221、親鸞の肉食妻帯免(ゆる)しの諭し
或る人曰く、親鸞は末世の比丘戒(びくかい)行の持(たも)ち難きを洞察して肉食妻帯を免(ゆる)せり。卓見と云うべしと。翁曰く、恐らくは非ならん。予、仏道は知らずといえども、之を譬えば、田地の用水堰(せき)の如き物なるべし。それ用水堰は、米を作るべき地を潰(つぶ)して水路とせしなり。その如く人の欲する処を潰して法水路となし、衆生を済度(さいど)せんとする教えなる事明らか也。それ人は男女有りて相続すれば男女の道は天理自然なれども、法水を流さん為に、男女の欲を潰して堰路となしゝなり。肉身なれば肉食するも天理なれども、この欲をも潰して法水の堰路とせしなり。男女の欲を捨つれば、惜しい欲しいの欲念も、悪(にく)いかわゆいの妄(もう)念も、皆随(したがっ)て消滅すべし。これ人情捨て難き物を捨て、堰代と為せばこそ、法水は流るゝなれ。されば肉食妻帯せざる処を流伝して、仏法は万世に伝る物なるべし。仏法の流伝する処は、肉食妻帯せざる処にあるべし。然るを肉食妻帯を免(ゆる)して法を伝え(んとするは、水路を潰して、稲を植えんとするが如しと。予は竊、我(ひそか)に恐るゝなり。 |
※補講※ |
222、謀計機巧戒めの諭し
或る人曰く、毛利元就曰く、百事思う半分も成就せぬ物なり。中国の主たらんと思うて、漸(ようや)く一国の主たるべし。天下の主たらんと願うて、漸く中国の主たるべしと。実に然るべし。翁曰く、理或は然らん、然りといえども、これ乱世大将の志にして、我が門の称せざる処なり。それ舜(しゅん)禹(う)の帝王たるや、その帝王たらん事を願わず、只一途に勤むべき事を勤めしのみ。親に事えては親の為に尽し、君に事えては君の為に尽し、耕稼(こうか)陶漁(とうぎょ)、皆その事に就(つ)きて尽せるのみ。舜の歴山にある、禹の舜に事える時、何ぞ帝王たる事を願うて然らんや。己の身ある事を知らず、只君親ある事を知るのみ。古書に舜禹の事を述るを、見て知るべし。この如くならざれば、一家一村といえども、歓心を得る事難し。平治する事難し。譬えば家を取らん事を願うて、家を取り、村長とならん事を願うて、村長となるの類、その家その村必ず治まらず。如何となれば、かくせんと欲して為せば、謀計(ぼうけい)機巧(きこう)を用うればなり。謀計機巧は、衆恨(こん)の聚(あつま)る処なれば、一旦勢いに乗じ智力を用い、これを為すといえども、焉(いづくん)ぞ能く久しきを保たんや。焉(いずくん)ぞ能く治平を得んや。これ我が門の戒むる処なり。それ東照公は国を治め民を安ずるの天理なる事を知りて、一途に勤めたりと宣へり。乱世にしてすらこの如し、敬服せざるべけんや。富商の番頭、忠実をその主家に尽して終に婿(むこ)となり、主人となる者多し。それ商法家は家を愛する事、堯舜の天下を愛するが如くなる、故に然るなり。 |
※補講※ |
223、鉢植(はちうえ)の松の諭し
翁曰く、論語に、哀公問うて曰く、年饑(うえ)て用足らず、之を如何。対して曰く、何ぞ徹せざるや。曰く、二にして吾猶足らず、之を如何ぞそれ徹せん。対して曰く、百姓足らば君誰と共にか足らざらん。百姓足らずんば君誰と共に足らん、とあり。これ解(げ)し難き理なり。之を譬えるに鉢植(はちうえ)の松養ひ足らず、将に枯れんとす、之を如何と問ふ時、何ぞ枝を伐(き)らざると答へたるに同じ。又問ふ、この儘(まま)にてすら枯んとす、何ぞそれ枝を伐(き)らん。曰く、根枯ずんば、木誰と共に枯れん、と答へたるが如し。実に疑いなき問答なり。それ日本は六十余州の大なる鉢なり、大なれどもこの鉢の松、養ひ足らざる時は、無用の枝葉を伐(きり)すかすの外に道なし。人の身代も、銘々一ッづゝの小鉢なり。暮し方不足せば、速に枝葉を伐捨べし。この時にこれは先祖代々の仕来りなり、家風なり、これは親の心を用ひて、建たる別荘なり、これは殊に愛翫(あいがん)せし物品なりなどゝ云て、無用の枝葉を伐り捨てる事を知らざれば、忽(たちまち)枯気付く物なり。既に枯気付ては、枝葉を伐り去るも、間に合ぬ物なり。これ尤も富有者の子孫心得べき事なり。 |
