船を維持すべし。さてこの屋船を維持するは、楫(かじ)の取り様と、船に穴のあかぬ様にするとの二つが専務なり。この二ツによく気を付れば、家船の維持)疑いなし。然るに楫の取り様にも心を用いず、家船の底に穴があきても、これを塞(ふさが)んともせず、主人は働かずして酒を呑み、妻は遊芸(ゆうげい)を楽しみ、悴(せがれ)は碁将棋に耽(ふけ)り、二男は詩を作り歌を読み、安閑として歳月を送り、終に家船をして沈没するに至らしむ。歎息の至りならずや。たとえ大穴ならずとも、少しにても穴があきたらば、速に乗合一同力を尽して穴を塞ぎ、朝夕ともに穴のあかざる様に、能く々心を用いるべし。これこの乗合の者の肝要の事なり。然るに既に大穴明きてなお、これを塞んともせず、各々己が心の儘(まま)に安閑と暮らし居て、誰か塞いでくれそうな物だと待て居て済むべきや。助け船をのみ頼みにして居て済むべきや。船中の乗合い一同、身命をも抛(なげうっ)て働かずば、あるべからざる時なるをや。 |
※補講※
この話から、類推すると、いま我々が「屋台骨」(やたいぼね)と言っているのは間違いで、「家台船」(やたいぶね)が正しいのではなかろうか。なぜならば、「屋台骨が揺らぐ」と言うより「家台船」が揺らぐの方が意味がまともに通ってくるからである。 |
89、願うものを暫し耐えるの諭し
某村に貧人の若者あり。困窮甚しといえども、心掛け宜し。曰く、我が貧窮は宿世の因なるべし、これ余儀なき事なり、何卒して、田禄(ろく)を復古し、老父母を安ぜんと云うて、昼夜農事を勉強せり。或る人両親の意なりとて、嫁を迎えん事を勧(すす)む。某曰く、予至愚且無能無芸、金を得るの方を知らず、只農業を勉強するのみ。仍て考うるに、只妻(つま)を持つ事を遅くするの外、他に良策無しと決定せりと云いて固辞す。翁これを聞て曰く、善哉(よいかな)その志や。事を為さんと欲する者は勿論、一芸に志す者といえども、是を良策とすべし。如何となれば人の生涯は限りあり、年月は延(のば)す可らず。しからば妻を持つを遅くするの外、益を得るの策はあらざるべし。誠に善き志なり、神君の遺訓にも、己が好む処を避けて、嫌う処を専ら勤むべし、とあり。我が道は尤もこの如き者を賞すべし。等閑(なおざり)に置く可からず。世話掛たる者心得あるべし。それ世の中好む事を先にすれば、嫌う処忽(たちまち)に来る、嫌う処を先にすれば、好む処求めずして来る、盗(ぬすみ)をなせば追手が来り、物を買えば代銀を取りに来る、金を借用すれば返済の期が来り、返さゞれば差紙が来る。これ眼前の事なり。 |
※補講※ |
90、あやまち改めるの諭し
門人某、過(あやまち)て改る事あたわざるの癖あり。且つ多弁にして常に過を飾る。翁諭して曰く、人誰か過ちなからざらん、過ちと知らば、己に反求(はんきゅう)して速(すみやか)に改る、これ道なり。過ちて改めずして、その過ちを飾り且つ押し張るは、知に似たり勇に似たりといえども実は智にあらず勇にあらず。汝は之を知勇と思えども、これはこれ愚か且つ不遜というものにして、君子の悪む処なり。能く改めよ。且つ(若年の時は言行共に能く心を付くべし。嗚呼馬鹿な事を為したり、為なければよかりし、言なければよかりし、と云う様なる事のなき様に心掛くべし。この事なければ富貴その中にあり。戯(たわむれ)にも偽を云う事勿れ。偽言より大害を引き起し、一言の過ちより、大過を引出す事、往々あり。故に古人禍(わざわい)は口より出づと云えり。人を誹(そし)り人を云い落すは不徳なり。たとえ誹りて至当の人物なりとも、人を誹るは宜しからず。人の過を顕(あらわ)すは悪事なり。虚を実に云いなし、鷺(サギ)を烏(カラス)と云い、針程の事を棒程に云うは大悪なり。人を褒(ほむ)るは善なれども、褒(ほめ)過すは直道にあらず。己が善を人に誇り、我が長を人に説くは尤も悪し。人の忌み嫌う事は必ず云う事勿れ。自から禍ちの種子を植えるなり、慎しむべし。 |
