201、恩の諭し
翁曰く、世人の常情、明日食うべき物なき時は、他に借りに行かんとか、救いを乞わんとかする心はあれども、弥(いよいよ)明日は食うべき物なしと云う時は、釜も膳(ぜん)椀(わん)も洗う心なし、と云えり。人の情実に恐るべく尤もの事なれども、この心は困窮その身を離れざるの根元なり。如何となれば、日々釜を洗い膳椀を洗うは明日食わんが為にして、昨日迄用いし恩の為に洗うにあらず。これ心得違いなり。たとへ明日食うべき物なしとも、釜を洗い膳も椀も洗い上げて餓死すべし。これ今日迄用い来りて、命を繋(つな)ぎたる恩あれば也。これ恩を思うの道なり。この心ある者は天意に叶う故に長く富を離れざるべし。富と貧とは、遠き隔てあるにあらず、明日助らん事のみを思いて、今日までの恩を思わざると、明日助らむ事を思うては、昨日迄の恩をも忘れざるとの二ツのみ。これ大切の道理也。能く々心得べし。
仏家にては、この世は仮の宿、来世こそ大切なれと教える。来世の大切なるは、勿論なれど、今世を仮の宿として軽んずるは誤れり。今一草を以て之を譬えん。それ草となりては、来世の実の大切なるは無論なりといえども、来世好き実を結ばんには、現世の草の時、芽立より出精して、露を吸い肥しを吸い根を延し葉を開き、風雨を凌ぎ、昼夜精気を運びて根を太らせ、枝葉を茂らせ、好き花を開く事を丹精せざれば、来世好き実となる事を得ず。されば草の現世こそ大切なれ。人もその如く、来世のよからん事を願わゞ、現世に於て邪念を断ち身を慎しみ道を蹈(ふ)み、善行を勤むるにあり。現世にて人の道を蹈まず、悪行をなしたる者いづくんぞ、来世安穏なる事を得んや。
それ地獄は悪事を為したる者の、死後に遣(や)らるゝ処、極楽は善事を為したる者の行処なる事、鏡に掛(か)けて明なれば、来世の善悪は、現世の行いにあり。故に現世を大切にして、過去を思うべき也。先ずこの身は如何にして生れ出しやと、跡を振り返りて見る是なり。論語にも、生を知らざれば焉(いずくん)ぞ死を知らん、と云えり。それ性は天の令命なり。身体は父母の賜なり。その元天地の令命と父母の丹精とに出づ。先ずこの理より窮めて、天徳に報い、父母の恩に報う行いを立つべし。性に率(したが)いて道を蹈むは人の勤めなり。この勤めを励む時は、来世は願わずして、安穏なる事疑いなし。何ぞ現世を仮の宿と軽んじ、来世のみを大切とせんや。
それ現在に君あり、父母あり妻子あり、これ現世の大切なる所以なり。釈氏の之を捨て、世外に立しは、衆生を済度(さいど)せんが為なり。世を救わんには、世外に立ざれば、広く救い難きが故なり。譬えば己が坐して居る畳を揚(あ)げんとする時は、己外に移らざれば、揚ぐ可らざるが如くなればなり。然るに世間一身を善くせんが為に、君父妻子を捨つるは迷えるなり。然れども僧侶はその法を伝えたる者なれば、世外の人なるが故に別なり。混ずべからず。これ君子小人の別るゝ処にして、我が道の安心立命はここにあり。惑うべからず。 |
※補講※
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202、能く勤めよの諭し
翁曰く、予飢饉救済の為、野常相駿豆の諸村を巡行して、見聞せしに、凶歳といへども、平日出精人の田畑は、実法(みの)り相応にありて、飢渇(きかつ)に及ぶに到らず。予が歌に「丹精は誰しらねどもおのづから 秋の実法のまさる数(かず)々」といへるが如し。論語に、苟(まこと)に仁に志さば悪なし、と云えり。至理なり。この道理を押すに苟(マコト)に農業に志せば、凶歳なしと言て可なる物なり。されば苟(マコト)に商法に志せば、不景気なしと云うて可ならん。汝等能く勤めよ。 |
※補講※ |
203、正月餅の諭し