※補講※ |
224、廃邑興しの諭し
翁曰く、村里の衰廃を挙(あぐ)るには、財を抛(なげう)たざれば、人進まず、財を抛つに道あり。受る者その恩に感ぜざれば益なし。それ天下の広き、善人少なからず。然りといへども、汚俗を洗ひ、廃邑を起すに足らざるは、皆その道を得ざるが故也。凡そ里長たる者、その事に幹たる者は、必ずその邑の富者なり。たとえ善人にして能く施すとも、自ら驕奢に居るゆへに、受ける者、その恩を恩とせず、只その奢侈を羨(うらや)んで、自らの驕奢を止めず、分限を忘るゝの過ちを改ず、故に益なきなり。これに依て村長たらん者自ら謙して驕(ほこ)らず、約にして奢(おご)らず、慎しんで分限を守り、余財を推し譲りて、村害を除き、村益を起し、窮を補ふ時は、その誠意に感じ、驕奢を欲するの念も、富貴を羨(うらや)むの念も、救ひ用捨を欲するの念も、皆散じて、勤労を厭(いと)はず、麁(ソ)衣麁食を厭はず、分限を越すの過ちを恥ぢ、分限の内にするを楽しみとす。このの如くならざれば、廃邑を興し、汚俗を一洗するに足らざるなり。 |
※補講※ |
225、道の大意の諭し
翁曰く、己に克ちて礼に復(かえ)れば天下仁に帰す、と云り。これ道の大意なり。それ人己が勝手のみを為さず、私欲を去りて、分限を謙(へりくだ)り、有余を譲るの道を行ふ時は、村長たらば一村服せん、国主ならば一国服せん、又馬士ならば馬肥(こえ)ん、菊作りならば菊栄えん。釈(シヤク)氏は王子なれども、王位を捨て鉄鉢一つと定めたればこそ、今この如く天下に充満し、賤(しず)山勝といへども、尊信するに至れるなれ。則ち予が説く所の、分を譲るの道の大なる物なり。則ち己に克つの功よりして、天下これに帰せしなり。凡そ人の長たらん者、何ぞこの道に依(よ)らざるや。故に予常に曰く、村長及び富有の者は、常に麁(ソ)服を用ふるのみにても、その功徳無量なり、衆人の羨む念をたてばなり。況(いわ)んや分限を引て、能く譲る者に於てをや。 |
※補講※ |
226、尊徳碑の諭し
伊藤発身曰く、翁の疾(やまい)重(おも)れり。門人左右にあり、翁曰く、予が死近きにあるべし。予を葬るに分を越ゆる事勿れ。墓石を立る事勿れ、碑を立る事勿れ。只土を盛り上げてその傍(かたわら)に松か杉を一本植え置けば、それにてよろし。必ず予が言に違(たが)う事勿れと。忌明に及んで遺言に随うべしと云あり。又遺言ありといえどもかゝる事は弟子の忍びざる処なれば、分に応じて石を立つべしと言あり。議論区々(まちまち)なりき。終に石を建(たて)しは、未亡人の意を賛成する者の多きに随(したが)えるなり。 |
※補講※ |
227、尊徳道の諭し
翁曰く、仏家にては、この世は仮の宿なり、来世こそ大切なれと云うといえども、現在君親あり、妻子あるを如何せん。たとえ出家遁世して、君親を捨て妻子を捨(すつ)るも、この身体あるを如何せん。身体あれば食と衣との二ツがなければ凌(しの)がれず、船賃(ふなちん)がなければ、海も川も渡られぬ世の中なり。故に西行の歌に「捨て果て身は無き物と思へども 雪の降る日は寒くこそあれ」と云えり。これ実情なり。儒道にては、礼に非れば、視る事勿れ、聴(き)く事勿れ、云う事勿れ、動く事勿れ、と教えれども、通常汝等の上にてはそれにては間に合わず、故に予は我が為になるか、人の為になるかに非れば、視る事勿れ、聴(き)く事勿れ、言う事勿れ、動く事勿れと教えるなり。我が為にも、人の為にもならざる事は経書にあるも、経文にあるも、予は取らず。故に予が説く処は、神道にも儒道にも仏道にも、違う事あるべし。これは予が説の違えるにはあらざるなり。能く々玩味すべし。 |
