巻の四

 (最新見直し2010.05.19日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
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 2010.05.19日 れんだいこ拝


資料77 二宮翁夜話(巻之四)

                   
           
        
二宮翁夜話  巻之四     福住正兄筆記

 

一三四 翁曰、論語に曰、信なれば則民任(ニン)ずと、児(コ)の母に於る、己(おのレ)何程に大切と思ふ物にても、疑(ウタガ)はずして母には預(アヅ)くる物なり、是母の信、児に通ずればなり、予が先君に於る又同じ、予が桜(サクラ)町仕法の委任(イニン)は、心組(グミ)の次第一々申立るに及ばず、年々の出納計算(ケイサン)するに及ばず、十ヶ年の間任(マカ)せ置者也とあり、是予が身を委(ユダ)ねて、桜町に来りし所以(ユヘン)なり、扨此地に来り、如何にせんと熟考(ジユクカウ)するに、皇国開闢(カイビヤク)の昔、外国より資本を借りて、開きしにあらず、皇国は、皇国の徳沢にて、開たるに相違なき事を、発明したれば、本藩(ハン)の下附金を謝絶(シヤゼツ)し、近郷富家に借用を頼まず、此四千石の地の外をば、海外と見做(ナ)し、吾(わレ)神代の古に、豊葦原(トヨアシハラ)へ天降(クダ)りしと決心し、皇国は皇国の徳沢にて開く道こそ、天照大御神の足跡なれと思ひ定めて、一途に開闢(ビヤク)元始の大道に拠(ヨ)りて、勉強(ベンキヤウ)せしなり、夫開闢の昔、芦原に一人天降りしと覚悟する時は、流水に潔身(ミソギ)せし如く、潔(イサギヨ)き事限りなし、何事をなすにも此覚悟を極むれば、依頼(イライ)心なく、卑怯卑劣(ヒキヨウヒレツ)の心なく、何を見ても、浦山敷(しキ)事なく、心中清浄なるが故に、願ひとして成就せずと云事なきの場に至るなり、この覚悟、事を成すの大本なり、我悟道の極意なり、此覚悟定まれば、衰(スイ)村を起すも、廃(ハイ)家を興(オコ)すもいと易(ヤス)し、只此覚悟一つのみ
一三五 翁曰、惰(ダ)風極り、汚俗(ウゾク)深染(シンセン)の村里を新にするは、いとも難き業なり、如何となれば、法戒む可からず、令行はる可からず、教施す可からず、之をして精励(セイレイ)に趣(オモム)かしめ、之をして義に向はしむる、豈難からずや、予昔桜町陣屋に来る、配下の村々至惰(ダ)至汚(ウ)、如何共すべき様なし、之に依て、予深夜或は未明、村里を巡行す、惰を戒(イマシム)るにあらず、朝寝を戒るにあらず、可否を問はず、勤惰(キンダ)を言はず、只自(ミづから)の勤として、寒暑風雨といへども怠らず、一二月にして、初て足音を聞て驚(オドロ)く者あり、又足跡を見て怪(アヤシ)む者あり、又現に逢ふ者あり、是より相共に戒心を生じ、畏心を抱(イダ)き、数月にして、夜遊博奕(バクエキ)闘争(トウソウ)等の如きは勿論、夫妻の間、奴僕(ヌボク)の交、叱咤(シツタ)の声(コヘ)無きに至れり、諺(コトハザ)に、権平種を蒔(マ)けば烏(カラス)之(コレ))を掘(ホ)る、三度に一度は追ずばなるまい、と云り、是鄙俚(ヒリ)戯言(ギゲン)といへ共、有職の人知らずば有る可からず、夫烏(カラス)の田甫を荒(アラ)すは、烏の罪(ツミ)にあらず、田甫を守る者追(オハ)ざるの過(アヤマチ)なり、政道を犯す者の有るも、官之を追ざるの過(アヤマチ)なり、之を追ふの道も、又権兵衛が追ふを以て勤として、捕(トラフ)るを以て本意とせざるが如く、あり度物なり、此戯(ギ)言政事の本意に適(カナ)へり、鄙俚(ヒリ)の言といへ共、心得ずば有るべからず
一三六 翁又曰、凡田畑の荒るゝ其罪を惰農(ダノウ)に帰(キ)し、人口の減ずるは、産子を育(ソダ)てざるの悪弊に帰するは、普通の論なれ共、如何に愚民なればとて、殊更(コトサラ)田畑を荒(アラ)して、自(ミづから)困窮を招(マネ)く者あらんや、人禽獣(キンジユウ)にあらず、豈(アニ)親子の情なからんや、然るに産子を育てざるは、食乏(トボ)しくして、生育の遂難(トゲガタ)きを以てなり、能其情実を察すれば、憫然(ビンゼン)是より甚きはあらず、其元は、賦税(フゼイ)重きに堪(タヘ)ざるが故に、田畑を捨(ステ)て作(ツク)らざると、民政(ミンセイ)届(トヾ)かずして堤防(テイバウ)溝洫(カウイキ)道橋破壊(ハヱ)して、耕作出来難きと、博奕(バクヱキ)盛(サカ)んに行れ風俗頽廃(タイハイ)し、人心失せ果て、耕作せざるとの三なり、夫耕作せざるが故に、食物減(ゲン)ず、食物減ずるが故に、人口減ずるなり、食あれば民集(アツマ)り、食無ければ民散(サン)ず、古語に、重(おもン)ずる処は民食葬祭(ソウサイ)とあり、尤重んずべきは民の米櫃(ビツ)なり、譬(タトヘ)ば此坐に蠅(ハヘ)を集(アツメ)んとするに、何程捕(トラ)へ来りて放(ハナ)つ共追集(オヒアツム)るとも、決して集るべからず、然るに食物を置時は、心を用ひずして忽(タチマチ)に集るなり、之を追払(オヒハラ)ふ共決して逃(ニ)げ去らざる事眼前なり、されば聖語に、食を足すとあり、重んづべきは人民の米櫃なり、汝等又己が米櫃の大切なる事を忘るゝ事勿れ
一三七 或来り訪(ト)ふ、翁曰、某の家は無事なりや、曰、某の父稼穡(カシヨク)に勤労する事、村内無比なり、故に作益多く豊(ユタカ)に経営(イトナミ)来りしに、其子悪(アシ)き事はなしといへ共、稼穡を勤(ツト)めず、耕耘培養(バイヤウ)行届かず、只蒔ては刈取のみ、好き肥(コヤ)しを用ふるは損(ソン)なりなど云て、田畑を肥すの益たるを知らず、故に父死して、僅(ハツカ)に四五年なるに、上田も下田となり、上畑も下畑となりて、作益なく、今日は経営(イトナミ)にも差閊(ツカヘ)る様になれりと、翁左右を顧(カヘリ)みて曰、卿等聞けりや、是農民一家の事なれ共、自然の大道理にして、天下国家の興廃(コウハイ)存亡も又同じ、肥を以て作物を作ると、財(ザイ)を散(サン)じて領民を撫育(ブイク)し、民政に力を尽(ツク)すとの違(チガ)ひのみ、夫国の廃亡(ハイバウ)するは民政の届(トヾ)かざるにあり、民政届かざるの村里は、堤防溝洫(カウイキ)先(まヅ)破損し、道路橋梁次に破壊(ハエ)し、野橋作場道等は通路なきに至るなり、堤防溝洫破損すれば、川付(ツキ)の田畑は先(マヅ)荒蕪す、用悪水路破壊すれば、高田卑(ヒク)田は耕作すべからず、道路悪しければ牛馬通ぜず、肥料行届かず、精農の者といへども、力を尽すに困却し、之が為に耕作するといへ共作益なし、故に人家手遠(ドホ)、不便の地は捨(ステ)て耕(タガヤサ)ざるに至る、耕さゞるが故に、食物減ず、食物減ずるが故に、人民離散(リサン)する也、人民離散して、田畑荒るれば租税(ソゼイ)の減(ゲン)ずるは眼前ならずや、租税減ずれば、諸侯窮(キウ)するは当然(ゼン)の事なり、前の農家の興廃と少しも違ふ事なし、卿等心を用ひよ、譬(タトヘ)ば上国の田畑は温泉の如し、下国の田畑は、冷水の如し、上国の田地は耕耘行届かざれども、作益ある事温泉の自然に温なるが如し、下国の田畑は冷水を温湯にするが如くなれば、人力を尽せば作益ありといへども、人力を尽さゞれば、作益なし、下国辺境人民離散し、田畑荒蕪するは是が為なり
一三八 翁曰、江川県令問て曰、卿桜町を治る数年にして、年来の悪習一洗し、人民精励に赴(オモム)き、田野開け民聚(アツマ)ると聞けり、感服(カンブク)の至り也、予、支配所の為に、心を労(ロウ)する事久し、然て少も効(シルシ)を得ず、卿如何なる術かあると、予答て曰、君には君の御威光(イコウ)あれば、事を為す甚(はなはダ)安し、臣素より無能無術、然といへども、御威光にても理解にても、行れざる処の、茄子(ナス)をならせ、大根を太(フト)らする事業を、慥(タシカ)に心得居る故、此理を法として、只勤めて怠(オコタ)らざるのみ、夫草野一変すれば米となる、米一変すれば飯となる、此飯には、無心の鶏犬といへ共、走り集り、尾を振れといへば尾を振り、廻れといへば廻り、吠(ホヘ)よといへば吠ゆ、鶏犬の無心なるすら此の如し、臣只此理を推して、下に及ぼし至誠を尽せるのみ、別に術(ジユツ)あるにはあらず、と答ふ、是より予が年来実地に執行ひし事を談話する事六七日なり、能倦まずして聴れたり、定めて支配所の為に、尽されたるなるべし
一三九 翁曰、我が道は至誠と実行のみ、故に鳥獣(テウジウ)虫(チウ)魚草木にも皆及ぼすべし、況(イハン)や人に於るをや、故に才智弁舌(ベンゼツ)を尊(タフト)まず、才智弁舌は、人には説くべしといへ共、鳥獣草木を説く可からず、鳥獣は心あり、或は欺(アザム)くべしといへ共、草木をば欺く可からず、夫我道は至誠と実行となるが故に、米麦蔬菜(ソサイ)瓜茄子にても、蘭(ラン)菊(キク)にても、皆是を繁栄(ハンエイ)せしむるなり、仮令(タトヒ)知謀(チバウ)孔明を欺(アザム)き、弁舌(ベンゼツ)蘇(ソ)長(テフ)を欺くといへ共、弁舌を振(フルツ)て草木を栄(サカ)えしむる事は出来ざるべし、故に才智弁舌を尊まず、至誠と実行を尊ぶなり、古語に、至誠神の如しと云といへ共、至誠は則神と云も、不可なかるべきなり、凡世の中は智あるも学あるも、至誠と実行とにあらざれば事は成らぬ物と知るべし
一四〇 翁曰、朝夕に善を思ふといへども、善事を為さゞれば、善人と云ふべからざるは、昼夜に悪を思ふといへども、悪を為さゞれば、悪人と云べからざるが如し、故に人は、悟道治心の修行などに暇(イトマ)を費さんよりは、小善事なりとも身に行ふを尊(タフト)しとす、善心発(オコ)らば速(スミヤカ)に是を事業に表(アラハ)すべし、親(オヤ)ある者は親を敬養(ケイヤウ)すべし、子弟ある者は子弟を教育(イク)すべし、飢(ウヘ)人を見て哀(アハレ)と思はゞ速(スミヤカ)に食を与(アタ)ふべし、悪(アシ)き事仕たり、われ過(アヤマ)てりと心付とも、改めざれば詮(セン)なし、飢(ウヱ)人を見て哀と思ふとも、食を与(アタ)へざれば功なし、故に我道は実地実行を尊ぶ、夫世の中の事は実行にあらざれば、事はならざる物なればなり、譬ば菜虫の小なる、是を求(モトム)るに得(ウ)べからず、然共菜を作れば求ずして自ら生ず、孑孒(ボウフリ)の小なる、是を求るに得べからず、桶(オケ)に水を溜(タ)めおけば自ら生ず、今此席(セキ)に蠅(ハヘ)を集めんとすとも、決して集らず、捕(トラ)へ来りて放(ハナ)つとも、皆飛さる、然るに飯粒を置時は集(アツ)めずして集(アツマ)るなり、能々此道理を弁へて、実地実行を励むべし
一四一 翁曰、凡物、根元たる者は、必卑(イヤシ)き物なり、卑しとて、根元を軽視(ケイシ)するは過(アヤマリ)なり、夫家屋の如き、土台(ドダイ)ありて後に、床も書院もあるが如し、土台は家の元なり、是民は国の元なる証なり、扨諸職業中、又農を以て元とす、如何となれば、自(ミづから)作て食ひ、自(ミづから)織(オリ)て着(キ)るの道を勤(ツトム)ればなり、此道は、一国悉(コトゴト)く是をなして、差閊(サシツカヘ)無きの事業なればなり、然る大本の業の賤(イヤシ)きは、根元たるが故なり、凡物を置くに、最初に置し物、必下になり、後に置たる物、必上になる道理にして、是則農民は、国の大本たるが故に賤きなり、凡(およソ)事天下一同に之を為して、閊(ツカヘ)なき業こそ大本なれ、夫(そレ)官員の顕貴なるも、全国皆官員とならば如何、必立可からず、兵士の貴重なるも、国民悉く兵士とならば、同く立可からず、工は欠く可からざるの職業なりといへ共、全国皆工ならば、必(かならズ)立可からず、商となるも又同じ、然るに農は、大本なるを以て、全国の人民皆農となるも、閊(ツカヘ)なく立行く可し、然れば農は万業の大本たる事、是に於て明了なり、此理を究(キハ)めば、千古の惑(マド)ひ破(ヤ)ぶれ、大本定りて、末業自(ヲのづか)ら知るべきなり、故に天下一般是をなして、閊(ツカヘ)あるを末業とし、閊なきを本業とす、公明の論ならずや、然れば農は本なり、厚(アツ)くせずば有可からず、養(ヤシナ)はずば有可からず、其元を厚くし、其本を養へば、其末は自(オのづから)繁栄(ハンエイ)せん事疑(ウタガ)ひなし、扨枝葉とて猥(ミダリ)に折る可からずと雖(イヘ)共、其の本根衰ふる時は、枝葉を伐捨て根を肥すぞ、培養の法なる
一四二 翁曰、創業(ソウギヤウ)は難し、守るは安しと、守るの安きは論なしといへども、満(ミチ)たる身代を、平穏(オン)に維持(イヂ)するも又難き業なり、譬(タトヘ)ば器(ウツハ)に水を満(ミチ)て、之を平に持て居れと、命ずるがごとし、器は無心なるが故に、傾(カタム)く事はあらねど、持つ人の手が労(ツカ)るゝか、空腹(クウフク)になるか、必(かならズ)永く平に持て居る事は、出来ざるに同じ、扨此満(マン)を維持(イヂ)するは、至誠と推譲の道にありといへ共、心(ここロ)正平ならざれば、之を行ふに至て、手違(チガ)ひを生じ、折角の至誠推譲も水泡に帰する事あるなり、大学に、心忿懥(フンチ)する所、恐懼(ク)する所、好楽する処、憂患(イウクワン)する処あれば、則其正を得ず、と云り、実に然るなり、能心得べし、能研(ミガ)きたる鏡(カヾミ)も、中凹(クボ)き時は顔痩(ヤセ)て見へ、中凸(タカ)き時は顔太(フト)りて見ゆる也、鏡面平ならざれば、能研(ト)ぎたる鏡も其詮(セン)なく、顔ゆがみて見ゆるに同じ、心(ここロ)正平ならざれば、見るも聞くも考(カンガ)へも、皆ゆがむべし、慎(ツヽシ)まずばあるべからず
一四三 世の中刃物を取り遣りするに、刃の方を我が方へ向け、柄(エ)の方を先の方にして出すは、是道徳の本意なり、此意を能押弘めば、道徳は全かるべし、人々此の如くならば、天下平かなるべし、夫刃先を我方にして先方に向ざるは、其心、万一誤(アヤマリ)ある時、我身には疵(キヅ)を付る共、他に疵を付ざらんとの心なり、万事此の如く心得て我身上をば損す共、他の身上には損は掛(カケ)じ、我が名誉(メイヨ)は損する共、他の名誉には疵を付じと云精神なれば、道徳の本体全しと云べし、是より先(さキ)は此心を押広むるのみ
一四四 翁曰、人の身代は大凡数ある物なり、譬(タトヘ)ば鉢植(ハチウヘ)の松の如し、鉢の大小に依て、松にも大小あり、緑(ミドリ)を延(ノビ)次第にする時は、忽(タチマチ)枯気付く物なり、年々に緑(ミドリ)をつみ、枝をすかしてこそ美(ウルハ)しく栄(サカ)ゆるなれ、是心得べき事なり、此理をしらず、春は遊山に緑を延し、秋は月見に緑を延ばし、斯の如く、拠(ヨリドコロ)なき交際(コウサイ)と云ては枝を出し、親類の付合と云ては梢(コズヘ)を出し、分外に延び過ぎ、枝葉次第に殖(フ)へゆくを、伐捨(ステ)ざる時は、身代の松の根、漸々(ゼンゼン)に衰(オトロ)へて、枯れ果(ハ)つべし、されば其鉢(ハチ)に応じたる枝葉を残し、不相応の枝葉をば年々伐すかすべし、尤肝要(カンヨウ)の事なり
一四五 翁曰、樹木を植(ウヘ)るに、根を伐る時は、必枝葉(エダハ)をも切捨(スツ)べし、根少くして水を吸ふ力少なければ、枯るゝ物なり、大に枝葉を伐すかして、根の力に応ずべし、然せざれば枯るゝなり、譬(タトヘ)ば人の身代稼(カセ)ぎ人が欠け家株(カカブ)の減(ゲン)ずるは、植替(ウヘカ)へたる樹(キ)の、根少くして水を吸(スヒ)上る力の減じたるなり、此時は仕法を立て、大に暮し方を縮(チヾ)めざるを得ず、稼(カセ)ぎ人少き時大に暮せば、身代日々減少して、終(ツイ)に滅(メツ)亡に至る、根少くして枝葉多き木の、終に枯るゝに同じ、如何とも仕方なき物なり、暑中といへ共、木の枝を大方伐捨(キリステ)、葉を残らずはさみ取りて、幹(ミキ)を菰(コモ)にて包みて植え、時々此菰に水をそゝぐ時は、枯れざる物なり、人の身代も此理なり、心を用ふべし
一四六 翁曰、樹木老木となれば、枝葉美(ウルハ)しからず、痿縮(イシユク)して衰(オトロ)ふる物なり、此時大に枝葉を伐すかせば、来春は枝葉瑞(ミヅ)々敷、美しく出る物なり、人々の身代も是に同じ、初て家を興(オコ)す人は、自(オのづから)常人と異なれば、百石の身代にて五十石に暮すも、人の許すべけれど、其子孫となれば、百石は百石丈(だケ)、二百石は二百石(だケ)の事に、交際(コウサイ)をせざれば、家内も奴婢(ヌヒ)も他人も承知せざる物なり、故に終に不足を生ず、不足を生じて、分限を引去る事を知らざれば、必滅(メツ)亡す、是自然の勢(イキホヒ)、免(マヌカ)れざる処なり、故に予常に推譲(スイジヤウ)の道を教ゆ、推譲の道は百石の身代の者、五十石にて暮しを立て、五十石を譲るを云、此推譲の法は我教第一の法にして、則家産維持(イジ)且(かツ)漸次(ゼンジ)増殖の法方なり、家産を永遠に維持すべき道は、此外になし
一四七 大和田山城、楠公の旗(ハタ)の文也とて、左の文を写(ウツ)し来りて真偽(シンギ)如何と問ふ 

 

 


    楠     非  は 理に勝つ事あたはず
    公        理    は 法に勝つ事あたはず
    旗        法   は 権に勝つ事あたはず
    文          権  は 天に勝つ事あたはず
               天  は 明らかに して私なし