桜町陣屋下に翁の家出入の畳職人、源吉と云う者あり。口を能くきゝ、才ありといえども、大酒遊惰なるが故に困窮なり。年末に及んで、翁の許(もと)に来り、餅米の借用を乞へり。翁曰く、汝が如く、年中家業を怠りて勤めず、銭あれば酒を呑む者、正月なればとて、一年間勤苦勉励して、丹精したる者と同様に餅を食んとするは甚だ心得違いなり。それ正月不意に来るにあらず。米偶然に得らるゝ物にあらず。正月は三百六十日明け暮れして来り。米は、春耕し夏耘(くさぎ)り秋刈りて、初めて米となる、汝春耕さず夏耘(くさぎ)らず秋刈らず。故に米なきは当り前の事なり。されば正月なりとて、餅を食うべき道理ある可からず。今貸すとも何を以て返さんや。借りて返す道無き時は罪人となるべし。正月餅が食いたく思わゞ、今日より遊惰を改め、酒を止めて、山林に入て落葉を掻(か)き、肥(こやし)を拵(こし)らえ、来春田を作り米を得て、来々年の正月、餅を食うべきなり。されば来年の正月は、己が過ちをくいて餅を食う事を止めよと懇々説諭せられたり。源吉大に発明し、先非を悔い、私(わたくし)遊惰にして、家業を怠り酒を呑み、而て年中勉強せらるゝ人と同様に、餅を食て春を迎えんと思いしは全く心得違ひなりき。来年の正月は、餅を食わず過ちをくいて年を取り、今日より遊惰を改め、酒を止め、年明けなば、二日より家業を初め、刻苦勉励して、来々年の正月は、人並に餅を搗(つ)き祝ひ申すべしと云い、教訓の懇切なるを厚く謝して、暇乞(いとまごい)をし、しほしほと門を出づ。時に門人某、密(ひそか)に口ずさめる狂歌あり。「げんこう(言行・源公)が一致ならねば年の暮 畳み(重なるむねや苦しき」。翁この時金を握り居られて、源吉が門を出て行くを見て俄(にわか)に呼び戻し、予が教訓能く腹に入りたるか。源吉曰く、誠に感銘せり、生涯忘れず、酒を止めて、勉強すべしと。翁則ち白米一俵餅米一俵金一両に大根芋等を添えて与へらる。これより源吉生れ替わりたるが如く成りて、生涯を終れりと云う。翁の教養に心を尽さるゝ事この如し。この類枚挙に暇(いとま)あらずといえども、今その一を記す。 |
※補講※ |
204、肥良の土の諭し
翁曰く、山の裾(すそ)、また池のほとりなどの窪き田畑などには大古の池沼などの、自ら埋(うま)りて田畑となりたる処ある物なり。この処は、凡て肥良の土の多くある物なれば、尋ねて掘出して、麁(そ)田麁畑に入るゝ時は大なる益あり。これを尋ねて掘り出すは天に対し国に対しての勤めなり。励みて勤むべし。 |
※補講※ |
205、骨折りの諭し
下野国某の郷村、風俗頽廃(たいはい)する事甚し。葬地(そうち)定所なく、或は山林原野、田畑宅地皆埋葬して忌(いま)ず、数年を経れば墓を崩し菽(まめ)麦を植えて又忌ず。故に荒地開拓、堀割り、畑捲(まく)り等の工事に、骸骨(がいこつ)を掘出す事毎々あり。翁之を見て曰く、それ骸骨腐朽すといえども、頭骨と脛(けい)骨とは必ず存す。如何となれば、頭は衆体の上に有て、尤も功労多き頭脳を覆(おお)ひて、寒暑を受る事甚し。脛(はぎ)は衆体の下に有て、身体を捧(ささ)げ持ち、功労尤も多し。その人、世に有て功労多き処、没後百年その骨朽(くち)ず、その理感銘すべし。汝等頭脛(づけい)の骨の如く、永く朽ざらん事を勤めよ。古歌に「滝のおとは絶えて久しく成ぬれど 名こそ流れて猶聞えけれ」とあり。本朝の神聖は勿論、孔子釈氏等も世を去る事三千年なり。然るに今に至りて大成至聖文宣皇帝孔夫子と云ひ、大恩教主釈迦牟尼仏と云えり。その人は死していと久しく成りぬれど、名こそ我朝にまで、流れ来りて、猶聞えたれ。感ずべきなり。おおよそ人の勲功は、心と体との二ツの骨折に成る物なり。その骨を折て已(や)まざる時は、必ず天助あり。古語に、之を思い思いてやまざれば天之を助く、と云り。之を勤め勤めて已まざれば又天之を助く可し。世間心力を尽して、私なき者必ず功を成すは是が為なり。それ今の世の中に、勲功残りて、世界の有用となる処の物、後世に滅せずして、人の為に称讃せらるゝ処の者は皆悉(ことごと)く前代の人の骨折りなり。今日この如く国家の富栄盛大なるは、皆前代の聖賢君子の遺(のこ)せる賜物にして、前代の人の骨折りなり。骨を折れや二三子、勉強せよ二三子。 |
