61、公明正大の生き方の諭し
下館藩に高木権兵衛と云う人あり。報徳信友講、結社成り、発会投票(いれふだ)の時、その札に、予は不仕合にて借金も家中第一なり、慥(たしかカ)成る事も又第一なり、然りといえども、自分にて自分へは入札為し難し、是に依りて鈴木郡助と書き付けて入れられし事ありき。年を経(ヘ)て、高木氏は家老職となり、鈴木氏は代官役となれり。翁曰く、今日にして、往年入札の事思い当れり。自から藩中第一慥(たしか)成る者と書たるに恥ず、又是に依て鈴木某と書たるにも恥ず、真に意我(いが)なし、無比の人物と云うべし。 |
※補講※
宮尊徳は、この説話で、私欲を離れた公明正大の生き方を賛辞して諭している。
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62、書物、評論の理の諭し
翁曰く、大道は譬えば水の如し。善く世の中を潤沢(じゅんたく)して滞(とどこお)らざる物なり。然る尊き大道も、書に筆して書物と為す時は、世の中を潤沢する事なく、世の中の用に立つ事なし。譬えば水の氷りたるが如し。元水には相違なしといえども、少しも潤沢せず、水の用はなさぬなり。而て書物の注釈と云う物は又氷に氷柱(つらら)の下りたるが如く、氷の解(と)けて又氷柱と成しに同じ。世の中を潤沢せず、水の用を為さぬは、やはり同様なり。さてこの氷となりたる経書を、世上の用に立たさんには胸中の温気を以て、能く解(とか)して、元の水として用いざれば世の潤沢にはならず。実に無益の物なり、氷を解すべき温気胸中になくして、氷の儘(まま)にて用いて水の用をなすと思うは愚の至なり。世の中神儒仏の学者有りて世の中の用に立たぬは是が為なり。能く思うべし。故に我が教えは実行を尊む。それ経文と云い経書と云う。その経と云うは元機(はた)の竪(たて)糸の事なり。されば、竪糸ばかりにては用をなさず、横に日々実行を織り込みて初めて用をなす物なり。横に実行を織らず、只竪糸のみにては益なき事、弁を待たずして明らか也。 |
※補講※ |
63、神道の理の諭し
翁曰く、それ神道は、開闢(かいびゃく)の大道皇国本源の道なり。豊芦原を、この如き瑞穂(みずほ)の国安国と治(おさ)めたまいし大道なり。この開国の道、則ち真の神道なり。我が神道盛んに行れてより後にこそ、儒道も仏道も入り来れるなれ。我が神道開闢(かいびゃく)の道未(いま)だ盛んならざるの前に、儒仏の道の入り来るべき道理あるべからず。我が神道、則ち開闢の大道先ず行われ、十分に事足るに随(したが)いてより後、世上に六かしき事も出来るなり。その時にこそ、儒も入用、仏も入用なれ。これ誠に疑いなき道理なり。譬えば未だ嫁のなき時に夫婦喧嘩あるべからず。未だ子幼少なるに親子喧嘩あるべからず。嫁有りて後に夫婦喧嘩あり、子生長して後に親子喧嘩あるなり。この時に至てこそ、五倫五常も悟道治心も入用となるなれ。然るを世人この道理に暗く、治国治心の道を以て、本元の道とす。これ大なる誤りなり。それ本元の道は開闢の道なる事明なり。予この迷いを醒(さま)さん為に「古道につもる木の葉をかきわけて 天照す神の足跡を見ん」とよめり。能く味うべし。大御神の足跡のある処、真の神道なり。世に神道と云うものは、神主の道にして、神の道にはあらず。甚(はなはだ)しきに至ては、巫祝(ふしく)の輩(ともがら)が、神札を配りて米銭を乞う者をも神道者と云うに至れり。神道と云う物、豈(あに)この如く卑(いやし)き物ならんや。能く思うべし。 |
※補講※ |
64、九鬼氏所蔵の神道書の諭し
綾部の城主九鬼侯、御所蔵の神道の書物十巻、これを見よとて翁に送らる。翁暇なきを以て、封を解き玉はざる事二年、翁一日少しく病あり。予をしてこの書を開き、病床にて読ましめらる。翁曰く、この書の如きは皆神に仕える者の道にして、神の道にはあらざるなり。この書の類(たぐい)万巻あるも国家の用をなさず。それ神道と云う物、国家の為、今日上、用なき物ならんや。中庸にも、道は須臾(しばらく)も離るべからず、離るべきは道にあらず、と云えり。世上道を説ける書籍、おおよそこの類なり。この類の書あるも益なく、無きも損なきなり。予が歌に「古道に積る木の葉をかき掻(か)き分けて 天照す神のあし跡を見む」とよめり。古道とは皇国固有の大道を云う。積もる木の葉とは儒仏を始め諸子百家の書籍の多きを云う。それ皇国固有の大道は、今現に存すれども、儒仏諸子百家の書籍の木の葉の為に蓋(おおわ)れて見えぬなれば、これを見んとするには、この木の葉の如き書籍をかき分けて大御神の御足の跡はいづこにあるぞと、尋(たず)ねざれば、真の神道を見る事は出来ざるなり。汝等落ち積もりたる木の葉に目を付けるは、大なる間違いなり。落積りたる木の葉を掻(か)き分け捨て、大道を得る事を勤よ。然らざれば、真の大道は決して得る事はならぬなり。 |