※補講※
論語 衛霊公 |
「過而不改、是謂過矣」(あやまちてあらためざる、これをあやまちという) |
論語 学而 |
「巧言令色、鮮矣仁」(こうげんれいしょく、すくなしじん)
((指導者で)ことばが巧みで顔が良い(表情をとりつくろっている)人には、(指導者として保有していなければならない、大切な)仁の心が欠けているものだ。) |
論語 衛霊公 |
「巧言乱徳」(こうげんはとくをみだす)
(指導者が、言葉上手であることは、世の中の善意を乱すことになる) |
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91、無活用物の活用の諭し
翁の歌に「むかしより人の捨てざるなき物を 拾(ひろ)ひ集めて民に与へん」とあるを、山内董正氏見て、これは人の捨てたると云うべしと云えり。翁曰く、然る時は人捨てざれば拾う事あたわず。甚だ狭(し。且つ捨てたるを拾うは僧侶の道にして、我が道にあらず。古歌に「世の人に欲を捨よと勧(すす)めつゝ 跡(あと)より拾う寺の住職」と云えり。呵々。董正氏曰く、捨てざる無き物とは如何。翁曰く、世の中人の捨てざる物にして無き物至って多し。挙げて数う可からず。第一に荒地、第二に借金の雑費と暇潰し、第三に富人の驕奢(きょうしゃ)、第四に貧人の怠惰等なり。それ荒地の如きは、捨てたる物の如くなれども、開かんとする時は、必ず持主ありて容易に手を付くべからず。これ無き物にして捨てたる物にあらず。又借金の利息借替成替の雑費、又同じ類なり。捨るにあらずして、又無き物なり。そのほか富者の驕奢の費(ついえ)、貧者の怠惰の費、皆同じ。世の中この如く、捨るにあらずして廃(すた)れて、無に属するもの幾等(いくら)もあるべし。能く拾い集めて、国家を興す資本とせば、普(あまね)く済(すく)ふて、猶余りあらん。人の捨ざる無き物を拾い集めるは、我れ幼年より勤める処の道にして、今日に至る所以なり。則ち我が仕法金の本根なり。能く心を用いて拾い集めて世を救うべし。 |
※補講※
二宮尊徳は、この説話で、世の中には、捨ててはいないが、あきらめかけて、放ったままにしてある物事が沢山ある。これを「捨てざるなきもの」と呼ぶ。このようなものに出会ったならば、勿体無いから拾い集めて、社会の役に立つように活用するのが、指導者である、と教えている。世の中には、あきらめかけられたり、忘れられたりして、半分捨てられたような形で据え置かれているものが多数あるはずである。大いに拾い集めて、表に出して欲しいものである。 |
92、 荒蕪(こうぶ)活用の諭し
翁曰く、我道は、荒蕪(こうぶ)を開くを以て勤めとす。而て荒蕪に数種あり。田畑実に荒れたるの荒地あり。又借財嵩(かさ)みて、家禄を利足の為に取られ、禄ありて益なきに至るあり。これ国に取りて生地にして、本人に取りて荒地なり。又薄(はく)地麁(そ)田、年貢高く掛(かか)り丈(だケ)の取実のみにして、作益なき田地あり。これ上の為に生地にして、下の為に荒地なり。又資産あり金力ありて、国家の為をなさず、徒(いたずら)に驕奢(きょうしゃ)に耽り、財産を費(ついや)すあり。国家に取りて尤も大なる荒蕪なり。又智あり才ありて、学問もせず、国家の為も思わず、琴棋書画などを弄して、生涯を送るあり。世の中の為尤も惜しむべき荒蕪なり。又身体強壮にして、業を勤めず、怠惰博奕(ばくえき)に日を送るあり。これ又自他の為に荒蕪なり。この数種の荒蕪の内、心田荒蕪の損、国家の為に大なり。次に田畑山林の荒蕪なり、皆勤て起さずばあるべからず。この数種の荒蕪を起して、悉(ことごと)く国家の為に供するを以て、我が道の勤めとす。「むかしより人の捨ざる無き物を 拾集めて民にあたへん」、これ予が志なり。 |