※補講※ |
206、吝嗇(りんしょく)戒めの諭し
翁曰く、何程富貴なりとも、家法をば節倹に立て、驕奢に馴るゝ事を厳に禁ずべし。それ奢侈は不徳の源にして滅亡の基(もとい)なり。如何となれば、奢侈を欲するよりして、利を貪(むさぼ)るの念を増長し、慈善の心薄(うす)らぎ、自然欲深く成りて、吝嗇(りんしょく)に陥いり、それより知らず知らず、職業も不正になり行きて、災を生ずる物なり。恐るべし。論語に、周公の才の美ありとも奢(おご)り且つ吝(やぶさか)なれば、その余は見るに足らず、とあり。家法は節倹に立て、我身能く之を守り、驕奢に馴るる事なく、飯と汁木綿着物は身を助くの真理を忘るる事勿れ。何事も習い性となり馴れて常となりては、仕方無き物なり。遊楽に馴るれば面白き事もなくなり、甘(うま)き物に馴るれば甘き物もなくなるなり。これ自ら我が歓楽をも減ずるなり。日々勤労する者は、朔望(さくぼう)の休日も楽みなり。盆正月は大なる楽しみなり。これ平日、勤労に馴るゝが故なり。この理を明弁して滅亡の基を断ち去るべし。且つ若き者は、酒を呑むも、烟草(たばこ)を吸うも、月に四五度に限りて、酒好きとなる事勿れ、烟草好きとなる事勿れ。馴れて好きとなり、癖となりては生涯の損大なり。慎しむべし。 |
※補講※ |
207、仁者仁心の諭し
翁曰く、大学に、仁者は財を以て身を起す、といへるはよろし。不仁者は身を以て財を起す、といへるは如何。それ志ある者といへども、仁心ある者といへども、親より譲られし財産なき者は、身を以て財を起すこそ道なれ。志あるも、財なきを如何せん。発句に「夕立や知らぬ人にも もやひ傘」と云えり。これ仁心の芽立(めだち)なり。身を以て財を起しながらも、この志あらば、不仁者とは云べからず。身を以て財を起すは貧者の道なり。財を以て身を起すは富者の道也。貧人身を以て財を起して富を得、猶財を以て財を起さば、その時こそ不仁者と云うべけれ。善をなさゞれば善人とは云うべからず。悪を為さゞれば悪人とは云うべからず。されば不仁を為さゞれば不仁者とは云うべからず。何ぞ身を以て財を起す者を、一向に不仁者と云わんや。故に予、常に聖人は大尽子(ジンコ)なりと云うなり。大尽子は袋中自ら銭ありと思へり、自ら銭ある袋決してあるべき理なし。この如き咄は、皆大尽子の言なり。又人あれば土ありともあり。本来を云へば、土あれば人ありなる事明らかなり。然るを、人あれば土ありと云へる土は、肥良の耕土を指せるなり。烈公の詩に「土有て土なし常陸の土、人有て人なし水府の人」とあり。則ちこの意なり。 |
※補講※ |
208、硯箱の墨(すみ)の諭し
硯箱の墨(すみ)曲(まが)れり。翁之を見て曰く、総(スベ)て事を執(と)る者は、心を正平に持たんと心掛くべし。譬えばこの墨の如し。誰も曲げんとて摺(す)る者はあらねど、手の力自然傾くが故にこの如く曲るなり。今之を直さんとするとも、容易に直るべからず。百事その通りにて、喜怒愛憎ともに、自然に傾(かたぶ)く物なり。傾けば曲るべし、能く心掛けて心は正平に持べし。 |
※補講※ |
209、諫めの諭し