翁曰、理法権(ケン)と云事は、世に云事なり、非理法権(ケン)天と云るは珍(メヅラ)し、世の中は此文の通り也、如何なる権力者も、天には決して、勝つ事出来ぬなり、譬(タトヘ)ば理ありとて頼(タノ)むに足らず、権に押(オ)さるゝ事あり、且(かツ)理を曲ても法は立つべし、権(ケン)を以て法をも圧(アツ)すべし、然といへ共、天あるを如何せん、俗歌に「箱根八里は馬でも越すが馬で越されぬ大井川」と云り、其如く人と人との上は、智力にても、弁舌にても、威権(イケン)にても通らば通るべけれど、天あるを如何せん、智力にても、弁舌にても、威権にても、決して通る事の出来ぬは天なり、此理を仏には無門関(クワン)と云り、故に平氏も源氏も長久せず、織田(オダ)氏も豊臣(トヨトミ)氏も二代と続(ツヾカ)ざるなり、されば恐(オソ)るべきは天なり、勤むべきは事天の行ひなり、世の強欲(ガウヨク)者、此理を知らず、何処(イヅコ)迄も際限(サイゲン)なく、身代を大にせんとして、智(チ)を振(フル)ひ腕(ウデ)を振ふといへども、種々の手違ひ起りて進む事能はず、又権謀(ケンボウ)威力を頼(タノ)んで専(モツパ)ら利を計(ハカ)るも、同じく失敗のみありて、志を遂る事能はざる、皆天あるが故なり、故に大学には、止る処を知れ、と教(オシ)へたり、止る処を知れば、漸(ゼン)々進むの理あり、止る処を知らざれば、必退歩(タイホ)を免れず、漸々退歩すれば終(ツイ)に滅亡(メツボウ)すべきなり、且(かツ)天は明かにして私なしと云り、私なければ誠なり、中庸(チウヨウ)に、誠なれば明らかなり、明らかなれば誠なり、誠は天の道なり、之を誠にするは人の道なり、とあり、之を誠にするとは、私を去るを云、則己(オのれ)に克(カ)つなり、六かしき事はあらじ、其理よく聞えたり、其真偽(シンギ)に至ては予が知る処にあらず
一四八 或問ふ、「春は花秋は紅葉と夢(ユメ)うつゝ寝(ネ)ても醒(サメ)ても有明の月」とは如何なる意なるや、翁曰、是は色則是空々則是色、と云る心を詠(ヨメ)るなり、夫色とは肉眼に見ゆる物を云、天地間森羅(シンラ)万象(ゾウ)是なり、空とは肉眼に見えざる物を云、所謂玄の又玄と云へるも是なり、世界は循環(ジユンクワン)変化(ヘンカ)の理にして、空は色を顕(アラハ)し、色は空に帰す、皆循環の為に変化せざるを得ざる、是天道なり、夫今は野も山も真青(マアオ)なれども、春になれば、梅が咲き桃(モヽ)桜(サクラ)咲き、爛漫(ランマン)馥郁(フクイク)たり、夫も見る間に散失(チリウ)せ、秋になれば、麓(フモト)は染ぬ、峰も紅葉しぬ、実に錦繡(キンシヨウ)をも欺(アザ)むけりと詠(ナガ)むるも、一夜木枯(コガラシ)吹けば、見る影もなくちり果(ハツ)るなり、人も又同く、子供は育(ソダ)ち、若年は老年になり、老人は死す、死すれば又産(ウマ)れて、新陳交代する世の中なり、さりとて悟(サト)りたる為に、花の咲(サク)にあらず、迷ひたるが為に、紅葉の散(チ)るにあらず、悟りたる為に、産るゝにあらず、迷ひたる為に、死するにもあらず、悟ても迷ても、寒(サム)い時は寒く、暑(アツ)い時は暑く、死ぬ者は死し、生るゝ者は生れて、少しも関係(クワンケイ)なければ、是を「ねても覚(サメ)ても在明の月」と詠るなり、別意あるにあらず、只悟道と云物も、敢(アヘ)て益なきものなる事を、よめるなり
一四九 神儒仏の書、数万巻あり、それを研究(ケンキウ)するも、深山に入り坐禅(ザゼン)するも、其道を上り極(キハム)る時は、世を救(スク)ひ、世を益するの外に道は有べからず、若(もシ)有といへば、邪道なるべし、正道は必世を益するの一つなり、縦令(タトヒ)学問するも、道を学ぶも、此処に到らざれば、葎(ムグラ)蓬(ヨモギ)の徒(イタヅラ)にはい広がりたるが如く、人世に用無き物なり、人世に用無き物は、尊(タフト)ぶにたらず、広(ヒロ)がれば広がる程、世の害なり、幾年の後か、聖君出て、此の如き無用の書は焼捨(ヤキステ)る事もなしといふべからず、焼捨る事なきも、荒蕪を開くが如く、無用なる葎(ムグラ)蓬(ヨモギ)を刈捨て、有用の道の広まる、時節もなしと云べからず、兎も角も、人世に益なき書は見るべからず、自他に益なき事は為すべからず、光陰は矢の如し、人生は六十年といへども、幼老の時あり、疾病あり、事故あり、事を為すの日は至て少ければ、無用の事はなす勿れ
一五〇 青柳又左衛門曰、越後の国に、弘法大師の法力に依て、水油地中より湧(ワ)き出、今に到て絶(タ)えずと、翁曰、奇は奇なりといへ共、只其一所のみ、尊ぶに足らず、我道は夫と異(コト)にして、尤奇(キ)也、何国にても、荒地を起(オコ)して菜種(ナタネ)を蒔、其実法を得て、是を油(アブラ)屋に送(オク)れば、種一斗にて、油二升は急度出て、永代絶へず、是皇国固有天祖伝来の大道にして、肉食妻帯(サイタイ)暖衣飽食(ダンイホウシヨク)し、智愚(チグ)賢不肖(ケンフシヤウ)を分たず、天下の人をして、皆行はしむべし、是開闢(カイビヤク)以来相伝の大道にして、日月の照明ある限り、此世界有ん限り、間違ひなく行るゝ道なり、されば大師の法に勝れる、万々ならずや、且(かツ)我道又大奇特(キドク)あり、一銭の財なくして、四海の困窮を救(スク)ひ、普(アマネ)く施(ホドコ)し海内を富饒(フニヨウ)にして猶余(アマリ)あるの法なり、其方法只分度を定るの一のみ、予是を相馬、細川、烏(カラス)山、下館(ダテ)等の諸藩(ハン)に伝(ツタ)ふ、然といへ共、是は諸侯大家にあらざれば、行ふべからざるの術なり、此外に又術(ジユツ)あり、原野を変(ヘン)じて田畑となし、貧村を変じて福村となすの術なり、又愚夫愚婦をして、皆為さしむ可き術あり、山家に居て海魚を釣(ツ)り、海浜(ヒン)に居て深山の薪(タキヾ)を取り、草原より米麦を出し、争(アラソハ)ずして必勝(カ)つの術なり、只一人をして、能せしむるのみにあらず、智愚を分たず、天下の人をして皆能せしむ、如何にも妙術にあらずや、能学んで国に帰り、能勤めよ、
一五一  翁又曰、杣(ソマ)が深山に入て木を伐(キ)るは、材木が好(ス)きにて伐るにはあらず、炭焼(スミヤキ)が炭を焼くも、炭が好きにて焼くにはあらず、夫杣も炭(スミ)やきも、其職業(シヨクギヤウ)さへ勉強(ベンキヨウ)すれば、白米も自然に山に登(ノボ)り、海の魚も里の野菜も、酒も油も皆自(オのづか)ら山に登るなり、奇々妙々の世の中といふべきなり
一五二 翁曰、世界、人は勿論、禽獣虫魚草木に至るまで、凡天地の間に、生々する物は、皆天の分身と云べし、何となれば孑孒(ボウフリ)にても蜉蝣(ブユウ)にても草木にても、天地造化の力をからずして、人力を以て生育せしむる事は、出来ざればなり、而て人は其長たり、故に万物の霊と云、其長たるの証は、禽獣虫魚草木を、我が勝手に支配し、生殺して何方よりも咎(トガメ)なし、人の威力は広太なり、されど本来は、人と禽獣(キンジウ)と草木と何ぞ分たん、皆天の分身なるが故に、仏道にては、悉皆成仏と説り、我国は神国なり、悉皆成神と云べし、然るを世の人、生(いキ)て居る時は人にして、死して仏と成ると思ふは違(タガ)へり、生て仏なるが故に、死て仏なるべし、生て人にして、死して仏となる理あるべからず、生(いキ)て鯖(サバ)の魚が死して鰹節(カツオブシ)となるの理なし、林にある時は松にして伐て杉となる木なし、されば生前仏にて、死して仏と成り、生前神にして、死して神なり、世に人の死せしを祭て、神とするあり、是又生前神なるが故に神となるなり、此理明白にあらずや、神と云、仏と云名は異(コト)也といへども、実は同じ、国異なるが故に名異なるのみ、予此心をよめる歌に「世の中は草木もともに神にこそ死して命のありかをぞしれ」「世の中は草木もともに生如来死して命の有かをぞしれ」、呵々
一五三 翁曰、儒に循環(ジユンカン)と云ひ、仏に輪転(リンテン)と云ふ、則天理なり、循環とは、春は秋になり暑は寒に成り、盛は衰に移(ウツ)り富は貧に移るを云、輪転と云も又同じ、而て仏道は輪転を脱(ダツ)して、安楽国に往生せん事を願ひ、儒は天命を畏(オソ)れ天に事(ツカ)へて泰山の安を願ふなり、予が教ふる所は貧を富にし衰(スイ)を盛(セイ)にし、而て循環輪転を脱(ダツ)して、富盛の地に住せしむるの道なり、夫菓木今年大に実法れば、翌年は必実法らざる物なり、是を世に年切りと云、是循環輪転の理にして然るなり、是を人為を以て、年切りなしに毎年ならするには、枝を伐すかし、又莟(ツボミ)の時につみとりて花を減(ヘラ)し、数度肥を用ふれば、年切りなくして毎年同様に実法る物なり、人の身代に盛衰(セイスイ)貧富あるは、則年切りなり、親は勉強(ベンキヨウ)なれど子は遊惰(ユウダ)とか、親は節倹(セツケン)なれど子は驕奢(ケフシヤ)とか、二代三代と続(ツヾ)かざるは、所謂(イハユル)年切りにして循環輪転なり、此年切なからん事を願はゞ、菓木の法に俲(ナラ)ひて、予が推譲の道を勤むべし
一五四 翁曰、人の心よりは、最上無類清浄と思ふ米も、其米の心よりは、糞(フン)水を最上無類の好き物と思ふなるべし、是も又循環の理なり
一五五 或曰、女大学は、貝原氏の著なりといへど、女子を圧(アツ)する甚(はなはダ)過(すギ)たるにあらずや、翁曰、然らず、女大学は婦女子の教訓(ケウクン)、至れり尽(ツク)せり、婦道の至宝(シホウ)と云べし、斯の如くなる時は、女子の立つべき道なきが如しといへ共、是女子の教訓書なるが故なり、婦女子たる者、能此理を知らば、斉(トヽノ)はざる家はあらじ、舜(シユン)の瞽瞍(コソウ)に仕へしは、則子たる者の道の極(キヨク)にして、同一の理なり、然といへ共、若(もシ)男子にして女大学を読(ヨ)み、婦道はかゝる物と思ふは以の外の過(あやまチ)なり、女大学は女子の教訓にして、貞操(テイソウ)心を鍛練(タンレン)するための書なり、夫鉄(テツ)も能々鍛練せざれば、折れず曲(マガ)らざるの刀とならざるが如し、総(スベ)て教訓は皆然り、されば、男子の読(ヨム)べき物にあらず、誤解(ゴカイ)する事勿れ、世に此心得違(チガ)ひ往々あり、夫教(オシヘ)は各々異(コト)なり、論語を見ても知らるべし、君には君の教あり、民には民の教あり、親には親、子には子の教あり、君は民の教を学(マナ)ぶ事勿れ、民は君の教を学ぶなかれ、親も又然り、子も又然り、君民親子夫婦兄弟皆然り、君は仁愛(アイ)を講(コウ)明すべし、民は忠順を道とすべし、親は慈愛(ジアイ)、子は孝行、各々己が道を違へざれば、天下泰平なり、之に反すれば乱なり、男子にして、女大学を読む事勿れと云は、是が為なり、譬(タトヘ)ば教訓は病に処(シヨ)する藥方の如し、其病に依て施(ホドコ)す物なればなり 
一五六 翁の家に親しく出入する某なる者の家、嫁(ヨメ)と姑(シウト)と中悪しゝ、一日其姑来て、嫁の不善を並べ喋(テウ)々せり、翁曰、是因縁(インエン)にして是非なし、堪忍(クワンニン)するの外に道なし、夫共に其方若き時、姑を大切にせざりし報(ムクイ)にはあらずや、兎(ト)に角(カク)嫁の非を数(カゾ)へて益(エキ)なし、自(ミづか)ら省(カヘリ)みて堪忍すべしと、いともつれなく言放(ハナ)ちて帰(カヘ)さる、翁曰、是善道なり、斯の如く言聞す時は、姑必省(カヘリミ)る処ありて、向来の治り、幾分か宜しからん、掛(カヽ)る時に坐(ザ)なりの事を言て共共に嫁を悪(アシ)く云時は、姑(シウト)弥(イヨ)々嫁(ヨメ)と中悪敷なる者なり、惣(スベ)て是等の事、父子の中を破(ヤブ)り嫁姑の親(シタシ)みを奪(ウバ)ふに至る物なり、心得ずばあるべからず
一五七 翁曰、「郭公鳴つる方をながむれば只有明の月ぞ残(ノコ)れる」、此歌の心は、譬(タトヘ)ば鎌倉(カマクラ)の繁花(ハンクワ)なりしも、今は只跡(アト)のみ残りて物淋(サビ)しき在様(アリサマ)なりと、感慨(クワンガイ)の心をよめる也、只鎌倉のみにはあらず、人々の家も又然り、今日は家(イヘ)蔵(クラ)建並(タテナラ)べて人多く住み賑(ニギ)はしきも、一朝行違へば、身代限(カギ)りとなり、屋敷のみ残るに至る、恐れざるべけんや、慎(ツヽシ)まざる可けんや、惣(スベ)て人造物は、事ある時は皆亡びて、残る物は天造物のみぞ、と云心を含(フクミ)て詠めるなり、能味ひて其深意を知るべし
一五八 翁曰、凡万物皆一ッにては、相続は出来ぬものなり、夫父母なくして生ずる物は草木なり、草木は空中に半分幹(カン)枝を発(ハツ)し、地中に半分根をさして生育すればなり、地を離(ハナ)れて相続する物は、男女二ッを結(ムス)び合せて倫(リン)をなす、則網(アミ)の目の如し、夫網は糸二筋(スジ)を寄ては結(ムス)び、寄(ヨセ)ては結びして網(アミ)となる、人倫も其如く、男と女とを結び合せて、相続する物なり、只人のみならず、動物皆然り、地を離れて相続する物は、一粒の種、二ッに割(ワ)れ、其中より芽(メ)を生ず、一粒の内陰陽あるが如し、且(かツ)天の火気を受け、地の水気を得て、地に根をさし、空に枝葉を発して生育す、則天地を父母とするなり、世人草木の地中に根をさして、空中に育する事をば知るといへ共、空中に枝葉を発して、土中に根を育する事を知らず、空中に枝葉を発するも、土中に根を張るも一理ならずや
一五九 翁曰、世上一般、貧富苦楽と云ひ、躁(サワ)げ共、世上は大海の如くなれば、是非なし、只水を泳(オヨ)ぐ術(ジユツ)の上手と下手とのみ、舟を以て用便する水も、溺死(デキシ)する水も水に替りはあらず、時によりて風に順(ジユン)風あり逆(ギヤク)風あり、海の荒(アラ)き時あり穏(オダヤカ)なる時あるのみ、されば溺死(デキシ)を免かるゝは、泳ぎの術一つなり、世の海を穏(オダヤカ)に渡るの術は、勤と倹と譲の三つのみ
一六〇 翁曰、凡世の中は陰(イン)々と重(カサナ)りても立ず、陽(ヤウ)々と重るも又同じ、陰陽々々と並(ナラ)び行るゝを定則とす、譬(タトヘ)ば寒暑昼夜水火男女あるが如し、人の歩行も、右一歩左一歩、尺蠖(シヤクトリ)虫も、屈(カヾミ)ては伸(ノ)び屈ては伸び、蛇(ヘビ)も、左へ曲(マガ)り右に曲りて、※ 此の如くに行なり、畳(タヽミ)の表(オモテ)や莚(ムシロ)の如きも、下へ入ては上に出、上に出ては下に入り、麻布(アサヌノ)の麁(アラ)きも羽二重の細(コマカ)なるも皆同じ、天理なるが故なり
      
(注) 上の ※ の所に 160段の挿画 が入ります。(底本は縦書きなので、図も
          縦になっています。)