※補講※ |
93、孝弟の至りの諭し
翁曰く、孝経(こうきょう)に、孝弟の至りは神明に通じ、四海に光り曁(およ)ばざる処なし、又東より西より、南より北より、思て服せざる事なしと。この語俗儒(ぞくじゅ)の説何の事とも解し難し。今解し易く引下して云はゞ、それ孝は、親恩に報うの勤なり。弟は、兄の恩に報うの勤めなり。凡て世の中は、恩の報わずばあるべからざるの道理を能く弁知すれば、百事心の儘(まま)なる者なり。恩に報うとは、借りたる物には利を添えて返して礼を云い、世話に成りた人には能く謝儀(しゃぎ)をし、買い物の代をば速に払い、日雇賃をば日々払い、総て恩を受けたる事を、能く考へて能く報う時は、世界の物は、実に我が物の如く何事も欲する通り、思う通りになる。ここにに到りて、神明に通じ、四海に光り、西より東より、南より北より、思として服せざる事なしとなるなり。然るに、ある歌に「三度たく飯さへこはしやはらかし 思ふまゝにはならぬ世の中」と云えり。甚だ違(たが)えり。これ勤むる事も知らず働く事もせず、人の飯を貰うて食う者などの詠(よ)めるなるべし。それこの世の中は前に云えるが如く、恩に報う事を厚く心得れば、何事も思うまゝなる物なり。然るを思ふ儘にならぬと云うは、代を払わずして品を求め、蒔かずして米を取らんと欲すればなり。この歌初句を「おのがたく」と直して、我が身の事にせば可ならんか。 |
※補講※
※ 「孝弟之至、通於神明、光於四海、亡所不曁、詩云、自東自西、自南自北、亡思不服」(こうていのいたりは、しんめいにつうじ、しかいにみち、およばざるところなし、しにいう、ひがしよりにしより、みなみよりきたより、おもいてふくせざるなしと) 孝経 応感章
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94、下流の諭し
翁曰く、子貢曰く、紂(ちゅう)の不善この如く甚しからず。これを以て君子は下流に居るを悪(にく)む。天下の悪(あく)皆帰すとあり。下流に居るとは、心の下れる者と共に居るを云う。それ紂王も天子の友とすべき者、則ち上流の人をのみ友となし居らば、国を失い悪名を得る事も有るまじきに、婦女子佞悪(ねいあく)者のみを友となしたる故に、国亡びて悪これに帰したり。只紂王のみ然るにあらず。人々皆然り、常に太鼓持や、三味線引などとのみ交り居らば、忽ち滅亡に至るは必定。それも御尤これも御尤と、錆付(さびつく)者のみと交わらば、正宗の名刀といえども腐(くさ)れて用立ざるに至らん。子貢はさすが聖門(せいもん)の高弟なり。紂の不善この如く甚しからずと云い、これを以て君子は下流に居る事を悪むと教えたり。必ず紂が不善も、後世伝えるが如く甚しきにはあらざるなるべし。汝等(なんじら)自ら戒めて下流に居る事なかれ。 |
※補講※
※ 「子貢日、紂之不善也、不如是之甚也、是以君子悪居下流、天下之悪皆帰焉」(しこういわく、ちゅうのふぜんや、かくのごとくこれはなはだしからざるなり。これをもってくんしはかりゅうにいることをにくむ。てんかのあく、みなこれにきす。) 論語 子張
※ 紂王 殷王朝最後の王であり、酒色を好む暴君として悪名高く、そのために殷王朝が滅んだといわれる。
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95、仁政の諭し
翁曰く、堯(ぎょう)仁を以て天下を治む。民歌いて曰く、井を掘て以て飲み、田を耕して以て喰う。帝の力何ぞ我に有らんやと。これ堯の堯たる所以にして、仁政天下に及んで跡(あと)なきが故なり。子産の如きに至ては、孔子、恵人と云えり。 |
※補講※ |