或る人問て曰く、三年父の道を改めざるを孝と為すとあり。然りといへども、父道不善ならば、改めずばあるべからず。翁曰く、父の道誠に不善ならば、生前能く諫(いさ)め又他に依頼しても改むべし。生前諫めて改るまでに及ばざるは、不善と云といへども、不善と云う程の事にはあらざる、明なり。然るを、没するを待て改るは、不孝にあらずして何ぞ。没後速にに改んとならば、何ぞ生前諫て改めざる。生前諫ず改る事もせず、何ぞ没するを待て改るの理あらんや。 |
※補講※ |
210、城の修理の諭し
翁曰く、大久保忠隣(ちか)君、小田原城拝領の時、家臣某諫(いさめ)て曰く、当城は北条家築(つき)建にして、代々の居城なれば拝領相なるとも、当城守護と思召れ。本丸の住居は、遠慮有て然るべし。拝領なればとて拝領と思召す時は、御為如何あらん。且つ城の内外共、御手入れ等なく、先ずその儘に置れたしと献言せしかど、忠隣君剛強の性質なれば、たとえ北条の居城にもせよ、築建にもせよ、今忠隣が拝領せり。本丸の住居、何の不可か有らん。城の修理何の憚(はばか)る処か有らんとて、聴ききヽ)たまはず。その後行違ひありて、改易の命あり。これ嫌疑に依るといへども、その元、気質の剛強に過て、遠慮無きに依れるなり。それ熊本城も本丸は住居なく、水戸城も佐竹丸は住居なしと聞けり。何事にもこの理あり、心得べき事なり。 |
※補講※ |
211、一得一失の諭し
翁曰く、凡そ物一得あれば一失あるは世の常なり。人の衣服に於る甚煩(わずら)はし。夏の暑にも冬の寒きにも、糸を引機(はた)をおり、裁縫(たちぬ)ひすゝぎ洗濯、常に休する時なし。禽獣(キンジウ)の自ら羽毛あり、寒暑を凌ぎ、生涯損ずることなく、染めずして彩色ありて、世話なきに如ざるが如しといへども、蚤(ノミ)虱(シラミ)羽虫など羽毛の間に生じ、これを追ふに又暇(イトマ)なきを見れば、人の衣服、ぬぎ着自在にして、すゝぎ洗濯の自由なるに如ざる事遠し。世の他をうらやむの類、おおよそかくの如き物也。 |
※補講※ |
212、生物殺生の諭し
或(ある)ひと日光温泉に浴す。山中他邦の魚鳥を喰ふ事を禁じて、山中の魚鳥を殺すを禁ぜず、他の神山霊地等は境内(けいだい)に近き沼地山林にて、魚鳥を殺すを禁ず。これ庖厨(ほうちょう)を遠づくるの意。耳目の及ぶ所にて、生を殺すを忌(い)むなり。而て日光温泉の制、これに反対せり。山中の殺生を禁ぜずして、他境の魚鳥を禁ず。これ山神の意なりと云ふ。この理あるべからずと云えり。翁曰く、仏者殺生戒を説くといへども、実は不都合の物なり。天地死物にあらず万物また死物にあらず、然る生世界に生れて殺生戒を立つ。何を以て生を保(たもた)んや。生を保つは、生物を食するに依る。死物を食して焉(いずくんぞ)生を保つ事を得ん。人皆禽獣(きんじゅう虫魚飛揚(ひよう)蠢動(しゅんどう)の物を殺すを殺生と云いて、草木菓穀(かこく)を殺すの殺生たるを知らず。飛揚蠢動の物を生と云ひ、草木菓穀を生物に非ずとするか。鳥獣を屠(ほふ)るを殺生と云ひ、菓穀を煮るを殺生に非ずとするか、然らば木食行者と云うといへども、秋山の落葉を食して生を保つべけんや。然れば殺生戒と云うといへども、只我と類の近き物を殺すを戒めて、類を異にする物を戒めざるなれば、不都合なる物也。されば殺生戒とは云う可からず、殺類戒と云うて可なる物なり。凡そ人道は私に立たる物なれば、至る処を推し窮むる時は皆この類なり。怪(あやし)むにたらず。而て日光温泉は深山なり、深山などには往古の遺(い)法残る物なれば、私に立たる往古の遺法なるべし。且つ深山は食に乏し。四境通達の処と同じからざれば、往古食物を得るを以て善とせしより、この如き事になれるなるべし、怪むにたらざるなり。 |
※補講※ |
213、法度を審(つまびらか)にするの諭し