※補講※ |
65、無利足金貸附の法の諭し
翁曰く、仏書に、光明遍照(十方世界、念仏衆生(しゅじょう)摂取不捨(ふしゃと云えり。光明とは大陽の光を云い、十方とは東西南北乾(いぬい)坤(ひつじさる)巽(たつみ)艮(うしとら)の八方に、天地を加えて十方と云う也。念仏衆生とは、この大陽の徳を念じ慕(した)う、一切の生物を云う。それ天地間に生育する物、有情(うじょう)蠢動(しゅんどう)の物は勿論、無情の草木と雖(いえども)、皆大陽の徳を慕いて生々を念とす。この念ある物を仏国故に念仏衆生と云う也。神国にては念神衆生と読むべし。故にこの念ある者は洩らさず、生育を遂げさせて捨て玉わずと云う事にて、大陽の大徳を述し物也。則ち我が天照大神の事也。この如く大陽の徳は、広大なりといえども、芽を出さんとする念慮、育たんとする気力なき物は仕方なし。芽を出さんとする念慮、育たんとする生気ある物なれば、皆是を芽だたせ、育たせ給う。これ大陽の大徳なり。
それ我が無利足金貸附の法は、この大陽の徳に象(かたど)りて立たるなり。故に如何なる大借といえども、人情を失わず利足を滞(とどこお)りなく済まし居る者、又是非とも皆済まして他に損失を掛け)じ、と云う念慮ある者は、譬えば、芽を出したい、育ちたいと云う生気ある草木に同じければ、この無利子金を貸して引き立てるべし。無利子の金といえども、人情なく利子も済まさず、元金をも蹈み倒さんとする者は、既に生気なき草木に同じ、いわゆる縁無き衆生なり。之を如何ともすべからず、捨て置くの外に道なきなり。 |
※補講※ |
66、色則是空空則是色の諭し
或る人問いて曰く、仏経に色則是空々則是色といえるは、如何(いか)なる意ぞ。翁曰く、譬えば二一天作の五、二五十と云うに同じ。只その云い様の妙なるのみなり。深意あるが如く聞ゆれども、別に深意あるにあらざるなり。それ天地間の万物、眼に見ゆる物を色といい、眼に見えざる物を空と云えるなり。空といえば何も無きが如く思えども、既に気あり。気あるが故に直(ただち)に色を顕(あらわ)す也。譬えば氷と水との如し。氷は寒気に依て結び暖気に因て解く、水は寒に因て死して氷となり、氷は暖気に因て死して元の水に帰す。生ずれば滅し、滅すれば生ず。然れば、有常も有常にあらず無常も無常にあらず。この道理を色則是空空則是色と説けるなり。 |
※補講※ |
67、諸悪莫作(まくさ)、衆善奉行の諭し
翁、僧弁算(べんさん)に問うて曰く、仏一代の説法無量なり、然りといえども、区々の意あるべからず。若し一切経蔵に題せん時は如何。弁算対して曰く、経に、諸悪莫作(まくさ)、衆善奉行と云えり。この二句以て、万巻の一切経を覆(おお)うべし。翁曰く、然り。 |
※補講※
※「諸悪莫作、衆善奉行」(しょあくまくさ、しゅぜんぶぎょう)各種の経文に見える言葉として有名。色々な悪いことは行わず、多くの良いことを実行すべしという意味。 |
68、仏教の極楽世界の諭しの諭し
翁曰く、仏教に極楽世界の事を説きて、赤色には赤光有り、青色には青光ありと云えり。極楽といえども珍(めず)らしき事あるにあらず。人皆銘々己が家株田畑は、己に作徳あり。己が商売職業は、己に利益あり。己が家屋敷は、己が安宅となり、己が家財は、己が身の用便になり。己が親兄弟は、己が身に親しく、己が妻子は、己が身に楽しく、又田畑は美(うるわ)しく米麦百穀を産出し、山林は繁茂して良材を出す。これを赤色には赤光あり、青色には青光ありというなり。この如くなれば、この土則ち極楽なり。