一六一 翁曰、火を制(セイ)する物は水なり、陽(ヤウ)を保(タモ)つ物は陰(イン)なり、世に富者あるは貧者あるが為なり、此貧富の道理は、則寒暑昼夜陰陽水火男女、皆相持合て相続するに同じ、則循環の道理なり
一六二 翁曰、飲食店に登りて、人に酒食を振舞(フルマ)ふとも、払(ハラ)ひがなければ、馳走(チソウ)せしとは云可らず、不義の財(ザイ)を以てせば、日々三牲(セイ)の養(ヤシナヒ)を用ふといへ共、何ぞ孝行とせん、禹(ウ)王の飲食を薄(ウス)うし衣服を悪(アシ)うし、と云るが如く、出所が慥(タシカ)ならざれば孝行にはあらぬなり、或人の発句に「和らかにたけよことしの手作麦」、是能其情を尽(ツク)せり、和らかにと云一言に孝心顕(アラハ)れ、一家和睦(ワボク)の姿(スガタ)も能見えたり、手作麦と云るに親を安ずるの意言外にあふる、よき発句なるべし
一六三 翁曰、世の中大も小も限(カギ)りなし、浦賀港(ウラガミナト)にては米を数(カゾ)ふるに、大船にて一艘(ソウ)二艘と云ひ、蔵前にては三蔵(クラ)四蔵と云なり、実に俵(タハラ)米は数を為ざるが如し、然れ共、其米大粒なるにあらず、通常の米なり、其粒を数(カゾ)ふれば一升の粒六七万有べし、されば一握(ニギ)りの米も、其数は無量と云て可なり、まして其米穀の功徳に於てをや、春種を下してより、稲生じ風雨寒暑を凌(シノ)ぎて、花咲き実のり、又こきおろして、搗(ツ)き上げ白米となすまで、此丹精容易(ヨフイ)ならず実に粒々辛苦なり、其粒々辛苦の米粒を日々無量に食して命を継(ツ)ぐ、其功徳、又無量ならずや、能思ふべし、故に人は小々の行を積(ツ)むを尊(タフト)むなり、予が日課(クワ)繩索(ナハナイ)の方法の如きは、人々疑(ウタガ)はずして勤るに進む、是小を積て大を為せばなり、一房の繩(ナワ)にても、一銭の金にても、乞食に施(ホドコ)すの類(ルイ)にあらず、実に平等利益の正業にして、国家興復の手本なり、大なる事は人の耳(ミヽ)を驚(オドロカ)すのみにして、人々及ばずとして、退(シリゾ)けば詮(セン)無き物なり、縦令(タトヒ)退かざるも、成功は遂(ト)げ難(ガタ)き物なり、今爰(コヽ)に数万金の富者ありといへ共、必其祖其先一鍬の功よりして、小を積(ツ)んで富を致せしに相違なし、大船の帆柱、永代の橋(ハシ)杭(クヒ)などの如き、大木といへども一粒の木の実より生じ、幾百年の星霜を経て寒暑風雨の艱難を凌ぎ、日々夜々に精気(セイキ)を運(ハコ)んで長育せし物なり、而て昔の木の実のみ長育するにあらず、今の木の実といへ共、又大木となる疑(ウタガ)ひなし、昔の木の実今の大木、今の木の実後世の大木なる事を、能々弁(ワキマ)へて、大を羨(ウラヤ)まず小を恥(ハヂ)ず、速(スミヤカ)ならん事を欲せず、日夜怠(オコタ)らず勤るを肝要とす、「むかし蒔(マ)く木の実大木と成にけり今蒔く木の実後の大木ぞ」
一六四 或人、一飯に米一勺づゝを減(ゲン)ずれば、一日に三勺、一月に九合、一年に一斗余、百人にて十一石、万人にて百十石なり、此計算を人民に諭(サト)して富国の基(モトヒ)を立んと云り、翁曰、此教諭、凶歳の時には宜しといへ共、平年此の如き事は、云ふ事勿れ、何となれば凶歳には食物を殖(フヤ)す可らず、平年には一反に一斗づゝ取増(マ)せば、一町に一石、十町に十石、百町に百石、万町に万石なり、富国の道は、農を勧(スヽ)めて米穀(コク)を取増すにあり、何ぞ減食の事を云んや、夫下等人民は平日の食十分ならざるが故に、十分に食(ク)ひたしと思ふこそ常の念慮(リヨ)なれ、故に飯の盛(モリ)方の少きすら快(コヽロヨ)からず思ふ物なり、さるに一飯に一勺づゝ少く喰へなどゝ云事は、聞も忌(イマ)々しく思ふなるべし、仏家の施餓鬼供養(セガキクヤウ)に、ホドナンパンナムサマダと繰返(クリカヘ)し繰返し唱(トナ)ふるは、十分に食ひ玉へ沢山に食ひ玉へ、と云事なりと聞けり、されば施餓鬼(セガキ)の功徳は、十分に食へと云ふにあり、下等の人民を諭(サト)さんには、十分に喰て十分に働(ハタラ)け、沢山喰て骨限(ホネカギ)り稼(カセ)げと諭(サト)し、土地を開き米穀を取増し、物産の繁殖(ハンシヨク)する事を勤(ツト)むべし、夫労力を増(マ)せば土地開け物産繁殖す、物産繁殖すれば商も工も随て繁栄す、是国を富すの本意なり、人或は云ん、土地を開くも開くべき地なしと、予が目を以て見る時は、何国も皆半開なり、人は耕作仕付あれば皆田畑とすれ共、湿(シツ)地乾(カン)地、不平の地麁悪(ソアク)の地、皆未(いまダ)田畑と云可らず、全国を平均(キン)して、今三回も開発なさゞれば、真の田畑とは云べからず、今日の田畑は只耕作差支なく出来るのみなり
一六五 翁曰、凡事を成さんと欲せば、始に其終を詳(ツマビラカ)にすべし、譬(タトヘ)ば木を伐(キ)るが如き、未(いまダ)だ伐らぬ前に、木の倒(タフ)るゝ処を、詳に定めざれば、倒れんとする時に臨(ノゾ)んで、如何共仕方無し、故に、予印旛沼(インバヌマ)を見分する時も、仕上げ見分をも、一度にせんと云て、如何なる異変にても、失敗なき方法を工夫せり、相馬侯、興国の方法依頼(イライ)の時も、着手より以前に百八十年の収納を調(シラ)べて、分度の基礎(キソ)を立たり、是(こレ)荒地開拓、出来上りたる時の用心なり、我方法は分度を定むるを以て本とす、此分度を確乎(クワツコ)と立て、之を守る事厳(ゲン)なれば、荒地何程あるも借財何程あるも、何をか懼(オソ)れ何をか患へん、我(わガ)富国安民の法は、分度を定むるの一ッなればなり、夫皇国は、皇国丈(だケ)にて限れり、此外へ広(ヒロ)くする事は決してならず、然れば十石は十石、百石は百石、其分を守るの外に道はなし、百石を二百石に増し、千石を二千石に増す事は、一家にて相談はすべけれ共、一村一同に為る事は、決して出来ざるなり、是安きに似て甚(はなはダ)難事なり、故に分度を守るを我道の第一とす、能此理を明にして、分を守れば、誠に安穏(アンオン)にして、杉の実を取り、苗を仕立、山に植て、其成木を待て楽(タノシ)む事を得る也、分度を守らざれば先祖より譲(ユヅ)られし大木の林を、一時に伐払(キリハラヒ)ても、間に合ぬ様に成行く事、眼前(ガンゼン)なり、分度を越(コ)ゆるの過(アヤマチ)恐るべし、財産ある者は、一年の衣食、是にて足ると云処を定めて、分度として多少を論ぜず、分外を譲(ユヅ)り、世の為をして年を積(ツ)まば、其功徳無量なるべし、釈氏(シヤクシ)は世を救(スク)はんが為に、国家をも妻子をも捨(ステ)たり、世を救ふに志あらば、何ぞ我分度外を、譲る事のならざらんや
一六六 翁曰、某の村の富農に怜悧(レイリ)なる一子あり東京(エド)聖堂(セイドウ)に入れて、修(シユ)行させんとて、父子同道し来りて、暇(イトマ)を告(ツ)ぐ、予之を諭(サト)すに意を尽(ツク)せり、曰、夫は善き事なり、然といへども、汝(ナンヂ)が家は富農にして、多く田畑を所持すと聞けり、されば農家には尊き株なり、其家株を尊く思ひ、祖先の高恩を有難く心得、道を学(マナ)んで、近郷村々の人民を教(オシ)へ導(ミチビ)き、此土地を盛(サカ)んにして、国恩に報いん為に、修行に出るならば、誠(マコト)に宜(ヨロ)しといへ共、祖先伝来の家株を農家なりと賤(イヤ)しみ、六かしき文字を学んで只世に誇(ホコラ)んとの心ならば、大なる間違ひなるべし、夫農家には農家の勤あり、富者には富者の勤あり、農家たる者は何程大家たりといへども、農事を能心得ずば有べからず、富者は何程の富者にても、勤倹して余財を譲(ユヅ)り、郷里を富し、土地を美にし、国恩に報(ハウ)ぜずばあるべからず、此農家の道と富者の道とを、勤るが為にする学問なれば、誠に宜しといへ共、若(モシ)然らず、先祖の大恩を忘(ワス)れ、農業は拙(ツタナ)し、農家は賤(イヤ)しと思ふ心にて学問せば、学問益々(マスマス)放(ハウ)心の助けとなりて、汝が家は滅亡(メツボウ)せん事、疑(ウタガ)ひなし、今日の決心汝が家の存亡(ソンボウ)に掛(カヽ)れり、迂闊(ウクワツ)に聞く事勿れ、予が云処決して違はじ、汝一生涯学問する共、掛る道理を発明する事は必出来まじ、又此の如く教戒する者も、必有るまじ、聖堂に積(ツ)みてある万巻の書よりも、予が此一言の教訓の方、尊(タフト)かるべし、予が言を用れば、汝が家は安全なり、用ひざる時は、汝が家の滅(メツ)亡眼前にあり、然れば、用ひばよし、用ふる事能ずば二度予が家に来る事勿れ、予は此地の廃(ハイ)亡を、興復(コウフク)せんが為に来て居る者なれば、滅(メツ)亡などの事は、聞も忌々し、必来る事勿れと戒(イマシ)めしに、用ふる事能はずして、東京(エド)に出たり、修行未(いマ)だ成(ナ)らざるに、田畑は皆他の所有となり、終(ツイ)に子は医(イ)者となり、親は手習師匠をして、今日を凌(シノ)ぐに至れりと聞けり、痛(イタマ)しからずや、世間此類の心得違(チガ)ひ往々あり、予が其時の口ずさみに「ぶんぶんと障子(セウジ)にあぶの飛(トブ)みれば明るき方へ迷(マヨ)ふなりけり」といへる事ありき、痛(イタマ)しからずや
一六七 門人某、若年の過ちにて、所持品を質(シチ)に入れ遣(ツカ)ひ捨(スて)て退塾(タイジユク)せり、某の兄なる者、再(ふたたビ)入塾(ジユク)を願ひ、金を出し、質(シチ)入品を受戻(ウケモド)して本人に渡さんとす、翁曰、質を受るは其分なりといへ共、彼は富家の子なり、生涯質入れなどの事は、為可き者にあらず、不束(フツヽカ)至極といへ共、心得違(チガヒ)なれば是非なし、今改んと思はゞ、質入品は打捨て可なり、一日も質屋の手に掛りし衣服は、身に付じと云位の精神を立ざれば、生涯の事覚束(オボツカ)なし、過(アヤマチ)と知らば速(スミヤカ)に改め、悪(ア)しと思はゞ速に去るべし、穢(キタナキ)物手に付けば、速に洗ひ去るは世の常なり、何ぞ質入したる衣服を、受戻して、着用せんや、過(アヤマツ)て質を入れ、改めて受戻すは困窮家子弟の事なり、彼は忝(カタジケナク)も富貴の大徳を、生れ得てある大切の身なり、君子は固(カタ)く窮(キウ)すとある通り、小遣(ヅカ)ひがなくば、遣はずに居り、只生れ得たる大徳を守りて失はざれば、必富家の婿(ムコ)と成て、安穏(アンノン)なるべし、此の如き大徳を、生れ得て有りながら、自(ミづから)此の大徳を捨、此大徳を失(ウシナ)ふ時は、再(フタヽビ)取返す事出来ざる也、然る時は芸(ゲイ)を以て活計(クワツケイ)を立るか、自(ミづから)稼(カセ)がざれば、生活の道なきに至るべし、長芋すら腐(クサ)れかゝりたるを、囲(カコ)ふには、未(いまダ)腐(クサ)れぬ処より切捨ざれば、腐(クサ)り止らず、されば質に入たる衣類は、再(ふたゝビ)身に附じと云精神を振起(フリオコ)し、生れ得たる富貴の徳を失はざる勤こそ大切なれ、悪友に貸したる金も、又同く打捨べし、返さんと云とも、取る事勿れ、猶又貸すとも、悪友の縁(エン)を絶(タ)ち、悪友に近付ぬを専務(センム)とすべし、是能心得べき事なり、彼が如きは身分をさへ謹(ツヽシン)で、生れ得たる徳を失はざれば、生涯安穏にして、財宝は自然集(アツマ)り、随分他の窮(キウ)をも救(スク)ふべき大徳、生れながら備(ソナハ)る者なり、能此理を諭(サト)して誤(アヤマ)らしむる事勿れ
一六八 翁曰、山谷は寒気(カンキ)に閉(トヂ)て、雪降(フ)り氷れども、柳(ヤナギ)の一芽(メ)開き初る時は、山々の雪も谷々の氷も皆夫迄なり、又秋に至り、桐(キリ)の一葉落初(ヲチソム)る時は、天下の青葉は又夫迄なり、夫世界は自転(ジテン)して止ず、故に時に逢(ア)ふ者は育(ソダ)ち、時に逢(アハ)ざる物は枯(カ)るゝなり、午前は東向の家は照(テ)れ共、西向きの家は蔭(カゲ)り、午后は西に向く物は日を受け、東に向く物は蔭(カゲ)るなり、此理を知らざる者惑(マド)ふて、我不運なりといひ、世は末になれりなどゝ歎(ナゲ)くは誤(アヤマリ)なり、今爰(コヽ)に幾万金の負債(フサイ)あり共、何万町の荒蕪地あり共、賢君有て此道に寄る時は憂(ウレフ)るに足らず、豈喜ばしからずや、縦令(タトヒ)何百万金の貯蓄(チヨチク)あり、何万町の領地あり共、暴(バウ)君ありて、道を踏(フマ)ず、是も不足彼も不足と驕奢(ケウシヤ)慢心(マンシン)、増長に増長せば消滅(シヨウメツ)せん事、秋葉の嵐に散乱するが如し、恐れざるべけんや、予が歌に「奥山は冬気に閉(ト)ぢて雪ふれどほころびにけり前の川柳」
一六九 翁曰、仏に悟道の論あり、面白しといへ共、人道をば害する事あり、則(すなはチ)生者必滅(メツ)会(ヱ)者定離(リ)の類(ルイ)なり、其本源を顕(アラハ)して云が故なり、悟道は譬(タトヘ)ば、草の根は此の如き物ぞと、一々顕(アラ)はして、人に見するが如し、理は然といへども、之を実地に行ふ時は皆枯るゝなり、儒(ジユ)道は草の根の事は言ず、草の根は見ずして可なる物と定め、根あるが為に生育する物なれば、根こそ大切なれ、培養(バイヤウ)こそ大切なれと教るが如し、夫松の木の青々と見ゆるも、桜(サクラ)の花の美(ウルハ)しく匂ふも、土中に根あるが故なり、蓮花の馥郁(フクイク)たるも、花菖蒲の美麗(ビレイ)なるも、泥中に根をさし居ればなり、質屋の蔵の立派(パ)なるは、質を置く貧人の多きなり、大名の城の広大なるは、領分に人民多きなり、松の根を伐(キ)れば、直に緑(ミドリ)の先が弱(ヨハ)り、二三日立(たテ)ば、枝葉皆凋(シボ)む、民窮すれば君も窮し、民富めば君も富む、明々了々、毫末も疑(ウタガ)ひなき道理なり
一七〇 翁、某の寺に詣(ケイ)す、灌(クワン)仏会あり、翁曰、天上天下唯我(ユイガ)独尊(ドクソン)と云事を、俠客(ケウカク)者流など、広言を吐(ハイ)て、天下広(ヒロ)しといへ共、我に如(シ)く者なしなど云と同く、釈氏の自慢(ジマン)と思ふ者あり、是誤(アヤマリ)なり、是は釈氏のみならず、世界皆、我も人も、唯此、我(わレ)こそ、天上にも、天下にも尊(タフト)き者なれ、我に勝(マサ)りて尊き物は、必無きぞと云、教訓の言葉なり、然ば則銘々各々、此我身が天地間に上無き尊き物ぞ、如何となれば、天地間我なければ、物無きが如くなればなり、されば銘々各々皆、天上天下唯我独尊なり、犬も独尊なり、鷹(タカ)も独尊也、猫(ネコ)も杓子(シヤクシ)も独尊と云て可なる物なり
一七一 翁曰、仏道の伝来祖々厳密(ゲンミツ)なり、然といへ共、古と今と表裏の違(タガ)ひあり、古の仏者は鉄鉢(テツバチ)一つを以て、世を送れり、今の仏者は日々厚味に飽(ア)けり、古の仏者は、糞雑(フンゾウ)衣とて、人の捨たる破れ切を、緘(ト)ぢ合せて体を覆(オホ)ふ、今の仏者は常に綾羅錦繡(リヤウラキンシヨウ)を纏(マト)へり、古の仏者は、山林岩穴、常に草坐せり、今の仏者は、常に高堂に安坐す、是皆遺教(ユイケウ)等に説(ト)く所と天地雲泥の違ひに非ずや、然といへども、是自然の勢なり、何となれば、遺教に田宅を安置(アンチ)する事を得ずとあり、而て上朱印地を賜(タマ)ふ、財宝を遠離(エンリ)する事、火坑を避(サク)るが如くせよとも、又蓄積(チクセキ)する事勿れともあり、而て世人、競(キソ)ふて財物を寄附す、また好(ヨシ)みを、貴人に結(ムス)ぶ事を得ずと、而て貴人自(ミづから)随従(ズイジウ)して、弟子と称す、譬(タトヘ)ば大河流水の突(ツキ)当る処には砂石集(アツマ)らずして、水の当らざる処に集るが如し、是又自然の勢なり
一七二 或曰、恵心僧都の伝記に曰、今の世の仏者達の申さるる仏道が誠の仏道ならば、仏道ほど世に悪き物はあるまじ、といはれし事見えたり、面白き言葉にあらずや、翁曰、誠に名言なり、只仏道のみにあらず、儒道も神道も又同じかるべし、今時の儒者達の行はるゝ処が、誠の儒道ならば、世に儒道ほどつまらぬ物はあるまじ、今時の神道者達の申さるゝ神道が、誠の神道ならば、神道ほど無用の物はあるまじ、と予も思ふなり、夫神道は天地開闢(カイビヤク)の大道にして、豊蘆(トヨアシ)原を瑞穂(ミヅホ)の国、安国と治め給ひし、道なる事、弁を待ずして明なり、豈(アニ)当世巫祝(フシク)者流、神札を配(クバリ)て、米銭を乞ふ者等の、知る処ならんや、川柳に「神道者身にぼろぼろを纏(マト)ひ居り」と云り、今の世の神道者、貧困に窮(キウ)する事斯の如し、是真の神道を知らざるが故なり、夫神道は、豊芦(トヨアシ)原を瑞穂(ミヅホ)の国とし、漂(タヾヨ)へる国を安国と固(カタメ)成す道なり、然る大道を知る者、決して貧窮に陥(オチイ)るの理なし、是神道の何物たるを知らざるの証なり、歎(ナゲカ)はしき事ならずや
一七三 翁曰、庭訓往来に、注文に載(ノセ)られずといへども進じ申処なり、と書るは、能人情を尽せる文なり、百事斯の如く有度ものなり、「馳(ハセ)馬に鞭(ムチ)打て出る田植かな」、馳せ馬は注文なり、注文に載(ノセ)られずといへ共、鞭打(ムチウツ)処なり、「影膳(カゲゼン)に蠅(ハヘ)追(オ)ふ妻のみさをかな」、影膳は注文の内なり、注文になしといへ共、蠅(ハヘ)追(オ)ふ処なり、進で忠を尽(ツク)すは注文なり、退て過(アヤマチ)を補(オギナ)ふは注文に載られずといへ共、勤る処なり、幾(ヤフヤ)く諌(イサ)む迄は注文の内なり、敬して違(タガ)はず労して怨(ウラミ)ずは、注文に載られずといへ共、尽す処也、菊花を贈るは注文なり、注文になしといへ共、根を付けて進ずる処なり、凡事斯の如くせば、志の貫(ツラヌ)かざる、事のならざる事、あるべからず、是に至て、孝弟の至は、神明に通じ、西より東より南より北より、思として、服せざる事なしと云に至るなり
一七四 家僕芋種(イモダネ)を埋(ウヅ)めて、其上に芋種と記せし、木札を立たり、翁曰、卿等大道は文字の上にある物と思ひ、文字のみを研究(ケンキウ)して、学問と思へるは違(タガヘ)り、文字は道を伝(ツタ)ふる器械(キカイ)にして、道にはあらず、然るを書物を読(ヨミ)て道と思ふは過(アヤマ)ちならずや、道は書物にあらずして、行ひにあるなり、今彼の処に立たる木札の文字を見るべし、此札の文字によりて、芋種を掘出し、畑に植て作ればこそ食物となれ、道も同く目印の書物によりて、道を求めて身に行ふて、初て道を得るなり、然らざれば、学問と云ふべからず、只本読みのみ
一七五 翁曰、方今の憂(ウレヒ)は村里の困窮にして、人気の悪敷なり、此人気を直さんとするには、困窮を救(スク)はざれば免(マヌカ)るる事能はず、之を救ふに財を施与(セヨ)する時は、財力及ばざる物なり、故に無利足金貸附の法を立たり、此法は実に恵(メグン)で費(ツイ)えざるの道也、此法に一年の酬謝(シウシヤ)金を附するの法をも設(マフ)けたり、是は恵(メグン)で費(ツイ)えざる上に又欲して貪(ムサボ)らざるの法也、実に貸借両全の道と云べし
一七六 翁曰、経済(ケイザイ)に天下の経済あり、一国一藩(パン)の経済あり、一家又同じ、各々異にして、同日の論にあらず、何となれば、博奕(バクエキ)をなすも娼妓(シヤウギ)屋をなすも、一家一身上に取ては、皆経済と思ふなるべし、然れ共政府是を禁じ、猥(ミダリ)に許さゞるは、国家に害(ガイ)あればなり、此の如きは、経済とは云べからず、眼前一己の利益のみを見て、後世の如何を見ず、他の為をも顧(カヘリミ)ざるものなればなり、諸藩にても、駅宿に娼妓を許して、藩中と領中の者、是に戯(タハム)るるを厳禁(ゲンキン)す、是一藩の経済なり、此の如くせざれば、我が大切なる一藩と、領中の風儀を害すればなり、米沢藩にては、年(トシ)少(スコ)し凶なれば、酒造を半に減(ゲン)じ、大に凶なれば、厳禁(ゲンキン)にし、且(かツ)他邦より輸(ユ)入をも許さず、大豆違作なれば、豆腐(タウフ)をも禁(キン)ずと聞けり、是自国の金を、他に出さゞるの策(サク)にして、則一国の経済なり、夫天下の経済は此の如くならずして、公明正大ならずばあるべからず、大学に、国は利を以て利とせず、義を以て利となす、とあり、是をこそ、国家経済の格言と云べけれ、農商一家の経済にも、必此意を忘るゝ事勿れ、世間富有者たるものしらずばあるべからず
一七七 翁曰、万国共開闢(ビヤク)の初に、人類ある事なし、幾千歳の後初て人あり、而て人道あり、夫禽獣は欲する物を見れば、直に取りて喰ふ、取れる丈(ダケ)の物をば憚(ハヾカ)らず取て、譲(ユヅ)ると云ふ事を知らず、草木も又然り、根の張(ハ)らるゝ丈(ダケ)の地、何方迄も根を張て憚(ハヾカ)らず、是(こレ)彼(かレ)が道とする処也、人にして斯の如くなれば、則盗賊( トウゾク)なり、人は然らず、米を欲すれば田を作て取り、豆腐(トウフ)を欲すれば銭を遣(ヤ)りて取る、禽獣(キンジユウ)の直に取るとは異(コト)なり、夫人道は天道とは異にして、譲道より立つ物なり、譲とは、今年の物を来年に譲り、親は子の為に譲るより成る道なり、天道には譲道なし、人道は、人の便宜を計りて立し物なれば、動(ヤヽ)ともすれば、奪(ダツ)心を生ず、鳥獣は誤(アヤマツ)ても、譲心の生ずる事なし、是人畜の別なり、田畑は一年耕さゞれば、荒蕪となる、荒蕪地は、百年経るも自然田畑となる事なきに同じ、人道は自然にあらず、作為の物なるが故に、人倫用弁する所の物品は、作りたる物にあらざるなし、故に、人道は作る事を勤るを善とし、破(ヤブ)るを悪とす、百事自然に任(マカ)すれば皆廃(スタ)る、是を廃(スタ)れぬ様に勤るを人道とす、人の用ふる衣服の類(ルイ)、家屋に用ふる四角なる柱、薄(ウス)き板の類、其他白米搗麦(ツキムギ)味噌(ミソ)醤油(シヨウユ)の類、自然に田畑山林に生育せんや、仍て人道は勤めて作るを尊び、自然に任(マカ)せて廃(スタ)るを悪む、夫虎豹(コヒヤウ)の如きは論なし、熊猪の如き、木を倒(タフ)し根を穿(ウガ)ち、強き事言べからず、其労力も又云べからず、而て、終身労して安堵の地を得る事能はざるは、譲(ユヅ)る事を知らず、生涯己が為のみなるが故に、労して功なきなり、縦令(タトヒ)人といへども、譲の道を知らず、勤めざれば、安堵(アンド)の地を得ざる事、禽獣(キンジユウ)に同じ、仍て人たる者は、智恵は無くとも、力は弱(ヨハ)くとも、今年の物を来年に譲(ユヅ)り、子孫に譲り、他に譲るの道を知りて、能行はゞ、其功必成るべし、其上に又恩に報(ムク)うの心掛けあり、是又知らずば有べからず、勤めずば有べからざるの道なり
一七八 翁曰、交際(カウサイ)は人道の必用なれど、世人交際の道を知らず、交際の道は碁(ゴ)将棋(シヤウギ)の道に法(ノリ)とるをよしとす、夫将棋の道は強(ツヨ)き者駒(コマ)を落して、先の人の力と相応する程にしてさす也、甚(ハナハダ)しき違ひに至ては、腹(ハラ)金とか又歩三兵と云までに外(ハズ)す也、是交際上必用の理なり、己(オのれ)富、且(かツ)才芸あり学問ありて、先の人貧ならば、富を外(ハヅ)すべし、先の人不才ならば、才を外すべし、無芸ならば、芸を外すべし、不学ならば、学をはづすべし、是将棋を指すの法なり、此の如くせざれば、交際は出来ぬなり、己(オのれ)貧にして不才、且無芸(ムゲイ)無学(ムガク)ならば、碁を打が如く心得べし、先の人富て才あり、且学あり芸(ゲイ)あらば、幾目(イクモク)も置(オキ)て交際すべし、是碁(ゴ)の道なり、此理独(ヒトリ)、碁将棋の道にあらず、人と人と相(アイ)対(タイ)する時の道も、此理に随ふべし
一七九 翁又曰、礼法は人界(ジンカイ)の筋(スジ)道なり、人界に筋道あるは、譬(タトヘ)ば碁盤(ゴバン)将棋盤(シヤウギバン)に筋あるが如し、人は人界に立たる、筋道によらざれば、人の道は立ず、碁も将棋も其盤面(バンメン)の筋道によればこそ、其術(ジユツ)も行れ、勝敗(カチマケ)も付なれ、此盤(バン)面の筋道に
よらざれば、小児の碁将棋を弄(モテアソ)ぶが如く、碁も碁にならず、将棋も将棋にならぬ也、故に人倫は礼法を尊ぶべし
一八〇 翁曰、汝(ナンジ)輩能々思考せよ、恩を受けて報いざる事多かるべし、徳を受て報(ハウ)ぜざる事少からざるべし、徳を報う事を知らざる者は、後来の栄(サカ)えのみを願ひて、本(モト)を捨(スツ)るが故に、自然に幸福を失(ウシナ)ふ、能徳を報う者は、後来の栄えを後にして、前の丹精を思ふが故に、自然幸福を受て、富貴其身を放(ハナ)れず、夫報徳は百行の長、万善の先と云べし、能其根元を押極めて見よ、身体(シンタイ)の根元は父母の生育にあり、父母の根元は祖父母の丹誠(タンセイ)にあり、祖父母の根元は其父母の丹誠にあり、斯の如く極(キハム)る時は、天地の命令に帰(キ)す、されば天地は大父母なり、故に、元の父母と云り、予が歌に「きのふより知らぬあしたのなつかしや元の父母ましませばこそ」、夫(そレ)我(わレ)も人も、一日も命(いのチ)長かれと願ふ心、惜(オ)しひほしひの念、天下皆同じ、何となれば明日も明後日も、日輪(リン)出玉ひて、万世替(カハ)らじと思へばなり、若明日より日輪出ずと定まらば、如何にするや、此時は一切の私心執着(シウヂヤク)、惜(オ)しひほしひも有べからず、されば天恩の有難き事は、誠に顕然(ケンゼン)なるべし、能思考せよ
一八一 翁曰、自然に行るゝ是天理なり、天理に随(シタガ)ふといへ共、又人為を以て行ふを人道と云、人体の柔弱(ジウジヤク)なる、雨風雪霜寒暑昼夜、循環(ジユンクワン)不止の世界に生れて、羽毛鱗介(リンカイ)の堅(カタ)めなく、飲食一日も欠(カク)べからずして、爪(ツメ)牙(キバ)の利なし、故に身の為に便利なる道を立ざれば、身を安ずる事能はず、さればこそ、此道を尊(タツト)んで、其本原天に出づと云ひ、天性と云ひ、善とし美とし大とするなれ、此道の廃(スタ)れざらん事を願へばなり、老子其隙(スキ)を見て、道の道とすべきは常の道にあらず、などゝ云るは無理ならず、然りといへ共、此身体を保(タモ)つが為、余義なきを如何せん、身、米を喰ひ衣を着し家に居り、而て此言を主張するは、又老子輩の失と云べし、或曰、然ば仏言も失と云べき歟、翁曰、仏は生といへば滅と云ひ、有と説けば無と説き、色則是空(シキソクゼイクウ)と云ひ、空則是色と云り、老荘の意とは異なり
一八二 翁曰、天道は自然(シゼン)なり、人道は天道に随(シタガ)ふといへ共、又人為なり、人道を尽(ツク)して天道に任すべし、人為を忽(ユルガセ)にして、天道を恨る事勿れ、夫庭前の落葉は天道なり、無心にして日々夜々に積(ツモ)る、是を払はざるは人道に非ず、払へども又落る、之に心を煩(ワヅラハ)し、之に心を労し、一葉落れば、箒(ハヽキ)を取て立が如き、是塵芥(チリアクタ)の為に、役(ヤク)せらるゝなり、愚と云べし、木の葉の落るは天道なり、人道を以て、毎朝一度は払ふべし、又落るとも捨置て、無心の落葉に役せらるゝ事勿れ、又人道を忽(ユルガセ)にして積り次第にする事勿れ、是人道なり、愚人といへども悪人といへども、能教ふべし、教て聞ざるも、是に心を労する事勿れ、聞ぬとて捨る事なく、幾度も教ふべし、教て用ひざるも憤(イキドフ)る事勿れ、聞かずとて捨るは不仁なり、用ぬとて憤るは不智なり、不仁不智は徳者の恐るゝ処なり、仁智二つ心掛て、我が徳を全ふすべし
一八三 某の寺に、廿四孝図の屏風(ビヤウブ)あり、翁曰、夫聖(セイ)門は中庸を尊ぶ、然るに此廿四孝と云者皆中庸ならず、只王裒、朱寿昌等、数名のみ奇もなく異もなし、其他は奇なり異なり、虎の前に号(ナキ)しかば、害を免るゝに至ては我之を知らず、論語孝を説く処と、懸隔(ケンカク)を覚う、夫孝は親の心を以て心とし、親の心を安ずるにあり、子たる者平常の身持心掛慥ならば、縦令(タトヒ)遠国に奉公し、父母を問ふ事なしといへ共、某の藩にて褒賞(ホウシヨウ)を受けし者ありと聞時は、其父母我子ならんと悦(ヨロコ)び、又罪科(ツミトガ)を受し者ありと聞時は、必我子にあらじと苦慮(クリヨ)せざる様なれば、孝と云べし、又同く罪科に陥(オチイ)りし者ありと聞時は、我子ならんかと苦慮し、褒賞の者ありと聞時は、我子にあらじと、悦ばぬ様ならんには、日に月に行通ひて、安否を問ふ共、不孝とす、古語に、親に事る者は、上に居て驕(オゴ)らず、下に居て乱(ミダ)れず、醜(シウ)に在て争(アラソ)はずと云ひ、又違ふ事なしとも、又其病を是(こレ)患(ウレ)ふとも云り、親子の情見るべし、世間親たる者の深情は、子の為に無病長寿、立身出世を願ふの外、決して余念なき物なり、されば子たる者は、其親の心を以て心として親を安(やすン)ずるこそ、至孝なるべけれ、上に居て驕(オゴ)らざるも、下と成て乱れざるも、常の事なれど醜(シウ)に在て争(アラソ)はずと云へるに、心を付べし、醜俗に交る時は、如何に堪忍するとも、忍(シノ)び難き事多かるべきに、此場に於て争はぬは、実に至孝と云ふべきなり
一八四 翁曰、人の子たる者甚(はなはダ)不孝なりといへども、若他人其親を譏(ソシ)る時は必(かならズ)怒(イカ)るものなり、是父子の道天性なるが故に怒るなり、詩に曰く、汝の祖を思ふ事無からんや、と云り、うべなり
一八五 翁曰、深く悪習に染みし者を、善に移(ウツ)らしむるは、甚(はなはダ)難し、或は恵(メグ)み或は諭(サト)す、一旦は改る事ありといへ共、又元の悪習に帰るものなり、是如何共すべなし、幾度も是を恵み教ふべし、悪習の者を善に導(ミチビ)くは、譬(タトヘ)ば渋柿(シブガキ)の台木(ダイキ)に甘(アマ)柿を接穂(ツギホ)にしたるが如し、やゝともすれば台芽(メ)の持前(モチマヘ)発生して継穂の善を害(ガイ)す、故に継穂をせし者、心を付て、台芽(ダイメ)を掻(カ)き取るが如く厚(アツ)く心を用ふべきなり、若怠(オコタ)れば台芽の為に、継穂の方は枯れ失せべし、予が預(アヅカ)りの地に、此者数名あり、我此数名の為に心力を尽(ツク)せる甚(はなはダ)勤たり、二三子是を察せよ
一八六 翁曰、富人小道具を好む者は、大事は成し得ぬ物なり、貧人履(ハキ)物足袋(タビ)等を飾(カザ)る者は立身は出来ぬものなり、又人の多く集り雑踏(ザツトウ)する処には、好き履(ハキ)物をはく事勿れ、よき履物は紛失する事あり、悪きをはきて紛失したる時は尋(タヅネ)ずして、更(サラ)に買求めて履(ハ)きて帰るべし、混雑(コンザツ)の中にて、是を尋ねて人を煩(ワヅラハ)すは、麁悪(ソアク)なる履(ハキ)物をはきたるよりも見苦し
一八七 翁曰、聖人中を尊ぶ、而て其中と云ものは、物毎にして異なり、或は其物の中に中あるあり、物指(モノサシ)の類是なり、或は片寄(カタヨリ)て中あるあり、権衡(ハカリ)の垂針(オモリ)の平是なり、熱(アツカ)らず冷(ヒヤヽカ)ならざるは温湯の中、甘からず辛からざるは味の中、損なく徳なきは取り遣りの中、盗(ヌス)人は盗むを誉(ホ)め、世人は盗むを咎(トガ)むる如きは、共に中にあらず、盗まず盗まれざるを中と云べし、此理明白なり、而て忠孝は、他と我と相対して、而て生ずる道なり、親なければ孝を為さんと欲するとも為べからず、君なければ忠をなさんと欲するとも、為す事能はず、故に片よらざれば、至孝至忠とは言難(イヒガタ)し、君の方に片より極りて至忠なり、親の方に偏倚(ヘンイ)極(キハマ)りて至孝なり、片よるは尽すを云なり、大舜(シユン)の瞽瞍(コソウ)に於る、楠公の南朝に於る、実に偏倚(ヘンイ)の極なり、至れり尽せりと云べし、此の如くなれば、鳥黐(モチ)にて塵(チリ)を取るが如く、天下の父母たる者君たる者に合せて合ざる事なし、忠孝の道は爰に至て中庸なり、若忠孝をして、中分中位にせば、何ぞ忠と云ん、何ぞ孝と云ん、君と親との為には、百石は百石、五十石は五十石、尽さゞれば至れりと云べからず、若百石は五十石にして、中なりと云が如きは、過(アヤマチ)の甚しきものなり、何となれば、君臣にて一円なるが故なり、親子にて一円なるが故なり、夫君と云時は必臣あり、親と云時は必子あり、子なければ親と云べからず、君なければ臣と云べからず、故に君も半なり、臣も半なり、親も半なり、子も半なり、故に偏倚(ヘンイ)の極を以て、是を至れりと云、左図を見て悟(サト)るべし

   偏倚(ヘンイ)極りて至孝至忠なり(図)







二宮翁夜話 巻之四 終

 


 

 (注)1.本文は、岩波書店刊『日本思想大系52 二宮尊徳・大原幽學』(1973年5月
      30日第1刷発行)
によりました。(『二宮翁夜話』の校注者は、奈良本辰也氏。)
     2.凡例によれば、底本は、神奈川県立文化資料館所蔵の木版本(明治17-
     20年出版)
で、読点はほぼ底本どおりとし多少の訂正を施した、とあります。
   3. 引用に当たって、踊り字(繰返し符号)は、「々」及び「ゝ(ヽ)」「ゞ(ヾ)」
    の他はすべて普通の仮名に改めました。
   4. 本文の片仮名のルビは、( )に入れて文中に示しました。
     「自(オのづから)」「我(わガ)」のように、( )内の仮名に平仮名と片仮名が
    あるのは、底本には片仮名の「オ」「ガ」だけがルビとして示されていて、平仮
    名の「のづから」「わ」は、引用者が補ったもの、という意味です。
   5. 『二宮翁夜話』(巻之一は資料31にあります。
        『二宮翁夜話』(巻之二は資料75にあります。
        『二宮翁夜話』(巻之三は資料76にあります。
       『二宮翁夜話』(巻之五は資料78にあります。
   6.岩波文庫版の『二宮翁夜話』を底本にした「巻之一」の本文が、資料74
    
にあります。
   7.宇都宮大学附属図書館所蔵の「二宮尊徳関係資料一覧」 が、同図書
    館のホームページで見られます。
    8.小田原市のホームページに、栢山にある「小田原市尊徳記念館」の案内
    ページがあります。 
      9. 二宮町のホームページに、「二宮尊徳資料館」のページがあります。
   10. 「GAIA」 というホームページに二宮尊徳翁についてのページがあり、
    尊徳翁を理解する上でたいへん参考になります。ぜひご覧ください。
          「GAIA」 の「日記」のページの中に、『報徳要典』(舟越石治、昭和9年
    1月1日発行、非売品)を底本にした「二宮翁夜話」が収めてあり、そこで
    本文と口語訳とを読むことができます。
      また、『報徳記』を原文と口語訳で読むこともできます。
   


  巻 の 四


 第百三十四話 事業でもその他でも、信頼関係が基本である

 第百三十五話 誠意を継続することが、法律よりも強い

 第百三十六話 人口が減るのは、民政が行き届かないことにもとが有る

 第百三十七話 国の繁栄、衰退は、民政の在り方にかかっている

 第百三十八話 江川太郎左衛門との話

 第百三十九話 至誠と実行が、尊徳の信条

 第百四十話  言葉だけではなく、実行してこそ本物

 第百四十一話 根元的な仕事は低く見られがちである 

 第百四十二話 易しいと思える守勢も、実際は難しい 

 第百四十三話 刃物の受け渡しの作法には、道徳の本質が含まれている

 第百四十四話 身代の維持管理は、鉢植えの松の手入れが見本

 第百四十五話 樹木の維持には、根の力に応じて枝葉を調節してやる

 第百四十六話 滅亡に進めようとする天理を避ける良法は、推譲

 第百四十七話 天の力は永遠不変であることを知れば、自ずと行動は正しくなる

第百四十八話 悟りを過大評価するのは良くない。悟っても、悟らなくても、天の定理は不変である

 第百四十九話 正しい道は、必ず人の役に立つ 

 第百五拾話  尊徳の仕法は弘法大師に勝る

 第百五十一話 天分を活かして努めれば、実現出来ないことは何もない

 第百五十二話 この世の生物は総て天の分身である

 第百五十三話 循環、輪転は天理。推譲は天理さえも調節する

 第百五十四話 一つの循環

 第百五十五話 女大學は、女性のための書物

 第百五十六話 間に入る者は、おざなりは言うな

 第百五十七話 天の創った物だけが最後に残るのがこの世

 第百五十八話 生物の世代交代には、雌雄、男女が必要

 第百五十九話 この世は泳ぎ渡る術の水準が課題

 第百六拾話  この世は二つのものが交互に出現する世界

 第百六十一話 万物は対極で成り立つ

 第百六十二話 ご馳走も親孝行も正しく入手したお金で行わなければ意味がない

第百六十三話 大きく見えるものも、総ては小さいものから構成されている。
        小さいものを侮っては
ならない

 第百六十四話 ちまちまと細かく減らすよりは、まずは増やす事に全力を注げ

 第百六十五話 事前の計画こそが、成功の秘訣 

第百六十六話 学問は、人を幸せにするためのものであり、自分の欲望のためにするべきではない

 第百六十七話 過ちと判れば直ぐに改め、二度と悪に近づかないようにすべし 

 第百六十八話 この世は循環の世であると理解すれば、将来を明るく望める

 第百六十九話 悟りの道は、わざわざ根を抜いて、これが草の本源だと見せるようなものである   

 第百七十話  世界中誰もが、唯我独尊なのである 

 第百七十一話 仏教者も、今様に変化しているが、これも自然の勢いである 

 第百七十二話 仏教も神道も、今見えているものが、本当のものではない

 第百七十三話 相手が本当に必要とするものは、注文になくても提供せよ

 第百七十四話 文字は伝える道具であり、そのもの自体ではない  

 第百七十五話 貧困は風紀を悪くする源、これを改善するには、恵んで費えない方法によれ     

 第百七十六話 常に天下全体に貢献する事を前提に物事を考えよ

第百七十七話 人道は、人の都合で創られた、作為に満ちたもの。創るのを善とし、
        善の結果を
廃らせないように活動するのが人道

 第百七十八話 本当の平等は、力に応じて差を設定する事で達成される 

 第百七十九話 礼は人が生きる上での筋道

 第百八十話  人であれば、恩や徳に報いる事を忘れてはならない 

第百八十一話 人が行わなければならないのは、天理を尊重して、人の生存に必要な事を、
            天理に逆らって行う事  

 第百八十二話 人事を尽くして天命を待つ、人事も尽くさないで天命を待ってはならない 

 第百八十三話 孝行は、親に病気以外の心配をかけない事から始まる 

 第百八拾四話 親子の情は切れない

 第百八十五話 悪習に染まった者を救う法 

第百八十六話 小さな事に気を取られないように

 第百八十七話 中庸の中の在り方は、対象によって、いろいろ有る 

 