翁曰く、学者書を講ずる悉(くわ)しといへども、活用する事を知らず。徒(いたづ)らに仁は云々義は云々と云り。故に社会の用を成さず、只本読みにて、道心法師の誦経(じゅきょう)するに同じ。古語に、権量(けんりょう)を謹(つつし)み法度を審(つまびらか)にす、とあり。これ大切の事なり。之を天下の事とのみ思ふ故に用をなさぬ也。天下の事などは差し置て、銘々己が家の権量を謹しみ、法度を審かにするこそ肝要なれ。これ道徳経済の元なり、家々の権量とは、農家なれば家株田畑、何町何反歩、この作徳何拾円と取調べて分限を定め、商法家なれば前年の売徳金を取調べて、本年の分限の予算を立る、これ己が家の権量、己が家の法度なり。これを審にし、之を慎んで越えざるこそ、家を斉(ととの)ふるの元なれ。家に権量なく法度なき、能く久きを保たんや。 |
※補講※ |
214、家僕の諭し
老中某侯の家臣、市中にて云々の横行あり、横山平太之を誹(そし)る。翁曰く、執政は政事の出る処、国家を正しうして、不正無からしむるの職なるにその家僕(ぼく)その威をかりて、不正を行ふ者往々あり。譬えば町奉行の奴僕(ぬぼく)等、両国浅草等に出る。予が法皮(はっぴ)を見よなどゝ罵(ののし)るに同じ。国を正しうする者、家を正しうする事能はざるが如しといへども、これ家政の届かざるにあらず、勢の然らしむるものなり。かの河水を見よ、水の卑(ひききヽ)に下るの勢い、政事の国家に行はれて置郵伝命(チユウデンメイ)より速かなるが如し。而て水流急にして、或は岩石に当り、石倉に当る処、急流変じて逆流となるものなり。それ老中の権威は、譬えば急流の水勢防ぐべからざるに同じ。家僕等法を犯す者あるは、急流の当る処逆流となるが如し。これ自然に然らざるを得ざるものなり、咎むる事勿れ。 |
※補講※ |
215、酒宴の法の諭し
翁、折々補労(ホロウ)のために酒を用ひらる、曰く、銘々酒量に応じて、大中小適意の盃を取り、各々自盃自酌たるべし。献酬(ケンシウ)する事勿れ。これ宴を開くにあらず。只労を補はんがためなればなりと。或曰く、我が社中これを以て、酒宴の法と為すべし。 |
※補講※ |
216、丸の字の諭し
翁曰く、九の字に一点を加えて、丸の字を作れるは面白し、○は則ち十なり、十は則ち一なり。「元日や うしろに近き大卅日(ミソカ)」と云わる俳句あり。又この意なり、禅語にこの類の語多し。この句「うしろに近き」を「うしろをみれば」と為さば、一層面白からんか。 |
※補講※ |
217、聖人、賢人、凡夫の諭し
翁曰く、世人皆、聖人は無欲と思へども然らず。その実は大欲にして、その大は正大なり。賢人之に次ぎ、君子之に次ぐ。凡夫の如きは、小欲の尤も小なる物なり。それ学問はこの小欲を正大に導くの術を云う。大欲とは何ぞ、万民の衣食住を充足せしめ、人身に大福を集めん事を欲するなり。その方、国を開き物を開き、国家を経綸し、衆庶を済救するにあり。故に聖人の道を推し窮むる時は、国家を経済して、社会の幸福を増進するにあり。大学中庸等にその意明らかに見ゆ。その欲する処豈正大ならずや。能くおもふべし。 |
※補講※ |
218、仁義礼智の諭し
門人某居眠りの癖あり。翁曰く、人の性は仁義礼智なり。下愚といへども、この性有らざる事なしとあり。されば汝等が如きも必ずこの性あれば、智も無かる可からず。然るを無智なるは磨(みが)かざるが故なれば、先ず道理の片端(かたはし)にても、弁へたし覚えたしと、願ふ心を起すべし。之を願を立てると云う。この願立つ時は、人の咄(はなし)を聞て居眠りは出ざるべし。それ仁義礼智を家に譬ふれば、仁は棟(むなぎ)、義は梁(はり)也。礼は柱也、智は土台也。されば家の講釈をするには、棟、梁、柱、土台と云うもよし。家を作るには、先ず土台を据え柱を立て梁を組んで棟を上るが如く、講釈のみ為すには、仁義礼智と云うべし。之を行ふには、智礼義仁と次第して、先ず智を磨き礼を行ひ義を蹈み仁に進むべし。故に大学には、智を致すを初歩と為り。それ瓦(かわら)は磨けども玉にはならず、されど幾分の光を生じ且つ滑(なめ)らかにはなる。これ学びの徳也。又無智の者は能く心掛けて、馬鹿なる事を為さぬ様にすべし。生れ付き馬鹿なりとも、馬鹿なる事をさへせざれば馬鹿にはあらず。智者たりとも、馬鹿なる事をすれば馬鹿なるべし。 |