この極楽を得るの道、各受得たる天禄の分内を守るにあり。若し一度天禄の分度を失わゞ、己が家株田畑己が作徳にならず、己が商売己が職業己が利益にならず。己が安住すべき家屋敷己が安宅にならず、己が家財己が身の用便にならず、己が妻子親族も己に楽しからず、又田畑は荒れて米麦を生ぜず、山林は藤蔦(ふじつた)にまとはれ野火に焼けて材木を出さず。これを赤色には赤光なし、青色には青光なしと云う。苦患これより大なるはなし。則ちいわゆる地獄なり。餓鬼界に落るものは、飢えて喰(くら)はんとすれば食忽(たちまち)に火となり、渇して飲まんとすれば水直(ただち)に火となると云えり。これ則ち人々天より賜わり、父祖より請け伝えたる天禄を利足に取られ賄賂(わいろ)に費(ついや)し、己が衣食の足らざるは、何ぞこれに異ならん。これ苦患の極にあらずや。それ我が仕法は経を読まず念仏も題目も唱えずして、この苦罪を消滅せしめて極楽を得させ、青色をして青色あらしめ、赤色をして赤色あらしむるの大道なり。 |
※補講※
※「極楽国土有七宝池八功徳水充満其中 …… 池中蓮華大如車輪青色青光黄色黄光赤色赤光白色白光」阿弥陀経 極楽には八功徳水が満ちた七宝池がある。池の中には車輪のような大きな蓮の花が咲いている。その花には、青色には青い光が、黄色い花には黄色い光が、赤い花には赤い光が、白い花には白い光が注いでいる。 |
69、一草万理の諭し
翁曰く、世界万般皆同く一理なり。予一草を以て万理を究(きわ)む。儒書に、その書き始めは一理を言い、中は散じて万事となり、末た復合して一理となる。これを放てば則ち六合に弥(わた)り、これを巻けば退(しりぞ)いて密(みつ)に蔵(かく)る。その味わい窮(きわま)りなし、とあり。今戯(たわむれ)に、一草を以て之を読まん。曰く、この草始は一種なり、蒔けば発して根葉となり、実法(みの)れば合して一種となる。之を蒔き植えれば六合に弥(わた)り、之を蔵(おさむ)れば密に蔵(かく)る。之を食すればその味わい窮(きわま)りなし。又仏語に、本来東西無し、何れの処に南北ある。迷うが故に三界城(がいじょう)、悟るが故に十方空、とあり。又一草を以て之を読まん。曰く、本来根葉なし、何れの処に根葉ある、植えるが故に根葉の草、実法るが故に根葉空し、呵々。 |
※補講※ |
70、悟道と人道の諭し
或る人道を論じて条理無し。翁曰く、卿(きみ)が説は悟道と人道と混ず。悟道を以て論ずるか、人道を以て論ずるか、悟道は人道に混ずべからず。如何(いかん)となれば、人道の是とする処は、悟道にいわゆる三界城なり。悟道を主張すれば、人道蔑(べつ)如たり。その相隔(へだつ)るや、天地と雲泥とのごとし。故に先ずその居所(いどころ)を定めて、然して後に論ずべし。居所定らざれば、目のなき秤(はかり)を以て軽重を量(はか)るがごとく、終日弁論するといえども、その当否を知るべからず。それ悟道とは、譬えば当年は違作ならんと、未だ耕(たがや)さゞるの前に観ずるが如きを云う。是を人道に用いて違作なるべき間、耕作を休まんと云うは、人道にあらず。田畑は開拓するとも又荒(あ)るゝは自然の道なりと見るは、悟道なり。而て荒るればとて開拓せざるは、人道にあらず。川附の田地洪水あれば流失すると云う事を平日に見るは、悟道なり。然して耕(たがや)さず肥しせざるは、人道にあらず。それ悟道は只自然の行処を見るのみにして、人道は行当る所まで行くべし。古語に、父母に事る機(ようや)く諌(いさ)む、志の随はざるをみて、敬して違わず、労して恨みず、とあり。これ人道の至極を尽せり。発句にも「いざゝらば雪見にころぶ所まで」と云えり。これ又その心なり。故に予常に曰く、親の看病をして、最早(もはや)覚束(おぼつか)なしなどゝ見るものは、親子の至情を尽すことあたはじ、魂(たましい)去り体(たい)冷(ひ)えて後も、未だ全快あらんかと思う者にあらざれば、尽すと云うべからず。故に悟道と人道とは混合すべからず、悟道は只、自然の行く処を観(じて、然して勤むる処は、人道にあるなり。それ人倫の道とする処は、仏にいわゆる三界城裏(じょうり)の事なり。十方空を唱(となう)る時は、人道は滅すべし。知識を尊み娼妓(しょうぎ)を賎(いや)しむは迷いなり。左はいえども、かくの如く迷わざれば人倫行われず、迷うが故に人倫は立つなり。故に悟道は人倫に益なし。然りといえども、悟道にあらざれば、執着を脱する事能(あた)わず、これ悟道の妙なり。