※補講※ |
228、棟梁の器の諭し
翁山林に入て材木を検す。挽(ひき)割たる材木の真(しん)の曲がりたるを指して、諭して曰く、この木の真は、則ちいわゆる天性なり。天性この如く曲れりといえども、曲りたる内の方へは肉多く付き、外へは肉少く付きて、長育するに随(したがい)ておおよそ直木となれり。これ空気に押るゝが故なり。人間世法に押れて、生れ付きを顕(あらわ)さぬに同じ。故に材木を取るには、木の真を出さぬ様に墨を掛(かく)るなり。真を出す時は、必ず反(そ)り曲る物なり。故に上手の木挽(こびき)の、材木を取るが如く、能く人の性を顕(あらわ)さぬ様にせば、世の中の人、皆用立つべし。真を顕さぬ様にするとは、佞(ねい)人も佞を顕さず、奸人も奸を顕さぬ様に、真を包みて、其直(すぐ)なるをば柱とし、曲れるをば梁(はり)とし、太きは土台とし、細きは桁(けた)とし、美なるをば造作の料に用いて残す事なし。人を用うる又この如くせば棟梁の器と云うべし。又山林を仕立るには、苗を多く植え付くべし。苗木茂れば、供育ちにて生育早し、育つに随い木の善悪を見て抜き伐(き)すれば、山中皆良材となる物なり。この抜き伐りに心得あり。衆木に抜きんでゝ長育せしと、衆木に後れて育たぬとを伐り取るなり。世の人育たぬ木を伐る事を知りて、衆木に勝れて育つ木を伐る事を知らず。たとえ知るといえども伐る事能ざる物なり。且つこの抜伐り手後れにならざる様、早く伐り取るを肝要とす。後るれば大に害あり。一反歩に四百本あらば三百本に抜き又二百本に抜き、大木に至らば又抜き去るべし。 |
※補講※ |
229、垣根の内に籠れる論の諭し
翁曰く、天地は一物なれば、日も月も一つなり。されば至道二つあらず、至理は万国同じかるべし。只、理の窮(きわ)めざると尽さゞるあるのみ。然るに諸道各々道を異にして、相争うは各区域を狭く垣根を結回(ゆいまわ)して、相隔(へだ)つるが故なり。共に三界城内に立て籠(こも)りし、迷者と云うて可なり。この垣根を見破りて後に道は談ずべし。この垣根の内に籠れる論は聞くも益なし、説も益なし。 |
※補講※ |
230、尊徳の教え蓮花論の諭し
翁曰く、老仏の道は高尚なり。譬えて云えば、日光箱根等の山岳の峨(が)々たるが如し。雲水愛すべく、風景楽しむべしといえども、生民の為に功用少し。我が道は平地村落の野鄙(やひ)なるが如し。風景の愛すべきなく、雲水の楽しむべきなしといえども、百穀涌(わ)き出れば国家の富源はこの処にある也。仏家知識の清浄なるは、譬えば浜の真砂(まさご)の如し。我が党は泥沼の如し。然りといえども蓮花は浜砂に生ぜず、汚泥に生ず。大名の城の立派なるも市中の繁花(はんか)なるも、財源は村落にあり。これを以て至道は卑近に有りて高遠にあらず。実徳は卑近にありて高遠にあらず。卑近決して卑近にあらざる道理を悟るべし。 |
※補講※ |
231、神儒仏正味一粒丸の諭し