 

第百三十四話

 事業でもその他でも、信頼関係が基本である

 

二宮尊徳翁は次のように話された。

論語に「信則民任焉」とある。意味深い言葉である。

子と母の関係が良い例である。子は、自分がどんなに大事にしているものでも、一つも疑わずに母に預ける。これは、母は信頼できる存在であることが、子に通じている証明である。

私と、小田原藩の先君(大久保忠真)との間も同じである。忠真様の私への桜町の仕法実施の委任は、仕法進行計画を一々細かく説明することなく、年々の出納の計算もなしに、「十ヵ年の間、仕法を任せる」との命令だけであった。

このご信頼が、私がこの桜町に身を委ねようとした理由の一つである。

ここに着いた時に、さてこれからどのようにしていけば良いかと熟考している内に、日本の国は、大昔に外国から資本を借りて開いたものではなく、日本は日本の国の恵みを元にして開いたに相違ないことに、思いが至り、小田原本藩の下付金をお断りし、近郷の富裕者にも借り入れを頼まず、この四千石の地を日本に見立てて、復興の方法を勉強した。同時に、開闢の昔に葦原に一人降り立たれた神の覚悟を見習い、依頼心を持たず、卑怯な心も無しに、何を見ても羨むことなく、心中を清浄にしていようと覚悟し、信念としていたので、終に、信念が通じて、いろいろな願いが成就し始めて現在のようになった。

この覚悟が、事を成功させる大本である。また、私の悟りの極意でもある。

この覚悟が定まれば、廃れた村を復興するのも、廃絶した家を興すのも、簡単である。

ただ、この覚悟一つである。

 

※ 「信則民任焉」(しんなればすなわちたみにんず)(信=真 まことがあれば人民から頼られる) 論語 尭日

 

【追補】

二宮尊徳は、この説話で、事業の遂行に当たっては、関係者の信頼関係の樹立が、何よりも大事なことであるから、指導者はそのことに向って努力をしなければならない、と教えている。

望ましいのは、この説話のような、全幅の信頼、という形態である。しかし、それが無理であっても、疑いの心を持たないという程度までは、信頼関係を進めて行けるはずであるから、そこまでは努力してみることである。

最近では、家族間でも、信頼という言葉が失われつつある。物欲偏重、甘やかし、ということなどが原因となっているのであろうが、テレビの娯楽番組などでの、「仁」「礼」「義」「智」の欠落も大いに影響していると考えられる。最近の笑いのネタに、相手の心身の弱みをついて笑いをとるというものが多いことにも、影響しているようである。


第百三十五話

 誠意を継続することが、法律よりも強い

 

二宮尊徳翁は次のように話された。

怠惰な空気が蔓延し、風紀が乱れきった村を再建するのは、なかなか難しい事業である。

なぜかと言えば、法律も行き届かず、勿論規則も実行されない。いろいろな教えを広めようとしても聞いてくれない、という状況に村があるからである。

この状態から勤勉に向わせ、義を尊ぶようにさせるのだから、何とも難しい事である。

私が最初に桜町に着いた時も、陣屋管轄の村々は、丁度そのような乱れ切った状態にあり、何とも手の下しようのない有様だった。

そこで、私は、深夜或いは未明に村里を巡回した。その時には、怠惰を戒めることなく、朝寝を戒めるのでもなく、何ら可否を問うことなく、励めとも言わずに、ただ自分の勤めとして寒暑風雨にもかかわらずに毎日巡回した。

一、二ヶ月の後になって、ようやく、始めて私の足音を聞いて驚く者が現れ、足跡を見て、怪しむ者が出てきた。

それ以来、村人もお互いを戒めるような心が出てきて、少しずつ、畏れの心を持ち始め、その後数ヶ月の後には、夜遊び、博打、喧嘩などは勿論、夫婦喧嘩、下男達の喧嘩、果ては叱咤の声さえもなくなった。

権兵衛が種をまけば烏がこれを掘る。三度に一度は追わずばなるまい、と言う通りである。

これも、ざれ言とはいえ、働く人はその意味を知っておかなければならない。烏が田畑を荒らすのは、烏の罪ではなく、田畑を守る者が烏を追い払わないという過ちを犯しているからである。

世の中の決まりを守らない悪人がいるのも、担当官吏がそれを追求しないからである。ただし、悪人を追及するにも、権兵衛が烏を追い払う事を勤めとして、捕まえるのを本意としなかったように、つ住まえるのを目的にするのでなく、改心させるのを目的としたいものである。

ざれ言など、一般の人々の言葉と言えども、その本意に立ちかえって良く検討してみると、案外役に立つものである。心得ておかなければならない。

 

【追補】

二宮尊徳は、この説話で、桜町に赴任した当時に、どのようにして村の風紀の改善に当たったかと説明し、法律や規則でなく、こちらが誠意を継続することの方が、ずっと効果がある、と教えている。

最近では、法律や規則が幅を利かせている時代となっている。

いずこかで、事故や不祥事が起きると、必ず、もっと規則を整備して、再発防止に当たる、という言葉が出てくる。

しかし、それは本当の解決にはならないのである。抜本的な解決のためには、そのようなことを起こさない、人の気持ちを作り上げなければならないのである。

良識とそれに基づく誠意、これが総ての解決策である。そこに向って努力したいものである。

 

第百三十六話

 人口が減るのは、民政が行き届かないことにもとが有る

 

二宮尊徳翁は次のように話された。

田畑が荒れるその原因を、農民が怠惰であることに押付け、人口が減少する原因を、生んだ子を育てないと言う悪弊を原因だとするのは、一般的な考えであるけれど、いかに愚民と言われる人達でも、殊更に田畑を荒らして、自ら困窮を招くような者がいるであろうか。

また、人は、猛獣や鳥類ではない。親子の情が無い訳ではない。だが、生んだ子を育てないのは、食料も乏しく、成長するまで生育するのが難しいと考えるからである。良く、その実情を視察すれば、甚だ悲惨な状態にあることが判る。

しかも、その元は、第一に、租税の重さに耐えられなくなって、やむを得ず、田畑を捨ててしまった者がいることである。

次には、民に対する政治が行き届かずに、堤防や水路や道路や橋が破損したままになっていて、耕作が行ない難くなっていることがある。

最後には、それらのことが重なって、人々の心がすさみ、人心から良心が失せて、博打が盛んになり、風紀が乱れたことから、人々が耕作に向かわないのである。

この三つが、大きな要因である。

このように、耕作をしないから、収穫は減り食物も減る。食物が減るので人口が減るのである。

食料が十分にあれば、人は集まり、食料がなければ、人が散るのは自明の理である。

論語に、為政者が「所重民食喪祭」とある。最も重んじるべきは民の米びつである。

例えば、ここに蝿を集めようとして、どこかで何匹も捕らえてきてここに放しても、また、あちこちから追い集めたとしても、決して集まらない。

ところが、ここに食物を置けば、特に配慮をしなくとも、たちまちにして多数の蝿が集まることは間違いない。これを追い払おうとしても、決して逃げていかないことも間違いない。

論語にも、政治はまず「足食足兵」とある。重んじるべきは、やはり、民の米びつである。

君達も、自分の米びつの中身の大切な事を、忘れないようにせよ。

 

※ 「所重民食喪祭」(おもんずるところはたみしょくそうさい) 論語 尭日

※ 「足食足兵、民信之矣、」(しょくをたしへいをたし、たみをしてこれをしんじせむ)論語 顔淵 

 

【追補】

二宮尊徳は、この説話で、人口が減少するのは、民政が行き届かないからである。政治が、人々が豊かに生活できることを最優先にしていかなければ、人々の心は落ち着かず、将来への不安ばかりが大きくなる。このような村や国では、人口が増加することはない。指導者となる者は、まずは自分の米びつを気にかけて、そこから人々の米びつに気持ちを移して、人々が、できるだけ安定した生活ができるように、整えていかなければならない、と教えている。

わが国でも、少子化、人口減少という時代に来ている。尊徳の時代とは違って、物的生活水準は、大幅に上昇していることは間違い無いが、本当に安心して未来に対応できるのかと考えてみると、果たしてどうであろうか。

天保七年の凶作に際して、烏山藩をはじめとした支援する藩や村に、桜町の農民が、進んで自らの蓄えを提供したときのように、自分の来年を心配せずに、そのように出来るであろうか。

為政者は、まずは自分の米びつを通して、人々の米びつに気を使うべきである。

 

 

第百三十七話

 国の繁栄、衰退は、民政の在り方にかかっている

 

ある人が来られた時に、二宮尊徳翁は、「家族の皆さんは元気ですか。」と尋ねられた。

そして、後に、二宮翁はなぜ、そうたずねられたかを説明してくれた。

そこには、次のような事情があったからである。

その人の父は、村内には比べる者も居ない程の篤農家であった。そのために、収穫量も多く、豊かな農業経営が続いていた。

だが、子であるその人は、悪事をしないとは言え、農事を疎かにしているために、作物の手入れが行き届かず、ただ蒔いて刈取ることしかしていない。肥やしをやるのは、損だなどと言っていて、田畑に肥やを施した時に、どれほどの効果が得られるかを知らない。

そのために、父親が死んで、僅か四、五年で上田も下田となり、上畑も下畑となり、収穫も殆ど無くなり、農業の営みにさえ差し支えるようになった。

二宮尊徳翁は、左右を見て、皆に言った。

皆良く聞くように。今の話は一軒の農民一家のことであるが、これは、天然自然の道理であり、天下国家の興廃、存亡もみな同じ理由に拠るのである。そこには、肥料をやって作物を育成するのと、資金を投じて国民の生活を支援して、民政に力を尽くすのとの違いしかない。

大国が滅亡したのも、民政が行き届かなかったことによる。民政が行き届かなかった村里は、川の堤防や水路がまず破損し、幹線道路や大型橋梁が次に破損し、農業用通路や小橋も無くなって、田畑への通行もままなら無くなる。

堤防や水路が無くなれば、川付近の田畑はまず荒廃する。水路が破損すれば、高い田畑や低い田畑も耕作できない。道路が悪ければ牛馬は通れないし、肥料なども田畑に届けられない。仕事に熱心な農民であっても、これでは農事に力を尽くすことは出来ない。この状態で耕作してみても、普通の収穫も望めないであろう。

そのために、人家から遠い不便な田畑は捨てて、耕さなくなる。耕さないから食物は減少し、食物が減少するから、人々は離散する。人が離散して田畑が荒れれば、租税の収納高は減少するのは当然であろう。そして、租税が減少すれば、領主としての為政者も困窮せざるを得ない。

前の農家の興廃の話と、理屈は少しも違わない。君達も、この点に気をつけよ。

例えば、上国の田畑は温泉のようであり、下国の田畑は冷水のようである。上国の田畑は、多少手入れの行き届かない点があっても、収穫が比較的多いのは、温泉が自然に温かいのと同じである。下国の田畑は、冷水を温泉にするようなことであるので、人が力を尽くせば収穫が多くなるとは言うものの、人が力をを尽くさ無ければ、収穫は少ない。

下国の辺境な地区で、人民が離散し、田畑が興廃するのは、このためである。

 

【追補】

二宮尊徳は、この説話で、指導者の心の置き方について説明している。

指導者が、人々の生活全般に心を砕き、国の環境を整備し、食糧を確保し、人心の安定に努めていかなければ、大国といえども崩壊する。特に、心の安定を実現していかなければ、国を内側から支える力が減少するので、繁栄は、永くは続かない。

古くは、ローマが崩壊したのも、他の大国が崩壊したのも、人の心に驕りが増え、慈しみが減少したことが最大の原因である。決して、食糧やその他の物資が減少したからではない。

日本でも、驕れる平家久しからずというように、心のあり方が正しい位置ではなくなったときに、一致団結が不可能になり、滅亡に向ってしまったのである。平家に限らず、鎌倉、室町幕府も同様である。

 

 

第百三十八話

 江川太郎左衛門との話

 

二宮尊徳翁は次のように話された。

ある時、江川太郎左衛門氏が、

「桜町に入って数年で、年来の悪習を一掃し、人々に勤勉な気持ちを持たせ、広大な荒廃地を開いたと聞き及んでいる。感服しました。私も、支配地の為に、心を砕いてきて久しいが、少しも効果を得ていない。どのような秘策があるのか。」

と質問してきたので、私は、次のように答えた。

君主には君主の威光があるので、何か事を実施するのは至って簡単である。私は元々無能、無術である。しかしながら、君主の威光を用いても、或いは君主の学問を土台とした理解力があっても、実施できないであろう、茄子を成らせ、大根を太らせる術を、間違い無く体得しているので、その理屈を基本として、ただ一生懸命に努めて、怠らないようにしているだけである。

その結果、草ばかりであった場所が一変して、米が栽培できるようになった。この米が一変すれば、飯となる。この飯には、無心の鶏犬と言えども、走って集まり、犬は、尾を振れと命じれば尾を振り、回れと言えば周り、吠えよと言えば吠える。無心である鶏犬ですらこの通りである。

私は、ただ、この理屈を推して人々に及ぼし、日々の言動においては至誠を尽くすのみであり、特別な術があるわけではないのである。

その後、私が実地に行ってきた事を中心にして、談話すること六、七日に及んだ。

江川氏は、飽きずに良く聴かれた。

現在は、定めて、配下支配地区の為に、尽くされていることであろう。

 

※ 江川太郎左衛門 伊豆韮山の天領地管轄の永代代官 幕末期に活躍、
配下の韮山の商人と管轄地の大磯の商人等が、二宮尊徳翁の指導を受けて、傾いた身代を復興させたことを知り、翁の一門数名が韮山の商人宅に立ち寄った時に、翁と豊田正作とを招待し、数日に亘って懇談している。

 

【追補】

二宮尊徳はこの説話で、事業成功には、絶対の秘訣というものは無いことを説明している。

世の中の人は、成功の秘訣というものがあるのではないか、それがあるならば、それを知って自分も利用すれば、直ぐに成功できる、と思いこんでいる。視察などと言って見に来る人達の大部分は、そういう考え方である。

トヨタ生産方式が話題になると、セミナーも定員を遥かに超える人数が集まった。しかし、トヨタ自動車では、昭和二十三年頃から始めて、三十年以上を掛けて作り上げてきた方式である。今でも少しずつ変化をしているのである。それを僅か、二、三時間の話で判った積りになることが間違いである。

商店街もそうである。何年も掛けて、顧客とのコミュニケーションを通じて、対応する方法に到達したのである。その結果の今だけを見て、真似してもうまく行くはずは無いのである。

最近では、祭りまでも猿真似が横行している。ブラジルのカーニバルは、虐げられた人達が、せめて一年に一度は大手を振って大通りに出て行きたいと、一年掛りで仕上げるのである。

日本の祭りも同じである。札幌よさこいソーラン祭りは、自分達の財産に他からの力を借りて作り上げたのであるから、まだ許せるが、それを、どこどこ阿波踊り、とか、何とかよさこいとか、自分たちの智慧はどこにも見えない、タイトルを聞くだけでも恥ずかしい祭りが堂々と行われ、テレビが批判も無く放送する世の中である。

人まねで経済発展に寄与してきた、この日本文化も、ここまで至ったかと、情け無くなる今日である。

 

 

第百三十九話

 至誠と実行が、尊徳の信条

 

二宮尊徳翁は次のように話された。

私が事業を実施する際の基本的信条は、至誠と実行である。

その信条は、人ばかりでなく、鳥獣虫魚草木などの生物総てに及ぼして行くものである。

従って、その信条と相反することが多く、人を騙す結果を招きやすい才知、弁舌を、私は尊ばない。才知弁舌は、人に向っては通用するものの、鳥獣草木には通用しない。だが、鳥獣には心があるから、時には、才知で騙すことが出来るかも知れないが、草木は騙すことは出来ない。

再度言うが、私が事業を実施する際の基本的信条は、至誠と実行である。至誠と実行に基づいた行動をしていけば、米麦蔬菜瓜茄子でも蘭菊でも、みなこれを生育させることができる。

しかし、智謀孔明を欺むき、弁舌蘇張を騙すといえども、弁舌を振るって草木を栄えさせることは出来ない。

それだから、私は、才知、弁舌を尊ばずに、至誠と実行を尊ぶのである。

中庸に、「故至誠如神」と言うが、至誠はすなわち神であると言っても良いであろう。

凡そこの世の中では、智慧もあり学問もある者であっても、至誠の精神と実行力が無ければ、事業は成功しないと知るべきである。

 

※ 孔明 中国三国時代の人、諸葛 亮 字が孔明 軍神と言われるほどの策略家

  蘇張 中国戦国時代の雄弁家 蘇秦(そしん)と張儀 から来ている。

      二人の名前をつなげて弁舌の巧みなことを 蘇張と言う

※ 「故至誠如神」(ゆえにしせいはしんのごとし) 中庸

 

【追補】

二宮尊徳は、この説話で、尊ぶのは至誠と実行であり、才知と弁舌は価値を認めない。才知は一時的に相手を騙すことに使えたとしても、草木や作物などには、その効果は及ばない。誠実に育成に努めれば、草木、作物も、こちらの意を受けとめて育ってくれる。と教えている。

「巧言令色、鮮矣仁」(こうげんれいしょく、すくなしじん)「(指導者で)言葉が巧みで、表情をとりつくろっている人には、(指導者として保有していなければならない、大切な)仁の心が欠けているものだ。」と、論語「学而」にある。また、「巧言乱徳」(こうげんはとくをみだす)「(指導者が)言葉上手であることは、世の中の善意を乱すことになる。」「衛霊公」とある。まことに、これらの言葉を尊重していきたい世の中である。


第百四十話

 言葉だけではなく、実行してこそ本物

 

二宮尊徳翁は次のように話された。

朝夕に、いかに真剣に善を思おうとも、行いによって善を表さなければ、善人とは言ってはならない。それは、昼夜に悪い事を考えていると言っても、実際に悪事をしなければ悪人とは言わないのと、同じである。

従って、私は、悟りの道や、心を治めるための修行などに時間を費やすよりも、小さなことでも良いから、実際に善を行う事を尊ぶ。

もし、善の心が起こってきた時には、速やかにそれを行動に移すべきである。

例えば、親がいる者は親を敬って養うべきであり、子弟がある者は、その子弟を教育することに力を注ぐべきである。飢えた人を見て哀れと思うならば、直ちに食料を与えなければならない。

悪い事をして、自分が間違っていたと気がついても、改めるという行動をとらななければ、なんにもならない。飢えた人を見て哀れと思うも、食事を与えるという行動をしなければ、その功は無い。思った事を実行することが大事なのである。

それだから、私の事業では、実地、実行を大事にしている。それは、この世の中は、考えるだけでなく、実行しなければ、ことは成就しないからである。

但し、実行するには、目的とすることが、どのような活動をすれば果たせるかを、良く考えて、明らかにしておかなければならない。

例えば、小さな羽虫を欲しいと思って商人に求めても、それは得られないが、野菜を栽培すれば、必ず、自然に葉虫が生じてくる。小さなぼうふらを、他人に求めても、得られない。しかし、桶に水をためておけば、必ず、自ら生じてくる。いま、この席に蝿を集めようとしても、決して集まらない。捕らえてきて放しも、直ぐに何処かへ飛び去ってしまう。しかし、飯粒を置いておけば、わざわざ集めなくても、沢山集まる。等々、自然から学ぶことも多い。

この例のように、目的に達する道理を良く弁えた上で、実地実行に励むことである。

 

【追補】

二宮尊徳は、この説話で、口で言葉としての善を何遍唱えようとも、善を実行しなければ、善人とは言わない。私の事業の遂行においても、言葉が巧みでも実行しないで居る人は、重要な仕事は任せられない。なお、実行するにあたっては、事前に目的を果たすのに必要な事項を良く見極めてから、実行するように、と教えている。

 

 

第百四十一話

 根元的な仕事は低く見られがちである

 

二宮尊徳翁は次のように話された。

凡そ、この世界で、根元的存在と言われるものごとは、殆どが、低い位置付けをされていると思われるものごとである。

しかし、低い位置付けに有るということで、その根元的なものごとを軽く見るのは誤りである。

一般に、物を置く時に、最初に置いた物が必ず下になり、あとから置く物が必ず上になるのが、道理である。

例えば、家屋を例に取ると、土台が有るから、その上に書院も床の間も存在できるのであるから、土台は、家屋の元である。しかも、土台がしっかりしていれば、家屋も安定し、長持ちし、住む人も安全である。

これを国に当てはめてみると、国の土台と言えるものは、国民である。国民がいてこそ、国としての存在があるのである。

そしていま、国民が携わる総ての職業の中では、農業が土台である。

なぜならば、自ら食物を耕作・育成・収穫して食べ、自ら機織をして着るものを作るという仕事をしているからである。(※ 当時は、農民が農事の合間に糸を紡ぎ、布を織って出荷していた) 

しかも、国中の総ての人々がこの仕事をしても、何ら問題は起きない職業でもある。国中の総ての人々がその仕事に携わっても差し支えを生じない仕事こそ、根元的なのである。

このような基本的で大事な仕事が低く見られるのも、それが根元的存在であるからである。

つまり、農民は、国の根元的な仕事をしているから、低く見られがちなのである。

官吏が、高貴な存在に見えるのは、そうではないからである。総ての国民が官吏になったならば、国はどうなるだろうか。必ず滅びるであろう。兵士が尊敬されるのも、物を加工し形を造る仕事が、欠くことの出来ない職業と言われるのも、総てが、国民全員がその職業に着いては、国が立ち行かなくなるということがあるからである。商業も同じである。

しかし、農業は、国民全員が農民となっても、国が立ち行かなくなるということは無い。それは、農業が、人にとって最も大事で、人の生存に関して根元的な位置付けに有る「食」を生産する職業であるからである。

このことから、農業が、総ての職業の大本であることが明白になる。

この理屈を十分に理解すれば、それまで抱いていた迷いの気持ちは無くなり、大本が何で、末に位置するものが何であるかを、自ら知ることが出来る。

農業が、大本の業であるのだから、農業者を手厚く処遇し、育成していかなければならないのは、当然である。

なお、大本を大事にしていけば、その末に位置するものは、自ずから繁栄する。

樹木も、みだりに枝葉を切るなというが、幹や根が弱っている時には、枝葉を切ってでも根と幹に栄養が集まるようにして、回復を図る。それが成就すれば、また枝葉は、繁茂する。

これが、大本を大事にして、全体の回復を図るという、総ての復興事業に関わる要諦である

 

【追補】

二宮尊徳は、この説話で、根源的な仕事は、意外に低い地位にあると見られがちである。しかし、その仕事が無ければ、他の仕事が世の中に存在していくことはできない。と教えている。

この尊徳の考えは、今でも同じく通用する。

経済がグローバル化して、外国から、何でも安く手に入るようになって、国内産業の規模を縮小させる方向に進んでいる。特に、食糧の自給率は、極端に低い比率まで落ち込んでいる。

現在は、食糧輸出国の政治と経済が安定しているから良いが、もし何かあれば、大変なことになる。食料の多くは、春から秋の季節にしか収穫できないし、殆どの食糧の生育期間は、六ヶ月程度となっているので、緊急時には簡単に対応できない。

長期的視野に立って、食糧の自給率の向上に向っていくべきであろう。

なお、この説話で、尊徳は非常に面白いことを言っている。それは、全国民が同じ職業についたとしても、国が立ち行かなくなることが無いのは農業だけである、ということである。確かにそうである。第二次大戦直後に、戦地や外地から数多くの人が戻ってきたとき、農村地区でその多くを受け入れたが、それが可能であったのも、その地区の主要産業が、農業という受け入れ許容範囲の広い産業であったからである。

やはり、今でも、農業が、総ての大本に位置する業であることは間違い無い。

 

 

第百四十二話

 易しいと思える守勢も、実際は難しい

 

二宮尊徳翁は次のように話された。

貞観政要という書物に、「創業は難しく、守るのは易しい」ということが述べられている。

守るのは易しいということは、そうであるのかもしれないが、現実に、祖先が残した大きな身代(資産及び収入を得る仕事の仕組総体のこと)を、減少させないように維持するのは、大層難しいことである。

それは、例えば、水を一杯に入れた少し大きな器を、水をこぼさないように平らに、両手で持ち続けるようなものである。器には心が無いから、自ら傾くことは無いが、持つ人が空腹になったり、疲れたり、眠くなったりして、永く水平を保って持ち続ける事が出来ないのと似ている。

一見すると易しそうであるが、なかなか難しいことなのである。

大きな身代を維持し続けることは、私の行っている事業の基本的な考えでは、至誠の心によって行動し、同時に推譲を行うことによって達成されるとしている。しかし、これも、水の入った器のたとえと同じで、心を正しく、且つ、欲望を滅却して平たくしていなければ、折角の至誠推譲も上辺だけのものになって、水泡に帰するということになり兼ねない。

大学という書物に、「心有所忿懥、有所恐懼、有所好樂、有所憂患、則不得其正」とある。まさにその通りである。皆も良く心得て置くように。

良く研いだ鏡であっても、表面に窪んだ個所があれば、顔が痩せて見え、中が盛り上がっている時は、顔が太って見えることから、平面が保たれていなければ、顔がゆがんで見えてしまう。いくら良く研いだとしても、意味が無いことである。