人倫は譬えば繩を索(な)うが如し。よりのかゝるを以てよしとす。悟道は縷(より)を戻すが如し。故によりを戻すを以て善とす。人倫は家を造るなり。故に丸木を削(けず)りて角とし、曲れるを揉(ため)て直とし、長を伐りて短とし、短を継ぎて長くし、穴を穿(うが)ち溝を掘り、然して家作を為す。これ則ち迷い故三界城内の仕事也。然るを本来なき家なりと破るは悟道なり、破て捨る故に十方空に帰するなり。然りといえども、迷と云悟と云うは、未だ徹底せざる物なり。その本源を極むれば迷い悟りともになし、迷といえば悟と言わざる事を得ず、悟といえば迷と言わざる事を得ず。本来迷悟にて一円なり。譬えば草木の如き、一種よりして、或は根を生じて土中の潤沢をすい、或いは枝葉を発して大虚の空気を吸い、花を開き実を結ぶ。これを種より見ば迷と云うべし。然りといえども、忽(たちまち)秋風に逢えば枯れ果てて本来の種に帰す。種に帰するといえども、又春陽に逢えば忽(たちまち)枝葉花実を発生す。然らば則ち、種となりたるが迷か草となりたるが迷か、草に成りたるが本体か種になりたるが本体か。これに因りて是を観(み)るに、生ずるも生ずるにあらず枯るゝも枯るるに非ず。されば、無常も無常にあらず有常も有常にあらず。皆旋転(せんてん)不止の世界に住する物なればなり。予が歌に「咲けばちりちれば又さく年毎に詠(なが)め尽せぬ花のいろいろ」、一笑すべし。 |
※補講※
※ 「事父母幾諌、見志不従、又敬不違、労而不怨」(ふぼにつかうるにはようやくにいさめ、こころざしのしたがわざるをみては、またけいしてたがわず、ろうしてうらみず)(父母の傍に居て、その悪いところが見えた時には、父母を穏やかに諌め、それでも駄目な時にも、更に慎み深くして、逆らわずに心配はするけれども怨みには思わないことだ)論語・里仁
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71、俗儒問答の諭し
俗儒あり、翁の愛護を受けて儒学を子弟に教える。一日近村に行きて大飲し酔うて路傍に臥し醜体を極めたり。弟子某氏の子、これを見て、翌日より教えを受けず。儒生憤りて、翁に謂て曰く、予が所行の不善云までにあらずといえども、予が教うる処は聖人の書なり。予が行の不善を見て併(あわ)せて聖人の道を捨るの理あらんや。君説諭して、再び学に就(つ)かしめよ、と乞う。翁曰く、君憤る事なかれ。我譬えを以て是を解(せん、ここに米あり。飯(めし)に炊(かしい)で糞桶(くそおけ)に入れんに、君これを食わんか。それ元清浄なる米飯に疑いなし。只糞桶に入れしのみなり。然るに、人これを食する者なし。これを食するは只犬のみ。君が学文又これにおなじ。元赫(かく)々たる聖人の学なれども、卿が糞桶の口より講説する故に、子弟等聴かざる也。その聴かざるを不理と云うべけんや。それ卿は中国の産と聞けり。誰に頼まれてこの地に来りしぞ、又何の用事ありて来りしや。それ家を出ずして、教を国になすは聖人の道なり。今この処に来りて、予が食客となる。これ何故ぞ、口腹を養うのみならば、農商をなしてたるべし。卿何故に学問をせしや。儒生曰く、我過(あやま)てり。我れ只人に勝む事のみを欲して読書せるなり。我過てりと云いて謝して去れり。 |
※補講※
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72 論語曾点(そうてん)の章の諭し
或る人、論語曾点(そうてん)の章を問う。翁曰く、この章は左程に六ヶ敷(しき)訳にはあるまじ。三子の志余り理屈に過ぎたれば、我は点に組せんと、一転したるのみなるべし。三子同く皆、舞雩(ぶう)に風して詠じて帰らん、と云わゞ、孔子又一転して、用を節にして人を愛し、民を使うに時を以てす、とか、言忠信行篤敬などゝ云うなるべし。別に深意あるにはあらず。則ち前言は是に戯(たわぶ)るゝのみの類なるべし。 |
※補講※
ここに取り上げられた論語の一節は、先進第十一 二十五である。
論語・先進 「浴乎沂、風乎舞、詠而帰」(きによくし、ぶうにふうして、えいじてかえらん)(沂河でゆあみをし、雨乞いの舞台あたりで風に吹かれ、歌を歌いながら帰る) |