※補講※ |
219、押領(おうりょう)咎めの諭し
某の村の名主押領(おうりょう)ありとて、村中寄り集り、口才ある者に托(たく)して、出訴せんと噪(さわぎ)立てり。翁其村の重立たる者二三を呼び)て曰く、押領何程ぞ。曰く、米二百俵余なるべし。翁曰く、二百俵の米は少からずといへども、之を金に替る時は八十円なり。村民九十余戸に割る時は一戸九十銭に足らず。村高に割る時は一石に八銭なり。然るに、名主組頭等は持高多し。外十石以上の所有者は三十戸なるべし。その他は三石五石にして無高の者もあるべし。この者に至ては取る物なく、たとえ有るも、僅(きん)々の金なり。然るをかように噪ぎ立つは大損にあらずや。この件確証ありと云といへども、地頭の用役に関係ありと聞けば、容易には勝ち難し。たとえ能く勝ち得るとも、入費莫大となり。寄合暇潰し、且つ銘々が内々の損迄を計算せば、大損は眼前なり。何となれば、未だ出訴せざるに数度の寄合ひ、下調べ等の為に費(つい)えたる金少からず。且つ彼は旧来の名主なり。之を止めて、跡に名主にすべき人物は誰なるぞ。予が見渡す処、これと指す者見えず。能々思慮すべき処也。然れば向後押領の出来ざる様に厳に方法を設けて、悉(ことごと)く通ひ帳にて取立て、役場の帳簿法を改正し遣(つかわ)すべき間、願わくは名主もその儘置くにしかじ。その儘に置かば、給料を半に減じ、半を村へ出さすべし。押領米の償(つぐの)ひ方は、予別に工夫あり。字某の荒蕪地は、云々の処より水を引ば田となるべし。この地に一村の共有地、二町歩程は良田となるなり。之を開拓し遣すべき間、一同出訴を止めて、賃銭を取るべし。その上寄合をする暇(いとま)にて、共同して耕作せば、秋は七八十俵の米は受合なり。来秋は八九十俵、来々年は百俵を得べし。三ヶ年間は一同にて分け取り、四年目より開拓料を返済せよ。返済皆済の上は、一村永安の土台田地として法を立べしと、懇々説諭せられたり。一同了承せりとの報あり。翁自ら集会場に臨み、説諭に服せしを賞讃し、酒肴を与へられ、且つ右の開拓は明朝早天より取掛り、賃銭は云々づゝ払ふべし、遅参する事勿れと告げらる。一同拝謝し悦こんで退散す。名主某も五ヶ年間、無給にて精勤致度旨を云出たり。翁曰く、一村に取ての大難を僅々の金にて買得たり、安き物なり、かくの如き災難あらば卿等も早く買取るべし。一村修羅場に陥るべきを一挙にして、安楽国に引止めたり。大知識の功徳に勝るなるべしとて、悦喜せられたり。翁の金員を投じ、無利子金を貸与して、紛議を解れし事枚挙に暇(いとま)あらず。今その一を記す。 |
※補講※ |
220、勉強の諭し
翁曰く、汝等勉強せよ。今日永代橋の橋上より詠(ながむ)れば、肥取船に川水を汲入れて、肥しを殖(ふや)し居るなり。人々の尤も嫌ふ処の肥しを取るのみならず、かゝる汚(お)物すら、殖やせば利益ある世の中なり、豈妙ならずや。凡そ万物不浄に極(きわま)れば、必ず清浄に帰り、清浄極れば不浄に帰る。寒暑昼夜の旋転(せんてん)して止まざるに同じ。則ち天理なり。物皆然り。されば世の中に無用の物と云うはあらざるなり。それ農業は不浄を以て、清浄に替わるの妙術なり。人馴れて何とも思はざるのみ。能く考へば真に妙術と云べし。尊ぶべし。我方法又然り。荒地を熟田に帰し、借財を無借になし、貧を富になし、苦を楽になすの法なれば也。 |
※補講※ |