これと同じで、心が正しく平らでなければ、見るのも、聴くのも、考えるのも、皆歪むので、総てにおいて慎んで行動することである。

 

※ 「所謂脩身在正其心者、心有所忿懥、則不得其正、有所恐懼、則不得其正、有所好樂、則不得其正、有所憂患、則不得其正」(いわゆるみをおさむるはそのこころをただすにありとは、ごころふんちするところあれば、すなわちそのせいをえず。きょうくするところあれば、すなわちそのせいをえず。こうらくするところあれば、すなわちそのせいをえず。)大學
心有…朱子の説、尊徳もそれに拠っている。身有とする説も有る。

 

【追補】

二宮尊徳は、この説話で、守勢は易しいと思われているが、それは、水を満々に入れた器を、水をこぼさないように水平を保って持ち続けるのと同じで、実際にはなかなか難しいものである。特に、心を正しくして、私欲を滅して、心の水平を保つことが必要である、と教えている。

この説話で、後継者たる者は「心の水平を保て」と尊徳は教えているが、それは、まことに当を得た言葉である。

後継者は、後継者となった時に、色々なことが心を揺るがすものである。自分が本当に後継者としての資格があるのであろうかということで悩む人も居るであろうし、後継者となった途端に、おべっかを使って擦り寄ってくる人も居るであろうし、逆に、後継者を非難の眼で見る人も居るであろう。色々と、心を揺さぶられるものである。

この内、資格については、後継者となってしまったからには、少なくとも「ある」と無理やりにでも思いこむことである。そして、日常活動の中から、不足事項が見えてきたならば、書物や先輩の助言などから学んで、補うようにすれば良い。

怖いのは、おべっか使いを受け入れて、回りに取りこんでしまうことである。

守勢の難易の問いを発した「貞観政要」が、実は、皇帝がおべっかに負けまいとして、逆に諫言をしてくれる強い意思の家臣を置いたことに端を発した書物であることを知って、非難をしてくれる人は、有り難い存在であると考えるようにすれば、心の水平が実現できる。学んで欲しいところである。

 

※ 「貞観政要」(じょうがんせいよう) 中国の唐時代の二代目皇帝「太宗」と家臣の間でのやり取りを後年まとめた書物。太宗は、父初代皇帝を助けて唐を樹立したが、二代目となる過程では、兄弟を討つなどの身内との戦いもしている。
 ここまでは、織田信長に似ているが、異なるのは次のことである。
 それは、皇帝となってからは、諫言を行なう心の強い家臣を置いて、自分の間違いを積極的に正そうとしたことである。その諫言などをまとめた書物が「貞観政要」であり、指導者としての心構えなどを学ぶ書物として、現代にも通じる良書である。
 徳川家康も、唐代三百年の基たる心を学ぼうとして、愛読したと言われている。

 

 

第百四十三話

 刃物の受け渡しの作法には、道徳の本質が含まれている

 

二宮尊徳翁は次のように話された。

この世の中で、刃物を受け渡しする時には、刃物の切っ先の方を自分の方へ向け、柄の方を相手に差し出すのが、礼儀であり、そうすることが道徳の本意に従う行ないである。この、本意を広く推し進めれば、道徳は完全に行われるであろう。

また、総ての人がこのような気持ちで行動すれば、この世は穏やかである。

刃物を自分の方に向けて、相手に向けないその心は、万一にも、誤りがあった時でも、自分は傷ついても、相手に怪我をさせないということである。

総てのことにおいて、この本意を良く理解し、体得して、自分が損を受けようとも、他の人の身の上に損を及ぼさない、自分の名誉は多少損なうとしても、他の人の名誉には瑕を付けないという精神でいるならば、道徳の本意を全う出来ると言える。

今日以降は、皆も一緒になって、この心を押し広めようではないか。

 

【追補】

二宮尊徳は、この説話で、礼儀について説明し、礼儀のすべてを教える基として、刃物の正しい受け渡し方を例に上げて、教えている。

尊徳の言う通り、刃物の正しい受け渡し方こそ、その中に礼儀が備えていくべき心の有り方が全部詰まっている。

元々、礼儀は、人と人の間で、どちらかが利益を得ると言う関係でなく、両方が好ましい利益を得られる状態を実現しようという心の下に,創り出された行動方式である。その行動方式の下では、働きかけをする方の人が、一歩下がった位置に居るとして行動すれば、それが実現できるという考え方が望まれる。そうすることで、働きを受け取る側の人も、自分も一歩下がったところから行動をしようと考えることとなり、結果として、双方が好ましい利益、この場合は、好ましい心持、を得ることとなるのである。

つまり、礼儀は、求めないことから始まるのである。

現代の日本において、果たしてこの心が保たれているのであろうか。皆無であるとは言わないが、失われている割合が多くなっているのではないか。

礼儀は形ではなく、心である。心が、形となって表れるだけである。「誠於中、形於外」(内に誠有れば、外にあらわる 大學)なのである。

 

 

第百四十四話

 身代の維持管理は、鉢植えの松の手入れが見本

 

二宮尊徳翁は次のように話された。

人の身代(資産及び収入を得る仕事の仕組総体のこと)は、内容には限りがあり、その身代によって限度は変化するるものである。

例えば、鉢植えの松のようなものである。

植込む鉢の大きさによって、松にも大小がある。その松の緑を伸び放題にする時には、たちまち枯れ始める気配が見えてくる。一方、毎年、緑を摘み、枝を透かしていけば、美しく成長する。このように、手入れを行うべきことは、心得ておくべきことである。

その事を知らないで、春は花見や山遊びを行っていて、緑の摘み込みをせず、秋には、月見と言っては、同じく緑を伸ばしたままにし、どうしても断りきれない交際であるといっては、枝を伸ばしたままに放置し、親戚の付き合いといっては、梢が出るのを無視していると、枝や葉は、根や幹が負担できる分量を超えてしまう。それをそのまま、不要な分を切り捨てずに放置すると、身代の松の根は次第に衰えて、その松は枯れ行く運命に陥ってしまう。

従って、鉢の大きさに応じて、必要なだけの枝葉を残し、不相応な枝葉を毎年透かすようにしなければならない。

そのことが、この松にとって、最も肝心な事であり、身代を守るについても、同様に不要な枝葉を取り去ることから始めるべきである。

 

【追補】

二宮尊徳は、この説話で、鉢植えの松を例に挙げて、身代を維持していくための方法について述べている。その中で、こまめに気を使っていくことが絶対に必要なことであり、身代の基に相当する松の根が負担できる限界を知って、その力の内で枝葉を伸ばしてやるようにしていくことが大事である、と教えている。

松は、植木鉢の中にあることは意識していないから、常に、自分が伸ばせる精一杯のところまで枝葉を伸ばそうとするので、バランスが崩れるのである。松を鉢に植えた責任者である人間が、その鉢の中の根が耐え得る限界を知って、枝葉を整理してやらねばならないといっているのである。

このようなことは、社会の中においても多数ある。根の耐力を見極める能力が大事である。

 

 

第百四十五話

 樹木の維持には、根の力に応じて枝葉を調節してやる

 

二宮尊徳翁は次のように話された。

樹木を植え替えるために根を切る時は、必ず、枝葉も切り捨てなければならない。切って少なくなった根は、水を吸う力が弱くなっていて、枯れ易くなるので、大いに枝葉を透かして、根の力に対応させなければならないのである。これを怠ると、枯れてしまうことになる。

例えば、人の身代(資産及び収入を得る仕事の仕組総体のこと)でも、働き手が減り、事業の収益が減少するのは、植え替えた樹木の根が少なくて、水を吸い上げる力が減少したからである。この時は、復興のための仕法を立て、暮らし方を大いに縮小せざるをえない。働き手が減少している時に、昔のままに暮らせば、身代は日々に縮小して、ついに消滅に至る。根が少なくて、枝葉が多い樹木がついに枯れてしまうのと同じである。いかんともしがたい事である。

夏の暑い日といえども、樹木の枝を大方伐採し、葉を残らずはさみで取り、幹を菰で包んで植え、時々菰に水をやる時には、枯れることは無いものである。

人の身代も、同じである。多いに気を使って欲しい。

【追補】

二宮尊徳は、前の説話に続いてこの説話でも、樹木を例に挙げて、根と枝葉とのバランスについて、その大切さを述べている。事業や家庭の力が弱まってきた時は、根である基本的な力、財務力や技術力、開発力などの現状を良く把握して、その力に応じた事業展開に止めることが必要である、と教えている。

 

 

第百四十六話

 滅亡に進めようとする天理を避ける良法は、推譲

 

二宮尊徳翁は次のように話された。

樹木も老木になれば、枝葉は萎縮して、衰えるために、美しいとは言えない状態になる。

しかし、多くなりすぎた枝葉を少し多めに切り取り、透かしてやれば、次の年の春には、みずみずしい美しい枝葉が出てくるものである。

人々の身代(資産及び収入を得る仕事の仕組総体のこと)も同じで、始めて家業を起こす人の場合は、百石の身代であっても五十石で暮らすのを誰も非難しないが、それを受け継いだ子孫の場合には、百石は百石、二百石は二百石の格式で交際をしなければ、身内も周囲も誰もが承知しないから、手許が不足する時でも、ついつい無理をすることになる。

そして、ついには、不足をきたすことになる。不足を生じた時に、それまでの格式を引き下げれば良いが、下げない時には、必ず滅亡に進む。

それが天然自然の理であり、逃れられない約束である。

そのために、私は常に、推譲の重要さを説いているのである。推譲は、百石の身代の者は五十石で暮らし、五十石を来年に譲る事である。この推譲は、私の事業推進の際の第一の命題であり、それぞれの身代の維持、増殖のための良法であり、それを実現できるのはこの推譲だけである

 

【追補】

二宮尊徳は、この説話でも前二つの説話と同様に、樹木を例にして事業や家の維持、継続に関わる良い方法として、推譲があると教えている。

尊徳が言うように、天道には善悪は無く、天道の下では、それぞれの要因が、すべて能力の限りに成長しようとするから、力関係しか最後に残るものはなくなる。また、人道は、天道に反して作り上げている部分があるので、天道は、その反している部分を少しでも早く自分の支配下に戻そうとする。そのために、人道の弱い部分に目をつけて、そこに攻撃を仕掛けてくる。その時に適切な対応ができなければ、天道の支配を受けて、人道は崩れ去る。

人が、管理や耕作を放棄した土地では、二年も経たない内に、葛やすすき、芦がその土地を覆い、地中深く根を張り込ませ、いわゆる荒地にしてしまうのが、その一例である。

天道に任せれば、天道は、人道を壊して、その人道の上に築き上げた仕組を滅ぼす方向に進ませる、と捉えていかなければならないのである。

人は、可能な限り、管理を怠らないようにしていかなければならない。

第百四十七話

 天の力は永遠不変であることを知れば、自ずと行動は正しくなる

 

青木村在住の神官、大和田山城が、楠正成の旗の文であると言って、次の文の写しを持参して、二宮尊徳翁にその真偽を尋ねた。

 

楠公旗文

非  は 理に勝つことあたわず

理  は 法に勝つことあたわず

法  は 権に勝つことあたわず

権  は 天に勝つことあたわず

天  は 明らかにして私なし

 

二宮尊徳翁は次のように話された。

世の中で、「理法権」と並べて言うことはあるが、「非理法権天」と並べるのは珍しい。だが、世の中は、この文の通りである。

いかなる権力者であっても、天には勝つことは出来ない。例えば、いま、自分の方に理があると判っていても、それに頼るには足りない。権力に押されてしまうことがある。その上、理を曲げても法は執行されるであろうし、権力を以って法を押さえ込むこともある。

しかし、天があることはどうしようもない。

「箱根八里は馬でも越すが、馬で越されぬ大井川」という俗歌がある。その歌のように、人と人との間のことは、知力や弁舌、或いは脅しや、権力を使ってでも乗り越えることが出来るが、天が関係していては、どうしようもない。知力も、弁舌も、脅しも、権力でさえも、天には、決して通用しない。天の前では、人は無力であり、天の定めた道を通らなければならない。

このような事を、仏教では無門関と言っている。

平家も源氏も長続きせず、織田氏も豊臣氏も二代とは続かなかった。

恐るべきは天であり、努めていくべきものは天の命ずる行ないである。

世の中の強欲な人は、これを知らずに、何処までも際限なく身代を大きくしようとして、智慧を使い力を振るうが、必ず種々の手違いが発生して、前に進めない状態に陥る。また、権謀威力を頼んで専ら自分の利益の拡大を図るが、同じく失敗し、当初の志を遂げることは出来ていない。

これは、皆、人の力を超えた天の力が働いているためである。そのために、大學という書物では、自分が止まるところを知れ、と言っているのである。

止まるところを知れば、少しずつでも善(天が望むもの)に向って進めるが、止まるところを知らなければ、進むどころか、後退することからさえ免れることはできない。少しずつでも、後退していれば、やがては滅亡の淵に落ち込むこととなる。

また、この旗文では、天は明らかにして私なし、と言っているが、このことは、天は公明正大で利己心を認めないと言っているのであるから、これは「誠」を意味している。中庸と言う書物には、「誠則明矣、明則誠矣」「誠者、天之道也、誠之者、人之道也」とある。

ここで、之を誠にするという意味は、「私」の心を無くすことであり、それは、己に克つ、ということである。特に難しいことではないはずである。

この旗文の理屈については、以上のとおりであり、内容は正しい。しかし、その文が楠公の書かれたものかどうかの真偽は、私にはわからない。

 

※ 大学の中には、たんに止まるところを知れ、という文はないが、全体を通して、「在止於至善」(しぜんにとどまるにあり)として、善を維持することの大切さを教え、その後で、「知止而后有定」(とどまるところをしりてのち、さだまるあり)として、人として最初に行うべきことは、善に向うために、何処が悪に落ちない(義、礼に外れない)ために止まるべき限界かを知ることが大事だから、それを知れと述べている。

※ 「誠則明矣、明則誠矣」(まことなればすなわちあきらかなり、あきらかなればすなわちまことなり) 中庸 朱子章句 
「誠者、天之道也、誠之者、人之道也」(まことなるものはてんのみちなり、これをまことにするものはひとのみちなり) 中庸 朱子章句

 

【追補】

二宮尊徳は、この説話で、人道を超えて、天が人に求めることがある。それがまこと(誠、真)であり、それを実現しようとすることで、人道における善が実現できる、と教えている。

人道は、人類が生きていくために、天道のある部分を人力によって変更して、打ちたてた道であるが、天道の支配下にあることからは逃れられない。

人道が、天道の下で、活動を許されるのは、天道が求める「まこと」に従っている時であり、その「まこと」にそむく最大の要素が「私欲」である、と尊徳は言う。つまり、人道は、人類全体のために作られたのであり、その人道を破壊する要素として最も大きいのが、一個人のための欲望、「私欲」である。

従って、人は、可能な限り私欲を押さえて、他の人も含めた、公のために良いことを望んで、行動していかなければなせないのである。

尊徳は、そのように言っている。

 

 

第百四十八話

悟りを過大評価するのは良くない。悟っても、悟らなくても、天の定理は不変である

 

ある人が、「春は花、秋は紅葉と夢うつつ、眠ても醒めても有明の月」とは、どのような意味ですかと、二宮尊徳翁に尋ねた。

二宮尊徳翁は、次のように話された。

これは、仏教で「色即是空、空即是色」といっていることを歌にしたようなものである。

色(しき)は、肉眼で見える物を意味し、天地の間にある森羅万象総てが対象となっている。空(くう)は、肉眼で見えないもので、老子が「玄の又玄」というものと同じである。

この世界は、循環変化をしていて、空(くう)は色(しき)を出現させ、色は空に戻す働きをしている。いずれも循環の原則に従って、変換していく。それが天の理である。

夏は、野山も草木が繁茂し、青一色であるが、春は、梅が咲き、桜や桃もも咲いて、野山は爛漫、馥郁とした状態になる。しかし、それも短時日で散り失せる。

秋になれば、野山の麓の部分から峰の部分まで紅葉し、全山色に染まり、実に錦の刺繍織物も勝てないくらいである。

しかし、秋も深まって、一晩でも木枯らしが吹けば、山は見る影もなく散り果てる。

人の一生も、同じである。子供は育ち、若者も老人になり、老人はやがて死ぬ。死ぬ人がいる一方では、又生まれる人もいる。

交代、循環する世の中であると、悟ることが出来る。だが、悟りに至ったから、花が咲くのでもなく、子供が生まれるのではなく、迷いの気持ちが紅葉を散らすのでもないし、死をもたらす訳ではない

迷っても、悟っても、寒い時は寒く、暑い時は暑いし、死ぬ者は死に、生まれる者は生まれる。迷いも悟りも、少しも関係ない。これを、「眠ても醒めても有明の月」と詠んだのである。他に深い意味があるわけではない。

悟りの道と入っても、さほどの価値があるものではないということを、詠んだのである。

良く理解せよ。

 

※ 「此兩者同出而異名、同謂之玄、玄之又玄、衆妙之門」(このりょうしゃはどうしゅつにしてなをことにす、おなじくこれをげんという、げんのまたげんは、しゅうみょうのもんなり)(この両者とは、有と無のこと)つまり、玄は有無の両者を一まとめにしたもの。人の思考、時間空間を超越した存在。それをより一層深く追求したところ(玄之又玄)が森羅万象、一切万物が生み出されてくる門である。  老子 道教 體道第一

 

【追補】

二宮尊徳は、この説話で、仏道などで、悟りということを言うが、仏道を極めて多くの人を救おうと考える人には、自分の精神を清浄にしておくための悟りも良いが、この世界で人との交わりをしながら、協働して幸せを求めていく人達にとっては、この世界から遊離するような悟りは、逆に害になるだけであるから、注意せよ、と教えている。

曹洞宗の開祖である道元が、中国に修行に行ったときに、高僧と言われる人に教えを請おうとして尋ねたところ、食事を作っている僧しか居なかった。道元が、散々探したところ、目的の高僧は、その食事当番の僧であった、という話も伝わっている。道元は、修行を終わって日本に帰るときに、寺院用の器具も経典も一つも持ち帰らなかった。

本来の悟りとは、そのようなものである。

禅問答で、便所に備えてあるくそ掻き棒も仏である、というのがある。われわれ誰でもが、いつでも仏なのである、ということらしい。

悟りなどと言って、特別な境地があると考えるのが間違いなのである。ただ少し、余分に世の中が見えるようになるだけと、理解すべきである。


第百四十九話

 正しい道は、必ず人の役に立つ

 

二宮尊徳翁は次のように話された。

神道、儒教、仏教に関する書物の類は、何万巻もある。

多くの人が、それらの書物を読んで研究し、その上に深山に入り座禅を組んだりして修行する。

そのようにして道を極める目的は、世の中を正しくし、世の中の人々のためになるように、働ける自分を作ることにしかない。もし、それ以外にあるとすれば、それは邪道である。

正しい道というものは、必ずこの世の人々に利益をもたらすものである。

学問をする時も、修行をする時も、このことが実現できなければ、野原に雑草が生え広がるようなもので、人の世には何の利益ももたらさない、無用のものとなる。それは、広がれば広がるほど、世の中の害になるだけである。

そのような無用の書物は、尊ばずに、焼き捨てる方が良いのであるが、そこまですることもないのかもしれない。それらの書物を元にして広がった野原の雑草も、無用と気がついた人々が刈り取って捨ててしまえば、その跡に、世の中に有益な道を広げられる。

とにかく、この人の世に効用をもたらさない書物は、見ないほうが良い。

また、自分にも他人にも利益をもたらさないことは、しないことである。

光陰矢のごとし、と言うように人生は長くない。人生六十年と言うが、幼児の時代と老人の時代とがある。又、疾病の時もあり、事故があったりして、実際に活動できる日は至って少なくなる。そのためにも、無益なことはしないことである。

 

【追補】

二宮尊徳は、この説話で、この世の中には色々な教えと称するものがあるが、本物は、いずれもこの世の苦しみから人を救い、人々の心を豊かにすることを目的にしていなければならない。もし、それ意外の目的があるとすれば、それは邪道である。正しい道、正しい教えというものは、必ずこの世界に有用なものなのである,と教えている。

 

 

第百五拾話

 尊徳の仕法は弘法大師に勝る

 

青柳又左衛門が、「越後の国に、弘法大師の法力によって、水油(石油)が地中から湧き出し、現在に至っても枯れずに湧き出している所がある」と、話をした。

それを聞いた二宮尊徳翁は、次のように話された。

それは珍しいことではあるが、そこ一箇所だけのことであるから、あまり尊ぶことでもない。

それに引き換え、私が行っている事業は、もっと珍しいと言える。いずこの国、地方であろうとも、荒地を開拓して菜種を蒔き、種を実らせて、その実を油屋に持ちこめば、種一斗で油二升は間違いなく出て、それは永久に続けていくことができる。

弘法大師の業績に勝る事業ではないか。

これは、わが国の歴史が始まってからずっと続いている素晴らしく良い方式であり、太陽や月の照明がある限り、この世界が続く限り、今後も国中で実施されていく方式である。

であるから、弘法大師の方式を遥かに勝る方式である。

また、私が行っている事業には、世にも珍しい方式がある。

それは、一銭の元手がなくても、国中の困窮を救い、広く人々に救いの手を差し伸べて、その国中を豊かにしてもなお、余裕を生ませる方法である。

この方法の要点は、ただ一つ、国の分度を定めることだけである。

私は、この方法を中村藩、谷田部・茂木藩、烏山藩、下館藩などの諸藩にも広げた。しかし、その方法は、大名諸侯の家柄でなければ行えない方式である。

この他にも、術はある。

それは、原野を開いて、田畑として、貧しい村を豊かな村にする、という方法である。

また、一般の男女の総てに行わせることが出来る方法がある。

山に住んでいて海の魚を釣り、海辺にいて、深山の薪を取り、草原から米麦を産出させて、争わずに必ず勝つという、ただ一人だけ良く出来るという方法ではなく、智慧を区分せずに、天下の人総てが良く実施できる方法である。

何とも、良い方法ではないか。

皆、良く学んで、国に帰って、そこで実行して欲しい。

 

【追補】

二宮尊徳は、この説話で、越後では、弘法大師の法力で湧出するようになった石油が出ているという話を聞き、私が進めている事業でも、全国どこでも、菜種を栽培し、それを油にすれば、毎年、不足無く油を手に入れることができる。このことは、太陽の光がある限り、何年でも続けていくことができる方法である。この方法をどう評価するのか。また、私の事業方法によれば、毎年繰り返して食物や綿などを産出し、多くの人を幸せにすることが出来ている。しかも、これを日本全国に広めたいと考えているのである。既に、幾つかの藩や村へそれを広げた。それについて良く考えてみよと諭している。

尊徳は、あまねく全国に仕法を広げようとしていた。それに向けて、仕法の手続きと使用する書式の標準化に努めていた。幕府から、日光神領の仕法を命じられた時に、これを突破口として、幕府を通して全国に仕法を広げられると内心喜んで、精力的に標準化の完成に取り組み、一応の達成を見て、それを幕府に提出して、四方実施の命令を得たのである。

しかし、尊徳は、日光神領の仕法途中で命を終わらせ、その後数年で幕府もその役目を終わらせてしまった。残念ながら、尊徳の夢も、半ばでしぼんでしまったのである。

尊徳と幕府の命が、十年程度長かったならば、明治大正昭和初期の農民の苦しい生活は、もう少し和らげることが出来ていたのではないかと思われる。

真に残念なことであった。

 


 

第百五十一話

 天分を活かして努めれば、実現出来ないことは何もない

 

二宮尊徳翁は次のように話された。

木こりの人達が深山に入って木を切るのは、材木が好きだからではなく、炭焼きの人が住みを焼くのも、炭が好きだからではない。生きるために自分の天分を生かして、職業として行っているのである。

木こりも炭焼きも、その職業を良く勉強して極めれば、白米も自然に山に登り、海の魚も里の野菜も、酒も油も、総てが、山を登る。奇妙な世の中である。

 

【追補】

二宮尊徳は、この説話で、天分に従って職業を極めた人は、比較的所得が多くなる。その所得を目指して、白米その他が、山さえも登っていく、と教えている。

 


 

第百五十二話

 この世の生物は総て天の分身である

 

二宮尊徳翁は次のように話された。

この世界中では、人は勿論のこと、禽獣虫魚草木に至るまで、天と地の間に生ずるものは、総て天の分身ということができる。

なぜならば、ぼうふらであっても、ぶよであっても、草木であっても、天地の創造の力を借りずに、総て人力だけで生育することは出来ないからである。

そして、人間は、その一番上にいる長なのである。それだから、人間は、万物の霊長と言う。

長であるという証は、禽獣虫魚草木を人間の都合で勝手に支配し、生殺をしても、何処からも咎めはない。

人の威力は広大である。

しかし、人と禽獣と、草木とは、本来、何の分け隔てなどはない。皆、天の分身であることから、仏教では、悉皆成仏と言う。わが国は、神道を昔から中心に据えているので、悉皆成神と言うべきである。

そのようなことから、世の人は、生きているときは人であり、死んでから仏になると思っているが、それは違う。生きて仏になるから死んでも仏になるのである。生きているときは人で、死んで仏になるという理屈はない。

生きているときさばであった魚が、死んで鰹節になるということはない。同じように、林に立ち木として存在している時には松で、伐採したら杉になるという話もない。

従って、生前仏であった人が、死んで仏となり、生前神であった人が、死んで神になる。

この世の中では、死んだ人を神として祭ることがある。これも、生前に神となっていたから、神となったのである。これは、当たり前のことで、明白な理屈である。

神と仏と、呼び名は異なるが、実は同じものである。それぞれの名前の由来した国が異なることから、名前も異なるのである。

私は、「世の中は、草木も共に神にこそ、死して命のありかをぞ知れ」「世の中は、草木も共に生如来死して命のありかぞを知れ」と詠んだ、といって笑われた。

 

【追補】

二宮尊徳は、この説話で、地上に生きるもの、動植物すべては、天の配慮によってこの世に登場したのであり、天の分身といえる。従って、すべての存在の間に差はないはずであり、どのような人も等しく差別なく待遇されるべきである、と教えている。

この時の説話で、尊徳が話していることは、すべての生物は天の分身として平等であるということである。当然のことながら、人もすべて平等の存在である、という考え方である。

尊徳の発言には、士農工商を身分差としているものはない。すべて、職業としての捉え方であり、皆平等という意識が充満している。

その意識の下に事業を行なっているので、管理層である武士層に対して、堂々と分度の設定を求め、分度外の収益は、農民などの生活向上に寄与する方向に使用している。

事業の遂行に際しても、農民層の人々を尊徳の名代として活用し、各地で仕法の実地指導に当たらせてもいる。


 