論語・学而 「節用而愛人、使民以時」(ようをせっしてひとをあいし、たみをつかうにときをもってす)(費用を節約して国民を大事にし、国民を用いるにも、農繁期を避ける。) |
論語・衛霊公 「言忠信、行篤敬、・・」(げんちゅうしん、おこないとくけいなれば、・・)(言葉に真心があり、行いが思いやりに溢れていれば、云々) |
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73、仏氏の工夫の諭し
翁、売卜(ばいぼく)者の看板に日月を画きたるを見て、曰く、彼が看板に日月を画(か)きたると、仏寺にて金箔(ぱく)の仏像を安置すると、同じ思い付きにて、仏は巧みを極め、売卜者は、拙(せつ)を極めたり。それ日は丸く赤く、三日月は細く白し。それをその儘(まま)に画きたるは正直なりといえども愚の至り拙の至りなり。故に尊けなし。然るに仏氏は是を人体に写し、尤も人の尊む処の黄金の光をかりて、その尊きをす。仏氏の工夫の巧妙なる、売卜者の輩(ともがら)の遠く及(ばざる処也。 |
※補講※
二宮尊徳は、この説話で、同じものを描いても、頭を使い工夫して描いたほうが、ずっと有難味が出てくる。どうせ描くなら、そのあたりに気配りをした方が良い、と説明している。
対象とする人からの信頼を得るのを促進するために用いるのであれば、それは、まず目立つことが条件となるが、次の段階では、多少誇張されていても良いから、福々しさと上品さを同時に備えているような形と色彩を確保することである。稚拙さと品の無い安っぽさが目立ってしまっては、とても信頼を得るということは難しい。企業の製品造りにおいても同じである。戦争に用いる戦車でさえも、機能一点張りではなく、平時に一般人が見たときに、強そう、とか、機能が充実していそう、と感じさせることも、装備資金の捻出のためには大事な要素であるそうである。
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74、難解(なんげ)の理の諭し
予、暇を乞うて帰国せんとす。翁曰く、二三男に生るゝ者、他家の相続人となるは、則ち天命なり。その身の天命にて、養家に行き、その養家の身代を多少増殖したく願うは、これ人情にして、誰にも見ゆる常の道理なり。この外に又一ツ見え難き道理あり。他家を相続すべき道理にて、他家へゆく、往く時は、その家に勤むべき業あり、これを勤るは天命通常の事なり。而てその上に、又一段骨を折り、一層心を尽し、養父母を安ずる様、祖父母の気に違わぬ様にと心を用い力を尽す時は、養家に於て気が安まるとか、能く行届くとか、祖父母父母の心に安心の場が出来て養父母の歓心を得る、これ養子たる者の積徳の初めなり。それ親を養うは子たる者の常、頑夫(がんぶ)といえども、野人といえども養はざる者なし。その養う内に、少しも能く父母の安心する様に、気に入る様にと心力を尽す時は、父母安心して百事を任ずるに至る。これその身の、この上もなき徳なり。養子たる者の積徳の報と云うべし。この理凡人には見え難し。これを農業の上に譬えれば、米麦雑穀何にても、肥(こやし)は二度為し、草は三度取るとか、凡そ定りはあれども、その外に一度も多く肥しを持ち、草を去り、一途に作物の栄えのみを願い、作物の為に尽す時は、その培養の為に作物思う儘(まま)に栄えるなり。而して秋熟するに至れば、願はずして、取実俵数多く自ら家を潤(うるお)す事、しらずしらず疑いなきが如し。この理は人々家産を増殖したく思うと同じ道理なれども、心ある者にあらざれば解し難し。これいわゆる難解(なんげ)の理なり。 |
※補講※
※ 江戸時代は、武家と農家は、勝手に世帯を増加させることはできなかった。また、家・世帯を持続させられないのは、世帯主の力量がないからであり、人として恥ずかしいという考えがあり、そのことから、家を存続させようとする意思が強く働き、養子を取ってでも相続させようとした。それには、生家では後継ぎとなれない次三男が当てられることが多かった。 しかも、もし、養子に行かなければ、次三男は、生まれた家で、結婚も出来ずに飼い殺しにされてしまうことから、積極的に養子に出ようとしたのであった。