96、孔子の知らずの理の諭し
翁曰く、論語に、孔子に問う時、孔子知らずと答える事しばしばあり。これは知らざるにあらず、教えるべき場合にあらざると、教えるも益なき時となり。今日金持の家に借用を云込(こむ)に、先方にて折悪く金員なしと云うに同じ場合なり。知らずと云うに大なる味わい。能く味いてその意を解すべし。 |
※補講※
※「知らない」と答えている例 公治長八「孟武伯問、子路仁乎、子曰、不知也」。
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97、理外の理の諭し
翁曰く、哀公問う、年饑(うえ)て用足らず是を如何。有若答えて曰く、何ぞ徹せざるやと。これ面白き道理なり。予常に人を諭す、一日十銭取て足らずんば九銭取るべし、九銭取て足らずんば八銭取るべしと。それ人の身代は多く取れば益々不足を生じ、少く取りても不足なき物なり。これ理外の理なり。 |
※補講※
※ 「哀公、問於有若曰、年饑用不足、如之何、有若対曰、盍徹乎。・・」(あいこう、ゆうじゃくにといていわく、としうえてようたらず、これをいかん、ゆうじゃくこたえていわく、なんぞてっせざるや)(哀公が有若に凶作で税収が足りないが、どうしたらよいだろうか。と尋ねた。有若は、いっそ徹(一割の税)にしては、と税の引き下げを提案した)論語 顔淵
※ 「理外の理」 一般的な道理では判断できないような状態にあることを「理外」という。その状態での道理のことであるから、一般的な道理では判断できないような不思議な理屈、という意味になる。
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98、聖人の学の諭し
翁曰く、君子は、食飽かん事を求る事なく、居安からん事を求る事なし。仕事は骨を折り、無益の言は云わず。その上に有道に就(つい)て正す。余程(よほど)誉(ほむ)るならんと思いしに、学を好むと云うべきのみとあり。聖人の学は厳なる物なり。今日の上にいわゞ、酒は呑ず仕事は稼ぎ、無益の事は為さず、これ通常の人なりと云えるが如し。 |
※補講※
※ 「君子食無求飽、居無安、敏於事而慎於言、就有道而正焉、可謂好学也己矣」(くんしは、しょくあかんことをもとめることなく、きょやすからんことをもとめることなし、ことにびんにしてげんにつつしみ、ゆうどうにつきてただす、がくをこのむというべきのみ)(君子は、腹いっぱいに食べることは求めず、家に安らぎのあることを求めはしない、仕事には良く努め、言葉は慎み深くして、道を修めた人に就いて自分を正す、まさにその人は、学を好む人だというべきであろう。) 論語 学而
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99、大極無極の理の諭し
翁曰く、儒に大極無極の論あれど、思慮の及ぶを大極と云い、思慮の及ばざるを無極と云えるのみ。思慮及ずとて無と云うべからず。遠海波なし遠山木なしと云えど無きにあらず。我が眼力の及ばざるなり。これに同じ。 |
※補講※ |
100、思慮の理の諭し
翁曰く、大学に、安じて而て后(のち)能く慮(おもんばか)り、慮りて而て后能く得(う)とあり。真(まこと)に然るべし。世人は大体苦し紛(まぎ)れに、種々の事を思ひ謀(はか)る故に皆成らざるなり。安じて而て后に能く慮りて事を為さば、過(あやまち)なかるべし。而て后に能く得ると云える、真に妙なり。 |
※補講※
※ 「安而后能慮、慮而后能得」(やすんじてしこうしてのちによくおもんばかり、おもんばかりてしこうしてのち、よくうる)(心を平穏にした後であれば、じっくりと思いをめぐらせ(考え)ることができ、よく考えた後にこそ良い案が生み出せる) 大學 |