 

第百五十三話

 循環、輪転は天理。推譲は天理さえも調節する

 

二宮尊徳翁は次のように話された。

儒学では循環と言い、仏教で輪転と言う事柄がある。それは、すなわち天が定めた定理である。

循環とは、春は秋になり、暑さは寒さになり、盛んは衰えに移り富裕が貧乏に移ることを言う。輪転ということも同じことを言っているのである。

そして、仏教では、輪転から抜け出して、死後の世界を安楽な国に定めたいと願わせ、儒学では、天の定めた定理を敬い、天の意に添うように行動して、高く大きな山のように揺るぎ無い安定を実現したいと願わせるのである。

私が指導している事業は、貧しさを豊かさにし、衰えているのを盛んにし、輪転、循環の輪から離脱して、豊かで盛んな活動のある地に生活させることができる良い方法である。

果樹では、沢山実った年の翌年は、必ずといっていいほど、実る量は少なくなる。世間では、これを「年切り」と言う。この年切りを、循環、輪転の理屈から見ると、当然のこととなる。

しかし、年切りという現象を人為的になくして、毎年同じように実らせようとする時には、枝を透かし、蕾の時に摘みとって、咲く花の量を減らし、肥料を数度施こす。そうすれば、年切り無しに、毎年同じように実らせることが出来る。

人の身代(一家の財政状態)に盛衰があるのも、一種の年切りである。親は、仕事熱心であるが、その子供は遊び好きであるとか、親は質素、倹約に努めているが、その子は贅沢、浪費の生活であるとか、良い習慣が二代三代と続かないのは、いわゆる年切りであって、循環、輪転そのままである。

この場合の年切りが発生しないように願うのであれば、果樹に適用した方式を見習って、私が推奨している推譲を実施することである。

 

【追補】

二宮尊徳は、この説話で、輪廻、循環は天理であるから不変のものと言うが、そのようなことはない。例えば、推譲を行なうなどの人智を尽くせば、変えることが出来るのであるから、諦めずに挑戦すべきである、と教えている。

尊徳の言うように、一部の循環は、果樹栽培のようにそれほどの難しさを伴わないで、変更することはできるが、それは短い期間の循環であって、世代交代やそれ以上の長い期間にわたる循環を変化させることは、なかなか難しいことである。

だが、人の生活に多大な悪影響を与える循環だけは、あらゆる人達の英知を集めて、何としても変化させなければならないのである。

 

 

第百五十四話

 一つの循環

 

二宮尊徳翁は次のように話された。

人は心の中で、米はこの上なく清浄であれと願うが、米の心では、肥料として施される糞尿が、この上もなく好きなのである。

これも、一種の循環の理屈である。

 

【追補】

二宮尊徳は、この説話で、人の食べた食糧が、人の糞尿となり、それが作物や牧草の良い肥料となって、作物や牧草の中に取り込まれ、食料となって、また人の前に来る。これも、循環である、と教えている。

不潔、寄生虫の伝播などということから、糞尿を肥料として用いることが行なわれなくなって久しいが、家畜の糞尿の清浄肥料化技術の進展などが契機となって、一部に人の糞尿も肥料化して使用することが、リサイクルを理念とする時代の要請にも合うということで、一部に見なおしの機運もあるとのことである。

究極のリサイクルとして、現代の科学を活用して、実現すべきであろう。

 

 

第百五十五話

 女大學は、女性のための書物

 

ある人が、「女大學」は、貝原益軒の著作であるけれど、甚だしく女性の行動を圧迫しているのではないか、と言った

それを聞いて、二宮尊徳翁は次のように話された。

いや、そうではない。女大學は、女性が守るべきことについて、至れり尽せりに説いたものであり、最高水準の書物である。そこまで、いろいろと厳しく説いていては、女性の立つ瀬が無くなると言うが、これは、女性向けの戒めの書物であるからである。

女大學は、女性向けの教訓書であり、女性が、貞操心などを鍛錬するための書である。鉄でも、折れ曲がらない刀とするために、よくよく鍛錬するのと同じである。総て教訓は、皆、そのようなものである。

教訓は、病に対処する薬のようなものであるから、その病の状態に応じて必要な教訓を選択するのである。

この書物では、子の親への仕え方として最高のものであると言われている、中国古代の帝王、舜の、その父への孝行の尽くし方と同じようなことを、各家庭で実現することを目指して、家庭を円満に治めるための女性の心構えを説いている。その書物の本意をよく理解して、そこに書いてあることを実行すれば、家庭は必ず円満に治まる。

しかし、男性が、女大學を読んで、女性の言動はこのようにあるべきだと考えるのは、以ての外の誤りである。男性が読んで、その内容を女性に推しつけるのは間違いである。あくまでも、女性が理解して、自ら行動するための書物である。

従って、女大學は、男性の読む書物ではないのだ。

世の中には、このような心得違いが、往々にして存在する。誤解することの無いように。

 

【追補】

二宮尊徳は、この説話で、貝原益軒の女大學は、男が読んで、それに基づいて女性に対して、ああしろこうしろと言う為の書物ではないのだから、男は読んではならない。あくまでも、女性が読んで、自らを律する気持ちを養う書物であるから、勘違いしないように、と教えている。

 

 

第百五十六話

 間に入る者は、おざなりは言うな

 

二宮尊徳翁の家に出入りをしている者の家では、嫁と姑との仲が悪かった。

ある日、その姑が尊徳翁の許に来て、嫁の行ないの悪さを並べ立てて、悪口を言った。

それを聞いて、二宮尊徳翁は、

これは、因縁であるからどうしようもないことである。耐え忍ぶ他に方法は無い。所で、お前さんは、若い時に姑を大切にしなかったのではないか。その報いが今出ているのではないか。

とにかく、嫁の悪い点を数え上げても何にもならない。いまは、自らの言動を見なおしてみて、じっとこらえてみることである。

と、意外につれなく言い放って、帰させられた。

そして、二宮尊徳翁は、次のように話された。

この様にするのが良い方法なのである。いま見たように言い聞かせれば、姑は必ず反省してみるであろう。そうなれば、この後は、うまく治まる方向に行くのではないか。

それを、お座なりなことを言いながら、一緒になって嫁を悪く言う時には、姑は、ますます嫁との仲を悪くしてしまうだけであるし、そうすることは、父と子の仲を裂き、嫁と姑との間で親しく睦み合う機会を奪うことになる。

良いと思って行うことが、反対の結果を生ませてしまうことになる。良く、気をつけなければならない。

 

【追補】

二宮尊徳は、この説話で、嫁と姑の間のもめごとなど、家族内のいさかいで間に入った時は、お座なりなことを言ったりすると、その者に気を持たせることになる。こういう場合は、反省を促すように少し厳し目に諭したほうが良い、と教えている。

嫁と姑の間がしっくり行かないのは、永遠の課題である。

それはさておいて、尊徳の前におばちゃんが現れて、井戸端会議風な題材で喋っているという場面設定が、いかにも、広い心で村の誰とでも差別なく付き合い、話をする、尊徳の面目躍如たるところである。

このように、人々の心の中にまで入って、安心して交われる関係が作り上げられたことこそが、事業を成功に進ませた最高の要因なのである。それは、長い間の回村(人々と接し、作物の出来具合や環境の状況を把握するために、村中を巡回すること)の実施、村人達と同じレベルの目線での喜怒哀楽の共有、共感、等々を基にしてじっくり醸成されたものである。

 

 

第百五十七話

 天の創った物だけが最後に残るのがこの世

 

二宮尊徳翁は次のように話された。

「郭公鳴きつる方をながむれば、ただ有明の月ぞ残れる」という歌は、例えば、鎌倉が昔は大いに繁栄していたが、今は、ただその繁栄の跡だけが残っている状況で、物寂しい有様となっている、という感慨の心を詠んだものである。

このような状況になっているのは、鎌倉だけではない。人々の家でも、同じようになっているところがある。いまは、住居や蔵が建ち並び、多くの人が住んで賑わってはいるが、一つ間違えば、倒産、破産、滅亡となり、屋敷の跡の形だけが残ることになってしまう。

恐るべきことであり、このようにならないように、普段から生活を慎まなければならないことである。

この歌は、総ての人造物は、なにかがあるときには、総て滅んでしまい、結局最終的に残るのは、天が造り挙げた物だけである、という心を入れて詠んだ歌である。

良く味わって、その真意を読み解くことが大切である。

【追補】

二宮尊徳は、この説話で、人道を維持していくためには、日々、細かく心を配り、努力をしていくことが不可欠であり、これを怠った時に、後に残るのは、ただ、天の作った自然物だけである、と教えている。

 

 

第百五十八話

 生物の世代交代には、雌雄、男女が必要

 

二宮尊徳翁は次のように話された。

万物は、いずれも、ただ一つだけでは、世代の相続はできない。

動物は、父母としての雌雄二つを結び合わせて、次の世代へのつながりとしての同類(子孫)を造る。それは、網の目のようなものである。網は、糸を二本、寄せては結び、寄せては結んで網の形を造る。人の場合も、男と女を結び合わせて、相続する子孫を作る。そして、作った子供が一人立ちできるまで、傍に居て面倒を見て育てる。それは、鳥獣も同様である。

そこに父母が無くとも生ずることが出来るのは、植物であり、一見すると、ただ一つだけで新しい命を創り出しているように見える。

植物の場合は、一粒の種が、まるで、一粒の中に陰陽があるように二つに割れて、その中から芽や根を出して、土地に定着する。その上に、天からは太陽の熱を受け、地から水分を受けて、地中に根を張り、空中に枝葉を伸ばして成長する。これすなわち、天地を父母としているということである。

世の中の人は、草木が地中に根を持って、空中に成長するというその理屈は知っているが、植物が、空中に枝葉を伸ばしていけるようにしてやる時に、地中にも根を張らせてやれるように配慮している者は少ない。空中に枝葉を伸ばすのも、地中に根を張るのも、成長のために同じように必要なことなのである。

 

【追補】

二宮尊徳は、この説話で、動植物の子孫への生命伝達の仕組について述べている。人や鳥獣は、子供が一人立ちするまで親がそばについて育成するが、植物は、種が地面に落ちて、そこから芽や根を出して育ち始めるが、その時に、太陽は光を与え、地面は水分を与えているので。天地が父母のようである。だが、それだけでは足りないので、人が地中に根を張れるように、土地を耕しておくなどの手助けをしてやることが必要なのである、と教えている。

尊徳は、田畑を耕した跡に種を蒔くが、なぜ耕さなければならないのかということを、ここで説明している。それは、根を深く張れるようにしてやるためである。

目に見える枝葉の部分の成長を助けることも大事だか、しっかり根を張らせることも同じくらい大事なことなのである。

 

 

第百五十九話

 この世は泳ぎ渡る術の水準が課題

 

二宮尊徳翁は次のように話された。

世の中の人は、貧富、苦楽と言って騒ぐが、何のことは無い。

この世を大海のように考えた時、それは、水を泳ぐ術が上手いか下手かというくらいの違いでしかないのである。

大海と言っても、船が浮かんで進むために必要とする水も、人が溺死する時の水も、同じ水で、何ら変わるものではない。但し、大海を吹く風には、時によって、順風と逆風があり、海があれる時と穏やかな時がある。従って、溺死を免れるかどうかは、泳ぎの技術一つにかかっている。

そして、此の世の海を穏やかに渡る術は、勤勉と倹約と推譲との三つだけである。

 

【追補】

二宮尊徳は、この説話で、貧富、苦楽と言っても、海で泳ぐのがうまいか下手かという位のことで、生まれ出た違いなのである。この違いを解消する泳ぎの術は、、勤勉と倹約と推譲との、僅か三つだけなのである、と教えている。

貧困、苦悩という、どちらかといえば暗くなる題材を、僅かな違いしかないことであり、それを解消するにも、たった三つを実行すれば良いのだと明るく言いきって、希望を持たせるようにしている尊徳流の、人心掌握術の極意である。


第百六拾話

 この世は二つのものが交互に出現する世界

 

二宮尊徳翁は次のように話された。

凡そ、世の中は、陰々と陰だけが重なり合っても成立しない。陽々と陽だけ重なっても同様である。陰陽々々と両方が交互に出現、実行されることを定めとしている。

例えば、寒暑、昼夜、水火、男女というようにである。人の歩行も、右で一歩、左で一歩で成り立ち、尺取虫でさえ、屈んでは伸び、屈んでは伸びして、蛇も左へ曲がり、右へ曲がりして、前に進んでいく。

畳表やむしろのようなものも、縦糸が下に入っては上に出て、上に出ては下に入るのを繰り返して編み上げられる。麻布の織り方の荒いのも、羽二重の細かいのも、皆同じ天の理屈によるのである。

 

【追補】

二宮尊徳は、この説話で、この世では、総てが、寒暑、高低、陰陽など二つの対立する物事が構成している。しかもその対立する物事は、順番に出現してくるのである、と教えている。

尊徳の基本的な思想では、対立概念はすべて一つの円の中での対極であるから、円が転がるようにして次々と現れて来る、と説明されている。

しかも、対極とは言っても、その間は連続しているので、何処から何処までという区分はつけられないのである。

その上、この対極概念を作り出したのは、人が生きるために打ち立てた人道であり、天道には、そのような概念は存在しない。ということなのである。

その対極にある物事が、きちんと交互に現れてこそ、人道に役立つものになると言っているのである。

 

 

第百六十一話

 万物は対極で成り立つ

 

二宮尊徳翁は次のように話された。

火を押さえて消すものは水である。陽を保つものは陰である。この世に裕福な者がいるのは、貧乏な者がいるからである。

この貧富の理屈は、寒暑、昼夜、陰陽、水火、男女など、総て対極に位置する物事があって、釣り合いが取れ、永久に続いていくのと同じである。

しかも、それは循環するのである。

 

【追補】

二宮尊徳は、この説話で、前の説話に続いて、対極概念について、判りやすく説明している。ここでは、対極に物事が存在し合うことで、それらが交互に出現することや、相互に引き合い均衡することでこの世の釣り合いを生み出し、永遠を生み出す力になっている、と教えている。

この対極思想こそが、尊徳思想の根幹を構成しているのである。

 


 

第百六十二話

 ご馳走も親孝行も正しく入手したお金で行わなければ意味がない

 

二宮尊徳翁は次のように話された。

飲食店に入って、他人に酒食を振舞っても、最後に支払いが出来なければ、ご馳走したとは言ってはならない。毎日、親にご馳走をしたとしても、もし、正しくない方法で入手した金銭でしたとすれば、それは親孝行とは認められない。

中国古代の禹王が、「菲飮食、惡衣服、」と言って、何処からその元手を生み出したかを明確にしているように、用いた資金の出所が確かなところでなければ、孝行にはならない。

ある人が作った俳句に、「やわらかに、炊けよ今年の手作麦」というのがあるが、これは、良くその気持ちを表現している句である。やわらかに、という一言にその孝行心が良く表れていて、一家和睦の姿も良く見える。手作麦という言葉にも、親を案じている子の気持ちが溢れている。

なかなか良い句だ。

 

※ 「菲飮食、而致孝乎鬼神、惡衣服、而致美乎黻冕、卑宮室、而盡力乎溝洫」(いんしょくをうすくして、こうをきしんにいたし、いふくをあしくして、びをふつべんにいたし、きゅうしつをひくくして、ちからをこうきょくにつくす)(飲食を少しにして、神に孝をつくし、衣服の質を落として、祭りの備えを十分にし、住まいを粗末にして、灌漑設備(の拡充)に力を尽くす) 禹王の話 論語 泰伯

 

【追補】

二宮尊徳は、この説話で、この世では、買い物をすれば必ず対価を支払わなければならない。また、支払う金は、正しい行為をして得た金で無ければならない。親孝行をしたとしてもその金の出所が正しいと明確に証明できなければ、それは親孝行にならない。尊徳の事業世界ではそのことを堅く守っていくように、と教えている。

この説話から、当時も既に、汚いお金が横行していたことが覗える。博打、窃盗、汚職などで稼いだ金を近づけないようにしていくことが大事である。

 

 

第百六十三話

 大きく見えるものも、総ては小さいものから構成されている。

小さいものを侮ってはならない

 

二宮尊徳翁は次のように話された。

世の中の人は、大きい、小さいということを言うが、その区別の仕方には決まりはないし、区分する境界は限りなく設定できる。

米の量を数えるにも、浦賀港では大船で一艘、二艘と数える。蔵前では三蔵、四蔵と言って数える。これらの数え方では、俵に入った米などは、数を為さないようである。

しかし、それらの数え方をする米であっても、特別に粒の大きい米ではなく、普通の米なのでしかないのである。一升の量の米粒数を数えれば、六、七万粒はあるであろう。

たった一握りの米でも、その数は非常に多い。しかも、その量の米でさえ、その生み出す効用は非常に大きいのである。春に種を蒔いて、稲として発芽させ、風雨や寒暑を凌いで、花が咲き、実がついて、やがて刈入れ、こきおろし、搗き上げて白米とするまでの丹精は、容易なものではない。まさに、粒々辛苦と言うべきである。

我々人間は、その粒々辛苦によって得た米粒を、日々無数に食べて命をつないでいる。その功徳はまた無数に上るのである。それであるから、人々は、小さな行為を重ねていくことを尊ぶのである。このことを良く覚えておく必要がある。

私が行っている事業で日課としている縄綯いの方法なども、人々は疑わないで実施してくれている。それは、小さいことでも、積み上げれば大きくなるということを知ったからである。

一房の縄綯いでも、自分たちの所得の元であり、そこからの利益は、平等に与えられる正しい行ないである。それは、国家復興の出発点となる行為である。

いまここに、大金持ちがいるとする。その先祖を尋ねれば、その人は、一鍬が与えてくれた効用、利益を元にして、それらの小さい効用、利益を積み上げて富を築いたに相違無い。

大船の帆柱、永代橋の橋柱などに用いる大木でさえも、一粒の木の実から生まれ、幾百年の星霜を経て寒暑、風雨の艱難を凌いで、日に夜に精気を蓄積して成長してきた賜物なのである。

しかし、そのような昔の木の実だけが、大木に成長するのではない。今の木の実もまた、将来、大木になることは疑いの無いことである。

昔の木の実が今の大木になり、今の木の実が後世の大木になるのであることを、良く理解して、大きいことを羨ましがらず、小さいことでも辱かしがらずに、速効性だけを求めず、日夜怠らずに少しずつでも、継続して行動することが肝心である。

「昔蒔く木の実、大木と成りにけり、今蒔く木の実、後の大木ぞ」

 

【追補】

二宮尊徳は、この説話で、人々は、大小ということに関心を寄せており、小よりも大を望むことが多いが、世の中の大というものは、総て、小が元になっているのであるから、最初から大ばかり望んではならない。特に、米の数え方について、浦賀では、大船で「何艘」と数え、蔵前では、「何蔵」と言って数えるが、その基となる米の大きさが特別大きいわけではなく、皆、同じように小さな一粒から、作られているのである。と教えている。

これも「積小為大」の一面である。

決して、小さいことや少ないことを嘆いて、諦めずに、実施すべきことを一つずつ確実にこなしていけば、やがて大きくなれることを、信じて進むべきである。



第百六十四話

 ちまちまと細かく減らすよりは、まずは増やす事に全力を注げ

 

ある人が、一人が一度の食事に対して米一勺ずつ減らせば、一日に三勺、一月に九合、一年に一斗強、百人では十一石、一万人では百十石になる。この計算を人々に説明して納得させ、国を豊かにする基礎としたいと言った。

二宮尊徳翁は次のように話された。

この話は、凶作の年には良いと思うが、平年には、このような策は、持ち出すことは止めよ。

なぜならば、凶作の年には、食物の収穫を増やすことは出来ないが、平年には、一反について一斗ずつ収穫量を増やせば、一町について一石、十町で十石、一万町で壱万石となる。

国を富ませる本当の方法は、農業を支援して、米穀の増収を図ることである。

それをなぜ、減食を言い出すのか。

一般の人々は、必ずしも日々の食料が十分であるとは言えない。そのために、常日頃から十分に食べたいと思っているのであるから、飯の盛り方が少なくなれば、決して快くは思わない。従って、一食ごとに一勺ずつ少なく食べよ、と言われては、聞くだけで忌々しく思うに違いない。

仏教の施餓鬼供養で繰返し唱える言葉は、十分に食べ賜え、沢山食べ賜えということであると聞いている。そうであれば、施餓鬼供養を行う目的は、十分に食べ賜えということにある。

一般の人達を諭すのであれば、十分に食べて十分に働く、沢山食べて、骨身を惜しまずに自分のために稼げ、と諭すべきである。

そうして、荒地を開墾して、米穀の増収を実現し、その他の物産を増加させることに、力を入れるべきである。

人々が空腹から逃れて労力が増せば、土地は余分に開けて、諸物産も増加する。これこそが、国を富ませるための本当の方法である。

しかし、人は、開きたくても開くべき土地が無い、と言うかもしれないが、私が見るところでは、いずれの地区、何処でも、まだ半開である。

人は、耕作しやすそうであれば、総て田畑とするが、湿地や乾燥地、平らでない土地、石ころ交じりなどの粗悪な土地、それらの土地は、殆ど総てがまだ田畑とはなっていない。全国を平均すれば、あと三回程度の開発を繰り返さなければ、本当の田畑にはならない。

今の田畑は、耕作がしやすい土地ばかりである。

 

※ 容積の単位 一石=十斗  一斗=十升  一升=十合  一合=十勺
一勺=十才    一合 = 約百八十CC(約百八十ミリリットル)

  面積の単位 一町=十反  一反=十畝  一畝=三十歩(坪) 

        一歩(坪)=一間×一間  一間=六尺 一歩(坪)=約三.三㎡

 

【追補】

二宮尊徳は、この説話で、指導者は、目を下につけて、減らすとか減食ということを考えてはいけない。そのようなことに頭を使う暇に、どうしたらもう少し増やせるかと考えるべきである、と教えている。

人は、減らすことの方が、楽に出来ると思いこんで、何か困難に出会うと、すぐに、減少の手筈について思案を始める。限られた収入しか無いと明確に判っている時や、余分な支出を多量にしている時には、それを実施することも必要であるが、良く調べてみれば、まだ拡大の余地がありそうな時には、思いきって投資して、拡大を図ることも必要である。

 


 

第百六十五話

 事前の計画こそが、成功の秘訣

 

二宮尊徳翁は次のように話された。

何か行動を成し遂げようとする時には、初めにその仕上りの状態を詳しく定めて置くべきである。例えば、樹木を切り倒す時には、切る前に、その樹木を倒す方向と場所をきちんときめて置かなければ、いざ、倒れるという時になって、どうにも手の打ちようが無くなる。

私が印旛沼を検分したときにも、仕上がりの時を予想した検分も一度に行なって、どのような異変があっても失敗しないような方法を考案した。

中村藩の復興依頼の際にも、着手以前に、過去百八十年の年貢の収納高を調べて、藩の分度の基礎を立てた。これは、荒地開拓の出来あがりの時の用心である。

この事業は、分度を定めることにその基礎がある。この分度を確固たる基準と確立して、その分度を厳格に守って行けば、荒地がどれほどあろうとも、借財がどれほどあろうとも、何も憂えることは無く、恐れることも無い。

私が進める国を富ませ人々を豊かにする事業の成功の鍵は、分度を定めること一つである。

国や村の広さは既に決められているので、その中に生活する一家では、百石を二百石にすることはできても、村や国全体ではそれはできない。

従って、まずは、現在の分度を守る事を第一とするのである。

この理屈を良く理解して、分を守れば、杉の実を取り、苗を仕立てて、山に植え、その成長を楽しみながら待つことが出来るようになる。分度を守らない時には、祖先から譲られた大木の林を一度に伐採しても、間に合わないようになってしまうことが、目前に迫るのである。分度を守らないという過ちの怖さを知るべきである。

財産を沢山持っている人は、一年の衣食に要する費用を、これで十分というところで決めて、多いとか少ないとかを言わずに分度とし、その分度を越える分を世の中のために譲り続ければ、やがて、その功績として現れるものの量は計り知れない程となる。

釈迦は、この世を救おうとして、国家も妻子も捨てた。本当に世の中のためになろうと志すならば、自分の分度外を世のために譲ることができないことは無い。

 

※ 印旛沼検分 天保十三年、幕吏に登用され、老中の命を受けて、印旛沼の水を江戸川に流し込む工事の見積もりを行った。

 

【追補】

二宮尊徳は、この説話で、事業を開始しようとする時には、樹木を切り倒そうとする時に、どの方向に倒すかを決めるように、事業の完成時の状況をきちんと把握して、対処する方法を考えておくべきである。と教えている。

特に、大きな単位の財政を再建、復興させる事業の場合には、その対象地区範囲において、現在の収入や収益を短期間に二倍にするなどは、とても出来る相談ではないので、それを望まずに、現在の無理のない収入水準を設定し、その範囲内で、借入金の返済、必要経費の支弁などを行う覚悟を固めなければならない。これが、分度である。

それを関係者の間でしっかり遵守する意思を決めて掛かれば、成功への道は必ず開ける。

また、富裕者は、世の中のために推譲を行なっていくべきであるとしている。

米英などでは、社会への還元実施が、富裕者の必要条件のように考えられているとも聞く。美術館等々の文化施設、社会福祉施設等は、その寄付によって運営費の大半を賄っている。

わが国の、社会福祉法人も、そのような理念で法律が作られているものの、実体は、一部関係者の利益確保のための隠れ蓑に利用されているのである。マスコミでも、「○○経営の」「○○傘下の」特別養護老人施設と、まるで資本関係があるように報道されている。社会福祉法人は、その法律からみても、特別な人の手の中にあるのではなく、社会全体に所属するものなのである。良く勉強して、報道してもらいたい。

 

 

第百六十六話

 学問は、人を幸せにするためのものであり、自分の欲望のためにするべきではない

 

二宮尊徳翁は次のように話された。

ある村の豊かな農家に、利発な子供がいた。その子を江戸の湯島聖堂の昌平坂学問所に入れて、学問の修行をさせようとした父が、その子を連れて暇乞いに来た。

その時、この者を諭すのに、大変気を使い、次のように述べた。

その考えは非常に良いことだ。

しかしながら、お前の家は、豊かな農家であり、多くの田畑を所有しているそうである。そうであれば、子息は、農家には大事な跡取であり、尊い働き手である。その者の存在を尊く感じ、祖先の恩をあり難く心得て、人の行うべき事柄を学んで、近郷村々の人々を教え導き、ここの土地を繁栄させて、国の恩に報いるために修行に出るのであれば、誠によろしいと言えるが、そうではなく、先祖伝来の家業を農家だと言って賤しみ、難しい文字などを学んで、ただ世の中に誇りたいと思ってのことならば、大いに間違っている。