尊徳は、この説話で、養子に入ったときは、その家の身代を少しでも増加させようという気持ちを持つと同時に、実子の跡取よりも、養父母に対して孝養を尽くさなければならない。そうすることで、養父母の心も開かれて、一層の親子関係の充実が吐かれて、結果的によい相続人となれる、と説明している。最近では、家という概念が薄くなってきたことから、養子、婿入りということがそれほど多くは無くなったが、その代わりに、「ますおさん」(漫画サザエさんからそのネーミングが生まれた同居形態。女性の両親と同じ屋敷に同居すること)が多くなっているが、この場合でも、同じような気持ちで同居生活を送れば、問題は少なくなる。 |
75、一心決定の諭し
翁又曰く、茶師利休が歌に「寒熱の地獄に通ふ茶柄杓(びしゃく)も 心なければ苦しみもなし」と云えり。この歌未だ尽さず。如何となれば、その心無心を尊ぶといえども、人は無心なるのみにては国家の用をなさず。それ心とは我心(がしん)の事なり。只我(が)を去りしのみにては、未だ足らず。我を去てその上に一心を決定し、毫末も心を動かさゞるに到らざれば尊むにたらず。故に我(わレ)常に云う。この歌未だ尽さずと。今試みに詠み直さば「茶柄杓の様に心を定めなば湯水の中も苦みはなし」とせば可ならんか。それ人は一心を決定し動かさゞるを尊むなり。それ富貴安逸を好み貧賤勤労を厭(いと)うは凡情の常なり。婿嫁たる者、養家に居るは、夏火宅に居るが如く、冬寒野に出るが如く、又実家に来る時は、夏氷室(ひむろ)に入るが如く、冬火宅に寄るが如き思いなる物なり。この時その身に天命ある事を弁(わきま)え、天命の安んずべき理を悟り、養家は我家なりと決定して、心を動かさざる事、不動尊の像の如く、猛火背を焼くといえども動じと決定し、養家の為に心力を尽す時は、実家へ来らんと欲するともその暇あらざるべし。かくの如く励む時は、心力勤労も苦にはならぬ物なり。これ只我を去ると、一心の覚悟決定(けつじょう)の徹底にあり。それ農夫の、暑寒に田畑を耕やし、風雨に山野を奔走する、車力の車を押し、米搗(つ)きの米を搗くが如き、他の慈眼を以て見る時は、その勤苦云べからず。気の毒の至なりといえども、その身に於ては、兼て決定して、労動に安ずるなれば、苦には思はぬなり。武士の戦場に出で野にふし山にふし、君の馬前に命を捨てるも、一心決定すればこそ出来るなれ。されば人は天命を弁え天命に安んじ、我を去て一心決定して、動かざるを尊しとす。 |
※補講※ |
76、恭(うやうやし)くして正しくの諭し
翁又曰く、論語に大舜(しゅん)の政治を論じて、己を恭(うやうやし)くして正しく南面するのみ、とあり。汝、国に帰り温泉宿(ゆやど)を渡世とせば、又己を恭して正しく温泉宿をするのみと読んで、生涯忘るゝ事なかれ。この如くせば利益多からん。かようになさば利徳あらんなどゝ、世の流弊(りゅうへい)に流れて、本業の本理を誤るべからず。己を恭くするとは、己が身の品行を敬(つつし)んで堕(おと)さゞるを云う。その上に又業務の本理を誤らず、正しく温泉宿をするのみ。正しく旅籠屋(はたごや)をするのみと、決定して肝に銘ぜよ。この道理は人々皆同じ。農家は己を恭くして、正しく農業をするのみ、商家は己を恭くして、正しく商法をするのみ。工人は己を恭くして、正しく工事をするのみ。この如くなれば必ず過ちなし。それ南面するのみとは、国政一途に心を傾けて、外事を思はず、外事を為さゞるを云うなり。只南を向きて坐して居る、と云う事にあらず。この理深遠なり。能く々思考して、能く心得よ。身を修るも、家を斉(ととのふ)るも、国を治るも、この一つにあり、忘るゝ事勿れ、怠る事なかれ。 |
※補講※
※ 「恭己正南面而巳矣」(おのれをうやうやしくして、ただしくなんめんするのみ)(正しく南を向いているだけである) 論語・衛霊公 |
77、中を執(と)れの諭し