翁曰く、予、久しく考えて、神道は何を道とし、何に長じ何に短なり。儒道は何を教とし、何に長じ何に短なり。仏教は何を宗とし、何に長じ何に短なり、と考えるに皆相互(たがい)に長短あり。予が歌に「世の中は捨足代木(すてあしろぎ)の丈くらべ それこれ共に長し短し」と云いしは、慨歎に堪(たえ)ねばなり。よって今道々の専(もっぱら)とする処を云わゞ、神道は開国の道なり、儒学は治国の道なり、仏教は治心の道なり。故に予は高尚を尊ばず、卑近を厭わず、この三道の正味のみを取れり。正味とは人界に切用なるを云う。切用なるを取りて、切用ならぬを捨てて、人界無上の教えを立つ。これを報徳教と云う。戯(たわむれ)に名付けて、神儒仏正味一粒丸と云う。その功能の広太なる事、挙げて数うべからず。故に国に用れば国病癒(い)え、家に用れば家病癒へ、その外荒地多きを患(うれ)うる者、服膺(ふくよう)すれば開拓なり、負債多きを患る者、服膺すれば返済なり、資本なきを患る者、服膺すれば資本を得、家なきを患る者、服膺すれば家屋を得、農具なきを患る者、服膺すれば農具を得、その他貧窮病、驕奢病、放蕩病、無頼病、遊惰病、皆服膺して癒えずと云う事なし。衣笠兵太夫、神儒仏三味の分量を問う。翁曰く、神一匕(さじ)、儒仏半匕づヽなりと。或る人傍(かたわら)に有り、これを図にして、三味分量
この如きかと問う。翁一笑して曰く、世間この寄せ物の如き丸薬(がんやく)あらんや。既に丸薬と云えば、能く混和して、更に何物とも分らざる也。この如くならざれば、口中に入りて舌に障(さわ)り、腹中に入て腹合い悪(あし)し、能く々混和して何品とも分らざるを要するなり、呵々。
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232、尊徳教の諭し
或る人問いて曰く、因果と天命との差別如何。翁曰く、因果の道理の尤も見易きは、蒔く種の生えるなり。故に予、人に諭すに「米蒔けば米の草はへ 米の花咲つゝ米の実のる世の中」の歌を以てす。仏は、種に因て生ずる方より見て、因果と云えり。然りといえども、之を地に蒔かざれば生ぜず、蒔くといえども、天気を受ざれば育せず、されば種ありといえども、天地の令命に依らざれば生育せず、花咲き実のらざる也。儒は、この方より見て天命と云えるなり。それ天命とは、天の下知と云うが如し。悪人の刑を免れたるを見て、仏は因縁未だ熟せずと云い、儒は天命未だ降らずと云い、皆米を蒔て未だ実らざるを云うなり。この悪人捕縛(ほばく)に就(つ)くを見て、仏は因縁熟せりと云い、儒は天命到れりと云う。而して之を捕縛する者は上意と云えり。この上意則ち天命と云うに同じ。それ借りたる物を約定の通り返すは、世上の通則なり。されば規則の通り踏むべきは定理なるを、履まざる時は、貸方之を請求して、上命を以てこの規則を履ましむ。ここに至て身代限りとなる。仏は之を見て、借りたる因によりて、身代限りとなるは果也と云い、儒は借りて返さゞる故に身代限りの上命降れりと云うなり。共に言語上に聊(いささか)の違いあるのみ。その理に於ては違いなし。又問い、因縁とは如何。翁曰く、因は譬えば蒔たる種也。之を耕耘培養するは縁なり。種を蒔きたる因と、培養したる縁とに依りて、秋の実のりを得る、之を果と云うなり。 |
※補講※ |
233、尊徳党の諭し
翁曰く、昔(むかし)堯帝(ぎょうてい)、国を愛する事厚し。刻苦励精(れいせい)国家を治む。人民謳(うたい)て曰く、井を掘りて呑み、田を耕やして食う。帝の力何ぞ我にあらんや。帝之を聞て大に悦べりとあり。常人ならば、人民恩を知らずと怒るべきに、帝の力何ぞ我に有んやと謳(うた)うを聞きて悦べるは、堯の堯たる所以(ゆえん)なり。それ予が道は、堯舜も之を病めりと云える。大道の分子なり。されば予が道に従事して、刻苦勉励、国を起し村を起し、窮を救ふ事有る時も、必ず人民は報徳の力、何ぞ我に有らんやと謳(うた)うべき也。この時これを聞て、悦ぶ者にあらざれば、我が徒にあらざる也、謹めや謹めや。 |
※補講※ |