農家には農家の勤めるべきことがあり、富裕者には富裕者としての勤めるべきことがある。

農家はいかに大家であろうとも、まず、農事について良く心得ていなければならない。

富裕者はどれほどの富裕者であっても、倹約に努めて余財を推譲し、郷里を豊かにし、土地を美しくし、国の恩に報いなければならない。

この農家と富裕者が行わなければならないことを、間違いなく実行するために学問をするならば、誠に結構であるが、もしそうではなく、祖先から受け継いだことへの感謝を忘れ、農業は他よりも劣る、農業は卑しいと思う心から学問をするのであれば、学問は、益々その心を大きくする方に働き、お前の家は滅亡の淵に進んでいくことは疑い無い。

今日ここで心を決めることが、家の存亡に関わるものとなる。迂闊に聞かない方が良い。

私が言ったことは、決して間違いではない。お前が一生学問をしても、こういう道理に至ることはできないだろうし、私のように、戒めを言う者も居ないであろう。聖堂に積み上げてある万巻の書よりも、私のこの教訓の方が尊いであろう。私が言ったことを受け入れて実行すれば、お前の家は安泰である。受け入れない時には、家の滅亡は近い。また、受け入れないならば、二度と私の前に現れないようにせよ。私は、この地区の復興のために来ているので、一軒でも滅亡するという話を聞くことは忌々しい限りである。

この者達は、実際には、私の忠告を受け入れることなく、江戸に出て、いまだに修行が中途半端にしか出来ておらず、田畑は、皆、他人の所有となり、ついに、子供は医者となり、親は手習い師匠をして、今日を凌いでいると聞く。痛ましいことである。

世間には、この類の心得違いの話はたくさんある。

私のその時の口ずさみに、「ぶんぶんと障子にあぶの飛ぶ見れば、明るき方へ迷うなりけり」というのがある。痛ましいことである。

 

【追補】

二宮尊徳は、この説話で、農家には農家としての生き方がある。その生き方の中で役に立てるために学問に励むのであれば、その学問修得は有効であるが、ただ、自分のために、何でも良いから学問をするというのであれば、それは無意味であり、農家としての家業にも力が入れられなくなって、やがては滅亡する方向に進んでしまう、と教えている。

尊徳は、学問をするこをは決して悪いことだと言っているのではないのである。

修学も自分のためではなく、いかにすれば人々のために役に立てるかということを、探求する目的で行なうべきものなのである。

 

 

第百六十七話

 過ちと判れば直ぐに改め、二度と悪に近づかないようにすべし

 

一人の門人が、所持品を質に入れ、その金を無駄に使ってしまって二宮翁の許を離れた。その兄は、弟の再入塾を願うとともに、金を出して質入品を請け出して本人に渡そうとした。

二宮尊徳翁は次のように話された。

質屋から品物を請け出すのは、自分の能力だと言えるが、元々彼は、富裕な家の息子であり、生涯質入などという行為をすべき人ではない。行き届かないこと極まりない者であるが、心得違いをしていたのであり、それはやむを得ないことであろう。

もし、いま改めようと考えているならば、質から請け出してきた衣服は、捨ててしまうべきである。一日でも、質屋に入っていた衣服は、身に着けまいという位の精神を維持しなければ、これからの生涯のことが心配である。過ちと判ったならば、直ぐに改め、悪いと思うならば、そのものごとを直ぐに捨てるべきである。汚いものが手に付いた時には、直ぐに洗い流すのは、この世の常の行ないである。どうして、請戻して来た衣服を、また着用しようとするのか。

過って質に入れ、それを改めて請け出すのは、貧しい者のすることである。彼は、富裕な家に生まれでた身である。

論語に「君子固窮」とある通り、君子も困窮することがあるが、小遣いが無くなれば、我慢して使わずに居て、生まれ出た家の名誉と恩恵に従えば、必ずいずれかの富裕者の婿にでもなり、安穏に暮らせるはずである。

このように良い家に生まれていながら、自らその家の恩恵を捨てた時は、再び戻ることはできない。そのような時には、芸によって身を立てるか、自らが稼ぐかしなければ生活の道はない。

長芋を保管する時に、腐れかかった芋があれば、思い切って,まだ腐っていないところで切り捨てなければ、腐れが止まらないと言う。

質に入れた衣服は、二度と身に着けないと心に決めて、生まれ出た豊かな家の誇りと恩恵を失わないように、勤めることこそ大切である。悪友に貸した金も、同じく捨てるべきである。返すと言われても、受け取るな。また貸すことになったとしても、悪友との縁を切り、悪友に近付かないで済むように図ることである。このことを良く心に刻んでおくことである。

彼は、自分の身分を自覚し慎んで、生まれ出た豊かな家の誇りと恩恵を失わなければ、生涯は安楽で、財産は自然に集まり、困窮する他の人々を助けることが出来る力を、生まれながらに備えている者なのである。

このことを良く言い聞かせて、二度と誤ることの無いようにさせよ。

 

※ 「君子固窮、小人窮斯濫矣」(くんしもとよりきゅうす、しょうじんきゅうすれば、ここにみだる)(君子も勿論困窮する。小人が困窮すると、取り乱し、やけになるが、君子はそうはならない)  論語 衛霊公

 

【追補】

二宮尊徳は、この説話で、一度悪に染まったならば、厳しく切り捨てていくことが、回復のために、一番良い、と教えている。

中途半端に始末していては、旧悪の一部が身の回りに残り、一気に決別させることができなくなる。そうなると、また、悪に戻りやすくなる。昔の戦争などにおいては、過ちを犯した者を「泣いて馬謖(ばしょくという人の名)を切る」として、処罰したということもある。

企業や官庁などでの法令違反や規律違反などでも、本人が、十分反省しているから等との理由をつけて、温情主義的な中途半端な処分しか行なわない時には、その違反を起こす根底部分からの改革はできない。この場合も、第三者の眼で見た時に、少し厳しすぎるのではと感じられる程度の処分を、一度は厳然と行ならなければならないのである。ただし、その後に、本人の仕事への心構えが確かであり、やる気と実績を示すことができたならば、再び、登用できるように、仕組を作っておくべきである。

 



第百六十八話

 この世は循環の世であると理解すれば、将来を明るく望める

 

二宮尊徳翁は次のように話された。

山間部は、寒さが厳しく、雪が降り、氷が張っているけれども、柳が一芽でも開き始める時には、山々の雪も、谷々の氷も解ける。

また秋になり、桐の一葉落ち始める時は、山や谷一杯に茂っていた青葉もそれまでになる。

世界は、循環し、自転し続けている。そのために、その時節に合うものは育ち、合わないものは枯れる。

午前中は、東向きの家には日が当たり、西向きの家には当たらないが、午後は逆に、西向きの家に日が当たり、東向きの家は日が陰る。

これも循環の影響である。

この道理を知らない者が迷って、自分は不運であり、世は末であるなどと嘆く。それは間違いであることは明白である。

いま、ここにどれだけの負債があろうとも、また、どれだけの荒地があろうとも、良い指導者が現れて、循環の道理を心得ているならば、憂うることは無く、逆に喜ぶべきである。

反対に、どれだけ多くの貯蓄があり、どれだけ多くの田畑があろうとも、悪い指導者が出て、人としての正しい事をせずに、あれも不足、これも不足と、現状に満足せずに、奢りと贅沢を繰り返すならば、秋風の嵐に散乱するように、その総てが消滅することは明白である。

怖れなければならないことである。

私の歌に次のようなものがある。

「奥山は、冬気に閉じて雪降れど、ほころびにけり、前の川柳(かわやなぎ)」

 

【追補】

二宮尊徳は、この説話で、人は、天然自然の循環とその影響から逃れられない存在である。毎日朝になれば、太陽が東から上昇し、夕方になれば西に沈むのも、循環である。指導者になろうとする者は、この循環の理屈を良く知って、それを活用して、人々の置かれた状況を改善してやる方向に進めることが大切である、と教えている。

指導者は、循環を循環として捉えて、今陰の部分にいるとしても、間違いなく明るい陽の部分に移っていくのであるから、明るい将来が必ず来るという信念のもとに、正しいことを確実に実行させていく指導者にならなければならない、と尊徳は言っているのである。

循環に関する尊徳の思考は、

天然自然の運行に関わる基本的循環は、人力で変化させることは出来ないが、それ以外の循環は、人の努力によってある程度の変更は可能である。従って、人にとって好ましくない循環の部分は、出来るだけ短い期間で、あるいは、人に対する影響を出来るだけ小さくするようにして、通過させて、人にとって好ましい循環の部分は、多くの人にその影響を及ぼすように、そして、出来るだけ長い期間続いていくように、それぞれの部分場面で、人智を集めた対応を取っていくべきである、

というものである。

その思考が、尊徳を辛抱強く改革の指導に向わせ、その指導下に入った人々にも、未来に対する明るい希望を持たせ、意識を勤勉の方向に変化させて、自らの力で自らの道に進む力を生み出させてきたのである。

指導者が、未来を正しく見つめ、未来に明るい希望を持って進むことが大事なのである。

 

 

第百六十九話

 悟りの道は、わざわざ根を抜いて、これが草の本源だと見せるようなものである

 

二宮尊徳翁は次のように話された。

仏教に悟りに至る教えがある。面白いと言えるが、人の心を害する怖れもある。

それは、「生者必滅」「会者定離」の類のことであるが、それらは、その本源を現して言うからである。

悟りの道の教えは、草の根とはこのようなものである、と一々あからさまにして人に見せるようなものである。その、理屈は正しいとしても、これを実地に行って、理屈を説明する都度、根まで抜いた時には、皆枯れてしまうのである。

その点で、儒学では、草の根の事は言わず、草の根は見なくとも良いものと定めて、根を引き抜いて見る事はなく、論理として、草木は根が有ることによって生育が出来るもので有るから、根こそは大事なものであり、根の培養こそ大切なことである。と教える。

松の木が青々として見えるのも、桜の花の美しく咲くのも、地中に根が有るからである。蓮の花の馥郁と香るのも、花菖蒲の美しいのも、泥の中に根を張っていればこそである。

松の根を切れば、直ぐに先の緑が弱り、二、三日経つ内に、枝葉は総てしぼんでしまう。

質屋の蔵の立派なのも、利用する貧しい人が多いからであり、大名の城の敷地の広大なのも、領分に住む人が多いからである。

国の根は人民である。人々が窮すれば、領主の大名も窮し、人々が豊かになれば、領主の大名も豊かになる。

それは、誰が考えても、明白なことである。微塵も疑う余地の無い道理である。

 

※ 「生者必滅」(しようじゃひつめつ)(命のあるものは必ず死ぬ)「盛者必衰」(じょうしゃひっすい)(勢いの盛んなもの、栄えるものは必ず滅びる)
「会者定離」(えしゃじょうり)(出会うものは必ず別れる運命にある)

※ 「培養」(草木を育て養う。物事の根本を養い育てること。根本精神を養うこと。)

 

【追補】

二宮尊徳は、この説話で、ことさらに、「生者必滅」「会者定離」等と唱えて、変転、循環の悪い面を意識させようとする「悟り」、という存在は、まるで、植物を根ごと引き抜いて、植物の根とはこういうものである、と見せているようなものである。根は、すべての植物にとって、その生死に関わる大切な部分である。これでは、その教えをする都度、植物が枯れていく。何のために悟りを教えているのか判らなくなる。根が有ってこそ、栄えるのである。このような「悟り」は、世の中にとって害である。と教えている。

現在でも、人が無を悟って何になるのか、はっきりしたことは説明されていない。釈迦の教えを広めるのが役目の僧侶には、人の世界にまぎれた時に、余分な欲望を出さないようにと、悟りの世界に入るのも必要であろうが、一般の人には、それは無用である。

 

 

第百七十話

 世界中誰もが、唯我独尊なのである

 

二宮尊徳翁がある寺に参詣したときに、灌仏会(かんぶつえ)が催されていた。

その時、二宮尊徳翁は次のように話された。

釈迦が、「天上天下唯我独尊」と言ったことを、侠客などが、「天下広しと言えども、俺に勝てる者は居ない」と広言を吐くのと同じ、釈迦の自慢であると言う者が居るが、それは誤りである。

これは、釈迦のみならず、世界中の皆、誰彼無く、自分こそが、天上にも、天下にも最も尊い者であり、自分に勝って尊いものはどこにも無い、と考えて良いという教えなのである。

そこで、銘々それぞれに、天地間でこの上もなく尊い身である。なぜならば、天地間に我が居なければ、何も無いような状態であるからである、と思って良いのである。

我々皆誰でもが、この世で最も尊い存在なのである。皆が、天上天下唯我独尊である。犬も、鷹も、猫も杓子も、独尊と言っても良いのである。

 

※ 灌仏会(かんぶつえ)四月八日に行われる祭り、生まれたばかりの釈迦の像を置いて、甘茶をかけて釈迦の誕生を祝う。一般に、花祭りとも言う。

※ 天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)この世に我よりも尊い者は居ない。釈迦が生まれると直ぐに、言ったと伝えられている言葉。

 

【追補】

二宮尊徳は、この説話で、世界中の誰もが、自分がこの世で最も尊い存在であると、考えて良いのである、と教えている。この説話は、第百五十二話の追補のところでも述べたが、尊徳の平等感の現われである。

釈迦でなくとも、誰もが、自分をこの世で最も尊い存在であると公言して良いなどと、この時代に言い切った人はいないし、それを行動に顕わしてきた人もいない。ここが、尊徳の尊徳たるゆえんである。この考え方が、彼に、支配階級に対しても毅然とした態度で対応させ、農民であっても、堂々と武士階級の人たちに対する指導者としての地位を与えているのである。

ただ、残念なことに、農民層で重要な職務を担当していた人達も、尊徳に相前後して死亡してしまったために、尊徳の死後、彼の家族の庇護者となったのが武士階級の人達であったことから、尊徳の歴史の表面から、多くの功績のあった農民が見えなくなってしまったのである。



第百七十一話

 仏教者も、今様に変化しているが、これも自然の勢いである

 

二宮尊徳翁は次のように話された。

仏教がこれまで伝わってきたのは、初めからの教えを厳密に守ってきたからである。

しかし、そうは言っても、昔と今とでは、表と裏ほどの違いがある。

昔の仏教者は、鉄鉢一つで世を送っていたが、今の仏教者は飽きるほど日々沢山のうまいものを食べている。昔の仏教者は、糞雑衣といって、人の捨てた破れ布などを縫い合わせた衣服で体を覆っていたが、今の仏教者は常に金綺羅金の美しい衣服をまとっている。昔の仏教者は、山林、岩穴に草を敷いて座っていたが、今の仏教者は常に立派な堂塔伽藍に安住し、鎮座している。

これらは皆、釈迦が遺言として残した戒めの内容と、天地、雲泥の違いがある。

しかし、これも、自然の趨勢である。なぜならば、釈迦の遺訓には、田畑や家を持つことはならないと言っているが、今では、幕府や領主が寺に領地を与えているからである。

また、遺訓には、火の燃えている穴を避けるように、財宝を遠ざけよとも、蓄積するなともある。しかし、世の中の人は、競うようにして財物を寺に寄付する。また、遺訓には、高貴な人とよしみを結ぶことをしてはならないとしているが、今では、高貴な人が自ら追従して、弟子などと称している。

大きな河川で、水流が突き当たる場所には砂利、砂は溜まらないで、その横の、水流の当たらない場所に砂利、砂が集まるのと同じである。これまた、自然の勢いである。

【追補】

二宮尊徳は、この説話で、仏教でさえも、伝道者たる者に対する当初の教えはそのまま踏襲されてはいない。世の中の動きに流されてきているのである。厳しい行をしてきた人でもそうなのであるから、指導者たろうとするものは、世の中の人の心には注意して対応するように、と教えている。

尊徳は、説話の中では直接的に批判をしてはいないが、話全体を通して、うっすらと不満を述べながら、でも、仕方がないのだ、と認めている。私(翻訳者)も、ある寺に参拝した時に、住職から寺にまつわる話を聞こうとして、庫裏の方向に回ったところ、住職らしい人が、高級自家用車の洗車を鼻歌交じりで嬉々として行っており、私が近づいたことに気付いても、その行動を少しも止めようとしないので、申し訳なくなって、その寺を出たということがあった。

仏教者を責めるわけではないが、そういう時代になってきた、と認めざるを得ないのである。

 

 

第百七十二話

 仏教も神道も、今見えているものが、本当のものではない

 

有る人が、恵心僧都の伝記に、今の世の仏教者達が唱える仏教が、本当の仏教であるならば、仏教ほど世の中にとって悪いものは無い、と言っている条がある。面白い言葉ではないですか、と言った。

二宮尊徳翁は次のように話された。

本当に名言である。但し、仏教だけのことではなく、儒学も、神道もまた、同じである。

今の儒者の唱えているところが、本当の儒の教えであるならば、世に、儒学ほどつまらないものは無い。

また、いまどきの神道者達が言うことが本当の神道であるならば、神道ほど、無用のものは無いであろうと、私も思う。

神道の真髄は、神札を配って米、銭などを請求する当世の神道者などの知るところではない。川柳に「神道者、身にぼろぼろを纏いおり」というのが有る。今の世の神道者が貧困に窮するは、その通りである。それは、国を安国と固めた道である本当の神道を知らないからである。本当の神道を知る者が、決して貧困に陥ることなど、理由が見当たらない。

これは、神道の本意を知らない証である。何とも嘆かわしいことである。

 

※ 恵心僧都(えしんそうず)平安中期の天台宗の僧、源信 浄土教成立の基盤を築く

 

【追補】

二宮尊徳は、この説話で、前の説話に続いて、そう認めざるを得ないのだという、話をして、でも、それが本当の宗教のあり方ではないのだ、と教えている。

 

 

第百七十三話

 相手が本当に必要とするものは、注文になくても提供せよ

 

二宮尊徳翁は次のように話された。

庭訓往来に、「注文に載せられずといえども進じ申す処なり」(注文書には載っていませんでしたが、必要と思いますので、一緒にお渡しいたします。)と書いてあるのは、人情を良く尽くした文である。

世の中総てがこのようにありたいものである。

「馳せ馬(はせうま)に鞭打ちて出る田植かな」「陰膳に蝿追う妻のみさをかな」いずれも私の俳句である。

馳せ馬は注文であり、注文が無くても少しでも早く到着しようとして鞭を打っている。陰膳は注文の内であるが、旅先の夫を案じる気持ちから、注文に無いが、つい、そこに居る人のためにするように、蝿を追ってしまうのである。

人が進んで忠実に仕事をするのは、大体注文によるところであるが、一歩下がってみて、過ちや不足があればそれを補うのが、注文に載っていないが、人として努めるべきところである。

論語に、「事父母幾諌、見志不從、叉敬不違、勞而不怨」という説がある。ようやく諌むるまでは、注文であるが、敬して違わず、労して怨みずの部分は、注文に載せられずとも努めて、尽くすところである。

菊花を贈るのは注文であるが、根をつけるのは、注文に載せられずとも努めるところである。

凡そ、世の中のことについて、このようにしていけば、どのような志でも成就し、企画したことは総て完成すること、まちがいのないことなのである。

 

※ 庭訓往来(ていきんおうらい)室町時代初期の玄恵の著と言われている。往復書簡の形式を取っているので往来。武士、市民の日常生活の言葉を素材として解説している。

※ 陰膳(かげぜん)旅に出た人が飢えることの無いようにと願って、留守宅で家族が食事の時に準備したその人の分の膳

※ 「事父母幾諌、見志不從、叉敬不違、勞而不怨」(ふぼにつかうるにはようやくにいさめ、こころざしのしたがわざるをみては、またけいしてたがわず、ろうしてうらみず)(父母でも、悪いところは優しく諌めるのが筋である。聞き入れてくれなくても尊敬する)論語 里仁

 

【追補】

二宮尊徳は、この説話で、人は、常に、相手に良かれと思う気持ちを持って生きていくようにすべきである。そうすれば、注文にはなかったが、これも必要と思って添付しました、ということまでできるようになる。特に指導者は、このことを肝に命じて、実行していくべきである、と教えている。

この説話は、商道の基本に当たることを教えている、素晴らしい話である。

現代でも、その業務を専門にする者であれば当然に付随させるべきものを、注文になかったと主張し、漏らして、平然としている事業者がいる。

陰膳という習わしについても、語られている。誰も見ていないところであっても、本当に愛しているのであれば、旅行に出ている人の安全を願って、そっと膳を用意して、病気にならないように、事故に遭わないように、仕事で出かけているのであれば、仕事がうまく進みますように、と天に祈ることになるのである。

それらが、人が相手を思いやる気持ちを持つ時の、自然な行いなのである。

 

 

第百七十四話

 文字は伝える道具であり、そのもの自体ではない

 

雇い人が、種芋をうずめて、その上に「芋種」と書いた立て札を立てた。

それを見て、二宮尊徳翁は次のように話された。

君達は、人が行うべき基本の教えは、文字の上にあると思い込んで文字だけを研究して、それで学問をしていると考えているようであるが、それは間違いである。

文字は、その意思や意味を伝える道具であって、その教えの意思や意味、そのものではない。だから、書物を読んで、それが教えそのものであると思うのは、誤りである。

教えの本意は、書物にあるのではなく、行いにこそあるのである。

今、彼の立てた立て札の文字を見よ。この木札の文字は、種芋があることを伝えているに過ぎない。種芋そのものではないのだ。この文字によって下に何が埋まっているかを理解し、種芋を掘り出して、畑に植えるという、行ないをすれば、食料になるのである。

教えも同じであり、書物によって目印を得て、その身で行って初めて教えを体得することが出来るのである。

このようにしなければ、学問をしたとは言ってはならない。単なる本読みに終わらせるな。

 

【追補】

二宮尊徳は、この説話で、文字や言葉は、意味を伝えることはできるが、その文字や言葉のままでは、何も変化は起こらない。その文字や言葉が伝えようとしている意味を知って、その意味にしたがって行動した時に、その文字や言葉の存在が意義を持ってくる。と教えている。

現代の私達も良く見かけることがある。それは、「故障中」、「使用不可」などと言う張り紙である。しかも、その張り紙が何日も、そのまま続いていることがあるのである。

「故障中」、「使用不可」と知らせれば、それで良し、と考えている人がいるということである。その張り紙の本来の目的は、故障したので、至急修理する、という意味を伝えることであるから、「故障しましたので、直ぐ修理します。恐れ入りますが、修理が終わるまでの間は、使用できません」とすべきものである。

そして、そこに書いた通りに、直ぐ修理を始めなければならない。

注意したいことである。

 

 

第百七十五話

 貧困は風紀を悪くする源、これを改善するには、恵んで費えない方法によれ

 

二宮尊徳翁は次のように話された。

国中の大方の、今の重要課題は、村々が貧困に陥り、そのために村中の雰囲気が悪くなっていることである。この雰囲気の悪さを直すには、村を貧困から救う他には手立ては無い。

しかも、その貧困を救うのに資金や財物を直接支給するなると、何処の国や村でも、財政はその重荷に耐えられない。

そこで私は、無利息金貸付という方法を考え出したのである。この方法は、実に、「恵んで費えざる」法の実現である。また、この方法に、一年分の酬謝金を付け加えることにもした。これは、「恵んで費えざる」の他に、「欲してむさぼらざる」の意味を持たせたものである。

この無利息金貸付法は、実に、貸す方も喜び、借りる方も喜ぶ、貸借両全の方法である。

 

※ 「何謂惠而不費、子曰、因民之所利而利之」(なにをか、けいしてついえずという、しのたまわく、たみの、りするところによりてこれをりする) 論語 尭日

※ 「欲而不食、(中略)欲仁而得仁、又焉貧」(ほっしてむさぼらず、… じんをほっしてじんをえたり、またなにをかむさぼらん) 論語 尭日 前出と同じ節にある、子張という研究生が「政治家の必要条件」について尋ねた時の孔子の答、「五美を尊び四悪を排除出来る人」の内の五美に「惠而不費」と「欲而不食」が含まれる。

※ 「酬謝金」 無利息で借りられたお礼に、一年分の返済金を、追加して支払う(推譲する)。尊徳の事業の中では、元恕金と称することが多い。

 

【追補】

二宮尊徳は、この説話で、困窮した人を助けるにも、色々な方法があるが、直接的に食糧などの物資や資金を与えるよりも、自分で回復しようという気持ちを起こさせるような方法を採用して、その気持ちに沿う支援法を考えて、実施するのが指導者の役目である、と教えている。

良く出てくる尊徳の言葉の中に、恵んで費えず、というのがある。乾いた畑を潤すのに、水を畑まで運んで撒くという方法もあるが、これは、費用が掛かる割には、効果がその時だけしかない。しかも、畑の耕作者である農民には、金銭収入はない。では、その農民に、水を畑まで持参する費用の資金を交付すれば良いかとなるが、それもその時限りで、同じように金銭的利益は、農民には行かない。

そこで、尊徳が良く行う方法が登場する。農民に作業者として用水路の掘削に参加させ、労働に応じた賃金を支払って、灌漑用の用水路を完成させるという方法である。農民は、人夫として参加することで現金収入があるので、生活の足しになる。しかも、それによって、必要な水が、恒常的に入手できるようになる。

水路が完成して、畑作の収穫が増加した時点で、水路の使用料を徴収すれば、何年かして、材料などの費用と賃金として投下した資金類は回収できる。

誰も損をせず、皆得をする、これが、尊徳の、恵んで費えず、の中身である。


第百七十六話

 常に天下全体に貢献する事を前提に物事を考えよ

 

二宮尊徳翁は次のように話された。

経済には、広く全国、天下に亘る経済があり、一藩、一国の経済も有り、一家の経済も有る。

しかし、その内容はそれぞれ異なるものであり、同一には論じられない。なぜならば、博打を打つのも、娼妓屋を営むのも、一家、一身上においては皆経済と思っているかも知れないが、まつりごとに有っては、これを禁止していて、みだりに許可しないのは、人々にとって害があると考えるからである。

このようなことは、経済とは言ってはならない。それは、自己の利益だけを見ていて、他の人のためを省みないばかりか、後世にも害を残すだけであるからである。

諸藩でも、宿駅に娼妓屋を許可しているが、藩中及び領内の者にはここで遊ぶのを厳禁していることが多い。そのようにしなければ、大切な藩と、その領内の風紀に害を及ぼすからである。それは、それで、一藩の経済である。