山内董正氏の所蔵に、左図の幅あり。翁曰く、この図この説面白しといえども、満の字の説、分明ならず。且つ満を持するの説、又尽さず。論語中庸の語気とは少しく懸隔(けんかく)を覚う、何の書に有りや。門人曰く、願わくは満の字の説、又満を持するの法聞く事を得べしや。翁曰く、それ世の中、何を押えてか満と云はん。百石を満といえば、五百石八百石あり、千石を満といへば五千石七千石あり、万石を満といへば五十万石百万石あり。然れば如何なるを押へて満と定めん。これ世人の惑う処なり。おおよそ書籍に云へる処、皆この如く云う可くして、実際には行ひ難き事のみ。故に予は人に教ふるに、百石の者は五十石、千石の者は五百石、惣てその半にて生活を立て、その半を譲るべしと教える。分限に依てその中とする処、各々異なればなり。これ、允(まこと)にその中を執(と)れ、と云へるに基づけるなり。この如くなれば、各々明白にして迷いなく疑いなし。この如くに教えざれば用を成さぬなり。我が教是を推譲(すいじょう)の道と云う。則ち人道の極なり。ここに中なれば正しと云るに叶へり。而てこの推譲に次第あり、今年の物を来年に譲るも譲なり。則ち貯蓄を云う。子孫に譲るも譲るなり。則ち家産増殖を云う。その他親戚にも朋友にも譲らずばあるべからず、村里にも譲らずばあるべからず、国家にも譲らずばあるべからず。資産ある者は確乎と分度を定め法を立て能く譲るべし。
山内氏蔵幅之縮図
孔子観於魯桓公之廟有欹器焉夫子
問於守廟者曰此謂何器対曰此蓋為
宥坐之器孔子曰吾聞宥坐之器虚則
欹中則正満則覆明君以為至誠故常
置之於坐側顧謂弟子曰試注水焉乃
注之水中則正満則覆夫子喟然歎曰
嗚呼夫物悪有満而不覆者哉子路進
曰敢問持満有道乎子曰聡明睿智守
之以愚功被天下守之以譲勇力振世
守之以怯富有四海守之以謙此所謂
損之又損之之道也
編者曰く、この語荀子ノ宥坐篇ニ見ヘタレド少ク異ナリ姑ク蔵幅ニ遵フ |
※補講※
論語・尭日「允執其中」(まことにそのちゅうをとれ) |
※ 絵の概要:孔子他の人々が居り、その中央に三つの器が下げられている什器が置いてある。器は、上からぶら下がっているのではなく、器の胴の向い合う二方の外側の中ほどより少し下に取りつけられた二本の紐で、両側に立てられた桟に結び付けられて、空中に浮いている。三つの内の一つの器は、口が下を向いていて、中に入っている水が勢い良く下に吐き出されている。添付の言葉によれば、この器は、水が少し入った段階から、中間くらいまで入った段階では重心の位置が、低いので全く安定しているが、一杯に満たされる直前では、重心が紐の取りつけ位置よりも上に移動することから、自動的に口が下を向いてしまって、器の中の水は総て流出する。そして、器の重心は底に移動するので、器は再び正しい姿で安定する。 |
78、謾(みだり)に驕倹を論ずる事勿れの諭し
翁又曰く、世人口には、貧富驕倹(きょうけん)を唱えるといえども、何を貧と云い何を富と云い、何を驕と云い何を倹と云う、理を詳(つまびらか)にせず。天下固(もと)より大も限りなし小も限なし。十石を貧と云えば、無禄(ろく)の者あり。十石を富といえば百石のものあり、百石を貧といえば五十石の者あり、百石を富といえば千石万石あり、千石を大と思えば世人小旗本という。万石を大と思えば世人小大名という。然らば、何を認(みとめ)て貧富大小を論ぜん。譬えば売買の如し、物と価(あたい)とを較べてこそ、下直高直を論ずべけれ。物のみにして高下を言べからず、価のみにて又高下を論ずべからざるが如し。これ世人の惑う処なれば、今これを詳に云うべし。曰く、千石の村戸数一百、一戸十石に当る。これ自然の数也。これを貧にあらず富にあらず、大にあらず小にあらず、不偏不倚(い)の中と云うべし。この、この中に足らざるを貧と云い、この中を越(こ)ゆるを富と云う。この十石の家九石にて経営(いとな)むを是を倹という。十一石にて暮すを是を驕奢(きょうしゃ)と云う。故に予常に曰く、中は増減の源、大小兩名の生ずる処なりと。されば貧富は一村一村の石高平均度を以て定め、驕倹は一己一己の分限を以て論ずべし。その分限に依ては、朝夕膏粱(こうりょう)に飽き錦繡(きんしゅう)を纏(まと)うも、玉堂に起臥するも奢(おごり)にあらず。分限に依りては米飯も奢也。茶も烟草(たばこ)も奢也。謾(みだり)に驕倹を論ずる事勿れ。 |
※補講※
※ 程子は、「中庸」の「中」とは、「不偏不倚の中」(ふへんふいのちゅう)(依らず偏らない位置、全くの中間にあたると言う意味の中)であるとする。 |
79、推譲の諭し
或る人問う。推譲の論、未だ了解する事能わず。一石の身代の者五斗にて暮し、五斗を譲り、十石の者五石にて暮し、五石を譲るは、行い難かるべし、如何。翁曰く、それ譲は人道なり。今日の物を明日に譲り、今年の物を来年に譲るの道を勤めざるは、人にして人にあらず。十銭取て十銭遣い、廿銭取て廿銭遣い、宵越しの銭を持たぬと云うは、鳥獣(とりけもの)の道にして、人道にあらず。鳥獣には今日の物を明日に譲り、今年の物を来年に譲るの道なし。人は然らず、今日の物を明日に譲り、今年の物を来年に譲り、その上子孫に譲り、他に譲るの道あり。雇人と成りて給金を取り、その半を遣いその半を向来の為に譲り、或は田畑を買い、家を立て、蔵を立るは、子孫へ譲るなり。これ世間知らず知らず人々行う処、則ち譲道なり。されば、一石の者五斗譲るも出来難き事にはあらざるべし。如何(いかん)となれば我が為の譲なればなり。この譲は教えなくして出来安し。これより上の譲は、教に依らざれば出来難し。これより上の譲りとは何ぞ。親戚朋友の為に譲るなり、郷里の為に譲るなり。なお出来難きは、国家の為に譲るなり。この譲も到底、我が富貴を維持せんが為なれども、眼前他に譲るが故に難きなり。家産ある者は勤めて、家法を定めて、推譲を行うべし。
或る人問う。それ譲は富者の道なり。千石の村戸数百戸あり、一戸十石なり。これ貧にあらず富にあらざるの家なれば、譲らざるもその分なり。十一石となれば富者の分に入るが故に、十石五斗を分度と定め、五斗を譲り、廿石の者は同く五石を譲り、三十石の者は十石を譲る事と定めば如何。翁曰く、可なり。されど譲りの道は人道なり、人と生るゝ者、譲りの道なくば有べからざるは、論を待ずといえども、人に寄り家に寄り、老幼多きあり、病人あるあり、厄介あるあれば、毎戸法を立て、厳に行へと云うといえども、行るゝ者にあらず。只富有者に能く教え、有志者に能く勧(すす)めて行わしむべし。而てこの道を勤むる者は、富貴栄誉之に帰し、この道を勤ざる者は、富貴栄誉皆之を去る。少く行えば少く帰し、大に行えば大に帰す。予が言う処必ず違わじ。世の富有者に能く教え度(た)きはこの譲道なり。独富者のみにあらず、又金穀(こく)のみにあらず、道も譲らずばあるべからず、畔も譲らずばあるべからず、言も譲らずばあるべからず、功も譲らずばあるべからず、二三子能く勤めよ。 |
※補講※ |
80、とどまらざる富貴の戒めの諭し
翁曰く、世人富貴を求めて止る事を知らざるは、凡俗の通病なり。これを以て、永く富貴を持つ事を能わず。それ止る処とは何ぞや。曰く、日本は日本の人の止る処なり、然らばこの国は、この国の人の止る処、その村はその村の人の止る処なり。されば千石の村も、五百石の村も又同じ、海辺の村山谷の村皆然り、千石の村にして家百戸あれば、一戸十石に当る、これ天命、正に止るべき処なり。然るを先祖の余蔭により百石二百石持ち居るは、有難き事ならずや。然るに止る処を知らず、際限なく田畑を買い集めん事を願うは、尤も浅間(あさま)し。譬えば山の頂(いただき)に登りて猶登らんと欲するが如し。己絶頂に在りて、猶下を見ずして、上而已(のみ)を見るは、危し。それ絶頂に在て下を見る時は、皆眼下なり。眼下の者は、憐れむべく恵むべき道理自らあり。然る天命を有する富者にして猶己を利せん事而已を欲せば、下の者如何ぞ貪らざる事を得んや。若し上下互いに利を争そわば、奪わざれば飽かざるに到らんこと必せり。これ禍(わざわい)の起るべき元因なり、恐るべし。且つ海浜に生れて山林を羨(うらや)み、山家に住して漁業を羨む等、尤も愚なり。海には海の利あり、山には山の利あり、天命に安じてその外を願う事勿れ。 |
※補講※
老子 「知足不辱、知止不殆」(たるをしればはずかしめられず、とどまるをしればあやうからず)(満足することを知れば辱めをうけることなく、満足して踏み止まることを知れば、危ない目にあうこともない、欲望を押さえて、十分ということを知れば身も心も安定する。) |
大学 「大学之道、(中略)、在止於至善」(だいがくのみちは、しぜんにとどまるにあり)(大学という書物の目的は、最高の善に基づいて実行することである) |
大学 「知止而后有定」(とどまるをしりてのち、さだまるあり)(最高の善にとどまれば、心は穏やかに収まる。) |
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