米沢藩では、少しでも凶作の年には、酒造量を半分に減らさせ、大凶作になれば、酒造は厳禁にして、行わせず、その上、他の藩などからの流入をも許さないようだ。大豆も不作であれば、豆腐づくりも禁止されると聞く。

これは、自藩内の資金を他に出さないという政策であり、これも一藩の経済である。

しかし、広く全国、天下に亘る経済は、このように一藩だけの利害を目的としたものでなく、公明正大なものでなければならない。

中国古典の「大學」に、「此謂國不以利爲利、以義爲利也」とある。これこそ、広く全国、天下に亘る経済への格言である。

農業者や商業者一家の経済においても、この精神を忘れてはならない。

特に、世間で富裕者といわれる人達は、このことを良く知っておかなければならない。

 

※ 「此謂國不以利爲利、以義爲利也」(これを、くには、りをもってりとなさず、ぎをもってりとなす、という) 大學  

 

【追補】

二宮尊徳は、この説話で、指導者になろうとする人は、一村、一地域の発展を願うのは勿論であるが、その時に、広く、各地方や日本全国の人達の発展にも寄与するものであるか、ということにも配慮していかなければならない、と教えている。

尊徳が活躍したのは、藩や領地、村という単位で経済が動いていた時代であるが、尊徳は、経済というものは、そのような閉鎖された中だけで完結していくものではないはずだと、考えていた。境を接して存在している経済単位が、相互に交流、流通しあっていくことで、相互に豊かさがもたらされるという、考え方であったのである。

その考えから、偏狭な心で政治に当たってはならない、と言っているのである。



 

第百七十七話

人道は、人の都合で創られた、作為に満ちたもの。創るのを善とし、善の結果を廃らせないように活動するのが人道

 

二宮尊徳翁は次のように話された。

世界中何処でも、この世の初めには人類は存在しなかった。幾千万年の後に、初めて人類が誕生し、そして人道が形造られている。

鳥獣は、欲しいものを見つければ、直ぐに取って食べる。取れるだけのものを遠慮無く取って、譲るということを知らない。草木も同じで、根を張れるだけの地面があれば、何処までも張り伸ばして、遠慮というものは無い。これが、動植物が、生きるための道理とするところである。

人がこのようにすれば、その人は泥棒である。人は、そうではなく、米が欲しければ田畑を作って米を育てて取り、豆腐が欲しければ、銭を持って買いに行く。

それは、鳥獣が、草や木の果実や葉などを、直接草木から取るのとは異なる。鳥獣の行ないは天道に基づくものであるが、人間が行う人道は、それとは違って、譲というものから成り立っている。譲とは、今年のものを来年に譲り、親は子のために譲るというようなことである。

人道は、人の便利のために考え出したことであるから、ややもすれば、人も奪う心が出てくるのだ。気をつけたいものだ。

そもそも、天道には譲という考えは無い。

従って、鳥獣には、間違っても譲の心が生ずることは無い。この、譲の精神の有無が、人畜の違いである。熊や猪は、木を倒し、根を掘る。その力の強いことは言うに及ばず、その発揮する労力もまた多大なものである。しかし、猪や熊は、一生そのようにして労力をかけても、安住の地を得ることはできない。それは、譲ることを知らないために、生涯自分のためだけにしか労力を使わなかったからである。これを、労して効無き、と言う。

たとえ人であっても、譲るということを実行しない場合には、安住の地を得られないことは、鳥獣と同じである。

田畑は、一年耕さなければ、荒地となる。しかし、荒地は、百年待っても自然に田畑になることはない。人が開墾しない限りは、田畑にはならないのである。

従って、人道は自然そのままではなく、作為のものである。

この世で、人間が用いて役に立つものは、総て人が造ったものである。人が着用する衣服、家屋に用いる柱や薄板、その他白米、搗き麦、味噌、醤油の類は、自然に田畑山林で生育されるものではない。

従って、人道では造ることを善とし、破壊することを悪とする。

総てのものは、自然に任せれば皆廃る。これを廃らせないように活動するのが、人道である。

 

【追補】

二宮尊徳は、この説話で、人は、生きるために、人道を自ら作り、その人道を守ることで、人の世界を発展させてきた。この世界を守り、維持発展させていくのもまた、人の役目である、と教えている。

ここで述べているのは、尊徳思想の原点である人道思考である。これは、何度でも、何処でも説いていくべくことと、彼は信じているのである。

この話を聞くたびに、私は人として、努めていかなければならないことを、思い致させられるのである。

 

 

第百七十八話

 本当の平等は、力に応じて差を設定する事で達成される

 

二宮尊徳翁は次のように話された。

交際は、人の生活における必要であるが、世の中の人は交際の仕方を良く知らない。

交際の仕方は、囲碁将棋の実施方法によるのが望ましい。

例えば、将棋では、強い者は相手の人の力に応じて駒を落として指す。力の差が甚だしい時には、腹金とか歩三兵という迄に駒を外す。

交際においても、このようなことが必要である。

例えば、こちらには、富もあり、才能もあって学問もあるとして、相手が貧しい人ならば、まず、こちらの富をはずすべきである。相手が、才能があまり無いなら、こちらが才能を外すべきであり、無芸ならば芸を外すべきである。

これが、将棋指しの応用である。このようにしないと、良い交際は出来ない。

こちらが、貧しくて、才能がなく、かつ、無芸無学ならば、囲碁を打つときのようにすべきである。相手が、金持ちで、才あり、芸あり学あるならば、何目も置いて交際すれば良い。

これが囲碁打ちの応用である。

これらは、囲碁将棋のときだけに用いるので無く、人と人の相対する時にも、その精神と理屈を応用すべきである。

 

【追補】

二宮尊徳は、この説話で、人と人との交流においては、力と力でそのまま対峙していくのではなく、囲碁や将棋のように、力の差に応じて、その差を解消するような水準調整を行なっていくべきである、と教えている。

人と人との間の平等を求めていく尊徳らしい発想である。この発想が、貧しくても、卑屈になる必要はなく、堂々と正しく努力を重ねていけば、やがて花が咲き、実を結ぶことになるのだと言って、農民を奮い立たせる行動となったのである。

 

 

第百七十九話

 礼は人が生きる上での筋道

 

二宮尊徳翁は次のように話された。

礼法は、人の世界での筋道である。

人の世界に筋道があるのは、例えば、囲碁や将棋の盤に筋があるようなものである。

囲碁も将棋も、盤面の筋道があればこそ、その実施規則も戦術も実行できて勝ち負けもつけられる。この盤の筋道によらなければ、幼児が駒や意思をもてあそぶように、囲碁にも将棋にもならないのである。

人も、その世界に立てた筋道によらなければ、人の道を進んでいくことはできない。

従って、人は、筋道としての礼法を尊ばなければならないのである。

 

【追補】

二宮尊徳は、この説話で、礼は、将棋盤や碁盤に引かれた筋のようなものであり、駒や碁石が進んで行く道筋を示しているのと同じく、人がこの世の中を生きて進む時の道筋となるものである、と教えている。

筋が引いてない将棋盤や碁盤を使って、囲碁、将棋をせよと言われたら、いかに名人と言われる人でも、躊躇するに違いない。恐らく、ゲームとして成立しないのではないだろうか。また、だれでもが、そんな馬鹿なことがあるか、と怒るのではないか。

ひるがえって、礼について考えてみるとどうか。

尊徳の、例示の仕方の奥深さには、驚くばかりである。

 

 

第百八十話

 人であれば、恩や徳に報いる事を忘れてはならない

 

二宮尊徳翁は次のように話された。

お前達は、よくよく考えてみることが必要である。

恩を受けてもそれに報いていないことが多いのではないか。徳を受けて、それにも報じることが少ないのではないか。

徳に報いることを知らない者は、後の繁栄だけを願っていて、今に力を注がないので、自然に幸福を失うことになるのである。良く徳に報いる者は、後々の繁栄を願うのを後にして、それ以前に、現在を良く考え行動するから、自然に幸福が身近になり、豊かさもその身を離れない。

徳に報いる事は、総ての行ないの最高位にあり、総ての善行の最初に位置するものと言うべきものである。良く、その徳の根源と本質を追求して見極めて見よ。

人の身体の根源は、父母の育成にあり。

父母の根源は、祖父母の丹精にあり。

祖父母の根源は、その父母の丹精にあり。

このように本質を見極めようと追求する時、最後に天地の命令に至る。そこから、天地は、大父母であることが判る。それ故に、天地は、元の父母と言うのである。

「昨日より知らぬ明日のなつかしや、元の父母ましませばこそ」これは私の歌だが、我も他人も、一日でも命が長く続くようにと願う心も、惜しい、そうあって欲しいと願う気持ちを持つことも、この天下においては、皆同じである。なぜならば、明日も明後日も、ものごとの根源にある太陽が昇り、この世は変わらずに続くと思うからである。

もし、明日から、太陽が昇らないと決まれば、どうするであろうか。

その時には、一切の私心執心執着、惜しい、欲しいという心も無くなる。

このことから、天の恩の有り難さが、真実のものとして表に浮かび上がってくる。

良く思考してみる事である。

 

【追補】

二宮尊徳は、この説話で、人は、恩に報いるということを実行しなければならない。恩や徳に報いる気持ちが、今をしっかり見つめて、未来に思いを馳せる基となる。恩に報いる気持ちが、将来の豊かさを創り出すのである。徳に報いることは、恩に報いるよりもずっと次元の高いことであり、人にとって大事なことである。指導者となろうとする者は、そのことも忘れないように、と教えている。

いつの世でも、直接個人として受けた恩恵に対しては、感謝の気持を持ち、そのことを忘れずに、相手のその人が苦しんだり困っている時には、手を差し伸べなければならないのである。

徳は、具体的に恩を感じるような行為を導き出す基礎的事項一般の概念であるため、一般に徳の恩恵に浴したという印象が薄く、報いるという気持ちが起こりにくいものである。しかし、この基礎的一般概念の存在こそが、恩恵を感じる行動の基であるから、これに対して、正しく報いていくことが大事なのである。


第百八十一話

人が行わなければならないのは、天理を尊重して、人の生存に必要な事を、天理に逆らって行う事

 

二宮尊徳翁は次のように話された。

自然の中で自動的に行われるのは、天然自然の定理としての天理、天道である。その天然自然の定理に従いながらも、人の考えによって行うのを人道と言う。

人は、風雨、霜雪、寒暑、昼夜等の止まらない循環の世界に生まれたが、柔弱な体でありながら、羽毛や鱗での防御も無く、飲食を一日も欠かせず、他から防御するための牙や鋭い爪も無い状態で生まれてきた。

そのために、人としての身体を保護し、維持するに便利な方法を考案しなければ、身の安全を守る事はできない。その方法が人道であり、人として生存し続けるために不可欠の道であるる。

それだからこそ、人は、その方法を尊んで、その本質を探ると天に近づくと言い、また天性といい、それを善とし、美として、偉大なこととして認識し、この人道が廃れないようにと願い、維持に努力するのである。

老子は、その隙を見て「道可道非常道」と言ったが、無理も無い。

しかしながら、何も持たずにこの世界に生まれ出たこの身体を保つためには、他に方法は無い。どうせよというのか。自分も米などを食べ、衣服を着けて、家の中で生活している。それなのに、このような事を言うのは、老子といえども失言というべきである。

ある人は、それならば、釈迦の言葉も失言というべきでは、と言う。

これに対して、二宮尊徳翁は次のように話された。

釈迦は、生と言えば滅と言い、有と説けば無と説く、色即是空と言い、空即是色とも言う。老荘の意味するところとは、その内容が異なる。(人の心構えについて言っているのだから)

 

※ 「道可道非常道、名可名非常名」(みちのみちとすべきはつねのみちにあらず、なのなとすべきはつねのなにあらず) (これが道だと規定できるものは真の道ではなく、言葉だと規定できるものは真の言葉ではない) 老子 冒頭の句

 

【追補】

二宮尊徳は、この説話で、人道は、人が生きていく上で不可欠な道である。人は、その人道の維持に努める義務があるが、人道を突き詰めると天を尊ぶことに行き当たる。そこで、求道者の老子が「道可道非常道」と言ったが、天の道だけでは、人が生きられないということを認めずに、そう言ったのは失言に値する。それは、老子であっても、食事をしなければ生き長らえられなかったのであるからである。釈迦の言葉は、また次元が違うのである、と教えている。

老子が、常の道にあらず、と言ったときに、一般の人は、それを求道者の高潔な言葉として、尊んでいるのであるが、常に論理と実戦の一体化、同時化を尊重する尊徳は、それを空論に過ぎないとして、失言という。まさに、実践主義の勝利である。

 



第百八十二話

人事を尽くして天命を待つ、人事も尽くさないで天命を待ってはならない

 

二宮尊徳翁は次のように話された。

天道は、自然の定理である。人道は天道に従っているとは言うものの、人為の道である。

人道を尽くした後に、天道に任せるべきである。人として行うべきことを全うしないで、天道を怨んではならない。

庭に木の葉が落ちるのは天道である。熱心に落ちて、日に夜に落ち続けて積もる。この落ち葉を払って片付けようとしないのは、人道ではない。払っても、また落ちる。しかし、この落ち葉に気を取られ、心を費やし、一葉落ちれば箒を取って立ち上がるようなことをしているのは、塵芥に雇われているようなものであり、愚の骨頂と言える。

木の葉が落ちるのは天道である、と理解して、人道に従って、毎朝一度は払い片付けることにすれば良い。その後に、すぐまた落ちて来るとしても、翌朝まではそのままにしておいて、無心の落ち葉にこき使われることの無いようにしなさい。なお、人道を無視して、落ち葉を積もり放題にすることのないようにもすること。

これが人道である。愚かな人であろうとも、心の曲がった人であろうとも、良く教えることである。教えても聞かないとしても、それに心を悩ませないことである。また、聞かないからと言って、見捨てないで、何度も教えるべきである。

教えて、それを実行しないとしても憤ることの無いようにせよ。聞かないと言って、見捨てるのは仁者のすることではない。実行しないからと言って、怒るのは知恵者のすることではない。そのような不仁、不智は、人格者の怖れることである。

仁と智の二つの充実に心掛けて、人格者としての道を全うすることである。

 

【追補】

二宮尊徳は、この説話で、落ち葉とその片付けについて、葉が落ちるのは天道によるものであり、片付けるのは人道であるが、落ち葉は寿命が尽きれば、その都度天道に従って落ちてくる。それに気を取られて、人道であるからと、一枚一枚を追いかけて片付けるのも、天道に振り回されて、自分を見失っている状態である。人道として求められるのは、毎朝一回の片付けで十分である。このような人の場合には、人道として求めているものの、本意を十分に理解するように、良く教え、良く諭さなければならない、と教えている。

この説話では、人道への対応の在り方について、説明しているばかりでなく、人道は人為の道であるから、それを弁えた人は、理解の不充分な人に、良く教えなければならないとしている。しかも、教える時には根気強くして絶対に見捨てずに、また、教えてもそれを用いないとか、実行しないといって怒ってはならないとも言っている。

教えることも人道であり、教えないでいることと、途中で止めることは、人道に違背する行為であり、好ましくないものである。

 

 

第百八十三話

 孝行は、親に病気以外の心配をかけない事から始まる

 

ある寺に二十四孝図の屏風がある。

それを見た二宮尊徳翁は、次のように話された。

孔子の教えは中庸を尊ぶが、この二十四孝の人々は、皆中庸ではない。

ただ、王褒、朱寿昌等数名だけは、普通であるが、その他の人達は、奇異な感じがする。虎の前で泣いたことから害を免れたという話に至っては、私は全く知らない。論語が説く孝とは、大分違う感覚を覚える。

孝は、親の心を良く理解することで、親の心を安らかにするのが目的である。

子として、たとえ、遠国に奉公し、父母の状態を頻繁に問うことが出来ないとしても、平常の身持ち、心掛けが確かであれば、親の心を安らかにすることができる。

その子が勤務する藩で褒章を受けた者があると聞けば、我が子であろうかと喜び、また、罪科を受けた者があると聞いても、必ず、我が子ではないと安心していて、心配しないようであれば、孝の状態にあると言っても良い。

また、同じく罪科に陥った者が居ると聞いたときに、我が子であろうかと心配し、褒賞された者があると聞けば、我が子ではないだろうと、喜ばないようであれば、子が毎日のように両親の許に通って、安否を心配していたとしても、不孝と言わなければならない。

中国の古典書に、「事親者、居上不驕、為下不乱、在醜不争」とある。

また、論語には「無違」とあり、礼を欠くことのないようにすることも孝行の大切な要素であり、「其疾之憂」ともあり、親には病気以外では決して心配をかけないようにすることも、孝行の内であると教えている。

親子の情は、この通りである。世間の親の深い情けは、子のために無病長寿を、立身出世を願う他には、決して余分な願いはないものである。

従って、子がその親の心を自分の心として、親を安心させることこそ、最高の親孝行である。

上に居て驕らず、下に居て乱れないことも、当たり前のことであるが、「醜に在りて争わず」ということにも心掛けるべきである。醜俗に交わる時は、どんなに堪えても堪えがたいことが多いとしても、この場で争はないということは、実に、孝行の極みである。

 

※ 二十四孝(にじゅうしこう) 中国史上孝行で有名な二十四人の総称。舜・漢文帝・曾参・閔子騫・仲由・董永・・江革・陸績・唐夫人・呉猛・王祥・郭巨・楊香・朱寿昌・黔婁・老莱子・蔡順・黄香・姜詩・王褒・丁蘭・孟宗・黄庭堅。

     「事親者、居上不驕、為下不乱、在醜不争」(おやにつかうるものは、かみにいておごらず、しもとなってみだれず、もろもろにあってあらそわず)(親に仕える者は、地位が上であっても驕らず、下であっても落ち着いていて、周りが醜く乱れていても争いに参加しない。醜=衆) 孝経 孝優劣章

※ 「孟孫問孝於我、我對曰無違」(もうそん、こうをわれにとう、われこたえていわく、たがうことなしと) 論語 為政

※ 「父母唯其疾之憂」(ふぼはただそのやまいをこれうれう) 論語 為政

 

【追補】

二宮尊徳は、この説話で、親に孝行を尽くすということについて、子が親の気持ちの在り方を良く理解し、それを基に正しく行動していれば、それだけでも親に安心を与えることとなって、最高の孝行ができたことになる、と教えている。

親への孝行ということを言うと、すぐ、封建的という言葉を聞きそうであるが、それは、早とちりと言う外はない。親孝行とは、どんな時でも親に盲従するとか、常に自己犠牲をして親に仕えるということでもない。第七十話にあるように、親を諌めることも、孝行の内であり、第二百九話の話も孝行なのである。

最近ブームの韓国ドラマの中には、随所に親に対して配慮するシーンが出てくるが、日本の人達がそれを正しく受けとめてくれるのを待ちたい。また、モンゴル等の外国から来ている力士の親思いの心も、日本人が正しく受けとめて見習って欲しいところである。

 

 

第百八拾四話

 親子の情は切れない

 

二宮尊徳翁は次のように話された。

甚だ親不孝な子だとしても、もし、他人がその親を謗(そし)ることがあれば、必ず怒るものである。これは、親子の道が、天理であるために怒るのである。

中国古典の「詩経」に、「無念爾祖」とある。尤もである。

 

  「無念爾祖」(なんじのそをおもうことなからんや)(汝の祖を思わないことがあろうか 忘れてはならない)詩経 大雅 文王

 

【追補】

二宮尊徳は、この説話で、親子の情というものは、誰もが元々持っているものだけに、その深さは、並々ならないものだ、と教えている。

親が子を育てる時に注ぐ、深い慈しみの気持ちが、物心がつかない幼子の生命の中に、いつのまにか、しっかり浸み込んでいるので、その受けた愛に報いる気持ちが、無意識下で大きな位置を占めているのである。

説話にあるように怒ることができる者は、幼い時に、愛情一杯に育てられた記憶の持ち主であることを証明しているのである。

この人は、怒った時点で、親に孝行しているのである。

またこの人は、本当は良い人なのである。

 

 

第百八十五話

 悪習に染まった者を救う法

 

二宮尊徳翁は次のように話された。

悪習に深く染まってしまった者を、そこから抜け出させて、善の方に移らせるのは、非常に難しいことだ。

ある時は財物を恵み、ある時は話して聞かせる。それで、一旦は改まることがあるが、また、元の悪習の方に戻ってしまうことが多い。何とも手の打ちようがないが、その人に、何度も更正への手を差し伸べてやるべきだ。

悪習に染まった者を善に導くのは、たとえば、渋柿の台木に甘柿を接ぎ穂するようなものである。ややもすると、台木本来の特質が強く出て、接ぎ穂の善を害すことがある。そのために、接ぎ穂をする人は、心を落ちつけて、台芽を掻き取るように十分に気をつけて行うべきである。もし、これをいいかげんに行えば、台芽の為に接ぎ穂は枯れてしまうであろう。

私が仕法を指導している地区に、そのように悪習に染まった者が数名居た。私は、この数名の為に、大変心を砕き、いろいろ配慮して努めた。

それがあって、今日があるのだ。その辺を良く察するように。

 

【追補】

二宮尊徳は、この説話で、一度悪習に染まると、そこから抜け出すのは大変なのであるから、指導者は、根気強く、抜け出せるよう支援をしていかなければならない、と教えている。

好んで悪に入ろうとする人は、本来いないのである。何らかの理由があったはずであるから、そこを見抜いて、対応を考えて支援していくことが大切なのであろう。

 

 

第百八十六話

 小さな事に気を取られないように

 

二宮尊徳翁は次のように話された。

裕福な者で、小道具が好きな者は、大きな事業は成し遂げられないものである。また、貧しい者で、葉着物、足袋などを飾るものは、もっと上の地位には行けないものである。

人が多く集まり、雑踏するところには、よい履物を履いて行かないことである。よい履物は、紛失することがあるからである。悪い履物を履いて行って紛失した時には、騒いで追求したりせずに、新しいものを買い求めて履いて帰ることである。

混雑の中で、それを追求して他人を煩わせるのは、非常に粗末な履物を履いているよりも見苦しいからである。

 

【追補】

二宮尊徳は、この説話で、人は、余り小さな所に目をつけないで、できるだけ大きいところを見ていくべきである。そのためには、小さなことで悩まなくて済むように、そして、小さなことで他人に迷惑をかけないように、ちょっとした配慮をしておくことが大切である、と教えている。

説話の主題は、日々の生活での、目の付け所ということである。だが、目の付け所とは、実際には、目線の行き先ではなく、心の置き所のことなのである。つまり、心眼で何を見ようとしているのかということである。

尊徳は、心眼では、なるべく上を、そして、なるべく大きいものを見るようにせよ、と言っているのである。


常にその時点での可能な限り良い因を投入するように努力しなければならない 

 

第百八十七話

 中庸の中の在り方は、対象によって、いろいろ有る

 

二宮尊徳翁は次のように話された。

孔子などの聖人は、「中」を尊ぶ。

しかし、その「中」と言うものは、ものごとによってそれぞれ異なる。ある物では、その中央に「中」がある場合がある。物差の類がそうである。また、ある物では偏ったところに「中」がある場合がある。竿秤(さおばかり)の錘の釣り合いの位置がそうである。

熱過ぎず、冷めた過ぎずは、温湯の「中」、甘過ぎず辛過ぎずは、味の「中」、損得無しは、取引の「中」である。

処で、泥棒は盗むのを誉め、世の中の人は盗むのを咎めるというようなことは、何処にも「中」はない。盗まず、盗まれないという辺りに「中」があるというべきか。

忠、孝ということは、自分と他の人との相対において生ずる道である。

親がなければ、孝行しようとしてもできない。主君に仕えて居なければ、忠義を尽くそうとしてもできない。そのことから、その相手が存在し、心のあり方が相手に片寄らなければ、忠孝ということは尽くせないものと言える。

君主の方への心のあり方の片寄りが極まって最高の忠であり、親の方に心のあり方の片寄りが極まって最高の孝となる。つまり、片寄りとは、尽くすことの意味も持つのである。

舜の、父である瞽に対する親孝行や、楠公(楠正成)の南朝への忠義は、それぞれ、心のある位置が精一杯相手の方に傾いていて、実に偏倚(へんい、片寄り)の極みである。至れり尽せりと言うべきである。

このように、心のあり方が尽くすべき相手の方に傾けば、鳥もちで塵を取るように、忠も孝も尽くせるようになる。忠孝の道は、ここにおいて中庸となるのである。

但し、忠孝のためには、中間ということは許されない。百石の身分であれば、百石全部をそのために用いなければならない。

 

※ 舜(中国古代の仁政を敷いた帝王、その父への孝行も有名)  

※ 楠公(楠正成のこと、鎌倉幕府の末期の天皇家が南北に別れて戦った時期の南朝の武将、数々の戦いで功績を上げた忠臣としてあがめられた。一族も南朝軍に参加)

※ 瞽(こそう)(舜帝の父、愚かで道理に暗い人だった)

※ 鳥もち(鳥黐・黐)小鳥や昆虫を捕まえるために竿などの先端に塗る粘着性の高い物質。モチノキ、ヤマグルマなどの樹皮からとった物質。

 

【追補】

二宮尊徳は、この説話で、中庸ということを実現する時の、中とは、どのような位置であるのかについて、教えている。

尊徳は、人が求める中庸とは、心の置き所についての中庸である、としている。

従って、言葉としての中庸からは、何の片寄りもなく、物差しで計ったように真中である中央ということが連想されるが、心の中庸とは、そういう位置のことではない。

心でなくても、竿秤の重りの位置のように、真中ではないところに、釣り合いが取れたことを示す中が示されるものもある。

人の行為に於ける中庸の時の心のあり方は、実際には、中央、水平に位置しているのではなく、ある方向、つまり、対応する人や物の方に片寄って位置し、その上、その方向に傾いているものなのである。

しかも、そうなっていなければ、本当の行為は実現できない、と尊徳は言っている。

確かに、人が人や動物、あるいは物を愛し、めでる時には、心のありかは、ぐっとその対象の方に近づき、心はその対象に向って大きく傾いているのである。しかし、それでバランスが大きく崩れてしまうかというと、そうではない。勿論、一時的に多少バランスが崩れるかもしれないが、通常の場合は、すぐに元に戻ってその後遺症はなくなるのであるから、問題はない。

なお、この説話で、忠義という言葉があるが、これは、忠誠と読みかえれば良い。忠誠という言葉は、現在でも君主以外の人等への片寄り度として用いられるものである。

 





(私論.私見)